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エホバの証人・ものみの塔聖書冊子協会

   「エホバの証人」あるいは「ものみの塔協会」もまた、イルミナティが自分たちの隠れ蓑として利用している宗教団体である。これらの団体は、マインドコントロールカルトの手法を使って会員を、そうでない人々から切り離し、接触を絶つのである。モルモン教とエホバの証人は異なる組織であると我々は聞かされているが、実は同じ顔に連なる異なる仮面をつけたものである。エホバの証人は、フリーメイソンである創始者のチャールズ・ティル・ラッセルに至るまですべてがモルモン教の模倣である。しかし考えたり、疑ってみることをしない多くの信者たちは、宗教の背後で何が行なわれているのか知りもしない。

   チャールズ・ティズ・ラッセルは、イルミナティの13の血流に連なるラッセル家である。
   この一族はかの悪名高いイェール大学のスカル・アンド・ボーンズを創設した血統である。ラッセルは悪魔主義者であり小児性愛者であり、妻によるとロスチャイルドの友人である。そして他のイルミナティの銀行家たちとともに、モルモン教と同じくエホバの証人の創立にも資金提供したのはロスチャイルド家であった。研究者のフリッツ・スプリングマイヤーによると、このことは1922年にスイスの法廷で明らかにされたのだという。

   チャールズ・ティズ・ラッセルは高位のフリーメイソン会員であり、テンプル騎士団のメンバーであった。彼は、ロスチャイルドが作り出した「もう一つのもの」である「シオニズム」を率先して推し進めていった。ラッセル(Russell)一族はかつてレッセル(Roessel)家として知られ、ドイツからスコットランドに渡った。ドイツはロスチャイルド家が出た土地であり、スコットランドはイルミナティの血統における世界でも重要な地域の一つである。

   チャールズ・ラッセルは新しく作った「ものみの塔」協会を利用して、ベスルやブルックリン、ニューヨークに本拠地を築いて黒魔術を行なうための隠れ蓑とした。彼の行なう魔術は別名「エノク魔術」と呼ばれており、彼の独特の魔術である。彼の本の表紙には翼を持った太陽円盤が載せてあるが、これはエジプトやバビロニアの時代にさかのぼる古代のイルミナティのシンボルである。

   「エホバの証人」の信者が布教として人々に手渡す「ものみの塔」誌には、常に大量のサブリミナル効果を狙ったオカルト的象徴言語が盛り込まれている。そしてまさにこの「ものみの塔」という名前そのものが、イルミナティとフリーメイソンの伝説と暗号の一部なのだ。彼らにとって「ものみの塔」とは「神秘の宇宙空間」を示す場所であり、それは目に見えない領域なのである。

   ラッセルは1917年に死亡しアメリカの「あるピラミッド」に埋葬されたが、何人かの研究者によれば、彼はハロウィンにおいて儀式的に殺された。彼だけでなくイルミナティの指導的な悪魔主義者たちは、その時が来ると儀式的に殺されている。彼らにとって重要なことはそうすることで、オカルト的パワーを継承することなのである。

   エホバの証人の組織は、トラウマによるマインドコントロールの犠牲者から言語を絶するひどい操作プロジェクトを行なったと、モルモン教徒と同じようにいく度となく名指しされている。モルモン教徒とエホバの証人はトップレベルでは同じ組織であり、それぞれの信者たちが聞かされていることとはまったく異なる計画を実行している。エホバの証人の信者たちは、ハルマゲドンを信じて待つように言われている。なぜならその日世界が滅び、彼らだけが滅亡を免れるからであり、信者でない他の何十億と言う人間は滅びるのだ。

   エホバの証人の預言者たちは彼らの宗教が創設されてこの方、このハルマゲドンのことを繰り返し預言してきたが、いずれの日にちも過ぎてしまい、また別の日付に代わった。彼らの信者とその子どもたちは社会から隔てられ、信者でない人々とは必要最低限しか接触しないようにと言われている。このことが他の現実や情報から孤立させ、信者と非信者を接触させないことで家庭が崩壊させられるのだ。このようにして社会の流れから取り残された中で彼らは週3回のミーティングに参加し、宗教の教義や憎しみや恐怖に洗脳されるのである。彼らの出している出版物を見てみよう。

   エホバの証人のキリスト教徒が、背教者と仕事の関係を持つことは正しいでしょうか?一般的には仕事上であっても、背教者と社交上や精神的な面で接触することは望ましくありません。 「ものみの塔」1952年12月1日号 735ページ

   背教者の親族と生活を共にしていない場合、その人との接触は必要最低限にすることです。世俗的な仕事をするときと同じく、接触はひかえ、可能ならまったく行なわないようにします。 「ものみの塔」1963年6月15日号 443ページ

   神に忠実であれば、会衆の誰であれ人前でそのような人たちに挨拶してはならないし、彼らを家に迎え入れてはなりません。 「オーガニゼーション」1972年版 172ページ

   あらゆる宗教は結局、マインドコントロールカルトであるが、そのためには考えたり質問したりせず信じるようにと圧力をかけるのだ。

   自由な意見は避けなさい! そういった自由な考えはどうやって表現されるのでしょうか? 一般的には、神の目に見える組織によって与えられる議会を疑うという方法をとるのです。 「ものみの塔」1983年1月15日 22ページ

   自由な考えと闘うのです! 組織が事前に調整を行なわねばならなかったと指摘する人たちもおり、彼らはこう主張するのです。自分が何を信じるのか、自分の考えを作らなければならないと。これが自由な考えというものです。なぜそれが危険なのでしょうか? このような考えはうぬぼれの証しなのです。

   
また信者に対して、神の名において憎めという要求がある。
   これは聖書に出てくる憎しみと怒りの神であるエホバの気質であり、この忌まわしい気質を与えられるのだ。

   悪しきものを憎むために、キリスト教徒は悪事に関わる人間を憎まねばなりません。 「ものみの塔」1961年7月15日 420ページ

   我々は正真正銘の良識をもって憎まねばなりません。それは極端に嫌悪を起こすものに注意し、忌まわしく醜悪で汚らわしい物として見なし、憎むことなのです。もちろん神を憎むような人間はこの美しい地球に住むにはふさわしくありません。あなたは自分が心から嫌う、忌まわしくて嫌悪感を引き起こすものがあったらどうしますか? 答えは簡単です。あなたはそれから遠ざかるか、それを自分から遠ざけるでしょう。あなたはそれといかなる関係も望まないでしょう。これこそがまさに、エホバを憎む人々に対する私たちの姿勢なのです。」「ものみの塔」1952年10月1日 420ページ

   私はこれまでに、「エホバの証人」のその精神的独裁によって家族が破壊されるのを見た人々にたくさん会ってきた。子どもたちは信者ではない両親や兄弟姉妹のところに行くことはない。逆もまたそうである。なぜなら子どもたちは、自分の家族がエホバを崇拝しないために邪悪な存在であると信じ込まされるからである。かつてエホバの証人の信者で、多くの引用を私のウェブサイトに投稿してくれた人が次のように言っていた。

   「私は37年間にわたってエホバの証人の信者でした。
   しかし私は組織から身を引きました。それは行き過ぎた管理と人々から受ける操作のためでした。私が信者をやめることを選択すると、私は肉親に会うことを許されず、甥や姪にも会うことができず、私は排斥され遠ざけられています。「排斥」という規則のために、たくさんの家族が崩壊させられ、離婚の原因となり、自殺に追い込まれた人もいます。」

   だが我々は思い違いをしてはいけないのだ。
   なぜなら「エホバの証人」の組織は、信者の利益のために存在しているわけではないからである。この組織は現在も、そしてこれまでもイルミナティの目的のためにだけ存在してきた。信者たちは、ポピュラー音楽を聴いたり、お祭りや祝日を非信者たちと祝うことを避けて、毎日聖書を読むように言われている。しかも聖書の解釈の仕方に関しては、イルミナティの世界的中心地の一つであるブルックリンとニューヨークの拠点で決められており、彼らは何もかも「文字通り」に受け取るように言われている。

   その結果、聖書の「使徒行伝15章29節」に「血を避けなさい」と書かれていれば、エホバの信者たちは子どもが死ぬことになろうとも「輸血」を拒否するのである。これ以上のマインドコントロールがあるだろうか? 「ヘブライ人の手紙10章25節」には「集会を怠ったりせず」とあるが、これは彼らの「王国会館」における、週5回の集会に参加するようにという圧力をかけるために使われている。

   心の面だけではなく、信者たちは服装や髪型まで監視されており、生活のあらゆる面を指示され、見てはならない映画やテレビ番組まで指示されている。さらには誕生日を祝ったり、宝くじを買ってはいけないことから、離婚後の交友関係、異人種間の結婚、お茶やコーヒーを飲むこと、化粧したり宝石を身につけること、国家を歌うこと、避妊、夫婦生活のオーラルセックスや自慰行為も禁止されている。

   はじめは信者のすべてが、これらの無理な要求を全部受け入れることはないかもしれないが、繰り返し指示されることで心を挫かれたあげく、集団の力の前に個人は屈してしまうのである。深刻な反抗をする者には「助言」が与えられ、「背教者」とするぞという脅しがかけられる。これまでにも「ものみの塔」の文献と歴史における誤りを、立証可能な文書で指摘した何人かは組織を追われている。指導部に対する質問や反抗は許されず、信者たちは互いに密告し合うように圧力がかけられている。これによって逃げたり隠れたりできないという思いが植えつけられる。これは、マインドコントロールの操作においては常套手段に過ぎない。マイクロチップと隠しカメラの激増は、集団心理に同じ効果をもたらすことが意図されている。

   また強い決心で反抗しても、それに対する結果があまりに厳しいことから疲れ果て、諦めて同調してしまうこともある。信者たちはカトリック教会と同じく「罪の告白」を長老(Elders=El-ders)に行なうように勧められているために、無条件に自分の弱みの糸口を与えてしまうことにもなる。また「告白」のプライバシーが守られることはないということも、元信者たちが認めている。彼らは恐怖心と自分は無価値であるという心理状態に常に置かれており、これがさらなる新たなマインドコントロール・プログラムにつながっていく。もし自分の心と人生を投げ捨てたいのなら、モルモン教やエホバの証人の信者になればいい。しかし実のところ、宗教は何でもいいのだ。

   私のウェブサイトの宗教アーカイブを見てもらえれば、宗派にかかわらずそこでどれだけの悪魔崇拝や幼児虐待が行なわれているかを知るだろう。プロテスタント、カトリック、モルモン教、エホバの証人、ペンテコステ派、などすべてで行なわれているのである。そしてそれらは云うまでもなく明るみに出たごく一部であり、多くは報告されず闇に隠されている。

   レプティリアン(爬虫類人)についての活動と儀式について頻繁に報告があるのは、「宗教組織」の中でも特に「エホバの証人」とモルモン教で知られる「末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS)」の元信者の人々からである。ダイアナ・ヒューストンという女性は「エホバの証人」での経験について私に語った。彼女は、夫とともにベトナム戦争でつらい経験をした後、「地上に楽園が訪れる」という教えに魅力を感じて信者になったのは1969年だった。数年間はうまくいっていたが、少しずつ教団の要求や管理が厳しくなった。1987年になると、サブリミナル効果を狙った絵が教団の書籍や雑誌に載るようになり、奇怪な風貌の人々が描かれ、奇妙なメッセージが書かれていた。

   ある小規模な集会で、彼女は教団組織の一人に個人的に話しかけてみた。彼女は当時は、組織の人々はいい人たちだと思っていた。彼は身長175センチくらいで黒髪のガッシリした体格の男性だった。しかし彼女はその目を覗き込んで驚き、震え上がった。彼の目は人間のものであったが、目の内部を薄い皮膜がサッと覆うのが見えたのである。その膜がまぶたの上から出たものか、横から出たものかはわからなかった。彼女は、彼の目がトカゲそっくりだったことをよく覚えていると言った。男の目を皮膜が覆ったのは、ちょうど彼が振り向いて彼女に目をやったときで、なぜかわからないが、それで彼は彼女を認識したように見えたという。彼女は非常な恐怖を感じ、彼から逃げなければという気持ちに襲われたという。

   彼女は、組織の人々は完全な人間ではないように感じた。
   その後、彼女は「エホバの証人」の文書や書籍を調べたところ、武器および麻薬の売買と世界を支配する陰謀について知ることになった。ダイアンは自分が見つけた山のような証拠を麻薬取締り局に持ち込んだ。しかし当局は彼女を天才かまったくの狂人かのどちらかだと言って取り合わなかった。彼女はニューヨークとブルックリン地区の地下に、教団の隠された場所があることを知ったという。そこは廃線になったブルックリンの地下鉄路線の上に、教団の本部が建っている場所である。そこでは教団は悪魔教の儀式を行なっており、ときには人間の赤ん坊が生け贄にされることもあり、生け贄に捧げられる赤ん坊の「生産係」に使われる女性もここに置かれていた。

   こうしたことは世界中で行なわれており、赤ん坊が公的に登録されることも、行方不明の届けを出されることも決してないのだ。社会的には、初めから彼らは存在しないのである。ダイアンによると、この「エホバの証人」の悪魔教的なやり方はまったく自己完結していて、教団の雑誌の印刷用のインクに血液を使うことも平気で行なわれているという。


         「竜であり蛇である我らが神々」 デービッド・アイク著 徳間書店

                           抜粋


       
    

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