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日本人が感じている抑圧感の正体は何なのか ③

   日本社会にはフェアネス、つまり「公正さ」は存在しません。
   近代になってフェアネスという言葉だけは輸入したものの、フェアネスを否定する儒教思想が浸透しているので仕方がないことではあります。フェアネスのない日本社会では「情状酌量」がまかり通り、裁判所から企業にいたるまで、さまざまな組織の問題解決能力が低いままに放置されています。たとえば、「お客様は神様」思想がはびこって、健全な経済活動の妨げになっていることはすでに指摘しました。しかしフェアネスがないことによる最大の弊害は、もっと別のところにあります。

   それは、社会の成員をなす一人ひとりの可能性を奪ってしまうことです。
   繰り返し述べてきましたが、フェアネスは、「本質的に人間は誰もが平等である」との良識のことです。そうである以上、少なくとも建前上は、すべての人に均等に自己実現の機会が与えられていなければ平等とは言えません。たとえばアメリカでは、実際に誰もが支配者側に入り込むチャンスが与えられており、つまり個人の可能性を生かせる社会です。

   ところが日本社会は違います。
   フェアネスがないために、「本質的に人間は皆平等だ」というメンタリティがありません。だから金持ちや権力者は、ほんとうに偉い人とみなされてしまいます。つまり、「自分たちと同じ対等な人間の一人が成功した、権力の座に昇りつめた」ではなく、「成功して、権力の座に昇りつめた人は、自分たちとは違う」、と差別的な人間観が生まれてしまうのです。

   こうなると、同じ社会の成員といっても、人それぞれの価値が違うことになります。
   価値が違う以上、対等に扱われる必要はない。したがって平等にチャンスが与えられなくてもかまわないという発想になります。チャンスが平等ではない社会はいったいどうなるでしょうか。ひと言でいえば、封建社会になります。

   日本では、国会議員の子どもが国会議員になる確率は、一般人の子どもが国会議員になる確率の約3万倍です。ちなみに、自民党では世襲議員の比率は約50%であり、国会議員全体で約40%です。(「世論力テレビ」調べ) これは明らかに違憲です。最低でも、親の選挙区には出られないといった程度のルールは必要でしょう。ほかにも、医者は二世や三世が多い職業として知られています。また、あまり知られてはいませんが、日本ではアカデミズムの世界も「世襲」の比率が非常に高いのです。

   法科大学院制度になり多額の学費が必要になったことにより、今後は弁護士など法曹の世界も、今よりいっそう世襲化が進むでしょう。それだけでなくさらに、個人の才能だけが肝心なはずのビジネスの世界でさえ、似たようなことが起きています。

   楽天の会長兼社長である三木谷浩史氏は、父親は神戸大学教授、母親は戦前にアメリカで学んだという帰国子女の名門の家柄で、彼は大学を卒業すると、名家出身者が多かった当時の日本勧業銀行に入行しています。同じく、IT企業を起こした新興起業家でありながら、ごくふつうの家庭で育ち、東大中退で大企業経験もない堀江貴文氏は、徹底的に財界から嫌われ、最終的には潰されてしまった。

   一方の三木谷氏は、財界からの覚えもめでたく、それは彼が経団連を退会するようなあからさまな反抗をした後でも変りません。そこに出身による差別を見て取るのは、不自然なことでしょうか? このように、機会の平等がない社会では、もともと有利な立場にいる人とそうでない人とのあいだで、自己実現の可能性には大きな開きがあるのです。

   自己実現の機会の平等・不平等については、さまざまな議論があります。
   少なくとも、一部の特権階級出身の人にしかチャンスがないとまでは言えず、そうでない人にも不平等とはいえチャンスはそれなりにあります。しかしより深刻な問題は、多くの人々がその少ないチャンスさえも活かそうとはせずに、早々に、成功することや自己実現を諦めてしまうことにあります。つまり、すでに機会の不平等があるうえに、日本人は自らが住む封建社会をより一層固定化させるかのように、自分に与えられた「分際」に留まってしまうのです。

   その背景には、日本の教育による誘導があります。
   現代日本の教育を基礎づけている考え方に「三育主義」というものがあります。それは「知育」徳育」「体育」の三つを、バランスよく施すのが正しい教育であるとした思想です。もともとはイギリスの哲学者ハーバート・スペンサーが唱えたこの思想を、明治の日本人が採り入れたのです。三育のうち国語、算数、理科、社会、音楽・・・といった知識を教える「知育」はよいとしても、問題は「徳育」と「体育」です。

   徳育は、分かりやすい例でいえば道徳の授業です。
   日本ではしつけや道徳を教えることが学校の役割になっています。しつけや道徳を教えるということは、特定の価値感=思想や宗教を教えることです。すでに述べてきたように、日本人にもっとも影響を与えている思想は儒教です。そういうと、「道徳の時間に儒教教育を受けた覚えはない」と言われるかもしれませんが、しかし「年長さんの言うことを聞きましょう」とか、「勝手な行動は慎みましょう」といったことを、さんざん叩き込まれたのではないでしょうか? それはまさに儒教の価値感です。

   さらに、体育も問題です。
   子どもたちの好きなように身体を動かせるのならいいのですが、ご存知のように、日本の体育の授業でもっとも重視されているのは、「先生の号令に合わせて動くこと」で、簡単にいえば軍事教練です。ここでは露骨に、命令をよく聞く人間の養成が行なわれているのです。

   徳育と体育によって、日本の子どもたちは徹底的に秩序を守るように仕込まれます。
   秩序を乱す発想や行動は許されないわけですから、考え方としてはすでにある社会構造の中における上昇を願うようになります。もともと特権を持たない一般の人々は、ユニークな発想や考え方をすることではじめて逆転の可能性が生まれ、成功や自己実現に近づくことができます。しかし日本の教育は、そういった自由な発想や考え方をあらかじめ潰してしまうのです。

   その結果、特権を与えられていない多くの人々は、「東大を出て官僚に」「有名大学から大企業へ」といった既に敷かれてあるレールの上でしか、成功や自己実現を考えることができません。キャリア官僚は無理でも、せめて地方公務員に、東電には入れなくても、せめて東電の下請け企業へ、と既存の秩序にしがみつこうとするのです。つまり、自分たちを縛っているピラミッド構造の一部を進んで担おうとするのです。

   こうして、日本の封建社会は維持されていくのです。
   そしてこれこそが、日本人に元気がない最大の理由でしょう。

   本章の冒頭で述べたように、日本の経済力は相対的には、決して衰えてはいません。
   経済格差もアメリカほどには大きくはなく、政治的にも一応の自由な社会は保証されています。にもかかわらず、日本社会には活力がなく、日本人はどこか元気がない。幸福を感じられない。

   それは、個人の可能性があらかじめ限定されているからです。
   自分の未来に限りない希望が持てなければ、人は現在を楽しむことはできないし、未来に向かって挑戦することはできないからです。この状況をいかに変えていくべきかを考えるために、本章ではさらにもう一歩踏み込んで、私たちを縛っているものの正体を見極めたいと思います。


             book 「日本」を捨てよ 苫米地英人著 PHP新書

                        抜粋したもの      

日本は米国から独立した国家ではなく「日本自治区」 ②

   では当のアメリカ自身は「愛国洗脳」に、どの程度力を注いでいるのかというと、日本よりさらに強烈です。2011年5月2日に、パキスタンでウサマ・ビン・ラーディンが米軍に急襲され、殺害されました。そのとき三大ネットワークをはじめ、CNN、FOXなどアメリカのメディアはこぞって、彼の死を喜ぶアメリカ市民、特に学生の姿を放映しました。

   しかし現地の大学に多くの友人がいる私が独自に得た情報では、放送で見られたような大騒ぎが、実際に現地で行なわれていた事実はほとんどありませんでした。そもそもいくらテロの首謀者とはいえ、人が殺されたというニュースを聞いて大喜びで祝杯を上げるような連中が、そうそうたくさんいるはずがありません。それは少し冷静になって考えればわかることです。

   つまり、放映されたあの盛り上がりは、ほとんど演出だったのです。
   おそらくごく一部での騒ぎを、さも全米で起きたことのように報道したのでしょう。これがメディアをフル活用したアメリカの愛国洗脳の実例です。そうやってほぼ全ての主要メディアで、「ビン・ラーディンの死を喜ぶべきだ」というメッセージを流して、徹底的に洗脳を行なっていたのです。さかのぼって考えれば、イラク戦争の時もそうで、戦闘に参加している兵士たちを英雄視するメッセージを、アメリカのネットワークは流し続けました。これも愛国洗脳と考えるべきものです。

   しかしある程度の教育を受けた人なら、そこまでみえみえの洗脳工作には違和感を覚えるはずで、かえって反発を強めるかもしれません。しかしアメリカの怖いところは、まともな教育を受けていない人が多いということです。そうした層には信じがたいほどストレートに洗脳が通じてしまいます。つまり、アメリカの放送ネットワークや映画産業は、愛国洗脳のために存在すると言っても過言ではありません。それだけ洗脳が効果的で有効な国であり、そこに絡む利権も日本とは比べものにならないのです。

   日本人の愛国心が、実はアメリカの支配者のさじ加減でコントロールされている、他律的なものである歴史を明らかにしましたが、ここではさらに一歩進んで、私は次のような疑問を提示します。それは、そもそも日本という国は、さらに日本国民は、本当に存在するのだろうか、ということです。これはすでに私の著書の中で何度か指摘したことですが、戦後の日本国の出発点となったサンフランシスコ講和条約(1951年)の原文を検討する限り、日本国の独立は認められてはいません。したがって、日本国民の存在も認められてはいない、と結論づけるしかないのです。

   いきなり何を言い出すのかと思われるでしょうが、簡単に説明します。
   連合国が日本の独立を認めたとされる講和条約の第1条(b)を見てみると、その原文はこうなっています。

   The Allied Powers recognize  the full sovereignty of the Japanese people over
  Japan and its territorial waters.

   日本語訳では、「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」となっているので、当然ながら「日本国」や「日本国民」の存在を前提にして書かれていると思うはずです。しかし原文を注意深く読んでください。

   「Japanese people 」のところで、「people」を小文字で表記してあるのがわかりますか。
   英語では、国民を表す場合には「People」と大文字で記して始まるはずですが、そうはなっていません。この箇所の本来の意味は単なる「日本の人々」であり、「日本国」や「日本国民」の意味ではないのです。ですから日本語訳もそのように訳されるべきだったのです。

   また「完全な主権」という翻訳も曲者(くせもの)です。
   なぜなら条約の第2条以降に、日本の対外主権、つまり国としての独立性を制限する規定が幾つもあるからです。たとえば国際紛争解決の手段として、武力を用いることを禁じた第5条(a)がそれです。ふつうならば独立国であれば当然、認められるべき権利のはずが、実際には制約されていることを考え合わせると、「full sovereignty」の「sovereignty」(主権)とは、対外主権のことではないと解釈しなければ矛盾が生じます。

   つまりここでは、「日本の統治権は軍部でもなければ天皇でもなく、日本の人々、人民が100%持っているのだ」という意味で、「full sovereignty 」と言っているわけです。この
「sovereignty」という言葉は、アメリカでは、国ではなく各州の自治権を表す言葉としても使われているので、それに近い意味に捉えるのが妥当でしょう。したがって、先ほどの第1条(b)を正確に和訳すると、こうなります。

   「連合国は、日本の人民による日本と、その領海の十分なる自治を認める」

   いかがでしょうか。
   日本国の独立も、日本国民の主権もどこかに行ってしまいました。これは現在も有効な国際条約ですから、私たちは日本国民ではありません。私たちは「日本自治区」で生活する日本人なのです。

   サンフランシスコ講和条約に署名した吉田茂主席全権大使をはじめとする、日本の代表たちが、条約の本来の意味に気づいていなかったはずがありません。会議には宮澤喜一氏など、英語の達人も随行していたのですから。そして実際に、吉田茂首相は条約署名後のスピーチでこう語っています。

   It will restore the Japanese people to full sovereignty, equality, and freedom, and
reinstate us as a free and equal member in the community of nations.

   「これにより日本の人々が主権を十分に取り戻し、平等と平和を回復するものであり、私たちを世界の民族のコミュニティに自由で平等な一員としてふたたび参加させるものである」 

   これは明らかに、日本の人民が軍部から主権を取り戻したという趣旨です。
   条約の本来の意味をよく理解したうえでのスピーチであることは明白です。にもかかわらず、日本国民に伝えられたのは、先ほどの「誤訳」でした。

   このようにして、連合国の占領から日本国が独立を取り戻したのだ、という「優しいウソ」を、日本人は吹き込まれたのです。


             book 「日本」を捨てよ 苫米地英人著 PHP新書

                        抜粋したもの

本来私たちは政府がなくても生きていける

   権力者にとって一番都合が悪いもの、それは「自由」です。
   自由に物事を考え、自由に発想し、自由に行動する。人々が既存の世界感に縛られるのをやめ、自らを頚木(くびき)から解放すると、人々は徹底的に気づいてしまいます。それはこの世界の姿があまりにもグロテスクであり、現状に執着し、必死になって維持していかなければならないことなど一つもないのだということを。本当に大切にしなければならないことはそんなところにはなく、もっと別のところにあるのだと。

   もし人々にこうした気づきが訪れるとしたら、権力者たちが営々と築いてきた体制は、その瞬間に瓦解(がかい)します。人々はもはや、彼らに従わなければならないとは思わないし、彼らに権威を感じることもありません。彼らが難しい理屈を並べ立てて攻撃して来ても、人々はそれを大層なことだとは思わず、「そんな煙に巻いて遠まわしに言わず、もっと簡単に言ってごらん」、と正面から真偽を問いただすでしょう。彼らが何かを隠そうとすれば、人々はすぐに代替品を見つけ出し、どんどん前に歩いて行くでしょう。権力者が何かを素晴らしいものとして提供しようとしても、もう誰もそれに見向きもしないでしょう。

   つまり、権力者が使うありとあらゆる「ワザ」が通用しなくなるのです。
   そこで、人々が本当の自由に目覚めないために、権力者によって「限定された偽りの自由」が用意されました。それが、私たちが住む、現在のこの世界です。人々はこの限定された自由の中に暮らし、自由とはこういうものだという考えの虜(とりこ)にさせられています。権力者は、時々、その自由をわずかに広げたり、少し狭めたりしながら、人々の考えをコントロールしています。あらゆる機会を利用して、大災害や大戦争という手段を用い、限定された自由の中でしか人間は生きられない、本当の自由はないんだというイメージを、時間をかけてこれまで人々に強く刻み込んできたのです。

   恐怖は、彼ら権力者にとって格好の道具です。
   たとえばヨーロッパ中世に生じた大きな恐怖心によって、権力者はヨーロッパ中の人々の心を一網打尽にコントロールしたのです。そこでは恐怖が恐怖を呼び、ペスト、天候不順、戦争、魔女狩りと、恐怖は増幅されていきました。恐怖の増幅は権力者の十八番(おはこ)です。恐怖の連鎖は、人々の権力や権威への盲従を促し、人々は限定された自由の中に安息を見出そうとするのです。

   それは現代においても、この構図は変ってはいません。
   テロや地球温暖化、食料危機、金融危機、大失業、原子力災害、エネルギー危機など、今まさに世界に恐怖が蔓延しつつあるのです。彼らにとってこれほどのチャンスはありません。おそらく、世界中で新種の魔女狩りが始まるでしょう。

   すでにそのような兆候はいくつもあります。
   たとえばロシアでは、大統領時代のプーチン氏を批判したユコス社の元社長、ホドルコフスキー氏が逮捕収監され、その上エイズを注入されたと問題になりました。またIMFのストロスカーン専務理事が、ニューヨーク市内のホテルで従業員に性的暴行をしたとして逮捕されました。彼は財政破綻状態のギリシャを救済しようとするグループの代表で、フランスの次期大統領候補の一人でもありました。犯罪の事実の有無はわかりませんが、権力者が政敵を追い落とす動きであることは事実でしょう。

   このように恐怖におののいて目をそむけている間に、彼らはいつも自由を引き締めるその手に力を込めるのです。日本ではその矛先がどこに向かうのか、それが私の一番の関心事です。、小沢一郎氏が標的にされていることは、すでに指摘しました。検察審査会とは、もともとGHQが日本の検察を操作するために生み出した組織であり、検察審査会法は、米国占領下の昭和23年に成立した法律であって、GHQが日本の検察を操るために作ったものなのです。ですからどのような人物が検察審査員を務めているかわからず、その運営はきわめて怪しいと思われます。

   おそらくこれからは、原子力発電をめぐる魔女狩りも始まるでしょう。
   原子力を推進するために、賛成派、反対派ともに、彼らにとっての邪魔者を吊るし上げるでしょう。福島県民にはまことに申し訳ない表現ですが、今回の原子力災害はまさに劇場といえます。そして結局は、引き続き原子力推進を堅持する方向で決着するだろうと予想しています。なぜなら権力者たちがそれを望んでいるからです。

   どのような組織にも良識派というものが存在します。
   たとえば公務員の天下りが依然として行なわれていることを批判して、仙石官房長官に国会で恫喝された経済産業省の古賀茂明氏や、「放射能汚染水の海洋投棄は、アメリカの強い要請によって行なった」と発言した、劇作家で内閣官房参与の平田オリザ氏など、目につくだけでも数えたらけっこうな人数にのぼります。体制派にいながら改革を唱える良識派が、権力者にとって目障りな存在であることはいうまでもありません。彼らの恫喝の効き目があるうちはいいでしょうが、効き目がないと見るや、魔女狩りの対象にされる可能性は高まります。

   古賀氏が経済産業省内でパージ(公職追放)に遭い、閑職に追いやられたことはすでに魔女狩りに遭ったのと同じことです。平田氏もすでに同じような目に遭っているでしょう。今後はこうした良識派が、大量に狙い撃ちされる可能性があります。たとえば、小泉政権時代に、竹中金融大臣に歯向かった植草一秀氏は、品川駅構内のエレベーターで痴漢行為を働いたとして、警察官から現行犯逮捕されました。

   また小泉政権の経済ブレーンで、政府紙幣発行論者で急先鋒の元財務省の高橋洋一氏は、スーパー銭湯の脱衣場で窃盗を働いたとして、やはり警官が現行犯逮捕しました。さらに古くをさかのぼると、民主党政権誕生によって日本郵政社長に返り咲いた斉藤次郎氏は、細川政権時代の日本新党代表・小沢一郎のブレーンであり、ノーパンしゃぶしゃぶ接待を受けたとして辞任した大蔵省事務次官です。

   彼らに実際にスキャンダルの事実があったのかどうか、私は詳しくは知りません。
   しかしそれらの事件について確実に言えることは、いずれも計画的に意図して彼らに尾行する者がついていなければ、決して表ざたの現行犯逮捕にはならないスキャンダルであるという事実です。そのようなスキャンダルが発覚しているという事実です。権力の闇の闘いを物語るこうした出来事が、これからもさらに繰り返されるのは確実です。ここで注意しなければならない点は、それぞれの立場によって方向性は異なるとしても、ターゲットにされているのは、常に日本を変えようとする「良識派」であるという事実です。(略)

   福島から離れて暮らす私たちにはなかなか想像できないことですが、当地では想像を絶するマインドコントロールが進められています。その最たるものが、福島県のアドバイザーとして着任した長崎大学大学院の山下俊一教授の説です。彼は「人間は1年間に100ミリシーベルト浴びても問題ない。安心してください」と、福島県民に説いて回っています。かりに100ミリシーベルト浴びても問題がないのであれば、なぜ一般人の年間許容限度が法律で1ミリシーベルトと決められており、しかも病院などの放射線従事者でも年間限度が20ミリシーベルトとされているのでしょうか。

   福島県民は逃げられる人はすでに逃げていますが、会社があり、家があり、仕事があり、家族がいて逃げられない人がじっと不安に耐えているわけです。そういう人たちは、いくら危ないと言われても逃げるに逃げられないために、不安な話は聞く気になりません。逆に、「安心ですよ」と言ってくれる人の話なら聞く耳を持ちます。そして「100ミリシーベルトは問題ない」という山下教授の話が、多くの県民に心地よく響くという悲惨な状況が生まれています。

   被爆による影響は確率的なものです。
   ここから下はYESで、ここから上がNOという境目はありません。放射能をたくさん浴びれば、将来それに見合った健康被害が生じる可能性は高まるしかありません。(略)なぜ福島県民を避難させないのかということですが、おそらく原発推進の旗を降ろす気がないということでしょう。このように政府は、これから新しい原子力安全神話を作り上げる意欲に満ちています。ということは、反原発や厳しい安全基準の確立を主張する人たちは、排除されるということです。魔女狩りが行なわれ、良識的な政治家や官僚も、誰も手を挙げなくなるでしょう。安全神話とは、誰もが口をつぐみ、黙って、他人の「つぶやき」を聞いているからこそ、安全神話なのです。

   その結果、日本の再生可能エネルギーへの取り組みは決定的に遅れを取り、CO₂削減を軸に行なわれる次の経済戦争にも敗れるでしょう。そうやって日本はこのまま黙って、地盤沈下を続けるだけなのかもしれません。洗脳の行き渡った社会は、停滞せざるを得ないものです。ヨーロッパ中世が数百年にわたる停滞を経験したように、これからの日本は確実に停滞の数百年を過ごすことになるのでしょう。ここ数年、日本のアルゼンチン化が話題になりますが、そうした未来ヴィジョンが現実味を増してきそうです。

   しかし、私たちまで悲観することはありません。
   私たちは、原発利権やCO₂利権に同調する必要はないし、政府に頼らなければ生きていけないわけでもありません。冒頭で述べたように、権力者が用意した限定された自由など相手にしなければいいのです。それを踏み越えて、本当の自由と、本当の人生のゴールを手に入れることだけを考えるのです。

   現代の魔女狩りに遭わない方法は、「お金を儲けたい」「お金が欲しい」という意識をなくして、発信された情報に接することです。お金が欲しいという意識のままに情報に接すると、必ず彼らの「つぶやき戦略」に取り込まれます。スコトーマ(心理的盲点・思い込み)の原理が働いてそれ以外のものが見えなくなり、それを繰り返すことで、スコトーマがより一層強化されていくからです。

   詐欺にもっとも騙されやすい人は、喉から手が出るほどお金を欲しがっている人だという話を紹介しましたが、このことは権力者もよく心得ています。彼らが仕掛けてくる罠の入り口で最大のものはお金、名誉・地位、そして異性と続くでしょう。人間に対する仕掛けは単純で、いつの時代もこの3つと決まっています。

   先に、「朝まで生テレビ」に出演した文化人たちが、トンデモ発言の大合唱をした話(省略)を紹介しましたが、お金が欲しいと思っていると、テレビで醜態を晒した彼らと同じように簡単に洗脳されてしまうということです。もっとも洗脳された人間は、それが醜態であるとも、自分たちがB層だとも思ってはいないでしょう。

   ですから情報を受け取るときは、まずお金に対する執着の意識を消すことが重要です。
   それが魔女狩りに遭わないための鉄則であり、自分で考えて自分で判断するための力を蓄える道でもあるのです。詐欺にお金を騙し取られるというのならまだマシな話ですが、彼らが騙し取ろうとしているのは、人間の人生そのものなのです。太古の昔から、奴隷とは、人生を奪われ、騙し取られた人間のことを指すのです。

   本当の人生のゴールを達成したいなら、彼らが私たちを閉じ込めようとしている、限定された偽りの自由から、一歩でも踏み出すことが必要です。そうやって自由の枠を広げ、本当の手応えを掴んでいくことで、私たちは21世紀という暗黒時代を、堂々と闊歩(かっぽ)していくことができるのだと思います。


          book 「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版

                         抜粋したもの    

戒律第11条 あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい ④

   ザイの話は続く。
   「ベタバラに戻って来ると、洗礼者ヨハネの説教を聞きに来た人々がたくさんいた。
   そこで私は3人の友人を仲間に入れた。それがアンデレとシモン兄弟、それに祈祷の歌が歌えるナサニエル、それにバルトロマイという人々だった。そこから私たちはガリラヤへ向かった。両親は、私とピリポが伝道すると決めたのを知って、叔母のマグダレーナと一緒にナザレで暮らすことにした。ナザレではすでに暴力沙汰は収まっていた。

   私たちがカナの街へ行った時、偶然にもその日、殺戮事件の前に私がナザレで知り合った若者が披露宴を行なっていた。私の母もその時来ており、私がカナに到着したという知らせを聞いて彼は私を招待してくれた。母と私と、私の同伴者たちは披露宴に行ったが、私が出席すると知った人々や招待されていない人々も多数集まってきていた。私の友人は貧しい暮らしをしていたので、予想外に集まった大勢の人々に飲み物や食べ物を準備するだけの余裕がなかった。そこで私は給仕の若者たちに、ありったけの皮袋を水でいっぱいにするようにお願いした。母はそれを見て、驚いて私を見つめて言った。

   「なぜそんなにたくさんの水が必要なの、息子よ?」
   「葡萄酒に変えるためですよ、お母さん。みんな何も飲むものがないでしょう?」
   若者たちが皮袋をテーブルに置いてくれたので、私は言った。

   「あなた方の杯を満たし、私が宇宙から引き寄せた陽性の力で作ったこの葡萄酒を飲んでください」

   しかし、誰一人として私の言ったことを理解する者はいなかった。
   むしろ笑い出す者もいた。シモンとピリポは立ち上がると、グラスに葡萄酒を注ぎ、みんなに配り始めた。その後、それを飲んだ人々は大層驚き、多くの人々が私の弟子になりたいと申し出た。私は大量のパンも用意して、バルトロマイにお願いして配ってもらった。パンを受け取った人々は誰もがひどく感動して、私に何かありがたい言葉を述べてほしいと頼んできた。そこで私は次のように話した。

   「強くなるために働き、団結して暮らしなさい。
      植物やその果実、その種子を食料としなさい」


   「第13条の戒律ですね、マスター?」、とピリポがコメントした。
   「そうだよ、いつも覚えておくんだよ」、と私は答えた。

   2日後、私たちはガリラヤ湖北西の湖岸に位置する、カペナウムの街に移った。
   ここは多くの人々が中継地として利用している場所だった。私たちはここでピリポの友人の家にやっかいになることになり、私たちは説法を始めた。叔母のマグダレーナはたびたびナザレから通ってきては、私が書いて預けてあった羊皮紙を持ってきて見せてくれた。その言葉は当時広く話されていたコイネ・ギリシャ語で書かれていたので、人々にとって簡単に読める文書だった。叔母はみんなが一つの羊皮紙を読み終えると、次回には別の羊皮紙を持って来てくれた。

   私はそれと同時に新たに執筆を続けており、協力者たちは私のイデオロギーを学ぶことで少しずつ陽性になっていった。この時代には、しかも私が説法していた地域では実に多くの言語が話されていた。そのため、誰もが複数の言語を操る必要があった。人々はアラム語やヘブライ語、ローマ人から強要されたラテン語を話すほか、街中や市場、店舗などではさまざまな言葉の混じったギリシャ語が話されていた。そしてこれが後々、一般的な言語になっていった。

   私たちは再び、ナザレへと出発した。
   ナザレではローマ人の弾圧の影響から生じたエゴイズムが増大していた。より陽性な魂を持った人々はカナに住んでいたのだ。街に着くと、ローマ人統治者の従者の息子が瀕死の状態にある、という知らせを受けた。私たちはすぐにその人物の家に向かったが、到着した時には子どもはすでに死んでいた。父親はすすり泣きをしており、母親は子どもの死に大きなショックを受けて発狂していた。そこに居合わせた人々は悲しみに暮れていたので、誰も私たちの到着に気づかなかった。

   私が子どもの遺体に近づくと、悲しみに絶望した父親がそれに気づき、私の腕を取って怒鳴った。 「お前は何者だ? うちの息子に近づくんじゃない!」

   「私は友愛のメッセージを届ける者です。
   善行をするためのルールを教えており、あなたの子どもを生き返らせるために来ました」

   「馬鹿を言うな! 息子を墓に埋める前にお前に火をつけてやろうか!」
   
   「近くに寄らせてください、そうすればわかります」

   彼は私が近寄ることを許してくれた。そこで私は子どもを<分解>し<融合>した。すると子どもは息を吹き返し、元気になって健康な体で父親の前に立った。父親は子どもを勢いよく抱きかかえると、嬉しさで涙を流しながら強く抱きしめ、私に尋ねた。

   「マスター、このようなことをしていただいて、私はどうやってお返しをしたらいいのでしょうか?」
   私は、発狂して柱に縛り付けられていた母親のところに行き、がんじがらめになった縄を切ってやった。正気に戻った彼女は、父親に抱かれていた子どもに駆け寄り抱きしめた。

   「マスター、お願いです。お答えください」、と父親はひざまづきながら言った。

   「友よ、お立ちなさい。
   そしてあなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。それを忘れないように。
   あなたのやるべきことは、これだけなのです」

   子どもの母親は私の方に走ってきて、私の膝に抱きついた。
   私は彼女に立ち上がるようにお願いして、立ち去った。帰り道でシモンが私に聞いた。

   「マスター、先ほどあなたが話したのは戒律の第11条ではないですか?」
   「そうだよ兄弟、その通りだ」、と答えながら、私は嬉しくなった。それは私の協力者たちが少しづつ陽性になっていくのが確認できたからだった。

   カペナウムに戻った私たちは、ガリラヤ湖南岸の僻地でらい病にかかっている男を発見した。彼の鼻は病で腐ってしまい、唇もなかった。彼の顔はもうバラバラになって朽ちていくばかりであった。私は彼に近づこうとしたが、私の仲間たちが感染を怖れて私を放してはくれなかった。それで私は病人を助けさせてほしいと皆に頼み、ようやく彼らの了解を得ることができた。

   病人はもう話すこともできなくなっており、私から逃げようとした。
   私はすぐに彼を<分解>し、再び<融合>した。男はひざまづくと、治してもらったお礼に何をすればいいかと私に尋ねた。私は彼に立ち上がるように言い、彼が立つと次のように言った。

   「他人のために自分を犠牲にしなさい。これはもっとも貴い行ないです」

   男は人混みに消えていった。
   シモンは私に近寄ると、低い声で言った、「マスター、今のは戒律第12条ですか?」
   「そうだよ、シモン」
   「あなたは病人を<分解>して治したのですか?」
   「そうだが、なぜそれがわかったのか?」

   「ほんの一瞬のことでしたが、病人が消えたのです。
   私は彼の後を追ってみましたが、彼はいなくなり、彼がもといた場所にも何もありませんでした」
   
   私はそれを聞いて、シモンに芽生えたこの陽性の能力に嬉しくなった。
   なぜなら<分解>と<融合>の瞬間というものは、地球人の持つ視覚では捉えることが不可能なものだからだ。しかしシモンは充分に進化していたので、<分解>の瞬間に気づくことができたのだった。私は彼に、陽性の力を操作できる、訓練された精神を備えた地球人の姿を見出した。」



      book 「アプ星で見て、知って、体験したこと②」 ヴラド・カペタノヴィッチ著
                        ヒカルランド

                        抜粋したもの

     

戒律第14条 「いかなる生命の命も奪ってはならない」 ③

   ザイの話は続く。
   「宇宙現象や地球人自身が生み出す陰性の要因は相乗効果を発揮し、人々の心に野心やエゴイズムを植えつけていった。それらはよりいっそう破壊を促し、進化というものを遅らせることになった。

   両親と私はエルサレムに戻らねばならなかったが、弟のピリポは叔母のマグダレーナの所に残った。彼女はまだ円形劇場で働いていた。エルサレムに戻った私たちは、母の親戚の援助を得て、仮設の工房を立ち上げた。こうした仕事のおかげで、何とか暮らしていけるだけの儲けを得られるようになった。

   私が30歳になった頃、ある熟年の男が、エッセネ派の教えを諸国を回りながら説いているというニュースが伝わってきた。彼は友愛的和合と労働、それに集団的学習と財産の共有を教えているとのことだった。しかもその男は、このところヨルダン川の谷間に来ている、という噂もあった。

   しかしこの話は私にとって珍しいことでも何でもなかった。
   なぜなら私には彼が友人のヨハネだと分かっていたし、今はバプテストと名乗っていることも知っていたからだ。それにどのように説法すればいいかについて、テレパシーで何度も教えてあった。つまり私は、彼がエルサレムの方にやって来るのを待っていただけで、彼と一緒に働き始めるつもりだったのだ。

   父の親戚がジェリコからやって来て、ヨハネとかいう男が街へやって来たと話してくれたのは、過越しの祭りの時だった。人々に和合と善行の教えを広めるために彼に合流したい者はみな、ヨルダンの河岸で洗礼を受けているということだった。

   その儀式は象徴的なもので、身を清め、社会生活におけるあらゆる既成概念や利己的な習慣から身を解き放ち、愛他主義の考えと行ないを代わりに身につけるという意味合いがあった。これまでにもヨハネの仲間になった友人たちから何度も誘われていたが、私はいつも断ってきた。しかし今回は、手にしていた工具を傍らに置くと、私は母に言った。

   「私はヨハネという者の仲間になろうと思います」
   「今まで何回も断ってきたというのにかい、息子よ?」
   「そんなことは気にしていません、お母さん、後悔は貴く陽性な行ないです。彼の仲間になります。」
   「お前に神のご加護がありますように、私の息子よ!」
   
   ジェリコの街には、過越しの祭りのために大勢の人々がいた。
   ローマ人統治者の警備隊やスパイが、ありとあらゆる場所を見張っていた。親戚の者がヨルダン川岸辺に彼がいると教えてくれたので、私たちはそこに行ってみることにした。私はヨハネに自己紹介をし、彼の弟子になりたいと言った。しかしヨハネは私のことを知らない振りをして、弟子入りを拒否したのだ。

   私は食い下がったが、再び拒否されてしまった。
   そこで私は立ち去った。つまり間もなくすると彼が「反応する」ということを私は知っていたのだ。そして実際にそうなった。突然、ヨハネは私を追いかけて来て、彼が待ち望んでいたマスターは私なので戻って来てほしいと叫んだ。

   私は引き返すと洗礼を受け、弟子たち全員の前で、アプ星人の教えに関する陽性の14箇条の規律を彼に渡した。それは彼が説教をするときの手引きとして、使ってもらうためだった。それは私が1000年以上前にモーセとして生きていた時、彼を通じて地球人に与えた14の戒律と同じもので、それをヨハネに渡したのだ。そしてこの戒律は、敬意と善意、人間同士の和合の根幹となるものだ、と彼に説明した。

   モーセが与えたのは14の戒律だったが、実際には、10の戒律しか人々に知らされることはなかった。なぜなら残りの4つの戒律は、モーセの死後何年も経ってから、陰性の人々の手で少しずつ削除されてしまったからだった。

   私の洗礼の儀式が終わると、突然、私には父が左手を切断してしまう様子が遠視で見えたのだ。私はそのことを友人に告げたが、どうしてそんなことがわかるのかとみな驚いたが、私たちは一緒に走って父の救助に向かった。

   父は気を失っていた。私は切断されて地面にあった父の左手を取ると、<分解>し、切断面に<再融合>した。父は気を取り戻し、起き上がると、腕が元通りになっているのを見て私にお礼を言った。父はすでに私の能力を知っていたので何も言わなかったが、他の人たちは驚いて外に走って行ってしまった。そして次の日には、街中が、ヨゼフ工房で「奇跡」が起きたということを知っていた・・・。

   洗礼者ヨハネと出発の準備をしていると、弟のピリポが訪ねて来た。
   それは私が文書を書き続けられるようにと、叔母のマグダレーナが送ってくれた羊皮紙を持って来てくれたのだった。私は弟に、「一緒に来ないか」と誘った。アプ星の生活の根幹であるエッセネ派教義を一緒に説いて回ろうと言うと、弟は喜んで承諾した。洗礼者ヨハネと私は、ベタニアで説法を始めようと決めていた。途中、叔母のマルタの家では、旅の必需品をいくつか手に入れることができた。

   私たちは、ユダ砂漠を初めて横断しなければならなかった。
   これは困難に立ち向かう気力を鍛え、体力の強化にも役立つ旅となるはずだった。私は砂漠生活のエキスパートだった叔父のラザロを誘ったが、彼は断ってきた。それで私たちは案内してくれる人もいないまま、ベタバラ南部からユダ砂漠に向かって出発した。

   旅は困難を極めた。
   焼けるような太陽光線は、陰性な光線で私たちをジリジリと炙(あぶ)った。私にとっては何の問題もなかったが、地球人にとってはそれは絶え難いことであった。しかし私たちはその小さな困難を乗り越える必要があった。それができれば万が一、ローマ人に捕らえられても、拷問に挫けるようなことはないからだ。私たちは27日間歩き詰めで、誰もが疲労困憊の状態だった。私の弟は苛立ち、ある時酷い剣幕で私に言った。

   「こんな意味のない修行はもうたくさんだ!
   まだローマ人たちと暮らすほうがましだよ。彼らは僕に食料や衣類を与えてくれるし、やりたいことだってできる権限を与えてくれるからな。兄さんが人々に教えようとしているこんな生活様式は犠牲だけで、喜びなんかありゃしない。僕はローマ人と一緒にいるよ!」、
そう怒鳴ると、踵(きびす)を返してしまった。

   私は地球人らしく、地球人の習慣に従って弟の決断に異議を唱えることもできたが、アプ星のルールのせいで私は弟を諭すことができなかった。そこで私はこう言った。

   「行け、弟のピリポ。
   だが肉体的に喜びを与えるもののすべてが陽性ではない、ということをよく肝に銘じるんだ。人の精神が欲望や本能、快楽に屈すると、その人はもう陽性ではなくなってしまうんだ。その人は陰性になり、動物や植物の生命を弄(もてあそ)ぶようになる」

   「お前の説教と魔法にはもううんざりだ。
   僕の犠牲が、ソファに座ってジットしている他人の幸せにつながるなんて話で、僕を納得させようったって、そうはいかないからな。僕はもう帰る。それと言っておくが、僕を探しに来ないでくれ!」

   「幸せになれよ、弟!」、と私が言うと、彼は行ってしまった。
   しかし弟は、半日も進めなかった。私がサイキック能力で彼を追っていると、彼が岩の間で休憩している時に蛇に噛まれてしまう様子が見えた。そして私の弟は数分後には死んでしまった。私は遠視で見たことを、グループのリーダーであったヨハネに伝え、私たちは後戻りして彼を埋葬することに決めた。

   次の日の朝、私たちは現場にたどり着くと、弟は息絶えたまま横たわっていて、彼の横には毒蛇がいた。私は蛇を捕まえるとプラスイオンで無力化し、蛇が逃げて移動するように驚かしてやった。するとヨハネが、「なぜそんなことをするのですか?」と強く抗議した。なぜならヨハネは毒蛇を殺してしまおうと考えていたのだ。

   「行かせてやりなさい。

   そして今からこのことをよく覚えておくのだ。命はどんなものであっても、生き続けたいと望むものなのだ。だからいかなる生命体の命も奪ってはならない。

   マスター・ヨハネ、このことを忘れないように。
   これは数日前に、あなたに渡した羊皮紙に書かれている戒律第14条だ。よく覚えておきなさい」


   私は弟に近づくと、彼を<分解>した。
   そして私と別れる前のように健康な体に再び戻してやった。弟は起き上がると私の足元に跪き、泣きながら言った、「兄さん、ありがとう。兄さんは僕のマスターです。今日から忠実に教えに従います」

   「弟よ、私はそんなことは望んでいないよ。
   もしお前が、これは自分の人生だと自発的に、心の底から確信できないのであれば、立ち去ったほうがいい。善意は天国の力だと素直に感じられるようになるまでは、お前は自分の道を行きなさい」

   「確信しています、マスター。僕を許してください」、そう彼は答えた。
   私は弟を立ち上がらせると、出発した」


       book 「アプ星で見て、知って、体験したこと②」 ヴラド・カペタノヴィッチ著

                        抜粋したもの   
   

お金は生命に死をもたらす毒 ②

   ザイは話し続けた。
   「ガリラヤ領土のエスドレロン平野に入ると、私たちの目の前にアルケラオス王の指揮下にあるローマ軍が現れた。彼らは私たちを見つけるやいなや、捕らえて虐待しようとして私たちを取り囲んだ。弟は泣き出すし、父は戦おうと身構えた。そこで私はプラスイオンを集め、凍えるような寒風を彼らの回りに引き起こした。それで彼らは寒さから動けなくなってしまい、そのすきに私たちは逃げて岩の間に身を隠した。その場所から、私は今度は兵士たちにプラスイオンで温風を引き起こして温めた。彼らは気がつくと、何が何だかわからなくなり、全速力で逃げるように行ってしまった。私の両親は驚いていたが、次第に私の能力に慣れ初めていた。

   セフォリスの街に到着すると、私の叔母のマグダレーナは私たちを連れ出し、町外れに住んでいたエッセネ派のグループのところに連れていった。彼らは父が大工の仕事ができるように助けてくれた。私は、エルサレムから援助を受けていたシナゴーグを運営する祭司を数人紹介された。私は彼らと話をするのが好きだったので、ほぼ毎日彼らの所に通った。

   叔母のマグダレーナは読み書きを教えてくれた。
   私は宇宙で使われている文字はすべて習得済みだったが、初めて学ぶ振りをした。祭司の中にシモンという名の者がおり、彼に羊皮紙を一枚与えてくれるよう頼むと、私の学ぶ様子に感心した彼は二枚も与えてくれた。そのうえ、彼のシナゴーグの仕事で余った羊皮紙まで分けてくれるようになった。それ以来、シモンの書いた羊皮紙を読むようになったが、その文書には彼らが思慮ある言葉や思想と見なすものが書かれていたが、それは地球人にとって役に立つ教えとは思えなかった。

   ある日私は、自分の意見や考えをわずかな言葉で書き記した。
   それは権力者が、彼らと同族の人々に振るう暴力についてだった。叔母のマグダレーナはそれを読むと気に入ってくれ、どこでそうしたアイディアが思い浮かんだのかと尋ねてきた。私は、あるエッセネ派の人が両親と話しているのを聞いて学んだと答えた。

   そのころ、サマリアの山間部に、突如出現した川のニュースが各地に広がっていた。
   その川は、名前も出身地もよくわからない、善良な魔法使いの子どもによって生み出されたと伝えられていた。私たちが住んでいた場所では、両親意外、そのことについて誰も知らなかった。そして私の両親は、私の中に奇妙な存在がいることを察知していた。

   ある日、私が書き方の練習をしていると、母が近づいてきて言った、「息子よ、お前は何ていい子でしょう。まるで神がお前という人間に入って来てくださったかのようです。しばらくしたら、お前はこの世の王になるかもしれない」

   「いいえ、お母さん、私は王になったり、王を守るために生まれてきたわけではありません。私はすべての人間を助け、彼らに友愛を示すために生まれたのです。そうすれば人々はお互いに愛して敬い、愛と平等の大きな家族を作り上げることができます」

   私は、何百枚もの羊皮紙に書き記した。
   ほとんどはコイネ・ギリシャ語で、残りはヘブライ語だった。ナザレに住んでいた時は、家族が属していたエッセネ派グループの人々や祭司シモンが、筆記用具を分けてくれていたが、その後は、プラスイオンを集めて自分で作るようになった。

   当時、私が書いた文書は、一部をエッセネ派の祭司たちに渡し、残りは叔母のマグダレーナに預けていた。叔母はそれを、乾燥した洞窟の奥深くに隠していた。そこは今日、ケネレット湖として知られているガリラヤ湖岸近くの洞窟だった。私がエルサレムに行くようになると、書いたものはベタニアにいる伯母のところに置いていくようになった。伯母たちはそれをヨルダン川の谷間にある洞窟に隠していた。

   私は平和や友愛のイディオロギー、人間同士の平等性について書いていた。
   つまり、私が1000年以上も前に地球に来ていた時、地球人に説いたエッセネ派の教えを復活させようとしていたのだ。そうした文書は、陰性化している地球人にただちに渡すわけにはいかなかった。当時ローマの統治者たちはヘロデ王のように、自分たちの考えに背く者は片っ端から殺しており、自分たちと違う考えを抱く者は処刑されていた。人によく話して聞かせるというのは、私たちが行なうべきもっとも貴い行ないだ。しかし相手が陰性で善に反抗するような人物であれば、話して聞かせることは非常に危険な行為となる。

   しかも私の書いた文書は、当時の人間たちにはまだほとんど知られていないもので、より陽性で新しい生活様式のためのルールだった。それは生命というものについて、地球人についての新たな啓示から成る陽性のルールだった。エゴイズムを拒否し、愛他主義と和合を教え、人間の誰もがその細胞に備えている陽性の能力を開発するルールだった。

   私の両親はシナゴーグに行く日もあれば、エッセネ派の集会に行く日もあった。
   そして、私はいつも両親について行った。私の任務は、人々に紛れ、知識を持たない人々や学ぶ術を持たない人々を教えることにあった。権力者というものはなぜかいつも、貧しい人々よりも知識を持っていると信じ込んでいるものだ。それに権力者というものは、知識や物品を独り占めしようと躍起になるものでもある。

   ある日、セフォリスの街で反乱が起こった。
   それは2人の女性が畑にいたところ、3人のローマ兵が暴行を働いたのだ。そこへガマラのユダと呼ばれる若者が女たちの悲鳴を聞いて駆けつけて、ローマ兵を殺してしまったのだ。このニュースは街中に広まり、暴行したローマ兵たちに憤慨した男性や女性たちが、ガマラ人の指示に従ってローマ人と戦うことになった。数日後、数千のローマ兵たちが到着すると、街は包囲されてしまった。男も女も子どもも捕らえられて牢に入れられた。そして街の外側にある道路の近くで十字架につけらて殺された。

   この紛争のために、私たち家族はナザレの街へ引っ越す羽目になった。
   私たちはナザレのある村に住むことになり、父は自分で作った木工品を売るようになった。弟のピリポは街を訪れる旅人や近所の人、農夫などにそうした品物を売って回る仕事を受け持つようになった。お金こそが、人間にもっとも悪質な影響を与えるものであったが、私は地球のそうした生き方に従うしかなかった。

   私は人々に話しをすることが、自分の仕事の一部でもあった。
   そして私は会う人ごとに、お金について話した。「お金を使う習慣があるうちは、人々の間に友愛や誠実さが芽生えることはない。なぜなら誰もがお金に翻弄されているので、エゴイズムを増長させるようになるからだ」と。お金というものは、生命体にとって死をもたらす毒なんだ。

   ナザレではエッセネ派の若者と知り合いになった。
   彼はヨハネという名前の、陽性な考えを持つ人物だった。そこで私は、地球人に教えなければならない思想の一部を簡単に彼に説明した。そして彼には私の書いた羊皮紙の1枚を渡した。その羊皮紙は、ヨハネだけでなく彼の説教を聴く人々の陽性化をも促す、陽性化された羊皮紙だった。私は彼よりずい分若かったが、彼は私の考えを気に入ってくれた。そこで私たちは今後の計画を練るために、父の工房で密かに会うようになった。しかし弟のフィリポはこの様子を目撃していたので、ある日、父に話してしまった。そして父は真剣な様子で私に言った。

   「息子よ、頼むからローマ人に対する戦いを企てるのはやめてくれ。
   この世でもっとも強大な権力に対して、我々に何ができるというのか? これは神が定められたことなんだよ」

   「心配しないでください、私は誰かに対して戦いを企てるようなことはしません。。
   私の務めは人々に愛し合うことを教えることであって、戦いを教えることではありません。私が説くのは生命と愛であって、死と憎悪ではありません」

   すると父は立ち上がって私を見つめ、こう言った。
   「私はお前を誇らしく思う。
   誰がお前をここに送り、お前がどこからやって来たのか私は知らない。だが、お前の言葉は思慮深く完璧だ。病人さえ治すことができるだろう。私はみんなでサマリアから移動した時、お前が誰なのかを悟ったよ。私はお前に教えてやれるほど賢くはない。だが気をつけてくれよ。私はお前に長生きしてもらいたいし、エッセネ派の人々も教育してほしいからな」

   それだけ言うと、父は出て行ってしまった。


      book 「アプ星で見て、知って、体験したこと②」 ヴラド・カペタノヴィッチ著

                        抜粋したもの
   

イエスの誕生日はローマ暦741年10月23日3時27分 ①

   アプ星人ザイがイエスとしての誕生について話した。

   「それは宇宙の陰性が渦巻く領域に、天の川が漂っていた時代の出来事だった。
   陰性の力に満たされていた地球では、3度目となる地球人全滅の危機が迫っていた。極め付きの利己主義者であり、生命に対する陰性の力に満ち満ちていたローマの皇帝たちは、敵対する民族はすべて絶滅させようと決意していた。つまり地球人は、食人種になろうとしていたのだ。私は彼らを矯正して殺戮を防ぐ努力をする必要があった。

   そして私は地球へ行った。
   その地域は、アプ星から地球が分離する以前の遺跡がまだ残っている地域で、私はそこに着陸した。そこから私の旅が始まった。そして全地球人の破滅を招きかねない弾圧や諍(いさか)いがある国々を回った。

   ナザレの町の近くにあった村には、ベタニア出身のエレナと、ジェリコ出身のダビデというヘブライ人夫婦が住んでいた。2人の両親は、現在のギリシャ領ラコニア県にあるモネンバシアと呼ばれる土地から何年も前にガザへ移住していた。それは彼らと同じ宗派であるエッセネ派に合流するためだった。当時、その地中海沿岸の街近くには港があった。

   2人は結婚して5年が経っていたが、エレナにはすでに、母として不幸を耐え忍ぶ経験があった。当時2人はエルサレムの街に住んでおり、結婚後5ヶ月で彼女は妊娠していた。ダビデはその街で、地元の金持ちや旅行者の馬車を修理する仕事をしていた。

   しかしある日、思いがけないことが起きた。
   略奪の限りを尽くすローマ兵の偵察隊が街に姿を現し、不幸なことに大工のダビデの作業場に侵入して来たのだ。エレナはジェリコの母のところに行った夫の帰りを待つ間、ベッドに横になりながら休んでいた。ローマ兵の乱入に怯えたエレナは起き上がり、家を守ろうとしたが、兵の一人が彼女の腹を蹴り、彼女は気を失って床に倒れてしまった。

   エレナは救助に駆けつけた人々の間で気を取り戻したが、だがもう、なす術はなかった。次の日、彼女は産婆の助けを借りて、頭蓋骨骨折で既に死んでいる子どもを産んだ。ダビデは次の日に帰ってきたが、事件に落胆し、ローマ兵の暴力を怖れた彼は、死んだ子どもを羊の皮に包んで埋葬するしかなかった。

   そして30日後、彼は仕事道具をまとめると、妻のエレナとともにナザレの町へと向かった。それはその地方のヘブライ人は、ローマ軍の指揮官と特別な協定を結んでいたので、彼らには幾つかの権利が与えられていたからだった。1年後、エレナは再び子どもを授かった。そして私は彼女の胎児に宿ることにしたのだ。ナザレの町ではローマ兵の襲撃もなく、子どもも授かって、彼らは幸せだった。だがこの平穏も長くは続かなかった。それはナザレのヘブライ人たちと協定を結んでいたローマの指揮官たちが、他の州へ移動になったために、街は突如として、暴力と混乱に翻弄されるようになったからだった。

   ダビデとエレナはエルサレムに戻ろうと決心した。
   風の便りでは、そこの暴力沙汰は収まったと聞いていたからだ。ある朝、二人は荷物をまとめると、親類と合流するためにジェリコの街へと向かった。しかし2ヵ月後、エルサレムで民族主義的なヘブライ人たちの抗議がもとで、地方一帯に暴力沙汰やトラブルが発生するようになった。それで子どもが生まれるまで、忠告に従い、エレナとダビデはカイロ近郊のヘリオポリスと呼ばれる村へ行くことになった。しかし実際には、私の両親はプラスイオンで保護されていたので、もう何の危険もなかったが、彼らは何も知らなかった。

   ダビデの叔母は喜んで2人を迎えてくれたが、そのために彼女は問題を抱えることになった。というのは、カイロとその周辺の行政当局が、全市民の登録を義務付けて、名前が記された登録番号の携帯を各市民に強制していたのだった。そして、実は2人がエルサレムからヘリオポリスへ向かう間に、ローマ兵と対峙(たいじ)したヘブライ人の反乱が起きており、その反乱にダビデが加わっていたと告発する者がいたのだ。それでローマ軍がダビデとその妻の捜索を始めていたのだった。

   善良なダビデの叔母は、この問題を共同体のアドバイザーでもあったエッセネ派の祭司に打ち明けた。すると彼は誰にも会話を聞かれないように彼女を畑まで連れ出し、低い声で言った。

   「あなたの甥とその妻をすぐ登録するべきだ。
   だが、身元が判明しないように、名前を変えなければならん。」

   「あなたのご家族にヤハウェの神のご加護がありますように!」、と叔母が歓声を上げた。2人は祭司の事務室に入り、祭司はパピルス紙を手に取ると叔母を見た。彼女はその眼差しの意味を悟ると、躊躇することなく言った。

   「私の甥はヨセフで、その妻はマリアと言います」

   「いい名前だ、この方が良い」と答えた祭司は、私の両親に与える2枚の身分証明書を彼女に渡した。叔母が戻って来て、ことの経緯を聞いた私の両親は非常に驚いた。しかし2人は新しい名前で呼ばれることには直ぐ慣れた。彼らは全面的にサポートするプラスイオンに囲まれていたからね。

   そして登録から数日後、つまり地球時間のローマ暦741年10月23日3時27分に、ヘリオポリスでヘレナならぬマリアは男の子を出産し、名前はイエスと名付けられた。その陰性な時代には、平穏な場所などどこにもなかった。エルサレムではローマ軍の指揮官が突然交代したので、街の緊張感が幾分和らいだが、カイロでは市民の行動に対する特別な取り締まりが始められた。私は父のダビデならぬヨセフに、テレパシーでこうした状況をメッセージで伝えた。すると父はエルサレムに戻る決心をした。

   しかしその道中、母が病で倒れてしまった。
   私たちは何とかエルサレム近郊のベトレヘムの村にたどり着き、ヨセフの親戚の家の世話になることになった。しかし母はかなり悪く、ほとんど瀕死の状態だった。そこで次の夜、私はプラスイオンを集めた。プラスイオンは球体の形をして空から凄まじい勢いで降り注いだ。私はその球体のプラスイオンで母を包み込んだ。そして朝になると、母はすっかり元気になって起き上がった。前の夜、私が宇宙から引き寄せたプラスイオンの光を目撃した人々は、ベトレヘムに星が落ちたと言っていた。

   私の母は完全に回復した。
   人々はあの夜、空から降ってきた星が放った光のせいで奇跡が起こったと言っていた。それから14ヵ月後に、私の弟ピリポが誕生し、両親は大喜びだった。だが私の母は常に、ローマ人やローマ人に加担するヘブライ人を怖れていた。ローマ人が何千人というヘブライ人を捕らえてジェリコの広場で殺したとき、私はもう8歳になっていた。再び危機感を覚えた私の両親は、ガリラヤの首都であるセフォリスに引っ越すことに決めた。セフォリスは当時、商業で栄えていた街だった。

   母の妹のマグダレーナは、その街のローマ円形場で踊り子として働いていた。
   その競技場はフォルティスという名のローマ人の商人が運営していた。私たちはその叔母の助けをあてにして出発したのだった。道中、私はテレパシーで、隊商の通るルートは通らないように父にアドバイスした。なぜならローマ兵たちが通行者を厳しくチェックしていたからだ。そこで父は、サマリアの山岳地帯を横断する羊飼いたちがたどる小道を進むことにした。

   しかし山間部に差し掛かると、私たちは予想外の問題に直面した。
   つまり当時のサマリアのヘブライ人はさまざまな不和が原因で、ユダヤのヘブライ人を毛嫌いしていた。そのために互いに会うことさえ禁止されていたのだ。私たちは地元民の服装をして変装していたが、怪しまれて逮捕されてしまった。

   その時期は地球で言えば5月ころのことで、季節は春だった。
   しかしその年は、サマリア地方全体がある気象現象に悩まされていた。それは3ヶ月以上にわたって雨一滴さえ降らなくなっていたのだ。その一帯は酷い干ばつに見舞われ、畑の地面があまりに硬くなってしまい、種まきのための耕作が不可能になっていた。

   私のアプ星の決まりでは、超能力を使うためには後数年待たねばならなかったが、私はあえてその力を使うことにした。それは絶対に必要な行動だったからだ。両親が寝ている間に外に出た私は、私たち家族の処分を話し合っている頭領たちのところに行った。皆私を見ると驚いたが、私は彼らにプラスイオンで啓蒙し、その土地の習わしに従って、彼らの前にひざまづくと話し始めた。

   私は彼らに約束した。
   これからサマリアには雨が降り、それは平野を抜けて海にまで達するほどの、涸れることのない川の流れになるだろうと言った。しかし私にそんなことが可能だとは誰も信じなかったので、私の申し出はすぐに拒否された。そこで私はグループの最長老に言った。

   「長老、どうか外に来てください。
   そして、人が服を脱いでまた着るのを十回繰り返すのに必要な時間の間だけ、扉の前で待ってください。そしてその後、空を見上げてください。そうすればわかります」

   長老は最年少の者に、服を繰り返し脱いだり着たりすることを命じ、扉の方へ行った。
   そして言った、「ガリラヤの者よ、言葉に注意するがよい。わしの堪忍袋の緒が切れそうになっていることを忘れるでない」

   「長老、その時には、私を好きなように処分してください。
   もし私の言っていることが実現しなかったときは、十字架にかけられても構いません」

   私は集中してプラスイオンを引き寄せ、その地域一帯に集積させた。
   すると男が7回目に服を脱ぎ始める前に、空から大粒の雨が降り始めた。それで皆、外に走り出て行った。すると長老は家の中に戻って来ると私に近づき、ひざまづくと私の手に接吻をして、聞いた、「このような力を持っているあなたは地球の王なのですか?」と。しかし私は彼の質問に答えることなく尋ねた、「長老、私たちを解放してくださいますか?」と。

   「もちろんです、家族を起こして、ここから立ち去りなさい」、と長老は言った。

   そして私は彼に説明をした。
   「この雨は3日間降り続けます。
   その後、人々に被害をもたらさない場所に川ができます。それによってこの地域の人々が動揺しないように、川の出現について前もって伝えておいてください」

   そして私は家族を起こし、長老は5人の兵士に、私たちがこの領土から出るまで護衛するようにと命じた。私たちは彼らと別れの挨拶をすませると、長老が私の名前を大声で呼んで尋ねてきた。

   「少年よ、あなたはまだ私の質問に答えていないが、なぜなのか?」

   「おじいさん、私はこの世界の者ではありません。
   しかし今もっとも大切なことは、あなたの畑で種まきができるようになったことです。隣人によくしてあげてください。そして隣人を自分自身のように愛してください。そうすることが、私への感謝になります」

   しかし両親は私を不審に思い始めた。
   それで道中、私は彼らにたくさんのことを説明しなければならなかった・・・。しかし両親を陽性化すると、2人とも落ち着きを取り戻した。


       book 「アプ星で見て、知って、体験したこと②」 ヴラド・カペタノヴィッチ著
                         ヒカルランド

                         抜粋したもの     

ピラミッドは要塞として建てられた

   ザイは語った。
   「アトル・アンタ、その後アトランティスと呼ばれるようになった大陸は南半球の、現在南米と呼ばれている地域にあった。アプ星の言葉ではアトルは水、アンタは球体という意味なんだ。それはアプ星人たちが、かつてのアプ星の爆発の一片である地球を発見し、生命を育むための環境を整えたとき、二つの言葉を繋げてアトランタと名付けた。また最後の入植の際、アプ星人が地球上に建設した最初の都市にも同じ名前が付けられた。この大陸が沈没する際、水によって分断された陸地の一部が、再びアトル・アンタあるいはアトル・アントと呼ばれるようになった。

   地球のその地域は、何十万年もの間住民からそう呼ばれていた。
   それもアレクサンドロス大王の兵士たちが、占領地で国家転覆を企てて投獄された何千人という反逆者たちを、その地に連れて来るまでのことだった。投獄されていた彼らは自由になったとわかると、自分たちのやり方をアトル・アンタの住民たちに強制するようになった。それが金を溜める、トラブルを起こす、働かない、搾取する、そして戦争をすることだった。そんな習慣が生じたのは太陽の悪影響のためでもあった。彼らはたちまち軍隊を組織し、先住民たちの村を占領した。

   投獄されていた反逆者たちのもたらしたものは、アトル・アンタの人々のまったく知らないものだったが、それによって競争や戦争が始まり、人々の持っていた陽性は損なわれ、破壊行為に駆り立てられるようになっていった。そのため、アトル・アンタの人々はあまり進化することができなかった。しかし、彼らの祖先たちが我々から学んだ古い知識は継承されていた。本来アトル・アンタの人々は友愛に基づいた社会で暮らしており、愛他主義と集団労働を実践していた。お金は使用されておらず、搾取もなく、みんなですべてを分け合って生活していた。

   彼らの言語はアプ語で、文字のほとんどはアプ星のアルファベットだった。
   特別な出来事や重要な事件などは、石に刻まれ、こうして長期間残される工夫がされていた。かつて地球には我々アプ星人による入植が3回行なわれたことや、地球が激しい大気の嵐によって大打撃を受けたことや、アプ星人のアド、アム、ノイ(ノイは地球人からノアと呼ばれていた)、アズが最後の入植を指揮したということも覚えていた。

   人々は太陽光の強いマイナスの影響に耐えなければならず、3回目の最後の入植から何百万年も経っていたにもかかわらず、私が彼らの元を訪れた時、最後に行なわれた入植のことは、どんな些細なことであっても何でも知っていた。しかし私がもっとも驚かされたのは、彼らの太陽信仰だった。

   何が彼らをそうさせたかだけど、その前に説明すると、アプ星が太古の時代に爆発して砕け散ったとき、その大きな破片において生き残ったアプ星人たちは、ずい分長い間ある事を信じていた。つまり宇宙でもっとも強大な力である太陽を、アプ星が内部に取り込んで独り占めしていたと信じていた。でも実際にはそうではなく、「光の球体」が一方的に宇宙に飛び出して大災害を引き起こしたんだ。こうして太陽に対する畏敬の念から太陽信仰が始まった。しかし太陽光線は生命体や物質にとって、大きな害悪を及ぼすということが解明され、実証されると、この問題には終止符が打たれ、それ以後、太陽に対するあらゆる宗教が消滅した。

   しかし地球のアトル・アンタの市民たちは、祖先たちのこうした発見について知る術もなく、古い習慣を守り続けていた。これはアプ星と地球との連絡が、何千年もの間途絶えていたことが原因だった。しかもこうした現象はアトル・アンタの人々だけではなく、地球のほとんどの住民に広がっていた。つまり3回目の入植で地球に住むようになったアプ星人たちは、太陽への畏敬がまだ残っていた頃の時代のアプ星に生きていた人々だったんだ。地球で暮らすようになった彼らは、陰性の太陽光の影響で、太陽信仰にますます傾倒していくようになり、そうした遺伝子の傾向が次世代へと継承されていった。

   その信仰から生み出されていったものは、太陽への恐怖であった。
   つまり人格化された太陽信仰から生じるものは、罰の概念であり、それぞれがさまざまな敬意の方法を生み出すようになった。一方、太陽光の影響が少なかった地球の北部地方や極地に住む者たちの間では、太陽信仰のほかに新たな信仰対象を作り出していた。それは超能力を持つ存在たちを崇めることだった。そうした存在たちの能力は徐々に誇張されていき、最後には宇宙や生命、物質などの創造者と信じられるほどにエスカレートしていった。

   こうして時が経つうちに、地球に生きるほとんどの人々が、そのような想像上の守護者を持つようになった。「守護者である護ってくれる者」にはさまざまな能力が備わっていると信じられるようになり、それはやがて全能者となり、人々はさまざまな教えを考え出してその存在を描写しようとした。これがその後に、宗教と呼ばれるものになっていくのだ。そして私の教えも、こうした宗教と同じ運命をたどってしまったというわけだ。

   3回の入植で地球に住むようになったアプ星人たちは、母星のアプ星と同様に教育や文化、能力、知識を維持していた。そして自分たちの母星が大災害に遭ったことも知っていた。だからこそアプ星の移民たちは地球に到着するやいなや、破壊不可能な要塞を建設したんだ。そのうちのいくつかは地球人にもよく知られていて、ピラミッドと呼ばれている。もし再び惑星が分裂するようなことがあり、破片が流星や衛星になって宇宙空間に飛び散っても、要塞にいれば生き残れると考えたんだ。

   そして当然ながら、幾度かその要塞は役に立った。
   たとえば何度目かの文明で、科学者の間違いから地球が炎上したことがあったが、その要塞の中に逃げ込んだ何百人というアプ星人や地球人は生き延びることができた。しかしさまざまな時代に築かれた要塞の大多数は破壊されてしまった。泥に埋もれてしまったり、燃えてしまったものもある。大洪水後に建設された要塞の一部が難を逃れたが、そこも、既に陰性化していたさまざまな支配者たちが内部を改造してしまい、私的な目的に利用するようになってしまった。

   私はヴィン星という、天の川銀河に位置する星を訪問していた時、太陽で起きた噴火が原因で飛び散った破片が、アトル・アンタの太平洋沿岸に落下したことを知った。その破片は水に触れるとガスを発生させた。そのガスは、太陽光の影響で有毒ガスとなり、動植物や人に被害を及ぼしつつあった。つまりそれはアトル・アンタが大被害に遭って全滅するかもしれないという危険が迫っていたんだ。

   そこで私は兄弟である地球人の救助に向かった。
   しかしその毒は凄まじい威力を発揮し、地球時間でわずか2日の間に、アトル・アンタ全土に広がった。それ以上の拡散は防げたが、生命体の細胞組織にはすでに影響が及んでいた。私は何百万光年も離れた遠い銀河にいたので、状況を把握するのに時間がかかり、救助が間にあわなかった。私は陽性化した豪雨を降らせて植物を洗浄したので、植物の汚染の被害はかなり抑えられた。しかし人間への被害は甚大だった。これが原因で、アトル・アンタと他の地域の地球人は、何百万年も進化が遅れてしまうことになった。

   私は地球に駆けつけたとき、太平洋沿岸のアズラと呼ばれている場所に着陸した。
   そこは海から60キロ弱の地点だった。そこは今日ではナスカと呼ばれており、ペルーの一部になっている。その場所は、我々アプ星人と地球人にとって大切な思い出が保存されているが、地球人はそんなことは知らない。

   それは古代アプ星人が、地球の洪水を引き起こした大気の嵐が地球人によって作り出されたと知ったとき、彼らは地球人の救援に駆けつけた。そして生命が育まれるように地球の表を整えた後、彼らは再度の地球入植を決めた。これについてはすでに話したね。そこで我々のアプ星の古代人は地球上の4ヶ所を選び、そこを着陸地点とした。人間と動物たちが下船する最初の着陸拠点は、アズラ、つまり現代のナスカに建設された。

   2番目の着陸場は、チッツア、すなわち現代のメキシコのチチェン・イッツアと呼ばれる場所に建てられた。そして3番目は、今日では沈没してしまったアトル・アンタの街アトランタだ。4番目が、中国の周口店に築かれた。」



       book 「アプ星で見て、知って、体験したこと②」 ヴラド・カペタノヴィッチ著
                         ヒカルランド

                         抜粋したもの   

誰も苦しまない子宮外生殖出産

   「我々の惑星は非常に長い間、数限りない災難に見舞われてきた。
   このような困難な状況が、アプ星の動植物と人々を危険に晒してきたんだ。たとえば太陽系とその他の銀河誕生をうながしたアプ星の爆発は、我々の惑星を永遠に不毛の星にしてしまう可能性があった。つまり我々の人種が衰退し始めた時期があった。

   それは人や動物や植物が病気になるようなものだった。
   同じように、人種そのものが病むことでもあった。それはマイナスイオンが直接、あるいは間接的に生殖に与える影響によって、感染症が蔓延してしまった。そして生命は不完全で虚弱な体で生まれるようになり、生まれてしまうとそうした身体の矯正は難しかった。その後もそのような遺伝が継続されるようになり、そして数百年の間にはもともとの人種の姿までが変わってしまった。

   その頃、我々の科学者とマスターたちは、人工的に生命を誕生させる試みを始めていた。つまり生殖細胞の構成要素を生成し、生命の子宮外生殖に利用しようという考えだった。そのほうがすでに退化していた男女が自然にもうける子どもよりも、より強く陽性の子どもとして生まれるからだった。そしてこの試みは成果を上げるようになり、その後わずか数千年のうちには、我々の科学者たちは子宮外生殖の方法に熟達した。そして我々アプ星人は、今では遥かな大昔から、子宮外生殖の手法を確立しており、ラボラトリーで用意される生殖細胞から人工子宮を生成している。

   子宮外生殖で生まれた人々の社会生活は、通常の出産で誕生した人々の生活と何一つ変らない。我々の社会に属する人はみな一つの家族だから、どの母親に対しても同じような愛情を感じるし、母親たちも自分の子どものようにすべてのアプ星の子供を愛する。血縁同士の家族としか暮らさない地球人にとって、こういうことを理解するのは難しいというのはわかるよ。しかしアプ星では子宮外生殖で生まれたものもそうでないものも、同じく愛し合っている。そういうことができるのも、我々の心に友愛と進化、宇宙に住まうすべての生命に対する愛があるからなんだ。

   そして私は、そのような方法で生まれたアプ星人の一人なんだ」、とペドロが言った。

   「何を言ってるの、ペドロ? 」 、イヴァンカはペドロの驚異的な話に動揺してしまった。
   イヴァンカは驚いて考え込んでしまった。何年も前に、ドブロブニクの街の海岸で親切
にしてもらったにもかかわらず、ペドロが人工生殖によって生まれた人間だという事実に彼女は当惑してしまったのだった。彼女は彼を見つめ、抑えようのない嫌悪感を覚えた。ペドロが出し抜けに石か木の物体にでも変身してしまい、人間ではなくなったように思えた。

   ペドロはイヴァンカが考えていることを理解し、彼女の手を取ると目を見つめながら言った。「気分は良くなった?」 「ええ」と答えた瞬間、あっという間に彼女の念頭からすべての疑惑が消えてしまった。それはまるで一陣の風がすべてを吹き飛ばしたかのようだった。

   しかししばらくすると再び、彼が生命体ではなく、単なる機械のように思えて厭わしく感じられた。ペドロはイヴァンカの考えていることがわかったが、微笑んだだけで何も言わなかった。再びペドロを見つめる。この善良で親切な男性は、地球では愛と呼ばれる男女の情熱による生殖プロセスで生まれたのではなかった。誰が作ったのかもわからないような試験管の中で受精したのだ。もしこの友人が自分の生まれを告白していなければ、この不思議なアプ星の高度文明の学習をもっと気楽にできたはずだったのに!

   イヴァンカは、自分が一人で松の木の下にいるかのような孤独感を覚え始めた。
   松の生い茂った枝は彼女を日差しと雨から守ってくれるが、松の木には人間の温かみがない。なぜ彼は自分の生まれを明かしてしまったのか? 彼がどう生まれたかなんて、知る必要があったのか?

   ペドロは彼女の不安を感じ取ると、助け舟を出すことにした。
   「お願いだから、落ち着いて。
   私のことを疑わないでよ。私はあなたと同じように生身の人間なんだよ。私の手を取って触ってごらん。ほら私の心臓の鼓動を聞いてごらんよ。私はあなたと同じ人間なんだよ。この後、人工授精の装置をあなたに見せるためにラボラトリーに連れていってあげよう。そうすればこのプロセスが、非常に興味深いものだということが納得できるし、おそらく全宇宙において現在まで行なわれてきたプロセスの中で、もっともデリケートなものだろう。

   しかし三千年紀には、地球の兄弟たちも同じことをするようになるはずだ。
   そしてそうなるべきなんだ。地球とその住人はアプ星の一部だから、時とともに同じ生活をするようになる。そして地球人がそうできるように、我々はサポートしていくつもりでいるんだよ。

   我々が他の惑星に出向くのは、これが我々のミッションの一環だからだ。
   我々は地球へ行ったときも、自分たちのことを知ってもらうように、理解してもらえるようにしている。しかし実際には、他の人々から気違い扱いされることを怖れて、我々と一緒にいて見聞きしたことを口にする人はほとんどいない。でも地球的な生活の規則に疑問を感じるごく少数の人々が、我々の存在について公言したことがあったが、いつもそういう人たちは変人扱いされた。それにこうしたニュースは奇跡と見なされ、数年経つと伝説になってしまう。だから我々が地球で活動するためにもっとも有効な方法は、地球人として生まれることなんだ。

   我々のように地球に出向く者は、さまざまな手段を講じる。
   その場合に必要なのは、常に自然で素朴で、友愛と叡智、陽性の雰囲気を作り出せるように務めることだ。そうすることで、我々を支援してくれるその星の人々を驚かせずにすむ。そうやって進化に繋がる創造的な着想を与え、発見の手助けができる。

   我々がまだ<分解>と<融合>の技術を開発する以前、アプ星人は宇宙船を使って旅をしていたので、移動手段には膨大な時間がかかり、他の惑星の人々とも親密に交流することができなかった。地球のさまざまな場所によそ者として現れるアプ星人は、陽性の教えに反対する者から我々がまるで悪意ある者のように迫害された。当時の地球の大気にはプラスイオンが欠如していたので、陰性の人々が陽性の人々に対して強く抵抗していたんだ。

   しかし我々のマスターであるザイ(地球ではイエス・キリストとして知られている)が、<分解>と<融合>の技術を完成させると、我々の仕事の可能性は拡大し、それによってあらゆる障害が克服された。今日では宇宙船による旅行だけでなく、思考の速度で宇宙を移動することが可能になった。この方法はあまりにも自然なので、地球人や、他のアプ星のサポートを受ける惑星の人々も、絶対に我々の存在に気づくことはない。

   つまり自分自身を<分解>して、現地に到着するとその星の人の姿で現れるんだ。
   あるいは胎児と<融合>する。そしてこのような形で生まれて来る子どもは、陽性の力をすべて備えたアプ星人になるんだ。もうすでに何百万年前から、地球ではこのような方法で活動が行なわれている。もう一つの方法は、我々の姿が人々に見えないようにしておいて、人々の精神を出来る限り陽性化させ、公共の善に目覚めさせる。」

   「ペドロ、アプ星人はなぜそれほどまでに、私たち地球人の文明化を心配するの?」とイヴァンカが言うと、「いい質問だ」と答えたペドロは話を続けた。

   「地球はアプ星爆発によって分裂した破片の一つであることや、その住人の起源について、その他の銀河に属する惑星の話はすでに説明したね。つまりアプ星は、宇宙で初めて生命を生み出した惑星の一つなんだ。我々はアプ星の年数で、10の18乗年もの時間を費やして訓練と学習を行ない、最大の力を発見することに成功した。我々は、最も陽性な生活を送れる社会を築くことに成功し、生命にダメージを与える陰性のものをすべて排除することも成し遂げた。

   我々は絶対的に陽性な生命体で、地球風に言えば「愛他主義者」と表現できるだろう。
   すでに話したけど、自然や宇宙の生命体が生み出す陰性のすべてと戦うことが、我々が生まれ持った性(さが)であり、使命なんだ。しかしだからといって我々が宇宙において、地球人にだけそういった興味を抱いているというわけではないよ。我々が遥かな昔に地球に入植したのは、地球がかつて爆発する前のアプ星の一部であったことが理由だ。

   我々は地球だけではなく、地球よりも遥かに遠い場所にある、さまざまな銀河にある何百万という他の惑星に対しても、同じように対処をしてきているんだ。あなたも間もなく、こうした銀河を知ることになるだろう。このようにアプ星人には、宇宙に生きるすべての「隣人たち」に対して担うミッションがある。地球人が実現した陽性な物事のすべては、今も昔もアプ星人によるインスピレーションの産物だ。進化を加速させるために、我々は常にそうした介入を行なっている。

   我々のマスターたちは、莫大な年月をかけた研究を経て、我々の陽性な生活を確立させた。だから我々は宇宙の「隣人たち」にも、貧困や暴力などの後進性、そして死というものを克服してほしいのだ。我々のミッションは、我々の理念を一方的に押し付けて、極端に陽性化を作り出すことではない。我々アプ星の生命体は陽性なので、どんな細胞体に対しても、暴力に訴えたり、不快な思いをさせたり、苦しめるようなことはできない。アプ星人はこれまで戦争をしたこともないし、アプ星人同士や隣人の間で喧嘩をしたこともない。我々はむしろ、隣人を助ける。これこそが、アプ星人の天分だといえる。

   不死の形態が発見される以前は、宇宙銀河間旅行はまれにしか行なわれていなかった。それはおそらく5万年に一度程度だった。そしてその時代には、旅に出た者は2度とアプ星に戻って来ることはなかった。こうした旅行に用いられていた宇宙船の速度は、かろうじて光速の2倍か3倍に達する程度で、しかも訪問先の惑星は非常に遠かったので、20歳で旅立った宇宙飛行士たちが、目的地の惑星に着く前に死亡するということもあった。当時の我々の寿命が、地球年齢でいうと約250歳であったとはいえ、アプ星と他の星を隔てる膨大な距離を生き続けるには不十分だった。

   その後、光速の100倍で飛ぶ銀河間航行用の宇宙船が造られ、その前に不死の問題は克服されていたが、それらによって我々は宇宙を継続的に移動できるようになった。それ以来、他の惑星の文明は、目覚しい進化を遂げるようになったんだ。」



      book 「アプ星で見て、知って、体験したこと①」 ヴラド・カペタノヴィッチ著
                        ヒカルランド

                        抜粋したもの     
   

   

東京タワーがそこに建てられた理由

   東京の中心は何か、と問えば、環を描いて流れる交通網の真ん中にある皇居、という答えが返ってくるかもしれない。そこは百数十年前までは江戸城であった。そこで同じ質問を江戸時代の人々にしてみたとしよう。江戸の中心はおめぇ、将軍様のお城に決まってるじゃぁねえか、とまくしたててくる連中も多かろう。しかしそういう答えをしてくるのは、教養のない「とうしろう」と相場はきまっている。江戸の中心は、江戸城ではなかった。それは富士山だったのである。

   江戸の町並みを描いた浮世絵を見て気づくのは、お城や武家屋敷や町人の家々がひしめく、当時でも世界有数の都市の光景に、かならずといってよいほど、遠景にそびえたつ富士山が描いてあることである。富士山は前景の江戸の町並みとくらべても、不釣合いなほどに大きく立派に描かれている。将軍様のお城でさえ、この富士山の前ではなんとなく恐縮しているようにさえ見える。こうした絵には、江戸の人たちの世界感がはっきりと表現されている。江戸という都市の真実の中心は、遠い駿河(するが)にそびえ立つ聖なる山、富士山であったのだ。

   年末から新年にかけて、しばし経済活動のやんだ東京の空に、まばゆい雪をいただいた富士山の姿を見つけると、ぼくたちはなぜかじーんとしてしまう。あわただしい日常の中で忘れていたものを、あらためて見出したような厳粛な気持ちになるのだ。ほんとうの「東京の中心」は、ここにあるのではないだろうか。

   激しい経済活動のなかで、どんどん摩滅し衰弱していくぼくたちの生命を飲み込み、生き生きとした生命としてよみがえらせる力を持っている存在が、大山山塊の向こうにいまもそびえ立っているのに気づかないままに、日々を送っていた。そのことにちょっとした懺悔の気持ちを思い出させる新年の光景である。

   『トリビアの王国』のおかげか、東京タワーが米軍戦車をつぶしてつくられたという、戦後秘話みたいな話が、若い人たちにもよく知られるようになった。今から50年以上も前におこった朝鮮戦争では、北朝鮮の猛攻にあったたくさんの米軍戦車が、使用不能になった鉄くずと化した戦車は日本に搬入されて、どうしたことかこの国の解体屋の手にゆだねられたのである。

   何もかもが焼き尽くされた東京で、解体屋たちはいくつもの大仕事を重ねてきたが、その彼らにとっても、巨大な鉄くずと化した戦車の山を解体して、それを鋳直して「世界一の高さ」を誇る鉄塔を建てるという話が持ち込まれたときには、さぞかし胸も高鳴ったことだろう。何しろエッフェル塔よりも33メートルも高いのである。

   国内で調達することの難しかった良質な鉄は、意外なところから入手された。
   朝鮮半島の戦場で、死をくぐり抜けてきた鉄の塊りが、ただ同然で持ち込まれてきたのである。世界一を誇るその放送塔は、はじめは上野公園に建てられるという話もあったが、最終的に芝公園に建てられることになった。

   そのこと自体が、ぼくたちアースダイバーには因縁めいて感じられる。
   その昔、坪井正五郎が前方後円墳を発見した芝の広大な丘陵には、増上寺のほかにも立派な宮家がいくつも立ち並んでいた。しかし終戦間際のはげしい米軍の爆撃によって、そのあたりはすっかり焼け野原と化していて、戦後十年たってもそこは一面の荒地のままだったという。

   東京タワーは、縄文時代以来死霊の王国のあったその場所に建てられたのである。
   おびただしい人命を奪った東京空襲の傷跡もなまなましく、そこは荒涼とした空き地と化していて、まさに野ざらしになった死霊の王国跡だった。その土に穴を掘って土台を固め、死者たちに支えられるようにして、東京タワーは天に向かって立ち上がるのだ。しかも、鉄塔の重要な構成部分を占めているのは、たくさんの人の命を飲み込んだ戦争の現場から持ち帰られた戦車をつぶした鉄材である。ここにはすでにエッフェル塔にはない、東京タワーだけが持つ奇妙な性質が、よくあらわれている。

   東京タワーにたどり着くためには、どの方角から目指しても、大なり小なりの墓地の傍を通り抜けていかなければならない。いちばん立派な増上寺わきの道を取るとすると、左手には延々と続く石のお地蔵さまをながめ、右手には大きな墓地を潰して立てられたというホテルを見上げながら、しばらく歩いていくと、鉄塔の足元にたどり着く。そこには、ぼくたちが少年時代に涙をしぼった、南極観測隊に置き去りにされてしまったカラフト犬たちの、愛らしい像が建っている。

   その子どもたちの怒りを鎮めるために、修学旅行のメッカであった東京タワーの足元に、こうした鎮魂の像が建てられたのであろう。ここには水子地蔵の行列という、このカラフト犬の鎮魂碑といい、こうした荒御霊(あらみたま)を鎮魂するための手の込んださまざまな施設を眺めていると、よくよく東京タワーは、日本人の宗教思考に取り憑かれてきたテレビ塔なのだなあ、と感慨をあらたにする。

   展望台までのチケットを買って、エレベーターに乗り込む。
   エレベーターはするすると上昇していく。眼下に広がっていく東京のながめだ。しかしぼくの目は、鉄塔の周囲に広がる霊園に釘付けだ。芝公園の前方後円墳を包む森を起点にして、まるで死霊の王国のエネルギーが渦を巻くようにして、東京タワーに蔦(つた)の葉が絡みつくように巻き付いてくるのが感じられる。そこから吹き上げてくる霊気に巻き上げられるようにして、エレベーターは静かに上昇していくのだ。なんと深々とした感覚なのだろう。東京タワーのおもしろさは、大人にならなければわからない。

   展望台に着いたぼくは、手製の縄文地図を取り出して、いまの景色にそれを重ね合わせてみる。ここは、青山墓地のある大きな舌状の半島と並んで、東京の中でもっとも強い霊的なエネルギーのみなぎる、岬状の台地なのだ。そこに鉄塔が建ったせいで、それを伝わってエネルギーの垂直的な、新しい流れが発生した。地中と地上で渦を巻いていたエネルギーは、鉄塔を通して垂直に上昇したり、下降したりするようになった。

   そしてぼくたちはエレベーターに乗り込むことで、その垂直の運動に参加することになる。霊性の風に巻き上げられて上昇したり、下降したり、東京タワーにやってきたおかげで、誰もがやすやすとシャーマンになるためのレッスンを受けているようなものだが、そんなばかげたことを考えているのは、たぶんぼく一人なのだろう。

   生と死が混在する高い塔に、するすると昇っていった鉄の箱が、頂点でくるりと向きを変えて、今度は一気に落下してくる。エレベーターで何度も昇ったり降りたりしているうちに、いつしかぼくの神話的想像力はいたく刺激を受けて、自分自身が落下していく鉄の物体に、姿を変えていくように感じるようになった。これは何かに似ている。そうだ、上昇と落下の運動が生と死を瞬間的に転換してしまう道具、ギロチンにそっくりだということに気づいたぼくは、あわてて三階のホールへおどりでた。

   そこに待ち受けていたものは、こともあろうに、マダム・タッソーの蠟人形館なのであった。蠟人形の歴史とギロチンは切っても切れないつながりがある。ストラスブールの蠟細工師の娘であったタッソー夫人が、ロンドンでその名を高めたのは、フランス革命でギロチンの露と消えた貴族たちの美しい面影を、みごとな蝋人形にして残す仕事に抜群の能力を発揮したからであった。するすると空中に持ち上げられたギロチンの刃が、一気に落下してくるときに、犠牲者の生命は一瞬のうちに死の領域に飛び込んでいく。

   都市生活のまっただなかに、こんな形で生と死が一体となった不思議な混在物が、人目にさらされているような場所は、ほかにはめったにないものである。東京タワーの一角に、こんなすてきでいかがわしい見世物を持ち込んだ興行主の天才に、ぼくは深い感銘を受けざるを得ない。

   子ども時代の思い出の中の東京タワーは、下北半島にある恐山と驚くほどよく似ていた。なぜ電波塔がこれほどまでに死の香りを発散していなければならないのか。私はそれ以来、東京タワーの立っているあの土地のことが気になってしかたがなかった。ここは昔は何か特別な土地だったのではないだろうか。そうでなければ、これほどまで強い地霊の発散している力をうまく説明することができない。そのうちに私は、たまたま手にした増上寺裏のあの土地が、かつて大きな死霊の集合地であったことを知り、ようやく長年の疑問を解くことができたのである。


              book 「アースダイバー」 中沢新一著 講談社

                        抜粋したもの   





                          
                                       

ジャンヌ・ダルクとは誰だったのか?

   ペドロは続けて話した。
   「地球では権力者によって人命が奪われ続けており、それらが地球の文明化を妨げていた。そして15世紀の中世ヨーロッパで繰り広げられていたその争いに、私は終止符を打とうとしていた。私は地球の年齢で10歳になったとき、ジャンヌ・ダルクという地球人の中に存在していた。まず最初に、私の父親(ジャンヌの父親)の陽性化に着手することから始めた。

   私がなぜ「宿主」として農家の娘を選んだかといえば、多くの場合、地球人の進化と文明化のためには、高貴な生まれの者よりも、低い立場にある者の中から誕生することが必要であり、有効な手段になるからだ。そうすることで、人間の美徳は、低い身分であれ高貴な立場であれ同じだということを示すことができるのだ。両者の違いは、単なるお金であり、お金が搾取する者とされる者に振り分けてしまうのだ。

   ジャンヌ・ダルクの母親は、文盲で貧しいユダヤ人だった。
   しかし彼女は、他のどんな貴族の女性よりも、我々アプ星人が宿りやすい資質を豊かに備えていた。しかしジャンヌの父親は、逆に陰性だった。私ジャンヌは、父親にこれから起きるさまざまな予言を話して聞かせたが、彼はそれを聞くと恐れをなしてしまった。そしてある日、彼は妻を庭に呼び出して言った、「わしらの娘には悪魔が憑いている。だから森に連れて行って置き去りにし、あとはオオカミと熊に娘のことをまかせようと思う」 

   それを聞いた母親は驚いて泣き始め、夫の前にひざまづき、彼の足にしがみついて懇願した。しかし父親は彼女を蹴飛ばすと家の中に入った。その時10歳のジャンヌは弟と遊んでいた。父は彼女を連れ出し、まるで柱でも担ぐような格好でジャンヌを肩に乗せると森に向かって歩き始めた。その途中、馬に鉄具を付けている最中の友人に出会った。するとジャンヌの父親は彼女を草むらに放り出し、馬の鉄具を付ける友人を手伝った。作業が終わると父親は、娘を祈祷師のところに連れていきたいので、馬を貸してくれるように頼み込んだ。娘は病気で魔法にかけられていると言ったのだ。

   そして友人は哀れに思い、馬を貸すことにした。
   父親は彼女を抱きかかえて馬に乗ると、ギャロップで駆け出した。二人は暗くなるまでギャロップで疾走した。日が暮れた頃、山のほぼ中腹まで来ると、父親は娘を馬から降ろし、彼はそのまま馬で走り去ってしまった。しかしジャンヌには私が宿っていたので何も問題はなかった。私はオオカミに囲まれると、オオカミたちにプラスイオンを照射した。そしてその中でも一番強いオオカミの背中に乗ると、真っ直ぐ家に帰った。私の父親は、私が家に戻って来ているのを見ると、驚いて卒倒しそうになった。彼は妻に、何をしたかを何も話さなかったが、この出来事で、自分の娘は普通ではないと納得したのだった。

   1週間後、ジャンヌの父親は、建材用の板を切り出すために森へと向かった。
   彼はこの地方の農民の代弁者となることが決まり、フランス王シャルル7世の特別な援助を受けて小屋を建てることになったのだ。しかし作業の最中に不幸にも、彼は自分が切り出した材木が崩れてその下敷きになってしまった。それは10頭の牛を使って材木を移動させない限り、彼を助け出すことは出来ない状況だった。

   その時、私ジャンヌは山羊の群れを導いていたが、父に危険が迫っているという予感がした。そこで私は父のいる場所に向かって走り、そこに着くと大量のプラスイオンを集めて材木を起こし、父を助け出したのだ。そしてそれ以降、ジャンヌの父親は娘の忠実な友人となった。こうして私は、フランス皇太子に近づくための手助けしてくれるように彼を説き伏せることができた。そして、彼のおかげで私の謁見は実現することになった。

   私が11歳になった時、父は友人の軍人のところに連れて行ってくれた。
   そして父と軍人は連れ立って、私をフランス皇太子の元へ案内してくれることになった。私にとって皇太子の説得は一番難しく、かつ一番重要なことだった。皇太子は私の目を見つめ、毅然とした態度で言った。

   「我はお前が誰で、何を求めているかは知らぬが、お前は話し方を心得ておる。お前はフランスを愛しておる。この事実だけで、お前の忠誠心を信じることができよう。しかしながら、軍隊をお前の指揮下に置くというのは、きわどい行為だ。そんなことは不可能だ。文盲で何の知識もないお前のような年若い娘が、軍隊を指揮できると思うのか? 我のもっとも優秀な戦士でさえ、訓練されたイギリスの射手によって斃(たお)されてしまった。それにしても・・・・、お前はいったい何者なのだ?」

   「では殿下、私はどのような証明をすればよろしいのでしょうか?」

   「お前の叡智と攻撃計画を示せ。
    それに、なぜそこまで勝利を確信できるのかが知りたい。何でもよいから私に奇跡を見せてみろ。ここで、今すぐにだ」

   私は彼に攻撃計画を説明したが、気に入ってはもらえなかった。
   それで私は彼に尋ねた。今からここで皇太子ご本人に関する「奇跡」をご披露するが、あなたは冷静さを保っていられますか、と。そして彼は大丈夫だと答え、側近の士官と参事たちに退室するようにと命じた。私たちは執務室で二人きりになった。そこで私は集中してプラスイオンを集め、壁にタイム・スクリーンを出現させて、言った。

   「殿下、この部屋で今からお目にかけるものを、誰にも明かさないとお約束してくださいますか?」

   「約束しよう、少女よ」、と皇太子は決然とした態度で答えた。
   「ではご覧下さい」、と私は言った。

   彼はスクリーンを見つめ、フランス兵が敵の城塞に押し入る様子を目の当たりにした。
   画面では私が彼に説明した計画どおり、パニック状態になったイギリス兵は退却して行った。突如、場面は変り、次に彼の戴冠式の様子が映し出された。頭上に王冠を戴き、宮殿の人々に囲まれて座っている自分の姿に気づいたとき、皇太子は嬉しそうに微笑んだ。そしてついに彼は、私の手を取り、囁くように言ったのだ。

   「乙女よ、我の軍隊を好きにするがよい」

   これはほんの数分の出来事だったが、皇太子が勝利を確信し、戦士たちが私に従うように命令してもらうためには充分だったのだ。

   ジャンヌは「火あぶり」を免れる必要はもうなかった。
   なぜならジャンヌという陽性の人間の人格は、自らのミッションをもう全うしたからだ。

   修道士たちがジャンヌ・ダルクに火あぶりの刑を宣告したのは、彼女の持つ大きな力のためであり、自分たちの人々への説法の影響力が、そのためになくなることを怖れたためだった。そして彼らが、ジャンヌの足元のうず高く積まれた薪に火を放った時、彼女である私は<分解>したのだ。そして炎から離れ、<再融合>したので、私はまだ生き続けている。その後も数年間、戦争は続いたが、最期には平和条約締結の日が訪れた。その礎(いしずえ)となったのが、「ジャンヌ」の陽性な介入だったんだよ。」


       book 「アプ星で見て、知って、体験したこと①」 ヴラド・カペタノヴィッチ著

                        抜粋したもの

   

魔女狩りを始動させた『魔女に与える鉄槌』 ⑥

   1198年にインノケンティウス3世がローマ法王の位につくと、カタリ派への弾圧を決め、1209年、ついに南フランスに討伐軍を送ることを決定しました。彼は討伐軍を組織するにあたり、ローマ市民のなかに異端に対する怒りを巧みに煽りたて、一方で討伐軍には異端者の領地と財産を与えることを約束したのです。何と老獪(ろうかい)な政治家でしょうか。つまり軍人一人ひとりに最も精力的に異端狩りを行なわせる方法は、彼らの欲に火をつけることだと心得ていたのです。

   法王の命によって送られたこの軍隊は、アルビ十字軍と呼ばれました。
   それははじめから南フランスのカタリ派という、キリスト教徒の討伐を目的として組織された最初の十字軍でした。そして異端討伐は、その後20年間に渡って繰り広げられたのです。アルビ十字軍が各地で行なったのは、住民の大虐殺でした。そこではカタリ派かそうでないかということは、もはや関係がありませんでした。なぜなら、そもそも略奪することが目的になっていたので、殺戮に迷いの入り込む余地はなく、彼らはむしろそれを愉しんでいました。たとえば娘を井戸に落とし、その上から次々と大きな石を投げ込むという蛮行が行なわれたのがその典型でしょう。

   いつの時代の十字軍も、その目的は領土と財産の収奪でした。
   彼らが掲げた異教徒を滅ぼすという大義名分が、いかに都合のいい理由であったかを、アルビ十字軍は雄弁に物語っています。なぜなら、同じキリスト教徒に対しても、明らかに異端ではなかった人々に対しても、変わりなく卑劣な蛮行が行なわれたからです。先に述べたように、「キル」と「マーダー」は違うと発言した現代の宗教指導者の話を紹介しましたが、アルビ十字軍においてはいったいどこが違うというのでしょうか。ですから「ちょっと待て!、頭は大丈夫か?」と、私が激しく突っ込みを入れたくなったのは、このような歴史的史実を知っていたからです。

   13世紀の南フランスで行なわれた虐殺の膨大なエピソードがありますが、ここでその話に分け入ることはやめておきましょう。そして、1229年の戦争終結までに、南フランスのあらゆる都市はすべて陥落したのです。

   戦争終結の年、カタリ派に対する異端審問が始まりました。
   しかし果たして、審問の法廷に引きずり出された人々が、本当に生き残ったカタリ派だったのか、ただの市民だったのかは今となってはわかりません。拷問に次ぐ拷問によって、「私は神の教えに背きました」という異端の自白が強制されました。なかには自ら無実を訴え続ける不屈の人もいましたが、そういう人は酷い拷問によって絶命しました。自白してもしなくても、とにかく死が待っていたのです。

   これが残虐な拷問と処刑が繰り返される、中世の暗黒裁判の始まりを告げる号砲であったということができます。そしてカタリ派への異端審問をきっかけとして、異端審問制という制度が生まれることになったのです。この制度の特徴は、「恒久的」「専門組織」「全権委任」という点です。つまり異端審問制というのは、最初から、「すべての権限を持ち、永遠に異端を取り締まる」というものでした。異端審問官が果たす権能は裁判官だけではなく、現代の司法制度でいえば、彼らは検察であり、警察であり、処刑吏であり、白を黒と言いくるめて人を殺すための、人類史上最大の思想警察ともいうべき存在でした。

   教皇グレゴリウス9世は、この組織が猛威を振るうための「秘薬」を、そっと注入することも忘れませんでした。それは異端審問官の活動を支える収入源の中に、審問によって処刑される異端者の没収財産を含めたのです。それはかつての教皇インノケンティウス3世がアルビ十字軍に用いた方法でしたが、しかし教皇グレゴリウス9世は、それが恒久的に働くように制度の中に埋め込んだのです。

   魔女狩りは、異端審問の法廷に魔女が引きずり出されることによって始まりました。
   魔女の烙印を押された人々の中には男性もいましたが、その大多数が女性であったことがわかっています。(ラテン語で魔女を表す Maleficarum は男性にも女性にも使われる単語です) 後には子どもにまで魔女狩りが大流行するのですが、それ以前は、そこにある魔女像を見てとることができます。魔女とされた彼女たちのほとんどは、暮らしの慎ましい一人暮らしの老女だったのです。そこには異教徒として咎められるような、異端思想を持っていたという事実は見当たりません。彼女たちが魔女として訴えられた理由は、魔女という概念を作り上げる上で非常に重要なポイントです。

   彼女たちの多くは、占いや民間療法に通じた人々であったことが、断片的な記録に残っています。

   
(魔女狩りが行なわれた理由の主なものでは、彼女たちは古代から伝わるヒーリングの継承者であり、ハーブといわれる薬草や鉱物、また祈りを用いて、病気を治す薬の作り方や、体や心を癒したり回復させたりすることのできるヒーラーでした。彼女たちには霊感やサイキック能力を備えた人々が少なくなく、心を病み、生活に疲れた人々の良き相談相手でもあったのです。彼女たちの用いる方法は、現代でいうホメオパシーと呼ばれる代替療法であり、主に薬草を用いた治療法でした。このホメオパシーは現代では西洋医学から排斥されており、医療行為として認められてはいません。現在のようなオール化学薬品の台頭のためには、このような代替療法の分野は潰しておく必要があったのです。

   本来、霊能力といわれるサイキック能力は遺伝によって伝えられることがわかっており、多くの場合、それを受け継ぐのは女性です。支配者である権力者にとって一番都合の悪いのが、彼女たちのような別の世界と繋がることができて、そこから情報を得たり、現実の真相を見抜く能力を持った人々でした。支配者が、このような彼女たちが受け継ぐ遺伝的系譜を断ち切る必要を感じていたことは、不思議なことではありません。またサイキック能力を持つ人々の行為を抑圧するために、「占いや口寄せ、死者と交信してはならない」という一文が、旧約聖書に入れてあるのです。zeranium)

   
『魔女に与える鉄槌』が、魔女狩りを流行させる装置として大きな役割を果たしたことはすでに述べました。私はラテン語の原典と英語訳の現代版を手に入れましたが、かなり分厚い本で、原著のページ数で620あまりのページ数があったとされています。この本は3部構成になっており、
   第1部は、「妖術に必要な三要素、悪魔、魔女、および全能の神の許可について」
   2部は、「魔女が妖術を行なう方法、及びその方法を無効にさせる方法について」
   3部は、「魔女及びすべての異端者に対する教会ならびに世俗双方の法廷での裁判について」
   というように設問形式で、魔女の定義とその裁判方法が詳細に記述されています。
   『魔女に与える鉄槌」で定義された魔女像は、ヨーロッパ全土に広がっていく魔女の雛形(ひながた)でした。この本を書いた一人であるドミニコ会士のハインリヒ・クラマーは、手回しよく、教皇インノケンティウス8世からお墨付きの回勅を求め、それをこの本の序文に転用しました。その一部分を紹介してみましょう。

   「近年、北ドイツとライン諸地域で、多くの男女がカトリック信仰から逸脱し、男色魔、女色魔に身をゆだね、あるいはさまざまな妖術によって作物や果実を枯らせ、また胎児や家畜を殺し、人畜に苦痛と病気を与え、夫を性的不能、妻を不妊にし、多数の人々の災厄の原因となっていることを、我々は激しい悲しみと苦しみ持って聞いている。我らの愛する息子ら、すなわちドミニコ会士、神学の教授、ハインリッヒ・クラマーとヤーコプ・シュプレンガーとが法王書簡に従って同地方の異端審問官として派遣されている。そこで我々は、彼らの審問が自由に、あらゆる方法をもって、なんびとをも矯正し、投獄し、処罰する権限を持つことを命じる。」(『魔女に与える鉄槌』に収録されたインノケンティウス8世の回勅より)

   いかに堕落した教会とはいえ、当時の人々にとって法王の言葉は特別なものであり、また異端審問官にとっては、「錦の御旗」ともなる、強力な後ろ盾であったはずです。洗脳の基本は、情報を権威づけし、あたかもそれが唯一絶対のものであるかのように見せかけることが第一歩です。いつの時代にも、人間は権威づけによって自分を大きく見せようとするものですが、クラマーという男はむしろ、情報を操ることに長けた人物であり、かつてのナチスドイツのゲッペルス宣伝相の出現を連想させます。そしてこれらの権威付けとともに印刷本となった『魔女に与える鉄槌』によって、人々はその実在を信じ込んでいくのです。

『魔女に与える鉄槌』は性的刺激

   
今日、私たちが魔女という言葉に抱くイメージは、火にかけられて熱した大きな鍋をかき混ぜる老婆といったところでしょう。しかし『魔女に与える鉄槌』を読む限りそうではなく、その中から受けるものは、男性を性的に誘惑する女性という強烈なイメージです。つまり、セックスアピールの強い魅惑的な女性を連想させる記述にあふれているのです。当時、裸婦を描いた絵画があったとしても、性的な春画の版画が出回ることはなかったはずで、版画の技術はあっても大衆化されてはいませんでした。

   そうした社会の中で、『魔女に与える鉄槌』は、読み手の性的興奮を大いに刺激したことは容易に想像できます。私は書き手の側も十分それを意識していたと思います。そしてそれが、この本の爆発的な普及を可能にしたと考えられます。おそらく『魔女に与える鉄槌』を購入した人は、本棚や人の目に触れるところには置かなかったと思います。青少年の目には、あまりに刺激が強過ぎるからです。グーテンベルク聖書は公然と飾っても、『魔女に与える鉄槌』は隠していたことでしょう。

   魔女裁判を描いた映画を見ると、魔女を演じる主人公はたいてい若くて美しい女性です。そうでなければ作品として成り立たず、美人がはりつけにされるので、お客はお金を払って映画を見るのです。現代に見られるこうした作用がすでにこのとき、中世の魔女裁判において生み出されていたのです。『魔女に与える鉄槌』は、魔女裁判につきもののSM 的な刺激を読者に伝え、人々を現実の魔女狩りへと誘ったのです。たとえば次のような記述がそれです。

   「ドイツでは秘部の毛を剃ることは作法に反するこことみなされるだろうが、他の国では全身の毛が剃られる」

   実際の魔女裁判では必ずしも、美人が拷問にかけられたわけでも、はりつけにされたわけでもありません。しかしその効果は、罪人の公開処刑とはまったく異なっていたはずです。『魔女に与える鉄槌』によって、魅惑的な女性が悪魔と性行為を行なったというストーリーが
与えられ、それによって形成されたきわめて残虐かつ甘美な、「共同の幻想」が魔女裁判を支えたのです。

   そして、「我々は現在、ほとんどの魔女を処刑し終わったので、いまや若い女性に手を伸ばしている」とドイツの異端審問官が記しているように、『魔女に与える鉄槌』が示すイメージどおりの方向へ、現実が動いていきました。私が先に、グーテンベルク聖書が表の世界だとすれば、『魔女に与える鉄槌』は裏の世界だったと指摘した理由はこれです。強烈な力で流行が起こされるとき、それを引き起こす力の裏表は常に一体なのです。どちらか一方が欠けても、魔女狩りの大流行は成立しなかったはずです。そして表はともかく、隠れた裏の世界について、批判的な検証が行なわれることはありませんでした。どこか他人の目に触れないところに置かれた『魔女に与える鉄槌』について、内容がおかしいという議論を誰も提起しなかったのです。

   だからこそ、宗教改革のリーダーたちも、教会の腐敗を指弾することはできても、魔女裁判の愚かさを批判する力にはなり得なかったのでした。裏の世界は多数の目に晒されることなく存在し、公然とした議論の対象にならないという点で、常に強力なのです。魔女裁判はこのようにして、ヨーロッパ大陸に吹き荒れる嵐となって広がっていきました。とくにドイツ、フランス、あるいはイタリアといった北西ヨーロッパで凄まじい勢いを見せました。頻繁に行なわれる魔女裁判のために、村民がほとんどいなくなるというケースもありました。


     book 「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版

                        抜粋したもの

  danger 多くの方々の著書から掲載させて頂いています。
    私は基本的に、隠されている、公けになっていない「私たち誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、「真実」と考えるものを、引用させていただいています。著作権利侵害でけしからんとお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。

 連絡方法; バックナンバーから2014年7月26日の、”「zeraniumの情報掲示板」について”へ行ってください。コメント欄から連絡できます。

                                              zeranium   

13世紀南フランスの大虐殺 異端討伐前夜 ⑤

   ヨーロッパ中世の魔女裁判の前には、異端審問という暗黒裁判の前史があります。
   異端とは、正統から外れているという意味ですが、球界の異端児や異端の科学者などの用いられ方をする現代では、「異端」とはそれほど悪いイメージではありません。しかし宗教で異端という場合、それは重大な意味を持っており、とくにヨーロッパ中世ではそれは生命にかかわる問題であったのです。

   異端という言葉がいつ生まれたのか定かではありませんが、キリスト教初期のころにすでに異端論争が行なわれていたことは聖書からも窺うことができます。すでに紹介したように、コンスタンティヌス大帝の時代にアリウス派が異端とされたことはその典型です。つまり教義に多様な考え方や解釈があることを許容せず、正統とするもの以外を撲滅しようとすることです。もちろんそこで、何が正統であるかに決着をつけるのは、常に信仰ではなく政治力です。

   コンスタンティヌス大帝が、三位一体を唱えるアタナシウス派を擁護したのもそうです。
   それは三位一体の教義から、聖霊の位格が神と同じということになれば、聖霊の宿ったパウロの言葉も、公会議の議決も、神の言葉と見なすことができるので政治的に非常に利用しやすかったといえます。

   コンスタンティヌス大帝の目的は、当時4つに分割されていたローマ帝国をまとめ、そこで唯一の皇帝として専制君主制を確立することでした。そのために当時、人気の上昇していたキリスト教を利用したのです。その意味でコンスタンティヌス大帝がキリスト教に求めたのは、自らへの忠誠と求心力であったはずです。三位一体論議で異端とされたアリウス派が、その後どのような扱いを受けたかはわずかしか記録には残されていませんが、それによると、領土内において激しい迫害を受け、家を壊され、暴力を振るわれ、殺されたりし、ローマ帝国を追われていきました。

   ちなみに当時、コンスタンティヌス大帝に対する東の正帝であったリキニウスは、このコンスタンティヌスの動きに激しく反発しました。しかし圧倒的な不人気の中で、戦いに敗れたリキニウスは、コンスタンティヌスによって324年に処刑されました。これによりローマ帝国は統一され、325年にニケア公会議がコンスタンティヌス大帝主宰で開かれ、キリスト教がローマで確立しました。このように宗教と権力が結びつき、それが国教化されるということは、すなわち宗教が権力者の権力闘争の道具として採用されることを意味します。

   ローマカトリック教会の歴史を振り返ると、12世紀頃までは、彼らには異端撲滅を行なう特別な事情が生じなかったように見えます。しかし政治的には爛熟期の後の堕落、退廃期が訪れていました。王侯たちは市民や領民の生活を顧みることなく、統治力は著しく失われていました。しかし一方で宗教の面から見ると、この時期は教会の権威がかつてなく高まった時代であり、一般に、法王権の全盛時代と言われる時代が始まっていました。

   そしてもちろん教会もまた、ひどい堕落と退廃の中にありました。
   聖職の売買や聖職者が情婦を囲うことは日常茶飯事であり、教会の小部屋は尼僧と女性信徒との情事の場と化し、聖職者は私服を肥やすことばかりに熱心でした。ダンテは13世紀に、『神曲地獄編』で逆さまに吊るされた教皇ニコラウス3世(在位1277-1280)を描き、ダンテと同時代の教皇ボニファティウス8世が彼と同じ運命をたどるだろうと予言しました。つまりダンテはその一節に、教会の権力への告発状を表したのです。ダンテの「神曲地獄編」は、民衆が当時の教会に対して抱いていた怒りの強さを、現代に伝えています。

   聖書の物語を題材にとったルネッサンスの絵画は、神に救いを求める人間の激しい苦悩を描いたものが数多く見られます。なぜこうも同じようなテーマで、しかもおどろおどろしいタッチの絵ばかりが描かれたのか、不思議に思ってきた人も多いでしょう。その理由も、ルネッサンス絵画の作者たちが、内心にダンテと同じような怒りを抱え、それを創作動機に昇華して絵筆を握っていたからです。

   そのような状態で人々が立ち上がり、宗教改革運動が起きるのは当然の流れと言わねばなりません。実は異端審問と宗教改革は、切っても切れない関係にあります。教会がなぜ異端審問を行なうのかといえば、その目的は教会の権威を守り、組織を防衛することです。それは教会に不満を抱える異端者とされる信徒たちが、教会の足元を崩すようなことを主張していたからでした。教会がもっとも金と権力を握った中世は、同時に教会がもっとも保身に注意しなければならない時代でもありました。

   残酷な拷問と凄まじい虐殺の行なわれた中世の異端審問は、12世紀の南フランスで始まりました。当時の南フランスでは、領主や市民はローマ法王の権威からは距離を置き、自ら自由な文化を育んでいました。その地で人々の間に浸透していたのが、カタリ派といわれるキリスト教の一派でした。カタリ派の「カタリ」とは、ギリシャ語で「清浄なるもの」を意味します。地域によってはアルビ派ともバタリニ派とも呼ばれていました。カタリ派そのものが消滅してしまったので、彼らの思想の詳細はわかりませんが、教会を否定し、どこで祈っても信仰に変わりはないとする信条を持っていました。

   ローマカトリック教会では、祈りは教会で行なうものと定めていました。
   つまり儀式は典礼に則り、それらは宗教指導者によって執り行われるものと決められていたのです。それが教会の高い権威を象徴しており、信者への支配を強化する手段でもありました。その結果、神への信仰のはずがいつの間にか教会に対する隷従へと変質し、同時に、信仰の場であるはずの教会が形式ばかりの信仰と金儲け、あるいは政治の場へと堕してしまいました。

   カタリ派をはじめとする宗教改革派は、こうした教会のあり方が信仰を歪めるという問題の本質に、早くから気づいていました。西洋の歴史ノンフィクションなどでは、宗教改革運動を「教会を否定する運動」というように、ただの1行で片づける記述が多いために当時の状況がわからず、真相が理解されてはいないようです。つまり宗教改革は、信仰を守ることと、教会という場で祈ることとの矛盾に気づいた人々による、信仰の原点回帰が出発点になっていたのです。信仰の本質について考えれば、祈る場所は関係ないはずです。そしてその行き着く先は、そもそも教会は必要ないという終点なのです。これが、「宗教改革運動が教会を否定した」といわれている要因なのです。

   ローマカトリック教会にとって、こうした宗教改革者たちの論理は、非常に都合の悪いものでした。祈りの場としての教会を疑う信者が増えると、教会の権威は崩れてしまいます。信仰を持つことと教会は何の関係もないということになると、これまで営々と執り行ってきた儀式は何のためかということになり、信仰の邪魔をしているのは教会のほうではないかという極論も成り立ちます。かりにこの論理の元に民衆蜂起が起これば、キリスト教を国教とする政治権力の権威も崩れてしまいます。

   政治と宗教は協力し合い、民衆を治め、国家を統治してきました。
   それがコンスタンティヌス大帝以来続けられてきた統治システムでした。しかし教会の腐敗と縛りが強化されるなかで、信仰の原点に立ち返るという論理が生まれ、それが精緻に作り上げられていた教会のシステムの壁に亀裂を入れたのです。信仰の本質を究めれば究めるほど教会が否定されるわけですから、この論理が持つ破壊力は実に強力です。性急に言えば、それを許すと、政治と宗教による統治システムが崩壊するのです。それを、権力者が黙って見ているはずはありません。


          book 「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版

                        抜粋したもの

   

   
   

宗教の教義は常に権力者の都合で作られる ④

   長い年月の間に聖書は、英語をはじめさまざまな世界の言葉に翻訳されていきました。
   海外の旅行先のホテルなどに置いてある聖書は、たいていは英語のものです。キリスト教に馴染みのない日本人はその理由を、「英語人口が多いからだろう」と考えるかもしれませんが、英語の聖書が備えられていることには、もっと根本的な理由があるのです。

   英語の聖書というのは、それは通常イギリス国教会の聖書のことで、KJV聖書といわれます。プロテスタントの聖書は英語で書かれたものであり、それ以外は正しい聖書ではないとさえ言えるのです。そして実はカトリックの聖書も、英語の聖書はKJV聖書をベースにしています。このKJVとはKing James Version の略です。もともと『新約聖書』はギリシャ語で書かれていましたが、それがラテン語に翻訳されて広まっていきました。しかしローマカトリックが正式に聖書と定めているのは、いまでもラテン語で書かれた聖書です。それと同じ意味で、多くのプロテスタント教会が聖書と定めているのは、英語で書かれた聖書のみなのです。だとすれば、誰が英語の聖書を翻訳し、編纂したのかが重要なポイントになります。

   プロテスタントの英語聖書をつくったのは、スコットランドやイングランド、アイルランドを治めたジェームズ1世(チャールズ・ジェームズ・スチュワート)です。彼は1611年に、イギリス国教会の典礼に使うという理由から、『欽定訳聖書』(KJV聖書)をつくりました。それがつくられる以前までは、イギリスには「ジュネーブ聖書」と呼ばれる英語訳聖書が普及しており、人々に親しまれていました。これは宗教改革運動への迫害を逃れてジュネーブに渡った、カルヴァン派の神学者たちによって翻訳されたものです。

   聖書の英訳にも興味の尽きない歴史があります。
   最初の英訳は、ジョン・ウィクリフによる英訳聖書(1408年)、その次がウィリアム・ティンダルによる英訳聖書(1525年)です。ウィクリフとティンダルはともに宗教改革のリーダー的存在でした。それ以後は、『マシュー版聖書』、『ジュネーブ聖書』、と次々刊行されましたが、『欽定訳聖書』はティンダル版聖書に大きな影響を受けています。

   ジェームズ1世に、あらためて英訳聖書をつくることを決意させたものが何であったか、詳しい事情はわかりません。ただ他の国王たちが、自分に服従しないと感じたジェームズ1世は、それまでの聖書をひどく嫌ったといわれています。時代はまさに宗教改革の波に洗われ、イギリスの政治の歯車が大きな音とともに回り始めていました。ですからジェームズ1世が、自らの力で新しい聖書を定めることが権力をさらに拡大する道である、と考えたことは想像に難くありません。

キング・ジェームズ1世の悪訳
   
54人の神学者たちが、どれほど正典の教えに忠実であろうとしたにせよ、彼らはジェームズ1世の政治的野望の手の平で踊らされていたにすぎません。そして実際にジェームズ1世は、自分に都合のいい言葉を「そっと」聖書に忍び込ませたのです。たとえば、「汝、殺すことなかれ」で知られるマタイ19:18は、カトリックの聖書では、Thou shalt do not kill  となっていますが、『欽定訳聖書』では、
Thou shalt do not murder となっており、kill が murder に変わっています。もともとのギリシャ語では φονευω(phoneuo)という単語は kill を表す一般名詞です。それは旧約の神が認める kill は murder ではないとするもので、まさに魔女狩りや十字軍の論理であり、それが聖書の文字に表されたのです。

   そしてイギリスの国教会からアメリカに移住したピューリタンまでが、この聖書を使いました。アメリカインディアンの虐殺もまさに murderではなく kill であり、神は murder は禁じていても kill は禁じていないという論理で行なわれたのでしょう。同じく、原爆投下の論理もそう感じられます。

   「そんな馬鹿な」と思うかもしれませんが、ラリー・キング・ライヴのトーク番組で行なわれた議論が示すように、現実は確かにそうなっています。そして就任式に臨む歴代のアメリカ大統領は「キル」を肯定するバイブルに片手を置き、「ヘルプ・ミー・ゴッド」と宣誓を行なうのです。また、もともと「教会」は英語で congregation と言いますが、これをイギリス国教会を示す church に変えたのはジェームズ1世です。ですからプロテスタントの開祖は、ジェームズ1世と言ってもいいのです。私はジェームズ1世による訳語改変の理由が、彼の個人的理由から生まれたと考えているのですが、それは後で明らかにしていきます。

宗教は検証されない
   
さて、ここまでの話で重要な点は、宗教の教義というものは、いつの時代にも権力者に都合のいいように書き残されているということです。そして文字として書かれた教義は、科学論文のように査読され、検証されることなく、いつの間にか人々の心に刻まれていきます。なぜ検証しないかといえば、宗教はもともと検証できないものであり、「この部分は正しいけど、全体的には間違っている」ということになれば、もはやそれは信じられるものではなく、盲従する信者たちの求めに応じられるものではないからです。

   救いを求める人ほど、騙しやすいものはありません。
   金に困り、のどから手が出るほどお金が欲しいと思っている人ほど、詐欺に騙されやすいというのはいつの時代も変わりません。同じことが宗教に救いを求める人にも言えるのです。なぜ書かれた教義を盲目的に信用するかといえば、それは他人を信じていないにもかかわらず、信用できる対象が欲しいと考えているからです。まず最初に、すべてのことを疑う

心を持てば、そのような浅薄な気持ちはすぐに消えてなくなります。そうなると、自らの判断で信用できるものを受け入れようと前に出る自信が、逆に心に満ちてくるはずです。

   満たされない心に作用するのは、これまでも常に宗教であり、言葉でした。
   そしてその作用を強化し、増幅させたのが、書かれた言葉であり、印刷された言葉でした。グーテンベルクの印刷術による発明は、人間が知識を獲得するうえで、それは極めて大きな役割を果たしたのは事実です。しかしその反面、印刷術は、中世のヨーロッパの人々の心に誤まった固定観念を植え付ける役割も果たしたのです。『魔女に与える鉄槌』という書物が繰り返し複製されることによって、誤まった固定観念が広められていくという、負の側面も存在しました。権力者と宗教はその効果を利用し、この書物が版を重ねるにつれて、魔女狩りがいよいよ猛威を振るっていったのは偶然ではありません。


   『魔女に与える鉄槌』がベストセラーになると、魔女に関する書物は次々と生み出されていき、その一つがジェームズ1世の手になる『デモノロジー』(悪魔学)です。19世紀になると魔女狩りは終息しましたが、デモノロジーの流れは残りました。ボードレールの『悪の華』などの悪魔文学は、まさにそれを受け継ぐものでした。またフロイトが、精神分析学を確立したのも、自分が魔女であると自称する人々の心理を、解明しようと考えたことが発端であったのです。その意味で、魔女狩りはヨーロッパ社会の形成を左右した非常に大きな試金石だった、という指摘もあります。

   さて、現代におけるITの発明は、グーテンベルクによる印刷術に匹敵するといわれています。その恩恵に浴する私たちは、外国の政府や新聞、ラジオ、テレビ、また個人が撮影した映像に至るまで、好きなように接し、保存し、加工することまでできるようになりました。そうした情報は、専門家を含む大勢の人々の目というフィルターを通して、誤まった情報は修正され、淘汰されていきます。その結果私たちはIT以前に比べると、はるかに正しく高い知識が得られる環境に暮らせるようになりました。

いつの時代も情報操作を行なう人間がいる
   しかしながら、それは表の話であり、物事には必ず裏表が存在します。
   ヨーロッパの中世にグーテンベルクの印刷術がもたらされたことが表だとすると、その印刷術によって『魔女に与える鉄槌』が中世もたらしたものが裏の世界であり、それは現代においても存在しています。それは、専門家を含め大勢の人々によって検証されない情報であり、なかでも意図的な誤誘導や、洗脳を企む権力者によって行なわれる組織的な情報操作の世界です。

   従来から、インターネットの世界で起こるこうした情報操作に対して、情報の1次ソースを確認したり、反対意見や複数の意見を吟味する情報リテラシーのキャンペーンが行なわれてきました。しかし情報リテラシーは、悪質なサイトや金銭トラブルに巻き込まれないという程度のことには役立つとしても、権力者による意図的な情報操作に太刀打ちできるものではありません。なぜなら情報操作の世界は、改竄された1次ソースや、一見すると反対意見のように読める「偽装した賛成意見」や、あるいは一見すると賛成意見のように読める「偽装した反対意見」などが蔓延する、情報空間世界だからです。

   しかもツイッターの登場によって、こうした偽装情報はなおさら巧妙に流通しつつあります。論理を持たず、感情に訴える「つぶやき」は、反論や反証をほとんど受け付けません。誤まっていることをとがめても、「つぶやいただけなんだから、いいじゃん」、で終わりです。これは現代に魔女狩りが流行する、非常に大きな環境的条件です。これを利用する権力者はすでに現れているし、その動きは今後益々顕著になっていくでしょう。それについては明らかにしていきますが、そのためにもヨーロッパ中世に起こった魔女狩りについて、もう少し深く考察を進める必要があります。



         book 「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版

                       抜粋したもの

聖書は実際に「聖なる書」なのか? ③

   儒教について、私たちがよく知るのが『論語』の教えでしょう。
   『論語』は孔子の死後数百年経ってから、彼の弟子たちがまとめたものです。有名な一節を取り上げてみましょう。

   『子の曰(いわ)く、吾(わ)れ十有五にして学に志す。
    三十にして立つ。
    四十にして惑(まど)わず。
    五十にして天命を知る。
    六十にして耳順(した)がう。
    七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。』  (為政篇)

   これを読んで若い人は、「自分も勉強するぞ」と青雲の志を抱くに違いないし、40歳前後の人は「今の境遇も天命だ。辛抱して頑張ろう」と、気持ちを引き締めることでしょう。しかし、私に言わせれば、これこそが、実は奴隷の教えです。15歳にして勉学に励み、30歳にして独立する。ここまでは人々が受け入れやすい、ごく普通のことです。当時の平均寿命からすると、子どもが30歳になる頃に親は大体死んでいますから、それまでに勉学して独立せよ、というわけです。

   ところがその次の、「四十にして惑わず」から隠れた本領が姿を現します。
   「惑わない」というのは、いろいろな可能性を考えて他に気をとられることなく、一つの価値感で迷わずに生きるということです。つまり惑わずに奴隷の道を歩め、ということです。そして「五十にして天命を知る」において、さらに奴隷のボルテージが上がります。当時の「天」とは、間接的に皇帝を指しています。もちろん「天」には神のような直接的な意味もありますが、儒教の本質は、この世の神が皇帝であるというものです。それは戦前の神ならぬ天皇陛下のような位置づけです。つまり「天命を知る」とは、皇帝の命令を自ら進んで理解して行動するということです。

   きわめつきは、「七十にして心の欲するままに従って、矩を踰えず」でしょう。
   その意味はそうやって、70歳になると思うままに振舞っても道を外れないようになった、というわけです。つまり奴隷の人生を70年間続ければ、何をやっても奴隷の枠から外れることはなくなる、ということです。これは大変な話です。この教えによって出来上がった聡明で勤勉で、かつ命令を聞く人間が、どれほど権力者にとって都合のいいものであったか、私たちはそこに注意を向ける必要があります。

   その証拠に儒教国ではいまなお、親よりもいい会社に入ってはいけないし、親が死ぬまで親よりもいい暮らしをしてはいけないという考えが根強く残っています。日本では明治維新後に西欧の民主主義が輸入されたために、今の日本人はそういう考えをあまり持ってはいませんが、江戸時代の日本人にとっては、それを守るのが真っ当な生き方であったのです。蛇足ですが、日本では神道は明治維新とともに作り出されました。

   神道とは、明治政府が作った人工宗教であり、西欧では宗教とは認められないような代物(しろもの)です。おそらく明治政府は政治を行なう上で、天皇の扱いをどうするか困ったものと思われます。維新の功績が天皇にあることは、薩摩や長州もよくよくわかっていました。なぜなら倒幕のための最大の武器が「錦の御旗(にしきのみはた)」であったからです。そこで明治政府は天皇を神格化することを画策しました。そして、それまで埃をかぶっていた原始宗教を拾い上げ、きれいに塵を払い、「これが日本古来の宗教だ」と掲げたのです。

   しかし太古の神道には、教義も経典もありません。
   そこでキリスト教を手本に、儒教の教えをベースにして形を整えました。それでも神道は、神風特攻を遂行させることができるほどには成功したのです。つまり大日本帝国の政府は、神道をうまく利用したのでした。天皇家が時の政府による神格化の動きを、どのように受け止めていたのか、そこは定かではありません。

   宗教は政治に利用されることをバネにして、勢力を拡大してきました。
   権力者にとっては宗教は、実に使い出のある道具でした。それは人々を統治することはもちろん、政敵さえ失脚させることも簡単だからです。「神の教えに背いている」と指弾することは、どんな嫌がらせよりも有効であったからです。また領土的野心を満たそうとするときも、それは大いに役立ちました。たとえばローマ帝国は、ゲルマン人との度重なる戦いに教会の司祭たちを伴い、占領地の住民にキリスト教を布教させたといわれています。

   話をもう一度キリスト教に戻します。
   今私たちがキリスト教と考えている宗教には、2つの大きな流れがあり、一つはカトリックで、すでに述べたようにローマ帝国が国教化したキリスト教であり、ローマ法王を頂点とするものです。もう一つは、ご存知のようにプロテスタントです。そして実はプロテスタントにも、コンスタンティヌス大帝とは別の開祖がいるのです。

   宗教を論じる際に、私がときどき紹介するエピソードの一つに、「ラリー・キング・ライブ」の話があります。これは米国のCNNの看板トーク番組で、ラリー・キングが司会を務めており、アメリカ人の考え方や情勢を非常によく伝える格好のソースでした。しかし残念ながら、2010年末に終了してしまいました。それは9・11の出来事が起こり、その影響でイラク戦争が始まった頃で、このトーク番組で戦争の是非をめぐる討論が行なわれたときのことです。出演者はユダヤ教の指導者のラビ、イスラムの宗教指導者、カトリックの神父、プロテスタントの牧師、そしてインド人のニュー・エイジ系指導者の5人でした。

   そのとき、視聴者から電話で、「なぜ戦争では人を殺してもいいのですか」という質問が寄せられました。すると、ユダヤ教のラビが「マーダー(murder)とキル(kill)は違う」と答えたのです。つまり、戦争で行なう殺人はキルであって、それは許されるという意味です。「ちょっと待て!」、と私は思わず突っ込みを入れたくなりましたが、番組に同席した他の宗教指導者たちは誰も反論しません。むしろ当たり前だと言わんばかりに平然としているのです。それは実に不思議な光景でした。

   この発言の裏には、宗教的な倫理があります。
   つまり、神は「汝、人を殺すなかれ」とマーダー(murder)を禁じています。人間が人間を殺すのが「マーダー」で、これは絶対に許されないはずです。ただ旧約聖書の神は創世記の「ノアの箱舟」の話で、「悪を行なう人間」には大量殺戮を行なう神なのです。しかし「正しい人」ノアは救われ、その子孫は「正しいこと」を続ける限り絶滅させられないとする契約を、神と締結しました。そしてそこから、(神がそうであるから)、キルが許されないと言っているわけではない、という理屈が成り立つのです。そこから導き出される論理は、神との契約を守らない人間は、人類のために滅ぼされなければならないというものです。ゆえに、人類のためにキルは許される、という結論にたどり着くのです。

   ここで私が問題にしたいのは、彼らのおかしな論理のことではありません。
   「マーダー」は許されないが、「キル」はその限りではないという彼らの解釈をたとえ百歩譲ってよしとしても、いったいその聖書は誰が書いた聖書なのか、という点です。わかっていることですが、イエス・キリストもパウロも、アタナシウスも、そしてコンスタンティヌス大帝も、「マーダー」と「キル」の使い分けなど一切してはいないのです。英語の聖書というのは、通常イギリス国教会の聖書で、KJV聖書といわれます。プロテスタントの聖書は英語で書かれたものであり、実はカトリックの聖書も英語の聖書のKJV聖書をベースにしています。このKJVとは、King James Version の略で、キング・ジェームズ1世の名前が使われています。

   もともと『新約聖書』はギリシャ語で書かれていましたが、それがラテン語に翻訳されて広まっていきました。カトリック教会が正式に聖書と定めているのは、いまでもラテン語で書かれたものだけですが、それと同じ意味において多くのプロテスタント教会が聖書と定めているのは、英語で書かれた聖書だけなのです。だとすれば、誰が英語の聖書を翻訳し、編纂したのかが決定的に重要なポイントになります。

   プロテスタントの英語聖書を作ったのは、スコットランド・アイルランド・イングランドを治めたジェームズ1世(チャールズ・ジェームズ・スチュアート)です。彼は1611年に、イギリス国教会の典礼に使うという理由から『欽定(きんてい)訳聖書』(KJV聖書)をつくりました。実は『欽定訳聖書』が誕生する14年ほど前、ジェームズ1世は『デモノロジー』(悪魔学)という書物を著わしています。この本は、先に紹介した『魔女に与える鉄槌』の流れを汲み、イギリスにおける魔女狩りの指南書としての役割を果たしました。つまり、イギリスの魔女狩りを主導した王が、現代に受け継がれるイギリス国教会の聖書、KJV聖書ををつくったのです。



          book 「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版

                        抜粋したもの

キリスト教の開祖はコンスタンティヌス大帝 ②

聖書をしのぐ大ベストセラー『魔女に与える鉄槌』   
   15世紀から17世紀という二百数十年の間に魔女裁判で処刑された人は、数百万人とも推計されています。戦争に明け暮れたヨーロッパでは裁判記録は消失しており、残っているのはごくわずかのものです。そのために実際にどれほどの人が処刑されたのか、正確なことは誰にもわかりません。断片的な記録から、中世ヨーロッパの世界で魔女狩りが大変な猛威を振るったことがわかっているのですが、興味深いことに、その流行はある時期を境に急速に終息しています。何かきっかけが存在するはずなのですが、探してもこれといった出来事は見つかりません。たとえれば昨日まで重病に苦しんでいた人が、朝目を覚ますとケロッとして起き上がってきたという感じで、これは実に不思議なことだといわなくてはなりません。

   ほとんど指摘されてはいないことですが、私の考えでは、魔女狩りの流行はヨハネス・グーテンベルクによる印刷機の発明ときわめて深く関係しています。1445年にグーテンベルクは、葡萄の圧搾機にヒントを得て活版印刷術を発明しました。これが、私たちが世界三大発明と呼ぶほどの強烈なインパクトを、その後の社会にもたらすことになります。それから10年後に、彼は後にグーテンベルク聖書と呼ばれる『ウルガタ』(ラテン語訳聖書)を底本とした印刷聖書を世界で初めて作りました。グーテンベルク聖書の初版部数は現代の感覚では「わずか」ともいえるほどで、ほんの180部に過ぎませんでした。その値段を知るすべはありませんが、おそらく現代に置き換えれば、聖書1冊でフェラーリが1台買えるほど高価なものであったと思われます。

   しかしその陰に、聖書を遥かにしのぐ大ベストセラーが存在したことはほとんど知られていません。それが、1487年にドイツで出版された『魔女に与える鉄槌(てっつい)』という書物です。この本は異端審問官であったドミニコ会修道士ハインリッヒ・クラマーとケルン大学神学部長であったヤーコプ・シュプレンガーによって書かれたもので、いわば魔女狩りのための初めてのマニュアル本です。1487年から1520年の間に13版の増刷がされ、1547年から1669年までの間にさらに33版が増刷されています。一節には3万部程度刷られたといわれていますが、当時としては驚異的な部数です。しかし伝えられている版数はあくまで公式の記録にすぎず、出版の本質がコピー文化であることを考えると、そのほかにたくさんの海賊版が作られていたのは確かです。

   いずれにしても『魔女に与える鉄槌』が、当時としては驚異的な版数を重ねたことは、何よりもその需要の大きさを物語るものです。この本は、想像以上に速いスピードで、全ヨーロッパに広がったと思われます。その理由はこの書物が、いわば「裏モノ」というべき性格を持っていたからです。いつの時代においても「裏モノ」の伝播と増殖のスピードは「表モノ」よりも圧倒的に速いものです。この書物は魔女狩りのマニュアルという以上に、人々の心を捉える何かを内包していました。そして、中世の暗黒時代を象徴する魔女狩りは、『魔女に与える鉄槌』というこの上ないエンジンを手に入れたかのように、ヨーロッパの隅々にまで広がっていったのです。

   この書物の記述は微に入り細に入り、神学的な出典がこれでもかと示されています。
   そのために努力を傾注した著者たちの、息遣いさえ聞こえてきそうなほどです。しかしもちろん、これを魔女狩りの推進エンジンとして始動させるためには、それ相当の仕掛けが必要であったのも確かです。『魔女に与える鉄槌』が魔女狩りのエンジンになった理由を述べるためには、まずキリスト教とは何かという点を明らかにしていかなければなりません。最初にひと言だけ述べておくと、その理由は「それが印刷された言葉」だからです。私たちはどういうわけか、書かれているものや、印刷されたものに深い意味を見出そうとする生き物であり、それに非常に囚われてしまうものです。実はキリスト教の成り立ちにはこの点が大きく関係しています。

   (略)キリスト教の本当の開祖は、歴史的に見れば、それがコンスタンティヌス大帝(コンスタンティヌス1世)であることは一目瞭然です。特筆すべきことは、325年に行なわれた第1回ニケア公会議です。ローマカトリック教会には、公会議という最高会議があり、全世界の教会の司教が出席し、教義や典礼、教会法などについて審議、決定を行なう最高意思決定機関です。この教会史上初の第1回ニケア公会議を開催し主導したのが、コンスタンティヌス大帝でした。当時キリスト教は、キリスト論や三位一体論の解釈をめぐり対立していました。なかでも信徒からなるアリウス派は三位一体を否定し、唯一神を主張したので、三位一体を唱えるアタナシウス派と激しく対立しました。

   一方、コンスタンティヌス大帝はローマ帝国の再統一を果たす野望を抱いており、そのためにキリスト教という宗教の力を利用するつもりだったので、アリウス派を排除する側につき、結局アリウス派はアタナシウス派に破れて異端とされてしまったのです。コンスタンティヌス大帝はその勢いで、正典の編纂に取り掛かりました。現在伝えられる『新約聖書27編』は、アリウス派を異端として退けたアタナシウスその人が選んだものです。もちろんその選択にコンスタンティヌス大帝の意思が大いに関わったのは確実です。なぜなら為政者が自らの権力統治に、都合の悪い内容を国教と認めるはずがないからです。

   またキリスト教の開祖はパウロだという根拠も、イエスと1度も会っていないパウロによってイエス像が描かれており、イエスが話していたアラム語ではなく、ヘブライ語やギリシャ語で最近書かれた書簡の多くが新約聖書に選択され、教義の中心とされていることにあります。ただしこのパウロ書簡を採択させた張本人は、コンスタンティヌス大帝です。しかしながらトマスの福音書やユダの福音書、マグダラのマリアの福音書など、支配統治に都合の悪そうな福音書はしっかり退けられています。

   英語の「Virgin」に置き換えられたもともとのヘブライ語は「若い女性」という意味であり、イエスの処女懐胎が教義とされたのは、325年ニケア公会議においてです。もともとはヘブライ語で”almah”という単語が使われており、これは結婚適齢期の女性、もしくは新婚の女性を表す一般名詞です。これがギリシア語に訳される過程で、若い女性と処女の両方を意味する”παρѲνο(parthenos)”と訳されました。つまりニケア公会議ではヘブライ語の元の言葉を無視して、ギリシア語の派生的意味合いの「処女」をわざわざ選んだのです。

   思うに、2000年前の世界ではどの地域においても、性習俗は緩(ゆる)いものであったと考えられます。現代のように、国家が家族を統治の単位と考えて規制していたわけではなく、女性が男性の経済力を頼って生きる時代でもなかったのです。したがってキリストが処女から生まれなければならない特別な理由もはじめからなかったのです。それをわざわざ「処女」と訳したのは、キリストの死後300年の時が経ってからであり、そうでなければならない理由が別に生じたからと考えられます。

   正典に加えられず、焚書(ふんしょ・焼却された文書)はいったいどのくらいの量に上ったことでしょうか。たとえば20世紀に発見された死海文書は、およそ850巻にのぼっており、洞窟の中から膨大な文書が見つかったことで世界中が驚いたのですが、それでも当時、焚書された量に比べれば、ほんのわずかにすぎないと考えられています。それは死海文書の100倍という規模で、焚書が行なわれたとしても驚くにはあたらないのです。こうした文書が『新約聖書』27編に集約されたわけです。キリスト教はこのときに整理され、はじめて現在に伝わるキリスト教の姿になりました。

   そしてアタナシウスが選んだとされる27編は、397年の第3回カルタゴ公会議において、『新約聖書正典』として認められました。以後、ローマカトリック教会はこの正典を一字一句いじらずに、現代に伝えているわけです。そうだとすればキリスト教の開祖は、イエス・キリストでもなく、パウロでもなく、コンスタンティヌス大帝である、としなくてはなりません。コンスタンティヌス大帝が主導し、その意向を働かせて27編を選ばせたという歴史的事実を見れば、キリスト教の開祖は彼しかいないのです。

   また、もともとわからなかったイエスの生誕日を12月25日としたのも、当時ローマ帝国でキリスト教より流行していた、ミトラ教の教祖の生誕日が12月25日であったのを取り入れたものであり、聖母伝説を取り入れたりすることで、ミトラ教徒の取り込みまで行なわれていました。ミトラという言葉は、サンスクリット語のマイトレーヤ(弥勒菩薩)と同語源です。キリスト教が大乗仏教と似ていると言われるのは、時代的にもミトラ教を取り込んだためかもしれません。

   やや脇道にそれますが、宗教はいつの時代においても、政治と権力に都合のいい教義を作り上げるものです。彼らは権力者の権力強化に自分たちが役立つからこそ勢力を拡大し、成功することを知っているのです。権力者の役に立たなければ、イエス・キリストがそうであったように一撃で潰されて終わりです。東洋で力を持つ宗教は仏教であると考える人がいるかもしれませんが、それは誤った理解です。実際には、仏教徒は今のインドにはほとんどいません。日本にはいますが、その数はせいぜい1億人くらいのものです。ほかにスリランカとミャンマー、ネパールの一部、ブータン、そしてチベットを合わせても、仏教徒の数はせいぜい数千万人でしょう。そうすると世界65億人中、仏教徒は2億人もいない計算です。

   それに対し、儒教はどのくらいいるかというと、中国と韓国の人口を合わせるだけですでに15億人くらいいます。中国共産党が支配する中国に宗教はないと思うかもしれませんが、それは見える形での宗教がないだけの話です。古代中国で生まれ、後漢の時代に国教化された儒教は、現代の中国人の心にも非常に深く刻まれているのです。さらに歴史的に中国の影響が強かった東南アジアの国々や、その影響下にあった日本のことを考えると、儒教の信徒と言えるような人間は、少なく見積もっても16億人は固いのではないでしょうか。儒教がそこまで勢力を拡大することができたのも、それが権力者の権力強化に大いに役立つ宗教であったからです。

   天皇家は、江戸時代まで仏教を信仰していました。
   そして明治維新後は、諸外国にはキリスト教に改宗したかのように振舞っています。明治からこのかた、天皇家では男子にはプロテスタントの家庭教師が付き、女子はカトリックの勉強をしています。そして実際にカトリックの学校出身者が天皇家に嫁いでいます。そうしないと、欧米列強の王室と対等に付き合えないという事情があったのでしょう。天皇を神だと思っていた当時の日本人には理解できない事実ですが、宗教が勢力を持つ陰には必ず、権力者の意図が働いているのです。


          book 「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版

                        抜粋したもの
   
   

   

中世の「魔女狩り」は教会が邪魔者を消すことだった ①

   あなたは、15世紀の大ベストセラー『魔女に与える鉄槌』(Malleus Maleficarum)を知っていますか? これは、1486年にドミニコ会士で異端審問間であったハインリヒ・クラマーとヤーコブ・シュプレンガーによって書かれた「魔女狩り」に関する論文です。それは魔女発見の手順と、その審問と拷問についてこと細かに記されており、中世において大きな影響を与えたことで知られています。

   「魔女狩り」は、中性末期から近代にかけてのヨーロッパや北アメリカにおいてみられた魔女や魔術行為に対する追求のことで、魔女と認定された膨大な数の人々が処刑されました。犠牲者数については諸説ありますが、900万人とも言われています。本書では、なぜこのような残酷なことが行なわれたのか? なぜ「魔女狩り」についての書物が大ベストセラーになったのか? なぜ現代において「魔女狩り」が甦ったのか? を解明していきます。

   私は脳機能科学者です。
   つまり脳のことを研究している脳の専門家です。「脳がどうやって世界を認知し、人の行動や思考を支配しているか」を研究し続けています。そこでわかったことは、「脳は見たいものしか見ない」ということでした。では脳が見たいものとは何でしょうか? それは「過去の自分にとって価値のあるもの」です。それはたとえば私が「ドリームキラー」と呼ぶ、親や教師や友人などからの情報によって植え付けられる価値のことです。さらにはテレビ、新聞、インターネット、ソーシャルメディアから与えられた価値のことです。

   これは非常に恐ろしいことです。
   もしも、ある一部の権力者によってメディアがコントロールされてしまえば、あなたは「他人によって作られた人生」を生きることになります。つまりあなたが見ているものは「過去の自分にとって価値のあるもの」だけであり、それは「他人によって作られた世界」なのです。あなたの生きている世界はすべて「他人によって作られた世界」で、あなたが見ているもの、あなたの行動、あなたの思考は他人によって作られている可能性が高いのです。

   よくITの発明は当時の印刷術の発明と比較され、ITが新しい「知」の世界を切り開くと礼賛されるのを聞きます。確かにその通りではあるのですが、それを手放しで受け入れるだけでは罠にはまる危険性が高いと考える私は、警鐘を鳴らしてきました。私がそう考える理由は、ヨーロッパ中世は魔女狩りに象徴される暗黒時代であり、中性の人々をその暗闇へ誘った力として、グーテンベルクの印刷術の発明が大きかったと考えるからです。グーテンベルクの発明によってもたらされた印刷書物は、時の権力者によって極めて強力な洗脳の道具として利用されました。その特筆すべき1冊が、『魔女に与える鉄槌』という書物です。

   一般的に、中世のベストセラーは印刷術によって爆発的に普及した「聖書」であるとされています。ところがさまざまな文献を調べていくと、どうもそうではなかったことがわかってきました。その一つは、ローマカトリック教会が聖書の普及を好ましく思っていなかったことです。カトリック教会は、祈りの場を唯一教会にのみ定め、聖書の解釈は唯一教会が行なうものと決めていたからです。聖書の普及が宗教改革運動を拡大させたことを考えると、教会は、聖書が複製によって大衆化していくことを嫌っていたのは当然です。

   15世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパは異端審問と魔女狩りに明け暮れた時代でした。それに伴って「魔女論」という魔女について書かれた書物が相次いで出版されました。「魔女」という一つのテーマだけでこれだけ多くの書物が書かれた事実は、それだけ大きな社会的関心がそのテーマにあったことを示しています。「魔女論」の一群の中でも、もっともよく売れたとされていたのが『魔女の鉄槌』です。しかも短期間のうちに多くの版が重ねられた事実から見て、私はヨーロッパ中世のベストセラーは聖書ではなく、『魔女の鉄槌』であったという結論を得ました。

   私はこの書物の英語訳現代版とラテン語のオリジナル版の両方を手に入れ、目を通したところ、案の定、そこには魔女狩りを流行させた「企み」が潜んでいたのです。ところでグーテンベルクの印刷術で製本されるまでは、聖書は写本で作られていました。しかし現代人は写本と聞くと、写し間違いや改竄を考えるせいか、それにあまり信頼を寄せる気になりません。ところがそれが印刷された活字になると、どういうわけか間違いないものと感じ、内容にも信頼を置くようになります。不思議なことですが、どういうわけかそう受け止めるのです。

   しかしこれは明らかに錯覚です。
   そのために、聖書に書かれている情報が批判的に検証されることはまったくありません。宗教だから当たり前といえば当たり前です。歴史的考察がされることはあっても、聖書が編纂されておよそ1700年の間、信徒にとって問題なのはその解釈であって、書かれたことが正しいかどうかは論外で検証の対象にすらなりません。この事実は、現代人が抱いている印刷出版文化への無批判な信頼感に対して、一つの示唆を与えています。それは私たち現代人が、活字化された情報によって翻弄され惑わされる危険というリスクを、常に持っていることを意味します。それは「誰かがその情報をあなたに信じ込ませたいために用意した偽書であるかもしれない」、ということです。それはテレビやラジオも同様です。

   ヨーロッパ中世で起こった魔女狩りは、20世紀半ばころから著名な学者たちによって研究され、その成果はいくつもの書物に著わされてきました。そして魔女とは何だったのかということや、教会権力と社会との関係を明らかにしようとするものなどでした。研究者たちを捉えたのは、15世紀から17世紀という長期間にわたって、なぜこれほど大規模に流行することになったのかという謎でした。人間社会は歴史的にも心理学的にも、しばしば大虐殺や集団リンチを行なう傾向が見られます。しかしそれがヨーロッパ全域というきわめて広い地域で、かつ二百数十年という長期にわたり猛威を振るい続けた事実は、いまだに解きがたい謎であり続けています。

   私が本書を著わす目的は、この謎を解き明かすことではなく、私の問題意識である、現代において魔女狩りが再び猛威を振るい始めていることにあります。現代の魔女狩りを端的に表現すれば、「都合の悪い者は消せ」というものです。それらはたとえばテレビなどでマスコミが行なう、御用学者や御用評論家による考え方の誘導や、風評被害を口実にしたネット言論規制、掲示板荒らしを専門にする雇われ工作員の存在などで、特定の人物を容赦なく追い落とす行為の数々は、これまでにもさんざん行なわれており、決して珍しいものではありません。

   ところがこの21世紀に始まる新しい魔女狩りでは、誰かが追い落とされて社会的に抹殺され、あるいは殺されたとしても、おそらくその痕跡すら残りません。それだけでなく裏で暗躍する存在と彼らの目的も、私たちの目に映らなくなるのです。なぜ見えないかといえば、水面下に隠れたアンダーグラウンドメディアが目的達成の手段として使用されるからです。

   今権力者は、大衆洗脳の道具を求めるという強烈なニーズを持っています。
   私は近々、その道具の代表にツイッターがなる、と考えています。わずか数行の「つぶやき」が人間を変えるということを、彼らは発見したからです。そしてグーグルの検索エンジンが思想調査に使用され、フェイスブックが中東の民主化を促し、さらにツイッターではつぶやきを自然言語処理することによって、それが国家の政策立案に使えるという研究成果が出されました。

   このことはつまり、これらをすべて反対の目的に作用させる使い方ができるということです。私が見る限り、その兆候は、すでにあちこちで顕在化しています。たとえば最近では、

   「放射能を心配しすぎるのはバカ」
   「20ミリシーベルトと国が決めたのだから、国民はそれに従う義務がある」
   「東日本大震災は神の仕業」

   いずれもブログやツイッターで繰り返し取り上げられている言葉です。
   批判も検証もなされることなく、無意識のうちにこうした言葉が何度も何度も、私たちの中に刷り込まれています。しかしそれをアホらしいと感じればいいのですが、そうは感じない人間が増えているのです。これは、21世紀に新しい魔女狩りが流行する、非常に大きなシグナルであるといえます。

   私がなぜそれを魔女狩りと位置づけるのか、中世との類似性はどこにあり、拡大を推進するメカニズムは何か、なぜアンダーグラウンドメディアがそれほど強い影響力を持つのかについて明らかにすることは、同時に、中世の魔女狩りが広範囲かつ長期にわたって流行した謎に、一つの答えを与えることにもなるでしょう。



          book 「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版

                        抜粋したもの
   

相対的な価値感に囚われると本質が見えなくなる

日本赤十字社
   日本赤十字社も権力構造の一つです。
   日本赤十字社が民間団体であることを知らない人が多いようです。(正式には社団法人類似組織)。日本の血液事業を独占しているのが日本赤十字社であり、ほぼ無料で提供された献血による血液を、病院に売っています。血液事業は、実はとてつもない利権ビジネスなのです。当然赤十字は、寄付事業も独占的に行なっており、利子も分配することなくすべて手に入れています。

   震災時に数億円を寄付として集め、その後の数ヶ月間にわたり寄付金は被災者には配布されず、その間の銀行利子はすべて日本赤十字社に入っていたことは記憶に新しいでしょう。それまでにも寄付されたお金を出さず、民間団体から要求されて渋々、それでもやっと3分の1の金額しか配布されなかった経緯もあります。しかし本当に収益を上げているのは血液事業です。本来、血液事業は国がするべきことであるのに、それを民間一団体が独占していること自体が非常におかしいのです。そのような国は世界でも日本だけで、他の国では血液事業は国が行なっているのが普通です。

   赤十字は、少なくともヨーロッパやアメリカでは軍の中にあります。
   第一次、第二次世界大戦の時も、赤十字のマークを付けたトラックや船は攻撃してはいけなかった。なぜなら負傷兵を乗せているというという理由から、攻撃対象外の扱いを受けるという特権を持っていたのです。ですから本来、赤十字とは、軍の中にある救急部隊のことを言うのです。それにもかかわらず、現在戦争をしていない日本で赤十字が存在しています。つまり負傷兵のいない日本に赤十字が存在していること自体がおかしいのです。それが防衛省傘下で、自衛隊の中にあるのならまだ理解できるのですが。

   赤十字は、血液事業で荒稼ぎする民間一企業です。
   日本赤十字社は、世界組織である赤十字の中でも最大級の収益部門にあたります。その理由は日本では、血液事業が独占的でかつ排他的に行なえるからです。その収益金はヨーロッパに貢がれており、日本赤十字社とはそのための一つのカラクリになっているのです。なぜ日本政府が文句をいわずに黙っているかといえば、その権力はすでに巨大であり、表向きであれ天皇家の人が代表ということになっているからです。ホームページで確認すればわかりますが、日本赤十字の名誉総裁は皇后陛下で、名誉副総裁は皇太子殿下・妃殿下と秋篠宮妃殿下になっています。その他の皇族も名誉副総裁に名を連ねています。

   また各都道府県知事が、日本赤十字社の支部長を兼任するという暗黙のルールがありました。近年は知事以外の人が就任することもあるようですが。そのような状況なので、誰も文句が言えないのです。つまり文句を言わせないようにしてあるわけです。なぜ日本でだけ、赤十字が血液事業を独占できたかといえば、その設立が昭和27年であることから、おそらく敗戦によるGHQ政策と関係があるようです。しかし戦争が終わって60年以上経つわけですから、民間企業の日本赤十字社ではなく、国が血液事業をするべきではないでしょうか。

   血の情報というのは、非常にプライバシーに関わる情報なのです。
   さまざまな病気の情報だけではなく、血液には遺伝子情報データがすべて書かれているわけです。個人の機密情報の中でも、特に機密性の高い情報であるのに、医師や看護士が治療目的で扱うのは構わないとしても、それを民間団体である日本赤十字社が取り扱うのは間違っています。血を抜いているのは医師や看護士であっても、データを集計しているのは民間人だからです。

   つまり国民のプライバシーにかかわる情報を、日本赤十字社という民間企業が独占しているのです。もし国が赤十字に代わって血液事業をすれば、それは膨大な利益があるので国の歳入が増加するはずです。血液事業という、命に関わる一大事業で、機密性の高いプライバシー情報を含むものは、国が管理してしかるべきものであり、またしなければならないものです。ですから当然日本以外の国では、政府が血液事業を管理しています。

   昭和27年設立の日本赤十字社法は、赤十字条約による戦時の、医師や看護士にかかわることが法制化されただけのものであり、血液事業は日本赤十字社法第4章で規定されている「業務」に書かれてさえおらず、当然、他の機関による血液事業も禁止されているわけではありません。しかし厚生労働省が、日本赤十字社以外からの血液の購入を病院に認めるかどうかということですが、おそらく認めないでしょう。献血が人に奉仕することという思い込みがありますが、自分が奉仕しているのはどこなのかについて考えてみる価値はあります。

スポーツを利用した「世界統一」という洗脳

   権力がひとつに集中してしまうと、当然、その権力を握った人が正義を主張できるようになります。その典型的な例が、オリンピックとワールドカップです。そこでは全権力が国際オリンピック委員会・IOCと国際サッカー連盟・FIFAが握っています。今、世界をひとつに統一して支配しようとする動きがあります。そのためには世界統一通貨や、一つの中央銀行で管理することが必要です。そして「世界でルールを統一したほうがいい」として洗脳しなければなりません。そのツールとして、オリンピックやワールドカップを利用しているのは確かなことです。

   オリンピックやワールドカップのルールを決めているのは誰でしょうか?
   それはIOCであり、FIFAです。つまりヨ-ロッパ人です。だから自分たちに都合のいいようにルールを変更できるわけです。わかりやすいのが、F1です。F1を統括している国際自動車連盟(FIA)は、平気で勝手にルールを変更します。一時期、日本製のエンジン搭載車が上位を独占していた時代がありました。しかしそれはヨーロッパ人にとってはおもしろくないことであり、利権を脅かすものでもあったのです。そしてその後急にレギュレーションを変更しました。つまり、日本の自動車メーカーが不利になるように、ヨーロッパの自動車メーカーが有利になるようにルールを変更したのです。

   最初は、「みんなで競技をしよう」ということで始まったのかもしれないオリンピックやワールドカップかもしれませんが、洗脳のツールとして利用されるようになり、そこに利権が生まれました。私の会社が開発したキーホールTVがありますが、それはインターネット上にリアルタイムで動画を無料で配信できるシステムで、地上デジタルなどと違い、遅延がほとんどありません。それでワールドカップの試合を流した人がいました。つまり日本国内のアナログテレビで配信されている試合を、そのまま無料でリアルタイムで再送信した人がいただけなのです。それはもともと、テレビで無料で全国に放送されている映像です。

   それなのに、著作権を侵害したとして、開発者として私にFIFAから警告書が送られてきました。もし「ワールドカップの試合をより多くの人に見せて、サッカーの素晴らしさを味わってもらいたい」と思っていたのであれば、そのユーザーの行為はほめられるべき行為のはずです。同じような警告書は、FIAからも送られてきて、著作権侵害だと怒っているのです。その理由は、彼らの利権を邪魔しているから。この体験でわかったのは、結局FIFAもFIAも利権団体でしかないということでした。

   権力が一つに集中すると、その権力は暴走して利権を独り占めしてしまいます。
   そして一度味を占めた利権は、簡単には手放すことができないので、それを守るためにあらゆる手段が使われ、それは法律を借りて行なわれることもしばしばです。もうひとつ付け加えておくと、スポーツで「勝ち負けを決める」ということ自体も洗脳に他なりません。つまり勝ち負けに意味があるということを洗脳しているのです。それは勝ち負けを判断する客観的な基準があるという考えを植えつけるためです。スポーツの場合はそれがルールになるわけですが、それを子どもの頃からずっと洗脳され続けているのです。

   世の中のあらゆる事象に対して価値を判断する基準が存在し、勝ち負けを判断できるとする考え方です。それがチームやホテルなどの格付けであり、ブランドであり、勝ち組であり負け組なのです。ノーベル賞も同じです。まったく異なる科学技術において、それぞれの学者の成果をランク付けできるという発想だからです。ある一つの基準を用いることで、「この人は偉い」と決めること自体が間違っています。

   勝ち負けの判断には、価値も意味もありません。
   なぜなら勝ち負けを判断する基準はひとつではないからです。さまざまな基準で見れば、比べること自体に意味がない。重要なことはその人が、その物が、どんな価値を持っているかであって、一部分を比べて全体を判断することに意味はないのです。勝ち負けの考え方に洗脳されてしまうと、すべてをそのようにしか判断できなくなり、自分だけでなく、他人をも追い込んでしまうことです。



           book 「正義という名の洗脳」 苫米地英人著 大和書房

                        抜粋したもの

地球人としての視点が相互監視を超越する

   日本で社会生活を営み、何らかの共同体に属している以上は、常に「他人の目」を必要以上に想定しなければならず、「監視されているかもしれない」と意識しながら生きていかなければなりません。実際には誰も自分のことなど気にもかけていないとしても、そんなことはまったく関係ないことで、「見られているかもしれない」「他人の目があるかもしれない」との恐れが自分にある以上は、常時監視されているも同然なのです。

   日本語には、「お天道(おてんと)様が見ているという表現がありますが、誰も見ていない場所でも、太陽はおまえの行動を監視している、だから悪いことをすれば必ず露見するものだ、というような意味でしょう。つまり「お天道様」という言葉を借りて、どこにでも「他人の目」はあるぞと脅しをかけているようなものです。

   このような状態に置かれ続けると、人はいつしか、ありもしない「他人の目」を怖れて進んで従順な奴隷として振舞うようになっていきます。そして日頃から従順であることを強いられてきた人間は、今度は他人が自由に振舞うことが許せなくなります。「自分はこんなに我慢して大人しくしているのに、なんだアイツは」と反感を覚えます。そしていきおい、今度は他人を厳しく監視するようになり、もしも抜け駆けして自由に行動しようとする者がいれば、その足を引っ張るようになります。こうして相互監視システムは自己増殖し、強化されていくのです。

   またそれらにおいて、見逃せない一つの要素として、日本人には一神教の信仰がなかったことが上げられます。一神教とは、ユダヤ教やキリスト教などの一つの神を信仰する宗教のことです。もちろんキリスト教圏においても相互監視的なコミュニティは存在するし、そこでは陰湿な足の引っ張り合いもあります。しかしだとしても、彼らはそうした人間同士の関係を超越した神の視点を持ちやすかったという点があります。

   ひと言で述べるなら、そういったユダヤ教やキリスト教を思想の基盤に持つ人々は、そうでない人に比べて、抽象的な思考がしやすく、一神教の信仰に馴染みがない日本人は、人間同士の関係を超越する視点が持ちづらいということが上げられます。そのために、「他人の目」を相対化することもできず、相互監視システムを怖れつつ、自らもそのシステムに加担するしかなかったのです。

   かつて太平洋戦争末期に実行された日本の「特攻」ですが、アメリカ人たちは、戦闘機で軍艦に自爆攻撃を仕掛ける日本の特攻隊員の心理を、まったく理解することができませんでした。しかしそれはたんに、自分の命を犠牲にする精神構造が理解できなかったのではなく、彼らの疑問は、「日本人はキリスト教徒ではなく、我々のように神を信じていない。だから死後救われる保証はないのに、なぜ自ら命を捨てられるのか」と。

    確かに日本の特攻隊員たちも、当時は神格化された天皇という存在を持ってはいましたが、しかし日本人は、キリスト教的な神として天皇を崇拝していたわけではありません。むしろそうした超越的な神の観念がなかったがゆえに、自分たちに馴染みのある一人の権威的な人間である天皇を、崇拝の対象にするしかなかったというのが実態に近いでしょう。ある意味、日本人は天皇神格化を必要としていたともいえます。

   ではアメリカ人たちがどうしても理解できなかった、特攻隊員たちが命を捨てた理由とは何だったのか。まさか、死んだら天皇が魂を救ってくれると思っていたわけではないでしょう。それがまさに、儒教道徳と相互監視システムによる洗脳なのです。特攻隊員に選ばれた人が、もし死なずに生きて戻ったらどうなるでしょうか。おそらく使命を果たさずに戻った彼は後ろ指を指されるだけでなく、彼の家族も世間に対して恥をかき、面子を失うことになります。だから彼はここで死ぬしかなかったのです。このように思いつめて、彼らは死に臨んだのではないか。

   このように権力者の意向に逆らい、共同体から非難を浴びて「村八分」になるのは、彼らにとって死よりも恐ろしいことであったのです。愛国心でも敵国に対する憎しみでもなく、従順な奴隷としての在り方が、日本軍の愚かな作戦を支えていたのです。これが、特攻の現実であると私は考えます。そして、このような従順な奴隷としての性質は今日もなお日本人を呪縛しているのです。

「クールビズ歓迎」を就活生が信用しない理由

   「就活もクールビズで」  企業呼びかけも学生鈍く・・・
   夏の冷房を控えることが予想される中、ソニーは学生に「リクルートスーツをご用意いただく必要はありません」と告知。面接官もクールビズで臨む。
   5月に採用活動を再開した富士通ネットワークソリューションズも、人事担当者がブログでクールビズを学生に呼びかけている。(中略)
   一方の学生側はどうか。
   高島屋は学生たちに、「服装は選考に影響ありません」と伝えている。しかし男女とも、100人中99人の割合でリクルートスーツ。各企業の面接室控え室では上着を脱がず、暑さに耐える学生が多いという。    (「SankeiBiz」 2011年5月23日付)
   

   2011年の夏は、福島第一原発の事故を受けて、日本中で節電が呼びかけられました。
   そこで採用を進める企業は、就職活動中の学生に、「クールビズでいいですよ」と告知したのですが、当の学生たちは相も変わらず、長袖の暑苦しいリクルートスーツを着込んで面接にやってきたというのです。

   なぜこうなるのか。
   理由は明白でしょう。いくら採用する企業側が「クールビズでいいですよ」「服装は選考に影響しませんよ」と言ったところで、学生たちはその言葉を信じていないからです。

   「建前を真に受けて本当にクールビズで面接に行ったら、マイナスの評価を受けるのでは?」 「他の学生がみんなリクルートスーツだったら、悪い意味で自分だけ目だってしまうかもしれない」、などと考えて怖れているからです。そもそもこれまでだって、「説明会や面接にはリクルートスーツでお越しください」などと企業側が指示していたわけではありません。はじめから「服装は選考の材料にはならない」のが建前であったはずです。

   しかし学生たちの間に、「服装で目立つと、不利になることはあっても有利にはならない」という経験則が受け継がれて伝えられ、それが就活マニュアルの一つとして定着していったのです。だからこそ、日本の就活学生たちはみな、そろいもそろって紺や黒のスーツに身を固めるようになったのです。学生たちがバカなのではありません。企業の採用担当者たちは、情状酌量を行使する裁判官たちと同じく、服装で人を判断するのだという現実を知っているということです。

   もちろん、採用担当者たちは実際に節電に協力したいと考えたのでしょうし、暑い真夏にスーツを着るような慣習は不合理だと、本気で改革しようとしたのかもしれません。しかし仮に、ある学生のクールビズの服装がラフ過ぎると感じた場合、そのことで良くない印象を持つことはあり得ないと言い切れるでしょうか。あるいは、結局ほとんどの学生がリクルートスーツで来た中で、バカ正直にクールビズでやってきた学生を、「空気の読めないやつ」「協調性に難あり」といった目で見ることは、本当にまったく皆無であったと言えるのでしょうか・・?


   少なくとも、就活に人生がかかっている(と思い込んでいる)学生たちが、そこまで心配するのは、理由のないことではありません。結局、人を服装で判断するような「情状酌量文化」が企業社会で健在である限り、いくら節電という大義名分があっても、学生たちは安全第一でリクルートスーツを選び続けるしかないのです。



             book 「日本」を捨てよ 苫米地英人著 PHP新書

                          抜粋

自分の行動を決めているのは果たして自分なのか

日本人の信じがたい大人しさ
   
「日本人」とはいったい何なのか。
   これから私たちはどのように変わっていくべきなのか。これらの問題を考えるうえで、最初にはっきりと述べておかねばならないことがあります。それは「日本人は従順な奴隷である」ということです。2011年は、世界各国で国に敵対する市民の行動が注目された年でした。2010年の末から起きたチュニジアの「ジャスミン革命」をきっかけに、1月にはエジプト、2月にはリビアと、中東や北アフリカのアラブ地域で民主化運動が飛び火していきました。それはフェイスブックやツイッターなどの、ネットワークを活用した新しい形の革命でした。

   8月にはイギリスのロンドンで、警官による黒人射殺事件を発端として若者の暴動が発生し、暴徒による略奪や放火などが広がり、バーミンガムやリバプールなどにも騒動が飛び火しました。さらに9月にはニューヨークで、経済格差の拡大や雇用不安、金融業による経済支配に反発する若者たちの大規模なデモが起きました。「ウォール街を占拠せよ」を合言葉に、集まった参加者たちはマンハッタンにある公園にテントを設営し、発電機を持ち込み、寝袋にくるまって居座りました。このデモも、ロスアンジェルスやシカゴなど米国内の都市はもちろんのこと、アジアやヨーロッパ、オセアニアにまで広がり、世界的な反格差運動に発展しました。また破綻目前のギリシアでは、緊縮財政に反対する大規模なデモやストライキが発生し、首都アテネの都市機能を麻痺させるに至りました。

   これらの市民運動や実力行使については、さまざまな評価がありうるでしょう。
   たとえば「中東(アラブ)の春」は、アメリカがインテリ層の機関を使って仕掛けた謀略とも言われており、ロンドンの暴動の実質は人種差別を利用した単なる暴動と見るのが妥当でしょう。しかし私がここで問題にしたいのは、個々のデモや暴動の正当性についてではありません。つまり権力者たちのやり方が気に食わなければ、市民は大人しく黙ってはいないし、機会があれば行動に訴える、というのは世界ではごく一般的なことだと言いたいのです。というのも、そういった世界の動向とはまるで正反対の、日本人たちの信じがたいほどの大人しさが気になったからです。

   2011年は、日本にとっては、まず「東日本大震災の年」として記憶されることになるでしょう。この惨事のさ中に世界中を驚嘆させたのは、日本人の「モラルの高さ」でした。ライフラインが寸断され、多くの被災者がすべてに事欠く状況に置かれながらも、食料などの略奪や暴動などはほとんど起きなかったのです。もしアメリカや他の国で同様の震災は起きれば、おそらく被災地の商店からは片っ端から盗まれるはずです。また被災者たちは、ヘリで届けられた救援物資に群がることもなく、協力して避難所へ搬入したり、炊き出しの前に整然と行列をつくり、秩序正しく行動しました。さらに驚くべきことに、壊滅状態となった福島や宮城、岩手では、財布などの落し物が数多く警察に届けられたそうです。「火事場泥棒」どころか、大災害後の極限状況においても進んで他人の財布を保護しようとしたのです。これは確かに驚嘆すべき事実でしょう。

   これらのエピソードは一見すると、日本人が誇るべき美談のように見えます。
   しかし本当に、私たち日本人はこのような秩序正しい行動を誇ってもいいものでしょうか? 私にはそうは思えないのです。

   もちろん、悲惨な状況を悪用した犯罪は許されるべきではありません。
   しかしライフラインが寸断され、救援物資の到着が遅れている状況で、当面の食料を最寄りのスーパーやコンビニから取ってくる程度のことは、決して悪事ではないはずです。法律上も緊急避難として免責されるので、犯罪ともいえません。ところが被災地では、巨大なショッピングモール内に商品が放置されているすぐそばで、被災者たちが空腹を抱えて救援物資を待つという、信じられない状況が至るところで見られたのです。

   そのなかには体力のない高齢者や、粉ミルクを必要とする幼児もいたはずです。
   そのように生命が危険にさらされている状況でもなお、「お金を払わずに勝手に商品を持ってきてはいけない」という規律が優先されていた。悪質な略奪が横行しなかったのはたしかに幸いなことでした。しかし、生命よりも他人の財産権が優先されるのはさすがに行きすぎと言わざるを得ません。有事であれば当然許されるルールから外れることさえできないのは、モラルが高いのとはわけが違います。それは単におとなし過ぎるだけのことで、秩序に従順すぎるということなのです。

   一方、政府はいま復興財源に名を借りて増税に踏み切ろうとしています。
   特別会計をはじめとして、政官による税金の私物化は放置されたままです。福島第一原発事故については、対策が後手後手に回って被害が拡大したばかりでなく、原発利権を守るための悪質な情報隠しまで行なわれました。しかも事故の賠償は、東京電力の役員報酬やその他の資産売却で全額行なわれるのかと思いきや、いつのまにか税金が投入され、しかも電気料金の値上げが既定路線となりました。

   こうした権力者たちのやりたい放題に対して、日本人は立ち上がる気配がまったくありません。他の国のような、政府が対応せざるを得なくなるような大規模な動きは一度も起きていないのです。このことを考え合わせると、やはり震災に際して日本人が見せた秩序正しい行動も、素直に称賛するわけにはいきません。日本人はモラルが高いのではなく、権力者に都合よく飼い慣らされているとしか思えません。つまり単刀直入に、日本人は奴隷なのです。

   有事においても、自分の身を守る緊急行動をせず、震災で被害を受けたうえに、権力者の都合で不当な扱いをされても抗議に立ち上がることができない、日本人がここまで大人しく飼い慣らされてしまったのは、いったいなぜなのでしょうか。

   日本人を奴隷化した元凶として第一に挙げなければならないのは、儒教です。
   儒教は、孔子(前551?~前479)を開祖とする思想です。その名が示すように宗教の一種でもあるのですが、同時に倫理思想として発展してきた側面があり、「儒学」と呼ばれることもあります。開祖である孔子は、「礼」つまり規範の守られた秩序ある社会の確立を唱えました。その教えが儒教として受け継がれ、中国をはじめとする東アジア諸国はこの儒教の教えを色濃く受けており、日本も例外ではありません。東アジアにおける儒教の影響力を強調すると、「儒教だけでなく、仏教の影響が大きいはずだ」とする反論があるかもしれませんが、それは大きな誤解です。

   中国から朝鮮半島を経て日本に伝わった「仏教」なるものの正体は、実は儒教そのものです。この「仏教」は、本来の仏教とは大きく異なるものなのです。そもそも仏教は、カースト制度を生み出したバラモン教の差別思想を否定するところから始まったものです。バラモン教の差別思想は、簡単に言うと「前世で悪事をすれば賤民(せんみん)に生まれ変わる」という前世差別であり、それを社会制度に反映させたのが、「賤民の子は賤民」という先祖差別イコールカースト制度なのです。これを否定したのが釈迦で、「輪廻や前世などない。したがってカルマも業(ごう)もない」と言ったのです。また釈迦は、霊魂そのものも否定しています。さらに出家を修行の前提としていることからもわかるように、仏教はきわめて個人主義的な性格の強い宗教でもあります。

   しかし東アジアに広まった「仏教」では、先祖を崇拝し、その霊が宿るとされる位牌や仏壇を大切にする。またお盆にはご先祖様の魂が帰ってくると信じる宗教です。これが本来の仏教に近いか、それとも儒教に近いかは言うまでもないでしょう。インドから中国に伝わった仏教は、中国の儒教文化によって徹底的に変容されました。簡単に言えば、儒教の中に「仏様」という神様を潜り込ませただけであり、儒教の骨組みはまったく揺らぐことがなかったのです。こうして儒教化された「仏教」を取り入れたのが朝鮮であり、日本なのです。つまり、一般に仏教だと思われているものも含めて、東アジア圏を支配しているのは、あくまでも儒教の思想だと言えるのです。

   この儒教道徳の中核には、「仁」や「忠」といった概念が含まれますが、特に政治思想としてみた場合には、やはり「君子」による支配を理想としています。つまり一握りのエリートが主権を行使するのが正しいという考え方です。ということはその反面として、人民の主権や自由は否定されることになります。つまり民は、支配者の言うことに従順に従うべし、これが儒教の教えなのです。まさにこの儒教道徳による洗脳こそが、日本人を従順な奴隷へと飼い慣らした大いなる元凶なのです。

   いついかなるときでも、勝手な判断をせずに「お上」の決めたことに従うべし。たとえ大震災による非常時であっても、勝手にルールを破ってスーパーから食料を持ち出してはいけない。たとえ「お上」に不満があったとしても、抗議に立ち上がるなどはもってのほか。他の人と同じように、せいぜい愚痴を言うくらいにとどめて、決められた方針に従って行動し、必要とあらば増税も受け入れるべし・・・。

   大震災において見られた日本人の秩序だった行動は、こうした儒教による洗脳の賜物(たまもの)だったのです。日本人がこのような行動を取るのは、儒教思想のほかにもう一つ特殊な事情が関係しています。それは、日本が相互監視社会であることです。震災後、ろくな救援物資すらも届かない状況下にありながら、それでも被災者たちが商店の棚から勝手に食料をとってくることをためらったのはなぜか。それは直接的には、「バレたら具合が悪い」という心理であったはずです。自分の属する狭いコミュニティの中で、「盗み」を働いたことが知れ渡ったら(こうした緊急事態では犯罪にならないとしても)、非難を浴びるかもしれない。それだけでなく、この後共同体から排除されるかもしれない。そんな不安が脳裏をかすめるのは当然です。

   ましてやそれが都会ではなく、いまだに地域社会の強い結びつきが強く残っている地方であれば、「あそこの嫁はコンビニから弁当を取ってきたらしい」などという評判が立ったら致命的。以後、一族郎党が地域の笑いものとなり、有形無形の差別を受けるのは確実。つまり意識的、無意識的にかかわらず、「村八分になるのが怖い」という心理が被災者たちの動きを制約し、結果的に、「モラル」が高いと思われるような秩序正しい行動をとらせたのです。「村八分なんて時代錯誤な」と思われるかもしれませんが、日本社会には「村八分」がいまだに健在なのです。あるいはこれこそが、日本独特の「恥の文化」と言えるものかもしれません。

   たとえば会社勤めをしている人なら、社内で自分の悪評が広まることがどんなに面倒で困ることか、よくわかるはずです。あるいは子どもたちがもっとも怖れる「いじめ」は、昔も今も変わらず、仲間はずれにされることです。仲間はずれを意味する「ハブする」という若者言葉は、「村八分」の八分・ハブが語源ではありませんか。さらに言えば、インターネット上での発言が周りから集中砲火を浴びる「炎上」という現象は、まさにネットコミュニティでの「村八分」そのものです。

   従順な奴隷であることをよしとする、儒教道徳の支配下にあるという点では、日本人だけでなく他の東アジア民族(中国人、韓国人)もそれほど違いません。違うのは、日本人が「村八分」を抑止力とする、極めて高度な相互監視社会を発達させたことです。つまり儒教道徳を盲目的に守らせ、実際に奴隷を作り出すシステムが強力に発達し、それがいまだに機能し続けているのです。同じ儒教文化圏にありながら、日本人がより従順な奴隷になってしまった理由は、そこにあります。そのために常に「他人の目」を気にして自分の行動を抑制し、本来ならば許される行為にまで自己規制するのです。

   こうした日本社会の特殊な構造は、過去にもさまざまなかたちで問題提起されてきました。それがルース・ベネディクトによる『菊と刀』という著書の中で使われた「恥の文化」という表現でした。端的に言えば、個人の行動基準が、「他人に知られたら恥ずかしいかどうか」に依存しているということです。


             book 「日本」を捨てよ 苫米地英人著 PHP新書

                        抜粋したもの

この世に読まねばならない空気なんか、ない!

   この世に差別があるということを学んだのは、1970年代のころで私がまだ中学生だった頃のことでした。当時、私はアメリカのボストン郊外に家族と住んでいました。その頃、ボストン交響楽団の指揮者に小沢征爾氏が就任したばかりで、毎年夏になると親に連れられて、ボストン郊外のタングルウッドという田舎町に演奏を聴きに、泊りがけでいったものでした。その年の夏も家族で出かけたのですが、あるホテルに泊まろうと入ったところ、宿泊を断られました。そこで別のホテルに行ったところ、それまで「空室」の表示が出ていたのに、私たちの顔を見たとたん「満室」に切り替えられてしまったのです。

   ボストンは、リベラルな雰囲気に溢れたハーバード大学がある土地でありながら、ちょっと田舎に行くと、アメリカでももっとも保守的な地域でもあるのです。私たちはおそらく、黄色人種であることから差別されたようでした。私はそのとき初めて、差別という概念がこの世にあることを学びました。その経験がなければ、差別は自分には関係のない対岸の火事ではなく、実際にわが身に降りかかるものであることに、実感が持てなかっただろうと思います。

   差別という行為は、他人と自分は違う存在とみなして排斥することです。
   「自分と同一でないものを排除する」のは、人間の本質ではなく動物の本性です。野生の動物たちは自分たちの身を守るために、仲間同士で身を寄せ合って生活するようになりました。天敵に一人で立ち向かうよりも、集団で戦ったほうが種として生き残れる可能性が高くなるからです。こうした進化は、動物たちが周りの環境に合わせることで身につけていった「最適化」の結果です。ですから動物の進化の頂点にいる人間が、空間を共有して「最適化」する動物であるのは当然のことなのです。

   しかし人間を人間たらしめているのは、その物理的な空間に縛られずに、精神世界において自由であり、物理的な空間を超越した抽象空間で自分以外の他者の利益に対しても意義を認めることができるのが、人間が動物たちとは違うところです。つまり他人から強制されてではなく、自ら進んで「他者のために尽くす」ことこそが、人間の本性なのです。しかしこのような考えは、支配する側がもっとも嫌うことなのです。

   人を支配する立場にいる人たちは、自分たちが支配者として君臨していられるシステムの頂点にいることを望んでいます。そのために彼らは、競争や格差や欲望を煽り、人を差別したり競争して蹴落としたりする弱肉強食の世界こそが、自由で正しいという価値感を人々に植え付けようとするのです。差別という感情はこうして生み出されます。人類の歴史においても多くの地域に存在した身分制度が目的としたのは、まさに人々を支配するための差別のシステムであったのです。そして戦後、支配者たちは人間の精神を支配するために、このシステムをもっと広げ、より強固にすることをもくろんでいます。それが、テレビを初めとしたメディアであるのです。

「空気を読め」は差別のシステム
   
非常に不思議なことですが、日本の公立中学校や高校では、いまだに決まった制服を着用し、髪の毛の長さまで学校が管理している場合が少なくありません。そもそも学校の制服の始まりは、裕福な家庭の子供と貧しい家庭の子供とで見た目に差がつくことで、いじめが起こることのないように導入されたといわれています。しかし今では、ユニクロをはじめ、安くて質のよい量販店があるにもかかわらず、そこに選択の自由はなく、一律、わずか3年間のためだけに高価な制服を買わねばならない状況のようです。

   また髪型の管理などについても、教育勅語で育った戦前生まれの校長先生がいる学校でそれをやっているのなら、まだわからなくもないのですが、若い先生たちの中にも、そのような画一的な管理型教育に疑問を抱くことなく指導している人がいるというのですから、驚いてしまいます。最近の日本人が「空気を読め」と他人に強要するようになった背景には、そうした教育制度のもたらすより悪質な弊害があるのではないか。

   こうした教育を幼いときから受けて育った子どもは、「大人の作った画一的な価値こそが正しい」との考え方に洗脳されて育ちます。そして常に他人に合わせることこそが大事で、いつも人を気にして生きるようになり、他人の振る舞いから外れないようにすることで、自分という自主性を持つことができなくなってしまうのです。そしてしまいには空気を読めない人間を、「KY」として排除し、自分たちと同じように振舞わない人たちを差別する。こうした「差別システム」を受け入れて喜んでいるのです。

   一つの集団にはそれにふさわしい空気がある、と思うこと自体が洗脳の結果にほかなりません。このように個人ではなく、グループ主体の考え方そのものがすでに全体主義を指向しており、これを解くには、日本の教育システムそのものを変えないといけません。本来この世界に、読まなければならない空気なんかないのです。

服装で判決が変わる日本の裁判
   
顧問を依頼している某法律事務所を訪れたときのこと。
   ここは企業法務などで知られる、日本で最大手の一つに数えられる法律事務所です。この日の用件は、私が巻き込まれていたある民事訴訟の準備のためで、証人尋問に備えて「リハーサル」をするために訪れたのでした。この法律事務所には模擬法廷が備えられており、そこでのリハーサルは実にリアリティのあるもので、かなり興味深いものでした。しかし私が本当に驚いたのは、リハーサルが行なわれたあと、担当の弁護士が私にした注意でした。彼は私の服装を見て、こう言ったのです。

   「苫米地さん、当日その格好はやめてください。
   そういうラフな格好だと裁判官の心証が悪くなります。尋問当日は、スーツかブレザーにしてください。それも地味な学者らしいコーディネートでね」

   その日私はいつものように,髪を後ろで結んでTシャツにレザーのパンツという出で立ちでした。さらに腰につけているチェーンを見咎め、「腰のジャラジャラは、特にまずいので絶対にやめてください」とも言うのです。私は不思議に思って、

   「ちょっと待ってください。ということは、服装によって裁判の結果が変わるのですか?」と尋ねた。すると弁護士は平然と、「そのとおりです」と答えたのです。

   ベテランの弁護士に言わせると、民事訴訟ではきちんとした服装をしている当事者の主張が通りやすいというのです。また刑事訴訟では、被告人にはわざとみすぼらしい服を着せるのが常識だという。反省の態度と同情を誘って、少しでも有利な判決を勝ち取るのが狙いらしい。

   この話を聞いて、私は驚いてしまいました。
   もしかするとこれを読んでいる人のなかには、「裁判官も人の子。服装や態度で心証が変わるのは常識だろう」と考える人がいるかもしれない。しかし、ちょっと待ってください。その「常識」はちょっとおかしくないですか? 少なくとも、憲法の番人であるはずの裁判官には許されない態度だとは思わないでしょうか? なぜなら服装によって裁判の結果が変わるというのは、人を身なりで差別することだからです。つまり、すべての国民は法の下に平等であると定めた憲法第14条に明らかに違反しているではありませんか。

   そればかりではありません。
   日本の司法制度では、こうした憲法違反の判断を助長するような制度がわざわざ用意されています。それが、刑事事件における「情状酌量」です。それは被告人の性格や年齢、経歴、境遇、動機・・・などを考慮して刑を軽くすることで、刑法66条に明文化された、れっきとした制度です。つまり同じように殺人を犯したとしても、年齢や境遇を考慮して刑に差をつけていいということです。

   まして被告人の性格や、犯罪後の態度などという、あいまいなものまで考慮に入れていいのであれば、裁判官はいくらでも恣意的な差別をすることが可能になる。極端にいえば、「こいつの態度は気に入らないから実刑」「かわいげのある被告人だから執行猶予」、といった差別が許されることになってしまいます。

   そんな馬鹿な、と思われるかもしれませんが、実際に、こうした差別は存在しているようです。そのわかりやすい例が、かのライブドア事件でしょう。この事件で堀江貴文氏が行なったとされる粉飾決算の総額は53億円ほど。それが事実だとしても、これまでの判例から見て、実刑が相当とはとてもいえません。なぜなら1000億円単位の粉飾決算で裁判となった山一證券や、日本再建信用銀行の事件でも、当事者には最終的に実刑判決は下されていないのです。

   ではなぜ堀江氏は、実刑判決を受けたのか。
   それは彼が、検察や裁判官に対して従順な態度を示さず、徹底抗戦の構えをとったために、裁判官の心証を損ねたからです。さらに付け加えれば、堀江氏の件に限らず、一般に日本の刑事訴訟では、罪を否認したこと自体が「反省していない」というマイナスの情状と評価され、刑が重くなる傾向が見られるからです。あらためて言うまでもなく、被告人が刑事訴訟で自分の無罪を訴えるのは当然の権利です。それを行使したがために不利に扱われるなど、あってはならないことです。それは裁判の公正さが根底から疑われることになるのです。


   そこでアメリカなどでは、被告人が不利にならないように、「有罪か、無罪か」を判断する裁判と、量刑を判断する裁判を分けるといった工夫がなされています。これならいくら否認しても、それが量刑に影響したりしないため、被告側は安心して徹底抗戦できます。しかし今のところ日本では、こうした制度が導入される動きはありません。このような不公正を許す情状酌量を認め、さらに制度化までしているのは先進国では日本だけです。アメリカやヨーロッパには日本的な意味での情状酌量はありません。

   そのような裁判に、素人の一般市民の陪審員を参加させると、かえって恣意的な判断を加速させてしまうのです。裁判員に選ばれる一般市民は、専門的な事実認定の訓練を受けていないので、いわば「情状酌量」の部分でだけ判断してしまうのです。その結果、それまでよりも裁判が不公正になる恐れがありますす。「情状酌量制度」+「裁判員制度」は、裁判をますます見た目で判断するシステムへと劣化させていくとしか思えません。


          book 「テレビは見てはいけない」 苫米地英人著 PHP新書
          book 「日本」を捨てよ         苫米地英人著 PHP新書

                        抜粋したもの

                       

アスペルガーの人たちの豊かな脳内世界

   たとえば、どんな女性が「美人」であるかは、時代によって大きく変わります。
   現代はテレビによく出る売れっ子のアイドルや女優が美人の基準とされるようですが、平安時代の日本では、うりざね顔の女性が美人と思われていただろうし、江戸時代であれば浮世絵に描かれたお歯黒をした女性が美人であったでしょう。今テレビでもてはやされるような、目がパッチリで顔が小さく、真っ白い歯の女性タレントを江戸時代の人が見たら、「なんてへんな顔なんだ」と思ったに違いありません。

   私たちが美人だと思う感覚もまた、その時々のメディアによって刷り込まれているわけで、いかにメディアの影響が大きいかは言うまでもありません。そもそも人間は自分を取り巻く世界を「情報」として認識します。そして実際に、人や事物に向き合っているときにも、必ずそれらを情報として解釈しています。たとえば好きな人のことを思い浮かべて、「あの人はいま、どういう気持ちでいるんだろう」と考えているときにも、脳裏に浮かんでいる相手は、過去の自分の目に映った映像に基づく情報でしかありません。そして重要なことは、「その映像も、テレビ画面を通して見た情報と何ら変わらない」ということなのです。

   今、目の前に見えているものとは、物体に当って反射した光の信号を、視神経が電流に換えて大脳に送り、それが大脳の前頭前野で情報処理されて、さらに海馬が保存していた記憶と照らし合わせる、という一連のプロセスをたどって初めて認識するわけです。つまり、すべては脳による情報処理の結果なのです。ですから脳にとってみれば、情報という点においては、物理的に目の前にあるものも、地球の裏側にあるものの映像であれ、何の違いも存在しません。そこに違いがあるとすれば、それは臨場感の強さの差だけなのです。

   目の前のものが臨場感が高いと感じるのは、映像よりも眼球で見たほうが解像度が高く、音や匂いや、空気の流れなどの情報を、よりリアルに得ることができるからです。いまのところ肉眼よりも臨場感を感じるメディアは発明されてはいませんが、100年後にはわかりません。人間の目の解像度は、実はそれほど高くない。おそらくデジタルカメラの画素数でいえば、3000万画素くらいのものだと推測されます。今後技術が発展すれば、脳に高性能のカメラを直結して映像信号を流したほうが、実際に目でみるよりもはるかに解像度が上がる可能性があります。

   人間が臨場感を高く感じるための要素は、大きく三つあります。
   一つ目は「プレゼンス感」、つまり「存在感」です。それはいかに現実にそこに存在しているように感じるかということで、その度合いが強ければ強いほど臨場感は高くなります。今のところは目の前にある現実世界ほど高い存在感を生み出す映像機器はありませんが、今後はその限りではないと考えられます。二つ目は、「知的整合性」です。つまり自分が現実世界で獲得した物理的現実感や記憶、知識に整合する空間でなければなりません。放り投げたリンゴが空中で静止するような空間を、現実的な臨場感として感じることはできません。三つ目が、「操作参加性」です。つまり自分が働きかけて影響を与えることのできる、現実性のある臨場感のことです。

   ですから人間の脳は、物理的に目の前にあるかどうかは無関係に、どれだけ今上げた臨場感があるかどうかが、自分にとってのリアルな存在となるのです。たとえば映画を見ている最中で言えば、始まる前は薄暗いざわざわした空間で他の人々と一緒に腰掛けています。目の前には人の後頭部が見え、非常口の緑色の灯りが見え、ポップコーンを食べている人の音が隣から聞こえてくる。しかしいったん映画が始まると、それらのことは気にならなくなり、現実世界の臨場感は低くなり、映画の世界に没頭し始めます。そしてある瞬間から、周りのものは一切見えなくなり、映画の世界にのめり込んでいる状態に移ります。そのときのあなたは、現実の物理的空間よりも情報空間のほうにより高い臨場感を感じているのです。映画の主人公がモンスターから逃げ惑っていれば、あなたも緊張して脈拍が早くなり、手に汗をかく。あるいは戦闘機があなたを目がけて飛んでくれば、思わず体を傾けて避けようと反応してしまう。

   私たちの世界はすでに、テレビやゲームといった映像メディアの登場により、現代人の世界認識は昔の人と大きく変わっています。家にひきこもって恋愛もののシミュレーションゲームばかりやっている男の子にとっては、恋愛ゲームに出てくる女性が恋愛の対象であり、コミュニケーションの対象になるのです。アニメオタクであれば、アニメの女の子を自分の彼女と想定することに何の違和感もないのです。それを不健全であるとか、おかしいと非難しても、それはもはや無意味なのです。つまり人間は、物理的な存在ではない情報的な存在に対しても、臨場感を感じることができるように進化しているからです。

   1990年ごろまでは、「ワープロで作った書類では心が伝わらない」などと言っている人がたくさんいました。そしてインターネットが登場して間もない時代には、「メールでは微細な情感が伝えられない。人の筆跡が残る手紙にはかなわない。だからメールはコミュニケーションのツールとしては欠陥がある」といった意見も少なくなかったようです。それがわずか十数年で、今そのようなことを口にする人はあまりいません。電子メールが使えないビジネスマンはそれだけで落ちこぼれと見なされ、携帯メールでのコミュニケーションが絵文字や顔文字などの進化によって、手書きと同じ、あるいはそれ以上に感情の細かいニュアンスを伝えられるようになっています。

   情報空間をめぐる社会とは、わずかな時間で大きく変貌するものなのです。
   私が新入社員のころは、いわゆる「飲みニケーション」がよく言われており、会社の上司や取引先と連れ立って飲み屋へ行き、酒を通じて仲良くなることでビジネスの関係を作っていました。それはごく一般的でしたが、今ではそのような行為を強制する会社は少なくなっています。少し前の大手の証券会社や広告会社の営業部では、仕事を取るために年間何億円もの接待費を使っていたそうですが、今やそんな会社はほとんどなくなりました、外資系のグローバル企業ともなれば、「飲みニケーション」の文化そのものがありません。時代とともに、コミュニケーションのありようも変化しているのです。

アスペルガーの人たちの豊かな脳内空間
   
私は長年にわたってプログラム開発の会社を経営してきましたが、その間これまで雇ってきたプログラマーたちの中には、精神科医から見れば「アスペルガー症候群」(高機能自閉症)と言われるような人々が大勢いました。そのような人たちは、隣で座っている人とも直接会話せずに、メールでやり取りしてコミュニケーションをすませる。そんな人たちばかりなので、私の会社では忘年会も新年会も行いませんでした。「みんなで酒を飲むより、プログラムを書いていたほうが楽しい」と考える人たちなので、親睦を深めようとするモチベーションがまるでなかったのです。

   私自身が採用した人たちの中でも、プログラミングの知識と技術が天才的に優れている人ほど、そのような傾向が強かったように思います。私のアメリカ人の友人が経営するITの会社でも、それに輪をかけたような人ばかり集まっていると聞きます。米軍のシステムを委託されるほど優れた技術を持つ会社なので、超のつく優秀なプロブラマーが全米各地から集まっているのですが、そのほとんどの人たちがアスペルガー的な傾向を持っているそうです。そのように特徴的な社員を抱えている会社では、大事なプロジェクトに関わっていた社員が心を病んで自殺してしまったケースが少なくないそうで、社員のメンタルヘルスのために精神科医を常駐させています。

   私の会社での取引先でも、担当者が自殺してしまい困ったことがありました。
   しかしIT業界の最先端では、たとえそうしたリスクがあっても、あえてアスペルガー的な人材を採用することがあるのです。なぜかといえば、プログラミングという作業は、自分の脳内に巨大な情報空間を構築し、それを整合的に維持していないと不可能な仕事だからです。何十万という膨大なプログラムを書き、一つの目的に沿って動くシステムを作り上げる。それができる人は、自分の内側の世界が外側の物理的空間よりもはるかに巨大で、はるかに豊かであり、その臨場感を楽しめる人たちなのです。

   アスペルガーといえば、「外の世界から自分を防衛するために、自分の世界にこもってしまう」というイメージがありました。しかし現代では、逃げるというよりは、あくまでも積極的に自分の内部世界を愉しむことが仕事においても、私生活においても求められています。内部にある巨大な情報空間に対しての臨場感が高いアスペルガー傾向の人たちは、当然、外部世界に対して重要度を感じないわけです。歴史上の人物でも典型的アスペルガーとされるのは、アインシュタインやエディソンなどが有名ですが、中国の高僧で禅宗の開祖として知られる達磨大師もそうだったと推測できます。達磨大師は瞑想に没頭するあまり、自分の足が腐ったことにさえ気づかなかったという伝説があります。それくらい自己の内部にある、瞑想空間の巨大な臨場感に没頭できたということは、ものすごく高度な技術だといえます。

   私は昔、ソール・クリプキという有名な哲学者とアメリカの学界で一緒になったことがあります。クリプキは13歳のときに、哲学界に影響を与える論文を書いたことでしられる大天才です。あるとき私がコロンビア大学の教室にいた時、クリプキが右側の入り口から入って来た。私はクリプキ先生に声をかけて何か質問しようと機会を窺っていたのですが、彼はすぐそばにいる私にはまったく気づかず、何かぶつぶつつぶやきながら反対側のドアから出て行ってしまいました。きっと彼の頭の中はその時、何か巨大な空間が広がっていて、周りのことなどどうでもいい状態だったのでしょう。スティーブ・ジョブスも幼いときから周囲のことが目に入らず、トラブルメーカーとして知られていました。天才と呼ばれる人には、このように脳内世界に生きているタイプが多いものです。

   オタク的、アスペルガー的な人々が増えることに対しては、批判があったり、危険性を訴える考えがあります。人間が抽象的な脳内空間で臨場感を高めることができるようになったことが、弊害の一つかもしれませんが、最近の犯罪者の中に、「ファンタジーの世界に行きたかった」という理由で殺人をする人がいるのは事実です。ヴァーチャルな臨場感空間が高まっても、絶対にやってはいけない現実世界でのルールは押さえておかなければならない。いうまでもなく、殺人はその最たるものです。誤解を怖れずに言えば、殺人以外であれば大抵のことはやっても構わないと私は思います。ただしそれには重要な条件があります。つまり「自己責任で」ということです。子供に話すときには、徹底的にそのことを教えます。

   学校に行かずとも、会社に行かなくても、それは自己責任の範疇です。
   その限りにおいて、私たちが「want to」やりたいと思ってできることは、この世界にいくらでもあるのです。


      book 「テレビは見てはいけない(脱・奴隷の生き方)」 苫米地英人著 PHP

                        抜粋したもの

人間は本来自分のやりたいことをして生きるもの

   「当たり前」と思われていることが、実は何の根拠もない「洗脳」の結果であることがよくあります。フランス料理の店に行くと、まるで宮廷にいるかのように銀の食器が並んでいる光景を目にします。フォークとナイフは外側から順番に使うといった、西洋的な食事のマナーに従うのが当然と思えてくる雰囲気が漂います。フランス料理の食べ方を自ら愉しむためにそのやり方を選んでいるのであれば、そこに「支配の論理」は隠れてはいません。しかし実際には、自分に慣れた箸で食べたほうが使い勝手もよく、おいしく食べられるのに、そんなことはつゆほども考えず、「郷に入れば郷に従え」を思考停止のまま実践してしまう。これこそが「奴隷の思想」なのです。

   イギリスのエリザベス女王がかつて、ある小国の王様を宮廷に招いた時に、その王様が、手を洗うために置かれていたフィンガーボウルの水を、それとは知らずに飲んでしまったことがありました。それを見たエリザベス女王は、恥をかかせないために自分もフィンガーボウルの水を飲んだといいます。これこそが本物のマナーです。マナーとは相手に配慮することなのです。本来ならば、フランス料理を日本に持ってきた人々が日本人に配慮して、最初から箸を使って食べてもらえばよかったのですが、彼らにとってはそんなことよりも、フランスの宮廷文化を世界に広めることのほうが大切だったのでしょう。ともかく、フランス料理をナイフとフォークで食べるのは、マナーでも当たり前のことでも何でもありません。

   また、日本のワインブームにも似たような奇妙さを感じます。
   一部の日本人がフランスの高級ワインを「うまい、うまい」といって、何万円も払って喜んで飲んでいますが、それもおかしな話です。フランスに行ってみるとよくわかりますが、向こうの一般家庭で飲むワインは、牛乳の紙パックのような容器で売られています。カフェでもその紙パックのワインを出していて、大抵のフランス人はそれを飲んでいます。値段でいえば日本円にして1リットル500円くらいなものです。日本の高級レストランで出るボルドーの何年もののような7、8万円もするワインは、一部の王侯貴族だけのものなのです。

   日本人は、高級なものこそフランスワインで、それを飲むのがステータスのように思い込んでいるのでしょう。そうかもしれませんが、本場のフランス人にしてみれば、日本の一般庶民が、お祭り用のワインである「ボジョレー・ヌヴォー」を毎年ありがたがって飲んでいるのを見て、「味もわからない極東のアジア人が、自分たちの文化であるワインを勘違いして飲んでいる」と嗤っているかもしれません。

   国会議員や上場企業の社長に面会する時でも、私はいつも皮のパンツと皮ジャンを着ていきます。先方はほとんどネクタイを締めていますが気にしません。マナーに関する本を読むまでもなく、公的な場で初対面の人と会うときは、ネクタイを締めて背広を着ていくのがルールだと暗黙のうちに染み付いていることでしょう。しかし初対面の人と会うときに気をつけるべきなのは、人と人との心地よい関係を作ることです。マナーはそのための方法論として生まれてきたに過ぎません。つまりマナーは処世術なのです。極論すれば、人間関係が良好になるのであれば、マナーなんて実際はどうでもよいのです。たんなる処世術が、人の行動を必要以上に縛り、そのうえフィロソフィ(哲学)のようにまでなっているのは本末転倒です。

   ルールとマナーは根本的に違います。
   ルールとは、それに違反するとお互いが被害を被ることになるので、話し合いによって事前に枠組みを決めておきましょうと、民主的に作られるものです。その代表が法律です。しかしマナーは、誰からも強要されることのない自主規制でするものです。マナーにやたらとうるさい人がいますが、そのような人は他人を「差別」するために、マナーをその道具として用いていないでしょうか。「あんな食べ方は品がない」「あんな格好は非常識だ」などと、自分の価値感を他人に押し付けて批判し、見下すための材料に使われてはいないでしょうか。

   私自身は人に会うからといって、ネクタイを締めたことなどありません。
   何の悪意もありませんから、結局「そういう人なんですね」ですんでしまうし、むしろほとんどの人と親しい関係を築くことができています。皆さんもそうすればいいと思うのですが、すると「それは苫米地さんのような立場だからできるけど、サラリーマンはそういうわけにはいかないんですよ」と自嘲気味に言われてしまいます。けれども私には、その根拠がまったくわかりません。

   ネクタイはもともと防寒具が起源であるとする説があり、それが時を経てイギリス紳士の正装となったわけですが、今日本のビジネスマンに「なぜネクタイを締めるのですか」と尋ねて、「「寒さを防ぐため」とか「紳士の身だしなみだから」と答える人はいないでしょう。「ビジネス社会ではネクタイを締めるのが当然だから」、というのが大方の答えと思います。もう少し突っ込んだ意地悪な言い方をすれば、「上司や社長や同僚が、私がネクタイを締めるのを期待しているから」ということです。しかし当の上司にしてみても、心の底ではネクタイなんかやめたいと思っているかもしれないのです。

   皆そうした上司の期待に応えることで、初めて出世したり給料が上がるものだと、誰もが当然のように信じていますが、そのような思い込みによって、自分に真に重要なものをたくさん失っている可能性があるのです。脳科学的に言えば、ネクタイはまさしくスコトーマ(心理的盲点・思い込み)の象徴に他なりません。ネクタイを締めずに会社に行くことで、別の可能性があるかもしれないのに、それをみすみす放棄しているのです。つまり本来あるべき自分ではなく、もう一人別の自分を仮想化して作り出し、それに本来の自分自身を無理やり合わせているのです。

   他人に信頼されるための条件は、何よりも「本音で生きること」だと私は思っています。
   裏表のない、カッコつけない生き方が一番信頼されます。多くの人々はそれがわかっているはずなのに、なぜか世間体や体裁を気にしてしまう。私はよく「なぜそんなに好き勝手に自由に生きていられるのですか」と驚かれます。しかし私と仕事をともにしてくれる人たちは、私が自由気ままに生きているからこそ信頼してくれるのだと思う。誰かが作ったマナーを後生大事に身につけ、品格とたてまえと格好に気を使い、うわべだけの人間関係を維持するためにあくせくする。それは互いに生身の人間として尊重し合うことのない、本音の抜けた付き合いに過ぎません。

   人間は基本的に、自分の好む格好をすればいいのです。
   心からネクタイが好きな人は仮に誰もしなくてもすればいいし、本当に自分が欲しているものを探したければ、まずはネクタイを外してみてはどうでしょうか。多くの場合、自分の欲するものがわからなくなっているので、ためしに1週間、他人に迷惑を掛けない範囲で自分のやりたいように好き勝手に生きてみるといいと思います。自分本来の心地よい服装が見つかれば、表情も心の状態も変わっていくもので、それだけでなく、周囲の目もポジティブに変化するはずです。

   私の考えを若い人々に伝えると、「have to」(しなければならない)ではなく「want to」(やりたい)で生きたいけれど、経済的に不可能ではないか、としばしば反応を返されますが、その考えも間違っています。そのような人が気にしているのは、やりたいことをやることで仕事を失ってしまい、欲しいものが手に入らなくなるかもしれないという恐怖なのでしょう。

   では聞きますが、その「欲しいもの」とは、本当にあなた自身が欲しいと感じているものなのでしょうか? それはブランド、マイホーム、それともお金・・・? それらはテレビやメディアによる情報によって、「欲しい」と思わされているだけなのではありませんか?

   自分が欲しいと思っているものも、実は「want 欲しい」ではなく、「手に入れなければならない」と他人から洗脳された「have to」の結果であることが非常に多いのです。実は人間が本当に欲しいものは、お金では決して手に入らないものなのです。愛情や信頼、尊敬、心の安らぎ、喜びといったものは、どれだけお金を持っていたとしても決して手に入れることができないのです。

   「やりたいことをやっていては経済的に成り立たない」との考えが、少しでも頭の隅に生じたら、すぐに、「そう思う自分は洗脳されている」と認識したほうがいい。そしてもう一つ若い人に伝えたいのは、「やりたいことをやっていても絶対に生きていける」ということです。



      book 「テレビを見てはいけない(脱・奴隷の生き方)」 苫米地英人著 PHP

                         抜粋したもの

   

考えることなく従っていると「奴隷」になる

自由だと不安になる日本人
   日本人は昔から、自分を束縛してくれる教えを好む傾向があります。
   私の言葉で言えば、それは「奴隷の思想」なのですが、歴史的にもずっと日本人は「お上(かみ)のいうことを聞くのをよしとしてきたので、民族的にも「奴隷の思想」が骨肉化しているのかもしれません。自分を束縛するという考え方は、たとえば「受験戦争」もまさにその一つです。受験勉強に代表されるように、多くの人々が子供の頃からいつも目標を与えられ、何かをやっていないと不安にさいなまれるように育てられています。

   私はかつて、慶応義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)が設立されたときに、クラスを手伝っていたことがあります。そのとき高校を出たばかりの大学生がみな、自分のスケジュール帳をしっかり持っていることに驚きました。しかもそこには、びっしりと朝から晩まで予定が書き込まれていたのです。授業はもちろんのこと、夜の飲み会や遊びの予定などが、1ヶ月先まで文字で埋め尽くされていました。彼らと話してみると、「スケジュール帳がいっぱいになっていないと不安だ」というのです。つまり自分のスケジュールが予定で満タンであることが、日々を有意義に過ごしているという判断の基準になっているのです。その予定が合コンであろうと何であろうと問題ではありません。スケジュールの中身はどうでもいいのです。

   私たちのような科学者は逆に、スケジュールがすっからかんであればあるほど嬉しく感じます。なぜなら予定の入っている時間は、科学者にとっては生産性のある時間とは言えないからです。学者はあくまで研究することが生産活動になります。学問というのは、すっからかんの時間がないとできないもので、誰にも会わずに考えているのが学問です。ですから世界中の学者がそのように生きているはずです。ところが学生たちは違いました。誰かに会ったり、どこかに行ったり、予定でスケジュールがいっぱいだと「生産的に過ごしている」気分になれるというのです。その時私は、「これが日本の受験生の姿なんだ」と感じました。

   日本国内に限れば、目標を定めて受験勉強をするのはそんなに大変なことではない。
   勉強したい分野が明確なのであれば、それが学べればいいのですから、本質的には大学の名前自体は東大でも早稲田でもどこでもいいのです。どれか一つの大学を目指して、合格に必要な知識を身につけるくらいの勉強量はたかが知れています。それなのに試験ともなると、無限に点を取らなければならないかのように、朝から晩まで勉強のスケジュールをびっしり入れてしまう。子供たちは可能な限り、一つでも偏差値が上のランクの学校に行かなければならないと、朝から晩まで受験勉強をしなければ問題であるかのように追い込まれている。

   上を目指すこと自体はよいことです。
   問題は、子供の頃から自分の行動を何らかの価値に合わせて徹底的に束縛するのがいいことで、そうでないと不安になるような教育を彼らが受け続けていることです。それはまさに、「奴隷の思想」です。朝から晩まで働くのが当然で、ぶらぶらしている人間は非難されるべき人間であるといった価値感に、洗脳されてしまっているのと同じです。

お受験ママの「洗脳教育」
   たまに近所のホテルのカフェにランチに行くと、私立小学校の制服を着た子供とそのお母さんをよく見かけます。会話に耳を傾けると、「00の私立ではこうなのよ」「同級生には俳優の誰それのお子さんがいて」といった会話が聞こえてきます。そのようなスノビッシュな(教養・知識を鼻にかけた)グループの中で共有されている価値に浸ることで、自己実現したかのような満足感を得ているのだと思われます。そんな彼女たちも家に帰れば旦那はサラリーマンで、リストラの危険に怯えているかもしれないのですが。よい小学校に入るために4、5歳の頃から塾へ通って習い事をする。どこか異常なことだとは思わないのでしょうか。「よい学校へ入れないと一生を棒に振るかもしれない」との不安が母親の心を覆っているのです。

   「お隣は毎日塾に行っているのに、うちは週一回で大丈夫かしら」といつも不安を抱えている。それで幼稚園や小学校の頃から、朝から晩までびっしりと、お稽古事や塾で子供の時間を埋めていきます。しかも「名門サッカークラブに入れよう」、「有名なピアノの先生に習わせよう」といった具合に、常に外部からくる情報の評価軸に従う生き方を続けるのです。そうした環境で育った子供が大人になったら、果たしてどうなるでしょうか。

   ほとんどの人が「行動を束縛してくれるのが嬉しくて仕方がない」状態になります。
   他人から「あれをしろ」「これをしろ」「これはするな」と、決まったルールを課せられるほうが安心で、居心地がよいと感じるようになってしまうのです。それこそが、「奴隷化」だと私は考えます。24時間、他人から「このルールに従って生きなさい」と命じられ、その通りに生きることは、奴隷以外の何物でもありません。母親たちは気づかないうちに、自分の子どもを奴隷状態でいることに満足するように「洗脳」しているのです。

マナー教育は正義の名を借りた「奴隷化」
   近年、ある女子大の学長さんが女性向けに「生き方を指南する」本を書いて、お受験ママたちが娘にぜひ読ませたいと、大変な評判になりました。その内容は、「お礼状は早めに出しましょう」とか、「挨拶はこうしましょう」といった、「女性はこうあるべきだ」というマナーを教えて諭すものです。アメリカにも女性にマナーを教えるスクールがありますが、かつて女性向けに、「男性からの1回目の誘いは必ず断ること」といった、デートのマニュアルを書いた本がありましたがそれも同じです。いずれも行動の規範を細かく伝授してくれるので、読むと安心するのです。その通りに行動することで、自分が正しいと思えるからです。

   それはある決まった価値感に、人よりも早くしっかりと適応しなければならないということなのです。そこには、差別思想を含んだ儒教的な思想が残っているように思います。儒教といえば「長幼の序」や「親を敬う」といった教えで知られていますが、その根本には、皇帝を頂点とした、人民を順位付けして区別する考え方があります。中国では昔から、儒教を利用した支配の倫理により政治が行なわれてきました。日本においても、士農工商という身分制度が江戸時代を通じて長く敷かれたし、それを打破したはずの明治政府も、華族という制度を残して支配のシステムを作り上げました。つまり儒教とはひと言で言えば、「支配者にとって都合の良い奴隷をつくるための教え」なのです。

   でもたいていの人は、「そういう一面もあるかもしれないね」と思うくらいでしょう。
   「でも年長者を敬うのはいいことなんじゃないの?」と受け取る人が多いのではないかと思います。しかし実際には、「上位者に従うことがもっとも優れた態度である、そうでなければ幸せな人生を送れない」という、正義の名を借りた強制のシステムがそこに働いているのは事実です。その根底に流れる「支配の倫理」は、これからの世界には必要のない考え方だと私は思います。

   長男のほうが妹よりも重要であるという儒教は、大げさにいえば日本国憲法の理念にも反しており、その点で21世紀には必要のない差別思想に他なりません。結局のところ、女は良妻賢母になることがもっとも素晴らしい生き方である、といった価値感が押し付けられているのです。著者は意図していないかもしれませんが、これも一つの「洗脳」といえます。

   また「自分が愛されることよりも他人を愛せ」という考え方はとても素晴らしい。
   しかしそれも、自分よりも上位にある者からそのように強制された場合、それは「自分に服従せよ」という意味になります。家庭に入って夫と子供を愛するというのも、本当に自分が望み欲する生活であればいいですが、他人から強制されるものではありません。ですからまず、何か他人から「こうしたほうがいい」と言われたら、それが本当に自分のしたいことなのかどうかを考えてみるべきです。それをせずに盲目的に受け入れていると、知らず知らずのうちに奴隷状態に置かれる危険性があります。

   さらに問題なのは、そうした考えない奴隷状態がむしろ楽になってしまうことです。
   本当は辛い毎日なのに、それがコンフォートゾーン(快適環境)として定着してしまい、抜け出せなくなっている人の姿は、朝の通勤電車に乗ればいたるところで目にすることができるはずです。生きる上での大前提として、コンフォートゾーンは他人に選ばせるのではなく、自分で選ぶことです。常にそのことを念頭に置いておくと、人生が少しずつ自分のものになっていきます。


      book 「テレビは見てはいけない(脱・奴隷の生き方)」 苫米地英人著 PHP

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進歩するとはこれまでの「快適環境」を変えること

   人間の情報処理能力は非常に限られています。
   見える光の周波数も、聞こえる音の周波数も、ものすごく小さいのです。壁の向こう側も透視することはできず、我々が認識可能なのは、限定された空間だけなのです。そうした物理的な面における認識の狭さもありますが、もっと大きな問題とは、私たちの認識は「すでに知っているもの」しか見たり、認識したりできないということです。つまり、知らないものは見えないのです。しかも知っているものでも、そのときのリアルタイムで重要性の高いものしか目に入らないようになっているのです。

   心理学用語に「スコトーマ」という概念があります。
   これは「心理的盲点」という意味です。具体的な例で説明しますと、車の好きな男の子が、街中で走っている車を見かけ、「あれはトヨタの00だ」「これはベンツの××だ」と、メーカーや車種や、場合によっては排気量や性能、エンジン音などの違いまで知っていて、区別できます。しかし車にまったく興味のない女の子にとっては、それらはすべてただの車です。乗用車とタクシーくらいの違いは見分けられるかもしれませんが、それ以外は彼女にとってはほとんど同じものです。つまり、その男の子と女の子とでは、同じ車を見ていながら全然違うものが見えている、あるいは見えていないのです。それは二人にとっての車に対する「重要度」が異なるからです。

   こうした例は車に限らず、例えば先に話したように、年収300万が自分のコンフォートゾーン(快適環境)にある人にとっては、年収600万の稼ぎ方や使い方が見えません。300万の人にとっては600万という金額はリアリティがないので、見えなくなっているのです。もし人間が自分が存在する世界のすべてを認識するとしたら、脳がパンクてしまいます。視覚で言えば、眼球の網膜に映り、視神経を通じて脳に送り込まれた映像情報のうち、脳はほんのごく一部しか解釈していません。眼球が見たすべての映像を解釈することになれば、脳はあっという間にオーバーヒートしてしまうのです。

   だから人間は、自分にとっての重要性を基準に世界を分類し、重要度が高いものしか見えないようにできているのです。つまり自分の安住するコンフォートゾーン(快適環境)から外れたところにあるものは、重要度が低いために見えなくなっているのです。コンフォートゾーンを外し、ずらす意味はそこにあります。コンフォートゾーンをずらすと、今まで見えなかったスコトーマ(心理的盲点)を見ることが可能になります。

   たとえばある女性が、いつも似たようなろくでもない男とばかり付き合っているとします。
   容姿も性格もいいのに、なぜあんな駄目男とばかり付き合うのだろうと、周囲は不思議に思っています。そういう人があなた方の周りにも一人や二人はいるはずです。それはその女性本人が、ろくでもない男の持つ要素にだけ、コンフォートゾーンを感じているからに他なりません。彼女にとっては優しく尽くしてくれる男よりも、優柔不断で弱々しい駄目男に尽くしているほうが快適なのです。こういうことは決して少なくありません。それは女性だけでなく男性もそうで、男性の場合、自分と似た人にコンフォートゾーンを感じる傾向があります。

   私の仕事のパートナーであるルー・タイスは、40年前は高校のフットボールのコーチをしていました。当時の彼はそれらしい筋肉質で体育会系のタイプでした。しかし奥さんは高校で芸術を教える教師をしており、彼とは正反対のタイプでした。その奥さんが友人である芸術の教師たちとパーティーを開くと、ルー・タイスはそれに参加するのが非常に嫌だったそうです。どうしても仕方なく行く時には、フットボール仲間のコーチを一人連れて行ったそうです。

   彼にとっては芸術家ばかりが集まっている雰囲気がイヤでたまらず、彼にしてみれば「男なのに芸術の教師をしているような奴は絶対ゲイだ」と確信していたそうです。つまり彼にとって、その場はコンフォートゾーンではなかったのです。このことからわかることは、よほど意識していなければ、自分が快適に感じる人たちとだけ「つるむ」ようになってしまうということです。つまり、多様な人間関係を築くことができない人は、自らスコトーマ(心理的盲点)に嵌(はま)っているのです。

   会社や学校などの組織にいると、不条理にも周囲とうまくいかないケースは少なからず生じてきます。それはつまり、自分のコンフォートゾーンから外れた場にいることを意味します。そうした場所に我慢してい続けると、健康面にも心理面にもさまざまな弊害が起こってきます。まず確実に言えることとしては、IQが下がります。つまり頭がうまく働かず、バカになります。自分のコンフォートゾーンから外れていると、人間の脈拍や内臓をコントロールしている自律神経が、交換神経優位の緊張状態にあります。これは要するに敵と戦っているストレス状態です。脈拍が速くなり血管が収縮し、いつでも危険から逃げ出せるような臨戦態勢なのです。原始的な生活でいえば、空腹で、狩猟に行って獲物を追いかける状態が、極度の緊張にあるコンフォートゾーンから外れた状態です。

   脳にも違いが生じます。
   獲物を追う時の脳は、原始的な部位である脳幹が優位の状態にあります。そして家に帰ってリラックスして食事しているときは、あとから進化した前頭前野が優位な状態にあります。情動が活発に動いているときは、特に社会的な行動に関与する前頭前野の内側よりも、扁桃体や中脳といった脳幹に近いところが反応しています。これらはより原始的な脳といわれており、そこで起こる感情は「動物」としての情動なのです。

   つまり単純に言うと、人は自分の快適な精神状態であるコンフォートゾーンから外れているとき、自己防衛的になったり、逆に必要以上に攻撃的になるのです。そのために客観的に見渡して状況を捉えることができなくなり、それでIQが下がるのです。車を運転すると、急に人が変わったように乱暴になる人がいますが、そういう人もカーッと頭に血が上ってIQが下がっています。そうなると判断力が急激に落ちるので、事故を起こす危険性が高まります。

   私はアメリカで過ごした学生時代から長年にわたって、ディベートを訓練してきました。
   ディベート(議論・討論)では、相手を怒らせると勝てる確立が飛躍的に高まります。なぜなら人は怒ると、ほとんど論理的な展開を自ら崩してしまうからです。ですから相手を怒らせるにはどうすればいいか、それがディベートのテクニックとしてもあるほど一般的な手法なのです。しかし日本はディベート文化の国ではないので、議論で相手を怒らせると喧嘩になってしまいますが、アメリカでは相手を怒らせるのは、交渉においてよく使われる手法です。そして実際に怒ってしまうと、みんな愚かなことを言ったりしたりしてしまいます。

   怒ってしまうことにより、脳の前頭前野での論理的な情報処理が抑えられしまうという点では、悲しい気分やイライラした気分の時も同じです。つまりそれもコンフォートゾーンから外れている状態だからです。もしもあなたが普段から気持ちが沈みがちだったり、怒りっぽかったり、否定的な気分になる傾向にあるなら、自分がコンフォートゾーンにいないことが原因である可能性が高いと言えます。

   またコンフォートゾーンを外すことをせず、そのままの状態で成功を目指すと、知らないうちに他人から与えられた目標の奴隷になってしまう危険があります。つまり現在の自分が考える「こうなりたい」という欲求が、「奴隷の考える夢」であることは少なくないのです。つまり夢そのものが、誰かにけしかけられたものである場合があるのです。ですから先に述べた方法で、自分の本当の夢を探し出す努力をしないといけないのです。

   繰り返しになりますが、初めに、「将来自分は、こういう人になることが決まっている。だからその前提として、今現在はこうでなくてはならない」と想定することです。時間の流れで言えば、まず「未来の状況」を想定し、その結果として「現在の状況はこうあるべき」と考えるのです。つまり時間のイメージを、過去から未来に向かって進ませるのではなく、未来から現在に向かって流れていると想定する。そうすれば、今はどういう状態になければならないか、何を為すべきかが明確になるのです。



      book 「テレビは見てはいけない(脱・奴隷の生き方)」 苫米地英人著 PHP

                                                   抜粋したもの

現状に満足している人は洗脳されている

   人間が快適に生活できる外部環境にはある程度の幅があり、その幅のことを「コンフォートゾーン」と言います。人間だけでなく生物というものは、そのコンフォートゾーンから外れそうになると、体温や血圧を調整してその環境に合わせようとし、自動的に自分の身体をコントロールします。これが恒常性維持機能「ホメオスタシス」と呼ばれているものです。重要なのは、これらのことは物理的な側面だけでなく、心理的な面においても、快適環境コンフォートゾーンがあるということです。この快適環境は固定されたものではなく訓練次第では、ずらしたり、外すことができます。しかし我々は安全で快適な環境から外れることを、本能的に忌避するものでもあります。

   たとえば、毎回テストで30点しか取れない子供がいたとします。
   その子にとっては30点くらいの成績でいることが当たり前であり、コンフォートゾーンになっています。しかしある日、突然その子が偶然にも試験で80点を取ったとします。すると彼の無意識は、「ヤバイ、これは変だ。自分が80点を取るなんておかしい」と思います。そして次のテストでは、無意識のうちに0点を取ってバランスを取ろうとするのです。なぜなら彼にとって80点は、彼のコンフォートゾーンから外れているからです。30点に戻すためには、次に0点を取ってバランスをとらねばならないと無意識が判断するのです。そして実際に0点を取ると、「ほらね」と安心します。

   では彼のコンフォートゾーンを80点にすることができればどうなるでしょうか。
   「今度のテストでまた30点を取るのはイヤだから、次も80点を取ろう」と思うようになるはずです。そのためには勉強しなければならないでしょうが、もはやそれは「自ら進んでやりたいこと」になっています。このように子供の学力を伸ばすためには、コンフォートゾーンを上の方向にずらして移動させることが有効です。そしてこうした考え方は、もちろん大人にもそのまま適用できます。

   例えば年収300万の人が、ある日、宝くじに当たって1億円を手に入れたとします。
   多くの場合、そういう人はあっという間にそのお金を使い果たしてしまいます。そしてまた年収300万円の生活に戻ります。それはその人にとって1億円という金額が、彼のコンフォートゾーンの外にあるからです。年収300万の世界で生きている自分にとって、1億円はあまりにも不自然なお金なので、一刻も早く無意味なことに使い果たしてしまいたくなるものなのです。しかし年収1億の人が、宝くじで1億円当たったらどうでしょうか。その人にとっては1億円の価値や重みがわかっているので、かえって無駄遣いせず、有意義に使うことができるでしょう。その人のお金に関するコンフォートゾーンが、すでに1億円に設定されているからです。

   つまり、今年収が300万円の人でも、コンフォートゾーンを600万円にすれば、自然とそれにふさわしい働き方をするように無意識が動き出します。自分のコンフォートゾーンをずらしていくことで、無理せずとも自分の生き方をよい方向へ変えることができるのです。ではどのようにすればコンフォートゾーンを外していくことができるのでしょうか。そのためにはまず、どこにコンフォートゾーンを移動させるかを明確にしなければなりません。つまり、自分の行きたいコンフォートゾーンを見つける必要があります。そのためには、次のようなプロセスが有効です。

   one 暫定的なゴールを一つ設定する。
   two そのゴールを満たした未来が必ず来ることをリアルに思い浮かべる。
   three その場合、それに対して現在の自分はどうあるべきかを徹底的に吟味する。

   たとえば暫定的なゴールを、「5年後に社長になる」とします。
   「5年後に今の会社で社長になりたいのであれば、今の自分は少なくとも課長以上になっている必要があるだろう」、「でも現在の自分は課長になっていない」「なぜなのか」「この状態はおかしい」 このように考えていくと、「5年後に社長になるのが当然の自分」がコンフォートゾーンになります。そうすると、平社員で満足していた時には気づかなかった、自分に足りない能力や努力、人脈などの、「社長になるための道筋」が自然と見えてくるようになります。

   まずは暫定的なゴールでいいのです。
   それが場合によっては、他人に植え付けられた価値感に依存したゴールでもかまいません。どんなゴールであれ、それを満たした時の自分のイメージを持つと、その結果として今の自分があるべき姿が決まってきます。その姿は、現実の今の自分とは絶対に違うはずなのです。

   そのようにして暫定的なゴールを目指すことを繰り返していくうちに、「これだ!」と確信できるゴールがいつしか見えてくることがあります。それこそが、本当に自分が目指すべきゴールなのです。それが見つかったら、そのゴールを常にリアルにイメージし続けることで、自分のコンフォートゾーンが着実に外れていくようになり、無意識が勝手に自分をそのゴールへと連れて行ってくれるはずです。

   私は若い時に徳島大学で教えていたことがありますが、徳島は失礼ながら田舎なので、結婚適齢期が早い。それで大学院生や大学4年生でさえが、結婚について相談にくることがよくありました。それで「迷っている」と聞いたら、即、その場で「やめなさい」と私は言うことにしていました。就職についても同じで、「大学院に進みたいが、就職するべきか迷っている」と相談されたら、私はすぐ「就職しなさい」と言ったものです。「親に認めてもらえないが、自分は彼女と結婚したい」と聞くと、「すぐ結婚しなさい」と言います。「成績が悪くて受かりそうもないが、でも自分は大学院に行きたい」と聞くと、「「わかった、すぐ来なさい」と答えます。

   結婚や進路のような重大な人生の選択において、いつまでも自分なりの結論を出せないでいる人が、結婚したり研究者になってもうまくいくわけがないのです。うまくいく人というのは、「もうこの人としか結婚しない」「私は学者になる」というように、強い意志を持って確信しています。それは会って話せばすぐわかります。つまり、迷っているというのは、いまだ人生の本当のゴールを発見していないのです。

   暫定的なゴールを目指すうちに、コンフォートゾーンが移動し、脳のゆらぎが生まれ、スコトーマ(思い込み)が外れる。するとたまに「あっ、これだ!」というものが見えてくる。それは見えた瞬間に「本物だ」と確信できるはずです。その判断を下すのは無意識で、人間にはその力が本来的に備わっています。見つからない人は、現状の中でゴールを探しているからで、現状のままで考えると、大抵の人は「達成可能かどうか」という目線を基準にゴールを選んでしまいます。達成できそうなゴールを目指しているうちは、現状にとどまり、それを外れることはできません。自分を変えるには、達成が到底不可能に思えるゴールを目指すべきなのです。

   「自分は今の状況に満足しているので、コンフォートゾーンを外す必要はない」、そう考えている人がいるかもしれません。しかし、自分が現状に満足しているとしたら、「危ない」と思ったほうがいい。それも満足していればいるほど危険です。自分への不満こそ、よい傾向なのです。それは自分が、「現状のままではいけない」というセルフイメージを持っている証だからです。満足していないということは、たとえ漠然とではあっても、「いつか違う自分になりたい」という夢を持っていることを意味するからです。

   自分の現状に満足している人は、なぜそんなに満足しているのかまずは考えてみることです。  偏差値の高い大学を出ているから?
       給料の高い会社に勤めているから?
      ブランドをたくさん持っているから?
   ではなぜ、偏差値や給料やブランドに「価値」を感じるようになったのでしょうか。いったいいつから、そのような価値感を持つようになったのでしょうか。

   よく考えてみれば、必ずそれまでの人生で、他人によってそのような価値感を植え付けられたはずなのです。その他人とは親かもしれないし、学校の先生や友人かもしれない。あるいはテレビドラマの主人公やコマーシャル、雑誌に載っていた芸能人やモデルかもしれません。そして多くの場合、他人と同じ人生の現状のルートから外れる行為に対して何かしら不安を抱くように、知らないうちにいつのまにか洗脳されてしまっている可能性があります。

   私が大学を卒業して就職した三菱地所は、人もうらやむ優良会社と言われてきました。なぜなら「絶対に潰れない会社」であったからです。三菱地所は日本の中心である丸の内のほとんどの土地を所有しています。それは明治時代に、創業者の岩崎弥太郎の力によって、そこの土地がすべて手に入れられたからです。当然、社員の給料も 、一般的な会社に比べて高い水準にあります。そのため、三菱地所の社員には、「自分たちは幸せだ」と思っている人が沢山いました。彼らがそう感じる最大の理由は、彼らの人生のどこかの時点で、「あの会社は世界で一番安定している会社だから食いっぱぐれがない」と、刷り込まれたに違いありません。

   三菱グループで働いている人々は、自分の子どもも三菱地所に入れたいと考えます。
   「三菱グループの中でも、歴史的には本社は三菱地所だ。だから巨額の不動産を継いだ”長男本社”に入れれば安心だ」と思い込んでいる人が少なくありません。彼らにとってそれが自信の拠りどころであり、セルフエステーム、つまり自尊心の根拠なのです。本当は彼らがすごいのではなく、創業者である岩崎弥太郎・弥之助がすごかったに過ぎないのですが・・・。当時、社員の青年が、就職活動中の後輩の学生に、会社の素晴らしさを誇らしげに語る姿を目にしましたが、よく聞いてみると、かつて先輩に言われたことをそのままリピートしているだけでした。

   これほど極端な例でなくても、洗脳とは基本的にみな同じです。
   自分の会社に満足している人は、ほとんど場合、上の人から植え付けられた考え方を、まるで自分が考えたことのように受け入れてしまっているのです。それは自分で考えたことではなく、他人から言われたことの受け売りなのです。それに気がつくには、自分が感じていることや大切だと思っていること、物事の好き嫌いに関する価値感について一度、書き出してみることです。たとえばコーヒーと紅茶ではどちらが好きなのか。そんな些細なことにさえ、他人の判断に影響されているのです。誰に言われたか、どこで聞いたか、一つ一つ書き出していく。その根拠は何か、そしてそれは、本当に自分が欲していることなのか。突き詰めてみるとその裏側には、「それを失った時の恐怖の感情」が隠れているはずです。その情動を埋め込んだのが、「ドリームキラー」です。

   「偏差値の低い学校へ行くのは恥ずかしい」「有名な会社に勤めてこそいい人生」、などといったステレオタイプな価値感を子供に植え付ける親はたくさんいます。そういう人たちは自分の価値感を強制して、子供自身が持っている可能性の芽を摘んでしまっていることに気づかない大人たちです。 そういう人たちを、「ドリームキラー」と呼びます。文字通り、「夢を殺してしまう人」です。多くの場合、もっともドリームキラーになる確率の高いのが、「親」です。「子供のためを思って」という免罪符のもとに、自分の子どもの可能性や才能を殺してしまう。しかも当の親たちには、夢を摘んでいる自覚は全くありません。

   最近の発達心理学の研究によれば、成人した人の持つ判断基準の8割から9割が、自分の親に植え付けられた価値感に基づいているとされています。つまりそれだけ幼少期の親の影響は大きいのです。親以外にも学校の先生や、会社の上司、友人や知人など、自分以外の人は誰でもがドリームキラーになり得ます。ですから幼い子供に対して、「君にはできない」「おまえには無理」といった否定的な言葉を浴びせ続けてはいけないのです。また日本では高校や大学に進学するときも、先生や親が「君にふさわしい学校はここ」と決め付けることが少なくありませんが、それも大きな間違いです。

   現状に満足しきっている人は、過去において、ドリームキラーによって埋め込まれた価値感の影響の中にあるのではないかと、確認してみるべきでしょう。自分の現状をひたすら肯定する姿勢の人は、よく考えなおしてみると、ほとんどが自分自身の思いではなく、他人の言葉の影響であることに気づくはずです。過去を振り返って、どんな言葉が自分の人生に影響を与えたかについて、書き出してみるといいでしょう。



     book 「テレビは見てはいけない(脱・奴隷の生き方)」 苫米地英人著 PHP新書

                        抜粋したもの     

    

従順で恐怖心に囚われた精神は崇拝者を求める

   イヴァンカは言葉を失っていた。
   いまだに地球的な物差しで考えてしまう彼女は、アプ星の素晴らしい進化と地球での遅れた生活のあまりの格差に呆然としていた。

   乗り物に乗った人々が、どこかへ向けて次々と通り過ぎて行く。
   そのうちに二人の乗り物は、色とりどりの木々が茂る丘を抜けるトンネルに入った。トンネル内部は、うっとりする香りを放つさまざまな彩りの花々と、木々の枝に溢れていた。数分、トンネル内を走行すると、丘の向こう側に出た。そこでは霧雨が降っており、空から降ってくる霧雨に色がついていることにイヴァンカは気がついた。雨は辺り一帯を色とりどりの雫で満たしているので、まるで虹がかかっているように見える。しかしながらアプ星にかかる虹は7色以上の色を持ち、地球にはないような他の色がたくさん含まれていた。

   ペドロは言った、「こうして大気の不純物を取り除いているんだ。どの惑星の大気にも、その構成要素には動植物や人にとって、有害な微粒子が含まれている。微粒子は惑星から一定の距離を保ちつつ、空気流に押し流されて浮遊している。しかし時には地表まで降りてきて、そこに住む人々に害を与えたり、さまざまな病を引き起こしたりする。そこでアプ星の化学者たちは、空間を浄化する化学物質を発明したんだ。この微粒子の濃度を常時モニタリングしているセンサーが警報を発すると、この化学物質が用いられるよ。

   方法はとても簡単で、適切な高度まで化学物質を入れたタンクを持ち上げ、中身を撒き散らすと雲ができる。その後、雲は雨となり、惑星周辺に浮遊する宇宙塵は陰性の不純物を取り込みながら落ちてくる。その途中、何百キロも離れた上空で中和され、地上に落ちてくる頃には、一緒に落下する浄化物質によって完全に破壊されてしまうんだ。地球でもこうした措置が大いに必要とされるだろうね。空気汚染は、地球人がかかる病気の原因の一つだからね。」

   乗り物はさまざまな色をした芝の上に止まった。
   二人が外に出ると、入れ替わりにすぐ別の二人が乗り込み、飛び立って行った。その建物の内部は巨大な円形の広間があり、壁から床、天井に至るまで、タオル地のような素材で覆われていた。

   「さあ、ここであなたがアプ星の食事を気に入るかどうか確かめよう。
   ここに来る人は最初は誰も少し驚くんだけど、慣れてしまうと、もう他の食事には変えたくなくなるはずだよ。我々のご馳走があなたの食欲をそそるかどうか試してみよう。」

   個室には丸いテーブルと幾つか椅子が置かれており、どの椅子にもイヴァンカが乗り物や登録所で目にした、あの驚異的な緩衝システムが備えられていた。壁は透明な素材でできており、見るものの好みで色が変化し、壁面を飾るように備え付けられたたくさんの装置とボタンは、雨後の澄み渡った夜空に輝く星のように輝いている。ここには給仕が誰一人おらず、イヴァンカにはこの場所が地球の神殿のように思えた。広間の奥にある個室はすでに埋まっていたが、テーブルの上には地球のレストランのような食器類は一切置かれていなかった。

   机の上にある話す機械がしゃべりかけてきた。
   ペドロはイヴァンカに、先ほど受け取ったばかりの自分の証明書を見せるように説明し、彼が先にそれをやって見せた。彼の証明書が不思議な機械の隙間に差し込まれると、複数のランプが点灯し、機械が話し始めた。

   「アプ星人、7000歳、通常食、銀河間トラベラー、文明化組織所属、陽性の功績、アプ星人は忘れません」。そして人体に似た素材でできた1つの手が、ペドロに証明書を差し出すと、「すべては他者のために。次の方どうぞ」、とイヴァンカに促した。彼女が同じようにすると、「地球人、訪問者、地球年齢13歳、激しい苦痛。アプ星の輸血完了、最近治療済み、7番食、14番食、10.5番食、21番食、友愛のため1000001(100万1)グループによってアプ星に搬送される」


   「我々アプ星人は、人体の状態を改善させるものはすべて食品と見なしているんだ。
   そして我々は、自分の細胞の老化レベルに応じて、再生化を促進させる食事法を守っている。だからこそ我々は陽性の力と調和することができるし、そのおかげで、吐き気や疲労感や挫折感を感じたり、心身の調子がすぐれなかったりすることはない。でも地球人の食事の取り方は大きく改善する必要があるし、人体に適切な食事法からすると、何百万年分も遅れているといえる。それが、地球人が心身に与える病気を発症してしまう理由の一つでもあるんだ」

   「ザイはアプ星のマスターで、地球ではイエス・キリストとしてよく知られているが、彼や他のアプ星人たちがこれまでにも何度も地球人を助けるために働いてきたけど、それがどうなったか分かるかい? 多くの地球人はザイの教えを実践するのではなく、彼らはザイを崇拝するだけなんだ。ザイだけでなく、アドやアム、アズ、ノイなど多くのアプ星人がこれまでにも地球に住むことで、地球人の幸福を実現するために尽くしてきた。アプ星人は崇められたり、超能力者として受け入れてもらうために地球に行ったわけではなく、彼らは地球人を諭すためだけに行ったんだ。兄弟姉妹のようにお互いを愛して暮らすことや、利己主義から離れ、他人への思いやりの心を持って和合して生活することを教えるためだった。

   しかし実際には、我々の期待とは反対のことが起きてしまった。
   地球人は彼らを、”全宇宙の創造者”からの使者だと勘違いしてしまった。そして彼らを崇拝し、特別な神殿を築いたり、さまざまな供え物が捧げられた。その神殿からなら、彼らと精神的なコミュニケーションが取れるはずだと信じたのだ。しかし彼らはこれらのアプ星人を崇拝だけしておきながら、一方で彼らの千人に一人も、彼らがもたらした教えに従う者はいなかった。彼らアプ星人が示した模範や愛、援助、アドバイスのもとに、創造して、働き、学ぼうとするものはいなかったんだ。

   宇宙には、他の銀河に属するたくさんの惑星がある。
   そうした星の人々は、とても遅れた生活をしており、それは彼らの星の大気がマイナスイオンで充満していることが一つの原因でもある。そうした人々は、集団的なものや、集団を連想させるものはすべて拒絶する。そんなだから、友愛や平等、相互愛などについて彼らに話そうものなら、怒り出して、火あぶりにされかねない」


    
       book 「アプ星で見て、知って、経験したこと①」 ヴラド・カペタノヴィッチ著
                         ヒカルランド

                         抜粋したもの   

我々地球人が諸悪の根源である貨幣を捨て去るとき

   イヴァンカは言った、「あなたたちアプ星人は、なぜ地球を侵略しないの? ・・・その方があなた方の目的を簡単に果たせるんじゃないの?」

   「その質問は、多くの地球人にされた質問だよ。
   でも少し考えてみてほしいんだけど、侵略とは、暴力に訴えて侵入するという意味だよね。だがここアプ星では、誰も暴力を好まないということを覚えておいてほしい。我々はそれが、誰かにとってよく知らないものであったり、好まないものであるならば、それを無理やり押し付けるようなことはしないし、そうすることは我々の理念に大きく逆らうことになるんだ。

   多くの地球人が今も昔も、金銭が生み出した社会的貧困の中に生まれてくる。
   彼らの中には、何一つそのような訓練を受けたわけではないのに、ある日突然、作家や詩人、人文主義者や市民運動家、隣人の友などに変貌することがある。こうした人々はみな、プラスイオンの照射を受けたり、誰かアプ星人に「宿られた」りしてそうなることがある。そのようにして地球人に宿ったアプ星人は、その人を陽性の世界へと導き、その人を通して地球社会の進化を加速させるために働くんだ。

   我々は地球だけでなく他の星に向けても、プラスイオンを送っており、それは誕生前のすべての生命体によって受け取られている。しかしプラスイオンを弾き飛ばす太陽光の悪影響があり、その度合いによって受け取れる量に個人差が生じる。こうした作業は少しずつ功を奏しており、近年、この200年以降に生まれた地球人のほとんどは、それ以前の人々よりも多くのプラスイオンを受け取っている。だから地球人は来たるべき200年間で、素晴らしい進化を遂げるようになるはずだ。

   もっともそのためには、地球人が金銭の欲望を抑制できて、地球の社会からお金を完全に排除できた場合にだけ言えることだ。もしそれができなければ、地球最後の大激変が起こり、地球上からは人間が消えてしまうことになるだろう。もし地球人がお金を廃絶できなければ、その欲望とエゴイズムは地球人の間に緊迫状態を生み出し、三度目で最期の大変動が起きることになる。この大激変で、地球は不毛の惑星となり、人類は消滅することになる。」

   イヴァンカはスクリーンに目をやると、突然、炎に包まれた地球が現れた。
   そして炎の中から巨大な土の塊りが飛び出していき、隕石になっていった。炎が消えた後、丸い地球に残ったのは、何もない山肌と砂漠、それに不毛のクレーターからなるわずかな大地だけだった。それは身の毛のよだつ光景で、海は姿を消しており、植物は何も生えておらず、何もなかった。「何てひどい!」、とイヴァンカは叫ぶと頭を抱え込んでしまった。

   「生命のない地球なんて!」
   「まさにそのとおりなんだ。
   名もない星のように、地球は生命のない星になるかもしれないんだ」
   「このカタストロフィはなぜ起きるの? なぜこんなカオス(混沌)が生じるの?」
   「原因は<お金>なんだ、イヴァンカ 」
   「えっ! お金のせいなの?」

   「すでに話したけど、あなたも知っているように、地球に持ち込まれた貨幣社会が人間の貧困や搾取を生み出し、その結果あらゆる退廃がはびこり、文明は後退してしまい、人間同士が和合を実現する日は遠ざかってしまった。できるだけ多くのお金を手に入れることが地球人にとっての最大の関心事になってしまい、物事の道理がわかるようになると、誰もがいかにしてお金を稼ぐかの不安を持ち始める。そして人によってはその心配と不安がどんどん人の心を支配するようになる。そしてこれが強迫観念となり、最終的にはお金のことしか考えられなくなる。こうして金を手に入れようとする野心を人間の心に芽生えさせることで、貨幣を人間社会に持ち込んだ支配者は、自分たちより弱い者を支配下に置くことができ、奴隷化する。」

   「だけどその話のどこが、地球の破滅と人類消滅と関係があるの?」

   「大いに関係がある。
   これまでに地球上で起きた戦争も、すべての原因は金を手に入れるために起こされたんだ。それは常に多くの金を得ようとする人間の欲望を煽る競争心が原因で、そのために戦争をし、できるだけ多くの人間を巻き込み、武力と恐怖心で支配するためだった。そのためにより一層破壊力の大きい武器を開発してきたんだ。

   スクリーンを見てごらん。
   あの化学者は地球の一大国に雇われ、武器開発に従事している者だ。今からあなたが目にするのは、20世紀後半か、21世紀前半に起こりうる出来事だ。よく見てるんだよ」

   イヴァンカはスクリーンを見た。
   そこには、長身で太った若者が映し出された。彼は、塩とガス、それに液体を混ぜながら化合物を作っていた。その時突然、赤い色をした試験管から炎が噴き出し、男と周りのすべてを包み込み、その建物は大爆発を起こした。そしておびただしい破片や土の塊りがそのまま宇宙へ放り出され、その炎は惑星全体を包み、赤い炎が地球を包み込んでしまった。

   「この男は、新型兵器の開発者なんだ。
   そのために多くの混合物を作ったが、その後彼は、地球空間と物質に含まれるマイナス成分を燃え上がらせる物質を、知らずに調合してしまうんだ。こうして、地球とその大気圏が燃えてしまうんだ。その結果どうなったかは、あなたが先にスクリーンで見たとおりだ。地球の遥かな昔に似たようなことが一度起きたが、しかしこれは4度目にして、しかも最期のアクシデントになるだろう。」

   「これが最悪の可能性なら、良い結末の可能性もあるはずよね。
   地球人がカタストロフィを防ぐことができた結末を見せてくれない?」
   「さあ、どうぞ、好きなだけ見るといい」と答えたペドロは、ジャケットのボタンの一つを押すと、スクリーンが作動し始めた。

   クリスタルのシャンデリアが輝く巨大な大広間には、同じく大きな円卓があり、その周りには赤い布張りの多くの椅子が置かれていた。広間に入ってくる男女がその椅子に次々と座っていく。そして広間が人でいっぱいになると、会議が始まった。そこでは誰もが平等な発言権を持っている。その時、一人の男性と女性、それに男の子が一人、隣の部屋から入って来た。隣の部屋では別の会議が行なわれており、その大きな扉で大広間と繋がっていた。

   隣の部屋から入って来た人々は分厚い本を持っていた。
   その本の表紙には、地球の挨拶とサインである握手を交わす手が描かれている。彼らはその本を、出席者が囲むテーブルの端に座っていた老人の前に置いた。男の子は黄金のペンを差し出し、女性はインクを老人に差し出した。老人はペンを手に取ると、感動した様子で本の1頁に署名し、他の人々もサインするために、彼の左側に座っている人物に本を渡した。そのとたん、拍手が沸き起こり、”万歳!”という歓声が上がった。それはまるで、誰かが天から降りて来たかのような大いなる喜びだった。

   全員が署名を終えると、本を運んで来た男性は、女性と男の子とともに、次のような宣言文を読み始めた。

   「地球のすべての男女と子供たちからの要請を受け、我々はこのパリの街に集結した。これは貧困と戦争、不正行為や搾取、そして軽蔑、侮辱、背徳、エゴイズム、欺瞞、憎悪、そして貨幣の出現以来、地球人を苦しめ続けるその他のすべての退廃に終止符を打つためである。我々は、社会に蔓延する恐ろしい悪を撲滅するためにここに集まった。それは地球の住人たちの心が、再び誠実で感受性豊かになり、地球のすべての子供たちが何の差別もなく共に遊べるようにするためである。また男女が兄弟のように和合し、文化と叡智のもとに、自由で友愛的な集団労働を基盤とした新しい生活を築くためである。

   親愛なる地球の兄弟姉妹たちよ、我々の生活に引き起こすあらゆる欠点の原因である金銭を我々の社会から廃絶し、金銭の代わりに友愛と叡智、そして労働と平和をもたらし、いつの日か人類の不死をも実現できるように我々はここに集まった。我々は今しがた、人類史上において初めて、一枚のページに署名をした。そのページが保証するのは、労働と生活、そして平等に重点をおく新しい社会の形成である。その社会では、皆がそれぞれの能力に応じて社会貢献をし、労働の報酬として生活必需品を受け取る。それゆえに人々は未来に対して不安を抱く必要はなくなり、自分に自信を持ち、子供の将来を心配する必要もなくなる。
   人間たちよ、兄弟姉妹たちよ、互いに愛し合い、学び、働き、生きるのだ!」

   イヴァンカは、そこにいるたくさんの人々の誰もが幸せそうな様子を目の当たりにした。地球人にとって本当に特別な何かが起きたのである。金銭による貧困が根絶され、この大いなる喜びは、みんなの言葉や身振り、気持ちに表れていた。

   「次に、地球の別の場所を見てごらん」とペドロが言い、彼のジャケットの左胸にあるボタンを押した。

   スクリーンには、野原や街で人々が陽気に踊っている様子が映し出された。
   男性や女性や子どもたちが、そのニュースをあちこちに伝えている。その出来事は、地球人誕生以来、地球人が手に入れたもっとも重要な成果であることが誰にもわかっているのだ。そのニュースが届いたところではどこでも、人々は嬉しそうに踊っていた。そのうちスクリーンは、地球上のあらゆる場所のイメージを映し始めた。そこではヨーロッパ諸国の色鮮やかな民族衣装を身にまとった人々が、アフリカやアジア、そしてアメリカの人々と仲良く入り混じっている様子であった。

   ターバンが楽しげに、帽子やベレー帽やソンブレロ、トルコ帽と交じり合っている。地球人は貧困や搾取、奴隷制度などのない未来を約束し合いながら、友愛の家族を形成しつつあった。黒人や黄色人種、白人の子供たちは、嫌悪感や怨恨を抱くことなく、互いに抱き合い、老人たちと一緒になって、道路に沿って捨てられた何の価値もなくなったコインや紙幣を集めては、巨大な焚き火の中に放り込んでいた。それはコインで一つの合金を鋳造するためであり、工房の親方たちが、さまざまな職業に必要とされる道具を製造するために、この合金が使われる予定であった。

   動物たちは、森の中を走り抜けながら喜びを表していた。
   また大きな鳥や小さな鳥たちが、空に向かって羽ばたいたかと思うと、見事な急降下を見せた。蝶は群れを成して飛びまわり、色とりどりの花々は咲き誇った。草は芳しい香りで大気を満たそうとし、木々は枝を揺らしてそよ風を起こした。

   イヴァンカは、「何て素敵なんでしょう!」と歓声を上げたが、ふと心配になり、ペドロに尋ねた。「でも、お金なしでどうやって暮らしていくの?」

   「それはもう少し後にわかるだろう。
   それに、実際に経験することになるからね。さあ、もう行こうか、我々を食堂まで運んでくれる乗り物が外で待機しているよ。」

   外には一台の乗り物が待機していた。
   ここへ来る時乗ってきた乗り物と同じデザインであったが、シートは3席だけだった。二人が近づくと扉が開き、乗り込むとひとりでに閉まった。乗り物は色とりどりの芝生の上を滑るように動いた。速度は抑え気味で走行し、ハンドルも計器類も一切なかった。乗り物は、他の乗り物や建物と車間距離を一定に保ち、スムーズにすれ違う。

   「我々のマシンの走行は極めて安全なので、衝突は起きない。
   この乗り物にはたくさんの目がついていて、その目は我々の目よりもよく感知する。だからその目が危険を感知すると、危機的状況の可能性をセンサーに送る。するとセンサーは、車体の方向をただちに修正する。しかもこうしたオペレーションは思考の速度で行なわれているので万全だ。この世界ではすべてが完璧なんだ」



    book 「アプ星で見て、知って、体験したこと①」 ヴラド・カペタノヴィッチ著
                     ヒカルランド

                     抜粋したもの
     

搾取されて労働の楽しみを失ってしまった地球人

   「ペドロ、このプレートは何に使うの?」

   「これはアプ星に住んでいる者が持っていなければならないもので、あなた方地球人は生活必需品を得るためにお金を使うが、我々はこのプレートを持っているだけで、必要な物をすべて手に入れることができるんだ。このプレートは、持ち主の社会協力を保証する書類でもあるんだよ」

   イヴァンカは今までの人生で、これほど驚く話を聞いたことはなかった。
   たった一枚の、わずか数センチの小さなプレートを持っているだけで、必要な品物が買えるという、考えられない不思議な話だった。地球でならそれは相当な金額になるし、そんな大金を支払えるのは多くの労働者を雇い、長年にわたり、彼らを大工場で搾取しているような者だけだ。

   「ここアプ星では、品物が売り買いされることはない。
   それはただ製造され、活用されるだけなんだ。地球人の生活システムは困難で辛いもので、とても不便なものだ。それにそのシステムは、誰もが仲間を利用することで成り立っているものなんだ。

   たとえば、釘(くぎ)の生産者を例に上げて考えてみよう。
   1キロの釘には、通貨5枚分の価値があるとしよう。生産者が人を使って自分の工場で作った製品を売るためには、購入者のネットワークが作られる必要があるが、このネットワークで釘1キロの売値は通貨8枚と決まっている。通貨5枚が8枚になるのは、その儲け3枚分で人件費や税金を払い、利益の少なくとも50%は自分のためにとっておいて、貯蓄や個人的な経費の支払いに回さなければならない。そして同じ理由から同様のプロセスが、生産者から直接買い付ける者、つまり卸売り業者によって、プラス3枚から4枚分の通貨が仕入れ値に上乗せされる。そしてそれが、次の購入者である、大抵は実際に釘を使う人々に売られる。このようにして、一般の人々は釘1キロ買うためにに通貨11枚が必要になる。

   ここで注目すべき点は次のことだ。
   このプロセス全体で利益を得るのは2人だけであることだ。この釘の生産・流通のためにさして苦労もせずに利益を手にするのは、人を使って生産する製造業者と卸売り業者だ。実際に生産に関わる工員や旋盤工、鉱員、鋳物工場の従業員は、わずかな賃金しか得られない。しかもわずかな給料では、生活必需品も充分には得られない。その状況がこれまでの地球人の生活を支配してきており、生活の不安という精神を蝕む最大の苦しみに今も振り回されているのだ。つまり誰もがみな、より良い暮らしをするために、最小限の少ない時間の労働で最大限のお金を手に入れようと苦心している。地球人は、自分の労働に値する賃金を手に入れたこともなく、労働する楽しみも失ってしまったので、誰もが労働することを嫌い、働くことから逃れようとしている。

   しかし我々アプ星人にとっては、労働は自然なことで楽しく、本能的な行動でもある。
   我々にとって労働は人生の一部であり、誰もが働くことが好きで、喜んで仕事に打ち込む。アプ星は地球よりもかなり大きな惑星で、大勢の住人がいる。だけどみんなが一つの大きな家族のように暮らしており、我々自らが同意したルールを守って生活している。我々の世界には王様も大統領もいなければ、政府というものも存在しない。もし住民が、公共のために何かを変える必要があると考えたならば、そうした提案は審査された後に調整が行なわれ、施行するにあたってのルールが決められる。

   アプ星の創世記は、地球時間で言えば何澗(かん)年(澗は10の36乗)にもなるが、その遥かな大昔、当時のアプ星人たちは友愛的で平等な集団生活を始めた。誰かが地下から何かの鉱石を掘り出したり、有用な薬草を見つけたら、使い切ってしまうまで他のみんなと分け合った。誰かの富は、すべて他者の富でもあるんだ。地球人が金銭を撲滅した暁(あかつき)には、我々が現在所有しているものを、地球人も所有するようになる。

   アプ星では、利用可能なもののすべてを平等に享受することができる。
   ある場所である製品が作られ、他の場所では別の品が生産されている。さらに別の場所ではとても貴重な物が製造されており、ほかのところでは特別品が制作されている。そしてこうした品物はすべて倉庫に保管され、必要に応じて、全アプ星人に平等に分配される。」

   そのようなシステムはイヴァンカには理解できないことであり、彼女は考え込んでしまった。ペドロは彼女の考えを読み取った。彼は地球の生活をよく知っており、他の無数にある惑星の生活についても知っていた。彼は今までの7千年の人生のほとんどを、他の宇宙で過ごしてきており、その間には多くの惑星を訪れ、さまざまなやり方で生活を営む人々を見てきた。中でも地球人に取り入れられた金銭に基づく社会組織のために、彼らは互いに殺し合い、利用しながら生きるしか術(すべ)がないことも彼はよく知っていた。

   同じくムー星人が、未だに殺しあって共食いをしており、誰もが鳥のように別々に生活することも知っていた。彼はピー星人の生活も学んでおり、彼らは絶え間なく戦争をする中に生きていた。そして彼らは太古の地球人のように、それぞれが空想で作り出した強い人物に保護を求め、敵から守ってくれるように、敵を打ち負かす力を授けてくれるように祈り、願うのだった。

   ペドロが訪れた惑星の中では、地球人とピー星人だけが、見えないものを信仰するということも知っていた。彼らの信仰の対象となるのは、自分たちの姿に似せて想像した存在であり、それは自分たちよりも強く優れた能力を備えている。そして彼らはこの存在が全生命の創造者であると多くの地球人が信じていたのだ。彼は地球人が常に戦争をしていることを知っていた。戦争の原因はエゴイズムであり、エゴイズムこそが地球人の悩みの種であり、それこそが自らの存在を危険に陥れているのだった。ザイ、すなわちイエス・キリストが愛と友愛の道を地球人たちに説いたというのに。

   ペドロは再び話し始めた。
   「すでに説明したけど、多くのアプ星人は地球を訪れ、地球人の姿で存在してきた。それは地球人からエゴや野心を取り除き、友愛を基盤とした社会が造れるように助けるためだった。友愛を基盤とした社会では、皆がそれぞれに働き、生活に必要なもののすべてを給与として受け取れる。また統治者や支配者や王様のような存在がいなくても、誰もが生活のルールを守ることができる。行儀作法を学び、陽性の教育を受けた者は、指導者も監督者も必要としないし、一人で行動したとしても、最善の結果を残すことができる。

   我々アプ星人は最近では、約2千年前から地球訪問を続けてきた。
   しかしいつでも地球人は、アプ星の訪問者を奇跡を起こす人として見なし、それぞれがエゴイズムとともにこうしたアプ星人の周りに集まり、利用しようとする。そして恐怖心やイデオロギー、概念を生み出し、人々をばらばらにしてしまう。仏教徒は自分たちがイスラム教徒より優れていると考えたり、キリスト教徒は全宗教の中で自分たちが一番正統派だと信じていたりする。しかしそんなことは地球社会にとってそれほど有害なことでもない。自分たちの信じるサディスティックな神の命令で、自分の子どもを火あぶりにして生け贄にするなどという、野蛮で原始的なことが行なわれるよりはよっぽどましだ。

   友愛の精神を伝えるために我々のマスターが地球に派遣されるまでは、地球人はずっとこういうことをしていたんだ。しかし地球人が学ぶまで、我々の地球訪問は続行される。それは、誰もが兄弟姉妹で、誰の人生もかけがえのないものであり、愛し合い、学び、考え、働き、そして子孫をもうけ、幸せになるということを追求することなんだ。我々のマスター・ザイが地球へ戻ることで、その後の数十年間は、利己主義者と愛他主義者の対立が起きると思われるが、この争いは多くの地球人を、一つの家族として一致団結させることになるはずだ。」


       book「アプ星で見て、聞いて、体験したこと①」 ヴラド・カペタノビッチ著
                        ヒカルランド

                        抜粋したもの

現在の南北大西洋地域はアトランティス大陸だった

   ペドロは話を続けた。
   「遥かな昔に地球は、あなた方が言うところの巨大地震に見舞われた。当時、アトル・アンタ(アトランティス)のあった場所の地底には巨大な空洞があった。それは太陽が誕生した際に生じた大きな割れ目で、アトル・アンタの北部から南部に流れていたアテナ川とグレーカ川の水が、地表の亀裂部分からこの空洞に浸透したことで、巨大地震が発生した。

   地球は風に翻弄される雪の欠片のように震え始め、あなた方がマルマラ海と呼んでいる領域では、かなり広大な陸地が真っ先に沈下した。しかしその地域には当時人が住んでいなかったので、不可解な窪地の出現に誰一人気づく者はいなかった。窪地の底には、アテナ川とグレーカ川から断層内部を通って流れ込んでくる水が溜まり始めた。14日後に同じことがマルマラ海の周辺地域でも起こった。そこは当時、エジーザとアドリスと呼ばれていた地域で、この地域にはすでに人が住んでおり、アトランタの首都の高度文明の影響を受けた、興味深い進化の基盤がすでに築かれていた。

   アトランタは、地球人の表現で言うと、アプ星人の着陸した4番目の場所だった。
   つまり、最後の大災害であった大洪水の後、地球に入植するアプ星人が着地した場所なんだ。この場所から、現在知られているすべての人種が誕生することになった。アプ星人は、地球を人間の住める星にするために、さまざまなポイントで仲間たちを降ろした。その主な場所が、今は海に沈んでしまったアトランタ、ナスカ、現在のペルー、チェチェン・イツァ、メキシコ、そして現在の中国にある周口店だ。

   最後の地球入植から何百年が経過し、我々が地球に戻った時、アトランティス市民の持っていた高度な科学力には驚かされた。彼らは、アプ星での発明の多くの知識をすでに持っており、宇宙のプラスイオンを凝縮する方法も知っていて、思想教育も行なっていた。さまざまなマシンや、ミネラルの融解方法も開発しており、北極や南極の海から太平洋まで航行できる船や、飛行機も造っていた。

   アドリスとエジーザが水中に消えた13日後には、巨大なアトランティス大陸が沈没し始めた。その大陸は、北極海と南極海、アメリカ大陸、ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸にまたがる広大なエリアを占めていた。後に残ったのは、一つの小さな島だけだった。しかしその島にも北極海と南極海の水が押し寄せ、それ以降、アメリカとそこの住民はヨーロッパとアフリカから分離されてしまった。そして地球文明は、地球史上で最も輝かしい時代を失ってしまった。

   またその時の巨大地震により、太陽に対する位置までが変わってしまった。
   つまり宇宙空間での新しい地球の定位置は、そこに生きる生命体にとっては好ましくない地点だったんだ。今、我々は相当な努力をして、この悪影響を修正するべく力を尽くしており、数百年前からは、修正作業により多くの良い結果が出せるようになった。あと数世紀もすれば、大きな成果が現れるはずで、地球人は平和的な人間になり、みんなが兄弟のように暮らせるようになるだろう。

   地球上には、地上に存在したすべての文明の遺跡が存在している。
   そしてアトランティス文明の痕跡は、ギリシャやエジプト、北欧の数ヵ所に残されており、それもアトランティス沈没の痕跡が残されている。しかし沈没前後の時代のものと混ざっているので特定は難しく、しかも同じ人種のものだけにわかりにくい。太陽に対して地球が不利な位置にあったことで、陰性の太陽光線は、人間の本来持つ陽性の思考を阻害するように働き、陰性の思考を持つ人間たちは、アトランティスや他の文明の遺跡までも破壊してしまった。そのために、今や地上にはわずかなものしか残されてはいない。アトランティス文明の最も重要な側面を示すものは、今も大西洋とその周辺の海底に横たわっているんだ。」

   「ペドロ、あなたは地球人がアプ星人の子孫だと言うけど、一部の学者たちは、人間は猿や動物から進化してきたと主張いるけど、どういうこと?」と、イヴァンカは言った。

   「地球の学者たちは、我々が送るプラスイオンに惹きつけられる。
   そうすることで彼らは真実からヒントを得られるようになるんだ。しかし、地球に見られるある種の固定観念や伝統、そして習慣は、学者たちにとって妨げやプレッシャーとなって働く。その結果、しばしば学者たちは多くのことを発見していても、その発見したすべてのことを口にしたり発表したりはできないんだ。そのうちに分かると思うけど、細胞が誕生すると、細胞は互いに集結してグループをつくり、それぞれが異なる動物になる準備をする。こうした細胞の働きから唯一かつ独自の生命体が形成され、長い進化過程を経て、たとえば年数に換算すると10の583乗年の歳月を経て、今日の男性と女性になる。これは非常に興味深いプロセスで、すべてはアプ星で起きた」

   「地球最後の大災害からこんなにも長い年月が経っているというのに、私たちはまだとても遅れている! それはどうしてなの?」

   「それは地球人だけのせいではなく、原因の中の一つには、太陽の悪影響が地球人に及ぼしたものもある。それらの影響で、地球人は非常に攻撃的なってしまった。我々は地球人のもとを訪れるたびに、襲撃されて捕らわれ、奴隷にされた。我々は物質を操作する能力を持っており、それは本来の地球人も持っていた能力だったが、それを使ってどんな難しい仕事でも簡単に素早く処理することができた。しかしそのような能力を持つ存在は、常に彼らを脅かすものでしかなかったのだ。そうして我々は何十万年もの間、地球を訪れることはほとんどなく、それができたのは1、2度だけだった。

   しかしその後、ザイが物質の<分解>と<融合>の技術を完成させて以来、地球人に対するサポートが強化されることになった。そしてその後、ザイは地球に転生し、地球人として生きることで非常に素晴らしい結果をもたらした。もう少しすれば、地球人は平和的に変わるだろう。そうすれば我々も地球人も、誰でもが地球とアプ星のどちらに住むか選べるようになるだろう。」

   「そんなこと、どうして知っているの、ペドロ?」

   「これは、我々アプ星人なら誰でもが知っていることなんだ。
   我々のタイムマシンがそう言っているし、あなたもこのことについて学ぶことになる。こうしたプロセスのすべてを、スクリーンで見る機会があるはずだ。」

   イヴァンカはしばし、黙り込んだ。
   見たり、聞いたりするすべてのことに驚愕していた。生き残るためなら何でもし、そのためならお互いを殺しあうこともいとわない、地球で展開されるおぞましい弱肉強食の生活を思い出していた。彼女はペドロの言葉が信じられず、少し不信感を感じながらも、彼に尋ねた。
   「現在、地球にアプ星人はいるの?」

   「もちろんだ。
   我々は助けを必要とする者たちをサポートするために、地球だけでなく、宇宙のすべての領域に散らばっているんだ。なぜならこれが我々アプ星人の務めであり、我々が生まれながらにして負う陽性の使命なんだ。これこそが、我々の存在理由だ。我々の仲間のノイは、もう何年も前からすでに地球人として生まれている。おそらく今世紀の半ばには、彼の陽性の助けを得て、地球のある地域が称賛すべき抜本的改革を成し遂げ、大きな進展をもたらすはずだ。そしてザイは、今ピー星にいるが、彼も再び地球に転生するかもしれない。それは地球人を精神的苦悩から助け出すためで、その時、もし地球人が自ら開発した核で自滅していなければだが、21世紀には、地球で大規模な陽性の改革が行なわれるはずだ。

   21世紀には、地球人に飛躍的な進化がもたらされるだろう。
   ザイが地球に戻る頃、地球人は人工血液を生成するようになり、我々のように宇宙旅行のスペースシップを作り出す技術を獲得する。そして、地球人の生活からお金が排除され、人間は死を克服するようになる。来るべき数世紀は、我々の兄弟である地球人への援助がより盛んに行なわれる時代になるんだ。そのために、我々は最善を尽くすつもりだ」


       book 「アプ星で見て、知って、体験したこと」 ヴラド・カペタノビッチ著
                         ヒカルランド

                        抜粋したもの
   
   

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