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人間は猿から進化したのではない

   1億3000年前の地球には、すでにたくさんの植物が生い茂り、緑豊かな星であった。
   他の星から持ちこまれたDNAを使って創られた植物は、茶色や赤い色をしていた。そして地球に適応する形に改良されて、美しい緑色へと変化していった。とはいえ、色というものは実際には特定できないものである。この地球で青い色をしているものも、他の星に持って行くと別の色に見えたりする。つまり太陽の放つ光によってもまったく違って見えるのだ。この地球の素晴らしい特徴の一つは、水の青色や植物の緑色が非常に美しく見えることだ。当時の太陽は、今よりも赤みを帯びたオレンジ色で、月は二つあった。その影響もあって緑はより深い色に映り、空の青も濃く、海の緑も非常に深い色に見えた。

   私たち以外にも、別のいくつかの星からやってきた地球外生命たちが、さまざまな新しい種の生命体を生み出す実験をしていた。当然、まだ人間型の地球人は存在していなかった。そして水生恐竜に私たちのDNAの一部を加え、地上で生きられる呼吸器と知性を与えることで、もう少し生存性を高めようとする実験が行なわれたが、その実験は多くの失敗を生んだ。そしてある恐竜は水の中では穏やかだが、陸に上がると荒々しくなり凶暴性を発揮した。それはまだ知恵のついていない子どもと同じで、少し自意識が芽生えると自分の思い通りにならないことに腹を立て、暴れたり人を攻撃してぶったり、蹴飛ばしたりするのと同じである。そのときの恐竜はまさにそのような状態であった。

   しかし私たち実験者は、生まれてきた生命体に対してはできるだけの敬意を払い、余計な干渉をしないように心掛けていた。だから凶暴性の強い動物ができてしまったときにも、できるだけ自然な状態の中で絶滅するのを待った。このときの恐竜が人間の祖先である。ホモサピエンスとなった人間の中にも、残忍な部分や凶暴性が残っているが、これは恐竜時代の名残と言えるものである。

   人間の祖先は猿類ではない。
   
猿類は私たち以外の宇宙存在が創ったものである。しかし猿類を創った彼らは地球との不適合性が高く、ここにに長く留まれなかったために地球を去って行った。確かに猿類は人間に一番近い外見をしている。そして彼らは非常に知性も高く、特にゴリラやオランウータンなどは高い意識活動が可能で、繊細で優しい動物である。しかし地球における彼らの状態はやはり不適合な部分が多く、そのままで放置された形になっている。それは、たとえば重力において、不適切な部分に重たい頭部があることでもわかる。人間も同様な形状であるが、骨格的にまっすぐ立つことが可能で、脳内システムもまったく異なっている。それで特に知的な能力と、繊細で高い意識を持ったゴリラやオランウータンは、肉体的には常にストレスを抱えており、そのせいもあり動きは比較的緩慢でゴロゴロしていることが多い。

   その後、この種の動物に可能性を見出した他の宇宙存在たちが、彼らを奴隷化するためにさまざまな試みを行なった。そうした中で生まれたのが、サルである。しかしながらこれは失敗に終わっている。かつて私たちが恐竜に中途半端な知性を与えてしまった失敗と同様に、サルは少しずつ賢くなると自分たちが不当な扱いを受けていることに気づくようになった。そして次第に反抗的になり、攻撃性を帯びていった。しかし、彼らの正当な主張に耳を傾けるつもりは初めからなかった生みの親である宇宙存在たちは、最後まで、サルたちに言語活動をさせないように声帯を与えなかった。

   時間が間延びしたこの物理次元において言語活動ができないということは、知的文明を築くうえでは致命的なマイナスとなる。その結果、知性もあり、道具を使いこなすこともできるサルの社会は、これ以上発展していかないのである。しかも、生命力もあり、生きていく知恵も十分にあるサルは絶滅することさえできないのだ。このように、こうした不幸な生き物も創り出されてきたという事実がある。サルは私たち人間を、自分たちを創った宇宙存在だと思っている。人間に媚(こび)を売り、人間とうまくやっていこうとするサルもいれば、非常に挑戦的で畑にやってきては食べる気のない作物を使い物にならないほど荒らすような行為をするものもいる。

   一方で、中途半端な知性は決して、その種族のために役に立たないことを学んだ私たちは、人間の祖先である恐竜に、仲間と交流しながら協力することのできる高度な知性を与えたり、言語活動に必要な声帯を移植したりしながら、新しい試みをしてきた。そして彼らは長い時間をかけて、クジラの祖先へと進化していった。

   彼らがクジラのように進化する以前までにはたくさんの実験が繰り返されており、とんでもない生物も誕生したのだ。その一つは今でもリアルに思い出すことができる。彼らの上半身は人間であるが下半身には足がなく、鱗(うろこ)の生えたサメの状態であった。人魚といえばあなた方の想像では聞こえがいいが、それは非常に奇怪な姿であり、記憶力に乏しく、自分自身で食糧を得ることができなかった。

   私たちはこれほどの、地球環境に相応しくない生き物を創ってしまったことに対して、この時初めて自責の念の感覚を経験し、非常に悲しい思いをした。そして同時に私たち実験者は、この宇宙で最も優れた生命体を創ろうと強く決意したのであった。今地球の海にいるホモサピエンスの祖先でもあるクジラは、足を持ち陸地で生活していたこともあった。しかし非常に高い知性を持ち、霊的にも高次元の存在であった彼らは、他の動物同士の縄張り争いや、それら動物たちの生みの親である宇宙存在たちの抗争などを好まず、次第に再び海へと帰って行ってしまった。

   クジラたちは、今まさに地球を去ろうとしており、彼らが現在まで地球に存在し続けたのは、愛する子孫であるあなた方人間にたくさんのメッセージを伝えるためであった。そして自らの肉を人間の豊かな資源の一つとして、提供し続けてくれたことも忘れてはならない。人間は今、宇宙のたくさんの仲間たちから、成熟した精神性を求められているのである。そしてクジラのように人間の営みをサポートし続けてくれた、たくさんの植物や動物たちや自然霊たちにいつまでも依存した関係を続けるのではなく、人間たちは自立しなければならない時がきているのだ。

   日本の調査捕鯨をめぐり、オーストラリア政府やアメリカの環境保護を掲げる団体が対立を続けているが、クジラがもっとも伝えたかったメッセージは、皮肉なことにすべての対立をやめることであった。そしてクジラは、地球に生きるあなた方一人ひとりが、宇宙的な意味で成熟した意識を持つ大人としてこの地球で起きたすべてのことを理解し、それらの経験を叡智にするべき時がきているとも伝えてきている。


      「アセンションの超しくみ」 by サアラ (Saarahat ワンダラー)ヒカルランド

                           抜粋



  

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