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乳がんの原因は牛乳・乳製品 ①

   1987年9月のある金曜日の夕刻、私の人生が一変した。
   この年カナダのトロントで学界があり、私は学界に出席する前にカナダ北部の金鉱である調査を行なった。その調査は、なぜある特定の場所に金(ゴールド)が1万倍も濃縮されて存在するのかについて探るためであった。その日得られた調査結果は、新しい理論につながる手がかりになりそうだった。そして実際にその成果は論文として発表され、現在その理論は地球科学の教科書に載っている。

   鉱山で仕事をするのは大変なことだ。坑内は暑くて湿気もものすごく、汗びっしょりになった。私は部屋に帰ると、とるものもとりあえずシャワーを浴びた。そして夕日の中で何気なく左乳房に目をやると、「えんどう豆」ほどのしこりが目に入った。触れてみると硬かった。恐怖感が襲い、「乳がんだ」と思った。口が渇いて吐きそうになった。

   自分自身に怒りを覚えた。
   なんでもっと早く調べなかったのか。まだ42歳で、癌になるには若すぎる。子どもがいる。満足すべき研究成果をあげてきたし、前途は洋々と開けている。それなのにこの私が癌にかかるとは! 心臓が止まりそうで、すべてが凍りついてしまう瞬間であった。

   最初に病院を訪ねたときの光景が忘れられない。
   待合室は緊張した面持ちの女性と付き添いであふれており、恐れと不安でいっぱいの雰囲気であった。言葉を交わす者は誰もいなかった。お互いに視線を合わすこともなかった。

   あとで思い返してみると、このときすでに、乳がんクリニックの待合室にいる女性を眺めながら、私は研究者としての本能が何かを捉えようとしていた。恐れおののく患者の顔を見ながら自分も含め、このときすでに世界中に蔓延している乳がんという病気の背後には、共通した何かがあると考えていた。

   最初に乳がんクリニックを訪れて以来、私はこの乳がんという病気について学べるだけ学んだ。絶体絶命の危機に陥ったとき人が助けを求めるのは、自分がもっともよく知っていることやもっとも信頼している何かである。ある人にとっては信仰であろうし、家族であったり親友であるかもしれない。そして私ももっとも頼りにしているものに助けを求めた。それは私の研究者としての経験であった。そしてそれが、私の命を救ったのだ。

   癌は1950年代に、オックスフォード大学のリチャード・ドールによって始められた肺癌の研究が、20世紀の画期的な癌研究のひとつである。彼は疫学を駆使して喫煙と肺癌の関係を明らかにし、肺癌が天罰ではなく、遺伝でもなく、ただただ本人自らの行為によって起こることを証明したのである。

   彼の研究によって、喫煙は肺癌になるリスクが高くなることを承知のうえで、それを続けるかどうかの選択ができるようになった。それ以降多くの癌の原因について納得のいく説明が為されるようになった。たとえば皮膚がんは紫外線あるいは砒素曝露によって、子宮頸がんは性行為によって感染するパピローマ・ウイルスによって起こることが明らかになったのだ。

   私は最初の乳がんを含めて計5回の、最後にはリンパ節にまで広がる進行性の乳がんを経験した。命をかけた、容赦のない時間との競争であった。自分に襲いかかる乳がんの本体を科学的に理解しようと懸命に努力した。何が原因で乳がんになったのか、どうしたらこの苦境から逃れられるのか。本書で述べていることは、自分が乳がんになってから私が発見したことである。

   実は、乳がんと前立腺がんに関して、過去数十年の間にきわめて抱負な研究がなされている。私は最初にそれを知って、こんなにたくさんのことがすでに明らかになっているのに、それらが私たち一般の人々には知らされていないことに非常に驚いた。本書を読み進むうちにあなた方も私と同じ驚きを味わうだろう。

   私は乳がんになってから、自分にできることが何か必ずあるはずだ、再発を免れるために、自分にも何かできることがきっとあるはずだとずっと考え続けた。そして最終的に到達した結論は、たとえ進行がんでも克服できるということであった。つまり自分の日常生活を少し変えるだけで乳がんを予防し、その再発を防ぐことができるのだ。私は自分が成し遂げたことなので、自信を持ってこのように言うことができる。

乳製品を多く摂る欧米諸国の女性に乳がんが最も多い


   欧米の女性のがんの中では、乳がんが最も多い。
   たとえばEU(ヨーロッパ連合)でみると2番目に多いのが大腸がんであるが、それを上回る3倍もの女性が乳がんになる。ほとんどの欧米諸国で、40~55歳の女性の死因の1位は乳がんである。多少の地域的なばらつきはあるが、それにしてもこの数十年で乳がんの発生率は非常に増えた。

   そして私がもっとも驚いたのが、西洋人と東洋人の乳がん発生率の違いであった。
   西洋では多くの女性が乳がんになるのに、東洋の女性は少ない。(日本では増加している) 肺癌が喫煙者に多いという事実から類推して、西洋と東洋におけるこの大きな違いが、乳がん発生原因に関する最初のヒントを与えてくれた。

   がん患者には、がんになったのは自分が悪かったからではないかと感じる人が多い。
   たとえば遺伝的な問題ではないか、自分の性格のせいではないか、過去の行動の間違いが原因ではないかといったことだ。しかしこれは誤りである。乳がんになったのはあなたが悪かったからではない。

   紀元前400年のヒポクラテス医学では、病気にはすべてそれなりの合理的な原因があると説いた。彼は病気の原因は、吸う空気や飲む水、食べる食物の中にあり、空気や水や食物を正せば本来備わっている自然治癒力によって病気は治ると説いた。このヒポクラテスの考えは、現在でも基本的に正しい。

   私が未だに後悔している決定的なミスを冒したのは、ある日曜の午後であった。
   ちょうど月経前の緊張症の最中で、両方の乳房が腫れて痛かった。押してみるとあらゆるところに固まりが感じられる。私はパニックに陥って病院に電話を入れたが、予約がないので担当の外科医に会うことができなかった。

   それでほかの外科医の診察を受けることになった。
   しかしこのときの私は、病院内で乳がんの治療法について「乳房部分切除+放射線治療」と「乳房全切除」のどちらがよいかをめぐって、激しい論争が交わされているということをまったく知らなかったのだ。

   そしてその医師は、私の担当の医師とは違って「乳房全切除」派であったのだ。
   彼は断固として、私のがんは非浸潤性だが乳管がんなので乳房全切除を行なうべきだと主張した。そうしなければ私の命はよくもって3ヶ月だと言うのだ。この医師は付き添ってきていた夫のピーター(彼も科学者)の厳しい質問も頑としてはねつけ、圧力をかけ続けた。後で知ったことだが、彼は乳がん治療についての学位論文を完成したばかりであった。

   つまりその研究結果に基づいて、私の乳がんは乳房全切除を行なうタイプだと主張したのだ。夫のピーターは彼の説明に納得せず、彼の意見を無視するように言ったが動顚(どうてん)していた私は、医師の意見に驚き、呆然自失のまま、当時6歳と13歳の子どものためにもまだ死ぬわけにはいかないと思い、乳房全切除を選んでしまった。

   当時から、初期の乳がんの部分切除と放射線治療の組み合わせは、患者の延命という点で、乳房全切除と変わりのないことが臨床試験で明らかになっていた。私の主治医はこのことを十分承知していた。しかも私は、主治医の助手のような医者で、自分の学位論文の成果を強調する若い医師の言葉に従ってしまったのだ! 

   チャリング・クロス病院は、がんの化学療法に卓越していることで有名であった。
   抗がん剤はそもそも、1940年代にナチスが製造していた化学兵器の副産物から開発された。しかし残念なことに現在でも、抗がん剤だけで乳がんのような固形がんが治癒されることはない。

   乳がんと前立腺がんの発生率は、西洋と東洋では大きく異なる。
   どうしてこんなに違うのだろうか。それが遺伝や人種の違いによるものでないことは明らかで、移民研究によれば、中国人や日本人が欧米に移住すると、1~2世代の間に乳がんや前立腺がんの発生率が欧米人と変わらなくなってしまう。

   さらに香港で欧米人の生活スタイルを取り入れた中国人や、マレーシアやシンガポールで欧米式生活を送る豊かな中国人の乳がんや前立腺がんの発生率が、欧米人の発生率に近づくことが知られている。

   中国では乳がんは、俗に「富貴婦病=金持ち女性の病気」と呼ばれていた。
   それは解放経済前の中国では、金持ちだけが「香港食」を手に入れることができたからである。そのころの中国人はアイスクリームやチョコレート、スパゲッティ、フェタチーズ(山羊や羊のチーズ)など西洋風の食品をすべて「香港食」と呼んでいた。

   というのもこれらの食品は当時、イギリスの植民地であった香港でしか手に入らなかったからである。もし乳がんや前立腺がんが遺伝的要因ではないとすれば、環境要因によるものであると言うことができる。もしそうなら、これらの病気は予防が可能である!

   現在の日本の環境は多くの面で欧米の工業国と似ている。
   それにもかかわらず日本の乳がんの死亡率はイギリスに比べて著しく低い。(最近は増加している)

   そしてある日、ピーターが先に言ったのか私だったかわからないが、「中国人は乳製品を食べない!」ということに気がついた。そういえば私と共同研究を行なった中国人はいつも、「牛乳は子どもが飲むものだ」と言っていた。また中国系の親しい友人は、夕食に出されるデザートのチーズをいつも丁寧に断った。

   伝統的な中国風の生活を送る人で、赤ん坊に牛乳や乳製品を与えている人は一人もいなかったし、乳母(うば)を雇うことはあっても、乳児に牛乳や乳製品を与えるという習慣が中国の伝統にはなかった。

   1980年代の初めに、中国から多数の科学者がやって来て歓迎会が開かれた。外務省のアドバイスで、アイスクリームのたっぷり入ったプディングを用意するように業者に頼んだ。そして中国人の科学者はこのプディングを見て、「これは何で作ったのか」と訊ねた。原料が牛乳だとわかると、彼らは通訳を入れてすべて丁寧に、しかし断固としてプディングを断り、一口も食べなかった。「おいしいですよ」と勧めてもその気持ちは変わらなかった。おかげで私たちはプディングをたっぷり食べることができて大喜びであった。

   つい最近北京で開かれたある国際会議に出席したとき、2人の研究者と昼食をとっていると、ニンニクと香辛料の匂いを強く漂わせた一人の男性が近くを通った。私はその匂いに反応したようでそれを見ていた他の人が笑いながら、「中国人はどんな匂いがしますか?」と恥ずかしそうに訊ねた。

   私は注意深く答えを探して「特別にどうということはありません」と答え、お返しに、「私たち西洋人はあなた方からすると、どんな匂いがしますか?」と訊ねた。2人とも笑いながら当惑した様子だった。そして私が返答を促すと、彼らはやっと答えた。「すっぱい牛乳の匂いです」。

   私は牛乳や乳製品の愛好者であった。
   それが身体によいと信じていたからである。乳がんになるまでは、低脂肪牛乳を大量に飲み、たくさんの乳製品を食べていた。料理には脱脂粉乳を使い、低脂肪チーズやヨーグルトもよく食べた。牛乳や乳製品は私の主要な蛋白源であった。そして安くて脂肪の少ないひき肉を使い、ハンバーグやスパデッティ・ボロネーゼを作って子供たちとよく食べていた。

   今にして思えば、この安いひき肉は乳牛の肉であった。
   乳がんと診断されたあとでも、首のリンパ節にがんが転移するまで(それが最後の乳がんであったが)、ブリストル食事療法に従ってヨーグルトを食べ、沸かした脱脂粉乳を飲んでいた。

   しかし、乳がんの真犯人に気づいたとき、私は一切の牛乳と乳製品をただちに止めることにした。チーズやバター、ヨーグルトはもちろん、乳製品を含むほかの食品もすべて流しとゴミ箱に捨てた。そして市販のスープやクッキー、ケーキなどいかにたくさんの食品が、牛乳や乳製品を材料としているかを知って改めて驚いた。大豆油やサンフラワーオイル、オリーブオイルから作られたマーガリンでさえ乳製品を含むものがある。それ以来、小さな文字で印刷されている食品ラベルを目を凝らして読むようになった。

   その後で、1989年にヨーグルトが卵巣がんの原因ではないかという論文が出ていることを発見した。それはハーバード大学のクレイマー博士の研究で、卵巣がんになった人とそうでない人の食事を比較したもので、卵巣がんになった女性がそうでない人に比べて多くとっている食品が一つあった。それが乳製品であった。それも乳製品の中でも健康的と言われているヨーグルトの摂取量が多かったのだ。

   クレイマー博士は、卵巣がんの原因は牛乳に含まれている乳糖で分解産物であるガラクトースだと推定している。ガラクトース分解酵素の少ない女性では血液中にガラクトースが増えて卵巣に障害を起こすという。そういった女性が日常的に乳製品を食べていると、卵巣がんになるリスクが3倍になるというのだ。実際にヨーグルトやカッテージ・チーズではその製造に使われる乳酸菌によってガラクトースが多くなっている。

   私は首にできたリンパ節の塊りの大きさを、はさみ尺(ノギス)で測ってグラフにつけてきた。自分自身でする観察は苦しい真実を物語っていた。最初の抗がん剤治療は何の効果ももたらさず、塊りの大きさはまったく変わらなかった。そこで私は、乳製品を完全に避けることにした。数日のうちに塊りが退化し始めた。2回目の抗がん剤治療が終わって2週間ほど経ち、乳製品を絶って1週間経つと、首にある塊りがかゆくなり、硬さが和らいだ。

   グラフ上の印も下方に向かい、塊りがだんだん小さくなっていった。
   しかもそのグラフの下がり方は横軸や水平になるようなものではなく、直線的にゼロに向かっていた。このことは私の転移乳がんが、単に抑制されたり緩和したというのではなく、完全治癒に向かっていることを示すものであった。

   乳製品を完全に絶ってから約6週間経ったある土曜日の午後、私は塊りが少しでも残っているかどうか首に触れてみた。塊りは完全に消失していたのだ。私は病院でがん専門医の診察を受けた。彼は最初困惑して首のあたりを触診していたが、何もありませんね」と言って喜んでくれた。そしてその後この医師から、私が受けていた抗がん剤治療は過去20年間行なわれてきたごく普通の治療法であったと聞いた。そしてどの医師も、乳がんが首のリンパ節に転移した段階で、私が元気になることはもちろん、生き延びるとは思っていなかった。

   私は今、乳製品と乳がんの関係は、タバコと肺癌の関係と同じであると信じている。しかも実際に疫学研究では、乳がんと乳製品の関係は実は20年以上も前から報告されていたのである。1970年には、脂肪の摂取量が多くても乳製品の摂取量が少ない地域では、乳がんの死亡が少ないという研究報告がある。

   そして牛乳や乳製品が多くなると、女性の乳がんのリスクが高くなるという研究もすでに行なわれていた。そして日本では脂肪摂取量が少ないのに、牛乳や乳製品の摂取量が多くなるにしたがって乳がんの発生率が高くなっている。

   私は乳製品を使わない食事をすることによって、自分の乳がんが治ったと信じている。最初はこれを読んでいるあなた同様に私自身も、牛乳が健康に悪いという考えを受け入れることができなかった。しかし牛乳はほんとうに悪いのだ。次章で牛乳のどこに問題があるのかについて述べることにしよう。


        
book「乳がんと牛乳」 ジェイン・プラント著 径書房


                          抜粋


   

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