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我々の苦悩のほとんどは「お金」が原因である

   イヴァンカはキスペに近づき、腕をとると、微笑みながら尋ねた。
   「先ほどなぜ私にひざまずいたのか、説明してくれますか?」

   「はい、つい先ほど、あなた様は奇跡を起こされたからです」、彼はうやうやしくそう答えると、「それは違います。さっき私のやったことは、訓練さえすればここにいる誰でもができることなのですよ。お願いですから他の人たちにも、私は奇跡など起こしたのではないと伝えてください。私たちが原子とその構成要素を用いて行なうことは、それが私たちの仕事に過ぎないことだからです」 キスペはお辞儀をすると、羊飼いたちのところにそれを伝えに行った。

   イヴァンカは彼女の同行者とともに私たちのほうにやって来ると、
   「彼は旅の仲間でペドロと言います。長年一緒に宇宙を旅しています」、そう彼を紹介した。私たちは互いに握手し、彼は「忘れない」と言ったのだ。私は彼がなぜそんなことを言うのか怪訝に思っていると、イヴァンカは私の思いを察して、「『忘れない』というのは、アプ語では感謝の言葉なのですよ」と説明した。

   「よかったら私たちの宇宙船の中を見に、一緒に来ませんか? 
   見たこともないようなものが他にもありますよ。・・それとも少し怖いですか?」、とイヴァンカが微笑みながら尋ねてきた。私はありったけの勇気を振り絞って、「怖くなんかない」」と答えて、キスペの方を見ると彼がうなずいてくれたので、少し気が楽になった私はイヴァンカの招待を受けることにした。

   私たちと一緒に宇宙船に向かう外国人たちの足元は、先ほどのように浮遊してはおらず、私たちと同じように歩いていたのに、しかしよく見ると不思議なことに草は彼らの足元で踏みつけられず、ひしゃげていなかったのだ。宇宙船のそばまで来ると、船体が地面から60センチくらい宙に浮いているのがわかった。多分これは、草の細胞にダメージを与えないための奇妙な停泊位置なのだろうと考え、何も聞かなかった。もう一つ気になったのは宇宙船の形であった。そのマシンは翼の形状のせいで飛行機のように見えるが、実際には奇怪なフォームをしていた。つまり機体は短いのに、旅客機並みの胴体幅があった。

   「この宇宙船は折りたたみ可能で、スピードは分速百万キロメートルを超えます」、とイヴァンカは説明した。船に乗り込む際、機体が私たちの重みで揺れるはずだった。そこで私はペドロが乗り込む様子を見たが、しかし小型宇宙船は微動だにしなかった。続いてキスペ、そしてイヴァンカが一匹の犬と一緒に乗船したが同じであった。船内には他の同伴者がおり、名前をアリフと言った。私は近くのソファに促されて座ったが、その時、私は突然得も言われぬ心地よさを覚えた。驚く私にアリフは言った、「今、重力除去状態になったのです。あなたの体重は、今、80グラムですよ」

   イヴァンカは微笑みながら、私の隣のソファに腰掛けた。
   「何もかもがとっても奇妙でしょうね。当然ですよ。私も初めてアプ星の宇宙船に乗った時はそうでした。」
   「イヴァンカ、それはどういうこと? あなたはアプ星という惑星の出身じゃないの?」
   再び動揺した私は、彼女に問いただした。この外国人たちはやはり、私の無知を馬鹿にして楽しもうという魂胆なのだろうか?

   「まあ、落ち着いてください。
   私たちについて疑問があれば、脳細胞の閃きにまかせてじっくり質問してください。だけど一つだけ断言させてくださいね。それは、私たちはどんな生命体であっても決して傷つけないということです。私がアプ星の市民になって47年経ちますが、アプ星の人々は常に前向きに生きています。ですから欺瞞やエゴイズム、野心や憎悪というようなものは存在しません。」

   「それはつまり、あなたはアプ星で生まれたわけではないということかい?」
   「そうです。私は地球人なのです」、そう彼女は優しく答える。
   「じゃあ、どこで生まれたの?」
   「ドブロブニクです。そこはアドリア海に面したユーゴスラビア沿岸の街です」
    (
現在はクロアチア領)
   それが、微笑みながら言った彼女の答えであった。

   外国人の策略を見破ったと思った私は、高らかに笑い声を上げた。
   すると彼女もニッコリするではないか。そして私はとたんに、気が楽になってきた。

   「私はアドリア海沿岸で生まれ、不運な幼少期を送りました。そして子供のときから、お金とエゴイズムが生み出したあらゆる艱難辛苦に耐えてきました。
そうした苦悩が地球上の生命を虐げ、辱めているのです。ですから私は、他者のために行なう仕事の重要性をよく理解しています。

   そのことについて私はアプ星で学びましたが、地球ではそれを身を持って体験しました。私は長い時間をかけてこのことについて研究し、何が地球の生活をこんなにも辛く苦しく、不愉快なものにしているのか、元凶は何かについて特定するために長い時間を費やしました。そして、そこに2種類の原因があることを突き止めたのです。それは自然と人間でした。

   そしてもっとも有害なのは、人間が作り出した「お金」なのです。
   なぜなら苦しみのほぼ100パーセントはお金がその根源なのです。お金が戦争を引き起こし、エゴイズムを生み出し、搾取を促しているからです。そしてそのお金が、人間のためのあらゆる進化や発明、そして研究を停滞させ、阻害するものになっているのです。進化を促す知識というものこそが、生命に甚大な被害をもたらしている自然現象の修正に役立つものなのです。

   もちろん人間もお金から生じる害悪について認識していますが、すでにエゴイズムに身動きが取れなくなっており、地球社会の現行の通貨システムを根絶させるか、あるいはもっと単純化させるという誠意ある試みを拒否しているのです。そして人々に降りかかるあらゆる犠牲や苦しみ、金銭を巡って起きるあらゆる破壊行為や苦渋のすべては、神によって科された罰だといって正当化しようとするのです。そのために、それらの苦しみは、天地創造の際に誰かが犯した罪に由来しているなどといった、捏造された物語が存在するのです。

   アプ星だけでなく、宇宙における銀河での生活は、それがどこであろうと本当に素晴らしいものです。それは地球の人々の暮らしも同じようなものに改善することができるのです。もし地球人類が、お金も戦争も搾取もない、陽性で兄弟愛に満ちた社会を構築することを望み、一つの地球の家族になることを望むなら、実現することができることなのです。

   地球の人々は、人類の行く末は、他ならぬ自分たちの手に委ねられているということに気づかねばなりません。自分自身と自分の努力に確固とした自信を持ち、和合と平和、そして学習と、すべての人々がともに働くという集団労働を実践するようにならねばなりません。人類の問題を解決できる者、解決しなければならない者とは、自分たち人間なんだということを悟らない限り、地球人類はこれからも自然現象に翻弄される犠牲者であり、金銭に翻弄される苦しみの犠牲者であり続けるのです。

   自らが招いた苦悩を克服することができて初めて、あらゆる病気や死、そして自然現象を克服するための時間と力を得ることができます。これまでに、宇宙に存在する101万9014という文明に出会いましたが、自らの前向きな努力なしに生き残った文明というものはただの一つもありません。そうした文明の発展と進化というものは、その星で実践されている和合と労働、そして学習のレベルに比例しているものなのです。」

   「では、地球人がこれまでに成し遂げた進化については、どう考えているの?」、私は皮肉っぽく聞いてみた、

   「確かに20世紀に入って、地球人の生活にとって大きな変化が見られるようになりました。しかしみんながお互いに兄弟のように力を合わせることが出来ない限り、よい結果というものはでません。和合することができれば、何の差別もなく働いて学び、生活することができます。就労可能者の半数は無職であるのに、会社の就業時間は1日8時間のみだったり、基金として集められたお金のほとんどが戦争目的に振り分けられたりしているうちは、人間の社会は貧困から抜けることはできないのです。」

   その後、彼女の少女時代の話が語られた。
   彼女は10歳にならないうちに両親に捨てられ、そしてその後の生き残りをかけた壮絶な人生が語られたのだった。キスペが、ソファに置いた手で私に合図した。見ると、前方の壁にある大きなスクリーンが作動し、イヴァンカが話してくれた全シーンが映し出されたのだ。私は催眠術かなんらかの暗示だろうと思った。彼らの望む映像がスクリーンに映っていると、人に錯覚させるような仕掛けだ。するとペドロが近寄ってきて、微笑みながら私に声をかけてきた。

   「あなたが考えているようなことではないのですよ。
   このスクリーンは、人が望むように機能するというのは本当です。ですがここに映る光景は本物で、実際にあったことなのです。プラスイオンというものは嘘をつくことができません。ですから特定のテーマを映し出すように指示を受けたスクリーンは、その後どんな思考にも影響を受けることなく作動します。あなたの驚きと動揺は、まだ陽性化していないあなたの細胞が引き起こしているものなので、細胞群がそれに慣れるまでには少し時間がかかるでしょう」

   イヴァンカが言った、「このスクリーンにあなたの人生を映し出すように指示してみてください。そうすれば本当のことかどうかが分かるでしょう。

   そこで私は、言われたとうりに、自分の誕生を思い浮かべてみた。
   そのとたん、さまざまなシーンが次々にスクリーン上に映し出されたのだ。それは出来事のごく些細な点まで再現されていくのである。しかも見ているもののすべてがまさにリアルな質感であった。私は詳細にわたって、自分の誕生や幼少期、そして青年期を見ることになった。それは後々、自分が見る目的のために撮影しておくことは不可能なもので、多くのプライベートシーンがあった。さらに第二次世界大戦中の出来事もあり、私が知ることのなかった多くの謎もそれで明らかになった。その中には、姿を消した私の友人たちのその後の運命や、仲間たちが息を引き取った場所や死に至るまでの顛末(てんまつ)、それぞれの兵士たちの死の詳細などがあった。そのほか原因不明ということで幕を引かれた、多くの事件の一部始終も目撃したのだった。

   そして最後に私の達した結論は、理論的に考えてみても、すべてのことはスクリーンに映し出されたとおりの展開であり得たという見解であった。

   イヴァンカは、シフト制で24時間稼動を確立するという、経済と社会発展を促す方策を私に説明してくれた。これは私たちの社会における多くの不都合を解消する有効策となり得るものだ。それはたとえば、失業や物資の欠乏、それに学ぶ時間の不足などの問題の解決につながるものである。彼らがどうやってこんな良策を見つけたのかはわからなかったが、彼女の話のコンセプトは有効な上に、非常にシンプル極まりないので、簡単に実現することが可能なのだった。それは現在の社会に適応できるだけでなく、実践にあたり大がかりな調査研究なども必要ないはずなので、私はこの卓越したアイディアに驚いてしまった。


      book 銀河間トラベラー「アプ星人」との170時間 ヴラド・カペタノヴィッチ著
                      徳間書店5次元文庫

                        抜粋したもの


  
      

原子の最小微粒子は「ミニウス」

   太陽の輝く青空が数日続いたのち、その日は朝から雲が立ち込めており、今にも降りだしそうな天気だった。雨が降ると山歩きは困難になるので、その日の散策をどうしようかと悩んでいると、見るからに行く気満々のキスペがドアをノックした。私は腹をくくって、登山を決行することにした。

   私たちはキタラクサ川を渡ると、山に向けて右側に延びる小道を登り始めた。
   歩きながら私は、これまでの「ふしぎな外国人」との遭遇を思い返していた。そしてふと、もしかすると彼らは任務遂行のために私を操ろうとしているのではないか、と疑念が浮かび、胸騒ぎを覚えた。そして今さらながら、いつもとは違う散策エリアを選んで本当によかったと思った。場所さえ違えば、再び彼らに出くわすこともないはずだからだ。しかしそうであってもどうしても気になることがあった。それは彼らの正体と目的である。アンカシュ県のアンデス山脈の人里離れたこんな僻地で、彼らは一体何を探しているのだろうか?

   私たちは足早に歩いたので、10時半頃には頂上にたどり着いた。
   キスペの言っていたように、頂上には青々とした平原が広がっていた。そこには大昔に出来た深い地割れが複数あり、それが平原を横切っており、その光景は生えている潅木や森とよく合っていた。私たちはその場所をよく把握するために高い岩に登った。そこからは一目瞭然で、あたり一面を覆うように雌牛や山羊、数頭の馬が草を食(は)んでいた。平原の端に目をやると、切り出した丸太を組んだ山小屋が見えた。また藁葺き屋根からは白い煙が立ち上り、風にかき消されていた。山小屋の前には焚き火が燃えさかり、周りに数人の人たちが座っていた。

   「私たちが訪ねていっても怒らないだろうか?」
   「大丈夫でしょう。ここよりも標高が高い場所にいる人々は、よそ者が近づくのをいやがりますが、ここの人たちはいい人たちです。私が保証しますよ。」
   「それならばお邪魔するとしよう。」

   ほどなくして私たちは山小屋に着いた。
   私は挨拶をするが、彼は無言のまま私と握手を交わした。キスペによると彼はスペイン語が分からず、ケチュア語しか話せないとのことであった。焚き火の周りには3人の女と数人の男、それに母親の影に隠れている2人の子供がいた。しかしどういうわけか、母親は額にしわを寄せると悲しそうな顔をしており、アンデスの寒さでこわばった女の頬を一粒の涙がつたう。私は気になり、キスペにどうしたのか尋ねてくれるように頼んだ。

   「セニョール、ご心配いただいて申し訳ない。
   実は女は息子が病気なので泣いているのです。子供は9日ほど前あの山に行き、岩に登ったが滑り落ちてしまい、墜落した時に右腕と肋骨を何本か折ってしまいましてね」 男はおぼつかないスペイン語で話したが、理解はできた。私は子供を診せてくれるように頼むと、男はうなずき、女には何も言わずに私を小屋へ案内してくれた。私とキスペと男は中に入ったが、そのぞっとするような光景に私は怖気(おじけ)づいてしまった。

   地面に敷いた干草の敷布団と手織りの毛布に包まれて、1人の子供が横たわっていた。歳の頃は10歳くらいで、腫れ上がった顔は感染症で青くなっており、薄目を開けていて口は半開きで、そこから見える舌と唇もむくんでいた。私は子供の横に膝をつき、脈を測ってみたが、すでに規則的な脈は感じられず、男の子は死にかけていると思った。ワジャンカの病院はここから何キロも離れているが、私は男の子をできるだけ早く搬送しようと決めた。病人をどのようにして病院まで運べばよいのか思案していると、その提案を耳にした母親がなぜか激怒して苛立った調子で小屋に入って来ると、拳を振り上げすごんで見せながら、私の腕を掴むと信じられないほどの強い力で、私を小屋の外に放り出したのである。

   私は、ここの慣習を踏みにじるような提案をしたのかもしれないと気がつき、襲われるかもしれないと思ったので、早々に立ち去ろうとキスペを呼んだ。すると子供の母親が小屋から出てきて私の傍まで来ると、身振り手振りを交えながら怒鳴り、自分の両手で私の顔を挟んだ。そして唯一聞き取れたのは、「マナン・タイタ・・・マナン!・・・タイタ・ディオス!」という言葉であった。キスペは、「怖がらないで、セニョール、空の神々がやってきて息子を治してくれるからかまわないでくれ」、と言っているとのことであった。

   それを聞いて私は少しホッとし、おおかたどこかの呪術師がやってきて、火や煙などを用いて子供の治療をするのだろうと思った。「ここに残って、<神々>にお目にかかるかい?」 そうキスペに尋ねると、「ぜひそうしましょう。とてもおもしろいものが見られますよ」、と彼は熱心に私に勧めた。

   空に少し晴れ間が出て、大きな黒雲は羊雲に姿を変えていった。
   私は犬たちや子供たちと遊びながら、子供たちの言葉は分からなかったが、しかし会話はこの上なく弾んでいた。私はカービン銃の用途や使い方などを説明してやっていた。すると一人の子供が真剣なまなざしで私を見つめ、尋ねてきた。「おじさん、なぜ動物を殺さなければならないの? おじさんのご主人様の命令なの?」 動物を殺すのはその肉を食べるためだとどう説明すればよいか考えていると、突然、犬が吠えながら家畜がいる草地に向かって走って行った。

   興奮したキスペに腕をつかまれて指差された方向を見ると、小さな飛行機に似た何かが雲間から垂直に降りて来るのが見えた。それはあっという間に山羊と羊の中に音もなく降り立ったのだ。何らかの軍事演習だと思った私は、兵士たちが飛行機から降りて来るのを待ち、話しかけてみようと思った。ほどなくして姿を現したのは、1人の外国人だった。彼は見覚えのあるニットを着ており、外見は今までに出会った人々とは違っていた。そして彼は、草を踏みつけることなく私たちのほうに向かってきた。つまり、彼は地面から数センチ浮かんだ状態で移動していたのだ。「どうしてあんな風に歩くんだ?」、私はキスペに尋ねると、彼は言った。「足で踏みつけて、草の細胞を痛めないようにしているそうです」

   犬たちがうれしそうに、彼の方に走りよって行った。
   彼に撫でてもらった犬たちは満足そうにしている。どうやら彼らはすでに知り合いのようであった。その外国人が私たちの方へやって来る間、キスペや羊飼いたちが揃って跪(ひざまず)いているのに気がついた。しかも顔の前で両手を合わせ、地面にひれ伏しているのだ。それはまるで何かの宗教儀式のようであり、私は驚いてしまったが、その1時間前に病気の子供の母親が口にした<神々>の来訪の謎がこれで解けた。

   その外国人は白人であることがわかったので、やはり彼らはスパイだと私は確信を持った。さらに注意して観察していると、胸の形からその訪問者が女性であることが判明した。彼女は跪く羊飼いたちに立ち上がるように合図をして促したので、彼らはすぐそうした。彼女は誰とも話さず、真っ直ぐ子供の寝ている小屋に進み、中に入った。出てきた彼女は子供を腕に抱きかかえており、急いで飛行機に運び込んだ。

   私たちは全員、黙りこくったままであったが、羊飼いたちの表情は喜びに輝いていた。
   「いったい何が起きているんだ?」、我慢ならなくなった私は沈黙を破り、キスペに小声で尋ねるが返事はない。何分かが経過したが、あたりは依然と沈黙が支配していた。私のなかで、ふと、ある疑念が頭をもたげた。機内には病院並みの手術室や医療機器が完備されているのではないだろうか? そんな設備で病人やけが人を治療することで、外国人たちは自らを神々だと名乗り、純真な羊飼いたちの心を弄(もてあそ)んでいるのではないか?

   正体不明の女が、おそらく包帯を巻かれた意識のない男の子を抱えて、飛行機から降りてくるのを待っていると、不意に、不可解な光景、つまり不条理な光景が目の前に繰り広げられたのであった。突然、男の子が1人で飛行機のタラップを降りてきたのだ! しかも地面に降り立つと私たちの方に走ってくるのだ! 途中、小石を拾ってかがみながら、こちらに駆けてくるので、完全に回復していることが分かった。私は浮腫(むく)んでいる状態の子供しか見ていなかったので、とても同一人物とは思えなかった。おそらくこの子は飛行機の乗組員の1人の、別の男の子に違いないのだ。そこで私は、子供の母親の反応を見守った。

   子供がまだ半分の距離も走らないうちに、母親は感極まった様子で叫ぶと、彼のほうに駆け寄って行ったのであった。そしてそのとたん、その場にいた全員が肩を抱き合い、歓喜の声を上げた。キスペまでが犬たちと一緒になって、喜びに小躍りしながら、母親と子供の方を目指して走り去ってしまったのだ。

   みんなが落ち着いた頃を見計らい、私は子供の母親に、彼の身体を調べさせてもらえないかと頼み込んだ。キスペの通訳に母親はうなずいた。いまや腫れも完全に引いて血色のよい、笑顔の美少年に私は近寄った。骨折していた腕を取り、肋骨を1本1本チェックする。この異常事態において、私は自らの精神状態が試されていると思った。しかしいったいどうやって治療したのか。子供の腕には包帯も巻かれていなければ、縫合跡さえなかった。もちろん、身体にも何の異常は認められない。子供の敏捷な身体の動きや微笑が、それを証明している。しかも母親に、お腹がすいたと訴えているのだ。

   奇跡の蘇生を果たした子供を検査しながら、私はたった今起きた出来事に愕然としていると、いつの間にかその外国人の女性は同行者とともに、羊飼いたちの輪に合流していた。敬意と優しさに満ちた眼差しの2人は、笑顔で羊飼いたちを諭していた。「善行とは、自らも模倣して行なうために、覚えておかねばならないものである・・・だからこそ、お礼の言葉やお金や、賛辞さえも必要ないのだ」と。

   彼らはケチュア語で話しているようだった。
   しかしどういうわけか、私の母国語が聞こえてきたのだ。それはまるで翻訳機がさまざまな言語に同時通訳しているような感じなのだ。この不可解な現象を確かめたくて、キスペに聞いてみた。「何語で話しているのかい? よく聞こえないんだ」 キスペは、「彼らの言葉で話すと同時に、ありとあらゆる言葉でしゃべっていますよ。以前説明を聞いたことがあります。なんでもプラスイオンのためだそうで、プラスイオンが作用すると、彼らと接触する生命体は、彼らの言葉を理解できるようになるそうです」

   その時、外国人の<女医>が私に近寄ってきた。
   「私の名前はイヴァンカと言います。あなたのお名前を教えてください」 彼女は甘美な声で話しかけてきて、私の母国語でしゃべった。彼女の名前は欧米諸国を思い出させるものなので、おそらく彼女は祖国のために諜報活動をしているのだろう。私は彼女の出身国を暴いてやりたいと思った。 「あなたの名前はスラブ系ですね。響きのよい名前だ・・、ところでご出身はどちらの国ですか?」 、私は丁寧な口調で尋ねてみた。

   「厳密に言うならば、私はどこの国にも属しておりません。
   私の故郷はユニバース、宇宙です。私はすべての国の市民でもあり、そこに生きるすべての生命の兄弟姉妹だからです。そして私は、アプ星の市民です。アプ星人は生まれつき責務というものを持っています。それは細胞からなる生命体を守り、私たちが出向くあらゆる場所の生命体を助けることです。私たちは選り好みや特権、見返り、偏った愛、それに欺瞞などとは無縁の存在です。私たちの感情や愛や知恵は、全生命に等しく捧げられるものです。なぜなら私たちは、宇宙に存在する万物の一部だからです。」

   私はこの外国人が瞬(またた)く間に説いて見せた哲学に、眩暈(めまい)を覚えた。
   しかしやがて反撃に出た。
   「まだどうやって子供を治したかの説明を受けていないけど」、「ああ、そうでした、ごめんなさい」とイヴァンカは応じた。

   「私たちはいろいろな治療方法を用います。
   なかでもとりわけ効果的なのが、<分解>と<融合>です。それは患者の体細胞を最小微粒子レベルにまで分解し、その後、新しい細胞を使って体細胞を再融合し、完璧に健康な身体にするのです。私たちアプ星人は、数十億年前にすでに、原子を最小微粒子に分解することに成功しました。そのおかげで私たちは、もっとも崇高な力を手に入れることができたのです。それがたとえば不死であったり、プラスイオンによる制御能力であり、その他にもたくさんのものが可能になりました。」

   「原子の最小微粒子は、何と呼ぶの?」

   「ミニウスです。これはアプ語の訳語ではありますが」

   しかし私にとって、外国人たちの決まり文句はすでにおなじみのものだった。
   彼らは催眠術を駆使して、私を丸め込もうとしているだけなのだ。つまり彼らが操る<異世界の超能力>を信じ込ませようという魂胆なのだ。


      book 銀河間トラベラー「アプ星人」との170時間 ヴラド・カペタノヴィッチ著
                      徳間書店 5次元文庫

                           抜粋


  

「アプ星」の人々は自由に空を飛ぶ

   その日は美しい紺碧の青空が広がる、晴れ渡った美しい日だった。
   遠くにそびえる未踏の地であるアンカシュ県(ペルー)にある高い峰は威風堂々としていて、険しい岩壁がくっきりと青空に映(は)えていた。それは素晴らしい朝で、いつものように周辺の山を散策するには絶好の日だった。その日私は狩猟仲間のアドリアン・ペレスという若者と約束をしており、パト渓谷出口に位置するロス・セドス谷の探検に行くことにしていた。ペロスはメンテナンス技師の一人で、あの山々の小道の全てを熟知していた。羊飼いたちによると、その地域には熊やグアナコ(リャマ属のほ乳類)が出没するとのことだった。グアナコはワイラス渓谷地区ではめったに見られない動物なのだ。

   私たちは明け方から歩き通しで、天にも届きそうな山頂に向かって登って行き、正午には高原の入り口に到着した。そこは標高4000メートルの場所で、私たちは少し休んで軽食を取り、これから高原の端まで行って、それから帰路につくことにした。元気を取り戻して再び歩き始めると、その高原には岩や石がごろごろしており、道に迷わず帰宅するためには、通った道に目印を付けていかなければならなかった。

   急にペレスが、何かに驚いて立ち止まった。
   彼の手招きでそばに近寄り、指差された方向に目をやると、岩のない草地の中央に見えたのは、あの「マシン」だった。それは先月、私の仕事場であるワジャンカ水力発電所の前で目撃した、あのレンズ豆のような楕円形をした「マシン」だった。あの夜からもう何週間も経っていたが、私は彼らをスパイだと信じきっていたので、そのことはすっかり忘れ去っていた。しかしこうして再び円盤を目の当たりにしてすべてを思い出し、やはり彼ら外国人は、この土地でスパイ工作か何かの犯罪行為をしているのだと考えた。

   円盤の周りには、数匹のヤギと羊が囲われた柵があり、草地の一方には数人の人影が見え、大人と子供たちが焚き火を囲んでおり、それは羊飼いとその家族であることがわかった。私は彼らに興味があったので、近寄ってみようと思った。なぜならこんなにも辺鄙(へんぴ)な場所で、しかも標高4000メートルの氷河の近くで、彼らがどうやって暮らしているのか知りたかったからである。ペレスによると、この付近は宇宙人たちの円盤が頻繁に飛来してくるところであり、彼ら宇宙人たちは善良な人々で、さまざまな形で羊飼いたちを助けているということであった。

   しかし私は彼らのことを疑っていたので、ペレスも何らかの形で「よそ者」どもの片棒をかついでいるに違いないと思っていたが、口には出さなかった。小さな焚き火の周りには、4人の男と3人の女、4人の子供、それに2人の「よそ者」が座っていた。その2人は、1ヶ月前にワジャンカ水力発電所でショート事故が起きた夜に出会った男たちだった。彼らは私を見ると微笑んだが、羊飼いたちの地元住民は私たちの登場に苛立ちを見せていた。

   その外国人と見える1人が私に手を差し出してきたので、私は握手した。
   それで私たちを歓迎していない羊飼いは安心したようで、私たちは焚き火の周りに一緒に座ることになった。その外国人と見える2人は長身で、唯一の特徴といえば、なで肩と非常に均整のとれた体つきであった。彼らのルックスは、地球上の全民族の特徴が融合されたような風貌に見えた。そして肌の色は明るいばら色だった。

   一人の羊飼いが近づいてくると、私に何か低い声でささやいた。
   しかし私は何を言われたかわからずにいると、インディオの言葉のケチュア語に堪能なペレスは、私に小声で言った。「もうここから立ち去ってくれと言っています。我々がここにいてほしくないようだ」。 そういうことならと、腰を上げようとした時、その外国人の一人が私に近寄ってきて隣に座って言った。

   「ここにいてかまいませんよ。 よかったら話しましょう。そうすれば私たちについての疑念の幾つかは晴れるかもしれません。」

   「私があなた方に抱いている疑問はただ一つだ。なぜあなた方はここにいて、何を探しているの?」

   外国人は微笑み、彼の笑顔から、私の無作法な言動もまったく気にしていないことがわかった。

   「私たちの言うことを、あなたに信じてもらえないのは分かっています。
   ただ、あなたの身体の細胞が拒絶反応を示しているので、あなたの私たちへの態度も当然のことです。でもあと少し、一緒に過ごしてお話ができれば嬉しいのですが。あなたは武装していますが、私たちは丸腰なので何も怖れることはありませんよ」

   「でもあなた方の友人たち(羊飼い)は、私の同席が気に入らないようだ」、憎悪に満ちた目で私を睨んでいる羊飼いたちを見ながら、そう言うと、

   「彼らのことは心配することはありません。彼らは単なるエゴイストで、あるいはあなた方が言うところの「嫉妬深い」というだけで、でも彼らは攻撃的ではありません。」

   「『あなた方が言うところの』って、じゃあ、あなた方は何と言うの?」

   「私たちの言語には、エゴイズムを意味する言葉も、その派生語も存在しません。
   それに、『私の』、『私のための』という言葉もありません。『私』という言葉はありますが、それはあくまで代名詞としてであって、利己的な意味を表すために使われるのではありません。あなたは私たちが地球人でスパイだと思っているようですが、それでもかまいません。あなたの細胞が拒絶反応を見せるうちはそれでいいのです。そう信じる権利があなたにはあるのですから」

   そう言って彼は立ち上がると、薄く透明な生地でできたフードで、頭と顔、首をスッポリと覆った。すると耳を包み込んでいる部分から、きらきらした素材でできた、2センチほどの小さな突起が二つ突き出していることに気がついた。それは透ける素材のようなニットだったので、彼らが頭部を包み込んでもそのまま透けて見えるのだった。私の様子を見て、隣に座っていた外国人が説明した。

   「この装置と手袋は、フライングマシンを使わずに、単独飛行を行なう時だけに使用するもので、顔面と手を保護するためです。」

   彼は真っ白な手袋をすると、すぐ私たちから数メートル離れ、衣服についている胸のボタンを一つ押した。すると突然、ベルトやくるぶしや手首の周りに付いているポケットが円錐台の形に膨らみ始め、そよ風のような音が耳をかすめたと思ったとたん、彼は超高速で空へ舞い上がり、瞬く間に雲間に消えてしまったのだ!

   あんなにも素早く浮揚するためには、何らかの方法で身体に十分な推進力を付ける装置を使ったはずだと思い、戻って来るときはきっとパラシュートで降下するはずだと考えたが、その予想は見事に外れた。彼が上昇した時と同じように垂直に降下してくるのを待っていると、ペレスが私に駆け寄ってきて、感極まったように叫んだ。「あそこを見てください!」

   彼が指差す方向に目をやると、外国人が200メートルの高さを水平飛行しながら、樹木や岩の上を滑空しながら、まるで鳥のように戻ってくるのだった。この奇っ怪なデモンストレーションに、私は心底度肝を抜かれれしまった! その時まで、こんな話を聞いたことも読んだこともなかったからだ。どんな機械も使用することなく、人間が鳥のように空を自由に飛行できるテクノロジーが開発されたという話も聞いたことがなかった。しかしだからといって、私は宇宙人存在説を受け入れようという気には、まったくなれなかった。もちろん彼らが遠い宇宙の星から私たちの惑星にやって来ているなんてことも、私にとっては論外だった。

   外国人は鷲(わし)のように降下して来ると、物音一つたてずに静かに私の隣に着地した。彼は微笑みながら私の方を見ると、言った。

   「さあ、聞かせてください。
   たった今あなたが目にしたことを、地球の人々はできますか?
   説明すると、ベルトや足のくるぶし、それに手首にあるこの装置は、プラスイオンで満たされており、それが作動し始めると身体の重力が除去された状態になります。だから好みのスピードも出せ、垂直飛行や水平飛行、ジグザグ飛行、それに上昇や下降など何でも可能なのです。アプ星では、みんながこのように単独飛行しています。しかもこの方法は、数十億年前から惑星で用いられている移動手段の一つなのですよ。」

   「私はイオンか何か知らないよ。
   それに人類の科学がどこまで発展しているのかも分からない。だがそんなことを見せて私の考えを覆そうたってムダだよ。あなた方は出会った人々を驚かそうとして、そんな発明を利用しているだけかもしれない。あなた方はそういう手口で任務を遂行しているというわけだな」 彼はしばらく黙っていたが、やがて微笑むと次のように言った。

   「私たちは、あなた方の銀河系外の、他の銀河系にある「アプ」と呼ばれる惑星からやって来ています。私たちの使命は、細胞と生命を守ることです。ですからさまざまな形で他の生命体を助けるために、宇宙を旅して回っているのです。私たちは自らの存在や超能力を信じてもらうために旅しているわけではないのですよ」

   彼は話を続けた。
   アプ星の爆発や銀河の形成、地球への入植、その他の惑星への移住など、今まで聞いたこともないような話や、理性的に受け入れ難いようなたくさんの話をした。そして私はいつしか、彼らに親近感を覚えるようになっていったのである。

   もう午後を回っており、信じられないような不可解な話を数時間にわたって聞いた私は、腰をあげた。羊飼いたちにお別れの挨拶をし、隣にいた不思議な外国人にさようならを言うと、彼は私の目をじっと見つめて、心のこもった握手をしながら言った、「すべては他者のために」と。もう一人の外国人も同じように心をこめた握手をし、同じ言葉を言った。そして私たちは帰途についた。

   帰り道、私は歩きながらその日のことを思い返していた。
   彼らの水平飛行のデモンストレーションには、正直感銘を受けた。しかし、宇宙のどこかに他の人類が存在するなどという話は信用する気にはなれなかった。それにペルーのアンデス山脈に住む羊飼いたちを助けるために、そんな人々がわざわざここまでやってくるなんてことも信じられないことだった。

   いろいろ考えあぐねた末に、私はある考えが閃いたのだ。
   そうだ、催眠術だ! 非現実的な光景を見せるために、彼らは催眠術を用いたのではないかと思いついたのだ。それをペレスに話すと、

   「あんなに素晴らしい出来事をなぜ理解できないのですか?
   この地域では、他の世界からやってくる人々と出くわすのは珍しいことではないのですよ。彼らは数年前からずっとやってきており、最初は先ほど見た楕円形の円盤でしたが、その後は飛行機のような別の宇宙船で来るようになりましたしね。円盤型は上昇して飛び去ってしまうまでしばらくの間見えていますが、最近の飛行機型のものは、一瞬で消えてしまいます。彼らはこのタイプの宇宙船を「風」と呼んでおり、まさに風のように姿を消してしまうのです。たまに着陸態勢を目にすることもありますが、ほとんどの場合、いつのまにか着陸しているのです。まったく突然、まるで地面から生えてきたかのように「小型飛行機」が現れるんですよ。

   それにとても奇妙な翼のマシンもあります。
   鳥が羽ばたく時のように、翼が自在に生えたり引っ込んだりするんです。また蝶々のようなものや、葉巻に見えるもの、四葉のクローバーに似たタイプもあります。こうしたマシンはすべて、上昇すると翼を機体に収納します。まさに超高速とはこのことで、いつ、どのようにして飛び去ったのかも分からないのですから。

   当初、このような機体を目撃した人々は、どこかの軍隊のマシンだろうと思っていました。それほど飛行機によく似ているのです。ですが間もなくして、機体の翼が収納可能だという違いで判明したのです。そのうえ彼らは鳥のように空を飛び、とても風変わりな方法で病人たちを治療し、雲一つない空から雨を降らせ、数々の奇跡も起こせるのだと分かったとき、私たちは悟ったのです。彼らは天国から舞い降りて来た天使に違いない、とね。

   彼らは遠い惑星「アプ」から来たと言っています。
   彼らについて唯一保証できることといえば、その善良さです。みんなを助けて、誰一人傷つけようとはしませんから。」

   「・・ということはペレス、君は前にも彼らを見たことがあるんだね?」

   「そうです、ですがこのことについて人とは誰とも話しません。
   インディオたちは、もし政府があの人たちの存在を知ったら、軍隊をよこして捕らえてしまうのではないかと怖れているのですよ。カンペシーノ(先住民)たちは、そんな事態を望んでいないんです。」

   数日後、ペレスが古い新聞記事をいくつか持って来てくれた。
   それは超大国が空飛ぶ円盤を所有しているとする内容であった。私は、ペレスと新聞記事の話を総合すると、やはり自分の見解が一層確かなものに思えてくるのだった。あの外国人たちは、やはりどこかのスパイなのだ。彼らと出くわすことで、何かしらの犯罪行為に巻き込まれてはたまらないので、心ならずも私は趣味のエクスカーション(登山・散策)を数週間控えることにした。しかしそれでも大好きな山の散策に出かけたくて、キタラクサ川右岸の山の探検に出かけることにした。そこは外国人たちと出くわした場所からは、かなり離れた領域にあった。そして旅行中のペレスに代わり、同じ職場のキスペという若者が道案内をしてくれることになった。そして次の日曜日に、エクスカーションに出かけることにした。


      book 銀河間トラベラー「アプ星人」との170時間 ヴラド・カペタノヴィッチ著
                         徳間書店

                          抜粋


      

現行の教育制度はニビルのイルミナティが築いたもの

   今日の法律制度は古代ローマの金融(商業)の法律を基盤にしている。
   裁判官は長椅子、つまりベンチに座っているが、これが銀行、つまりバンクの語源である。ローマの金貸し業者は、「bancu」という長椅子に露天を構えており、これが後に「banco」となり、「bank」になった。米国では少なくとも理屈的には、キャピトル・ヒルで法律が制定されるが、この名称はローマのキャピトル・ヒルに由来している。そして各国の政府の中心地もキャピタル、つまり首都と呼ばれている。

   世界中の成文法のシステムは、バビロニアとシュメールの法律を起源とするローマの法律を基盤としている。ローマの上院では、赤い皮のリボンで白樺の枝の束ねたものを「束稈(そくかん)」(ファシーズ)を使って権力・司法権の象徴としていたが、これが「ファシズム」の語源である。よく見るものでは、1本の斧に、木の薪の束がくくりつけられているものが2つ交差したシンボルであろう。このシンボルは、ニビルの子孫であるイルミナティが、人々に押し付けたいと思っている世界を見事に表現している。それは個人という枝をまとめて束ね、斧という独裁政治で支配するという意味である。

   米国の上院の公印には、1組のクロスした束桿が含まれており、下院の職杖はそれに似せたデザインになっている。また議会の壁にあるアメリカ国旗の両側や、大統領執務室、州兵の印と記章、米国の租税裁判所の公印の中央には、束桿がある。また米国の国会議事堂のドームにある、自由の女神像の基底部にも束桿が飾り付けてある。まったく「自由」の女神ではないことを考えると、実にふさわしい装飾ではある。

   我々は「民主制」を「自由」と同じことと考えるようにプログラムされてきた。
   だがこの2つは決して同じではない。ニビルの同一の家系のネットワークによって政権の選択肢がすべて掌握されているというのに、投票にどんな意味があるというのだろうか。投票を終えたとたんに、「選出」された政府はやりたい放題になり、腐敗してしまう。選挙は、人々が自由であるかのように騙し、なだめるだけの、無意味な行事である。つまり選挙で選ばれたものであろうと、クーデターで押し付けられたものであろうと、どの国の政治も独裁制に違いないのだ。

   多くの裁判官や、世界の法律専門家の上流階層は、法律体系が詐欺であることを知っている。同様に、政府の行政の上層部もそのことを知っている。だが、現れては消える政治家の多くは、それが何の話なのか見当もつかないはずである。法律を職業とする者の多くはフリーメイソンなどの秘密結社のメンバーからなっており、それは医療を職業とする者たちの世界と同じである。実をいうと、法曹界とは秘密結社なのである。特にロンドンの法曹院(法学院)はテンプル騎士団にちなんで名付けられており、医療界と法曹界を支配する組織を介して、同一の目標に向けて調整しているのが、秘密結社である。

   いずれの職業も同じ構造になっており、飴とムチを基本とする同じ手口によってコントロールされている。医者になる人は医学部に入り、人体に関して教えられた通りを信じるように教育され、弁護士になる人は法学部に入って、法律に関して教えられた通りに信じるように教育される。一般的に医者は金と地位で動機づけされており、弁護士も同じである。弁護士の報酬は法外に高いので、普通の人々は法律サービスを利用することができない。弁護士サービスを利用するのは、金持ちや有力者の特権になっており、それがまさに意図的な状態である。

   これもまた「自分自身への奉仕」の一つの例であり、別に正義に奉仕しているわけではない。つまりは体制を味方につけておけば、最後には裁判官になれるかもしれない。企業の弁護士は、まさに弁護しようがないことを弁護し、被害者たちの骨が砕けるまで叩き潰すことで巨額の報酬を受け取る。本当に正義のために尽くしているまともな弁護士がいることもあるが、私自身の経験からしてそれは例外である。弁護士は医者と同じくらい腐っており、それは時間で計算され、項目別になった請求書を見ても、実際にどれだけの仕事がなされ、それが正確に反映されているのかどうか誰にもチェックすることはできない。どれだけの仕事をしたか、それに何時間かかったかは、弁護士の請求するがままに受け入れる外ないのだ。

   政府が行なった決定が、実際のところ正義に照らし合わせてどうであるかとは関係なく、政府の決定は「正しい」として裁判で勝訴するために、、政府にとって「安全な」裁判官が任命される。米国では「共和党」の裁判官や「民主党」の裁判官まで存在する。いずれにしても、両方の政党を操作しているのはニビルのイルミナティのパトロンなので、彼らがそれを通じて任命しているのだ。

   彼らは自分たちの政治的忠誠、つまり秘密結社への忠誠に従って裁判を行なう。
   2004年には3対2で共和党が過半数を握る最高裁判所が子ブッシュを大統領にした。ブッシュが選挙で勝っていないという事実があろうとも、彼らの「正義」には重要なことではなかったのだ。指示された通りに行動するために重要なのは金である。このような裁判官の任命は、世界の至るところで行なわれている。憲法のような瑣末(さまつ)なものは一般大衆向けに存在するものであり、国を動かしている人々にとっては関係のないことなのである。

   人々が真実の情報に通じ、気がつき、目覚めてしまった状態というのは、独裁支配を計画する者たちがもっとも望んでいない状態である。人々の知識や情報が少ないほど、独裁者たちから問題視されることも少ない。今述べたこの短い文章の中には、① 教育制度が現在の形に構築されている理由と、② 実際には教育によって知識が破壊され、抑圧されている理由が含まれている。実際に知識を破壊することはできないが、人々を真の認識から遠ざけることはできる。

   教育制度とそれを強制する法律は、ニビルの爬虫類人の目的に都合のいい世界感を、人生の早い段階から子供たちや若者に植え付けるためには完璧な道具である。なぜなら教育により、支配体制にとって望ましいさまざまな金融や政治、歴史、医療などの現実認識を与えることができるからである。彼らが歴史書や公式版の「真実」の記述をいかにして捏造し、ニビルの子孫たちの組織からの資金がそれを支えているかについては、私の過去の著作で詳しく述べている。また彼らにより、世界各地に残されていた民族の古来の伝承が破壊され抑圧されたことで、主流の真実の歴史的認識から爬虫類人の「神々」が削除され、そして、人間を遺伝子操作した痕跡も消されてしまったのである。

   学校の教師は、医者や弁護士と似ており、学校や大学と言う通常の教育機関で何年も洗脳された挙句に、教員養成センターに行って洗脳を深めた人々である。教師は、支配構造の要求に従った方法や内容で教育をするならば、通常は定年まで仕事を与えられ、校長や大学教授になれることもある。しかし独自の発想を持ち、生徒たちに疑うことを奨励し、波風を立てると、哀れにも左遷の憂き目に遭う。

   同じように子供たちや生徒たちも、学校というシステムが要求することを答えればよい成績が与えられ、そうでなければよい評価は得られないことを学ぶことになる。試験とは知能ではなく、現状への服従と従順の度合いを評価するためにある。私の息子のジェイミーは、公式バージョンになっている「地球温暖化説」の真相に挑戦するならば、試験に合格する見込みはないと言われた。このようにして人間を従順に飼い慣らしていくのである。


     book 「ムーンマトリックス ゲームプラン篇②」 デービッドアイク著 ヒカルランド

                           抜粋


もしかして我々は病んだ人々に任せているのか?

   我々の住むこの3次元の現実世界に隣接した周波数帯域に住んでいるという、爬虫類人の神々の社会に書店があるかどうか知らないが、もしそのようなものがあれば、我々の書店の実用コーナーに『犬の飼い方』といった本があるように、『人間の飼い方』という本があるに違いない。畜産学のテキストには、「家畜は人間が作ったもの」とさりげなく書いてあるが、聖書には人間は神が創造したものとさりげなく書いてあるのも、これと同じ意味なのだろう。聖書には、神は自らに似せて人間を作ったと書いてある。

   神は言われた。 「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うもの全てを支配させよう。」 創世記1章26節

   ということは、人間の行動を見れば、この爬虫類人の神々である「我々」にあたる存在がどんな性質を持った存在かが理解できそうである。アイクは19章で、メキシコのシャーマンの言葉を引用しているが、ここでも同じことを表現している。

   
「宇宙の深部から獲物を求めてやって来た捕食者が、我々の生活を支配するようになった。我々人間はその囚人である。そしてその捕食者は我々の主人である。彼ら捕食者は我々人間を従順で無力なものにした。抵抗しようとすると、抑圧し、独立して行動しようとすると、そうしないように要求する。(略) 本当に我々人間は囚人になってしまった。彼らが我々を支配するようになったのは、我々人間が彼らの食料だからだ。我々は彼らの食べ物なので、彼らは容赦なく我々を搾り上げる。我々が鶏を囲いの中で飼うのと同じで、彼ら捕食者は我々を人間用の囲い、つまり人間の性愛で飼っている。だから彼らはいつでも食べ物には困らない。

   少しだけ考えてみてほしい。
   さまざまな技術者としてだけの人間の知性と、愚かな思い込みである宗教の矛盾、あるいは人間の矛盾した行動の愚かさについてあなた方はどう説明するのか? 魔術師たちは、宗教も、善悪の概念も、道徳的概念も、彼ら捕食者が人間に与えたものだと知っている。我々が抱く成功する夢や失敗もすべて、彼らが我々に与えて持たせたものだ。強欲も傲慢も臆病も彼らが与えたものだ。現状に満足することですべてに無関心でいるようにさせたのも、同じことばかり繰り返して平気でいられるようにしたのも、自惚れて自己中心的でいるようにしたのも、すべて彼ら捕食者なのだ。

   我々を従順で弱々しく、意気地なしにしておくために、捕食者たちは並外れた策略と操作を始めたのだ。それはもちろん戦術や戦略において「桁外れに」という意味だ。その犠牲になる者にとっては恐ろしい操作である。彼らは、自らのマインド(心)を我々に与えたのだ。

   
爬虫類の神々は、自らの心(マインド)を遺伝子操作で人間の肉体に埋め込んだ。
   恐怖やストレスなどの感情は、「精神的なもの」と思われているが、アイクが繰り返し述べているように、それは肉体に由来している。神経解剖学者のジル・ボルテ・テイラーが、左脳の出血により身体感覚を失った時に、恐怖やストレスから完全に解放される体験をしているのが、その裏付けになるだろう。

   「その空間では、仕事など私にストレスになるようなものは何もなく、自分の身体が軽くなったような気がしていた。外の世界におけるあらゆる人間関係や、さまざまなストレスの源が消失し、私は平安を感じていた。」(第17章)

   テイラーは偶然にも左脳を損傷したことで体験できたことから推測すると、これはいくら頑張って左脳により「思考」したとしても、到達できない状態であることがわかる。我々は脳や肉体に束縛された状態でいると、爬虫類の神々が自らに似るように埋め込んだ心(マインド)のプログラムに従うしかない。ではその神々の心(マインド)とはどのようなものだろうか?

    つまり神々が我々に心(マインド)を埋め込んだのであれば、人間の行動を分析することで、爬虫類神の人間支配を理解することができるのではないかという試みが本稿である。爬虫類神にとって人間が食糧であるように、人間も食糧として動物を飼育し、植物を栽培している。つまり、人間の家畜支配を研究することで、爬虫類神の人間支配のことがより深く理解できるのではないかという発想である。

   本書のタイトルにある「人類よ立ち上がれ!」とある通り、アイクが論じているポイントは、敵は人間ではないこと、人間同士は争いあってはいけないことである。ロスチャイルド一族を始めとするニビルの血流の一族は、爬虫類の神々が憑依するための人形に過ぎない。また爬虫類脳が行動の大部分を決めているという意味では、彼らの子孫だけに限らず、すべての人類の頭の中に敵が内在しているということになる。よく精神修養で「克己」(自分に打ち克つ)が究極的に大事だと言われる通りである。また人の関係においても、互いの視点だけを押し通せば衝突するしかない。世の中の争いというものは、およそこの相互理解が欠けていることに原因があると言えるだろう。

   それが極端に現れたものが、近年急増している自閉症であり、ワクチンの成分との関連が指摘されている。生後まもなく投与されるワクチンの影響が、「先天性」の機能障害だとされてきたのである。この問題は重要なので少し述べておくと、自閉症とは次のような症状である。

   「言語の発達の遅れ、対人面での感情の交流の困難さ、反復的な行動を繰り返す、行動様式や興味の対象が極端に狭い、極度の自己中心的思考になる、被害妄想を持つ、ストレスによるDV発達症などのさまざまな特徴がある。」

   自閉症は食品添加物との関連が指摘されており、注意欠陥・多動性障害(ADHD)や学習障害(LD)と合併し、子供の問題として注目されることが多いが、知能が高く、大人になっても発見されにくい高機能自閉症(アスペルガー症候群)も近年注目されている。驚異的な記憶力を発揮するサバン症候群もその約半数は自閉症である。(17章) 有害物質と精神疾患の関係が偶然ではないことはアイクも述べているが、こうして計画的に「極度の自己中心的思考」にされた人々のうち、知能が低い人々は知的障害者として保護の対象になるが、記憶力という知能の高い人々は一流とされる大学を卒業し、政府の役人になっていたりする。

   そうした人々を、「思いやり」に欠けた利己的人間だと考えてしまいがちであるが、実際には性格が悪いわけではない。ただ彼らの脳が、機能的に自己中心的な思考しかできないのである。もっと言えば、社会にできるだけ多くのストレスを生み出し、怒りや悲しみをもたらすために、そうした人々が進学や受験や公務員試験などに選抜されやすく、彼らによって社会が管理されるように仕組まれているのである。それが俗に、「東大卒は使いものにならない」とか、学歴重視社会の弊害と言われているものである。

   本書の第27章に、イギリスのコモン・パーポスという「研修」団体のことが書かれているが、アイクはこの団体がマインド・コントロール技術開発で有名なタビストック研究所とつながっていると考えている。高い記憶力という知能を持ち、高い社会的地位を得た人々も本人は決して幸福ではない。自閉症は、自己中心的なために「他の人とつながっていたい」という、おそらく魂本来の欲求を満たせなくなり、それが二次的に鬱病へと連動するのだ。

   「アスペルガー症候群の人では、情動を司る脳の扁桃体という部分に、何らかの障害があるという研究結果がいくつも出ている。一方でこの扁桃体をつないでいる神経回路に異常が起きると、気分の調整がうまくいかなくなり、鬱病が発症するとも推測されている。つまりアスペルガー症候群と鬱病は、脳の奥深くにある扁桃体という扇の要(かなめ)でつながっているわけである。」

   まさに、爬虫類脳と密接に関係して機能しているという扁桃体なのである。(第10章)
   アイクは社会の支配システムを運営する人々に完全なる「エンパシー」(共感)の欠如があることを指摘しているが、それは次のような精神医学の説明で納得できるだろう。

   「今日では、アスペルガー症候群と自閉症に共通する中心的症状は、社会性の障害であると考えられている。そして、その社会性の障害につながるキーワードとして、「共感性(エンパシー)」があげられている。定型発達の人にはなんとなく違和感を覚えさせてしまう、ロボットのような振る舞いも、共感の乏しさから説明できるのではないかという仮説である。」

   共感できなければ、「思いやり」も不可能である。
   そしてそれがさまざまな人間関係の歪みを引き起こす。我々はこうした問題を「性格が悪い」とか、「最近の子供や若者はおかしい」などと言うだけで深く考えることをしないが、アイクが解明しているように、それを食品添加物や生まれてすぐ行なわれるワクチンの問題として捉えると、そこに明確な因果関係を発見することができるのだ。有力者と言われる人々、たとえば政治家や実業家、官僚などについて考えるときに、彼らに欠けている共感性のなさを考えるときには、このような視点を持っておくとあまり腹を立てずに済む。

   国内において、以前はほとんどなかった性格的な障害が急増しているわけなので、それを「先天性」などというもっともらしい説明でごまかすのは、それこそ「迷信」でしかない。また家庭内で絶えない夫婦喧嘩や友人との口論など、明らかに個人的な争いに過ぎないと思えることも、月のマトリックスによる人間の脳の支配の成果だとも言える。

   本題に戻ると、自閉症でなくとも我々はどうしても人間中心の視点でしか考えられず、しかも人類共通の錯覚である五感に囚われているということは、ある意味集団的な自閉症にかかっていると言えるのである。我々自身が人間であるという限界を超越して、人類社会を客観的に見るには、爬虫類神にとって人間が家畜であるように、我々にとっての家畜である牛や豚を人間がどのように扱い、どのように見ているかについて冷静に考えてみることは有効であると考える。


    book 「ムーンマトリックス ゲームプラン篇①」 デービッド・アイク著 ヒカルランド

         翻訳者:為清勝彦氏のコラム「地球は監獄か畜舎か」より抜粋


現在の世界は左脳だけで構築された偏った社会

   グラハム・ジンとトニー・ライトは、『無明の闇に取り残されて』の中で、人間は熱帯の果物を食べる生活をやめたときに堕落し始めたと述べている。熱帯の果物が脳の成長を促進し、神経活動を活発にするホルモンに関連する化学物質を供給していたのである。約20万年前に、人間が熱帯の森林・エデンの園から追い出されたとき、生化学的な要素が豊富な果物とのつながりが絶たれたという。これによって脳の発達が止まり、逆に退化することになった。そして一部の機能が失われ、我々の自己感覚は、私が「小さな私」と呼んでいるものに変質することになった。 『無明の闇に取り残されて』のウェブサイトには、このような記述がある。

   「かつての黄金時代から徐々に落ちぶれていき、現在のような、物質主義的で、恐怖を基盤とした、プラスチックと抗鬱剤の時代になっていった。これらの神経的な作用は、現在、最先端の科学によって明らかにされ、証明されつつある。」

   こうした話が真実であることに私は疑いを持たないし、食生活の変化が極めて大きな影響をもたらしたことも確実だと思う。そして食生活が変わった原因は、ニビルの爬虫類人の介入によって引き起こされた地球の大混乱と地殻変動が続いたことに繋がっている。神経学的な「人間の堕落」の最も深い理由は、彼らによる遺伝子操作にある。それは特に人間の爬虫類脳の部分にあり、右脳の役割が人工的に抑圧され、右脳が持つ無限の可能性が押さえつけられたことにあると私は考えている。

   そのために、左右の脳をつなぐ橋である脳梁(のうりょう)にある何十億もの神経細胞が、何ら機能していないと考えられている。つまり、スイッチが切られたのだ。そして五感という限られた現実の中において、我々の脳のごく一部しか使用されていないことも、この遺伝子的な抑圧から説明が可能である。

   2009年に公開された映画『アバター』は、地球で起きたことを伝えている。
   ただし内容は逆で、つまり立場が逆にしてある。この映画には、「アルファ・ケンタウリAを周回するガス状巨大惑星ポリフェマスの衛星」パンドラの先住民で、青い肌とライオンのような鼻を持った人々が登場する。彼らはその星で完全なる調和の中に暮らしており、すべては一つの意識の部分であり、すべてはつながっていることを知っていた。パンドラでは、木々などの植物が根を通じて電気・化学的につながっており、惑星全体で知覚する「脳」(意識)を形成する神経として機能していた。

   青い人々は「エイリアン」のように描かれているが、これはニビルの爬虫類人が宇宙船・月とともに地球にやって来て、「無茶苦茶にした」時より前の時代の、右脳が完全にオンになっていた当時の地球人を象徴している。『アバター』では、「人間」が高度に発達した宇宙船に乗ってパンドラに到着し、基地を作って惑星を乗っ取り、貴重な資源を略奪しようとしたことが描かれているが、これはニビルの爬虫類人のことである。この「人間」は左脳が支配的であり、「糞のように粘着質」の性質であった。その意味は、生命は相互につながっていることを「青い人々」が説いても理解できず、そんなのは「原始人」の迷信に過ぎないとして聞く耳を持たないという意味である。そういえば我々の社会にもそんな人たちがいる。大半の科学者はそうである。

   『アバター』に登場する人間、つまり爬虫類人は、ハイテク兵器を使って青い人々の生活を破壊し、密かに社会に浸透するために彼らの心を青い人々の身体に植えつけた、つまり憑依した。しかし彼ら「人間」にとっては、パンドラの大気は毒性があるため、基地と宇宙船の人工大気の中にいる必要がある。どこかで聞いたことのある話だ。『アバター』の結末では、グループから離脱した「人間」たちが青い人々を助けて侵略者を排除し、かつての青い人々の世界と生活に復旧させる。この部分においてはまだ地球では実際には起きていないが、それはこれから起きる。私が確約するが、それは本当にそうなる。今の状況の見かけ上はそのようには思えないかもしれないが、そのプロセスはすでに進行中なのである。

   後に述べるが、他の手段による押し付けとともに遺伝子への介入により、人間の本来持っていた右脳が犠牲になり、有限の左脳が現実の知覚において優勢になった。左脳は我々をこの次元の「ここに」引き留めようとするが、右脳は我々が別の「そこに」行くための経路となるものである。我々は脳の半分の左脳だけで生きており、その右脳のほとんどを撤去されたような状態てもなお人間が生き残っていられることを思うと、実に驚異的でさえある。だが、それは真実なのである。LSDのような向精神薬を使用する人々を研究したところ、右脳が除去されてしまうと、左脳だけではそうした薬物を用いても、「そこに」ある状態へと意識を拡大する効果はないということがわかっている。

   これは強調しても強調しきれないことであるが、右脳、つまりハートのチャクラを閉じてしまうと、人々は五感という肉体の囚人になってしまう。そしてまさにこのことが、ニビル星の爬虫類人の遺伝子操作を通じて人間に起きてきたことなのである。人間は本来ならば、無限の可能性を持つ天才であり、そのような人間を何十億人も支配し操縦するためには、彼らにはそれしか方法がなかったのである。左脳が支配的であることは、約90%もの人々が右利きであることに示されている。脳の各半球は神経システムの交差のために、反対側の身体の半分とつながっている。そもそも本来の身体の、手の片方だけが優勢な肉体を創る意味がどこにあるだろうか? 普通に考えてみても、両利きにするはずではないだろうか。だが多くの人はそうではない。なぜなら人間の脳に加えられた遺伝子操作などの結果、左脳が優勢になっているからである。

   実験で証明されているが、睡眠を要求するのは左脳である。
   右脳は睡眠が必要ないのである。左脳は情報を、「順序」、「時間」、「空間」へと解読するが、右脳は「時間のない」領域で活動し、すべてを一つとして見ている。そもそも時間という感覚がなければ、休息が必要という錯覚もあり得ないのである。また右脳は「目覚めた」状態よりも、睡眠状態のときほうが3割ほど活動が活発になる。実験で証明されているように、左脳が眠っているときでも、右脳は目覚めたままの状態であることがその理由の一つである。左脳が活動停止中の状態においても、右脳は「夢」の中で自己表現ができる。「夢」と言ったが、実は「目覚めた」状態もまた夢だからである。私はよくいわゆる目覚めた状態で経験する現実と同じくらい、鮮明な夢を見る。それはかつて誰かが言った、「蝶になった夢を見ている人間なのか、それとも、人間になった夢を見ている蝶なのか」と言ったようにである。

   また強調しておきたいポイントは、右脳は、「思いやり」の大いなる源である。
   それは人類を裏切った爬虫類人や、彼らの子孫たちの血筋には決して備わってはいない性質である。右脳は我々を「一つの状態」へと接続し、その「統合された場」を介して我々は互いに接続される。しかし左脳は何もかも分析し、他とは異なるものだと考える。つまり一つではなく、すべてを分離したものとみなし、知覚するのである。そのために他者が困窮していても、同情したり感情移入することがない。

   またテレパシーによる強力な通信能力も右脳の持つ能力である。
   こうして右脳が抑圧されたことで、それまで持っていたテレパシー通信を失った人類は、左脳の言語に頼るしかなくなったのであった。これが「バベルの塔の物語」などを通して、それまで共通言語であったテレパシーが、「多くの言語」に置き換えられるようになったことを伝承として伝えているのである。脳の構造において、脳のどの部分が優勢であるかによって、それが人間の経験となって反映される。人間が両性であった頃、つまり人において男女のバランスが取れていた頃、人々が全脳的なバランスのよい状態にあった。今でも人間の胎児は胎内で「中性」とも言うべき状態に始まり、やがて女性の特徴を帯び、その後に一部は女性器が男性器に変質する。

   設計図の情報コードを書き換えれば、遺伝的に生物の種を変えることができる。
   先述したように、ニビルの爬虫類人は両性だった人類を遺伝子的に工作して男女に分け、その過程で全脳的な状態を切断し、両半球からなる脳にした。これはエデンの園に関するさまざまな物語に象徴されている。『無明の闇に取り残されて』の著者ジンとライトは、男性で大量に見受けられる「テストステロン」の過剰生成が、人間の「堕落」以降、脳の機能を変更・損傷させた主因ではないかと推測している。少なくとも部分的には、それが原因であろうと私も思う。

   興味深いことにズールー族の伝承でも、人間は男女間の戦争のせいで、オリオン座の「赤い世界」の楽園から追放されたという。そして爬虫類人による人間の遺伝子操作と男女の性別の創造は、そこに基点があると伝えている。ロスチャイルド一族は、三角形を2つ合わせたダビデの星と呼ばれる印を用いているが、彼らが望んでいるのは男女の調和ではなく、その異質なエネルギーの対立と、男女としてのその性差に縛り付けるために、そのシンボルを黒魔術のために用いている。

   離婚の調停や子供の養育権などを見ればわかるように、男女間で対立し、互いに離れていくように法律が作られている。左脳の支配によって人類の支配を目指している爬虫類人のやり方は、左脳ばかりを重視させる教育制度にも現れており、彼らの支配が及ぶあらゆる国の政府のやり方でもある。すでに幼児の段階から、右脳を育てる想像力や自発性を刺激する遊びではなく、可能な限り低年齢から左脳教育を始めさせようとしている理由もそこにある。


       book 「ムーンマトリックス 覚醒篇⑥」 デービッド・アイク著 ヒカルランド

                                                         抜粋


この世界のすべては「黄金比率」で創造されている

   フィボナッチ数列の発見は、しばしば12~13世紀のイタリア数学者で、ピサのレオナルド・フィボナッチによるものとされているが、それより以前にすでにインドでは知られていたことであり、少なくとも数百年前の古代文明でもそうであった。世界中に起きた一連の「大洪水」の惨事が起きる前の黄金時代の社会では、遥か昔から知られていたに違いない。

   一つのレベルとして我々のこの現実は、数学や数字でよく表現できる。
   だからこそ数霊術が有効なのであり、「自然界」のすべてにおいて繰り返し発生する数字の配列が見受けられるのである。科学者たちは、フィボナッチ数列のように繰り返し出現する数学的符号を発見している。フィボナッチ数列では、1、2、3、5、8、13、21、・・というように最後の2つの数字を足すと次の数字になる。この配列は、人間の身体の比率から、植物や貝の成長まで、自然界のすべての領域に見られるものである。

   その他、数学的で幾何学的な符号や、繰り返し出現する配列としては、π(パイ)、φ(ファイ)、神聖幾何学、数霊術、中国の易経(えききょう)、占星術などがある。このように規則性を持った数字や配列や比率は、互いに関連している。「黄金数φ」の1.618033988・・・・は、「黄金分割」、「黄金比」などとも言われ、我々の手や顔、歯などの人間の全身において見られる比率である。また体温や休息時の人間の心臓の鼓動にも存在すると言う人もおり、動物や海の生物、昆虫、そしてDNAの比率にも発見できる。

   エジプトのピラミッドやギリシャのパルテノン神殿など、さまざまな構築物に同一の数字や比率が使われている。古代の人々は、こうした数学的な定数をよく知っていたからである。古代ギリシャの哲学者プラトンは、黄金分割こそがすべての数学上の関係をつなぐ最大の要素であり、宇宙の鍵を握っていると考えていた。

   2010年の初頭に科学者たちは、原子よりも微小な量子の世界でも、黄金比率が働いていることを立証したと発表した。実験により素粒子の周波数が、黄金比率の数理に共振していることを発見したのである。その研究論文の主な執筆者である、オックスフォード大学のラドゥ・コルデア博士は、「素粒子の周波数は、1.618・・の比率、つまり芸術や建築でよく知られている黄金比率だった。それは秘められた対称性だ」と述べている。だが「秘められた対称性」はあるべくして存在するのだ。なぜなら我々が物質として呼んでいる「ホログラム状態」は、量子の領域にある情報の原図を反映したものに過ぎないからである。

   リチャード・L・トンプソンは、『マヤ、仮想現実としての世界』(未邦訳)の中で書いている。
   「単純な状態よりも、複雑な状態になるほうが、よくあることだが、物理学の法則が余りにも単純であり、数学的に美しいと言う事実からして、多くの著名な科学者は、神は数学者だったに違いないと結論を出している。・・すべての電子がまったく同じ電荷を持つという事実、すべての陽子が全く同じ逆の電荷を持つという事実を考えてみよう。これは原子と分子の安定性には不可欠である。もしも粒子によって電荷がさまざまであれば、中性の原子は存在できず、DNAのような生物の分子も機能できない。つまり生物が存続できるように物理は構築されているように思えるのだ。」

   まさにプログラムがそのように設定されているからこそ、何もかもが完璧に同期しているのである。古代ギリシャのピタゴラスは、あらゆるものの中に数字を見出したが、彼の言ったことのほとんどは、バビロンではずっと昔から知られていた。ピタゴラスはバビロンに住み、そこで学んでいたので、シュメール以前に遡る知識体系に触れる機会があったのである。多くの芸術家が絵画や彫刻に、数字の配列と「神聖な比率」を用いており、レオナルド・ダビンチの作品「最後の晩餐」もそうなのである。

   研究家で著述家のウィリアム・ネールは、『我々はどのように創られたか? ―驚きの新事実』(未邦訳)という本の中で、繰り返し出現する数字のことを突き止めている。彼の発見によると、古代シュメールの体系は、60という数字を基盤としており、そこから派生したものが人間や惑星、古代の構築物(ストーンヘンジなど)、時間の単位、雪片などさまざまなものに関連して繰り返し表れている。また繰り返し登場する数字配列としては、360と3600があり、6×6×6(216)もあることを発見している。聖書の黙示録では、「理解できるものには獣の数字を数えさせよ。それは人間の数字だからだ。人間の数字は600と60と6である」と書いてある。

  ネールは、春分の歳差もこうした数列と合致しているという。
  この「歳差」は、地球が単純に軸を回っているのではなく、ふらついているので発生する。このふらつきが、一周360度を完了するのに2万6000年弱を要する円形運動を生み出す。それが通過するとき天は12分割され、黄道12宮に相当する。そのゆえに牡羊座の時代から牡牛座の時代に移行したとか、新時代ニューエイジは水瓶座だと言われている。

   こうして繰り返し出現する数や比率、配列は、すべてデジタル仮想現実のコンピューター・ゲームの数字なのである。「占星術」も振動的・数学的な構築物
の一部であり、熟練した占星術師であれば、未来のトレンドを読むことが出来るし、それらはコンピューター・プログラムの仮想現実の流れに過ぎない。そして無限なる根源意識に星座はない。星座に呼応するのは肉体コンピューターなのである。

   仮想現実の宇宙においては、何もかもが数字で表現することが可能である。
   フィボナッチ数列とφ数列と人間の顔の関係を研究した米国のスティーヴン・マルクワルト医師は、「すべての生命は生物学であり、すべての生物学は生理学であり、すべての生理学は化学であり、すべての化学は物理学であり、すべての物理学は数学である」と正確な結論を出している。

   さらに続けて言えば、すべての数学はエネルギーであり、すべてのエネルギーは意識であるということになるだろう。16~17世紀のイタリアの物理学者で天文学者、占星術師で哲学者であったガリレオ・ガリレイは、こう述べている。

   「宇宙は我々がその言語を学び、その書かれた文字に精通するまでは読解することができない。それは数学的な言語で書かれており、その文字は三角形や円形などで創られた幾何学図形なのである。この言語なくして、人間にはひと言も理解できないのだ。」


      book 「ムーンマトリックス 覚醒篇⑥」 デービッド・アイク著 ヒカルランド

                           抜粋

20万年前に始まった「左脳」の損傷-恐怖心と支配欲

   本書を書き終えて出版に回そうと準備していたとき、グラハム・ジンとトニー・ライトの『無明の闇に取り残されて』(未邦訳)という本を読んだ。ジンとライトは、15年かけて、特に脳の進化を調査しているが、その発見は私自身が調べていることにとって実に有益であった。

   その結論は、人間の脳は、「遠い昔のいつか」に能力のピークを迎えており、それ以来「退化」しているということであった。おそらく何百万年もかけて脳の容量は加速度的に急拡大したが、およそ20万年前に突然拡大が止まり、ピーク時に約1440グラムあった脳の重量は、その後約1300グラムに減少したという。ジンとライトは、我々が現実感覚の限定と歪曲をもたらした脳の根本的な機能障害のために、知覚的にも生理的にも、かつての人間の劣化版になっているという。これは私が長年言ってきたことと同じである。

   両者によると、「人間の脳には、構造的にも機能的にも、大幅かつ長期的な衰退があった」形跡があり、「その障害は、基本的に支配的側、つまり左脳に集中している」という。我々はその状態の中に生まれ、歳を取るごとにそれが進行し、「損傷した左脳」を作っていくという。

   その症状はさまざまであるが、特に鬱病や、大幅に欠陥のある免疫システム、歪んだ性行為となって現れ、知覚的に優れた右脳が抑圧されたことで、意識の状態に極めて深刻な障害が発生していると述べている。そして著者は、本当に我々は進化の頂点にいるのだろうかと疑問を投げかけている。そうだ、明らかに違う。我々は頂点になどおらず、さらに人間の脳の能力を蝕(むしば)む計画が進行中なのである。

   急速な脳の発達は思春期で停止するが、ニビルの爬虫類人とその子孫たちは、脳の発達期間を短くするために、思春期の開始時期を早めようとしている。このために子供たちは一段と早く「成長」するように激励され、9歳や10歳で思春期を迎えるのである。そのためにマスコミや「教育」によって、子供たちがますます多くの性的刺激にさらされているのはそのためなのである。

   ジンとライトは、約20万年前に始まった左脳の「損傷」が恐怖心を刺激し、支配欲につながっていったと述べている。つまりこれこそが、左脳との関係で爬虫類脳が持つ特徴なのである。また、女性よりも男性のほうが神経の損傷が大きく、特に世界的に主要な組織を管理している年配の男性がもっとも神経の損傷が大きいという。

   そのために人類の中に開かれつつある扉を押さえて、開かないようにしているのだ。
   また脳の故障とバランスの欠如さえ修正されれば、人間は素晴らしい可能性を秘めているそうで、まさにその通りなのだ。この潜在的な力は、左脳支配によって右脳へ閉じ込められたままなのである。

   オーストラリアの
シドニー大学の心理研究所の科学者たちも同じ結論を出している。所長のアラン・スナイダーは、誰の脳にも潜在的に高レベルの機能があるが、「革新的に発達」した左脳の活動によって抑制されていると述べている。もしその左脳の優先度を下げることができれば、「普通の人々」が「天才」に変わる可能性を秘めているのだ。つまり人類は本来持つ本物の創造力と才能を秘めていることに気づいていないのである。

   この心理研究所の研究では、左脳が大半の「生データ」を編集して本来残すべきデータを削除しており、多くのデータが神経的な左脳の検閲によって失われているという。この研究所の研究では、「理知的」左脳の脳の領域が優位性を失えば、芸術的・数学的な能力が拡張され、記憶力も改善することがわかっている。

   左脳に損傷を受けた人々は、そのために右脳の潜在能力が解き放たれて、突如として「超人」とも言うべき並々ならぬ能力を開花させるという。だが彼らは「超人」なのではなく、これまで「抑圧された人間」が閉じ込められた「ファイアウォール」(火の壁)を突き破ることのできた「本来の人間」なのである。信じられないような数学や記憶などの「奇跡的な」技能は、損傷によって左脳の抑制的な影響が減退すると、幼い子供にも見られるものである。

   彼らの多くは、「サバン」と呼ばれ、発達上の問題や知恵遅れ、脳損傷、障害などを抱えつつも、驚異的な能力を持つ子供たちなのである。「サバン」のおよそ半数が自閉症である。我々の脳は爬虫類人による遺伝子操作のせいで大半は休眠しているが、彼ら「
サバン」たちは脳の潜在能力にアクセスすることができ、信じられない能力を持っているだけでなく、そのために左脳が支配するこの社会の中で生きていくことが難しいのである。私にはその問題の一部は、右脳が本当に開花したときに、左脳の現実回路があまりのエネルギーと認知のレベルに耐え切れず、故障してしまうからではないかと思う。

   イギリスの「自閉症のサバン」であるスティーブン・ウィルトシャーは、彼らの持つ尋常ではない「才能」の好例である。1987年、彼が12歳の時、BBCドキュメンタリー番組のためにロンドン上空を飛ぶヘリコプターに乗せられた。写真もメモも取ってはならないという条件であったが、もとより彼はそのようなことを望んでおらず、必要ともしていなかった。しかしそれにもかかわらず、彼は空からの見て眺めたままの、信じられないほど正確な市街地を再現し、その中には、200軒以上の建物と、そのいくつかは何百もの窓が正確に描かれていた。彼は自閉症なので数える能力はなかった。それらは純粋に記憶だけでなされており、後にローマでも同じことを行なって見せた。www.stephenwiltshire.co.uk  においてスティーヴンの作品を見ることができる。

   やはりイギリスの「自閉症のサバン」であるダニエル・タメットは、コンピュータ並みのスピードで数学の計算を行ない、最新の確認情報によると、7つの言語を話すことができる。1週間でアイスランド語を学習した彼のことを、「天才」で「人間ではない」と彼の語学教師が述べているが、だが彼は間違いなく人間だ。そしてニビルの爬虫類人は、このような人間を抑圧することに躍起になっているのである。

   我々人類が本来の自分自身に少しでもアクセスしてしまうなら、「ゲームは終了」だと彼らは知っている。そのために彼らが、人間を支配していることをばらされたくないのは無理もない。スティーブンとダニエルの例は、我々の右脳が自由を得たならば、アウト・ゼア(そこに)ある無限の可能性に我々は接続され、どれほどのことが可能になるかを示すほんの二つの事例に過ぎない。

   右脳は主に、別次元の「現実」において機能しており、脳梁(のうりょう)はそれを左脳の現実へとつなげる橋である。しかしその橋を閉鎖し、行き交っている情報を大幅に制限することができるならば、人類を左脳、つまり五感の中だけに孤立させることができる。ニビルの爬虫類人がこれまでやってきたことがそうなのだ。人間の肉体コンピューターは言うなれば、この現実と他の現実の間のポータル(出入り口)であり、爬虫類人はその「扉」を閉ざそうと頑張ってきたのである。その扉が、マインドから脱出することで、あるいは左脳の損傷によって再び開くことになれば、人類はあらゆる潜在能力と膨大な可能性につながることになる。

   9歳で交響曲を書き始めたモーツァルトのような音楽の天才たちは、その信じられない能力と創造力を「右脳」という「出入り口」から得ていたのだ。両目を持たずに生まれ、身体的な理由で車椅子に拘束されながらも、卓越したピアニストであり音楽家であるパトリック・ヘンリー・ヒューズのような並外れたアメリカ人も同じである。右脳は直感的に見ることができるので、目を必要としないのだ。

   スポーツ界では、最高のプレーをした時に、「没頭していた」という言い方をする。
   「時間が止まっていた」とか、「完全に静寂だった」などと言う。没頭していたというのは、右脳の現実や、右脳に付随するすべての潜在能力にアクセスしていたということである。それに比べると左脳は幼稚園のようなものだ。陸上競技に限らず、人類の能力は、右脳の潜在能力を取り戻すことで飛躍的に上昇する。左脳には限りがあるが、右脳は無限なのだ。


       book 「ムーンマトリックス 覚醒篇⑥」 デービッド・アイク著 ヒカルランド

                           抜粋

アダムとイブを罪人としてエデンから追放したのは誰か?

   一流の世界的文献学者の一人であったジョン・マルコ・アレグロ(1923~1988)は、著書『聖なるキノコと十字架』において、批判を顧みず、神聖な教義上の謎やサクラメント(聖体)とベニテングダケとの間に数多くの関連性があることを示した。彼は聖書や聖書外典、死海写本を通して、大胆にもキノコのシンボルの実体を曝露しようと試みたのであった。彼は著わした本によって批判に曝されることは十分に承知しており、それでもその情報の重要性を知る真の学者として、自分自身の立場ではなく全体の利益になることを優先したのであった。

   アレグロは言語学的に、ソーマ(ギリシャ語で肉体)、マナ(シュメール語でキノコ)、そしてイエス、ヤコブ、ヨハネの名前、知恵の木の実、そして十字架のシンボルをベニテングダケと関連づけ、それらの名前や用語などその他のすべてが、キノコの隠された正体と同義語であると主張したのであった。言うまでもなく彼は、宗教学者たちに叩かれた。彼ら聖書の護教論者たちはすぐ、明らかに優勢な側について彼の主張のすべてに反証しようとした。

   私には明らかなことだが、すでに確立された権威とアカデミズムを怖れるあまりそれに挑戦できない者が、価値あるものを生み出したり、すでにあるものを露(あらわ)にしたりすることはあり得ないのだ。賛否はどうであれ、彼は大半の学者や素人が、足を踏み入れようと考えることさえ怖れる分野を開拓したのは確かなことなのだ。

   ヘブライ人が砂漠で食べたとされる「マナ」は、現在においても明確にされてはいない。
   この文脈において、それをパンを示す言葉として捉えることは普通ではない。この神秘的物質に対する聖書にある描写は、読者にいくらかのヒントを与えるだろう。

  one マナは露が落ちた後に、地面に現れた小さな丸いものであった。
  two それを暖かい日に残しておくと、蠕虫(ぜんちゅう)がわいて、悪臭を放つ。
  three マナは奇跡的に生み出されるものと考えられてきた。(つまり、種なしで誕生するもの。これはキノコに対する完璧な植物学的描写である。種なしでの誕生、つまり「奇跡」は、非常に小さく肉眼では見えない胞子によるものである。)

   次ページ(P.63)に載せた13世紀のフランスのフレスコ画は、「善悪の知恵」の樹の「実」としてベニテングダケを示している。――アダムとイヴは目を開けた。神々は見下ろして、「見よ、彼らは私たちの一人となった」と言った。―― 何が善で何が悪なのかという両者の違いを教える以前に、何が正しく何が間違っているか自体を指示したがらなかった神々が、善悪の知識のことで誰かを非難するのは奇妙なことである。私自身このたびの研究に携わるまでは決して知ることはなかったが、ここで示している人類におけるキノコの役割が、未来には現実となるかもしれない。「知恵の樹の実」は「生命の樹の実」と同じものである。

   少なくとも紀元前4000年の、メソポタミア(シュメール)の楔形(くさびがた)文字で書かれた粘土板には、エデンの園において実を食べる、最古でしかも既に知られている「アダムとイヴの物語」が記されている。しかしそれは、今日の聖書にあるものとは異なった物語となっている。ゼカリア・シッチンはそのような粘土板の内容と、今日知られる内容との間に大きな乖離(かいり)が見られることに関して詳しく、注目すべきエキスパートである。

   彼はシュメール文書を解読し、神々はニビルと呼ばれる別の惑星から、時間・空間・次元を超える宇宙船で地球にやって来たことについて書いている。そしてやや原始的な人類を見つけ、彼らのDNA操作を行なうことで新たな人間を創り出した。しかし初期の話では、「実を食べる」ことが完全に異なる視点で描かれていることは確実である。つまり、もともとは素晴らしく信じがたい物語が聖書において、神の恩寵を失い人類全体を激しく非難する、恐ろしい原始的な物語にすり替わったのである。

   「神の体」を文字通り摂取するという概念は、今日の宗教学者たちからは大きく軽視されている。「聖餐用物質(sacramental substance)」というこの全世界的な概念に対しては、多くの疑問が投げかけられるべきである。だがキリスト教の専門家たちは、それを単なる象徴表現に過ぎないと主張してその考えを退ける。シンボルとは、常に何かの象徴表現に向けられるわけではなく、本当は何か他のものを指しているのである。

   だが1100年代初期にカトリック教会は、ローマ教皇イノケンティウス3世の時、「実体変化の教理(Doctrine of Trans- Substantiation)」を確立することで、このテーマに終止符を打つ決断を下した。つまり司祭たちは、自分たちが考える聖なる力によって、いくらかのまじないの言葉を発することで、普通のパンを文字通り「神の体」へと変化させることができると主張したのである。この出来事は宗教の根本的で深遠な側面を崩すものであり、史上最も邪悪な欺瞞の一つである。

   ヨハネの福音書においてイエスは、自らの体をマナとみなしていたことが明確に描写されている。彼は繰り返し「マナ」を弟子たちには明らかにしたが、世界からは隠された物質として描写している。・・今日我々が知っている聖書は、歴史的な記録文書としてみなされるべきものではない。興味深いものであるのは確かであるが、初期に改められた盗作の再翻訳の再翻訳の再翻訳である事を心に留めて読まなければならない。そこにどのような手が加えられたかという可能性を考慮しながら、それを理解するにはかなりの知的頭脳を必要としたに違いない複合的文書なのだ。この複雑さに非常に圧倒された一部の識者たちは、聖書が神の手あるいは直接的な霊感によって書かれてきたものに違いないと、多くの人々を確信させる。

   ここで簡単ではあるが、聖書において特に転生、つまり生まれ変わりに関する概念と教義は、全キリスト教公会議において聖書の正典から抜き取られていた点を指摘しておくことは重要と考える。そしてこれはもう一つの腐敗である。そして、そのようなことが行なわれてきたことなど知る由もないすべての信者に対して、人生というものの理解を阻害し、真の理解を曖昧にしてきたのである。



          book 「超覚醒する脳」 ジェームズ・アーサー著 ヒカルランド

                           抜粋


盗作で編纂された聖書は宗教文書ではない

   クリスマスは一般的にキリスト教の休日で、キリストの誕生日だと考えられている。
   そしてキリスト教の伝統の多くは、さらに古代のさまざまな宗教や神話から引用されている。これらはすでに、ジェラルド・マッセイ(Gerald Massey)やゴッドフリー・ヒギンス(Godfrey Higgins)、ロバート・クレイブス(Robert Graves)、カージー・グレイブス(Kersey Graves)のような作家や多くの人々によって詳細に研究されている。それには「処女降誕」や「神の顕現」、「サクラメント」、「クリスマス」、「イースター」などがあり、それらはすべてキリスト教によって採用され、盗用され、独自のものとして使われてきた。

   クリスマスの伝統はそもそも、古代においては軽蔑的な含みとともに異教的であったことが、キリスト教の護教論者によって綿密に論証されている。その意味は、単純にそれらの起源が農村暮らしの異教徒の人々の持つ伝統から来ていることを指している。しかしながら対照的に、キリスト教派のほとんどを異教徒起源とみなすことに関しては強く否定されている。キリスト教発生以前から存在する、多くのキリスト教以外の宗教をすべてまとめて異教徒と呼ぶことで、エジプト、ミトラ、ゲルマン、ノルウェー、ケルト、ギリシャ、ヒンドゥー、そして仏教徒などのルーツを曖昧にし、見過ごさせ、信じさせないようにすることもまたとても簡単である。もちろんこれらが、単に農村暮らしの人々だけの宗教でないことは明らかである。

   つまりクリスマスは異教徒に起源を持っており、それ以上ではないということは、まさにクリスマスの起源の所在を意図的にごまかし、それらに研究する価値はないとして貶めることを意味する。すなわち、故意にそのルーツを探らせないようにしているのである。だがクリスマスのイコンや伝統、物語には、隠れた意味がある。そして最初は明確ではなくても、徹底的な調査によって、最初に感じたものよりももっと解読できる象徴的な内容が明らかになってくる。このシンボリズム研究の根底にあるものは、「キノコの秘密」であり、その習慣と形状、使用、準備、作用についての、それらに関する情報がある。

   シベリアのシャーマンたちと、ロシアのイコン聖ニコラオス(270年頃~345年あるいは352年12月6日)は、ともにクリスマス物語の形成に関わっており、クリスマスがどこからやってきて、なぜ休日と結びついた特定のシンボルがあるのかに関する手掛かりを残している。この種の手掛かりは、シンボルの解読を探求する人々に役立つ。シベリアのシャーマンたちは政府による抑圧にもかかわらず、「ベニテングダケ」を宗教的サクラメント(聖体)として使用してきた。それは霊的ビジョンを得たり、異次元への体外離脱の旅のために、そしてヒーリングと霊的教えのために、植物霊や自然霊(plant-spirit guide)としても使用された。「酔わせるもの」、つまりアルコールや薬物の価値は、先住民が扱うトナカイの毛皮や肉、そしてお金や物々交換で取引可能なあらゆる品物の中でも、高く評価されるものなのだ。

   子供の守護聖人として知られる聖ニコラオスは、キリストの12使徒を除けばロシアにおいて最も崇敬されている聖人である。彼は先住民らにもっとも尊敬されている地元シャーマンに取って代わるロシア正教会の人物である。シャーマンは臨死体験や体外離脱を促す植物幻覚剤を取り入れた、霊性の一つの形式に精通した人々である。聖ニコラオスはシャーマンではなかったが、彼の礼服に見られるシンボルや色は、植物幻覚剤と関わりがあったのではないかという憶測を生む。直角の線で囲まれた十字形はキリスト教と聖杯を示す古代のシンボルであり、もうひとつの非常に明白なキノコのシンボルでもある。

   シベリアにおける古代シャーマンによるベニテングダケの使用は綿密に検証されている。その使用に対して政府が弾圧してきたにもかかわらず、彼らは承認された国家宗教を受け入れることを拒否し、密かにシャーマンの伝統を維持する人々は、今なお多く存在する。そして彼らは通例、赤と白の衣服を着て、まさに屋根の開口部を通して家の中に入り、儀式を行なうシャーマンのように、サンタ・クロースも屋根に来て煙突を通って中に入る。そしてまさに儀式を行なう際にキノコを集めるシャーマンのように、サンタ・クロースもその日、プレゼントを袋に入れるのだ。

   今日、我々が理解するサンタ・クロースは、ドイツに発した慣習が発展したものである。ヴァイナハツマン(Weihnachtsmann 聖ニコラオス)は、トール、ドンナー、オーディン(ウォータン)のような古いドイツ・ノルウェーの神々の融合であることは非常によく知られている。ここで異なっているものは、ちょうどサンタがそりで空を飛ぶように、オーディンらも戦車に乗って空を飛び、それが北斗七星として描かれていることである。北斗七星は、オーディン、トール、アーサー王、そしてエジプトのオシリスの戦車である。そのゆえに、24時間周期で北極星を回る戦車は、サンタ・クロースの「そり」としても知られている。つまり、それは自身の神話上の故郷である北斗七星を回るからである。

   北欧やドイツの神々は、自らの神話においてキノコとの関連性を持っている。
   トールはキノコ形のハンマーを大地に叩きつけ、強大な雷と稲妻の衝撃は現実にキノコを発生させる。オーディンを乗せた戦車が空を横切り、それを引っ張る馬たちがこき使われると、馬の口から血の混じった唾液が大地に落ち、ベニテングダケを的確な場所に生長させる。オシリス神話はさらにこれらに付け加えるものがある。・・オシリスは戦車で空を飛ぶだけでなく、彼の死後、イシスは常盤木(ヒマラヤスギ)が一夜にして枯死した株から普通の大きさへと生長しているのを見つけた。そしてそれはオシリスの再生と不死の徴(しるし)として理解された。興味深いことに、オシリスの誕生は12月25日だと言い伝えられている。

   12月25日はまた、毎年ヒマラヤ杉の周りにプレゼントを置いて祝われる。
   この伝統は少なくとも5000年間続いている。女神で処女である母イシスによるホルスの誕生は、女神と子の神話では最も古い描写であるが、それは私が発見したもっとも古い伝承のソースであり、それは極めて古いものだ。

   キノコの乾燥は欠くことのできない処置であり、通常それは紐でしばって、暖炉の前に吊るすことで行なわれる。シャーマンも素人も同じようにそうする。そのキノコは貴重な品物なので、彼らはできる限り拾い集める。そしてシベリア原産のトナカイはそのようなキノコを食べるのが大好きなことで知られている。空飛ぶトナカイの神話は、そのような食べ物によって引き起こされる作用を反映しているのである。このクリスマスといわれる冬至の祝典の中には、それらのあらゆる類似した話が含められており、それは世界の宗教においては群を抜いている。この祝典がさまざまな形式で世界的に行なわれている理由には、他の共有性と何らかの関係があるようで、それは確かに象徴表現に深く関わっている。

   冬至に達すると、太陽は天を横切るコースを終え、3日間止まっているように見えた後、改めて北半球に向かって天を横切ってその行程を戻り始める。この3日間の「停止」は、天の4点クロス(十字)上での太陽神の死として神話化されている。3日間の待機期間の後、空を横切る別の運動が呼応して始まり、それは生への帰還と考えられた。のちに神話学は、クロス上の死を木の上での絞首刑(磔はりつけ)へとすり替え、3日間の死を、墓の中に閉じ込められたキリスト(Son,Sun)へと移し変えた。さらにキノコが乾燥されなければならない事実は、贖罪(atonement)を通じて(即座にat-one-moment)人類を救うためには、神に死や自己犠牲が必要であることを遠回しに示している。

   しかしこれはほんの始まりに過ぎないのだ。
   キノコとキリスト教との伝統の間には沢山のつながりがある。(略) 宗教上のサクラメントにおける「神の肉体」と長く関連してきたベニテングダケは、過去においても現在においても「真の聖杯」である。聖杯の探索は、キリストの磔刑の話を一部取り込みながら神話になったものである。聖杯を十字架で死んだイエスから流れ落ちる血を受け止めるのに使われたカップとする話もあり、他の聖遺物と同様に、このカップには魔力が宿っていると考えられた。歴史的に見ると、多くの神話においてキノコは、「不老長寿の薬」や「神の血」のジュース(抽出液)、の入れ物であった。それは上向きに反り返った傘を持つベニテングダケの最終的な形が、カップや泉、聖杯という象徴表現となったと考えられる。

   キリスト教は疑わしい歴史を多く含んだ宗教であるが、たくさんの教義や言い伝えは研究に値する。その理由は、キリスト教が政治的な理由のもとに作られた宗教であるからだ。ローマ帝国のコンスタンティヌス1世は、統治の基本とは市民の管理にあることをよく知っていた。政府による市民の管理は、その政府が「神から授けられた神聖な権威」までも手に入れることでさらに簡単で効果的なものになる。そのような考えを持ち込んだのは古代ローマだけではなかったが、それによって歴史上に確かに自らの痕跡を刻み込んだのだ。

   キリスト教は、「ワン・ワールド宗教」を作り出すために、世界中に存在する宗教の教義をできるだけ多く調査し、習得した支配するための産物である。彼らはエジプト学やミトラ教、ヒンヅー教、仏教、そしてユダヤ教のトーラーや他の多くのものから思想や教義を得た。そして新しいカトリックの聖書を作り出すために、取り込みたい部分は取り込み、改めたい部分は改め、含めたくない部分は切り捨て、そのようにしてついに自分たち独自の、盗用・改変文書を編纂したのである。しかもこれはたくさんの古い研究を盗用し、改変した寄せ集めであるので、数多くのさまざまな象徴的教義がオリジナルの形で保たれてもいる。

   この調査の主な目的は、できるだけシンプルな形でこれらの隠された意味を説明することにある。『聖なるキノコと十字架』(The Sacred Mushroom and the Cross 』の著者ジョン・マルコ・アレグロ(1923~1988)によって、徹底的にカバーされたたくさんの言語学的証拠は、キノコが多大な役割を果たしてきたことを例証によって明らかにしている。私は宗教の背後にある基本的な哲学的起源を、その原文により深い意味を見出しながら、教義自体に見られる「隠れた象徴表現」を調査し、説明することによって解明しようと試みる。さしあたり私の特定の観点は、「寄せ集めて編集された聖書の中で生き残ってきたもの」であることを心に留めておいてほしい。

   改変・編纂された作品は、結果として真の宗教文書とみなすべきではないと私は考える。どこに注目すべきかを一度理解すれば、ここで示される概念が、聖書として知られる本の隠れた意味を明らかにするだろう。そして私は、それらの最古の起源へと遡ろうとする試みにおいて、これらの神話を生み出してきたキリスト教以前の世界に見られたものと同じ概念とシンボルを指摘することになるだろう。聖書に含まれる政治的、そしてファシスト的ですらある要素については後に触れる。これらの要素は、古い総大司教制の再結合と同じく、元の情報源となる聖書という文書の腐敗の結果なのである。


          book 「超覚醒する脳」 ジェームズ・アーサー著 ヒカルランド

                           抜粋



  

クリスマスの真の意味をすり替えるキリスト教

   キノコにこめられた象徴表現、つまりシンボリズムは、宗教的な絵柄のいたるところに見出すことができる。このような宗教芸術のシンボルを解読することは、常に私にとって大好きな時間であった。キノコのイメージは至るところにあり、特にその芸術家がその「内情に通じている」一人であれば、それは特別なシンボルの意味を持っていたはずなのだ。そして宗教芸術の理解度は、そのシンボルの理解度に直接結びついていることがわかる。そしてしばしばこのキノコの美しさは、ノーム(地の精)や妖精、そして「小人」と結び付けられて描かれた。そのようにしていくらかの芸術家たちは、深遠で象徴的なメッセージ(情報)を伝えたのである。そして、その神秘的な側面は、「内情に通じる」人々のために残されている。

   私は20年にわたりベニテングダケの研究をしてきた。
   そして多くの宗教文書について調査した結果、そこには民族菌類学の参考となる「キノコ」が、象徴的に使用されてきた多くの事実を発見した。そしてそれを本書に著わすためにはさまざまに異なる宗教的な章を細かく分ける必要があった。しかし私はある宗教から別の宗教へ飛び移りたくなる衝動を抑えて、あえてそれを最小限に留めることにした。

   世界の宗教を研究すると、そこに人はある理性的な体制を見出す。
   これらは、それぞれの信者が、人生というものに対する自らの解釈として採用する世界感である。それと同じく宗教や信念を持たない人々においては、彼らは国家や文化において条件づけられた信念体系に基づく理性的視点を用いる。よって国家主義とは、それだけで一つの宗教とみなされるべきものである。この信念体系はまた宗教的哲学に基づいていて、それはメディアや世論を介して実現する。

   もし多くの国家と宗教哲学が真実と正義に基づいていたならば、世界は流血や戦争、そして圧制という残酷な歴史を体験することはなかっただろう。そのゆえに信念体系を人々に植え付けた宗教と国家は、その基本的な哲学的原理のすべてを客観的な観点において糺(ただ)さなければならないのだ。そのようにして欺瞞は一掃されなければならないのだ。

   民族菌類学の研究は、単に宗教とキノコとの結びつきの研究ではあり得ない。
   なぜならまさにその特質のゆえに、民族菌類学的なつながりを持った「哲学的宗教原理」を調査せねばならないからだ。これから本書で触れる内容に備えて、私はこのことを説明しておく必要がある。これは歴史を通じた民族菌類学的な関わりを調査するだけでなく、「民族菌類学的な関わりを有する証拠を示す諸宗教」の調査でもあるのだ。

   だが現在のところそのような宗教は、自分たちの根源にある原理が腐敗してしまったことによってその関わりを否定している。そのためにこの研究は根底では民族菌類学を扱うが、心理学や民俗学、文献学、人類学、考古学、社会学、芸術、歴史、宗教、神話、文化
、象徴学、そして哲学をも掘り下げるていく。

   まずクリスマスと、それに結びつくシンボル(象徴)やイコンの研究から本書を始めることにする。というのも、世界の宗教のほとんどとそれらに結びつく哲学を研究した後、私はこれらがまったく純粋な哲学的なものであり、他でもない現実の宗教であることに気づいたからである。クリスマスの伝統の起源はどこにあるのだろうか? しかしたいていの人々はこのような疑問を抱いて探求はしないのである。もちろん、それでもある日、サンタ・クロースは実際には存在しないという発見をする。しかし、本当にそうなのだろうか? 

   クリスマスの発展の痕跡を見つけ出そうと試みて、これまでにもたくさんのことが書かれてきた。自らをこの分野の専門家と考えている人々や、このテーマに特化した書籍すら見つけることができる。この分野を「サンタオロジー(Santa-ology)」や「サンタイズム(Santa-ism)と呼ぶことができる。しかしこれまでの長い間に失われつつも質素に、この伝統的な領域に深く横たわってきたのは、長い間に忘れられたか、あるいは意図的に見過ごされてきた、非常に驚くべき象徴的なつながりとその起源である。

   クリスマスの背後にある基本的な思想は、もし良い子にしていれば木の下(根元)に置かれたプレゼントがもらえるが、悪い子にしていればプレゼントはもらえないということである。多くの文化においては、「悪いこと」をした人々はさまざまな手段と人物によって罰を受ける。これは非常にシンプルな思想体系なのである。ほとんどの子供たちは、赤と白の衣服をまとい、丸々と太った男とその連れであるトナカイや小人、クロース夫人の話を教えられる。そして「そり」に乗って木の下にプレゼントを配達し、奇跡的に世界中を飛び回る話も聞かされる。

   だが子供が分別ある年齢に達すると、その話はすべて嘘であることが告げられる。
   この告白は小さな子供の心には衝撃的なものである。しかしこの時、親や保護者が信じている宗教体系では、確かに事実に基づいてはいると強く説得することで、しばしばその子供のショックは慰められる。そしてその時に、それぞれの宗教的伝統、つまり祝典の本当の意味として、休日へと統合する試みがなされるのだ。

   しかし、このような植えつけられた文化的な条件づけとショックを解放するために、方法はある。それはクリスマス自体の伝統的な解釈よりもはるかに興味深いもので、しかも真実に基づいている。その鍵は、クリスマスのイコンとシンボルの中に暗号化されている。それについてほとんどの人々は独断的な説明に終始するが、実はその象徴が使用されることの背後にある意味を知ることこそが、まさに他の多くの宗教のルーツをも理解する門戸を開くことなのだ。

   ベニテングダケに関して、数冊の本が書かれている。
   このキノコは世界中にあり、マツや他の球果植物の針葉樹やカバノキ、ときにオークの木の下で生長するのが見られる。マツの木はクリスマスにおける有名な中心的存在の一つである。「良い人々」はこの木の下にプレゼントの形でご褒美を見つける。その大きな赤と白の丸いキノコは、我々がクリスマスの朝にプレゼントを見つける、まさにその木の下で常に生長する。もし我々がマツの木の下でそれを見つけられればそのプレゼントは本当に存在する。それと同じく、もし我々が、トナカイはちゃんと理由があって飛べるのだと考えられてきたことに気がつき、伝統的に、時間の法則とは別の方法で、人々を霊的に空中へ運べるということを示せるならば、その話はまさに真実だということができる。

   そしてさらに、もし我々が、「悪ではなく善でありなさい(悪い子ではなく良い子でいなさい)」という哲学的な慣用句が本当に普遍的真実であることを示せれば、伝統的なクリスマスの物語に置き換えた、確立された宗教的信条を放棄するのに十分な根拠を得たことになる。つまりクリスマスの物語において、さらに深遠な隠された原理が次々と曝露されていくことになるのではないだろうか。

   そして伝統的な聖誕日に、サンタ・クロースは実在せず、トナカイは飛ばず、意図的に置かれない限りは木の下にプレゼントはないということがあえて曝露されるのは、その背後に隠された情報を受け入れることができないように、若者の心を条件づける偽情報のキャンペーンであると私は主張したいのだ。また私は、サンタクロースを信じていた信念破壊とその打撃は、キリスト教や他の宗教組織との連携強化によって、その代わりに慰めの土台として与えられる「差し替え情報」を、人々が受け入れるようになると考えている。そしてサンタ・クロースやすべてのファンタジーと同じく、それは間違っているとは決して曝露されないものとして説明されるのだ。

   またこの出来事は、人々が抱く未知への恐れを利用して、意識の拡張を押さえ込みたい宗教組織にとっては、サブリミナル効果を引き起こす重要な役割を果たしているというのも私の結論である。つまり、誤りを真実として受け入れてきた現実を悟らされると、その精神は深く傷つく。そしてキノコや木の下のものに関して論じる際には、人は経験によりサブリミナル的にこのような概念に対して警戒し、自らを鎧で覆い、同じ罠に陥ることを無意識に怖れるようになる。これはもちろん、マツの木の下に置かれたプレゼントのように、意味を置き換えることでも静められる。

   興味深いことに、いくつかの伝承では、「松果体」(pineal body)は人間の魂の座だと考えられている。松果体はpine-al と綴るが、まさにそれは松毬(まつかさ)のような形をしているのだ。
(バチカンには巨大な松かさのモニュメントがある) それは脳の中央に松かさが浮いているように、脳の他のいかなる部分にも付属することなく、ど真ん中に留まる脳の自立的な部分なのだ。おそらく我々が思っている以上に、松果体とマツの木は類似点を多く持っている。松果体とその内部の分泌作用については、他の関連する暗示と同様に後で述べる。

   そして文化的な現象のゆえに、我々の松果体は若い時期に縮小することを指摘しておきたい。つまり松果体は、思春期に石灰化さえ始めるのである。この縮小と石灰化は、松果体内部で分泌作用の減少を引き起こすのだ。

   今日のサンタ・クロースとクリスマスの伝統は、より古いたくさんの神話から変化してきたものである。古い「冬至」の祝典から何とか生き残ってきたイコンやシンボル、遺物などは何らかの反響を生み出し、それらはおそらくいくつかの敬意に値する共有性を持っている。これらの伝統は真実を覆う借り物であると理解することが、「クリスマスの真の意味」の確信を発見する拠りどころとなるのだ。


          book 「超覚醒する脳」 ジェームズ・アーサー著 ヒカルランド

                            抜粋


人類の意識の覚醒のために伝承された植物があった

   「アマニタ・ムスカリア」という赤い種類の典型的なキノコは、和名をベニテングダケという。このキノコはこれまでの歴史上もっとも頻繁に登場し、神秘的に象徴化されたキノコでもある。このキノコは、ほぼあらゆる世界の宗教や神話の形成に主要な役割を果たしてきたが、この事実はほとんど知られていない。そしてこのことがこの調査の主目的である。

   ベニテングダケは、地上にいまなお残されている、ほとんどの宗教的文書の根底に見出されるものである。本書は、示された各宗教の教義や神聖な書き物に基づいた物質を真摯に研究し、その中に隠された象徴と意味を探求した成果である。そして「神聖な物質」というものは疑いなく存在しているが、宗教組織は意図的にその知識を曖昧にしてきた。つまりそれは、宗教というものの根底にある政治的本質が暴かれて初めて分かるものなのである。

   では、この聖なる物質とは何なのか?
   今日の宗教はこの重要な問いに答えていない。彼らはそれを純粋な単なる象徴とすることで、あるいは大して重要なことではないとして言い逃れをしている。宗教は自らの起源を否定し、霊的知識を伝える物質と、それによって生み出される各個人の体験の機会を取り除くことで、結果的に自らを堕落させてしまった。そもそもエンセオジェン(幻覚剤)によって霊感を与えられた宗教の体制でありながら、自らそれらの使用を非難し、その鍵となる知識を排除した結果、霊感の存在しない宗教自体が腐敗し、欺瞞に満ちるようになったのだ。

   今日の我々の社会においては、たとえいかなる目的であれ、どんな種類の薬物や植物の利用であれ、それによって意識の拡張を得ることはタブーとなっている。私はヘロインや高純度に精製されたコカ(コカイン・クラック)、アンフェタミン(覚醒剤・クランク・スピード)に関しては好意的なことを言うつもりはないが、すべての薬物を不正なものとして一律に評価し、禁止することは不公平なだけでなく、本来の情報を隠蔽する古典的なやり方だと感じる。

   今日までドラッグ、つまり薬物とは、一般的にエンセオジェン、幻覚剤と呼ばれている。
   これは単に、「内なる神の発生(the generaition of God within)」を意味しており、「己自身の意識の内に神を悟る(the realizaition of God within one's own consciousness)」ことを意味している。そして実際に、意識を拡張し、自己認識を拡張させ、霊性の本質へ向かわせることで知られる植物はそのほかにもたくさん存在する。

   そして植物学や民族植物学、幻覚植物学、考古学、人類学、文献学、哲学、心理学など多くの関連分野において、世界中の何千人という学者や研究者たちが、幻覚性植物の調査と研究に関して何千冊もの書物を著してきた。そしてこのような文献の多くは、人類史上に発生してきたほとんどの宗教において、その宗教者によってそのような物質が用いられてきたことを論じている。しかしそれについて我々ほとんどの者は蚊帳(かや)の外にいるので、このようなことを知ることはない。しかし今後は、必ずこのような状況も変わらざるを得ないだろう。

   歴史を通じてわかることは、それぞれの民族では自分たちの指導者に洞察力と指導力を求めてきた。それらの人々が、シャーマンやヒーラー、司祭、また魔術師や賢者、ヨギ、奇術師と言われる人々で、このような指導者たちはファーマコピアと言われる薬物類や植物の使用によく通じており、彼らの能力や洞察力はそれらの薬物類によって得るところが大きかった。「ファーマコピア(pharmacopoeia)」は薬局、ファーマシーや、薬剤師、ファーマシストの語源であり、「魔法(witchcraft)」とも訳されてきた。

   地元のシャーマンたちは薬物類やそのような植物によく通じており、そのために人々から尊敬や畏敬、そして権威などの社会的権力を維持してきたが、そのことは今も昔も政府や宗教家にとっては、見過ごすことのできない大きな問題であったのだ。それはそのような先住民族たちが握る権力と支配力という力に対する、彼らの理不尽な羨望でもあったのだ。そうして、彼らによってシャーマニズムやファーマコピアは悪魔のものとみなされ、それに対して不名誉なレッテルが貼られるようになったのだ。

   カトリック教会が支配するスペインを皮切りとして行なわれた、「異端審問」と「魔女狩り」はこの代表的なものである。それは19世紀に至るまで欧米において、神の名のもとに教会と政府により、800万人以上の人々が殺害され、土地や財産を収奪したのだ。さらにキリスト教会の羨望と強欲はこれに留まらず、アメリカ大陸の先住中央アメリカ人の推定2000万人以上の人々を殺害した。そしてアステカ、インカ、マヤの人々を絶滅寸前にまで追い詰め、北アメリカ先住民族のアメリカ・インディアンをも同じ運命に陥れた。

   そこに横たわる彼らの目標とは、幻覚性植物に関する知識の抑圧である。
   それが功を奏すれば、人々はほとんど自力で神を体験することができなくなる。そのゆえに、神に付随するすべての事柄、知識において、すでに確立されている宗教へと人々の忠誠心を確実に向けさせることができる。政府と宗教が世界の支配者であるためには、別の源から情報や知識を得ることのできる独立したシャーマンや司祭、魔術師、奇術師、そして預言者と言われる人々は彼らにとっては脅威でしかなかったのだ。

   幻覚剤の神聖な利用は、最近ではさらに悪評が高い。
   これはその使用が霊的な目的であれ、気晴らしが目的であれ、あらゆるすべての幻覚剤を一まとめにすることで、それらを悪や不道徳、堕落、として分類したことが大きな原因である。この分類が、ドラッグを撲滅する戦いというプロパガンダの火に油を注ぐ結果になっている。そして現実に見るならば、これまでの人類の霊性の起源には、切り離せないほどに幻覚剤と結びついているという膨大な証拠が存在しているのだ。それにもかかわらず政府によるそれらの禁止は、母なる地球によってもたらされた伝統的な古代の方法を通じて、霊性の本質に直接アクセスして理解するという、我々に本来与えられている権利を奪い続けてきたのだ。

   そしてこれに関して政府の指導に従う人々は、このテーマについて調査することなくすぐ結論に飛ぶ傾向を持ち、実際には自分たちは何も理解していないにもかかわらず政府の言うことを信じるのである。そして政府やメディアが発する煽動や、目的に基づいた意見を生み出すように調整された偽情報以外は、彼らはこのテーマに関する個人的な体験はおろか真の理解もまったく持っていないのである。つまり、彼らの意見には根拠となるものが何もないのである。そのようなプロパガンダ推進者の目的は実に嘆かわしいことで、愚かな羊の大群を思慮のない道へと導き、自らは高潔で正しいと信じさせながら、知らずに、人々を自分たちとまさに同じ人間になるように仕向けるのである。

   のちに分かるように、幻覚剤の体験は間違いなく宗教的な実践における現実であるので、これは憲法上の権利によって護られなければならないものなのである。純然たる現実と事実は、植物幻覚剤は本来霊的なものであるということなのだ。

   先に進む前に、もうひとつ述べておかねばならない。
   実をいうと、人々の心をパニックに陥れるために意図的に与えられていて、米国政府が特に取り上げるものがヘロインやコカイン、クランクである。そうした生活を破壊するような習慣性の強いドラッグを国内へばら撒き、地方へと分配する役目をこれまで受け持ってきたのは、OSS(米国戦略諜報局)であり、マフィアと提携するCIAであり、地元政府の役人たちであった。

   そうして一方ではドラッグの使用をやめさせるプロパガンダを展開させ、習慣性の強いドラッグによって、「堕落した麻薬密売人」から若者たちを守ると装うことで、法律を可決させてきた。つまり政府のしていることは、一方ではばら撒き、一方では法律で禁じているのである。これが真実だと思えないならば、私のウェブサイト www.jamesarthur.net へアクセスして、CIA/OSSと「ドラッグとの闘い」へのリンクをたどってみてほしい。
(現在は削除されている)

   確かに、ヘロインやコカインは非常に危険で有害であり、そのようなドラッグは非常に習慣性の強い特性を持っている。そして政府やCIAは、常習者を作り出すことで巨額の利益が絡むことを知っており、それが人々にどんな被害をもたらすかについて心配するはずもなく、マフィアやCIA、そして米国政府はそのようなドラッグを世界中にばら撒いているのである。

   しかし一方で、彼らは「天然の植物幻覚剤」を広めることはない。
   その理由は、植物幻覚剤によって高次元へのアクセスが可能になり、その結果、彼らの目論見(もくろみ)が暴かれるだけでなく、彼らが求めているものを実はあなた方は好まないということを、植物幻覚剤があなた方に気づかせてしまう側面があるからなのだ。


          book 「超覚醒する脳」 ジェームズ・アーサー著 ヒカルランド

                           抜粋


人間の肉体は1万4400年の耐用年数を持つ

   「アヌビス、この字読める?」 
   マヤは無邪気な声で、ポケットから古い紙切れを取り出した。

   「ええ、もちろん読めますよ。
   でも、もしあなたが本当にこの文字を読めないというのなら、あなたは今、この紙に書かれた言葉を受け取る時期ではないのです。ただそれだけのことなのです。なぜなら文字とは、ひとりひとりの霊的レベルに応じて、それぞれの感性によって読むものだからです。宇宙言語とは表面をなでるだけではなく、その裏に隠されている意味を掘り当てなければ理解することができません。一つの単語にも何層にも意味が連なっているのです。あなたの用いている言語に置き換えて言えば、比喩的な表現やたとえ話、同音義語など、同じ音でも違う意味の言葉にも注意をはらわなければいけないということです。

   これはあなたが書いた、人生の『計画書』のようなものです。
   つまりあなたご自身の設計図でもあるのです。具体的には、あなたの人生で起きることの年代表示と、そして惑星地球で何が起きるかについて事細かに記されています。」

 
『注釈』 人生の計画書(設計図)について
    その人生において何を為し、何を学ぶかについて、一人ひとりが生まれる前に計画を立ててくる。転生する前に、ハイアーセルフや霊的ガイドと呼ばれている高次元の存在たちと話し合いがもたれ、これから始める人生の青写真が計画される。

   通常は、3人から12人くらいの人々と一緒に果たすことになる仕事や学びについて、お互いに契約を結ぶことになる。計画書にはそれらが起きる時と、その内容が記されている。さまざまな人の計画書を閲覧してみると、霊的に若い人の場合は、細かいところまで綿密に計画されているが、霊的に高年齢の人の場合は、大体の大雑把な計画しか立ててこないようである。

   また計画書に記された出来事が、その時期、その時間に正確に作動する仕組みとは、「お互いに関わりを持つという契約」を結んだ者同士が、その同じ記号のものを計画書に刻印しており、星の光によってその記号が打ち鳴らされた時、互いの計画書が共鳴を起こし、プログラムが作動する仕組みになっている。

   
光の糸とは、多次元を行き来するときに、時空を超えるときの目印になるという。
   光の糸を肉体に結び付けておけば、それが命綱の役目を果たし、無事に帰還することができるという。その光の糸を見分けるには、目を閉じて心を無にする必要があり、心がざわついているとその色を見分けることが困難になる。

   赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、ローズピンク(赤紫)・・・と、色はそれぞれ固有の温度を持っており、赤い色周辺では暖かく、青い色周辺は冷たいなど寒暖の差があった。また色によって距離感が異なり、黄色のように近づいてくる色や、青のように遠くへと逃げ去る色がある。しかし慣れてくると、色、音、温度の区別はなくなり、色の違いとは、波長の長さと空気を揺らす振動の速度で決まるということがわかってくる。また色と音階も似ている。つまり色と音は同じもので構成されているのだ。

   マヤは自分の発する声や言葉にも色がついていることを発見し、いろいろな言葉を発してはそれを確かめてみた。そして自分の発する言葉には十分注意しなければならないと痛感した。マヤは泣きごとや、怨みごと、人を陥れるような言葉を使うのはもうやめようと思った。それらの言葉はいつまでも地上にまとわりついて残り、人々を窒息させてしまうのだ。それは人間にだけではなく、植物や他の生き物たち、そして惑星地球にまで悪影響を及ぼすのだ。

   暴言を一つ吐いてしまったら、祝福の言葉を発して色を中和させ、バランスをとらなければならない。言葉とは本来、伝達や心を縛り付けるためのものではなく、世界への賛歌のためにあるものなのだ。これからはできるだけ感謝の言葉を発して、世界を虹色で埋め尽くしたいと、言葉の色を見ながら、マヤはそう切実に思うのだった。

   「あなた方の目には、光は単なる透明な光としてしか認識できませんが、実は透明な光には幾つもの別々の性質を帯びたものがあるのです。色や光を波長の長さとだけ直線的に捉えていては、宇宙の光を捉えることはできません。色というものは直線状を進むのではなく、あか・橙・黄・緑・青・藍・紫・赤紫そして再び赤というように順番に色彩の輪の上を螺旋を描いて進んでいくのです。宇宙の光は、透明な赤、透明な橙、透明な黄、透明な緑・・・というように、同じパターンで進んでいます。

   そしてあなた方の文明では、まだ再発見されていない、磁気を帯びた光がこの中に含まれているのです。これは宇宙創世や生命の起源に関わる問題や、あなた方が言うところのひらめきや直感と大いに関係しているのです。あなた方の文明ではまだ理解されていませんが、鮮明な夢や直感、それに閃(ひらめ)きや第六感などと呼ばれているものは、血液中に流れる微量の鉄が磁気に反応して起こります。つまりそれらは、磁気を帯びた光をつかむことで起きるのです。現在の惑星地球においては正しい認識がなされていませんが、この宇宙では「磁気」が重要な役割を果たしています。

   それだけでなく、あなた方が発する『意識』というものは、電磁波の一種なのですよ。
   ご存知でしたか? あなた方はご自分の意識というものに細心の注意を払い、そして責任を持たねばならないのです。なぜなら磁気の不調和は、惑星地球の運行やその軌道、そして近隣の惑星にまで悪影響を及ぼしているからなのです。

   あなた方の文化では、紫外線の重要性が正当に評価されてはいないようですね。
   たとえば酸素やカルシウムというものには本来毒性がありますが、だからといって体内に取り入れることをやめないように、紫外線にも毒性があるからといって、紫外線を極端に避けると、そこには重大な見落としがあることを知らなければなりません。その詳細はあなた方も順次理解するようになると思いますが、紫外線に対する免疫力も必要になってくるということを理解しておいてください。惑星地球の住人もいずれ、外界から保護されていた「繭」の中から宇宙へ飛び立つ時が来るのですから。

   あなたがた人間の肉体は、その波動レベルから判断すると、あなた方の時間で1万4400年の耐用年数を持っています。しかし外的や内的に及ぼされるさまざまな要因から、あなた方は耐用年数に遥かに満たないうちに、その肉体を手放すことになります。」

   音階と色の関係
  

   ド(
赤) レ(橙) ミ(黄) ファ(緑) ソ(青) (藍) シ(紫)


          book 「22を超えてゆけ」 辻 麻里子著 ナチュラルスピリット

                           抜粋


「矢じり」は原始人の狩りの道具ではなかった

   マヤにとって深い瞑想状態を通して、心を「ゼロポイント」に保ち、記憶の深みへ降りていくことや、宇宙図書館にある本を開くことはごく簡単なことであった。しかしそこで聞いた話が真実であるかどうかを見分けるには、ある程度の技術が必要とされている。なぜならこの領域にはいかにも怪しい不可思議な方法で、人の心をおびき寄せようとする者が存在していたからだ。

   魔術的な力を見せつけ、巧妙な手口で人の心を惑わせては、人が真実に近づくことを阻止しようとする存在がいるのである。そして何よりも厄介なことは、この領域には偽りの情報が、いわば意図的に混ぜられているので、この混沌とした雑多な情報の中から、正しいものをより分けねばならないのである。

   しかも新しい情報を際限なく求めることで心の不調和を来たすと、この領域にアクセスすることが難しくなるのだ。しかしマヤは知ることを怖れず、自分の直感を頼りに、あふれる情報の中から真実をより分けることを心がけていた。つまり恐怖心を吹き込んだり、冷笑的な者の言葉は信用しないと心に決めていた。この世界では世間の常識や固定観念に縛られていると、一瞬の判断を誤る危険性がある。そして最終的に頼りになるものは、自分の直感以外にはなかったのだ。

   偽りの情報を聞いた際にマヤの身体にあらわれるサインは、舌の先がピリピリしたり、口の中が苦くなるのだった。本物を見分けるためには、少しでも疑いを抱いたり、迷ったりするときはやめる勇気が大切である。しかしその判断基準は実は驚くほど簡単なことで、それを見たり聞いたりしたとき、気分が良くなったか、悪い気分になったかという、ただそれだけのことなのだ。

   アヌビスは細い前足で土を掘り始めたかと思うと、黒い石を口にくわえていた。
   「ここに石があります。
   この石の放つ光を、ご自分の感覚と同調させてみてください。この石は波動調整プログラムであり、そのための「音叉」(おんさ)の役目を果たします」

   
「おんさ? おんさは『U』だったよね。でもこの石は、ひし形・・、どこかで見たことがあるけど」 

   「そうです。この石はそのへんに転がっているものです。
   そしてあなた方の博物館でよく見るものでもあるでしょう。ただしあなた方は、この石に対して間違った認識を持っているようです」。 アヌビスは意味ありげに微笑んでいた。

   
「博物館?  ・・・これって「ヤジリ」じゃないの?」

   
「あなた方地球人類は、太古の昔に高度な文明があったことを、どうしても認めたがりません。あなた方がいう原始人の時代に、どれだけ地球人類が発展を遂げていたか想像もつかないことでしょう。そしてこれまでにも、高度に発展した文明の痕跡を示す多くのものが発見されてきましたが、それらはすべて「なきもの」として消去されてしまったのです。それも無理もないことで、今のあなた方はまだ、太古の文明レベルにさえも到達していないのでわからないからです。

   
「ヤジリは狩りに使うのでしょ。
   
これを使って動物を捕らえたって、教科書に書いてあったけど」

   
「あなたは教科書に書いてあることを、何の疑いもなく信じてしまうのですか?
   そもそも、こんなにもろい石で狩りができると思うのですか?
   この石には波動調整プログラムのほかにも、さまざまな機能が搭載されており、これは受信機でありながら送信機でもあるのです。感知できない微細なサインを増幅して、ヒトにわかるように翻訳するのです。オクターブを超えるための倍音装置とも言えるもので、そして記憶の集積器の役割も果たします。

   ただし取り扱いには注意が必要です。
   この石は受信を増幅すると同時に送信も増幅するので、自分の意志をコントロールできるようになるまでは送信のボリュームを微弱にしておくのがよいでしょう。この石をよく見てください。上向きの三角形と下向きの三角形が合わさったひし形ですが、この石を左手に持つと受信が増幅され、右手に持つと送信が増幅されると便宜的に憶えてください。この石は左右の別方向の渦巻きを作り出すことによって、磁界を打ち消しあい、ゼロ磁場を作り出します。ゼロを作ることができれば『境界』をすり抜けて、距離や時間を越えた向こう側ヘとアクセスが可能になるのです。

   たとえばあなた方は、家電製品のスイッチを入れるのに、リモコンを使うことがありますが、この石も一種の遠隔装置なのです。もっとも操作範囲は、電気製品やあなた方の距離の比ではありませんが」

   
「どのくらいまで使えるの?」

   
「この石ですと・・・、地球から太陽系内の惑星は網羅できます。
   ・・・石に対する認識が誤りであったことを、あなた方の精神的レベルが高くなったときにようやく気づくことでしょう。太古の文明の痕跡がその辺にごろごろ転がっているのに、あなた方はそれを単なる石ころだとしか思えず、気にもとめないとは哀れな話です。波動石を見て動物を突き刺す武器であるとか、丸い石を見ればお墓だろうとか、石柱を見れば日時計だとか・・・、あなた方は固定観念に縛られているので、物事の本質を見ることができないのです。

   それだけではなく、過去からのメッセージも解読できないために、それらの石を破壊して踏みつけ、足場に使っているありさまなのです。しかしそんなあなた方もいずれ、その事実を受け入れる時が来るでしょう。遥かな遠い過去において、自分自身が築いた意志というものを今の自分の手で壊し、その事実を、未来においてやっと気づくのです。おわかりですか?
いいですか、現人生は過去の自分を否定し続けるためにあるのではありません。過去に築いた「意志」に気づくためにあるのです。

   石は話ができないと、お思いでしょうが、われわれに言わせれば、ヒトが石の言葉を理解していないのです。あなた方のうち、いったい何人のヒトが地球という惑星と会話ができるでしょうか?なぜ難しいかというと、両者の間に時間と言う『質量』の差があるからです。もう少しわかりやすい表現を用いれば、惑星や石と、地球人類では、時間軸の目盛りが違いすぎるのです。おわかりですか?」

   
「わかるよ。図書館でも時間設定が難しいから・・・。
   でも石の言葉がわかれば、歴史は全部わかるのかな」

   
「もちろんです。それは地球人類の歴史だけではありません。
   DNAに刻まれた記憶や惑星の記憶、太陽の記憶、そして銀河の記憶までもがそうです。・・・ただ、一つだけ忠告しておきましょう。それはあなた方が利己的な心を持っている限り、石が心を開くことはなく、石は心を閉ざしたままでしょう。」


          book 「22を超えてゆけ」 辻 麻里子著 ナチュラルスピリット

                                                    
抜粋


 

過去世の記憶とは「感情」の記録である

   宇宙図書館(アカシックレコード)のエリア#9は魂の閲覧所で、個人情報が収納されているところである。ここではモニターパネルに手をかざすまでもなく、自分の名前を言うだけで、すぐさま目的の本があらわれる。名前だけでだめな場合は、生年月日も付け加える。個人の本のページをめくると、過去から未来にわたる膨大な転生の個人情報が細部にいたるまでこと細かく記されている。この図書館の中で一番アクセス数が多い領域は、おそらくこのエリア#9だと思われる。

   個人の本は新聞紙くらいの大きさで、人によってページ数はさまざまである。
   通常、一ページに一つの生涯が記されているが、手をかざすと必要なページが開かれる。その中には写真もあるので、どのような風貌であったかも見ることができる。また他人の個人情報に関しては、本人の了解がなければアクセスしてはいけないという。また個人的な本を閲覧するときは、自分の感情を制御して、心を「ゼロポイント」に置く必要があるという。つまり心をゼロ(無)の状態に保たなければデータは正確に読めないので、波立つ感情をゼロにできないうちは、他人の本を読んではいけないとガイドは繰り返し忠告している。

   つまり、個人の本は生き物のように変化し続けているので、読み手の感情までが書き込まれてしまうのだ。特に注意すべきは、未来を読むときにネガティブな感情を少しでも抱くなら、未来をネガティブに変えてしまうことにもなるのだ。

   参考までにマヤの本をひも解いてみると、今回の一つ前の人生は、マヤは人里離れた山奥でたった一人で暮らしていた。若い頃は山の中腹にある寺院に住んでいたこともあったが、集団生活に嫌気がさし、かなりの高齢にもかかわらず、洞窟の中で仙人のような生活をしていた。それは孤独なように見えたが、マヤの心の中は決して孤独ではなかった。心の領域において仲間たちとコミュニケーションをとり、世界とつながり、そして宇宙との一体感も感じていたのだ。

   そしてその人生の最期において、隣国から兵士が攻めて来ることを知り、古代の叡智が書かれた奥義書の守り手であったマヤは、奥義書を別の場所に隠し、異界へとつながる通路を封印して、自ら「おとり」になったのだった。そして縄で両腕を縛りあげられ、馬の背に揺られながら山を降りて行く。周りの人たちのすすり泣きが聞こえるなか、マヤは独りで歌を歌っていた。その歌声に苛立った若い兵士が、年老いたマヤの身体を銃剣でボコボコ殴っていた。しまいには縄で口を固く縛られてしまったが、マヤは自分の波動をこの山に響かせ、この青い空に、この惑星に刻印しようと、喉を震わせながら声を出さずにハミングし続けていた。

   そこは荒涼とした山岳地帯であったが、岩陰から小さな青い花が揺れているのを見て、最後にこうささやいた。「ああ、この星は美しい・・・、でも、もう二度と戻ってくることはないだろう・・・」と。そして隣国の政府に引き渡される前に、青みがかった銀色のコードを肉体から切り離し、自ら命を断ったのだった。

   マヤは宇宙図書館で自分の本を読む前に、すでに前世でのそのことを鮮明に思い出していたので、何も驚くことはなかった。個人の本を注意深く読み返してみると、記憶を次回の人生まで持ち越すためには、意識を保ったまま死を迎えることが条件のように思えた。しかしこれは、自ら命を断つことを意味しているわけではない。

   通常自殺というものは、違法に不法入国するようなものなので、その後の手続きが面倒になる。自殺の理由をいつまでも他者のせいにしたり、その状況を嫌っていつまでも逃げ続けるわけにはいかず、たとえ再び転生のチャンスが与えられたとしても、自らの生き方を変えない限り、同じパターンが半永久的に繰り返されることになる。自ら命を断ったとしても、死後にまで意識を保っていられるとは限らず、そのためには特別な技術が必要になるのだ。

   また、現在の人生に影響を与えている過去世の情報を引き出すこともできる。
   たとえば現在のマヤが、なぜ数字や幾何学模様に興味を持っているかという理由を、過去の記録から探すことも可能だった。「数字」や「幾何学模様」と言う項目で検索すると、中世の錬金術師の記憶や、ルネッサンス時代の石工職人の人生が明るみに出るのだった。ちなみに現在の人生にリンクしている過去世を探してみると、「キプロスの船乗り」の人生と、「古代エジプトの書記」の人生が浮かび上がってきた。

   「キプロスの船乗り」の人生では、
   「俺の船で喧嘩はやめてくれ。喧嘩なら船の外でやってくれ。今すぐこの船を下りろ!」と叫ぶマヤは、船員たちを強引に海に叩き落すような人物だった。唯一マヤに忠告をしてくれる幼なじみにさえ、ほんのささいな命令に従わなかったという理由だけで、わずかな食糧とともに無人島に置き去りにしたのであった。マヤは藍色の服に真っ赤な腰紐を巻いていたので、船員たちの中には、赤い色を見ただけで恐怖に震える者もいた。しかしそれ以上にマヤは絶えず怯えていたのだ。誰かが自分に剣を突きつけるのではないか、食べ物に毒を盛るのではないかと。そんなマヤの唯一の楽しみは、みんなが寝静まった夜更けに、ひとり甲板に寝転がり、星空を眺めることであった。

   そして今、静かに目を閉じると、今回の人生だけでなく、いくつもの人生が甦ってくる。それは決して忘れることのない声、かつて愛した人の面影や、いつも転生を共にしてきた仲間たちのこと、それらがうねりながら脳裏に流れてくる。そして、この星に最初に降り立った日のことが鮮明に思い出され、マヤは満天の星空を見つめながらこうつぶやくのだった。

   ・・・どれほどの月日が、ぼくらの上を、かすめたのだろう
   ・・・きみは憶えているだろうか?
   ・・・手をつなぎ、この星に最初に降り立った日のことを
   ・・・希望に輝く きみの瞳だけが ぼくの唯一の支えだった
   ・・・どれほどの月日が ぼくらをかえてしまったのだろうか
   ・・・きみの瞳を探しながら ぼくは見知らぬ星で 迷子になった

   そしていつしか時空を飛び越えて、こんな未来を想像するのだった。

   この星は銀河を旅する船のようだ。限られた食料に限られた水。
   俺たちの船で喧嘩はやめてくれ! でも、もうこの船から誰も降ろしやしない。
   今まで置き去りにしてしまったやつらを一人残らず拾い上げ、新しい地平を目指そう。

   エリア#9にある個人の転生の本には、過去から未来へと連綿と続く人生があった。
   一つひとつの人生は小さな星のように輝き、どこで誰に生まれ変わろうと、その根底に流れる自分の本質というものは変わることがない。かつてはマヤも、自分の前世というものに興味を持っていた時期があった。しかし今ではあまり関心がなく、しょせん前世というもの、つまり思い出に固執することは愚かなことだと思った。なぜなら過去は単なる過去であり、人は過去にも未来にも生きることができないからである。せいぜい波乱万丈の過去を思い出すことで、今の出来事を平然とやり過ごす自信が持てるくらいだろう。

   そしてあまり転生の本を読みすぎると、人生というものを達観するようになり、何でも先延ばしにする傾向を持つようになる。そしてあまりに客観的になりすぎて、今という瞬間を楽しむことが難しくなり、肉体を持って生きている喜びを忘れてしまうのだ。この3次元という空間で、自分の肉体とともにあるということが、いかに素晴らしいことか考えたことがあるだろうか? 

   転生の本を読むということは、これらの記憶を用いて、今という瞬間に何をするべきかという真価が問われることなのである。過去世を思い出したならば、いかに現在という時を力強く生きるかが大切なのである。過去の栄光にすがったり、いつまでも被害者意識に留まって感傷に浸るのではなく、これまでの記憶を自らのうちに1本に束ね、今という瞬間をより良く生きることが、宇宙図書館にアクセスする本来の目的なのだ。

   それだけでなく、過去が変わることもある。
   もちろん過去の物理的な出来事が変更されることはめったにないが、その時の出来事に対して自分が持った感情部分というものは、後からでも修正することが可能なのである。それは記憶が好きなように再構築されるというよりは、過去に越えられなかった自分の感情パターンを、現在においてクリアすると、過去にあった同じパターンのものが、いっせいに裏返るのである。つまり現在を変えれば、過去も変わらずにはいないのである。つまりいうなれば、過去も未来も、すべてが同時進行しているのだ。

   そして転生の記録の本を読む限り、大切なのは一つひとつの出来事ではなく、その現象に対して自らに生じた「感情」が重要なのである。個人の過去世の本に記録されているものとは、つまり、自分の感情の記録なのである。


          book 「22を超えてゆけ」 辻 麻里子著 ナチュラルスピリット

                           抜粋

宇宙の情報は「北」からやってくる

   「呼吸はなぜ生まれるのでしょう。
   呼吸の第一原因となるものは何だと思われますか?」

   アヌビスは真っ直ぐ、マヤの瞳を見ていた。

   
「なぜ呼吸が生まれるのかな・・・。
   呼吸の第一原因は・・、泥人形に息を吹き込んだ人なのかなぁ」

   
「ではあなたがいうように、第一原因として泥人形に息を吹き込んだ存在が、最初の息を創り出したと仮定しましょう。しかしその後、呼吸はなぜ継続すると思いますか? それはあなたが寝ている時も起きている時も、意識している時も意識しない時でも、呼吸は続いています。呼吸とは、意図的に自動操縦に切り替えることも可能なのです。」

   「宇宙の創造をあらわす式は、とてもシンプルなものなのですよ。
   つまり地球人類が意識を持ったのは、「息」を意図的にコントロールできるようになったからなのです。「息」を意識的に使うことによって、その意識状態を変えることができるのです。たとえばあなたは、宇宙図書館(アカシックレコード)にアクセスする際に、呼吸の数を宇宙の定数に同調させていますね。」

   たしかにマヤは、宇宙図書館に意識的にアクセスする際には、呼吸の数に意識を向けてゼロポイントにチューニングする。思い返すと、宇宙図書館にアスセスし始めたばかりの頃には、心臓の鼓動をきっかり「72」に数えていた。そうすると「72」という数字が重要だったのだろうか。意識的に呼吸をするとは、意識的に宇宙とつながることなのだろう。呼吸の第一原因を考えていると、歩こうとして右足と右手を同時に前に出してしまうように、呼吸がぎこちなくなってくる。

   「では、5次元の幾何学を知るために、もうひとつ別の次元に飛びましょう。
   5次元の幾何学を解く鍵として、方角と色の関係についてお話しましょう。まず方位磁石は、あなた方が「北」と呼んでいる方角を指しますが、なぜ北なのかというと、そのはるか先には、創造の湧き出す「泉」のようなものがあります。宇宙の情報は北からやってくるのは知っていますね?」

   
「はい、知っています。
   頭を北の方角に向けて寝ると、夢を鮮明に覚えていられます。北枕にして寝るとまわりの人はいやがりますが、実は頭が冴えてスッキリするんです」

   
なぜ北枕が忌み嫌われるのか、それには何か科学的な根拠があるのかどうか、マヤにはわからなかった。しかし夢の調査をするにあたっては、頭を北に向けて寝ることは非常に大切なことで、もし北枕で寝ることを禁止されたら、「夢の調査員」としてはまったく機能しなくなるほど重要なことなのだ。それは夢の中で多次元の情報に簡単にアクセスできなくするために、あえて北枕で寝させないようにそれを忌み嫌わせることで、真実が隠されてきたのではないかと思われる。それほどに、宇宙の情報がやってくる北に頭を向けることは重要なことなのである。

   「地球という惑星は、磁気を帯びた大きな磁石のようなもので、そこに存在するすべてのものは地球と同じように磁気化されているのです。それは人類も例外ではありません。そのために南北のラインに沿って身体を横たえることで、地球の磁気の流れに逆らうことなく循環できるのです。」

   「結論から先に言いますと、回転を生み出すには、極性を持たせることが重要です。
   そして色というのは周波数の波であり、方位というのも周波数の波なのです。では実際に、羅針盤を物質化して、正しい方向に色を置いてみましょう。」

   マヤはアヌビスのヒントに従って、それぞれの方向に、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、マゼンタの順番に虹色の輪を描くように八つの球体を置いてゆく。

   何かを生み出す時や創り出す時、そして答えに至る時、そこにには必ず「図形」が存在するのですよ。数字も図形も、色も方角も、それらはすべて周波数の波なのです。そしてすべてのものは振動しているのです。その音を聞き分けることができれば、すべてのものの根底にあるパターンを発見することができるでしょう。それが宇宙創造の原理へと真っ直ぐつながっているのです。」

   
「ということは、図形も色や方位であらわせるということですか?」

   
「そうです。
   図形はエレメントに還元され、それらは色や方位や季節に変換することができます。そして方位と色を使うと回転が生まれます。なぜ回転が生まれるかというと、それぞれの組み合わせによって引き合う色や反発する色、逃げる色、追いかける色があるからです。」

   たしかにそうだ。
   色によって反発したり、不協和音を発する色の組み合わせがあるし、隣同士においてフィットする色と合わない不協和音を出している色がある。そしてターコイズ・ブルーとターコイズ・グリーンは親和力があった。

   「図形はある意味で、触媒作用があります。
   それは霊的な進化を早めるための触媒です。つまり図形はゆがみをチューニングして、宇宙創造のパターンに戻すことができるからです。宇宙創造の原理にかなった図形は、惑星が描く軌道のように調和を生み出し続けています。図形的な視点を持つならば、物事の最短距離を見つけることができるでしょう。歪みのない図形が投入されると、その集団はより迅速に歪みが正されたリズムを生み出すようになります。つまり図形は、変容をスムースに進行させるための触媒になるのです。図形は宇宙創造の仕組みであり、創造のパターンであり、いわば宇宙の基礎なのです。正確な図形の影響力をあなどってはいけません。」

   基本となる5つの立体図形
   
正6面体(さいころ型)・正20面体(20の三角面)・正4面体(4つの三角面)・正8面体(2つ合わさったピラミッド)・正12面体(12ある5角形)

   「時空を旅する者にとっては、突入の角度というものは非常に重要なものです。
   同じく脱出の角度も重要です。なぜ角度が重要なのかというと、ある一定の角度が安全に次元間をつなぐ扉になるからです。いわば角度とは、時空を旅する者の極秘のコードなのです。しかしあなた方の時空の旅は片道切符のようなものなので、もとの場所に正確に戻ってくることができません。なぜならあなた方は、角度というものについての理解と認識が足りないからです。わたしアヌビスは、惑星地球から去る際の角度を護る者であり、人々を安全に多次元の旅へお連れする者なのです。

   何もないと思っている空間に、ある一定の角度の時にだけ見えてくるものがあります。
   よく聞いてくださいね。つまり「真実が見えてくる角度」というものがあるのです。」

   
         book 「宇宙の羅針盤 ㊤」 辻 麻里子著 ナチュラルスピリット

                           抜粋


我々に神の優しさが戻る時彼らは姿を現す ②

   私が「ナナカマド」について研究を始めたのは、2000年の6月からでした。
   ナナカマドの実は初夏である6月に結実するのですが、翌年の2月まで実に保たれるソルビン酸という保存成分のおかげで、みずみずしく木に実っています。そして冬の終わりに鳥たちはその実を食べて命をつなぎます。ですから豪雪で雪解けが遅くなる年には、初夏からの実りが違うのです。つまり今年のようにナナカマドの実が豊作ならば、その冬は豪雪となることが分かってきたのです。

   2001年1月から2月まで、私は札幌のランドマークである手稲山で観察を続けていました。そこにはキツネやたぬき、えぞももんが、えぞしか、それにヒグマやテン、イタチなどが生息しており、そこは原生林がそのまま残る野生の宝庫でもあります。その近くの一番標高が高い位置にある、住宅街のごみ置き場のそばから始まる原生林に、ナナカマドは赤い実をたわわに実らせていました。

   しかしそのゴミ置き場で不思議なことが起きました。
   ゴミ置き場では水曜日は燃えないゴミの日ですが、毎週、その水曜日にのみ、出されたゴミ袋の一部が破られており、そこから足跡が山に続いていたのです。私は山を愛する人間なので、野生動物の足跡は一見しただけでその種類を判断できますが、この小さな足跡だけは何度見ても判断することができませんでした。なぜかと言えば、それはまさに小さいながらも人間の足跡だったからです。雪の沈み具合からすると、その体重はネズミかうさぎくらいだと判断できました。それはまったく人間の足跡なのですが、その大きさは私たちの手の指の第一関節までの長さで、2センチにも満たないものでした。私がゴミ置き場を調べてみると、彼らが持ち帰っているものは、すべてが「布」であることが分かり、ゴミに出されている布の一部が切り取られていることもありました。

   私は昔、たけのこ採りに行ってニセコの山中で遭難した時も、また雪山で方向を失って死にそうになった時も、聴いたこともないような美しい歌声が風に乗って流れてきて、その方向に歩き出して助かった記憶が脳裏に甦りました。そして、決して姿を現さない、あの歌声の人々のことが思い出されました。私は何日か後に再び山に戻り、その水曜日に足跡を追跡してみることにしました。

   「あいつらは不思議な力を持っている。
   声を出さずに言葉を話し、水や食べ物の場所を教えてくれる。やつらは「カムイ」(この世界の生命体)と通じておるんじゃ」。 それはもう27年も昔のことでしたが、私はその頃、日高の沙流川(さるがわ)流域の二風谷(にぶたに)ダム建設予定地で地質調査を行なっていました。その原生林で私は、木こりを生業(なりわい)にしているアイヌの人々に出逢った時、その長老が話してくれた「ニングル」の姿を思い出したのです。

   2001年2月の中旬ごろ、澄み切った青空が鮮やかな朝に私はその場所に赴きました。案の定、その場所には点々と足跡があります。「よし!」。私は胸の高鳴りを抑えながらその足跡を追っていきました。雪に埋もれながらどれくらい進んだでしょう。森に足を踏み入れ膝まで雪に埋もれながらも、大きな栗の木へ足跡が続いている場所まで到着しました。足跡は、木の周りの雪のくぼみへ降りていったようです。「驚かせてはいけない」、そう思って私が慎重に眺めていると、あの日の歌声が風のように微かに流れてきたのです。それはかつて確かに聴いたことのある歌声で、それが遠くから聞こえる気がするのです。まわりを見渡して、歌声の主を探すのですが、それは空全体から聞こえてくるようでもあり、不思議な歌声なのです。

   そして、あの木の根元に目を移した時、「彼」が両手を広げて立ちはだかるように立っていたのです。彼と私の距離は目測で5メートルくらいでした。「彼」は長く黒い立派な髭をたくわえて、膝まである麻の布のような服を着た、とても小さな男性でした。私を見つめるその小さい人は、身長が20センチくらいで、頭にはターバンのようなものを巻いています。私は驚きと感動で身体が固まってしまいました。するとその男性の後ろから、白く長い髭をたくわえた老齢で威厳のある男がゆっくりと現れました。

   「人間が私たちを見つけるのは珍しいことだ。
   それはこの子が生まれた頃以来のことだ。だからこの子には、人間の物に興味を持っては駄目だと言っていたのに・・・。」

   「こんにちわ、すいません」

   私は緊張のあまり、心に言葉が伝わったのか、声を出したのか定かではありません。
   しかし不思議な静寂が私たちを包み、木々のざわめきや野鳥の声も途絶えていました。そして、はからずもその老人は雄弁に語ったのです。

   「あれは70年も前のことだろうか。
   この子が生まれた頃には、この山の近くに住む人間たちの食べ物が無くなり、人間たちはわしらの山へ入り込んでは「カタクリ」(人間の言葉で)を採り、子供を養っていた。その頃の人間たちはみな心が優しく、「カムイ」とともに生きている人々だった。」

   「はい。それは戦争の食糧難の時だと思います」

  北海道の人々は戦時中の食糧不足から、美しき春の妖精の花と呼ばれる「カタクリ」の根を掘り出し、それをすりおろして「デンプン」を作っていたのです。北海道では今でもデンプンのことを、「カタクリ粉」と呼ぶことが多いのです。

   「突然にすみませんでした。誰にも言いません。もう帰ります」

   私は、してはいけないことをしたような罪の意識を覚えました。
   きっと若いほうの小人の男性は恐怖に打ち震えているに違いなかったのです。その証拠に、未だに微動だにしないでいます。しかし、私の言葉を無視するかのように老人は語り続けます。

   「あの頃は人間とわしらは友人だった。
   うん、あの頃はお前のような人間がたくさんいたが、今は違う。おそらく人間から「カムイ」が抜けてしまったのだろう。お前は山のカムイを愛する者だから、何も心配はしていない。この子は今まで人間とじかに逢ったこともないし、人間の言葉も知らんから臆病になっておるだけだ」

   「ありがとう、おじいさん。
   またいつか逢えるんですか? そしていつも山で聞こえる歌声はあなた方の仲間の歌声なんですか?」

   「そうだ。
   わしらは「カムイ」を信じる人間を誘(いざな)うことがある。それは人間の生命が危ない時にだ。お前にだけ教えてやろう。わしらに逢いたければ、山に流れる小川に花を流せ。たくさんの花を。そして祈るのだ」

   それから老人は、彼らに逢いたい場合の呪文を教えてくれたのです。
   それはどんな意味なのか私にはさっぱりわからなかったのですが、とても嬉しいプレゼントだと思いました。最後に私は、聞かずにはいられなかった質問をしました。

   「おじいさんは、いつごろからここにいるのですか?」

   「わしが生まれたのは、この栗の木と同じころだ。
   そうだな、カムイに祈る人間がいなくなった頃だ。わしはお前たち人間がこの大きな島へ来るずっと前に生まれた」

   小人の二人は一瞬かがんだように見えて、消えたように見え、姿が見えなくなりました。私にはもう彼らを追うことに意味がなくなったので、道のほうへ歩き出しました。するとその瞬間、山のざわめきや小鳥たちの声が再び優しく響き始めました。エゾ松の木にはシマリスが忙しく走り回っていました。

                                                               自由詩人 松尾多聞氏の体験手記より


   
訳者の益子祐司氏より: ここでご参考のために、オムネクと似た体験をされた札幌在住の「自由詩人」松尾多聞(まつおたもん)氏の体験手記をご紹介しました。「木の根元」、「白い髭の小人」、「プレゼント」という共通した要素が見られることも興味深いです。元全日本スキー選手の松尾氏はさまざまなボランティア活動に携わるとともに、宇宙船との遭遇やヒューマノイド型宇宙人とのコンタクト体験もお持ちです。宇宙人女性から詩を世の中に発表するように告げられて40歳から詩を書き始め、後にブログや無料電子書籍『僕の声が聞こえるかい』などで公開し、2010年に「詩のボクシング」全国大会で準優勝(団体戦)もされています。


    book 「地球人になった金星人オムネク・オネク」 オムネク・オネク著 徳間書店

                           抜粋


かつて我々と小人たちは共に生きる仲間だった ①

   これは私がドイツで最初の講演ツアーを行なったときの出来事です。
   ザイフェンのシグリッド・ラム・ベックマンが私の本を読んで、彼女のところでワークショップを開いて欲しいと依頼してきました。彼女は大きな庭園のある古い学校の建物に住んでいました。この庭園はとても特別なもので、一般市民には開放されていませんでした。彼女は庭の植物を自由に生長させていて、特定の人たちやセミナーの参加者のグループが瞑想したりする時にだけ使用することを許可していました。

   私たちはワークショップの後で、それぞれが香木を持って庭園に入っていきました。
   中央には12個の切り株で円形に囲まれた炊事炉があり、ベンチがありました。しかしちょうどその時、雨が降り出したので、建物に戻らなければならず、私たちはそれぞれ持っていた香木を地面に挿し、私も自分のものを切り株の近くに立てました。

   翌日は日射しも出てよいお天気になったので、私はソーステンと一緒に散歩に出かけました。庭園を抜けると近くに、岩々を縫うように流れる小川があり、そこはとても美しい場所でした。私たちが茂みや木々に覆われた近場の丘に登り始めたとき、私はある1本の木の根元に何かがあるのに気づきました。「見て、これはノームたちの木の家よ」、と私は木の根っこの間にある小さな穴を指してソーステンに言いました
。(訳註:ノームとは伝説上の存在で、小さな老人のようであったり、地の精とも言われている) しかしソーステンはとても疑い深く、伝説の生き物が存在するはずがないと信じていました。

   ノームたちが人間たちを避けて暮らすようになったのは、彼らは昔、人間たちに虐待されたことがあったからです。人間たちは彼らを捕らえて金儲けのために見世物にしたり、彼らの宝石の隠し場所へ案内するように責め苦を与えたりしていたのです。ソーステンは、その穴はネズミが掘ったものだと思っていました。私は、「でもこの小さな家を見て。これはちょうど木の根元の部分に造られていて、小さなドアと階段もあるわ。それに段の上には葉っぱが敷いてある。これは足を拭くマットよ。ネズミだったらこんなことはしないでしょう?」 そこには幹の側に土で作られた窓までありました。てっぺんには木の葉で覆われた何本かの枝木でできた屋根があり、その一部は雨で吹き飛ばされていました。

   「屋根を修理してあげましょう。小さな彼らにとってはすごく時間のかかる作業だけど、私たちなら数分で済むことよ。」 ソーステンは私が本当に気がおかしくなってしまったかのように見ていましたが、屋根を直すための葉っぱや小枝を集めるのを手伝ってくれました。「彼らはきっと大喜びするはずよ」、と私は微笑んで言いました。

   シグリッドの家に戻り、私は一人で瞑想するために庭園の切り株のあたりに向かいました。そしてふと、昨晩みんなが立てたたくさんの香木はどこに行ったのだろうと不思議に思いました。なぜなら私が置いたものだけがその場所にあった以外は、すべてなくなっていたからです。私は自分の香木を手に取ってベンチに腰をおろしました。その日私は青いジーンズに、かかとの後ろに鎖のついたブーツを履(は)いていました。

   目を閉じて瞑想を始めると、ふいに香を焚いた匂いが漂ってきました。
   なんと、私が両手に持っていた香木に火が灯っていたのです! これは魔法だ、と思いました。香木がひとりでに発火したのです。とても興味深いことでした。私は再び目を閉じました。すると今度は何かが、私のブーツの鎖を揺らしたのです。私は少し前、小さな子猫と遊んでいたので、その子が私の靴の鎖で遊んでいるのだろうと思いました。私はただ微笑んで、次に足元に何か温かいものを感じた時も、子猫がそこに寝そべっているのだろうと思っていました。

   そして子猫を見ようと目を開けると、そこには私の靴の上に腰掛けた小さな男性がいました。私はあやうく心臓発作を起こすところでした。私は見間違いだろうと思い、再び目を閉じて開けてみましたが、彼はまだそこに座っていました。彼は足を組んで、小さなパイプをくゆらせています。その匂いも嗅ぎとれました。その匂いに私は急にクシャミが出そうになり、それを何とか抑えようとしました。そのクシャミの音に驚いて、彼が逃げ出してしまうのではないかと思ったからです。そこで私はゆっくりと手を鼻のところにやり、クシャミをとめようとしたところ、彼も同じ仕草をしたのです! 私は笑ってしまい、彼も笑っていました。その声はとても深いものでした。

   口の中から白い歯がこぼれていました。
   彼はとても血色の良い頬をしていて、白いあごひげを蓄えていました。そしてスエードのズボンとベストを身につけており、トンがり帽子を被っていました。背丈はとても小さく、20センチにも満たず、小さな人形のようでした。私たちは微笑みながら見つめ合っていました。すると彼は自分の背中に手を回して何かをつかみ、私に差し出したのです。そこで私はひざまずいて手の平を広げると、彼はその中に何かを置きました。彼の手は本当にちっちゃくて、とっても温かく、本物の手のようでした。そして彼はひょいと飛び跳ねて、茂みの中に消えていきました。

   私の胸はいまだに激しく鼓動を打っていました。
   私は自分の手の中に何があるのか見るのを怖れて、こぶしを握り締めていました。何もなかったらどうしようと心配だったからです。私は心の中でつぶやいていました。「誰もこんなこと信じてくれないわ。人に何て話せばいいの? シグリッドにはどう伝えればいいのかしら? でもこの話を誰かにしてもいいの?」

   食事の後、私はその出来事をソーステンに話しました。
   そしてようやく勇気を奮い起こして、握り締めたこぶしの中を見てみることにしました。私はこの話をすることが本当に怖かったのですが、でもノームからの「贈り物」はこの出来事が本当であることの証拠なのです。それは小さな水晶でした。大きさは指の爪ほどで、ノームのとんがり帽子のような形の容器には、不思議なシンボルが一面に描かれていて、その一番てっぺんにはエジプトのアンク十字が描かれていました。
(訳註:上部に楕円状の輪がついた十字で、生命の象徴とされる) そしてその輪の部分には鎖が通せるようになっていました。

   その水晶には細かく不規則な小面が刻まれており、片側には多数の小さな彫面と、反対側には大きな彫面が切り出されており、その側は金で覆われていました。その水晶は青紫色にきらめくとても珍しい色をしていました。ある宝石鑑定人によると、この水晶が加工された時期はアトランティス時代にさかのぼり、特別な儀式のために金でコーティングしたのだということでした。

   私はシグリッドにこの体験を話すと、彼女はとても喜んでいました。
   彼女がこの屋敷に越して来て、初めて庭園を掃除し始めたとき、夜中に歌声を耳にし、炎のまわりをノームが踊っているのを目にしたそうです。彼らが今でもいることを知ったシグリッドは嬉しそうで、彼女は自分が彼らの世話人になったように感じていました。そしてノームたちは私を選んで自分たちのことを世の中に伝え、人間たちの考え方を改めさせて、もう一度つながりを持たせようとしたのです。

   ノームのエピソードは、私のワークショップに欠かせないものとなりました。
   すると、これまで嘲笑を怖れて決して自分の体験を話すことのなかった多くの人たちが、今では自分の経験したことを私に打ち明けてくるようになったのです。


     book 「地球人になった金星人オムネク・オネク」 オムネク・オネク著 徳間書店

                            抜粋


我々はすでに4次元を内包する世界に生きている

   「・・・やあ、よく来たね」
   どこかで聴いたことのあるような懐かしい声が響いていた。ああ、ついにこの人が登場したのか・・・、マヤはため息にも似た声を出していた。この人は、マヤがまだ幼い頃に、宇宙図書館(アカシックレコード)へのアクセス方法を最初に教えてくれた人物であった。噂では責任ある仕事をしている人のようであるが、マヤにとっては図書館ガイドのおじいさんであり、ガイドの「ジー」と呼んでいた人であった。

   「わたしにとって名前などどうでもいいことだが、わたしを『G』と呼びなさい。
   しかしこれはおじいさんの爺でも、重力のGでもなく、それはアルファベットの7番目の文字のGだ。宇宙の深淵に流れる、7の法則を理解し、7という数字を真の意味で使いこなすことができたなら、この宇宙での学びはもう終わりにしてもいいくらいだ」

   
「G! ここはエリア#7の上空? それとも太陽の国?」

   
「ここがエリア#7の上空かという質問だが、3次元的な解釈ではそれは誤りだ。なぜならエリア#13以上の世界では、エリアや次元番号などもう意味をなさないのだ。13次元以上は次元の区別すらなく、すべては一つなのだ。よく考えてごらん、エリア#13より先の数字、たとえば#14、15、16、17・・・などという数字を宇宙図書館において、いままで一度だって見たり聞いたりしたことがあるだろうか?

   それでは次の質問だが、ここは太陽の国かという問いだが、それはきみにとって太陽の国とは何を指すかによって答えは変わる。少なくとも太陽の国は、太陽にあるわけではない。太陽は太陽だからだ。そしてその太陽ですら、もっと大きな太陽を中心にして銀河のなかをまわっているのだ。きみが言う太陽の国とは、惑星意識を超えて恒星意識へと進化することを比喩的に表現しているのだろう。それは意識の拡大を言っているのであるから、恒星意識を持つ者が、「国」などという限定された発想を持っていること自体、到底あり得ないことなのだ。」

   マヤはあっさり封じ込められて、戸惑いの表情を浮かべていた。

   
「・・・でも、私がここにやって来ることがわかっていたとGは言っていたよね。
   天空の星と惑星の配置からわかっていたと。そうすると、私の運命は天体の配置や惑星からの光によって、すべて決まっているの?」

   
「きみの今の意識レベルでは、そうだ。
   この宇宙には、普遍的な宇宙サイクルというものがある。夜空の星を見てごらん・・・どれほどの星が輝いているだろう。それからすれば惑星の影響など、この広大な宇宙空間から見れば塵のようにちっぽけなものだ。宇宙はもっと、もっと広いんだよ。惑星が放つ光は、スターゲートを描いているにすぎない。天体や惑星の配置は、いつその扉が開くのかをわれわれに教えてくれるサインなのだ。そのゲートから射し込む光をどう解釈し、そこから何を受け取るかは、一人ひとりの選択次第なのだ。どのスターゲートから、どのような光が射し込むかはこれまでの統計ではわかっている。しかし、すべてのものには表と裏があり、そしてさまざまなレベルがあるのだ。自分がどの層にアクセスし、それをどう認識するかによって、状況はまったく変わってくる。」

   
「では、人の寿命についてはどうなの?」 と、マヤは尋ねてみた。

   「たとえば、人の死と誕生について考えてごらん。
   運命によって、死ぬ日が前もって決まっていると仮定しよう。しかしそれでも本人が強く希望するならば、それよりも早くあちらの世界へ行くことも、また反対にこちらの世界への滞在を延長することもできるのだ。転生というものが自己申告制であるように、死も自らが選択しているのだ。そこには運命というものが関与する隙はない。しかし自ら命を絶つことは、次の次元へ不法入国するのと同じようなことなので、その後の手続きが面倒になる。つまりその人生からいくら逃げても、それを乗り超えない限り、何度でも同じパターンを経験することになるのだ。

   わたしが知る限りにおいては、運命などは決まってはいない。
   つまり、自分がその運命を信じたときにのみ、それは現実のものとなり、自分が考えたものに、いずれなってゆくのだ。あなた方が運命と呼ぶものに囚われている姿は、物質世界の現象にだけ翻弄され、6次元までに足留めされて7次元にはいけないさまに似ている。7次元より先にアクセスすることができれば、もはや運命や宿命に左右されることはない。星々

の運行や数字に囚われているのは、6次元より下にいる存在だけなのだ。この呪縛を超えたところまで、いずれ地球人類も踏み出していかなくてはならないのだよ。」 

   「古代エジプトのある時代と、あなた方が生きている時代には、同じ図形が刻まれている。つまり、虚空に刻まれた図形をゲート(入り口)にして、二つの時代を行き来することができるのだ。よく聞きなさい。われわれは、虚空に刻まれた図形だけでなく、鏡の原理を使って、時空にゲートを開けることに成功したのだ。図形を見ただけで、多次元に行くことができるという理論を簡単に説明すると、それは自分の瞳の内側と外側にゲートを創ることに他ならない。その秘訣とは、内側と外側をひっくり返すことで、内と外を反転させることなのだ。

   もしきみが3次元に住んでいると主張するならば、進化を遂げた際に次に向かうのは5次元の世界だ。なぜならあなた方はすでに4次元を内包しており、4次元空間にいるからだ。厳密に言うならば、現実だと思っている3次元の世界から、137分の1だけずれたところに4次元の真実の世界が重なっている。

   言葉の森に迷い込まないうちに、結論から先に言っておこう。
   時空を旅するとは、『空間をずらす』ことなのだ。時間をずらす、空間をずらすとは同じものの表と裏を表現しているに過ぎない。1本の線のように継続するものとは、時間ではなく、それはわれわれの「意識」なのだ。この宇宙は、われわれの意識からできているということを忘れてはならない。

   龍という存在は、この宇宙に拡がるエネルギーの総称であり、本来、龍には善悪はなく、ただエネルギーの流れとして存在している。そこにそういう意味をつけたのは人間なのである。そしていったん意味を与えられたエネルギーは、その手を離れて宇宙を駆け巡り、一人歩きするということを忘れてはならない。」

   「さあ、風を起こして、この塔に昇るのだ」

   マヤは目をつむり、頭上に渦巻きを描きながら、ハートのゼロポイントでつぶやいた


   「・・・風よ、未来を切り開く知恵をください。
   たった独りでも、突き進む勇気をください。
   さえぎるものを通り抜け、未来を変える力をください」
 と。

   「さあ、よく観察しなさい。
   地上に広がる家々は、すべてきみの記憶だ。見なさい、どんな小さな屋根のしたにも、それぞれの人生があるのだ。この風景はきみの記憶であり、きみが愛したものたちの記憶がここにある。この塔に立って、すべての記憶を一つに束ねた時、惑星地球での滞在は終わり、もう二度と地球に戻って来ることはないだろう。われわれが地球に戻って来ることは、めったにないのだから・・・。この惑星から完全に去ることを決めた時、きみはこの塔のうえに立って、すべての記憶を透明な光に変えるのだ。その記憶は透明な光になり、宇宙へと帰還してゆく。

   今地球にいる人々の中で、今回の人生が地球の滞在は最後だと決めてきた人が多いことは、わざわざ言うまでもない周知の事実である。そしてそのほとんどの人が、故郷への帰還を果たすのだ。ここで正しい地球の去り方の幾何学的なパターンを築くことによって、きみの一歩が、その道を築く小さな一歩となる。そして多くの人は死の淵で我を失うことなく、次の世界へと迷わずに移行できることだろう。まずは自分自身が宇宙的な進化を遂げることであり、いずれそのパターンは、3次元の世界の礎(いしずえ)となるだろう。


           book 「6と7の架け橋」 辻 麻里子著 ナチュラルスピリット

                           抜粋


「9・11」、「3・11」の11の数字が持つ意味

   「約1万3000年前に、何が起きたのか知っていますか?
   その出来事によって、地球の1年は約5・25日長くなり、360日ではなくなりました。それとともに人類の意識は二分化され、心は二つの相(そう)を持つようになり、脳の機能は左右に分断されて、互いの言語が理解できなくなりました。そして地球人類は、高次の自己とつながることが困難になったのです。その結果、現代の地球人類は二元性を体験していますが、それは悪いことではなく、そこから新たな創造のパターンが始まったということで、宇宙的な視野に立てばそれもまた普遍的なサイクルの中にあり、これも進化の過程の一つなんですよ。

   ではまずあなたに、一つの予習問題をお出しします
   11
とは、どういう意味でしょうか? 」

   
アヌビスはマヤをジッと見つめて言った。

   
「ご自分で11という数字に入っていかなければ、11次元の意味はわかりませんよ。」

   
マヤは目をつむり、「11」という数字に思いを馳せた。
   心を透明にして、アヌビスに促されるままに、宇宙図書館にある「数字の森」に意識を飛ばし、「元素の周期表」に似たパネルの数字の11を押すと、断崖絶壁に立っている11という銀色の数字を見つけた。マヤはその数字の間に歩み入り、その振動数に自分の振動数を合わせて11の世界に浸透していくと、数字は身の上を語り出し、幻想的な次元を開示し始めた。

   
「11とは形状的にバランスがとれているように見えるが、ある意味で不安定な数字であり、この数字を長時間観察していると、「10」か「12」に変化したがるのがわかる。数字にこういう作用があるというと、不思議に思われるかもしれないが、元素には結合しやすいものとしにくいもの、つまり安定不安定があるように、その法則は数字の世界にも当てはまるのだ。

   11とは自然界にたとえると、サナギである。
   サナギはイモムシではないが、まだ蝶でもない。いずれサナギから抜け出して大空に羽ばたくために、その「時」を知らせるサインを待っている。それは「何か」が欠けた状態であり、完成まであと半歩が欠けた未完のエネルギーを秘めている。

   そして11という音を再生すると、かなり音程が狂っており、その音が他の数字の中に入るとハーモニーを壊し、不協和音を作り出す。つまり「11」とは、音痴なのだ。基本的には、11、22、33、44、55、66、77、88、99、・・・というように、同じ数字が繰り返されるものは音が共鳴してエネルギーが増幅されるが、しかしその中でも先陣を切る「11」だけは、既存のものを破壊する要素と、革命や革新的な要素が含まれている。それに比べると22以降の数字は、11ほど不調和な混乱したエネルギーを発してはいない。」

   
「では方法を変えて、「11」という数字を図形で考えてみましょう。
   それは五芒(ごぼう)星☆と六芒(ろくぼう)星✡の2つの図形です。答えはとてもシンプルですね。五芒星の周波数は3次元の火をあらわし、六芒星の周波数は3次元の水をあらわしています。そして「11」とは、火と水の統合と言えるでしょう。「11」と言う数字がなぜ不安定なのかおわかりですか? それは宇宙のプラスとマイナスのように、正反対のものは惹かれあいますが、同時にお互いがお互いを打ち消すこともできるのです。火と水は、バランスを保たない限り、崩壊につながる組み合わせなのです。でも一方で、不調和がもたらすものは、想像もつかないほどの飛躍のチャンスでもあるのです。」

   
「そうか! なんで今まで気がつかなかったんだろう。
   『火』という文字の頂点を結ぶと五芒星になり、『水』という字の頂点を結ぶと六芒星になる。五芒星と六芒星は火と水で、それは黄金の龍と青い龍のことでもあるんだ」

   「
五芒星と六芒星が火と水という文字になるというのなら、それを超えた七芒星の頂点を線で結ぶと、どんな文字になるか想像してごらんなさい。その文字の示すところがあなたの目指す場所ではないでしょうか?」

   
マヤは七芒星を描き、その中心から頂点をつないで文字を書いてみた。
   それはまるで「光」という文字に見えた。

   
「なぜ6次元から先へ移行することが難しいのか、あなたにはおわかりですか? 
   たとえば上向きの三角形と下向きの三角形から構成されている六芒星を観察してみれば、6次元にいつまでも留まりたい理由が、この図形からも読み解くことができるでしょう。」

   
マヤは実際に六芒星を描いて、その形を観察してみた。
   そしてなぜ6次元から先の次元へ移行するのが難しいのかといえば、6次元は安定性がありすぎるからかもしれない。相反する二次元的なものがバランスをとり、まったくるゆるぎない様子は、不動のものをあらわしているように見えた。

   
「たとえば天秤(てんびん)の左右に「11」という数字があるとしましょう。
   左右のバランスが等しいとき、その天秤は動かなくなりますね。つまりそこに何かを乗せて加えなければ動きません。そのプラス1というものは何か考えてごらんなさい。つまり、あまりにも安定した状態から脱出するためには、それなりの動機や意図が必要です。あなた方はまったくゼロの状態に陥ったとき、空虚な感覚に襲われますね。そしてそのゼロの状態に入ったら、少しずつ「ゆらぎ」が始まり、そして再び外の世界に旅立っていき、そしてまた再びゼロに戻って来るという、その繰り返しを永遠に続けるのです。つまり、すべてのことはバランスなのです。

   そして六芒星の図形が表しているものは、六芒星は閉じた世界であり、流動的ではないということがおわかりでしょう。その様子を図形で表すと、五芒星、七芒星、八芒星は、一筆(ひとふで)で描けますが、六芒星は一筆では描けませんね。

   エリア#6から7へと向かうのではなく、エリア6からいったんエリア#5に戻り、エリア#5から角度をつけてエリア#7の上空へと昇ってゆけばいいのですよ。順番は5→6→7ではなくて、6→5→7なのです。」

   「透明な鏡とは、あなた方の魂のことです。
   あなたは瞳の奥に書いてある文字を読んでいますね。相手の瞳の中にはその人の魂の火がゆらめき、そしてそこにあなた自身の魂の光が反射して映っているのですよ。瞳を交わした瞬間に、火と水と、そして光の情報交換が行なわれているのです。そして(11+11)+1という式のようにカッコの中の力が同等になり、鏡の世界を通り抜けると、今まで見たこともなかったような新たな世界が広がっていることでしょう。つまり、どちらか一方が強いと、優勢な方の姿が鏡に映ってしまい、もう一方は姿を消してしまいます。まったく同じ力にならないと、鏡の世界は通り抜けられないのです。

   あなたが以前受け取った最初の計算式の、(9+13)+1をなぜ変化させる必要があったか考えてください。9という数字は目に見える世界の完成の数であり、13は見えない世界の完成をあらわす数と言えます。この計算式は目に見える肉体と、目に見えない意識を超えてゆくことを暗示していました。しかしこの式は、カッコの中にある数字の左右のバランスがとれていませんでした。すべてのことはバランスです。このカッコの中は地球と宇宙の力が均一でないこと、天と地のエネルギーが同じでないこと、そして内なる男性性と内なる女性性が同じ力を発揮できないことを物語っています。それは火と水のバランスのように、どちらかが優勢になれば相手を打ち消してしまうことです。相反する二つのものが背中と背中をくっつけてピタリと同じ力になり、互いに信頼関係で結ばれ、完璧なバランスを保った時、次元を超えることができるのです。

   鏡とは、分離と統合の象徴でもあり、鏡には境界を越えてゆくという作用もあります。
   あなたにぜひ憶えておいて欲しいことがあります。それは「太陽の国」の入り口には『鏡』があり、その鏡の前で、ご自分の姿を消すことができなければ、そこに入ることはできません。すべての色を束ねると透明になるように、すべての音を重ねると静寂の音になるように、そしてプラスとマイナスの数字を全部集めるとゼロになるように、心を透明にして自らの輝きを放つ時、あなたは姿を消すことができて、そこを通り抜けることができるのです。

   かつて「太陽の国」の波動は、アトランティスやレムリアの時代にもありました。
   その後にも、古代エジプト時代のあるファラオが、地上に「太陽の国」をもたらそうと試みたことがありました。もともとファラオとは、天と地をつなぐ存在のことなのです。それは宇宙の情報を真っ直ぐ地上に降ろすことのできる人を指して、私たちはファラオと呼んだのです。あなた方の文字で図形的な解釈をすると、『王』という文字の形があらわしている通り、王は天と地と人を真っ直ぐつなぐ存在であり、王の中の王というのは『三界に住まう者』をあらわしています。

   そのファラオはご自分の持っている力を、人々に分け隔てなくもたらそうとしました。
   そういうことは、それまでの地上の人々の常識から考えて異例のことでした。誰もが仲介者なしに直接宇宙とつながることのできる世界を、彼はもたらそうとしたのです。そして彼はそのような能力を備えていたのです。しかし、地上に「太陽の国」をもたらそうという、ファラオの夢は失敗に終わりました。なぜなら多くの人々は生存のために必死であり、ファラオの思い描いていた光の世界など望んではいなかったのです。

   人々の意識とともに歩む、というファラオの夢は残念ながら叶いませんでした。
   ファラオは時を急ぎすぎたのです。ある意味で「その時」が来るのを待てなかったのです。その「時」とは、惑星地球に生きる人類の波動が、宇宙とどれくらい共鳴できるほどに高められているか、ということだったのです。」

   「マヤ、あなたが、あなたらしくいなければ、誰もあなたのことを探すことはできませんよ。あなたが自分の本質に気づき、あなたらしさを純粋に表現しなければ、そしてありのままの自分でいなければ、たとえあなたに縁のある人に出逢っても、出逢うべき人に出逢っても、その人はあなたを見つけられずに、あなたの前を通り過ぎてしまうでしょう。それはあなたが、自分本来の自分を覚えていないからなのです。

   マヤ、地上に「太陽の国」を建設するプロジェクトに、どれほど多くの人々が関わっていたかを思い出してください。それは3次元に住む人間だけではなかったのです。それは多次元的な宇宙からやってきた大勢の存在たちによる、大きなプロジェクトだったのですよ。」

   
アヌビスの言葉を聴いているうちに、かつて夢で見た光景がいくつもいくつもこみ上げてきた。街が滅び、国が滅び、人々がいなくなっても、それでも太陽は東の空に昇り、また純白の空を夕焼けに染めていく。荒廃した星に一人たたずみ、神々しいまでに光を放つ朝日を、畏敬の念を持って眺めていたことを。・・・自分は何度、同じことを繰り返せば気が済むのだろうか? 


           book 「6と7の架け橋」 辻 麻里子著 ナチュラルスピリット

                           抜粋


僕はお金を使わずに生きることにした

   お金はちょっと愛に似ている。
   誰もが一生にかけて追い求めつづけるわりには、その正体を真に理解する人は少ない。その昔、人々はお金ではなく、物々交換で商取引を行なっていた。市(いち)の立つ日には、各自が作ったものを持ちより、自分の欲しい物を持っている人と交渉するのだ。パン作りはパンを、ある者は野菜を、果物を、魚を持ち寄って集まる。ところがこれでうまくいかない場合が出てくる。つまり「欲望の二重の一致」と呼ばれる問題で、すなわち、取引をする双方が相手の欲しがる物を持っていなければならないというわけである。酒が欲しいのでパンを差し出しても、相手はパンではなく野菜が欲しいとなればどうしたらいいのか。

   そんなある日、この小さな町に、上品な山高帽をかぶり、三つ揃えに身を包んだ紳士がやってきて、自分をバンク(銀行)と名乗った。市(いち)を視察したバンク氏は、人々が必要な品々を手に入れようと右往左往するさまに失笑を漏らす。そして野菜とリンゴを交換できずにいた農婦に目を留めると、手招きしてささやいた。「今晩町民全員を集会所に集めておくれ。皆の生活をうんと便利にする方法を教えるから。」 その夜住民たちはこぞって、山高帽と立派な背広の話を聞こうとやってきた。バンク氏は、自分の印を押した1万個のタカラ貝を見せると、100人の町民それぞれに100個ずつ配った。そして、「今度から品物を持ち歩かずに、この貝がらを品物と交換すればいいんですよ」と言った。皆はただ品物を貝がら何個と交換するかを決めるだけだ。

   バンク氏は、1年後にまた来るので、そのときに1人貝がら110個ずつを返して欲しいと言った。貝がら10個は、皆の暮らしを楽にし、時間を省いてあげたお礼にいただく、と言うのだ。「それは妥当なお話だけど、その貝がら10個はどこから調達するの?」と演壇から下りて来るバンク氏に賢明なコックが質問した。人々は皆、貝がら10個よけいに返せるわけはないと気づいたのだ。「ご心配なく。そのうちわかりますよ」、バンク氏はこういい残し、次の町へと歩み去っていった。

   簡単な寓話の形を借りれば、これがお金の始まりだ。
   それが進化の末に、ささやかな初期の姿とは似ても似つかぬものへと変貌してしまった。複雑化した金融システムは、ほとんど説明不可能な域に達している。お金はポケットに入れて持ち歩く紙幣と硬化だけではない。銀行口座はもちろんのこと、先物やデリバティブがあり、国債、社債、地方債がある。中央銀行の準備金も、2008年の信用収縮で世界的な金融機関破綻の引き金となったモーゲージ証券(住宅ローンを担保として発行される証券)も、すべてお金である。金融商品、指数、市場があまりにたくさんあり過ぎて、それらがどう関係し合うのか、世界有数の専門家でさえ把握しきれていない。

   お金はもはや人間に仕える僕(しもべ)ではなく、人間がお金の僕になったのだ。
   世界はお金に乗っ取られてしまった。つまりそれ自体(お金)には何の価値もないものを、他のすべてを犠牲にしてまで、世をあげて崇め奉(たてまつ)っているのだ。そのうえ今のお金という概念全体が、不平等や環境破壊、それに人間性軽視を助長するようなシステムを下敷きにして成り立っている。

   2007年、僕がビジネスと何らかの関わりを持つようになって、10年が経とうとしていた。
   僕はアイルランドで4年間、経営学と経済学を学んだあと、6年間にわたりイギリスで複数のオーガニック(有機)食品会社の運営をしていた。オーガニック食品業界に身を投じたきっかけは、大学生活最後の時期に読んだ「マハトマ・ガンディー」についての本だった。それまでは企業に就職して、てっとり早く大金を稼ぐつもりでいたのだが、この人物の生き方に接してからは、自分の持てる知識と技能を何か社会の役に立てたいと望むようになったのだ。

   僕の心の琴線に触れたガンディーの言葉に、『世界を変えたければ、まず自分がその変化になりなさい・・・たとえ1人きりの少数派であろうとも、何百万の仲間がいようとも』という一節がある。しかし悲しいことに、自分が世界をどう変えたいのかが、その頃の自分にはまだわかっていないのだった。オーガニック食品を扱う仕事は倫理的だと思われたので、まずはそこから始めてみることにした。その気持ちは今でもほとんど変わらない。

   そしてこの業界にどっぷり浸かって6年が経ち、僕の見方も変わってきた。
   生態系に配慮した生き方への足がかりとしては相応しい職場だが、しかし期待していたような持続可能性を現した楽園ではなかった。ここもまた、従来の食品業界と同様な問題を抱えていたのだ。遠隔地から空輸される食品、何重にもビニール包装された「お手軽」な商品、そして大企業による小規模独立業者の買収などには幻滅を禁じ得なかった。折りしも、気候変動や資源枯渇などの問題を何とかしたいと考える人々の運動が、世界規模で高まりつつあり、僕もその動きに合流するために方向転換を模索し始めた。

   ある晩、親友のドンと話していて、労働力搾取の工場、環境破壊、工場畜産、そして資源争奪戦などの問題に話題が及んだ。僕らが一生をかけて取り組むべきはどの問題なのか。しかし自分たちに大した貢献ができるとは思っていたわけではないし、僕らは、汚染された大海の中の2匹の小魚に過ぎない。だが、まさにその晩、僕は気づいたのだ。つまりそれは、病んでいる地球のこれらのあらゆる症状が、それまで考えていたように互いに無関係ではなくて、互いに共通する大きな原因を共有しているということだった。

   その原因とは、消費者と消費される物との間の「断絶」である。
   もし我々がみな、自分で食べる物を自分で育てなければならなかったら、その3分の1を捨てるなんてことはしないだろう。机や椅子を自分で作らなければならなかったら、不要になったり、部屋の模様替えをしたとたんに捨ててしまったりはしないだろう。店で気に入った服も、見えないところで武装兵士に監視されながら布地を裁断する子供の表情を見ることができたら、買う気が失せることだろう。牛や豚の屠殺処理の現場を見ることができたなら、ほとんどの人がベーコンサンドイッチやステーキを食べるのをやめるだろう。飲み水を自力で調達し、きれいにしなければならないとしたら、まさかその中に大便をしはしないだろう。

   心の底から破壊を望む人間はいない。
   他人に苦痛を与えて喜ぶ人間など、そうそういるわけではない。それなのに、無意識に行なっている日常的な買い物は、ずいぶんと破壊的なものである。なぜか。それはほとんどの人が、自ら生産する側に立たされることはおろか、そうした衝撃的な生産過程を目にすることもなければ、商品の生産者と顔を合わすこともないからだ。ニュースメディアやネット上で実態の一端を垣間見る機会はあっても、その一瞬はたかが知れている。しかも光ファイバーケーブルという感情のフィルターを通すと、衝撃というものは大幅に減殺されてしまうのだ。

   こういう結論に達した僕は、消費者と消費される物との、これほどの極端な「断絶」を可能にしたものは何だろうかと考えた。たどり着いた答えはごく単純だった。それは「お金」と言う道具が生まれたその瞬間から、すべてが変わったのだ。最初はすばらしいアイディアだと思われたし、実際に世界中の99.9%の人々は今でもそう信じている。問題はお金がどう変わったかということと、お金が何を可能にしたかなのだ。

   お金のせいで、僕たちは自分が消費する物とも、その製品を生産する作り手とも完全に無関係でいられるようになってしまった。消費者と消費される物との断絶は、「お金」が出現して以来広がる一方であり、今日の金融システムの複雑さによってますます拍車がかかっている。そしてこうした現実から僕たちの目を逸らすために、周到なマーケティングキャンペーンという売り込みが、あらゆるメディアを使って仕掛けられているのだ。それは莫大な予算が投じられているだけあって、大きな効果を上げている。

   現代の金融システムにおけるお金の大半は、負債(借金)として民間銀行の手で作り出されている。たとえば銀行がただの1軒しかないとしよう。それまでベッドの下にお金を隠していたスミスさんが、老後の蓄えの貝100個をこの銀行に預けることにした。当然銀行は利益を得るために、このお金の一部、たとえば貝90個を貸付に回し、スミスさんが小額の引き出しを望んだ場合に備えて貝10個は金庫に入れておく。そこへ借金をしなければならなくなったジョーンズさんが来て、銀行からスミスさんの貝90個を借りることに成功する。それはやがて利子をつけて返されるお金だ。ジョーンズさんはこの貝90個でベイカーさんから買ったパンの支払いをする。その日の商いが終わり、ベイカーさんはその日に稼いだ貝90個を銀行に預ける。何が起きたかわかるだろうか。

   一番最初はスミスさんが預けた貝100個から始まっている。
   それが今銀行には、スミスさんの貝100個に加えてベイカーさんの貝90個があり、帳簿上には貝100個が190個に増えている。つまりお金は創造されたのだ。さらに銀行は、ベイカーさんの預金の一部も貸し出すことができるのだ。そしてまた同じプロセスが繰り返される。もちろん、物理的な貝の数は変わってはいない。しかしスミスさんとベイカーさんが同時に預金を引き出そうとした場合、銀行は窮地に立たされる。

   でもそんなことはめったに起きないし、たとえそうなったとしても他の預金者の貝を使えばいい。しかし銀行がすべての預金者の貝の90%を貸し出してしまった時、問題が始まる。それはこの虚構である全世界の口座にある貝のうち、実は実際にあるのはたったの10%の貝しかないということが明らかになるのだ。すべての預金者が貝の総額の10%よりも多くの貝を「同時に」必要とした場合、銀行は倒産することになり、人々ははじめて、銀行が架空の金を帳簿上に作り出していたことに気づくのだ。いわゆる取り付け騒ぎである。

   ばかげたシステムだと思うだろうか。
   だがこれが、全世界の各国で日々起きている現実なのだ。銀行は一つだけではなく何千とあり、貝の代わりに世界中のさまざまな通貨が流通しているが、原理は一緒である。お金の大半は、民間銀行の貸付によって帳簿上に創造されている。結局はこの世でもっとも崇められ、尊重されているお金が、それ自体では何の価値も持たない紙と金属で、預金残高とはほとんどが誰かの借金であり、その借金の財源も間接的に見ればさらに別の人の借金で・・・という具合なのだ。

   取り付け騒ぎだって絵空ごとではなく、イギリスのノーザンロックやアメリカのファニーメイなど、近年相次いだ銀行の経営危機が、そうした想像上の財源に基盤を置いている現代金融システムの不安定さを物語っている。これはまさに巨大建築が虚構の上に立っているようなもので、2009年に世界中で見られた銀行救済騒動でもわかるように、システムが破綻すると、この虚構を取り繕うために、納税者が莫大な支援をせざるを得ないのである。

   しかし人間は足るを知らない生き物と見える。
   2010年に発表された「クレジット・アクション」のレポートによると、イギリス国内に流通するクレジットカードは7000万枚で、全人口よりも多くの「融通のきく友」(クレジットカードの宣伝文句)が存在するのだ。しかも一方で借金に悩む人々からの相談は1日9300件以上に上り、4分おきに1人が破産宣告を受け、11.5分おきに1軒の家が差し押さえられている。

   結局は、貨幣創造の過程においては、「金持ちはさらに金もちに、貧乏人はさらに貧乏人に」ならざるを得ない。銀行は、いくら客観的に見ても自分のものではないお金を貸し付け、それから定期的に利子を得て、ローンが返済されなければ不動産を差し押さえる権利を保有する。実に世の中には、とんでもない不公平が存在するのだ。

   最初の小さな町に話を戻そう。
   そのむかし、収穫期になると人々は交換など前提にせず気軽に助け合うのが習慣であったし、人々は今よりもずっとすべてにおいて協力し合っていた。こうした助け合う協力関係は人々の気持ちに安心感を与えていた。そして世界各地には、実際にお金がさほど重要視されず、互いに助け合う文化が少ないが残っている。しかしお金が入ってきたことで、その追求と、人間の飽くなき欲望が、さらに多くを求めて競争に人々を駆り立てるようになってしまった。僕の住む小さい町でも、かつては広く行なわれていた協力が、競争に取って代わってしまった。隣人の収穫作業をただで手伝う人はもういない。この新しい競争主義は、孤独感や自殺、心の病、そして反社会的行動の増加となって、町が抱える問題の一因となっている。それは資源の枯渇や気候変動など、とどまることを知らない経済成長の追及に伴って起きている環境問題とも無関係ではないのだ。

   大半の人々にとってお金は安心の象徴である。
   「銀行にお金があるかぎり安心」というわけだが、近年のハイパーインフレに悩むアルゼンチンやインドネシアを見ればわかるように、この考え方は危うい。21世紀初頭に世界が経験した「作られたバブル」は弾けたのだ。そして多くの専門家は未だに、その原因を搾りきれてはいない。

   「ピークオイル」という問題を押し詰めると、僕たちの文明全体が石油に依存して成り立っているという単純な事実に行き着く。嘘だと思うなら、自分の周囲を見渡して石油を原料とせず、石油を使って運ばれたのでもない物を探してみるといい。石油資源には限りがあるが、まだ油田が底を突かないうちでも、投機のせいで原油価格が高騰すれば、買えなくなる人が増えるだろう。トラジッション・ネットワークの創設者のロブ・ホプキンスによると、「1バレルの原油が発見される間に、4バレルが消費されている。また我々が消費している石油の量は、220億人分の奴隷の労働力に相当するので、地球上のすべての人がそれぞれ3人強の奴隷を所有している計算だ」。西洋諸国に倣った世界中の多くの国が、あらゆる意味において、持続不可能な生活を送ることができているのは、ほかでもない石油のおかげなのだ。

   「アドバスターズ」の創刊者カレ・ラースンは、2009年に次のように言っている。
   「我々は経済学の核ともなる教えを破ることによって豊かになった。それは『汝、資源を売却して収益と呼ぶなかれ』である。過去40年にわたり、森林を伐採し、絶滅寸前に追い込むまで魚を取り尽くし、無尽蔵であるかのように石油を吸い上げてきた。この惑星地球という星の自然の資源を売り払い、それを収益と呼んできたのだ。そしてついに、経済と同様に地球も丸裸にされてしまった」。

   僕自身は特別霊的な人間ではない。
   ただ僕が心がけているのは、いわば「精神応用主義」とでもいうもので、自分の信条を実際に実践することなのだ。頭と心と行動に矛盾が少ないほど、正直な生き方に近づく。つまり、精神性と物質性はひとつのコインの裏と表だと僕は思っている。僕が思うに、売り買いと与え合いの違いは、売春とセックスの違いのようなもので、その行為の背後にある精神が大きく異なる。ただ見返りを得るために何かをしても、絆(きずな)というものは生まれないのだ。

   金のない生活を志向するもうひとつ大きな動機は、もっと単純で感情的なことで、本当は僕は疲れてしまったのだ。毎日起きている環境破壊を見聞きし、ちょっとでもそれに加担することに、またどんな倫理性を掲げる銀行であろうと、経済成長を追及する存在たちに自分のお金を提供することに、西洋の僕らが安いエネルギーの恩恵を受けるために中東の家庭や土地がめちゃめちゃにされる姿を見ることに、僕は疲れた。僕は何とかしたかったのだ。欲しいのは対立ではなく、コミュニティーだ。争いではなく友情だ。人々がこの地球と和解し、そこに住むあらゆる生き物たちと和解する姿を、この眼で見たいのだ。

   僕はお金のない世界に住みたい。
   これは疑いなく、僕の理想である。だがそれが実現可能だという前提のもとに働き、動くつもりでいても、僕の中の現実主義者は、少なくとも僕が生きている間には、そんな世界はやって来ないだろうと承知している。圧倒的多数の人々はお金を手放す気など毛頭なく、非常に便利な道具だと思っている。一方、お金を使うのをやめたいと考えている人からも、実際自分にできるかどうかわからないと打ち明けられることも多い。

   カネなしの生活への道のりは、真夜中の原生林に灯りを持たずに入っていくようなものだ。住むには最高の場所だという気がしても、いかにも恐ろしげに見える。ときにはすっかり怖気づいてしまうこともある。躓いたり転ぶこともある。それでも起き上がって歩き続けると、別の道から同じ場所を目指す人に遭遇する。2人で助け合いながら歩を進める。歩いているのは自分だけではないのだとわかると、やはり行く価値のある場所なのだとの意を強くする。孤独感は和らぎ、落ち着きを取り戻す。漆黒の闇が遠のき始め、空はしらじらと明るくなると、前方に一群の人々が見えてくる。皆、同じ場所を探しているのだ。そして合流して歩き続ける。この森を自力で探検しようとする人のために目じるしを残し、方角を書きしるし、旗を木につるしながら。

   お金のない世界に入っていくのは、かなり恐ろしいものかもしれない。
   しかし本当の冒険で恐ろしくないものなどあるのだろうか。快適さにしがみついているだけで、人類は世紀の大発見を為しえただろうか。この探検に出てみようと思う人にとっての良い知らせは、この道を歩む人がどんどん増えており、道しるべを立てたり、石を置いたり、ガイドブックを残したりしていることだ。あとは、旅立ちを決意するだけでいい。でもそこが一番難しいんだけど。

   カネなし生活は冒険だ。
   どんな冒険もそうだが、ときには地図を放り出して、導かれるままに道を進むほうがいい。自分に合った道を見つけることで、万人向けの方法などはない。お金を使わない暮らしは全人類がかつて通った道なのに、何だかすかっり昔の話になってしまった。先生は誰もいない。みんなが、互いの経験から学びあう生徒なのだ。僕の経験が何かしら参考になればうれしい。この本から役に立ちそうな部分だけ利用したら、あとはアイディアのリサイクル箱にでも放り込んでくれ。


   book 「ぼくはお金を使わずに生きることにした」 マーク・ボイル著 紀伊国屋書店

                          抜粋


    

地球人類は宇宙由来のハイブリッド

   「ヒューマノイド型人類を図形的に解釈すると、星型で表現することができます。
   星型☆を描いた際に、中心に出現する5角形に、3角形が5つついています。つまり中心の5角形の胴体部分に頭、右手、左手、右足、左足の5つのパーツがついています。そしてすでにお話しました5つのエレメントは、真ん中の5角形の領域内にあります。つまり基本となる5つの立体は、あなた方の胴体の領域にあるということです。人体の中心軸に沿って、正6面体(さいころ型)は尾骨のエリア、正12面体(5角形のカット面を持つダイアモンド型)はお臍のエリア、正4面体(正3角形が4つ合わさった型)はその上のみぞおちのエリア、正8面体(ピラミッドが2つ合わさったひし型)は心臓のエリア、そして喉のエリアの正12面体です。

   そして喉の位置にある空(そら)のエレメントは胴体と頭部をつなぐ役割があります。
   6番目の光のエレメントは眉間の奥、すなわち頭の真ん中あたりに位置します。結論から先に申しますと、ヒューマノイド型地球人類の胴体は地球由来の炭素ベースですが、頭部のある一部分に関しては宇宙由来なのです。」

   
「えっ? 宇宙由来ということは・・・、地球人類はハイブリッドなの?」

   
「はい。客観的に見ればそういうことです。ご存知ないのですか?」

   
「そんなの知りませんよ。もしかして胴体は炭素ベースだけど、頭はケイ素ベースで出来ているとでもいうのですか? なんだかシリコン搭載のパソコンみたいだね・・・。でもアヌビス、地球人類がハイブリッドだという証拠はどこにあるの? しかも胴体は地球由来で、頭は宇宙由来のものという根拠はどこにあるのですか?」

   
「ではその根拠をお話しますが、たとえば惑星地球上の生命体のうち、宇宙のことを考えるのは人類だけでしょう。通常他の動物や植物たちは、宇宙の創造や原理を知りたいとか、宇宙のことを考えたりはしないはずです。例外はあるでしょうが、地球人類が宇宙のことを考えることができるということは、すなわち、何らかの形で宇宙と接触があった証拠なのですよ。

   とかくあなた方地球人は、複雑な理論ほど上等なもので、単純な言葉に価値を見出すことができません。単純ゆえにあなた方は真実を見逃しているのですよ。宇宙というものはシンプルにできています。宇宙のことを考えることができる人類の脳には、宇宙が織り込まれているのです。それはミクロコスモスである人類と、マクロコスモスである宇宙であり、脳は宇宙、宇宙は脳なのです。」

   光の糸で一本につなぐことが出来ましたから、次へいきましょう。
   地、水、火、風、空の旅の次は、いよいよ光の旅へと向かいます。光のエレメントをあらわす立体は・・・球体です。」

 
  
 「さあ、タイムマシーンに乗って時間軸をさかのぼり、この宇宙が始まった瞬間までさかのぼってみましょう。」

   
アヌビスは透明な球体の中へと音も立てずに吸い込まれていく。
   ふと気がつくと、マヤもアヌビスと一緒に透明な球体の中にいる。

   
「・・・今から約137億年前、たった一粒の光から、この宇宙は生まれました。
   その光は、自らのことを知りたくて、もう一人の自分、つまり別の自分を創りました。その時から、すべての冒険の旅が始まったのです。」

   
球体の中は360度すべてがスクリーンになっており、どこを見ればいいのか視点が定まらず、すべての方向を同時に見ようとすると、画像が歪みクラクラする。仕方なく、そこに横たわって星空を見ているような感じで、めくるめく映像を眺めてみることにした。光がまぶしすぎて、細部まで正確に捉えることはできなかったが、全体の流れがわかればそれでよしとしよう。鈴を転がすようなアヌビスの声が球面に反射して、心地よい音色を奏でていた。その音に混じって、猫がゴロゴロと喉を鳴らしているような音が聞こえる。

   ここで意識を保てなくなると、寝ぼけ眼(まなこ)のまま3次元の現実に強制送還されることになるのだが・・・、ここで引き返すわけにはいかないと、命綱をつかむような気持ちで、アヌビスの尻尾につかまっていた。

   
「・・・光はさまざまなものに姿を変えて、旅を続けていきます。
   ある時は双子の銀河に、またある時は双子の太陽に、そしてある時は人間の姿になって・・・。地、水、火、風、空、そして光は別々に存在しているわけではなく、これらの要素がひとつになって、宇宙や地球や人間や森羅万象を構成しているのです。

   惑星地球はひとつの生命体です。
   地球にとっての「危機」とは、CO₂が増加したり、オゾン層が破壊されて紫外線が降り注ぐことではありません。これらのことによって、人類が地球という惑星に住みにくくなるだけのことで、惑星の長い歴史の中では特に変わったことでもありません。惑星は自浄作用があります。あなた方は「地球が危ない」と言いますが、惑星地球から見れば、それはただ単に人間という種が住みにくい環境になるだけの話なのです。それに地球人類はこれまでに何度も滅亡を繰り返しているので、何も今回が初めてではありませんね。しかしヒューマノイド型の人類以外の「種」までも絶滅に追い込んでしまうことは、人間のエゴに他なりません。」

   
球体のなかで繰り広げられる映像を見るかぎり、アヌビスの言う通りなのだろう・・・
   ヒューマノイド型ではないアヌビスにそう指摘されると、ますます心が痛かった。

   
「人類が、藍色の惑星地球にやって来た本当の理由をお忘れではないでしょうね?」

   
アヌビスは真っ直ぐマヤの瞳を見ていた。
   ・・・藍色の惑星・・・? その言葉を頭の中で正確に再生すると、マヤの意識は時空をさかのぼり、宇宙空間に漂い、青緑色に輝く惑星を見つめていた。音もない空間で、青く輝く惑星が潤いながら回転している姿を淡々と見つめている。何のためにこの惑星地球に降り立ったのか・・・、もう少しですべてを忘れてしまうところだった。「・・・そうです」、アヌビスの涼やかな声で、再び意識がここに戻ってきた。

   
「人類は惑星地球の庭師として、やって来たのですよ。
   その庭師が庭を育てることを放棄し、自らの手で庭を破壊しているとしたらどうでしょう? 地球人類にとって最も大切なことは、惑星の意識とどれだけ同調することができるかなのです。宇宙的に見ると、惑星地球にとっての最大の危機とは、「意識」というものの荒廃なのです。人類は、ある意識レベルを保てなくなると、地、水、火、風、空などのそれぞれのエレメントを維持できなくなります。つまり惑星地球の最大の危機とは、図形が歪み、地球圏外の宇宙空間へこれらのエレメントが放出されてしまうことなのです。

   宇宙というものを、3次元的な価値感から見るならば、そこは人も住めないような無機質なものに映るかもしれません。しかし宇宙には、地、水、火、風、空、それに光が満ち満ちているのです。ただ3次元とは密度が異なるので、その存在さえ確認することはできないでしょう。」

   
「エレメントを歪めることなく維持してゆくには、一人ひとりの意識が大切ということですか?」

   
「その通りです。
    エレメントを正常な状態に保つためには、人間の体のそれぞれのエリアに存在する5つの立体を正しい状態に保つことなのです。なぜなら悲しみや苦しみ、そして恐れや欲望によってこれらの立体は簡単に歪んでしまうからです。あなた方が発する言葉の響きがエレメントを象徴する図形なので、歪みなく、ハートの中心から発する言葉を使うように心がけることです。つまり、心にもないことを言わず、心と言葉と行動を一致させることなのです。歪んだ言葉は歪んだ図形を放出しており、現在の惑星地球は、不調和な歪んだ図形で溢れています。

   先ほどあなたも見たと思いますが、言葉の一音一音は、5つの立体を形成していましたね。(「ありがとう」の言葉を形成する5つの立体のこと) 調和の言葉を使う秘訣は、喉からではなく、ハートから言葉を発することですよ。元の正しい形に戻すには、太陽の中心に意識を合わせ、正しい音を聞くことです。宇宙の中心に意識を合わせ、本来のご自分の姿を思い出すことです。なぜならあなた方一人ひとりのなかに、宇宙創世の物語が織り込まれているからです。」

   
マヤはいろいろな言葉を発し、その図形が歪んでいないかどうかを、一つずつ手にとって眺めてみた。図形的に見て正しい言葉とはどういうものなのだろうか。心にもないことを言う、口先だけで話す、自分の魂が望まないことをすると、言葉の図形は奇妙に歪み、その本来の形をとどめることができない。感謝の言葉や祝福の言葉は、静謐な祈りの声なのだろうか? 時空を超えて響き続ける言葉は、幾何学的に見ても5つの立体のようにバランスの取れた形状をしているのだろう。だとすれば時を超え、場所を越えて響く言葉は、心から発せられ、そしてその言葉を心で聴いているのだろう。それは口から発せられた音を、身体の耳で聞いているわけではないからだ。


         book 「宇宙の羅針盤 ㊤」 辻 麻里子著 ナチュラルスピリット

                           抜粋


自分の思い込みが自分の可能性を閉ざしている

   空のエレメント 正12面体
   
「・・・無限の宇宙、からっぽの空間、抜けるような青空、雲一つなく爽やかに晴れた空。空のエレメントは他のエレメントが動くための場所であり、そして感情が解放されるための場を作ります。空のエレメントのテーマは、スペースを作ることです。それは時間的に、空間的に、そして精神的に余裕を持つことです。空のエレメントはコミュニケーションを司っています。つまり声を発すること、表現すること、情報を発信し、受け止めることがテーマです。しかしエネルギーが流れずブロックされてしまうと、喉がつまり、自己表現をすることが難しくなるでしょう。空のエレメントのバランスがとれていると、伸び伸びと自分らしく、穏やかでいることができます。他人に対して偏見を抱くこともなく、バランス感覚とともにコミュニケーションをうまくとることができます。また客観的な洞察や直観が高まります。

   一方、バランスが崩れると、束縛されていて自由がないと感じたり、被害者意識が強くなったり、自信を失って劣等感を持ちやすくなります。「空のエレメント」を調整するためには、リラックスすることです。散歩をしたり、ハミングしたり鼻歌を歌うこともいいでしょう。ゆったりした空間を思い浮かべ、ゆっくり流れる時間を作り出してみましょう。」

   
マヤは静かに目をつむり、広大な宇宙空間をイメージしてみる。
   アヌビスの解説はまだまだ続いているようだが、その声は急速に遠ざかっていく・・・。

   
「5角形の面が12枚集まってできた形の「正12面体」(ダイヤモンドカットのような形)によって具現化されるものは、空のエレメントです。空のエレメントは地球人類で言えば、身体の喉(のど)のエリアにあたります。しかしこのエリアの回転数は、時と場合によってかなり違いが出てきます。たとえば、沈黙を美徳とする社会や、自分の意見を言えないような環境では、喉のエレメントの回転は抑圧されるからです。

   今でこそ普通にあるものを、当たり前の権利だと思っていたりするものですが、過去の歴史をひも解けば、これまで多くの人々が言論の自由を求めて闘ってきました。その自由を勝ち取るためにどれだけの血と涙が流されたか、あなたにはおわかりですか? もしかすると今あるものは、ほんの束の間の休息時間のようなものであって、いつまでも続くものではないのかもしれません。

   究極的に突き詰めて言えば、あなた方がこの地球という惑星にやって来た理由も、さまざまな多くの星へ転生してきた理由も、それは自由のためなのです。あなた方はこれまでもずっと誇り高き宇宙の民として、真の自由を獲得するために旅を続けているのですよ。宇宙の法則のもとに言葉を整合化させるということは、ある意味で言語を解き放ち、本来の形に戻すことなのです。たとえば、「地球は丸い。地球は太陽の周りを回っている」と言っただけで罰っせられた時代もあったのですよ。」

   
「ありえない!」

   
「そうですね。今のあなたの価値感ではあり得ないことでしょうが、その時代においては、自由な発言が許されていなかったのです。天動説や地動説などのさらに先にあるもの、つまり、すべてのものが回転しているという認識に至る意識状態にまで、あなた方は到達しなければならないのです。」

   「ごらんなさい。
   地上に空のエレメントである正12面体が存在するのは、まるで奇跡のようです。なぜならこの立体図形は長い間秘密裡にされてきましたが、この隠された、目に見えない図形が、宝物のような図形であることに気づくでしょう。」

   
アヌビスは小さな正12面体を物質化して、マヤの手の平にそっと乗せてくれた。
   正12面体は、今までのどの図形よりも優しくて、穏やかで、ホッとする形ちをしていた。

   
「あなた方の日本の文化では、多くの人が喉のエリアに違和感を抱えていますが、その原因は文化的な背景や歴史的な背景とともに、あなた方の文化の言語が持っている特徴にも関係しています。文化的な背景としては、あなた方日本人は「恥や罪の意識」というものを持っています。そして「世間」という架空の存在を作り上げ、本音ではなく「建前」を重要視する傾向にあります。また血縁関係による村社会においては、多くを言わなくても通じ合えるとする「以心伝心」や、「察する」ということが行なわれてきました。多くを語らないのが奥ゆかしさとされ、美徳とされてきたのでしょう。またDNA的にも、先祖代々から思っていることを言えないというパターンを持ち越しているように見えます。

   その他にも、あなた方の母語が持っている複雑さも、その要因の一つに上げられるでしょう。それは文字の多さや同音義語の多さも上げられます。同音義語とは、それだけ多次元的であり接続コードが沢山あるということですが、そのためにわかりにくく、複雑で、本心が伝わりにくく、意味がはっきりしないという曖昧さがあります。使用している文字の多さですが、アルファベットが26文字に対して、日本語はひらがな、カタカナ、漢字とたくさんの文字を使用します。道端に文字が書かれた紙を落としておくと、それを読もうとする人の数は日本人が一番多いという統計があるようです。それだけ書き言葉に対する興味が高いといえるでしょう。」

   
「なるほどね。使っている言葉によって性質も変わってくるんですね」

   
「それだけではありませんよ。
   それに加えて尊敬語や謙譲語、丁寧語などがあり、本音と建前があります。つまりこれらの言葉を使い分けることによって、それぞれの立場によって人と人との間に「壁」を作ってきたことが上げられます。さらに一番肝心の結論が最後にくるので、終わりまで話を聞かなければわからない「奥ゆかしさ」がありますね。」

   
「ずい分メンドクサイ言語だね・・・」、マヤは少し困惑ぎみになる。

   
「それがあなた方の先祖が築いてきた文化というものです。
   しかしその反面、義音後の響きの美しさや、季節を色で感じたり、虫の音を感じたり、多種多様な生き物や植物とのつながりがあるのです。「虫の音」に関しては、単なるノイズとしてしか認識しない文化もあります。このように気候風土によって、言葉は変わるものなのですよ。

   ここで一つ色彩について面白いことをお教えしましょう。
   ターコイズ・ブルーという色は、喉の違和感を和らげてくれる色でもあります。ターコイズとは青と緑の間に位置する色でもあり、ターコイズ・ブルーとターコイズ・グリーンに分けられます。青と緑の間をつなげる色というのは、つまりハートと頭の領域をつなぐ色でもあり、ハートの領域の緑と眉間(みけん)の領域の藍色(あいいろ)とを束ねる位置にあるのがターコイズという色彩なのです。」

   
マヤはアヌビスの、ネコが「ゴロゴロ」と喉を鳴らすような音を聞きながら、ハートの440ヘルツ周辺と喉の間には何があるのだろうかと思った。

   
「そして、あなた方日本人がどんな他の国の人々よりも、より時間というものに囚われていることも、喉を詰まらせる一つの原因に上げることができます。たとえばあなたは、お腹がすいたから食事をするのではなく、時計を見て食事を摂っていますが、それはおかしなことだとは思いませんか? 時計は便利なものですが、あまりにも時計に縛られていると、自分の感覚や直感に従うという本来の能力が減退してしまうのです。勤勉で時間厳守である国民性も、喉のエリアを締め付ける一つの要因になっているのです。

   喉のエリアを司る正12面体を活性化させるポイントは、余裕を持つことです。
   時間的な余裕を自分のために作ることが、そのヒントになるでしょう。

   あなたが住んでいる地域(日本)では、電車や飛行機が時間通りに来るのが当たり前になっているようですが、それは世界共通のルールではありません。想像してみてほしいのですが、たとえばあなたが砂漠に住んでいるとしましょう。そして待ち合わせ時間を設定していても、その時、もし砂嵐が吹いたらどうしますか?」 

   
「たぶん・・・、砂嵐が止むまで、ラクダは歩かないと思うよ」

   「
そうですね。約束の時間通りに出かけようとしたら、命を落とすことになるかもしれません。わかりますか? 本来、優先されるものは時計ではないのです。そして、物事を客観的に分析してみれば、制限をつけているのは自分自身であることに気づくでしょう。たとえば象は子象の頃に鎖でつながれていると、大人になってから足に輪がはめられているだけで鎖がつけられていなくても、逃げることはないものです。それは単なる足につけられた輪に過ぎないかもしれませんが、子供の頃からの思い込みによって、自分自身の可能性を自ら閉ざしていることもあるのです。

   本来、喉のエリアは、呼吸する、食べる、そして話すという三つの要素を持っています。いずれ、テレパシーでの会話が成立するようになるので、今の状態はそれまでの過渡期と言えるかもしれません。音声を発する、声を発するという行為は、もっと慎重に、責任を持って行なわなければならないのですよ。声や言葉とは創造行為でもあり、それは宇宙的に見れば、喉は創造を生み出す生殖器の一部と言えるのです。」

   
マヤは口から発した言葉が、図形になって見えていたことを思い出した。
   言葉によって図形が決まっているのだろうか?
   「ありがとう」の「あ」は、そういえばこの正12面体と同じ形をしていたことを思い出した。そして記憶をたどると、「ありがとう」という音声は、正12面体―正8面体―正12面体―正6面体―正4面体の順番に並んでいたはずだ。それはエレメントに変換すると、空―風―空―地―火の順番になる。

   
「ところであなたは、宇宙図書館(アカシックレコード)における署名システムを知っていますね? つまりそれは集合意識にパターンを刻む際には、個人の本当の名前が必須ということなのです。あなた方の社会においても、署名のない文章は無効であるように、自分の名前を名乗らずに、何か意見をしても無駄なのです。それらの言葉は光を放たず、この宇宙図書館の領域においては完全に無視されるでしょう。署名のない言葉は、時と場所を越えて人々の心に届くことはありません。なぜなら言葉とは光だからです。そして言葉に息を吹き込むことができるのは息であり、その息とは、あなた方の「名前」のことなのですよ。名前とは鍵の役目を果たし、それぞれの名前の音を図形というパターンに分類することができるのです。」


         book 「宇宙の羅針盤 ㊤」 辻 麻里子著 ナチュラルスピリット

                           抜粋


キリストの名が利用されて「キリスト教会」が組織された

   イエスの子供時代は何事もなく静かに過ぎていきました。
   ヨセフは大工の仕事をしながら家族を養い、マリアはイエスの父親から学んだ原理をイエスに教えていました。イエスもまた定期的に父親と会い、彼から地球の歴史のすべてを学びました。そして12歳を迎えた頃、イエスは自分自身の体験を通して学ぶために旅に出ました。秘教を学ぶことが目的の彼の旅は、エジプト、チベット、そしてインドにまで及びました。

   彼はチベット北部のカツパリ修道院の長であるフッビ・クウォンツのもとで、3年間教えを受けました。そこで彼は「至高なる神性の法則」の秘密を学び、彼の霊的な名前である「ジーザス」と「キリスト」という名を授かりました。「イエス」は「ユダヤの王」という意味でもあり、彼の伝える教えが新しいものであるために付けられた「キリスト」という名は、「真理を運ぶ者」という意味です。

   その後、家族のもとに戻ったイエスは30歳になっており、すでに自分の民族に教え始める準備ができていました。彼には12人の弟子たちがいました。彼らはその性格や、イエスとのカルマ的なつながりや、そしてそれぞれが自分の人生で果たすことになる役割によって選ばれていました。

   イエスはそのうちの一人が彼を裏切り、もう一人が彼を否定するであろうことも知っていました。彼はまた自分の亡き後は、シモンがその仕事を引き継ぐであろうことも分かっていました。イエスは彼ら弟子たちに会った際に、内なる英知によってこれらのことを示されました。彼はとても霊的な人物で、精神的な法則について多くのことを知っていました。

   魂のさまざまな次元世界への旅や、各個人の能力に関する彼の教えは、おもに寓話(ぐうわ)のかたちで与えられました。なぜなら、彼のいた時代の人々の知識は非常に乏しく、あまり高い意識レベルに達していなかったからです。「至高なる神性の法則」の原理は、キリストのメッセージの中に象徴的に示された言葉に認めることができます。「最初に天の王国を求めよ」という教えは、人間は死によって肉体を去る前に高次元の世界を体験することができ、またそうするべきであるという意味です。これは非常に数多く存在する例のうちのたった一つにしか過ぎません。

人々の学びに必要な病気を癒したイエス

   残念ながら人々にとっては彼の教えることよりも、彼自身のほうがより重要なものとなってしまいました。彼は精神的な指導者というよりも、崇拝される名士のようになっていったのです。彼は人々を無知の状態から英知へと導こうとしていたのですが、ついに、何も分からない彼らへの哀れみのほうが上回ってしまったのです。なぜなら、あまりにも多くの民衆が癒しを求めて彼にしがみついてくるようになり、彼はもはや、それを拒む意志を持つゆとりも持てないほどに、哀れみの情に呑み込まれていました。

   彼は多くの病める人々を癒し、苦悩する人々を助けましたが、このようにして彼は、貧しく苦悩する人々への深い同情の気持ちに屈してしまい、彼らを癒すことが彼らに必要な「学びの機会」を取り去ることになり、やがて自分がその報いを受けねばならなくなることも分かっていました。

   そして彼はその報いを今回の人生で受ける必要がありました。
   なぜなら彼の今回の地球での転生が、物理的な体を経験するための最後の転生であったからです。ですからイエスが、「人々の罪を引き受け、そのために死んだ」ということの意味は、「自らの学びのために病むというカルマを抱える」人々を、彼が奇跡的治癒により助けてしまったことで、まさにその人々の多大なカルマを背負わされた結果、そのすべてが肉体の拷問による死という形ちで、報いとして帰結したということなのです。

   聖書にはキリストが荒れ野に行って祈ると、偉大な存在が彼のもとに現れたと書かれています。イエスの父親を含むその当時の他の惑星からやってきていた精神的指導者たちは彼に対し、彼は哀れみの情に屈したことで自身の教えから逸れてしまったために、この人生において肉体的な苦痛を受けるか、あるいは再び地球に転生することでカルマを解消しなければならないだろうと告げました。

   イエスは最初はそのような報いを受けたくありませんでしたが、遅かれ早かれ自分のカルマは自分で清算しなければならないことを理解してこう言いました。「私の願いではなく、御心のままに」。 彼は霊的な法則に従わなければならないことを知っていたので、先延ばしにして今の自分を守ろうとするよりは、むしろ受けるべき苦痛を今受けることによって、それを終わらせようと決意したのです。

   晩年にかけてキリストは非常に多くの人々を癒し、たくさんの奇跡を行いました。
   それはユダヤとローマの指導者たちに脅威を与えるに十分なものでした。そしてやがて彼は追い詰められて捕われることになりました。しかし総督ピラトはキリストを深く尊敬していたので、彼が自分を守るために動くように説得に努めましたが、キリストはそれを拒みました。彼には自分の作ったカルマは自分で贖(あがな)わなければならないことがわかっていたからです。

   実は、ローマとユダヤの指導者たちは、アトランティスの時代に何が起きたかについて知っていました。そして彼らはいくつかの古代のテクノロジー装置を、自分たちの権力とその行使のために隠し持っていたのです。彼らはキリストがいかに彼らにとって危険な存在になりつつあるかが分かっていました。なぜならキリストは過去の歴史を曝露し、彼らがある計画のもとに組織立てた「教会」に対して、人々に背を向けさせつつあったからです。

   彼らは1人の囚人を釈放することで人々に選択させようとしました。
   そうすれば自分たちが責任を負わずに済むからです。それは殺人者・盗賊として知られていたバラバとキリストの、どちらを釈放するかということでした。彼らは群集の中に兵士たちを送り込み、バラバの釈放を叫んだ者に黄金を与えるという策略を行いました。

キリストの名を利用してキリスト教会が組織された

   そして計画の第二弾は、キリストの処刑後に、キリストの名前を使って統一された宗教を組織することでした。彼らはキリストが復活するという預言を知っていたのです。彼らはまたカルマの法則についてもよく理解していました。もし彼らが、未来の世代にキリストを崇拝させ、その子供たちに洗礼を受けさせ、その全生涯とすべての行ないをキリストのために捧げるような信仰を持たせることができれば、それらの人々がもたらすカルマはキリストに負わされ、その結果彼の精神的な進化は遅れることになり、その結果ある次元に拘束されることになり、そうなればもはや、キリストは脅威の存在ではなくなると考えたのです。

   キリストが予想だにしなかったことは、彼を崇拝して自らの師と考える未来のすべてのキリスト教信者に至るまで、彼がそのすべての責任を負わなければならないということでした。彼は自分のシンプルな教えが宗教にまでなり、自らが教えようとしたことよりも、自分自身の存在のほうがより重要視されることになろうとは夢にも思わなかったのです。つまり彼を滅ぼす手助けをしたのと同じ勢力が、今や、手の平を返したように彼を担ぎ上げ、彼を神の息子として崇拝させようとしていたのです。

   そして今ではユダヤ民族でさえが、彼らのためにやって来たキリストであるのに、その生涯が一冊の本になって全世界に広められるのを許しています。それはあなた方が聖書と呼ぶ本のことで、イエスが教えた真理のいくつかは除外されています。そしてほとんどの伝統的な教会にあるキリストの肖像は、拷問を受けて血を流している姿のものなのです。

   十字架上で苦しみながら、自分が癒した人々に嘲られながらも、キリストは自分が背負うことになったカルマのほとんどを解消しました。その一方で彼は、人々を哀れんで神に願いました。「彼らを許してください。彼らは自分たちがしていることを何もわかっていないのです!」 彼の苦しみはさらに度合いを増し、それは彼が思っていたよりもずっと長く続きました。そして彼は、その苦しみが終わるまで肉体を去ることができませんでした。しかも彼の父親が宇宙船で接近して助けにも来てくれないので、彼は叫びました、「父よ、私の父よ、なぜ私を見捨てるのですか?」 

   しかしキリストの母星の人々はある計画を持っていました。
   それは彼が「できれば苦しみを受けたくない」と彼の父に懇願したあの荒れ野で、彼の父はその計画をキリストに話してありました。それは人々に対して教えるためであり、「肉体が死んだ後にも人生は続くこと」、また「肉体とは単なる魂の乗り物に過ぎず、魂はそれを離れたり、再び宿ったりすることができること」を示すことでした。しかし、キリストの時代の人々は、肉体は死んでも魂は生き続けるという復活をそのようには解釈せず、キリストの偉大な奇跡の一つだと思ってしまったのです。

   キリストが息を引き取ると同時に、凄まじい嵐が巻き起こり、真っ黒な雲が太陽を覆いました。これはキリストを信じなかった者たちを震え上がらせ、後に書かれたキリストの物語において大いに強調されました。この嵐は実際には、キリストの信奉者たちによる集合的なサイキック・パワーによって引き起こされたものでした。彼らは怒りの神こそ絶対権力者だと信じていたのです。

   キリストの死後、彼の遺体はマリアやキリストの友人たちによって用意されていたお墓に移されました。権力者たちはその遺体が人々によって盗まれないように墓に護衛を配置しました。しかし実際には彼らは、キリストの遺体がある者たちによって運び出される計画を知っていたのでそれを防ごうとしていたのです。

   そして宇宙船がキリストの墓の近くに着陸したとき、護衛たちはその光と強烈なエネルギー場の影響で気を失って倒れてしまいました。そしてキリストの遺体は修復のために運び出されました。遺体の肉体の修復のために彼の父親が準備をしている間、キリストは彼のアストラル体の中で待機していました。なぜなら死後24時間以内の肉体は、細胞と組織を再生する放射線によって修復することが可能なのです。そして魂は再び、その中に宿ることができます。

   キリストの墓にやってきて、彼の遺体が消えていることに最初に気づいたのはマグダラのマリアでした。彼女は意識を取り戻してから眼の前で起きたことの詳細を思い起こしました。彼女がちょうど墓に着いた時、そこにはきらめく長い衣服をまとい、輝きに包まれた天使たちがいました。そしてマリアに、キリストは生きているという知らせを告げたのでした。彼女の記憶では、彼らは墓の入り口の大きな石を転がしながらこう言いました。「怖れてはいけません」。彼女は天国から来た天使たちがイエスを癒したのだと信じ、彼を探すために出かけて行きました。

   聖書には、キリストが多くの信奉者たちの目の前に現れた時に、彼が話しかけるまでは、彼らは誰もそれがイエスだとは気づかなかったという記述が多数あり、またキリストの墓のそばに、光沢のある長い衣服を着た存在たちがいたという記述も複数あります。マグダラのマリアの前に現れたキリストはこう言いました。「私の体はまだ完全ではないので、私に触ってはいけない。私はまた戻って来る」。

   彼はこのようにして大勢の人々の前に姿を見せ、アストラル体によって扉や壁を通り抜けました。そして彼の肉体は宇宙船内で修復されて後、そこに再びキリストの魂が宿ったのでした。それから彼は再び人々の前に現れて体を示し、彼らがそれに触り、傷口に手を触れることを許したのです。

   彼は人々に言いました。
   「私はここを去ります。それは天におられる父のもとでともに暮らすためです。」 人々は彼の説明を、自分たちに理解できるように最善を尽くして解釈しました。つまりキリストが宇宙船で去ったことを、天国への上昇と言う表現で伝えたのです。その後イエスは父親とともに地球へ戻ってきて、マグダラのマリアと結婚し、のちにサラという娘をもうけました。そして彼は再び肉体の死を迎えるまでの長い間を地上で過ごしました。

   キリストはその後も、彼の同胞民族たちの多くを、彼らの多くの生涯にわたって導いています。キリストは自分自身に救いを見出したすべての人々に対して、精神的な責任というカルマを負っているのです。そのために彼はそれぞれの個人の指導をできるだけ引き受け、一人一人をキリスト教から離れさせ、そのような枠を超えたより偉大な霊的な道へと導いています。彼がこのようなことをする理由は、下層世界であるコーザル界に自分を引き止めているカルマから解放されるためなのです。

   そしてキリスト教化された地球の多くの領域では、あらゆる行為が彼の名のもとに行なわれています。あらゆる戦争が彼の名のもとで戦われ、あらゆる子供たちが洗礼を受け、あらゆる人々がキリストの名のもとに自らの人生を生きています。このような状態がさらに彼を下層世界に縛り付ける鎖となっているのです。

   つまりキリストが全ての誤解から解放され、キリスト教のもとにいるこれらすべての魂たちが、本来の真実の霊的な道に出ていくまで、キリストは下層世界の時空であるコーザル界に留まっていなければならないのです。この下層世界のコーザル界にある天国のような場所は、集合意識によって創られたものです。その集合意識とは、この地球上におけるすべてのキリスト教徒の信仰が作り出しているものなのです。


 book 「私はアセンションした惑星から来た」 オムネク・オネク著 徳間書店

                          抜粋

イエスの誕生 ①

   イエス・キリストについての真実の物語は私をもっとも魅了するものです。
   これは私が金星の学芸院において、地球の歴史を学んだ際に聞いた実話と同じ内容です。初めに申し上げておきますが私はこれをお話することによって、いかなる宗教や教義であれ、それらの信用を貶めたり、批判したりする意図はありません。どうぞ皆さんなりに受け止めて、ご自由にご自身の人生に生かしてください。
(訳註: キリスト教信者の多い欧米の出版社はこの章を本書に含めることを敬遠したために、今回の日本での翻訳が初めての公開となる。)

   
地球という惑星の文明はまだ若く、これまでの歴史においても多くの浮き沈みに満ちています。聖書の時代の空に認められていた宇宙船は、今日のUFOと同じくらい多くの人々にその存在が知られていました。遥か昔から宇宙旅行者たちは、地球の発展の様子を観察するためにたびたび地球を訪れていたのです。地球に最初に住み着くようになった植民者の子孫たちは、自然の力を身につけたマスターとなるよりも、非常に脅えた人々になってしまったのです。

   それは地球にやってきたあるネガティブな宇宙人たちにより、彼らは遺伝子操作された結果、自らの遺産とそれまで持っていた能力を喪失させられて、もはや他の次元にいる彼らの祖先とコミュニケーションをとることも、高次元のマスターたちとコンタクトすることもできなくなっていました。

   その結果、彼らは宇宙について、神について、そして自分たち自身についてのもっとも基本的な真理に無知な状態にありました。彼らにとっての関心事は肉体の生存と安楽が最優先事項であり、中でももっとも怖れていたのは「死」でした。偶像や神の像が生活のすべてを支配し、生け贄の儀式は日常的に行なわれていました。

   人々を支配して自分たちの安逸な生活をすることを企んだ人々と聖職者たちは、民衆を支配するために宗教を作ったのです。そのために、人々をコントロールするために欠かせないものは、規律と儀式、それに加えて罰という恐怖心を植えつけることでした。そして人々のために制約の多い教義が作られて、制限の多い生活がもたらされました。

   このような時代に向けて、地球上である偉大な魂が誕生しました。
   イエス・キリストという名で知られているこの男性は、これまでのすべての地球の歴史を通じて、最も論議をかもし、誤解されてきた人物です。地球に転生する前は、彼は金星においてマスターでした。彼は、彼自身の過去世の中で、最も大きな影響力を発揮していた時代にユダヤ民族とともに生きていましたが、彼らを無知へと導いてしまった者たちの一人でもありました。

   その後、精神的に高く進化を遂げた彼の魂は、霊的な教師として再び同じ民族の中に生を受け、彼らを精神的に導くことによって自らのカルマを清算しようと決意したのでした。そのために彼は再びユダヤ人を導くために、地球人として生まれ変わってきたのです。彼の誕生のいきさつには、惑星間における他の同胞の人々との関係も大きくかかわっていました。

   宇宙からの訪問者たちは、地球で起きている状態を見ながら、彼らも関与を始めていきました。火星人たちはしばらくの間、メキシコと南アメリカに滞在しながらインカの人々に影響を与えました。そして火星人は素晴らしい教えをもたらしました。彼らは偉大な力と英知を持って天から降りて来た存在として、また翼を持った神々や太陽神として人々に知られていました。

エルサレムやその地域の人々が住む土地においては、宇宙から来た訪問者たちはエンジェル(天使)と呼ばれていました。それは天の使いという意味です。宇宙船で地上に降り立った彼らは常に白いマントを身にまとい、穏やかな天使のような顔立ちをした彼らを見て、地上の人々は彼らをほかに何と呼べばよかったのでしょうか? 当時の人々は空からやって来た彼らのような存在たちを神聖なものと思い込んだのです。

   そのために聖書の歴史は神や天使との遭遇の物語に満ちており、彼らの宇宙船もしばしば、「火の玉」や「輪の中の輪」などと拙(つたな)く描写されているのです。当時の人々は進んだテクノロジーについて何も知らず、それをどのように受け止めてよいかもわからなかったのです。そのためにそれら未知のものは通常は、宗教や霊的な領域に分類されていたのでした。

   もし地球の聖典と呼ばれるものが、一般の人々が検証できるような情報をもっと書き残していたならば、イエスの誕生時に訪問したとされる「東方の三賢者」が実在した人々であることを知ってあなた方は驚くことでしょう。彼らが誰であり、どこを代表して来ており、そしてどのようにして正確な場所と時間を突き止めて、現れたのかが明らかになるからです。

   あなた方の聖書に記されているこれらの出来事の背景には、偉大な真実があるのですが、その多くは意図的に書き換えられており、しかもわざと翻訳せずに残されているのです。それは現在の地球の社会体制を作り上げて機能させている一握りの者たちが、人類のコントロールを維持するために行なってきたことなのです。

   他の次元世界や惑星にいるあなた方の兄弟姉妹たちは、イエスのように自分たちが行なったカルマを清算するための経験の場を求めて、また同時にこの地球という密度に存在する地球人類を援助するために、これまでにも、そして現在もやってきているのです。それはこれまでずっと続いてきたことであり、これからもそうであるでしょう。

   その昔、マリアという若い女性がおり、あるとき彼女は、他の惑星から地球を訪れていた者たちの一人と出会いました。ある日、彼女は一人で羊を導いている時、1機の宇宙船が近くに着陸し、そこから降りて来た「天上人」が声をかけてきました。彼はマリアの純粋な想念を感知し、彼女が怖がっていないことを感じ取っていました。

   マリアは当然のように、彼のことを神から使わされた天使だと思い込み、畏敬の念に打たれていました。彼女がそのことを彼に尋ねると、「はい、私たちはすべて神です」、そう彼は答えました。そして彼はマリアに、神について、他の惑星の人々についての精神的な洞察を与えながら、その日を共に過ごしました。

   その後2人はしばしば逢うようになり、やがて恋に落ちました。
   そしてマリアが彼の子供を宿した時、彼は彼女に結婚を申し込みました。しかし彼女はそれは不可能であることを彼に説明しました。なぜなら彼女のいる社会の文化では、異教徒と結婚した者は恐ろしい投石刑に処されることになっていたからです。

   しかしこれは、聖職者たちが自分たちの民族に他民族の血が混ざらないようにするために定めた戒律に過ぎないことを、その訪問者は知っていました。マリアはまた、彼と一緒に逃げることも怖れていました。それもまた自分の死を意味すると思っていたのです。もはやマリアを説得して結婚させる術(すべ)はありませんでした。

   それから数週間が経過する中で、その訪問者は今起きていることについて、霊的な洞察を得ることができました。この民族の間では何世紀にもわたって、預言者によっていい継がれてきたことがあったのです。それはやがて神に遣わされたメシアが現れて人々を導くというものでした。それがまさに、マリアが授かった子供だったのです! このことを知った彼は、やがて生まれてくる男の子がユダヤ民族の中で育てられるべきであることに気づいたのです。

   彼はマリアがこの地に留まって子供を育てることに同意して言いました。
   「あなたは人々に自分が伝えたいように説明して構いません。ただし私は彼らに真実を告げようと思います。あなたはここでその子と30年間を過ごせますが、その後の30年間は私が共に過ごすことにします。その子がここで育っていく間、私は定期的に彼のもとを訪れて、彼の精神的な成長を助けることになるでしょう。」 マリアは彼の霊的な教えに基づいて、子供を育てることを承諾しました。そして彼女は人々のもとへ行き、「天の使いが彼女のもとに現れて、彼女が神の子供を産むことになっていると告げた」と言いました。それが後に、「無原罪の宿り」と呼ばれるようになったのです。

   マリアは彼女の愛する人が神の使いであると信じていました。
   なぜなら彼は彼女と逢うときはいつも、輝く光のように空から舞い降りて来ていたからです。彼はそれはただの宇宙船であることを彼女に説明しようとしましたが、彼女には通じませんでした。当時はそのような機械類はまだ知られてはいなかったからです。

   一方で、ヨセフという名の男性がマリアを深く愛するようになりました。彼はほとんどマリアの全生涯にわたって彼女を愛しました。彼はマリアよりもずっと年上でしたが、彼はマリアの話を聞き、彼女の言っていることを理解しました。なぜならかつて彼自身もいわゆる「天の御使い」の一人と会ったことがあり、太古の地球の物語を聞いていたからです。

   ヨセフはマリアを心から愛(いと)しんで、喜んで彼女とその子供の面倒を見ようとしていました。そしてマリアを嘲笑する者たちに対しては、子供は自分の子供だとさえ言って彼女を守りました。人々は彼女が奇跡の子供を宿したことを知っていました。なぜならその当時はいろいろな奇跡がよく起きていたからです。

   金星や他の仲間の惑星から来た人々は、マリアの子供が精神的指導者になることが分かっていました。そして彼らは宇宙船を使ってその地域のあらゆるところへそのメッセージを広めていました。預言者たちは「神の子」の誕生を霊視し、精神的指導者のような人々の多くは「天の使い」の訪問を受け、この偉大な出来事を前もって告げられていたのです。

   真理というものは、偽りを説く者たちにとっては常に脅威となります。
   ですから当時の宗教組織やその指導者たちは、その子の誕生に心を脅かされていました。このことが、ある一定期間内に生まれたすべての男児を殺害する命令へとつながっていったのでした。この危険を察し、さらに訪問者からの接触を受けたヨセフは、マリアを安全なところに連れて行って出産させようと考えました。

   ヨセフとマリアを安全な場所へと導いた星とは、実際には小さな小型宇宙船でした。
   これと同じ種類の星ならぬ宇宙船が、三人の賢者や指導者たちをイエスが生まれた馬小屋へと導きました。そして誕生の夜、宇宙船は星のようにきらめきながら、小さな馬小屋の上空を浮遊していました。


      book 「私はアセンションした惑星から来た」 オムネク・オネク著 徳間書店

                          抜粋


私たちは誰もが魂に至高の神を宿す存在である

   地球には混乱するほど多くの宗教や精神的な道、また秘教や形而(けいじ)上学のグループがあります。地球にこれほど多くの相反する宗教や精神的な道がある理由は、人々が精神的に未熟で、まだ初期の発達段階にあるからです。歴史を通して見れば、発達し続ける惑星はどこも似たような問題を過去に経験してきていることがわかります。実を言えば、これらの宗教や精神的な道は、至高なる神によって確立されたものはほとんどありません。さらにごく少数のものでさえ、実際には同じ教えに異なった名称を与えたものに過ぎないのです。

   地球の宗教の歴史を振り返ってみると、あらゆる宗教やその他の霊的な教えは、それぞれ特定の精神的指導者や個人によって創始され、その教義はその人物の肉体的な死後もその弟子たちによって引き継がれてきました。そのような人物として今現在も私たちによく知られているのは、イエス・キリスト、釈迦、モハメド、クリシュナなどそのほかにも大勢います。しかしほとんどの場合彼らに共通して起きていたことは、彼らは一度ならず体外離脱を経験することで、ある上層世界に達したことがあるということです。

   それはアストラル界やコーザル界、またメンタル界などの下層世界で、そこだけに達した場合も、そこで英知を授かり、その後熱烈な使命感を持って人々にメッセージを伝えようとしたのです。それは救いの福音であったり、社会的な福音であったりしましたが、いずれにしてもそれらのすべては、上層世界との接触がきっかけとなって生まれたものなのです。物理的な世界ではそのようにして、新しい宗教が誕生し、栄えていくのです。

   けれどもそれぞれの宗教の信奉者たちは、その後何世紀にもわたって、魂として基本的な誤りを犯してきました。つまり彼らは、創始者の歩んだとおりのやり方を真似ようとしており、それを追体験しようとしてきたのです。それは他の人が上層世界で受け取ったものと同じ英知と悟りを、自分も得ようとすることなのです。そのようにしてやがてある信者たちは、さまざまな信念や方法に基づいて独自の悟りを得るようになります。そうすると今度は彼らがその成功に基づいて、同じように枝分かれしたグループや分派を形成するようになるのです。このようにしてできたさまざまなグループや宗教は、個人にとってどのように役立つのでしょうか?

   それは人々をさらに強固に信奉者にしていくことになり、つまり外部の力に従う奴隷にしてしまうのです。それぞれの個人は誰の真似でもなく、自分自身の真理と直接的な体験をすることを求めなければなりません。霊的な偉人たちは常にそのようにしてきたのです。たとえ宗教の創始者であれ、霊的な偉人であれ、そこにどのような違いが認められるとしても、私たちは同じ人として、真理を求める立場においてはすべての人が同じなのです。そのゆえにそれぞれの魂は独自な存在なので、誰か他の人が発見した探求方法や教えに従いながら、同じ成果を期待することはできないのです。それぞれの人は精神的に開花していくにつれて、自分に合った自分だけのやり方で、独自の体外離脱体験をするようになるでしょう。そのようにして私たちは霊的に成長していくのです。

   しかしながら多くの人々は、あるレベルの宗教や多様な精神的な教えを必要としています。つまりそこに、今自分の求めるものがあって要求が満たされるならば、これらの教えは良くないものと見なされるべきではありません。なぜなら一人ひとりの魂はより高次の真理を理解するための基礎知識として、さまざま伝統的宗教や新興宗教、そして精神的な教えや哲学を求めるものだからです。いずれにしてもそれらの教えはそこに留まるためのものではなく、通過点に過ぎないのです。

   常に忘れてはならないのは、物理的世界やアストラル界、コーザル界、そしてメンタル界はネガティブな性質によって営まれているということです。ほとんどの宗教や精神的な道というものは、長い間には、その世界の代理人たちによって手が加えられ助長されているものです。ですから道を求める真摯な人々は、自分自身の真実を求めるように努めなければなりません。そして人はやがて、これら第三者や他人の体験をあてにすることではなく、自身の内的体験に頼ることを学ぶようになります。なぜなら真実の教えが常に説いているのは、至高なる存在の霊的な本質は自らのうちに存在し、内なる「音」の中に聴き取られるものだということです。内なる音がとりわけ重要なものです。魂は家路を示してくれる光線のように、「音」の流れを利用して真実の霊的な世界へと達しようとするのです。

   私の使命の一部は、あなた方の中で真実を求めている人たちが、本当の現実に目覚めるための手助けをすることです。その人たちのためだけに、この本は用意されたのです。

   物理的な世界には他のレベルの世界にはない困難さがあり、そのゆえに多くの感情的な軋轢(あつれき)にもさらされます。だからこそ物理的な存在の経験はとても価値のあることなのです。魂はそこで何千回にも及ぶ人生を通して、より高い世界へ進むために必要な準備をするのです。ですから出来る限り多くのことを学ぶように努めなければなりません。私たちがすべてを知るようになることは永遠にないのです。

   私たちの誰もが、生まれてくる前に自分の人生を選んできています。
   けれども地球の人々の多くはそのことを知らず、そのゆえに自分が学ぶべきことであるのにそれに抵抗しながら多くの時間を費やして生きています。人生に起こることはそれを受け入れて学ぶために存在するものなので、人生に起きることはなんでも受け入れて、やりこなしていくようにすることで、成長のペースが早くなり、自分自身や人生についてより深い理解が得られるようになります。

   私たち魂は、創造の瞬間から自由意志を与えられているものです。
   ですから私たちは転生に際して、どのサイクルと期間に属し、いつどこで新たな人生を始め、どのような環境でどのような経験をするか、またどのような病気に罹ることで学び、生涯の目標や他人とのカルマによる出会いや解消など、すべてのことを選択して知ったうえで転生している者です。しかしながら物理的な世界では、強い感情やさまざまな出来事に遭遇するために、前世での記憶や自分自身で選択したことの大部分を忘れてしまいます。しかしもし親や保護者が子供たちに、さまざまな理由で自ら選択してここに生まれて来ていることを思い出させるなら、子供たちはその記憶を呼び起こし、前途に待ち受ける人生の出来事をおおまかに予期することが可能になるでしょう。

   かつて金星では、人々の意識や考え方、それに日々の生活の暮らし方が変わっていくにつれて、人々のバイブレーション(振動)が変化するようになり、惑星の社会全体が物理的なレベルからアストラル・レベルへと移行していきました。その変容はとてもゆっくりしたものでしたが、金星の人々は何が起きているかに気づいていました。そこで人々は金星の一つの都市レッツをドームで覆い、そこを通じて物理的世界の次元へ入り込めるように機能を持たせて保存しました。つまり金星の人々は、そこを通じて地球の人々の意識を高める手助けを続けていこうとしたのです。アストラル界やコーザル界、メンタル界などはすべて物理的な世界と同時に存在しており、私たちの太陽系の惑星も、物理的次元だけでなく他の次元にまたがってクロスオーバーして存在しています。しかし物理的な感覚では、それ以上の上層世界に触れることはできないのです。

   この広大な宇宙は、多次元の平行世界になっています。
   そして今、地球はかつての金星と同じような変容の時を迎えています。地球の人々の意識は次第に変化しており、より高いレベルへと向かっているのです。もしこの状態がこのまま続き、霊的な発展を遂げていくならば、まさに金星で起きたものと同じ変容がここでも起きるでしょう。ただそれは劇的な変化ではなく、非常にゆるやかなプロセスになるでしょう。それはとても自然なものであるために、多くの人々は自分たちが移行の過程にあることさえほとんど気づかないでしょう。あなたが瞑想したり祈ったりするときには、穏やかで調和の中にある変容のイメージをすることにエネルギーを注いでください。それが地球の周波数を高めるためにあなたができることなのです。

   地球の多くの人々が意識レベルを向上させた時、わたしたち金星人は進化したテクノロジーを地球に提供するつもりでいます。そうすることで地球の人々も他の惑星を訪問することができるようになり、別の種族を攻撃したりするためではなく、太陽系の惑星探査のために宇宙空間へと旅立つことになるでしょう。そしてその時が来るまで私たちは、太古の昔からずっとそうしてきたように地球を見守り続けていくでしょう。地球上のすべての種族がお互いに尊敬し合い、国や民族の違いを乗り越えて、人類として一つの意識になる時、あなた方は本来享受できるはずの広大で、そしてシンプルで優美な人生を送ることができるのです。


      book 「私はアセンションした惑星から来た」 オムネク・オネク著 徳間書店

                           抜粋
 


 

磁力というフリーエネルギーは社会を変える

   宇宙旅行は過去何世紀にもわたって、私たち金星人の生活に密接に織り込まれています。私たちが自分たちの惑星の地表から離れる動機は、常に宇宙と自然の法則についてより多くのことを学ぶためでした。そして膨大な数の科学者たちや専門家たちが、母船と移送船で乗組員として働いています。下層世界において「変化」というものは現実世界の根本的要素であるので、私たちは常に何か新しい物事を観察し、そこから学び続けているのです。

   この点において、他の惑星と親しい友人のように同胞関係でいることは、多くの点でとても好都合です。そして私たちは、互いに共通の興味や関心のある者同士が共同で行動するように、地球を除く他のすべての惑星は力を合わせて活動しています。私たちは他の惑星やその宇宙船の困窮時にはいつでも援助できるように準備しており、他の惑星にはあまり豊富に存在しない鉱物や植物を分かち合う用意もあります。惑星間の科学者たちはともに力を合わせて、素晴らしい想像力によって生み出される、さまざまな産物のための共同プロジェクトに従事しているのです。

   どの太陽系においてもカル・ナーア、つまり「ネガティブな子供」と私たちが呼ぶ惑星地球は非常に心配されています。金星の言葉では地球を呼ぶ名前の音は、ジュラタ・ジウム(Jhlata Geum)です。地球のあり方はしばしば自らの生存を脅かしており、それだけでなく、同時にそれは近隣の惑星にとっても同じことなのです。

   ずっと昔には月は、私たち金星人が地球で任務を遂行するための基地であったことがあります。私たちはここに精巧なコロニー(集団居留地)を作り、人目につかない谷間やクレーターに交通網を整えました。これらについての事実は、近い将来により多くが明らかになるでしょう。私たちの月面の施設の中には、母船が安全に操作できて、収容できるほどの巨大な格納庫があります。

   
(訳註: その後のNASAの写真などから、月面の谷間やクレーターの中を走るハイウエィや巨大な建造物らしきものが発見されており、多くの研究者が月面の基地の存在を指摘している。またかつてアダムスキーの側近であったキャロル・ハニーに訳者が直接聞いた話では、アダムスキーが見せてくれた複数の極秘写真は月面のクレーターで撮影されたもので、かまぼこ型の兵舎のような建物があり、背景には人々が写っていたという。しかしこの写真の公開を禁じたのが異星人か米国政府かについては語らなかったそうである。いっぽうハワード・メンジャーは実際に月面に降り立ったと主張しており、ドーム型の建造物などの写真を公開しているが、人物や装置の撮影は許可されなかったという。)

   
地球上の人々に与えられる情報は操作されているので、人々は月面の真相について事実とはまったく異なった理解をするように意図的にコントロールされています。月は生命のない不毛な衛星などではなく、月は小さな惑星であり、太陽の周囲を回る惑星と同様に精巧な構造でできています。地球の月にはちゃんと大気層があり、人間が生きていける場所なのです。それだけでなく月の表面には水や植物、微生物、昆虫、そして小さな動物たちがいます。(訳註: アダムスキーもメンジャーもこれと同様のことを述べており、多くの人々から嘲笑された。) 

   月面の大部分は砂漠地帯であり、気温はかなり高くなっています。
   けれども私たち金星人や他の惑星から来た人々も、「環境ヘッドギア」を装着する必要がなく、屋外で生存することが可能です。人間の体は時間の経過とともに希薄な大気の中にも適応していけるのです。私は子供の頃に、地球の月は人間の居住に適した場所であることを教わりましたが、その後体外離脱によって、実際に自分自身で訪問してそれを見ています。

   私たちのテクノロジーの飛躍的な発展は、自然の力に逆らうのではなくそれを利用した結果なのです。私たちの宇宙船は、宇宙の自然エネルギーである太陽と磁力のエネルギーを使うことによって、驚異的な動きをすることができ、重力や摩擦の影響を受けないだけでなく、途方もない速度で飛行することができます。地球上の観測者たちはレーダーの上を、私たちの宇宙船が信じられない速度で動くのを計測してきました。それは時速数千キロのスピードで鋭角のターンをしたり、理論的には搭乗者全員の体を圧力で押し潰すはずのあり得ない加速や減速であり、そのような飛行物体を彼らは目撃してきたのです。

   その秘密は磁力と磁場、そして太陽光線の力の利用にあります。
   すべての母船内には移送船と同じく、中央に軸のような太い丸柱があります。それは母船内では見えない場所に横たわっていますが、移送船内では中央船室の床から天井へと伸びているのが見えます。この軸は、宇宙船の磁気柱の役割を果たしており、船体の周囲に磁場を作り出しています。それはすべての惑星が大気層をまとっているのと同じ状態であり、それはちょうど地球に北極と南極があるように、宇宙船にも陽極と陰極があるのです。

   強力な重力磁場を生み出すために必要なパワーは、太陽から直接得ています。
   移送船の船体頂部のガラスのようなドームの下にある磁気柱の上には、稀少な種類のクリスタルが使われており、それにコーティングされたコイルが載せられています。このクリスタルは、太陽エネルギーを非常に効率よく磁気エネルギーに変換します。そしてコイルの下にある固体の黄金の柱を通して必要な磁場を生成するのです。つまり「黄金」は、もっとも高性能な磁気の伝導体の一つなのです。いったんそれがきちんと調整されれば、磁場は移送船や母船を一つの独立した存在とします。したがって私たちの宇宙船はそれ自体が一つの小さな惑星なのです。

   惑星の影響から自由であることを無重力状態と呼びます。
   しかし地球の飛行機や宇宙船は、それとは対照的に、地球の磁場と大気に大きく左右されるものなのです。私たちの宇宙船は飛行中は、惑星自体とバランスを保った状態にありますが、動力をオンにすると、宇宙船は無重力状態になります。惑星の地表を離発着するためには、宇宙船をほんのわずか推進させればよいだけです。大気との摩擦は、船体を取り巻く磁場と高エネルギー場によって効果的に除去されます。それはあたかも宇宙船が、惑星の重力や大気の影響が及ばない深宇宙にいるかのような状態なのです。

   移送船内の磁気柱の極性は、地表での離着陸の際には抑制されています。
   水平飛行や上昇・下降は、船体底部にある3個の電荷を帯びた金属製の半球によって行なわれます。これらは磁気柱と同様に、通常このタイプの宇宙船に見られる機械構造の基本的特徴の一つで、この型の宇宙船にはすべて備わっている推進装置および着陸装置です。この船体下部の半球の中にも磁気柱があり、電荷を帯びています。3個の半球が回転することによって、船体は別な磁力線の流れへと方向転換させられます。
(訳註: アダムスキーによれば磁気柱のないタイプのものもあるという。)

   
私たちの宇宙船は光速という不確かなものに影響されることなく、宇宙空間の活動によってのみ制限されます。なぜなら惑星付近において過度の速度で飛行することは、非常に危険だからです。けれども宇宙船がどのような激しい飛行をしていても、中にいる人は、船体の動きや加速を感じることはなく、また宇宙船は瞬時に停止することもできますが、それによって操縦士や乗員が体に圧力などの負担を感じることもまったくありません。宇宙船の内部は微動だにしない部屋のように感じられますが、これは宇宙船が外部の力からまったく自由であるからなのです。宇宙船が止まると同時に操縦士の体も止まり、船体の動きと連動している操縦士は何も感じないのです。また船体を取り巻くフォースフィールド(電磁場)は、空中での衝突も防いでくれます。つまり宇宙船同士は互いに撥ねつけるので、乗客に衝撃を与えることはありません。

   しかし地球の飛行機にはこのような防護機能はありません。
   私たちはまた、地球で宇宙船が銃撃を受けた時には急いで逃げます。なぜなら飛んできた弾丸が船体のフィールドによって相手に跳ね返された結果、このことがある人々には宇宙船が撃ち返してきたと誤解されてきたからです。宇宙船のフォースフィールドは隕石の衝突をも防ぐことができ、大気圏内の摩擦からも宇宙船を保護してくれます。チタニウムで作られている母船と移送船の船体も防護に役立っています。これは普通のチタニムではなく、ある放射線で処理されたチタニウムであり、材質を半透明にする効果を生み出しています。ただし防護効果の大部分は、周囲を取り巻くエネルギー・フィールドです。母船は宇宙空間から直接エネルギーを取り入れて自家発電で航行しており、長期旅行用ではない移送船に必要なエネルギーは、母船内の保守点検区域で再充電されます。

   もし地球に磁力の秘密が伝えられたなら、人々の生活は必ず一新されることでしょう。
   想像してみてください。もしエネルギーが無料で利用できるようになり、磁力で推進する宇宙船を誰もが使えるようになったら、一体どのような変化がもたらされるでしょうか。しかし地球ではあるネガティブな地球外生命体につながる勢力が、強い支配力を持っています。彼らにとって、地球の人々により大きな自由と力を与えかねないものは何でも 脅威になるのです。それには「至高なる神性の法則」も含まれています。これまでのテクノロジーの分野においても、人々にとっては有益でも権力者にとって不利益となるあらゆる発明は、通常は圧力がかけられて非公開とされるか、あるいは破壊され、没収され、少なくとも信用を貶めるための操作がマスコミを使って行なわれます


   (訳註: アダムスキーが金星人からもらった図形入りの金星文字をヒントに、フリーエネルギーの磁気モーターを開発したバンデンバーグは、アダムスキーの忠告を無視してそれを公表しようとした結果、その直後に行方不明になっている。ちなみにその金星文字とほぼ同じ図形文字が、1940年代に、フランスの考古学者のマルセル・オメによってブラジルの古代遺跡の岩絵に発見されている。しかしその英文書籍が出版されたのは、アダムスキーが体験記を出した後であった
。)

ニコラ・テスラは地球を援助するために金星からやってきた
   地球の人々は、ニコラ・テスラに多大な恩があります。
   彼がいなかったならば地球の文明は今日のようにはなっていなかったでしょう。彼は一時期、トーマス・エジソンと共同で電気モーターと発電機を設計していたことがありました。ナイアガラの滝の発電システムの開発を受け持っていたのはテスラでした。テスラは70歳までに700以上の発明をなし遂げています。しかしテスラは時代の先を行き過ぎていたために、エジソンは自分のものよりも優れていたテスラのアイディアを妬み、評判を落とそうとしました。テスラは地球から得られる自然にある無尽蔵のエネルギーを利用するパイオニア(先駆者)であり、エネルギーを作り出すために、巨大な発電システムは必要ないことが分かっていました。

   しかしテスラによって、フリーエネルギーが人々に行き渡るようになることを怖れた石油を支配する者たちは、彼と彼のアイディアを潰すことに成功し、磁力の秘密が世界中に与えられるのを阻止することに成功したのです。テスラの次の言葉から、私たちは彼が目指していたことがわかります。「電線のないエネルギーの応用としてもっとも価値があるのは、飛行機を推進させることだろう・・・」 彼の死後、テスラの研究施設は長年にわたって閉鎖され、彼の偉大さは人々の記憶からほとんど消え去ってしまいました。彼が、かつてこの地球に存在していたことを知っている人はごく僅かです
。(訳註: 訳者がオムネクに確認したところ、テスラは金星で生きた後に、転生という形で地球に生まれたのだという。)


      
book 「私はアセンションした惑星から来た」 オムネク・オネク著 徳間書店

                           抜粋



他人の生き方を尊重して批判せず干渉しない

   自分のバランスを整えることと、他人に対して余計な干渉をしないということは、私たち金星人が何世紀にもわたって、大きな成長を遂げてきた人生の秘訣でもあります。これは魂がより高い世界へ向かう旅の途中で精神的に進歩し、自己実現を成就させるために必須のものです。しかし地球の人々はまだ、これらの教訓を学んではいません。不干渉であるとは、それぞれの個人の自由を認めるためにある「霊的な法則」なのです。つまりこの世界には同じ人間は一人もいないが故に、考え方や感じ方、反応の仕方、そして心の傾向やものの見方の視点は個人によって異なり、精神的な開花の度合いもそれぞれ異なっています。

   この「霊的な法則」とは、人間一人ひとりが持っている独自で私的な世界を尊重すべきである、というものです。けれども地球ではこのことが認識も理解もされておらず、そのことが地球における今日の多くの問題の根底要因となっているのです。もし人々が他人の人生に干渉する代わりに、自分の人生をコントロールしてより善いものにすることにより多くの関心を注ぐならば、世界中の問題はもっと少なくなることでしょう。そしてカルマは、人が他人の人生に干渉すればするほど、自分の人生も他人から干渉されるように働きます。

   干渉とは、人に対して「このようにすべきだ」と思ったり、ある基準のような考え方やものの見方を「他人も持つべきだ」と思い込むことがそうです。私たちはそれぞれが自らのレベルに応じて、自分に必要な学びをしている魂の存在であると認識することで、他の人たちの自由を認めなければならないのです。自分の考えや見解を強く主張して押し付けたり、相手が望んでもいないのに勝手に手助けしたりアドバイスを与えたりすることや、善意のつもりのおせっかいや、さらには相手のしていることは間違っていると判断することさえもが「干渉」に含まれるのです。

   それよりもなぜその人がそのように行動し、考え、感じているのかを理解しようとするほうが遥かに有益なことなのです。そうすることで、自分自身をよりよく理解するための手助けにもなるのです。私たち金星人は論争することがありません。私たちが求めているのは理解することであり、相手が伝えようとしていることを理解することのほうが大切だと感じています。なぜなら私たちは自分の心の中にあることについてすでに知っているからです。

   人の人生において「バランス」は非常に大切なものであり、それは宇宙全体においても重要なことなのです。それは下層世界において、人生におけるいかなる種類の極端さにも陥らないでいることによって、魂をこの時空から解放させることのできる一つの方法なのです。しかし残念ながら、「バランス」の訓練を学んでいる地球人はほとんどいないと言ってもいいでしょう。魂としてのバランスがとれているということは、つまり、すべてにおいてバランスがとれているということです。それは食べることにおいてもそうで、人はポジティブな食べ物とカル・フード(ネガティブな食べ物)のバランスをとる必要がありますが、とても悲しいことに地球の「文明人」と言われる人々が口にしているもののほとんどはカル・フードなのです。

   欲望についてですが、人は常に、どのような物事や状況からもいつでも離れることができる状態にいなければなりません。そうでなければ私たちは、この世界の物事の奴隷になってしまうからです。人はどんなことにも溺れたりせず、激情に駆られて対立したりしてはならないのです。この中庸(ちゅうよう)の道を行くということは、時に剃刀(かみそり)の刃の上を歩くことにも似ています。人は肉体に宿っている限りは、物理的な世界の物事を楽しむことができますが、それらの奴隷にならないようにするのが望ましいのです。

   ここでこのようなことをお話する理由は、人々が地球での生活においてバランスを達成するための手助けのためです。バランスは自然との関わりにおいても見出されねばなりません。地球においては自然のデリケートな生態系に対して、すでに甚大なダメージが加えられており、それは現在も続いています。ずっと昔の遥かな時代に、金星と火星の住民たちは、自然を破壊する行為は自らを破壊する愚かな行為であることを、手遅れにならないうちに悟ることができました。

   彼らは自然を大切にし、敬うようになり、やせた土壌を再生させ、都市や村落を作る時も、自然を残すようにすることから始めたのでした。現在の地球の世界的な規模で見られる枯渇した土壌を見るとき、これらの土壌が改善され、成長促進剤として与えられるものや害虫駆除と称した毒物の化学物質の使用が中止されないならば、人類は21世紀を生き延びることはできないでしょう。


      book 「私はアセンションした惑星から来た」 オムネク・オネク著 徳間書店

                           抜粋

人は自らの神性に気づく時すべての崇拝をやめる

   最初に生命が芽生えたのがどこであるのかを、物理的宇宙において理解しようとするならば、それは容易なことではありません。それはとても古い時代のことなのです。まだ地球が生まれたばかりの頃から、私たちの太陽系の他の惑星には進化したすばらしい文明が存在していました。今日の地球の科学者たちは生命の起源を見つけ出そうと研究しており、また何千年、何百万年も前から地球よりも古い他の惑星の科学者たちも同じような試みを続けてきましたが、その努力が実ることはありませんでした。生命というものは、物理的な宇宙で創造されることはないのです。けれども状況が整うなら、それは物質世界を超えた世界から入り込んでくるのです。そして人が神の意識を持った時にのみ、生命というものがどこから来て、なぜ存在するのかを知ることができるのです。

   すでにお話しましたが、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星、そして冥王星には、その環境に適した形態の人間が存在しています。そして冥王星よりも外側にある複数の惑星にはまだ人間は住んでおらず、名前もついていないと聞いています。しかし私が金星を離れて後に、何か変化があったかもしれません。私たちの太陽系にはもともとは4つの惑星しか存在していませんでした。それが水星、金星、火星、それに木星です。現在の12個の惑星のうちの残りの8個は、その後もずっと続いた自然のプロセスとしての創造と崩壊によって形成されてきたものです。

   惑星というものは、多くの地球の科学者たちが信じていることとは逆に、絶え間なく形作られては、壊されているものなのです。ですから地球上での原子力の実験は非常に深刻な事態を引き起こしかねません。なぜなら過去において水星で起きたことが、地球でも起こり得るからです。かつて軌道の変化によって水星は太陽により近づき過ぎてしまった結果、人々は惑星からの脱出を余儀なくされたのでした。幸いにもその当時はまだ土星には人が住んではおらず、水星の宇宙旅行の科学技術は、土星に向けて人々の避難を可能にするほど進化していました。しかし地球の場合は、おそらくそういうわけにはいかないでしょう。

   「至高なる神性の法則」(自然の法則)の真理は、私たちの太陽系の他の惑星ではとてもよく知られており、受け入れられています。これらのすべての惑星に共通しているのは、地球とは反対に、霊的な法則のもとに生き、これらの真理を人生で最重要なものとして位置づけていることです。私たちは同じ人間である仲間を物理的な存在としては見ていません。また外側に見えるものは一時的な仮面に過ぎず、それぞれの生命形態が異なることはあっても、それは魂の表現そのものであると考えています。ですから私たちは、すべての生命を理解することはしても、裁くことはしないのです。精神的に進化した惑星の人々はすべてカルマの法則を非常によく理解しており、自らの良き行ない、悪しき行ないのすべてに、いずれ真正面から向き合う時が必ず来ることを知っています。

   同じく彼らは、死とは終わりではなく、別の世界への移行に過ぎないことも知っています。「生命の法則」に気づいているかどうかは、人々の行動、生き方に大きな違いを生み出します。もし「カルマの法則」が地球の人々に理解され、受け入れられるなら、地球の人々の生活は変容することでしょう。世界を変える力は一人の個人から始まり、個人による内なる精神的開花によってのみ、地球を戦争と圧政の時代から脱却させることができるのです。あなた方の世界にそれがあるのは、自分がまだそれを求めているからなのです。「もうたくさんだ」と心から感じた時に、人は成長するのです。

   私たち魂にとっての共通の敵とは、もちろんカル(ネガティブ)・パワーです。
   この物質的世界では思考と感情が常にネガティブな物事の原因を作ります。ですから思考と感情をコントロールすることが、すなわち運命をコントロールすることになるのです。人間を通して発生するネガティブな流れは、5つの激情として現れます。それが、怒り、貪欲さ、渇望、虚栄心、そして物質的な執着です。これらの激情が人々においてよくコントロールされているとき、生命は飛躍的な成長を遂げることができます。つまり、このようなコントロールが為されているところには、対立や戦争は起きないのです。この太陽系における最後の惑星間戦争が起きたのは、まだあなた方の社会が存在すらしていなかった頃に起こりました。あなた方の人生に現れている外的な状況とは、常に心と感情の内なるコントロールを反映させたものなのです。

   地球の近隣の惑星から来ている人々を理解するために重要なことは、肉体的な外見を超えて、他の人々を受け入れようとする私たちの心の態度です。私たちは自分たちの基準に他人を照らし合わせるのではなく、それぞれの人は魂の存在であり、下層世界とは学びの場に過ぎないという認識を持って人との違いを受け入れることなのです。たとえば私たち金星人はもし地球上で、偏見を持った人や何か悪い感情を抱いている人に出会ったとしても、その人を受け入れます。

   なぜならその状況におけるすべてのことは、本人にとっての学びであるからです。
   私たちは誰をも批判したりすることはなく、誰も悪いわけではないことを知っています。それぞれの人は、現時点における限られた知識と限界の中で生きているものなので、その時点で受け入れられることしか、受け入れることができないからです。すべての人は自らの経験と学びを通してのみ精神的な態度を変えることができ、意識的な気づきのレベルを上げることができるものなのです。

   私たち金星人はどのような状況でも、それを自らを成長させる経験として受け入れます。それがいかにネガティブに見えるものであっても、それを表面どおりに受け止めることはありません。私たちにとって、他の惑星に住む人々と親しい関係になるのはとても容易(たやす)いことです。私たちは地球人よりも優れているわけではなく、ただ今回は、人生における多くの霊的な真理に触れられる環境に、生まれる機会を得たというだけのことなのです。私たちのほとんどの人々は過去において、同じように地球での生活を体験してきています。

   地球のほとんどの人々は、自分自身に内在する「神の力」ともいうべきものに気づいていません。そのために、その力を自らの体験を通して実現させてきた人々を簡単に崇拝してしまう傾向があるのです。私たちは自分が何者であるかについて認識していますが、地球の人々も同じく自分自身の中に眠っている潜在能力を自覚することが必要であり、誰もが一個人として自らの進む道を意識的に選ばなければならないのです。


     book 「私はアセンションした惑星から来た」 オムネク・オネク著 徳間書店

                          抜粋


 

私たちは地球レベルを卒業しなければならない

   自分たちの過去世の記憶が閉ざされていることは、私たちにとっては好都合なことなのです。なぜならその準備もなく、人がいきなりあまりにも多くの記憶の洪水に飲み込まれてしまうなら、最終的には隔離施設に送られることになりかねないからです。これらの記憶は魂の知識の一部を成すものであり、私たちがそれを取り扱えるほどに成熟するまではあまり気づくことはないのです。他の時空を超えた過去世の体験を幸いにも覚えている人は誰でも、下層世界である物理的次元にはいろいろと不完全なことが多いことを知っています。

   それではなぜ、私たちはこんなにも長い間、下層世界に縛られたままいつまでもここに留まっているのでしょうか? それは私たちを浄化して完成させるために作り出されたネガティブな力が、できるだけ長く私たちをここへ押し留めておこうとしているからに他なりません。そのために用いられる道具である「カルマの法則」は、「引力の法則」と同じように力を発揮し、私たちがその存在にすら気づくことのなかった遥か昔から、私たちを地球へ引き付けてきたのです。カルマの法則が目に見えないものであることを疑う人はいませんが、それがどれだけ現実的で具体的なものであるかに気づかず、知らないでいる期間が長ければ長いほど、人は物理的な世界により長く縛られることになるのです。

   それは、「自分の蒔いたものは自分で収穫する」ということで、自分の行ないは自分に向けられたものなのです。かつては地球上のほとんどすべての宗教や精神的探求の指導者たちが、この普遍的な法則を説いてきました。しかし今日では、この法則を知る人は非常にわずかのようです。しばしば言われてきたことですが、心というものは便利な召使になり得ると同時に、その状態がどんなものであるかによっては酷い主人にもなり得るのです。

   魂は、濃密な物質である肉体を常にコントロールしていなければなりませんが、それができていないことがあまりにも頻繁にあります。聖なる霊である魂が心をコントロールしないならば、ネガティブな「カル・パワー」が支配権を奪い、その結果人を虚栄心や怒り、渇望、貪欲さ、そして物質的なものへの執着という5つの激情へ溺れさせることになります。このような状態が新たなカルマの負債を生み出し続け、魂はより強くこの物質的な下層世界に縛り付けられていくのです。なぜなら、清算すべきカルマがある限り、再びそこへ生まれてこなければならないからです。肉体を持つ人間として、人は多くの輪廻転生を通して、その魂は自ら作ったカルマの「しがらみ」に巻き込まれていきます。

   輪廻転生を通してかつては誰もが、貧しさと豊かさや権力と非力、有名と無名、健康と病気、利発と愚鈍などの両方の立場を繰り返し経験してきています。しかしやがて魂はバランスというものに気づくようになり、この世界での転生のサイクルが終わりかける頃、自分はなぜ存在し、なぜここにいるのか、そしてどこへ行こうとしているのか、物質的世界を超えた世界は存在するのか、存在する偉大な力とな何なのかについて問いかけるようになり、その答えを熱心に探し求めるようになります。そして宗教的な教えや伝統的な教えが、もはや自分を満足させないことに気づくようになります。この時点において人は、自分というものについて、つまり自らの感覚や思念、そして直感というものに気づくようになります。

   やがて人は自分を納得させる真理を求めて、物質的領域を超えた世界を意欲的に、意識的に探求し始めるようになるでしょう。そして人の魂はもはや、現代の宗教には納得できなくなるのです。なぜならそこには十分な真理も答えも存在せず、見出せないからです。そのとき魂は、物理的な世界を超えた何かを求める準備ができているのです。そして人は霊的な教えを見いだし、魂について、そしてこの物理的世界に入って来る前の自分の存在について知ることになります。そしてこの教えを意識的に学ぶことによって、「魂の旅」ができるようになることに気づくでしょう。この技術と科学は、魂が肉体を一時的に離れることを可能にさせ、物理的な宇宙を越えた世界を訪問して探査することができます。これはたとえて言えば、宗教が天国と呼んでいる場所を、死ぬ前に行って見てくるようなものです。そしてこの体験を通してのみ、死後の世界と生命についての真実の確信を得るのです。

   「魂の旅」は「至高なる神性の法則」の持つ主要な特色であり、他の教えとは一線を画すものです。肉体というものが、魂が学びを得るための乗り物に過ぎないことを理解するとき、人はもはや物質的で濃密な世界にこれ以上転生する必要を感じなくなります。また魂がカルマを清算しなければならない領域は、何も物理的世界だけではないのです。魂はこれまでにもアストラル界やコーザル界、メンタル界でも過ごしてきているので、当然カルマを作ってきているからです。魂である私たちはより精妙で繊細な上層世界へ向かう旅の中で、まず下層世界でやり残していることをすべて片付けておかなければならないのです。

   カルマのしがらみと輪廻転生から解放されると、魂は霊的な世界にしっかりと根付くことができます。そこは魂の世界(ソウル界)と呼ばれる時空を超えた領域です。あなたはここで、自分が魂の存在であることを初めて完全に認識することになります。このソウル界よりも5、6層上の領域には、さらに高次の霊的世界があり、そこは神の意識に到達した領域です。ここにおいて魂は自身と至高なる神が同一つであることに気づきます。魂はここで完全な悟りを得るのです。この状態は、あなたが未だ肉体とともにある状態であっても到達することが可能です。そしてここにおいてさえ、魂の成長は終わりではなく、その上には上があり、永遠にわたって常にひとつ上の領域というものが存在するのです。

   「至高なる神性の法則」は、あらゆる惑星に存在する教えです。
   私たちはそれが金星の霊的な教えであることを公然と認識しています。これは濃密な次元世界を超えたところに源を発する教えであり、宇宙の他のどの惑星においても実践されているもので、さらなる成長への準備ができている魂を助けています。濃密な物質的世界には、その場所においてさらなる経験を積む必要のある魂のために、適応した独自の教えが途方もなくたくさんあります。そしてそれらは、魂が密度の濃い世界から脱出できるほどの強さと気づきを得るまでは、そこに縛り付けておくために作られたものなのです。

   そこにある真理は限られたものでありながらその役割はよく果たされており、その世界における多くの意識レベルに対応できる多様性を持っています しかしながらそれぞれの人はその教えが、自分が求めている真理であって自分の内的欲求を真に満たすものであるのかどうかに注意し、そうでない教えには囚われないように気をつける必要があります。また真理を探究する者は、カルマの領域にある下層世界の一部を、霊的なものと間違えないように慎重にならなければなりません。

   今日のアストラル界(物質世界の一つ上の領域)を、そこが究極の天国だと信じ込んでいる人々が多くいます。そこは確かに、物理的な世界よりも遥かに美しいところには違いありませんが、それは霊的に生きる人々が住む場所はどこでも、地球の人々にとっては天界のように思えてしまうからです。けれどもどのような世界であれ、その世界はそこに住む人々の意識状態を反映したものに他なりません。この原理は地球世界にも当てはまるもので、多くのネガティブなカルマを持った人々は互いに惹(ひ)かれあって一つの惑星に集まるものであり、その結果ネガティブな体験をすることが可能な状態を作り出してしまうのです。

   私は地球のすべてが、完全にネガティブな惑星だと言っているのではありません。
   地球もまた、そこに生きる生命のためにポジティブなほうにバランスがとられるのです。つまり濃密な物質世界に存在するどのような領域のいかなる惑星に生きていても、ポジティブに感じて生きるか、あるいはネガティブに感じて生きるかは、本人の態度と意識次第であるということです。なぜなら自分の私的な世界を創造しているのは、自分の思考であり感情であり、思念の力であるからです。つまりは、あなたの意識的な気づきの度合いによるのです。

   すでにお話しましたが、金星もかつては現在の地球のように非常にネガティブな惑星であったのです。そして何百万年もの歳月をかけて、金星の人々はある精神的な開花の段階にまで進化を遂げました。それは特別なことではないのですが、それを未だ経験したことのない地球の人々にとってはそう見えるかもしれません。私たち金星の人々の精神的な成長と科学的な進歩はとてもポジティブなものであったので、わたしたちの文明全体が、もはや物理的な世界に存在する必要性がなくなったのでした。つまり物理的な惑星として活動する金星はそのまま残りましたが、その文明とすべての人々はアストラル・レベルへの移行段階に到達したのです。


      book 「私はアセンションした惑星から来た」 オムネク・オネク著 徳間書店

                           抜粋

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