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思考されたものは消滅せず必ず実現する

   あなた方は日常生活においてどのような瞬間であれ、とるに足らない些細なことから非常に重要なことまで、どうするかといった行為の選択肢が無数に存在するなかに生きています。たとえば咳をするかしないか、頭を掻くか掻かないか、猫の頭をなでるかなでないか、窓をのぞくかそれともドアを開けるか、また溺れている子どもを助けるかどうか、教訓から学ぶかどうか、自殺するかどうか、人を傷つけるかどうか、それとも「ほかの頬を向けてやる」かどうか、といったようにです。

   このようにあなた方には現実というリアリティが、自ら選んだ行為によって成り立っていると思われているでしょう。ですから実行しないことにした思考は消え去り、選択しなかったことは行為になるはずはないと思われがちです。しかしながら実際には、すべての思考は実現されており、すべての可能性が検討されているのです。物質的現実はあなた方の見地からすると、一連の物理的行為と見なされるものから成り立っています。これがあなた方の習慣的な現実の「尺度」であるために、非物理的行為、つまり思考というものに対する意識は、あなた方の注意や分別、判断の及ぶ範疇(はんちゅう)からは外れてしまいます。

   例をひとつ挙げてみましょう。
   あなたが読書をしていると電話が鳴りました。出てみると友人からで、夕方の5時に会いたいと言います。そこであなたが受話器を持ったままそれについて考え、三つの状況が心をよぎります。まず一つは自分がそれを断って家にいるところ、次にそれを断って別の場所に出かけるところ、そしてそれを承諾して友人に会いにいくところです。あなたは単なる思考と思うはずですが、実はいま行動に移される可能性を持つ思考上にある行動のすべては、それらが頭に浮かんだ瞬間にその思考は現実味を帯びることになります。

   つまりそれらはみな物質的に実現化され得るのであり、あなたが決断を下さぬあいだは、そうしたいくつかの行動はみな同等な存在根拠を有しているのです。あなたはその三つのなかから一つを選び、その決断に従って物質的な出来事へと顕在化させます。そしてその出来事は、あなたの日常の存在を構成する出来事の一部として、その現実が受け入れられることになります。

   しかしそれ以外の、あなたに選択されず顕在化されない二つの行為についてですが、そこにもこれまでと同じ確たる存在根拠があることには変わりはなく、実際にはあなたが「する」と決めた行為と同様に、実は実行されているのです。そして、選択されなかった行為の背後に強烈な感情的エネルギーの蓄積がある場合には、選んだ行為よりも、むしろそちらの方が行為として大きな存在根拠を持つことさえあるのです。

   いずれの行為も最初は「思考の産物」であること、そしてそれが「現実の本質」なのです。このことはいくら強調してもしすぎることはありません。ですから思考において行なわれる観念的な行為はすべて、存在根拠を有しているのであり、そのゆえに存在しているものを無にすることはできません。あなた方はそのようなことを考えることはなく、それらを物理的な出来事として捉えることがないために、それらの思考の効力や永続性に気づくことはありません。しかしあなた方の限界ある知覚能力の欠如をもっていかにそのような現実を打ち消そうとも、それらの存在根拠を無効にすることはできないのです。

   かりに、本当は医者になりたかったのに、実際は違う職業についている人がいるとします。するとこの人はどこか別の現実において医者として働いています。また、あなたに現在今いる場所では使っていない能力がある時は、それはどこか別の場所で使われているのです。

   こうした考え方は、ここでもあなた方の現在の思考的な気質にとっては、とてもまともでは考えられない、とんでもない代物(しろもの)にしか思えないことでしょう。しかしそれは、あなた方の連続的にしか考えられない直線的思考と直線的時間の概念と、三次元的姿勢にひどく偏った「性癖」のせいなのです。

   またこうした事実からも魂というものが、多次元的で無尽蔵な働きをするものであり、そうした行為は魂というものの存在根拠を計り知れぬほど増大させるものと言えます。つまり魂は尽きることのない創造的行為でもあり、そうした行為を自らのために無限に創造しているのです。あなたという存在を織り成している「つづれ織り」のごとき全貌は、三次元的な知性には見ることのできないものです。しかしあなたがそれらとの接点を持てずにいるのは、あなたが物理的な出来事だけに焦点をあて、それを現実というリアリティの尺度として受け入れているからなのです。

   しかしあなた方は存在のいかなる瞬間においても、思いという思考が生み出した、選択しなかったはずの別の現実をかい間見ることが可能であり、自ら下した物理的決断の背後にある別の現実の行為の響きを感じ取ることができるのです。これはたいてい夢見の状態において行なわれます。つまり目を醒ましているときの普段の意識にある頑固な思い込みが、夢見の状態では往々にして薄らいでおり、その結果、別の現実をかい間見ていることに気づかないまま、自分が実際には選択しなかったはずの行為を演じている自分を見るのです。

   もしあなた方がそれぞれにおいても、そうした別次元の自己というものがあるならば、別次元の地球というものも当然ながら存在しており、それらはみな、あなた方が採択しなかった道を歩んでいるのです。時には目を醒ましている状態で想像力を働かせ、「採択されなかった道」をたどってみることも可能です。

   それでは先に述べた、友人から電話を受けた人物のところに戻りましょう。
   さて、その人は「自分は行かない」と友人に伝えたとします。しかしそのとき、仮にその人が誘いを断りながらも、もうひとつの選択肢である「誘いに応じた」ところも同時に思い浮かべていたとしましょう。するとその人は不意に、そこで次元の切れ目を体験するかも知れず、さらに運よく状況がそれに味方した場合、まるでそれを選択していたかのように、誘いを受け入れた状態を確実なものと感じるかもしれません。その人は何が起きたのかも自覚することなく、自分がこれから友人に会いに外出するような気分になり、物理的には「行かない」と決めたはずの行動に実際に動き出すことさえあるのです。

   このようにして始終いっぱいに中身の詰まった体験が本人に押し寄せることになり、想像することで自由な知覚への扉を開くことになるのですが、そこに幻想や妄想が混入することはありません。これはごく簡単な練習で、どのような状況下でも試してみることができますが、単独ですることが大切です。こうした試みをすることで、行き過ぎてしまうのではないかという心配の必要はありません。また、あなたに選択されなかった行動を「採択していた別の自己」は、あなたの知っている自己とはかなり異なる存在なのです。

   あなた方の思考という行為は、新たな実現化の次元を開きます。
   言い換えると、あなたのほんの微々たる思いが、ひとつの世界を誕生させるということなのです。このことは無味乾燥な形而(けいじ)上学的言語学とは違い、あなた方の中に創造と思索への強い思いを喚起するに十分なものであるのは当然でしょう。どのような存在であっても不毛であり続けることはできず、いかなる考えであっても消滅することはなく、どんな能力であっても成就されないまま放置されることはないのです。

   ですから選択において現実の一つ一つが、同時に「実現化されない」無数の現実を生み出し、そうした「実現化されない」動きや行動も同様に、それなりの実現化の日の目を見るのです。つまり思考されたものは、それが選択された現実であるかどうかにかかわらず、すべてが現実として別次元で実現するのです。

   この状態ですべの現実体系は開いています。
   このそれぞれの現実化を分けているように思える境界は、便宜的に任意に決められているに過ぎません。しかしそうであってもすべては同時に存在しており、それぞれの別の体系を支えながら相互の進化に貢献しているのです。

   ですからあなた方がいかに生きるかということは、別の自己の体験にある程度反映されることになり、その逆もまた真なのです。自分に限界を設けず受容的であればあるだけ、別の自己が体験するさまざまな経験から得るものが大きくなり、それらの知識や能力の恩恵を受けることも多くなります。そしてここでもまたあなた方は、夢見の状態のなかで自然に思いつくままに、たびたびこうしたことを体験しているのです。またあなた方にとって霊感的なインスピレーションと思われるものは、別の自己の側が、思考としては体験したものの、実現化には至らなかった「考え」であることがしばしばなのです。あなた方はその「考え」に同調し、その自己に代わってそれを実現化するわけです。

   同じように、温めているだけで実践することのなかった思いや考えが、別の自己によって実際に取り上げられることもあります。それぞれ別次元にいる自己は、当然のことながらみな自分自身を正真正銘の自己であると考えています。それらのうちのいずれの自己にとっても、あなたは別の次元の自己に過ぎません。しかし内なる知覚力を通じて、あなた方はみなこのゲシュタルト(総体)の一部としての「自分」に気づいています。

           Seth Speaks

        book 「セスは語る」魂は永遠であるということ
                    ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ記録
                      ナチュラルスピリット

                          抜粋   

   

「悪」は存在しない

   一般的に信じられているところでは、進歩向上するということは「上」、つまり「天」に向かうことであり、その一方で宗教的な懲罰である悪夢や地獄は、あらゆるものの「下方」にあると見なされています。そのなかでは進歩が水平線的見地から論じられることはほとんどありません。同じくあなた方の社会で公的に容認されている「進化論」なるものも、この理論を普及させたものであり、それによれば人類の進化は一つの線上を一定方向に徐々に進み、人間は猿から進化したことになっています。

   しかしさまざまな宗教によりあなた方に伝えられたものは、当時の人類が理解できる言葉で、彼らにとって基本的認識と調和できるように語られたものだということです。実際には進化とは、あらゆる方向に展開していくものであり、魂の進歩とは、一段一段と階段を上がるような連続した階梯を上昇していくわけではありません。

   そうではなくそれぞれの魂は自らの中心に立つと同時に、すべての方角へと広がりながら、あらゆる方面を探求していくのです。現実というものの体系は、あなた方の魂の本質を開示するものであり、現行のあなた方の宗教的思想を大きく変えていくに違いありません。こうした理由からも、「善悪の本質」は極めて重要な論点となるでしょう。

   ごく簡単に表現すると、実は現在のあなた方には理解できない観点においては、「悪は存在しない」のです。あなた方は自分自身の感情や信念、そして思考という行為を通して現実というリアリティを創造します。あなたには無尽蔵とも言える選択肢があり、いずれの瞬間においても、その中のいくつかが他よりいくらかは適切であるように思えます。あなた方が思考する行為は現実の始まりを為すものであり、そのゆえに現実の責任があなたにあることを理解する必要があります。あなたはそのことを学ぶために、この3次元の特異な体系に存在しているのです。

   たとえば「悪」「悪魔」の存在を信じているならば、あなたは自分にとって十分現実味のあるリアルな悪や悪魔を創り出すことになります。ですからその悪と悪魔は、あなたの他にも同じようにそれを信じてつくり出している人にとってもリアルなものであるはずです。悪と悪魔はそうした人々からエネルギーを得るので、悪と悪魔そのものが一定の意識を持つようになります。しかし一方でそのような存在を信じない人々、つまり信じることで悪や悪魔にエネルギーを与えない人々に対しては、そうした見せかけの悪や悪魔は力を行使したり、実体として現れることはできません。

   つまり悪や悪魔とは誇大妄想であると言えるのです。
   ですから先に述べたように宗教的な地獄の存在を信じ、自分はそこに行くに違いないと信じている人は、自分の思惑通りに地獄を経験することができます。しかしそうであるとしても、その地獄も永劫に存在するものではありません。なぜなら永久にその真相に気づくことなく、無知で愚かな状態にあり続ける魂などは存在しないからです。

   悪や悪魔、地獄といったものを信じる信仰を抱く人々には、あなた方の意識の本質に対する、なくてはならない深い「信頼」が欠如しています。それは魂というものへの信頼であり、「すべてなるもの」に対する信頼でもあります。悪や悪魔を信じる人は、「善」の力と思えるものには意識を集中させることがなく、その恐れのゆえに、「悪」の力と思えるものに自分の意識の焦点を合わせているのです。したがってそうした妄想はすべて、恐怖心や制限された意識から創り出されることがわかります。

   悪や悪魔の概念は、大衆によってある種の特定の恐れが投影されたものに過ぎません。大衆というのは多勢から成るという意味ですが、しかし常にその中にはそのような信条を拒絶している人々も同時に存在していることから、大衆といえどもその数は限定されているということも忘れてはなりません。

   古代の宗教のなかには、悪や悪魔の概念の本質が幻影にすぎないことを理解していたものもありました。しかし古代エジプトの時代でさえも、恐怖にもとずく単純かつ歪曲された概念のほうが、特に一般大衆の間では受け入れられやすく優位を占めていました。ある意味当時の人類は、悪の概念抜きに神の概念を理解することができなかったのです。

   たとえば「嵐」は、極めて創造的な現象であると同時に破壊をももたらします。
   そして初期の人々にとってはその破壊的な部分しか目に入らなかったのです。しかし当時にも、見える見えないに関わらず、そうしたさまざまな現象の働きにも創造性が宿っていることを直感的に知っていた人々がいましたが、その認識が人々に理解されることはなかったのです。

   「光」と「闇」の対照は、「善」と「悪」のイメージとして表されます。
   かつて人類は危険な夜よりも、明るい昼間のほうが安心して暮らせたために、自分たちを守ってくれる光を善と見なし、暗闇の夜には悪が割り振られました。それと同じように、宗教的な教えの膨大な量の歪曲のなかにも、それらすべての作用に宿る根本的創造原理というものの手がかりが、常に歪んだ教えの背後に隠れるように存在していたのです。したがってあなた方が悪や悪魔を創造しない限り、あなたを引きずり込む地獄や悪魔の存在などはあり得ないのです。しかもそうした場合の力のように見えるものは、幻想の悪魔にではなくあなた方が生み出すものなのです。

   上昇と堕落、光と闇という象徴は、あなた方のさまざまな宗教に特有のものであるので、知覚メカニズムの異なる別の現実体系では意味をなしません。あなた方の世界的な宗教がそれを核として築いていますが、それはあなた方の知識と調和するように、あなた方の内なる自己によって巧妙に選択されたものであって、根源的なものではないのです。つまりあなた方のいわゆる「光」の概念が通用しない世界も存在するのです。

   たとえば仏教徒は一般的に、現実というリアリティの本質についてのある一つの解釈に留まっています。しかし仏教徒は、魂が完璧に不死のものであるという観点を持つことはなく、それゆえ魂の永遠性についてその存在や根拠を理解したり、それぞれの魂の独自性という性質などに対する感慨を抱くところには未だ到達してはいません。しかしながらキリストもそうであったように釈迦も、自分がほぼ到達することのできた叡智だけを、あなた方の現実の見地から解釈しようと試みたのであり、それをあなた方に伝えようとしたのです。


       book 「セスは語る」魂が永遠であるということ 
                    ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ記録
                      ナチュラルスピリット

                           抜粋

アニマ(女性)性とアニムス(男性)性の融合

   あなた方は一人ひとりが例外なく、男性として、女性として生きる経験をすることになっています。しかしそうした選択の記憶は原則として顕在意識に上ることはありません。ですから現在の性別が当人にとっては自然なことであるので、特別な意味を持たないように思っているはずです。しかしそうであっても、たとえば男性の場合ならその内側には女性としての人格も存在しており、この女性人格こそ、ユングが称(とな)えた「アニマ(女性性)」の真に意味するところなのです。

   この男性のなかのアニマとは、本人がこれまでの過去世で体験してきた、女性として生きたすべてであり、その霊的記憶なのです。内なる自己は女性であった時の知識のすべてを持ち、そのとき得た女性的特質のすべてを直感的に把握しています。よって彼のなかのアニマ(女性性)は、現在男性として生きている環境や教育などの文化的状況において、どのような男性的資質を押し付けられるようなことがあっても、それを偏重したり過大評価したりすることのないよう、それに歯止めをかける重要な保護手段としての役目を果たしています。このアニマ(女性性)は、強硬で攻撃的な性向に円熟した柔軟さをもたらすことができます。また家族内で女性とのコミュニケーションのために役立ち、芸術や言葉による表現においても、意思の伝達をより円滑にするという役目も果たしています。

   そうしたことから男性は、夢でしばしば女性としての自分を見ます。
   その時の状況を見ていくことで、女性であったときの転生についてかなりの情報を得ることが可能です。「男性」性と「女性」性というのは、明らかに対立する対極同士ではなく、「融合」に向かいつつある流れのことなのです。女性を顕す普遍的な元型(アーキタイプ)として「女性司祭」、「母親」、「年若き魔女」、「妻」、「老賢女」といった表現をしますが、それはあらゆる女性的資質や、男性が経験するさまざまな女性としての転生を象徴する根源的要素なのです。

   同じく女性にもまた、自らの性別に行き過ぎた偏重が及ばないように、ユングが「アニムス(男性性)」と称した、女性の中に潜む男性というものが存在します。アニムスもまた男性を顕す元型(アーキタイプ)として「少年」、「司祭」、「密林の未開人」、「老賢人」などの、男性としての転生を象徴的に表しています。ですから女性もまた、こうした元型が現れる夢や、自分が男性として登場する夢を学ぶことで、自分の男性としての過去世について多くの情報を得ることができます。

   現在のあなた方の人格存在は、いわゆるアニマとアニムスを通して、異性として生きた過去世に由来する知識や直感、さらにその背後にある情報をも引き出して利用することができます。たとえば女性という資質を極端なまでに誇張して表現している人の場合は、内なるアニマとアニムスが夢の体験を通して、豊かな叡智を携えてその女性を助けるために働きます。こうして本人の内なるアニマとアニムスの叡智が、行き過ぎた女性的資質を相殺するような男性的反応を生み出してバランスをとるのです。

   こうしたことはその理由に関わらず、女性だけでなく男性としての資質を過大評価している人にも該当します。つまりその男性の内なる女性性は、本人のそうした偏重を修正する行為を促し、攻撃性や強硬性を相殺するような直感力や創造的行為を呼び覚ますのです。このような働きは個人的レベルあるいは全体的レベルであれ、そのバランスのなかで結果として起きてくることが望ましく、そのままにしておいても自然と攻撃性が創造的な表現として用いられるところに落ち着く、というのが理想的なあり方です。そしてそうあることは可能なのです。

   過去世の体験によって得られたアニムス(男性性)とアニマ(女性性)は、あなた方の精神のなかにリアリティをもつだけでなく、内なる自己によって遺伝的にコード化されたデータ、すなわち過去世での霊的な出来事の遺伝的記憶に埋め込まれています。つまりそれらは、あなた方の肉体を構成する、細胞の一つ一つの遺伝的記憶のなかに置き換えられて存在しているのです。

   あなた方の内なる自己は転生によって新たな肉体をまとう時、過去世で関わってきた肉体の記憶を、新たな肉体の遺伝的形質全体に浸透させます。しかしながら新たな肉体による現世での性質が優勢なあまり、多くの場合、過去世でのそれらを覆い隠してしまうのが常であり、それらの性質は潜在的に存在したり、あなたの行動の仕方に組み込まれているものもあります。ですから現世のあなたの物理的な行動様式とは、あなたの過去世における肉体と、その長所や短所や傾向などの遺伝的記憶にほかならないのです。

   今のあなた方の肉体には、いくつかの見えない層があります。
   そしてもちろん、一番表面にある層が、あなた方が見ている肉体という現世での身体的形態であり、そのなかに織り込まれるように、見えない潜在的な層である「影」が存在しています。何重にも重なるこうした層は、あなた方の人格存在の過去世での肉体像を表しています。
   輪廻転生の体験は自己の骨格の一部であり、自らの精神の多次元的現実の一局面をなしています。そしてそれらの体験は夢見の状態においてだけでなく、活動レベルにおいても反映されています。現在のあなたという自己を「織り生地」にたとえると、過去世としての転生の体験はその中に織り込まれており、その記憶はしばしば意識に浮上してきますが、それらは空想や芸術的創造として投影された形で表面化するために、「過去世の記憶」として認識されることがないのです。

   たとえば歴史作家の著述は、その時代における本人の実体験にもとづいて書かれていることが多く、そうした場合には、現在の自己と無意識との間に望ましい調和関係がはたらいており、それによって過去世の記憶を浮上させることができるのです。そしてしばしば夢見の状況において、こうした転生の情報が同じような劇的な形に基づいて形成されます。こうした状況においても、アニマ(女性性)とアニムス(男性性)は手に手を携えて、「対極」としてではなく、「調和」しあう性質としてはたらきます。そしてアニマとアニムスが一つに統合されたとき、それは精神的にも物質的にも、また創造性の源泉の象徴となるのです。

   アニマ(女性性)は始原期の「必然的」な霊性であり、瞑想、思いやり、深い内観的性格、創造性の源である「内側への意識の集中」を表します。しかしあなた方が「女性性」を指して表現する、能動性や積極性の欠如を示す「受動的」という言葉は、アニマの性質を表す表現としてはふさわしくありません。なぜならまったく事実に反しているからです。アニマは確かに作用や影響を受け入れますが、それは理解を試みようとする必要性と願望が行動の真意としてあるからです。したがってアニマにはぐいぐいと衝き動かされたいという逆の性質の願望を強く持っているのです。アニムス(男性性)は、アニマ的性質によって確実になった創造性を意気揚々と掲げながら、外へと、つまり物質的活動へと向かわせる積極性をもたらします。

   全体的自己とは明らかに、アニマ的性質とアニムス的性質の総体であると言うことができます。あなた方がそれぞれに最後の転生を終えた後には、肉体や性的要素を伴った創造活動はもはや必要ではなくなります。言い換えれば、もう身体的生殖を営む必要がなくなるのです。そのことを簡潔に表現すると、全体として統一された自己には、男性性と女性性が精緻にして親密なる同調と融合が完成された状態にあるということです。

   そして真の自己とは、そうした両性の融合の中から生まれ出るものなのです。
   あなた方の現在の在り方に見られるような、一方の性別が他方を凌駕しているとしたり、どちらかの性別だけが重視されたりされなかったりするような状況においては、未だそのような自己の融合は不可能と言わざるを得ません。


           
Seth Speaks
        book 「セスは語る」魂が永遠であるということ 
                   ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ記録
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現代人に引き継がれる恐怖心の克服「ルマニア文明」③

   ルマニア人は念じることで、一定の振動周波数にそって思考を投射することができました。これは説明することが困難なすぐれた技であり、しかもその投射した思考を特定の地点においてさまざまな方法に置き換えることができました。たとえばそれらは、ある形状や色彩、あるいは特定の映像として表現できたのです。また彼らの言語はあなた方には理解できない極めて特異なものであり、それは投射の調子や振動周波数や間の取り方などの変化が、あまりに緻密で複雑なものであったのです。

   実際、ルマニア人の意思伝達は彼らの美点の一つでした。
   また彼らがそれほどの伝達手段を持つに至ったのは、ひとつには彼らが非常に破壊行為を怖れていたために、絶えず注意深くある必要性が生み出したものでした。彼らは常時、大規模な血縁集団をつくって生活していましたが、これも防御の必要から見た当然の成り行きであり、そうした理由からも、地球内部に住んでいた人々はかなり居心地の悪さを感じていました。彼らは限られた人数ではありましたが、いずれも自分たちの文明の主要地域からはすっかり孤立していたのです。

   しかしそのゆえに彼らのテレパシー能力は非常に発達し、さらに頭上にある地上世界と自分たちとの間の微妙な変化が察知できたのです。地表を通して地上を観察する目的で、数多くのいわゆるのぞき穴が設けられていました。また地上だけでなく、天体や星座を極めて正確に撮影することのできるカメラも設置されていました。ルマニア人が地殻や天然ガス層について精通し、完璧な記録を保持していたことは言うまでもなく、地震や断層に関しては常に注意深い警戒と予知を怠りませんでした。ルマニア人は地中で生きるという選択をしましたが、彼らはそれをかつて地球を後にした如何なる人種にも劣らず、誇らしく思っていたのです。

   アトランテイスの時代よりも遥か以前に存在した三つの文明のうち、おそらくあなた方にとってもっとも興味深いと思われる二番目の文明について伝えていますが、一番最初の文明は、総体的に今のあなた方に近い発展の道を歩み、あなた方が現在直面しているのと同様な問題に対峙(たいじ)していました。その文明の大部分は、現在のあなた方が小アジアと呼ぶ地域に位置していましたが、その文明の人々は解放的で外の地域を旅して回りました。彼らは、先に触れた最終的に別の銀河系の惑星へと渡り、その残留組がルマニア文明を築くことになったという人々のことです。

   ルマニア文明には、線画や色彩画を用いた意思伝達の方法が存在していました。
   彼らにはそうしたことにおいて、極めて特異な情報チャネルというものがあったのです。ルマニア人の芸術は多くの点で、あなた方のものよりも格段に優れており、さまざまな芸術形態があなた方にはおそらく理解しがたい方法で互いに繋がりあっていたのです。その概念自体があなた方にはまったく未知のものであるので、説明を試みることは極めて困難です。

   たとえば、非常にシンプルな動物の絵などを想像してください。
   あなた方にはそれは単なる動物を描いた絵に見えますが、ルマニア人にとっては、絵に表された線とは目に見える1本の線以上のものであり、ほぼ無数に識別される特徴によって、ただの線と思われるものが特定の音としても知覚され、それが自動的に翻訳されたのです。その絵を見た人は望めば、絵の視覚的イメージに捕らわれる前に、音のほうを翻訳することもできました。ですから単なる動物の絵から、その動物の歴史的背景についてのすべてが語りつくされるのを一瞬のうちに理解することもできたのです。

   直線や曲線や角度のすべてが、絵画の中で客観的な役割を持ち、音の高低や長短、音色などの極めて複雑な一連の多様性を表現しており、それらは「不可視の言語」と呼ぶことができるでしょう。線と線の間の距離は、音の感覚や時間の感覚として翻訳され、線画や彩色画においては、色は意思伝達に特有の言語表現として用いられました。

   あなた方にとっても色彩は、いく分そうした性質を帯びているように、色は感情の度合いの変化を表していました。ルマニア人の絵画は大きさによっても独自のメッセージ性を持ち、細部における表現の緻密性を備えている一方で、意図を及ぼす範囲という点では絶大なる自由が保障されていたのです。このような絵画は、極めて濃縮されたものであることに間違いありません。

   こうしたルマニア人の絵画的技巧は、のちに三番目の文明の人々によって発見されており、その結果彼らによる模倣絵画の片鱗は今日まで残っています。しかしながらそれらの絵画のメッセージを解釈するための鍵はもはや完全に失われており、現在目にするものはほとんどがかつての壮大な多次元的要素の欠落したものでしかありません。たとえ彼らの絵画が残っていても、あなた方にはそれを甦らせることはできないでしょう。現存する洞窟の中でも、特にスペインやピレネー山脈地方の特定の地域やアフリカにあるかなり古いものは、実は自然のものではなく、人工的な建造物であることをここでお伝えしておきます。

   さてルマニア人は巨大な塊りを動かすことができた人々でした。
   彼らは先に述べたように、「音」に精通しており、極めて高度な技術で音をコントロールすることができたために、実際に「音」による物質の運搬ができたのです。彼らは最初の地下トンネルを音の技術を用いて掘削し、本来はほとんど自然洞窟が存在しなかった地域に、その方法を用いていくつかの洞窟を築いたのでした。

   その洞窟の壁に描かれた絵画の多くには、高度に様式化された情報が現されており、それはあなた方の社会で用いられる看板と似た意図のようでもあり、その地域に棲む動物などの生き物を描写したものでした。そうした絵画は、一般的にあなた方が言うところの「歴史」に実在した初期の穴居人類によって、後に手本とされたのでした。

   あなた方は何かの言葉を聞いたときに、それに関連したイメージが心に生じているのに気づいたことがあると思いますが、ルマニア人の場合には音が即反射的に、しかも驚くべき鮮明さで三次元的な制約を越えてイメージが築かれ、それが聞き手の内深くに取り込まれていったのです。つまり「音」による驚くべき識別が行なわれており、音には反射的に見事なイメージを創り出す力があったのです。ルマニア人には内なる視覚と外なる視覚という区別があり、会話の席にあって意思疎通がより明瞭になるように、会話中に目を閉じることは彼らにとってごく自然な行為だったのです。それによって言葉によるやりとりに伴って次々に変化する内なるイメージを楽しんだのです。

   ルマニア人は学習速度の速い人々でした。
   彼らは一つの感覚回路だけでなく、多数の感覚を同時に用いて情報を得ることができました。しかもそうした情報を反射的に教え子たちに刻印することができたために、彼らにとって教育は心躍るプロセスでした。しかし彼らのそうした資質と知覚機能のゆえに、そこに本来の彼らの弱さが生み出されてしまうことになりました。

   つまりルマニア人は自ら果敢に立ち向かい、破壊的行為に対する自らの恐怖心を克服することができませんでした。そしてこのことは当然のように、外に向かう特定の積極的性質をも厳重に阻止するという事態を引き起こしていたのです。そうした領域ではエネルギーの流れが妨害されていたために、実際にルマニア人には力漲(みなぎ)る性質だけでなく、力の感覚までもが欠如してしまっていました。私が言っているのは肉体的な力だけではありません。しかしルマニア人のエネルギーは、あまりに多くの部分が破壊行為の回避に向けられていたために、普通の積極性でさえも、それ以外の分野にエネルギーを注ぐことができなかったのです。


現代人に引き継がれる「破壊的行為」への「恐怖心」の克服

   私はルマニア人についてある程度詳しく伝えてきましたが、それは彼らの霊的遺産があなた方の一部となっているからです。ルマニア文明以外の二つの文明は多くの点で、ルマニア文明以上に成功を収めたと言えますが、ルマニア人の試みの背景にあった頑なな意図は極めてはかないものであったことも事実です。しかしながらルマニア人は、自らの現実において破壊行為への問題を解決することができませんでしたが、彼らがあれほど強く抱いていたその願望は、実は現代のあなた方の現実における霊的領域において今も鳴り響いているのです。

   過去・現在・未来というものは今この一瞬に集約されるという時間の真の本質のゆえに、あなた方の見地から「かつて」存在していたルマニア人は、実は今、現在も同じように存在しています。あなた方の霊的領域にたびたび「浸透してくる思い」というものがありますが、これは偶然に起きているものではありません。そこには一見極めてかけ離れたように見えるものの間にある種の調和関係が生じており、それらの間を「思い」が超えられるような効果がもたらされたとき、そうした「思いの浸透」が起こります。ですからあなた方の文明とルマニア人の文明との間には、そのようにしてこれまでにも「思いの浸透」が起きているのです。

   これまでにさまざまな古代宗教が、ルマニア人の思想を取り上げてきましたが、その一例が「荒々しい神」の姿でした。ルマニア人はその姿に彼ら自身の力や権力や攻撃性を投影してきました。彼らは、「攻撃を仕掛けないというだけでは自分たちを守りきれない」という状況下で、この神が自分たちを守ってくれるようにと期待を込めたのでした。彼らの「浸透してくる思い」には、あなた方にとっては未だ現在準備段階にあるものもあり、その中にルマニア人の芸術やコミュニケーションの概念を、初歩的な段階ではあってもあなた方のなかに見出すことができるでしょう。

   
        book 「セスは語る」魂が永遠であるということ 
                   ジェーン・ラバーツ著 ロバート・F・バッツ記録
                      ナチュラルスピリット

                          抜粋   

      

地球史の失われた文明「ルマニア文明」 ②

   ルマニア人は自分たちの文明圏の周囲にエネルギー場を張り巡らせていたので、他の集団から干渉を受けずに済み、孤立して生活していました。ですから彼らが自分たちの技術を用いて、そうした他の未開の集団を攻撃したり、破壊したりということはあり得ないことでした。しかしルマニア人のなかにも、自分たちの行なってきた実験的試みが、必ずしも成功しているとは言えないことに気づく人々が徐々に増えていきました。その結果、かつて物理的宇宙にある別の惑星体系へ移住して行った、自分たちに先駆けて地球で栄えた文明の人々と合流するために、肉体的な死をきっかけとしてルマニアを去る人々もいました。

   そしてルマニア人のいくつかの大集団は、それまで住み慣れた都市を捨て、自分たちを包囲して張り巡らせていたエネルギー場を粉砕し、いくつもの比較的未開な人々の集団に混ざることで、通婚して子孫を残しました。こうしたルマニア人たちは暴力や破壊行為に耐えられず、未開の人々に対して戦うという同等な行為を持って応戦することができなかったために、彼らはみな早くに殺されて死んでいきました。そうした中で彼らが自らの子孫に望んでいたことは、未開の人々との異種婚による突然変異の結果、破壊行為に走る傾向を持たないまま、なおかつ自然な反応を阻止してしまう彼ら本来の神経的制御機能が取り除かれることであったのです。

   こうしてルマニア人の文明は物理的には滅亡しました。
   その後、突然変異による子孫たちのうちほんの一握りの人々は後に小集団を作り、それに続く世紀には動物の大群を引き連れてその地域を移動するようになっていました。彼らと動物たちは相互によく助け合い、半人半獣にまつわる古い伝説の多くは、こうした過去の結びつきの記憶が長い年月を経て語り継がれたものです。彼らは、初の偉大な文明のまことの生き残りとして、自分たちの起源を潜在的な記憶として常に心の奥深くに強く留めていました。

   彼らは技術面では急成長しましたが、一方で彼らが目指していたことが創造的潜在能力の建設的な発達というよりはむしろ、暴力破壊行為の回避ばかりであったために、彼らの体験は著しく偏っていたのです。ルマニア人は破壊的行為をあまりにも怖れていたために、身体組織を通して自由に表現することも是認できないところにまで追いやられていたのでした。

   そのような理由からルマニア人の文明はしごく活力に乏しいものでした。
   つまりそこには攻撃性が存在しなかったからではなく、エネルギーの流れや表現の自由が、肉体のレベルにおいて自動的に堰き止められていたからです。地球上に暮らすものであれば、他からの暴力破壊行為は避けられないものであることを彼らはよく理解していました。しかしそのことを個人が独自のやり方で学ぶ権利さえも否定していたために、個人が自分なりに攻撃性を建設的と見なしうる行動へと変容させていく学びが阻まれていたのです。この点に関しては、自由意志が放棄されていたと言えます。

   母親の子宮から外に出た子どもは、その後しばらくは病気から身を守る免疫機能が働くように、生後間もない子どもは、霊的な災いからも短期間は守られています。また子どもは自らの過去世での生活やゆかりの場所などに関する記憶を慰みとして持ち続けています。同じくルマニア人の場合も、何世代かにわたる潜在意識の奥深くに存在していた、遥かな太古に興隆衰退した自らの文明の記憶に支えられていたのです。しかしそうした記憶も徐々に薄れていき、ルマニア人は他からの暴力破壊行為からは自身を守り抜いてきたのですが、恐怖心に関しては同じようにすることができなかったのです。

   こうしてルマニア人は人類にとってごく日常的な恐怖の数々に翻弄され、破壊を伴う自然の力にさえ物理的な対策を講じることができず、彼らのなかではそうした恐れは益々過大視されていきました。何かに襲われた場合、彼らには逃げる以外に術はありませんでした。「戦うか、逃げるか」という選択は、ルマニア人にはなかったのです。つまり彼らにとって唯一の手段が「逃避」であったのです。

   ルマニア人の神の象徴は、力が強くて筋骨隆々とした男性の姿をしており、自らの力で自分たちを守れなかったルマニア人を代わりに守ってくれる存在でした。この神はルマニア人の信仰と並行して発展していき、自らが表現し得なかった資質を彼らはその神に投影したのです。この神はずっと後になって、「神の選民」と呼ばれる人々を守る天罰の神、復讐の神、古(いにしえ)の神ヤハウェとして登場することになります。

   ルマニア人にとっては自然に対する恐怖は並々ならぬものがあったために、人間を育んでくれる自然との間に疎外感や隔絶感が生まれました。ルマニア人は地球上の破壊力から身を守ることがかなわなかったために、地球を信頼することができなかったのです。

   ルマニア人の並外れた科学文明は、主に地球内部において用いられました。
   ですから彼らはそうした意味では最初の穴居人類であったとも言えるのです。彼らは地下都市から地上へ
出るときそうした洞窟を通り、その洞窟は未開の原始人たちが身を潜める隠れ家としても機能しており、ルマニア人の地下都市に至る道であることも少なくなかったのです。そうした洞窟や通路は、ルマニア人の都市が廃墟と化して後遥かな歳月が経ってから、次に述べる未開の土着民によって発見されました。

   あなた方が現在、石器時代と呼んでいる時期に、やはりあなた方が祖先と見なしている穴居人類たちが住んでいたのは、それらはしばしば自然の洞窟ではなく、後方がなめらかな壁になった通路へと繋がる人工的な洞窟であり、それらの多くはかつてルマニア人が暮らした廃墟だったのです。穴居人類の手になる石器の中には、彼らがそうした洞窟で見つけた道具の模倣であり、それを歪めた作りのものもありました。

   ルマニア文明は高度集中型の性質を持ち、他を征服したり、領地を極端に拡大したりはしなかったのですが、自らの居留地を設け、そこから地上に現れては土着民たちに関する情報を数世紀にわたって収集し続けました。居留地として地下に建設された大規模な地下都市は、言うまでもなく見事な設計がなされており、非常に複雑な地下トンネルの連結網によって繋がっていました。ルマニア人は審美眼のある人々であったので、壁画には線描画などが施され、地下の深い路地には彫られた塑像が並べられていました。

   エスカレーターに似たさまざまな設備も利用されており、その中には歩行者を運ぶものや、物資や貨物を運ぶものもありました。彼らの居留地はたくさんの地域に散在していましたが、その相当数が現在のスペイン、そしてピレネー山脈(スペインとフランスの国境地帯にある)と呼ばれている地域にありました。それにはいくつかの理由があったのですが、その一つはその山岳地帯に住んでいた巨人人種と関係がありました。ルマニア人に特有の臆病な性質のゆえに、そのあたりの居住地に駐留することを歓迎する者はおらず、最初から一時的な任務ということで、中でも飛びぬけて勇敢なルマニア人がその地に赴(おもむ)いたのでした。

   
(1971年に、新聞に写真入りで次のような記事が掲載された。
   それによると「スペインとの国境近くのフランス領ピレネー山脈にある洞窟から、大量の類人のものと見られる頭蓋骨が出土した」というものだった。それらの頭蓋骨は少なくとも20万年前の遺物で、これまでに確認されたことのない人種のものであるという。現在までに、当時のヨーロッパにはいくつかの未開人種が存在していたらしいという仮説が立てられている。この時期はネアンデルタール人の出現よりも前のことであり、最後から二番目の氷河期の初期にあたる。南フランスにある当の出土地域は、石灰岩盤からの流水によって非常に簡単に侵食されてできたという大洞窟が多いことで知られている
。)

   洞窟は外界への出入り口としての役割を果たしており、行き止まりと思われる洞窟の場所にはしばしば、「外側からは不透明で見えないが、内側からは透けて見える」素材を用いて作られていました。こうした洞窟を自然の住処として利用していた未開の人々を、ルマニア人は危険をおかすことなくこうして観察していたのです。

   ルマニア人はあなた方の耳では捉えられない音も感知することができました。ルマニア人特有の破壊行為への恐れは、そのゆえに身体的メカニズムのすべてを驚嘆に値するほど鋭敏にしていたのです。それほど彼らは常に周囲に敏感でなくてはならず、用心深くなければならなかったのです。


            
Seth Speaks
         book 「セスは語る」魂が永遠であるということ 
                  ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ記録
                      ナチュラルスピリット

                          抜粋


       

地球史の失われた文明「ルマニア文明」 ①

   あなた方は、原始人類から始まった人類の歴史が現在まで続いていると考えているかもしれませんが、それ以外にも別の発達した科学文明がいくつも存在していたのです。そのなかには伝説として語り継がれているものもありますが、すっかり忘れ去られているものもあります。それらはあなた方の見地からすれば、今や「失われた文明」ということになります。

   あなた方人類としての「種」は、たった一度だけ与えられている人生であるとか、あるいは人間の愚かさと攻撃性のゆえに滅亡の憂き目に遭っている運命だと思っているかもしれません。しかし自らの能力を発達させ、それを発揮していくために多くの転生の機会が与えられているのと同様の見地からすれば、「種」というものに定められた歴史的発展の道筋は、実は、現在あなた方に知らされているものだけではないのです。

   あなた方は輪廻転生する存在を完了させねばなりませんが、そのためには潜在力を培(つちか)って発達させねばならず、そのための時間は文字通り必要なだけ与えられます。そしてそれらの文明の人々も転生する集団として、さまざまな重大危機に次々に直面していきました。その結果、彼らは現在のあなた方の物質的進化レベルに達していたことも、そのレベルを超えていたこともあり、あるいは自分たちの文明を崩壊させたこともありました。

   そうした人々の中にはあなた方の物質的惑星を離れて、物理的宇宙の別の場所に移る人々もいました。そうした進化レベルにあった人々は精神的にも霊的にも十分な成熟を遂げており、あなた方が現時点では未だ、その実用的な知識を持たないエネルギーを用いることができました。

   地球は、現在の彼らにとって、伝説上の故郷ということになっています。
   彼らは今では、「種」として新らしい人種に進化しているので、あなた方の存在する大気の状態のもとでは、もはや物質的な適応をすることができません。それでもあるレベルの物質的現実に暮らす限り、彼らもまた輪廻転生する存在として存続しています。しかし彼らの中には、突然変異によって転生のサイクルを終えて久しい人々がいます。

   転生のサイクルを離れた人々は、概念的存在へと進化していきます。
   しかし物質的存在は同時に概念的存在でもあるので、彼らは物質的存在の部分にあたる肉体という形態を放棄したということです。現在もこの存在のグループは、地球に大きな関心を寄せており、地球にエネルギーや支援を送っています。今ならあなた方にお伝えできることは、彼らはある意味地球にいる人類にとって、「神々と見なされてきた存在」であるということです。

   あなた方の惑星において、彼らは特定の三つの文明に関与しました。
   それらはアトランティスの時代よりもずっと古いものです。そして実際に当時は、地球自体が少し違う位置にあったのです。それは特に、あなた方も知っている、地球以外の三つの惑星との位置関係においてそうだったのです。その時代に地球の両極が入れ替わったことがあり、それにはあなた方の惑星の歴史の中の三つの長い時代が関わっています。

   それらの時代の文明は極めて発達した技術を有しており、中でも二番目の文明に関しては科学技術の発展という面においては、実際にあなた方の文明よりも遥かに進歩していました。その文明では「音」が極めて効果的に利用されていました。それは治療だけでなく戦争
にも用いられ、移動用の乗り物の原動力として、また物体を動かすことにも音が使われていたのです。音は重いものを大量に運搬する手段でもあったのです。

   この二番目の文明の中心的な場所は、現在のアフリカとオーストラリアがある地域に集まっていました。もっとも、当時は気候だけでなく、地表の陸地の占める位置も現在とはまったく異なっていました。当時の陸塊の集まり方は、地軸移動によって入れ替わった両極の位置と関係していました。しかし相対的に見て、その文明は局地集中型であり、彼らの文明を少しずつ広げて行くといった拡大の試みは行なわれませんでした。

   その文明は内側へと成長する性質を持っていました。
   そして一方で地球上には当時、広範囲に散在する非組織的な未開文明が同時に存在していました。しかしその二番目の文明は、そうした未開文明をあえて「啓蒙」しようとしなかっただけでなく、総力をあげてそれらの文明が進展していくことを阻もうとしたのでした。こうした特筆すべき状況は長い間続きました。

   この文明を構成していた人々の大半が、それ以前に栄えた文明の非主流派集団でした。というのは、それ以前の集団に生きた人々のほとんどは、あなた方の物理的宇宙ではなく別次元の領域で存在し続けることを選択したのですが、二番目の文明を築いた人々は地上の生活に格別な愛着を持っていたことと、それまで関与していた体験的試みをさらに推進させたいと考えたために、別の存在レベル次元に移行することができたにもかかわらず、地球に残る選択をしたのでした。

   地球に残った彼らは、(文明の崩壊後)再び未発達な文明としてゼロから始めることには関心はなく、そこで過去の文明から得ていた知識のほとんどが彼らの天性となり、そのためその特異集団はあなた方の言う「さまざまな技術発展のプロセス」を物凄いスピードで達成していきました。

   その文明の初期にあった彼らがとりわけ関心を向けていたのが、破壊行為に対する防御機能が生まれながらに備わった人類を創り出すことでした。なぜなら彼らの平和願望は、あなた方のいう「本能」に極めて近いものになっており、そのために彼らの身体機能は、脳が強い攻撃性の信号を送っても肉体はそれに反応を示さぬように変化してしまっていたからです。現在でも特定の個人にこの性質の痕跡を見て取ることができますが、そうした人は、自分が他へ向かって暴力行為であると見なすことを行いそうになると、その前に気を失ったり、自分の身体を痛めつけようとさえするのです。

   そうした理由で、この文明の人々は彼らの周囲に暮らす未開の土着の人々の文明化を望まず、そのままであることを望んだのです。しかし一方で彼らは自分たちの集団から人を送り出し、土着の人々とともに生活したり通婚したりということも試みており、そうすることで自分たちの「種」が持つ「そうした生理機能」を平和的に少しづつ変容させていこうという願望がありました。

   彼らは過度に用心深く、大きく拘束された精神と肉体を持つ存在へと変化していくことになりました。そうした状態にあっては、「生物としての身体が生き抜くために」当然必要な事柄があらゆる面において制約されたのです。彼らの文明の知的進歩はめざましく、その技術はとどまるところを知らず、次々と先端技術が推進されていきました。その一つとして、自分たちの存続のために他の生き物を犠牲にする必要をなくすために、人工食が開発されていました。

   彼らはまた同時に、自分たちの環境も損なうことなく、もとのままを維持しようとしました。そしてあなた方がたどっているような蒸気機関車の時代や自動車の時代などの段階を経ることなく、彼らは文明の初期段階から「音」の技術開発に熱中していました。しかしながら彼らが用いていたのは、耳で聞くことの出来ない「音」でした。

   この文明は「ルマニア」(Lumania)」と呼ばれていましたが、その名称そのものは伝説のなかで語り継がれ、後世でもその名称が使われたことがありました。
(参考:現在のルーマニアの綴りはRumaniaまたはRomania,Roumaniaであり、レムリアはLemuriaである。)ルマニア人は非常に細身で、肉体的には虚弱な人々でしたが、霊的には聡明か、まったくそうでないかのどちらかでした。すでに述べた彼らの先天的制御機能が、あらゆる方面で彼らの身体的エネルギーの流れを妨害していたために、本来極めて高度に発達していたはずのテレパシー能力にまで影響が及んだ場合もありました。     「ルマニア文明」②へ続く


           
Seth Speaks 
         book「セスは語る」魂が永遠であるということ 
                  ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ記録
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                         抜粋 

私たちはこうして自分の運命や人生を創っている

   あなた方はそれぞれの人生において、自分自身について学ぶために、外側の環境をよく見極めることが求められています。なぜなら外側というのは内側を映し出したものであるからです。あなた方は自分というものの内なる本質を理解し、それを外に向けて顕すことが求められています。そうしていく過程で、自分の内面の状態と能力をいっそう自覚するようになれば、あなたの外的環境もよい方向に変化していくはずだからです。

   しかしながら理論的には、これまで限りなく繰り返されてきた転生においてあなたがそのようにしてきていれば、転生を経るごとに豊かで聡明に、そして強く健康になっていくはずですが、さまざまな多くの理由のゆえに輪廻転生のシステムはそのようには働きません。それは多くの人々が異なる種類の体験を選択して、その特定の分野での進化に意識を集中させる結果、そのとき意識を向けられていない分野がいくつもの転生のあいだ放置されたままの場合があるからです。

   あなた方はまったく同じ体験をしたり、その体験に同一の解釈を与えたりすることはなく、それぞれが転生の機会をまったく独自のやり方で利用します。たとえば、性別を変えることも当然あります。人によってはそれぞれの転生でいつも交互に性別を変えることもあります。いくつかの転生で女性として生きた後、今度は男性としていくつかの転生を生きるという場合もあり、その逆もあります。

   しかし輪廻転生というシステム全体を見るとき、人間は両方の性別を経験していることが必要です。なぜなら一方だけの性別を選択しているあいだは、能力の進歩が望めないからです。父親としての体験も母親としての体験も、どちらも必要不可欠なのです。そのようにして、あなたが今知っている自分の人生と、毎日の体験を創っているのは自分であることに気づくようになるとき、そこで始めて自分の考え方や感情のパターンを変えたりして、自分の生活環境を変えることが可能になるのです。

   あなた方の現在の人間関係や、生きる姿勢、体験には内なる論理が存在します。
   たとえばある転生において、あなたは男性として生きており、女性を毛嫌いしていたとします。すると次の転生ではほぼ間違いなく、あなたは女性として生まれることを選択するようになります。なぜだかわかるでしょうか? つまりこうするよりほかに、男性であるあなたが「女性であること」を理解し、体験できる方法はないからです。そして女性として生まれたあなたは、かつて男性であった時に女性に対してとっていた態度に、今度は自分自身が直面することになるのです。

   また、もしあなたが病人への思いやりを欠いていた場合、次の転生では、深刻な病気に罹患(りかん)して生まれて来る場合があります。つまり、かつて自分が病人に対して向けていた態度を、今度は人から向けられるという立場をとることで、病人であることを理解するためにあなたはそれを選んで体験するのです。しかし病人という在り方は、たいていそれ以外にも問題をはらんでいる場合が多いようです。いずれにせよすべての在り方は、たった一つの理由から採択されるわけではなく、同時にたくさんの精神的な体験に貢献するのです。

   たとえば慢性疾患の場合、健康体であれば日常生活ではほとんど無視してしまうような自分の内面への自覚という、修養の手段として起こることがあります。それは表面的には幸福そうで申し分ない人生という、一見素晴らしいように見えるものが、実は本質的・根源的な理解を伴ったものではなく、そのゆえに人格の進化という点においては実現されにくい場合がしばしばあるからです。

   真の幸せを生きるとは、深いところで充足している在り方のことであり、そこには常に思うまま自由自在に活かされる叡智と、精神的喜びとがあります。しかしながら私が言いたいことは、苦痛や難儀を経ることが必ず精神的成長につながるとか、すべての病気がそうした理由から選択されたり受け入れられたりしているわけではないということです。病気が、無知や知的な怠慢という性癖の結果として具現化される場合もあります。なかにはまた別の特質のために、自分に対して強硬な手段をとる必要があって病気という形を選択する可能性もあります。

   転生には、全体的な人間関係のパターンというものが存在しています。
   しかしながらだからと言って、お互い慣れ親しんだごく限られた数の友人や知り合いの間で、役者のように同じ顔ぶれが配役を変えながらある転生に集合するわけではありません。人はあらゆる転生で、特定の目的のもとに集合したり離れたりします。そして異なる次元において再会することを選択したり、しなかったりします。

   繰り返しますが、そこには厳密な決まりなどはありません。
   あなた方の家族のなかには、肉体上のつながりをもつ祖先が文字通り転生して戻ってくる場合もありますが、しかしこのような例は実は一般的なことではないのです。いずれにしても深い関わりのある関係はどのようであれ存続していくものであり、そうでない関係はただ消えていくのです。

   ここで明らかにしておきたいことがあります。
   それは「進化する機会や知識を得る機会は、今、現世のこの瞬間にある」ということです。そしてこのことは「今後もずっと変わることがない」ということです。もし現時点で日々の生活において進化の機会を無視しているとすると、死後や中間生においてなかば強いるように進化を促し、あなた方に勧めてくれる存在はいなくなります。しかし死後の体験には教師が存在しており、今のあなた方にも教師は存在しています。

   過去世において非常に強い愛情のつながりのあった家族の誰かが、ある転生において再び家族となる場合もあります。しかしその逆の場合もあり、それは過去世で憎しみあっていた者同士が、家族という密接な関係を選択して再び出会うというものです。そこでの目的は、お互いがより深く理解し合うことを学び、過去世とは異なった背景のなかで問題を解決するという、共通の目的に取り組むためです。

   それそれに異なった世代というのは、世代ごとに共通した目標を持っています。
   それは内なる叡智を実現するためであり、その叡智をできるだけ忠実に具体化し、外の世界に顕在化させることなのです。あなた方が知っている、何世紀にもわたり変化し続けてきた外側の物質的光景は、つまりが多岐にわたる物質的次元の時代のなかを生きた人々の心をよぎって行った、内なるイメージの投影の現れなのです。

   自分の過去世を知ることは必ずしも重要ではないのですが、知ることによって現世での誕生にあたり、今の環境を自分で選択したことを理解できるのであれば、それは進歩の助けとなるかもしれません。現在の自分の生活を注意深く見ていくことで、あなたがどのような目的と課題を決めて生まれてきたかがわかります。これはそれほど簡単なことではありませんが、しかし答えはあなた方一人ひとりが理解できる範囲の中にあります。

   もし自分自身を憎しみから解き放ちたいと思いそうするなら、あなたは憎しみを伴う人間関係からは自動的に解放され、将来においても根底に憎しみを伴うような関係や体験を引き寄せることはないでしょう。つまり、自分の過去世の体験を知っていても、現在の自分という存在の在り方に気づくことがなければ何の役にも立たないのです。

   「これは自分が過去世で仕出かした何事かが原因でこうなったんだろう」と言うことで、現状を説明したり正当化するかもしれません。そしてそのような正当化は、何らかの理由からあなたが自分の人生に否定的要素を持ち込んでいる可能性を示しています。しかし現在のあなた方は、否定的な影響を変えていく力を持っています。理由づけというのは常に、理解の深さと関係しているので、そうした正当化するという否定的要素も、理解を深めることで取り除くことができます。

   「貧しい人は、貧困を選んで生まれてきたから貧乏なのであって、別に私が手を差し伸べる必要はない」といった理由づけの態度は、次回の転生において、いとも簡単にあなたに貧困を引き寄せることになるでしょう。


          
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                     ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ記録
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転生は自分の感情と信条を忠実に反映する

   憎しみの対象が何らかの主義主張であれ、特定の人物に対したものであれ、憎しみを抱いたまま死ぬということは、それがいかなる理由からであっても非常に残念なことと言わざるを得ません。その結果、次回の転生では、現在の生き方やものの考え方、感じ方を踏襲した人生を再び歩むことになります。

   それがわかっていても、現時点でそのような憎しみを抱き続けることに固執するのであれば、まず間違いなく別の転生においてもそうすることでしょう。しかしその一方で、あなたがこれまでに獲得してきた真実の閃(ひらめ)きや愛や喜び、そして創造性や達成感といったものもまた、その転生において継続して存続します。

   真実の閃きや直感、愛、喜び、創造性、そして達成感といったものこそが、唯一で本当の真実なのであり、それらこそが本当の魂の存在の「拠りどころ」なのです。例えて言えば、外を吹き荒れる嵐に憤り、外にでて拳(こぶし)を振り上げて暴言を吐くとしたら、その行為は馬鹿げているとしか言いようがありません。なぜなら嵐を擬人化して魔物のように見なすことは無益なことであるからです。しかもその破壊的要素や、破壊的に映る要素にあなたの意識を集めることになるからです。

   形を変化させることは破壊的行為ではありません。
   爆発的な嵐のエネルギーは極めて創造的なエネルギーであり、嵐は創造性の一部なのです。あなた方は嵐を自分なりの見方で解釈し、ある人は嵐の中に終わりなき創造性の循環を感じ、またある人は嵐を悪魔の仕業であるとして擬人化します。

   あなた方はすべての転生を通して、自分が見ている現実というリアリティを自分なりに解釈します。そしてその解釈によるやり方があなた方に影響を与え、さらには他の人々にも影響を及ぼすことになります。実際に憎しみを抱いている人は、すでにあるその憎しみに応じて即座に自分の在り方を決めます。つまりその人は、自分の憎しみによって制限された理解の程度に応じて、現実の本質について間違った判断をしてしまうのです。

   私はこの輪廻転生を扱う章において、憎しみの問題を特に強調して論じていますが、それは憎しみのもたらす結果がこの上なく悲惨なものであり、壊滅的であるからです。憎しみを抱く人は必ず、自分の正当性を信じています。人は自分が善であると信じるものに対しては、決して嫌ったり憎んだりすることはありません。たとえ本人が自分の憎しみは正当なものであると信じていても、やがて憎悪そのものが自分の中で非常に強力な主張と化すようになり、自分を苦しめすり潰し、破壊させる要因は唯一憎しみそのものであるということを本人が学ぶまで、その憎しみは幾つもの転生にわたって憑いてまわることになるのです。

   しかし肝心なことは、どのような転生の体験であっても、誰もあなた方にそれを強制するものはいないということです。あなたの転生は、あなたの感情や信条にしたがって忠実に形作られるものです。憎しみは、あなたがそれを信じていれば力を持ちます。転生にあたっては誰もがそれぞれの約束事を決めて来ていますが、多くの場合、ほとんどの人はそれを忘れています。あなたは今回生まれて来る前にそうした取り決めにいわば署名しており、現世での友人たちの多くは、ずっと以前からあなたと近しい間柄にあった人々です。

   しかしながらだからといって、現在のあなたが知る人々全員がそれ以前の転生からの知り合いだというわけではなく、そうした人々との再会が、同じレコードを何度も聴くような退屈な繰り返しだという意味でもありません。いかなる再会であってもその一つひとつのすべてが、それなりに新しい形をとることになるからです。それは家族について話したことと通じるのですが、一つの町や村が、そのような過去のつながりを持った人々から構成されている場合もあります。

   そうした人々は集落というグループ単位で異なる体験を試みるために、新たな体験や背景のもとに自分たちの立場を置き換えるというやり方をとるのです。現在においても特定の市町村の住民が、別の市町村の住民として生まれ変わっている例があります。そして今でも常に過去世での知り合い同士が、夢を通じてコミュニケーションを交わしているのです。そのようなグループ単位の場合は、町の住民たちがその町の運命を決めるような進化の計画が立てられます。

   このように常に何らかのグループの一員として生まれることを選択する人は、つまり過去における同世代と一緒に生まれ変わることを選んでいるのです。その一方で、そのような試みに興味はなく、より他者に依存しない立場で地上に帰ってくる人もいます。これはそれぞれの心理的感覚によるものです。前者のような立場、つまり何らかのグループに属するほうが自信と余裕を持って、周囲とともにうまく物事に取り組める人もいるのです。たとえば「幼稚園から高校までずっと一緒だった友達グループ」という場合、そうした人々が転生においていつも一緒に生まれ変わることを選択するのでしょう。

   しかし一人で次々と学校を変わって、単独行動を試みる人もいます。
   そうした人々は相対的に言うと、より大きな自由を手にし、より多くの挑戦に臨むことになります。そしてグループ好きの人が選択するような、危険の少ない枠組みの中で安穏と暮らすこととは縁がありません。

   いずれの道を選ぶにしても、それを決めるのはあなたです。
   それに際して選択するべきことは、単に次の転生の環境やその時期だけでなく、それぞれの転生の持つ全体的な性質や、その転生をどのように完了させるかといったことにまで及びます。どのような転生にするかといった方法は、あなたの複数存在する内なる自己の数だけあるのです。そして内なる自己は、それぞれ独特の方法を選択します。



     
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肉体の細胞を構成する原子や分子は意識を持っている

   あなた方はしばしば、思考それ自体に生命力があることを忘れて暴走してしまいます。
   その結果、本来そこにはなかった分裂を生み出すのです。つまり考えとは頭の中にあると思っているのです。たとえば腕のひじや膝(ひざ)、つま先の親指の中で思考が生きていると、誰が想像するでしょうか。

   あなた方は普通、自分の思考は生きた肉体とはほとんど無関係だと思っています。
   なぜなら身体は物質的なものに見えるし、思考は物質的ではないように思われるからです。そしてあなた方は往々にして、概念の世界と身体の世界の間に不必要な境界線を設けます。

   身体とは思考の生きた物質化であるのと同じように、思考は、活動し反応しながら生きている身体を作っているのもまた真実です。身体は単に使われるための道具ではなく、手段というだけのものではないのです。身体とは、肉をまとった魂そのものなのです。あなたはそれに自分の思考を負わせ、意識的な観念を通してその健康や健全さに大きく影響を及ぼしています。

   しかし一方で身体は、生きて反応する原子や分子からなっており、しかもそれらの構成要素一つひとつに生きた意識があり、自らの枠組みの中で存在しようとする衝動を持ちます。原子と分子は細胞を構成し、それらが結合してそれぞれの器官をつくります。さまざまな器官の内部には細胞をまとめている意識があり、彼らはそれぞれのやり方で自身のアイデンティティーを感じているのです。

   そこには器官全体が一つになって機能するという目的があります。
   こうした意識の共同作業がよどみなく行なわれているのは、あなたの身体が意識を持っているからなのです。それは生命に不可欠な、自らのバランスと健康を維持しようと務めているからです。

   身体というものを、何らかの形而上学的な結果としてではなく、敏感に反応するゲシュタルト(形態)と見る必要があります。つまりあなたの肉体は、さまざまな生きた存在によって構成されているのです。この生きた素材をまとめているのはあなたですが、肉体そのものに達成と存在の権利が備わっています。

   あなたは固い土の塊りに閉じ込められた魂ではありません。
   あなたがその「土の塊りの館」から出たときも、それはすぐには崩壊しません。彼らはそれ自身の速度で分解していきます。それらをまとめあげているあなたの力がもう去ったからです。

   そして原子や分子の細胞の生気は、自然界の他の生命形態へと変換されていきます。
   肉体を去ったあなたの知覚は、今やあなたが気づくだけのものになります。原子や分子もそれ自体がすぐれた視覚を持ち、独自の方法で環境を正しく理解しています。その力があなたの心を動かしたり、あなたの身体をつくったりするのです。

   あなたの思考を形作るエネルギーは、植物が花を咲かせたり、あなたの指の火傷を自然に治したりするエネルギーと何の違いもありません。魂は、自然とは別に存在しているわけではなく、自然の中に押し込まれているわけでもありません。どんな形をとろうと肉体を持つ魂は自然そのものです。

   あなた方が「身体」と呼んでいるものは、実は生きた魂なのです。
   魂はさまざまな形で生きることができるし、実際そうして生きています。なかにはあなた方のように物質的な形をとるものもおり、そうでないものもあります。しかしあなたが有形の存在である限り、その身体は生きた魂です。身体は常に自分自身を癒しています。それは身体の中に宿る魂が、自らを癒しているという意味です。

   あなたは常に、自然の枠組みの中にいるということを覚えておく必要があります。
   身体の意識には生まれつきのガイドラインというものが備わっており、あなたから否定的なイメージが反映されたときにのみ、それらは自動的に対抗します。

         

西洋医学がもたらした化学薬品

 
  あなた方の社会における一般的な西洋医学において、また現代の多くの治療に用いられている医薬品の導入によって、あなた方はすでにお手上げ状態にあります。

   あなた方の身体というものは、大地から直接採れる「自然な」薬、つまりすり潰したり、煎じたり、砕いたり蒸したりすることで作り出される薬草の使い方を良く知っています。しかしさまざまに「製造」された化学物質による薬剤は、あなた方の生まれつきの身体組織にとっては未知のものであるので、強力な防衛反応を引き起こすのです。

   あなた方はそれを副作用と呼んでいますが、実際にはそれはほとんどが病気そのものに向けられたものではなく、その化学薬品に直接向けられて起きています。こうした状況ではその薬剤に対抗するために、さらに別の化学薬品が使われることになります。

   西洋社会が発達させてきた現代の医学体系をあなた方が信じているのなら、私は医者にかかってはいけないとか、その種の薬を飲んではいけないなどと言うつもりはありません。しかもすでにあなた方の身体は誕生以来、そういった薬剤やワクチンの使用に慣らされてきました。それによってさまざまな損害や影響が伴っているとしても、あなた方はそのような仕組みを選択してきたのです。

   ここでもやはり、自分の思考が自分の現実を作っているのです。
   自分でそのように決めていない人は、どんな病気にも罹らないし、行き当たりばったりの思いがけない病気で誰一人命を失う人はいません。

   簡単に言うと、あなたの思考は目に見えないウイルス、あるいは保菌者のようなもので、体内だけでなく、あなたの知る物質体系のすべての反応を呼び起こす「火花」と見なすことができるのです。あなたの思考は、あなたの身体の細胞と同じくらい自然であり現実のものです。それらはウイルスと同じように影響力を持っています。あなたがこの3次元の現実にいる限り、心と魂と、身体との間に分割というものはありません。もしそれを別々のものだと思うのであれば、あなたは肉体の霊性と思考の物理的実体を十分にわかってはいないのです。

          
セス・ブック
      book 「個人的現実の本質」 ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ記録
                       ナチュラルスピリット

                           抜粋
   

自分を駆り立てる感情と思考を知る

   ポジティブで前向き思考だけを扱う本は役に立つこともありますが、あなた方の中ですでに習慣的になっている否定的な感情や攻撃性、あるいは抑圧といったものの性質を、大抵の場合考慮に入れてはいません。つまり「臭いものには蓋(ふた)」で、ただ見ないようにして素通りしてしまうものがほとんどです。

   それらの著者たちが教えるのは、常に情熱的で前向きで、思いやり深く、忍耐強く、楽天的でありなさいということです。それらはあなたが陥っている今の苦境から抜け出すためにはどうすればいいかを教えてはくれず、あなたがはまり込んでいるように思われる悪循環についても理解してはくれません。

   私はそのような本が価値がないと言っているわけではありません。
   ただもっとも肝心の、自分の想念や感情が自分の現実を作り出す仕組みについてを説明してはくれないのです。あなたが健康でないならそれに向けて改善することができるし、人間関係が望むようなものでなければ良くなるように変えることができます。貧しいなら、豊かさに囲まれるように変えることができるのです。

   あなたは自分で気づいているいないにかかわらず、現在のあなたの状態は、自分にとって意味のあった目的や理由などの多くの手段を使い、あなた自身が「断固」として追求してきた結果なのです。「私は不健康や病気の状態なんか選択した覚えはない」、「夫婦関係の崩壊など私は求めた覚えはない」、「一生懸命働いて来たのは、貧しくなりたかったからではない」、とあなたは云うかもしれません。貧しい家に生まれたり、先天的な病気があったりすると、そういう境遇が自分に押し付けられたに違いないように思われるでしょう。

   しかし実際にはそうではなく、程度の差こそあれ、あなたは自分の状態を思い通りに改善することができるのです。当然、努力や決意は必要です。あなた方には出来事を変える力があり、さまざまな立場や境遇、それに身体的状況にかかわらず、あなた方はそれぞれが自分自身という個人的な経験を管理する管理者なのです。

   あなたは自分が見ようとするものを見ており、感じようとするものを感じています。
   つまり、あなたが知っている世界はあなたが期待してイメージしたそのままなのです。あなた方人類が知っている世界は、あなた方がそれぞれの期待を集団的に物質化したものなのです。子どもが人間の肉体的組織から生まれるように、この世界はあなた方が共同で生み出した創造物なのです。

   私が伝えようとしているのは、それぞれの人が自分の個人的な問題を解決するのを手伝うためです。そのために私はあなた方が自分の現実をつくり出しているプロセスを正確に示し、それを自分にとって有利に変える方法を説明します。あなた方はネガティブな考えや感情をコントロールする力を持っているので、それを創造性への跳躍台として使うことができます。

   しかしそれは、感情や思考を抑圧したり黙殺することではありません。
   そうではなく、まずあなたが自分の経験の中でそれらに気づき、自分がそれらのどれに駆り立てられているかを知り、自分ではコントロールできないように思われているそれらの「手綱」を取り戻すことなのです。

   私は身体を持った存在ではありません。
   しかし実際のところは、あなた方もそうした存在なのです。あなた方の身体的・物質的なものはあなた方の経験が生み出しており、あなた方は自分の期待するものを物質的な形に変換する創造者なのです。世界とは、自分を映し出す鏡として役立つように定められています。つまりあなた方は実際にそうとは知らずに変えているのです。

   あなた方がしなければならないことは、ただ自分の能力を意識的に用いることです。
   つまり自分の考えと感情の性質を調べ、それを自分が納得できる考えや感情として送り出すことであり、いつものパターンに従って自動的に衝動に任せて、無意識的にそうしないことなのです。気づいていてもいなくても、それらがあなたの日常の身近な出来事へと形を与えているのです。

   重要なのは、すべての癒しとはある一つの基本的な事実を受け入れた結果であるということです。それはつまり、物質とはそれに活力を与える内側の特質によって形成されるということで、それは期待の結果として起きてくる構造であるということです。ですから物質はいつでも、(物質をなしている原子・分子・素粒子などの))すべての意識に本来備わっている創造的な能力を活性化させることによって、完全に変えられ得るということです。

   生きた世界の絵は心の中で育ちます。
   あなたの目に映る世界は、さまざまな人が参加している立体画のようなものです。その中に見えるどんな色や線も、まず内側で描かれてから外側に具現化したものです。外側の世界に現れるどんな結果も、内なる源から生じています。つまりあらゆる活動は最初に心の中で生じるのです。

   そのような意識の素晴らしい創造力を、あなた方は生まれながらにして持っています。
   それは人間だけではなく、すべての存在がみなこの創造力を備えており、お互いの自然な協力関係によって生きた世界が成り立っているのです。そのような協力関係は、最小のものと最大のものとのあいだにも、また偉大なものと卑しいもののあいだにも、そして原子や分子、素粒子の意識、つまり思考する心のあいだにも存在します。

   あらゆる種類の昆虫や鳥や動物たちが、この冒険的な試みにおいて協力し合いながら自然環境をつくっています。このことはガラスに息を吹きかけると曇るという事実と同じくらい、正常で当然のことです。すべての「意識」が「感情のトーン(音調や響き)」から生じており、世界を創造しています。世界とはあなた方の意識から自然に生まれた産物なのです。

   感情や感覚が一定のプロセスを通して現実の中に現れ、思考はすでにつくられた苗床から発芽して表面化します。季節とは、太古から続く深い永続的なリズムを持った「感情のトーン」によって形成されます。それらもまた創造的性質がつくり出した結果であり、あらゆる生命に生まれつき備わる資質による創造なのです。

   地球はそれ自身の魂、あるいは心を持っています。
   ですからこの例えで云えば、すべての出来事や造られた物が人間の心あるいは魂から生まれたように、山や海、谷や川などのありとあらゆる自然現象が地球の魂から生じているのです。そしてそれぞれの人の内なる世界は、地球の内なる世界と密接に結びつき、魂が肉体になります。ですから一人ひとりの魂の中には、私たちが「世界の魂」、あるいは「地球の魂」と呼ぶものと密接につながっている部分が誰の中にもあるのです。

   草の小さな葉っぱや花などはこの関係に気づいていて、あれこれ考えることなく、自らの立場や独自性、生命力の源を理解しています。同じく人間の肉体であれ、テーブルや椅子、窓の外の木々や道端の石ころであれ、葉っぱの上をはう毛虫であれ、落ちてくる雨水でさえもが、あらゆる物質を構成している原子や分子が自らの存在を成す創造力であることを知っており、さらにその上に別個の、明確な確固たる自分の個性が漂っていることを理解しています。

   人間もまた、古来のものでありながらも常に新たに刷新される自らの魂の源泉において、獲得された独自性を持って立ち現れてきます。自己という魂は絶えず未知から知へと生まれ変わり、絶えず新たな発見によって自身を驚かせます。たとえばこれらの文章を読んでいる時も、あなたはその知識の一部を意識的に理解して利用することができます。しかし一方ではあなたが知らないうちに知っているものもあり、それらはあなたに意識されていないけれども「無意識の知」としてあなたの中にあるのです。

   あなたは自分では気づいていなくても、自分が何をしているかを常に知っています。
   あなたの目は自分が見ているということを知っていますが、自分自身を見るためには鏡などに写った像を見るしかありません。それと同じように、あなたが見ている世界とは、あなたという像が、鏡ならぬ3次元の現実に映し出されたものなのです

   あなたは自分の考えや感情や期待を外側に送り出して反映させ、それらを外側の現実として知覚しています。他の人々があなたを観察しているように思われる時も、実は、あなた自身が送り出して反映した自分の観点から、あなたが自分自身を観察しているのです。
つまり、舞台に立って演じているのも自分なら、それを見ているのも自分だけなのです。


       セス・ブック 
     
book [個人的現実の本質」 ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ記録
                      ナチュラルスピリット

                          抜粋                    
   

すべての人間は「宇宙の法則」に従って生きねばならない

   無線によるコンタクトを受けて、「どうして私のようなものが? 彼らはなぜ学者や政府の要人と連絡を取らないのか? 私はとるに足らない人間なのに、なぜ宇宙人が私のような者に注意を向けたのか?」といぶかしがる必要はない。なぜなら、お偉方が彼らからコンタクトを受けていないかどうかは誰にも断言できないからである。

   UFOの乗組員たちはその気になれば、我々の経歴のすべてをたちどころに知ることができる。彼らは我々の失敗や欲望、愛情や憎悪、楽しみ、残酷さなどのあらゆることをよく知っている。我々に期待できる点、出来ない点もよくわきまえている。だから現代文明や社会において「偉い」「立派」と人々から見られている人も、これまでの輪廻転生の永遠の記録に照らしてみれば、少しも立派でも偉くもないかもしれないのである。

   彼ら宇宙の人々の言葉から判断すると、社会的に高い地位にあるとか、才能がある、知識人であるといったようなことは、コンタクトを受けるための必要条件ではないようである。社会から排斥され、罪人扱いされる人たちの中には、宇宙から見ると決して「罪」とは云えないものがあるのだ。なぜならこの地球における「罪」とは、この社会が制約として決めた違反に過ぎず、今は罪と見なされることでも、明日になればもう罪ではなくなるかもしれないのだ

   「こちらはマサー(火星)のレッガ(Regga)、
   あなた方が知りたがっていたことを明らかにしておきたい。あなた方は我々が医療の面で、大きな進歩を果たしているかどうか知りたがっている。それに答えよう。我々はそれを果たしてはいない。というのも、我々には病気がないからである! 

   病気を患う身体は、人間の誤った生き方によって作られる。
   我々はあなた方よりも進歩している。あなた方地球人は常に年数で考えたがるのであなた方の年数で表現するなら、我々はあなた方よりも何千年も先を行っている。しかし金星はもっと先を行っている。そしてさらにその先を行っている惑星群もある。マサー(火星)の我々は、あなた方の次に遅れている。

   我々の惑星は、微かに変化する四季を持っているが、他の宇宙の惑星群は、常に完璧な気候を持っている。我々は大きなパワーを持っているが、しかし我々は破壊し合うようなことはしてこなかった。なぜなら我々は「無限なる創造主」に従ってきたからだ。しかしあなた方はそうしてこなかった。

   あなた方は多くの宗教を持ち、多くの教会を持ち、それぞれの宗教が神と呼ぶものを崇(あが)めているようであるが、あなた方は言葉では崇めるが、行為によって崇めることはない。

   あなた方は、「平和は強い者のためにある」と言う。
   あなた方の聖典と呼ばれるものは、「柔和な者は、地を受け継ぐだろう」と語り、「汝、殺すなかれ」とも云っている。しかしあなた方は殺している。ある者がやって来て、「もう一方の頬を出しなさい」と言ったが、でもあなた方はそうしない。」

   「こちらはポナー、
   あなた方はもはや、我々を神々だとは考えたりしないと思うが、我々はあなた方と同じ人間である。ただ我々は進歩の面において、あなた方よりはずっと先を行っているというだけのことである。今の我々は、あなた方が将来「成る」ことのできるものである。

   「至高の創造の霊」は人間よりも偉大である。
   「その名」を聞いただけで、あらゆる世界が頭を垂れて当然である。その存在に関する軽々しい話は慎まねばならない。

   あなた方は、どれほどの破壊がサラス(地球)にすぐに訪れるかを知ったなら、街に出て行って叫び声を上げたくなるなるだろう! すでに我々は数回にわたって、あなた方の世界を救ってきた。

   あなた方の世界には今、我々のメッセージを理解できる若者たちが大勢いる。
   だから彼らはすぐそれを受け入れるだろう。彼らは新時代の子どもたちであり、あなた方の世界には偉大なる目覚めの時代が訪れている。そして今、我々の仲間の多くがあなた方の世界にいる。これまでの長い年月の間にも、サラスの多くの人々が外宇宙へと迎えられてきたのだ。

   我々はこれからも頻繁に目撃されることになるだろう。
   しかし、我々を見ようとして躍起になる必要はない。あなた方は我々を見るにふさわしいときに、我々を見るからだ。」


   「こちらはゾー、
   我々はまもなく、あなた方の地球が持つ、もう一つの「暗い月」ファウザーにある会合場所に到着する。あなた方の地球がサラスと呼ばれるのは、マサー(火星)ではあなた方の惑星の名前をそう呼んでいるからである。しかし他の惑星群は、あなた方の世界を「チャン」と呼んでいる
。(「チャン」Chanは「苦しみ」を意味する古代の単語と、とてもよく似ている

   邪悪な勢力が存在することを決して忘れてはいけない。
   彼らはあなた方を分裂させようとするだろう。邪悪な勢力は常に強力だ。人間性は彼らがもたらす闇の知識と常に戦ってきたし、さまざまな力が人間の弱さに付け入り、何世紀にもわたって多くの人々が闇の真の姿を知らされてきた。

   しかし人々は宇宙の法則に従って生きることができなかったために、その多くが精神に異常を来たしたり、変化に対応することができず、新たに手にしたその知識を生かすことができなかった。

   もし我々があなた方に影響を及ぼすことができるとしたら、邪悪な勢力もまた、あなた方に影響を及ぼすことができるということに他ならない。」

   「こちらはアンカー22、
   あなた方の惑星が「サラス」と呼ばれているのは、それが大変動を繰り返してきたからである。サラスでは技術的進歩のみが追求されてきた。そしてそれは誤った種類の達成である。そのせいであなた方は、他に類を見ない闇の中に飲み込まれようとしている。

   サラスの人々は肉の道のみを追求してきた。
   すべての国々は無数の若者と子どもの血にまみれている。いったいサラスは、新たに手に入れたパワーを用いて何をしようとしているのだろうか?あなた方は危険なおもちゃを与えられた子どもたちのようである。我々は広大な宇宙空間からあなた方を見ている。そしてあなた方のさまざまな研究所も見ている。

   我々は人々の誕生を見ており、同時に早すぎる死も見ている。
   我々はあなた方を、これまでの長きにわたって観察してきた。しかしあなた方は未だ気づいていないが、あなた方が達成してきたことよりも遥かに美しく、はるかに大きな満足をもたらす「何か」が存在している。

   人は人を殺してはならない。
   すべての人間が「宇宙の法則」に従って生き、すべての人間を愛し、平和の中で一致協力して生きなければならない。」


      book
 「キャッチされた宇宙人ヴォイス」
              ジョージ・ハント・ウィリアムソン&アルフレッド・C・ベイリー著
                         ヒカルランド

                           抜粋       

あなたは「塩漬けされたリンゴ」なのか?

   最近になって、本来は地球人でない人々が相当数地球に住んでいることを示す証拠が、続々集まりつつある。といってもその意味は、彼らがUFOでやって来て地球人に成りすまし、言葉を習得してあなた方の隣に引っ越して来たということではない。

   宇宙には普通の人々とは異なった、遊星から遊星へ、太陽系から太陽系へと移動していく、特殊なレベルや集団からなる人々がいるのである。つまり彼らは、例えれば「煙突掃除夫」ともいうべき人々であり、彼らは宇宙においてゴミ捨て場のようになっている遊星に赴(おもむ)き、堕落した宇宙の同胞に援助の手を差し伸べることが彼らの使命なのだ。

   こうした「宇宙の放浪者」が地球に来るのにUFOを使ったのではないとすれば、いったいどうやって来たのか? つまり彼らは、「地球行き」を志願して地球に生まれ変わったのである。別の言葉で言えば、地球で生まれたのだ。

   だから本当の地球人でないことを別にすれば、他の地球人と何も異なるところはない。
   彼らもやはり肉体を持ち、地球において自己の責任を果たすうえで、必要な訓練や便宜を十分与えてくれると思われる、地球人の両親を選んで生まれてくるのである。

   しかし、「種を蒔いても腐ってしまい、生長しないことがある」と聞いている。
   つまりこれは、地球での事態の展開によっては、宇宙の人々が「塩漬けされたリンゴ」と呼ぶように、彼らの仲間を地球に「蒔いた」としても、それが必ず芽を出して育つとは限らず、さまざまな事情で地中で腐ってしまうことがあるのだ。

   したがって地球に派遣された「放浪者」である彼らの中にも、自分が何者であるかに気づくことなく一生を終えてしまう者もいる。彼らは地球で道に迷ってしまったのだ。そのような人々は、肉体の死と同時に故郷の遊星に帰還するが、地球での任務を達成できなかったこと以外には、地球での経験のために堕落してしまうようなことはない。

   何パーセントかの「塩漬けのリンゴ」が中途で脱落することを、彼らも予測している。
   だからそのような避けられない不足を十分補えるだけの人数が、現在の地球にも生まれ代わっている。

   「こちらは冥王星のトゥーカ(Touka)、
   あなた方の新しいタワー群が、我々とあなた方のコンタクトを妨げている。我々は毎日、無線通信を試み、待っている。我々に耳を傾けるように。より良い無線機、強力な通信装置を手に入れなさい。無線技師に会い、彼に本当のことを云いなさい。彼らにUFOと無線で交信できるかもしれないと伝えなさい。340キロサイクルと400キロサイクルの間でコンタクトを試すとよい」

   「こちらはマサー(火星)のナー9、
   あなた方は我々の宇宙飛行が、どのくらいの時間を要するのかと考えている。我々はわずか数分で火星から地球まで移動できる。我々の飛行はあなた方の考える飛行とは異なり、我々は磁力線上を移動するだけである。しかも燃料を必要とせず、我々のUFOは、惑星とまったく同じように共鳴電磁場に包まれて作動している。

   今夜、我々はあなた方の第一の月の上にいるだろう。
   ちなみに、あなた方の月のクレーター群は、隕石群が落下してできたものでもないし、火山活動によって作られたものでもない。それらは「渦運動」によって出現したものである。

   サラス(地球)もまた、宇宙船のようなものである。
   それと同じように、我々の宇宙船も動いているのだ。よく聞いてほしい。我々は、生命とは何かを知っている。死というものは存在せず、移行だけがある。そしてあらゆる生命が永遠である。しかしサラスの人々は死を怖れている。しかしそうであってもその死の瞬間は、大いに喜ぶべき瞬間である。なぜならそれによって、魂がより素晴らしい体験に向けて旅立つときであるからだ!」

   「こちらは水星のアクター(Actar)、
   我々の惑星は、この太陽系の無線センターである。その理由は太陽までの我々の近さにある。我々は今、あなた方の第一の月におり、火星のゾーもここにいる。

   地球の空が青いのは、その惑星の共鳴電磁場のおかげであるということを、あなた方は知っているだろうか。それはあなた方が見る星々が水平線近くで特に煌(きらめ)き、多様な色彩を発する理由でもある。あなた方の科学者たちは、何がそれを発生させているかを知らない。

   あなた方の科学者たちは、太陽系はガスと塵(ちり)の巨大な雲から始まったと主張しており、それを彼らは星雲説と呼んでいる。あるいは原始太陽の近くを別の恒星が通過したとする微惑星説を語る者もいる。彼らは、地球と他の惑星群がどのようにして出現したのかを、本当は知らないということを正直に認めなくてはならない。

   彗星が、生成途上にある惑星であるということをあなた方は知っていただろうか? すべての彗星群が惑星になるわけではないが、惑星は、山を転げ落ちる雪の玉のようにして出来上がるのだ。そうやって、それはどんどん大きくなる。」 

   「こちらはゾー、
   我々は今みな月にいて、会議が開かれている。あなた方もそうであるように、熱心な研究家たちがサラス(地球)を代表している。
オーアハエ・レットー(Oarhae retto)! 我々は原初の言葉を用いている。それは我々が「ソレックス・マル(Solex Mal)」と呼んでいるもので、これは「母なる言語」、あるいは「太陽言語」という意味である。サラス(地球)の人々もずっと以前には、この宇宙言語を用いていた。あなた方が聖書と呼ぶものにもこれに関する記述がある。

   あなた方の言語学者たちは、すべての言語が一つの共通言語から派生しているようだと気づいているが、しかし彼らはその言語が何であるかまではわかっていない。それはサラスのもっとも古い言語群と密接に関わっており、それらよりもさらに古いものである。それは象徴的、絵文字的な言語で、宇宙の他の世界群のすべての人々がこれを用いている。しかしあなた方は分離してしまったので、そのためにいくつもの言語を用いているのだ。」

   「こちらはセダト(Sedat)、
   私は宇宙の記録管理者である。あなた方や、そして他の多くの人々の記録がこのハトンの「記録の殿堂」に収められている。」



      book 「キャッチされた宇宙人ヴォイス」
              ジョージ・ハント・ウィリアムソン&アルフレッド・C・ベイリー著
                         ヒカルランド

                           抜粋

火星の月「フォボス」と「デイモス」は人工天体

   地球の歴史が、「温暖化」と「寒冷化」の時代を交互に経てきていることは周知の事実である。それが数千年続いたものもあれば、数百年で終わってしまったものもある。だから気象の変化の訪れは少しも不思議なことではない。地球が新しい時代に入るとすれば、これらの変化は当然予想されるものである。数年前のことだが、数人のUFO研究家が、地球は宇宙線の猛照射を受け始めており、そのために地形ばかりでなく、人間自身をも変化させてしまうに違いないというメッセージを受信したという。

   宇宙の人々が何十年も前に語ったことを、地球の科学は今やっと発見し、証明しようとしている。その一つが豪雨のように降り注ぐ宇宙線と、そして毎日のように我々の世界と生活に起きている変化である。やがて地球に訪れる「新時代」の前兆を知りたければ、大自然を研究しなさい、と宇宙の人々から言われたことがある。大自然に目を向ければ、その証拠は至るところにあるではないかと。

   UFOの乗組員の言葉から察すると、感知される有力な新しい波動の源は、我々の太陽系の外にあるようだ。彼らが言ったことが、あとになって科学的に確認されたことは何度もある。シカゴ大学のマーセルシャイン博士は、絶え間なく地球に降り注いでいる宇宙線の少なくともその一部は、太陽系外から来ると語っている。

   しかもエネルギーのごく大きい宇宙線だけが、太陽系の外側から来ていると考えられるのだ。我々を目がけて降り注ぐ電子の数は膨大で、現在の地球科学の理論ではそのすべてをまだ上手く説明できるところまで発展してはいない。我々の太陽系は、今までとは大分違う性質の空間に向かって、進んでいるのではないかとも考えられる。

   もしそうだとすれば、経済や宗教、教育や科学、医療、食習慣など、すべての面で、地球人の生活は莫大な影響をうけずには済まないわけで、それこそ何もかもが変化してしまうのだ。それも良いほうに! 確かに新時代が始まろうとしているのなら、すべての面で必ずその前兆が現れるはずなのだ。しかしそれは未だ感じ取ることのできない予兆であるかもしれない。それは人間よりも、大地の鼓動と密着して生きる虫たちのほうが、まさに起ころうとしている前兆をよく捉えていると思われる。

   「こちらはゾー(Zo)。
   私はマサー(火星)・コンタクト・グループの長である。しかし私の故郷は海王星である。私は間もなく冥王星に行くことになっている。冥王星は、あなた方の天文学者たちが言うような、荒涼とした極寒の世界などではない。同じく水星も、灼熱の干からびた世界などではない。あなた方ももしも磁気というものが理解できたならば、すべての惑星が太陽からの距離にかかわらず、ほぼ同等の気温を持つのはなぜなのかが理解できるはずである。」

   「こちらはレッガ(Regga)。
   儀礼(という最低限の尊敬)があなた方を救うだろう。我々はあなた方に警告するためにここにいる。あなた方の間に不和があれば、我々はあなた方とはコンタクトしないだろう。我々はただ、人類愛だけを持っている。今我々は天王星においてある会議を開いており、あなた方の惑星・地球に関して何をなすべきかを決定しなくてはならない。

   あなた方の爆弾群は、宇宙のバランスを崩壊させるだろう。
   あなた方の爆弾は、あなた方の地球をアステロイド帯に変えてしまいかねない。それは何年も前に、この太陽系の第5惑星(Planet5)に起きたことである。我々は彼らが何をしたかを知っていたが、その時は干渉しなかった。

   しかし今、もう一つの(地球という)浪費を我々は見過ごすわけにはいかない。
   その第5惑星が崩壊した後、第4惑星であるマサー(火星)では恐ろしい大災害が何度も発生した。その結果、巨大な火山噴火が続発し、我々の仲間たちの多くが犠牲になった。その時もし我々が、2つの人工衛星を首尾よく建造していなかったならば、我々はこの太陽系から放り出されていたことだろう。

   あなた方の何人かの科学者たちは、フォボス(Phobos)とデイモス(Deimos)が、自然にできた天体にしては、あまりにも多くの光を反射していると指摘している。そして彼らは正しい。その2つの衛星は、実は金属でできている。それらがマサー(火星)の不安定な状態を修正し、この惑星を救ったのである。」


    古代の詩人たちが、火星の2つの惑星のことを、天文学者たちがそれらを発見する遥か前の時点で知ってたというのは、本当のことである。ジョナサン・スウィフトも1726年に出版した『ガリバー旅行記』の中で、火星には2つの衛星があると述べ、それらを克明に描写している。しかもその描写が驚くほどに正確なのだ。

   ワシントンの海軍天文台のアサフ・ホールが世界で始めて、火星の2つの衛星を発見したのが1877年のことであったが、それより150年も前にスウィフトや詩人たちはそのことを知っていたのだ。彼らはどうやって火星の2つの月のことを知ったのだろうか? 不思議なことであるが、我々はただその答えを想像するしかない。

   「こちらはナー9。
   オリオン太陽系群は、サラス(地球)に非常によく似ている。そこでは「善と悪の原理」が一般的である。サラスはあなた方の太陽系の中では一番遅れている。しかしながら宇宙には、進化の面においてあなた方を超えている惑星もあるが、あなた方より遅れている惑星もある。この宇宙には始まりも終わりもない。大きいも小さいもなければ、低いも高いもない。我々はみな、完璧な完全性に向かう途上にある。

   我々はあなた方に、オリオン(Orion)について話さなければならない。
   あそこには宇宙を征服しようともくろむ勢力がいる。我々はそのことを警告するためにもここに来ている。しかしサラス(地球)には、その警告を受け止められるだけの、開かれた心の持ち主が極めて少ない。」

   
UFOからのメッセージの一つに、次のような謎めいた文章があった。
   「悪い企みを持つたくさんの遊星人が、破壊を目的としてサラス(地球)の悪人たちと連携しようとしています。善き地球人は善き宇宙人と団結すべきです。」

   また、宇宙の人々はこうも言った。
   「オリオンには宇宙征服を狙っているものが多数います。オリオンの太陽系は、地球の属している太陽系とよく似ており、「善と悪の法則」が普遍的なものです。まもなくオリオン人は、四角い天体に乗って地球にやって来るでしょう。オリオンは破壊を企てています。彼らは否定的な悪であることを忘れないでください。」

   宇宙の人々がオリオンという言葉を、どんな意味に用いているかを知るためには、聖書その他の古文書を研究しなければならない。

   遠い昔オリオンは、プレアデスにその魔手を伸ばそうとしたことがあり、その結果、鎖に繋がれる運命となった。そして今また、彼らは地球にその魔の手を伸ばそうとしているのだ。オリオンはプレアデスを滅亡させようとしたようだ。つまり彼らは「死の蔭の谷」にいたのであり、オリオンは「宇宙の法則」によって制裁を受けた。しかしこの制裁は、、オリオンがプレアデスの七星に近づくことを禁じただけであって、宇宙のその他の領域に対しては、その忌まわしい影響力を及ぼすだけの力を未だ持っているのである。


        book「キャッチされた宇宙人ヴォイス」 
             ジョージ・ハント・ウイリアムソン&アルフレッド・C・ベイリー著
                         ヒカルランド

                           抜粋

                   
   

太陽は、実は涼しい天体

   NASAなどの国の機関は、「UFO」や「宇宙空間無線基地」といった存在を表向きには認めないという態度をとっている。しかしたとえそうであれ、実は多くの科学者たちは、この天の川銀河内だけでも、少なくとも100万を超える「太陽系」が存在していることを知っている。つまり多くの人々のために、実はおびただしい多くの場所が存在しているのである。

   宇宙という広大な世界に、人間以外の生命を否定する要因となってきたのは、光によってしか認識不能な人類の限界と我々の思い違い、それにひどい「うぬぼれ」だけである。我々は自分たちを「創造されたものの長」として認識することに尊大な喜びを見出し、その思いが極まって、ときには「創造主」そのものの存在までをも否定しかねないほどの無知な存在である。

   我々の自己中心的思考が、我々の目を現実から遠ざけてきた。
   そしてその結果、今や我々は、心の奥で「真実」だと知っていることさえも否定するに至っているのだ。分光分析は明らかに正確さに欠けたものであり、その事実はすでに証明され尽しているだけでなく、世界中にある大天文台のすべてがそれを知っている。しかも事実上、彼ら科学者たちは、他の惑星群に人々が居住していることだけでなく、UFOが何であるかさえも知っているのである。

   UFO乗組員たちとコンタクトを行ない、さまざまな通信手段を通して彼らからのメッセージを受け取ってきた、数多くの熱心で誠実な人々が世界中に存在しており、彼らが所有する情報の内容は、我々のそれとほとんどの点においてほぼ完璧に一致している。

   それらのメッセージはことごとく、この太陽系の第三惑星・地球に住む人々に対する警告の様相を示している。それは我々よりも多くの智慧を持つ者たちとして、ちょうど父親が子どもに危険を警告するかのように、「核エネルギー」の使用によって、より正確に云うならその「エネルギーの誤用」によって、この世界はすでに未曾有のダメージを受けているということを、我々に告げようとしているのである。

   UFO乗組員たちは、我々の正気を欠いた実験が地球に対してどんなダメージを与えてきたのかを正確に知っている。そしてもちろん、現時点における地球の状況も正確に把握している。それらは増え続ける津波や地震、火山噴火、世界規模での奇妙な気候変動など、さらには世界各地で起きる大洪水などである。

   我々はどんなことも、いかなることも、誰に対しても証明しようとはしていない。
   我々はこの情報を、我々よりもはるかに進歩した気高い人々から受け取ってきた。そしてそれをそのまま、この世界の同胞に伝えることを、自分たちの義務だと考えている。

   「私たちはあなた方の兄弟である。
   私たちはあなた方をこれまでの長きにわたり観察してきた。あなた方の産業は、貪欲が生まれる場所であり、あなた方の首都は、戦争が生まれる場所である。いったいサラス(地球)は、新たに手に入れたエネルギーを用いて何をしようとしているのだろうか?」

   「サラスが悪に染まるのを、我々は黙って見ていられない。
   兄弟たちよ、心を一つにせよ。我々は何をなすべきかを指図はしない。決めるのはあなた方だからだ。我々は今も語り続ける、立ち上がれ! サラス(地球)のワンダラーよ! ウォークインよ!」

   私はマサー(火星)のレッガ(Regga)である。
   我々は今宵、仲間とともに会議に集合しており、ここには土星の惑星代表のオーラ(Ora)がいる。私は今、あなた方にとって興味深いことを幾つか話そうと思うが、あなた方はそれらを聞いて驚くことになるかもしれないが、それでもなお、それらは真実である。そして地球人の中にも、それらが真実であることを知っている人たちが多数いるのも事実である。

   あなた方の太陽は、それは同時に我々の太陽でもあるが、太陽は灼熱の天体ではない。それは涼しい天体である。あなた方の偉大な天文学者の一人もそのように信じており、そのように発言したのだ。

   いわゆる「紅炎」(プロミネンス)は、あなた方のオーロラと同じくらいに涼しいのである。光を放つものが必ずしも熱いわけではない。あなた方の蛍が良い例である。あなた方は陽に当ると暖かいので、太陽がものすごい熱を放っていると考えているが、しかしそれは真実ではない。

   真実はこうである。
   特定の放射線群が太陽からやってきており、それらが地球の磁場に進入すると、その磁場との間で摩擦が発生する。その摩擦から起きた熱をあなた方は得るのである。

   太陽に関しては、そのすべてをあなた方に告げるわけにはいかないが、あなた方の知らない事実がほかにもたくさんある。そして太陽は宇宙空間では、あなた方が地球から見ているほどには、明るく輝いたりしてもいない。」


   「私はナー9であり、天王星出身のザーズもここにいる。
   すべての惑星に居住者がおり、月の多くにも住人がいる。つまりすべての惑星が、生命を維持するために創造されたのである。

   あなた方は「2つの月」を持っている。
   そのうちの1つは「暗い月」である。そしてそれは地球磁場の内側にある。もしあなた方がロケットあるいは原子力を用いて、その磁場を離れようとするならば、あなた方はその時バラバラに引き裂かれてしまうだろう。だから月には到達できても、その先まで行くことは容易なことではない。

   あなた方の第一の月は、あなた方が考えているよりも地球に近いところにある。
   あなた方の科学者たちは、地球と月の中心間の平均距離は約38万4000キロメートルだと言っているが、しかしそこには歪みが存在するので彼らは間違っている。

   あなた方の第一の月には、大気も水もある。
   あなた方の科学者たちの中には、月面で発生した吹雪を観測した人たちもいる。彼らはさらに、月面に落下して行く流星群さえ目撃している。つまり「燃える」宇宙塵群が見えるためにはそこに大気が存在していなくてはならない。

   そして月には、居住者たちさえが存在している。
   我々はそこに、惑星間航行のための基地さえ持っている。」

   
         book 「キャッチされた宇宙人ヴォイス」 
             ジョージハント・ウィリアムソン&アルフレッド・C・ベイリー著
                         ヒカルランド

                          抜粋

眠っている間に私たちの「魂は肉体を離れる」

   睡眠時間がどれだけ必要かは人によって違います。
   どのような薬を用いたとしても、まったく眠らずに暮らすことはできません。その理由は、睡眠状態の中で多くの仕事が成されているからなのです。しかしそれらの仕事を効率的にこなすためには、1回の眠りを長くするよりも、短い眠りを2回とるほうがよいのです。

   睡眠前に適切な暗示がなされていれば、ほとんどの人にとって1回3時間の眠りを2回とれば十分のようです。この場合の暗示とは、これから眠る人の肉体が完全に回復することを保証してあげるという性質のものです。ほとんどの場合において言えることは、たとえば10時間もの睡眠は、結果的に心と身体の「不活性化」に繋がるために、実際には良いことではありません。つまりこの場合は魂が肉体から長い間離れすぎているために、筋肉の柔軟性が損なわれることになるのです。

   量の多い食事を1日に3度摂るよりも、何度も軽い食事をするほうが実際には好ましいのと同じことで、1度に長い睡眠をとるよりも、短い睡眠を何度かとるほうが良い効果をもたらします。短い睡眠がもたらす利点は他にもあり、短い睡眠においては、意識的自己が眠りの間の冒険を当然ながらずっとたくさん思い出すことができ、それは少しずつ、あなた方が自我と考えるものの体験をリアルに拡大していきます。

   短時間の睡眠を何度もとることで、睡眠中とそうでない時の意識の焦点が高まり、肉体と精神の両方の機能の蘇生がむらなく行なわれます。またあなた自身のさまざまな意識の区分けされた領域が、それほど区別されなくなります。その結果エネルギーの消費が少なくなり、さらに栄養もより効果的に行き渡るようになり、意識においても柔軟性や流動性が増加することになります。

   このことで、意識やその焦点が鈍ることはありません。
   むしろその代わりに、意識の素晴らしい柔軟性によって、意識の焦点を完璧に集中させることが可能になります。あなた方は目が醒めている自己と眠っている自己というように、大きく区分した結果、2つの自己は大きく乖離されて引き離された状態になっており、それはあなた方の時間の使い方に原因があるのです。

   古来、顕在意識で目を覚ましていたあなた方の暮らしは、主に昼の明るさを頼りとして営まれていました。しかし現代では灯りの発明によってその必要はなくなりました。さらにそのおかげで、人類がまだ活用するに至っていない有効な技術を使う機会を得ることができます。しかしそれは昼間眠って夜働くということではなく、それならば単なる習慣の逆転に過ぎません。

   その技術とは、1日24時間を従来とは違う方法で区切ることで、非常に効率のよい生活が期待できるというものです。現在のあなた方が用いているシステムよりも優れたこの技術は、実際に多くのバリエーションを持っています。

   理想的には、1回5時間の睡眠で、眠りの効果を最大限に引き出すことができますが、それよりも睡眠時間が長くなると何時間続けて眠っても、同様の効果はまったく望むことができません。もしそれ以上の睡眠が必要な人であれば、新たに2時間の仮眠をとるといいでしょう。その他にも、1回4時間の睡眠に加えて2度の仮眠をとるという、非常に効果的な方法もあります。

   適切な暗示が与えられていれば、現在睡眠に費やしている時間の半分で身体は回復します。いずれにしても8時間から10時間という連続した時間を、不活発な状態に充てるよりも活発な状態に充てるほうが、物質的肉体ははるかによく引き締まり、効率よく機能するのです。

   あなた方人類は、特定のパターンを踏襲するように繰り返し訓練してきたのですが、実はそれらは必ずしも意識にとって自然なパターンであるとは言えず、その結果、目を醒ましている自己と夢を見ている自己とがそれぞれ異質なものであるという感覚を増大させ、強めてしまいました。つまりあなた方の身体は暗示によってある程度麻痺させられているので、一定の時間帯を、連続した睡眠に充てなければならないと信じ込まされているのです。

   現在の睡眠時間のパターンを変えることで、あなた方は目覚めているいないにかかわらず、自分の体験の記憶を大幅に増やすことが可能になり、身体的にもより健康になります。つまり仮眠の時間は別にとるようにして、それらを含めても睡眠時間の「総計」は6時間から8時間あれば十分なのです。ただしこの6時間から8時間を、連続して1度に眠らないことが大切です。

   自分には睡眠時間がもっと長く必要であると思っている人も、このパターンを試した後では、実はそうでもなかったことに気づくでしょう。この睡眠パターンは、肉体的・観念的・霊的といったすべての領域に利益をもたらします。そして自己の中の眠りと目覚めという区分はまったく違うものになってきます。つまり肉体への働きかけや、あるいは精神的な治療や癒しの作業は容易になり、肉体も休養と充電のために効率よい時間を得られるようになるのです。

   そして一般的には状態がどんなものであるかに関わらず、少なくとも16時間ほどで効果がわかります。夢見の状態で起きている肉体の科学的反応に起因する他の理由からも、肉体的健康の向上が期待できます。またこのような時間の用い方によって、精神分裂症や抑うつ状態の問題を抱える人、あるいは精神的に不安定な人の状態を改善するのにも効果を発揮します。

   また厳密に分けられた時間に対する感覚も、これまでのような頑ななものではなくなります。それによって創造に結びつく能力は活気づき、多くの人々を悩ませる不眠症の問題もほとんど克服されるでしょう。なぜかと言えばこれまで多くの人々は、あまりに長い時間を睡眠に充ててきた結果、その間、自分が意識であると「信じている」ものが断絶してしまうかのように思え、それを怖れてきたからなのです。

   あなた方の考えでは現在、夜明け直前の時間帯というのは、重病人にとってしばしば危険な時間帯とされています。その夜明けの時間帯というのは、極めて長時間を肉体から離れていた魂という意識が肉体に戻って来る時なのですが、その際に、当の本人は病んでいる肉体組織に戻るわけなので、帰還のプロセスはそれだけ困難なものであるのは当然です。

   そのために多くの場合あなた方の医療では、患者が夜通し目を醒ますことのないようにと、そうした投薬を施す病院側の習慣があるのですが、これは極めて有害と言うほかはありません。なぜなら肉体に戻ろうとする魂である意識にとって、病んだ肉体組織を再びまとうことは、非常に骨のおれる困難なものである場合が多いからです。

   同じように、そうした睡眠を操作する投薬はしばしば、肉体の回復を助けるために不可欠な特定の夢の周期を妨害するために、その結果として、意識つまり精神状態を非常に混乱させる状態をつくります。ですから「眠り目覚め」という自己の局面を隔離する区分けというのは、あなた方人間にとって根本的には必要のない「無用の長物」であり、それらは習慣やあるいは便宜上からもたらされたものでしかないのです。

   かつて電気というものがまだ発明されていなかった時代でさえ、当時の睡眠は決して長時間を要するものではなく、しかも夜通し連続してとられることはなかったのです。それは睡眠をとる場所が今ほど安全ではなかったことも挙げられます。しかしそうしたことは意識に流動性をもたらす結果、肉体の存続と安全性が確実にもたらされる模索に向けられました。また彼らの夢見の状態における経験は直感として記憶され、目が醒めている間にこれは効果的に用いられたのです。

   さて一方現在のあなた方の意識における区分の仕方や、長時間睡眠による肉体的活動の欠如、また「目覚めという現実か、睡眠中の現実か」の一方にだけ集中した、間延びのした意識の焦点などが原因となって、あなた方の中には多くの病気が引き起こされています。あなた方が「通常」と考える意識のためには、睡眠とともに足を踏み入れる「実在」の別の領域を旅したり、休息をとったりすることは非常に有益なのです。

   しかしながらもしあなたが、眠っている間に、あなたの意識という「魂が肉体を離れる」ということを理解していないならば、私が話していることはまったく意味を持たないでしょう。

             Seth Speaks
         book 「セスは語る」魂は永遠であるということ 
               ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ
                                  ナチュラルスピリット

                          抜粋  
   

あなたが生き方を変えるとき

   似たような考えを持つ人々はお互いを引き付けあい、互いの観念を強化し合っています。ですからあなたが急に観念を変えて自分の現実を作り出そうとすると、周りから誤解されるかもしれません。しかしあなたはそうであっても時に、自分が今まで属してきた集団とはまったく違う方向へ進もうとします。するとほかの人々は、それまで自分たちにとって当然であった在り方を擁護しなければならないと感じるでしょう。

   そこではみんなの観念が融合しており、どの人も自分なりに正当だと考える現実についての観念を持っているので、それぞれに必要が満たされています。しかし突然あなたが考えを変えると、あなたはもう、その集団の中では以前とは同じ位置にはいません。もはやあなたは「その」ゲームには参加していないのです。

   あなたはその集団の中で、それまでみんなの要求に応えていたことを急にやめるかもしれません。そのように観念は個人的な行動に、つまり世間的な付き合いに影響を及ぼすのです。そしてある観念を持つ集団から別の観念の集団へと移ったとき、しばらくは喪失感を経験するかもしれません。しかし新しい観念を共有する人々はあなたに強く引き寄せられ、あなたのほうも同じでしょう。

   そのために、新たな決意をする人が仲間の嘲笑にあったり、ダイエットを気にしている人が急に減量の決意をすると、なぜか家族や友達から秘かな、あるいはあからさまな反感を買ったり、また禁酒しようとしている人が公然とみんなから誘惑されたり、秘かに何らかの欲望に誘い込む策略に合ったりすることになるのです。

   病気の人が観念を変え始めることによって回復し始めたとき、もっとも大切な味方であった人が急にうろたえ始め、あなたは病気で深刻な状態にあるのだという「現実」を思い出させようとするのを見て、当人はひどく驚くかもしれませんが、それも同じ理由からです。

   観念は、現実という経験の構造を形作ります。
   ですから観念が変われば、当然その構造も何かしら変わり始めるのです。ある目的のために維持されていた現状は少しづつ壊れ、そこへ新たな要素が導入されるようになり、別の構造を作り上げるプロセスが始まります。あなたの個人的な概念はほかの人々と共有され、そこに相互関係ができる結果、みんなはあなたが決めた方向転換を敏感に察知し、それぞれのやり方で反応します。

   あなたはそのようにして、自分にできる現実をかなえるという経験に乗り出すのです。
   そこでするべきことは、まず自分の観念を調べ始めることです。あなたは周りの人々も変わればいいのにと思うかもしれませんが、でもそのためにはまず、あなたが自分から始めなければならないのです。

   自分の望みどおりの、新たな概念にそって行動している自分を、ゲームの中でそうしているように想像してください。そして、新しいやり方で人に影響を与えている自分を思い浮かべてください。またこれまでとは違ったやり方であなたに反応している相手を見てください。

   実はこれは、極めて重要な取り組みなのです。
   なぜならあなたの内なるメッセージは、常にテレパシーで人々に送られているからです。つまりあなたは、新たな自分の立場から発信しており、人間関係における状態や反応が変わったことを伝えているからです。この段階において、あなたのことを理解する人たちがいる一方で、あなたと関わる経験をやめる人が出てきたり、あるいはあなた自身が自分の経験から彼らを外すかもしれません。

   ここで日常生活というものが、画家であるあなたによって描かれた3次元における「動く絵」だと考えれば、「観念という絵の具」が変われば経験も変わるということがわかるでしょう。
(記録者で夫のロバート・F・バッツ氏は画家) そしてあなたの観念があなたの現実をつくっているという事実を完全に受け入れなければなりません。そして望む結果をもたらさないような観念は捨ててしまうことです。

   しかしながらしばらくの間は、まったく矛盾するような物理的な状況に直面しながら、何が真実かについて改めて、自分自身に言い聞かせなければならない状況に置かれることが多くあるでしょう。

   たとえば、「私はあり余る豊かさに囲まれていて何も不自由はない」と想像する間にも、テーブルの上には山と積まれた請求書があなたの目に飛び込んでくるかもしれません。しかしながら、なおも直面させられるそれらの「物的証拠」の山をつくり出したのはほかならぬ自分であり、自分の観念によってそれをつくり出したことに気づかなければなりません。

   あなたが観念を変えるにつれて新しい観念は、古い観念がつくり出した「物的証拠」を洗い出して浮き彫りにし、それを「証明」するようになっていきます。

   まず、向き合うべきは自分の観念です。
   観念というものの一般的な考え方というものがあるにしろ、あなたに必要なのは、自分の持つ観念とそれを自分が採用する根拠について気づくことです。そして古い観念はこれまである目的を果たし、その必要性を満たしたのです。

   あなたは日常の物質的な生活の中で、自分についての観念を変えることに「ただ関心を持つだけで」、少なくとも、他の人々があなたに抱いている観念を変えることになるでしょう。そしてあなたは自分の内部に相反する観念を見つけ、またそれに気づけるようにならなければなりません。

   しかしあなた方の多くは、内なる自己には価値などないと信じ込んでいたり、自分のことは理解したいけれど、嫌なものを発見してしまうのが怖いなどと、強く怖れている場合があります。内なる自己とは、抑圧されたおぞましい感情の地下牢のようなものだと信じるのをやめることです。確かにそこには、抑制された感情もいくらかは存在します。しかし実際にはそれだけでなく、あなたを助けるすばらしい直感や知識や、それに何よりもそこには、あなたの疑問に対するすべての答えが含まれているのです。

   友人と話しているとき、自分たちの会話に注意してみてください。
   お互いに相手の観念に対しどのようにそれを強化し合っているかや、その想像がどのようにその後を追いかけていくかなどをよく見てください。あなたが気づきさえすれば、こうしたことのすべては明らかなことなのです。

   あなた方の社会では、「わたしは日々、あらゆる面でますます良くなっている」という古い自己暗示がよく知られています。
(フランス人で心理療法士のエミール・クーエは暗示研究の創始者で、彼の有名な自己暗示のこと) しかしながら、このような暗示の結果もやはりあなたの意識的な観念に従うのです。なぜならあなたが「良い」と考えているものが、どういう意味であるかによっては、その暗示もあなたの持つ観念をただ強化するだけに過ぎないからです。

   ですからそのために自分の観念の持つ意味を理解し、調べ、それらが自分の経験を構築していることに気づき、望む結果を生み出さない観念は意識的に変えなければならないのです。もし調べてみるならば、あなたは自分のために働いている多くの素晴らしい観念に気づくことでしょう。

   そしてそれらをずっと遡ってみるといいでしょう。
   そうすれば、それらの観念からどのように今のあなたの感情や想像力が生まれ出ているかを知るでしょう。できれば過去を振り返り、新しい概念に出会ってあなたの経験がより良く変わったときのことを思い出してみてください。

   概念という考えは、常に人類という世界を変化させているだけでなく、絶えず新たな世界を組み立ててもいるのです。


      book 「個人的現実の本質」 ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ記録
                      ナチュラルスピリット

                           抜粋

   
   

   
   
   

自分の生き方を制限しているのは自分の持つ「観念」

   あなたが自分自身でいること、そして自分のあるがままを信頼することで、あなたの在り方は自動的に他の人々を助けます。恋人たちが相手に「理想」を望み、それでもいくらかの不十分さと欠けている部分によく気づいているように、あなたも自分自身を愛し、自らが欠点と見なしているものが実は欠点ではなくて、よりよくなろうとして模索している途上にある状態なのだと気づけばいいのです。

   今自分に流れている感情を憎んでいたのでは、自分を愛することなどできません。
   あなたとは、あなたの「感情ではない」のに、あなたはあまりにも頻繁に感情と自分自身を同化させては、その感情を憎むと同時に自分を憎み、嫌うのです。

   「自分には価値がない」と思っていることがわかっても、その上にポジティブ(肯定的)な観念を充(あ)てがおうとしてはいけません。そうではなく、そう思う最初の観念の原因を見つけてください。そのために、自分自身についてのあなたの感情を書き出してみることです。そして自分に正直に、自分が書いたことについてよく調べ、その感情に関わっている一組の観念に気づいてください。自分には価値がないと「信じる」ことと、実際に価値がないこととは違うのです。

   また自分の能力や自分の知っている長所について、あなただけが知っている自分の好きな点についても書き出してリストにしてください。それは動物たちとすぐ仲良くなれるとか、植物の世話が上手、自分の得意な料理などといったことも入れるべきです。あなたが自分の欠点として細かく書き留めたのと同じくらい正直に、どんな才能や小さな達成も書き出してください。

   そうすればたとえどんな人であれ、自分なりの創造的能力や達成したこと、またすぐれた特性のない人はいないことがわかり、自分は実際には価値ある人なんだということがあなたにはすぐわかるはずです。自分は劣っているという気分になったら、自分の能力と長所のリストを見てください。そしてあなたの自己分析によって「裏付けられた」価値あるあなたに、肯定的で前向きな言葉かけをしましょう。

   しかしあなたは、「自分にはまだ使っていない素晴らしい能力があることはわかっている。でもほかの人と比べたら大したことない。それに誰でもできるようなことを達成して、それが何だっていうんだ?」と言うかもしれません。

   まず第一にあなたが理解しなければならないことは、自分自身の独自性というものを、他人と比べることにはまったく意味がなく無益であるということです。なぜならそうすることで、あなたは彼らのものである独自性と特質に負けまいとするので、その分自分自身の持つ特質とそのヴィジョンを否定してしまうからです。

   自分とほかの人々を比較し始めたらそれが終わることはありません。
   必ず、常に自分より才能のある誰かを見つけてしまうので、自分に対する不満が途切れることはないでしょう。そうではなく、あなたは自分の観念をよく見ることによって、自分の人生はかけがえのないものなのだ、と考えてください。

   そしてその考えを基にして、あなたが今いるところから始めるのです。
   まだ何も実現していないからと自分を見下げる必要はなく、あなたにはあなた独自の成就というものがあることを認識し、力の及ぶ限りあなたの能力とヴィジョンを使い始めることです。

   どんな感情も湧いてくるに任せましょう。
   自分自身に正直にそうするなら、自分に対する無価値感や失望感は自然にひとりでに変化し、あなたを通り過ぎて消えてしまいます。時に自分の感情に我慢できなくなるときがあるとしても、「あなたは感情そのものではない」ことを思い出し、通り過ぎるに任せましょう。ただし、その感情を悪いものとして機械的に判断して、救急手当ての絆創膏のように「ポジティブな観念」をあてがってはいけません。

   自分自身に対するユーモアのセンスを身につけましょう。
   それはユーモラスな優しさと、自分に対して思いやり深く、ちょっと笑ってみることなどです。自分の持つ観念にますます気づくようになると、それらを本当の意味で処理できるようになります。

   観念の中には人生のある期間において、あなたのためにとても役立ってくれたものがあります。そしてそれはあなたのために目的を果たした後も、あなたは知らずにそれを持ち続けているならば、その観念が今ではあなたにとって妨げとして働いているかもしれないのです。

   たとえば子どもたちの多くが、幼いときには親を全能だと信じています。
   それは子供たちに安心感を与える便利な観念です。しかし思春期になると、その同じ子どもが、親も人間で間違えやすいことを知ってショックを受けます。そして別の観念が強くなり、年長者の世代は劣っていると見え、社会を仕切っている現役世代は頑固で無神経な人々だという観念を抱いたりします。

   しかし40歳になってもなお、親は絶対に誤りを犯さないと信じているなら、その観念があなたに利益となっていた時期は遥か昔に終わっているにもかかわらず、それでもなおあなたはその考えを抱いているということです。そしてその観念は、あなたが自立心を発揮して、自分自身の世界を作り上げるようとするときに、あなたの妨げとなるのです。

   あなたが50歳であり、年長の世代の人々は頑固でもうろくしており、精神的には無能で、身体的にも衰えていると確信を持っているなら、それがあなたの観念となり、あなたは年長の世代の人々は役に立たないという古い観念を抱いているがゆえに、その観念は自分自身に否定的な見通しとイメージを引き起こします。

   また50歳の今、青年時代が一生のうちで唯一の輝かしい時代で、もっとも能力を発揮できる部分だと思っているなら、それはあなたの観念となって今のあなた自身をネガティブに定義します。

   ある特定の分野で才能に恵まれた青年は、その能力のために、自分は他の人々よりも「優れている」という観念を抱いているかもしれません。しかしこの観念はある時期には、本人の成長のために必要な刺激と、能力を伸ばすためには欠かせない自立心を与えるうえで非常に役に立ったでしょう。しかし歳を経てもなお、この観念は余りにも長くこの人の中にあったために、他の同年代の人々のとても重要なためになる意見を拒絶したりして、自分自身の生き方を制限するものになっていたりするのです。

   若い母親が、夫よりも子どものほうがもっと重要だと思っていることがあります。
   そしてその考えに応じて、この観念は彼女が子どもに必要な注意を払うのを助けるでしょう。しかしこの観念は子どもが成長するにつれて、彼女自身をひどく制限するものになり得ます。

   彼女がそのことに気づき、自分の心の中身を調べられるようにならないならば、一人の大人の女性としての全人生が、その観念に従って構成されることになりかねません。なぜなら20歳の女性にとって肯定的で効果のあった観念が、40歳になってもなお、夫よりも子どもにはるかに注意を払っている女性にとって、同じ効果があるとは言えないからです。

   あなた方の観念の多くは、当然文化的なものと言えますが、それでもあなた方はやはり自分自身の目的にふさわしい観念を受け入れてきたのです。

   一般的にあなた方の社会では、男性は自らを論理的と見なす一方で、女性を直感的と見なす観念を持っています。そして今自分の権利を主張しようとしている女性はしばしば、この罠に、しかも後ろ向きにはまります。つまり、すぐれた論理的要素と自ら見なすものを支持することが、同時に直感的な要素と自ら見なすものを劣ったものとして否定することになるのです。

   ほとんどの場合、一つの観念がある一定の時期にわたって、あなたの人生を形作ります。あなた方は成長するにしたがって、それらの多くを脱していきます。その時にあなた方の内なる心の構造状態も変わっていきますが、もしその観念がまだ残っていることに気づいた時は、弱気になってそれらに黙従してはいけません。

   「私が劣等感を抱いているのは、母親に嫌われていたからだ」とか、あるいは「私は子どものとき太って(痩せて)醜かったから、自分には価値がない気がする」などといった観念を持っていると、そのような記憶する出来事から劣等感が生じたように思えるかもしれません。しかしながら自分の観念に打ち克つことが、あなたの大人としてのあなたの義務なのです。

   子ども嫌う母親は、その観念のゆえにすでに行き詰った困難な状態にあることや、そのような子どもに対する嫌悪は子どもがどうかということではなく、その母親の抱える問題について多くを語っているということに気づかなければなりません。あなたは今や成長した人間であり、すでにいじめられるべき子どもではないということを理解することが、あなたの義務なのです。


         
セス・ブック
      book 「個人的現実の本質」 ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ記録
                     ナチュラルスピリット

                          抜粋
 

今の状況を変えたければ思考と感情の「質」を変える

   経験とは、心と霊、意識的な考えと感情、それに無意識の考えと感情の産物なのです。
   それらが一緒になってあなたの知るリアリティという現実をつくり上げています。ですからあなたは、自分とは無関係に存在するように思われる現実に翻弄されているわけではなく、一方的にそのリアリティが押し付けられているわけでもありません。

   あなたは自分の経験を構成する物理的な出来事とあまりにも密接に結びついているので、物質的な現象と、それを生じさせている想念や願望、また期待との区別がつかなくなることがよくあるのです。

   あなたの心の奥深くに存在する思いに「強い否定的な側面」があるならば、そのネガティブな側面は、あなたとより充実した人生との間に鉄格子となって立ちふさがり、あなたはその鉄格子の間から外を眺めています。しかしその鉄格子はあなたの目には入らず、それはあなたが気づくまで妨げとなって存在し続けます。

   しかしながらそういう障害物でさえが、存在するためのプラスの理由があります。
   もしそれがあなたのものであり、あなたがそれに気づいて取り除きたいと思い、それらが存在するようになった事情を突き止めるのはあなたであり、あなたの責任なのです。

   そのような障害物を発見するために、さまざまな思考というものが大きな手がかりとなります。あなた方は自分で思っているほど、自らの思考をよく理解してはいません。あなた方の意識的な思いは、指の間からこぼれる水のようにあなたをすり抜けていくのです。その水はあなた方の心全体に必要な養分を運んでくれますが、同時にヘドロや泥なども頻繁に運び込むので、それが体験や創造性の水路を詰まらせる原因になっています。

   自分の思考を洗い直すならば、心の内なる状態や意図、期待などについて多くのことを理解するようになり、困難や問題がはっきりと見えてくるでしょう。自分の想念、思いを検証してみると、自分が向かおうとしているものが何なのかがわかります。それらは物理的に起こる出来事の本質を明確に示しています。なぜなら物理的に存在しているものはすべて、そもそも想念や感情の中に存在していたものであるからです。それ以外の因果関係というものはどこにもありません。

   あなた方が意識的な思考力を持っているのには十分な理由があります。
   つまり、自分で意識的に黙って従う者でもない限り、あなたは「無意識の衝動」のなすがままになることはないからです。あなたが今この瞬間の感情や意志というものを自覚するならば、自分の今の「立ち位置」というものをいつでも知ることができます。

   今の経験が気に入らないならば、自分の考え方や感情や期待の「質」というものを変えなければなりません。つまりその意味は、あなたが自分の思考を通して、自分自身の肉体や友人や同僚といった他の人々に送り出している「思い」というメッセージの質を、変える必要があるということなのです。

   あなた方の観点からすると、どのような思考も「現実化」します。
   つまり同じようなことを習慣的に繰り返し思考していれば、多かれ少なかれ、その思考は影響力を持っているように思われるのです。しかしそのことを意識せず、それのもたらす影響の結果を気に入っている場合であれば、そのゆえに自分の思考について考えてみることはありません。しかしながら次々と物理的な問題や困難が起きて来ると、その時になってやっと、「なぜこんなことが起きるのだろう」、「何が悪いのだろう」と考え始めるのです。

   時には誰かを責め、自分を責め、自分の境遇を嘆き、人生を呪い、もし転生を信じていれば前世のせいにします。あるいは神が与えた試練であるとか、悪魔に責任があるとか、あるいは「人生とはこういうものだ」などと言って、否定的な経験を避けられない運命として受け入れたりするかもしれません。

   場合によっては、「現実というものの本質」について中途半端な理解を持っているので、「自分がこういう結果を引き起こした原因だ」ということには気がついていても、「それを変えることはできない」と思っているので嘆き悲しむかもしれません。

   しかし嘆き悲しむこと自体が、自分の経験を創造しているのが自分自身であることを信じていないからであり、それがわかれば自分の中途半端な理解に気がつくはずです。この事実に気づくならば、すぐさまあなたはその落胆や不満をもたらした状況を変え始めることでしょう。

   誰もあなたに、こう考えなさいと強制するものはいません。
   しかしあなた方はこれまでの過去において、出来事を悲観的に捉えて考える習性というものを身につけてしまっているかもしれません。もしそうならその結果、楽観論よりも悲観論のほうをより現実的だと考えているはずです。

   多くの人々がそうであるようにあなたも、悲しみは人を気高くし、深遠な精神性の象徴であるとし、嘆き悲しみは孤高のしるしで、聖人や詩人がまとう心の装いとさえ考えているかもしれません。しかしこれほど、真実とかけ離れたものはありません。

   すべて意識というものは、自らの能力をフルに活用し、許容量を押し広げ、自分にとって障壁と見える体験にも立ち向かい、それを喜んで乗り越えていこうとする強い深遠な衝動が、本来不変的に備わっています。

   それは超最小微粒子の分子や素粒子に内在する意識であり、意識は限界を意味するどんな概念にも抗議の声を挙げ、新しい形や経験を切望するのです。それだけでなく原子や分子でさえが、絶えず新たな構造や新たな意味を持つ組織に加わろうとし、しかもそれを「本能的」にそうしているのです。

   人間は自らの創造物のすべてを管理するだけの意識を持っており、それを自らつくり出しています。そのために自らのすべてを管理するために必要な潜在的なあらゆる熱望や無意識的な動機、また言葉にならない衝動が、あなたの意識の承諾を求めて浮上し、あなたの指示を待っているのです。

   あなたの意識が自分の役目を放棄しない限り、人間は「ネガティブな経験」に左右されることはありません。あなたの意識が責任を拒絶した時にだけ、自分ではコントロールできないように見える出来事に、無抵抗で翻弄でされている自分に、やっと気づくのです。


          
セス・ブック
       book「個人的現実の本質」 ジェーン・ロバーツ著ロバート・F・バッツ記録
                      ナチュラルスピリット

                          抜粋

すべての生命や人は対等で優劣はない

Q、新しい魂は常に創り出されているのですか?

   
今この瞬間にも、新しい魂が創り出されているとは思えません。
   私たちはそれぞれが必要な経験を積んだ古い魂の一団で、それが地球へ来たり、他の星へ行ったりを繰り返しているのだと考えています。私の感じでは、「古い魂」と言われるような魂はより多くの経験を積んでおり、幾度となく肉体に戻る人生を繰り返していることから、より進化を遂げていると思われます。魂は自分の個性を保持していますから、多くの転生を経てもそれを失うことはありません。

   もしあなたが怠け者の魂であるなら、この地球上でどれほど時間を過ごそうとも、大した収穫を得ることはないでしょう。しかしその点において、忙しく駆け回り多くの仕事をこなすわけではないが非常に哲学的で瞑想的な人を、怠け者と比較することはできません。両者は別者なのです。私の言う怠け者とは、毎日テレビを見ながらブラブラ過ごし、自分で答えを見出そうともせず、あるいは外へ出て他人を助けることもせず、棚からぼた餅ですべてが手に入ることを望むような人のことです。

   人は経験を積み、理解を深めることができます。
   そうして成長することができます。自分に理解を得ようと努力奮闘する魂が「古い魂」で、それに対してただ漫然と、転生を繰り返しこちら側へ戻って来るだけで学ぼうとしない魂は、霊的な意味においてまだ「幼い」と言えます。また「古い魂」になるべく創られていたとしても、こちら側の世界へあまり頻繁に戻ろうとしなかった魂もやはり幼く、「赤ん坊の魂」と言えます。


Q、妊娠してお腹に子どもができたら、それは新しい魂ですか?

   
そうではないと思います。
   新しく肉体を持ってこの世界へ入ってくる魂である子どもは、人生において新しい使命を果たし、新たな仕事を行ない、新たな経験をするためにこちらへ戻ってくる魂なのです。そして同じく、私たちのすべてが以前に何度もこの世界へ来たことがあります。

   再び、新しい人生を始める魂が選択してきたのはどのようなものでしょうか?
   本人は知っていますが、次は男かもしれず、女かもしれません。どんな人種でどんな肌の色でしょうか? 世界のどこで生まれて、どんな人生を展開するのでしょうか? このように生まれてくる魂にとって、それぞれが新たな旅立ちなのです。

Q、魂として進化するためには、誰とでも仲良くすることが条件なのですか?

   
この物質的世界には完全な人は存在しません。
   それに私たちは同じ個性を持つわけでもなく、物の見方もそれぞれに違います。しかしまず理解しておくべきことは、他の人より価値が優れて高い人などどこにも存在しないということです。私たちには創造されたものとしての優劣などはありません。

   つまりそれは、ある人が何かに関して「正しく」ても、そのことによって他の人が「邪悪」であることにはならないということです。私たちはいつも「正しく」あろうとし、あるいは「他人と同じ」であろうとします。また好きになれない振る舞いをする人を遠ざけようとします。

   しかしながらそうであっても、他の人々もやはり受け入れられるべきなのです。
   自分とは異なる価値感を持つ人も、自分の好まない振る舞いをする人も、他人とは同じ行動をとらない人も、自分にとっていかに好きになれない要素があろうとも、受け入れられるべきなのです。

   その意味は、私たちにはすべてが許されているので、他人を裁いたり批判したり、罰したりするのは私たちのすることではないということです。それに私たちは、互いに愛し合うことを学ぶためにこの世界に来ていることも確かなことなのです。

Q、この世で幸福を得るための秘訣はあるのですか?

   
私たちは人生において、幸福を作り出さなければならないのではありません。
   私たちは本来が、幸福であることが当たり前の状態なのです。しかしそうは言っても私たちはしばしば困難な状態に陥り、不幸をもたらす要因から抜け出すことが困難です。しかもその不幸のほとんどが、自分自身の行為と選択の結果であることです。

   人生においても、本のようにそれぞれの「章」があると考えなければなりません。
   私は人生においてほとんどの場合ずっと幸せでしたが、それでも時おり、私の幸せを中断させようとする出来事がありました。そしてそこで幸せを選び取るかどうかは、まさに私たち次第なのです。他の人が自分に代わって決断してくれるなどと期待してはいけません。

   大きな失望や、大きな損失をこうむっても、それを乗り越えて回復するだけの力が私たちには備わっています。悲しみにもがき苦しんだり、自分を罰したりするような運命を負っているわけではありません。私もその渦中では、その都度前向きな態度を心がけ、努力に努力を重ねていましたが、どうしても「あること」をやり遂げられなかった結果、私らしくなく、ついに強い挫折感と失望感にさいなまれ、自尊心まで蝕まれる状態に陥りました。

   その時、「向こう側」にいる父が、「自分を蝕む想い」をすべて捨て去る方法を教えてくれたのでした。そして友人であるヒーラーのジンジャーも同じことを言っていました。まず、そのような状態を薬やアルコールや、他の何かでまぎらわせてしのぐのではなく、少し時間を作り、自分の悩みの種になっているものをすべて「視覚化」してみるということでした。

   つまり自分のすべての悩みを黒いゴミ袋に入れ、しっかりと縛ったうえでゴミ捨て場に引きずっていく様子を映像化するのです。「そんなことでは自分には効果がない」という人が多いと思いますが、でも試してみる価値はあります。問題になっていることや否定的な思いなど、悩みの種を全部ゴミ袋に入れて、捨てるところを視覚化するだけでよいのです。やってみると効き目があるので驚かれることでしょう。
   



   
book 「超入門 転生のひみつ」 コンチェッタ・バートルディ著 徳間書店5次元文庫

                          抜粋      

   
   



「あなた」とは、あなたの身に起きていること「そのもの」

   まだ知られていないことが沢山あります。
   あなた方の心理学者たちは、魂という観点から考えることが未だにできないし、宗教の指導者たちは、そのほんのわずかでさえも心理学的に理解することができないばかりか、理解しようともしません。つまり言い換えれば、メタフィジックス(形而上学)と心理学が融合できていないのです。

   あなた方の物質的世界での経験は、あなたの内なる心の中心から外へと生じるものです。そしてあなたはそれを経験し、知覚することになります。つまり外側の出来事や環境や状況は、一種のフィードバックとしてあるものです。ですから、心の状態が変化すると物理的な環境も自動的に変わるのです。

   これについて他に、「物理的な出来事を変えることのできる」道理に適った方法はありません。このことを理解するためには、あなたの内部で行なわれる活動をイメージするとよいでしょう。分かり易く表現すると、あなたはそこで自分の知っているすべての外部の状況を、霊的なミニチュア版として創造しているのです。つまりあなたの持つ考えや感情、そしてイメージは、外側の出来事が起きる発端となるものであり、そうした内部の活動が、何とかして物質的な現実の中で具現化していくのです。

   あなたは自分の人生の状況において、まったく変わることはないと思っているかもしれませんが、実際にはそれらに対するあなたの考え方を変えることによって、状況を絶えず変化させているのです。つまり、あなたの内部の活動と無関係に起きている外側の経験というものはないのです。もちろんほかの人々との相互作用というものはありますが、すべてはあなたが自分の考えや態度、あるいは感情的に否定したり拒否したりして、自分に引き寄せたものなのです。

   このことは人生のそれぞれの領域について言えることです。
   それはあなたの考えるこれまでの人生と、今後の人生の両方について言えることです。つまりあなた方は本来、もっとも奇跡的なやり方で、自分の経験を作り出す天賦の能力を与えられているのです。

   今回の人生においてあなた方が学んでいることは、自分に与えられている「無尽蔵のエネルギー」をどう扱うかということなのです。ですから現在のあなた方人類の集団的な世界的状況とは、そこに属するそれぞれの人々が、自らの世界を形成するために物質化したものの寄せ集めであり、それはつまり、現時点における人間の進歩が物質的に現象化したものに他なりません。

   
そのように「創造の喜び」は、あなた方の呼吸と同じくらいたやすくあなたを通って流れ出し、そこから外的な経験のもっとも精緻な領域が生まれます。あなたの持つ感情は電磁的な本質を持つ実体であり、それが外界に流れ出すとき空気そのものに影響を刻印するのです。感情は類を持って引き付けあい、集団になり、そのようにして出来事の状況や領域を徐々に創造し、ついには物質として形を成し、あるいは時間の中の出来事としていわば結集するのです。

   感情や想念には、あなた方が「もの」と呼ぶ構造に変換されるものがあります。
   それはあなた方が「空間」と呼ぶ媒体の「中に」存在します。「空間」とは実際には、あらゆる物質を成している原子、分子、素粒子、ミニウスとも呼ばれるエネルギーで埋め尽くされている空間のことです。それらがあなた方が「出来事」と呼ぶ心の構造に変換され、あなた方が「時間」と呼ぶ媒体の中に存在しているように思えるのです。

   空間と時間というものは物質的次元においては基本的な前提となるものですが、その意味は、あなた方が単にその前提を受け入れており、自分たちのリアりティ(現実)は当然、「瞬間という時間の連続と、一つの空間的な次元に基づいている」と信じているということです。したがってあなた方の内的な経験は、そうした「観点」に落とし込まれるのです。

   時間や空間の中において物や出来事がどのくらい存続できるかは、それを生じさせた想いや観念、感情の強さによって決まります。しかし空間における存続は時間における存続と同じではありませんが、あなた方には同じであるように思われるかもしれません。あなた方の観点で言うと、たとえば空間に束の間しか存在しないように思われるものや出来事も、実際には時間の中においてはもっとずっと長く存在し続けているかもしれないのです。

   つまり、空間で消えてしまったずっと後にも、あなたの記憶の中に存在し続け、それはますます重要で鮮烈なものになっているかもしれないのです。そういったものや出来事は、あなたの心や記憶の中にただ象徴的な意味で存在しているだけでなく、あなたの意識に今も影響を与え続け、実際に、現存する時間の中において継続している「もの」であり、「出来事」であるのです。

   
一方、それがあなたの心に存在している限り、空間におけるそのリアリティという現実も消え去ることはありません。ごく簡単な例を挙げますが、非常に高価で美しい人形が飾ってあり、その人形で遊んではいけないと言われていた子供がいます。しかしその子は言いつけにそむいてその人形をおもちゃにして遊び、故意にか無意識にか人形を壊してしまい、結局その綺麗だった人形は捨てられてしまいました。

   でもその人形は、その子どもが覚えている限り、つまり大人になってからも記憶という時間の中で、まぎれもなく生き生きと存在し続けるのです。その人が、飾り棚の中に置かれていた美しいその人形を鮮やかに覚えているとすれば、そこに今は別のものが置かれているとしても、飾り棚のその「空間」はその人形の印象を保持しています。

   だからあなたは、空間において肉眼で見えているものや、時間の中で目の前にじかにあるものだけでなく、依然として自分の中で現実というリアリティであり続けている、たとえば「人形」であったり、人形にかかわる「出来事」がもたらした印象や、それを思い出させる出来事に反応するのです。

   あなたは基本的に、自分について、またリアリティという現実に対するあなたの「思い」を通じて、あなた自身の経験を創り出しています。このことを理解する別の方法は、あなたが自分自身の持つ「期待」というものを通して、自分の現実を創造していることに気付くことです。


「感情のトーン」  

   「感情のトーン」という感情的レベルは、自分自身に対し、また人生全般に対するあなたの感じ方を現しており、ほとんどの場合、あなたの経験する大きな領域を支配するものです。「感情のトーン」は、あなたの感情に全体的な色合いを与え、あなたの身に起きてくることを特徴づけるものです。つまり「あなた」とは、あなたの身に起きていること「そのもの」なのです。

   感情はほとんどの場合一時的なものに思えますが、それらの根底には、あなた特有のものである「一定の感情の質」というものがあり、それは音楽で言えば底を流れる「通奏低音」のようなものです。日々の生活において、あなたの感情が高まったり、落ち込んだりしているすぐその下に、そういったあなた独自の感情のトーンが潜在しています。

   そしてそれらは時々、しかもかなり長期的な周期で表面化してきます。
   感情のトーンは、良いとか悪いとかと判断するものではありません。そうではなく、それがあなたという存在のトーンであり、あなたのこれまでの経験が造り上げたもっとも最深奥の部分の表れなのです。それは自分で気づけないようなものではなく、ただそれらは、「あなたが自分の経験を形成する核を表している」という意味です。

   もしあなたが、自分の感情やそれらを表現することを怖れるようになっているなら、あるいは内なる自己は、野生的な本能的衝動の場所でしかないと教えられてきているなら、意識せずにこの深いリズムを習慣的に打ち消しているのかもしれません。あるいはそんなものは存在しないかのように、無視したりしているかもしれません。

   しかし「感情のトーン」は、あなたの魂のもっとも奥深い、そしてもっとも創造的な衝動の表れなのです。ですからそれと戦うのは、本来の激しい流れに逆らい、それに逆らって上流に向かって泳ごうとするようなものなのです。そういう感情のトーンが、あなたの存在に浸みわたっています。それらは魂が肉体と融合するときにとる形態であり、そこから、それらの核から、あなたというあなた独自の肉体が生じているのです。

        
セス・ブック
     book 「個人的現実の本質」 ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ(記録)
                      ナチュラルスピリット

                          抜粋 

お墓を必要としているのは「こちら」にいる人々

Q、お墓参りをしないと、亡くなった人々は気を悪くするのですか?

   
彼らはお墓にいるわけではないので、気を悪くすることはありません。
   墓地というものは、亡くなった人のためにあるのではなくて、それは純粋にこちらで生きている私たちのためにあるのです。つまり大切な人とのつながりを持ちたいために、便宜として確保しているだけのことなのです。誰一人いなくなった人などいないのですから、「向こう側」にいる人々には私たちの考えや思いがすべてわかっています。

   それは私たちがどこにいようと問題ではなく、たとえば墓地に向かっている車の中に一緒に座っていたりするのです。ですから「向こう側」にいる彼らと話すために、別にお墓に行く必要はまったくないのです。墓前に花や品物を供えるのは、実は悲しみに包まれているこちら側の人々に慰めを与えるためでしかないのです。つまり、私たちからすればその行為は愛情を表すためのものです。でも向こうではこう言っていますよ、「あなた方、そんな花や品物に無駄にお金を使う必要はないんだよ」と。


Q、「向こう」へ行った親しかった人は、別離を悲しんで、私たちのもとへ戻りたいと思うのでしょうか?

   
私は、「別れを悲しんでいる」と言った魂に、お目にかかったことが一度もありません。
   当初は向こうでの状況に満足しているとは限りませんが、彼らの多くは、別離が原因でこちらにいる家族が非常に取り乱して、悲嘆に暮れたりしないことを望んでいます。

   覚えておいて欲しいのですが、私たちという存在は本来が、この物質的次元の存在ではないのです。私たちは究極的には、宇宙というより広大な世界に属しているものなのです。この広大な大宇宙の中の片隅の、この小さな辺境の地に私たちがいるのは、この物質的3次元の世界でなければ得られない学びがあるからで、それをここで経験して知るためなのです。

   「こちら」を去って「向こう」にいるのは、いわば夏休みのようなものです。
   ですから転生するべきふさわしい準備ができていない状態で、こちらに戻りたいという希望を示した魂には会ったことがありません。魂はひとたび「向こう」へ行くと、たった今終えたばかりの自分の旅について理解します。

   「向こう」の人たちは今なお私たちを愛しており、その愛は永遠に続きます。
   しかも「向こう側」は永遠のパラダイスであって、何の制限もない世界ですから、彼らが私たちとともに過ごすために、ことさら制限と拘束の多い肉体的な形に戻る必要はないのです。

Q、「向こう側」の人たちも生前の個性を持ち、歳をとるのですか?

   
個性の点では、向こうに行ってもこちらにいた時と変わりません。
   こちらで押しの強い人であったなら、「向こう側」でもやはり押しの強いままで、言うことをきかせようとします。しかし時々あることですが、こちらにいた時、無口で絶対謝ることのなかった人がコンタクトしてきて、「愛情を口で表現したことがなかったけれど、やはり言葉で表現するべきだった」と伝えてきたりします。また「向こう側」へ行ってから変わる人もいますが、向こうで何かを学んだからのようです。

   知っておくべきことは、肉体年齢は霊的な年齢とはまったく関係がないということです。
   こちらでは短命でほんのわずかな期間しか過ごせなかった人もいますが、それでも霊的な年齢においては多くの経験を積んだ古い魂であったのかもしれません。逆に80歳、90歳まで生きても、霊的に成熟した年齢という点では、霊の年齢はまだ幼ないということもあり得ます。

   つまり「向こう側」では、早くに亡くなった赤ちゃんは赤ちゃんではないのです。
   そういう魂は私にこう言うかも知れません、「亡くなった時、私は9ヶ月の赤ちゃんでした」と。しかしこれは、それが間違いなく自分の子どもだということを依頼者に納得させるために
そう言うのです。そして人々は必ず、なぜ神様が子どもを連れて行ってしまうのかを知りたがります。でも私にしてみれば、この疑問は見当違いの疑問なのです。

   私には前から不思議に思っていることがあります。
   それは転生してくることで致命的な病気や遺伝病にかかり、虐待されたり、殺されたりすることが前もってわかっているにもかかわらず、あえてそれを体験するためにこちらへ自発的にやってくる魂がいるということです。しかしそこには私たちにはわからないカルマという隠れた原因と目的があると考えられます。

   そして多くの場合、その短い人生や死によって生まれる波及効果というものがあり、それは非常に遠い範囲にまで及び、私たちの知らない大きな貢献を果たしているのです。そしてそういった人たちの魂が今戻っているところは「向こう側」で、言うまでもなく遥かに快適で美しいところです。

   多くの場合、「向こう側」にいる存在たちには固定した年齢がないように見えます。
   おそらくその理由は、自分の年齢を選択することができるからです。私の見たところでは、私の父はかつての老人のようには見えないし、兄も病人のようには見えません。二人とも「向こう側」では若くて端麗な姿をしているので、どうやら霊は自分に一番ぴったりすると思える年齢や、なりたい年齢を選べるようです。

   しかしながら私にわかっているところでは、依頼者がリーディングを受けに来ると、その依頼者が目的とする「向こう側」の相手は、その本人であることを思い出してもらうために、依頼者に見覚えのある姿、様子で現れるのが普通です。なぜならたとえば祖父や祖母の場合であれば、二十歳代の若者の姿で現れたのでは、孫には見分けがつかないからです。

Q、「亡くなった」人たちは、お葬式で誰も泣いてくれないと憤慨するのですか?

   いいえ、そんなことはありません。
   彼らが腹を立てることはなく、「あいつはすぐ俺のことを忘れるぞ」とか、「あの人の本心を今わかってしまった」などと言って、裁いたりすることはありません。たとえ奥さんの葬式に、夫が愛人の秘書と腕を組んで現れたとしても、こういったことにさえ亡くなった人は理解を示すでしょう。

   なぜなら、自分の結婚生活にかかわっていた、さまざまなカルマのすべてを今は理解しており、人間関係というものが持つ目的が何であるかも、今は知っているからです。ですから葬式に涙は必要なものではなく、むしろ実際にはその反対で、亡くなった人たちは微笑みと笑いを好んでいるのです。


Q、「亡くなった」人々は、私たちの人間関係をうまく取り持ってくれているのですか?

   そういうこともありますが、多くの場合それはないようです。
   なぜなら私たちは自分で過ちを犯し、そのことから学びを得るためにこの世に来ているからです。ある人々は自分の指導霊と連絡を取ることができ、見当違いの判断をしないで済むだけの導きを得ます。

   「向こう」の人々は私たちに「合図」を送ろうとしますが、同時に彼らもわかっているのです。つまり私たちは、自分の行為から教訓という恩恵を受けることができるように、一定の経験をすることが運命づけられていることを、彼らは知っているのです。

   私は以前、とてもハンサムで容姿端麗な男性とデートしたことがあります。
   しかし彼は非常に愚かな人物で、人の話に聞く耳を持たず、精神的にも心を閉ざした人でした。「向こう」の人たちは、この男性は私には向いていないと教えてくれていたのです。しかし私には、そしておそらくこの男性にも、この交際から学ぶべき点がありました。そうです、実は私が学んだことは、「イケメンの中には本物のバカがいる」ということでした。

   私たちは誰に出会うにせよ、そこには何らかの理由があります。
   多くの場合、恋愛関係にはカルマに関わる理由があります。ですからそれを知っている「向こう」の人々は、私たちがそういう体験をするように援助してくれます。


   book 「超入門 転生のひみつ」 コンチェッタ・バートルディ著 徳間書店5次元文庫

                          抜粋
   

「善悪」ではなく「因果応報」で償われる

Q、「向こう側」へ行った人たちは、私たちの過去のことを知っているのですか?
  それがこちら側にいる時には知り得なかったようなことでも?

   
はい、すべてを知っています。
   しかし「宇宙の始まりについて」のようなことではなく、肉体を持つことで妨げられてきた事柄についてはすべてを知ることになります。彼らは私たちが何を考え、どうしようとしているかまでその出来心のすべてを知っています。こちら側にいた時には理解できなかったような事柄でも、はっきりわかるようになっています。なぜそういう物事が起きたのかについて、ありのままが明らかにされるからです。

   ひとたび私たちが「向こう側」へ渡ると、たとえばなぜ配偶者はそのような振る舞いをしたのかや、彼、彼女の使命は何だったのか、それが自分たちの使命とどう関わっていたのかなどについて、それまで理解できなかった事柄の背後にあることを完全に理解するのです。私たちには隠されてきたどんな家庭内の秘密であれ、私たちは知ることになります。

   私はある女性に行なった(問題を透視して解決する)リーディングのことを思い出します。ある時、その女性のすでに亡くなっている息子が、「向こう側」から私にコンタクトして来ました。彼が自分の亡くなった事情についてを話したかどうかまで覚えていませんが、母親よりも先に亡くなっていました。その息子は、「自分が生前叔父さんだとずっと思っていた人が、実は自分の父親であったことがわかった」、と母親に言ったのです。

   しかし彼は、母親を責めていたわけではなかったのです。
   彼がこちら側にいる時、母親がその件について何も話さなかった理由や、秘密にしていた理由について、もしそれを他人が知ることとなっていたなら、どんな影響が家族に及んでいたかが理解できたと、彼は母親に伝えたのでした。


Q、殺人事件の被害者になったり、残酷な死に方をした人々は「向こう側」でどうしているのですか? 安らかに暮らしているのですか?

   
その通りです。
   「向こう側」ではみんなが安らかに暮らしています。すべての人々が安息の中にあり、愛そのものです。しかし「向こう側」へ行って当初は、途中で命を断たれたことで、肉体を持って生まれてきたことの目的が断念させられたので、まだ少しは怒りが残っているかもしれません。しかしそこには、私たちがしっかり覚えておくべき点があるのです。

   それはすべての「死」の状況というものが自分で立てた計画の一部であり、生まれて来る前に前もって同意した事柄の一部であるということです。ですから彼らも遅かれ早かれ、そのことを思い出して納得することで、そうした感情も消えてしまいます。つまり「向こう側」には怒りや傷心といったものの居場所はないのです。

   ある時、私がリーディングをしていると、そこへ9・11(米国貿易センタービル爆破事件)で亡くなった人が現れました。しかし彼はまったく怒りを表すことはなく、ただ自分が犠牲になったことにより、何らかの変化が生じたことは認識していました。

   私たちは「怒り」や「悲しみ」について考えるとき、肉体を持つ者としての立場から考えています。ですから殺されたりすることを、最悪の出来事だと考えるかもしれません。なぜなら私たちは肉体を失うことを、すべての選択の余地を失うことと見なしているからです。

   「殺される」ということを、「不自由な場所に閉じ込められて身動きできない」ような状態と捉えているかもしれません。しかし計画してきたとは言え、望んでそうなったのではないにせよ、「肉体の死」によって、実は自由の身になるというのが真相なのです。


   本来の魂という霊の姿に戻れば、まったく束縛はありません。
   ですから殺人の犠牲になったからといって、本来の自分自身を何も失うわけではないのです。これまでに死んだとされている人々も、いまなお私たちと一緒にいるのです。

Q、暴力を受けて死んだ人は、その殺人者が法によって裁かれることを望むのでしょうか?

   
「向こう側」では正義というものは、神の手中にあります。
   それは「宇宙の法則」としてあるもので、こちらの3次元世界のように何が何でも復讐を、懲罰を、見せしめをというものではありません。私たちは誰一人として、自分のした行為から逃れることはできませんが、それは実際には裁判所や刑務所によって与えられる懲罰のようなものではないのです。

   それはカルマによる因果応報という形で受けることになります。
   それが良い悪いに関わらず、私たちは自分の行為が引き起こしたすべてを受け取るのです。暴力により肉体としての生命を絶たれた人を含め、魂として存在するものたちの世界にあるのは「許し」だけなのです。おそらく信じがたいことだとはと思いますが、でも本当なのです。

Q、死んだペットたちは、「向こう側」で私たちを待ってくれているのでしょうか?

   
もちろんです。
   動物たちは神からの贈り物です。動物たちは私たちに慰めと喜びを与えてくれ、彼らはこの世で知り得る無条件の愛に限りなく近いものを与えてくれています。ですから彼らに対しては敬意を持って扱う必要があり、いるのが当たり前だと考えてはならないのです。

   私は「向こう側」へいった人々とまったく同じように、亡くなったペットたちからコンタクトをもらうことがあります。そしてしばしばリーディングの最中に「向こう側」の誰かから、「あなたの犬がここにいますよ」と伝えるようにと頼まれます。時には飼い主が「向こう」へ来るのを待たずに、ペットのほうから戻って来てあなたを訪ねることもあります。幽霊の姿で目撃されたり、吠えるのが聞こえたり、時には感触が感じられたという話を多く耳にします。

   どんな生き物であれ、それは私たちと同じく神のエネルギーで創造されています。
   神の物質から創られているのですから、すべては神のもとへと帰ります。そして私たちと同じく、彼らもまた魂として存在し続けているのです。

Q、猫には霊能力があるそうですが、あらゆる動物がそうなのですか?

   猫だけではありません。
   すべての動物たちが第六感を持っています。

   私の友人の一人が男友達を亡くしました。
   友人は犬を飼っていましたが、飼い犬には亡くなった男性が見えていたようです。それで友人は自分の犬が吠えるのを聞くたびに寝室へ入ってみると、実際に強烈な葉巻の匂いがしたのでした。亡くなった男性はいつも葉巻を吸っていたので、その匂いで友人にも男性が来ていることがわかりました。しかしいつも、犬のほうが先に男性が来ていることを知って教えてくれていたのです。


   book 「超入門 転生のひみつ」 コンチェッタ・バートルディ著 徳間書店5次元文庫

                          抜粋 
   

これまでに死んで消えてしまった人など誰もいない

Q、生まれ変わりとは何ですか? それはどんな仕組みになっているのですか?

   
私が学んできたことや見せられてきたことなどから、私は次のように信じています。
   私たちは何度も何度も繰り返し、別の肉体を準備してはこの世界に戻ってきています。それはこの次元において、さまざまなことを学ぶのが目的だからです。

   私たちはそれぞれが、自分の属するグループを組んでこの世界に来ており、それは以前から知っている人々で構成されています。自分の属する魂の集団はまさに巨大なもので、それは単なる自分の一家族に留まらず、もっと大きな家族の範囲をも超越するものです。

   この世で最初に出会った際に自分が抱く感情が、彼らに対して好感情であれ、悪感情であれ、自分がその人たちに対して抱く感情なのです。つまり以前に、その人々とともに関わりながら生活したことがあるからです。それは単なる「魂の集団」以上のものであり、むしろそれは同一のエネルギー場のようなものです。

   私たちは肉体の死を迎えると、一人残らず「向こう側」へ戻ります。
   あなたの親族や知っている故人が、みんな向こうで私たちを待っています。自分の人生において重要であった人々は、誰であれ向こうにいます。つまりこれまでに、死んで居なくなり、存在しなくなった人など誰一人としていないのです。

   再び生まれ変わって転生するには、それぞれの魂を援助する霊的なマスターとともに、合意のうえで計画が立てられます。その目的として、次の人生で必ず学ぶべきものと他人を助けることが盛り込まれます。それは私たちの存在が、何かを学ぶと同時に何かを教えるものであるからです。


Q、「生んでくれと頼んだ覚えはない」と親に言う人がいますが、真相はどうなのですか?

   
私たちの全員が、間違いなく自分の親を選んで生まれて来ています。
   私たちは自分の自由意志とそれぞれの選択や行為を介して、現世における人生を展開させており、それはたとえどのような状況であれ、自分自身の選択によるものです。

   ですから誰の元に生まれるかを知った上でこちらにやって来ます。
   転生するかしないかさえも、自分で選択した上でのことです。転生する国や場所、時代、時期、性別に至るまでがそうで、当然誰を親として生まれるかも自分で選んでいます。


Q、「向こう側」がそれほど素晴らしいところなら、どうしてまた戻ってくる決心をするのでしょうか?

   
肉体を伴うことは、苦闘がもたらされることでもあります。
   ですから肉体を持たずに「向こう側」にいる人々には、体験する必要のない苦闘とも言えます。確かに苦闘のない状態はこちらにいる私たちからしたら、素晴らしいことのように思えるかもしれません。しかし目的は成長して学ぶことにあるので、そのために私たちは苦闘を通して学んでいるのです。

   しかし「向こう側」にいる人々には苦悩や苦闘がないために、そこでは学んで成長し続けることが不可能に近いのです。「向こう側」にいるとそのことがよく理解できる結果、人々は再びこちらへ戻って進化する道を選び、さらなる洞察力を身につける人生を選択するのです。そうすることが、より進化した魂になるための成長を実現させてくれる手段なのです。

   私たちはほとんどの場合、男性か女性のいずれかを選択して転生してきます。
   それはこの3次元世界が、男性としての役割、女性としての役割というように、学ぶべきことが異なっているからです。ですから魂もその記憶を保持しています。

   私たちはたとえ自分がゲイや同性愛者だと思っていても、実際には男か女かのいずれかにはっきり区別されています。私たち3次元に生きる者は、「向こう側」にいる人々が身体を持たないとか、男でも女でもないという状態を理解することは困難です。

   私の(問題を透視して読み解く)リーディングでは、問題を抱えて深く落ち込んだ人や落胆した人がしばしば、今度死んだらもう二度とこの世に生まれて来たくないと言います。もうずっと「向こう側」にいたいとか、これが最後にして欲しいというような言葉を年がら年中、もうイヤというほど聞かされます。

   ところがそうであるにもかかわらず、ひとたび「向こう」へ行くと、何かが再び、肉体に舞い戻らせるためのレッスンを受けさせるのです。私が信じているところでは、あらゆる魂にとっての究極のゴールとは、霊的マスターや指導霊になることであり、神のために働く聖霊になることです。そのためには高貴な存在にならねばなりません。魂という存在は神に近いものが高貴なのであり、何よりもそれを求めることこそが重要で必要なものなのです。

Q、転生して来る時、自分で自分の身体を選ぶことができるのですか?

   
半分イエスで、半分ノーです。
   しかし実際にはそのことを私たちは合意して承諾しているので、イエスと言えます。私たちは現世において生活の使命を果たす上で必要な肉体を受け取ります。それは自分の身体に備わったものの美点と欠点のすべてから自分が学べるように、自分の目的が首尾よく果たせるように選ばれるのです。ですからそれぞれの人がさまざまに組み合わされた理由を持っているわけで、共通したものというのはありません。まさに個人個人が独自な肉体を持っているのです。

   もし私たちが現世で謙虚さを学ぶことが目的である場合には、私たちをへりくだらせてくれるような、そうした肉体的欠陥を何か持ち合わせて生まれてくるかもしれません。このことにおいて結論として言えることは、自分の望みのものが得られるのではなく、自分に必要なものが与えられているということなのです。


    book 「超入門 転生のひみつ」 コンチェッタ・バートルディ著 徳間書店5次元文庫

                           抜粋

   

「向こう側」への「交差点」はサッサと渡ろう

Q、臨死体験について説明してください。

   多くの場合、臨死体験は、何らかの衝撃的な体験などが引き金になっており、たとえば事故や重病などによって突然引き起こされます。いずれの場合も、肉体が機能できなくなる状況になって起こります。しかし高い霊性や霊的能力を持つ人々の中には、瞑想の霊的修練においてこのような体験や、それによく似た体験をすることがありますが、いずれも肉体的に異常はありません。

   そこで何が起きているかというと、魂が肉体から浮かび出て、光のトンネルを通って「向こう側」へ移動するわけです。「向こう側」とは、私たちが再び生まれ変わる時まで滞在する場所のことです。つまり死んだ時と同じことが起きるわけです。すでに亡くなっている親族に迎えられたり、自分の生涯を早送りで見せられたり、見学旅行に出かけたり、霊的なマスターからある種の授業を受けたりしてよく覚えておくようにと言われたりすることもあります。

   そこがあまりに壮麗で美しく、のどかで居心地が良いために、聞くところでは、本人は自分の身体に戻りたくなくなるそうですが、「向こう側」の誰かから、まだ来る時期ではないと言われて戻らざるを得なくなるようです。

   そして3次元のこちら側では、魂が身体から抜け出ている時に、その人が何らかの治療を受けている状況にあれば、実際に肉体の死だと確認されて「死」の宣告を受けることがよくあります。つまり血圧や心拍などの生命の徴候が、まったく見られなくなるからです。ところがその後魂が身体に戻って来ると、意外や意外、「
息を吹き返した!」という事態になります。

   私の考えでは、臨死体験はまさに神からの贈り物です。
   私たちは意識している、していないにかかわらず、常に神とつながっていることは事実です。それは絶え間なく、いつもそうなのです。しかしそれに対して、私たちの意識のほうはその自覚があったり、なかったりを繰り返しています。しかし臨死体験をすると、この意識が強烈に呼び覚まされることになります。ですからある人が自分の人生において横道に反れてしまっている場合、考え方を調整し、正しい道筋に戻すようにという警鐘である場合があります。

   またある場合には、特に生き方に問題があるわけではないのに、その体験をすることがあります。「向こう側」のマスターたちが、その人に必要な変革を起こす可能性が備わっていると見たのかもしれません。あるいは、その人を通してより多くの人々に向けたメッセージが託されたり、残りの人生で果たすべき特別な使命が与えられるのかもしれません。

Q、昏睡状態とはどういう状態なのですか?

   
昏睡状態にある人は、文字通り天と地の中間にいます。
   場合によってはそのまま向こうへ渡る時期を迎えていることもあれば、そうせずに意識が戻る場合もあります。私が確信しているところでは、昏睡状態に陥った当初というのは、深い眠りの状態にあり、肉体を抜け出るという可能性があることを本人は認識してはいません。しかし何ヶ月、何年にもわたって昏睡を続けている場合には、ひたすら眠って横たわっているだけではないようです。

   これは幽体旅行と同じものだと思われます。
   つまり人によっては幽体離脱をしているようです。この点についてはそれぞれの選択において異なり、「向こう」へ渡りたがっている人もいるでしょうし、その場合は向こうへ行くべき時期にあります。しかし現代では医療技術によって、とにかく肉体を生かし続けるという方法が採られています。

   しかし私は個人的には、生命維持が正しいことだとは思っていません。
   なぜなら私たちには、「必然に逆らわず、向こうへ渡ろうとしている人」を、こちらの都合でここへ留めておく権限はないと考えるからです。

   私の考えでは、昏睡状態にある人が向こうへ渡ろうとしない主な理由は、単なる恐怖心からです。つまり向こうへ行くことが怖く、いわばその交差点に立って、未知の世界に恐怖の念を抱いているのです。それは向こうへ渡ると、自分の存在が消えてなくなるのではないかという認識のせいなのです。また自分が去ってしまうと、後に残された人が困ることを怖れているのかもしれません。選択を迫られていながら、「間違った」選択をすることを怖れてもいます。ですから「立ち往生」しているわけです。

   昏睡状態の人を文字通りここに押し留めているのは、こちらに留まっていて欲しいと願う私たちの側の引きとめるエネルギーが原因だとは思えません。それは恐怖のもととなっているものへの本人の認識と、自分自身が抱いている恐怖心から生まれるエネルギーが原因だからです。

   ある程度臨終を拒絶することはできると考えます。
   しかし何にせよ、私たちは肉体のままで生き続けられるかどうかわかりません。お呼びがかかったとしても、なおこちらに留まるもっともな理由があればそれができるに違いありません。しかし私がこれまでに理解したことを総合すると、お呼びがあったら、それに従うのが最善だと信じています。

   「去る」にあたり、誰かを困らせることになるという思いから、グズグズしてしまうことがあるのは確かですが、ほとんどの場合、立ち去ろうと考えます。私はリーディングで何回となく聞かされたことですが、去っていく人が望んでいるのは、家族の誰かが「もう行ってくれてもいい」というのを聞くことなのです。それを聞くことであらゆる事情が一変します。臨終にある人にとって、家族が快く送り出してくれる想いこそ、非常にありがたいことなのです。


    book 「超入門 転生のひみつ」 コンチェッタ・バートルディ著 徳間書店5次元文庫

                          抜粋

   
   

人類は3次元での経験を終えて5次元に上昇する

   波動文明になると、私たちの生活はどのように変わるのでしょうか?

   私たちは通常、それぞれが独自の波動で存在しています。
   波動は瞬間ごとに変化しており、私たちがどのような考えや感情などの意思を抱くかによっても変化します。その波動が微細で繊細になるほど限りなく光に近くなり、そのような波動をまとうほど通常の物質としての肉体は、いわゆる「霊的な身体」に近くなっていきます。

   その意味することは、つまり物質的肉体を維持するために、これまでのような物質的エネルギー量を必要としなくなるということです。ですから毎日の食物摂取量も極端に減ってくるでしょう。

   人々の思念が高潔で純粋なものになるほど、肉体の波動は繊細になっていくので、光からエネルギーを摂取できるようになり、肉体を維持するのに必要な物質的エネルギー量は、今の食事の1割も必要としなくなるはずです。

   食べるものは主に、新鮮な野菜や果物、穀類や少量の魚くらいでしょう。
   少なくとも動物は食べません。

   多くの人々は知りませんが、動物にも感情や知能という意識があり、食肉にされるために殺される時、恐怖と悲しみにふるえ、牛などは涙を流します。そのようにして殺される動物たちの恐怖と悲しみの想念が、殺される瞬間の動物たちの身体の細胞に噴出して充満します。

   そのような肉を食べて平気なはずはなく、まさに毒にあてられているようなものです。
   肉を口に入れることで、同時に彼らの恐怖と苦しみという想念の毒を取り込んでいるのです。それは物質的栄養学的なことではなく、精神面における大きな影響を見逃すことはできません。私たちは本来、殺して食べる必要はないのです。

   そうして食生活が変化してくると同時に、食料生産という労働も変化してきます。
   それとともに、物質欲や所有欲なども少なくなっていきます。生きる目的が変化して生活が変わってくると、比較する必要がなくなり、ファッションや流行などといったものもなくなっていくでしょう。

   波動文明の価値感は、魂の高潔さです。
   光の波動がさらに高まっていくと、存在そのものが光になって見えなくなります。しかし波動文明の初期にはまだそこまではいきませんが、いずれ人間は肉体を光の波動に変えるようになるでしょう。

   新しい波動文明では、フリーエネルギーを使います。
   ただしエネルギーそのものもそれほど必要とはしないでしょう。これまでの物質文明のようにたくさんの物は必要ではなくなるので、休みなく、夜中もあくせく働く必要はなくなります。

   為政者のプロパガンダ(煽動目的)のための道具でしかないテレビも見ることはなく、テレパシーでコンタクトできるようになるので、パソコンや携帯電話も必要ないことから、相対的にエネルギーを使う必要が少なくなります。

   お金を稼ぐ必要がないことから、労働は1日置きで、それも辛い肉体労働はありません。ノルマに追われることもなく、上司も部下もなく、業績やシェア争いとも無縁です。生活費を手に入れる仕事ではなく、自分が生きるための喜びややり甲斐を求め、自分にできることややりたいことを追求していくことが仕事になります。

   ある人にとってはそれが美しい音楽を生み出すことで、それが仕事になるでしょうし、またある人は絵画であったり、工芸品を造ることであったり、スポーツや肉体的表現を極めたり、動植物の世話や観察を仕事にする人もいるでしょう。

   世界中の人々はたくさんの物は必要ではなくなっていくので、必要最小限の物を物々交換しながら、質素に生活するようになるでしょう。もうお金は必要ないので、仕事をしても給料などは発生しません。つまり、自分が本当にやりたいこと、好きなことが自分の仕事になるのです。

   永遠に平和で争うこともなく、大切な人々と一緒に時間を分かち合い、ゆったりと充実したときを過ごしながら、生きる喜びに満ちた生涯を送るのです。そういう時代が、もうすぐやって来るのです。


最終章
   
   
この原稿を書き上げる少し前に、少し気になるニュースがあったので、その内容を抜粋して掲載します。

   『白山で群発地震 4時間で100回あまりの揺れ(2012年10月29日 中日新聞』

   石川県と岐阜県の県境にある白山(2702メートル)で、27日夜から28日未明にかけて群発地震が起きていたことが、気象庁の観測でわかった。いずれも揺れを感じない震度0の地震だったが、その回数は4時間で100回あまりにも上る。気象庁によると、白山の中飯場(標高1540メートル)の地震計が観測しており、群発地震は10月29日午後9時ごろから28日午前1時までに計108回を数えたという。

   実は2011年に出版した前著の『ついに宇宙人が最終戦争後のシナリオを用意しました』(徳間書店)の中で、私はこの白山に関する噴火の予言をしています。しかし状況のいくつかの要素が変わってしまうと、確定と思われていた事象が延期されるなどのことが起こり、一般的にそのために予知や予言というものもそれらと絡んでいることから、常にその通りに展開されるとは限りません。

   しかし天変地異や、火山の噴火などに関しては、通常の科学レベルがキャッチしている情報が多数あります。なかでも富士山や白山、阿蘇山、あるいは朝鮮半島の白頭山などは、地球内部の変質によっていつでも噴火する状態であるという事実は、科学者だけでなく、その分野に注目している人々はすでにその情報をキャッチしていると思われます。そういう「すでに見えている情報」に対してどう対処するかですが、そこはしっかりと自分の頭で考えてください。

   よく「人間の意識の進化」ということが言われますが、実際には私たちの意識は、進化ではなく「拡大」しているのです。宇宙というものがどれほど広いのか私たちには想像もできませんが、その先、もっと先というように、私たちの意識は宇宙の隅々にまで広がっていきます。そして忘れてはならないのが人間の意識は小宇宙であり、この意識と宇宙が実は同じものであるという事実です。そしてこの自分の意識が宇宙を創り出しているという事実に、人類はまだ気付いてはいません。

   いよいよ地球はフォトン・ベルトに突入しました。
   これから約1000年にわたって、地球はこのフォトンベルトの中を旅していきます。そしてこれまでとは違う宇宙エネルギーの降り注ぐ中を、人間はDNAを変質させながら、意識を拡大させ、次元上昇に向けて自分を変化させていきます。

   私たち人類はこれまでの遥かな長い歴史とさまざまな経験を通して、ありとあらゆる感情の歴史のページをめくるたびに、それらは遺伝子に刷り込まれていきました。そして今私たち人類は、低波動帯と呼ばれる3次元において、これまで延々と続けられてきた物質的な経験である輪廻転生を繰り返す時代に、いよいよ終わりを告げようとしています。

   人類はやっと5次元世界へ次元上昇し、ようやく光り輝く波動文明を手にする時期が来たのです。私たちは肉体のヒトから霊のヒトに変化します。霊のヒトとは、半霊体、半物質という状態です。その状態になると、病気や感情に翻弄されることとは無縁になります。争いごとも消滅し、魂が浄化され、そうしてようやく宇宙と意識が一体となれます。

   しかしその前に、あと少しだけ、私たち人間は3次元世界において経験を積むように、宇宙の創造主によってシナリオが組まれているようです。ですから、まだなのかとがっかりしないでください。いずれ5次元世界がやってきますが、あと少し、まだ3次元世界での経験を積むチャンスがあるのですから、それならいっそのこと、その時間を愉しめばよいのです。

   これまでできなかったこと、やりたかったけどできなかったこと、謝りたいこと、感謝したいこと、行ってみたいところ、目いっぱい愉しみたいこと、思いっきり泣きたいことなど何でもいいのです。人に迷惑をかけないことなら何でもいいので、この際なので、思い切って楽しんでみてはどうでしょうか? 2013年から始まる大激動期を、ともに乗り切る鋭気を養いましょう!


           book 「大宇宙連合からの啓示」 田村珠芳著 徳間書店

                           抜粋

これから訪れる「波動文明」「波動社会」

   地球で繰り広げられるニビルの神とアヌンナキの闘いが、最終的にどのように決着するのかはわかりません。しかし彼らが何とか阻止しようとし、どうあがいたとしても、地球は次元上昇し、人類もやがては目覚める時を迎えることになります。そうして、そう遠くない未来に「波動文明」ともいうべき時代がやってきます。

   この宇宙のすべてはエネルギーです。
   つまり、すべてのものはエネルギーだということです。物質をなす最小単位は原子とも分子とも、光子、素粒子、ミニウスなどと呼ばれていますが、私たち人間に見えるもの、見えないもののすべてがこの最小のエネルギーでできています。そしてこのエネルギーは意思を持っているので、すべての物質も意思を持っていることになります。

   この3次元世界に存在するすべての物質もそうであり、人間や動物の肉体だけでなく、あらゆる植物や微生物などの有機物、さらに鉱物や石、水や空気など、この地球や宇宙空間に至るすべてがある種の意志を持った神のエネルギーなのです。それは「波動」と表現されることもあります。

   このエネルギーの形は、絶えず揺らいでいます。
   それに変化を与えて形を造ることができるのが、意識的な意志の力なのです。なぜ物体を空間に出現させたり、金属が念というもので曲がったりするのでしょうか。これらは手品でも、特別な超能力でもなく、実は本来、人間が普通に持っている能力に過ぎません。

   このエネルギーがさまざまな形をとって、この3次元の世界が作り上げられているわけで、この地球世界は人間のために根源創造主が準備したものです。人間の知性の行使によってあるいは無意識の力によって、この世界は常に変化していますが、その変化が全体のバランスを破壊するように動き始めることがあります。そのような世界にとって好ましくない揺らぎが起きてきた時、そのことに気づき、それを調整する役割を与えられているのも、人間なのです。

   本来、人間の持っている想念や意志という力が、いかに大きな偉大なエネルギーであるかということに気づかねばなりません。私たちは自分の発する想念や意志を、自分だけに属するものという大きな誤解による過ちを犯しており、その結果、さまざまな害悪や破壊的な想念や感情を垂れ流して来ました。無知であったとはいえ、これらの想念がこれまでいかに、地球だけでなく宇宙全体に及ぶ害をまき散らしてきたかについて、考えたことがあるでしょうか?

   私たちの世界を造り上げてきたのは、そういった想念であり意志です。
   ですからそのことに気づくならば、自分の持つ意志や想念のエネルギーは、世界や宇宙を救うために使うことができる「力」だと気付くはずなのです。私はそのことに早く気付いて欲しいのです。

   これからやってくる新しい文明は、「波動の文明」です。
   
波動はエネルギーなので、このエネルギーによってすべての病気の治療だけでなく、どのようなことも調整して治すことができます。将来、診療所には、人間の身体の波動を調整する装置が置かれ、それで波動調整することで病気も怪我もすぐに治すことができるようになるでしょう。切除したり繋いだりする手術の必要はなく、副作用のある薬を飲む必要もありません。

   そうなると本来、人類が持っている寿命に少しは近づくことができるので、まったく健康に生活することができます。寿命はとりあえず、150歳から200歳くらいまでは伸びるでしょう。そして寿命を全うして次元上昇し、5次元以上の世界に上昇することになるでしょう。

   現在の地球の物質文明における価値とは、お金を持っているとか社会的権威がある、有名大学出身であるとか、有名企業に勤めている、名家の出身であるといった社会的地位が、その人物評価を決定しています。しかし次に来る波動文明では、それがすべて変わってしまいます。

   まず貨幣経済が終わります。
   そして肩書きや家柄、血統、地位や権威などといったものは、意味を持たなくなります。なぜならその人の価値を決めるのは、「魂がどれだけ清浄で美しいか」ということだけだからです。3次元世界を上昇すると繊細な振動(バイブレーション)で展開する世界になるので、いままでわからなかった繊細な面が見えるようになり、誰でもオーラが見えるようになるので、偽りやごまかしが通用しなくなります。

   たとえば選挙も、演説や投票は必要ありません。
   なぜなら、もっともオーラが光輝いている人が必然的に選ばれるからです。そのような人がリーダーになると、もっとも整った波動を持っている人は周りのすべてに良い影響を与えるので、病んでいる人の波動は自然に調整され、動植物は生き生きと育ち、環境はより一層清浄(正常)になります。その人がいるだけで周りが影響を受けて整えられ、正常(清浄)になっていくのです。

   いずれにせよこのようにして、これまでの社会を構成する基盤となっていたもののすべてが崩壊することになります。資本主義社会は終焉を迎え、貨幣経済は終わります。自由主義も共産主義も、社会主義も民主主義も同様で、それぞれの主義主張の強いものが社会を形作ろうとした時代は終わります。今になってよくわかることは、どんな制度であってもそれらは結局は、権力者にとって都合のよい道具でしかなかったということです。

   またモラルや文化や、哲学の基礎となっていたすべての宗教や学問なども、金儲けのテクニックであるとか、話がうまい、知識があるといったことも、これからの世界では意味がなくなります。貧富の差やステータスの差もなく、事件や争いごとのない平和で穏やかで光に満ち溢れた世界がやって来ます。

   しかしながら一気に、そうした「波動文明」に変わるわけではありません。
   まず資本主義が終焉し、それに代わる次の社会構造を模索するという段階を経る必要が、まだ少しはあるでしょう。つまり石炭からすぐにフリーエネルギーの時代になるわけではないように、石油になって、原子力になって、天然ガスになって、その次にやっとフリーエネルギーの時代に移るのです。この段階こそが「人類進化のステップ」なのです。

   すでに述べましたが、フリーエネルギーの技術はすでに開発されています。
   しかしエネルギーというものは文明とともにあるものなので、今まで化石燃料でやってきたものを、もっと効率の良いエネルギーが発見されたからといって、すぐ乗り換えることはできないのです。つまり、もっと根底の基礎の部分が肝心で、つまりは社会構造が変わらなければならないのです。


           book 「大宇宙連合からの啓示」 田村珠芳著 徳間書店

                          抜粋
   

   

ニビルの神とアヌンナキの末裔の最後の闘い

   NASAは1982年に、太陽系の9つの惑星の周りを回っている未知の「惑星X」の存在を公式に認めています。(当時の概念では太陽系は冥王星を含む9つの惑星から成るとされていた) さらに、世界で始めてニビル星の存在を理論的に解明したのが、米海軍天文台のロバート・ハリントン博士たちでした。

   それによると、「ニビル星の直径は地球の4~5倍で、質量は地球の20~25倍、密度は100倍。ニビル星は約3600年周期を持ち、極端な楕円軌道を描いて太陽の周りを回っている惑星。褐色矮(わい)星のために天体望遠鏡で捉えるのは難しい。ニビル星は太陽から112億キロメートル離れた太陽系外縁部を進んでいる」、という衝撃的な研究結果をまとめたのです。

   ところがその後、ハリントン博士はニビルを撮影するために、南半球の観測ポイントであるニュージーランドに向かうために準備を進めていたところ、突然病死してしまいました。死因は癌だったそうですが、事前に具合が悪い様子はまったくなかっただけでなく、ニュージーランドへの間近に迫った出張を楽しみにしていた人が、癌で急死するなどということがあるのでしょうか。

   また、チリのラスカンパナス天文台で、やはりニビルの観測をしていたフランスの研究チームが天文台に向かう途中、ロープウェイのワイヤーの滑車が突然切れて地上に落下し、乗っていた21名全員が死亡するという事故が起きています。
(この事故は2012年5月7日に起きており、その中にはチームリーダーを務めていた日本の国立天文台の森田耕一郎教授も含まれていました。犯人はクルストフェル・キハダという男ですが黙秘を貫いています) このようにニビルに関する研究者たちの死が相次いでおり、その真相は不明ですが、ニビルにまつわる陰謀の影は現在も絶えません。

   そのニビルが、実は3600年ぶりに地球に近づいているのです。
   
『惑星Xが戻ってくる』(マーシャル・マスターズ他著 徳間書店)という本が出されていますがそれによると、ニビルがもっとも地球に近づくのは、2013年2月14日だということです。そのタイミングに多少の誤差が生じたとしても、おそらくこの時、ニビルの神々が降りて来ます。そしてかつての労働者アヌンナキの末裔たちの企みを知ったニビルの神は、彼らを許さないでしょう。

   
アヌンナキの末裔である彼ら地球の闇の権力者たちはそれがわかっているので、彼らの神が戻って来る前に、この地球という星の支配を完了させておきたいわけです。つまりニビルの神が再び計画している天変地異を起こさせないで、地球の支配者として君臨したい、それができる、と彼らアヌンナキの末裔たちは踏んでいます。

   彼らはこれまで何度もニビルの神に煮え湯を飲まされているので、彼らとしても何らかの対策を講じ、神の計画を狂わせ、何らかの天変地異が起きないような工作をしているかもしれません。しかしそうであってもおそらく、多少時期がずれることがあっても、ニビルの神の計画は実行されるでしょう。

   そこで彼らは別の対策として、一旦火星に避難する計画も持っているようです。
   
その際、ただ逃げるのではなく、彼らは「地球を爆破する」と警告しています。しかし闇の権力者の目的は人類を奴隷として従え、地球の支配者として君臨することなので、火星に逃れたとしても、天変地異で地球が壊滅し人類が死滅したのでは意味がありません。

   そこで地球を人質にとっているのです。
   地球は宇宙にとってもかけがえのない貴重な星です。その地球が爆破されてしまうことは宇宙の人々にとっても困ることなのです。だからその弱みに付け込んで、「我々の地球支配を認めないなら爆破する」として、「危険な賭け引き」に出ているのです。

   「宇宙人が攻めて来る」というのは、アヌンナキを祖先に持つ闇の権力者たちにとってみれば、ある意味これは真に迫った事実であると言えるかもしれません。地球にやって来て以来、アヌンナキたちはこれまでに何度かニビルの神の計画によって滅びの危機に瀕してきました。しかしそのたびに生き残り、ニビルの神への憎悪に燃えている彼らは、今度こそ神を出し抜こうと考えています。しかしながらニビルの神にとっても、今度こそ計画を完全に遂行しなければなりません。

   従って、今度の闘いは、ニビルの神にとってもアヌンナキにとっても、地球で行なわれる闘いの最後の機会となるかもしれません。そしてその巻き添えを食うのは人類であり、彼らに翻弄されながらまさに滅びに瀕しているのです。そこで宇宙の人々は、そんな私たち人類を何とか救おうとしているのです。

   しかしながら彼ら宇宙の人々のメッセージは、なかなか人々には届きません。
   なぜなら3次元世界の汚辱に染まり、浸りきってしまった結果、感性や心のアンテナがすっかり鈍ってしまった地球人には、高次元にいる宇宙の人々の声や姿が聞こえず、見えないからです。

   それでも宇宙の人々は、人間の肉体を利用したりしながら、私たちにあらゆる手段を使って語りかけてくれています。

   『皆さん、どうか闇の人たちの仕掛ける策略に騙されないでください。
   私たちはあなた方を必ず助けます。しかしそのためには、あなた方地球の人々の心の目が覚醒する必要があります。

   それは感性を研ぎ澄まし、善くない心や弱い心を抑え、素直な心や清い心を取り戻し、霊的な感性を高めることです。物事の本質を見抜く霊的な感性が育っていない人は、簡単に騙されてしまいます。霊的な感性が高まっていれば、嘘を見抜くことができ、物事の本質を捉えることができます』

   
地球は今、否応なく、5次元に次元上昇しようとしています。
   地球とともに、迫り来る次元上昇の扉を通り抜けることができるか、できないかの、その瀬戸際に私たち人類は、いるのです。


           book 「大宇宙連合からの啓示」 田村珠芳著 徳間書店

                          抜粋

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