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他人を信じるのでなく自分を信じる

   実に多くの人々が心理的、精神的、情緒的に赤ん坊の状態であり、「もっとも知識を有する」と思う人の指導を求めている。自分の信じていた教祖がおかしいと気づいてその宗派を去っても、また似たような宗教に嵌(はま)るのは、崇拝する対象を求め、誰かに手を引いてもらいたいという欲求が、心の奥深くに浸み込んでいるからである。それは何かへの依存を必要とする心理状態である。

   この依存状態を抜け出す方法もまた、単純である。
   「何も崇拝しない、誰も崇拝しない」、これに尽きる。我々はすでに「永遠なる意識」なので、自分の外側に拝むべきものなど存在しないのだ
。崇拝や宗教的献身を求める者たちは、どうして他人が自分を「見上げる」ことを望むのだろうか。それは他人を欺いているか、あるいは自分の持つ内面的不安を誰かに崇拝されることで満たそうとしているか、そのどちらかである。そしてまさに信奉者が崇拝する者の中に見出すものが、それによってこの教祖の満たされた内面的安心なのだ。

   このような特徴は、同じような内面的不安の理由から崇拝されることを切望する、いわゆる「セレブたち」にも見られる。この心理的状態は、多くの教祖や「聖人」たちの精神的な病とも言えるものだ。これらの人々の言葉に耳を傾け、その中から自分の求めるものを得たり、選んだりするのもいいだろう。しかしそれと、崇拝と心酔はまったく別ものである。崇拝と心酔は「悟り」を見つける方法ではなく、強烈なマインドコントロールの一つの形態である。

   世界は、崇拝する者とされる者の大きな潮の流れに溺れている。
   我々はいい加減に自分の心を取り戻し、我々を奴隷にする吸血鬼たちにエネルギーを吸い取られるのを止めなければならない。それは誰かの心と入れ替えるのではなく、自分の心を取り戻すことなのだ。


   
新しいグリッドにつながり始めると徐々に、あなた方の魂の上に刻まれた過去世や未来世と認識されているような情報が、あなたの意識に顕在化してくる。その目的は、あなた方が今回の人生に持ち越した「魂の課題」に取り組み、一つ一つをクリアしていくためである。「カルマ」という言葉のほうが馴染みがあるかもしれないが、この言葉は非常に曖昧な定義を持っており、場合によっては我々をコントロールする手段としても使われてきたかもしれない。

   あなた方は「カルマ」をどのように定義するだろうか。
   考えられる多くの答えは、「過去に犯してしまった過ちに対する償い」というようなものだろう。しかしこれは大きな間違いである。宇宙の霊的な世界には、そもそも「過ち」などという概念は存在しない。そのゆえに当然、「償い」などの概念も存在しない。すべてのことは「過ち」ではなく、どんなことも「知るための経験」でしかない。償いではなく、それに変わるものが祝福された「智慧」であり、「叡智」なのだ。

   宇宙連盟評議会のマスター・メータックスは、繰り返し私にこの概念を教えようとした。
   実は私は幼稚園からキリスト教系のミッション校に入れられ、罪や罰について教えられてきた。しかし私は、「それはおかしい!」、「どうして神父はこんな嘘ばかり教えるのだろう!」と憤りを感じていたにもかかわらず、小学校4年生くらいの頃にはすでに畏敬の念の裏返しとして、自分の犯す罪や罰という概念を洗脳されており、これらによる恐怖をもとにコントロールされていることに気づくことができなかった。

   マスター・メータックスは私のこのような洗脳を解くために、私に沢山の出来事を経験させてくれたが、それは必ずしも愉快なものではなかった。むしろ私をとことんまで追い詰めて最後に発奮させるように仕向けるものだった。人間は多くの、神と名のつくものに畏敬の念や恐れの念を抱くものだ。そして洗脳されていた私もその例外ではなく、厳(おごそ)かな声でもっともらしく囁かれると、理不尽に思えるようなことであってもこれがお役目だなどと勝手に思い込み、言うとおりに従っていたのだった。

   ところがそのありがたいはずのお役目を果たせば果たすほど、私の人生には不幸が続いた。とても大切なものが家の中で消えたり、めったにしない怪我をしたり、置き引きに遭ったりと惨憺たる目にあい続けた結果、私は怒り心頭に達してしまった。今思えば、私の教育をするマスター・メータックスに協力してくれていた神々の仕業であったのだが、そのときの私にはわからなかった。

   怒り心頭に達した私は彼らを呼びつけて一列に並んで正座してもらい、「金輪際、今後一切あなた方の言いなりにはならない!」と宣言した。すると集まってくれた神々は、これも後から知ったのだが、彼らは神々のふりをした霊的な教育者たちであったのだが、私の宣言に、彼らは一斉に大喜びで拍手したり抱き合ったりしているのだ。その中の一人から、「おめでとう、無事卒業だ。あなたは我々とまったく同じように内なる神を持った存在として、どんな至高のマスターに対しても、今後二度と自分を明け渡す必要はない」と言われて、私は熱い涙を流した。

   本当に、宇宙は裁かないのだ。
   どんなことにも、どんな存在にも、「愛」以外の接し方はないのである。だから「魂の課題」とは、過ちとか償いなどのことではなく、今回の人生における一人の人物として、また一人の地球外生命として、これまでの生涯を通して受けたあらゆる傷やコンプレックスなどの経験を通して生まれた疑問に、答えを出す智慧を得ることである。それは、「なぜ?」「どうして?」「どうしたらいいの?」と解決できないままになっていた問題を解決させるための智慧を得ることであり、それが「魂の課題」なのである。

   あなた方が自分に内在するZERO POINTのバランスを取り戻し、新しいグリッドにつながり始めて「魂の課題」を次々解決していくと、自然にそれぞれの魂が計画していた人生に軌道修正が行なわれる。そして現在の激動の時期に生まれることで、地球と人類のためにあなたがやろうとしていた真の目的に、直面する機会が与えられるだろう。


      book 真実は人を自由にする『世界覚醒原論』デービッド・アイク著 成甲書房
      book 『宇宙パラレルワールドの超しくみ』 byサアラ ヒカルランド

                           抜粋


   

   


   

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