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我々は嘘のない「真実の歴史」が知りたい

   日本の政治の中心といえば、誰もが東京だと思うだろう。
   国会を初め、あらゆる官公庁も東京都内にある。しかしその鍵を握っているのは「山口県」だと言ったら驚かれるだろうか。山口県といえば、本州最西端の人口150万人足らずの県である。それにもかかわらず、歴史上最多の9人の首相を輩出している。ちなみに2位の東京でもその半分に満たない4人である。首相ばかりでなく日本の政財界は、明治以来山口県出身者の人脈が権力の中心に位置してきた。

   代表的な人物を挙げてみると、首相経験者では伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介・佐藤栄作兄弟、安倍晋三、菅直人、戦後の閣僚では林義郎(元大蔵大臣)、高村正彦(元外務大臣)、田中龍夫(元通産大臣)、佐藤信二(元運輸大臣)など、その他にも野坂参三(元共産党議長)、宮元顕治(元共産党議長)など、党派を超えて広がるこれらの有力者はその一部である。日本の社会の在り方を左右する政治の本質を掴むには、「山口県」というキーワードはかかせないのである。

   なぜ山口県が、これほどまで数多くの政治家を生み出すようになったのだろうか。
   それは現代の民主政治の始まりである明治維新を主導したのが、長州藩(山口県)と薩摩藩(鹿児島県)であったからだ。そのために明治維新新政府の重要なポストは、長州藩士と薩摩藩士で占められた。しかも当時薩摩藩は西南戦争で多くの人材を失っていたために、長州勢が一番の力を持つことになった。この政治的人脈は長州閥と呼ばれ、現在にも受け継がれている。

   その長州閥の元祖とも言える存在は、初代首相の伊藤博文である。
   伊藤が権力の座に就いた背後には、ロスチャイルド一族とその支配下にあったイギリスの武器商人、トーマス・グラバーの存在があったことはすでに述べた。ここでは彼らがどのようにして、日本の西端から江戸幕府を切り崩し、政治家や天皇とのつながりを深めていったのかを見ていきたい。

   ロスチャイルド一族を始めとする資本家は、イギリスを始め欧米諸国を巨大な資本で裏から牛耳り、主に西回りからアフリカ、インド、中国、東南アジア諸国を武力で侵略し、次々と支配下に置いてきた。そしてついに江戸後期には日本の西端へ到達する。そして入り口として注目したのが、長崎、薩摩、そして長州であった。当時、鎖国していた日本を何とかこじ開けようとして長崎で武器を売りつける一方で、西端の薩摩藩や長州藩と衝突して侵略のきっかけを作った。それが、1863年に起きた薩英戦争や下関戦争などであった。イギリスなど欧米諸国と一戦を交えた薩摩藩と長州藩は、この後一変して彼らと親密な関係になり、幕府を倒すべく協力するようになるのだ。つまり、倒幕運動が始まったのである。

   薩摩長州を味方につけたイギリスは、彼らを日本の権力の座に就けるべく、大量の武器と資金を提供して江戸幕府を圧倒していった。その一方で、長州藩と薩摩藩の下級武士をイギリスに密航させ、近代的な欧米文化を見せることで、鎖国の無意味さを日本の若者に悟らせたのだ。この若者たちとは、後の明治新政府で要職に就く伊藤博文を初めとする5人の長州藩士である。後に伊藤博文は初代の内閣総理大臣、井上馨は初代外務大臣、遠藤謹助は大阪造幣局長、井上勝は日本鉄道の父、山尾庸三は日本工学の父となって日本の近代化に務めた。

   彼らは開国主義に乗り換える前は、攘夷(じょうい)派として、イギリス公使館を焼き討ちしたり、国学者を暗殺したりするなど過激な活動をしていたのだ。イギリス側にしてみれば、地方の若い下級武士の暴力性も、頑固な幕府を倒すためには必要な使える要素に見えたことだろう。当時、伊藤博文らと親密にしていたイギリス外交官のアーネスト・サトウは、当時の日本攻略についての考えを、後年日記にして残している。

   「日本の下級階層は支配されることを大いに好み、権力を持って対する者には相手が誰であろうと容易に服従する。ことにその背後に武力がありそうに思われる場合にそれが著(いちじる)しい。伊藤(博文)には英語が話せるという大きな利点があった。これは当時の日本人で、特に政治運動に関わる人間の場合には、稀にしか見られなかった教養であった。もし両刀階級(武士)たちをこの日本から追い払うことができたら、この国の人々には服従の習慣があるのだから、外国人でも日本の統治はそれほど困難ではなかっただろう。」

   さらにサトウは上司であったイギリス公使ハリー・パークスの指令で、幕末当時の鹿児島県の朝鮮人集落を訪れ、幕府の藩による支配下で受ける惨状を伝えている。このことからイギリス側が江戸幕府を攻略するための人材として、下級武士だけでなく幕府に虐(しいた)げられていた被差別民にも注目していたことがうかがえる。この観点から明治以降の政財界の有力者を見てみると、これまでになかった近代国家の素顔が見えてくるのである。

   有力者の出身をたどると、山口県や鹿児島県の朝鮮人集落から、政府内の重要なポストに就いている政治家が以外と多いことに気づく。例を挙げると、安倍晋三の祖父で首相のほか数々の要職を務めた岸信介とその弟で三期首相を務めた佐藤栄作は、山口県の田布施村という朝鮮人集落の出身である。また小泉純一郎の父であり、防衛庁長官を務めた小泉純也は鹿児島県の田布施村という、同名の朝鮮人集落の出身である。

   しかし何といっても山口県田布施村出身で注目すべき最重要人物は、明治天皇である。本名は大室寅之祐。通説では、明治天皇は幕末に若くして病死した京都の孝明天皇の第二皇子とされているが、これには多くの疑惑がある。実際には孝明天皇は息子ともども長州藩に謀殺され、田布施村出身の若者、大室寅之祐が明治天皇になりすましたという説がある。この学説は「明治天皇替え玉説」というもので、歴史から葬り去られた日本の闇である。

   倒幕運動を進めていたイギリスと長州藩士は、明治新政府の国家元首として天皇を祭り上げる画策をしていた。その理由は、一介の地方の若手下級武士の集まりが、全国の藩主を従わせて新しく近代国家を作り上げることは、不可能なことであったからだ。そのためには彼らの言いなりになる「天皇」が必要で、天皇を頭に置いて、長州藩士が政府の舵取りをすればよいからである。

   しかしこの計画には大きな問題があった。
   それは時の天皇であった孝明天皇が、大の外国人嫌いであったことである。そこで孝明天皇の暗殺が計画された。暗殺については、産婦人科医兼医史学者の佐伯理一郎などが主張した「下級公家の岩倉具視が皇室の女官を務めていた妹の堀河紀子を操って実行した」とされる毒殺説や、人斬りの名手であった伊藤博文による刺殺説などがある。後者の説については竒埈成(キジュンソン)著『天皇は朝鮮から来た!?』に詳しい。

   いずれにしてもその後の歴史的史実では、イギリスと長州藩の思惑通り、孝明天皇が急逝したのであり、その直後に、明治天皇は新政府で国家元首の地位に就いたのである。その後「不敬罪」という法律が公布され、天皇は神聖なものであるとして、孝明天皇の死因や明治天皇の出自を調査する者には懲役を含む刑罰が科せられることになった。

   こうして、皇室に関する疑惑の追及は長い間封印されたのである。
   ようやく戦後に不敬罪が解除されると、今日に至るまでの「明治天皇替え玉説」の研究者が数々の著作を発表するようになった。その中で取り上げたい一冊がある。それが2007年刊行の『日本の一番醜い日』である。ノンフィクション作家の鬼塚英昭氏は、日本の確かな未来を築くべく、膨大な資料の調査と取材を重ね、タブーとされる天皇の正体に挑んだ。そこには、明治天皇が長州藩の創作によるものだとする、長州藩士一族の末裔の証言がある。以下、引用する。

   
『終末から』(1974年8月号)に掲載された益田勝美の「天皇史の一面」を見てみよう。益田勝美は長州の国家老・益田弾正の一族である。彼の話は、山口県熊毛郡田布施町麻郷に生まれて孝明天皇の長子睦仁(むつひと)の替え玉になり、後に明治天皇となる「てんのうはん」について書いている。

   「天皇様をお作り申したのは我々だとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされたことであった。近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったものの天皇の国家はなかった。尊皇派が考えていた天皇の国家という考えは、思想として獲得されたものであり、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。だから彼らが求めている天皇と現実の天皇がいくらか融和できるうちはよいが、その矛盾が激化すると、天皇を取り替えてしまうほかなくなる。我が家に空襲で焼けるまであった孝明天皇の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた蜜月時代にもたらされた物だろう。騎兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応二)の暮れに、孝明天皇は謀殺されてしまった。もちろん仕組んだのは江戸幕府ではない。それは志士側で、天皇が倒幕の障害になり始めたからである。今日ではもうそのことは、公然の秘密となっている。」

   
こうして日本の権力の頂点に立った明治天皇と伊藤博文ら長州の人間たちが、ロスチャイルド一族の支配する欧米諸国との密接な協力のもとに、日本を近代化していくのである。それが議会政治や貨幣制度、重工業の促進や義務教育制度、身分制の廃止、そして廃刀令や徴兵制などである。政府と天皇家、そして欧米の国際銀行家(イルミナティ)の結びつきが最大限に発揮されるのは、昭和天皇に代が変わった太平洋戦争のときである。このときの様子を再び、『日本の一番醜い日』から引用する。

   
「太平洋戦争中、アメリカは公式には自国から日本への石油輸出を禁止した。しかしそれはアメリカ国籍の船と日本国籍の船によるものが禁止されただけで、実際には国際赤十字の印をつけた船の秘密のルートで、石油やタングステン、四塩化エチルなど重要な原料が日本へ輸出された。これが戦争の本当の姿である。昭和天皇はこのことを知っていたが、近衛首相や木戸幸一内大臣には秘密にしていた。

   あの国際赤十字のシステムは、戦傷者を救うために作られたものではない。これは国際銀行家(イルミナティ)が、自分たちの商売である戦争をスムーズにより長期にわたって続けるために作られたのである。太平洋の諸島で密かに、石油や重要物資が日本の赤十字の船に移される。赤十字の印をつけた船は攻撃できないという国際条約ができているので、日本は安心して物資を輸入することができた。

   
ではあの大戦中、その支払いはどうしたのだろうか。
   その代金の主なものは、アジア支配を進める途中で略奪した、金や銀などの貴金属が使われた。その一部は赤十字の船で日本に送られ、マルフクという金貨に鋳造された。これが再び現地に送られ、それが必要物資の購入に充てられた。残りの金塊や貴金属類は、スイスの国際決済銀行(BIS・ロスチャイルド一族主導の機関)に送られた。そこで貴金属類はドルやスイスフランに変えられ、支払いに充てられた。残ったお金は国際決済銀行や同じ系列のスイス国立銀行へ預けられる。このようにして戦争が長引けば長引くほど、天皇一族と秘密裡に天皇一族を支えた財閥の資産は天文学的に増えていった。

   近衛文麿首相はいく度も天皇に戦争の中止を訴えた。
   天皇一族は、日清戦争や日露戦争を通じて多額の賠償金を手にしており、その一部はスイス銀行に預けられた。それは日本の天皇だけでなく、ルーズベルトやチャーチル、スターリンなどもそうであり、このような悪事を通じて彼らは国際銀行家(イルミナティ)に弱みを握られることになった。フルシチョフ元首相の『フルシチョフ回顧録』にはそれらのことが克明に書かれており、明治、大正と続く皇室のスキャンダルを彼らはすべて記録していた。スイスの秘密口座はスキャンダルの種になり得るものであった。そしてここに、近衛首相の忠告を無視して、再び太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源があるのだ。

   戦争は、国家間の利害や憎悪の衝突から起きるものではなく、それは巨大なマネーゲームでもある。天皇が仕掛けた南進策、つまり東南アジアやオセアニア侵略は、巨大マネーゲームの創造であった。この面を考察することなくして、我々の日本史の嘘を見抜くことはできない。天皇とその一族は三井、三菱、住友らの財閥と組んで、戦争によるマネーゲームをしていたのだ。戦争が一番儲かるゲームであることを、天皇ヒロヒトほど知り尽くした人物は日本にはいなかったし、これからも登場しないであろう。」

   
ここからさらに話は、天皇と吉田茂や白州次郎などロックフェラー一族と通じた面々が、天皇制を終戦後にも維持するためにアメリカと裏取引をした可能性に言及している。その取引とは、(アメリカが)天皇の責任追及をしない代わりに、日本側がアメリカ軍による国内の都市部への原爆投下を受け入れることであった。ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニとは違い、天皇は何の戦争責任も取らされることなく、戦後も生き延びて天寿を全うした。この昭和天皇の不思議な人生に、このような裏事情があったとしても何ら驚くには当らない。むしろ納得のいく説明ではないだろうか。

   『日本の一番醜い日』の最後に、著者はこう結ぶ。
   「結論はただ一つ。一人一人が真実を追究すべく立ち上がる時である。私の結論について反論する人は、私に立ち向かうべきである。」

   私は鬼塚氏の結論は真実だろうと推測する。
   しかしその理由は、単に彼の著書を読んで納得したからではない。以前友人から聞いたある公務員の話と不思議な一致をそこに見るからである。友人は当時通産省に勤めており、ふだん我々が取り寄せる戸籍謄本には記載されていない「印」のことを聞いた。それは役所内の戸籍書類には被差別地域出身者を表す印がいまだに付けられており、その印のない者は、あるポスト以上には昇進できないようになっていることを上司から知らされたという。おそらくこれが、現在でも続いている日本の社会なのだろう。

   明治維新により、それまで下級武士や下級貴族であった人間が、皇族、華族、貴族という特別な身分に就き、えた、ひにんなど被差別地域の人々が「解放令」により平民となったことは、中学校の社会科でも習う。しかしそれがどのように行なわれたのか、それに関する具体的なことは一切伝えられない。

   明治維新で、長州や薩摩の下級武士と被差別地域出身者が、旧幕府の人材と総入れ替えで、日本の皇族や政治家、官僚を初めとする公務員になった可能性について言及されることはない。この学説を否定する人は、田布施陰謀論などと呼ぶらしいが、これは陰謀論の領域の話ではない。天皇家が戦争責任を取らずに現在も継続していることは誰の目にも明らかな事実である。そして天皇の戦争責任についてはさまざまな議論があるが、政府は、それについて我々国民の納得のいく公式説明をいまだに持ち合わせていない。

   この観点から現在の社会を見渡してみると、今日本が抱える問題の本質が見えてくる。政治家、官僚、財界、大企業の癒着や世襲に腐敗がある。各種構造改革や軍備増強、原発推進など、いずれも外国勢の利益を優先する国家政策がある。そこには国際銀行家(イルミナティ)の援助で権力の座に就き、その正体やスキャンダルを弱みとして握られ、彼らの要求を拒否できない天皇や国家の上層部がある。つまり、問題の本質はここにあるのだ。

   しかし誤解のないように言っておきたいが、天皇や政治家の一部が朝鮮人集落の出身である可能性を云々しているのではない。私の友人にも在日韓国人(朝鮮人)はいるし、何の差別も存在しない。それに我々のほとんどは純粋なアイヌでもない限り、いつの頃かに大陸からやってきた渡来人の子孫であることは間違いない。渡来した時期が違うだけの同じ人種間で、差別することに意味はない。問題は隠されてきた歴史の内容である。当時、明治の元勲たちが、近代国家を築くためにそうしたこととはいえ、時代が経った現在、我々国民はこの国の真の歴史を知る必要があるのではないだろうか。それらが白日の下にさらされ、我々が史実に基づいて認識を改めることは非常に有益で、必要なことだと考える。

   うわべの嘘の歴史からは、真実の未来は見えては来ない。
   嘘の歴史を伝えたところで、子どもたちにどんな可能性を見せることができるのか。本物の未来を作るためには、真実を知り、それを伝えていくことが必要だ。このような情報が書籍やインターネットで手に入るようになっている現在、今の我々にしかできないことが何かあるはずなのだ。彼らの化けの皮をはがして、糾弾し、革命を起こせと言っているわけではない。それよりも国民が、彼らが思うよりもずっと賢く、かつ寛大であることを彼らに示すなら、国家権力にも多少の良心と正直さが芽生えるかもしれない。彼らに期待できることがあるとすれば、それは(弱みを握る)国際銀行家(イルミナティ)の脅迫に従い続けることをやめて、日本国民の寛大さを信頼することだと思う。

   book『日本の一番醜い日』 鬼塚英昭著 成甲書房
   book『原爆の秘密(国内編)昭和天皇は知っていた』 鬼塚英昭著 成甲書房

         book「マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている」 THINKER著
                     5次元文庫徳間書店

                          抜粋



         

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