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JAL123便の520人の犠牲者

   長野県の某所でプルトニウムが取り出されていると、先に述べました。
   その長野県には、一体何があるのでしょうか?
   秘密を教えてくれたのは、社会的にも高い立場にある事情通の方です。彼が教えてくれた情報によると、長野県の某所にある揚水ダムの一帯が、巨大な核施設になっているそうです。揚水ダムというのは、固有のダムの名称ではなく、揚水発電方式によって稼動するダムのことです。揚水発電方式とは、上ダムと下ダムのセットからなる二層ダムです。日中は上から下へと自然に流れ落ちる水流を利用して発電し、夜間になると、下ダムに貯まった水を上ダムにくみ上げることで、水を循環させて繰り返し発電する方式です。

   ・・・。要するに揚水ダムは、夜間の余剰電力の有効利用と昼間の電力不足を調整する目的で使われます。さらに、夜間に下ダムから上ダムに水をくみ上げるための電力は、火力発電所か原子力発電所の余剰電力を利用することから、揚水ダムだけあっても用をなさないので、他の発電施設とペアで作らなければ意味がないのです。ところがその施設の周辺には、揚水ダムはありながら、火力発電所や原子力発電所はないことになっています。それが、地下に原子力発電所が隠されているとされるゆえんです。

   長野県にはこうした秘密の原子力発電所だけではなく、ある一帯が、いわゆる軍需施設の密集地となっています。当時のレーガンアメリカ大統領がプラズマ兵器を開発したときに、あまりのコストに途中で投げてしまい、当時の中曽根康弘首相に買ってくれるように持ち掛けました。その時に買ったプラズマ兵器の設備一式が、長野県の南佐久に持ち込まれたと言われています。ちなみにその一帯は、「臼田(うすだ)宇宙空間観測所」という宇宙航空研究開発機構(JAXA)が管理する施設があります。つまり表向きは惑星探査機との通信用観測所ということになっていますが、実際は「電磁波兵器の施設」であるという話です。

   先に述べましたが、「JAL123便」は核を積んでいたために撃ち落されました。そのとき巻き添えになった520人の乗員、乗客の無念は計り知れません。これも神の計画の一端であるといわれても、あまりにも無残です。しかし本当に、彼らは無駄に犠牲になっただけなのでしょうか? 私はそうではないと思うのです。
   
   なぜJAL機は、高天原に落ちたのか?
   なぜ123便であったのか?
   なぜ犠牲者は520人だったのか?
   そこには理由があるはずです。

   そこは高天原(たかまがはら)という、特別な名前のついた山でした。
   周知のように、そこは古事記において、天津神(あまつかみ)が住まうとされる神聖な場所を意味します。123=「ひふみ」は、神事を表す特別な数字であり、残酷なまでの情報隠滅作戦にもかかわらず、結果的に524人の乗客のうち4人が生き残り、犠牲者が520人となったことなど、偶然の一致では片づけられない不思議な符号が、本当の理由を教えてくれました。

   この世界には偶然というものは存在しません。
   ですからそこには大きな意味があります。
   行き着いたのは、高天原にある神社の両脇に眠る520体の石仏でした。
   その神社のご神体は、国常立尊(くにとこたちのみこと)です。
   古代日本の王であった国常立尊は優れた人物でしたが、厳格すぎる性格が災いして家臣に恐れられ、暗殺されました。そして、暗殺された国常立尊の首が流されたのが神流川(かんながわ)、胴体を流したのが荒川、暗殺者が返り血をすすいだ時「くまなく血で染まった」のが千曲川(ちくまがわ)、そしてその三つの川の源流こそが、高天原です。

   その神社に国常立尊(くにとこたちのみこと)が生き返るようにと、昔の人たちはコツコツと石仏を納めました。そして納めた520体の石仏に、JAL123便で命を落とした520人の御霊(みたま)が入った瞬間、国常立尊が蘇えるという伝説があります。この伝説を知る地元の人々は、JAL123便の事故のニュースを見た時、犠牲者が520人だったとわかって、「あぁ、この人たちが神様を蘇えらせてくれるのだ」と悟ったそうです。520人は無駄に犠牲になったわけではなかったのです。彼らは国常立尊となり、日本の国を守るために蘇えったのです。

   余談ですが、東日本大震災とその後の強い余震は、岩手や宮城、福島だけでなく、長野県でも強い地震が発生しています。地震発生の主なメカニズムは、プレート・活断層の有無が関係しますが、今回の大震災の半分が人工地震であるという可能性と、これまで述べた国内の核兵器製造拠点を考慮すると、なぜその地で地震が頻発しているのか、その理由が浮かび上がってくると思います。

   JAL123便の巻き添えになったロシア軍のスホーイは、まったくの偶然で巻き込まれたのでした。JAL123便が米軍機に攻撃された静岡の焼津周辺には、ツナ缶の工場があります。そこでは原料のツナをロシアから輸入しており、その積荷が降ろされるのが焼津漁港なのです。ですからロシア船で日本に原料のツナが運び込まれる時には、護衛のためにロシア空軍のスホーイが上空から船に追尾することが慣例になっていました。この日も、ちょうど船の入港日であったために、たまたまロシア機が上空にいたとき、JAL123便の尾翼を攻撃した米軍機の機影をとらえたようです。

   これは何かあるに違いないと、スホーイのパイロットは密かに後をつけた結果、自衛隊と米軍機の交戦に巻き込まれてしまいました。この事実は、JAL123便の乗客が機内から撮影したカメラに残されていました。しかしカメラの持ち主は亡くなってしまいましたが、墜落現場にフィルムが残されていて、調査をしていた地元の人が持ち帰って現像したところ、飛行機の窓越しに空ばかり映した写真が何枚も出てきました。カメラの持ち主は白浜あたりで、窓越しに光る物体を見つけたようです。その後も追いかけてくるスホーイを不審に思ったらしく、ロシア機が見えるたびに何度も撮影していました。写真の背景にわずかに映っている景色を分析した結果、飛行機が実際に飛んだルートが推測できたのでした。それだけ徹底した殲滅(せんめつ)作戦を展開したのは、重大な秘密がJAL123便にあったということです。

   作家であった松本清張氏は、1952年に起きた「もく星号墜落事故」は、在日米軍による墜落事件であると公式にコメントしました。一説によると、もく星号には、米軍が日本から不正に没収した貴金属類を売りさばいていた人物が乗っており、それを証拠隠滅するために起こしたものであったとも言われています。ちなみに、もく星号搭乗者には、八幡製鉄(現在の新日本製鐵)の社長、日立製作所や石川播磨重工業の取締役、また高級官僚たちが乗っていました。当時の飛行機の利用者はまだ上層部の人々を中心としており、庶民にはぜいたくなことであったのです。この事件では、米軍発表の墜落場所と実際の墜落地点が著(いちじる)しく離れていたことと、米軍がもく星号の部品を一部持ち去ったことなど、この事件は明らかに不自然な事実が満載でした。


           「ついに宇宙人が最終戦争後のシナリオを用意しました」
                    田村珠芳著   徳間書店

                           抜粋


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