・「グレンデール市議会の皆さんは韓国に騙されています」

米国人歴史家による指摘

グレンデール市
    フランク・クエント市議並びに議会議員の皆さまへ
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  『今回、グレンデール市議会が「韓国の慰安婦」を記憶するための、記念碑を建てる決議を出したことを知り、非常に不快で残念に思いました。それはまるで、アウシュビッツの「看守を記憶する」ための、記念碑を建てるのと同じようなものだからです。私は歴史研究家として、このことを歴史の冒涜だと感じています。
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  皆さんは騙されているのです。
  戦時中、朝鮮人は日本人でした。そして大日本帝国の成員として生きたのです。それが一転して終戦直後、今度は被害者になろうと彼らは決意したのです。
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  現在、彼らの国である韓国では、売春婦たちが権利を主張してデモを起こしています。そのような国に住む韓国人が、日本を強制売春の罪で告発するというのでしょうか? 韓国人売春婦たちは、自分自身に火をつけて抗議している。
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  アメリカ合衆国は個人の人権を重んじる国です。
  特に、世界中の女性の権利について、アメリカ人は関心を持っています。そして「慰安婦」を「性奴隷」という言葉に変えたことで、アメリカでは大きな反響を引き起こしました。
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  ですが、それらの韓国人慰安婦たちは、実際に奴隷だったのでしょうか? いいえ、そうではありません。まず当時の状況として残念なことですが、日本だけでなく朝鮮半島でも戦前の時代は、貧しさゆえに娘を身売りするのは珍しいことではなかったのです。貧しい家庭では何とか生きていくためには、それしか方法がなかったのです。
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  慰安婦には給与が支払われていました。
  また朝鮮人慰安婦の斡旋業者は、すべて朝鮮人であったこともわかっています。
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  「性奴隷」という言葉から連想するのは、日本軍が朝鮮の村々から、泣き叫ぶ朝鮮人女性を無理やり連行するイメージです。しかし、そんな事実はまったく存在しません。
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  117ページに、1944年当時の新聞に掲載された「慰安婦募集」の広告があります。この史料によると、慰安婦の給料は月300円です。当時、日本軍の軍曹の給料が1ヶ月30円でした。
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  韓国政府は日本が去った後、その慰安婦制度を米軍のためにそのまま活用しました。私はそこに記述されている「シルバータウン」を実際に訪れたことがあります。とにかく韓国政府は、戦後もその制度を継承したということです。
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  そして現在、韓国人は米国における最大の人身売買業者として存在しています。もし韓国人がそれほど真剣に、韓国人売春婦をなくそうと戦っているのであれば、FBIに協力することで、祖国韓国からの人身売買をなぜ止(や)めようとしないのでしょうか?
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  米国には日本人の売春組織は1軒もありません。
  「大阪」とか「名古屋」の日本の地名を冠した、マッサージ施設などのほとんどは韓国人経営のものです。
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  日本はこれまで韓国の度重なる賠償金請求に対し、莫大な賠償金を支払ってきました。その賠償金の使い道は、元慰安婦などの賠償請求に充てるというものです。日本は韓国の要求に従い、繰り返し謝罪もしてきました。ですが韓国政府の目的はこれを利用して、引き続き賠償金をふんだくることが目的と見えます。
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  韓国人は、自国の歴史に問題を抱えています。
  私はかつて韓国に滞在していたことがあります。その時、第二次世界大戦について韓国人と議論をしたことがありました。
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  彼らは、自分たちの国が戦争で一番ひどい体験をしていると強く主張しました。ですが私は第二次世界大戦の研究者なので、彼らのその意見に与(くみ)することはできません。もし戦争による一番ひどい被害国を挙げるとしたら、私はポーランドを挙げます。
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  ポーランドはドイツに占領され、1943年にはワルシャワのユダヤ人ゲットーが蜂起し、翌年にはポーランド祖国自衛軍も立ち上がって戦闘状態となり、その結果、国土はほとんど荒廃に帰しました。一方、ソ連軍のベルリン進攻に対しドイツ軍の反撃があり、ゲリラ活動も継続していました。
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  戦後、ポーランドは領土の3分の1をドイツに取られ、ドイツの領土であったプロシアとシレジアを領土とするよう命令されました。多くの人々は住んでいた場所から移動させられ、夥しい人々が殺されました。ポーランドは、およそ戦前の人口の25パーセントを失ったのです。
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  それでも韓国人たちは、ポーランドよりも自分たちのほうがずっとひどい目に遭っていると強く主張しました。それ以来、第二次世界大戦に関する韓国人のいかなる主張にも、私は同情できなくなりました。
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  実は、日本が朝鮮を併合する時、ほとんどの朝鮮人は抵抗するどころか彼らは本当に喜んだのです。ですが、そのことが今日、朝鮮人の恥となっています。朝鮮国内には抗日運動はなかったのですが、唯一、1919年(三・一運動)の暴動で、日本政府によると533人の朝鮮人が死亡したと言われています。それだけです。
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  朝鮮北部のほうではゲリラ運動がありましたが、その本拠地は満州国にあり、朝鮮国内に本部を置くことはできませんでした。しかし彼らの活動といえば、しばしば朝鮮国に侵入しては略奪を働くことであり、当然、同胞からの支援はなく、1500名ほどからなる組織でした。
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  1938年4月に朝鮮で特別志願兵制度が始まりました。多くの朝鮮人男性は日本軍の兵士になることを望み、1942年には4077名の定員に対し25万4273人の応募があり、倍率は62.4倍に上りました。
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  日本軍兵士となって戦争で死んだ朝鮮人よりも、戦後、韓国政府に殺された韓国人の方がはるかに多かったのです。戦後、韓国政府が発表しましたが、1948年の済州島事件では約3万人が死亡したと認めています。一方、市民団体は10万人だと発表しました。1948年10月に起きた麗水・順天事件の反乱では400人が殺されました。
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  1950年の朝鮮戦争(北朝鮮vs韓国)では、その夏に30万人の民間人が韓国政府によって虐殺され、さらにその冬には国民防衛軍事件により数十万人が殺されています。当然、朝鮮戦争で北朝鮮側に殺された人の数は不明ですが、北朝鮮で多くの民間人が殺されたであろうことは容易に想像できます。
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  韓国人はこう主張するでしょう。
  日本が残虐だったので、戦争に協力するよう我々に強制したのだ、と。世界を見てみると、たとえば欧州ではバルト地方やウクライナ、ロシア、その他の国民は、ドイツ軍の制服を着てドイツ側に立って戦ったのです。そうした人々は一説には数百万人いたとも言われています。
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  グレンデール市では、そういう人々の記念碑を建てるのですか?
  皆さんのやっている慰安婦のための碑を建てるということは、ドイツ軍に協力した人々のための碑を建てることと同じです。
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  もちろん、それらドイツ軍に協力した国では同時に抗独ゲリラ運動も起こりました。ですが朝鮮にはそういう歴史が存在しません。そして、それこそが今日、韓国人の恥となっているのです。第二次世界大戦時、朝鮮人は日本のためにすすんで戦ったのです。朝鮮の女性たちを自らすすんで斡旋し、慰安婦として提供しました。
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  そして、慰安婦の碑を建てて展示することでグレンデール市の皆さんは、韓国人が日本人に持つ劣等感に巻き込まれています。それだけでなく、皆さんは大変な歴史的間違いを犯しています。
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  韓国側の証言は元慰安婦の口述証言だけですが、歴史研究者の間では、体験者の証言だけでは信頼性に欠けるとして、他の証拠が必要とされます。そして多くの史料からわかっていることは、韓国人が「あった」と主張していることは、実際には「なかった」のです。
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  当時の日韓関係が、実際にはどんなものであったのかについて、もっと真摯に調査してくださるよう、韓国政府に心よりお願いする次第です。
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  モナ氏が(慰安婦強制連行の)女性問題について発言されるのであれば、公平であるためにも、今現在、米国で行われている韓国人の人身売買の問題について私は声を挙げるつもりでいます。』
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  カッパtvさんより転載しました。
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 ――多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。
 
 
 
 

・まず自分自身を愛しなさい

   数千年もの間、人は監禁された状態で生きてきた。
   これらの牢獄にはさまざまな素晴らしい名前がつけられていた。あなた方はそれを宗教、思想、教会と呼ぶ。ある人はカトリックという牢獄で生き、ある人は共産主義者の牢獄で生きる。そして両者は彼らの牢獄について、自分たちの牢獄の方がはるかに良いと自慢し続けている。
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   しかしある思想を通して生きる人は、誰であれ囚人だ。
   なぜならいずれ、あらゆる思想はあなたの意識を狭め、あなたの存在を束縛するようになるからだ。恐れから、条件付けから、一種の催眠状態から、何かの群集に属している人は、誰であれ真の人間ではない。その人はまだ生まれてもいない。人になる機会は与えられているが、それを浪費している。
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   たとえば、私はあなた方にこのように言った。
   自分自身を愛しなさい。自分自身を愛せない人は、他のどんな人をも愛することができないと。ゆえに私はあなた方に言う、利己的でありなさいと。なぜなら唯一利己的な状態からだけ、利他主義が生まれるからだ。
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   だがあなた方は、本当に価値のない価値観を教えられてきた。
   あなたには価値がないと、そのままのあなたには何の価値もないと聞かされてきた。つまり、あるがままのあなたは地獄であると。あなたは立派でなければならず、あなたは変わらなければならない。あなたは聖人に近くなり、あれやこれや優れた者にならねばならない。
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   そこでは一つのことが確実だ。
   それは、あるがままのあなたでは、そこにはどんな価値もないということだ。そうであれば、あなたはどうやって自分自身を愛せるのだろうか? 自分自身を愛せず自分を憎み、嫌う時、あなたは他のすべての人々を嫌い、憎んでいる。彼は全世界を憎み、自分自身を憎むことで生に対して否定的になる。
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   そして生に否定的な人は、生に対して破壊的だ。
   いわゆる僧や尼僧たちは、誰もが生に対して否定的だ。彼らは生を肯定しない。生を育まず、生を美しくしない。彼らは世界を祝福して来なかった。彼らは呪って来た! 
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      いわゆる修道院は消え去るべきだ。
      私たちには修道院は必要ない。確かに私たちにはサニヤシン(修行者)が必要だが、彼らは世界の一部となり、世界を変えることで生きるべきだ。そして、そこで起こるべき基本的な変容は、自分自身を愛する者であるべき、ということだ。
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   自分自身を愛さない人はマゾヒストになる。
   つまり、自分自身を苦しめるようになる。そして、こうしたマゾヒストたちは、古来より聖者として崇拝されて来た。マゾヒストである人は、一方でサディストである。なぜなら自分を傷めつける人は、あらゆる他人を痛めつけたがるからだ。しかも痛めつけることは、彼の神への捧げ物になる。
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   この両者がしばしば、同一人物であるのはいつものことである。
   あなたは自分自身に対立して反対し、他人に反対するというようなやり方で、あなたの宗教によって条件付けられてきた。つまり一方で、あなたは素晴らしい合理的思考で自分自身を苦しめ、また他方で、その考え方で他人を苦しめる。
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   彼らにとって、今や生というものは拷問部屋に、強制収容所になってしまった。もはやそれは生きるという祝祭ではない。だがしかし、生というものは本来、祝うべきことなのだ。もし自然に自分自身の進路を取ることが許されるならば、それは祝祭であるに違いない。だから覚えておくべき最後のことは、 ”物事を後ろ向きにしてはいけない”ということだ。
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   自然とともに行きなさい。
   上流へ行こうとしてはいけない。生の流れとともに行き、川とともに行きなさい。川を押し進めたり、自然を征服しようとしてはいけない。どちらにしろあなたにはできないし、あなたにできるのはそれを破壊することだけだ。しかも頑張ってできるのは、自分自身の破壊だけだ。
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   まさに、自然を征服するという考えそのものが暴力的であり、醜いものだ。勝利とは自然に反することではない。勝利はただ、自然とともに可能なものなのだ。
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   あなたは、自分自身を愛してはいけないと教えられてきた。
   それが純然たる事実のように、真実のように見えるほどに、繰り返し教えられてきた。しかし自分自身を愛せない人は、他のどんな人をも愛することはできない。自分を愛せない人は、まったく愛することができない。
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   あなたは利他的であるべきで、決して利己的であってはいけないと教えられてきた。それは一見、とても美しく見える。だがそれがまさに、あなたの根源を破壊している。唯一、本当に利己的な人だけが、真に利他的であることができる。
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   なぜなら本来の自己の本性に根づいていない人、つまり利己的でない人は、他の誰かについて真に心配したりなどしないからだ。もし自分自身の世話ができないならば、どうやって他人の世話ができるというのだろうか? 彼は自滅的で、当然、残酷になる。
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      The Book of Wisdom
       book『アティーシャの知恵の書 下』 OSHO著  市民出版社
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                        抜粋
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――多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。

・「東京裁判」とは植民地支配を追われた連合国側の復讐

  東京裁判については、私ももっと学びたいと思っていますが、結論から言うと、「A級戦犯」に関しては、戦争を始めた時点でそのような「罪」など存在しなかったのに、新たに作り上げた「平和に対する罪」で裁いたという点が問題です。なぜなら近代法の基本である罰形法定主義と事後法の禁止に反しているので、正当な裁判とは言えないからです。これを完全に正当かつ有効な裁判だったとする強弁は、法律家を名乗る人間であれば、論理的にも倫理的にも不可能なはずです。
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  当然、このような裁判は、東京裁判の以前にも以後にも事例がありません。同じ敗戦国側のドイツを裁いたニュルンベルク裁判の時は、人道上の罪だけであり、平和に対する罪などなかったのです。つまり日本の政治家や軍関係者は人道上の罪など犯しておらず、しかしそのままでは裁くことができないために、意図的に平和に対する罪というものを後から無理やり作ったということです。
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  また、渡辺昇一氏が指摘されているそうですが、日本はサンフランシスコ条約にあたり東京裁判の「諸判決」を受け入れたが、東京裁判そのものを受け入れたわけではないということです。日本のA級戦犯として最も名前が知られている東條英機氏も、遺言で同様のことを述べています。それが、今の皇太子妃雅子様の父上で外務官僚であった小和田恆(ひさし)氏が、国会で東京裁判「そのもの」を受け入れると言ったために、それが今日の国際常識になってしまったと言います。
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  国際的な舞台における言葉は非常に大切なのですが、有能な外務官僚であったはずの小和田氏が、なぜそうした軽率かつ不見識な発言をしたのか、不思議でなりません。
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  靖国神社もまた、まだ外国人の理解を広く得られているとは言えません。私自身もつい最近まで単純に、分祀(ぶんし)すれば良いのではないかと思っていたくらいです。実際、中曽根康弘元首相など政界の一部からも、「A級戦犯を分祀せよ」という声がありました。しかしいろいろわかってきたことでは、完全に切り離す分祀というのは、神道の原理上できないことだと知りました。(略)
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  ところで靖国神社にはB級、C級戦犯として、亡くなった方たちも祀られていますが、それらは問題にはなっていません。そもそも日本人にとって、「A級」「B級」などという括(くく)り自体が、アメリカをはじめ(日本によって植民地支配から追い出された)連合国が勝手に、しかも法律の原則に則(のっと)らない違法な裁判を開いて決めたことであり、日本人が決めたことではないという意見も根強いのです。
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  加えて、現代の日本語で「A級戦犯」という表現は「B級グルメ」と同じようなランク付けの意味合いがありますが、英語の”War Crimes Class A"のニュアンスは「戦争犯罪A組」とでもいうべきもので、単なるカテゴリー分けに過ぎません。たとえば東条英機氏にしろ、他の戦犯とされる方々であれ、元はと言えば国の法律とシステムに従い、自分の職位における仕事をしただけの人たちであり、結果的に負けたから悪者にされているだけなのです。(略)
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  でもA級戦犯に関しては、いまだに「悪者」という印象が残されている。この日本人らしくない感覚は、やはり外来のものだと思います。つまり、元をただせばこれはGHQの発想です。GHQが禁止事項としたプレス・コード第22項は「戦争犯罪人の正当化および擁護」です。それに加え、恨みのある敵の死体を墓から掘り起こして鞭打つことが「美談」になってしまう中国や韓国の意向が、そこに上乗せされてしまったわけです。
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干渉に屈せず、日本人は「日本古来の心」を守れるか
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  つまり靖国問題はいまや、外来の考え方を受け入れるかどうか、死者に鞭打つ中国・韓国の精神性に日本古来の「心」が屈してしまうのかどうかという、瀬戸際にあるとも言えるでしょう。そして、誰を祀るかどうかというのもまた、靖国神社という一宗教法人の判断の問題であり、他国がとやかく干渉するべきものではありません。これは日本に対する内政干渉であると同時に、信教の自由に対する重大な侵害なのです。
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  安倍首相が靖国神社を参拝した時、アメリカ国務省が「失望した」という声明を出しました。「仲良くしようという時に、わざわざ刺激しなくても」という意味でしょうが、そういう声明は単に韓国や中国を喜ばせるだけで、結局は彼らをつけあがらせるだけです。
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戦後の国際情勢を予言していた東條英機の遺書
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  東條英機氏が首相に選ばれたのは、近衛内閣で8ヵ月も続けられたにもかかわらず、対米和平交渉がまったく進展しなかったからです。それもそのはず、ルーズベルトにはそもそも和平交渉をやる気などさらさらなかったので、うまくいかなかったのは当然のことです。彼にはいかにして一発目を日本に撃たせるか、ということにしか関心がなかったわけで、そういう意味では日本はよくも我慢したものです。
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  昭和16年(1941年)9月に、ついに近衛内閣は「これ以上はもう駄目だ」、これは戦争になるしかないと思いました。ではなぜそこで東條氏が首相に選ばれたかというと、昭和天皇ご自身が対米和平交渉を何とか結実したかったからです。天皇は何としても戦争を避け、平和を実現させたかった。つまり天皇は、ルーズベルの悪辣な意図などまったく知らなかったのです。
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  この頃の日本の動きを見ていると、最後にもう一度、本気で対米和平交渉を成立させようとする強い意志があったことがわかります。そんな時に東條英機氏に白羽の矢が立ったのです。東條氏にはどこか、「ガンホー(闘魂精神を表現するアメリカ海兵隊の掛け声)的な、ある意味バリバリの軍人ですが、一方で天皇陛下に対して非常に忠誠心の強い人でした。ですから平和を望まれる天皇が、「戦争への道をやめなさい。和平のために頑張りなさい」と言われたら、それはもう何を置いても必死になってやる人だったわけです。
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東京裁判とは植民地支配を追われた連合国による復讐
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  ところが東條内閣になって提出された経済予測資料によると、その時点で石油をはじめとするほとんどの資源をアメリカやイギリス、オランダなどによって止められている中で、もし対米和平交渉が実現しなかった場合、昭和17年(1942年)4月までに、日本国内では1000万人の失業者が出ることがわかりました。こうなったらもはや国家のリーダーには打つ手がありません。
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 つまり、東條氏以外の誰が総理大臣になっていたところで、もう日本は独立国家としては、実力行使で取りに行く以外には、何一つできなかったと思います。しかし東條氏をはじめA級戦犯とされる人々は、独裁専制的な手法で政策を違法に推進することは一度もなかったのです。彼らはあくまでも、当時の日本の国内法に従い、開戦の手続きを行なっています。つまり、法的な瑕疵(かし)はまったくなかったのでした。
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  東條英機氏の遺書は非常に興味深いものです。
  彼は戦後の世界情勢を全部、見事に言い当てています。その中で東條氏は、アメリカの最大の間違いは、日本と戦ったことだと論破している。この後、世界には共産主義がどんどんはびこって大変なことになるだろうが、日本はずっとその防波堤になっていたのだと。その壁を壊したのはアメリカだと言っているのです。そして実際に、後にマッカーサーが、「日本の戦争は安全保障のためだった」と認めています。
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  つまり、遅ればせながらアメリカは、東條氏たちを死刑に処した後、起こった米ソ冷戦の本格化や、朝鮮戰爭(北朝鮮vs韓国)の勃発を目(ま)の当たりにして、ようやく日本の立場を理解したのです。そういうことからすると、東條英機という人は不運な人でもあったと思います。戦前はわずかな期間ですが、天皇陛下のご意向に沿って和平のための努力をし、にもかかわらず開戦の決断を下すことになり、戦後も天皇に忠誠を尽くし、陛下が戦争責任に問われないように尽くしたとも言われています。
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  こうしてみると、本当に東條英機氏がそれほどワルだったかということは大きな疑問です。にもかかわらず今日に至るまで、A級戦犯として真っ先に挙げられるのは彼の名前です。これについては日本人自身が、研究・検討する価値があります。戦後の政治において、アメリカなど植民地支配を追放された連合国からすれば、東條英機はワルかもしれない。
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  ただそれもシンボルとしてのワルであって、天皇陛下をワルと言えないので、その代りに軍部のたまたまトップにいた東條氏が悪いというだけの話なのでしょう。ですから今でも、アメリカをはじめとする欧米諸国では、「東條英機=悪の権化」となったままです。確かに当時、日本の軍部が威張っていたという事実はあります。しかし軍の力が強いというのは、今のアメリカやロシア中国もみな同じです。
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  当時の資料を調べると、関東軍はたしかに暴走したところがありますが、それでも東條氏をはじめとするリーダーたちは、すべてを国会の承認を得て政治的手続きを行なっています。当然、衆議院議長もいたわけで、決して独裁などではなかった。それを「東條英機はA級戦犯なのに靖国に祀られている。それを総理大臣が参拝するのはけしからん」として中国や韓国が干渉する。
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  ですが実は未だに、多くの日本人こそが当時の状況や事実をほとんど理解しておらず、靖国問題をうまく整理・消化できていないわけです。だから他国の干渉に対して、キチンと反論できない。そもそもA級戦犯と呼ばれる人たちは、アメリカをはじめ連合国の(仕返し)によって、すべて意図的につくられたワルなわけです。ヒトラーやナチス・ドイツの戦犯は、国内法はもちろん国際法もすべて無視して独裁に走り、ユダヤ人大虐殺という人道上の罪を犯した戦犯と比較すると、日本の戦犯とは似ても似つかないものです。
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  その事実を隠蔽したのはGHQであり、WGIP(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)ですが、今の時代は何でも自分の力で調べることができるので、ぜひ自分の力で、自分にかけられた洗脳を解いてください。
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  『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』 ケント・ギルバート著 PHP
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                       抜粋
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――多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
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・歴史的真実を隠蔽しようとする人々とは誰なのか?

日本の視点から考える
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  ルーズベルトの謀略をまったく知らなかった日本政府は、昭和16年(1941年)1月から対米和平交渉を始めています。その4年前の昭和12年(1937年)から始まった中国戦線で泥沼にはまった日本は、蒋介石の率いる中国(中華民国)の正規軍である国民党軍の背後に、アメリカやイギリスがいることを知っていました。これらの欧米諸国は中国での利権の確保と、その拡大を狙っており、中国(国民党軍)に対して大量の武器弾薬と財政支援を行なっていました。
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  実際にアメリカ陸軍航空隊からは昭和15年(1940年)の段階で、密かにアメリカ人戦闘機パイロットを送り込み、中国空軍を後方で支援していたのです。意外だったのは、あのドイツも1930年代までは、日本軍と戦う国民党軍に対し、武器や戦術指導の提供を行なっていたことです。当時の中国国民党軍の写真を見ると彼らの多くが、あのナチスがかぶっていた独特の形のヘルメットを装備していることがわかります。それも当然で、ナチスからそのまま供給されたものだったのです。
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  国民党軍がドイツから得ていたのは、物資や技術支援だけではありません。1932年の第一次上海事変では、ドイツ軍の軍事顧問に指導された国民党軍が日本軍と交戦しており、満州に近い万里の長城付近の戦いでは、なんとドイツ陸軍の中将が、直接日本軍との戦闘を指揮しています。そして1933年以降は、ドイツ軍の元参謀総長が蒋介石の軍事顧問に就任しています。ドイツもまた、中国における地下資源や市場を狙っていたわけです。
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  上海における要塞や掩蔽壕(えんぺいごう)などはすべて、ドイツ軍が設計したので非常に強固かつ巧妙に作られており、ドイツ製の高性能機関銃などを装備していた国民党軍の火力は相当に強力で、兵士がバタバタやられていったそうです。それに対し日本軍は一発必中の単発式小銃を使い、最後には日本刀と銃剣による斬り込みで対応し、国民党軍を蹴散らしたそうです。ある日本人兵士は「上海で初めて近代戦の凄まじさを経験した」と語ったそうです。
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  その後、日本とドイツが「日独防共協定」を結んだことで、ドイツによる中国支援は一気に先細りとなりました。つまり国際政治における国家というのは、国益のためなら何でもするということが良くわかるいい例です。またモノつくりが得意で細部にまでこだわるという共通点を持つドイツ人と日本人は、戦争をさせるといずれも強すぎる軍隊になってしまうという事実がよくわかります。
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  さて話をアメリカに戻しましょう。
  日本は中国大陸で上記のような泥沼の戦いを続けていましたが、国民党軍の背後にはドイツだけでなく、アメリカやイギリスそしてソ連がいました。つまり日本は否応なく、大東亜戦争のはるか以前から、米英に加えてソ連までもが黒幕に控えた、代理戦争を戦わされていたのです。
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  この米英ソの物資輸送ルートは有名な「援蒋ルート」と呼ばれており、中国国民党を支援する国によっていくつかルートがありました。中でも特に日本が苦しんだのが、現在のベトナムに陸揚げされた物資を今の中越国境から運び入れる「仏印ルート」と、先に少し述べたイギリスの植民地であったビルマ(ミャンマー)から、山岳地帯を通じて中国南部に入る「ビルマ・ルート」でした。
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  日本にしてみれば、これらの第三国からの物資輸送を止めてしまえば、蒋介石軍との戦争は終結できるとわかっていたので、日本は昭和15年(1940年)に(フランスの植民地であった)ベトナムに軍を進駐させ、そのルートを制圧しました。(仏印進駐) ちなみにこの仏印進駐について、日本政府はドイツに敗れたフランスで新たにできたヴィシー政権の公的な了解を得ています。つまり日本軍の仏印進駐は国際法を順守したうえでの、合法的な作戦行動なのです。ですがこれも、ほとんどのアメリカ人は知らないことで、おそらく日本人も知らないでしょう。
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  ですが日本軍の合法的なこの行動に対し、アメリカは文句をつけました。ちなみにアメリカはこの時点ですでに「ビルマ・ルート」の上空支援任務のため、中国空軍に多くのアメリカ人パイロットと整備士と、そして100機もの戦闘機を密かに送っていたのです。次に日本が潰しに来るのは、自分たちが蒋介石支援のために使っていた「ビルマ・ルート」だとわかっていたからです。
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  ですがこのアメリカの「フライング・タイガース」の行動は、戦時国際法上では完全に第三国の中立義務に違反しています。つまり武器などの物資の支援は許されても、紛争当事国ではないアメリカなど第三国が援軍を送り込んではいけないことなのです。そのためアメリカは軍に所属するパイロットと整備士を、記録上では一度退役させたことにし、ボランティアの義勇兵(傭兵)として、中国軍に協力したことにする偽装工作を行なっています。
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  ついでに細かい話をすると、この段階では「日華事変」もしくは「支那事変であり、「日中戦争」と呼ぶのは間違いです。国同志が宣戦布告を行ない、国際法で認められた「戦争」を始めた場合、第三国からの物資提供も国際法違反となります。つまり、日本はアメリカから石油や屑鉄などを輸入していたし、中国は「援蒋ルート」をフル活用していたわけで、日中双方がお互いに戦線布告を行なわず、あえて「事変」にとどめていたのです。
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  歴史用語の安易な置き換えは歴史的な事実を歪めてしまい、バックグラウンドや真実が判らなくなる原因となるので、十分注意すべきです。逆に、歴史用語が置き換えられていた場合、その理由を探ってみると、意図的に置き換えた人たちの真意が読み取れるかもしれない。
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  話を元に戻しますが、ルーズベルトにしてみれば、日本が徐々に自分が仕掛けた罠にハマっていく様子を見て、ほくそ笑んでいたことでしょう。そしてアメリカは日本軍の仏印進駐を機に、日本に対する屑鉄の輸出を禁止するなど、次々に対日制裁を強めていきます。
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  ここで日本は、あわてて対米和平交渉を開始します。
  それは国際法上合法的に行なった仏印進駐でしたが、それをアメリカに責められるとは想定していなかったからです。時の総理大臣であった近衛文麿(このえふみまろ)は、野村吉三郎や来栖三郎大使を送り、真剣に和平交渉を行ないます。つまり日本は普通ならあり得ない「大使二人制」という体制で、対米和平交渉に挑んだのでした。
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  近衛首相は1943年にアメリカを訪問した際、大統領一期目にあったルーズベルトと(コーデル・)ハル国務長官に面会した経験がありましたが、その際にこの2人が極東アジア問題に関して、ほとんど何の知識も持っていないことをよく知っていました。そのために、ルーズベルトと旧知の仲であった野村大使や、アメリカ人の妻を持つ来栖大使を送るなどして、日本はアメリカの無理解に気を遣ったのでした、
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  しかしアメリカはなかなか良い返事をしません。
  それどころか、日本の努力にもかかわらず、徹底して対日経済封鎖をどんどん強化していきます。その詰まるところが対日石油禁輸措置です。日本はエネルギー資源がないので、それをやられてしまえば、もう「死ね」と言われているのと同じだったわけです。
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  そしてここからは、もう開戦までの一直線です。
  昭和天皇は何とか戦争を避けようとし、日本政府も同じように努力していましたが、ルーズベルトからすれば計画通りの展開なので、日本がどのような案を出して来ようとも受け入れる気などさらさらなく、ひたすら日本を挑発して戦争を起こさせようとしていたのです。
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  ルーズベルトには、スターリンと一緒に世界を二分割して統治するという約束があり、また大恐慌以来の停滞したアメリカ経済を立て直して世界的な覇権を握るためにも、何とかしてアメリカを第二次世界大戦に参戦させなければならなかったのです。つまり、どんなに日本が譲歩を見せたところで完璧「ムダ」だったというわけです。
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  私はこれまで、この日本和平交渉の詳細をほとんど知らなかったのですが、ルーズベルトという人間について勉強し、日本が戦争に向かう過程を学んでからというもの、やはり日本はルーズベルトによって戦争に追い込まれたのだ、ということを確信するようになりました。それは日本だけではなく、同時にアメリカ国民もまた、彼によって戦争に引きずり込まれたわけです。
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真珠湾が攻撃目標であることはわかりきっていた
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  真珠湾攻撃を、アメリカがまったく予期していなかったというのが、今でも日米における基本的「定説」となっていますが、これをそのまま受け取る人は勉強不足、知識不足です。なぜなら、幾つもの事実がこの「定説」を疑わせるに十分な証拠を提示しているからです。
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  たとえば日本が(コーデル・)ハル・ノートを受け取った翌日の昭和16年(1941年)11月27日には、ハワイの海軍基地司令官キンメルが、ワシントンから「戦争の脅威が逼迫(ひっぱく)している」という至急電を受け取っています。そこでキンメルは早速、ハルゼー提督に対し、空母「エンタープライズ」などからなる艦隊を出港させ、アメリカ海兵隊VMF-211飛行隊の、ポール・パトナム少佐指揮下にある戦闘機をウェーキ島に派遣し、防衛を固めるように命じました。
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  この時ハルゼーは、「これらの海兵隊機はまさにライオンの口の中に飛び込むようなものだ」と感じており、「ウェーキ島へ行く途中に日本軍と遭遇したらどうすべきか」と問うたところ、キンメルは「常識でわかるだろう」と返したといいます。つまり、敵をみたらやっつけろということです。(http://www.commandposts.com/2011/11/novenber-28-1941-enterprise-leaves-pearl-harver/)
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  またこの時に輸送される戦闘機隊を率いたパトナム少佐が、太平洋上の空母艦内で書いた12月3日付の手紙には、同艦隊の行動が最高レベルの機密扱いにあり、また連日、かなりの遠距離まで同戦闘機隊が偵察哨戒飛行を行なっていることを記しており、「それら(自分が指揮する戦闘機部隊)は完全武装しており、日本軍の艦船や航空機を発見したら、わが部隊の発見を知らせられないために、それらを攻撃せよという命令となっている」と書いています。(アメリカ海兵隊司令部広報部歴史課R・D・ヘインル・ジュニア准将著”Defense of Wake”P9)
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  つまり、アメリカは前線部隊の将校に至るまで、ハワイ近くのこの領域に日本海軍が出現して、交戦状態になる可能性が高いことを十分に知っていたということです。それどころか当時の駐日アメリカ大使グルーは、開戦の1年前の昭和16年(1941年)1月27日の段階でアメリカ国務省に向けて、駐日ペルー大使や日本人情報部からの情報として、”もし日米関係が「トラブル」に陥った際には、日本軍が真珠湾に向けて大規模な奇襲を仕掛けるという計画がある”、ということを公電で報告すらしているのです。(J.Robert Moskin,"American Statecraft:The Story  of the U.S.Foreign Service" P403)
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  これは山本五十六が真珠湾攻撃を決断した直後の話であり、いかに日本海軍の情報が暗号以外でも漏れていたかがわかる、かなり情けない逸話です。このグルー大使は開戦直前の11月の段階でも、日本が真珠湾に対して軍事攻撃を行なうであろうことをワシントンに報告しています。
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  日本の情報がダダ漏れ状態であった一つの理由は、日本の暗号の多くがすでに解読されていたからです。たとえば日本の外務省の暗号は、真珠湾攻撃の以前に完全に解読されていたという事実は、もう今では周知のことです。
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  しかし日本側はそのことにほとんど気づいてはいなかった。その証拠に、ハワイの日本領事館にいた喜多長雄総領事は、真珠湾内のアメリカ艦船の動向を、開戦直前の段階でも日本に向けて発信し続けていましたが、それらのほとんどはワシントンの暗号解析チームによって解読されていたこともわかっています。(John Hohenberg,"Foreign Correspondence:The Great Reporters and Their Times" P211)
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  一方、定説では日本軍の暗号は、昭和17年(1942年)のミッドウエー開戦の頃まで破られなかったということになっていますが、実際には日本海軍の暗号は戦前にすでにアメリカの手中に落ち、破られていたと考えるべきでしょう。この「定説」に異を唱えると、なぜか変な圧力がかかるのですが、私は別に「全部の海軍暗号」が破られたと言っているわけではありません。しかし少なくとも、すでに戦前に「複数の海軍暗号」が、アメリカとイギリスによって解読されていたことは明らかになっています。
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  1923年の段階で、日本の海軍武官の持っていた暗号書をアメリカ海軍が密かに入手しています。それをアメリカ海軍情報部の暗号分析官として有名なアグネス・マイヤー・ドリスコール夫人により、一部が解読されています。この海軍暗号は「レッド」と呼ばれていますが、後に解読された日本外務省の暗号も同じく「レッド」と呼ばれているので、間違えやすいので注意が必要です。
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  またJN-39という日本の商船専用の暗号は、昭和15年(1940年)5月の段階で解読されているし、その他の一部の海軍暗号も戦前からシンガポールにあったイギリス軍によっても解読されています。そして特にイギリスの解読した暗号が、日本海軍の開戦準備行動の兆候を捉えたとも言われています。(Michael Smith,"Emperor's Codes:Bletchley Park and the breaking of Japan's secret ciphers" P93)
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  日本海軍の暗号の中でも最も難しかった一つは、JN-25というものであり、これはミッドウェー海戦の頃までまったく解読できなかったと言われています。確かにこれは真珠湾の前の段階では10パーセントほどしか解読されていなかったようです。ですが一方でJN-25は真珠湾前にはほとんど使われてはおらず、日米開戦後になってようやく大量に使われるようになったものだという話もあります。
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  これらの事実から見てみても、「日本海軍の暗号がまったく解読されていなかった」という考えは間違いであるとわかります。アメリカやイギリスは必死になって日本海軍の暗号の解読を試みており、一部ではかなりの成果を挙げていたわけです。また日本の機動部隊が成功裏に行なったという「完全無線封鎖」の話ですが、実際に真珠湾攻撃に参加した空母「赤城」の長谷川喜一艦長の日誌(12月6日付)には、
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  「1700作戦緊急信にて通信部隊発信 ハワイの北方800浬(かいり)に敵潜1隻、他の1隻と通信しつつあり、わが連合方位測定中との情報あり。われらの航行付近なれば一寸(ちょっと)緊張させられる」とあります。これは間違いなく、ハワイの北方800カイリに敵潜水艦(アメリカ)がいたことを把握した機動部隊の前哨部隊が、「無線」を発した話をしているわけです。しかもアメリカの潜水艦もまた、日本の機動部隊の位置を把握しようとしていることがうかがえます。
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  真珠湾への攻撃を予期し、あるいは感づいていたのは、何もワシントンやアメリカ軍だけではありません。実は開戦の1週間以上前の11月30日に地元ハワイの複数の新聞は、「来栖(大使)が憮然として警告――我が国は戦争の準備ができている」「今週末、日本がハワイ(の真珠湾)を攻撃する可能性」などと報じており、かなりの情報がワシントン以外にも漏れ始めていたことがわかっています。
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  私が指摘したいのは、アメリカによる日本海軍の暗号解読状況や、日本機動部隊の完全無線封鎖の詳細ではなく、日本をこれまでさんざん挑発し、またこれだけ多くの事前の兆候があったにもかかわらず、「アメリカが本当に日本の攻撃を何も予測しておらず、知らなかったわけがない」、ということです。もし本当に何も知らなかったとすれば、我が祖国アメリカは相当に無能な国家ということになりますが、もちろん、そんなことはありません。
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  すべてを仕掛けたのはルーズベルト本人だったからです。
  前述のとおり、ルーズベルト大統領はアメリカ国民に「攻撃を加えられた場合を除いて」、外地での戦争に国民の息子たちを送りはしないと、アメリカ国民に対し繰り返し訴えていました。しかしその一方で彼は、イギリスのチャーチル首相に対し、アメリカを戦争に参戦させる約束を交わしています。
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  それどころかルーズベルトは、「私は決して宣戦しない。私は戦争をつくるのだ」とさえ語っており、真珠湾(開戦)の前日に行なった家族との食事の席上では、「明日、戦争が起こる」とまで述べています。
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歴史的真実を隠蔽しようとする人々とは誰なのか?
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  これだけの証拠や証言がありながら、しかも情報公開によってこれらの証拠は今後も次々と拡散され強化されるのは確実なのに、従来の「定説」を必死で擁護し、(日本を悪者にしておきたいために)、「陰謀論者」や「歴史修正主義者(リビジョニスト)」などのレッテルを貼るワンパターンな方法で、真実の隠ぺいに必死な人たちがいます。ですが、「天動説」を支持した中世のキリスト教徒を見ているようで、もはや憐れみすら覚えます。
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      『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』 ケント・ギルバート著 PHP
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                           抜粋
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――多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。
 
 

・「血を流して戦うことを厭わなかったあなた方こそ、最高の功労者です」

  平成3年のことである。

  日本傷病軍人会代表団がオランダを訪問した。その首都アムステルダム主催の親善パーティで、アムステルダムのエドワルド・ヴァン・ティン市長は次のように挨拶した。
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  『あなた方日本は先の大戦(第二次世界大戦)で負け、私どもオランダ(の同盟国側)は勝ったけれども、結果的に大敗しました。すなわち、戦争で負けた日本はその後経済大国となり、勝ったはずのオランダは貧乏国になりました。
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  戦争が起きる前は、オランダは本国の36倍もの面積の植民地インドネシアを有しており、石油等の資源により、本国オランダは豊かな栄華を極めていました。しかし現在のオランダは日本の九州と同じ広さの、本来の本国だけになりました。
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  あなた方日本人はアジア各地で謝罪外交を続けていますが、それは間違っています。なぜなら、あなた方こそが自ら血を流して、長い間植民地支配されてきた東アジア民族を解放し、救い出したからです。それは人類最高の素晴らしいことでした。
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  しかしあなた方国民はこれまで、過去の歴史の真実から遠ざけられ、洗脳されてきました。日本は戦争を起こした悪者として自らを責め、自虐的になっていますが、今こそ日本人は真の歴史を振り返り、真相を見つめる必要があります。
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  本当は、私ども白人が悪かったのです。
  白人は300年以上前から、武力を用い、競ってアジア民族を征服することに熱中し、多くの民族の国々を植民地化しては自らの領土としてきました。長い間、欧米の植民地や属領とされて、人々は奴隷として酷使されていたのです。
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  あなた方日本人は、そのアジア民族を解放し、共に繁栄できるようにと遠大崇高な理想の元に、大東亜共栄圏の旗印を掲げて立ち上がったのです。本当に悪かったのは、武力とともにアジアへ侵略し、権力をふるった欧米の人間たちです。
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.......日本は敗戦しましたが、東アジアの解放は実現しました。
  日本軍は戦勝国、つまり植民地支配していた連合国のすべてをアジアから追放しました。その結果、アジアの諸民族はその後、それぞれが独立を達成しました。
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.....日本の功績は偉大です。
  血を流して戦うことを厭(いと)わなかったあなた方こそ、最高の功労者です。
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  日本人は自らを蔑(さげす)むことをやめ、堂々と胸を張り、その誇りを取り戻すべきです。』
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  『日本に生まれて良かった』さんからの掲載です。
 

・日本の真珠湾攻撃は「騙し討ち」ではなかった

  日米両国を愛する私にとって、日本とアメリカはなぜあのような戦争をしたのかということは、ずっと解けない疑問でした。しかし最近、多くの歴史書を読みながら痛感したことは、日本が始めた大東亜戦争を語るには、フランクリン・ルーズベルト大統領の正体を知る必要があるということです。結論から先に言えば、彼はとんでもない悪人だったということです。
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  たとえば、日米戦争の開戦についていつも語られるのは、日本の真珠湾攻撃が、果たして卑怯な「騙し討ち」であったかどうかということです。今日でもほとんどのアメリカ人と多くの日本人は、「アメリカ側は日本海軍の真珠湾攻撃を全く予期しておらず、日本側も完全な無線封鎖による隠密行動によりハワイの奇襲に成功した」というのが定説になっています。しかし私は、それは余りにもルーズベルトという人物の本質を見誤った結論だと思います。ルーズベルトという人物を甘く見てはいけません。
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ルーズベルトとスターリンは「同志」だった
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  日本の大東亜共栄圏構想は、「欧米の植民地にされていたアジア諸国を白人の支配から解放し独立させる」という趣旨だったと思うのですが、ルーズベルトの頭の中にあったのはまったく違うことでした。ルーズベルトは全世界をソ連のスターリンと2人で2分割して、自分たちの所有にするという構想を持っていました。私自身もこのことを最近になって初めて知ったので、ほとんどのアメリカ人はこの事実を知らないと思います。
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  ルーズベルトが何を思ってそんなバカなことを考えたのか、当初はほとんど理解できなかったのですが、実はスターリンとルーズベルトは「同志」だったということが、最近ようやくわかりました。だから彼の政権には共産主義者が非常に多く混じっていたわけです。そんな彼らにとってイギリスのチャーチルは邪魔なわけで、2人はいろいろ画策してチャーチルを無視、あるいは重要な決定から外し、米ソだけが第二次世界大戦の勝ち組になるようにしました。その結果、イギリスは大戦以後から急速に力を失いました。
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  ドイツの占領の時も、実はもっと早くアメリカ軍がドイツの東部まで進軍できたはずなのに、わざと進軍の速度を緩め、わざわざソ連軍が東半分を侵略するまで待った、ということが明らかになっています。ルーズベルトとスターリンは密約していたのです。その結果、計画通り、スターリンは東欧すべてを占領し、アメリカは西側を押さえ、NATO(北大西洋条約機構)という形で、アメリカの強い影響力を欧州でも行使できるようにした、という事実があります。
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  一方、極東ではアメリカはもっと積極的でした。しかしスターリンと密約を交わしていたルーズベルトは、幸いなことに1945年4月12日に病死します。そこで副大統領だったトルーマンが大統領に昇格します。しかし彼はソ連に対してまったく気兼ねをしません。
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  ルーズベルトの病死で新たに大統領になったトルーマンは、原爆投下命令を下したことで、多くの日本人から悪印象を持たれていますが、もし日本の降伏があと半年早かったら、あるいはルーズベルトがあと半年長く生きていたなら、日本の戦後がもっと悲惨なことになったのは確実です。トルーマンはスターリンを同志だなどと考えてはいません。だから純粋に、対ソ連戦略として日本を利用したかったようですが、ドイツに進駐してきたソ連軍の惨酷なやり方を見て、彼らの暴虐性と威力に驚いた可能性があります。
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日本分割統治案があった
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  実はルーズベルト体制の時に作った、日本分割統治案というものがありました。つまり戦勝国の仲間内だけで、日本を分割して分け合おうというものです。(中国は戦勝国ではないが戦勝国側に入っている)それによると北海道・東北までをソ連、東京を含む中央部分をアメリカ、それにイギリスやフランス、中国まで加わって分割占領するという計画です。
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  しかしトルーマンはそれらを完全に無視し、アメリカ一国で日本をすべて占領することにしたのです。原子爆弾の開発に成功したことで、ソ連に頼らなくても日本を占領できるという確信を得たのが大きかったと思います。
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  それに対しソ連は強く反応し、その結果、日本のポツダム宣言受諾の直前になって対日参戦したソ連は、8月15日の(終戦)受諾後も日本に対して激しい攻撃を継続して北方領土などを占領したのです。そしてその勢いで、北朝鮮と中国をソ連が確保し、韓国、日本、台湾をアメリカが何とか押さえました。
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  最終的に、ルーズベルトからトルーマンになったことで、トルーマンの邪魔によって計画に多少「狂い」が出たものの、基本的にはルーズベルトとスターリンが描いた筋書きでした。そしてこの「狂い」が生じたことが、戦後の日本にとって本当に幸いしたのです。
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  スターリンがいかに惨酷で酷い人間かは、調べれば調べるほど明らかになるわけですが、ルーズベルトは彼を敵だとは全く思わず、それどころか同志のように信頼し、世界の二分割支配案を本当に実行したのでした。
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  一方、そこではじき出されたのがイギリスのチャーチルです。第二次世界大戦までの世界の大国といえば、アメリカ、イギリス、そしてソ連です。世界中に多くの植民地を持つイギリスの影響力はまだ強く、アメリカは今ほどの超大国ではなかったのです。しかし第二次世界大戦が終わってみると、実はあの戦争はイギリスの1人負けだったことがわかります。
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  大東亜戦争で日本が白人相手に堂々と戦って彼らを追い出し、東南アジアやインド、中東、アフリカなどの各地域で独立の機運が高まり、その結果、イギリスは次々に植民地を失っていきました。ですから日本を逆恨みしているイギリス人は意外と多いと思われます。
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戦前からルーズベルトは日本本土爆撃と占領計画を立案していた
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  日本を戦争に誘い込もうとするルーズベルトの謀略が、日本の真珠湾攻撃のはるか以前から計画されていたことが、徐々に明らかとなってきています。評論家の加瀬英明さんとニューヨーク・タイムズ元東京支局長のヘンリー・S・ストークス氏の対談をまとめた、『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』(祥伝社新書)には、昭和15年(1940年)9月27日、日独伊3国同盟条約が調印されたことを聞いたルーズベルト大統領が側近に向かい、「これで日本を我々との戦争に誘い込める」と語ったとあります。
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  また同年10月7日には、アメリカ海軍情報部極東部長のアーサー・マッコラムによって、対日戦略に関する提案書が出され、ルーズベルトはただちに承認していますが、それには中国の蒋介石政権に大量の支援を行なうことや、米英が協力して各種資源の対日禁輸を行ない、またオランダ領インドネシアから日本へ石油を輸出させないなどの項目が書かれていました。つまり、日本を対米戦争へと追い詰めるための謀略が書かれていたのです。
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  その後もルーズベルトの謀略は続きます。昭和16年(1941年)2月3日、日本政府が交渉使節団を送って対米和平交渉を進めているその最中に、ルーズベルト大統領は国務省内において、「戦争で日本を降伏させた後、日本をどのように統治するか」を研究するための特別チームを発足させています。
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  また1991年11月22日のアメリカABCテレビ『20/20』で放送されたのですが、それによると日米開戦の5ヶ月も前の昭和16年(1941年)7月21日付の、ルーズベルト自身が署名した「対日爆撃計画書」が存在していたのです。そして当時のパイロットや大統領補佐官などの証言により、ルーズベルトは中国本土から日本への長距離爆撃計画を承認していたとの事実が伝えられました。
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  この計画は「JB355」と名付けられ、当時のスティムソン陸軍長官や海軍長官などもこの計画に署名しており、またビルマ(現ミャンマー)から中国への物資補給路を援護するために中国に雇われた米国人パイロット・グループ「フライング・タイガース」を率いるクレア・りー・シェンノート将軍が、この計画に絡んでいました。
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  注目すべきは、ルーズベルトが日本への石油禁輸を決めた時期と、この(5ヶ月前の)対日爆撃計画承認がほとんど同時期であったことです。このように当時の大統領補佐官の証言にもあるように、ルーズベルトが強い意思を持って日本を戦争へと追い込んだことを明らかにしています。
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経済政策としての戦争
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  ではなぜルーズベルトは、そこまでして戦争を欲したのでしょうか? 実は大東亜戦争が始まる前までのアメリカは、1929年の大恐慌の後もずっと経済が停滞していました。それでルーズベルトは大統領としてニューディール政策というのを導入したのですが、これが極めて社会主義的な政策だったのです。
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  こうした経済停滞期の一番の特効薬は何かというと、やはり石油や鉱物資源、食糧など、様々な物資を大量に消費してくれる戦争なのです。ウォー・エコノミー、つまり戦争経済にしてしまえば一気に国が潤うわけです。そこでスターリンと2人で世界を分割統治するために、どうしても第二次世界大戦に参戦したかったルーズベルトは、これによって経済政策の側面を持つ戦争を、心の底から欲したのでした。
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  しかし当時のアメリカは、「モンロー主義」を源流とする「孤立主義」を採用しており、アメリカ国民のほとんどは欧州で行なわれていた第二次世界大戦への参戦を望んでいなかった。ルーズベルトはアメリカ史上唯一、4選した大統領でしたが、それでもさすがにそんなアメリカ世論に抗することはできず、3期目の時には「攻撃を加えられた場合以外には」、海外での戦争には参加しないという公約を掲げて当選しました。ですからいかに彼自身が戦争をやりたくても、それは許されないことだったのです。
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  そのようなアメリカ国民の意識を一夜にして変えるために、ルーズベルトはさまざまな謀略を巡らせました。一番いいのは、「攻撃を加えられた場合」を作ることで、つまり敵に攻撃させることです。そこでルーズベルトは最初に、ドイツに対して様々な挑発的行動を取りました。たとえばイギリスに様々な武器を提供し、ドイツ潜水艦に攻撃さえしましたが、ヒトラーはそれには全く乗ってこなかった。そこで日本に最初の1発目を、米国に向けて撃たせることにしたのです。
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  ルーズベルトには当然、日本人に対する人種差別的な思想がありました。日本人の頭蓋骨は「我々のものよりも約2千年も発達が遅れている」、というようなことを平気で言う人間でした。そして日本は、そんな悪辣なルーズベルトの策略にまんまと乗せられてしまったわけです。日本が戦争を初めるきっかけにされた結果、あれだけ戦争参加に否定的だったアメリカ人は、一夜にして一気に奮い立ち、対日戦だけでなく、ヨーロッパ戦線にまで参戦して一気に拡大させることになりました。
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  こうしてルーズベルトは、日本という道具を使い、アメリカ合衆国という眠れる獅子を「無理やり」目覚めさせたわけです。これによりアメリカ経済は劇的に回復したばかりか、結果的にアメリカを世界の「超大国」の地位にまで一気に押し上げることになったのです。
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  ルーズベルト政権で商務長官を務め、戦争中は大統領外交顧問となったハリー・ホプキンスは、「この戦争が終わったときには、我々は間違いなく世界で最も豊かで、最も強力な国民となっているだろう」と言いましたが、まさにその通りになったわけです。ルーズベルトによる完全な「アメリカ1人勝ち」戦略を、日本がお膳立てしたということになります。
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日本の「一撃」を待ち続けていたアメリカ
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  よって、こうしたルーズベルトによって立案された様々な計画は「極秘裏」に進められました。実際に、その意図を漏らさないためにルーズベルト政権の動きは徹底していました。日本政府は昭和16年(1941年)1月から真剣に対米和平交渉を行なってきましたが、交渉はまったく進展せず、11月25日の段階でアメリカ政府内では、ついに「ハル・ノート」の内容が正式にまとめられました。これが、日本の譲歩案をアメリカがすべて蹴ることで、日本に開戦を決意させた、あの有名な文書です。
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  この日、日本海軍機動部隊が真珠湾に向けて出発しましたが、ワシントンからは、同時にアメリカと同盟国のすべての艦船に向けて、「北太平洋における一切の航行を禁じる」という指示が出ています。当然これはルーズベルト自身が、(コーデル・)ハル・ノートが事実上の宣戦布告であることを理解しており、また日本の暗号解読や、日本海軍や日本国内内部に巡らせたスパイにより、日本海軍の動きをかなり正確に察知していたからこそできたことです。
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  11月25日の会議に参加していたスティムソン陸軍長官は、自らの日記の中で次のように書いています。
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  「大統領は『日本人は元来、警告せずに奇襲することで悪名高いから、米国はおそらく次の月曜日(12月1日)ごろに攻撃される可能性がある」と指摘して、いかにこれに対処すべきかを問題にした。当面の問題は、我々があまり大きな危険にさらされることなしに、いかにして日本側に最初の攻撃の「火ぶた」を切らせるような立場に彼らを追い込むか、ということであった。これは難しい命題だった」
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  これを見ただけでも、ルーズベルトは日本が攻撃して来ることを十分に理解しており、それどころかこの頃には、日本に最初の1発目をいかに撃たせるかに腐心していた様子がわかります。ハル・ノートは、アメリカの事実上の宣戦布告でした。その内容を読んだ東郷重徳外務大臣は、目もくらむような失望感に打ちのめされ、「長年にわたる日本の犠牲を無視し、極東における大国たる地位を捨てよと言うのか。これは日本の自殺に等しい」と感想を漏らしています。
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  またアメリカのスティムソン陸軍長官もこのハル・ノートを見て、「我々の提案は非常に激烈なものなので、私には、日本がそれを受諾する機会はほとんどないと思われた」と言っています。11月26日にハル・ノートを日本側に手交したコーデル・ハル国務長官は、27日の朝、スティムソン国務長官に向かい、「私はこの件(日米交渉)から手を引いた(役目を終えた)。あとはあなたとノックス海軍長官の出番だ」と言っています。つまり外交交渉は終わったから、あとは軍の出番だぞということです。
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  このハル・ノートの草案を作ったのは、財務長官ハリー・デクスター・ホワイトですが、後に明らかになったことは、この男はソ連のスパイだったということです。そんな男の草案をなぜルーズベルトが採用したのかということが、以前から不可解でしたが、もともとスターリンとの間で世界を二分割して統治する計画があったことがわかり、すべての疑問が氷解しました。ルーズベルト大統領の娘婿であったドール大佐は、後に次のように述べています。
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  「ホワイト・ハウスで、1941年11月25日に開かれた運命的な会議の記録を読み返してみて、私の以前の岳父ルーズベルト大統領および彼の側近たちの戦略は、平和を維持し保障することではなく、事件を組み立て、あるいは引き起こさせて、アメリカを日本との戦争に巻き込むという陰謀にもっぱら関わっていたと、私は悟ったのです。それを知って、私の心は張り裂けんばかりでした。そしてこれは「裏口」からヨーロッパの戦争に入ることを可能にする計略でした。
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  アメリカ国民は、日本との戦争を欲していないことを彼は十分に知っており、それゆえに、いかなるコストを払おうとも、戦争をアメリカ国民の頭上に押し付けなければならなかった。かくて欺瞞に満ちたもろもろのことがこの舞台上に入り込むよう、アメリカ国民の激しい怒りと、感情的爆発を引き起こす「事件」を創作する必要があったのです。そこで、この怪しげな「マント」が、巧妙に日本人の肩に掛けられなければならなかった」(カーチス・B・ドール著 馬野周二訳『操られたルーズベルト』プレジデント社)
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  ところで、日本海軍が真珠湾に向けて出撃をしたのは、ハル・ノートが渡される1日前であり、そのことをもって「日本は最初から騙し討ちを計画していた」とする意見がありますが、それは誤りです。国家というものは、外交および軍事においてはあらゆる手段を準備するものです。つまり、対米交渉がダメになってから初めて軍を動かしていたのでは、敵に大きな遅れを取ることになり、国家としては二流です。
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  しかも日本から真珠湾までは非常に距離があるので、早目に手を打っておく必要がありました。もちろん対米交渉がうまくいけば、途中で機動部隊に秘密暗号を用いて連絡し、いつでも引き返させることができるわけです。ただ、ここまでは良かったのに、ワシントンの日本人大使館が、宣戦布告の手交に遅れを取ってしまいました。その結果、日本は「騙し討ちをした」という汚名を着せられることになってしまったのです。
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  (日本が騙し討ちをしたという汚名を着せられた結果、戦争に否定的であったアメリカ人の憎悪の感情に火が付き、以後アメリカは戦争へ突き進んで行けるようになり、ルーズベルトの謀略はうまく実現した)
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    『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』ケント・ギルバート著 PHP
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                                              抜粋
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 ――多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。

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