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「感謝」するとき宇宙とつながる

   あなたがこの地球にやってきた目的は何でしょうか。
   今のような人生を送ることになった目的を、さまざまな外的な状況や出来事を通じて明らかにすることができるかもしれません。しかしながらだとしても、そうした外的な事情というものは、真の目的だとは言えないのです。たとえばあなたの財産の多寡(たか)であるとか、結婚暦、離婚暦、あるいは学歴や教養の有無、有名無名であるか、美しいかそうでないかといったことなどは、あなたが人生で着ることになる単なる上着のようなものであって、あなたの本質を現したものではありません。ですからこの世に生まれた魂の目的を知ろうとするとき、そうした外側のものは何1つとして、本当のあなたについては教えてはくれないのです。

   では、あなたとはいったい誰なのでしょうか?
   この問いに答えるには、まずあなたが何でないかについて考えてみるといいでしょう。あなたとは仕事であり社会的地位であり、家庭内の役割、高い業績、あるいは失敗なのでしょうか。あるいは交友関係であり、あらゆる経験であり、性格、肩書き、肉体なのでしょうか。しかしそれらはあなた自身ではありません。同じく、他人があなたに対して抱いているイメージにしても、それはあなたの本質ではありません。

   そのようなものは単なる玉葱の皮に過ぎません。
   玉葱の皮を1枚1枚むいていき、あなたの名前も性別も、肉体も顔もすべてを取り去ったとき、あなたには何が残るのでしょうか? 単純に、知的にこの作業を続けていくだけでも、もうその先には進めない壁に突き当たるはずです。ですからその先へ突き進むためには、私たちには瞑想や観想が必要になることがわかります。

   つまり、自分だと思っているものをすべてそぎ落としたとき、最後に残るのは何か、この問いかけこそが、自分の中の偉大な存在である高次の自己、つまり偉大なる魂に触れるための出発点になります。そしてそれこそがあなたという人間の本質であり、しかも今まで自分だと思っていたものの制約からは、完全に自由であるということにあなたは気づくでしょう。ですから本質ではないものをすべて拭い去ったとき初めて、自分の魂を、自分の高次の自己を感じることができるのです。今、私たち人間に求められているものは、こうした宇宙的な視点であり、神のような視点を持つことなのです。私たちは自由自在に今の次元をシフトし、本来の自分たちの源である光と愛を経験できるようにならなければなりません。

   私が初めて、自分が高次の自己であることを実感したときのことは忘れられない思い出です。その瞬間を境に、私のすべてが変わったのです。あるとき、ぼんやりと横になっていたとき、突然、自分を取り巻く世界が一変したのです。そこには始まりも終わりもなく、光も音も空間も時間もない世界でした。それは一度にすべての謎が解けたような明確さがありました。あらゆるものには壮大で深遠な目的があり、しかも完璧に統一された宇宙意識でした。

   私は肉体がなくなり、自分と万物との区別もなく、もう体の重みも感じません。
   もう私は切り離された存在ではなく、自分は創造の源という、本質そのものの一部であることに気づいた瞬間でもありました。この私もまさしく、「偉大なる自己という存在」なのです。ですから誰もが森羅万象を創造している崇高なエネルギーであり、光、愛からほとばしる輝きであると気づいた瞬間でした。

   私がこうした至福に浸っていると、遥か彼方に1つの惑星が見えてきました。
   それは広大な宇宙に浮かぶ美しい星です。そのあまりの美しさに、私はかつてないほどの深い愛おしさを感じました。まもなくそれが地球だとわかったとき、私の意識にはさまざまな動物や生き物たちが見え、山や谷や密林や砂漠、広い海にあらゆる生命が感じられました。そして地球が始まって以来、これまでに存在してきたさまざまな人種、肌の色や背景の異なった人々が見えてきました。それはなんと壮大で感動的な光景だったことでしょう。

   ところが、私にはどこか決定的に違ったものが感じられてきたのです。
   それは地球上に生きている人々から感じられるもので、その人々は自分が愛されているという感覚を失っており、自分たちが創造主から生まれた者であることをすっかり忘れてしまっていたのです。それは偉大なる神の霊を魂に宿し、無限の可能性を秘めた存在でありながら、その自らの素晴らしさに気づいていない人間たちでした。私の目に映るのは、喜びも目的も意味も感じることなく、ただ日々をやり過ごすことで人生を終えるだけの人々ばかりだったのです。

   先住民ののような1人の男性が見え、彼はボロボロの布をまとって、捨てられた廃材を拾い集めていました。その周囲では大勢の人間たちがバイクや自転車、あるいは徒歩で街を行き交っています。誰もが無表情で、その光景は哀しいものでした。私の意識は高いところを飛んでいるかのように、街から街へ、場所から場所へと素早く移動して行きました。

   そして次の瞬間、自分という人間が小さいけれども完璧な姿形ち持って、この地球という星の両親のところに生まれ落ちたところも見えました。その後の大人へと成長していく場面も垣間(かいま)見え、その時は余計なものだと思っていたさまざまな人生の局面までも目の当たりにしたのです。こうして私はものごとの理由というものを知り、こうした過去の出来事があったからこそ、それらが教訓となって学ぶことにより、この人生における自分が形づくられたということに気づいたのでした。

   その体験は私に強烈は感覚を与え、私の体は震えてこのうえない喜びに涙が流れました。私は自分が誕生したときから現在までの自分の人生を間の当りにし、自分に起きるすべての出来事が、神の摂理によって導かれていたことを知ったのです。私はこの経験のおかげでやっと、自分や他人に対する批判や裁きをようやく手放すことができ、被害者意識を捨て去ることができたのです。これまでの過去の物語から解放され、私は生まれ変わったような新鮮な興奮を覚えました。

   私は自分で選んでここにやって来たのです。
   この奇跡のように美しい世界を見て、触れて、聞いて、味わうことはもちろん、地球に生きる他の存在たちとともに生きてこの世界をつくり出していくために来たのです。そう思うと胸がいっぱいになり、私はすっかり生まれ変わりました。自分が神から生まれた偉大な存在であるとわかれば、私のどこに間違いなどがあるというのでしょう。

   私の人生と同様に、あなたの人生もあなたの高次の自己が動かしているのです。
   それはちょうどチェスの駒を動かすように、私の高次元の自己は私をリードして導いています。私が教訓を学び、人間として成長できるように、時々刻々と何かを経験させています。なぜならこの人生は学ぶためにあるからです。それは何かを手に入れるためでもなければ、神に受け入れてもらうためでもありません。私たちは本来が神の一部であり、別のものではないのです。

   精霊は教えてくれました。
   私たちからそうした記憶をすべて拭い去って地球へ送り込み、「さあ、頑張って来なさい。地獄へ落ちないように、どうにかわたしのところへ戻って来るんだよ」などと言う神はいないのだと。私たちは不正や傷ついている人を目にした時点で、それは自分の経験になるのですから、それに対してどう行動するかを決めるのは自分です。自分を信じ、自らの高次元の自己を信じるならば、自然と正しい決断をすることができ、偉大なる霊の計画に沿う決断を下すことができるでしょう。

   人生の学びと成長を促してくれるのは、人生で出会う困難です。
   それはたとえ、「あんなことをしなければよかった」と後悔するような出来事であっても、それは間違いなのではなく、1つの教訓であり、学びの機会なのです。ですからたいてい何かを学んでいるはずなのです。内なる高次の自己によって差し出された経験からもし何も学ぼうとしないならば、そのゆえに再び、また同じことを経験させられることになります。「なぜこんなことが何度も起きるのだろう?」と、今まで不思議に思ったことはありませんか。そういう場合には、「なぜ?」ではなく、「いったい何を学ぶべきなんだろう?」と自問したほうがよいでしょう。

   あなたは自分で思っていたよりもずっと偉大な存在なのです。
   そしてあなたの人生は、あなたの内なる高次の自己が動かしており、あなたが学び成長できるように導いていることを心に留めておきましょう。あなたはなぜ、今のこうした時代に生まれて来たのでしょうか。それは今という大きな節目の時期に生きることで、あなたはこの世に多くの恵みをもたらすことができる存在であるからです。この世界に生きて存在しているものは、すべてが偉大な存在の現われなのです。自分は取るに足らない小さな存在だと思う必要はどこにもありません。あなたは想像を絶するほど素晴らしい人なのです。

   自分の内なる高次の自己につながるためのもっとも効果的な方法は、とてもシンプルな方法です。ある種の気持ちに浸ることが、自分の心と宇宙全体とのつながりを取り戻してくれます。それは自分の持っているものや、こうして生きていることに対して、そして万物の美しさに対して感謝することです。感謝することによって、あなたの波動全体が変わるでしょう。それは何かが足りないとか、満たされないガッカリした気持ちを手放すことであり、そうするときあなたの中で、人生に感謝し、生きる喜びを味わおうとする存在が息を吹き返してくるのです。それこそが、あなたの本質なのです。

   そのときこそあなたは宇宙と調和しており、鍵をかけて閉じ込めていた内なる自己の霊的な力を解き放つようになるのです。心が開かれ、堰き止められていた感情がほとばしるでしょう。涙があふれてきて、ちょっとしたことにももう何年も感じたことのなかった、愛おしさや優しさを覚えるかもしれません。心が軽くなり、子どもに返ったように感じるかもしれず、感謝とはそれほどにパワフルなものなのです。

   感謝という鍵は、あなたの心という神聖な扉を開き、万物とのつながりを取り戻してくれ、そのとき私たちは歓喜し、まるで生まれ変わったような清々しい気持ちになるでしょう。感謝は、私たちの自己憐憫や鬱々とした気持ちや、無力感を晴らしてくれる最高の薬なのです。自分を可哀そうと憐れみ、価値のない人間だという気持ちに浸っているあいだは、自らの内なる高次の自己を思い出すことはできません。感謝の気持ちは、私たちを泥沼から引き上げ、自分が本来いかに貴(とうと)く、完全な存在であったかという実感を取り戻してくれるのです。

   私は祈ることで、自然に感謝の気持ちに浸ることができます。
   まず宇宙を満たす偉大なる霊と、母なる地球と大地の恵みに感謝の気持ちを祈ります。そうすると自分がどれだけ恵まれているかを実感することができます。人間は頭でっかちになると当然、心で感じることを忘れるようになり、ありがたい、感謝という気持ちを取り戻すために少し時間がかかるものです。ですから私は自分の心がその感覚を取り戻すまで、感謝すべきものの名前を1つずつ挙げながら祈るようにしています。さまざまな宗教にかかわりなく、何らかの祈りの形式を持っている人も、いない人も、感謝の気持ちを表すことはできます。重要なことは、感謝の気持ちと、さらに畏敬の念、優しさ、そして驚きなどの気持ちを抱くことです。

   私は、どんな人でも母なる地球に意識を集中させると、たちまち自分の心と体につながることができることに気づきました。人間社会は、母なる地球の存在を当たり前のように考えて蔑(ないがし)ろにしてきました。ですから傷ついている地球への癒しとして、毎日感謝の気持ちを捧げることをお勧めします。地球に感謝し、草花や木々、動物たちや昆虫、風や水、日光や大地に感謝することは、結局自分の体に感謝することでもあるのです。なぜなら私たちの体は地球そのものでもあるからです。ただ漠然と「母なる地球」を思い浮かべるよりも、具体的なものに意識を向けるほうが実感しやすく、今の自分にとって一番大きな恵みと思えるものから感謝するといいでしょう。

   それは何であれ、ありがたいという気持ちをかき立ててくれるものからがよいでしょう。
   それは毎朝目にする子どもの笑顔かもしれないし、飼っているペットであるかもしれません。あるいは素晴らしい夜明けの景色かもしれず、一輪の小さな花、それとも自分の足で歩ける健康であるかもしれず、青空を吹き抜けるさわやかな風を感じることであるかもしれません。最初は自分の外側にあるものごとに関心を向けることになりますが、次第にあなたの意識は自分や他人を含めた世界へと拡大していくでしょう。そしてやがてあなたは、他人や自分自身のあるがままの姿に感謝を感じられるようになるでしょう。そうなればあなたは、宇宙の秘密の扉を開ける鍵を手にしたのも同然なのです。

   あらゆる痛みや混乱の元まですべてを含めた存在に、そして自分や他人の欠点に対してでさえ感謝の念を抱くことができるなら、あなたの目の前には壮大な世界が広がるでしょう。そのときあなたは、すべてが愛でできているという真理を知るのです。そしてこの気づきこそが、今地球に生きているすべての人間に求められていることなのです。心を開き、内なる偉大な存在とつながることのできる最強の鍵は、感謝の気持ちにあります。

   もしあなたが今、不安と混乱の海をさまよっているのなら、どうか、何かに感謝する気持ちを忘れないでください。そうすればあなたとともにいる内なる高次の自己は、荒波を乗り越えられるように、魂の目的を見失わずにいられるように、必ずあなたを導いてくれるでしょう。


         book 『<レインボー・トライブ/虹の民>に生まれ変わるあなたへ』
              キーシャ・クローサー著 サアラ訳 ヒカルランド

                           抜粋

傷ついた体験を深く理解することで自らを癒す

   私がシャーマンになってから教わった特別なレッスンがあります。
   それは人間としての潜在能力を完全に開花させるためには、何を理解し、何を思い出さなければならないかについてのレッスンでした。そしてハイアーセルフ(内なる高次の自己)の本質を理解することから始まったその訓練で、精霊は私がそれまで聞いたことのなかった表現を使いました。それは、あなた方は本来、「偉大なる存在」であることを思い出さなければならないというものでした。それは自分自身の本質である「偉大なる魂」といった表現をすることもできます。私たち人間は一人ひとりが、神聖なる源から生まれたがゆえに神々しい輝きそのものであり、自分が思っているよりも遥かに偉大な存在なのです。

   しかし私たち人間はそれとは逆に、自分たちは不完全で生まれながらに不十分な、罪深い存在であると教えられ、そう思い込んで長い間生きてきました。そしてそれが、私たちの思考を狭くて小さな枠に閉じ込めてきた最大の原因だったのです。しかし精霊は私たちに、あなた方人間は神聖な光と愛が創造したきらめきそのものであると伝えてきます。私たちは神であり、女神だというのです。あなたの本質は、そのままで完全なのだということをどうか忘れないでください。

   そして神々しい輝きであるあなたは、ある種のことを経験し、学ぶために地球という世界にやってきました。ですから人生という旅は、あなた自身の本質がそれを必要としたものであり、学ぼうと選択したものなので、そこには間違いなどとというものは存在しません。ただひたすら、あなたの高次の自己があなたを愛して動かし、向かうべきところへ導いていくのです。私たちはそれぞれが、さまざまなレベルや異なった出来事を経験して学ぶために生まれてきたので、そこには上も下もなければ、良い悪いといった比較などもあり得ないのです。

   私たち一人ひとりは異なった必要と波動を持っており、そのゆえに誰もが自分の人生という旅路を歩んでいるのですから、そうした自分を他人と比較して批判したりするのはまったく意味がありません。誰もが一番自分に必要で、ふさわしい道を選択して地球に生まれてきたことを知っていれば、自分に対しても、他人に対しても、批判したり判断したりして決めつけることはできないはずです。

   人は決して間違いを犯さず、選択を誤ることもないと言っているわけではありません。
   私たちは少なくとも、この世界の特徴である二元性という、自分と他人、幸か不幸か、善か悪かといったような自由意志の選択をしながら生きているものです。私は子どもの頃に、身近な大人に虐待されるという経験をしました。それはつまり、他者がした非常にお粗末な選択に、私が苦しめられたということです。人間が他の人間を傷つけることは決して許されるものではありません。しかし私はその後、あの頃のそうした辛い体験がその後の私の人生に大きな意味をもたらし、それを乗り越えようとすることが、今の自分を育てることになったのだということに気づきました。

   ですから人生で経験することはすべてが糧となり、その人を育てるのです。
   大きな苦しみと絶望、葛藤を味わいながら、そのまったく不幸としか見えない出来事の中に、それを乗り越えることで幸福が隠れていることを私は学びました。ですから自分の経験したことをどのように受け止めるかによって違ってくるのです。他人を虐待する行為を決して認めることはできませんが、しかし私は自分を虐げた人々の中にも、神を見出すことができるようになったのです。なぜならその人たちも内に偉大なる高次の自己を持っており、しかも同じように神聖なすべての源から生まれた存在であることに変わりはない、ということに気づいたからです。

   さらに私は、自分が受けた虐待には意味と目的があったのだという考えを「選びました」。ただし私は同じように虐待を受けてきた人々に向かって、「あなたが自分でそれを選んだのだ」などと言う無神経で非情なことを言うつもりは毛頭ありません。なぜならどんな経験であれそれを経験するのは本人であり、それを他人が本人に代わって評価したり、それから学びなさいなどと諭したりすることはできないことだからです。またどのような霊的な理由と目的があったかもしれないと知ったところで、その犠牲になった人が、自分の理不尽な体験に対し、怒りや苦痛をそう簡単には消し去ることはできないでしょう。

   しかしそうであっても、自分の内なる偉大なる高次の自己、決して傷つくことのない魂という視点に立つとき、どのような経験も、決して無意味な経験ではなかったと見ることができるのではないでしょうか。そして私は次のように考えました。「私は自分で選んだわけではなかったけれど、自分の中の高次の自己がある種の学びと成長のために、あの虐待を経験することにしたのだ」と。

   それはすべての魂が神から生まれたものであるという、宇宙的な観点を持つ必要性を私たちに迫るものであり、それなくしては子どもが苦しむことに何か壮大な目的があるという発想は不可能なものです。つまり、表面的な自分の意識はそのことを知らないだけであり、実は自らの高次の自己がそれを経験することを選択していたのではないかという思いであり、こうした気づきは重要なものです。

   すべての癒しの鍵を握るのは、その経験を通して、人間というものが自分が思うよりもはるかに偉大で無限の可能性を秘めた存在であることに気づき、自分の存在が常に生命全体にとってもっとも偉大で壮大な、魂の計画に沿う方向に進もうとすることに気づくことです。起きてしまったことに打ちひしがれて傷つき、被害者意識に囚われてそこにい続けるのか、それともその経験を糧に、前よりももっと深い愛と思いやりを持った人間に成長するのか、自分のした経験をどう捉え、どう生かすのか、その選択肢と権利を握っているのは自分だけであると気づくことが重要なのです。

   ジャッジメント、つまり批判と裁きをできるだけ手放し、人生の神秘と不思議を楽しめるようになるかどうかは、実は自分はちっぽけで小さな存在ではないのだということに気づき、そうした経験を超えて大きく成長したときにできるのです。あなたが人生で経験するいかなることも、あなたの今の個性や置かれている社会的な立場がどんなものであれ、それがあなたという存在を現しているのではありません。私たち人間一人ひとりはみな、宇宙の神聖なる愛と光から生まれた神の輝きとしての存在であり、そのゆえに、私たちの本質はこの世でどんなことを経験しようが、その偉大なる本質は決して傷ついたりすることはないのです。

   自分の中から他人への「裁き」を締め出すならば、その分だけあなたの中に、あなた本来が持つ愛がゆったりと手足を伸ばしてくつろぐでしょう。人の生きかたを批判し、裁くのをやめたとき、実は自分も相手も愛せるようになります。自分も人も誰もがその人なりの課題を持っており、そうして人生の経験を積むためにこの地球に生まれて来て、誰もが互いに偉大な存在なのだと分かるならば、自然にどの人も愛おしく思えてくるでしょう。

   私はあなたを変える必要はないし、あなたも私を変える必要はありません。
   自分のほうが上だから偉いとか、自分より上のように見えてうらやましいといった評価から解放されるとき、私たちは初めて、人間の多様性というものにひたすら感嘆するようになるでしょう。どちらが上か下かといった判断や評価は、つまりは自分を不完全であると思っていることから生じています。私たちはほとんどの場合、他人を見た目で判断することが多く、お互いが共有しているランク付けに当てはめて他人を評価します。それは相手と自分が、本来同一の源から生まれた神の輝きであることを忘れているからであり、その人なりの波動を表現するために生まれて来ていることを知らないからなのです。

   私たちは簡単に、他人にそうした判断、評価、裁きというレッテルを貼るものですが、同時に自分も他人からそうされることを怖れているものです。しかし考えてみると、他人からどう思われるかといったそうしたことは、実は自分とは何の関係もないものであることがわかります。そのためにはまず、自分も他人も裁くことをやめることから始めなければならず、そのことを肝に銘じなければなりません。なぜならあなたという人間は、自分が思っているよりもずっと偉大な大きな人間だからです。あなたは自らの高次の自己によって、自分に必要な経験をする目的のために、この世界に送り込まれた者であることを、どうか忘れないでください。


         book 『<レインボー・トライブ/虹の民>に生まれ変わるあなたへ』
              キーシャ・クローサー著 サアラ著 ヒカルランド

                          抜粋
   

内なる「男性性」と「女性性」の癒し

   2009年4月、私は幸運にも、かつて経験したことのないほどのパワフルな儀式を執り行う機会に恵まれました。その儀式は米国サンタフェのすぐ北側にある、ニューメキシコの高地砂漠で行なわれました。そしてこの儀式は4月18日から28日までアリゾナで開催された「先祖たちの帰還」という、正式な国際集会を支援するためのものでした。アリゾナの集会には先住民族の長老や精神的指導者、シャーマン、ウィズダム・キーパー(叡智の伝承者)をはじめ、先住民、非先住民を問わず、世界中からさまざまな人々がこの地に終結し、連日、儀式や会合、癒しの祭礼などが行なわれました。4月のその日取りが選ばれたのは、マヤ族とホピ族に伝わる予言に合わせてのことでした。

   2008年の12月に私は集会の主催者から、ドン・アレハンドロ・オクスラ大長老率いるアメリカ大陸先住民族評議会とともに、アリゾナでの集会を計画していると聞かされました。しかし参加希望者があまりにも多く、アリゾナだけでは抱えきれないために、私にニューメキシコとコロラドで儀式を行なってくれないかというのです。その期間にはアリゾナの大規模集会とリンクする形で、世界各地で集会が行なわれることになっていました。

   しかし私が公けの場で儀式を行なうのは、これが初めての経験です。
   私の儀式が行なわれるのは、サンタフェすぐ北にある、「リオ・エン・メディオ」と呼ばれる地域で、4月18日から20日と決まりました。そこは平坦な開けた場所で、近くには川が流れ、遥か彼方にはサングレ・デ・クリスト山脈が連なっています。3日間の儀式には日替わりでテーマが設けられるために、それぞれにふさわしい儀式が必要になります。そしてそのテーマとは、母なる地球を癒すこと、男性エネルギーと女性エネルギーを癒すこと、そして世界中にいるウィズダム・キーパー(叡智の伝承者)に託されている予言と知らせを、参加者に伝えることでした。

   儀式の前日、私は一葉松とネズの木が群生する庭の一画へ向かいました。
   そこは私が祈るときに使っていた場所で、祈りを終えて家に戻る途中で見た光景を、私は一生涯忘れないでしょう。それはすべてはうまくいく、何も心配する必要はないという、期待と安心感を与えてくれる光景だったのです。目の前の光景が突然、砂漠に変わったかと思うと、見渡す限りの広大な砂漠の上に、四方八方から何十万という人々が現れたのです。そしてみんなこちらへ向かって歩いて来ます。それは人種的、文化的にさまざまな多種多様な人々の群れで、着ているものを見ても時代はさまざまであることがわかりました。

   高齢者が先頭を歩き、その後ろから男性や女性、子どもたちが歩いて来ます。
   男性の中には豹の毛皮やオパードのような皮を肩からかけている人もおり、ほぼ全裸に近い人もいました。長老たちの何人かは信じられないくらいに堂々としており、霊性の高さがうかがえました。そうしたまるで大海原のように波打つ人々の群れが、儀式に参加しようとこちらへ向かって移動しているのです。そんな光景を、私はかつて一度も見たことがありませんでした。私たちの祖先が、儀式に立ち会うために続々と戻ってきたのです。

   家に戻った私は、先ほど見た光景の壮大さと美しさにすっかり心を打たれ、涙を流していました。もう儀式について悩んだり不安になる必要はありません。それは私がどうにかしなければならないものではないのです。それは私たちが行なうことではなく、精霊が行なうことだとわかったのです。私はすべてがなるようになるだろうという深い確信に包まれました。そしてとても美しいことが起きようとしていたのです。

  第2日目/男性性と女性性を癒す

   
この日の儀式は、人間が自分たちの中にあるセクシュアリティとジェンダーにまつわる深い傷を認識するために、どうしても欠かせないものでした。私たちは自らを癒さない限り、地球を癒すこともできないのです。なぜなら私たちの心の奥深くにある女性性と男性性は深く傷ついているからです。その2つのエネルギーは文明社会のなかであまりにも長い間、バランスを失ってきました。そのために私たちほとんどの人間は、深く傷ついていながらそのことに気づいていないのです。大きく崩れてしまったバランスを元に戻し、傷を癒すことをしない限り、私たち人間だけではなく、人間を支えるこの星が生き延びることも不可能なのです。

   
地球に生きる者として、また互いにかかわり合う者として、私たちは愛や優しさ、思いやり、美しさ、包容力などの叡智を取り戻すように女性性を癒し、それを再び目覚めさなければなりません。母親の叡智ともいうべき母なる地球の叡智を受け取ることによってこそ、私たち人間は健全な生き方に戻ることができます。そして男性性は大きな癒しを必要としています。これまでのアンバランスな支配や腕力、エゴ、欲望といった破壊的な力を手放し、それに代えて調和とバランスである、あらゆる命を思い、守るという心を中心とした生き方を男性性は取り戻さねばなりません。

   私は、男性性と女性性の大きなバランスの乱れについて、参加者に話し始めました。
   人類のこれまでの歴史において、ある時期からバランスを失って急激に傾き始めた男性性によって、この地上にはどれほど多くの支配と拷問、戦争、レイプや性的虐待、暴力などの忌まわしい行為が子どもや女性だけでなく男性に対して行なわれ、そうしたことがこの地球にどれほど大きな傷と苦しみを負わせてきたのでしょうか。それは男女を問わず膨大な人間が、バランスを失った男性性のエネルギーによって心を失うほどの傷を負い、疎外感に苦しめられてきたのです。

   儀式の輪の中に立っている男性たちのほとんどは、これから何が起きるのかを知りませんでした。もし知っていたら、ただちにそこから逃れたいと思ったことでしょう。私はその日、精霊から何をすればよいかを聞かされていたので、男女の参加者を配置し、輪の中の男性たちに手を繋ぐようにお願いしました。私はこれから行なうことを男性たちに説明しながら、内心では深く同情していました。なぜなら自分の心の内を限界まで深く堀り下げ、すべての男性に代わって過去の残虐行為のすべてを目の当たりにし、これまで苦しんできた女性性の悲しみと痛みを我がことのように感じなければならないのです。

   そして、その負のエネルギーを自分たちのためばかりではなく、祖先たちのためにも解き放たねばなりません。そのことを話しながら私は、身震いするほどの深い悲しみに襲われました。ここに集まった善良な男性たちを辛い目に合わせなければならないのかと思うと、胸が張り裂けそうになりました。しかもその時輪の中にいた男性たちは、私が今まで出会った中でももっとも強くて純粋なハートの持ち主ばかりだったのです。私はこの儀式が、男性の参加者たちを個人攻撃するものではないことを伝え、儀式の間中彼らが、母なる大地と父なる空に守られ、つながっていられるようにすることを約束しました。一方、女性たちは、その場を囲むように大きな輪を作ってもらい、試練をくぐり抜けようとしている男性陣に向けて、愛の光とエネルギーを注ぐようにお願いしました。

   儀式が始まると、輪になって手をつないでいた男性たちが涙を流し始めました。
   その周囲に立っている女性たちの中には、彼らの妻やパートナーである人々もおり、彼女たちも泣いています。私はあの立派な男性たちが味わった苦しみを、どう表現すればいいのか言葉がみつかりません。彼らの苦しみと叫びはあまりにも壮絶で生々しいものでした。浮かんでくる思考やイメージを振り払おうと苦しそうに咳き込む人、必死で吐き気をこらえようとしている人、悲しみに耐え切れずに身をよじりながら泣いている人もいました。

   私は大地を踏みしめ、自分の中のエネルギーを精一杯高めながら、1人ずつ男性に近づいていきました。男性たちが母なる地球と父なる天につながり、その状況を何とか乗り越えるようにするためでした。私は精霊に教わったとおりにそうやって、男性たちの苦しみや痛みを頭頂部と足元から流せるようにしました。女性たちはハミングで歌い始め、男性たちが地に足をつけて心をしっかり保っていられるように、愛の歌を送り続けました。

   すると1人の男性が、ある種の浄化作用による発作を起こし、地面に倒れこんだのです。私はすぐに現場にいたエネルギー・ヒーラーとレイキ療法士に加わってもらい、男性たちをサポートするようにお願いしました。私は目を凝らし、耳を澄ませながら、この場が無事終わるようにひたすら祈り、精霊から儀式の終了の合図が来るのを待ちました。なぜなら男性たちのもだえ苦しむ様子は、誰の目にも耐えがたいものになっていたからです。

   私の目に見えたのは、そこにいる男性たちだけではありませんでした。
   そこには、その男性たちの祖先たちが次から次へと押し寄せているのが見え、そして彼らが1人ずつ男性たちの中に入っては出て行きます。またそうしたそれぞれの霊たちの痛みや苦しみを感じるたびに、輪の中にいる男性たちの叫び声が変わるのです。

   やがて私の耳に、穏やかでありながら、とても強い声が届きました。
   「よろしい!」 精霊の合図を聞いた私は、儀式の終了を告げ、女性たちに男性のところに行って彼らを支え、感謝し、いたわるように言いました。男女ともにすっかり疲れきっており、みな涙を流していました。みな互いに寄り添い、抱き合っています。私は最初、つらい1日になることを予想していましたが、参加者全員の人生観をここまで一変させるほど強烈な儀式になるとは思っていませんでした。それは劇的な変化を地球にもたらしたに違いありません。

  男性性と女性性の悲しみ  男性性偏重の犠牲者である男性たち

   
全員がしっかり休憩を取ったあと、今度は女性性の癒しの儀式のために、私は精霊から聞こえてくる指示に従って、女性たちを半円形に並ばせました。それは盃(さかずき)のような、子宮のような形です。男性たちにはその盃にフタをするように1列に並んでもらいました。今度も全員で手をつなぎます。私は女性たちに、自分の内側の心に深く、深く入っていくように告げ、これまでの何千年ものあいだ虐げられてきた、すべての女性の悲しみや怒りを
浮上させるようにお願いしました。

   私は女性性のほうが、男性性の儀式よりも何倍も苦しいものになるだろうと覚悟していたのですが、実際は違っていました。女性たちは、自分自身や我が子が受けた虐待を思い返し、母親や祖母、曾祖母たちの女としての人生に思いを馳せながら、さめざめと涙を流していました。しばらくそうしてすすり泣きが続いたあと、やがて私は女性たちの下腹部に手を当てるようにと指示を受けました。私にはその意味が理解できませんでしたが、1人ずつ順に私が彼女たちのお腹に手を当てていると変化が起きました。女性というものはとかく、生まれて以来我慢というものを教えられて育つものです。ですから参加者の女性たちも、自分の中の痛みを押し殺していたのです。そうしなければ生き延びられないことを、私たち女はイヤというほど学ばされてきたのです。

   しかし私が女性たちのお腹からお腹へ、つまり子宮から子宮へと手を当てていると、女性たちから叫びが上がるようになりました。悲しみがどっと噴き出してきて、ついに女性たち全員が地面に倒れてしまったのです。うつぶせの人や仰向けの人もおり、多くは胎児のように体を丸めています。そしてこれまでどれほど虐げられ、不当に扱われ、無視され、軽んじられ、支配され、抑圧されてきたすべての女性に代わって苦しみの涙を流し、嘆き悲しみ、叫んだのでした。

   男性性の儀式の時と同じように、私は先祖の霊たちが、女性たちの中に入っては出て行く様子を目撃しました。霊が代わるがわる、倒れた女性たちに入っては出ていく気配を、おそらく誰もが感じていたと思われます。1人の女性などは、突然金属のようにまぶしく光り輝いたりしました。そして儀式のあとに気づいたことですが、こうした同じような変化はほかの何人かにも起きていたのでした。儀式のあいだ中、盃を守るように並んでいた男性たちは、女性の苦しむ様子を目の当たりにし、愛と励ましを送り続けました。

   まもなく、「よろしい!」という声が聞こえたので、私が男性陣に、女性たちのところへ歩み寄って彼女たちを支え、感謝し、いたわるように伝えました。男性たちがしばらく女性たちを優しく抱きしめていたあと、全員で儀式を終わらせました。激しい感情を経験したことで、誰もが疲れ果てていましたが、同時に高揚感で満ち溢れていました。誰もが、自分は世界中の悲しみを和らげる手助けをしたと感じていました。それは全人類の心にのしかかる重しのように、誰の中にもしまいこまれてきた悲しみでした。

   この儀式を通じて、何かとてつもないものが解き放たれたのです。
   誰もが、ただ自分の悲しみだけではなく、何世代にもわたる先祖を思って悲しんだのでした。そしてこの儀式が自分にとって最大の贈り物であり、かつて経験したことのないほどの、学びと癒しを私にもたらしたことに気づいたのです。私が幼い頃から引きずっていた男性への恐怖という思い込みから、自分自身をいくらか解放することができたのです。なぜなら私はこの目で、愛情溢れる男性たちが、女性に対して行なった数々の非道な行ないを心から嘆き悲しむ様子を見たからです。そしてその悲しみを抱えていかなければならない男性の苦しみや、男として生きることの辛さも感じることができたからです。

   私は参加者の男性たちを、心から愛おしく思い、兄や弟のように感じていました。
   そして世の中には優しくて素晴らしい男性もたくさんいるのだということや、多くの男性たちが男性性偏重の犠牲になっていることを知りました。つまり男も女も傷ついているのです。私はその日の儀式で、思いもしなかった癒しを受けることができました。ですから参加してくれた人々には、どんなに感謝しても感謝しきれない思いです。

   私は長年にわたる虐待と、そのために引きずってきた怒りと悲しみを抱えてきました。
   そして同じように虐げられてきた女性や子どもたちの怒りと悲しみを癒すために生きて来た私にとって、この経験は確実に大きな糧となったのです。人生で初めて、男性に深い思いやりと愛情を感じることができただけでなく、人間は変われるのだということや、傷を癒し、ものごとを変えて行くことができるのだということを学んだからです。そして来たるべき美しく新しい地球には、癒された男性性、女性性ともに果たすべき重要な役割があるのです。
   
   

      
   book 『<レインボー・トライブ/虹の民>に生まれ変わるあなたへ』 
              キーシャ・クローサー著 サアラ訳 ヒカルランド

                          抜粋  

自分や他人の評価や期待に応えないで生きよう

   人間はおかしな生き物です。
   なぜなら私たちは常に何かが足りない、充分でない、あるいは何かが間違っているかもしれないという思いに囚われ、感情的に精神的に行き詰っては不安になるのです。そして恋愛や仕事に満足できずに悩み、人間関係が自分の思ったように運ばないといっては落ち込むのです。ですが問題はそういった出来事にあるのではなく、真の問題は実は自分自身に期待を抱いていることにこそあるのです。そうして私たちは自分にはできるはずだと期待することで、わざわざ失敗をや失望を呼び込んでいるとも言えるのです。

   かくいう私自身も、そうした期待と格闘してきたものです。
   私は現在こうして公けの活動をすることが増え、人々の前で話すことや、以前よりも多くの責任を引き受けるようになってからは、一層「期待」ということについて学ばされています。つまり、いかにして自分自身に期待を抱かないでいられるか、また、外からの期待に応えようとして悩まないでいられるか、といったことなどです。

   そして2010年にスウェーデンを訪れた際、私はラーカ・ラマという偉大な人物から「期待」について教えられることになりました。ラマはチベットの高僧で、私がスウェーデンを訪問中と聞いて、講演の前にわざわざ訪ねてくださったのでした。私はラーカ・ラマと一緒にいるだけで多くのことを学びました。ラマは「期待」に無駄なエネルギーを費やすべきではないことを教えてくれました。私はこの後、数百人の聴衆の前でのプレゼンテーションを控えており、とても緊張していたのです。

   ラマは、この世での私の仕事は、「精一杯愛に生き、どんな人にもその人なりの生き方があることを認めることだ」と言いました。そして、「自分自身のメッセージを聴衆に信用させ、受け入れさせることではなく、ただひたすらメッセージを伝えることなのだ」とも。そして、忘れられない一言を放たれました。それは、「あなたの役目は水に一石を投じることであって、それによってどれほどのさざなみが立ち、それがどこまで広がっていくかは、あなたのあずかり知らぬことなのです」、また「期待とは、すればするほど失望を呼び起こし、疑いや挫折感や、他者に対する評価をもたらすものである」とも。

   私はそれ以来、ラマの言葉を忘れたことはありません。
   他人からの期待や自分自身への期待に応えようとして、その重圧に押し潰されそうな時、あるいは他人からの評価が気になって仕方がない時、ラマから教わった「全力で石を投じたら、あとは何も期待しない」という話を思い出します。それは自分自身や他人を評価しないということであり、そのためにはぜひ覚えておくべきことです。

   私たちは自分の言葉や行動が、人からどう受け止められているかが気になるものですが、しかし気にしたとしてもその先に何がどう生まれるかは、私たちにはコントロールのしようがないのです。私たちにできるのは、もっとも偉大な魂の深いところから発せられる求めに従って話し、行動するだけなのです。その結果、愛されようが憎まれようが、嫌われようが、失敗しようが成功しようが、何をかまうことがあるでしょうか。私たちはひたすら、執着と期待から自分を解放するために努力するだけなのです。

   そういった思考パターンは、私たちがこの世に生まれてきた魂の目的を妨げるものであり、それを変えていくことは非常に重要な一歩です。私は毎日、これからどうなるのかといった先行きの不安を振り払い、自分がこの世に生まれて来た目的だけに心を留めるように常に心がけています。そしてあらゆる期待を抱かず、時に険しそうな道ではあっても、心の求めに従って進むように努力をしています。こうあるべきだとか、こうならなければおかしいといった期待から自分を解放し、魂の求めに従ってあるがままを受け入れる時、そのとき一瞬一瞬を精一杯生きることができるのです。


         book 『<レインボー・トライブ/虹の民>に生まれ変わるあなたへ』
              キーシャ・クローサー著 サアラ訳 ヒカルランド

                           抜粋

人類は今、覚醒の節目を迎えている

   自分を取り囲む自然の美しさに気づくことなく、毎日を暮らしている人々の何と多いことでしょうか。毎日同じ道を通り、同じ大きな木の前を通り過ぎ、車の窓から同じ景色を眺めていても、自然の豊かな営みは目に入らないのです。ときには手を休めて考えてみてはどうでしょうか。あなたの職場の窓の外にはどんな木や植物が見えますか。そこにはどんな花が咲いているでしょうか。道の足元にはどんな草花が咲いているでしょうか。今まで1度でも、その草花に目を向け、その存在と向き合い、話しかけたことがあるでしょうか。

   私は祈らずにはいられないのです。
   どうか私たち人間が自然とのきずなを取り戻しますようにと。そのとき人間は、母なる地球が日々与えてくれる恵みの素晴らしさに気づき、これまで見過ごしてきた木々や、道端の名もない草花のその精緻な美しさを知るのです。

  すべての宗教には「母性」「女性性」の場所がない

   モルモン教徒のコミュニティに生まれた私は、天におられる「父」なる神にいつも感謝し、毎晩祈るようにと教えられて育ちました。そしてモルモン教には「母」は一切存在しません。そして私は、自分がそうした信仰に属していることにずっと悩んできました。私は成長するにつれて、「母」や「女性性」の証(あかし)を求めて、別のさまざまな宗教にも目を向けるようになりました。しかし悲しいことに、どの宗教の教えにも教典にも「母」は存在せず、しかも「女性性」が肯定的に描かれているものはほとんどありませんでした。

   そには何という矛盾があるのでしょうか。
   「これは神の教えだから従いなさい」とする宗教の下で育ちながら、私はその一方で、慈愛に満ちた母なる地球そのものから日々教えられていたのです。私は板ばさみになって悩みました。それでも私は教会を信じて、神様と天国に迎え入れられる人間になろうと、必死で教えを守ろうとしました。しかし自然が私に語りかけてくることも、紛れもない真理であることを私は知っていました。

   私は深く苦しむようになりました。
   自分らしい生き方とは、人生の意味とは何なのか、自分はどの道を行けばいいのか、何が真理なのか分からなくなっていました。そしてついに23歳のとき、あまりにも父権的なモルモン教に我慢できなくなった私は、母なる自然の懐(ふところ)に飛び込んで生きる道を選び、それ以来、もう引き返すことはありませんでした。

   母なる自然との正しい関係を取り戻すなら、人間は無限の愛を経験することができます。私にとって「母」は、あらゆる感情を呼び覚ます存在であり、それは愛であり命です。それはあらゆる宗教にせよ、さまざまなものにおける考え方にせよ、そこから「母」を排除することは、優しさや思いやり、美しさ、慈しみといった、生命そのものの本質を否定することにほかなりません。

   私たちにとって、もっともかけがえのない母なる地球との関係を築くことは、まさに至上命題なのです。そのためにはまず地球を知り、理解しなければなりません。そして母なる地球への理解が進めば、あなたの目の前にまるで奇跡のように美しく豊かな世界が果てしなく広がるでしょう。蝶のやさしい羽ばたきや何気ない草の葉のそよぎにさえ、あたたの魂は揺さぶられることでしょう。いつもその前を素通りしてきたあの年老いた大木も、キッチンの窓の外に咲く小さな花も、それらがすべて母なる地球からの愛のしるしであったと気づくならば、それらのどれもがあなたにとって特別な友となるに違いありません。

   母なる地球は私たちの命の源です。
   空気と食物を与えてもらい、それによって育ったこの素晴らしい肉体で存在することを支えてくれています。ところがその事実を無視し、その地球を蔑(ないがし)ろにしている人間が多すぎはしないでしょうか。日々の恵みの豊かさに気づかなくなった人間が多くなったからこそ、今この地球という星は、自らが生きている生き物であることを私たちに訴えているのです。母なる地球は、我が子の無関心と愛情のない冷たさに苦しんでいます。私たちがそうしたことを何も気づかず、何も知らないままで、どうして母なる地球とともに生きることができるのでしょうか?

   地球上のあらゆる命をつくり出しているのは、愛そのものであると私は気づきました。
   それは人間も例外ではなく、新しい命は愛の営みによって生まれるではありませんか。そして万物の創造を司っているのも愛なのです。山火事は森の中の古いものや死んだものを焼き尽くすことで、新たな命の芽吹きのために大地を準備します。一見破壊と思えるような営みの中にも、生命誕生の情熱は秘められています。火中で熱せられた松ぼっくりはやっと傘を開き、中の種子を飛び散らせることができるのです。

   毎日、私たちが口にしている野菜や果物は、自然の愛の営みで生まれただけではなく、人間のために完璧な滋養を蓄えるように育ってくれたのです。このギブアンドテイクを理解し、すべての命を生かしている愛の本質がわかれば、昼食に用意されたリンゴ1個も、もとは小麦の粒であった1枚のトーストも、どれほどありがたいことであるかが実感できるはずです。

   母なる地球の本質を知り、絶え間なくあなたに注がれている愛を知れば、あなたも地球を愛さずにはいられなくなるでしょう。そしてあなたが地球とのつながりを取り戻すとき、あなたの人生が本当に始まるのです。この世は実は愛にあふれており、自然の営みの中で刻々と命がつくり出されていることに気づいたあなたは、自分が食べているものにも、身近な草花にも、感謝したくなるに違いありません。

   母なる地球とは、壮大な命の源なのです。
   それは小さな種子の発芽のタイミングから、肥沃な海域への巨大クジラの移動のタイミングまで、すべては創造主の究極の叡智につかさどられています。その奇跡のような叡智は、森羅万象のほんの小さな命のきらめきの中にさえ見ることができます。大自然のなかには、まだまだ数々の叡智が手付かずのままで残されています。私たちがもっともっと自然に入っていくならば、画期的な建築技術から難病に必要な治療薬まで、さまざまな問題解決の膨大なヒントが隠されているのです。

   なぜ蜂は花のありかを突き止め、仲間に知らせることができるのでしょうか。
   なぜ蝉(せみ)は地中で17年間も過ごしたあと、突然地上に出てくるのでしょうか。すべての生き物が生態系のなかで重要な役割を担っています。そして私たち人間もその自然の一部なのであり、その生命の環の一部であり、森羅万象に秘められた大いなる叡智の一部なのです。人間は本能的に多くのことを知りたいと思うものです。そして自分の潜在能力を最大限活かそうとするのも、生命の不思議を解き明かそうと願うのも、すべては本能です。

   そして誰に教えられたわけでもなく、月の満ち欠けに合わせて浜辺に押し寄せる蟹のように、あるいは毎年時期が来れば西部平原へと渡っていくカナダヅルのように、私たち人間は本来の崇高な存在へと自らを高めていくようにと、本能に命じられているのです。人間もまた壮大な生命の計画に組み込まれた、自然という大きな神秘の一部です。

   そして人類はこれまでの長い間、この重要な節目の時期を待ち続けてきました。
   それはある種の植物が開花に最適なタイミングを待ち続けるように、人間も開花し、完全に覚醒すべき時期が到来したのです。何かが私たちを呼んでいます。自らのうちに秘められた能力をフルに生かし、もっとも美しい叡智に目覚め、花を咲かせないさいと。

   私たち人間は、自分で思っているよりもはるかに大きな可能性を秘めている存在なのです。苦難に翻弄される犠牲者のように感じるのは、もうやめにしましょう。私たちは神の究極の創造物であることを、完璧に認識するときが来たのです。私たちは、最高にすぐれた創造物である自分自身を愛し始めなければならないのです。


         book 『<レインボー・トライブ/虹の民>に生まれ変わるあなたへ』
              キーシャ・クローサー著 サアラ訳 ヒカルランド

                          抜粋

新しい時代へ向けて

  12人の叡智の継承者

  
 今現在、この地球には12人の叡智の継承者がいるというのは本当です。
   私が任命されたとき、そのように聞かされました。私たちは外から教えられており、そしてそれぞれが同じレッスンを受けています。私たちはそれぞれがこの惑星のために、特別で明確な義務を与えられています。

   私の義務は「教える」ということです。
   ある人は先住民族のメッセージを他の先住民族に伝えて交換しあうという役割を持っています。また他の1人は、今働いている地球エネルギーに取り組んでいます。私たちは世界中に散らばって存在しています。1人はアフリカに、またある人はアメリカにいうように、それぞれが明確な役割を持っています。

   彼らを尊重してその名前を言うことは控えたいと思います。
   それは彼らが自ら公表することが本筋だと思うからです。私たちは電話で話したり、「窓」と呼んでいるものを使ったミーティングを行なったりして連絡を取り合っています。私はそれを紙芝居と呼んでいるのですが、空間にそのスクリーンが開き、お互いに話すことができます。そして面白いことに、私たちは彼らが体験していることを同じように体験しているのです。

  ミステリー・サークルについて

   
私たちは今後、何が起きるのかをはっきり知るためにクロップ・サークル(ミステリー・サークル)を使っています。それはまさに実用的な案内図のように活用されています。日時や方向、地球のどの場所にどのようなことが起きるかということを、クロップ・サークルから読み取っています。またどこへ行くべきかについてを知るためにも用いています。

   たとえば最近、世界中の空によく見かけられるスパイラル(渦)がありますが、それらがいつ、何時何分にどこへ現れるかもクロップ・サークルから教えてもらっています。私たちはそれを読み取ってそこへ行き、それが起きるのを待ち、そして実際に起きるのです。

  宇宙生命は存在しているのか

   
地球にこれから大きなシフトが起きる前に、宇宙には私たちの兄弟姉妹である生命が存在していることを知るようになる、ということを先住民族から伝えられています。多くの人々にとって宇宙の生命存在というのは、物語や映画に出てくるエイリアンにしか過ぎないかもしれませんが、彼らは私やあなた方のように普通に存在しているのです。私は特別に変わった人ではないし、あなた方もまたそうです。

   私は彼らに会って話したこともあり、彼らは実際に存在しています。
   また彼らは人類の歴史が始まって以来ずっと、地球に存在し続けています。そしてこの惑星にいるすべての先住民族はそのことを知って理解しています。そのことは彼ら先住民族の歴史書にも記されていることです。でも私たちが彼らを怖れているので、彼らはあえて姿を隠しているのです。これは物語でも作り話でもなく、本当のことなのです。

   でも今、彼らは多くの人々に見られるようになりました。
   この数週間前には、ニューヨークのマンハッタン上空に数機のUFOが現れました。彼らはそれを多くの人々が見るように、あえてしばらく上空に留まっていたのです。そして2010年10月10日、つまり10、10、10の日には、カリフォルニア上空に数百機のUFOがやって来ました。それも誰もが見ることのできる場所にです。

   テレビでは、カナダの元政府の役人が生中継で演説し、自分たちは長い間宇宙から来た兄弟姉妹たちのことを知っており、交流もしていたと発表しました。イギリスも宇宙生命の存在の全情報を発表しました。インドでは、ETとの交流に関する情報を一般に生中継するために準備をしています。先月、中国のある空港では、上空にUFOが出現したことで空港が閉鎖される騒ぎがありました。またニューヨークでも同じように大きなUFOが現れたために、空港閉鎖がありました。

   NASAでは、スペースシャトルから撮影した映像を公開しています。
   それはUFOが地球へ向かっていくとき、雷が同時に発生したというものでした。またNASAは今年、宇宙へ向けてたくさんのメッセージを送ったことを発表しました。それには私たち人間のDNAコードや身体構造、また地球の構造などの情報を送ったそうです。

   そして私たちは、その返信も受け取ったのです。
   その中には彼らのDNA構造や彼らの身体について、そして彼らの惑星の構造などの情報を受け取っただけではなく、(米国のあるタワーの)真ん中にクロップ・サークルができて、そこに多くのメッセージを受け取ったのです。

   これらのことは作り話ではなく、現実のことなのです。
   そしてクロップ・サークルもまた確かなものであり、世界中に存在しています。私たちの「叡智の継承者」たちは、クロップ・サークルにある月の形を見ながら、次のスパイラル(渦)が何時何分にどこで起きるのかを読んでいます。


                   インタビューに答えて・ キーシャ・クローサー

                                             You Tube より

子どもたちは「心をよりどころに生きる」最初の世代となる

   今の若い人たちには、幼いころから大変な困難に直面している人が大勢います。
   大人に虐待され、困難に巻き込まれたり、翻弄され、見捨てられている子どもたちが世の中に溢れています。こうした社会の崩壊は、今という時代の一部であり、つまり私たち全体が瀕死の状態にあることを物語るものです。だからこそこの世界で、今大々的な変容が起ころうとしているのです。こうした状態のままでいられるわけがありません。

   自然が病んでいるように、人間の心も病んでいます。
   エゴと欲を追求し、霊的な価値を貶める物質主義に、自然だけでなく子どもたちも脅かされているのです。健全な大人になろうとして生き延びようともがいている子どもたちや、自分の存在価値が分からず、生きる意味を見失っている子どもたちに、私は同情せずにはいられません。今、子どもたちの多くは、滋養の源である大きな力とのつながりを取り戻す必要があり、それは家族やアイデンティティや環境よりもはるかに大きなものです。そのためには何よりも、自分自身の本質である高次の自己とつながる必要があり、それは自分の内側にある精霊です。

   ――『今、苦しんでいる子どもたちにむけて、これは私の心からのお願いです。
   決して負けないでください。あなたのかけがえのない命を手放したり、諦めたりしないでください。あなたは特別な存在なのです。あなたは自分では想像もできないほどの大きな目的のために、この世に生まれてきた重要な人間なのです。たとえ誰に気づかれなくても、あなたが神聖なる輝きの存在であることに変わりはありません。

   あなたは生きたいように生き、自分の手で人生を作り出すことができるのです。そしていつかきっと、自分の歩んできた道のりを振り返り、自分の成し遂げたことに驚く日が必ず来るでしょう。どんなことが起きようとも、自分の心に素直でいてください。あなたの愛とあなたという存在が放つ光は、誰にも何ものにも決して貶めることはできないのです。

   私自身、今のような人生が待っていようとは想像もできませんでした。
   どこにも居場所のない自分に、愛されず、無力だと感じていた人間に、魂の真の目的を思い出す日が訪れようとは思いもしなかったのです。まさかこれほど美しく、喜びに満ちた世界が待っていようとは夢にも思えなかったことです。人生というものは無限の可能性を秘めています。ですから諦めないでください。あなたが求めてやまない愛と自由はまもなく手に入るでしょう。

   壮絶な体験やつらい体験は、あなたに大きな宝物をもたらし、あなたの人生の壮大な目的を果たすための強さを与え、今よりもいっそう人の心を動かす力を与えてくれるものなのです。あなたの身に何がふりかかろうと、どんな過ちを犯そうと、その出来事があなたという存在を意味しているわけではないのです。どんな出来事の渦中にあろうと、あなたは犠牲者ではありません。

   家族がどんな人たちであろうと、あなたは別の人格存在です。
   あなたの本質はあなたの魂であり、あなたの高次の自己こそがあなたの本質なのです。ですからいかなる者もそれを汚したり、傷つけたりすることはできないのです。そして心はつねに自由であることを忘れないでください。未来はあなたの選択にまかされています。ですから家族や環境に恵まれていなくとも、自分の中の至高の愛と光に従って、高い志を持って生きていくのです。どんなにつらい時期にあっても人生をあきらめず、そのことを心に留めておいてください。

   あなたの人生には果てしない意味と価値があり、あなたの存在はこの世に欠くことのできない貴重な存在なのです。母なる地球はあなたを必要としています。あなたがあなたであることだけで、この世界に光が灯されるのです』


   子どもたちは、世界を変えるという途方もなく大きな役割を担っています。
   彼らは頭ではなく、「心をよりどころに生きる」最初の世代となる人々で、いずれ私たち大人を新たな世界へ導くようになります。自分の魂を信頼する子どもたちは、愛そのものとなって生きることの意味を最初に知る人々なのです。

   私たち大人は、現在の地球に転生した偉大な存在である子どもたちを自分の子どもとして全力で助け、守らなければなりません。何よりもまず子どもたちに耳を傾け、注目する必要があります。子どもたちが内なる高次の自己とつながれるように、そして霊的世界と偉大なる霊からの導きに心を開くように支えることです。それが、親として、大人としての務めなのです。そのためには子どもを自然に親しませ、地球とのつながりを育て、生き生きとした関係を築けるようにしなければなりません。

   子どもはその豊かな感受性で、自然が与えてくれる絶大な力を受け止めるでしょう。
   今こうして生きている私たち大人は、この地球という星の大きな意識の変容を後押しするために、数々の試練に直面し、死と生を知ることになるでしょう。その一方で新たな世界の担い手となるのは子どもたちなのです。彼らは「心をよりどころ」とすることで、人類の未来を形作るでしょう。そのために人類のこれまでの生き方を心に留め、人間を進化の次の段階へと導くために生まれてきたのが、今の子どもたちなのです。

   私はたびたび、次のように考えたものです。
   それは、幼い頃につらい経験をさせられる理由は、苦境を乗り越えて霊的に強くなることで、自分の内なる高次の自己とつながれるようになるためではないか、ということです。困難な子ども時代というのは、自分の中の勇気や強さ、そして人生で大切なものとは何かについて早くから教えてくれるものなのです。

   とはいえ、この世に苦しんでいい子どもなど1人もいませんが、そうであっても不思議なことに逆境によって人間は育つものなのです。それはまさに、本来そうあるべき人間へと成長するために、私たちの魂はある種の経験を自ら選択するのではないでしょうか。私たちにとって未来を託す子どもたちは最大の宝であり、そのゆえに私たちには最大の責任が託されています。ですからできる限り子どもたちの魂の滋養となるようなサポートをしていかねばなりません。そうすればいつの日にか、子どもたちが私たちに教えてくれるはずです、愛そのものになるとはどういうことかについて。


         book 『<レインボー・トライブ/虹の民>に生まれ変わるあなたへ』  
              キーシャ・クローサー著 サアラ訳 ヒカルランド

                           抜粋    

生きているのが辛いとき、誰かのために生きてみよう

   誰の人生にも、運命を変えるほどの大きな出来事の1つや2つは必ずあるものです。
   時にはそれが家族全員の人生を、よくも悪くも一変させてしまうことがあります。私がこれからお話することは、あなた方にショックを与えるためでも、自分が試練をくぐり抜けたさまをことさら強調するためではありません。むしろ、同じような境遇の若者たちの助けになればと思ってお話することです。若い時の試練がいかに人間を強くし、霊的な恵みを受け入れやすくするかをわかっていただければ幸いです。

   私が5歳のとき、家族の生活が悪いほうへ一変する一大事が起きました。
   それは父が牧場を失ってしまったのです。そして私たち子どもはとても貧しい子ども時代を送ることになりました。たいていの人は現代のアメリカで、7人家族がわずか100万円ほどの年収で暮らせるとは想像もしないでしょう。でも我が家はそうやって何年も暮らしていたのです。

   父は農業一筋に生きて来た人で、農業や牧畜以外の仕事にはついたことがありませんでした。父の一族は曽祖父の時代に幌馬車で大草原地帯を超え、コロラド州僻地のモルモン教徒のコミュニテイにやってきて住みつきました。そしてたくましい開拓者世代がそこへ定住して以来、私たちの一族は代々その地で暮らしてきたのです。農業や牧畜の仕事以外には他の仕事はほとんどない地域で、高卒の学歴しかない父は必死で働き、私たち家族を養ってきました。

   その父がやっとの思いでためた貯金をはたき、ブランカという町の郊外に質素な牧場を買ったのは私が3歳の頃でした。ブランカは、コロラド州の最高峰の一つとも言えるブランカピーク(山)のふもとにある町です。その美しい土地で、父は小さな牧場を営みながら家族を養うために、全財産をつぎ込んで羊を買い揃えたのでした。しかしそれから2年後、私たち一家を待ち受けていたのは想像もできない出来事でした。

   ある夜のこと、誰かが我が家の敷地に忍び込み、真っ暗な中で牧場の羊を一頭残らずトレーラーに積んで逃げ去ったのです。このことで父の夢は無残に打ち砕かれ、家族の生活はめちゃめちゃになりました。食べていくための蓄えもすでになく、保険もない私たちは、あっという間に家を失いました。そしてピックアップトラックの荷台に、すべての家財を積み込んだのを覚えています。私たち子ども5人も荷台に乗り込むと、それぞれ家財道具にしがみつき、泥道を揺られながら我が家を後にしました。これからどこへ行って何をするのか分かりませんでした。

   両親はどんなにか悔しく、情けない思いをしたでしょう。
   5人の子どもを抱え、家を失い、しかも一文無しで行く当てもなかったのです。しかも私たち子どもの4人は生まれつき先天性の病気を持っており、「脆弱X症候群」と呼ばれる遺伝病でした。それはダウン症に似ていますが、顔立ちには特徴は現れず、男子に症状が出やすいこともあって弟2人は特に重症でした。一方、姉と妹は学習障害が見られる程度でした。2人の弟たちは今20代ですが精神的には10歳のままで、未だに無邪気な天使のような存在です。こうした状況で、私は最低限の生活もままならない困難な子ども時代を過ごしました。

   朝昼晩の食事はじゃが芋だけという生活が何ヶ月も続きました。
   ひどい時は、母が差し出した1本のセロリを、子どもたちで順番にかじってしのいだこともありました。いつも空腹を抱えていましたが、宗教色の強い田舎町では誰もが貧乏や困窮を隠します。それはプライドが許さないからで、自分の家族を養えないのは恥ずべきこととされていたので、私たち家族も施しを受けることはできませんでした。生活保護を受けるのも恥でしたが、最後は福祉に頼ることになりました。私たち子どもは近所の人に見られないように、食料配給券を持って隣町まで食料を買いに行ったものです。

   しかし暮らしはぎりぎりで、ある時、そんな生活もついに限界を迎えました。
   そして私たち家族は父の実家に身を寄せることになりました。父はゼロから家を建て直そうと考えており、少しずつ形にしていくつもりでいました。しかしそれには時間がかかるので、とりあえずは祖父の家のお情けにすがるしかありませんでした。そこでの生活は最悪な思い出ばかりで、祖父は私たちを物乞いのように思っていたのでした。私たちは祖父の機嫌を損ねないようにびくびくしながら暮らしていました。母は物音を立てないように、邪魔にならないように常に気を使い、子どもたちにもそうさせていました。

   私たちには1部屋が与えられ、夜は2台のベッドに7人がひしめきあって寝ていました。
   祖父の機嫌が悪くなると、彼は私たちへの不快感を顕わにし、まるで犬のようにあしらうのでした。祖父は低俗としか言いようのない人で、よく動物を叩き、怒りを爆発させました。彼にはすべてにおいてプライドというものが感じられない人でしたが、しかし結局、プライドの無さや敬意の無さは貧しさとは何の関係もありません。

   やがて状態はさらに悪化していきました。
   姉のケルシーの症状が進み、心臓手術をすることが必要になったのです。両親は検査のために何度も、デンバーの小児病院へ連れていかねばなりませんでした。そして結局ケルシーは、数え切れないほどの検査と数回の手術を受けました。しかも入院するたびに数週間はかかったので、娘の命を助けようと必死だった両親は、マクドナルド・ハウス(病児とその家族が低料金で長期滞在できる施設)に寝泊りしていました。しかしケルシーの術後の経過は良くなく、彼女はその後3ヶ月も集中治療室から出られませんでした。両親は生死の境をさまよっている娘のそばで食うや食わずの生活をしながら、入院や手術の費用を捻出しなければなりませんでした。

   その間私たち子どもも祖父母や近くに住む親類と暮らさなければならず、それは大変なものでした。そんな中、私たちは自分たちでうまく立ち回らなければならず、両親のいないあいだ、私たちは文字通り親類の人々のなすがまま、思うがままに扱われたのです。彼らの中には冷酷さを通り越して犯罪行為に及ぶ人たちがいたのです。私の父は真面目な働き者で尊敬に値する人でしたが、父の兄弟の何人かは違いました。彼らは祖父のサディズムと卑劣さを受け継いだだけでなく、その上を行くような人たちでした。

   通りを挟んで少し離れたところに住んでいた叔父に、私が虐待され始めたのはその頃のことです。叔父は私を納屋に縛りつけたうえ、鞭でせっかんしました。そして私が苦しむ様子を見ては倒錯した喜びを味わうのです。まもなく別の叔父が加わるようになり、性的虐待を始めたのです。彼らは常に私を見ており、どこへ行くにも見られていて獲物のように狙われていると感じました。いつまた襲われるだろうと思うと怖くてたまりません。右を見れば冷酷な祖父、左を見れば卑劣な2人の叔父。私は本当に消えてなくなりたい心境でした。

   そんな中で唯一安心して接することができて、私を優しくいたわってくれたのが曾祖母でした。私が「ジェンセンおばあちゃん」と呼んでいた曾祖母は古風で頑固で少し厳しいけれど、とても愛情深い人でした。あの頃の私にとって頼れる大人はおばあちゃんだけでした。ただそばにいたくて、おばあちゃんの窓の外で寝たこともあります。私たちは特別な絆で結ばれていましたが、しかし曾祖母に私を守れるほどの力はありません。私は私でおばあちゃんを傷つけるのが怖くて、その頃起きていた虐待のことを決して話せませんでした。なにしろ彼らはおばあちゃんの子どもや孫だからです。

   そして私は結局、大自然に逃げ込み、誰にも見つからない原野に安らぎを求めることしかできなかったのでした。しかしそれでも、私の生きる意志は少しずつ失われていきました。あの頃の自分を思い返すと、胸が苦しくなります。どれほどの深い絶望と恐怖にさいなまれていたことでしょう。私はいつも1人ぼっちで、曾祖母の家の脇に生えていたリンゴの木の下か、古い鶏小屋の陰に座っていました。顔は汚れ、ろくに梳(と)かさない髪は固まっていました。体にはいつもどこかに虐待の傷があり、目はうつろで、恐怖におののいているか、そうでなければ呆然自失の状態でした。唯一楽しかったのは動物と遊んだり、自然の中を探検しているときだけでした。自分でもよく生き延びたと思います。

   そして、「もうダメだ」、と思った日のことは今でも鮮明に覚えています。
   またしても叔父からあざけりと辱(はずかし)めを受けたのです。着ている水着を破り取られた私は、祖父の牧場にある納屋に必死で逃げ込みました。私は呆然として動くことができず、傷つけられ、馬鹿にされ、無残に裸をさらされ、震え上がっていました。そして私はもうこの家を出るしかない、この場所から消えてなくなるしか道はない、と思いました。父方の親類からここまで酷い扱いを受け、痛めつけられている私は存在しないも等しい人間です。私を顧みる人は誰もおらず、もう涙も出ませんでした。私の心は、本来子どもが知るはずもない絶望と虚無の支配する世界に迷い込んでいました。

   もう私には選択肢はありません。
   私を痛めつける親戚からも、なぜか私を異端視して来る女の子や男の子たちとも、今日でお別れです! 私はロープをつかむと壁をよじ登って梁(はり)にまたがりました。そしてゆっくりロープの一方の端を木に結びつけ、ロープの輪を首にかけました。こんな生活はもうすぐ終わりにできるのだ、そうすれば春の雨上がりの野原のように、また何もかもが美しい緑の世界が戻ってくるだろうと思いました。梁の端まで両足をすべらせながら、長年の降り積もった埃につま先が引っかかりました。目を閉じて前のめりになり、いよいよこの世ともお別れかというその瞬間、何かが聞こえてきたのです。その瞬間私の心臓は縮み上がりパニックで体が硬直しました。

   それは弟のケントの柔らかくて、聞き覚えのある声が私を呼んでいたのです。
   私は落ちないように必死で、向かい側の荒削りの壁板にしがみつきました。壁のすき間からのぞくと、弟がこちらへ近づいてくるのが見えます。私はパニックになり、泣きながら祈りました。「神様、どうか納屋の扉が開きませんように。こんな姿を見られたくない!」 それでも弟の声はどんどん迫ってきます。「キーシャー!」 

   私の両足には板壁のささくれが深く刺さり、壁を伝って血が流れ落ちていました。
   体を支える体中の筋肉が震え始め、両手は焼けるように痛みました。それでも納屋の外を行ったり来たりする、小さな人影から目を離すことができません。ここで落ちて物音を立てたが最後、それを聞きつけた弟がここでロープにぶら下がっている姉の姿を見つけてしまいます。今のこのような姿でさえ、絶対に見られたくありません。そしてやがて小さな影は静かに遠のいて行きました。

   それを見届けた私は、壁のささくれに深く刺さった手をはがし、首にゆるく巻かれたロープをはずすと、命を奪ってくれるはずだったロープを今度は命綱にして体勢を立て直しました。私は弟のケントを置き去りにしようとしていたことに気づき、自分を身勝手な人間だと思いました。しかもその弟に、私の悲惨な姿を見せてしまうところだったことを思うと気分が悪くなり、胃が痙攣したかと思うと、私は体を折り曲げて何度も嘔吐しました。

   私は地面に降り立つと納屋を出て、弟のところに走って行きました。
   私が弟の名前を呼びながら走っていくと、弟は私が見つからなくて泣いており、膝まづいてぎゅっと抱きしめると私も泣いてしまいました。「ねえ、どこ行ってたの? どこ行ってたの?」、と弟はいつまでも繰り返していました。

   あの忌まわしくも特別な日は、私の胸に深く刻まれています。
   このような状況にあっても私がこの世に留まる理由があるとすれば、それはもはや、きょうだいたちの優しい守り手になること以外にはありません。あの晩、体を丸めて眠る弟を抱きしめながら、その柔らかな寝息を首筋に感じていると、目に入れても痛くないほどの愛おしさを実感しました。太陽のような弟の存在に、私は目を細めうっとりしながら、感謝の気持ちで満たされていました。私はこの子たちのために生きよう、他のきょうだいたちのために生きよう、そう誓ったのでした。

   私は自分が生まれてきた意味がようやく分かったのです。
   あの日の出来事は私に大きな愛と無私の心、人間の優しさの意味を教えてくれました。どんなに踏みつけられようと、どんな酷い嵐が待ち受けていようと、どんな虐待に遭おうとかまうことはない。これからはめげずに勇敢に立ち向かおう、今よりも優しく、思いやりと愛情溢れる人間になろう、あの日、私はそう決意したのでした。

   自分がひどい目に遭わされているのは、もしかするときょうだいを救うためなのではないか、この経験が自分を強くし、生きる意味を与えてくれているのではないかとも思いました。そしてたとえ自分で自分を守る力はなくとも、弟や妹のためなら最後まで闘おうと覚悟をしていました。私のきょうだいたちには叔父たちの指1本触れさせない。私が味わってきた途方もない怒りと失われた子ども時代を、この子たちには経験させないと、私は子どもながらに本気できょうだいを守れると信じていたのでした。

   しかしその後、私の状況は一変したわけではありませんでした。
   ただ、私のなかでは世界に対する見方が変わったのです。相変わらず虐待は続いていましたが、命の美しさがいっそう胸に迫ってきて、この世に生きていることは授かりもの、賜(たまもの)なのだと思えるようになりました。しかし私は相変わらず逃げ回っており、野原や牧場に逃げ込み、生き物探しに没頭しては何時間も自然を眺め、自然の話に耳を傾けていました。自然は私にとって最良の教師であり、いつも精妙な表現で答えを返してくれました。

   あの日の苦い経験から私は学びました。
   生きているのがつらいときは、誰かのために生きてみることです。憎しみや虐待にどんなに苦しめられようと、私たちの中には決して冒すことのできない聖域というものがあります。生命の美しさに惹かれ、その美しさを受け取って生きようとする自分が必ずいるはずなのです。一度も愛されたことのない人であっても、偉大な愛の源を自らのうちに抱いているのです。私はあのとき、自分は愛のために生きよう、人生を決してあきらめるまいと決心しました。愛によって生かされた私は、その後も数々の厳しい試練に直面しましたが、今もこうして愛によって生かされています。


         book 『<レインボー・トライブ/虹の民>に生まれ変わるあなたへ』 
              キーシャ・クローサー著 サアラ訳 ヒカルランド

                           抜粋    
      

助けや答えは理解できず望まない形でやってくる

   私がワークショップを行なう際に多くの時間を費やしているのが、母なる地球の声を聞くためのエクササイズです。シンプルな方法ですが、これもまた絶大な効果を発揮してくれます。私たちには本来、地球と会話して地球を感じたり、地球に学ぶ能力がもともと備わっているのですが、現代人の多くはそうした自分の能力を信じることができません。

   多くの場合、鳥や草や木の言葉に耳を傾けるなんて正気の沙汰とは思えず、何かが聞こえてきたとしても、そんなのは錯覚に過ぎないと思うのです。けれども実は紛れもない現実として、草花や動物たち、昆虫や樹木、そして岩や石や水までもが、絶えず私たちに話しかけ、メッセージと情報を伝えようとしているのです。それはただ単にこちらがチャンネルを合わせようとしないので、聞こえないだけなのです。

   私たちは自然からのメッセージに心を開き、信じなければなりません。
   そしてそれは、私たちの感情や感覚を通じて伝えられるものだということを知らなければなりません。自分の心と五感という感覚を解き放ち、自分が感じたものを信じましょう。そうすればどれほどの豊かな知恵と存在と神秘が、自分を待っていてくれたかに気づくでしょう。草木や動物や昆虫たち、石や岩などが、聞いてほしくてうずうずしているのです。

   早速外へ出て探してみてください。
   何かがあなたに語りかけてきませんか? それは見過ごしそうな小さな草花かもしれないし、足元の石ころや木の枝、あるいは昆虫かもしれません。それはどんなに小さなものであっても、この世にいらないものは1つもないのです。気になるものと向き合って、何を伝えようとしているのか感じてみてください。少なくとも15分間は注目しましょう。目の前の存在に思い切り心を開いてください。それはあなたと同じように生きているのです。

   それはどんな味でどんな匂い、どんな手触りでどんな姿をしているでしょうか。
   頭で考えたり、客観的に見たりするのではなく、そのものが持つ生命エネルギーを感じてください。触ると何かが伝わってくるはずです。それは小刻みに振動していますか、それともゆっくり波打っていますか。その動きは滑らかですか、途切れ途切れですか、軽やかですか、それとも重々しいですか。どんな音がするでしょう。低い音? 高い音? どんな調子の音でしょうか。色はどんな色ですか? その存在はあなたにとって何を意味するでしょうか? 何を教えてくれそうですか?

   自然に浮かんでくる印象やイメージ、感覚を大切にしてください。
   そして感じたことや感じている自分自身を、批判してはいけません。自分の中に浮かんでくることに注意を向けるのです。感じたままをノートに書き留めてもいいでしょう。小さな詩のようなものが出来上がるかもしれません。何かの言葉や声、それもあなたにしかわからないメッセージが聞こえてくるかもしれません。それはあなたの魂に何と語りかけていますか? あなたはどのように心を動かされますか? そばに座り、ひたすら心を開いているとどんな感じがしてきますか?

   これはほんの短時間のエクササイズですが、参加者はいつも驚くような体験談を披露してくれます。それもたとえば、大量の情報を受け取る人がいます。ほとんどの場合は、本人がちょうどその時期に必要としている癒しの重要なヒントであったりします。あるいは草花や石などの存在の性質が、まるで啓示のように初めて明らかになったりもします。ある人は感情が一気に解放されて、わけもなく涙があふれてくる人もいます。それまで自分にばかり向けていた関心を、普段なら目を留めることもない道端の草や石ころに向けるだけで、たいていの人が癒されて、心のバランスを取り戻します。忘れかけていた母なる地球とのつながりを思い出すために、心を開き、あなたもこのエクササイズを実践してみてください。

   自然とつながるためにそんなに時間はいりません。
   ただ心を開き、耳を傾ければいいのです。合理性と論理性を重んじるように育てられてきた現代人は、自分の感覚や直感、想像力というものを疑ってかかる傾向を持っています。しかし実は感覚や想像力は、思考と同じくらい、いいえ、それ以上にリアルなものなのです。自然界の存在は、頭ではなく心においてつながることができます。1本足も4本足も、0本足も、すべてが私たちの兄弟姉妹なのです。ですから私たちは心を開き、彼らとともに感じようとしなければなりません。

   恥ずかしがらずに草木や動物たちに話しかけましょう。
   友達や家族に頭がおかしいと思われたり、笑われたりしてもかまうことはありません。私たちと同じく、同じ地球を母に持つ他の兄弟姉妹が私たちに語りかけ、救いの手を差し伸べているのです。私たちはもう一度、再び、自然とのきずなを取り戻し結び合わねばなりません。

  古井戸の底で

   私は子どもの頃から何度も、九死に一生という経験をしてきました。
   腎臓と心臓が弱いせいでいつも体の具合が悪く、そのうえ怪我が多かったのです。私はさまざまな生き物を求めては、暗い場所や、たいていが生命の宝庫である汚い場所に潜り込むのが大好きでした。ですから身体的にはかなりぎりぎりの生き方をしていたわけで、気がつくと絶体絶命の極限状況に陥っていたことが何度もあります。そのうちの何回かは、もうダメだという瞬間に精霊が現れ、強烈なビジョンや声で導いてくれました。しかも私は命を救われただけではなく、そうした経験を通じて、どんな形のいかに奇妙な精霊の導きであっても
信用しなければならないという、貴重な教訓を学んだのです。

   それは私が5歳の頃のことでした。
   私の家族はモルモン教の信者で、いつものように日曜日には家族そろって教会へ行き、そのあとはいつものように父の実家へ行き、一緒に食事をする習慣になっていました。しかしなぜか父方の祖父母は私にあまり優しくはなく、厄介者扱いをするのでした。家族はそのことを知っていましたが黙認していたので、私が食事の後で家を抜け出して農場の裏庭へ行こうが、誰も気に留める人はいませんでした。

   祖父の農場の裏の庭は、板などの廃材が積み重ねられ、さまざまなガラクタが寄せ集められた場所で、崩れかけた動物たちの小屋が何棟か建っているだけの場所でした。私は一度も手入れされたことのない家畜小屋の悲惨な状態を見るたびに、心が痛んだものです。祖父は何に対しても敬意というものを持たない人でした。ですから家畜などは問題外でした。後に私たち一家が住む家を失い、祖父母の家に身を寄せた時も、私たち孫に対する扱いは家畜に対するものと変わらずひどいものでした。それは特に私たちの両親がいない時によりエスカレートしました。ですから私たちはそれぞれが、いつもどこかへ隠れていられるなら幸運なほうだったのです。

   しかし私はそうでなくても、農場内のさまざまな場所や建物を探検したり、山羊小屋に入って地下の巣穴にいるウサギを探したりするのが大好きでした。そして日曜が来るたびに私は、祖父の農場で新たな発見をしたものでした。もちろん、入ってはいけない場所にも足を踏み入れることもありました。そしてその日はなぜか、古い井戸が何だか気になりました。それは家の西側の塀に沿って大きな塚のように土が盛られているだけの、農民として何の誇りも感じられないようなぞんざいな作りの代物でした。

   そこは日頃から近寄るなといわれていた場所なので、本当は行くべきではなかったのです。それはとても深くて暗い井戸でした。その作りはちょっとの油断で転落するかもしれないような姿をしていましたが、それでも私は中が見たい一心で、盛り固められた土の山をじりじりと上っていきました。上の穴から覗くと中は真っ暗です。ますます好奇心に駆られた私は、腹ばいになって穴の淵から頭をせり出してみると、湿った土と苔のようなカビ臭さが漂ってきます。小石を何個か落とすとしばらくしてパサッと音がします。水はないようです。そんな場所にいったいどんな生き物が住めるでしょうか。井戸の底までは4メートルくらいで、ついに誘惑に勝てなくなった私は入ってみることにしました。

   さっそく梯子(はしご)を取りに行き、古い木製の梯子が納屋にあったのを覚えていました。梯子を井戸に下ろして、それを伝って底へ降りようと考えたのです。しかし驚いたことに梯子は井戸の底に届きません。そこで私はしかたなく手を離し、足から降りることで何とか梯子の一番上の段に乗ろうと考えました。私はゆっくりと後ろ向きに足を下ろしていきましたが、なかなか足が届きません。ついに私は、伸ばした腕で穴の端にしがみついているだけの、宙ぶらりんの格好になりました。腕が震えて焼けるように痛み、もう腕の力だけではどうすることもできません。にっちもさっちもいかなくなって恐怖に襲われました。手を離したらどれくらい落ちるでしょうか、底には何があるのでしょうか、第一落ちたが最後、外に出られるのでしょうか。

   すると、まるでスローモーション映像を見ているかのように、私がつかまっていた土が徐々に崩れ始めたのです。かなりの距離でしたが、私は梯子にひっかり、横木を3、4本壊しながら落ちていきました。冷たく湿った土の上に息ができないほど体を打ちつけ、吐きそうになりました。ジーンズの膝はかなり深く切れており、生温かい血の感触がしました。何よりも怖かったのは中は真っ暗闇で、一筋の光もなく、何も見えませんでした。おそらく5メートルは落ちたでしょう。

   井戸の内側は石ではなく、掘りっぱなしの土壁でした。
   私は暗闇の中で、何とか上に登ろうとしましたが取っ掛かりがなく、ただずるずる落ちてしまいます。中は寒くてじめじめしており、小さな体にはこたえました。音や声を出しても、防音装置のような土壁にたちまち吸い込まれてしまいます。その瞬間、私は自分が絶望的な隔離状態にあることを悟ったのです。おそらく誰も私を探しには来ないでしょう。私はいつも逃げ出しては何日も帰らないような子どもだったので、いなくなっても私に気を留める人などいません。しかも誰かに助け出されたとしても、井戸に入ったことで罰をくらうことはわかっていました。

   私は再び、土壁を登ろうとしましたが、それは何度やっても同じことでした。
   そのうち疲れてきて両腕も動かなくなりました。腰を下ろすと、涙があふれてきました。もうどれくらい時間が経っているでしょう。外はもう日が落ちているはずです。寒くて手足の指先がかじかんできました。そして気がつくと、私はひざまずき、手を合わせて頭を垂れていました。私は暗闇の中で祈り始めたのです。

   「天におられる神様、私をここから出してください。どうか助けてください」
   私は寒くて、怖くて、もうどうしていいかわからず、祈り終わると壁に寄りかかってうずくまりました。暗闇の中で自分の指先だけでも見えないものかと、目の前で手を動かしたり振ったりしていると、声が聞こえました。

   「チャイルド(我が子よ)、棒切れを拾って土を掘りなさい」
   私はそれを聞いて心の中で自問しました。「掘れだって? ここは井戸の底だし、掘ったら出られるのか? こんな場所でトンネルを掘るなんて無理だ」と。するとまた声がしました。「我が子よ、棒切れで壁を掘るのです」

   そこで私は四つんばいになって暗闇の中を、あたりを探り始めました。
   そして私が落ちたときに当って折れた、ハシゴの棒切れの中に手ごろなものが見つかりました。それからの作業は、永遠に続くかと思えるほどのもので、掘っても掘ってもまったくはかどらず、何度も泣きたくなっては棒を放り出し、再びその棒を這い回って探さなければなりませんでした。私はいつのまにか声の主を疑っていることに気づき、恥ずかしくなったりしました。私はもうへとへとで腕が痛く、持ち上げていることもできません。私は反対側の壁により掛かり、棒切れを下へ置いて泣き始めました。「もうできません」

   そのときです。
   土壁が崩れ始め、大きな塊りになって私の周りに落ちてきたのです。生き埋めになるかもしれないとパニックになった私は、遠いほうの壁に駆け寄り、たとえそうなっても少しは息ができるようにと両手でカップのように顔を覆いました。数分が経ち、ようやく塊りの落下が止むと、静けさが戻りました。ときおり土や小石がぱらぱら降ってくる中であたりを探ってみると、私の両足は土に埋まっています。そして井戸の底には柔らかな地層の土がごっそり崩れ落ち、山のように積もっていたのです。

   早速私は大きな山によじ登りました。
   井戸の中の頂上から見上げると、なんと星が見え、しかも私の大好きなオリオン座の3つ星でした。星座の位置からまだ8時頃だとわかりました。「えっ、まだ8時なの?」と驚きながら、自分は一晩中、あるいは何日も穴の底にいたように思っていたのに、現実には6時間が経過していたのでした。まだ井戸の中にいましたが、星を見たとたん自分は出られると確信しました。多少の苦労の末、何とか壁をよじ登り、穴の淵に手をかけ、脱出したのでした。

   私は大地に仰向けに横たわり、星を見つめていました。
   私は大きな力に助けられたのです。私は暗闇のなかで一人ぼっちではありませんでした。その力はずっと私を見守っていてくれたのです。この出来事から私は多くのことを学びました。それはたとえ理に叶わないように思える導きであっても、信じなければならないということで、そのことを身をもって学びました。そして自分が求めるものがあるのなら、それに向かって全身全霊で努力しなければならないということもです。

   もうこれ以上は頑張れないほど頑張ったとき、初めてゴールが見えてきます。
   神が手を差し伸べてくれるのは「その時」なのです。もしあのとき、私が祈った瞬間に長い梯子が現れたとしたら、私は何の教訓も学ぶことはなかったでしょう。そして答えや助けは、ときには自分には理解できない形でやってくるものなのです。ですから、信じる勇気を持たなければなりません。そして目には見えなくとも、私たちを支え導き、知恵を与えてくれるリアルな存在が常にそばにいることを信じてもよいのです。


         book 『<レインボー・トライブ/虹の民>に生まれ変わるあなたへ』 
              キーシャ・クローサー著 サアラ訳 ヒカルランド

                          抜粋   
   

傷こそが私たちを強くする

   私が子供の頃、自然があらゆる生命の鍵を握っているということを実感させられる出来事がありました。生命が意味を持っていることや、その意味を全うすることにも自然が深く関わっているのです。母なる自然はそれ自体が生きて呼吸している生命エネルギーであり、それは私たちに話しかけることができ、そして実際に話しかけてもいるのです。私たちがそれに答えて目や耳を傾け、理解することを切に願っています。

   自然は1枚の葉っぱも、1粒の砂も放ってはおきません。
   母なる自然が差し出すものはどんな小さなものであれ、エネルギーと興奮で満ち溢れています。母なる自然に育まれてきた私は、存在するあらゆるものが人間に語りかけていることを、純粋な喜びとして体験してきました。そして精霊に学ぶようになったのも、自然の懐に優しく抱かれていたときでした。私は幼い頃から精霊の声にさまざまなことを教えられてきました。そして宇宙の生命の摂理についても、明確な情報を与えてくれたのは精霊でした。

   これまでに与えられた教訓は、極めて明確で強烈なものばかりです。
   その声は最初に必ず、「チャイルド(我が子よ)」と呼びかけてきて、私が内容を理解できないと、初めから繰り返してくれます。

   やがて私が30歳でシャーマンになるように言われたとき、ネイティブ・アメリカン(先住民族)の長老から、その声は「先祖の女性たち」だと教えられました。長老たちは、私が誰にも話したことのないその声に導かれていたことを知っていました。私は28歳になるまで「声」のことを誰にも話したことがありませんでした。でも話すようになってからでさえ、私はある不安にさいなまれていたのです。

   それは敬虔なモルモン教徒の家庭に生まれた人間が、そんな不思議な声のことを話そうものなら、宗教の教えにしたがってたちまち地獄行きの切符を突きつけられ、罰あたりと呼ばれることになるのがわかっていたからです。私は声が聞こえるという現象にとまどい悩み、このことは誰にも絶対に話すまいと決めていました。ですから私がそのことに悩み苦しんだのには訳があった、と知ったときの安らぎは忘れることができません。

   さまざまな教えの中でも特に忘れられないのは、真の美しさとは何か、ものごとの本当の価値をどう見極めるかということでした。大人になりかけていたある夏の日、私は水辺の秘密基地に潜んでいました。それというのも実は私は、隣に住む2人の叔父から性的虐待を受けており、しょっちゅう原野へ逃げ込んでいたからです。彼らの無分別な暴力と屈辱に深く傷つき、自分の価値を見失いかけていた私は、木々のあいだに隠れては泣いたものです。それは最悪な精神状態でした。控えめに言っても私は自分が価値のない、愛されるに値しない人間だと感じていました。どうして人間があれほどの憎しみと暴力に満ちた行動を取れるのか、どうして同じ人間に対して、あれほど残酷な振る舞いができるのか理解できませんでした。

   これでもう自分は絶対に天国に行くことはできない、神様にも愛されないだろうと思いました。こうした醜いことに巻き込まれている自分は、そのことで醜くなってしまったと感じていたのです。結婚前のキスであっても神にそむく罰あたりの行為であると頭に叩き込まれていたのに、私はそれをはるかにしのぐ目に遭ってしまったのです。衝撃が頭の中を駆け巡り、私は神の愛にも天国にも、値しない人間になってしまったと確信しました。モルモン教の教えでは、天国に行けない人間は死んだ後家族を持つことができません。こうして私の心は深く傷つき、自尊心は消えうせてしまいました。自分は醜く、汚れているうえに、神様から必要とされない人間なのです。

   失意と混乱を抱えたまま、私は身を隠すために下草が生い茂る松の林に向かいました。そしてちょうど、その下に座りたくなるような美しい松の木を見つけました。それは見事な枝ぶりで、無数の針状の葉が素晴らしい木陰を作り出していました。その松はうっとりするような芳香を放ち、幹には傷一つなく、これ以上はないような完璧な木だと思いました。

   一方で、その松と向かい合いように立っている、もう1本の背の高い松の木がありました。その木の幹には深い裂け目ができており、そこから染み出した樹脂は根元のほうにまで流れ出て覆われており、近寄ると樹脂で汚れそうに思えました。しかも雷に打たれて幹は傷ついており、そうした醜い姿をさらしていたのです。私は木陰を提供してくれている松の木の何と美しいことかと思いました。それに比べると向かいにある木の何と醜いことでしょう。私はいつにまにかそんなことを考えていたのです。

   突然、奇妙な重たさを感じました。
   それは精霊が訪れるときに感じる圧迫感だったので、私はすぐに意識を集中し、教えに耳を傾ける準備をしました。辛抱強く待っていると、女性の静かな、それでいてはっきりとした聞き覚えのある声が聞こえてきました。

   「我が子よ、何を見ているのですか?」 、「木です」と私は声を出して答えました。
   「どちらが素晴らしい木だと思いますか?」  私は頭上にそびえる美しくて完璧な松の木のほうが素晴らしいと答えました。それは当然だと思いました。けれどもその後、醜い松の木について聞かされたことを私は一生忘れないでしょう。不思議な声は私にこう言ったのです。

   「森の中で重要な木ほど、困難にめげず、傷跡を恥じることなく堂々とたたずんでいるものである。1本の木が内側から頑丈なものに生長するためには、生存競争のような厳しい寒さや干ばつ、落雷といった苛酷な経験を積まなければならない。そうした中にあって傷ついた木は、それによってそのまま枯れてしまうか、あるいは生き延びて森全体で最強の木になるかのどちらかしかない。その苛酷な経験を生き抜いた木はどの木よりも生命力が強く、どの木よりも多くの強い種を実らせる。困難を乗り越えた松の木がふりしぼって生命力を松ぼっくりに託せば、その松ぼっくりは再び、森を豊かに茂らせる。そうやって命を栄えさせていくのだ」、と。

   私は身動きもせず、言われたことを何時間も考えていました。
   するとまた声が聞こえました。
   「どちらがすばらしい木ですか?」  私の答えは先ほどとはまったく違っていました。胸がかっと熱くなるのを感じ、目に涙を浮かべながら、「あちらの醜い木のほうが素晴らしいです」と答えました。

   一番立派で美しい木とは、数々の困難を乗り越え、その闘いの証としてたくさんの傷を負った木であり、それは闘いの末に素晴らしい回復力と新たな命を生み出す力を獲得した木だったのです。私はそのことがようやく分かりました。その日の精霊からの学びはこれで終わりです。もう不思議な声は戻ってこないでしょう。

   私は水辺に座り、水面を覗き込むと、そこには心を砕かれ、涙を流している少女が映っており、じっと自分の顔を見つめました。あの松の木と同様に、私はちっとも醜くなんかありません。そう気づいた私は、緑のパーカーのフードをかぶり、家に向かって歩き始めました。

  絶対絶命のピンチの時ほど、霊的な祝福や深い啓示を受け取りやすくなる

   
私はあのときの経験を思い返すと、そこで学んだことの奥深さをしみじみ感じます。
   それは人生の多くの経験に沿った教えなのです。実に多くの人々が、消したくても消せない傷を抱え、辛い思い出を引きずっています。過去を悔やみ、その時の痛みから逃れられずに今も苦しんでいる人や、自分は醜い、自分は愛されない人間だ、あるいは自分はもともと欠陥のある人間だと感じながら生きている人の何と多いことでしょう。

   子どもの頃の私もそんな思いに苦しめられました。
   そして実は今も闘っているのです。そしておそらく誰もがそうであるでしょう。私の場合は必要な愛情と保護を受けられずに育ったので、その理由は自分が何かよほど悪い子どもだからなのだろうと感じていました。なぜ自分がそんな扱いを受け、ひどい目に遭わされなければならないのか理解できませんでした。そして虐待を受けた子どもが必ずたどりつく結論に、私もたどりつきました。「神様は私を愛していないに違いない。自分は愛されたり大事に保護されるに値しない人間なのだ・・・」

   そして家族の信仰がその考えを後押ししたのです。
   人間はもともと罪深い存在だから、できる限り完璧に近い傷一つない純粋な生き方をしない限り、天国には入れないというのです。しかしそうした価値感は生命そのものを否定しており、多くの人間を傷つける以外のなにものでもありません。それはまったく真理からかけ離れた教えです。ところが私は、それが正しいものとして教えられて育ったのでした。

   しかし私は、2本の松の木から、「傷こそが私たちを強くする」ことを学びました。
   たとえ完全無欠ではなくとも、生きるために闘い、人生の旅路を乗り越え、学んできたことの証なのです。苦しんだ経験は必ず人を以前よりも賢くし、強くします。そして共感や思いやりの心を育て、より強い人間にします。どんな出来事も、私たちの魂まで傷つけることはできません。そして傷つくのは、実は自分自身に対する思い込みのせいなのです。自分は汚れてしまったとか、傷ものだと感じる必要はありません。傷を自分の一部として受け入れながら、最高の美しさとは、物事の表面ではなく奥深いところにあるということを忘れずに進みましょう。

   癒しの旅を続けている私も自分の経験を人に話す勇気を持てたのは、ようやく20代も終わりの頃でした。私が自分の過去と和解することができたのも、苦しみが与えてくれた贈り物に気づくことができたのも、そのシンプルな言葉のおかげでした。それは「傷口は光への入り口」なのだというものでした。人生で起きたことの意味を理解するまでは、何年も悩むかもしれません。特にその体験で何かを失ったのであればなおさらです。私が受けた虐待の傷が癒えるのには一生かかるかもしれません。それでも人生を諦めず、愛に生きる努力を続けていると、たくさんの光が降り注いできたことも事実です。

   つらい体験によって生か死かという瀬戸際に立たされたとき、真実のベールがはがされたのでした。多くの人がすでに気づいているように、人間は絶体絶命のときほど、霊的な祝福や深い啓示を受けやすくなるのです。そしてこの私もなぜあれほど苛酷な子ども時代であったのかという思いに囚われるとき、私が幼い頃大自然の中で学んだことは、こうしてあなた方にお話するためであったのだと確信しています。その辛い経験があったからこそ、追い立てられるように大自然の原野へ向かい、そこで大いなる神秘の腕に抱かれることになったのですから、運命のめぐり合わせとは何と不思議なものでしょうか。


         book 『<レインボー・トライブ/虹の民>に生まれ変わるあなたへ』
              キーシャ・クローサー著 サアラ訳 ヒカルランド

                           抜粋

他人のエネルギーを当てにせず生きる

   私たち人間はもう一度、自分のエネルギーの正しい使い方を思い出さなければなりません。それが、あなた方に向けて私が精霊から託された最も大切なメッセージの一つです。人間は常に、他の人間からエネルギーを得ようとしているのですが、実はそれよりも私たちは母なる自然にエネルギーを与え、そして母なる自然からエネルギーを受け取ることを学ぶべきなのです。

   いつの頃からなのか、私たちは自然から離れてしまい、疎遠になってしまいました。
   その結果、食料から自分の幸福感まで何もかも、すっかり他人に依存するようになってしまいました。人間が互いに関わるとき、そこには必ずエネルギーのやり取りがあります。そしてそれが自己に対する意識、つまり、自分が他人にどのように受け止められて、どう思われているかといったようなことが意識の土台になってしまったのです。

   たとえば人と人が会話するとき、そこで行なわれるのはエネルギーのやり取りであり、そこには「与える側」と「受け取る側」ができます。両者のあいだで絶妙にバランスがとれていれば問題はありませんが、現実にはそうでないことのほうが多いものです。その結果、いつのまにか出来上がった互いの力関係を土台に、私たちは自信を持ったり失ったり、元気になったり疲れたりするのです。空腹を満たすことから心を満たすことまですべてを、無意識のうちに他人のエネルギーを当てにしているのです。しかしそこには、現代に生きる私たちがそれ以外の方法を知らなかったということもあります。

   しかし人間は本来、そのような生き方をしてはいなかったのです。
   私たちは今、自然の草木や山、海や川などの自然である地球そのものと、エネルギーを交換できるように学びなおさなければなりません。私たちが地球のエネルギーで満たされるようになれば、他人や限りある資源を当てにする必要はなくなります。地球のエネルギーは愛のエネルギーであり、それは永遠に尽きることのない豊かなものです。私たちが肉体を持ってこの世界に存在する限り、そのエネルギーは常に私たちの内にも外にも、その周囲にも豊かに存在します。

   しかも人間がこれまで搾取する一方であった他の資源とは違い、それは決して枯渇することがありません。そのエネルギーとつながり、使えば使うほど私たちはさらに多くの生命エネルギーを生み出すことができるのです。そうなると私たちは母なる自然に、愛と感謝と喜びのエネルギーを返さずにはいられなくなるはずです。

   実際に外に出て、樹木のエネルギーを吸い込んでみましょう。
   そうしてあなたは満たされて心身ともに安らぎ、生命とのつながりを取り戻したことを感じるでしょう。それはあらゆるもの、たとえばドングリや木の葉、岩山や林の木々などの自然には、あなたを支え、元気づけてくれる無限のエネルギーが宿っているからです。元気がないとき、困ったとき、何もかも嫌気がさしたとき、行き詰ったとき、どうか外へ出て、自然と自分が一体である事を感じながら、自然の生命のエネルギーを取り込んでください。

   何も考える必要はありません。
   あなたが自分をどう思っていようが、他人からどう思われていようが、いっさい関係ないのです。あなたを生き生きと包んでいるものだけに注意を向けていれば、自己評価も他人の評価もどうでもよくなるでしょう。森を散策し、小川のほとりに座っていると、それだけで気分が晴れてくるのは、あなたがエネルギーで満たされたから、つまり電池のように充電されたからなのです。

   生活の中でほとんど自然の中に出かけたりすることなく、生き物たちとも親しもうとしない人々が増えていますが、それでは自然が与えてくれるバランスや生命力の豊かな恵みを受け損なうことになります。私たち人間は定期的に自然の中に入り、充電する必要があるのですが、ただエネルギーを分散し、枯渇させるだけの生活を続けていると具合が悪くなり、バランスが失われるのは当然です。人間が元気でいるために必要なものはすべて、身近な生き生きとした自然の中にあるのです。

   私たち一人ひとりが毎日外に行って、地球のエネルギーを取り入れるようにすれば、それだけで世界は見違えるほど変わっていくでしょう。もう声高に何かを主張したり、頑張ったりする必要はありません。なぜなら自分を肯定するために、他人からエネルギーを貰う必要がないからです。つまり、他人から認められたり、愛されたりすることで、自分の自尊心や幸福感を得る必要がなければ、どんな立場で仕事をしていようとも、もうそのようなことは問題ではなくなるからです。

   自然とつながり、その生命力で満たされ、この世界に生きているのが人間だけではないことを実感したとき、他人の評価はもはや意味を持たなくなります。この宇宙のあらゆる生命があなたという存在を感じており、あなたに語りかけ、あなたを認めているのです。あなたにとって人間社会よりも自然界のほうが身近に感じられるようになるにつれ、自分というものがどれほどの価値を持つ存在であるかが自然に分かってくるでしょう。それはどんなにお金を稼ぐ有名人であろうと、サラリーマンや専業主婦であろうとそこに違いはありません。

   豊かな地球のエネルギーで満たされた人は、他人の愛情に依存することも、他人の評価を気にすることもないのです。それは、私たちにとって膨大なエネルギーの解放と、喜びと創造力の解放を意味するのです。私たちが生きていくうえで必要なエネルギーは、すぐそばで私たちを待っています。さあ、自然の中に行き、生命の息吹を体いっぱい吸い込み、自然とのつながりを感じ、癒されましょう。そして力を受け入れましょう。

   そのエネルギーは、全人類を絶えず満たし続けるほど豊かなものです。
   それは私たちの限界ある思考力とは違い、自然の生命エネルギーは尽きることなく湧き出ているのです。これ以上の恵みがほかにあるでしょうか。私たちは今こそ再び、この最大の恵みを生かす時なのです。

   私たちは、実は誰もが創造主です。
   創造主から生まれた私たちは、美と愛をもたらすために地上に降り立った神であり、女神なのです。愛のもとでは不可能はなく、私たちの源である母なる地球とつながることは、巨大な愛の源泉とつながることを意味しています。地球は愛そのものであり、それが生命の目的でもあります。

  母なる地球とつながるための呼吸法

   
これは是非、あなた方に伝えて広めるようにと精霊から教わったもので、シンプルでありながら効果抜群のエクササイズです。あなたがバランスの乱れを感じたときや、母なる地球とのつながりを取り戻したいと思うとき、この呼吸法を試してください。私もヒーリング・セッションに入る前には、参加者の方に実践することを勧めています。この呼吸法を行なうと、詰まっていたチャクラの通りがよくなり、エネルギーの流れが改善されます。そうすると霊的な導きを受け入れやすくなり、祈りや瞑想により深く入っていけるようになります。あなたの中の妨げになっているものを取り除き、あらゆる生命の源泉とつながれるようにする素晴らしい方法なのです。

   
裸足で大地に立ってください。
   室内でも構いませんが、靴ははかないこと。

   息を吸い込みながら、足の裏を下から緑色の地球エネルギーが上がってくるのをイメージしてください。そのエネルギーは細胞の一つひとつを満たしながら、体の隅々に行き渡っていきます。最初はひざの高さまで吸い込み、息を吐きながら足の裏を通して地球へ戻します。

   2度目の吸う息で、緑色のエネルギーを骨盤の底(第一チャクラ)まで吸い上げ、吐く息で、太もも、ひざ、足首へと順にエネルギーを下ろしながら、最後に足の裏から地球へ戻します。その時どこかの特定の部分が、エネルギーで満たされるのが感じにくい場所があれば、感じられるようになるまで、同じプロセスを繰り返します。

   3度目の吸う息で、下腹部のおへその下(第2チャクラ)まで足裏からエネルギーを吸い上げ、また同じようにそれを下ろして足裏から地球へ戻します。下ろすときも、エネルギーが通っていくそれぞれの場所に意識を集中させてください。そのときもサッと一気に下ろしてしまうのではなく、脚の筋肉や血液、細胞がエネルギーで満たされるのをイメージしましょう。

   4度目の吸う息で、胃の真ん中(第3チャクラ)まで吸い上げたエネルギーが、みぞおち(胃の部分)に染み込むのを感じます。多くの人はこの辺りに「負の感情」を閉じ込めています。この部分はその人の意志や自信、自分が何者であるかという感覚につながっている部分でもあります。何度か呼吸を繰り返す必要があるかもしれません。古いエネルギーや恐怖心のせいで硬くなっている部分が、新たに吸い上げたエネルギーの力でゆっくりとほぐされていき、癒されていくのを感じましょう。温かさが広がるのを感じてから、次の段階へ移ります。

   5度目の吸う息で、胸(第4チャクラ)までエネルギーを吸い上げて心臓を包み込み、胸から肺、肋骨にも広がっていくのを感じましょう。心臓の辺りには古い感情が溜まりやすく、多くの人はここに深い傷を抱えています。好きなだけ呼吸を繰り返してください。やがて温もりが広がってくると、この辺りがリラックスし、開かれていくのを感じるはずです。抑え込んでいたものを解き放ち、同じく足裏から大地へ流してしまいましょう。母親は子どもの悲しみや悩みを引き受けても傷つかないように、母なる地球も、あなたがそうやって流したものによってダメージを受けたりしないので大丈夫です。

   6度目の吸う息で、のど(第5チャクラ)までエネルギーを吸い上げ、開かれていくのを感じましょう。その部分はあなたの声や、真実を語ることとつながっています。息を吐きながら、エネルギーを地球へ戻しましょう。

   7度目の吸う息で、眉間(第6チャクラまたは第3の目)まで吸い上げ、霊的ビジョンや高次元の知恵、直感とつながるのを感じましょう。やがてその部分が開かれ、やさしく撫(な)でられ、地球とつながるのを感じたら、足裏からエネルギーを吐き出します。

   8度目の息で、頭のてっぺん(第7チャクラまたはクラウン・王冠)まで吸い上げたら、霊的な導きや宇宙からの光に対して開かれていくのを感じましょう。頭頂部が地球のエネルギーに包まれて開かれると、大地と空の子どもである自分が、その両方につながっていることが感じられます。その部分である頭、顔、脳、毛穴、髪の毛が緑色の優しい光で満たされ、あらゆる生命とつながっていきます。最後にゆっくり息を吐きながら、腕を通り、手の平から地球へエネルギーを戻します。

   これでエネルギーのサイクルは完結します。
   こうしてあなたを支え、あなたのために常に存在しているものとつながることができました。緑色の強力な生命エネルギーによってあなたは癒され、元気と心身のバランスを取り戻したことでしょう。


         book
 『<レインボー・トライブ/虹の民>に生まれ変わるあなたへ』
              キーシャ・クローサー著 サアラ訳 ヒカルランド

                           抜粋


   
    

自分の感覚、直感、想像力を信じよう

   どういうわけか私には人の胸の真ん中に、ある特定の動物が見えます。
   すでに子どもの頃から私には、一人ひとりに固有の動物がついているのが見えていました。そしてたいていの場合、その人の魂が選んだ1匹の動物が生涯の導き手としてついていますが、たまに2匹ついている人もいます。ほとんどの人は、自分にどんな動物がついているかを告げられても驚きません。多分自分でもうすうす感じていたり、もともとその動物と縁が深かったりするからでしょう。

   その一方で意外にも、自分の動物にガッカリする人がいます。
   誰もがマウンテンライオンや、熊、オオカミなどの強い動物をアニマルトーテムとして希望しますが、アナグマの癒しのすばらしさや、スカンクの贈り物の美しさ、ネズミの霊的守護の強さを理解している人はなぜかほとんどいないようです。多くの人はその人生において、自分の霊的な守り役である動物との出会いを果たしています。ただし、その出会いはいつも楽しいものばかりとは限りません。

   ある女性はネズミの霊に守られていましたが、私がそのことを告げるちょうど前日に、ネズミに噛まれていました。あなたも自分の特定の動物とこのようなトラブルを経験するとしたら、守護している動物が何かを訴えようとしているか、注意を促そうとしているのかもしれません。神聖な領域からの大いなる恵みは、こうした痛みや、一見攻撃とさえ思えるような現象をしばしば伴うのです。私もガラガラヘビに噛まれたり、馬に蹴られたり、その他にもさまざまな動物と深くかかわってきました。楽しいことばかりではなく、不愉快な思いをさせられましたが、どの経験も私の人生を大きく変えてくれたことは確かです。

  
動物たちは人間に、つねに何かを教え、伝えようとしています

   
私たちの体や心には本来、動物たちの世界を感じ取れる能力が備わっています。
   しかし多くの場合、私たちの頭はその感覚を疑っているのです。動物たちは人間のためにたくさんの知恵を携えており、こちらが彼らの波動やエネルギーにチャンネルを合わせたときだけ、聴き取ることのできるかすかな信号を常に発しています。

   そうしたことに関する私の最近の経験についてお話しましょう。
   その時私は、アリゾナ州フェニックス郊外でワークショップを開催していました。その日の予定が上手く運ぶように祈るために私は庭に出ました。すると何かの動物の気配がしました。そこで私は心を落ち着かせ、チャンネルを合わせてみました。自分の感覚を頼りに、それがどんな動物なのかを読み取ろうと思ったのです。

   やがて、丈の高い枯れ草が指の間をすり抜ける感触と、湿った黒土と香水の匂いがしたかと思うと、数メートル先に、メスのアカオオヤマネコが姿を現しました。彼女は日干しレンガでできた塀の上に座り、すぐに話しかけてきました。近くを散策していた人々は、驚いてその様子を見ていました。アカオオヤマネコはとても用心深く、ほとんど人間には近寄りません。しかもそれが昼間であればなおさらのことです。そのアカオオヤマネコと私はほんの数メートルの距離をはさんで、しばらく見つめあい、互いの愛を伝え合ったあと、彼女はメッセージがあると切り出しました。

   彼女によると、私は浄化されているさ中にあり、まもなくその妨げが取り除かれるとのことでした。アカオオヤマネコは周囲に広がる砂漠地帯の過去と未来についても触れ、その一帯がその昔、先住民族の神聖な儀式の場所であったことや、将来はここにも緑が戻ることを教えてくれました。そして私への最大のメッセージは、生き物にもっと耳を傾けよ。彼らは常に何かを教えようとしているのだから、ということでした。そういい終わると、アカオオヤマネコは何かに耳を澄ましていましたが、やがて別れの挨拶を交わし、子どもたちが待っているからと言って、塀からふわりと飛び降りると姿を消しました。ワークショップの間中、私はそのアカオオヤマネコの存在を感じていました。

   読者の中にも、こうした動物との直接的なコミュニケーションを体験した人がいるのではないでしょうか。私は精霊や指導霊からメッセージを受け取る時と同じく動物からも、言葉ではなくさまざまな感覚や直感、波動、色、味の入り混じったものを受け取ります。もし私がそのことに論理的な説明をつけようとすれば、メッセージ全体の持つ印象を失ってしまうでしょう。

   合理的であることを最優先してハイテク社会に生きている現代人にとって、それは非常に難しい課題ではあるのですが、私たちはもう一度、再び、本来自分に備わっている感覚や直感、そして想像力を信じることから始めなければなりません。本来持っているそうした力によってこそ、私たちは地球上にともに生きているすべてのものたちと、再びつながることができるのです。母なる地球との本来の正しいつながりを取り戻すためには、自分の感覚を信じなければなりません。目に見えないものや説明できないものに対しても心を開き、もう一度、感じることを取り戻すことです。そうすれば動物たちのほうから待っていたかのように、あなたに手が差し伸べられることでしょう。

   精霊は折りに触れ、あらゆるものがエネルギーによって生かされていることを私に教えてくれます。この物理的に見える世界はそれ自体が生き物であり、生きて脈動しているのです。しかし表面的なものごとやうわべだけの世界に囚われていると、ただ見えないという理由だけのために宇宙万物を満たしているエネルギーのことを忘れてしまいがちです。私たちを生かしているのは、まさにそのエネルギー以外の何ものでもありません。

   現在ではそうしたことを科学的に測定することさえできます。
   人間という有機体が呼吸し、脈をうち、こうして生きているのは、母なる地球が私たちの足の裏からエネルギーを注入し、生命のネットワークにつないでくれているからこそであり、そのようにして私たちに生命の息吹を吹き込んでいるからなのです。地球のエネルギーは、私たちが肉体を持ってこの世界に存在するあいだずっと、常に私たちを支え、育み、満たし続けてくれます。ところが私たちはそうしたエネルギーに対して、本来のあるべき用い方ができなくなっています。私たちは地球のエネルギーをどのように使い、どのように生命の根源とつながればよいのかを忘れてしまったのです。

   私が十代の頃、あらゆるものに宿る豊かなエネルギーと色彩に気づかされた時のことをお話しましょう。私が育った場所は、米国コロラド州南部のサンルイス・バレーと呼ばれる山あいの土地で、不思議な光やUFOが多く目撃される場所であり、超常現象でも有名な地域です。その一帯は、ユート、ブランカ、サンアントニオの山々に囲まれた聖なる三角地帯の中にあり、ネイティブ・アメリカンたちが「無血の谷」と呼んでいる聖地です。

   多くの住民と同じく私も、子どもの頃から不思議な現象を目撃してきました。
   これまでにも何度か、私の家の上空に巨大な赤い光が浮かんでいたことがあります。ですから異次元からの存在に遭遇したことも数多くあります。これからお話することがそうした遭遇体験に当るものかどうかわかりませんが、その出来事以来、私の人生観や物の見方が一変してしまったことは確かです。

  青い光に包まれた半透明の女性との出会い

   ある美しい夜、私はいつものように一人で、河岸のお気に入りの場所でキャンプを張っていたときのことです。辺りはようやく陽が暮れ始め、夜の闇が広がり始めていました。私は寝転んで星を見つめたり、木々を渡る風の音を聞いたりしていました。すると林の向こうにある畑で、トラクターのヘッドライトのようなものが点滅しているのが見えました。夜だというのに誰かが畑を耕しているのでしょうか。しかもその光は青く、トラクターのヘッドライトにしてはずいぶん奇妙な色に見えました。

   そしてその青い光はこちらへ向かってくるのです。
   それと同時に、私は奇妙な感覚に襲われました。何だか暖かく穏やかで心地よいのです。それはまるで頭からつま先まで全身が、お湯の中に浸されているような感覚でした。青い光はさらに近づき、とうとう目の前まで来ました。それはただの青い光ではなく、そこには女性が立っていたのです。その人はウェーブのかかった長い髪を後頭部で1本に編み、それをゆったりとしたドレスの背にたらしています。私はアーサー王伝説に登場する王妃グィネビア、あるいは中世の王女様を思い出しました。袖口や裾に細かい刺繍を施した長いドレスを着ており、その女性は半透明で揺らめいています。それは全体が青い光で包まれていながら、同時に音楽に包まれているかのようでした。

   女性は私に近寄ると、私の頬に手の平を当てました。
   それは私にとって人生で初めての感覚でした。手を置かれているのに何の重みも感じないばかりか、あるのは温もりだけでした。その女性は一言も発せず、私に音と振動で語りかけてきます。それは音楽のようでありながら、それまで聞いたどのような音楽とも異なっており、まさに天界の調べのようでした。うまく表現できないのですが、その女性は音楽そのものだったのです。私は頬に手の温もりを感じながら、この世のものとは思えない音楽を聞きながら、いつしか眠りに落ちていきました。

   翌朝、目を覚ましたときには、前の晩の痕跡は何もなく、あの出会いは何だったのかと思いました。夢のような出来事でしたが、あのときの私は確かに目を覚ましていたので、何かがこの身に起きたことは間違いありません。そして女性が去ったあと、私には不思議なことが起き始めました。視覚が今までと違うのです。つまりものの見え方や感じ方が変わっており、何を見ても今までとは色が変わって見えるのです。それは草の葉1枚から、森の木々や動物たちに至るまで、その色彩とそれぞれの持つエネルギーの波動が感じられるのです。

   しかもその色が、まるでデジタル写真のピクセル(画素)の集まりのように見えるのです。当時の私はそれを「ドットが見える」と言っていました。そして生き物すべての体の中にこうした色が見えるのです。それは生命エネルギーを表しているように思えました。たとえばある種の木は他の木に比べて光っていたり、より強い色と波動、エネルギーを持っています。それはちょうどある人が、他の人よりも明るく輝いていたり、一時的にその部分の色だけが強かったりするようなものです。

   私たちは一般的に、光や色、波動、エネルギーと分けて考えがちなのですが、それは人間の感覚器官というフィルターを通すので、別々のものに見えたり感じられたりするだけであり、実は本来これらは同じもののある側面でしかないのです。たとえば1つの色には特定の波動や音、感触、味などがあり、それらが混然一体となってどのような生き物なのかを私に教えてくれます。ですからたとえ姿を見なくても、そばに何の動物がいるのかを察知できるのです。その動物特有の味が口に広がったり、手触りを感じたりします。動物によって異なる味や感触があるのです。

   そして私は、もうじきすべての人々が、こうした感じ方をするようになることを信じています。なぜなら私たちは長い間、久しく忘れていた、自分が本来持っているこうした感覚を思い出し、波動やエネルギーとの関わり方を思い出すようになるからです。私たちの誰もが本来備えているはずのそうした能力を忘れてしまったために、地球本来のリズムとの同調から逸脱してしまい、すべてのものごとを深いビジョンとして霊的に見ることができなくなっていたのです。


         book 『<レインボー・トライブ/虹の民>に生まれ変わるあなたへ』
              キーシャ・クローサー著 サアラ訳 ヒカルランド

                           抜粋
   

        

ローマ教皇ベネディクト16世の退位

中丸  2013年の2月11日に、ローマ教皇ベネディクト16世が突然、教皇職を退位する表明を行いました。その理由は、「信仰生活に対する大きな問題に揺れる今日の世界において、・・・ここ数ヶ月自分の任務を遂行するための力がないことが自覚され、その活力が減じた」というものでした。その退位を宣言した日に、サン・ペトロ大聖堂に2度にわたって落雷がありましたがそれも象徴的でしたね。

三神  彼は高齢で、心臓のバイパス手術を行なって体調が悪かったのは事実です。
     しかしカトリック教会内部が、スキャンダルまみれだったことも影響しているようです。代表的なものがカトリック教会内部の児童虐待です。きっかけは2002年1月に「ボストングローブ」紙のスクープで、ボストン司教区の司祭が30年間にわたり、130人もの子どもに対して性的虐待を行なっていたことを知りながら、教会を移動させるだけで処分を行なわず、放置していたことが明らかになったことなどです。

   その後の「ニューヨーク・タイムズ」の調査では、全米で過去60年間に1200人以上の聖職者が、4000人以上の子どもに対して性的虐待を行なっていたことが判明しています。この報道をきっかけにヨーロッパ各地のカトリック教会でも児童虐待疑惑が浮上し、ベネディクト16世自身も枢機卿時代に、米国の司祭による性的虐待事件をもみ消していた疑いが浮上しており、実際に彼に証人として出廷するように要請があったのです。

   ベネディクト16世は虐待の被害者に直接面会して謝罪しましたが、2010年にはロンドンで教皇の退位を求めるデモが発生するなど、今もなお性的虐待をめぐってカトリック教会への不満は消えていません。そのため実際にコンクラーベにも、性的虐待が噂されたスコットランドのエディンバラ大司教が欠席し大司教を辞任したり、ロサンゼルス大司教も神父の性的虐待を隠蔽したとして訴えられており、被害者4人に対して約1000万ドルの和解金を支払っています。

   またイタリアの「レプリカ」紙は、ローマ教皇庁に同性愛者ロビーが存在していて影響力を行使していることが、ベネディクト16世に退位を決断させたとも報じています。しかしそれよりも大きな痛手は、バチカンの金融問題であったと思われます。2012年3月に教皇庁のマネーロンダリング(資金洗浄)疑惑が浮上し、アメリカの大手銀行JPモルガン銀行が、バチカン銀行のミラノ支店の口座を封鎖したのです。

   こうした疑惑は、2012年1月にバチカンの秘密文書がマスコミに流出した、いわゆる「バチリークス」スキャンダルで一気に明るみに出ました。この秘密文書はベネディクト16世の机の上から直接持ち出されてコピーされたもので、この機密文書流出の背景には、バチカンNo.2のベルトーネ枢機卿の失脚を狙ったものではないかとも言われています。


中丸  バチカンをめぐるこうした問題は中世の頃からあったもので、P2ロッジ事件というイタリアの政治スキャンダル事件などの形で、これまでも噴出していました。

三神  バチカンは明らかに世界権力の一つで、単なる宗教団体や慈善団体ではないから、構造的に腐敗するのは仕方のないことなのです。

中丸  本来、教皇というのは終生在位ですが、ベネディクト16世の退位は600年前のグレゴリウス12世の存命中の退位以来のことです。ベネディクト16世はドイツ出身でナチスのシンパです。カトリック最古の修道会であるベネディクト修道会のシンボルはオリーブなので、マラキの予言ではヨハネ・パウロ2世は「太陽の労働」なので、その次は「オリーブの栄光」であると。だからベネディクト16世という名前もそういうことなのだろうということです。

   ベネディクト16世は、「世の中は戦争で大いに乱れている。すべての原因は国々の対立にある、だから世界統一政府がないかぎりはこの争いはなくならないろう。もし世界統一政府が必要とされ、樹立されるということになれば、ローマ教皇として支持する」と発言しています。基本的にカトリックを含めキリスト教の考えは、最終的には「千年王国」であるわけです。

三神  アメリカは今、カトリックなどを利用して宗教問題を絡めて、中国を何とかうまくコントロール下に起きたいと考えており、アメリカの狙いははっきりしています。多くの学習者(信者)が迫害を受けたと言われている法輪功にしても、気功の団体ですが基本的には宗教団体ですよね。教祖はアメリカにいるし、しかもCIAの傘下にいるわけですから。

中丸  あと2012年12月に起きた「地球滅亡騒ぎ」のときに、中国国内で取り締まられた全能神という宗教団体もあります。2012年の12月に古代マヤ文明のマヤ暦が終焉を迎えるというので、世界では「地球が滅亡する」といった誤った情報が流れました。実際には地球が次元上昇に向かう現象が起きつつある状況なのに、それを否定するために偽情報が流されたのです。

三神  地球滅亡の話なんて、もうみんな忘れているんじゃないですか (笑)
    実は算定方法に誤りがあって、実際にマヤ暦のカレンダーが終わるのは2015年9月3日だという説もあります。だからといって、この日にちも地球が滅亡するという話なんかではないのですが (笑)


中丸  地球が滅亡したらどうしようとか、アセンションが起きなかったらどうしようとかとパニックになった人が多かったと聞きますが、本当の情報を知らされていなかった人が多かったのでしょうね。何だか1999年の時のノストラダムスの大予言の時の騒動を思い出しますね。

三神  この予言自体は「1999年7の月」と書かれていますが、これを7月と読むのか、現行のグレゴリオ暦以前の旧暦のユリウス暦で読むのかという違いがあり、ピンポイントの日付はなかったのです。しかし実は、一般的に全世界の人は実際にあの時に何が起きたのかはまったく知りません。実はあの時、イギリスの人口衛星が何者かによって乗っ取られたという情報が流れました。ですから下手をすると、その人工衛星が落とされていたかもしれないのです。

中丸  地球滅亡騒ぎに隠れて、その事実もまったく伝えられてきませんでしたね。

三神  この時はコンピューターがハッキングされて、衛星が乗っ取られたんです。
     それで衛星の向きが変わってしまい、そのまま地球に墜落するかもしれないという危機一髪の状況だったのです。

中丸  しかもただの人工衛星ではなく、軍事衛星でしたね。

三神  CIA周辺では大騒ぎだったんですが、でもことなきを得て、「恐怖の大王」は降りて来なかった、よかったよかった、ということになったのです。

中丸  2012年12月にしても、何も起きなかったということになっていますが、裏ではいろいろなことがあったようですね。つまり世間で大騒ぎになるような出来事が起きる時というのは、そうやって人々の注意を逸らせておいて、その裏ではもっと重大な事態が進行している、というのが闇の権力の使う常套手段なわけです。

三神  ノストラダムスの大予言の意味はまた別のところにあるのです。
     そしてあのときも、予言を実現させようとして動いていた人間たちがいたのです。


     book 「誰も語りたがらない タブーの真実 2」 三神たける・中丸薫 青志社

                          抜粋

ロシア・チェリャビンスク爆発事故は隕石ではなかった

三神  2013年2月15日に、ロシア中部のウラル地方チェリャビンスク州に隕石と見られる物体が落下し、全世界を震撼させました。それは直径17メートル10トンの物体で、空中爆発した衝撃波によって約4500棟の建物で、窓ガラスが割れたりドアが吹き飛ぶなどの被害が出て、1200人近くの人々が怪我をしました。

   隕石の落下はそれほど珍しいものではなく、宇宙から落下した1ミリ以上の物質ならすべて隕石になりますから、それこそ、毎日のように大気圏外から降り注いでいるわけです。しかし今まで隕石は、地球の7割を占める海洋や、地表の4分の1を占める砂漠など、そのほとんどが人間の居住していない地域に落下したので、それによって被害が出たという記録は残っていません。しかし今回は人間の住んでいる地域に落下したことで、目撃者も多数います。

中丸  この2月の出来事は、あらかじめ予言されていたものでした。
     2月15日に地球に接近する小惑星「2012DA14」の存在が確認されており、これを「ニビルの星」と誤解している説もあったのです。

三神  ニビルというのは、古代シュメール人の粘土板に書かれている惑星のことで、3600年周期で太陽系に接近して来る惑星のことですね。

中丸  今回の爆発騒ぎの予兆のようなものは出ていたようです。
     ロシア気象庁の調べによると、ロシアでは異常な自然現象は2011年には300件くらいだったのに、2012年は469件と、5割も増加していたそうです。

三神  ロシアでは以前にも大規模な爆発現象がありましたね。
     それが1908年6月30日のツングースカ大爆発です。これはシベリアのツングースカ川流域で起きたもので、広島に落とされた原爆の1000倍の威力と言われるもので、大規模な森林火災で、数百キロ離れたところからもキノコ雲が見えたり、オーロラが発生したという証言もあります。

中丸  この時の爆発では樹木がなぎ倒された跡が発見されただけで、隕石の衝突したクレーターは見つかっていないことから謎が多いとされています。

三神  仮にツングースカ大爆発の原因が隕石や小惑星であれば、爆発した後に岩石や鉄の破片が残るはずですが、それも発見されていないんですね。しかも落下してくる物体の方向が変わっているので、単なる隕石や彗星ではないと昔から言われています。

   そして今回のチェリャビンスクでは、空中で爆発したのでクレーターがありません。
   しかしチェリャビンスクから西に60キロほど離れたチェバルクリ湖の凍結した湖面に大きな穴が開きましたが、そこからも隕石の大きな破片は発見されていないのです。チェリャビンスク周辺では多くの水分が検出されたので、彗星ではないかという説もあります。

   しかし、真相は巨大UFOの爆発説が有力のようです。
   ですからそこにはUFOらしき構造物の金属が埋まっているのではないかと言われています。ロシア科学アカデミーもデータを揃えているし、アメリカの調査でも結論が出ているので、いずれ徹底的な証拠が出てくるでしょう。

中丸  今回のチェリャビンスクの爆発も you tube の動画に、落下する物体に対して円盤状のUFOが交差するシーンがはっきり写っていますね。UFOの存在はロシア国営テレビでも報じられており、アメリカでは「ロシアの秘密兵器が隕石を破壊した」「「UFOが隕石に体当たりした」という説が出ています。またロシアの国営ラジオ局「ロシアの声」は、ロシア自由民主党党首のジリノフスキーが「アメリカの新型兵器の実験」という見方をしていると伝えています。

   ジリノフスキーによると、「アメリカのジョン・ケリー国務長官が、月曜日に新型兵器の実験を警告するためロシアのラヴロ外相に連絡しようとしたが、ラヴロ外相は外国訪問中だった。警告というのはつまり、アメリカによる挑発行為が行なわれるということで、それがロシアにも関係するだろう」ということだったのです。ジリノフスキーは「宇宙は自らの法則を持っている。そこでは何も落ちることはない。落ちるというのは、人間がそうするのだ。人間こそが戦争の火付け人であり、挑発者なのだ」と語っています。

   私がテレパシーで確認したところ、やはり2機のUFOが飛来して来て、物体の衝突を未然に防いだということがわかっています。この時も、UFOが地球を救うためにやって来たようです。


三神  確かに映像を見ると、白い光が高速で落下する物体を追い抜いているように見えます。物体に付属する物質が反対の運動方向に進むことは考えられないので、普通ロケットの部品が落下するように斜め下に落ちるわけですから、通常では考えられない現象です。


      book 「誰も語りたがらない タブーの真実 2」 三神たける・中丸薫 青志社

                          抜粋   

闇の支配者は最後の時を迎えている

   長い間彼ら闇の勢力が言い続けてきた「嘘」について、今では多くの人々が気がついています。あなた方の世界は間違いなく大きな変化が起きており、これからますます多くの変化が起きてくるでしょう。今再び、世界中で苛酷な天候が経験されているように、多くの深刻な地震や大地の陥没、津波、ハリケーンや台風、洪水、火山の噴火、太陽の性質の変化など、多くの変化がこの惑星地球から太陽系にまで継続して発生しています。

   権力争いの内紛を引き起こすトップは次の名前であなた方に知られています。
   それが、秘密結社Illminati イルミナティです。彼らはすでに内部崩壊しており、機能しない銀行制度やグローバルな経済システムは麻痺しています。闇の支配者であるグローバルなエリート層のマスターであるレプティリアン(爬虫類人)は敗北しました。

   しかし彼らはそれでも何とかして、過去に手にしていた権力を再び握ろうとしています。
   これまで地球人類を支配してきた彼らの影響力は弱まっており、その衰退は彼らのトップレベルにおいてもそうなのです。

   そこで私たちはあなた方に、次のような立場が維持できるよう支持します。
   まず、人々の利益のためだと政府は主張するが、本来、私たちの生活の質は政府によって決定されるものではないということ。テレビやラジオの報道、映画、あらゆる娯楽を通して、政府は可能な限り恐怖心を与えるようなものをつくり、そういったものが私たちに提供されている。そしてここでも私たちの生活の質は、他者の影響によって決定されるものではないということ。私たちはさまざまな予言者や占い、チャネラー、精神科医や心理学者、社会学者やカウンセラー、聖者などその他多くの彼らの知恵を調合し、自分の人生をどう生きるかや、どのように選択しあるいはしないかを、この劇的な変化のなかで自分で決定するということです。

   私たち一人ひとりは神の子どもたちであり、それぞれのユニークな魂たちがこの地球という惑星にやってきて、人間の生活を送っています。そうしてあらゆる経験を通して学び、成長し、創造します。私たちは創造者による創造のユニークな一部分であり、そのゆえに創造者と同じ波動を持っている者です。ですから創造者の一部であるあなた自身だけが、自分をもっとも助けることができるのであって、それは他者によってではありません。多くの人々が求めている平和と安らぎに対する答えは、あなた方の内側にあるのです。

   この地球上の一人ひとりの、感情的・精神的な覚醒や自覚や進化というものは、それぞれが異なった段階にあるということを、あなた方は知っているでしょうか。たとえば、感情的に精神的に進化している地球上の多くの人々は、さまざまなニュースや予言、ネットで見聞きしたことなどによって一喜一憂しません。彼らは穏やかに自分たちの生活を過ごし、家族のために静かに意思決定を行ないます。この世界のすべての狂気を見ながらそれから距離を置き、その一瞬を、一時間を、1日を、自分自身の内的直感の導きに従い、自分の生活を送りそれを楽しみます。彼らはただ単に近い将来、非常に異なった世界が私たちを待っていることを知っています。

   未来がどうなるかを、正確に知らなくても大丈夫です。
   それはただ高い波動にある、今までとは異なった世界があるということだけなのです。知らなくても大丈夫という意味は、一人ひとりの内に幸せで静かで穏やかな信頼と満足があるからです。私たちは究極的には、限りなく永遠で、意識的な光とエネルギーの存在であり、誰もが創造と創造者の一部であることを知っています。

   一方で感情的・精神的な進化が少ない人々は、絶えず一喜一憂します。
   さまざまな毎日流されるテレビなどのニュースやネットの情報に、神経質に反応しては不安になり、感情的になります。彼らは今日という今を生きることなく、常に明日のことを心配し、自分にはどうすることもできない物事であっても心配するのです。年齢的な比喩で言えば、こうした人々は感情的・精神的にまだ若い魂なのです。しかしそれが今のところ、彼らの人生において今いる地点なので仕方のないことであり、それが彼らの意識と魂の霊的進化の段階です。

   こうした2つのタイプの感情的・霊的成熟度というバランスには、大きな違いと差があります。しかしこれからの大きな変動の時代を、彼らはどのように対処していくのでしょうか。この変化は2013年を通じて継続して行くのです。ですから私たちは、こうしたことに興味を持つ人々へ最高のアドバイスをします。

   内的な平和と穏やかさを実現したい人すべてにお伝えしたいことは、あなたがいかなる霊的覚醒の成熟度の地点にいるとしても、『もっともっと外へ行きましょう』 できる限りの時間を自然のなかで、より多くの時間を過ごしましょう。川の流れや海の潮風、森林を吹き抜ける風の音、鳥のさえずり、山へ登る道を探し、田舎道を歩き、泥道を自転車をこいで、砂漠の山道をハイキングしましょう。それは信じられないほどに美しい惑星なのです。母なる地球というそのままの自然は、あるがままの状態であなたの魂と精神、心を癒し、静かで穏やかになるように助けてくれます。

   キーワードは次のとおりです。
   自然のなかに出て行く。このことは間違いなく、あなたがすべての創造物とつながり、この美しい惑星とつながることを可能にし、あなたはこの地球という惑星のどこに住んでいても、この美しい世界に住む主権を持った市民なのです。あなたは自由と幸福、そして精神的な平和を生きる固有の権利を持っているのです。

   政府を通して流されるニュースやあらゆるメディア、娯楽などが、意図的にあなたの生活に気晴らしや騒音を流し入れ、あなた方に影響を与えようとしています。しかしあなたの心や精神、魂は、そのすべてがあなた自身によって決められるべきものです。これが主権ということの意味なのです。自分の幸せを選ぶのはあなたであって、それは他人によるものではありません。

   この地球上に存在してきた闇の権力は最期の日々を迎えています。
   しかし彼らに騙されないように注意する必要があります。近い将来彼らは、偽りの宇宙人を登場させ、彼らのこれまでの権力にしがみつくための最後の試みを行ないます。宇宙人が地球にやって来るわけではなく、彼らはこれまでずっと地球に存在していたのです。暗闇の中で秘かに動き、時々表に出ては、自分たちの唯一の目的である地球人を隷属させ、自分たちを支持させるために働いてきました。それだけが彼らの目的であり欲望であり、それ以外には何もありません。

   彼らは自分たちの終わりの日が近づいていることを知っており、権力も失い続けているのです。彼らは自分たちの時間が終わることを知っているので、だからそのために最近非常に大変そうに見えるのです。最終的に彼らは失脚します。

   1人の偉大な人間の言葉を引用します。 
   フランクリン・ルーズベルトは言いました。「我々が怖れなくてはならないものは、怖れそのものである」 またこうも言っています。「人間は運命の囚人ではない。ただ、自分の精神の囚人であるだけなのだ」

   「ホコリ」が一掃されて消えた後、この地球という惑星の変化は2013年の終わりに向かって自ら完了します。私たちは高い振動で生きる変容された人間になります。私たちは大丈夫なのです。そのことを、この母なる大地・惑星地球は知っています。

   Unci Maka   Ina Maka   母なる地球は自然の癒しの源です

   外に行き、母なる地球とできるだけ一緒に過ごしてください。
   彼女の鼓動を感じ、彼女の音に耳を傾け、その美しさを眺めてください。
   その存在のすべてを受け入れ、彼女は私たちの生活のインスピレーションの源であることを知ってください。

   あなたがもっと外に出て自然のなかに入るならば、創造主と創造物の永遠という、時間を越えた存在の高い振動に触れることができるでしょう。それはよりエネルギッシュにあなたの心を開いていき、あなたの人生に、より穏やかな心の平和がもたらされます。自然とつながり、その生命のなかで呼吸し、この美しい地球上に生きる者として、自然とつながることを忘れないでください。このことは必ず、あなたの人生に喜びをもたらすものであることを保証します。

   人類は進化し続け、2012年12月21日以降もそれは続きます。
   地球という母なる惑星は、これから未だかつてなかったほどの繁栄を見せるでしょう。これが私たちの運命であり、これを穏やかで愛情あふれる平和的な方法で私たちは実現できるのです。

          Wodakota!   すべての人々に平和を!

    Tolec and the Andromeda Council 
    アンドロメダ評議会 トーレックによるセッション 2012年11月21日
                    
    

「コモン・パーポス」の研修が目的としているもの

   「コモン・パーポス(共通の目的)」の組織はイギリスで1988年に創始され、イギリス国内でも約45ヶ所に事務所を持っている。しかし現在では「コモン・パーポス・インターナショナル」として太陽をシンボルとしたロゴが多くの国に広がっている。それらはフランスやドイツ、ガーナ、ハンガリー、インド、アイルランド、オランダ、南アフリカ、スペイン、スウェーデン、スイス、トルコなどにある。そして現在、デール・カーネギー研修事業などと協力しながら、アメリカにも入り込もうとしている。コモン・パーポスの目的は次のようなものだ。
 
   ――「コモン・パーポスは、考え方と判断能力を拡張することで社会の機能を改善し、あらゆる種類のリーダーたちに影響を与えることを目的とする。この組織は、リーダーたちが世界を変えるために必要な発想や情報、機会を提供するためにあらゆる年齢層や経歴、分野のリーダーたちにさまざまな教育プログラムを運営する。」

   この当たり障りのない説明を読むと、まず疑問が2つは浮かぶだろう。
   それは、何のための「共通目的」なのかということと、世界を変えるとは、具体的にどのように変えるのかということだ。

   コモン・パーポスは、あらゆる社会の領域でリーダーを「研修」しながら、イギリス全土に広がっている。しかし彼らがどのような「共通の目的」を持っているかについては知っておく必要がある。現在ではイギリスのすべての主要都市で研修プログラムを実施しており、1989年以降では、10万人以上の「リーダー」がコモン・パーポスのプログラムに参加している。そして宣伝用の公告では、コモン・パーポスの研修の利点を次のように記している。

  ・ 参加者は新しい能力が身につき、多様で複雑な世界でより有能になります。
  ・ 組織や団体において管理者・上級管理者が、強く、発想力豊かになり、ネットワークも広くなり、社会(コミュニティ)と親密になることで利益を得ることができます。
  ・ 社会(コミュニティ)は、それぞれの部門がより効果的に協力することを学ぶことで、部門を越えた相互理解や推進力が生じることで利益を得ます。

   そしてこの研修コースを終了した人は「コモン・パーポス卒業生」と呼ばれており、彼らは政府や法律の執行、医療など、日常生活で人々に影響を及ぼす多くの分野で社会全般にわたって働いている。この事実はいったい何を意味していて、何が起きているのだろうか?

   EUは、中央で制御されるように計画されており、下層レベルでは同じことを考えるように、プログラムされた「リーダー」たちが管理することになっている。そしてイルミナティは、何もかもすべてのことを、中央に集中させたいという願望を共通の目的として持っているので、私たちはそれによって起きていることを識別することができる。中でも人々の「思考」は集中させるべき対象である。コモン・パーポスは、その目的を「多様なリーダー」を育成することだと言っているが、彼らの目的はその反対のところにある。

   そのテクニックは、ロンドンのタビストック研究所という彼らの組織が開発してきたもので、ロックフェラー財団の助成金により1946年に設立された。ここはイルミナティの「ハイブ・マインド(蜂の巣心理)」と、「集団・組織的行動」を植えつけることを目的とした世界的な拠点の一つである。タビストック研究所は、イギリス政府やEU、北米の「公共部門(国家管理下)」の組織と密接な協力関係にある。

   コモン・パーポスが「研修」に用いるプログラミングや表現はタビストック研究所で作成されたものであり、この2つの組織は同じ鞘の豆、つまり仲間であることがわかる。そしてコモン・パーポスの目的は、彼らが「ポスト民主主義時代」と呼ぶ時代に向けて彼らにとって役に立つ「リーダー」を準備することである。そのためには多様性を排除する「コンセンサス(合意)」を作り、服従しない者には集団で圧力をかけることで、そうしたリーダーを育成するのだ。

   研修では、NLP(神経言語学的プログラミング)を用いたマインド操作テクニックが、コンセンサス(合意)を工作するために使用される言語の中にたくさん埋め込まれている。NLPとは、別の現実認識を受け入れるように肉体コンピューターをプログラムし直すために、そうした準備された言語を使うテクニックのことである。それは人々が研修コースにまだ登録さえしていない段階で、そうした操作が行なわれているのである。

   そしてこうしたプログラミングに抵抗する人は孤立し、「リーダー」としての信頼を失うことになるか、あるいは服従するまで集団を敵に回すことになる。そういったことは今の地球社会を見ればわかると思うが、どこの国でも、職場でも、飲み屋での友人との付き合いであろうとも、テレビの討論番組であってもこうしたことが発生していることが分かるだろう。

   たとえば温暖化の気候変動の話に関して言えば、テレビを見ている人々のコンセンサス(合意)は「人間の活動が原因」ということになっており、それ以外のことを言う者は、環境のことを何も分かっていない冷淡な自己中心的人間ということされてしまう。実際にはマスコミ情報はゴミ情報であってもその事実は無視されるのだ。

   つまり今の社会では、コンセンサス(合意)によって真実だとされたものが「真実」であり、それがたとえ過激なものであってもそのコンセンサスに同意しない者は異分子に違いないということになる。アメリカやイギリスだけでなくどこの国でも今やそうだが、主要な政党のリーダーたちが基本的に同じ考え方をするようになっているのは、このコンセンサス操作の成果である。各政党は微妙に異なる政策を提示するかもしれないが、基本的な部分では違いがなく、だから選挙をしても無意味なのである。(日本でも、子宮頸がんワクチンなどの予防接種に関して、各政党の見解は異様なほど共通している)。

   そしてタビストック研究所は、こうしたプログラムとマニュアルの研究に何十年も取り組んできた。タビストック研究所の創設者の一人、ジョン・ローリングス・リース博士はWFMH(世界精神衛生連盟)の共同設立者でもあるが、あらゆる職業、社会領域に浸透していく方針を次のように語っている。

   ――「行政、政治、産業はすべて、我々の影響範囲内になければならない。
   我々が他の人々の職業活動や社会活動に浸透するつもりならば、全体主義者に倣い、敵を支援するスパイやグループなどを組織し、集団マインド・コントロールをするためにその正体を隠し、秘密裡に活動しなければならない」

   ――「我々はそれが国民生活のあらゆる教育活動に浸透するように狙わなければならない。そして我々はいくつかの職業に有益な攻撃を仕掛けた。その内もっとも簡単な二つは、当然ながら教育における教師と教会の牧師である。もっとも難しい二つは、法律の弁護士と医療の医者である」

   元イギリス海軍将校で現在は研究活動をしているブライアン・ゲリッシュは、コモン・パーポスの専門家として傑出した人物である。彼によるとコモン・パーポスは「自己陶酔(ナルシスト)」的性格の人間を探し求めているという。前にも述べたがナルシズムは、「過剰な自己愛、過剰な自己賛美を言うが、自分自身に夢中になったり、他人への同情が欠如しており、基本的に自分では気づかない自尊心が欠落している特徴を備えた心理状態」と定義される。

   これは支配構造のすべての領域で、管理層に配置されてきた人間の性格のタイプである。政府機関の国民に対する態度が、近年になって劇的に変化しているのはこうした理由である。ナルシスト的性格の人間の自我は、基本的に自尊心が欠如しており、そうした著しい欠陥を抱えているために、権力を持てば他人に厳しく傲慢で、その快感に溺れる。またNLP(神経言語学的プログラミング)のようなさまざまな形態のマインド・コントロールの影響を受けやすい。

   そのためコモン・パーポス関係者は、精神測定テストを利用し、そうした性格タイプの人間を見つけ出そうとしている。こうしたテストでは入念に考えられたアンケートと試験を主に用いて、知能、能力、態度、性格的特徴を測定する。現在こうした手法、つまり適正検査なるものが求職や採用の時に広く全般で使用されているのはこのためなのである。ブライアン・ゲリッシュはナルシスト的な性格について述べている。「彼らはその自己愛と権力嗜好のゆえに、機械のように自動的に、行く手に立ちはだかる人々を踏み潰していく」

   精神測定テストは、ロスチャイルド家、ロックフェラー家などの血族に愛されていた人物で、「支配人種」思想や「優生学」運動の父とされている、フランシス・ゴルトンというイルミナティの人物にその起源がある。

   ある夫は、妻がコモン・パーポスの研修コースを3500ポンド以上の受講料を払って参加して以来、性格が変わってしまった様子をゲリッシュに話したという。妻はその研修を受けた後に、それまで30年以来の結婚生活でしたことのなかった口論をするようになり、関係は破局を迎えていた。妻は気分が変わりやすく、引き込もりがちになり、以前のようにコミュニケーションができなくなっていた。あるとき妻は、「あなたの問題は、本当に小さな人間だということ」と叫んだという。

   これはコモン・パーポスの指導に優越感を抱かせるという策略があり、それにより「自分は高いところにいるが、他人は低いところにいる」という意識をを持たせるので、人との関係がそうなっていく。これは役人と一般大衆の関係のように、今では実際に明瞭に現れている傾向だ。妻はコモン・パーポスで研修を受けた上司と性的関係を持っていたことも明らかになった。別れてからしばらくすると、彼女は夫と子どもたちのところに戻りたがっていたのは確かだったと夫は述べている。しかしそれから、彼女は「意識を失い」、まったく別人になってしまった。

   ゲリッシュの解釈では、コモン・パーポスは「カルト」だと説明すると、夫はこう話した。
   「私は自分が狂っているのか、妻が狂っているのかわからなくなり悩んだ。何か非常におかしなことが妻に起きているのは分かっていたが、それが何なのか突き止めることができなかった。だが、まさにこれはカルトだ。それならしっくり来る。」

   また、ある16歳の少女は同年代のメンバー10人と一緒に、「都市と再生」という研修コースに参加した。その父親によると、同じく性格の変化があり、以前にはなかったような親子口論が始まるようになったという。しかし娘は研修コースで何があったのか詳しく話そうとはしなかった。その後鬱病の薬を飲むようになり、学校を1年休学して精神的な治療を受けることになった。その後ようやく以前の自分自身の85%程度を回復したという。

   父親は、その研修コースのリーダーがコモン・パーポスの訓練を受けていたことを発見した。その後娘は、一緒に研修コースを受講した友達から自分が変わったと言われて悩み悲しんだという。そして実際に父親はその研修コースが、参加した全員の性格を変えていたことに気づいたと言っている。彼女は自分の心を取り戻すようになった後、「変な感覚。覚えているのにすごく変。まるで夢を見ていたようだ」と言っている。

   ゲリッシュはこの事例についてこう述べている。
   「この少女は、利発な子どもたちを新しい社会・政治の枠組みへ引き込む狙いを持った、コモン・パーポスの「リフレーム(再枠組み)」をされた結果、精神病を患うことになった。夫と離別した女性のケースと同様に、彼女も自分に何が為されたのかを思い出すことができなかった。NLP(神経言語学的プログラミング)の技術が使われると、特に参加者が研修を完全に理解できていない場合、あるいは性格的な弱さがある場合、性格変容やうつ状態、不安、恐怖、パラノイアといった精神病にかかることがある。

   そしてこのリスクは、参加者が内容について詰問されたとき、本当の価値感や道徳観と、研修で植えつけられた思想との間に精神的葛藤(認知的不協和)が生じたときに、増大する。コモン・パーポスは、就学年齢の子どもを対象とした「ユア・ターン!(君の出番だ!)」といったような研修コースを行ない、子どもたちに対して非常に積極的に活動している。しかし通常、親はこうした研修コースの本当の性質と目的をまったく知らないのだ。


    book 「ムーンマトリックス ゲームプラン篇③」 デービッド・アイク著 ヒカルランド

                          抜粋

子どもを所有して管理する政府

   世界統一政府について描いた本で一番有名なのは、ジョージ・オーウェルの『1984年』であるが、それに匹敵する正確さで未来を予言している本がもう1冊ある。それが1932年に発行されたオルダス・ハクスリーの『素晴らしい新世界』である。この2冊を合わせると見えてくるのは、私たち人類が歯止めをかけない限り実現してしまう世界であり、それが現在私たちが突進して向かいつつある世界である。

   このハクスリーの本によると、子どもを支配する基本は両親の影響下から引き離し、家族という単位をバラバラにすることにあると言っている。これは現在、明らかに分かる形で世界中で起きていることであるが、こうしたことはハクスリーがこの本を書いた1930年代という遥か以前から計画されていたことなのだ。1969年にロスチャイルド傘下のリチャード・デイ博士が、「家族の意味は希薄化するように計画されている」と言っている。その同じ年にイギリスのヒューマニスト協会は次のように宣言している。

   ――「ヒューマニズム(人間主義)に反対する者の一部は、我々が家族の破壊を望んでいるとして非難してきた。その通りである。まさにそれが我々の意図するところなのである」

   1989年の国連総会で『子どもの権利条約』が、ユニセフ(国連児童基金)の主導で採択されたが、これは国家による子どもの管理を実現させるための大きな足掛かりである。表向きはこどもの人権憲章ということになっているが実際には子どもと親を楔(くさび)で引き裂くように考案されている。

   親から子どもを引き離すための口実は増加する一方であるが、そこに共通するテーマとして、政府計画路線に従うのを拒否することを「悪い親」、あるいは「児童虐待」と同一視することがある。つまり政府が子どもにとって最善であると定めたことを実行しようとしない親がいれば、従わせるか、子どもを取り上げるのである。その実例が予防接種である。ロスチャイルド家の管理下にある英国医師会の元会長サンディ・マカラは、子どもにMMRワクチン(非常に問題ありと議論されているワクチン)を接種する必要性を親が理解できないならば、強制的に接種させるべきだと述べた。

   世界統一支配構想のメンバーであるバートランドラッセルは、1931年の著作『科学の展望』(未邦訳)で、子どもに関する計画を次のように述べている。

   ――「男子も女子もみんながしているとおりにすることで、「協力的であること」を早い段階から学ぶことになる。子どもたちは指導力や独創力を持つことは奨励されない。そして従順でない子供は罰を与えるのではなく、従順な状態へと科学的に調教されることになるだろう。(略)」

   ――「教育は自由意志の破壊を目指すべきである。
   そうすれば学校を卒業しても、残りの人生で、学校で教師から教わった行動と思考以外のことはできなくなるだろう。(略) 食事と注射、そして禁止命令が組み合わさることで、ごく早期の年齢から政府にとって望ましい性格や考え方が作り出される。したがって権力者について深い洞察とともに批判することは、心理的に不可能になるだろう。実際には誰もが惨めな状態にあっても、自分のことを幸福だと思うようになる。それは政府が幸福だと言うからである」

   こうした子どもに関する計画は世界規模で進められており、イギリスで起きていることは他の国でも起きている。2009年に米国で提出されたオバマの「ヘルスケア」法案とは、国家による子どもの管理である。その第440節と第1904節には、「幼児のいる家庭と出産予定のある家庭を訪問する制度」に関するものだ。

   イギリスでは、秘密の「家庭裁判所」を介して、国が両親から子どもたちを連れ去っている。こうした裁判所には陪審員がおらず、政府は子どもが虐待されたことを合理的に証明する必要はない。刑事裁判では無罪になっていても、子どもは返されず国に盗まれたままの母親たちがいる。マインドコントロールされている社会福祉指導員や民生委員は、この不正な仕組みを利用して子どもたちを押収し、彼らが選んだ里親に引き渡す。そして実の親には、それに対して意義を申し立てるなら、二度と子どもたちに会わせないとして警告するのだ。

   ある母親は、帝王切開で体がボロボロになったと冗談を言っただけなのに、社会福祉指導員に生後間もない赤ん坊を取り上げられた。そのことに彼女が怒ると、今度は双子の子どもにとって脅威になりうる「憤怒の問題」を抱えていると通報された。政府当局は、地位の高い人々の本物の虐待を利用して地域社会を調査する口実にしており、親から子どもを盗むことに利用するため「虚偽の虐待」を作り上げている。

   2007年にイギリスで明らかになったことだが、地方自治体は養子縁組の「目標」を達成するために親から子どもを取り上げており、イギリスだけで毎年平均約2万5000人の子どもたちが国の「保護」下に入れられている。そして政府はノルマを達成した地方当局には、金銭的なボーナスを払っている。しかし考えてみてほしいのだが、養子縁組に「目標」があるとはどういうことなのか? しかも親から子どもを盗み取ることに、どうして報償金が出るのだろうか?

   いつものことながら、こうしたまったく筋の通らないことや、まったく当たり前の正義に反することがまかり通っているということは、そこには「計画実行中」という彼ら闇のアジェンダがある証拠である。イギリスの自由民主党のジョン・ヘミング議員によると、地方自治体は、医者による子どもの診断に疑問を抱いたり、その他の決定に異議を唱えるそうした「自己主張の強い人々」に報復する手段として、家庭裁判所を利用しているという。

   ある家族は、血液の病気の疑いのあった娘に、より深刻な影響を及ぼしかねない医療検査をする必要があったのかと疑問を呈したところ、6人の子ども全員が保護と称して連れていかれてしまった。そして子どもたちを盗んだ命令は取り消されることはなかった。

   保守党のティム・イオは、「母親から赤ん坊を取り上げる機会を積極的に窺っていた」としてサフォーク州議会を訴えた。彼によると、「そこの社会福祉スタッフのやり方は、私の目には幼児誘拐に等しい方法だった」と言っており、何ら証拠がないのに、生後11週の女児を手放して養子に出すように夫婦に強制した社会福祉士の行為を曝露した。そのスタッフたちは、父親が外出して家を空けるのを待って警察とともに急襲し、母親の腕から赤ん坊を強奪したのだという。両親には何ら養育に関して過失が見つからなかったにもかかわらず、地方当局はその処置を撤回しようとはぜす、両親は月に1度だけ監視された状態で娘に面談することが許されている。母親は再び妊娠しているが、再び誘拐されることを怖れて国外移住を検討している。

   20世紀初頭に、「闇の勢力の血流」が資金を出して作った「優生学」の熱狂の時代には、どの子どもが断種され、家族から引き離されるべきかを判定するために社会福祉士が任命されたが、今再び、その歴史が繰り返されているのを私たちは目にしているのだ。こうして社会福祉事業は国家マフィアと化し、そうした政府の方針を支える適正のある人物がソーシャル・ワーカーとして採用される一方で、真に適正があり親切なソーシャル・ワーカーは除外されている。

   国家によるこうした不正と強要の規模と深さは衝撃的である。
   2009年の秋までにイギリスでは「不況の影響」で記録的な数の子どもが保護されている。イングランドとウェールズだけで児童養護施設・養育家庭で保護されている子どもの数は約5万人に達している。そして国による子どもの誘拐はイギリスだけに限られてはおらず、世界中で起きているのである。それはまさに冒頭で述べたように、ハクスリーが「小説」で描いている世界であり、世界国家が子どもを育て、管理し、所有する計画になっているからである。

   「ロサンゼルス・デイリー・ニュース」の調査によると、ロサンゼルス郡はソーシャル・サービス(何とイニシャルはSSだ!)が押収した子ども1人につき、連邦および州政府から毎年約3万ドルを受け取っている。そして特別支援の必要な子どもであった場合には、金額が15万ドルになることもある。そうしたお金は養父母への支払いや、子どもを盗む仕事に携わるソーシャル・ワーカーの賃金や手当てに充てられる。そしてシステムの中に子どもを多く取り込めば取り込むほど、システムは多くのお金を生み出すのだ。

   ロサンゼルス郡で養子に出される子どもの85%が貧困家庭や少数民族の子どもであり、カリフォルニア州全体の70%を占めている。1980年代以降、養父母に引き渡される子どもの数はカリフォルニアで5倍に増えており、米国全体では2倍になっている。ではそれだけ児童虐待が増えて、カリフォルニアで5倍に米国全体で2倍になったことを意味するのだろうか? もちろん違う。それはこれまで見てきたように、彼ら闇の連中のアジェンダが進められているだけなのだ。

   本当に虐待する親から子どもを保護するのは正しいことで必要なことだが、現在起きていることの多くはそれとはまったく違うのである。彼らは子どものことを気にかけたりはしないのだ。米国政府の統計によると、「福祉制度」の下に置かれている子供たちは、一般の子供たちと比べ、虐待される率が6~7倍高く、殺される率が3倍高いことが示されている。ロサンゼルス郡の児童養護施設においては、1991年以降で660人以上の子どもが死亡しており、160人以上が殺されている。これが世界中ということになると、どれくらいの数になるか想像して欲しい。

   「マイアミ・ヘラルド」によると、フロリダ州の児童養護施設では、10代の若者の31%が向精神薬を処方されているという。神経心理学者で弁護士のトニ・アッペルは「こうした薬物は治療のためではなく、化学物質で束縛するためのもの」と述べている。もちろんその通りであり、それが普通のことになっている。こうした政府管理下において養育される子どもたちは、医薬品や殺虫剤の試験に使われることもある。ニューヨークのカトリック教会が経営するホームで、生後わずか3ヶ月の子どもに、実験段階のAIDS薬が秘かに使用されたことがある。その事実が曝露されると、「モルモット・キッヅ」として有名になったが、これなどはほんの氷山の一角に過ぎない。

   世界に向けて実情を警告した小児科の看護士ジャクリーン・ハーガーは、2人の子どもを里子として育てて薬物から引き離した。そして子どもたちは健康で幸せな生活を送れるようになった。ところがそうなると政府当局は子どもたちを連れ去ってしまい、ハーガーを今度は児童虐待者として裁判所に訴え、彼女が子どもたちに再び会えないようにしてしまったのだ。そして州に保護されている多くの子どもたちは、児童養護制度の中で活動している「小児性愛組織」のネットワークに組み込まれることになる。

   ロサンゼルス郡で14年間ソーシャル・ワーカーをしているアンソニー・カブオチによると、子どもを没収する理由となる親の行動には、子どもを怒鳴る、学校を欠席・遅刻するのを容認する、家を汚くしている、というのもあったという。カリフォルニア州リトル・フーバー委員会による1992年の調査には、同州で保護された子どもの35%から70%は親から引き離すべきではなかったという専門家の言葉が引用してある。そして子どもたちは深い精神的外傷を負ったと述べている。

   現在約17万5000人の子どもたちが、カリフォルニア州の「保護制度」の管理下にある。
   世界全体でみれば、今どれほどの数字になっているだろうか。こうしたことのすべては、冒頭に上げた「素晴らしい新世界」へと向けた歩みであり、世界統一支配をもくろむものたちにとっては全体のパズルの一つのピースである。そしてこうした不正義が行なわれているということは、いずれはすべての人々に、それと同じ不正義が及んでくるということを私たちは理解しなければならない。

   私たちはそれが誰に対するものであろうと、あらゆる不正義に立ち向かうべきである。
   そうすることが単純に正しいからである。たとえ利己的な動機でしかない人々にとっても、いずれは自分の利益にも関係してくることは明らかだろう。国による子どもの誘拐に対しては抗議するのが当然である。結束して正義を要求しないならば、次は自分自身の子どもがターゲットであり、そして孫の番になるだろう。

   彼らレプティリアンの計画では、国が培養する子どもに誕生時点でマイクロチップを入れ、思考や感情、肉体を、生涯にわたって外部からコントロールすることになっている。

   私は同じ考えの人々で集まり、相互支援と交流のネットワークを築くことを勧めたい。
   そうして独裁国家にしっかりと立ち向かうために、欠かせない人数と結束の強さを確保する必要がある。そうでなければ、そうしなかったことを子どもたちの世代を含め、残りの人生で後悔することになるだろう。インターネットを探せば、世界のさまざまな分野で支えてくれるウェブサイトを発見できるだろう。


    book 「ムーンマトリックス ゲームプラン篇③」 デービッド・アイク著 ヒカルランド

                          抜粋
 

   

「アシュトンマニュアル」の欺瞞

   現在、世界100ヶ所以上で普及している「ナルコノン・システム」というものがあります。
   これはCCHR(市民の人権擁護の会)と呼ばれている反精神医学団体にかかわる、違法ドラッグ(ヘロイン・コカイン・大麻・覚醒剤など)の薬物から離脱することをサポートする組織です。また一部の国では向精神薬の離脱にも用いられています。このシステムによって離脱した人々の率は実に80%近いというもので、それは驚異的な数字です。私はこれまでにもこうした優秀な数字を見たことはなく、これは精神医学においては到底考えられない数字なのです。

   ほぼすべての精神医学の施設で行なわれる処方は、違法ドラッグを向精神薬に置き換えるだけであり、しかも向精神薬依存についてはまったく有効な方法を持ってはいません。精神医学における離脱率は、研究を見るかぎりでは10%~20%がせいぜいといったところなのです。

   「ナルコノン・システム」をそのまま日本に持ち込むのは、今のところ難しいかもしれません。まず滞在型施設が基本になっており、そのために費用も非常に高額であり、一般の人々にはなかなか手が届かない料金です。しかしそれでも予約でいっぱいのようです。問題はこのナルコノンという組織が、一つのカルトであるかのように扱われていることです。ネットで検索しても、非科学的な治療であるとか、カルト丸出しといったような否定的論調ばかりしか掲載されていないはずです。

   しかし私たちが焦点を合わせるべきところは、このような優秀な数字を上げている組織を、なぜカルトとして扱おうとする人々がいるのかという真の意味を知ることにあります。その理由はこの組織のように、薬物依存症から人々を離脱するよう助け、これまでの精神医療、医薬品産業から飼い殺しにされてきた膨大な被害者である患者を治してしまうような組織は、現在の精神医学と医薬品業界が意図していることに真っ向から対立するものであるからです。つまりこうしたナルコノンのような組織の存在は、精神医学と医薬品産業にとって邪魔でしかないのです。元をただせば、精神医学というものが人を治すために存在しているものではないことを示しています。

   そして一方で今、日本で流行っているものに、ベンゾ系(ベンゾジアゼピン系)の向精神薬の離脱マニュアルとして「アシュトン・マニュアル」というものがあります。すでに2013年2月で7万人以上がダウンロードしているようです。アシュトンはイギリスの向精神薬理学の元教授で、ベンゾジアゼピン依存の問題に取り組んだ人です。日本ではこのマニュアルはほとんど知られていなかったのですが、ある人の邦訳をきっかけに知る人が急速に増えています。しかし日本のほとんどの精神科医も身体医学の医師たちも、アシュトンマニュアルが何であるかさえほとんど知りません。

   アシュトン教授はベンゾジアゼピン系について「ヘロインやコカインよりもタチが悪い」と表現したそうですが、それはベンゾ系に限ったことではなく、すべての向精神薬がヘロインやコカインよりもタチが悪いと言えます。しかし不思議なのは、それをわかっていながらなぜベンゾ系の薬品をすべて廃止にし、向精神薬の全廃に向けて、アシュトン教授は訴えないのかという疑問です。おそらく立場上、それができない何らかの理由があると考えるのが妥当でしょう。

   次に、アシュトンマニュアルの方法としてもっとも有名な「置換法」があります。
   ここに詳しくは述べませんが簡単に言うと、あるベンゾ系の薬をジアゼパムと入れ替えるというやり方です。しかし単純に考えても、それによってまた別の薬に依存をもたらすだけであり、その方法で悪くなった人を私はたくさん見ています。また海外のネットでそうした事情を見ていると、「置換」することに反対している当事者の意見も多いのです。

   さらにこのマニュアルでは、「栄養学については効果がない」と言っていますが、これは彼女が何も知らないことの証拠と言えます。先に上げたナルコノンにしてもオーソモレキュラーに代表されるような代替的精神療法にしても、栄養学は必要なものでありそれによってしっかりと結果を残しています。こうしたことを考慮してもこのアシュトンマニュアルは、向精神薬を断薬するためのマニュアルとしてはとうてい評価するに値しません。

   さらに言えばアシュトンマニュアルでは、ベンゾ系の薬の離脱方法の一つとして、抗うつ薬やムードスタビライザーの追加や維持を許容するとしています。しかし断薬することが目的でありながらそれを許容するというのは、どんな言い訳や理屈があったとしても、その方法は薬から離脱するためのものにはなり得ないのは明らかです。

   つまりアシュトンマニュアルというのは、例えていえば、原発を全廃せずに人類に役立てて、うまい使い方を考えようと言っているに等しく、同じように、すべての向精神薬も全廃にせずうまい使い方を考えようと言っている本なのです。

   「ベンゾ系の薬はだめだけど、抗うつ薬はうまく使おう。
   ベンゾ系薬を他のベンゾ系薬に変えてゆっくり減らそう。栄養学などは効果がないから、向精神薬理学者である私が出したこのマニュアルを参考にしなさい」 私にはそう言っているようにしか感じられません。

   精神医学性善説というものを捨てるところから始めなければならないのに、残念ながらまだ多くの日本人は、精神医学性善説をなんとかして信じようと躍起になっているように見えます。まさに精神医学という洗脳がここに極まったと言わざるを得ません。つまり、これまでイヤと言うほど精神医学に騙され欺かれてきたのに、またアッサリとその精神医学の「亜流」に欺かれようとしているわけです。

   薬物というものについて、よく考えてみてほしいのですが、ベンゾ系の薬が覚醒剤まがいの薬であることは周知のことですが、しかし覚醒剤中毒を治療するときに、別の覚醒剤に置き換えて、しかも量を少なくしながら投与し続けて抜いていくでしょうか? これは精神科医が麻薬や覚醒剤を抜くときに、結局、向精神薬に置き換えていくのと変わらないのです。別の例でいえば、コカイン中毒の人に大麻を与えて離脱症状を紛らわせようとしたり、ヘロインをモルヒネに変更して量を減らし、中毒から卒業させようとしているようなものです。

   薬物から離脱するとは、向精神薬をやめることです。
   その危険性に気づいた瞬間から、どんな薬物も体に入れないことなのです。

   理想としては一気にやめることですが、それを援助する条件を満たせる人も施設も、今のところ日本には存在しません。ですからある程度時間をかけて減薬していくという方法は私も許容します。しかし他の薬を置き換えたり、他のベンゾ系に切り替えたりすることがまともな断薬方法であるとは思えません。しかし真の医学としては、時間をかけてダラダラ抜くようなやり方からは必ず卒業しなければならないと考えます。


          book 「心の病に薬はいらない!」 内海 聡著 かんき出版

                          抜粋   

「保護」した子どもに精神薬を飲ませて廃人にする ③

   児童相談所が一時保護と称して子どもを連れ去っているという実態のなかには、非常に奇妙な共通項が見出せる。それは児童相談所が親を選んでいるということである。先に上げた5年も子どもを拉致されて、こうした状況に精通するようになった松島さんによると、児童相談所はその子どもの家庭環境が「母子、父子家庭」や「生活保護受給者」などの、一般的にリスクを抱えた家庭として分類されるところを狙い撃ちしているというのだ。

   児童虐待はどのような家庭にも起こりうるものであるが、一般的にテレビなどで取り上げられるものによって、児童虐待=社会的弱者(貧困、リスク家庭)といったイメージが意図的に醸成されている可能性がある。社会的弱者であれば経済的な問題などから、児童相談所に「反抗」するだけの力がないと考えられるからだ。つまり経済力などの問題から、弁護士に相談したり、裁判に訴えたりしたくてもできないということがある。

   したがって児童相談所にしてみれば、親が泣き寝入りしてくれれば裁判などの面倒がなくて一番いいわけであり、そのために児童相談所は子どもを一時保護する際に、「後で騒動を起こしそうな家庭」(=社会的立場や経済力がある家庭)をあえて避けている傾向がある。児童相談所職員のすることに反抗せず、言いなりになるような親ばかりであれば、たとえ虐待ではなくて子供を一時保護したとしても、そのことで騒がれる心配がないからだ。

   そしてこうしたことが、松島さんのように国家賠償裁判を起こし、児童相談所の不当な行為を訴える人がほとんど現れない理由になっていると考えられる。松島さんは児童相談所から子どもを取り返すために、25年間勤続した海上保安庁という国家公務員の仕事を辞め、それ以来人生のすべてをこの問題の解決のために捧げている。しかし被告である国と静岡県、静岡市側から審議の長期化を強いられており、家族4人の生活は楽ではない。

   児童相談所職員は単なる公務員であり、「児童福祉の専門家」ではないばかりか、法律の知識のない素人の集団である。当然、児童相談所の職員は地方自治体の人事異動によって決められるが、実はこういった福祉部門への希望者は非常に少ないという実情がある。しかも特殊な公務に加え、エンドレスな仕事のために、同じ給料をもらうのなら他の部署で楽をしたいという本音がある。しかし欠員を作るわけにもいかないので、辞令によってある程度強引に配属させられることになる。

   そして結果的に、「他の部署では使えない人」や「病気などの特殊な理由を持っている人」がそうなる可能性が高く、いわゆる「姥捨て山」という側面を持つのが児童相談所ともいえる。そうした職員が児童相談所に配属されたとたんに、警察が持つ権限よりもはるかに強大な権力を振るうようになる。しかもそれによって起きた問題に対しても、一切責任を負う必要はない。こうして国や地方自治体は、児童相談所の持つ本来の使命からかけ離れた、本末転倒のやりたい放題をさらに加速させているのだ。

   そしてその背後には、そういった状態を加速させる見落としてはならない事実がある。
   それは児童相談所に一時保護されることで子どもを「預ける」と、1人の子どもにつき1ヶ月約40万円のお金が下りるシステムになっていることだ。そのために有無を言わさず、一時保護という名目で子どもを引きとる行為が増長されているのである。そして子どもを親に返さずに、何年もの長期にわたり「保護」し続ける理由もまさにここにあるのだ。児童相談所におけるこうした予算システムは、明らかに異常である。

   もう5年も子どもを拉致されている松島さんは、自分の被害をインターネット上で公開したところ、全国から今までで約300件の反響が寄せられているという。そして「ウチも子どもを取られました。どうしたらいいんでしょうか」というような多くの相談が、メールだけでなく電話やさまざまなメディアを使って届くという。  

   次に挙げるケースは、児童相談所による「拉致」の別バージョンである。
   当時10歳の被害児B君の母親は、B君を連れて再婚した。B君は母子家庭で母親が育てた子であったが、生活環境が安定しなかったこともあり多動で落ち着きがなく、両親や先生の言うこともまったく聞かない「育てにくい子ども」であった。母親の再婚後、B君の行動はさらにエスカレートし、しばしば学校や家庭でも暴れるようになった。小学校高学年の男子であるB君の力はかなりのもので、両親はB君から日常的に、打撲や擦り傷を負うほどになっていた。

   両親はこのようなB君の養育に困り果て、児童相談所の育児相談に通うことにした。
   B君の両親は児童相談所を信頼していたので真面目に通った。しかし児童相談所の職員は親身になって話は聞いてくれるものの、具体的な指導や提案は一切なかった。そして1年以上が過ぎてもB君の状態は何も改善されなかった。両親は、「なんとか解決策を見つけてほしい」と児童相談所職員に詰め寄ることもあった。

   そして児相側が提案したのが、「お母さんも育児に疲れているから、少しの間B君を里子に出して離れてみてはどうか?」という一時しのぎ案だった。両親はその提案に賛成したわけではなかったが、確かに疲れきっていたので、B君を里子に出すことで子どもと距離を置くことにした。しかしその後児童相談所側は何のケアもせずに、そのまま放置したのであった。

   B君と離れて暮らし始めた両親はすぐに、「子どもと離れていたのでは心も離れてしまう。これは根本的な解決にはならない」ことに気づき、児童相談所に対し、「子どもを家庭に帰してほしい」と要求するようになった。しかし児童相談所はなぜか、B君を家庭に返さないだけでなく、突然、「B君がおかしくなったのは、B君の両親が虐待をしていたせいだ」と言い出したのである。もちろん両親は虐待などしてはいなかったが、児童相談所は自ら言い出した虐待の調査も一切することなく、両親が虐待していると決めつけた。

   そして次に児童相談所は、B君の母方の祖父母に両親には内緒で連絡を取り、「孫であるB君が両親からひどい虐待を受けている」と伝えたのであった。その話を信じたB君の祖父母は児童相談所からの助言に従って、B君の両親から親権剥奪をするために家庭裁判所へ民事審判の申し立てを行なった。そして家庭裁判所もまた、何の証拠もない児童相談所と祖父母の証言だけを鵜呑みにし、両親がB君を虐待していたと認定して親から親権を剥奪し、B君の親権者を祖父母とする決定を下したのである。

   ここでもまた児童相談所は、「里子制度」というシステムを使って無理やり「拉致」をしている。児童相談所にとってこの結末は里子制度の延長なのであり、なぜ里子システムから元に戻してB君を両親に返さないかというと、児童養護施設への入所を含めた利権を保持したいからなのだ。

   当時8歳のF君は知的障害境界域と言われていた。
   一時期、不登校などの時期もあったが、母親自身も子どもが不登校になる前から精神科に通院しており、精神薬の多剤処方を受けていた。そして当然のように母親は、薬の投与以来状態がおかしくなっていったが、そのころは複数の薬剤を投与されてもまだ精神科医を信じていたので、医師に言われるがままに薬を飲み続けていた。

   しかしその影響が出始めて精神状態が悪化したために、母親は子どもの世話をほとんどすることができなくなった。子どもは一時的に児童養護施設に引き取られる時期もあったが、子どもを育てたいという母親の意志と努力によって再び家に戻れる時期もあった。状況が激変したのは、F君が思春期にさしかかった頃、精神科でてんかん発作はないにもかかわらず、脳波検査でてんかん波があるという理由から抗てんかん薬の処方がされた後からだった。

   そしてF君が自殺未遂をしてしまったのだ。
   それまで自殺企図などなかったことを考えると、抗てんかん薬により誘発された可能性が強いと推測できる。その際に児童相談所職員から、「F君の精神的ケアを行なうため」と説明され、一時保護が決まった。それはF君の怪我の治療のために病院に委託する形であったが、ケガが回復すると同時に児童相談所の一時保護に切り替えられた。そしてこの頃から児相の対応がおかしくなっていった。

   まず、不可解な一時保護の延長が行なわれた。
   通常、一時保護の期間は原則2ヶ月であり、理由なしに一時保護延長はできないことになっており、それ以上保護が必要な場合は施設への入所措置に切り替えられる。しかし児童相談所は2ヶ月が過ぎると、延長理由を示すことなくまず1ヶ月の延長を行なった。しかしなぜか施設への入所措置に切り替えるのは拒否し続けた。

   そして「入所措置」に対してすでに同意しているはずの両親に対し、何度も何度も「施設への入所措置への再同意」を迫り続けた。それは両親が示したF君の入所への同意理由が、「子どもの精神的回復を図るため」というものであったために、児童相談所がそれを認めなかったからである。つまり、児童相談所が欲しかったのは、虐待されている子供を保護することによって付けられる予算の確保であり、そのためには両親による「自分が虐待したので入所措置を認める」という同意理由が欲しかったのである。児童相談所は自分たちの実績のために「虐待対応件数」を増やす必要があったのだ。

   しかしF君の両親は虐待などしていないので、虐待を認めるとは言わない。
   そこでついに児童相談所は、「両親の虐待のために入所措置が必要」として、する必要のない「入所措置の許可を取る審判」のために家裁に申し立てを行なった。さらに児童相談所は、自分たちの思い通りにしない両親に対し腹いせ的に、保護されていたF君との面会も禁止してしまった。

   結局、家裁は児童相談所の申し立てをすべて却下したのであった。
   しかしそれにもにもかかわらず、児童相談所は「F君の精神的回復のためには両親との面会制限が必要」として、児童相談所は独断によって強引に、
保護していたF君と両親との面会禁止を継続することを決めた。そしてそれ以後、両親はもう2年以上にわたってF君と会っていない。児童相談所はそれについて法的根拠や保護の理由についても一切明かすことはない。

   本来、児童相談所は家庭を訪問し、状況を確認しながら隔離の必要やその後の展望を決めるものであるが、それ以前からただの1度も家庭訪問が行なわれたことはない。しかも一度も訪問していないにもかかわらず、児童相談所と児相つきの精神科医は、F君の父親をどうしようもない虐待者であるとして断定した。両親には誰一人味方はおらず、あらゆる弁護士に相談したが、児童相談所とは戦えないといって請け負ってくれる弁護士はいなかった。地方議員にも相談したが、虐待親だと判断されたようで取り合ってくれなかった。

   そしてこうした保護されている思春期の子どもたちには、リスパダールやパキシル、ベンザリンといった強力な精神薬の処方が行なわれているということだ。これらの薬の投与でおそらく子どもたちは管理しやすいロボットに仕立てられているだろう。「だろう」という推測なのは、子どもがその後どうなっているかという、そうした情報のほとんどが隠されているからなのだ。
 

   こうしたケースではっきりわかることは、児童相談所の「一時保護」の目的が、子どもをよくするためであるとか、落ち着かせるため、家庭の結びつきを図るためなど、そういった目的で行なわれるものではまったくないということだ。「一時保護」とは児童相談所にとって自分たちの実績と予算を確保するための手段であり、それが達成されるためには子どもが薬物で廃人になろうが自殺しようが、家庭がどれだけ崩壊しようが知ったことではないのだ。まさにここにも、今現在、精神医学がもたらしているものと同じ深い闇の構図が存在している。


             book 「児童相談所の怖い話」 内海 聡著 三五館

                          抜粋

市民は児童相談所に不服を申し立てる「権利がない」 ②

   実際には児童虐待問題は激増しているわけでも、深刻化しているわけでもない。
   最近では児童虐待事件が起きるたびに、テレビではいかにも児童虐待が激増しているかのような大げさなニュース報道が行なわれ、その後はお決まりの文句として必ず、「児童相談所の権限が弱いために児童虐待を防げない。児童相談所の権限をもっと強化しなければならない」というコメントがつけ加えられる。しかしこれはまったく実態を知らないコメントであることを、私たちは知らなければならない。

   信じられないかもしれないが、実は日本には、児童相談所ほどの強権を持つ公的な機関は他にはないのである。児童相談所は警察よりも、検察よりも、裁判所よりも強大な権限を持っており、その権限で有無を言わさず「保護」と称して、家庭から子供を連れ去ることができるのである。つまり人権に関わるこれほどの大きな権限を、児童相談所長の判断だけで自由に好きなように采配できるのだ。

   見てきたように、虐待が疑わしい場合は早く児童相談所へ送るか、一時保護などの措置を取るようにという法律があった。しかし問題はもしそれが嘘であったり、誤解であったりした場合にはどうすればいいのだろうか? これまで3つのケースをお伝えしてきたが、そのケースがまさにそれに該当する。

   しかし実は、私たち市民には児童相談所に不服を申し立てる権利は、ないのである。

   (不服申立ての制限)
   第十条 臨検等に係る処分については、行政不服審査法(昭和37年法律第160号)による不服申立てをすることができない。

   
これによると、臨検等に関して裁判所が「許可状」を出しているために、基本的に不服が申し立てられないことになっている。そのゆえに児童相談所は保護と称して、子供を5年も親から取り上げておくことができるのであり、親からの「不服申し立て」に対しても応じる義務はないのである。

   この法律では不服を申し立てる権利そのものが存在しないわけで、それは警察や検察のシステムと比較してみることで、その異常性がよくわかる。つまり不服を申し立てることは法律違反になる。そして不服の申し立てができないということは、差し止めの訴えを起こすこともできないということなのだ。

   (行政事件訴訟の制限)
   第十条の六 臨検等に係る処分については、行政事件訴訟法(昭和37年法律第139号)第37条の4の規定による差止めの訴えを提起することができない。

   
つまり子供を児童相談所に保護された親は、こうした法律によって手足を縛られ、児童相談所に対して何の抵抗もできないようになっているのだ。お上の言うことには一切逆らうことが許されないということが、法律によって定められているのである。また第十二条では、保護した子供を児童養護施設に入れることが合法化されており、なおかつ児童相談所の権限で、親と子の面会や電話、手紙などの制限が明文化してある。

   しかも児童相談所がどう判断するかによっては、刑務所でさえが許されている面会や通信も完全に遮断することが可能であり、その安否すら知ることができない。そして当時6歳のA君に関してももう5年もその安否さえ、親に伝える責任が児童相談所にはないのである。

   時おり外部に漏れてくる事件があり、児童相談所が保護した児童を委託している収容所施設内で、日常的な職員による暴力がある。たとえば1995年に発覚した、千葉県船橋市の児童養護施設「恩寵園」での虐待事件は国会でも問題になった。また2006年に、横浜市の児童相談所の一時保護所では、当時3歳の男児が死亡する事故が起きている。さらに施設内にいる子供が「家に帰りたい」と言って泣いたり、情緒不安定になる児童に対し、児童相談所提携の精神科医が精神薬を処方し、ご飯に混ぜて服用させているという信じられない実態が明らかになっている。

   多くの人々は精神科医というのは、人の話をていねいに聞いて癒してくれる優しい存在だと思っているだろう。しかし実際には精神科医にとって人の心などどうでもいいのである。彼らにとって大切なことは新たに作り出される病名をあてがい、化学薬品を売ることなのだ。そして児童精神科医もまた同じである。科学的には何の根拠もない病名を子どもに貼り付け、児童相談所や児童精神科医の都合に合わせて操作する。それがPTSDであり、ADHDであり、発達障害、双極性障害、パニック障害、そしてうつ病などである。

   児童精神科医は、「この子は病気なので、親のもとから離して保護することが必要です」と言って、児童相談所に医師判断という「科学的根拠」を与えるのだ。そのようにして結局、すべての児童精神科医は子どもたちに精神薬を投与している。覚醒剤や麻薬と変わらない精神薬を子どもに投与し、子どもが自分自身で思考することができないようにコントロールする。あらゆる精神的な症状を麻痺させ、行動を沈静化させることでロボットのようになり、それを「良くなった」というのである。

   なかでも最大の問題は、児童相談所が責任を問われないシステムになっているという点である。警察や検察であっても、逮捕や立件した事件が冤罪の場合、ある程度責任の追及は免れないはずだ。しかし児童相談所においてはそのような「心配」は一切なく、一時的に保護された子どもに関してだけでなく、冤罪をかけられて子どもを連れ去られた親に対しても、最低限の責任と追求さえも親には認められていないのである。

   なぜこんなことになっているのか?
   それは前に述べた通り、児童相談所が国の機関である厚生労働省傘下の、地方自治体設置組織であることを考えれば理解しやすい。全国の児童相談所は表向きは、各地方自治体に属しているような独立採算制を思わせる形になっている。ところが実はここに落とし穴が存在しているのである。

   地方自治体に属してはいるが児童相談所の公務について、その指針を打ち出しているのは実は厚労省である。たとえば保護児童にかかる必要経費を厚労省が一部負担していたりするが、しかし基本的に厚労省は、児童相談所へはあらゆる介入は行なわないとしている。つまり児童相談所の公務に対する責任の所在が曖昧なのだ。こうして地方自治体の中にあっても、実際には治外法権的に存在しているのが児童相談所であり、特殊な業務ということもあって、その動向に関してはほぼお任せ状態の「離れ小島」なのである。

   それは具体的にどういうことかといえば、児童相談所の所長が決めることに、地方自治体では文句を言える者がいないということである。だからいざ責任問題が発生しても、その責任はいろいろなポストに転嫁されて、結局、厚労省も地方自治体も責任を取ることはない。しかもこうした曖昧なシステムの維持に裁判所までが加担しているために、問題が起きてきてもそれが正しくジャッジされることがない。このようにして児童相談所によって引き起こされる被害は、そのまま国民が被っているのだ。まさに児童相談所は国という権威を盾に、虐待の定義の曖昧さを利用し、法律を隠れみのにして、自ら行なっている犯罪を完璧に隠蔽できるシステムのもとに、成立している組織なのである。

   ではなぜ児童相談所は、こうした保護という「拉致」を繰り返すのだろうか。
   そこには行政上の予算の問題が横たわっている。児童相談所は地方自治体に属する組織なので、予算は地方自治体に請求する。それについて私たちが知っているところでは、国の組織にまつわる団体は結果や仕事量に応じて予算が請求されるということで、こうしたやり方が今のところ公務の通例になっている。

   つまり予算請求として求められた金額が年内に消化仕切れなかった場合、翌年の支給額が削られるわけで、そのために必要のない工事が駆け込みで行なわれたりしていることは周知の事実である。そして同じく児童相談所も、地方財政から予算配分を受けて運営されている。そうするとどうなるか? 

   児童相談所は保護した子どもの人数や、仕事量に応じて予算請求を行なうが、保護した子どもの数が前年を下回れば、当然予算を削られてしまうのである。そこで駆け込みで虐待と認定する子どもを増やし、保護する子どもを増やす必要が生まれるのである。これが冤罪の温床となるわけであり、私たちはここから考えていかねばならないのだ。


             book 「児童相談所の怖い話」 内海 聡著 三五館

                          抜粋      
   

もう5年も児童相談所に「保護」されている子供 ①

   私は最初その話を聞いたとき、にわかには信じることができなかった。
   想像してみていただきたい。あなたの子どもが明日、急にいなくなり、二度と会えなくなるとしたら、あなたはどうするだろうか? 面会だけでなく子どもとの一切の関わりが拒絶されるような状況になったとしたら、あなたはそれを可能にしているこの国のシステムを許すことができるだろうか? そのために私が身に覚えのない虐待の罪を着せられ、子どもが家に帰りたいという希望も捨て置かれ、この国の誰に助けを求めても相手にされないとしたら、どうすればいいのだろうか。

   児童相談所というところは、いつからこういう状態にあるのだろうか?
   これからお伝えすることは、児童相談所が今、実際に行なっていることである。これらは膨大な事例の中のほんの一例であり、特殊なケースでも、偶発的に起こった出来事でもない。これが児童相談所、児相が行っている「通常業務」なのである。

   被害児A君(当時6歳)の通う小学校の校長は、あるときA君の父親から大勢の教職員の前で教育論について論破され、何も言えなくなるという屈辱を味わわされた。そして校長はその腹いせに、A君の体についていた6ヶ所のアザを、「両親による児童虐待の証拠」として児童相談所に虐待通報を行なったのである。しかも、虐待現場など見ているはずもない担任に、「虐待現場を目撃した」としてウソの証言をさせた。

   この通報を受けた児童相談所は、両親に一切の事実確認をしないままA君を「一時保護」してしまった。A君の体にはアザが6ヶ所あったが、確かにお尻の1ヶ所は両親の行なった体罰のアザであった。しかし両親は体罰を行なう際は理性的で、体に支障をきたすようなケガをさせないよう注意をしていた。そしてその他の5ヶ所のアザは、学校でのいじめや学校職員から受けた体罰によるものや、A君が怪我をして自分でつけたものであった。しかし児童相談所は一切の事実確認をすることなく、そのすべてのアザを両親が虐待によってつけたアザだとして決めつけた。

   そして児童相談所は医者にも、「A君には靴で蹴られたアザがついている」という虚偽の診断書を書かせた。そしてA君の傷は生命にかかわるようなものではまったくなかったにもかかわらず、「命の危険がある」として強引に一時保護に踏み切った。しかも一時保護を決めた時も、その後も、児童相談所はA君に対する虐待の有無に関して事実調査をまったく行なっていない。

   拉致されたA君は泣いて家に帰りたがっており、このことは両親の起こした裁判の過程で明らかになったことだが、児童相談所はA君の「帰りたい」という意志を無視して拉致し続けている。そして両親に対しては、「A君は両親を怖れて家に帰りたがっていないので返せない」と主張した。そして、こうした状態のまま現在に至るまで、A君はもう5年以上も両親に会っていない。

   それだけでなく、面会も手紙のやり取りも一切が禁止されており、A君の様子さえ両親には伝えられていない。その後A君の弟が生まれたことも、A君の父方の祖父が亡くなったことも知らせることも、葬儀に参列させることもできず、まさに完全な分断状態にあるのだ。A君の両親の元には4歳と5歳の幼い弟妹がいるが、児童相談所は不思議なことに、なぜかこの幼い2人の子どものことはまったく案じることがないのだ。

   なぜなら児童相談所の判断からすれば、「5年以上も完全隔離しなければならないほどの凶悪な虐待親」が2人の子どもを養育しているのであるから、虐待の有無に関して必ず調査をするはずではないだろうか。しかし一度も調査は行なわれていない。

   両親は児童相談所に対して、自分たちの状況と身の潔白を示すために「家庭訪問してうちの家庭の実態を見てほしい」と何度も要求しているが、なぜか児童相談所は拒否し続けているのである。

   これは現在も国家賠償裁判を行なっている、静岡県静岡市在住の松島弘さん夫婦の
ケースである。A君は親がまったく知らない間に登下校時に拉致されており、「一時保護」という理由で強制的に連れ去られ、その後児童福祉法第28条による家庭裁判所の審判を経て施設に入所させられ、もう5年以上もお互いに会っていないばかりか、手紙も電話も禁止されている。

   しかし刑事訴訟法にも則っていない単なる児童相談所の判断で、5年以上も親子の面会などを完全に遮断する処遇が正当なことなのだろうか。刑務所でさえが面会や手紙などが許されているのにである。

   いったい児童相談所の仕事とは、あるいは与えられた使命とは何なのだろうか。
   それは本来、虐待を防止すると同時に、問題を抱え分裂した家族を再構成させ、健全な家族の形に指導していくことであるはずだ。

   「あなたの教育論はよくわかりました。しかし現代の常識に沿って考えるならば、児童相談所の立場としては虐待の可能性ありと判断せざるを得ません。なぜならわれわれは家庭の内部まではわからないからです。ですから教育論は別の話として、とりあえず目に見える体罰はやめてください。この指導にもかかわらず引き続き体罰を続けられるのであれば、われわれは一時保護に踏み切らざるを得ない」 本来はこうした指導であるはずだが、もちろんこのような指導は一切なく、何の通告もなく、強制的に連れていかれてもう5年が経つ。

   親が知らないあいだに拉致された後は、児童精神科医に投薬されている可能性が高い。現在、子どもがどのような処遇に置かれているのか、資料請求しても何もわからない。A君は6歳の時、児童相談所に連れていかれて5年が経っているので、現在は11歳になっているはずだ。

   次に児童相談所の一時保護という、拉致のようなもう一つのケースを挙げる。
   母親がGちゃん(当時1歳)を抱いて階段を下りていた時、足を滑らせて階段から転落した。母親は打撲を負い、Gちゃんは手を骨折してしまった。母親はあわてて子どもを病院へ連れていったところ、Gちゃんを診察した医師が、「母親の虐待のせいで子供が骨折した疑いがある」として児童相談所に通報してしまった。

   通報を受けて病院へやってきた児童相談所は、母親から事情聴取をすることなく、緊急一時保護と称して子どもを連れ去ってしまった。その後、母親は子どもの怪我の原因を何度も説明したが、児童相談所は母親の言い分を一切聞かず、「自分のした虐待を認めない自覚のない虐待親」と決めつけた。

   さらに児童相談所は、「自分の虐待を認めないなら、今後も子どもとは会わすことはできない」と脅迫したため、母親は「自分が向こうの言うことを否定している限り、子どもは返してもらえない」と判断し、してもいない虐待を認めることにした。そして児童相談所には一切逆らわず、従順に従うことにした。

   すると児童相談所職員は、母親に対して「お前は虐待親だ」となんども言い聞かせ、母親が少しでも自分の主張をしたり、疑問点について質問したりすると、「そういうことを言うのは反省がうかがえない」とにらみつけた。母親は職員の態度に不信感を募らせたが、徹底的に従順な母親を演じることを貫き通した。そして連れていかれてから、6ヶ月後になんとか子どもを返してもらうことができた。

   母親はいかなる体罰も与えていないのに、「児童虐待がある」という一方的な通報だけで、ここまでするのである。しかも子どもが帰ってくるまでに半年という期間を要しているのだ。そしてこの状態は、これを読む読者全員にいつ起きてもおかしくない悲劇なのだ。

   三つ目の例を挙げる。
   当時14歳のHちゃんと12歳のI君たち姉弟は、生活が乱れており、両親の言うことを聞かず、叱られることが多かった。あるとき姉弟は両親に叱られたことに腹を立て、親に対して嫌がらせを計画した。彼らは放課後の学校へ行き、校長に会って両親の悪口をあることないことを話し、親が自分たちにいかにひどいことをしたかを言いつけたのだった。それを真に受けた校長は親に連絡をとることもなく、児童相談所に「親の虐待の疑いがある」として通報してしまった。

   通報を受けた児童相談所は、校長と同じく親の虐待の事実をまったく調査することなく、校長と2人の子どもの話だけでこの姉弟を一時保護として連れていってしまった。児童相談所は子どもたちを一時保護した翌日に、身体的虐待が行なわれた跡はないことを確認して伝えてきたが、なぜか子どもたちを両親に返そうとはしなかった。

   自分たちの知らない間に子どもが保護されたことに驚いた親は、校長のところに出向き、虐待など一切ないことを説明したところ、校長もそれを認め、「通報は間違いだった」としてその撤回をするために児童相談所へ行った。ところがなぜか児童相談所は、校長の通報撤回要求を却下しただけでなく、子どもたちが「日常生活でついた傷」として話していたものを「親の虐待の痕だ」と主張し始めたのだ。そして子どもたちとの面会を禁止したうえ、「姉弟は家に帰りたくないと言っている」として子どもは返せないと言ったのだった。しかし後に個人情報開示等により、実は姉弟は家に帰りたがっていたことが明らかになっている。

   2人の子どもが一時保護された後、彼らは9ヶ月もの間教育を受けることもなく、学校へも通うことはなかった。2人は保護されている間に施設の職員から何度も身体的虐待を受け、弟のI君は自殺未遂まで起こしていた。しかしそういった事実を児童相談所は親には一切知らせなかった。施設内では職員による虐待が日常的に行なわれており、子ども同士によるいじめも蔓延していた。姉弟は施設職員の隙をついて自宅に電話をし、親に助けを求めた。親は施設内での子どもの待遇を検討するように何度も児童相談所に申し立てたが、環境改善が行なわれることはなかった。

   そして子どもたちから電話を受けた親が、児童相談所に改めて子どもを返すよう話し合いを持ち、弟だけが帰宅できることになった。

   保護された子どもたちはそれだけでは済まないのである。
   子どもたちは児童精神科医によって、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、あるいはADHD(注意欠陥・多動性障害)などと診断されて薬を飲まされることになる。それは一時保護を行なった児童相談所の職員が「PTSDかADHDの疑いがある」として、提携している児童精神科医のもとへ子どもたちを送り込むからである。つまり、虐待の有無が調査される前に精神薬の投与が行なわれているわけであり、こうして精神病患者が作られているのだ。

   そして子どもたちには、最初から虐待があったことを前提に質問をして、彼らの発言を誘導する。「虐待されていたよね」「君は被虐待児だからね」などと言って徹底的に洗脳していく。保護者が「虐待などしていない」と児相職員に詰め寄ると、彼らは自分たちの言うことを聞かない「クレーマー保護者」だと決めつけ、場合によっては保護者を脅し、一時保護で拉致した子どもを「保護措置」に切り替え、児童養護施設へと送り込む。こうして徹底的に家庭崩壊が進められていく。さらにこういった児童相談所のシステムを知っている裁判所は、公的機関をかばおうとするのだ。

   しかし彼らはいったい、何のためにこのようなことをするのだろうか?


            book 「児童相談所の怖い話」 内海 聡著 三五館

                         抜粋
   

「檻の中にいるわけでもないのに、どうしてそんなに不自由なの?」

   私が収監されてからも一向に減ることなく、たくさんの悩みが送られてきている。
      メルマガのQ&Aで、たくさんの悩み相談に答えてきた。相談者たちの全体的な傾向としては、イイ子ちゃんが世の中に多すぎて、必ず物事には正解があるとマジに思っている印象がある。実はそんなことはない。私の回答だって、正解の「確率」は高いけど、他の選択肢も正解になり得るのだ。

   おそらく多くの人は、学生のころまでは親や教師が正解を教えてくれたのだろう。
   そして「井の中」の学校から出て、社会に放り込まれると、実は親や教師は絶対の存在ではなくて、社会では大したことないってことに気づいてしまう。例外はあるだろうけど。

   そこでパニックになって私だとか、外部の絶対的な誰かの意見を求めるわけだ。
   だからといって、その意見の通りに動こうというわけでもないらしい。送られてきた悩みには、すでに自分のなかで「こうしたい」というのが決まっていて、後押しをして欲しいだけというケースも少なくなかった。こういうのは、「やればいいじゃん」と言ってあげれば良いので楽なのだが。

   面倒なのは「何がやりたいのか分からん」というものだ。
   こういうのは、社会全体が貧しかった時代や、食うのにも困った時代にはなかった悩みだ。それが経済的にみんな豊かになって、暇ばかりあるから余計なことをウジウジ考えてしまうのだと思う。暇なら暇らしく、本能に従って楽しく生きればいいと思う。

   その気になれば食欲や性欲、睡眠欲はいくらでも満たされて、新鮮な喜びを味わえるのに。みんな貧しい時代の倫理に縛られすぎだ。ダラダラ遊んでりゃ、そのうち何かに出会える。出会えないまま終わってしまうパターンもあるけど、それだって人生。どっちにしたって楽しんでほうが勝ちだ。

   ブータンの本なんかを無駄に読んで「幸せとは・・・?」とか考えるのも、精神衛生上よくない。ブータンが世界一だっていう国民総幸福量は単なる尺度だし、国家制度が根本的に違うのだから、日本人の私たちの基準にはならないだろう。マスコミはブータンを、「あれこそ幸福の見本だ!」と煽ってくるが、無視しよう。

   毎日普通に暮らして、「幸せだなぁ」と思ったら素直に喜んでいい。辛い努力とかを経験しないと幸せになれない、なんてことはない。自分が思うことで、何でも幸せに変わるのだ。

   たとえば私もムショに居ることは(2013年3月27日に仮釈放)、周りから見たら辛いと思われがちだが、そんななかにも幸せの種は埋まっている。毎月の献立とか集会のお菓子だとか、連ドラとか映画とか普段読めない本や漫画に出合えて、毎日充分に睡眠が取れて、工場で民芸品つくりの指導をしていたりと、コレが結構充実していたりする。みんなに収監を薦めたりはしないけど、自分が見つけた幸せを自分なりに楽しんでみる。それがリアルな幸福なんだよ。遠く離れたブータンになんか、あなたの幸せはないよ、と言いたい。

   みんなの「金持ち」になりたい欲には、ちょっと驚かされる。
   ほとんどの人は私を金持ちだと思っているようだが、私自身は未だに「金持ち」とは何なのかよくわからない。昔欲しかったものや食べたかったものを、我慢しないで手に入れられるようになったのは、20代前半だった。それが年収1000万を超えたころだった。たしかにその時点では「俺は貧しい」とは思わなくなった。だがやりたいことがまだまだあったし、、目が廻るほど忙しく働いていたから、あまり「金持ち」の実感に浸ったことはない。ライブドア社でメディアに出まくっていた当時も、その後もそうだった。

   年収1000万を超えて、さらに伸びていこうと頑張っていたら、「金持ち」が目的ではなくなってくるものだ。興味の対象は、趣味とか人間的能力の世界。「金持ち」の友人の多くは、別荘とかヨット、ワインコレクションに走るのだが、私はロケットとか飛行機に走ってしまう。あと再生医療とかオンラインメディアを作ることとかだ。それはたしかに楽しいし、好きなことが出来るのは本当に幸せだ。金持ちの定義なんてどうでもいい。好きなことを好きなだけできるのが「お金持ち」の特権だとしたら、20代前半で叶えられて良かったなとは思う。

   みんなはひとまず年収1000万円くらいを目指しているのではないだろうか?
   Q&Aではそれくらい超簡単なんだと、丁寧に伝えてきたつもりだ。とはいえ一般市民が金持ちになるのは、いろんな意味で難しい。大儲けするのは悪だとか、日本の義務教育の洗脳が原因ではないかと思っている。金持ちになって悪いことは何もないんだけれど・・・。つくづく、洗脳を解くのは大変だなぁと思う今日この頃だ。

   生活が苦しいと漏らす人でも、よくよく話を聞いてみると、実にくだらないことに悩んでいたりする。「気持ち次第で、全然幸せなんじゃないの?」という人は多いのだ。一番の問題は、「今の私は不幸!」「足りないものばかり!」と煽ってばかりいるマスコミだろう。原発問題なんてその顕著なものだ。市民が不安になるようなことしか報道できないなんてルールでもあるのか? こうしたネガティブキャンペーンは本当に気が滅入るし、国民の思考を停止させてしまう。

 結論。
   「良くなった!」ってみんなが言い出せば、日本は実際に良くなっていく。
   だからまず、個人がポジティブに生きることなんだ。

   「幸せとは・・・?」、なんてくだらないことをグチグチ考える必要はない。
   視野を広げよう。そして物事を多面的に眺めよう。義務教育中の若者は特に、教室という世界こそが世界のすべてだと思ってしまいがちなので、自分の居場所を複数持つように普段から努力するといい。ツールとしては、スマホが1台あれば充分だ。

   近頃、刑期を終えて出所してからの自分を、いろいろ想像している。
   メルマガの読者には、社会的な役目を期待されているようだ。とりあえずは自分がやりたいことを素直にやってみたい。私に役目があったとしても、行動ありきでやらないと何も始まらない。こうしたい、こんな世の中にしたいというヴィジョンに、共感する人が自然に集まってくればそれでいいと思う。

   当然アンチの人もいるだろう。
   堀江バッシングに熱心な人たちは、私の懲役を終えた後でも多分いなくなることはない。でもそれはそれで結構だ。もうわけのわからない嫉妬や敵意を解消する努力をしようなんて、私は思わない。嫌いな人は好きなだけ嫌ってくれて結構。バカを相手にしている時間はないのだ。出所後は40歳を過ぎている。貴重な30代の終わりを、塀の中で浪費してしまったのだから・・・。これからは残り少ない人生を精一杯生きるために、受動的にではなく自発的に動いていくつもりだ。その結果に、私の役目がついてくるのなら本望だ。

   出所したら、私は正真正銘自由の身になるわけだが、しかし刑期中の今でも、実は心の中では自由でいる。私に悩み相談をして来る人たちには、「あなたは檻の中にいるわけでもないのに、どうしてそんなに不自由なの?」、と問うてみたい。検察に陥れられようが、寒い刑務所に閉じ込められようが、心はいつだって自分のものなんだ。コントロール次第で、いくらでもフリーにできるはずだ。

   脳のなかは自由だ。
   思考にまで手錠をかけられているわけではない。何かの自由が制限されていれば、それをパスするやり方を考えればいいし、経済力とか便利なツールを持っていれば、それを最大限活用すればいい。自称「自由」が、自由ということなのだから。ルールや不安に縛られずに、好きなビジネスに挑んだらいいんだよ!


 book「金持ちになる方法はあるけれど、金持ちになって君はどうするの?」
                 堀江貴文著 徳間書店


                          抜粋

日本銀行が国民の手に返される日

   今の日本に必要なのは、愛国心を持ち、正しい道を選ぶことができるリーダーである。
   7、8年前までは日本の将来に危機感を持ち、政界に活力や勇気を与えることを目的として、元テレビプロデューサー大谷哲生氏などによる、「世直し劇」の演劇が毎年のように行なわれていた。そこに役者として参加していた人のほとんどは、当時の現役国会議員や財界人であった。しかしこうした人々の思いは、日本を植民地化し続けたい勢力にとって邪魔でしかなかった。

   そこで見せしめになったのが、当時、民主党議員であった石井絋基氏の暗殺だった。
   石井氏は、日本から国の富が逃げていくことを防ごうとし、この国の倒産を防ごうと純粋な愛国心を持って必死に働いた人物であった。私はこの事件をつぶさに取材し、彼を暗殺した命令系統を掴(つか)んでいる。殺害命令を下した大本は、世界に分散する闇の権力者たちの中でも、ファシスト的な勢力であるパパブッシュの一派である。

   そしてその日本における手先が、マイケル・グリーンという日本担当のエージェントであった。彼の上にはブッシュの他にカート・キャンベル、リチャード・アーミテージ、ジェームズ・ベイカー、ジェラルド・カーティスなどがいる。そしてグリーンの下には複数の売国奴政治家が存在しており、その中には小泉純一郎、中曾根康弘などが含まれている。

   石井絋基は長年の調査の末に、この売国奴ネットワークが日本の富や国民の貯金を外国勢力に流している、という確実な証拠を掴んでいた。そしてこれらの情報を、2002年10月28日に予定されていた国会質問で明らかにしようとした矢先に、石井氏は殺害されてしまった。彼が集めた証拠資料の一部は事件現場からカバンごと持ち去られたが、その他に残された膨大な資料は今も数箇所に分散して厳重に保管されている。

   石井氏が殺された後、世直し劇の演出を手がけていた元テレビプロデューサーの大谷氏も、口封じと見せしめに、レインボーブリッジから東京湾に投げ落とされた。表向きは自殺ということで処理されたが、発見時にはまだ息があり、その後病院で殺されてしまった。このように「自殺」と処理されたケースが多いのはすでに述べた通りである。

   そして現在、この時と同じ組織がグリーンやブッシュの命令を受け、日本銀行などを脅して圧力をかけている。私が命をかけてまでこのようなことを書くのは、闇の権力者の中でも特に危険な彼らは選民思想を持ち、世界は一部のエリートによって支配されるべきだと信じ、そのためには手段を選ばず、武力行使も辞さないからである。

   思考停止した日本の既得権益の中心にいるのは、財務省を筆頭に金融行政の利権にしがみつく闇の権力者たちの手先である。そして時の首相も、残念ながら与えられた枠組みの中における力しか持ってはいない。しかしなぜ、彼らが巨大な権力を持っているのだろうか。そのカラクリの鍵は日本銀行に隠されている。つまり、ドルを好きなように刷る米国のFRBと同じく、日銀は日本銀行券を刷って無からお金を作り出す権利を持っているのである。

   では無から作り出された日本銀行券は、どのように世の中に配分されていくのだろうか。その決定にかかわるのは誰なのか。それは日銀総裁でもなければ、しょっちゅう入れ替わる政治家でもない。日銀が作られた戦後から現在に至るまで、数人の人々がそうしたお金の流れをコントロールしてきた。私は独自の取材ソースからその正体に迫っていったが、実は表の情報にも手がかりはある。その一つは株主構成である。

   公的な機関のように振舞う日銀であるが、実はジャスダック市場に上場されており、証券コード「8301」というコードを持つれっきとした民間銀行なのである。2007年に日銀が公開した株主構成は、政府出資55%、個人39・4%、金融機関2・5%、公共団体等0・3%、証券会社0・1%、そしてその他の法人が2・6%となっている。日本の商法では、企業が発行する株式の3分の1超の33・4%を持つと、”株主総会で重要事項の決議を単独で否決することが可能になる「拒否権」”が手に入る。

   日銀では、政府以外の者が45%の株式を持っている。
   なかでも39%を占める「個人」がいかなる人物であるかについては、一切明らかにされていない。つまり、日銀の株主がどんな人物なのかといった情報はいっさいなく、テレビや新聞などの大手メディアはこれまで一度たりとも報じたことのない「タブー」になっている。

   しかし私は、日銀の元総裁を含め、複数の情報源に当ることでそのタブーを破った。
   そしてわかったことは、日銀の大口の株主であり、支配権を握っているのは、高齢ながら現在もロックフェラー家の当主であるデビッド・ロックフェラーや、ロスチャイルド家の大物で東京在住のステファン・デ・ロスチャイルドなどである。政府が抱える債務の多くは国債などの形になっている。つまり彼らは、日銀を通して日本のお金の流れをコントロールしながら、実質的に国債を保有することで、政府に対して圧力を加えられる立場を確保しているのである。

   経済学の教科書には、「中央銀行は国のために長期的な視野に立って中立的な金融政策を実行している」と書いてあるが、しかし彼らはいざとなれば不況を起こすこともできる。そして日銀の背後にいる彼ら勢力が望んでいるのは、永続的に日本人から富を搾り取ることなのである。その具体例が、ここにきて一気に表面化してきた増税論である。これまでも財務省は「このままでは日本は倒産する。借金を返すために、支出を抑え、増税しよう」というキャンペーンを仕掛け、政治家たちを操作してきた。

   そしてその後ろには、日銀の株主や、日本国債の債権者でもある金融資本家勢力の意志がある。小泉純一郎はもちろん、野田佳彦も、国家破産の危機を声高に主張し、医療や教育といった公共サービスの質を落としてまで増税が必要だという。こうした政治家たちは、闇の支配者の傀儡(かいらい)である疑いが濃厚だ。本来なら中央銀行が金融資本家の手にわたらぬように、戦前のように日銀を国家機関にするべきなのである。だがこの問題は日本や米国FRBだけではなく、G7各国が抱える問題であり、タブーなのである。

   だが、希望がないわけではない。
   こうした仕組みが明らかになってきている今、改革が行なわれる日が間違いなく近づいているのだ。あまり報道されることはなかったが、明るい動きの一つとして2012年10月末、日銀が歴史的とも言うべき画期的な論文を発表していた。表題は「金融緩和の強化について」というその論文には、実はかなり衝撃的な内容が含まれている。

                          (略)

   以上の文面は、日本の経済運営の独立と復活を意味している。
   これまで中央銀行が借金をつくり、政府がそれを借りる形が続いてきた。しかしそもそも、その仕組みはおかしな制度であった。政府が独自で動けばよいものを、何もわざわざ民間銀行である中央銀行から借りることはなかったからである。こうした文面が表に出たことは、小さいことながらも闇の権力者たちの支配のカラクリが、根本的に変わりつつあることの現われだと見ることができる。

   日銀が国債などの金融商品を買うのは、第二次世界大戦以来の出来事である。
   要するに日銀は、200%ともいわれる国家借金地獄から抜け出すために、日銀を再び国策機関として位置づけ、円を刷って借金を帳簿から消すことに踏み出したのである。

   一方、円を刷りすぎるとハイパーインフレが起きるのではないか、と懸念する人も多い。
   しかしこれは解釈の問題に過ぎず、どのようにでもコントロールが可能である。たとえばあなたが今海の中を泳いでいるとしよう。向こうからサメがやって来るのが見えた。当然、あなたは必死に泳いでサメから逃れて陸に上がらなければならない。そのとき、「まてよ、陸に上がったら今度は交通事故に遭うかもしれない」などと考えて、泳ぐのをやめるだろうか?

   今、日本はデフレの中にいる。
   もし状況が変化し、インフレ傾向が強まってきたら、それはその時に対処法を考えればいいだけのことだ。現状では取り組むべきことは脱デフレ、脱低成長だ。確かに過去にはジンバブエやアルゼンチンでコントロールできないハイパーインフレになったことはある。しかしそうした国々と日本が大きく異なるのは、裏づけとなる実体経済が日本列島には豊富にあるということなのだ。

   つまり裏付けもなく無差別にお金を刷り、ハイパーインフレを招いたような政府とは根本的に違うのだ。日本にはそれだけの力があり、なおかつ、闇の権力者たちが張り巡らせた蜘蛛の巣から抜け出ようという動きも見え始めた。当然、しばらく情勢を見守る必要はあるが、こうした大きな流れから総合的に判断すると、世界の中央銀行を占拠し、第三次世界大戦を狙っていた闇の権力者たちが、権力紛争の末に大きな痛手を負ったことは間違いない。

   これは明るい兆しだ。


   book 「日本に仕掛けられた最後のバブル」 ベンジャミン・フルフォード著 青春出版社

                          抜粋

                    
   

闇の勢力は最後の時を迎えている

   長い間彼ら闇の勢力が言い続けてきた「嘘」について、今では多くの人々が気がついています。あなた方の世界は間違いなく大きな変化が起きており、これからますます多くの変化が起きてくるでしょう。今再び、世界中で苛酷な天候が経験されているように、多くの深刻な地震や大地の陥没、津波、ハリケーンや台風、洪水、火山の噴火、太陽の性質の変化など、多くの変化がこの惑星地球から太陽系にまで継続して発生しています。

   権力争いの内紛を引き起こすトップは次の名前であなた方に知られています。
   それが、秘密結社Illminati イルミナティです。彼らはすでに内部崩壊しており、機能しない銀行制度やグローバルな経済システムは麻痺しています。闇の支配者であるグローバルなエリート層のマスターである、レプティリアン(爬虫類人)は敗北しました。

   しかし彼らはそれでも何とかして、過去に手にしていた権力を再び握ろうとしています。
   これまで地球人類を支配してきた彼らの影響力は弱まっており、その衰退は彼らのトップレベルにおいてもそうなのです。

   そこで私たちはあなた方に、次のような立場が維持できるよう支持します。
   まず、人々の利益のためだと政府は主張するが、本来、私たちの生活の質は政府によって決定されるものではないということ。テレビやラジオの報道、映画、あらゆる娯楽を通して、政府は可能な限り恐怖心を与えるようなものをつくり、そういったものが私たちに提供されている。そしてここでも私たちの生活の質は、他者の影響によって決定されるものではないということ。私たちはさまざまな予言者や占い、チャネラー、精神科医や心理学者、社会学者やカウンセラー、聖者などその他多くの彼らの知恵を調合し、自分の人生をどう生きるかや、どのように選択しあるいはしないかを、この劇的な変化のなかで自分で決定するということです。

   私たち一人ひとりは神の子どもたちであり、それぞれのユニークな魂たちがこの地球という惑星にやってきて、人間の生活を送っています。そうしてあらゆる経験を通して学び、成長し、創造します。私たちは創造者による創造のユニークな一部分であり、そのゆえに創造者と同じ波動を持っている者です。ですから創造者の一部であるあなた自身だけが、自分をもっとも助けることができるのであって、それは他者によってではありません。多くの人々が求めている平和と安らぎに対する答えは、あなた方の内側にあるのです。

   この地球上の一人ひとりの、感情的・精神的な覚醒や自覚や進化というものは、それぞれが異なった段階にあるということを、あなた方は知っているでしょうか。たとえば、感情的に精神的に進化している地球上の多くの人々は、さまざまなニュースや予言、ネットで見聞きしたことなどによって一喜一憂しません。彼らは穏やかに自分たちの生活を過ごし、家族のために静かに意思決定を行ないます。この世界のすべての狂気を見ながらそれから距離を置き、その一瞬を、一時間を、1日を、自分自身の内的直感の導きに従い、自分の生活を送りそれを楽しみます。彼らはただ単に近い将来、非常に異なった世界が私たちを待っていることを知っています。

   未来がどうなるかを、正確に知らなくても大丈夫です。
   それはただ高い波動にある、今までとは異なった世界があるということだけなのです。知らなくても大丈夫という意味は、一人ひとりの内に幸せで静かで穏やかな信頼と満足があるからです。私たちは究極的には、限りなく永遠で、意識的な光とエネルギーの存在であり、誰もが創造と創造者の一部であることを知っています。

   一方で感情的・精神的な進化が少ない人々は、絶えず一喜一憂します。
   さまざまな毎日流されるテレビなどのニュースやネットの情報に、神経質に反応しては不安になり、感情的になります。彼らは今日という今を生きることなく、常に明日のことを心配し、自分にはどうすることもできない物事であっても心配するのです。年齢的な比喩で言えば、こうした人々は感情的・精神的にまだ若い魂なのです。しかしそれが今のところ、彼らの人生において今いる地点なので仕方のないことであり、それが彼らの意識と魂の霊的進化の段階です。

   こうした2つのタイプの感情的・霊的成熟度というバランスには、大きな違いと差があります。しかしこれからの大きな変動の時代を、彼らはどのように対処していくのでしょうか。この変化は2013年を通じて継続して行くのです。ですから私たちは、こうしたことに興味を持つ人々へ最高のアドバイスをします。

   内的な平和と穏やかさを実現したい人すべてにお伝えしたいことは、あなたがいかなる霊的覚醒の成熟度の地点にいるとしても、『もっともっと外へ行きましょう。』 できる限りの時間を自然のなかで、より多くの時間を過ごしましょう。川の流れや海の潮風、森林を吹き抜ける風の音、鳥のさえずり、山へ登る道を探し、田舎道を歩き、泥道を自転車をこいで、砂漠の山道をハイキングしましょう。それは信じられないほどに美しい惑星なのです。母なる地球というそのままの自然は、あるがままの状態であなたの魂と精神、心を癒し、静かで穏やかになるように助けてくれます。

   キーワードは次のとおりです。
   自然のなかに出て行く。このことは間違いなく、あなたがすべての創造物とつながり、この美しい惑星とつながることを可能にし、あなたはこの地球という惑星のどこに住んでいても、この美しい世界に住む主権を持った市民なのです。あなたは自由と幸福、そして精神的な平和を生きる固有の権利を持っているのです。

   政府を通して流されるニュースやあらゆるメディア、娯楽などが、意図的にあなたの生活に気晴らしや騒音を流し入れ、あなた方に影響を与えようとしています。しかしあなたの心や精神、魂は、そのすべてがあなた自身によって決められるべきものです。これが主権ということの意味なのです。自分の幸せを選ぶのはあなたであって、それは他人によるものではありません。

   この地球上に存在してきた闇の権力は最期の日々を迎えています。
   しかし彼らに騙されないように注意する必要があります。近い将来彼らは、偽りの宇宙人を登場させ、彼らのこれまでの権力にしがみつくための最後の試みを行ないます。宇宙人が地球にやって来るわけではなく、彼らはこれまでずっと地球に存在していたのです。暗闇の中で秘かに動き、時々表に出ては、自分たちの唯一の目的である地球人を隷属させ、自分たちを支持させるために働いてきました。それだけが彼らの目的であり欲望であり、それ以外には何もありません。

   彼らは自分たちの終わりの日が近づいていることを知っており、権力も失い続けているのです。彼らは自分たちの時間が終わることを知っているので、だからそのために最近非常に困難で大変そうに見えるのです。最終的に彼らは失脚します。

   1人の偉大な人間の言葉を引用します。 
   フランクリン・ルーズベルトは言いました。「我々が怖れなくてはならないものは、怖れそのものである」 またこうも言っています。「人間は運命の囚人ではない。ただ、自分の精神の囚人であるだけなのだ」

   「ホコリ」が一掃されて消えた後、この地球という惑星の変化は2013年の終わりに向かって自ら完了します。私たちは高い振動で生きる変容された人間になります。私たちは大丈夫なのです。そのことを、この母なる大地・惑星地球は知っています。

   Unci Maka   Ina Maka   母なる地球は自然の癒しの源です

   外に行き、母なる地球とできるだけ一緒に過ごしてください。
   彼女の鼓動を感じ、彼女の音に耳を傾け、その美しさを眺めてください。
   その存在のすべてを受け入れ、彼女は私たちの生活のインスピレーションの源であることを知ってください。

   あなたがもっと外に出て自然のなかに入るならば、創造主と創造物の永遠という、時間を越えた存在の高い振動に触れることができるでしょう。それはよりエネルギッシュにあなたの心を開いていき、あなたの人生に、より穏やかな心の平和がもたらされます。自然とつながり、その生命のなかで呼吸し、この美しい地球上に生きる者として、自然とつながることを忘れないでください。このことは必ず、あなたの人生に喜びをもたらすものであることを保証します。

   人類は進化し続け、2012年12月21日以降もそれは続きます。
   地球という母なる惑星は、これから未だかつてなかったほどの繁栄を見せるでしょう。これが私たちの運命であり、これを穏やかで愛情あふれる平和的な
方法で私たちは実現できるのです。

          Wodakota!   すべての人々に平和を!


    Tolec and the Andromeda Council 
    アンドロメダ評議会 トーレックによるセッション 2012年11月21日
                    
    

2016年に在韓米軍は全面撤退する

   闇の権力からすれば、最後は破壊してしまおうと考えている日本が、近い将来世界をリードしていくことを知っているからこそ、アメリカはオスプレイを配備し、中国は尖閣を、韓国は竹島をと、何とかして日本を困らせようとしているのです。

   2012年8月10日、韓国の李明博(イ・ミョンバク)前大統領は日本領土の竹島に上陸し、実行支配している竹島は韓国の領土であると発言しました。そして終戦記念日を翌日に控えた8月14日には、「『痛惜の念』などという言葉一つを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」「韓国に来たければ、韓国の独立運動家が全員この世を去る前に、心から謝罪せよ」という暴言を吐いたのでした。しかも「痛惜の念」とは、1990年に訪日した当時の盧泰愚(ノ・テウ)大統領を迎える宮中晩餐会で、天皇が発言された言葉です。

   このような発言自体、到底許されるものではありませんが、実際には李明博大統領は「天皇は跪(ひざまず)け」などと、もっと過激な言葉を使って日本を挑発していたのです。しかし韓国マスコミもさすがに、このままを日本に伝えるわけにはいかないと自重したほどでした。実は、李明博大統領は政権末期で支持率低迷にあえいでいたこともあり、国内の不満を対外的にそらすために日本を標的にしたとも言えますが、実はこれも、「日本を徹底的に怒らせよ」という、アメリカからの意向に従ったものだったのです。

   現在韓国では極端な格差社会が進行しており、地方農村は壊滅的な状態に陥っています。韓国はTPPに参加してはいませんが、サムスンやLGといった大手企業、そして韓国内大手銀行の外資比率はほぼすべて50%を超えているので、すでに韓国は欧米資本の支配下に置かれているといっていいでしょう。そのために韓国の富裕層は海外に脱出しています。タックスヘイブン(租税回避地)へ資産を逃がす、いわゆる「海外逃避資産」の額は合計で7790億ドル(約27兆8000ウォン)になっており、その額は中国やロシアに次いで世界3位となっています。

   経済的に破綻寸前に追い込まれている韓国は、軍事的にもガタガタなのです。
   そしてアメリカからも見捨てられつつあり、在米韓軍は段階的に削減されることが決まっていて、2016年には在韓地上軍が全面撤退します。2010年3月26日に、韓国硝戒艦「天安」が爆発・沈没した事件は、李明博が「北朝鮮の攻撃によるもの」と断定しましたが、実は、韓国軍が放置した機雷に触れて爆発したことが判明しました。

   2010年8月の延坪島砲撃事件では、北朝鮮からの砲撃になす術(すべ)もありませんでした。このような状態で現在では、北朝鮮主導の南北統一に従わざるを得ない状況です。ですから北朝鮮への強硬姿勢をやめて、日本を怒らせれば、日本は竹島問題などで介入できないと踏んで強硬姿勢に転じたのです。これはいわば、アメリカと韓国が仕組んだ出来レースだったのです。

  北朝鮮は、すでに国内に世界の半分の量の埋蔵量があると言われているレア・アースの一つ、タングステンを使って「タングステン水爆」をすでに完成させており、アメリカにも持ち込まれています。そういったこともあってアメリカは北朝鮮に、これまでのような強硬姿勢を取れなくなっており、北朝鮮との関係を深めようとしています。2013年1月7日に、グーグルのエリック・シュミット会長が北朝鮮を訪問したのは、北朝鮮の情報インフラ整備を確約する代わりに、核施設の情報を提供してもらうことを約束したのではないかと言われています。

   そして実際に、1月29日には「グーグルマップ」に、北朝鮮の道路や公共施設、各施設や強制収容所に至るまでの詳細な地図情報が掲載されるようになりました。ですからすでに北朝鮮とアメリカは密接なコンタクトを取り始めているのです。2012年4月13日に北朝鮮は、日本や韓国、アメリカの中止要請を振り切って、ミサイル発射実験を行ないました。

   打ち上げ後ミサイルは解体し、朝鮮中央通信はそれを失敗だったと言っていますが、実はあのミサイル発射実験の目的は別のところにありました。それはあの実験によって周辺国のIT機器が機能しなくなるかどうかのテストをすることにあったのです。つまりミサイルによって空港管制塔や飛行機の通信機器が機能しなくなるかどうかを確かめたと言われています。しかもそのテストは秘密裡に成功を収めたようです。

   2012年に「強盛大国」の扉を開くと宣言した北朝鮮は、金正恩体制のもと着実に軍事力を増強させており、その力は韓国軍が到底及ばないものになりつつあります。そしてアメリカも、北朝鮮主導の南北統一に踏み切らざるを得ないと考えているのです。ですからアメリカにしてみれば、何としても北朝鮮と日本は断絶状態に置いておきたいのです。日本人拉致問題が一向に解決しないのもそのはずで、もとはといえばそれを行なったのはアメリカCIAなのです。そして今回、安倍政権になって北朝鮮への強硬姿勢は一層強まることになるでしょうが、こうした姿勢はアメリカにとっては非常に好都合なわけです。


        book 
「2015年に来る真の危機から脱出せよ!」 中丸薫 青志社

                           抜粋

日本の変化は国民の意識改革から始まる

   日本の原発はまだ狙われています。
   日本の船でありながら、実態はすっかり外国人の手で運営されている科学掘削船「ちきゅう」が、ここのところしばらく行方知れずになっています。この船は、海底からさらに深い地中を掘削することができるドリル船です。どうやらこの「ちきゅう」が、浜岡原発の沖に何かを埋めたようなのです。もしそれによって浜岡原発沖に大地震が発生し、原発が破壊され、放射能が大量に漏れるようなことがあれば、もう完全に原発の時代は終わることになり、エネルギー源はシェールガスに移行します。

   今後も、もし原発が人為的な操作で破壊されて、富士山が噴火を始めることもあり得ます。そうなれば地下で繋がっている火山帯が刺激されることになり、他の火山噴火や地震が誘発されることも考えられます。富士山について言えば、富士山は活火山ですからいつかは噴火します。これまでの自然的な大きな噴火は、およそ100年に一度のペースで噴火していますが、ここのところ300年は沈黙しています。しかし今はこれプラス、人為的な噴火もあるのです。

   ちなみに2012年の12月4日から、防災科学技術研究所が公開している静岡県富士宮の観測結果が振り切れて真っ黒になっている画像が、インターネット上で公開されています。そして11日以降は公開されていません。こうして情報が伏せられているのが不安です。その不安を感じている人は多く、このことを知っている人々の間で、富士山が噴火するのではないかと話題になっています。

   ちなみに3・11の東日本大震災の時も、実は三陸沖だけではなく、東京湾直下それに富士山周辺でも、大地震が起こるように仕掛けがされていたことがわかっています。これまでの講演や著書でも再三伝えてきたことですが、人工地震の直接の原因は海底に埋められた核爆弾です。つまり「ひずみ」の溜まった地殻に核爆弾をセットし爆発させれば、そのエネルギーが解放されて大地震につながります。この程度のことは新しい理論でも何でもなく、地震学者であれば誰でも分かっていることです。

   しかも実際に人工地震は、地震のメカニズムや地下構造、地質を調べるときにも使用されているものなので、特別な技術ではありません。3・11の時には、東京湾の海底と富士山周辺の地下には、それぞれ4ヶ所に仕掛けられたことがわかっています。幸いなことに、3・11と同時に爆発させる予定であった東京湾と富士山周辺の爆弾は、なぜか不発だったのです。最悪の場合には、今後こうした場所で災害が起きる可能性があります。

   日本は、結局世界を支えています。   
   ですから闇の勢力としては、ここまでやらないと地下資源の争奪戦などで自分たちの思うようにことが進まず、そのためにいつまでも日本に頼らざるをえないといった考えの末に、行き着くところが再び意図的に、日本に災害を引き起こすことに結びつく可能性があります。さらに日本がこうした災害でガタガタにされてしまうと、2015年くらいまでに世界の食糧危機や水の危機を誘発することになります。こうなると、世界中の人々が総難民化するような事態が起きてきます。そこまでやる場合は、いわゆる闇の世界統一政府の思想を実現させるために、すべてを破壊してバラバラにし、そこから再び地球を一つにまとめようとする活動につながります。

   浜岡原発の爆発および富士山の噴火などが起きれば、最悪の場合、福島と浜岡に挟まれる関東は人が住めなくなるでしょう。もちろん、愛知県も神奈川県も住めません。つまり、それくらいの事態にならないと、アメリカ軍は日本から引き揚げないし、日本がアメリカから独立を果たすことはできないのです。ですからそこからが、日本の本当のスタートを始めることができるのです。宇宙からの意志は、そうしたことを私に伝えてきています。

   催眠術にかけられて生きている日本人には、目覚めるためにこれだけのことが必要であり、そうでなければ深い催眠のなかにある日本人は覚醒しないというのです。ですから「目覚めろ!」という宇宙からの意志を伝えるためには、食糧や水資源危機、原発事故、富士山噴火という大きな試練をきっかけに、やっと日本人は目覚めて立ち上がるのです。

   日本について語る時、人々の頭のなかには当然のように日米同盟が基軸であって、アメリカ抜きには日本は存在し得ないという思い込みがあります。それは自民党政権であれ、第三極といわれるどこの政党であろうとそうなので、対米追従というベースを変えない限り根本的に何も変えることができません。ですから、アメリカが必要という前提を疑い、ひっくり返さなければいけないのです。

   しかしその役割を、今の政治家たちや、官僚や財界人に期待しても無駄なことです。
   そのために今のアメリカ追従の「くびき」を絶つためには、食糧・水資源危機、原発爆発、富士山大噴火という「3つの危機」レベルの大異変が起きるわけで、その結果アメリカが逃げ出す時なのです。ですからある意味、「3つの危機」の到来は、「ノアの方舟の世界」を現代によみがえらせるでしょう。

   全世界がボロボロになり、アメリカは歯が抜けるように15もの州が独立し、しかもアメリカは6つどころかもっと多くに分裂することになります。中国も革命で、6つから9つに分割されることになりそうです。ヨーロッパの国々も次々に破綻して、世界中が大混乱に陥ります。その中でかろうじて日本は、復活の道を歩むことができるのです。それは日本には天皇家があるということもあり、日本人の中にはそれほど悪の力が浸透しきれていないことが幸いしているのです。

   今のような中央集権で、役人がすべての権力を握っているような国家は一度解体されなければならず、そうなって初めて国民の意識も変わり、真の民主主義が確立します。そのためには選挙をあと2~3回は行なう必要があり、そうしないと本当の姿は見えてこないでしょう。選挙を重ねることで、日本の未来形は少しすつ形作られてくることになります。ですから問題は、安倍さんの次なのです。

   これからさらに日本で災害が起こるようであれば、当然日本は経済活動や国民生活が疲弊し、他の国々も日本経済の混乱に影響され、場合によっては放射能汚染で痛手を負うことになります。それはアメリカだけでなく、中国やヨーロッパもそうなのです。ですからここは、日本人が目覚めなければなりません。

   それが始まるのは国民の意識改革です。
   まず日本国民のなかの有志が意識改革を進めていきながら、その活動が他の人々にも影響して波及し、日本人の10分の1の人々、つまり1000万人の人々の心が意識改革できたとき、そのとき一気にこの日本は変わり始めます。私はそのために、それを実現するために地道に真実を伝えることをしてきました。

   現在でも日本は、操作された経済の低迷や少子高齢化の進行が止まらず、周辺国との領土紛争や、闇の権力による洗脳と富の搾取といった厳しい状況にあります。だからこそあなた方はしっかり覚悟して、自分の国は自分で守り、世界をリードしていくという気構えを持ってほしいと思います。こうして多くの日本人が覚醒した時点から、本来の社会の建設が始まるのです。安倍さんの次は、私たちとともにこうしたことを推進していける政府がほしいものです。

        book  「2015年に来る真の危機から脱出せよ!」 中丸薫 青志社

                           抜粋

すでに臨界に達している中国国民の不満

   中国では今、毎日のようにどこかで暴動が起きています。
   たとえば地方政府が勝手に土地を収用したり、立ち退きを要求したりするので反発して暴動が起きるのです。地方の幹部や共産党の幹部が、人々に囲まれて首をつかまれ、契約を取り消せとすごむといったことも起きているようです。これまでは民衆が役人に強い態度で迫るというようなことはなかったはずで、多くの場合、民衆はデモを起こしたとしても、鎮圧されて泣き寝入りしていたのです。

   ところが今では民衆の怒りも溜まってきており、地方政府に強硬に迫って具体的な成果を上げたりしています。民衆の不満は、報道の自由が大幅に制限されている現状にも向けられています。その不満が一気に露呈したのが、広東省の週刊誌『南方週末』の社説が当局によって差し替えを強制された事件です。そして宣伝部によって記事の書き換えや掲載を認められなかった記事は、2012年だけでも1000本以上あったとする抗議声明をインターネット上に発表し、これまで行なわれてきた党による検閲の実態を曝露したのです。

   しかし一方で、『南方週末』の公式アカウントで編集長たちが、「ネット上で伝えられている社説の差し替えは事実ではない」と表明したことで、現場の記者たちとの対立が鮮明になりました。この発表に『南方週末』の記者など100人が、宣伝部の圧力による表明であるという共同声明を出して抗議し、一部の記者はストライキに突入しました。

   インターネット上では共産党の検閲に対する非難の書き込みが相次ぎ、ジャーナリストや弁護士らが抗議デモを呼びかける事態となりました。1月7日には広東省にある南方報業伝媒集団の社屋や、北京市の支社に支持者が集まって報道の自由を求めるデモが行なわれ、出版の自由が失われたことの象徴とみなされている菊の花を手にした若者たちが集まり、抗議が行なわれました。

   ここまで不満が高まってくると革命が現実味を帯びてきます。
   中国では王族の家臣が国を乗っ取ったり、平民が盛り上がって暴動で国を奪い取ったりと、さまざまな革命のパターンがあります。毛沢東率いる共産党が代表となった中国も、60余年が経ちました。毛沢東の場合も、一般庶民がのし上がって天下を取ったパターンですが、近い将来バブル崩壊をきっかけとした国民の蜂起で、再び易姓革命が起きる可能性があります。

   習近平さんは、その可能性をよく把握しているようで、地方政府の堕落に喝を入れています。これまでの中国ビジネスのやり方は、地方役人にワイロを渡せばその金額によってすぐに事が進むといった世界です。ですから普通に手続きをしていたのでは、どんどん後回しにされるわけです。しかも誰もがそうやってビジネスを進めることを知っているので、地方役人はそれで潤うわけです。

   しかしこの仕組みのなかで犠牲になるのが住民です。
   ワイロを使った事業者のために、住民の権利が蹂躙(じゅうりん)されるのです。工場を建てる、ビルを建てるとき、住民は強制的に立ち退かされ、家屋も一気に潰されてしまいます。住民が強硬に抵抗すれば危害を加えられ、極端な場合では殺害されたりします。強制的に地ならしをするブルドーザーを阻止しようと、地面に横になって抵抗していた住民は、あっけなくブルドーザーに轢かれて殺されるという事件もありました。

   2011年に高速鉄道が衝突し、高架から車両が宙吊りになるという大事故を起こしたとき、死傷者数をごまかすために、車両を土の中に埋めてしまうという出来事がありました。事故などで死傷者数が多いと、共産党の地方役員が更迭されることになっているために、どんな大事故であっても死者は35人と発表されるというのです。それを避けたいという理由で、なくなった人の遺体を車両に残したまま、大きな穴を掘って土の中に埋めたのです。さすがにこれは国際的な批判に晒されることになり、掘り返しました。

   中国ではお金のためなら、人の命などどうでもよいといった風潮が蔓延しているのです。これに対して、庶民の中でも裕福になって少し余裕の出てきた人々や、もともと心ある人々などが、インターネットで真実を知り、怒りの声を挙げているのです。そして今や、地方役人の横暴に翻弄されつくした住民は、もう堪忍袋の緒が切れているのです。

   中国では罪を犯すと厳しく処罰されます。
   中国での死刑囚は毎年数千人いると言われており、日本とはケタが2つ違います。中国の死刑囚の中には政治犯とされる人々も含まれている問題点はありますが、とにかく罪人とされる人には厳しいのです。しかしそうであっても、社会は変わりません。そこで習近平さんは仕組みから変えようとしているのです。

   しかし習近平体制になることがわかって、中国の富裕層の中にはすでに海外に逃げ始めている人がいます。ただし中国においても革命的な動きには、必ず闇の権力の力がかかってくるので、それを乗り越えられるかどうかで習近平氏も本当の実力が試されます。闇の権力としては本来、中国を6つから9つぐらいに分割したいという考えがあるので、これを阻止するのは簡単なことではないでしょう。最悪の場合、中国と日本の戦争が引き起こされるかもしれません。アメリカと自衛隊の合同演習は、そういう事態を想像させます。

   ちなみに小沢さんは、習近平さんともパイプをしっかり持っています。
   実際、小沢さんのおかげで習近平さんは天皇に会っています。これは中国の国家元首になる一種の儀式なのです。鳩山由紀夫元首相が提唱した「東アジア共同体」の構想は非常に真っ当なもので、日本はやはり中国や韓国、北朝鮮と連携して、アメリカと対等な関係を保つことが重要なのです。

   しかし今の中国は、尖閣問題などを見ても少し傲慢になってきているところがあり、韓国とも竹島問題でギクシャクしています。日本も自分の国は自分で守る、アメリカにおんぶに抱っこにはならない姿勢を明確にし、アメリカや中国、それに韓国にも媚びることなく堂々と対等に関係を構築していくことが求められています。

   ロシアについても触れておきましょう。
   ロシアではプーチン氏が首相から大統領に返り咲き、6年の任期で2期までの再選が可能なロシア大統領の座に、彼は最大で12年間就くことになります。就任直前、日本や欧米のマスコミとの共同会見に臨んだプーチン大統領は、北方領土について自ら切り出し、「・・・受け入れ可能な妥協策を探るべきで、それは引き分けのようなものだ」と発言し、1956年の日ソ共同宣言に基づいて、北方4島のうち、歯舞・色丹の2島を日本側に引き渡すことに意欲を示しました。そして早期に日露間で交渉を開始することまで提案したのです。

   これはシベリア開発とエネルギーの輸出のために日本の技術協力を得たいこと、中国ロシアの力のバランスの中で、日本との関係を構築したいといった意図が窺えます。一説には、北方四島だけでなく、全千島・南樺太を日本に返還し、首都をモスクワからウラジオストクに遷都するのではないかといった大胆な予測もあります。それほどアジアを重視する姿勢を見せているわけで、日本もロシアとは友好関係を築く好機を逃してはならないでしょう。

   しかし現実的には北方四島を強硬に一括返還を求めても、そこにはすでに定住しているロシア人がいるわけであり、韓国や中国企業の協力で土地開発も進んでいる状況から、いきなり返還という話に持っていくのは難しいでしょうから、話し合いのなかで双方が理解できる状態にまで持っていくことが必要です。

   プーチン大統領は日本びいきの人で、闇の権力に染まっていない人物でもあります。
   しかし一方で、2012年の秋からしきりに健康不安説が取り沙汰されています。ロシアの経済紙「ベドモスチ」によると、プーチン氏には脊椎に古傷があり、飛行機での移動ができない状態で、10月中旬から11月前半に計画されていたトルコやインド、ブルガリアなどへの外遊を延期しました。またウラジオストクで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席した時は、足を引きずりながら弱々しく歩く姿が目撃されています。パラリンピック選手への勲章授与式では演台に寄りかかっているような姿がテレビカメラに映し出され、体調がかなり悪化した様子がうかかえました。

   闇の権力によってプーチンの健康状態が悪化させられたことも考えられます。
   最近では1本のタバコくらいの大きさの注射器があり、、木の上から液体をかけたりすると、7~8時間で脳梗塞や心臓麻痺を引き起こすような暗殺兵器が主流なのです。日本では刺しても痛さを感じないほどの細い注射針が開発されており、その注射針を生産している日本の企業にロシアのスパイが見学に来たという話もあります。プーチンが暗殺の罠にかかった可能性も考えられるのです。いずれにしてもプーチンが大統領でいるうちに友好関係を深め、北方領土問題を前進させることが重要です。

   「北方領土の日」にあたる2013年2月7日、ロシア戦闘機2機が北海道利尻島沖の領空を侵犯し、防衛省の航空自衛隊の戦闘機がスクランブル(緊急発進)しました。ロシアは領空侵犯を否定しています。日本が尖閣問題やレーダー照射事件に対応している間に、北方領土の日に合わせて揺さぶりをかけているように思われますが、一方で挑発的な行動というよりも、日本の出方を見るためのものではないかという観測もあります。


         book 「2015年に来る真の危機から脱出せよ!」 中丸薫 青志社

                          抜粋
   

他人の作ったモノサシに左右されずに生きる

   年齢に関わらず、女性であれ男性であれ、どんな状況であれ、あなたが「性」に対して歪んだ捉え方をしていたり、自分の性欲を不快に思っていたり、罪悪感をもっているならば、あなたにとって「性」の問題はまだ解決されていない「未処理」の分野であることに気づいてください。性の問題をきちんと捉えるためには、過去に戻って考える必要があります。

   では過去にさかのぼってみましょう。
   あなたという魂がこの地球にやって来たとき、これから何をすべきかを決定し、肉体を身につけたその時点に戻ります。そのときあなた方には、「力」というものが与えられました。それはあなた方の肉体に備わる「力」で、7つのチャクラに関わるエネルギーでした。ここでいうエネルギーとは、あなた方人間の存在の中を絶え間なく動いているパワーであり、それは特定の目的を持つものでした。

   目的の一つは考えることであり、もう一つは感じることでした。
   私がいう性のエネルギーもこうしたエネルギーの一種でした。つまり性的エネルギーや力は、人間一人ひとりが自分の意志で決めて使うために与えられたのです。あなた方人間の初期の頃には、性的エネルギーはほかのエネルギーと分離して考えられることはなく、人を狩猟に駆り立てる衝動と性衝動とのあいだに、はっきりした区別はなかったのです。

   あなた方は繰り返された過去世において、それぞれが自分という認識を深め、どんな人間になりたいかという考えにもとづいて、人生におけるさまざまな選択をしてきました。あなたが地球世界へ転生して来たのは、今回が初めてではないということをここで理解しておいてください。つまりあなた方はずっと長い期間において、何回も地球次元へ転生した経験があるのです。

   その意味は、あなた方のなかにはその過去世で形作られた「性癖」のようなものがあり、それが現在のあなたの在り方や意識としてにじみ出ているということです。ですからこうした過去世から持ち続けている性癖が、今のあなたの「性」に対する態度に影響しており、今のあなたを形作っているのです。

   あなた方は何度も転生を繰り返すなかで、そうして時間と空間のなかを移動しながら、性的エネルギーは一つの方法となり、あなた方は自分の意志にもとづいてそれを使いました。それはほかのエネルギーと同じように性的エネルギーも、一人ひとりが「自分に対してだけ」責任を持つものとして与えられたものであったのです。性的エネルギーもまた「その人らしさ」の一部であり、自分がしっかり意識すべきものでした。それは自分らしい感じ方と、自分らしい行動をするためのものでした。

   そしてあなた方は、自分の考え方しだいで人生が調和したり、不調和するということに気がつくようになり、自分がどういった考え方をするかは自分の責任であることを経験から理解するようになりました。ですからあなたが持っている他のエネルギーと同じく、性的エネルギーをどう使うかもあなたの責任なのです。しかしあなた方の今の時代は、誰もが自分の性的エネルギーに責任があるとは考えません。人類は自分たちが従うべき行動のルールを作り上げてきたので、その結果、個人はもはや自分自身の責任を取ろうとはしないのです。

   つまり何をすべきで、何をすべきでないかは法律や社会の掟に決めてもらうようになったので、それに従っている限り自分に責任はないと考えているのです。実は、あなた方が従っている性道徳というものは、「暗黒の時代」にある人々によって決められたものであり、それがあるときは「宗教」という箱に入れられてあなた方の世界に埋め込まれたのです。あなた方は未だにこうした古い性道徳の中で生きているわけですが、それはうまくいっているのでしょうか? あなた方にとって性的エネルギーは喜びをもたらすものになっているでしょうか?

   あなた方はもうそろそろ、自分自身の性に目覚める時です。
   人が作った他人のモノサしに左右されることなく、自分にとって女であること、男であることとはどういうことであるかを表現することなのです。いつも生き生きして元気にあふれ、優しい気持ちに満たされて、創造的で大胆で、そして明るくエキサイティングな人間、自分をそんな人間だと感じさせるようなことをしてください。そうすることがエネルギーを与えられているあなたの責任なのです。

   社会の掟に従って行動しようとすると、自分の欲望との板ばさみになります。
   あなた方には「性」とはやましいものとする考え方が行き渡っています。なかには神が人間の性行動のすべてを、関心を持ってじっと見ていると信じている人も多いようですが、神が創ったエネルギーに神は関心がありません。セックスは一人ひとりの問題であり、自分が性というものをどのように考えているかを、あなた方は神に投影しているだけなのです。

   性や性行動の話になると、いつも決まって同じ質問が出ます。
   それはみんなが自分の好き勝手に性行動をとったら、世の中はメチャメチャになるのではないか、といったものです。また規則というものをすべて取り除いたらどうなるか、という質問も出ます。これらに対する答えが、私と地球に住む人々との考えの異なるところです。人間から社会的な規則を取り去ったら、人々は自分自身の「心の掟」を見出し、もっと人間的で自然で、優しく親切になると私は信じています。

   私は人間たちを信じていますが、あなた方人間は自分たちを信じることができません。
   人間は自分たちをまるで、檻の中にいるから理性的でいられるのだとでも思っているかのようです。ですから社会の掟という檻がなくなると、自分を自分で抑えることができず、性欲に狂った野獣のようになると信じているかのようです。でもそんなことにはならないので安心してください。

   人間は「大いなる創造によって生まれた」一部であり、そのゆえに何が一番よいかを知る能力を備えています。ですから人間は内なる指針というものを持っているのです。しかし自らに求めるのでなく、他人がつくった社会の掟にその判断を求めるようになると、問題の本質がわからなくなります。今のあなた方に起きているのはまさにそういうことなのです。本来自分自身のなかにある掟は、完全に予測することができるものです。私はあなた方人間を支配している「宇宙の法則」を知っているので、そのように断言できます。

   人間が人間を創りだしたのではないということは、もうあなた方はわかっていますね。
   人間は創造されたものです。そしてあなたはこの、「あなた」というすばらしいものを与えられたのです。そのゆえにあなたのなかには「宇宙の法則」が働いているのですが、これはあなたが自分で創りだしたものではありません。ですからこの「法則」は、完全に信頼できるものです。それは、人間が作ったどのような法律よりも信頼できるものなのです。

   自分の「存在」そのものを心から信頼しようと決心するなら、他人への思いやりや人の心を理解する能力、また調和や勇気、知恵などの、自分がこれまで求め続けていたもののすべてが、実はすでに自分の中にあったことがわかるようになります。人間の本来の性質や、人間存在の本質は、「大いなる源」の一部から創られました。ですから人間が創られたときの原材料のすべてはそこから来ているのです。

   創造のその瞬間、人間は素晴らしい贈り物を与えられました。
   そのなかでもとくに重要な贈り物が、男性女性というセクシュアリティであったのです。性的エネルギーそのものは、ほかのエネルギーと同じように純粋なものです。しかし何らかの力を手にするとき、人は自問します。「このパワーをどう使おうか。誰と一緒に使おうか。それとも自分の人生にどのように役立てようか」と考えます。それは自分のなかのパワーとして感じるものなので、同じような質問を自分にする必要があります。「私は自分の性を何のために使いたいのか」。これは一人ひとりが自分の心の奥深くで、自分の「あり方」に問いかける質問です。誰も性欲に狂ったりしないので、こういう質問をすることを怖れないでください。

   神が望んだのは、このネルギーの力が深い意識を持って有益な目的のために使われることでした。そしてその一つは人間の喜びのためであり、性の喜びそのもののためでした。しかしそれだけではなかったのです。あなた方は性的エネルギーを外から自分のほうへやってくるもの、あるいは自分の内部から湧き出てくるものだと感じています。しかし神が望んだのは、あなた方人間が性的エネルギーとともに、そのエネルギーの発生源である「大いなる源」へと遡ってくることでした。

   エネルギーというものは発生源の両方向へ流れます。
   ですから人間がエネルギーとともに遡ることができるなら、そのエネルギーの根源である「大いなる源」と合流することができるのです。性的エネルギーは神から人間への贈り物です。そして神からの贈り物はすべて、一つの目的を持って与えられました。それは将来、神のもとへ、「大いなる源」へ戻っていくために使われるためなのです。

   瞑想をしている人は、自分の体のなかを流れ動くエネルギーを感じることができ、そういうエネルギーは自分の肉体を超えたところから来ていることを知ることができます。性的エネルギーにも同じような働きがあり、あなたをより広大な意識へと誘う「引き金」となります。自分がすべてのレベルで学び、成長していく手段としてセックスを利用したければ、自分のまわりで起きていることや性的エネルギーの動きに気づき、それが動くさまを知るようになることです。生殖器部分は宇宙のパワーであるクンダリーニの発火点に非常に近いこともわかるでしょう。

   現在、自分の人生に性を表現する人がいない人は、「自分で」そうしたくないと決めたからなのです。しかし自分の人間観や人生観に従って性欲が表現されていれば、必ず自分に合う相手が見つかります。自分を醜いからとか、太っている、年とっているなどと何らかの理由をつけて自分の性的エネルギーを使わない人は、自分のそうした考え方を外の世界に投影する結果、そのような現実を経験するのです。

   性的エネルギーを無視して生きることで面倒なことから逃げている人がいますが、そういう人は性の問題に何度も直面するはめになります。性的エネルギーは肉体の一部なので、捨て去ることはできません。しかも性欲は肉体が持つ欲望のなかでも最強のものの一つであるからこそ、人間の味方になることができるのです。

   現世でこの問題を解決するか、あるいは来世でするか、いずれにせよあなた方はいつかは自分のこの問題に直面しなければなりません。性的エネルギーという神からの素晴らしい贈り物をどう使うのか、自分の中ではっきさせることです。そうするとあなたの人生に変化が起きてきます。今までとは違う経験をたくさんするようになり、今までなかったものが人生のなかに現れたり、今まであったものがなくなったりします。大切なことは自分に問いかけ、それに答えることです。「私はこの驚くべきパワーを何のために使いたいのだろうか」と。

   セックスによる結びつきの目的は、すべてのレベルで人を育み、育てることにあります。
   たとえば、あなたがパーティに出席しているとします。誰かがあなたに近づいて来て、その結果、あなたのなかに性欲が沸き起こってくるのを感じます。ある人は、「性的エネルギーを今経験するのは有益だろうか」とすぐに自問します。しかしまた別の人にとっては、答えははっきりしています。その人の求めるものは「快楽」です。そこで、そのための行動を選択します。いずれの行動を選ぶにしても、自分の行動の責任をとる覚悟をしてください。

   これらの行動の結果、あなた方は知りたくなかったことを知ることになります。
   つまり、どんな場合であっても類は友を呼ぶ原理から、お互い似たもの同士が引き寄せ合うので、低いレベルにしかいない人が、自分より高いレベルの人に魅力を感じるということは、まず起こりません。なぜなら低いレベルの人にとって、自分より高いレベルの人は自然さに欠けるように見えるからです。

   その次のレベルは、「かたく結ばれているカップル」のレベルです。
   彼らは必ずしも、高い意識を目指すことを目的にしているわけではなく、ただ相手という人間とかたく結ばれているのです。そして一番高いレベルの人たちは、自分の人生のあらゆる出来事や経験を、「神のもとへ帰る」覚醒のために使おうとします。

   性的エネルギーは、神から与えられた贈り物のなかでも最高のものの一つであることを忘れないでください。そしてこの贈り物には何のルールもついてはいません。ルールを作ったのはあなた方人間です。自分が話す内容の質や自分の行動の質、人生に起きるあらゆることの質が自分の責任であるのと同じく、性的な行動の質も自分の責任であって、あなたが決めることなのです。そこには間違ったこととか、正しいことなどというものはありません。それはあなたがどれを選ぶのかということだけがあります。

   性に関する社会的ルールを作った人たちは、自分が性的表現を自由にできないと感じた人たちでした。それは現代の人々のことではなく、古代の聖職者たちのことを指しています。彼らは自分たちは一般の人々とは違うと考え、自分たちはセックスをするべきではないと決めたのでした。しかし彼らはその掟を作ると、すぐにそれを他の人々にも強制したのです。それ以後、性というものは多くの社会的制限を課されるものになったのです。

   一方で、セックスの融合体験を通して、多くの人々が完全な悟りを開いたにもかかわらず、この掟は聖職者によって守り続けられてきました。聖職者たちは、自分たちのやり方で達成された悟り以外は認めず、本物ではないと信じたからです。それはちょうど医者が、西洋医学以外の治療法で治った病気に対し、当初の診断が間違っていたに違いないと信じるようなものです。ですからあなた方が知らずに守っている規則を作ったのは神でも何でもないので、誤解しないでください。神は人間に何も強制することはないのです。

   もし、神がやるべきことをすべて示して、人間はただそれを実行するだけであるのならば、人生にどんな意味があるというのでしょうか? 人生は神秘に満ち満ちた素晴らしい創造の過程であり、あなたもその創造の一部なのです。あなたが考えたり、言ったり、したりすることのすべては、創造的行為を構成する要素なのです。したがって、「過ち」などというものは存在せず、「悪い」ことも存在しません。そこにあるすべては「生きること」なのです。


        book 「バーソロミュー」 チャネラー メアリーマーガレット・ムーア著
                      ナチュラルスピリット

                          抜粋   

WHO(世界保健機構)のワクチン詐欺

   『鳥インフルエンザの嘘』の著者、ジョゼフ・マーコーラ博士は次のように述べた。
   「インフルエンザの話全部に共通していることはただ一つ、それは”広げられる恐怖”である。ブッシュ大統領は、鳥インフルエンザで少なくとも20万人が死ぬ、悪くすると米国だけで200万人が死ぬと語って、パニックを蔓延させた。しかしこの大嘘、でっちあげは、あえて即座に8000万服のタミフルを買うことで正当化されてしまった」

   また同じく、前米国国務長官ドナルド・ラムズフェルドは、豚インフルエンザ薬「タミフル
を押す製薬会社と緊密な関係にあり、鳥インフルエンザの蔓延の恐れについて状況を説明した。そしてペンタゴンは米軍用に3、900万ポンド相当のタミフルを注文した。(2009年5月2日「デイリーメール・オンライン」)   

   人々はトップの人の言うことや、マスコミが流すことなら本当に違いないと信じるので、実際に彼らは多量の薬品を購入して見せることでより信じさせようとするのである。そうした演技がブッシュ前大統領やドナルド・ラムズフェルドなどによって行なわれ、人々の間にパニックが引き起こされたのであった。

   ベティ・マルティーニ「ミッション・ポッシブル」創立者は次のように語った。
   「現代における世界の数多い皮肉の中でも、ジェラルド・フォードが大統領自由メダル「アメリカ市民栄誉賞」を、ドナルド・ラムズフェルド国防長官に与えた以上の皮肉はないだろう。しかも数週間後にラムズフェルドはG・D・サール製薬の会長に就任し、厚生省の食品医薬品局を動かし、発がん性と神経毒で知られた毒物、つまり「アスパルテーム」を認可させるミッションを始めたのである。

   そしてそのミッションは成功し、現在ではほぼ9、000種の普通に消費される製品に、大量の苦痛をもたらす物質という武器が混入されており、その結果、何百万人もの人々がアスパルテームという人工甘味料が原因の慢性病に罹っている。パーキンソンという男が自分の名前にちなんだ病名を持っているなら、ラムズフェルドも彼自身の名前にちなんだ病名を持つべきだ。すなわち、「ラムズフェルド病」という病気である」

暴かれたWHOスキャンダル

   2010年6月5日
   「ナチュラルニュース」で、衝撃の新レポートが次のことを明らかにした。
   それは世界保健機構WHOが、新型インフルエンザH1N1の世界的流行を宣言することと引き換えに、そのトップの科学者たちがワクチン販売によって儲ける製薬会社と緊密な金銭的取引をしていたという。このレポートは『英国医学雑誌』(BMJ)に掲載された。それによりWHOに世界的流行を宣言させることで、ワクチン製造会社に何十億ドルもの利益をもたらす彼らの秘密の癒着を暴くことになった。しかしWHOは、実際には金銭的利害関係において製薬会社側と衝突があったのだが、それを認めることも拒否した。

WHOの信用は地に落ちた

   このレポートはデボラ・コーエン(BMJの特集編集部員)と、『ロンドン調査報道事務局』で働くフィリップ・カーターが記事にした。この中でコーエンは述べている。「・・・この事実が報道されないままであったならば、H1N1はすでに最大の被害者、つまりWHOを信用し、世界の公衆衛生システムを信頼する犠牲者を出していただろう」

   このレポートに応えて、WHOの事務局長マーガレット・チャン博士は秘密主義を弁護して述べた。WHOが金銭的癒着を意図的に秘密にしてきた理由は、「この重大な仕事を担うメンバーの誠実さと独立性を守るため、・・・さらに透明性を強化するためであった」

   チャン博士は明らかに、「透明性」という言葉の意味を理解していない。
   WHOはこれまでも、企業や巨大製薬会社と癒着することで、自らの金銭的利益のために現実を操作してきたのである。


WHOへの非難はまだある

   WHO
を非難しているのは医学出版誌のBMJだけではない。
   『EC議会』に掲載されたレポートでもWHOは非難されている。
  「議会は、H1N1インフルエンザの大流行の処理方法について、WHOだけでなく、EUレベルと国家レベルの保健学の権威たちから警告を受けた。しかしWHOの行動は、根拠の薄いインフルエンザの恐怖をヨーロッパに広げようとして、莫大な公的資金を無駄にする結果になっている」

   しかも「ナチュラルニュース」だけでなく、他の自然健康団体もすでに1年前から同じことを言っているのである。つまりWHOや健康ケア産業がすでにどれほど堕落して腐っているかはかなり知られてるのである。当然、ワクチン製造会社と薬品販売促進する者たちは、こうした調査報道を非難している。

   彼らに言わせれば、WHOには大流行を宣言し、ワクチン投与を進める以外には「選択肢」はないのだという。その意味は、インフルエンザの治療はワクチンしかないと言っているのである。もちろんこれは大嘘である。
ビタミンDは、インフルエンザ感染予防として、ワクチンの5倍の効果があることが、すでに科学的に証明されている。WHOも当然それを知っているが、しかしWHOは世界保健機構という立場にありながら、世界中の人々にビタミンDを勧めたことは一度もない。

   つまりすべての焦点は、高価なワクチンを推し進めることに置かれているために、本当に実効のあるものが勧められることはないのである。つまり人々が鳥インフルエンザの恐怖心に煽られれば煽られるほど、ワクチン投与の重要性が叫ばれ、ワクチンの供給が増えるわけである。そのために、すでに証明されている「自然療法」を知らせないようにしているのだ。

ワクチン詐欺はどのようにして行なわれるか

 one  WHOは自らの世界保健機構という立場を利用し、リスクを誇張する。
   フェーズ6の流行を宣言して大流行のリスクを煽る。

 two  世界各国にワクチンの備蓄を緊急に勧める。
   WHOは、国々に「公衆衛生の緊急事態」と呼び、HNワクチンの備蓄をするようせかす。

 three  その結果、各国は何十億ドルをかけてH1N1ワクチンを購入するので、製造元製薬会社にお金が集まる。

 four  WHOのアドバイザーたちは、ワクチンメーカーから見返り(キックバック)を受け取る。
   この「見返り」は意図的に秘密にされている。

 five  ワクチンの需要が高い状態を保つために、すべての人々がワクチン接種を続ける必要があると警告を発し、人々の恐怖心を煽り続ける。(米国疾病管理センター・CDCもまた、アメリカで同じ煽動を行なう)。

   これが、過去1世紀にわたり、WHOによりワクチン流行が煽動されたやり方である。
   このようにして、世界中に行き渡ったワクチンはいずれは腐って処分され、それが税金に上乗せされる。一方、
すでに科学的に証明されているビタミンDの真実を、人々にあえて伝えようとするものは誰もいない。その結果再び、作り出される次の大流行が彼らにチャンスを与えることになり、まったく同様のパターンが繰り返されるのである。

   次の機会にWHOが何か言うのを聴くことがあれば、思い出してもらいたい。
   彼らのアドバイザーは製薬会社と癒着している人々であり、彼らの目的は公衆衛生への貢献ではなく、その動機は自らの利益と欲に発していることを。

   ところで記録のために紹介したかったのであるが、H1N1ワクチンが「効いた」ということを示す科学的根拠は、残念ながらこれまでにただの一つもないのである。最初のH1N1流行と治療に使われるワクチンや薬も詐欺にもとづいている。
   
   これが、世界保健機構という、リーダーとされる人たちがやり続けてきたことなのである。しかし政府はなぜ、公衆衛生機関をこれほど容易にワクチン産業によって堕落させてしまったのか? そして人々という公衆を、まるでモルモットのように食い物にする陰謀の上にいるのは誰なのだろうか?

   「国際医療マフィア」を調査していくと、最後は「ナチス」にたどり着く。
   つまり、彼らの真の姿は「ナチス医療マフィア」なのである。ナチスについての背景は他に譲るとして、ナチスの最大の問題は、根本的なイデオロギーに「優生学」思想を持っていることである。優生学とは、生まれつき優生、劣生が決まっているとし、劣等民族や劣等な遺伝子は間引く必要があるという狂信的な思想である。

   前章でも触れたが、現代の医療が「産科」や「小児科」ほど脆弱になっているのは、こうした意図的な政府方針から引き起こされており、その元はこの「劣悪な遺伝子」を取り除く発想から来ているのである。薬害エイズも同じであり、血友病という劣悪遺伝子を排除する思想が根底にあったのである。

   そうした連中がこの1世紀にわたり、世界の医療を支配してきたのだ。
   だから当然、まともな医療体制が生まれるはずはない。ナチスの医療マフィアにとって「西洋医学」は妥当なものであった。西洋医学は病気を「敵」として認識する。ゆえに敵である患部に、強力な化学物質という武器を用いて徹底的に破壊する。鋭いメスで敵をえぐり取る。抗がん剤という毒ガスを使用して敵を潰そうとする。敵さえ倒せば、味方が死のうが、その場所が使用不能になろうが構わない発想なのだ。

   病気は「敵」だ、と考えるところからやめなければならない。
   それは現実社会で起きているさまざまな暴動や、経済問題、貧困や格差などに対する考え方に通じるのだ。それを「敵」として攻撃したり、排除するのではなく、それが生まれる原因となった問題を、一つ一つ時間をかけて解決することなのだ。つまりそれらを生み出す原因となったシステムを改善することである。これが正しい選択だろう。

   そしてこうした発想から成り立つ医療は、実はたくさん存在する。
   つまり西洋医学以外の医療は、問題の箇所を改善していこうという考え方なのだ。東洋医学もそうであるし、古来から伝わる伝統医療や民間療法がそうであり、実は西洋医学が主流になる前の欧米においても、19世紀から20世紀初頭まではホメオパシー(代替療法)が主流であったのだ。

   しかしナチス医療マフィアと結びついた西洋医学が、それまであった医療体制を潰してしまい排除してしまった。西洋医学は、医療ギルドという軍隊組織がもとになっており、そのために他の組織に対する攻撃力も強いのである。今の医療体制は軍事独裁体制となんら変わらず、戦争中のナチス・ドイツの状況とまったく同じであることを私たちは理解する必要がある。

   しかし彼らは言うだろう。
   「西洋医学のおかげで人類は発展しているではないか。寿命も伸びたではないか」と。しかし騙されてはいけない。先進国の寿命が伸びているのは、栄養状態と衛生状態が改善されたからであって、必ずしも西洋医学の発展のためではない。人を殺せば逮捕される。これは当然のことである。ならば当然、現代医療を「人殺し医療」にした連中も、その罪を問われなくてはならないだろう。


        book 「人殺し医療」 ベンジャミン・フルフォード著 KKベストセラーズ

                           抜粋
      

     
   

   

   

米国研修で洗脳されて帰ってくる官僚たち

   ここまで日本が腑抜けにされてしまった原因である、占領軍によって押し付けられた憲法も改正する必要があるのではないか、皇室典範も国民の憲法の下というのはおかしいのではないか、そういった伝統的な目覚めが起き始めています。ちなみに皇室典範は皇室の家の決まりを示したものですが、これが国民の多数決で変更されたりするのは間違っています。皇室のことは皇室が決めることであって、国民が決めることではないのです。

   日本人はもうそろそろ自分の国は自分で守る、独立国を建設する決心をするべき時に来ています。今ではもう世界中が、日本を植民地として見ているようなものなので、そうした状態から脱却しなければならない。日本の良さを発揮してこれまで以上に世界に貢献する。しかしその貢献は、これまでのようにただ世界にお金を配ることではありません。そうした闇の権力を富ませる方法ではなく、世界が当たり前の平和を取り戻せるための貢献です。

   国同士のバランスが崩れると「有事」になりやすいのです。
   そして確実なコミュニケーションをとるためには、そのための背景が必要です。つまり、相互に付け入る隙があると、コミュニケーションが一方的なものになります。日本の周辺では、中国が空母を建造するなど軍の強化に励んだりしています。他の国とコミュニケーションを取るときの自らの背景として、軍事的な艦船について言えば、日本はあと5、6隻も増強されればかなり固まると私は見ています。

   竹島のこと一つをとっても、日本には領空侵犯の法律はありますが、しかしその法律はしっかり整っているとは言えないものです。国際法があるとはいえ、これでは自らの主張を通すために説得力に欠けます。

   東西冷戦が終結し、アメリカの覇権も揺らいでいる現状では、もはや日米安保条約は米軍が日本を守るための仕組みではなくなっており、単なるアメリカにお金を貢ぐだけのものになっています。それも歴史的に見ると実際には、アメリカが日本へ駐留してきた目的は中国へ向けたものではなく、日本を封じ込めておくためのものだとアメリカ自身が言っているのです。ですから日本が「いざ」という時に米軍がどう動くかは、結局、そのときのアメリカの都合と国益に従って動くということなのです。

   そのいい例が東日本大震災の時、アメリカ軍は一時、日本再占領を目的としたミッションを進めていたという事実を振り返れば、そのことがよくわかるはずです。つまりは、日本に駐留しているアメリカ軍も、実際には何の抑止力にもなっていないということなのです。逆に今アメリカが、日本の自衛隊をアメリカ軍に仕立てようとしている危険性に留意する必要があります。

   駐日アメリカ大使ジョゼフ・ナイ氏はなかなかの曲者(くせもの)で、親日家のふりをしていますが、日本の自衛隊にアメリカ軍をサポートさせるつもりであり、すでに自衛隊の統帥権もアメリカが握っています。当然のことながら、それは絶対にやっては駄目だと、国体を守ろうとしている人たちに言ってきたのですが。

   闇の権力がことを起こす時マスコミを使い、まず大勢の人々の気持ちを変えながら世論を作っていくといった流れの中で仕掛けてきます。そして世論を作るときに、親日家と思われている人の発言は効果的なのです。そして今はすでに、日本は自分の国を自分で守る気概を持たなくては、立ち行かなくなっている時代を迎えていることに気づかなければなりません。

   日本の原発が拡大する路線を最初に引いたのが中曾根康弘氏です。
   かつてのアメリカに仕掛けられたロッキード事件で田中角栄氏が、闇の権力によって陥れられるという事態の中で、中曾根氏も関与していた疑いを持たれながらも、かなりアメリカ寄りの態度を保つことで何とか乗り切りました。1985年についにプラザ合意を受け入れ、日本の輸出企業が厳しい状況に置かれることになり、たったの2年間でアメリカの希望通り円の価値は2倍になったのです。

   このときの官僚たちは相当アメリカによって洗脳されており、洗脳されていない官僚たちに対してはマスコミによるスキャンダルを表沙汰にするなどして、闇の権力の思うままに操作されました。テレビでしゃべる御用評論家は闇の権力に指示されたとおりに解説しました。それは今でも同じであり、マスコミ、特にテレビで政治や外交問題を解説する人々のほとんどは、アメリカCIAの手先と思って間違いありません。なぜならマスコミやテレビそのものが彼らの洗脳の道具であり、彼らの指示に従わなければテレビに出演できないようになっているからです。

   現在では、政府の官僚たちは課長になると、全員がアメリカに研修に行かされることになっています。そうして完璧、弱みを握られ洗脳されて帰ってきます。ですからすでに彼らの考えは日本人のためという考えではなく、アメリカの意向を自然に受け入れる考え方に変わっています。彼らにその自覚はないでしょうが、それはすでに国賊の集団と考えても間違いではありません。

   中曾根氏は、戦後間もない1950年代に原子力の積極活用の道筋をつけています。
   日本の経済復興期には導入すべき技術であったかもしれませんが、現代までその拡張路線を崩さなかったということは、結局、中曾根氏も闇の権力の言うがままに動いて来た人なのです。彼はもともと、その時の様子で態度を豹変させてきたので「風見鶏」と呼ばれてきた人ですが、風見鶏であるのなら、権力の方ばかりを見るのではなく、本来の風上を向いてほしかったものです。

   誰が首相をしていたときのことか定かではありませんが、一説には日本も言われるがままにしていただけではなく、秘かに闇の権力にやらされていることを外交に生かしていたという噂もあります。それが本当だとすれば、日本もなかなかしたたかだと思います。これは福島第一原子力発電所の4号機にまつわる話です。4号機の建屋には地下があり、その地下4階あたりで日本は核兵器をつくっていたと言われています。

   それを闇の権力が察知してしまい、イスラエルのネタニヤフ首相もそれを怖れた。
   イスラエルは大勢の工作員を日本に派遣しています。その一つが原発の管理会社の人たちです。しかもよりによって、イスラエルの管理会社が福島第一原発の管理に入り込んでいた。その理由は、日本で続々と作られるプルトニウムが持ち出されないように管理するためです。

   アメリカが日本に54基もの原子炉を作らせたのも、プルトニウムを作らせるという目的もありました。使用済み核燃料の処分ができようができまいが作らせてきたわけで、いわば日本の原子炉はプルトニウム生産工場であったのです。

   ですからどういう経緯で、イスラエルが日本の原発の管理に入り込むことが許可されたのかを暴けば、日本のどの機関あるいは人間が、イスラエルの意向を日本の政治や産業に反映させているのかが判明するはずです。

   そして核兵器の原料となるプルトニウムを、日本は北朝鮮を通してイランに売っていた。だから見せしめに、福島第一原子力発電所を破壊したという説もあるのです。イランと日本は結びつきが強いので、あり得ない話ではありません。イランとロシアも結びつきは強く、イランを通してアメリカとバランスを取っているとも言えます。

   これまでにもすでに述べましたが、原子力発電所には放射能漏れを未然に防ぐ装置が作られています。しかしその装置を誤作動させたのが、彼らの命令で動いた日本人職員でした。この2人はイスラエルに行って3ヶ月程度訓練を受けて来たといわれています。彼らは証拠隠滅のためにすでに殺されていますが、福島第一原発が津波を受けて原子炉が暴発するように誤作動させて逃げ、近くの居酒屋で大騒ぎしていた様子を人々が目撃しています。

   原発をめぐる隠蔽体質は、事故から2年が経過していますが、現在でもまったく変化はありません。国会が設立した事故調査委員会が福島原発1号機建屋内の調査を行なおうとした時、東京電力から、「内部は暗くて危険」などと虚偽の説明を受けて、調査妨害を受けた件が明るみに出るなど、未だに信用できない出来事が相次いでいるのです。


         book 「2015年に来る真の危機から脱出せよ!」 中丸薫 青志社

                          抜粋

西洋医療が抱える深い闇

   1970年代、特に1975年以降、男性の肺がんや肝臓がん、すい臓がんなどが胸部において急増し始めた。さて、質問だが、日本で健康診断が義務化されたのはいつからだろうか? そう、1972年からである。これを偶然として済ませるわけにはいかないだろう。そして健康診断の義務化をはかり、間接撮影タイプのレントゲン撮影を導入した、日本医師会の「将軍」こと武見太郎は、どんなキャリアを持っていたのか覚えているだろうか?
   ――それは放射線による人体への影響――であった。

   武見太郎は戦前、日本最高の研究機関だった理化学研究所で、日本最高の原子物理学者であった仁科芳雄のチームに在籍していた研究者でもあった。彼は1983年に、くしくも胃がんで亡くなったが、生前の武見太郎は、決して西洋医学の薬を口にしなかった。体調が悪いときには漢方薬しか飲まなかった。しかも彼は、どんなに周囲から健康診断を勧められても絶対に受けなかった。周りは医者ばかりであり、しかも自身も開業医であったにもかかわらず、西洋医療を拒否し続けたのである。健康診断を日本人に勧めるシステムをつくり、薬価差益が目的で大量の薬剤をばらまいてきた張本人が、そうだったのである。

   ある大手の弁当チェーンの社長は、自らは絶対に自社の製品は口にしない。
   弁当には保存料や添加物が山ほど入っているので危険であることを知っているのである。また、ある大手家庭用洗剤メーカー社員は、自宅では妻や子どもに、自社製品ではなく普通の石鹸を使うようにと命じていた。

   武見太郎は、日本人に大量のがん患者が生まれることを知っていた可能性が高い。
   知っていて健康診断の導入を推し進めたのである。こうした医師にあるまじき行為に、なぜ彼は手を染めたのか? ここに一冊の本がある。タイトルは『誰も書かなかった日本医師会』(草思社)で、著者は地方紙の記者から医療ジャーナリストになった水野肇氏である。タイトルは刺激的であるが、内容は医師会を擁護するもので、武見太郎の功績を持ち上げるいわゆる「提灯(ちょうちん)本」である。しかしだからといってバカにはならず、そうした中にもうっかり重要な秘密を漏らすことがあるのだ。

   そして気になる記述を見つけた。
   「・・・問題は前にも述べた”キングメーカー”の存在である。東京医師会内部には当時、表には出ずに陰で人事を操る人々がおり、しかも彼らは隠然たる勢力を持っていた。・・・(彼らが)”諸悪の根源”だったといわれている」185ページから引用。

   武見太郎が絶対的な権力を握ってきたのも、表には出てこない東京医師会内部の「闇の勢力」があって、それが武見の死後も医師会を支配してきた、そう著者は語っている。医師会の背後にいる「謎の勢力」を匂わせているのだ。つまりは軍医の連合体であった日本医師会が「正規軍」で表の軍隊であったとすれば、その謎の勢力が「ゲリラ部隊」で一種の秘密組織であった可能性は高い。

   表の正規軍である医師会の役目は、日本の医療体制を完全支配することだった。
   そして日本独特の医原病を蔓延させながら、西洋医学の独裁体制を築いてきた。それを維持するためには何が必要か。そのために「闇の部隊」がするべき役割は一つしかないだろう。それがマスコミを動員したプロパガンダである。

   今、日本の医療が崩壊すれば日本人は大変なことになる!
   この世界には危険な病気やウイルスが蔓延している!
   高度な西洋医学でなければ対処できない!
   人類の未来は西洋医療とともにしかない!
   だから日本の医療体制はどんなことがあっても、絶対に維持して守っていかねばならない、と日本人に思わせ続けることにある。

   そのためには世界中で戦乱が頻発し、危険な未知のウイルスが蔓延し、恐怖心を掻き立てる謎の病気が広がる必要がある。


   1910年、アメリカで一人の医学者があるレポートを提出した。
   彼の名前はエイブラハム・フレクスナーといった。そのレポートのタイトルは「アメリカとカナダの医学教育」で、通称「フレクスナー・レポート」という。そして100年前に提出されたこの論文こそが、現代にまで続く西洋医療を蝕む元凶となるのである。このレポートの内容を一言で表現するならば「コールタール医療の提言」であり、このレポートをフレクスナーに依頼したのがジョン・D・ロックフェラーであった。

   石油産業を独占することで巨万の富を築いた初代ロックフェラーは、その財力と政治力を使って医療分野への進出を図り、20世紀を迎えた1901年に、「ロックフェラー医学研究所」を設立した。ロックフェラーの目的は、石油を用いて医療を独占支配することであり、その調査をフレクスナーに命じたのであった。今日では、コールタールは発がん性があることが知られているが、その発ガン物質を医療に用いようというのであるから、医療システムそのものが最初から道を踏み外しているのは当然である。

   ちなみに、コールタールの発がん性を世界で最初に発見したのは、日本人医学者の山極勝三郎である。彼はコールタールを長期間にわたり、ウサギの耳に塗り続けるとがんを発症することを実証したのである。それは当時の医学界の主流であった、がんの寄生虫原因説を覆す画期的な研究だった。それがフレクスナー・レポートが提出されてから5年後の1915年のことである。

   すでにコールタールから医薬品を製造していたロックフェラーにしてみれば、「よくも余計なことをしてくれた」という気持ちであっただろう。その結果、この山極の研究は、ロックフェラーの政治力で徹底的に握り潰されることになる。そして実際に、がん発生のメカニズムでノーベル賞を取ったのは、がん発生原因の寄生虫説を唱えたヨハネス・フィビケル(デンマーク・1926年)であった。そして誰でもが再現することのできた山際のコールタール人工がん研究は、完全に黙殺されたのであった。しかもなぜか現在まで、彼の発見は「医学界最大の汚点」とされているのである。

   こうして日本人医学者を潰す一方でロックフェラーは、フレクスナー・レポートを書いたエイブラハムの実の兄サイモン・フレクスナーが推薦した、別の日本人医学者を「医学界のスーパースター」に仕立て上げたのである。それが、野口英世である。

   サイモンとの共同研究をしていた野口英世は、ロックフェラー医学研究所の所長になったサイモンの推薦を受け、その後アフリカのガーナで客死するまでの間、医学界のスターとしてロックフェラー財団の地位向上と、ロックフェラー一派の医療支配に貢献したのだった。現在では、野口英世の功績の大半は「捏造」であることがわかっている。私は野口を批判しているのではない。彼は、ロックフェラーが医学界の実権を握るために徹底的に利用されただけなのである。山極勝三郎にしても、野口英世にせよ、日本人にとっては実に腹立たしいことである。


        book 「人殺し医療」 ベンジャミン・フルフォード著 KKベストセラーズ

                          抜粋

自らの空虚感を人や物では埋められない

Q、 どうすれば物や欲望などに対する執着から自由になれるのでしょうか?

   
そのためにはまず、なぜ自分はそれから自由になりたいのかを自分に聞くことです。
   「それが良いことだから」とか「それが必要なことだと言われているから」といった一般的なことではなく、それが自分にとって「必要なことだ」と心から信じられることが重要なことです。なぜならあなた方が特定の人や物、あるいは考え方や主義などに執着することに何らかの価値を見出している限り、本心から自由になりたいとは思わないはずだからです。つまり、まだ執着していたいものから、自分を引き離すことなどできないのです。

   ですからまず最初にやるべきことは、自分が執着しているのは何であるかという事実に直面することです。自分が強く執着しているものを見てください。それが夫や妻、あるいは恋人であったり、お金、権力、見栄、立場、セックス、あるいは酒や麻薬などであるかもしれず、そこにはもっと多くの可能性があります。そして、それらに執着することによって今まで自分が得ているものは何であるかのリストを作ってください。

   もしあなたの望みどおり、この執着しているものがなくなったら、あなたはどうなると思いますか? たとえば愛情関係を例にとってみましょう。多くの場合あなた方は、非常に強く執着して生きるのはよいことだと考えており、それを強い愛情だと錯覚して生きています。そのために多くの愛情関係が、実際には相手を失う「怖れ」に根ざしたものになっています。ですから自分の執着を知るためには、今の相手があなたの人生から去っていったらどうなるかを自分に聞いてみるとよいでしょう。

   こういう角度から自分と人との関係を見てみると、相手との関係が自分にとってどういう意味を持っているかが理解できます。この相手がいなくなったら、あなたはもう愛されるに値しない人間になるのでしょうか? あなたを愛してくれる人はもう現れないのでしょうか? あなたは一人ぼっちになるのでしょうか? 

   多くの場合、自分が非常に強い執着を持っていた相手を失った人は、自分はもう誰からも愛されないという思いに打ちのめされるものです。なぜそうなるかといえば、そういう人は自分の価値が何かという判断を、他人に依存することで相手に委ねてしまったからなのです。こうしたことは非常に愚かなことであり、とても非現実的なことなのです。

   自分の愛情関係を見て、自分がいかに相手に執着しているかがわかるとき、その関係が実は、自分を弱くて非力なものにする関係に自らを巻き込んでしまったことに気づくはずです。そしてその関係は自分の人生のプラスではなく、実はマイナスであることがわかるでしょう。そこのところまであなた方が気づいて理解するとき、初めてその執着から自由になりたいという自分の望みに、エネルギーを注ぐことができるのです。

   相手との愛情関係は続けても、執着や所有欲は捨て去ることです。
   執着から自由になり、無限の愛にもとずいた人生を歩むほうが、ずっと大きな満足感が得られるのです。

   車に執着している人を例にあげましょう。
   こうした物への執着は大した問題ではないように思えるかもしれませんが、そうでもないのです。それは、そうした物がその人にとってどのような意味があるかによるからです。非常に強い物欲に囚われている人にとっては、たとえば車は自分の所有物として自分の価値を判断するものになります。つまり「それ」が自分の価値の基準なのです。つまり執着しているものが車であろうと、人間であろうと問題ではないのです。何であれ自分以外のものに執着していると、その結果、それを失うことで自分の価値も減少してしまうと感じるのです。

   しかしながら自分の執着の強さが見えてきたからといって、それまでの愛情関係から抜け出したり、持っている物を全部手放すようにと言っているわけではありません。

   必要なことは、あなたの執着心の後ろには、隠れた空虚感や疎外感、空しさがあるということを認めることです。あなた方はそうした空しさを埋めるために、他人や物にしがみつくことでこれまで生きて来たのです。本来自分のものではない人間や物に執着してしがみつくのは、健全ではないばかりか自由な生き方ではありません。こうしたことを理解すると、物や人にこだわらない境地へ向かって、一歩を歩み始めたことになります。ですから「執着を捨てる」「執着しない」ことに価値を見出すことがその一歩なのです。

   ですから、ほかのことをすべて忘れてしまうほど、自分の恋愛などを深刻に捉えないことです。また自分が所有しているものにあまりにも価値を置くあまり、それを失うことなど考えられないほどに夢中になるべきではありません。これらの物や人があなたの人生に自然に入ってきたり、出て行ったりするのにまかせてください。そしてあなたも喜んで興味を持ってそれらの動きに参加することです。物や人にこだわらないという必要性があなたに理解できると、あなたの意思は「神の意思」と結ばれることになり、この段階をたやすく歩むことができます。

   次のステップは、「気づき」です。
   気づきとは自分の本質を思い出すことです。物や人にこだわらないのもそれを思い出す一つの方法であり、すべてをゆだねることもその方法の一つです。これらはあなた本来の姿ではないものの幻影から自分を解放することができるように、自分の本質を思い出させてくれます。

   つまり、物に対して自分はそれを所有するに値すると考えたり、特定の人に対して自分は関係をつくるに値すると思い、他人や物が自分のエネルギーを使うに値すると考えている限り、あなた方は「こだわり」というものを捨てることは決してできません。あなた方が強く望むことは現実になるので、あなたが「大いなる自由」を得たいという深い望みを心から持つようになるまでは、「自分と神との断絶、自分と他人、自分とまわりの世界との断絶」といったあなた方のエゴが生み出した世界観に翻弄されて生き続けるしかないでしょう。

   ある人との関係が、ほかの人との関係よりも大事である限り、すべては「大いなる一」であることをあなたは否定しているのです。あなた方のエゴは人間関係において特別な愛情関係を生み出して、「あなたは他の人とは違うので特別である」と思わせようとします。しかしながら実際には、あなた方は全て同じなのです。それは今までもずっとそうであったし、これからもそれは変わりません。つまりあなた方にとってもっと優れて高貴な人からもっとも堕落した人まで、すべての人間は同じなのです。

   あなた方が考えるちょっとした違いなどは幻影にしかすぎず、そういった判断は自分と人を比較して自分を縛るためにあるとも言えます。大切なことは今この瞬間にこそ、「大いなるすべて」の完全性が存在することであり、この完全性に触れることができるのは、今この瞬間でしかないのです。人が注意を払えるのは「今この瞬間」だけであり、それは実に単純なことです。一瞬一瞬を意識するとき、あなただけがそこにいてそれ以外のすべては存在しません。そうした瞬間には、自分とまわりの世界が切り離されていると感じることはありません。そこにあるのはあなたと、あなたのなかにあるものと、あなたのまわりにあるものだけのはずです。

   「すべてをゆだねる」というのは、人の「あり方」の問題であり、それは毎瞬毎瞬、「すべてを包む広大無辺なもの」につながっていることをいいます。「広大無辺なもの」につながるためには、「広大無辺なもの」の存在するところにいなくてはなりません。それはどこかと言えば、「未来」や「過去」などは存在しないのですから、それはここ、今しかありません。「広大無辺なもの」とともにいるには、「今というここ」にいなければならないのです。

   あなた方が他人や出来事をコントロールし、自分の感情などをコントロールしようとするとき、それは過去や未来に対する願いに動機づけられています。しかし私は言います、コントロールしないでください。「振り子」を一方だけに固定しようとしないでください。あるがままにさせておくのです。あるがままにさせることによって、その瞬間の心の平安や知恵や「大いなる自由」がやって来ます。

   今、あなたの前にあるものこそが、あなたが知ることのできる唯一のものなのです。
   そこには生があり、死があり、生と死のあいだのすべてのものがあります。「大いなるすべて」とは瞬間の連続であり、それこそがすべてなのです。


        book 「バーソロミュー」 チャネラー メアリーマーガレット・ムーア著
                      ナチュラルスピリット

                          抜粋

「虎ノ門事件」から「光市母子殺人事件」まで

   明治維新以来、日本の支配者層に食い込んだ「長州閥」は、総理大臣からテロリストまでさまざまな人材を生み出してきた。そしてこの系譜は、初代総理大臣・伊藤博文から、光市母子殺人事件の被告人にまで続いている。光市の母子殺害の被告を長州閥テロリストの系譜に含めるのは、支配者層が犯罪を政治利用した経緯において、難波大助の事件と共通しているからである。

   1923年、大正12年に東京の虎ノ門で、摂政宮、つまり後の昭和天皇がステッキ銃で襲撃されるという事件が起きた。しかし狙撃は失敗し、難波大助は現行犯逮捕された。これが世に言う、「虎ノ門事件」である。この事件は治安維持法成立のために、政府に一つの口実を与えたことは確かである。そして一方で、光市母子殺人事件は、死刑廃止論の息の根を止める道具として利用されたのである。

   死刑廃止論というのは一般的に少数派であるが、念には念を入れてこれを潰しておきたいというのが、戦前からの司法省以来の国家方針である。つまり支配者層としては、国家の手で国民を殺す法的根拠を制度的に残しておきたいのである。

   ここで本稿が光を当てるのは、難波大助の故郷が山口県熊毛郡周防村(くまげぐんすおうむら)、つまり現在の光市であったことである。長州閥とは上層と下層から成る、いわゆる「マッチポンプ集団」である。そのために総理大臣からテロリスト、尊王主義者から共産主義者という両極端の人材を輩出してきたのである。つまり、下層の反体制派が上層の権力者に逆らう状況を作り出すことで、支配の口実を生み出すという巧妙な仕組みである。

   2008年に、厚生事務次官が殺害される事件が起きたが、あのときに行なわれたのもそういった同じパターンであった。そして長州閥の下層から、小泉毅(こいずみつよし・山口県柳井市出身)というポンプ役を担う「犯人」を出頭させてこの事件に片をつけた。

   こうしたカラクリの歴史的原点に位置する伊藤博文は、若き日には下層階級のテロリストとして暗躍したのだった。英国公使館焼き討ちを行ない、国学者・縞次郎の暗殺も手がけた。こうして彼が総理大臣になったことから、「両極端構造」の近代史が始まったのである。

   伊藤博文の出身地も現在の山口県光市である。
   そして難波大助が後の昭和天皇狙撃に使ったステッキ銃は、もとを正せば伊藤博文の持ち物であった。なぜ伊藤の私物のステッキ銃が難波大助の手にわたったかといえば、もとよりこの連中はみんな親戚だからである。

   伊藤博文は、もとは林姓の一族であり、本名は林俊輔である。
   父親の林十蔵が萩に出て来て、この地に多い伊藤・井上などの家の中から伊藤姓の足軽株を買った。こうしてテロリストの伊藤俊輔は、英国資本とのつながりを利用して出世を果たし、博文と名前を改めて明治政府のトップになった。総理大臣を務めた後に韓国総統府の初第統監になったとき、実家の親戚にあたる林文太郎を部下に置いた。この時に伊藤は、かつてロンドンで入手した護身用のステッキ銃を文太郎に譲っている。そしてこの林文太郎が親戚の難波家を訪れた際に、大助の父親である難波作之進にステッキ銃を譲り渡した。かくして、伊藤の持ち物であったステッキ銃が難波家に渡ることになった。

   マルクス経済学者の河上肇のエッセイ『思い出・断片』によると、このステッキ銃は、外見はまったくステッキにしか見えなかったが、折り曲げると精巧なピストルが現れる仕掛けになっていたという。そのステッキ銃は難波家の倉庫に保管され、後に大助が猟を始めたいと言って、父親に使用を許可された。もちろん大助はこの銃の来歴を知っており、それは伊藤公の遺品ゆえに父親の自慢の品であった。だからこそ大助は、摂政宮(後の昭和天皇)の狙撃において、この「長州の由緒ある武器」を使ったのであった。

   難波大助は、河上肇の論文に影響を受けて共産主義者への道を進んだ。
   そして河上もまた長州閥であり、岩国市の出身であった。戦後に共産党書記長になった宮本賢治もまた光市出身であり、彼と同じく長州閥のマッチポンプ構造の「左派」の役割を担ったのである。一方の難波家は、筋金入りの勤皇の家系であり、長州閥におけるこちらは「右派」の急先鋒であった。大助も勤皇少年であったが、衆議院議員だった父親への反発や、エリート家族のなかで1人だけドロップアウトするのである。ここまではよくあることだが、大助が人間凶器と化していくのは、そもそも彼のような「人材」を生む環境が長州閥には初めから用意されていたのである。

   河上肇の義弟には共産党活動家の大塚有章がおり、大塚は難波家の親戚で、家も近所だった。そして宮本賢治も、大助の兄嫁の実家筋の親戚である。また長州ファイブの一人で後に宮中顧問官となった山尾庸三とも親戚だった。山尾の娘は木戸孝允の息子・孝正に嫁いでいる。その間に生まれた息子が、第二次世界大戦時の内大臣・木戸幸一である。まさにみんな親戚なのである。

   長州閥における親戚同士で、ある者は総理大臣になり、ある者は皇室の門番となり、またある者は京都帝大の左翼学者になり、ある者は共産党の大物になった。大正期には左翼運動が勢力を拡大したが、仮に共産革命が起きたとしても、長州の親戚が共産政権のトップに立つような仕組みがちゃんとできていたのである。これが同族人脈による分断支配構造というものである。

   虎ノ門事件の発生によって、ときの山本権兵衛内閣は総辞職した。
   大助の父・作之進は議員を辞職して自宅に引きこもり、難波家の地元の山口県周防村は、全村が謹慎を命じられた。摂政宮を警護する責任者だった警視総監・湯浅倉平や、警視庁警務部長であった正力松太郎は懲戒免官となった。大助は翌年に死刑となり、父・作之進は断食を続けて半年後に死んだ。それは事実上の餓死自殺だった。

   しかしこの事件で政界はさぞ混乱しただろうと思われたが、当時の報道ではそうでもなかった。なぜなら彼ら政治家にとっては、皇太子が狙撃されたことよりも、事件をいかに政治利用するかが唯一の課題であったからだ。虎ノ門事件で警察官僚をクビになった正力松太郎は、皇太子ご成婚の恩赦で復権しようと思えばできたが官界には戻らず、財界(米国)の援助で読売新聞社を買収し、事業を成功させた。言わば焼け太りである。

   虎ノ門事件がキナ臭いのは、この事件をきっかけにして、転身して歴史の表舞台に出てくる者が、いずれも札付きの人物であったことだ。たとえば難波作之進の選挙地盤は、同じ松岡洋右(光市出身)が引き継いだ。満州鉄道の理事だった松岡は、この地盤から選挙に出て政友会の代議士になっている。そして松岡の病没後、戦後に同じ地盤を受け継いだのが岸信介・佐藤栄作の兄弟だった。彼らの出世のために難波家がスケープゴートされたようにも見える。

   しかし難波家が一方的に長州閥の犠牲者かと言えば、そうでもないのである。
   難波大助には2人の兄がおり、長男の正太郎は事件当時には久原鉱業(株)に勤務していた。この会社は久原房之助(萩市出身)が設立し、後に義兄の鮎川義介(山口市出身)が日本産業と社名を変えた。つまり現在の「日産」である。大助の次兄の義夫は早くに養子に出されて吉田姓となっており、事件のときには三菱造船長崎支店に勤めていたが、戦後に新三菱重工業の社長になっている。

   皇太子暗殺未遂事件を引き起こした共産テロリストの実の兄であっても、三菱重工の社長にまで上り詰めるためには、そういったことは支障にならなかったようである。むしろ難波家出身であることはエリートであり、そのゆえに将来が約束されていた節があるのだ。長州閥というのは、政官財界に人材を送り込む同族集団である。そして難波家も、その有力な家系として機能していたのである。

   虎ノ門事件は、往々にして短絡的な若者の衝動的な行動のように思われがちだが、実は長州閥の正体を内部告発した事件という性格がある。大助は裁判の最終陳述で、「皇室は共産主義者の真正面の敵ではない」と述べている。「皇室を敵とするのは、支配階級が無産者を圧迫する道具に皇室を使った場合に限る」という。つまり支配者が皇室を操作して利権をむさぼっている構造を大助は見抜いていたのだ。彼の敵は、自分の生家を含む社会統治そのものだった。

   そして支配者層は大助の主張が世間に広まることを恐れ、事件の意味を矮小化させようとした。そのために大助を狂人扱いするか、もしくは反省の言葉を述べさせようとしたが、大助は最後まで、転向の意志を見せなかった。そのために、急いで死刑にするしかなかったのであった。
          文 小池壮彦


        book 「真説 ニッポンの正体」 高橋五郎×小池壮彦 ミリオン出版

                          抜粋

NHKやマスコミが伝えない「上関原発建設」

   山口県の南東部で、瀬戸内海に延びる室津半島の先端に、中国電力が計画している「上関(かみのせき)原発」がある。その地は古代から海上交通の要所である。そこから海を挟んだ四国の愛媛県にはすでに四国電力の「伊方原発」がある。ごく近い場所であるにもかかわらず、電力会社は別個に原発を持ちたがる傾向があり、それぞれの縄張りで「武装」することをステイタスとしたいようである。

   しかしこの先、もし日本列島に道州制が導入された場合であるが、そうなればこれまでの地域別という区画はなくなり、それに代わりすべてのエリアは電力会社の管轄に準じることになる。つまりこれは事実上、日本の分割なのである。だから独立採算が困難な州は、当然外国資本に頼ることになる。ある州はどこぞの外国資本に頼り、またある州は別の外資に支配されるという形になり、こうして日本は自然に消滅する。今、東北がこの実験台になろうとしているが、この問題はまた別の機会に譲る。

   「上関原発」は、1982年に建設計画が表に出てから、推進派と反対派の激しい対立を経て今日に至っている。上関という現場海域は豊かな漁場である。電力会社がいくら「安全です」と言ったところで、今やそれを信じる者などどこにもいない。そしてここでも札束攻撃が威力を発揮し、金に目のくらんだ住民は悪魔の手先になることも厭わなくなった。中国電力がそうした地元への工作費、建設準備費等のために使った金はすでに450億円に達しているが、一方、上関町の人口は3000人強に過ぎない。これから考えても、その金額がどれほど破格なものであるかがわかるだろう。

   だが、いかに札束を積まれてもこの計画は無理なのである。
   その理由は、原発建設予定地の四代地区に、「四代正八幡宮」という神社があるからなのだ。この地域はその原形をさかのぼれば、そこは太古からの鎮守の森である。しかも縄文時代の名残を伝える神の土地なのである。しかし中国電力はそれを承知のうえで、この地域を原発予定地に組み込んだのだ。すなわち、これは国策による「神殺し」なのだ。

   神社の土地の買収計画は、1998年から進められてきた。
   当時の四代正八幡宮の林晴彦宮司は、当然ながら神社所有の土地売却を認めなかった。しかも宗教法人法においても、神社地の処分は厳格に戒められているのだ。ましてや林宮司は日本の神官として、地元の聖地を金と引き換えにするような人ではなかった。

   すると中国電力は、県知事や自民党の有力政治家や、県神社庁やマスコミを利用して、林宮司に圧力をかけたのである。県神社庁の神職が突然やって来て、林宮司の祭祀を妨害することもあった。中国電力は日本の神々の抹殺に執念を燃やし、ついに「神社本庁」に働きかけて林宮司の解任を画策した。しかし林宮司は、決して圧力に屈しないという覚悟を次のように述べた。

   「法律上の最高権限を持つ神社本庁の代表役員が、神社地の売却を承認することにでもなれば、それは自らが制定した法規を自分の手で破壊することであり、それは神社本庁自体の瓦解を意味するだろう。それは瀬戸内海地域に暮らす多くの人々を途端の苦しみに陥れることであり、人間の生死にかかわる問題をいったい誰が責任をとるというのだろうか。これが犯罪でないならば、世の中に犯罪というものはない」

   この翌年、神社本庁は原発政策の支持を打ち出した。
   そして神社地を中国電力に売却するように、「四代正八幡宮」に命じたのである。それとともに、林宮司は一方的に解任されることになった。その代わりに昇格したのは、原発賛成の宮司であった。このとき、林宮司が書いていない
「退職願」が何者かの手によって偽造されており、林宮司は山口県神社庁を相手取って裁判を起こした。しかしこの訴訟の最中の2007年3月、林宮司は突然死亡したのである。心労が重なったとも見られるが、裁判で事実が明るみ出ると困る連中が何らかの手を下したとも言われている。

   裁判は、2009年に一審判決が出され、「退職願」が偽造文書であることは認められたが、山口県神社庁の犯罪関与は否定された。翌年の二審判決でもやはり、山口県神社庁によるとされた違法手続きは否定された。にもかかわらず、誰が「退職願」の偽造文書を作ったのかは明らかにはされなかった。

   野田佳彦氏は総理大臣に就任したとき、記者会見で原発政策の行方を聞かれ、「寿命が来たら廃炉で、新規(建設)は無理です」との見解を示した。そのため上関原発はこの時点ではとりあえずストップがかかった。

   明らかなことは、これは「国策」であるということだ。
   つまり日本政府があらゆる手を尽くして、日本の神々の抹殺に異常なまでの執念を燃やしているという事実である。この現実は、「日本国」が「日本ではない」という明白な証拠なのである。

   原発問題というのは、「原発利権」の問題であって、発電所という「ハコモノ」は手段に過ぎない。電力の問題はカモフラージュに過ぎず、擬態としての電力の問題を煽りつつ、その実態は核燃料や放射性廃棄物の貯蔵庫が足りないだけなのである。欧米資本は笑いながら、「さっさとやれ」と尻を叩いている。この政策を続けていくなら、当然日本は核の墓場になっていくのは間違いない。それでもいいから神社などは潰してしまえというマネーゲームに狂奔しているのが、官僚であり政治家、電気屋、マスコミなのである。ここまで来れば、彼らの正体がなんであるかがはっきりわかるだろう。もちろん日本人ではない。

   「これが犯罪でないならば、世の中に犯罪というものはない」と、故林宮司は血涙をふり絞って抗議し、日本の行く末を憂慮した。原発マフィアに加担した「神社本庁」の判断は日本の歴史に禍根を残した。神社地売却問題というのは、日本を偽装した国家もどきであり、「日本国」の正体を如実に物語るものである。しかももはや、その醜態を隠そうともしないのだ。縄文文明の破壊に始まる日本列島の「神殺し」は、明治維新と第2次世界大戦を経て、ついに最終段階を迎えている。
                                   文 小池壮彦


   
戦時中、大日本帝国の軍部が国民に、「勝利!勝利!」と連呼して、悲惨な特攻作戦に導いたのと同じように、国が国民をあざむく作業が戦後の原子力産業でスタートした。その秘密の作業の中心にいたのが、東海村原子炉導入に奔走した白洲次郎であった。このような恐ろしい人間をみなで持ち上げるのが、現代のマスコミのつとめのようだ。
                                   広瀬隆『原子炉時限爆弾』


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「真説 ニッポンの正体」 高橋五郎×小池壮彦 ミリオン出版

                           抜粋

公明党は「政教一致」の違法政治団体

米軍の救出優先順位   

   最近のマスコミの動きを見ていると、いかに評論家と称される人々が何も知らないかがよくわかる。たとえば沖縄の「米軍基地問題」にしても、長い自民党政権の時代に国民が洗脳されてきた「駐留アメリカ軍が日本を守ってくれている」という神話が、いかに大嘘であるかということだ。まず沖縄に駐留するアメリカ軍の規模だが、総勢でも自衛隊の1個師団もいない。戦艦に至っては常駐するのは本土の上陸艇くらいで、仮に自衛隊が沖縄の米軍を攻撃すれば簡単に吹き飛ばせる規模である。

   おまけにアメリカの世界戦力の見直しのために、駐留する米軍基地に「核兵器」を置く必要がなくなった。「第7艦隊」にも核兵器を搭載する必要はなく、「オハイオ」に代表される大型トライデント級原潜が世界中の海に就航し、世界のどこにでも海底深くから核ミサイルを撃ち込めるようになっている。だから沖縄のその程度の規模で日本を守れるわけがなく、駐留米軍はアジアで有事の場合、アメリカ人を脱出させるために駐留しているだけなのだ。

   ほとんどの日本人に知らされていないのは、駐留米軍の有事の際の「優先順位」である。それは誰から順番に救い出すかが指示されたものである。優先順位の1位はアメリカ人である(当然だろう)。第2位はイギリス人およびカナダ人、オーストラリア人、ニュージーランド人などのアングロサクソン国の国民。第3位がアメリカの永住権(グリーンカード)を持つ人々。第4位は、アフリカなどのその他の民族である。そして日本人は第4位のその他に指定されている。

   所詮、日本人はアメリカ人の奴隷なので、アフリカ人並みで構わないということだが、そこにアメリカ人の本性が現れている。そして実際にベトナム脱出の際、アメリカ軍は日本人を救出せずに置き去りにし、結局日本人を救出したのは「第2次世界大戦」の時の同盟国であったドイツだった。その駐留アメリカ軍に対し、自民党は1978年から「思いやり予算」という詭弁で、アメリカに対して多額の献金をするようになった。当初は62億円だったものが、麻生政権下では2083億円にも達し、日本人の血税が日本人を守るためという「嘘」で支払われてきた。

   2009年に行なわれた北朝鮮の核ミサイル実験の際、アメリカが「イージス艦」を多数日本に配備したことがあった。そのことを多くの日本人は自分たちのためだと考えて喜んだが、実にオメデタイという他はない。あれは北朝鮮のミサイルの水準を確かめるためであり、目的はアメリカ本土を守るためのデータ収集であった。さらに言えば、今のイージス艦では北朝鮮のミサイルを撃ち落すことはできない。アメリカは最初から日本を守る気はなく、仮に守るとしても不可能なのである。

公明党は「政教一致」の違法政治団体

   民主党政権になって初めて本格化した「事業仕分け」であった。
   民主党は4年以上をかけて仕分けを徹底すると明言し、第1弾は霞ヶ関の「省庁」の無駄使いを暴き、第2弾は「独立行政法人」にメスを入れた。さらに「宗教法人」に手を入れる勢いだったために、創価学会は戦々恐々としていた。そのため公明党は、民主党の仕分けを徹底的に妨害せねばならなかったが、それが池田名誉会長の命令だったとされている。

   莫大な収益を上げる創価学会は、民主党によって宗教法人への税制優遇措置の特権を奪われてはたまらない。創価学会が企てる、日蓮宗による日本支配と世界制覇の夢は、莫大な収入を生む税免除、あるいは優遇措置により成り立つビジョンであり、池田がもくろむ「ノーベル平和賞」獲得は、そのための重要なステップである。

   日蓮は、己の宗教だけが世界唯一の真理なので、他はすべて排斥せねばならないと断言した男だった。つまり排斥される側にはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教も入っており、神道も入っている。つまり、神社の本当の持ち主である天皇陛下は日蓮の敵になるのだ。それを原理主義の創価学会は表に出さずに隠しており、その実態はカルトそのものである。だからフランスではカルトと認定され、アメリカでもその傾向が強いとされて調査が行なわれている。

   国内においては宗教団体が政治介入する行為は、「政教分離」を掲げる「日本国憲法」の明らかな違反である。だが当時、創価学会に協力的であった検察のトップが問題はないとしてゴリ押しし、その結果誕生したのが「検察保護の公明党」だった。だから当時の検察と創価学会はつながっており、結果として他のカルト教団である「幸福の科学」や「オウム真理教」の参政を生むことになった。最高検がなんと言おうと、公明党は明らかな反憲法政治団体であり、今からでも潰しておかないと必ず日本にとって害となるだろう。しかもすでに長期政権化の自民党と結託し、日本をここまでダメにした戦犯である。

   金まみれは自民党も同じで、個人もさることながら、自民党本部はブラックボックスの「マネーロンダリング」により、一部の浮上な金を浄化している噂がある。「国民政治協会」がその集客口とされており、自民党本部の土地などは、国有地であるにもかかわらず、過去において一度も使用料が払われていない。その場所は「超優良物件」とされており、路線価をもとに算出したところ賃貸料は、1300平方メートルで年間約1億1千万円になった。

   民主党が政権与党として、法的強制権を与えた仕分けを本気でしていたら、霞ヶ関は悲鳴を上げていただろう。それが4年以上もかけて実行されていたならキャリアと天下りの特権先は消滅し、税金による豪華な生活はもろくも崩れていたはずだった。しかし民主党も結果として、霞ヶ関に飲み込まれてしまったのである。

ライブドア・野中英昭の怪死事件

   2006年1月、ホリエモンで知られる「ライブドア」のエイチ・エス証券副社長の野中英昭が沖縄で怪死するという事件があった。それも警察の上層部、つまり検察のしわざと考えられる。暴力団を使って口封じをした可能性がきわめて強いからだ。しかもこれに関係した暴力団員も殺すという念の入れようで、己の身に火の粉が降りかかるなら本性をむき出して殺しも辞さない。

   あまり知られていないが、野口と接触した沖縄市美里の無職、沖縄旭琉会成一家幹部の東江公男組員がやはり怪死している。それと連動するかのように、野口怪死の前々日、つまり暴力団員怪死の前日に、検察によるライブドアの家宅捜査が始まっている。

   こうして表社会と闇社会との接点を果たした両方が、得体の知れぬ組織に消されたのである。もしこれを嘘と思うのなら、沖縄警察署に保管されていた野口の血塗れのTシャツが、消えてしまった出来事を思い出すといい。警察署から証拠品がなくなるのは、警察関係者が持ち出した場合だけである。それについて追求する野口の妻に、沖縄の警察関係者の一人は「本土(検察)の命令なので仕方がなかった」と漏らしたのだ。

   答えは簡単だ。
   あのTシャツには、野口を殺した加害者の血痕も一緒に付着していたからである。だから野口は自殺したのではなく、裏金に一部かかわっていた検察のトップクラスが命令した殺人であったということだ! こういった特高警察ならぬ検察に、国家権力の番人である「4大新聞」が、検察自前の作り話を前面支援して掲載したのであった。


            book 2013年「超」世界恐慌 飛鳥昭雄箸 ヒカルランド

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