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第3次世界大戦は起きない

   この9月中旬から1ヶ月の間だけでも、世界ではいろいろなことが起きています。
   本稿は脱稿していましたが、気になる動きが出て来たので最後に書き添えます。今年2013年10月16日(日本時間の17日朝)、アメリカでは債務超過を翌日に控えたギリギリのタイミングで、連邦債務の上限を引き上げる法案が可決しました。もしこの法案が通らなければ米国債はデフォルトし、ドルは急落、市場も大暴落して、アメリカの危機どころか、一気に世界恐慌へと突入しかねなかったのです。

   しかしそれも最終的には、危機が回避されるだろうということは誰もが予想していたことでもありました。つまり、とんだ公然の茶番劇であったわけです。なぜそんな見え見えの茶番劇を演ずる必要があったのでしょうか。そして同じ日に日本では、小泉元首相が木更津市内で講演を行ない、「日本は原発ゼロで十分経済成長できる」、と突然の「脱原発発言」を宣言したのです。同じ日に起きた、一見無関係に見えるこうした動きを追っていくと、その背景にある大きな変化の兆しが見えてきます。

   アメリカで今回のデフォルト危機を演出したのは、共和党に影響力のある保守系の草の根運動組織 、「ティー・パーティー」です。この組織は、世界経済の危機を招きかねない危険な瀬戸際戦術を繰り広げたとして、すっかり悪役にされてしまいましたが、この組織の起源をたどると18世紀のアメリカで、当時の宗主国であったイギリスの圧政に反発して立ち上がったボストン急進派が元になっています。そしてこの組織が、東インド会社のイギリスの船を襲って、積荷の茶箱を海に投げ捨てた「ボストン茶会事件」に端を発していることから、この組織は「ティーパーティー」と呼ばれるようになりました。

   現在のティーパーティー派は、オバマ政権が誕生した2009年頃から相次いで発足したと言われており、この組織が実際に240年前の「茶会事件」と直接関わりがあるかどうかは不明です。またこの組織を、イルミナティの世界支配に抵抗する勢力と判断してよいかどうかも、情報が不足していることからよくわかっていません。ただ議会では少数派であるにもかかわらず、今回の大掛かりな政争を演じて見せたことなどから、あなどれない影響力を持っていることは確かのようです。

   では今回の「茶番劇」は何だったのかということですが、結果的に、アメリカ政府とティーパーティー派の演じた茶番劇のおかげで、世間の関心をすっかりシリア問題から逸らすことに成功したのです。すでに述べたように、アメリカはシリア紛争に介入しようとしていましたが、結果的に、ロシア政府の仲裁があったおかげで、アメリカの主張するシリアの化学兵器使用疑惑に触れることなく、空爆を中止にしたのでした。

   それでは、小泉元首相がした原発ゼロ宣言にはどのような意味があるのでしょうか。
   小泉首相と言えば、経済学者の竹中平蔵氏とともに、アメリカ政府の指示に従って郵政民営化などの政策を推し進めて、日本の国益に大損害を与えた張本人です。ですから今回の発言も、アメリカ政府の意向を受けたものだと考えるべきでしょう。ということは、アメリカ自身が脱原発に向けて舵を切ったということことを示しています。より正確に言うならば、現在の「ウランを原料とした原子力発電」から、「トリウムを原料としたトリウム発電」への転換を図っていると考えられるのです。

   トリウム発電は、いったん燃やした原料を再び原料化し、すっかり灰になるまで燃やし尽くすことができます。つまり、やっかいな核廃棄物を出さないのに加えて、核兵器の原料になるプルトニウムを生産しません。ですから原子力の平和利用を推進し、核の拡散を防止する切り札として期待されているわけです。

   実は、オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した本当の理由はこれだったのです。
   表向きは2009年に掲げた「核なき世界」というヴィジョンに対して与えられたということになっていますが、それも何の裏づけもなくそういう宣言をしたわけではなく、その背景にはトリウム発電を開発したという功績があったのです。

   これまでは核兵器を手放したくない軍産複合体の抵抗がありましたが、近年、彼らの力が衰えたことからアメリカではトリウムへの転換が急ピッチで進んでいます。小泉氏はそうしたアメリカの変化を感じており、それでアメリカに沿うべく、「いつまで原発に固執しているつもりだ。アメリカはとっくに原発政策を転換しているぞ」、と現政権にボールを投げたわけです。

   ということは、アメリカはもう核兵器を作らないと決めたということでしょうか?
   これまで戦争ばかり仕掛けてきたのに、突然、平和主義に目覚めたとでもいうのでしょうか? 本当にそんなことがあるのでしょうか。

   そして色々調べたところ、興味深い情報を得ることができました。
   それは、どうやら闇の勢力内部で、大きな戦略の転換があったようなのです。これまで闇の勢力は、世界を破滅的な大規模紛争へ巻き込むことで、文明を破壊し、世界を支配するという構想を持って計画を押し進めてきました。そして事実つい最近まで、そのシナリオに則り、世界戦略を展開してきたのです。

   ところが最近では、別のオプションを考えているようです。
   あるいは思うように事が運べない、何らかの外的理由が持ち上がっていることも考えられます。
彼らの闇の組織内で世代交代などの何らかの変化があり、戦略が変わったのかもしれません。そうした変化の兆しが、アメリカのシリア内紛への介入の突然の失速や、イランとの融和路線を取り始めていることにも表れています。したがって、世界で局地的な紛争はあっても、第3次世界大戦は起きない可能性が出てきたのです。

   しかしだからといって、闇の勢力が人類の完全支配を諦めたと考えるのは早すぎます。これまでの大規模紛争のような方法ではなく、別の手段を考えている可能性もあるからです。

                          sun

   2012年12月から人類は第5番目の世界へと入っており、地球はフォトンベルトに突入しました。つまり私たちはもういつからでも、自分の意識が変われば次元上昇できる状態にあるということです。ですから厳しい修行も、時間をかけた瞑想も、何も必要ありません。執着やとらわれから自分を解放するならば、やがて自然に5次元へと上昇します。

   次元上昇すると何が変わるのかと言えば、表面的にはそれほど大きな違いは見えないと思います。けれども、内面的な意識の部分で大きく変わります。まずお金に囚われなくなります。お金儲けに関心がなくなり、自分たちが食べていける収入以上には欲しないようになります。物品への執着もなくなり、身に着けるものは必要最低限のものでいいし、ブランド物や高級車にも関心がありません。

   食べるものは質素になります。
   食べる量も少量になるので食費もかかりません。肉体的には軽くなり、感覚が鋭くなります。ですから何かを創造したいという衝動が高まり、アイディアが泉のように次から次へと湧いてきます。次元上昇した人は、音楽を作り出したり、詩を作ったり、踊りを創作したりするそういう毎日を送っています。消費することとは逆に、創造します。

   今、やりたいことがわからないという人が増えています。
   何をやっていいのかわからず、とりあえず生活のために必要なので働いているけれど、毎日生きていても辛いことばかりで将来の希望が見えず、自分は意味のない存在で、意味のない人生を送っていると。もしそう思っているとしたら、それは気がついていないだけなのです。

   人には誰にも必ず、その人のやるべきことがあるので、そのゆえに人生は自分の思った通りになるのです。しかしそれが見えない、それを信じられないのは、その人が毒されているからです。まず、テレビを見るのをやめましょう。ネットも携帯電話、スマホもほどほどにしましょう。どんなにそこに目を注いでも、そこに答えはありません。なぜならすべての答えは自分の中にあるからです。私たちは生まれながらに、自らのプログラミングを内に持っているからです。

   あなたが「こうしたい」と思った瞬間から、その思考がセットされて仕組みが動き始め、それを実現するように動き始めます。この宇宙が喜びとともに創造されたように、根源創造主の分身である私たち人間も、喜びとともに自分のやりたいことを実現することができます。「これをやりたい」と望めば、その望みは実現し、自分の望む人生が送れるようになっています。ですから、あなたがやりたいことをしてください。あなたの内なる神はあなたとともに生きて働き、それを成し遂げるのです。


     book 『いよいよ「超霊的パワー」が世界を開放します』 田村珠芳著 徳間書店

                            抜粋

750年後の未来から来た人類「ウィングメーカー」

   南米の地下施設においては、さらにそのほかにも奇妙なものが発見されています。
   今から40年ほど前、ニューメキシコ北部の渓谷で、ハイキングをしていた若者たちが奇妙な人工物とペトログリフ(洞窟壁画や文字や記号)を発見しました。この話はすぐに国中に伝わり、ニューメキシコ大学の考古学者が調査に乗り出しました。しかしそこにあったものは、これまでに発見された他の遺跡や絵画などとの共通項がいっさいなく、まったく見当がつきません。それで考古学者たちは世界中の学者たちに呼びかけ、共同調査をすることを提案したのでした。

   しかしなぜか、そこにアメリカのNSA(国家安全保障局)が乗り込んで来て、発見された施設を閉鎖してしまったのです。その理由は、どうやらそれらは単なる遺跡ではなく、地球外起源のものらしいと嗅ぎ付けたからでした。彼らはその遺跡を「エンシエント・アロー」と命名し、大規模な発掘プロジェクトを組織しました。しかしNSAの徹底的な調査にもかかわらず、何も解明することができなかったのでした。

   その後20年が経った1994年に、その渓谷である変化が起こりました。
   そのエンシェント・アロー遺跡の周りで大規模な岩盤の崩落が起きたのです。その崩落の後、調査に乗り出したNSAは、そこで驚くべきものを発見しました。その遺跡の奥に巧妙に隠されていた地下への入り口を発見したのです。

   中に入ると全体が螺旋(らせん)構造になって地下へと通じており、そこには1から始まって23番までの部屋が存在していたのです。それぞれの部屋には謎のペトログリフ(洞窟壁面や文字や記号)とヒエログリフ(古代エジプト由来の文字や記号)、そして明らかに人工遺物とわかる数々の品がありました。

   そして彼らが最後の23番目の部屋に入ったとき、、小さな光ディスクを発見したのです。その小さな光ディスクにその遺跡を解く鍵があるとにらみ、その後2年をかけて解明に乗り出したのですが、情報にアクセスするコードすら発見することができませんでした。解読をあきらめたNSAはこのプロジェクトを打ち切ることを決めたのですが、解読を担当していた2人の科学者のたっての願いで、解読作業が細々と続けられることになりました。

   そしてそれから5ヵ月後、2人はついにアクセスコードを解読し、光ディスクから8000ページにも及ぶ情報を引き出すことに成功したのです。さらに6ヶ月かけて、その情報を英訳する方法も見つけたのです。するとそこには、哲学論文や科学論文、音楽、詩歌などが収録されており、さらにその製作者についても明かされていたのです。それによると一連のその遺物群はタイムカプセルだと言っており、製作者たちは自分たちのことを「ウィングメーカー」と呼んでいたのです。

750年後の人類からのメッセージ

   
ウィングメーカーは、また自分たちのことを、「およそ750年後の未来から来た人類の代表者」であると説明しました。750年後に生きる人類ということは、私たち人類が生きている世界と同時進行で展開されている「パラレルワールド」(多次元並行世界)の住人ではないかと思われます。おそらくその役割は次元を超越して、順繰りに受け継がれているのでしょう。ですから現在の我々がその謎を解明したら、やはり同じく、別のパラレルワールドで生きている750年前の人類に情報を伝えるべき時が来るはずです。

   そしてウィングメーカーが言うには、一連の遺物群はタイムカプセルであると、人類が未来を生き抜くために必要な情報がそれに収められており、これは最初に発見されたこの遺物を含めて世界には7つのこうしたものが存在する、必要になった時に必要なタイムカプセルが順繰りに発見されるように、前もって精緻なプログラミングがされている、ということでした。

   つまり、ここニューメキシコにおけるエンシエント・アローの発見も、また岩盤の崩落によって23の部屋と光ディスクが見つかったことも、単なる偶然ではないということのようです。ちなみに情報によると、まだ発見されていない残りの6つのタイムカプセルのおおよその位置は、次ぎの通りです。

   ・ ペルーのクスコ付近
   ・ アフリカ中央部チャド湖周辺
   ・ フィンランドのヘルシンキ北部
   ・ 中国の広東省付近
   ・ オーストラリア中央南部
   ・ 南極のウィルクスランドにあるヴォストーク湖付近

   
光ディスクの謎を解読した科学者は、そのものすごい情報に興奮しましたが、同時に大きな恐怖も感じました。なぜならその情報は750年後を生きている人類が残した伝言なわけで、当然、これからの未来に起きることが書かれているからです。科学者はその未来の予言にまさに慄然(りつぜん)としたと思われます。そしてこの情報は秘中の秘とされ、厳重に隠蔽されることになりました。

   しかしこの科学者たちは、この情報はアメリカ諜報機関(NSA)だけが握って伏せておいていいものではなく、全世界に公開されるべきだと考えました。なぜなら人類全体の未来に関する重要な情報が書かれてあったからです。そこで彼らはNSAに情報の公開を要求しましたが、拒否されるとともに退職を勧められました。しかし重要機密を知る人間が退職するということはどういう意味を持っているかわかるでしょうか。当然、重要機密を持ったまま退職されると困るわけで、そのまま退職させるわけにはいきません。

   そこで行なわれることは、その記憶を操作して重要機密事項に関する情報を消してしまうことです。彼らが情報公開を要求した時点で、彼らは「危険人物」扱いになったはずなので、本人の了解を得ずに強制的に記憶操作をされるわけです。それで彼らは、記憶操作される前に情報を公開しなければ2度とチャンスはないと意を決し、科学者は組織から脱走したのです。

   しかし科学者は、組織がリモートビューイング(遠隔透視)を使って、世界中どこへ逃げようとも追跡できる能力者を囲っていることを知っていました。だから自分はいつか捕まることを覚悟の上で、組織から持ち出した情報を公開することを決心しました。科学者はあるジャーナリストに連絡をとり、情報を全世界に公開するように依頼しました。その若いジャーナリストは現実的な考え方をするタイプの人間で、最初は信じなかったようですが、さまざまな文書や写真、またデータから得られたテクノロジーを実際に再現した機械などを見せられ、それらが本物であることを確信するに至りました。

   ジャーナリストは、都合5回にわたって科学者にインタビューを行ない、科学者が勤務していたNSAの機密機関に関する情報や、光ディスクに収められていたデータ、タイムカプセルとウィングメーカーについての情報などを提供されました。また科学者からは見返りの要求は一切なく、ひたすら持っているすべての情報を公開してくれました。そうして接触を重ねていたある日、約束の時間と指定の場所に彼は現れず、それを最後に連絡が一切取れなくなりました。

   ジャーナリストは、「捕まったか、あるいは殺されたのだろう。いずれにしても提供されたこの情報を発表しなければ」と決心しました。しかし組織からの妨害が入ることを恐れ、書籍や雑誌などによる公開は避け、無料のウェブサイトによる公開をに踏み切ったのです。


    book 『いよいよ「超霊的パワー」が世界を開放します』 田村珠芳著 徳間書店

                           抜粋
 

   

南米は日本人にとって深いかかわりのある土地

   近い将来、南米で大きなことが起きそうです。
   それが何なのかはっきりとはわかりませんが、かつてスクナビコナ(少名毘古那神・少彦名)が南米に渡って開いたとされる7つの宝石の都が、稼動するべき時が近づいているのかもしれません。そして南米のその地へは、その後たびたび日本人が訪れています。

   その筆頭が、飛鳥時代に活躍した「物部(もののべ)氏」です。
   物部氏とは、天孫降臨伝説で知られる饒速日命(にぎはやひのみこと)を祖先とする氏族のことで、大伴(おおとも)氏に並ぶほどの有力な軍事氏族でした。彼らは、「大陸から伝わった仏教を背景に権力基盤を強化しようとした蘇我一族と対立し、権力闘争に敗れて衰退した・・・。」、と一般的な日本史ではそういうことになっています。

   以来、物部氏の系統が、歴史上何度か南米へと渡っています。
   熊本県出身の藤森直一・ムツエ夫妻もそうした人々かもしれません。藤森夫妻は後に、日系人として初のペルー大統領となったアルベルト・フジモリ氏のご両親です。藤森夫妻は熊本県河内町出身ですが、物部氏の本貫も河内郷です。ちなみに河内といってもこちらは大阪府なので、場所こそ違いますが同じ地名であるということは元をたどると祖先が同じ、あるいは非常に近しい関係の可能性があります。

   つまり開拓団にまぎれて物部氏たちの末裔(まつえい)が南米に渡り、大昔の祖先たちが南米に残した遺産を護るために仕事に就いていた可能性があるのです。大統領に就任したフジモリ氏は大胆な経済改革を断行し、日本との関係を強化することで、経済援助や開発援助を引き出し、前政権で落ち込んでいたペルー経済を劇的に立て直しました。彼は確かな政策とプランと実行力を持ち、人格も高潔で、不正をしないフジモリ氏は非常な人気がありました。

   フジモリ氏の公金横領疑惑については、2005年に無罪が確定しており、疑惑が捏造されたものであったことがすでに判明しています。事件は、フジモリ氏の側近であるウラジミロ・モンテシノス国家情報局顧問が、フジモリ氏が国会議員の1人に現金を渡す「証拠映像」なるものを捏造し、フジモリ氏の追い落としを画策したことから始まっています。

   その後フジモリ氏は日本に亡命しました。
   しかしそれでも、フジモリ氏の復権を怖れる反フジモリ派は、今度は司法長官を通じてフジモリ氏を殺人罪で起訴したのです。それも1996年12月に起きた、日本大使公邸がテロ組織によって占拠された事件の際に、投降したゲリラを治安部隊が射殺したことに対する容疑だというのですから、ほとんどこじつけもいいところです。

   フジモリ氏は、ペルー国内の反フジモリ派が捏造でも何でもして自分を追い落とそうとしていることを知っていました。しかし彼は何の罪も犯してはいません。その後、身の潔白の証明を求めて、期待とともにペルーに戻ったのですが、裁判では有罪が確定してしまったのです。フジモリ氏は高潔な人柄で、不正をするような人間ではありません。彼の父親の直一氏は、日本人の特性である「正直・勤勉」を貫き、当時、必ずしも日系人が歓迎されていなかったペルーで現地の人々の信頼を得たのでした。そしてその精神は、息子アルベルトに引き継がれていたのです。

   フジモリ氏はペルー経済を立て直しながら、その一方で大昔に先祖がこの地に残した地下の秘密施設の修復や管理をしていたようです。それに関しては非常な苦労があったと思われます。反フジモリ派は、彼が何らかの施設の修復をしていることに気づいたようで、その資金の出所に疑いを持ち告発したのですが、実際には公金を使ってやっていたわけではなかったので、その告発も空振りに終わりました。

   ではフジモリ氏は、地下施設の修復資金をどのように調達していたのでしょうか?
   その秘密を解くカギは、フジモリ氏を巡る人的ネットワークにあります。フジモリ氏の日本における協力者の1人は作家の曽野綾子氏でした。曽野氏は2005年まで日本財団の会長という要職にありました。日本財団創設者である笹川良一氏は「天皇の金塊」を管理していた人物の1人と見られており、日本財団はその資金管理団体の1つです。ですから曽野氏がフジモリ氏をバックアップしていたということは、すなわち天皇家がフジモリ氏を支援していたということになります。

   天皇にとっても、南米は日本人最後の砦(とりで)であるからこそ気にかけたのでしょう。物部一族の末裔が今も多数暮らしている南米では、近い将来に必要となるさまざまな施設を地下に建設してその時に備えています。また日本にも同じような施設が複数存在します。それが富士山の麓(ふもと)や長野県の山中、習志野から成田にかけての地下の大トンネルなどと、いろいろ言われています。

   2013年6月にメキシコのユカタン半島東部のジャングルで、スロベニアの考古学者グループが、マヤ文明の新たな遺跡を発見したというニュースがありました。遺跡が見つかった場所は半島東海岸の都市チェトゥマルの西、約120キロメートルの地点で、ピラミッド15基のほか、舞踏会場、広場、彫刻を施した石柱なども発見されました。そこは3万人から4万人が暮らしていたと見られる都市だったようです。その遺跡を研究者グループは「チャクトゥン」と名付けました。

   そのほかにも南米地域に伝わる伝説には、地下トンネルや地下都市にまつわるものが数多く残っています。中でもペルー・クスコの地下で発見された「地下回廊」が有名です。2000年に入ってスペインの考古学者が本格的な調査に乗り出しています。言い伝えによると地下道は、南はボリビアのティワナク遺跡まで、北はエクアドルのクエンカを通ってメキシコのティオティワカンまで延びていると言われています。その後も学術調査が続けられ、一部のマスコミの取材チームが入ったこともありますが、その全容は未だに解明されてはいません。

   エクアドルでは、スクナビコナ(少名毘古那神・少彦名)が開いた7つの宝石の都のうちの1つと見られる地下都市が発見されています。そこはアンデス山中に位置するモロナ・サンティアゴ県の小さな町ロスタヨスで、発見したのはハンガリー生まれでアルゼンチン人ファン・モーリスという人です。彼がその地下施設を発見したのは1965年で、通常入り口はインディオによって固く守られていて中へ入ることはできませんが、モーリスだけはなぜかインディオたちに認められて、中に入って詳細な調査をしています。(略)

   モーリスはこの地下施設を「黄金の図書館」と名付けました。
   そこには他の多くのものとともに、52×14センチで厚さが4センチの黄金の板が数千枚あり、それには文字のようなものがびっしりと書き込まれていたそうです。持ち出すことはできませんが、何枚かを写真に撮ることができました。情報では、2008年からエクアドル政府がこの写真を元に解読に乗り出しているようで、それには地球の歴史や種の起源、宇宙のテクノロジーに関する記述などがあると言われています。

   代々にわたってそうした地下都市の秘密を守ってきたインディオたちは、太古の昔に「この場所を守れ」という指示を受けた部族の末裔なのです。中にあるものが何かという伝承は永いあいだには廃れてしまい、彼らは自分たちが守っているものが何なのか知らないままに、忠実に先祖からの意志を引き継いでそうしているのです。


     book 『いよいよ「超霊的パワー」が世界を解放します』 田村珠芳著 徳間文庫

                           抜粋






        

また「世界大戦」のきっかけが潰された!!

   2013年8月、アメリカ政府はシリアの内紛で化学兵器が使われたという主張を理由に、紛争に介入することを決め、シリア政府へ向けて空爆を行なうと世界に宣言しました。それはかねてからフランスやイギリス、ドイツが内戦への介入を画策していたのでこれに応じ、自国のメディアを使って盛んにシリア政府への非難合戦を始めたことは、皆さんも知っていると思います。

   しかし、シリア政府軍が化学兵器を使用したとする証拠の裏づけとされたものが、アルカイダを中心に組織されている反政府勢力やそれに近い関係者からの情報と、誰でも投稿できる動画サイトにアップされた「化学兵器使用直後」とされる映像であったことから、意図的な「お手盛り」だと疑われても仕方がないようなものでした。しかしこれまでのアメリカであったら、そんな薄弱な根拠であろうとかまわず、半ば強引に戦争へと突き進んだはずです。アフガニスタンやイラクがまさにそうで、ベトナム戦争だってそうだったのです。

   アメリカがシリア紛争に介入すれば、オバマ大統領が言う「限定的な戦闘」で終わるはずはなく、イスラエルやイランまで巻き込んだ中東戦争へと拡大する可能性は高く、当然ロシアや中国も国益上参戦せざるを得なくなり、一気に世界大戦に突入する危険が迫っていたのです。

   しかし、私が本書の原稿を書いている9月中旬、アメリカは振り上げた「拳(こぶし)」をいったん下ろしたのです。その理由はさまざまあるようですが、まず米国内の世論は開戦には否定的であり、軍部でさえが60%の人々が開戦には反対していました。そうした「振り上げた拳の降ろしどころ」を助けたのはロシアでした。プーチン大統領は、アサド政権の持っている化学兵器を国際管理するということを条件に、米軍とNATO軍の軍事介入を中止することを提案しました。オバマ大統領の本音は軍事介入したくなかったので、即座にこの提案を受け入れました。

   アメリカはシリア政府が化学兵器を使ったと言っているのですが、しかしこれは妙な話なのです。現地に入って調査していた国連調査団の報告では、確かに化学兵器が使われたようです。しかし問題はそれを使ったのが政府軍なのか、反政府勢力なのかということです。問題になっている攻撃は、8月21日にダマスカス郊外で行なわれたと見られるものです。国連調査団が現地に入ったのは8月18日で、そのダマスカス攻撃の3日前です。しかも目的は、4月に行なわれた別の化学兵器使用疑惑を調査するためであったのです。つまり、調査団が来た3日後に、彼らの鼻先で化学兵器を使用したというわけです。

   少し考えてみてほしいのですが、もし一連の事件が政府軍の仕業であるとすると、国連調査団が来ていることを承知で、その鼻先で化学兵器を使用するだろうかということです。アサド大統領は時間をかけて、経済を含め国力をアップさせてアサド政権を育ててきましたが、その政府がわざわざそんなばかなことをするでしょうか。

   そうではなく考えられることは、国連の調査団がダマスカスに来ているタイミングで、反政府勢力が意図的にわざと化学兵器を市民に向けて使用し、「政府軍の攻撃だ。政府軍が化学兵器を使用した」と言い広め、メディアを煽動してアメリカやイギリス、フランス、ドイツの介入を促そうとしたと考えるのが自然です。

   しかもアメリカやイギリス、フランス、ドイツは、シリア政府が自国民に対して一度でも化学兵器による無差別攻撃を行なえば、それを正当な軍事介入の根拠とすることができるはずなのに、プーチン大統領の提案で、「化学兵器を国際管理に委ねれば攻撃しない」と宣言したのです。つまり、彼らが主張するように、アサド政権が化学兵器を使ったことが本当であるならば、堂々と軍事介入して空爆し、世界大戦を引き起こすチャンスを手にすることができたのに、なぜそれを
手放したのかということです。

   そこにはそれができない何らかの理由があったはずです。
   その背景については、さまざまな海外ジャーナリストが調査をしていますが、その理由はまだ明らかにはされていません。確かなことは、彼ら闇の支配者たちが計画をストップせざるを得なかったということです。アメリカ政府としては支配者の指示で着々と軍事介入に向けて進めていたのに、突然、はしごを外されてしまったのです。

   アメリカは、化学兵器を使ったのは反政府勢力であることを初めから知っています。
   なぜならそのシリアの内紛の実態は、アルカイダ系のイスラム原理主義ゲリラグループが引き起こしたもので、つまり自分たちのCIAがやらせたものだからです。アメリカが軍事介入するために事前工作していたわけです。

   一見、いかにも雑な今回の軍事介入工作ですが、過去2度の湾岸戦争やベトナム戦争の発端になったトンキン湾事件にしても、少々怪しくても、捏造でっち上げが後々明らかになろうと、いったん戦争状態になってしまえば、そんなことはなし崩しにうやむやになってしまうものなので、今回もそのように持っていこうとしたのでしょう。とにかく、アメリカやNATO軍がシリアの紛争に介入できさえすれば、後は火に油を注いで拡大させていけばいいのでどうとでもなると踏んでいたようです。

   しかし、結果的に攻撃は行なわれませんでした。
   計画の中止や変更はよくあることですが、悪魔的な最終計画に向かって突き進んでいる闇の組織にしては、「らしくないミス」が続いているように思えてなりません。どうやら彼らの組織もずい分と焦っているようです。もうあまり時間が残されていないのに、計画がなかなか進まないので苛立っているようです。

   それに加えて、世界では最後の時に向かって「神の仕組み」が動き始めています。
   大昔の古代の遺跡が発見されたり、これまで闇の支配者たちによって、また表の政府や権力者たちが隠し続けていた情報が公けになってきていることも、彼らの計画を狂わせているようです。世界の権力機構や情報を、完全に自分たちのコントロール下に置いていたのが、最近はその統制がうまくいっていません。それが内部告発などで情報が表に出てしまい、支配者たちの統制が緩んでいることを窺わせます。

   その中で起きた事件の一つが「スノーデン事件」でした。
   これは、アメリカの諜報機関であるNSAやCIAで働いていたエドワード・スノーデン氏(30歳)が、NSAの行なっている個人情報収集の手口を曝露した事件です。(略) 彼は何らかの機関によって送り込まれたと見るほうが妥当でしょう。彼の役割は、アメリカ政府が隠している裏の情報を見つけ出して曝露することでした。彼はNSA、CIAと渡り歩き、必要な情報を入手することに成功し、それを早速マスコミに公表したのです。

   スノーデン氏はロシアに滞在しているようですが、これは南米エクアドルへの亡命が許可されるまでの一時的な処置のようです。エクアドルといえば、内部告発サイト「ウィキリークス」を運営するジュリアン・アサンジ氏の亡命を受け入れており、スノーデン氏は今後、アサンジ氏との連携を進めるだろうと思われます。

   第1章でもお伝えしたように、南米には古代マヤ人などの宇宙人の遺伝子を受け継ぐ種族が、来たるべき時に備えて各種のさまざまな装置としての遺跡を数多く残しています。日本からはスクナビコナが向こうへ渡り、やはり多くの地下施設を建設しています。未来から来た人々である「ウィングメーカー」も重要な施設を、祖先である私たちに残しています。

   さまざまな情報を探っていくと、ことごとくが「南米」というキーワードにぶつかります。
   どうやら南米で何かが動き始めようとしているようです。それを一言で表現すれば、世界の反米組織の一大勢力が結集しているということです。これはいわゆる、歴史的政治的な現象としての反米勢力が南米には多いというのとは異なり、それとはまったく異なる次元の話なのです。

   今、そうした勢力の多くが南米に集まっているわけです。
   そしてそれは、南米の各所に仕掛けられたさまざまな装置の存在を知っているからでしょう。おそらくアサンジ氏もスノーデン氏も、アメリカの諜報機関の機密情報を調べるうちに、その存在を知ったはずです。同時に、イルミナティの野望についても知るところとなったわけで、事実を知った彼らは殺される危険が迫っていることを知り、南米に逃れました。ただそうして南米に結集しつつある勢力の中には、必ずしも人類の味方であるとは限らず、イルミナティにとって代わり支配者になることを企む者や、自分が助かることだけしか考えていない者もいるはずです。


    book 『いよいよ「超霊的パワー」が世界を開放します』 田村珠芳著 徳間書店

                          抜粋

誰かにではなく自分に「依存」して次元上昇する

   霊性を高め、直観力を研ぎ澄ますと、いろいろなものが見えてくるようになります。
   たとえば、相手の心を読むことも可能です。本来人間にはそういう能力あったのです。「以心伝心」という禅宗の言葉がありますが、そういう感覚は誰にでもあるもので、私たちはそれをただ忘れているだけなのです。ですからその感覚を取り戻すための修行をしましょう。

   といっても、山ごもりや滝行などする必要はありません。
   やり方はごく簡単なことで、周りの自然や人々に「意識を向ける」だけでいいのです。道を歩くときも、目的地を目指してただ一直線に行くのではなく、少し余裕を持って出かけ、意識して自然の緑の多いところを通るように心がけ、聞こえてくる虫の声に耳を傾け、立ち止まって草花にも宿る命の輝きに目を注いでください。すると、彼らを包んでいるオーラがうっすらと見えるようになります。

   現代の人々はみな、携帯電話やスマホなどに囚われ過ぎています。
   これも支配勢力イルミナティの陰謀に過ぎませんが、携帯ばかり眺めていると、彼らが準備した3S、つまりセックスとスポーツ、スクリーンに毒されて中毒してしまうでしょう。少なくとも外を歩くときは携帯、スマホを片付け、目を上げて回りの自然や人を観察しましょう。人の心を読むためには、まず観察することから始まります。人の心が読める読心術者は、「その人の心に入り込み、立ち位置をずらす」という言い方をしますが、かつては私もその訓練をしたものです。

   私は嗅覚はそれほどでもありませんが、それに代わる良く見える目を持っています。
   専門的に言うとそれを「カメラアイ」と呼ぶそうですが、一度見てシャッターを押したものは全部記憶に残るのです。その記憶プロセスを、脳科学では「画像記憶」とも呼んでいます。私はそういう目を持っているので、オーラが見えたり、人には見えないUFOが見えたりするのでしょう。意識していなくてもふっと目をやった拍子に、人の体の一部分に黒い霧のような影がかかっているのを見てしまうこともあります。するとその部分が病魔に冒されていることが多いのです。

   また、こちらを騙そう、利用しようという考えを持って近づいて来る人を見ると、その人の実際の顔に重なるように歪んだ顔が見え、歪んだ心の表情が見えることがよくあります。それを見てしまうと、嫌悪感を覚えて即座に追い返してしまいます。しかし相手は自分の心が見透かされているなど知りもしないので、わたしの豹変ぶりにきょとんとしていることが多いのです。

   人によって備わっている能力には違いがあります。
   音に敏感な人は音楽家に多いでしょう。また舌が敏感な人は料理人や美食家と呼ばれる人たちですが、触覚が鋭く、触った感触でその物の本質を見極める人もおり、工芸品の職人などがそうした人々でしょう。ですから自分が何に秀でているのか、一番敏感な感覚器官は何であるかを知っていると、判断に迷いがなくなります。

   ところで、感性を研ぎ澄まし、鋭い感覚を取り戻して、人の心まで読めるようになったとしても、そのことを人に話して大っぴらにするのは控えたほうが良さそうです。2013年に岩手県北三陸地方を舞台にしたNHKのドラマが大ヒットしたこともあって、一気に影が薄くなったのですが、その直前まで放送していた連続ドラマ『純と愛』を覚えているでしょうか? このドラマは崩壊した家族を取り戻す物語でしたが、しかしテレビ的には大きな失敗でした。視聴率は伸びず、どんどん人気がなくなっていきました。

   その理由は、「人の心が読めるなんて、気持ち悪い」、そう視聴者に受け取られたからです。もしかすると作者は、世間がどういう反応を示すかを見たかったのかもしれません。そしてその結果を見れば今の社会はまだ、次元上昇してさまざまな能力を回復した人が、まだ敬遠されがちなレベルの世の中であることは明白なことです。

自然に触れて邪気を浄化する

   
人間観察の修行に加えて、時間がある時には出来るだけ自然の中に出かけ、川のせせらぎや鳥の声に耳を傾け、森の木々や野草の花の香りに包まれ、大自然を体いっぱいに感じるといいでしょう。私たちの生活には人工的なものがあふれかえっており、そうしたものに囲まれています。見るものはさまざまなディスプレイを通して伝えられる画像であり、人工的な音声、作られた香り、手に触れるものは人工的なものばかりです。そうした中に生活していれば、本来の感覚が鈍ってしまうのは当然のことです。

   しかも最近ではペットの臭いが気になるといって、室内で飼う猫や犬に香水をつけたり、服を着せたり、洗濯物や掃除道具にまで人工的な香りをつけたりして、本来の自然の姿から遠ざかるようなことばかりしています。そうしたことをしていると大切な嗅覚がマヒしてしまいます。犬にとっては鼻が命です。自分にとって危険なものなのか、安全なものなのか、それを嗅覚によって嗅ぎ分けているのに、鼻が利かなくなったら命に関わります。

   それは人間であっても同じです。
   これから私たちは大変な時代に突入するわけですが、生き残るために唯一頼りになるのは「自分の五感」だけです。それなのに、その五感を人工的なものによって麻痺させてしまっているのです。これでは自らの生命を危険にさらしているようなものです。私たちに本来備わっている感覚的なセンサーを目覚めさせ、垢がついて使えなくなっている感性をリセットしなければなりません。そのためにはまず大自然に触れ、五感を清浄に保つことを心がける必要があります。

   瞑想も良い修行になります。
   私はヨガ教室で色々なヨガのやり方を教えてもらいました。なかでもその教室では絵の世界に入って行く瞑想や、写真の中に入っていく瞑想など、肉体から抜け出して魂としてその世界で遊ぶことも覚えました。魂の遊びというのは実に楽しいものです。瞑想というのは修行ではなく、実は楽しい遊びなのですね。ですから座禅を組んで心が乱れたら警策(きょうさく)でパシッと叩かれるというようなものは、本来的な瞑想ではないと思います。そんなことをしなくても、手軽に電車の中でも、部屋の中でもできます。

   どんなに忙しい人でも、いつもより30分でいいので早起きして、朝日を浴びるようにしましょう。朝の光には邪気を浄化する力があります。邪気を払うと、人間が持っている本来の力が戻ります。そのうちに、早起きの小鳥たちの木々で語らう声が聞こえるようになるでしょう。鳥たちは早起きで、朝からピーチクパーチク騒いでいますが、いったい何をあんなに興奮しているのでしょうか? 朝日がさしこむと木々が目覚め、光合成を始めるので一斉に酸素を放出するのですが、それが気持ち良くて、「朝だよ! 朝が来たよ!」と告げながら、喜んで飛び回っているのです。

   特に、これから注意しなければならないのは、ニセ救世主がたくさん現れるということです。世の中が荒廃して生きて行くのが大変な時代になると、助かりたい一心でそういう人に依存してしまいたくなる気持ちはわかりますが、すがってはいけません。「すでに自分は次元上昇している」とか、「特別に方法を教える」、「みなの次元上昇を手伝うのでお金を払ってほしい」などと、こうしたことを口にする人々がいますが、そのほんどが単なる詐欺師です。

   5次元へと次元上昇した人は、もう3次元的な世界には関心がありません。
   ですから同時に他人の次元上昇に手を貸すこともありません。この点はしっかり覚えておいてください。なぜなら次元上昇するとは、他人から授けてもらうようなものではないからです。それは自分自身が意識において変革していくものであり、自分が気づくことによって意識が変化していくことなのです。

   他人への依存心の強い人は、むしろそれだけ囚われが強いので次元上昇が難しいでしょう。悩みや苦しみがあっても、それをすべて手放すことができれば自由になります。それを手放せないから悩み苦しむのですが、それもすべて自分次第です。「助けてあげる」と言って寄って来る人たちにあなたがついて行ったとしても、カウンセリング料やスクール講座料を取られるだけでしょう。

   私も占いを生業(なりわい)としているのでわかりますが、誤解を怖れずにはっきり言うと、最近は訪れて来る人のレベルがあまりにも低過ぎます。家族関係や職場の人間関係、恋愛や結婚、出世、転職、そんなことばかり気にしていると本当に悪い気に囚われてしまいます。それに誰かに助けて欲しい、人から助言して欲しいと依存しているうちは、その人が救われて解放されることはありません。大切なことはすべて、自分の内側にあります。なぜならすべての人は神を宿した神そのものだからです。つまり、自分の中の「光の本質」に気づけばいいだけなのです。

   すでに次元上昇している人というのは本当に達観していて、好きなことをして楽しく暮らしています。有名な人ではあまりいませんが、芸能界は囚われている人ばかりで、政治家や経営者もお金や票のことで頭がいっぱいです。次元上昇している人は、そもそも有名になりたいなどといった欲を持っていないので、表の世界にはあまり出て来ないのです。いわゆる悟りとは、人から与えられるものではなく、自分が気づくものなのです。

   お寺というのは、実は気の巡りがあまりよくありません。
   お寺は死んだ人が集まる場所であり、その中には現世に未練を残している人もいるので、お寺に行くといろいろと憑(つ)きやすくなります。もしお寺巡りをしたいのであれば、般若心経くらいは唱えられるようにしておき、霊をはねのけるパワーを身につけておかないと後々面倒なことになります。ですから行くのならお寺ではなく、神社がいいでしょう。神社は御座所なので清浄です。建てる時点で気の巡りのいい場所を選んでいるので、その場所にいるだけで邪気を払い、力が湧いてきます。

   特に緑の多い神社がいいでしょう。
   都会にもビルの谷間のようなところに神社がありますが、本来は鎮守の森に囲まれていることで神社は良い気を保つことができるのです。


      book 『いよいよ「霊的パワー」が世界を開放します』 田村珠芳著 徳間書店

                           抜粋


   

   

   

「万物」とは一つのエネルギーがさまざまに変化した現象

   あなたが、閉じ込められたエネルギーを解放し、調和があり健やかで癒しのある環境を作るパイプ役として働くためには、「万物に内在する神聖さ」を認識する必要があります。そのためには、「生きて存在するすべてのものの生命が聖なる輪でつながっている」ことを理解することが重要です。先住民族たちはこのことを知っていました。それは彼らの祈りの最後が、「ミタクエ・オヤシン」(Mitakuye oyasin )で終わることが多いことでも明らかです。

   この言葉は、「私につながるすべてのものたちよ」という意味です。
   「すべて」とは立っているもの木々や植物、座っているもの石や大地、這うもの、泳ぐもの、飛ぶもの、歩くもの、さらに天地に作用するすべてのエネルギーを指しています。すべてが一つにつながっているという意味は、万物である石や鉱物、植物や虫、魚やすべての鳥獣、そして人間は、その一つの同じエネルギーの本質がさまざまなパターンをとって変化し、現れたものだからです。

   物質、物体とは振動、波動によって結合された「ある空間」であり、その振動比率によってその物体の形態が決定されます。基本的に物質、物体とは、エネルギーそのものであり、そのエネルギーの振動が減速するなかで、固体である物質として形を成したものなのです。

   たとえば石と人間では非常に異なっているように思われますが、実際には両者の成分を見ると、化学的性質は大きく似ているだけでなく、電子や中性子、陽子など分子レベルでも非常に類似していることがわかります。人体を構成している各要素は地球上の物質でできており、ひと握りの土と人体の要素は同じものです。違いは、ただエネルギーの配置パターンが異なっているだけなのです。

   またすべての物質である物体や生物は、その違いである物理的形状を表現するための設計図を持っているだけでなく、”マカバ MerKaBa”というエネルギー体ともいうべき光のエネルギー場をもっています。”マカバ”とは、すべての生命体が共有する神聖幾何学に基づいたエネルギーの枠組みのことであり、(精)霊が宿るための設計図を作り、それに基づいてDNAが肉体の形状を創造します。

   さらに生物はそれぞれが、神聖な光である創造のエネルギー体をもっていますが、(精)霊は物質界に依存しない高次元においても存在が可能なので、死後、肉体を離れてからも存在し続けます。すべての生き物は、高次の力の指導のもとにエネルギーを最高の形で表現しています。それは人間だけでなく、石や植物などあらゆる存在が、源泉とつながるなかで自らの存在を最高に表現しているのです。

   地球とその物理的外観を形成する山や川、平野や海などにも存在の最高の表現があり、その最たるものが”神聖意識グリッド”と呼ばれているもので、このグリッド(網、覆い)は地球を覆うエネルギーの層であり、これが理想的な地球の在り方を促すものです。先住民族や科学者たちの考えでは、このグリッドは高次の存在によって構築されたものであり、現在進行中の地球の波動の大きな変容、つまり”転換の時代”を迎えている人類の救済を目指しているとされています。

   建物や土地の浄化を行ない、その場のエネルギーを変容・浄化させるためには、外観ではなく本質的なエネルギーパターンに対して働きかけることが重要です。生命の源泉と結ばれた空間のエネルギーに働きかけると、現実の世界において一定のパターンが生じ、ある形が与えられます。しかし生物、無生物にかかわらず、その場に宿る(精)霊に対しては敬虔な態度とともに臨むことが必要で、そうしたワークそのものの神聖さを認識しなければなりません。なぜなら創造主から生まれた、すべての(精)霊は一つだからです。

   あなたの内なる神の光を用いれば、物体の持つ設計図と神の光が互いに影響し合う姿が見えるようになり、そこではじめてその存在のエネルギーを最高の形に変えることが可能になります。こうしたエネルギーワークは、敬意をもって行なうことが肝心です。つまり、他人の霊を勝手に操作したりするべきではなく、そうした場所や石、植物や動物などのエネルギーと交わるときにも、充分な配慮を心がけるべきだからです。そしてエネルギーを用いたり変容させたりするためには、そこにある存在の美しさと力を認識し、次に謙虚さと敬意を込めた態度で、変容を促すことの許しを求めなければなりません。

   こうしたやり方は、アメリカ先住民族をはじめ、世界中の多くの先住民族文化に共通したものです。つまり目標とすることはあなたが、”中空の葦(あし)”とも言うべき「創造主の力」が通る「パイプ」になることなのです。こうしたことは今日、地球の波動エネルギーが大きく変動する”転換の時代”の只中にあって、特に重要なことでもあります。

   先住民族マヤ、ホピ、アステカ族の考える時間と宇宙の概念によると、人類にはこれまで4つの世界と太陽があったと言われています。そして今私たちは、第5番目の世界に入ったのです。それは暦の基となるエジプトの大ピラミッドや、時の循環を説くヒンズー教のユガなどによっても伝えられている通りです。

   古代からの霊的伝承を受け継ぐ神秘家や予言者たちによると、現在の地球上に存在している人間の目的は、創造主とともに変容を創造するという「自らの責任に気づく」ことにあると言っています。つまり自らの限界のある個人の力と叡智を自覚し、創造主とともに善を行なおうということです。今、私たちは個人として、さらには人類という集団としても、みなで力を合わせてこの務めを果たすように求められているのです。

   そして実際にある人々は、先住民族が言っているように、生命の”聖なる輪”にますます波動を合わせるようにと駆り立てられてられており、また他の人々は自分と他人、そして地球は一つであることを理解し、すべての存在に本来の恩恵が等しくもたらされていた時代への帰還、つまり「故郷への帰郷」を思い巡らせています。

   そしてその目的を達成するために重要なことが、神聖なグリッドと切り離されてしまった場所や土地を、神性意識グリッドと再び繋ぎ直すためのエネルギーワークなのです。このワークを行なうことによって、エネルギーはさらに大きな力を生み出すことができ、さらに高次のエネルギー形体を創り出す可能性が生まれるのです。


        
アメリカインディアンの「場」の浄化法
     book 
『スペース・クリアリング』 ジム・ユーイング著  ビイング・ネット・プレス

                           抜粋

   

   

やって来たり、去っていくような他人からの愛ではなく

   すべての人は芸術家であり、そして私たちの最大の芸術は”人生”です。
   人は生きることを感じ取るために、言葉や音楽、そして他の芸術的表現を通じて感じることを表現し、自分の人生を意味あるものにしようとしています。私たちはそこから生きることを感じ取り、自らの知覚と感情的知覚を正当化し、描写し、表現するために一つの物語を創り出しています。それがすべての人々を自らの物語の作者とし、それが私たちを芸術家にするのです。

   私たちが自分について信じているすべてのことは、現実に基づいて自分が創り出した物語ですが、しかしそれはただ単に、自分のものの見方を示しているに過ぎません。つまり私たちのものの見方とは、自分の経験と、自分が「知って」いること、「信じて」いることに基づいたものなのです。そして自らが知り、知覚しているものは、単なる1個
のオリジナルであって、自分が他者とのかかわりという人生経験から習得した、言葉や意見、観念に過ぎません。

   人間は真理を感じ取ることができます。
   しかし私たちがその知覚したものを表現し、言葉にして現すとき、それはもう真理ではありません。それは正当化されたただの「お話」です。私はこのお話を”夢”と呼びます。人間は知覚と感情と想像を一まとめにして、一つの”夢”全体を創り出します。しかし肝心なことは、話はそれで終わらないのです。なぜならあらゆる人のあらゆる心が全部一つにまとまった結果、世界の夢、つまり地球の夢、惑星の夢を生み出す心を創り出すからです。

   地球の夢、惑星の夢とは、全人類共有の夢であり、意識のことです。
   私たちはそれを”社会”、”国家”と呼んでいます。そしてそこから生まれる創造の産物は、それが個人的、集合的なものに関わらず一つの夢に過ぎません。それは私たちが”天国”と呼ぶにふさわしいものであるかもしれず、あるいは”地獄”と呼ぶような悪夢でもあり得ます。しかしながらそうした天国や地獄が存在するのは、私たちの心のレベルにおいてのみ存在するものです。

   この地球という惑星の夢、意識は、虚偽によって支配されている結果、人間の社会に絶えず存在するものは恐怖です。それが人間が互いに批判して裁きあい、互いに罪を見つけては、互いを罰しあうという夢・意識なのです。人間は「言葉の力」を、くだらない噂話や、互いを批判し傷つけあうことのために用いています。「言葉」を誤って用いた結果、感情的な毒が生み出され、それは終わることなく世界中を駆け巡り、人々はそれを食べるのです。こうした惑星の夢とも言うべき意識は、新しく生まれてくる子どもたちにも向けられます。それが、自分たちが信じさせたいと思うものを信じさせるように、彼らを仕向けることなのです。

   そうした夢の中には正義は存在せず、あるのは不正だけです。
   あるのは不完全なもののみで、人が絶えず正義や幸福や、そして愛を求め続けているのはそのためなのです。何千年にもわたりこの惑星では、人々は世界、宇宙には善と悪の対立があると信じてきました。しかしそれは真実ではありません。なぜなら真の対立とは、「真理」と「真理ではないもの」との間にあるからです。そして唯一その対立は、人間の心という意識の中に存在するのです。つまりその対立は、外や自然の中にではなく、人間の意識の中にだけあるのです。

   「真理」を信じることは生き方を変え、善をもたらします。
   一方、「真理ではないもの」を信じて擁護することは、悪をもたらします。つまり「悪」というものは、「真理ではない」偽りを信じたことから生まれたものであって、それは単なる「結果」なのです。

   人間のすべての苦しみは、「真理ではない」虚偽を信じたことの結果なのです。
   私たちはまず最初に、このことに気づかなければなりません。なぜならこの自覚こそが、私たちを真理へと導くからです。そして真理が私たちを神へと、愛、幸福へと導きます。そして私たちをこれまで信じてきたあらゆる偽りから解放します。しかしそのために、真理を知るためには真理を体験しなければなりません。なぜなら真理を言葉では表すことができないからです。それについて誰かが話し始めるやいなや、それはもはや真理ではありません。

   私たちは真理を感じ取り、経験することはできます。
   しかし私たちがそれを口にするとき、それは自分たちにとっての真理でしかしかなく、何かが付け加えられて自分のために創作されたものは、他の人にとっての真理ではないからです。そして誰もが、そうした自分の物語を持っており、誰もが自分自身だけの夢の世界に暮らしているのです。

   「気づき」とは自分独自のものであり、その気づきを回復するするためには、人生をそのあるがままに見ることです。それは自分が見たいように見ることではありません。目覚めるとは、何が真理かを見ることであって、自分の信じている偽りを正当化する必要のために、見たいものを見ることではありません。もし私たちがこの気づきを訓練するならば、いずれ気づきを達成するときがやってきます。つまり私たちが一つの習慣として気づきをマスターするならば、私たちはその時、自分の人生を自分の見たいように見るのではなく、常にあるがままを見るようになります。

   その時私たちは、もはや自分が感じ取ったものを言葉で表現し、説明しようとはしなくなるでしょう。そして私たちは、これまで自分たちが言葉で伝え合っていたものは、単なる自分の、互いの見解にしか過ぎなかったということに気づくのです。そして初めて自らの言葉を意識するようになり、他人とコミュニケーションをするために「言葉」を用いるようになるのです。

                          
   他人からの愛をあてにする代わりに、私たちは自分自身の内なる愛と結びつかなければなりません。なぜなら、あなたを幸福にするのは他人からの愛ではないからです。私たちを幸福にするのは、内から湧き上がるあらゆる人に感じる愛であり、すべての創造物に対して感じる内なる神の愛だからです。

   他人から愛がやってきて、それを感じることができるのは、それはそれで結構なことです。しかしやって来たり去っていくような外側にあるものではなく、自らの内なる愛を感じることこそが、それこそが私たちに起こりうる最良のことなのです。そのとき私たちは天国に生き、祝福の中に生きているのです。

   あなたの肉体は、神が住む神殿です。
   神があなたの中に生きているという証拠は、あなたが今現に生きていることです。あなたの中には溜め込んできた感情の毒があります。しかしあなたが心を浄めることによって、それを内なる神との交わりとすることができます。交わり、communion とは、愛をわかちあい、愛に溶け込むことを意味します。あなたは内なる神の愛と交わり、その愛があふれ出るのです。


     book 『祈り 創造主との交わり』 ドン・ミゲル・ルイス著 コスモス・ライブラリー

                           抜粋

海底トンネル

菅沼   先ほど言った、日韓トンネルは統一教会がらみです。

飛鳥   あれは勝共連合のカネじゃないの?

菅沼   勝共連合は統一教会のことだ。
      イ・ミョンバク政権時代の後期に、何と韓国政府は日韓トンネルについての調査費を予算から出したのです。調査費が出るということは現実化するということです。だから今でも一生懸命やっていますよ。今も日本の入り口のところには大きなコンクリートのゲートがある。唐津とかにあって、対馬を経由していくわけです。対馬では統一教会は広大な土地を買っているんです。

   もっと言うと、プーチンが必死になって考えているのは、中国を抜きにして、ロシアから鉄道を朝鮮半島の東海岸へ直接通して釜山まで来ると、日韓トンネルで日本までつながる。だからその後ろにはロシアの物凄い意図もあるわけです。

フルフォード  メリットは、ユーロアジアからの貨物の運賃が3割くらい下がる。
          理論的には、東京駅からロンドン駅まで行けるわけだ。

飛鳥   ロシアの壮大なステップロードの鉄道を使えば、日本にも大きなメリットが生まれる。夢の超特急ができるかもしれないね。もちろん走るのは新幹線だけどね。

菅沼   これは例の、アメリカ大陸横断鉄道をつくった鉄道王ハリマンが考えたことなんです。ハリマンは日露戦争の後、まだ小村寿太郎が向こうにいるころに、首相の桂太郎と結託して南満州鉄道を買収しようとした。しかし頭にきた小村寿太郎はそれを破棄したことから、日米の対立が始まった。そのときハリマンは、南満州鉄道からハルビンを通って、シベリア鉄道を通り、モスクワを通り、ドーバー海峡までずっと行くはずだった。

飛鳥   そういえばあの時、日本が弾丸列車というのを設計したことがあったね。
      最高時速200キロで、東京から下関、そこから海底トンネルで釜山へ抜け、京城(ソウル)から北京までを貫くスーパー国際列車だった。

菅沼   ハリマンがアメリカ大陸横断鉄道をつくった。
      ところが石油が発見されたことで、ロックフェラーが石油を売り出すために邪魔になって鉄道をやめてしまった。

飛鳥   これでアメリカは、モータリゼーションに変わってしまった。

菅沼   今は再び、鉄道の価値が上がってきている。
      だから各国で新幹線の建設をやっているよ。アメリカもまた石油が安くなると変わるかもしれない。東京発、釜山経由、東海岸をずっと上がって行って、ロシアに入ってハバロフスク、シベリア鉄道を通ってヨーロッパ、そしてドーバー海峡まで行けるわけです。

飛鳥   そうなってくると、日本の入り口は九州になる。
      九州は今鉄道がすごいね、夢の列車をつくったりして。 

フルフォード  
南北朝鮮とか、日本と朝鮮が仲良くするのを邪魔しているのは、韓国なんです。統一教会の南米パラグアイの牧場は、ブッシュの牧場のすぐ隣にある。そして事実上、一緒に武器商人をやっているわけ。みな信じられない話だから陰謀論だとか言われるけど、実際に具体的な人間に至るルートがある。

菅沼   統一教会は実は武器商人でもあるのです。
      韓国に統一産業という会社がある。そこでは韓国軍へ武器を調達していて、昔は迫撃砲くらいの小火器だったけど、今では戦車とかそういうものまでつくっている。そして全世界へ向けてこうした武器を売っているんです。韓国の場合、かつては統一教会は布教がずっと禁止されていた。

フルフォード  安倍は統一教会と関係があるでしょう。

菅沼   あるよ。自民党そのものが統一教会と深い関係にある。
      岸さんの時に、勝共連合と称した統一教会とつながった。そのとき岸さんが一番の大物なわけ。だから安倍さんもそう。安倍さんのところには秘書の中にまだ1人くらいいるんじゃないの。

飛鳥   絶対に入っている。
      だって選挙でも必ず人材が送られてきていた。その当時、普通の日本人は、勝共連合のバックに韓国の宗教組織があるなんてことをほとんど知らなかったはず。

菅沼   あの当時は、韓国では朴正熙(ボクセイキ、パク・チョンヒ)大統領の時で、今の朴槿恵(パク・クネ)大統領のお父さんですが、そのころは統一教会を勝共ということで非常に支援したのです。だから今でも存在するリトルエンジェルスの公演も盛んにやったのです。しかし朴正熙さんが殺されて以後、統一教会は不遇の時代になった。そのために教祖の文鮮明はアメリカに行ったわけです。彼は北朝鮮出身の人だけど。

   南北統一があるとすれば、どちらがイニシアチブをとって統一するかということです。
   今までは中国もロシアも、日本もアメリカも誰も、南北統一を望んではいなかった。つまり分裂していたほうが、それぞれの国にとって利益になったわけです。ところがこのところ事情が変わってきた。要するにアメリカもカネがなくなって、韓国から撤退したい。しかし朝鮮半島全体が中国の影響圏に入ってしまうのも困る。だから今、アメリカは中国と結託していろんなことを画策しているわけです。

   今の韓国の政権は、日本との関係を次々と断ち切ってしまい、中国寄りになろうとしている。もっとも現実の問題として貿易が韓国のGNPの中に占める割合は40%以上になっている。今、アメリカがダメになってしまったので、現代自動車も売れなくなった。ヨーロッパも飽和状態になりつつある。だから貿易黒字の大部分は唯一中国だけが頼りなわけです。日本とはずっと、日本が黒字です。だから今、韓国の企業はみんな中国を向いている。そうでないと韓国経済は崩壊してしまうわけです。

   今は、単に経済だけではなくて、この前、韓国軍の最高首脳までが北京詣でをして、いろんな軍事的な関係も結んでいます。日本との間では、日韓秘密情報保護協定をチャラにしてしまった。北京とか今回からホットラインもつながった。

飛鳥   それは、アメリカが容認しているというわけで、裏を返せば、日本は蚊帳(かや)の外というわけだ。

菅沼   容認しているから行けるわけです。
      だから日本はロシアと手をつないでいる。ただロシアもそう単純じゃないから、気をつけたほうがいい。

フルフォード  今度日本は、ロシアやインドを優先にするといい。
          プーチンがいる間にね。


     book 『神国日本八つ裂きの超シナリオ』
            飛鳥昭雄+ベンジャミン・フルフォード+菅沼光弘  ヒカルランド

                            抜粋












「愛国法」の成立でアメリカ国民にはもう「人権」がない

菅沼   問題は、北朝鮮に関して日本が関わりを持とうとすると、何でそれほど欧米から日本が非難されなくちゃいけないのかということです。このほど飯島さんが北朝鮮に行った時、みんなが不快感を示した。これはなぜかといえば、やっぱり第2次世界大戦の前の中国の状況を見ればわかるわけです。

   あのアヘン戦争の後、イギリスやドイツ、フランスなどが中国で植民地経営をやっていて、後からアメリカが加わった。しかしその間、日本は朝鮮半島を併合し、満州事変から始まって、気がついてみれば、中国大陸の貿易と金融市場のほとんどを独占してしまった。そのことが今も、アメリカやイギリスなどのヨーロッパ人の頭の中にあって許せないわけです。

   ですから今、北朝鮮が日朝国交正常化をやると、たとえば北朝鮮に対して5兆円の金が行くということになれば、北朝鮮はあっという間に日本の経済圏に入って来る。そこで通用する通貨は円です。これが欧米には困るわけです。今、北朝鮮は国際通貨の面から言えば、空白地帯です。しかも貿易の決済はドルではなくて、ユーロです。しかも中国とも取引しているので、ピョンヤンへ行くと「元」はそのまま通用します。

   だから今、各国が北朝鮮を何とか自分たちの影響下へ置こうとしていろいろやっているわけです。ヨーロッパ各国は、虎視眈々と狙っていて、イギリスやスイスだけでなく、今あそこに侵入しようとしているのはドイツです。ドイツ大使館はもちろんあるし、ゲーテ・インスティチュートなどはかなり前からピョンヤンにあって、つまり文化攻勢なわけです。医学や薬、医者など、すでに東ドイツの時代から北朝鮮には全部ドイツが入っている。そういう中で、日本が日朝国交正常化をやろうとしているわけです。

フルフォード  今、北朝鮮は日本と国交正常化をやろうとしているけど、日本の外務省を通してはやりたくない。

菅沼   そう。北朝鮮は、日本の外務省については全然信用していない。
      というのは、日本の外務省は、これまでに何回も何回も北朝鮮を裏切ったからです。だから今回も外務省は通訳を連れて行きましたが、飯島さんは外務省ルートではなくて個人で行っているのです。

フルフォード  韓国側も同じです。日本の外務省は、この地域が仲良くなってほしくない勢力の息のかかった人間で固められている。だからそういう人たち抜きで話をつけて、北朝鮮も企業ベースで話をしようとしているわけです。

飛鳥   アメリカのやり方だね。
      日本が勢力を伸ばしてくると、日本を悪者にする情報をうまく流してくる。従軍慰安婦問題だって、本当は歴史をちゃんと調べればアメリカだってすぐわかるはずなのに、議会で承認したりする。

フルフォード  慰安婦問題だけど、戦争だからありとあらゆることがあった。
          慰安婦だってピンからキリまであったはずで、それは今の売春と一緒です。強制的にやらせられている人もいれば、プロで稼いでいる人もいる。問題は、何で67年前の問題を繰り返し何度も何度もほじくるかです。

   ボスニア戦争で国連軍が10歳から15歳の子どもに売春させたり、奴隷にしていた問題をなぜ取り上げない? ベトナム戦争でアメリカ兵が残したハーフの子どもが何千人といるのに、なぜ知らん顔しているの? イギリスの兵士たちがミャンマーでやったレイプ事件をどうして取り上げない?

   自分たちのことは棚に上げて、この問題ばかりをつつくのは明らかに仲を悪くさせる作戦なわけです。だからそうした話にまともに付き合うべきではない。日本はもう謝罪したのだから、態度をきっぱりさせるべきです。「それよりも、あなた方の犯罪はその後はどうなったの?」とやればいいのです。

飛鳥   居直ればいいんです。
      最近、安倍さんが一生懸命やっているけども、アメリカは自分たちにとって利益がないと見ると、潰そうとする。

フルフォード  私は、今のアメリカは一枚岩ではないと考えている。
          今、アメリカの新聞でもクーデターが起きている最中と書いている。

菅沼   私もそうだと思う。
      この前からフルフォードさんが言っていたけれど、たとえばペンタゴンがクーデターを起こす可能性がある。これは実際に現実的な話で、今ペンタゴンはあれだけの国防費の削減で頭にきている。なぜならペンタゴンや在日米軍にいる人たちは、1週間に4日しか働いてはいけないことになっている。つまり賃金カットだよ。

フルフォード  問題はペンタゴンを切りながら、いわゆる民間傭兵会社にお金をつぎ込んでいることなんです。

飛鳥   『ロボコップ』という映画では警察が民営化してるよね。
      どんどん民間に払い下げていって、軍隊も民営化して超企業の手先になったりして。

フルフォード  もうなっているよ。ブラック・ウォーターがそうなんだ。

菅沼   イラク戦だってみんなそうなんだよ。

フルフォード  もっと酷いのは、アメリカの刑務所はすでに民間なんです。
          アメリカはどれだけダメな国になったかというと、まずマリファナを違法とする法律をつくる。そして違法にしたことで非常に高価なものとして売れて大きな利益を上げる。今度はそうした同じ連中が、それを買って吸ったお客を逮捕する。そういう人たちを刑務所に入れて強制労働者にさせる。

   そして私が見たのは、アメリカのそうした奴隷労働を担保にした債権がつくられていて、それがシンガポールで発行されている。でも良心的な人たちはそういうことを聞いても拒絶反応を起こすから、あり得ないと思っているよ。

菅沼   でも日本だってまねしていて、すでに官民協働の刑務所がある。
      兵庫や山口、島根、栃木にはもうできているよ。いわゆる人権の観点からではなくて、実際に行なわれている現実から言えば、人権なんてものは今日ではただの「机上の空論」に過ぎません。アメリカの独立宣言やアメリカの憲法だって、そんなものは完全に無視されている。


フルフォード  理論的には無視されてきたとしても、一般の欧米人はマグナカルタの時代からそのことについて王族と戦ってきたわけです。1215年につくられたマグナカルタは、ヨーロッパ人が初めて手にした人権法だったんです。そこには、「王様は、勝手な理由で人を刑務所に入れてはいけない」と書かれている。

   それを、9・11を利用して「愛国法」をつくり、その人権法を骨抜きにしたのがブッシュなんです。


    book 『神国日本八つ裂きの超シナリオ』
            飛鳥昭雄+ベンジャミン・フルフォード+菅沼光弘  ヒカルランド

                           抜粋























どの国も、もう全面戦争へ煽動されるほど馬鹿ではない

Q、 自民党は衆議院選挙の前には、TPP参加については慎重に行なうと言っていた。
   しかし政権をとってからは突然にTPP交渉参加に舵を切った。その裏事情はどういったものだったのか? 

飛鳥   まずTPPに関しては日本の新聞テレビなど、マスコミはいっさい事実を報道してはいません。日米安保条約ほど日本にとってひどい不平等条約はないわけですが、アメリカはこれまでの安保条約を破棄して、より強力な日米同盟に持っていく考えでいます。そのために必要なツールが尖閣問題であり、アメリカは日本に領有権を認めないさせないで、一方で中国にけしかけながら日本がTPPに転がり込むように準備しているわけです。

   それは日本がアジアの中心に行かないように、あらゆる手練手管が使われているわけで、基本的にTPPは日本にとってアリ地獄に等しいものです。自民党はそれをどこまで知っていたかわからないけれども、選挙もあったから本当のことを言わなかった。

フルフォード  私の考えでは、中国に依存しているアメリカが、TPPで日本と組んでどうのこうのすることはない。なぜなら中国のお金がないとアメリカはすぐ潰れてしまうし、アメリカは中国には力づくで圧力をかけられない。

   TPPの問題はたくさんあります。
   第一に何よりも、全部秘密のうちにやっていることです。だからどういう取り決めがあるのかわからない。悪いことでないのなら、公けにして話せばいいわけです。私は昔は日本の輸入品などを扱う現場の記者をしていたので、毎日アメリカ大使館に行って話し合いの記事を書いていたし、そうした話し合った詳しい内容は全部公開されていた。TPPはすべてがブラックボックスに入れられています。もし都合の悪いことがなければ何も隠す必要などないのです。

菅沼   しかし最近の状況は、第2期オバマ政権になってからちょっと変わってきました。
      1つは今ベンジャミンが言ったように、アメリカは中国との協調路線に変わりつつあるわけです。本来、TPPの一番直接的な目的は、経済的な中国包囲網だった。ところが第2期オバマ政権では違う。今、アメリカの財政危機は大変な状態です。国防予算でもこれから10年間は、毎年日本円にして6兆円のカットが決まった。国防省からシビリアンは全部いなくなるし、アメリカが誇る原子力空母も1隻、2隻と次々に縮小して行くという状況に追い込まれている。

   そういう中でこの前、ケリー国務長官が中国に行きましたね。
   国防長官もそうですが、どちらかというと中国寄りの人です。こういう人たちが今、中国との協調路線の方向に変わりつつあるのです。今ちらちら出て来ている情報は、たとえば日本は6ヶ月かけてアメリカ議会の承認を得なければTPPに入れない。9月頃になるとやっと正式に話し合いに参加できるようだけど、それも延びるようです。

   しかも関税ゼロをアメリカ国内で一番反対しているのは自動車工業です。しかし牛肉の問題はとっくにOKしたし、お米もすでにカリフォルニア米を相当輸入している。関税をゼロにしたところで残るものはあまりない。今、我々のところに入ってきている情報では、どうも日本ははいれないんじゃないか、アメリカは日本を入れないんじゃないか、というような状況です。つまり、TPPはもう意味がなくなったわけです。TPPは空中分解するかもしれない。

                          sun

飛鳥   ベネディクト16世がやめる間際に、「世界統一政府を支持する」と言った。
      第1次世界大戦が終わった後、アメリカ主導で国際連盟ができた。第2次世界大戦が終わると、またアメリカ主導で国際連合ができた。そして今、戦争が起こる前にベネディクト16世が世界統一政府を承認しているわけだ。

菅沼   今、飛鳥さんが、「国際連盟」があって、その次に「国際連合」があってと言いましたが、実は「国際連合」は大誤訳なんです。あるいはわかっていて意図的に誤訳が行なわれた可能性もある。「国際連合」はUnited Nations (ユナイテッド ネイションズ)、つまり「連合軍」と同じことなのです。何のために国家連合かと言えば、今の国連憲章にも敵国条項があるように、ドイツと日本が未だに敵なんです。ですからドイツと日本をやっつけるための国家連合で、これが国際連合といわれるものなのです。そして尖閣の問題が出て来たときに、中国政府はアメリカにこのことを呼びかけたわけで、これは非常に危険な話なのです。

   この体制ができたのは、アジアではカイロ宣言、あるいはポツダム宣言、ヤルタ協定です。つまり第2次世界大戦で勝った国である、アメリカとイギリスなどのチャーチルとルーズベルト、スターリンと蒋介石が相談して作ったのが今の戦後体制です。ですから敵国条項というのは今も健在なのです。たとえばですが、「日本が尖閣諸島云々しているのはカイロ宣言違反だ。戦後の国際秩序を乱すものだ」として、中国が軍事行動を起こしたとします。しかしこれは国際法的には、今述べたことから言えば合法なのです。

飛鳥   確かに、安保理の許可なくしてできるはずです。

菅沼   もちろんです。安保理も何も必要ない。
      つまり戦勝国側にしたら、今でもそれができるわけです。もし中国が敵国条項を適用すると言ってくれば、完全に中国の思うままにできるわけ。それで今、中国はアメリカに対して、「それを思いだせ」としきりにけしかけているわけです。ですからUnited Nations とは、日本とドイツを外した国際秩序を作ろうということなわけです。

フルフォード  しかも、国連は世界のものではないのです。
          常任理事国5ヶ国のうち、4ヵ国は欧米系です。欧米人の世界人口はたったの17%ですから、割合としてもおかしい。世界の状況はこの60年来ずっと変わってきているのに、なぜかインドも入っていない。そこで新しくできているのがBRICSです。それが180ヵ国の同盟であり、戦後につくられた西欧諸国にだけ有利な体制を変えて、地球人類にとってもっと公平なものにしようというわけです。

菅沼   その通りです。ですから今のやり方は日本を排除するためなんです。

飛鳥   第1次世界大戦が起こったときは、ほんの短期間で終わるとみんな予測していた。第2次世界大戦の起こる前は、あんな戦争は起きるわけがないと言っていた。だから起きる時は、ほんのささいなことで第3次世界大戦が起きるんだよ。

フルフォード  いや、起こらない。(笑)
          私はペンタゴンの人間に取材して聞いたんだけど、ペンタゴン軍も、中国軍も、ロシア軍も、どんなに騙されてももう全面戦争はやらない。

飛鳥   だから、起きるなら限定核戦争なんだよ。
      その構想でレーガン時代に、アメリカはヨーロッパにMXミサイルを配備したんだよ。じゃあ、聞こう。5月11日には何も起こらなかった。

フルフォード  それはよかったですね。(笑)

飛鳥   ベンジャミンは起きると言ってたじゃないか!!(笑)

フルフォード  実はとめられたんです。
          そして実際に、釜山港で核兵器を爆発させて、北朝鮮のせいにする工作があった。しかしそこでイスラエルの潜水艦が摘発されてしまい、それはとめられたんです。ロンドンオリンピックの時も核テロが計画されていたけど、それも回避された。つまりポイントは、そうした計画を事前に曝露させてしまうことがとめるポイントなんです。

飛鳥   偉い! 今度もとめてくれ!


      book 『神国日本八つ裂きの超シナリオ』
            飛鳥昭雄+ベンジャミン・フルフォード+菅沼光弘  ヒカルランド

                            抜粋


         


          




















































      


















                

プライバシー返上で携帯・スマホ・ネット・テレビを使おう

フルフォード   最近の動きだけど、NSA(National Security Agency・米国家安全保障局)のハッキング疑惑で、NSAがアメリカの国際戦略的な情報収集や暗合解読をやっているわけです。これは国防省の中にある軍の機関で何をやっているかというと、全世界の全ての情報通信を傍受している。今はエシュロンではなくPRISM(プリズム)。マスコミはあまり報道していないけれど、その内部告発者の1人のジム・ストーンが、今メキシコに逃げている。彼は日本大使館とも関係している。

   で、NSAは何をキャッチしているかというと、まずすべてのデジカメで撮った写真が彼らのコンピューターに入るようになっているし、電話の会話もすべてが収録されている。つまり世界中のすべてのeメールから、ネット閲覧経歴などのすべてを彼らは持っている。

飛鳥   フェイスブックはその一環だと聞いている。
      あそこに自分の顔を出すということはそういうことだよ。

フルフォード  フェイスブックの創業者であるザッカーバーグという若い男は、デービッド・ロックフェラーの孫なんです。それはあらゆる情報を全部登録しているそうで、寝室で起きていることまで、まさに国民の全てをキャッチしていると内部告発者がバラした。それで内部告発した人間はどこに亡命したかというと、中国の香港。

飛鳥   アメリカは中国がそういうサイバー攻撃を仕掛けていると言ってるけども、一番やっているのはアメリカなんだね。一番ひどいことをやっていて、中国を非難しているんだよ。

菅沼   中国も言っている。我々は被害者なんだと。

飛鳥   そうですよ。日本なんか両方からやられていて筒抜けだよ。
      だから超デジタル化した大国と対抗するには、アナログは残したほうがいい。特に超アナログは!

フルフォード  そういうこと。

菅沼   私なんかもインターネットは使わない、ファックスだけだ。
      ファックスのほうが安全だし、有線の電話のほうがましだよ。

フルフォード  いざとなったら紙に書いて渡すのが一番安全だし、今まさにそれが起きている。もう手渡しの紙しかないのよ。

飛鳥   スマホはGPSのアプリが入っている。
      裏を返せば、これはアメリカの軍事衛星あってのGPSですからね。今ここに飛鳥昭雄がいるということは軍事衛星を介してわかっているわけですよ。

フルフォード  どこかの部屋で送られて来る画面を見ている男がいるわけです。
          その人が全部見ている。まるでテレビゲームだよ。

飛鳥   最近聞いたのは、携帯電話はマイクとして使われていると。

菅沼   昔からそうですよ。

フルフォード  つまりこれは集音マイクだから、当然オフにしてもそうだし、カメラもそう。電池を抜いて、シムカードを抜いても聞こえます。携帯電話の発信機があればできる。たとえば私がNSAの人に言われたのは、味方もいるから注意された。クレジットカードの裏の色のついた紙にもマイクがついているそうで、これだけでも会話を盗聴できると言われた。データは磁石で。これは携帯電話の発信機に反射させる。だから電波が届かないところで話すしかない。

菅沼   だから人に知られると困るようなことは、携帯を持ってるときにはしゃべらないことですね。

フルフォード  あまり知られていないのは、もちろんパソコンのカメラからも盗撮するけれども、今、液晶テレビにも監視用カメラが入っています。

飛鳥   すると液晶そのものが、反対側の画像を撮る装置になっているということだね。そうなると、携帯電話なんかそんなの当たり前ということだね。

フルフォード  デジタルなら、すべての情報をキャッチしているよ。
          ゲーム機もそう。フランス当局の人間に言われたのは、スマートフォンだと対策のとりようがないけど、普通の携帯は電池とシムカードを抜くと、初めて盗聴器でなくなるという。でもアメリカの人に聞いたのは、スマホに電池が入っていればクレジットカードがあるだけで盗聴できると。古い携帯ではできないそうだ。

飛鳥   プライバシー保護という名目のもとに売られているけど、相当怪しいね。

フルフォード  問題は、誰がそうした情報を扱っているかということなんです。
          NSAの内部告発者は、実は「ブーズ・アレン・ハミルトンという下請け会社」の従業員なんです。つまり、そこがポイントで、すべての盗聴盗撮をしているのは下請け会社です。その資本はブッシュやサウジの王族などの連中で、これは政府でもなんでもなく、つまりは得体の知れない民間マフィアが、そうしたすべての情報をキャッチしていることが問題なのです。

菅沼   今回の内部告発によって、アメリカ市民もやっと気がついたわけです。
      フルフォードさんが言ったようなことは理論的にはみんなわかっていたけれども、実際にそんなことをやられているとは誰も思っていなかったわけだ。そしてこの10年来、アメリカは反テロ作戦という形で「愛国法」を作った。だから私はアメリカには行かないんだ。

フルフォード  私も行かないんです。

菅沼   グアムへゴルフに行っただけで、身元を全部調べられたみたいになってグアムへも行けなかった。しかも前もって書いていったのに、また書き直せとか言うわけ。だから今では、アメリカへ行った人は全員、頭のてっぺんから足のつま先まで全部検査されているよ。

フルフォード  当然だけど、スマホの中の写真も全部キャッチしているね。

飛鳥   最近、NHKで顔認証の番組があって、特にフェイスブックに写真を載せた人は、フェイスブックを通してその人の健康保険番号から全部わかるそうだ。

菅沼   内部告発でわかってしまったからこれから大議論になるわけですが、アメリカ市民もそこまでやっているとは思わなかったわけです。つまり、テロの名目でアメリカ市民全員のデータが全部登録されたわけだから。プライバシー保護にすごくうるさい国だったのに、その国にプライバシーなんかないわけです。

飛鳥   最近、商店がたくさん使っているクラウド・コンピューティングというのも相当ヤバイですね。全部1ヶ所のクラウドで、これはメイド・イン・USAだ。これにいろんなデータを置くわけだから、NSAに対して「さあ、見てください」と言うようなものだね。

菅沼   商品管理みたいなことをやっているわけで非常に便利だけども、逆に非常に危ない。スマホを含めて、そういうものを扱うなら、もう自分のプライバシーはないと思うべきだね。



      book 『神国日本八つ裂きの超シナリオ』 
             飛鳥昭雄・ベンジャミン・フルフォード・菅沼光弘  ヒカルランド 

                           
抜粋 













































求め続けることをやめられないのは「神が外にいるから」

   問題は、あなたが何かを知らないということではありません。
   問題は、何かを見つけなければならない、あるいはこの瞬間よりほかに何か必要なものがある、とあなたが考えていることにあります。あなたは自分に何かが足りない、何かが欠けているといつも思っています。そしてこのような直線的思考を続ける結果、何度も転生を繰り返して秘密の鍵を探し続けることになります。

   あなたが、それを誰かから与えてもらわなければならないと思っている限り、あなた方の言ういわゆる「悟りの境地」には達することはできません。何度も繰り返しましたが、私が話したいと思っているたった一つの神秘とは「この一瞬一瞬」ということです。あなた方が考えるようには、人生はこれ以上はよくならないということを受け入れることです。どうかわかってほしいのですが、「この瞬間」こそが”神なるものの姿”です。未来のある時を待ち続けていると、限りなく「明日」や「いつか」を生み出し続けるだけです。今日こそが毎日です。今日こそがすべての日で、今日こそがその日なのです。

   求めるのをやめ、「これ以上はできない。これ以上鍛えることはできない。できることはすべてやった。できる努力はすべてした」と納得し、ただ自分の無力を感じる、そう心から思った瞬間、エゴは抵抗を捨てます。つまり、求め続けるゲームをさせているのはエゴなので、勝てないとわかったときに「死ぬ」のはエゴなのです。この真理があなたの意識に入った瞬間、エゴは力を失ってあなたを駆り立てることをやめ、あなたの人生を試すことをやめます。エゴは素直に抵抗を捨てて降参します。実は本当のことを言えば、エゴは決して死ぬことはなく、ただ降参するだけなのです。

   気づき、悟りというものは、起こるべきときに自然に起きるものです。
   もし一定のやり方というものがあるとすれば、すでに多くの人々が気づきを得ているはずです。あなた方の宗教には既成の方法や戒律というものがあって、それが一人の人間の経験に基づいて作られています。そうしてそれをお手本として、どのようにして同じような境地にたどり着くかが、数々の教典に記されています。こうして言葉にされた瞬間からそれは書き留められ、何千年にもわたって人々はそれを読み続け、その教えに従ってきました。

   そのために何度も何度も転生を繰り返しながら、そのいわゆる「悟り」というものを求め続けている人がいます。しかし気の毒なことに、今その人がどんなことを試みていようと、「神は自分の外にある存在」だという考えを持ち続ける限り、残念ながらこれからもまた何度も転生を繰り返しながら、同じことを求め続けるサイクルからは抜けられません。

   そうした宗教的教えが広く浸透した結果、長いあいだ人間は、神を求めるためには人生を楽しんではいけないと思い込んできました。しかし神とは天真爛漫な、創造性に富んだダイナミックなエネルギーの動きのことなのです。もし神であるエネルギーが人間の作ったルールに従って休みなく動き続ける機械のようなものであれば、いったいどこに天真爛漫な神の性質があると言えるのでしょうか。

   「大いなる生命」の基本要素は喜びであり、その喜びが何であれ、その瞬間に起きている自然なエネルギーの動きなのです。”大いなる自由”を得ると、自分を裁くことが終わります。これまで自分がなろうとしていたものになる努力をやめ、それに代わって、今の自分が自分であり、今のこの瞬間がその瞬間なのだとわかるようになると、あらゆる葛藤が終わります。

   ところが、葛藤がなくなることを恐れている人々がいます。
   つまりその葛藤の問題こそが、気づきと悟りに必要だと考えているからです。しかしこれがパラドックス(矛盾・逆説)だということがわかるでしょうか。つまり気づきと悟りを得ることができるのは、実は葛藤をやめた時だというわけです。

   ここでの問題は、そもそも問題の提起の仕方が間違っていることにあります。
   ラマナ・マハルシ(南インドの聖者 1879-1950)は、「あなたはすでに悟りを開いている」と言っています。つまり、「悟りと気づきへの唯一の障害は、自分はまだ悟っていないという考えである」と言っているのです。これまでの長年の思い込みが強いだけ、こうした単純な真理は受け入れられないことであるでしょう。ですからマハルシの言うことを信じなくてもかまいませんが、ただし中途半端に信じるのはやめたほうがいいでしょう。中途半端になるのも、知識とエゴと肉体の仕業であるからです。

   人生においてある出来事の失敗の結果、「あちらの世界では少しはましなことができるだろう」と考え、精神世界を追求しようとすることがよくあります。しかし残念ながら、あちらの世界もこちらの世界も実は一つなのです。世俗を飛び越して、天国に存在することはできないのです。あなた方の言う悟りと気づきの境地への一番の近道は、この地球という世界のありのままを完全に受け入れることです。それはつまり、自分のありのままを完全に受け入れ、他人のありのままを完全に受け入れ、自分自身を愛するように他人を愛することです。

   自分のほうが優れていると思っていると、他人を愛することができません。
   へりくだりの行為は愛ではないからです。ではどうやって愛すればいいのでしょうか。自分の目の前にあるものや人をできる限り愛することです。自分らしく振舞い、自分らしく話し、自分そのものを感じることです。今この瞬間において自分自身であることです。一生懸命努力することをやめると、自分に厳しくしなくなり、同時に他人にも厳しくしなくなります。

   この世は酷いところだと考え、人々は否定的で批判的で、邪悪でいい加減だと思っている人は、つまり自分自身を人間として欠けていると感じているからで、そうした自分をまともだと感じたいために、外側に自分よりも劣った世界を投影するのです。そうして果てしなく自分の世界を創造し続けるわけですが、当然、そこに答えはありません。

   もしあなた方が、神のエネルギーによってこの宇宙が創られ、いまだに創造され続けており、維持されていると考えるのであれば、次のステップに移る必要があります。この世には、神と悪魔という二つの存在が本当にあるのでしょうか。人間が神から切り離されてしまったというのは本当でしょうか。こうした考え方がどこから生まれたかと言うと、それは非常に単純なことであり、ある時代に人間が何人か集まって話し合って決めたというのが真相です。規則というものもそうして作られました。その目的は人々をコントロールすることであったのです。

   人間の生活が、いかに規則にがんじがらめになっているかに気づいているでしょうか。何を食べるべきで、何を食べるべきでないか、何をして何をすべきでないかなどこと細かく規定された中に生きる結果、他人から規定されることを求めるほどです。あなた方地球の人々は、「あらゆるものは神である」という本質的真理をすべて忘れてしまいました。すべてが神だとしたら、何を選んでも神なわけで、そうであれば何を選んでもいいのです。

   しかしあなた方は、すべてが神であるということを信じていないことを知っています。
   特にキリスト教という宗教制度は、世界には「悪」というものが存在し、それと戦い続けなければならないと教えてきました。私には「悪」は見えないし、その存在も見えません。しかしながら、「怖れ」があることだけはわかるし、人々が他人に対して冷たい態度をとるのは、恐れが原因であることも知っています。本来、あなた方はこの世に生まれるときに、心のなかに”大いなる愛”を抱いて誕生したのであり、それは1人の例外もなくそうだったのです。しかし怖れが”大いなる愛”を覆い隠してしまい、「愛するな。愛すると自分の弱みをさらけ出して、誰かに傷つけられる」と脅かします。

   傷つくというのは単に傷つくことに過ぎず、痛みから逃れることに一生を費やすことをやめると、自分の世界が完全に変わってしまうことに気づきます。心が痛むにまかせていると、痛みはあなたを変容させるのです。こういう時に、自分には何も選択の余地がないと思うとそこに苦しみが生まれます。つまり自分は選ぶことができないと思うことが、あなたを傷つきやすくするのです。実際にはあらゆる瞬間において、自分はあらゆる選択の可能性を持っていることに気づくと世界が変わります。

   なぜなら、実はあなたを傷つけるのは回りの他人から来る出来事ではなく、「それに対する自分の反応」なのです。そうした自分の中にある未だ解消されていない歪んだ感情を刺激されることで、それを痛みと感じるからです。そこにあるのは、自分が恐れとともに溜め込んだ想念が原因であるということがわかります。ですから自分を傷つけるのは外から来る出来事ではなく、それに対する自分の反応であり、すでに自分の中にあったものであることがわかります。

   あなたに必要なのは心を静めることだけです。
   あなたがしなければならないのは、「それだけ」であり、心を静める最良の方法は、「今、この瞬間にいる」ことです。今この瞬間にいれば、あなたの心がザワつくことはありません。瞬間を生き生きと感じ、この瞬間が含むすべてのものを意識し、何ものをも怖れず、すべての意識がこの瞬間にあったら、そのときあなたは未来のことも、過去のことも思いめぐらすことはありません。

   人はどうやって、自分の強さを感じることを学ぶことができるのでしょうか。
   多くの場合、人々は回りの他人から評価されることで、自分の価値や力、能力を知ろうと求めます。それは他人の判断に依存したものなので、当然、また他人から評価されなければ瞬時に失ってしまう自己評価でもあります。そのため人々は、自分を受け入れてもらうために大きなエネルギーを注ぎます。こうした考え方はすべて、繰り返された転生の中で何世紀にも渡って強化されてきたものです。

   まったく過去や未来に気をとられず、瞬間に生きることによって、自分と回りの世界との関係が見えてきます。そこから痛みがやってきて、それをあなたは経験し、そして痛みは去っていきます。感情や痛みがやってきて、あなたはそれに反応し、そしてそれは去っていきます。それらのすべてを観察しながらあなたのまわりには、これまでとは違った力が築かれ始めます。そして古いパターンの考えがもう現れなくなります。そんなに一生懸命がんばらなくてもいい。他人に感心されなくてもいい。賢くなくても、カッコヨクなくてもいい、ということがわかってきます。

   こういう古い価値感のすべてが、あなたには意味のないものになってきます。
   あるがままに展開する人生の各瞬間にいて、もっと幸せな気分になり、もっと喜びに満ちるようになります。この瞬間に意識を据えることで、新しい力が自分の中に刻み付けられるようにすることです。古い考えが永劫にわたって自分の意識に刻み付けられてきたように、これを取り除いて新しく築き直すのに、再び限りない転生を繰り返す必要はありません。

   まず、この瞬間に意識を据えて生きることから始めることで、今までとは違った見方、人生観がそこから生まれてきます。これを実行し続けることで、次第に過去に縛られることがなくなります。そのようにして新しいものが自分のなかで優勢になり始め、古いものが力を失っていきます。

   地球に生きるみなさん、あなた方は人生という壁に、ずい分と長い間自分を打ちつけて苦しんできました。完全であろうとする努力をやめると、そのときようやく物事がうまくいくようになることに気づくでしょう。私たちはあなた方に繰り返し言いましょう、「今のままでいいのですよ」と。


      book 『バーソロミュー』 メアリーマーガレット・ムーア著 ナチュラルスピリット

                            抜粋

池田大作氏が真に目指したものは何だったのか?

   昭和33年当時、戸田城聖氏の死後、学会上層部にいたわけでもない池田大作の突然の会長継承は、実に不自然極まりないことであった。戸田城聖氏から池田大作について、「あの徘徊者は私心ばかりが鼻につく」と、何度か講演の中で池田大作の卑劣さについて話したことがあった。「あの池田大作のようになってはいけない」と、創価学会員に向けて講義したことなどが、you tubeにおいて戸田城聖氏の肉声が公開されている。それだけ、すでに戸田城聖氏の現役時代から、池田大作という人物は宗教以前の鼻つまみものというか、金融屋さながらの粗暴な振る舞いの絶えない問題児であった様子がうかがえる。

   戸田城聖の突然の死と、そして池田大作が一方的に強行突破して、三代目会長に就任したいきさつがあります。それは戸田会長が池田大作に遺言を残したと、池田大作が一方的に言い張り、言い分を強行して強引に(本業の金融屋取立てのやり方で)就任した顛末は、まさに無残で悲劇としか言いようがない有様だった。これをもって本来の創価学会は終焉し、学会は乗っ取られたのである。

   このようにして創価学会はその使命を遂げることなく、その時に終焉してしまった。
   (これは私の祖父母が戸田城聖の教えを純粋に学び、啓蒙した流れを順守した場合、もはや目的を見失った創価学会はこの時に、久遠(くおん)の一念三千様との糸が切れてしまったので終焉したと解釈いたします)

   そして昭和33年、戸田城聖が亡くなり、戸田城聖の後をなぜ大幹部でもない池田大作が継承するに至ったのか、という疑問を誰もが抱いていた。「殺されたのでは?」、という疑惑を持つ会員はすべて創価学会から去ってしまった。

   そんな空気も完全に消えかかった頃の昭和48年、五井野青年が創価学会会長になった池田大作に「一念三千論」を提出したのである。その1年くらい前から、五井野青年のことは幹部の間では話題になっており、「ついに現れた!ついに!、間違いない!」と騒がれ始めていたのだ。池田大作が予想した以上に、幹部会員たちが結束し団結する様子を見た池田大作は、この事態にどのように動いたかは被害ファイルの「一念三千論盗作事件」の記事を参照ください。

   二代目会長の戸田城聖氏は、久遠元初の仏のことを「一念三千様」とも言っていた。
   しかし戸田城聖氏が育て、育(はぐ)くみ続けた組織の存在意義は池田大作の乗っ取りと舵取りによって失われてしまった。池田大作はそれ以後、まさに政治家が官僚の作成した答弁書を読むかの如く、うまく綱渡りしてこれた彼の醜態はネットの随所でも見ることができる。

   池田大作著「人間革命」は、創価学会関連企業の東西書院社長・篠原善太郎氏の代筆によるという事実は有名である。平成3年11月に創価学会が伝統宗門から破門となった後は、その「人間革命」の内容の書き換えが忙しく行なわれ、池田大作の神格化がますます進み、よりカルト性の高いものになっている。

恨みで日本人にならなかった在日の池田大作

   池田大作が「師」と利用し、会長就任前から次第に神格化していった戸田城聖氏は、池田大作が金融会社(大蔵商事)時代以来、彼の暴力性と破壊力と腕力を買って取り立て部長にしていたが、「創価学会会長」の後継者には指名していなかった。なぜなら戸田氏は、池田が日本人ではないことを知っていたからである。

   戸田城聖氏がむしろ嘱望していた本命は、石田次男氏という人であったと言われている。戸田氏の死後、池田が会長に就任するまでの間、「会長職」に約2年間の空白があったのは、その石田氏を「会長候補」から追い落とすために要した2年だった。追い落とされた石田氏は、その後長年アルコール中毒に浸る生活に陥ったが、晩年に創価学会を脱会し、日蓮正宗(正継寺)の信徒となった。

   五井野博士を取り込み、池田教を拡大させようと池田大作が持ちかけたもう一つの計画は、(SGIのような)創価学会の別部門を作る池田提案であった。その代表を五井野青年にやってくれと、そして大きな会館とその組織全部をすべて五井野青年にあげるから池田大作のナンバー2として、すべての権限と金と地位をあげるから来てくれという条件であったが、五井野青年はそれをすべて断った。

五井野博士に対する凄まじい妨害が始まった

   その結果、それ以後、五井野博士は池田大作と創価学会員たちによって、ありとあらゆる妨害を受けることになった。彼の活動を阻止させるべく、妨害の標的にされて非常な苦しみと損失と被害を受け続けることになった。その被害の中でも特に執拗な付け回しが行なわれたようである。

   トップイメージの画像にもありますように、リサイクルという言葉は青年時代の五井野博士がつくったものであり、リターン・サイクルによってゴミを再び資源に変え、それを循環させることで世界を良くしようという考えであり、それを彼は40年前に始めていたのである。それを五井野博士がリサイクルと名付けた。日本を良くするためにはまず、ゴミと環境汚染の取り組みが重要と考えた五井野青年は、回収されずに捨てられていた空き缶を集めながら、京都から東京まで徒歩でリヤカーを引きながら回収し、それを回収業者や廃棄処分へと回し、それを繰り返したのであった。

   そういった活動が変わり者のする変なことから、当たり前のこととして人々の意識に根付くまで、数十年を彼は頑張り続けた。しかし新聞やテレビなどマスコミは、すでに金力を蓄えていた創価学会の言いなりに協力し続けたので、五井野青年のことがマスコミで取り上げられることはなかった。

   その後、35年以上にわたり、池田大作の指示を受けた創価学会員による妨害が続くことになる。たとえば五井野博士の講演会や慈善活動は、一般人を装った会員や暴力団員を潜入させ、解散へと追い込むための暴動を内部で引き起こしたりした。また内部の人間を買収して組織を分裂させたりもした。そうした数々の事件は際限なくあり、それらの事件は各項目にてご紹介させていただきます。

   そのやり方は、ここぞとばかりにスキを見つけては組織解体や組織内反乱を引き起こし、出版社の乗っ取り、展覧会の妨害、毒殺未遂、講演会の盗聴と、ありとあらゆる妨害を行なった。創価学会は組織をあげて分業作業し、巧妙な隠された組織形態で全員には知られない形で、700万人の組織全員が一致団結して、知らずに組織的な巧妙な手口でこれらの暴挙をしてきたのである。

   この700万人の組織がなぜ危険であるかというと、その組織の中にはほとんどの信者が知らない闇組織があるからである。それが資金担当、麻薬担当、保険金殺人担当、潜入担当、暗殺担当、暴力団窓口担当である。そして表舞台ではスポーツ担当、芸能部担当、政治担当(公明党)であるが、会員すべてがこうした闇の組織をすべて知っているわけではない。そのゆえに、自分が属する学会のために選挙や資金援助や布教活動を続ける結果、結局は池田大作の巧妙な犯罪にすべての会員がともに罪を背負うことになるという実相が現れている。

   池田大作は35年以上にわたり、創価学会会員を使って五井野博士の周囲に潜入させ、妨害行為を行なってきたが、その妨害は五井野博士の海外での活動にまで及んだ。こうした行為は歴然とした犯罪であるので、裁かれるべきことである。

   池田大作だけが知る、第2代会長戸田城聖氏の突然の死因は何だったのか?

   1990年代の終わり頃、あるリストが永田町に出回り大騒ぎになったことがあった。
   それはある暴力団が創価学会から依頼されたという暗殺者のリストだった。それは政界だけでなく、右翼に関わる人物など5人の暗殺者名簿であり、暴力団が創価学会から数十億円で暗殺を依頼されたというものであった。

   池田大作は、五井野博士の一念三千論の盗作により勢力を拡大させ、その威力によって、彼を信じる従順で熱狂的な兵隊である会員数を拡大させることに成功した。彼は「本物」になりきろうとした。それが五井野博士の発言やアイディアや指針、目線にある何かをマネすることに現れていた。それを自分のものとして創価学会の信者の前でしゃべれば、信者が爆発的に信用することにも味をしめた。その座にいるべきでない人間が、「本物」になりきろうとする姿が池田大作であり、彼にとって五井野博士の存在は、払っても払っても目の前に現れてまとわり続ける自らの罪業そのものであった。

   池田大作は海外では金にものを言わせて勲章を買い漁り、またあまり趣味のよくない絵画収集をして美術館を運営した。会員を騙すために必要な箔をつけるために、いかなる手を使ってでも有名な人物たちと並んで写真を撮ることにこだわった。聖教新聞にそれを掲載するだけで、あとはライターが勝手にそれを美化して歪曲した記事を書いた。池田大作がこう話したという記事については、ほとんどが五井野博士の盗聴テープからの引用で、環境や宇宙や自然などのキーワードの引用は、学会員に目新しい新鮮さと視点論点を与え、池田大作という「素晴らしい群像」を学会員に与えることに成功してきた。

   視点を変えると、五井野博士がその活動によって海外で有名になればなるほど、池田大作は「本物」を装うべく、何としても五井野博士に追いつかねばならないジレンマを抱えていたと言える。つまりあまりにも差があってはまずいわけで、それが五井野博士をマネすることであり、そうして創価学会員に自分が本物であるという錯覚を与え続ける必要があった。五井野博士の言葉を引用し、本物のように装い続ける、これが池田大作が必死でやってきたことであった。本来の自分でないものになろうとして頑張り続けた努力ほど、不毛で惨めなものはないだろう。

   創価学会による圧力はどのくらい徹底しているのか?
   あらゆる日本のマスコミ、放送業界では、五井野博士についてはいかなるニュースも記事も書いてはならず、決して触れてはいけないというタブーが敷かれている。これは創価学会による圧力によって敷かれたものであり、それゆえに海外でのどんなに素晴らしい五井野博士の活躍であっても、日本のマスコミは扱うことができないので、それが日本人が五井野博士を知らないことの理由である。

   また現在のマスコミは金と権力に弱く、それを使えばマスコミはどのようにでも操作できるという体質であり、そのゆえに創価学会の言いなりになることも厭(いと)わない。それが、たとえば北野誠を一瞬にして葬り去った、池田大作の創価学会の闇の力であろう。それが五井野博士が35年もの間受けてきた、池田大作にコントロールされた日本のマスコミが行なってきた「締め出す」という圧力である。

   政教一致という、選挙違反の宗教団体が堂々と居座る日本の政府の実情。
   そのカルト宗教団体の票がなければ政権を取れないような自民党。だからこそ政治家やマスコミは創価学会の脅しに屈しているのだ。ほとんどの創価学会員は、自分の属する宗教団体が実際には何をしているかを把握できないようになっていることを知らない。しかし知らなくても、そこでの自分の活動はそうした学会を支えているがゆえに、その罪業もともに担うことからは逃れられないことを肝に銘じるべきである。

ヨーロッパでは「カルト宗教」と断定された創価学会   

   五井野博士が創設した米国公益法人、「歌川派門人会」がある。
   ここでも創価学会は内部に学会員を送り込み、内部崩壊を狙った行動として、創価学会が送り込んだただの老人を、六代目歌川豊国だとして裁判を起こしたことがあった。(これについてのWIKIPEDIAの記事は正確ではないばかりか、WIKIPEDIAは単なる任意の個人による書き込みなので正当性はない) 実際には創価学会がこの老人を担いで裁判を仕掛けてきただけであったが、この老人は歌川派とは関係がなく、「六代目豊国ではない」とすでに判決が確定している。

   にも関わらず、例によって創価学会がテレビや新聞、マスコミ各社を動かし、判定が下った後も報道をし続け、「徹子の部屋」などにも偽豊国の老人を黒柳徹子氏は紹介した。そうしたことも五井野博士の作った組織を妨害するために仕組んだものだった。この五井野博士の歌川派門人会は、日本文化や江戸文化の素晴らしさを海外の人々に知らせるための浮世絵展だった。池田大作の指示を受けた創価学会員は、このように海外まで五井野博士を追いかけて来て、活動の妨害をしている。

   この日はデンマーク王室からVIPも招かれており、デンマーク政府関係者や多くの閣僚や有名人、芸術家などが招かれていた。学会員はこういう場所にも潜入し、破壊活動の機会をうかがっていた。学会員であるニセモノの「偽豊国」はロシア大使館へ行き、自分が五井野博士の歌川派門人会の会員であると言って上層部と面談し、五井野博士の誹謗中傷を行ない、浮世絵を詐欺まがいの金額で買わせようとした。こうして五井野博士とロシア関係者との間を引き裂こうとした。

   この事件は、長年、歌川派門人会員であった太田一斉という男が、創価学会から買収されて共謀して起こしたものである。つまりこの太田という男と「偽豊国」の老人がエルミタージュ美術館において、浮世絵展や歌川派門人会と親しく交流している間柄の相手先へ出向き、自分が歌川派の代表として来たと嘘を言い、誹謗中傷や法外の値段で売りつけるなどして、それまでの関係を潰すために国内だけでなく海外にまで回ったのであった。

   その後こうした関係各所へは、創価学会が送り出した要注意人物として、2人の情報が共有された。それからは彼らは現地へ出向いて騒ぎ立てる方法はとらず、今度は裁判で歌川派門人会を攻撃するようになった。それは、「歌川派門人会という名称の使用を禁止せよ」という訴えであった。

   結局、最終的には創価学会側が完全敗訴した。
   なぜなら太田と「偽豊国」の陰謀には何の根拠もなかったからであった。しかしその後のマスコミの態度はどこまでも創価学会側に加担しているようで、偽豊国の老人は「徹子の部屋」だけでなくさまざまなテレビ番組に出続けた。

                          sun

   以上の記述は、Yahoo知恵袋に投稿されたmidune 0092さんの書かれたもので、タイトルは「五井野青年の”一念三千論”(2)」を推敲(すいこう)・抜粋したものです。

   北野誠氏のことにしろこのような事件にしても、これらは表に現れたほんの一部に過ぎないだろう。私たちの知らないところでは、もっと多くのことが闇に隠れて行なわれているはずだ。闇はどこまで行っても闇でしかなく、そこから光が生まれることはない。その出発が闇であったのだから、仕方のないことだ。しかし事実を事実として認識する正直さがあるならば、必ず生き方が変わってくるはずだ。白を白と言い、黒を黒と言うその単純さを生きるだけで、人の生き方は正道に戻る。


   

創価学会第2代会長「戸田城聖」は池田太作氏を選ばなかった

   今私の手元に重要な論文がある。
   タイトルは「一念三千論」といい、五井野氏の著作である。
   冒頭で五井野氏が次のようなコメントを載せている。

   
この論文は昭和48年2月、創価学会会長・池田大作氏に提出した原稿の一つですが、このまま埋もれるのは惜しいとの編集部の強い要望を受け入れた形となって、ここにその全文を載せた次第です。私としては当時、時間がないために研究も充分されないまま簡単に書いたことを名残する気持ちですが、この原稿を皆様方に読んでもらって、その反応を見て単行本として自信作を発刊したいと思っています。
                           昭和49年12月5日 著者 五井野 正』


   この論文は法華経の悟りをまとめたものとされ、当時20代であった五井野氏が池田大作氏に提出したものであった。それを池田氏が自分の書いたものとした時点から、さまざまな問題が起きるようになったと思われる。最初の小さな嘘を隠すために、嘘がだんだんと増えていくたとえ話そのものである。その影響で日本人の明るい未来へとつながる五井野氏の多くの発明や発案等が、それらが生まれた日本で活用できないというのは実にもったいない話である。

   大いなる時代の転換点を迎える現在、五井野氏が日本という国家に戻り、全面的に活動をして欲しいと切に願うものである。五井野氏の救世の活動を、これまで長い間、決して世に出さないように工作してきたエゴ資本主義者たちに、そろそろ自己の魂の成長のためにも、この世の進化へとつながる「本当の生き方」をしてほしいと、私は強く思う。今からでも決して遅くはない。

        book 『マインドコントロール2』 池田整治著 ビジネス社


                        
                             sun

   
どうして宗教団体(創価学会)が人殺しのようなことも平気でするのかと、みなさんは疑問を持つでしょう。この宗教団体(創価学会)に雇われた暴力団の組長が『憚(はばか)りながら』(宝島社)という本を出して反省しており、この宗教団体(創価学会)のドンを”日本で一番悪い奴だ”と言っているので、実態を知るうえで参考にしてください。

   というのも、ことの始まりはこの宗教団体
(創価学会)の第2代会長(戸田城聖)が霊夢を見て、日蓮大聖人から”法華経を説くのはお前じゃない。神奈川県から若い人が一念三千論を説く、その人だ”と叱咤を受けたと、講演で話したことから始まっている。それゆえに第2代会長は、その人に会える次の世代のことを「福子」と呼び、「福子のために頼む。”その人の学会だ”」と予言して亡くなられた。

   そしてしばらくの期間、会長の席には間があったが、その席には「金貸し業の国籍も素性も分からない人間」が居座り、ドン(会長)となってしまった。それ以来、金集めに変質した組織を私は嘆き、改めてほしいのと、時が来たとの思いで、昭和47年に「一念三千論」を著わし、それを提出した。しかし、その宗教団体のドンが、私の書いたものを自分の書いた理論として取り込み、自らを本仏として振舞い始めたのである。

   私の先輩が28歳のころに、ドンのお手つき子持ちで10歳くらい年上の女性と結婚し、それゆえに若くして学会の総合本部長になった人がいます。彼が、山梨県都留市にあった私のインテリアの店にドンのお下がりらしき女性を連れて来て、「この女と結婚してくれ」とドンから頼まれてきたと言った。しかし私は断った。

   するとそれ以来、この宗教団体組織は私のやっていた環境運動に圧力をかけてきた。私は自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)が起きるとの私の予言通り、その後、その宗教団体の大幹部たちがドンに反旗をひるがえしたため、週刊誌などでドンの金と女のスキャンダルが表面化した。

   そのためドンは必死になって、第2代会長
(戸田城聖)から予言された本物の出現を恐れたのか、私の活動への妨害はいよいよ酷くなっていった。さらにこの男の国家支配欲がついに国際的な事件にまで発展し、大きな問題になってしまったことがあり、こうしたことによってこの団体は、宗教を利用したただのカルト集団にまで成り下がってしまった。そしてフランスの国会でも、この集団はカルトと指定されてしまった。

   もし、日本を恨む韓国人ではなく、”日本人”が、まともな信仰を持ってこの宗教団体の会長になっていれば、私は顧問となって、日ロ平和条約から北方四島返還だけでなく、拉致問題などあらゆる問題を解決に導いただろう。それだけでなくガンや糖尿病などのあらゆる病気から人類が解放され、さらに日本文化の復活と発展が国際評価として高められ、日本が真の独立国として解放され、フリーメイソンに支配されないで済んだはずなのである。

   それゆえに私の活動を知れば、「日本は尊敬されて世界のリーダー国となった可能性があった」、ときっとみなさんも理解してくれると思う。だが仏典が予言しているように、今は末法の時代である。つまり、ヘドロの海に華は咲かない。しかしながら少なくとも、無限地獄は誰によって何が
原因となってつくり出されたかを実相で示したので、最終輪廻において気がつき、懺悔することが大事であろう。
                                        五井野 正


 book『今、知らなければいけない
重大な真実を語るメジャーな人々 Vol.1』
         五井野 正・池田整治・滝川泰平・増川いづみ著 
                     ヒカルランド


                        抜粋したもの


   

日本のマスコミが「締め出してきた」五井野博士とはどんな人物か

   五井野博士は知る人ぞ知る人物である。
   彼はガリレオに匹敵するほどの天才と称される科学者である。米国スペースシャトルが使えなくなり、国際宇宙ステーションへの唯一の往復手段となったロシアの宇宙船ソユーズが国際的に重要な役割を果たしているが、その技術開発を行なったロシア宇宙軍事アカデミーでは、1990年代後半から密かに火星計画(マーズ・プロジェクト)が進められ、その燃料開発を五井野氏が手がけて成功させている。

   その際、アカデミー総裁が日ロ共同開発として来日し、当時の谷垣科学技術庁長官や小渕外務大臣とともに会談を行ない、ニュースで「日本が先駆け」、「二段ロケットに使用」との新聞報道があったので、知っている人もいるかもしれない。

   五井野氏が欧米で評価されているように日本でも正当な評価を受けて、その能力が遺憾なく発揮されれば、膨大な利権のからむさまざまな医療問題や、ガンなどの成人病の克服に向けた明るい見通しが成されると思う。それだけでなく原発の恐怖に怯えることもなく、北方四島も日本に返還され、自然と共生した文化の町つくりや、新たな宇宙開発の夢に向けて、日本社会は明るい展望を持てるであろう。

   そんな彼の功績も、いや名前さえもほとんどの日本人には知らされず、これまでずいぶんと長い間、五井野氏は日本のマスメディアから意図的に封印され続けてきた。インターネットや一部の会員制雑誌以外の一般書籍で、五井野氏の功績をきちんと紹介するのは恐らく本書が初めてだと思う。それもまた、時代の要請であり、転換点という時代背景が関係しているのであろう。「五井野 正」という名前を初めて知る多くの読者のために、ここで彼の簡単な経歴を紹介する。以下は、2010年12月、東京で行なわれた講演会で読み上げられた彼の紹介文である
。(以下簡略して掲載する) 

   『五井野 正博士は、ロシア、ラトビア、ウクライナ、スペイン、アルメニア等の国々の名誉博士、名誉教授であり、薬学、芸術、哲学、科学、物理学、経済学、文学等の方面において活躍されています。2004年にはフランスの国家勲章「シュバリエ」を受章され、その他勲章、爵位も受章されています。・・・。

   ・・・薬学の面においては、ガンやエイズ、糖尿病、心臓病、高脂血症等に効果の高い自然薬GOP(五井野プロシジャー)を発明されました。1996年からラトビア、ロシア、ウクライナ、マルタ、デンマーク等の国々でヒトへの臨床実験を行ない、副作用なしという画期的効能を記録。各国の新聞やテレビ、ラジオ等で大きな話題となりました。その結果、ロシアで特許を取得。さらに中国や米国でも白血病やガン、糖尿病、高脂血症等に対する特許を取得されました。

   デンマークの中央薬事審議会では、このGOPが治験薬として登録され、ヒトへの臨床試験が行なわれて驚異的な成果を挙げたために、ニューヨーク、京都、フィレンツェ、ナポリ、ニース等の国際心臓学会のシンポジウム、免疫学会等でその画期的な効果が発表されました。そしてフランス国立医学アカデミーでガンの治療薬としてGPO公演が行なわれ、自然薬(生薬)の先駆者として、スペイン国王から勲章を受けました。』 

   株式会社アートメディア社長の広野峰代氏は、博士に出会わなければ今この世にいない。3年前、彼女は白血病の末期患者として、医学界の常識とおりに全身に放射線治療を受けた。その結果、免疫力が極端に低下し、全身がカビに覆われた。それは先述した岡山大学医学部の研究生がガンの死因を究明した論文どおりである。彼女を担当した医師も、長くはないと見ていたそうである。五井野氏はすぐにGOPクリームを全身に塗るとともにGOPを飲ませた。すると劇的な変化が現れた。全身のカビのかさぶたがボロボロと落ちたのである。つまり免疫力と自然治癒力が、奇跡的に回復したわけである。

   私は縁あって、彼女の全身を当時覆っていたという、カビがはげる劇的な治癒過程の写真を見せてもらった。現在ではまったく病気の痕跡もなく、実年齢よりも若々しく見える。これこそ本物の医療である。しかし日本ではこのような本物の情報が、なぜか封じ込まれてしまう。

   現在、欧州を中心に自然薬=生薬ブームが拡大しており、欧米では自然の野菜そのものさえが、生薬(しょうやく)として認可されるまでになっている。これは1995年以降の五井野氏のGOPによって起こされた「医療ルネッサンス」の一環であるといえる。本来、デンマークやドイツは、薬といえば化学薬品、という国であったが、五井野氏の実証で大きな転換が起きたのである。しかし欧州国民意識の正しい流れとは逆に、日本ではエゴによって動く資本主義の下で薬事法の改正が行なわれ、

   治験のフェーズⅢを強化することで、自然薬が認可される芽を摘み取ってしまった。日本ではすべてが30兆円もの医療、医薬市場の利権を確保するためとしか思えない。GOPは米国、ロシア、中国で特許を取得できたのに、なぜ日本では取得できないのか非常に不自然である。日本は世界的に見ても、生活習慣病患者の多い国であり、それが同時に医療費としても国家予算を圧迫しているはずなのである。薬事法や医療システムとはいったい何のためにあるのであろうか?

   五井野氏による治験は、あのチェルノブイリ原発事故による放射線被爆を受けた子供たちにも行なわれた。この重篤な子供たちが劇的に完治する様子はビデオで記録され、欧米各国で紹介された。ウクライナの国営放送に至っては、40分ものドキュメンタリー番組を組み、全国放送した。タイトルは名は「救済者」である。

   この映像を実は、我々日本人も見ることができる。
   たとえ日本の「白いエゴ資本主義者」たちが、金と力でマスメディアを封じても、インターネットで情報が流れるいい時代になった。一度ぜひ見ていただきたい。またこのサイトでは、チェルノブイリ原発事故の20年後や、TBSのカメラが初めて捉えた原発事故の悲惨な映像も見ることができる。ちなみにこの番組は、ロシアの自然科学アカデミーの教授であり、名誉教授でもある五井野氏が、ロシア当局と調整して初めて取材可能となったもので、日本の外務省レベルでは到底できない仕事である。

    http://bokukara.web.fc2.com/index.html

       五井野氏はまた、GOPや的確な処方でロシアの元エリツィン大統領の心臓病を治した実績から、ロシア政府から絶大な信頼を得るようになった。今や五井野氏はロシア人が最も信頼する日本人となったのである。米国というフィルターを通してしかロシアを見られない、強いマインドコントロール下にある日本人や日本のメディアであるが、そろそろ目を覚まして、ロシアとの関係を再構築する時期に来ていると思われる。

   15年前に解決するシナリオがあった北方領土問題

   日本とロシアの間には、いまだ平和条約が締結されていない。
   つまり戦後処理が完結していず、二国間に横たわる北方領土問題がネックになっているのである。実はこの北方領土が、五井野氏の提案によって返還されるようになっていたことを知っているだろうか。

   「北方領土 芸術の村構想」がそれである。
   1996年11月、当時のロシアの職業教育大臣キネリョフ・ウラジミール・ゲオルギエビチ氏が日ロ友好団の団長として日本入りした際に、その構想を五井野氏が提案した。ただちに橋本首相とエリツイン大統領にもその構想案は渡され、日本とロシア双方がその趣旨に賛同し、翌年5月にはロシア国内では幅広く報道ニュースとして流された。その概要は次のようなものであった。

   『色丹(しこたん)、歯舞(はぼまい)の二島返還。
    そして国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の二島の10年後の返還。
    ならびに返還後10年間は、日ロの平和的・友好的な限定利用として使用されるという条件付きで、日ロ平和条約を締結する草案』

   この平和条約のポイントは、国後と択捉を「日露共同の芸術村」として、日本の経費で10年間運営し、10年後に日本に帰属させるというものであった。五井野氏の提案した内容をロシア語へと訳し、日本政府に提案するという作業プロセスにまで進んでいたのである。ところが、クラスノヤルスクの船の上でエリツィン大統領から橋本首相に直接提案され、朝日新聞の第一報としても掲載されたこの歴史的な平和条約は、「白いエゴ資本主義者」たちのさまざまな工作で没になってしまった。もしこの条約が締結されていたら、北方領土問題が解決したことで、日本が現在置かれているような「四面楚歌的な国際情勢」はまったく違うものになっていたと思う。

   五井野氏は若い頃、空き缶やたばこの吸殻を拾う運動を通して、日本に環境問題の意識付けやリサイクル法を成立させる原動力になった人である。間伐材によるログハウスブームやふるさと村運動など、さまざまな社会運動のきっかけを作った人でもある。


            book 『マインドコントロール2』 池田整治著 ビジネス社

                        抜粋したもの
                          


   
 

池田大作氏はなぜ五井野博士を排斥してきたのか?

――2013年5月4日 東京・日比谷公会堂での講演から  五井野 正  

   1997年3月に、ロシアのヤリスラヴリ州立医学アカデミーで、私が末期がんの臨床実験を行なっていたことをお話しましょう。そのアカデミーの下に大学があり、そして日本でいうホスピスのような州立オンコロジー病院があります。私はその病院で糖尿病の重症患者や、発病して最終末期のエイズ患者、さらには末期がんの人たちに、私が発明したGOPで臨床実験をし、多くの患者を治して生還させてきました。(1997年4月1日発行『ウィッピータイムス』7号に掲載)

   当然、むこうでは大きく新聞にも掲載され、テレビでも30分と1時間のドキュメンタリーが放送されましたが、日本では報じられてはいません。なぜかというと、私は某宗教団体
(創価学会)から実に40年近く、みなさんが信じられないほどの驚くほどの圧力がかけられて、さまざまな妨害や中傷を受けているからであり、しかも何度も殺されそうになったこともありました。

   ですから現在においても、政党
(公明党)までも持つこの某宗教団体(創価学会)から支配されているほとんどのマスコミからシャットアウトされているために、私が日本のため人類のためにどんなに国際的な活動をしても、日本ではそうしたことが報道されないのです。私は40年来ずっとそういう立場に置かれているのですが、日本の人々はそれを知りません。

   それはたとえば、私がチェルノブイリの子供たちを助けているときにも、私を拉致するためにマフィアまで使ったのです。しかしロシアの国家サイドがそれから必死に護ってくれたので、逆に誰の指図であるかの悪事が次々と明らかになりました。その結果、エリツィン大統領はその宗教団体
(創価学会)をオウムと同じくカルトと判断し、宗教法まで改正しました。

   私の医学や芸術活動は旧ソ連邦の国々だけではなく、当然、ヨーロッパでも大反響を起こしました。南ヨーロッパの地中海に浮かぶマルタ共和国では、私をサポートしてくれているメリック博士が私の絵の展覧会を開催する前に、GOPで重病の子どもを治してしまいました。その結果、ビザが取り消しになってしまい、それを知ったガン患者の家族がその扱いに騒ぎ立ててそれが現地の新聞の1面に出たことがありました。(写真13)

   というのは、今までラトビアやロシア、ウクライナなどでは、厚生省と病院とウイッピー総合研究所で臨床実験の契約をした後に、病気の治療をしていたからです。ところがメリック博士がマルタで、悲しんでいる患者の家族に同情して思わずGOPを使ってしまったのです。しかしマルタでは、GOPを使用させてくれるようにと国民の約8%が署名し、大統領に嘆願書が出されました。(写真14) このようなことからメリック博士にビザが下り、私はマルタで、博士と一緒にマルタ国の英雄として新聞一面扱いでした。(写真15) しかしそうであるのに、空港の入国審査ではストップされて、GOPの持込も、治療も禁止されてしまいました。

   このようなことがあるので、某宗教団体
(創価学会)のメンバーたちが厚生労働省を牛耳っているような状態の日本では、GOPがどんなに効力があっても治療として使うことができません。ですから国内の重病患者の家族からも頼み込まれていますが、どうすることもできない現状にあるわけです。ですから頼むのなら、某宗教団体(創価学会)が私に圧力をかけないように頼んでください。

   そこで薬として認可してもらうためには、旧ソ連での臨床実験では弱いために、ヨーロッパでのスタンダードな臨床実験が必要になってきます。そのためにはまず、効力があることを証明するために細胞実験から始めなくてはなりません。ロシアやラトビア、ウクライナなどでの臨床実験データによって1999年に、デンマークのコペンハーゲン大学でGOPの細胞実験を行なうことができました。

   その結果、がんに効く画期的な治療薬として証明されたために、ヨーロッパのテレビやラジオで取り上げられ、スウェーデンやデンマークでは新聞一面に掲載されました。(P.81) そしてこれからが世界的にGOPの活躍がすごいことになるのですが、それは次の機会に話しましょう。

   私がGOPを完成させたのは1992年頃ですが、その効能のすごさに私自身が驚いてしまいました。しかも自然薬ですから副作用というものがありません。健康体の人が常用すれば若々しくなります。しいて言うと、元気になりすぎるのが副作用とでもいえるくらいです。そこで1996年頃には難病の人を何とかしてあげたいという気持ちでいっぱいでした。

   そんなときにオーストラリアから私の事務所へ、「ガンを治してください」という内容のファックスが来たことがあります。そこで50万円かけて、スタッフである北村君をオーストラリアまで派遣し、GOPでガンを治したことがあります。もちろん無料です。

   その後、その女性がよくなってヨーロッパに旅行に行ったとき、かつて彼女が働いていたラトビアの病院に寄ったのです。そしてその後偶然にも、その病院とラトビアの国立科学アカデミー、それにラトビア政府とウィッピー総合研究所の合意により、幸運にも初めて臨床実験が進められることになったのです。

   ラトビアの臨床実験はすぐに、驚くべき効果を出したので、それが新聞に掲載されて大騒ぎになりました。この記事では取材のときは患者は6人と記載されていましたが、残り3人は奇跡的に病状が回復して退院してしまった後だったからです。さらにテレビでドキュメンタリー番組として放送されたので、現地では大騒ぎになりました。(写真18)

   ところが、日本の外務省に巣食っている某宗教団体
(創価学会)のメンバーがこちらで暗躍し、病院は突然に患者の要望を放り出し、GOPの臨床試験を突然中止してしまったのです。しかもそれまで我々の通訳をしていたラトビアの通訳が、ラトビア駐在の日本大使館の人間と一緒にいるところを見かけて以来、その通訳は一方的に我々の通訳の仕事を断ってくるようになりました。

   それから後の話ですが、エリツィン大統領が1996年の9月頃に危篤状態になっていたことがありました。それでラトビアでの私のGOPの臨床実験の成果を大統領府が聞きつけ、ある日特別な使いが私のところに来ました。それというのもクレムリン病院には100人くらいの医者がいますが、エリツィンの病気は秘密になっていたようで、医者たちにもわからなかったのかもしれません。しかも状況は、「エリツィンを治すな。治すならその主治医の親を殺す」という脅迫があり、両親を殺された主治医はアメリカに逃げてしまっているという状況にありました。そんな中で私に声がかかったのです。

   彼らの知りたいことは、「エリツィン大統領の病状は何か? GOPで治せるか?」ということでした。そこで私は、危篤状態にあるエリツィン大統領の病名とその理由を手紙に書きました。すると折り返し、「エリツィン大統領を必ず治せるか? 呼んだらすぐ来られるか? 返事をして書名できるか?」とファックスして来たので、両方とも「イエス」と書名して送り返したのです。

   モスクワに出発する前日、東京のロシア大使館で新任の駐日ロシア大使の就任パーティがあって参加しました。その時、前に述べた友人が新任のパノフ大使に、「五井野さんがこれからエリツィン大統領を治しに行きます」と興奮して言ってしまったことがありました。突然なので、パノフ大使は何のことかよくわからなかったようでした。次の日、私はモスクワ行きの飛行機に乗りました。そして飛行機がモスクワ空港に着くと、なぜか軍人が2~3人乗って来ました。すると飛行機はそのままバックしてタラップで降りることになりました。

   私が立ち上がると、美しいキャビンアテンダントが私を静止させ、日本の都甲(とごう)ロシア大使が先にタラップを降りることになりましたが、下では迎えの大使館の人たちが大声で叫んでいるのです。次に私がタラップを降りるとメリック博士が出迎えてくれて、私を一般用のバスに案内するのです。私がどうして「VIPじゃないの?」と言うと、私のスタッフ全員がタラップを降りるのを確認すると、突然、「ドクター、急げ!」と言って、都甲大使のVIP専用車にスタッフとともに案内してくれました。

   大使の専用車に私たちが乗っても、日本の大使館員たちは何も話しかけてきません。私がエリツィン大統領の招待を受けているのに、じっと黙っているだけです。後で考えたことですが、その時、私が狙われてはいけないと言うことで大使館側の人がわざと大声を出して、大使を先に降ろさせて私の身代わりになってくれていたのかもしれません。空港の案内室に入ると大使館側の人たちはサッといなくなり、私たちは花束を持ったロシア国立芸術アカデミー副総裁と事務局長など一行の歓迎を受けました。

   私がアカデミーの人たちと話していると、私を送迎するはずのボルボがいなくなり、しばらくして再びやって来ました。メリック博士が、「長く駐車していられないので、急いであなただけ乗りなさい!」と言います。「どうして?」とモタモタしていると、またボルボはいなくなる。そんなことを何度か繰り返して、最後に私とスタッフだけを乗せてボルボは走り出しました。ほとんど渋滞なしで突っ走りましたが、後でわかったことですが、メリック博士によるとモスクワ空港には私の安全のために40人のKGBが守っており、私が重要人物であることを知らせないために素早く乗車させたということでした。(当時はボルボの新車はVIPしか乗れなかった) 

   また渋滞がなかったのは、左右の道路をすべてストップさせていたからだと説明されました。しかも私たちの後ろには、替え玉のまったく同じ色のボルボがついて来ていた。泊まるホテルにも、重要人物とレストランで会う時にも、常にKGBの人たちが従業員として警備していたことも後でメリック博士から聞かされました。そうしてやっとエリツィン大統領にGOPが渡され、大統領は奇跡的に回復したのです。そんなことがあって、私はエリツィンに信頼され、親しくなったのです。


エリツィン大統領は「北方四島を日本と共同で芸術の島にする」と、ロシアのテレビで語った

   
その後1ヶ月くらい後の1996年11月頃に、日本とロシアで日ロ国交回復40周年記念集会がありました。そのとき日ロ協会の会長の三塚大蔵大臣や外務省の東郷次席公使、それにペンクラブ代表や日本相撲協会理事長なども出席し、私も特別ゲストとして出席しました。ロシア側は教育大臣など9名くらいが出席しました。私はその時にロシアの教育大臣に、北方四島返還に関する平和条約10項目の提案書を渡し、その後もちろんエリツィン大統領にも渡しました。

   エリツィン大統領は、北方四島返還に関する平和条約10項目が、提案書の中で「一番最高で実現性が高い」と支持してくれました。というのもこの日に、日本・ロシア・アメリカから300もの提案書があったのだそうです。私の北方四島返還に関する平和条約10項目の提案というのは、簡単に言うと四島にすでに住んでいる地元の人々のことを考えて、北方四島にまず日本がインフラ整備をすることでした。どうせ戻ってくるのですから、日本は10年間で1兆円かけてもいいでしょう。10年間はロシア領土のままで、10年後には日本に戻る。しかし戻ってからも10年間はロシアも使えるというものです。(1997年11月15日『ウイッピータイムス』発行。写真19)

   つまり20年間かけて、北方四島に芸術の国、文化の国をつくろうという話です。
   エリツィン大統領も賛成し、外務省を通じて当時の橋本首相にも知らされました。ですから外務省が知らないわけがありません。しかし日本国民には何も知らされず、コントロールされているマスコミは何も報道しなかったのです。(略)

   ところが某宗教団体
(創価学会)の票と政治協力を再び自民党に呼び戻すために、暗躍した某国会議員と外務省が何度も邪魔をしました。もし私の活動が彼らによってぶち壊しさえされなければ、日本とロシアは平和条約を結び、北方四島は戻ったはずなのです。(ネットで「五井野正・あおぽ」で検索し、『あおぽ』のホームページで五井野正博士特別寄稿の記事から”北方四島は戻るはずだった!!”の記事を開いてください)。

   そのことを、当時のロシア問題の関係者で外務省筋の友人、当時の真樹会の事務局長に述べたら、「そんな重要なことが日本でニュースになっていないとはどういうことか」と驚いていました。そうしたことからもわかるように、日本のマスコミは某宗教団体
(創価学会)からアメとムチで支配されており、某宗教団体(創価学会)の会員たちがマスコミの社員や幹部として送り込まれているだけでなく、日本の政治家や官僚など隅々まで彼らに牛耳られているという現実があります。

   
(日本の某宗教団体(創価学会)の政治的妨害で、日本は境界線だけ引いてくれればいいと逆提案をして、結局、北方四島返還も日ロ平和条約も反故(ほご)になってしまったという事実は、日本のマスコミ界では今でもタブーとされています。)


 book『今、知らなければいけない重大な真実を語るメジャーな人々 Vol 1』 
          五井野正・池田整治・滝沢泰平・増川いづみ著  
                      ヒカルランド


                            抜粋
 

   

   

   

感情をしっかり感じることで解放されよう

   あらゆる感情が無視され、押しやられ、表現が抑圧されるとき、鬱が起こります。
   内気な人はごく外向的な人と同じように、あるいはそれ以上に感じています。さまざまな感情があって、しかし精神はそれを払拭(ふっしょく)することができず、それを消化してどう解読し、一体どう扱ったらいいのかわからないのです。

   自分自身の感情とその全ての側面に向き合うことを学んだ人は、非常に客観的になります。そうなると、大勢の人々の中にいても、彼らを客観的に見ることができるのです。内気であることと静かであることとは、まったく別のものです。内気さとは感じやすさから逃げようとするときに起こります。静かさは人が自分の感情を扱うことを学んだとき、つまりそれをマスターしたときの状態です。彼らは客観的にそれを他人の中に見てとることができます。なぜなら自分もそこを通過してきたからこそ、他人のことがわかるのです。

   客観的になれないというのは、まだその感情にこだわりがあるからなのです。
   その感情とまだ折り合いがつかないので、それに関して客観的になれないのです。その感情に向き合い、生き、感じて表現し、片付けてくぐり抜けたならば、客観的になれるのです。もしあなたが何らかの感情を通り抜けているところで、イライラする、対処できない、手に負えないというような場合、あなたはまだそこをくぐり抜けてはおらず、生きてはいないのです。

   感情は感じて表現されねばなりません。
   自分でそれらを感じ、理解し、表現するとき客観的になることができます。感情を情緒的に抱きとめるためには、表現されなくてはなりません。あなたがこの人生にやって来たのは、感情を情緒的に抱きとめるためでそれに尽きます。感情はあなたの抽象的なレッスンであり、それを通して何を学んでいるかがわかります。

Q、 どうやって感情を表現すればいいのですか? 
   私が本当に殺したいと思っていたらどうすればいいのですか?

   表現ということについてさまざまな考え方があることを理解してください。
   表現とは、何かを取り上げて動かすことです。そこでは、それを受け止めて感じるのは自分であるということです。その感情をずっと遡って、その感情が出て来た核のところまで遡って感じることです。自分が感じるものはどんな細かい部分のようであっても、必ず一つの根っこの感情に戻ります。なぜなら、すべてのものがみな一つのレッスンを学びながら、一つの宇宙にいるからです。それは抽象的なレッスンと言えますが、それが感情というものでそこに現れます。

   一つの感情が出てきたら、その感情を核までずっと遡って「感じ」、そして手放してください。つまり言葉や理屈ではなく「その感情を感じること」です。そうすることであなたはそれを自分に表現し、情緒的に受け止めることができます。その感情はあなたが感じて手放すためにそこにあります。多くの場合あなた方は、自分が傷ついたと思う時、その原因を他人にあると考えることを知っています。その結果、あなた方はその感情を回避し、それが教えようとしたところへ戻るのを避けてしまうのです。

   どのような感情もその大本、その根っこは同じところに行き着いて基本の感情になります。感情体の大本は、喜び以外には何もない感情の一スペクトルです。大本の感情へ戻れば、そこには喜び以外何もないことに気づくでしょう。つまり、あなた方が経験するすべての感情は、実は喜びであり、喜びの変形なのです。

Q、 ではどうしてそれが怒りになるのですか?  

   感じているものをあなたが歪曲するところから、それが怒りになります。
   喜びの感情は単に一つの部分ではなく、多くの要素から成っています。感情の連続体をざっと見て、あなたはそこからある特定の要素を選び、バイブレーションを選び、それぞれを鬱であるとか恐れ、怒りなどと名付けているのですが、それは部分的な選択で決して全部ではありません。

   ですからその感情を誰か他人のせいや状況にせずに、その感情は自分に経験する必要があって起きていると考え、ゆっくりとそこへ入って感じてください。そして根っこまで行ってください。そうするたびにあなたの内部では解放されるものがあるでしょう。それによってあなたは抽象的なレッスンを学んだのであり、戦いは終わります。

   あなたが抱えている大本の感情体は、喜びからできています。
   その連続体の土台である起点は喜びであり、それは100万以上の構成要素から成っています。あなた方はそれを取り上げますが、100万のうち15から20を選択するに過ぎず、理解するためにそうしたものを怒りや喜びと一般的な呼び方をします。そしてほとんどの人々はそれを超えることはしません。

Q、 怒りがなぜ大本の感情である喜びの一部なのかよくわかりません。

   
怒りを感じる時、あるいは傷ついた時、何を怒っているのですか?
   
私が思うには、誰か他人に対してです。

   
彼らはどのようにしてあなたを怒らせ、傷つけるのですか?
   
私が望むようにしてくれなかった。

   
何をして欲しかったのですか?
   
もっと楽にしてくれて、喜びをもたらしてくれるものが欲しかったのに、がっかりさせられてしまったのです。

   
そこから喜びが得られなかったので、怒っているのですね?
   
はい。

   
ほら、それも怒りが喜びの一部であることの一例です。
   つまりそれは喜びの欠如なわけです。あなたは誰かから愛して欲しいから、そのために怒りが出てくるのです。もし仮に、唯一、傷つくことがあるとしたら、それは誰かが自分の思うようにしてくれない、愛してくれないという時だけであって、それ以外傷つくということはあり得ないのです。ですから自分の思うように愛してもらえないために怒ったり、恨んだりするとしたら、あなたは愛と喜びの感情を歪めているということになります。そうした歪みは、あなたが観念として抱いている愛のイメージから生まれてきます。

   つまりあなたの怒りは、愛や喜びから自分が切り離されたと感じたことから出ています。そしてあなたを切り離したのは誰かであるとそこに擬人化しているのです。もし彼らがあなたの思うとおりのやり方をしていれば、自分は今愛と喜びを感じているはずなのに、彼らはそうしなかったので、彼らがそこからあなたを切り離したわけです。自分が今、傷つけられて怒りを体験しているのは彼らのせいだと、あなたは思っているわけです。

   あなた方は100万以上の感情体の構成要素を内に持っていますが、ほとんどの人がそのうちほんの15から20くらいしか感じてはいないのですが、そうした喜びというのはいったいどんな種類の喜びなのでしょうか。ですが今あなた方の次元で、一度に100から200くらいの喜びの要素を感じ始めるようになった人が何人かいます。そうだとしても、100万からある要素のうちのほんのわずかな200なのです。


Q、 そこへ行くと何があるのですか?

   
たくさんの喜びです。
   しかし喜びのほんの一部分しか感じられず、知覚していなければ、そこから切り離されているという感じが生まれるでしょう。すべてでなければ分離していると思うのです。誰もが喜びがないと不満を言います。でも喜びはあるのです。それはあなた方のうちにあるきらめきであり、火花をもたらす周波数であり、それは喜びの周波数で創られました。それはあなた方の存在の内側に住んでおり、あなたであるところの光の小さな分子が喜びであり、あなたはすでにそれを持っているのです。しかしあなた方は、それを自分に感じることをほんの少ししか許していません。

   あなた方の多くの人は自分のさまざまな感情を恐れています。
   新たに馴染みのない感情の構成要素を拾っても、それにあまり関わりたくない時、それは恐れを生み出します。その恐れは、真に感情を理解しようとしないところから来ています。感情と向き合わず避け続けていると、それは塊りとなってより大きな恐れの複合体になります。その恐れには別の理由もあり、彼らはその向こうにあるものを知っているので、感じたり理解するのが怖いのです。実は誰もが基本の感情が何かを知っていて、どこへ行き着くかを知っているのです。なぜならあなた方はそこにおいて創られたわけですから。

   自分を恐れる内気さは、究極的な自己否認でもあります。
   ですからその恐れは、自分の感情に入り、ずっとその源までたどるとどんな言い訳もなくなってしまうことの恐れなのです。そこに見出す唯一の究極の感情、それはあなたという実に素晴らしく美しい、あなたが否定したがっている愛なのです。多くの人がまだ自分には価値がない、愛される資格がないと思っており、もしどれほど愛されていたかを感じるところまで戻ったなら、もはやいろいろ言い訳にしがみつけないと思っています。

   存在に至らしめられるほど、根源に愛されたことが、まずいことであったかのように多くの人が感じています。大本の光はあなたを愛して存在に至らしめたのに、あなたはそれを拒絶され、追い出されたと感じました。あなた方は駄々をこねる小さい子どものように、自分に望まれていること、つまり自分の内に美を見出すことをあえてしようとはしません。怒りや恐れから出るには、そうした怒りをしっかり感じることで、それが本来創られたところを通って行くことで家に戻れるのです。


     book 『宇宙を乗りこなす喜び』 シェラドン・ブライス著  ナチュラルスピリット

                         抜粋したもの
 

 

自分の気持ちや感情に反して行動する時、自己否定感が起きる

   内気さとは、回りの世界に対する個人のとる防御メカニズムです。
   つまり、敏感で、深く感じてしまう人にとって、内気さは自分を守る一つの形態であり、自分の敏感さから自分を守ろうとしているのです。ごく敏感な人というのは、実はとても感じやすく、周囲にいる人たちの感情までも拾ってしまうのです。そのため自分では手に負えないと感じてしまうため、内気さがその対処法となり、他人の感情と強烈さから逃れる一つの方法なのです。

   その内気さは、個人の成長と進化の道具となりうる一方で、人生から逃避するために使われることがあります。多くの人々が自らのそうした敏感さをマスターすることなく、別の方法で対処しようとします。内気な姿勢もその一つで、そうした防御的な態度がその対処法です。アルコールや精神薬などを使って自らの感じやすさから逃げる人や、中には感情的な怒りを用いる人もいます。

   あなた方は本来みんな、とても敏感な存在なのです。
   つまりこの惑星の社会にあって、敏感さゆえにみな辛く、痛い、ヒリヒリした思いをしているのです。そのために感じないでいられるように、痛みにバンドエイドを貼ったり、何かで隠したり、変装させたりして、自らの痛みを何とか癒そうとしています。それが、内気さであり、恥ずかしがりであり、気の弱さ、アルコールや薬物依存であり、その外あらゆる依存が感情を隠すために使われます。

   自分自身の存在の深みに入り、そこにあるものを感じて外に表現できれば、敏感な部分の自分と対処することを学ぶことができます。それによって、他人の中にあるそうした部分に対してもどう対処するかを学び、内気さを翻(ひるがえ)すことができるのです。自分がどの程度心を開いているかのレベルについて、また自分の感情や敏感さについて向き合うことから逃げている限り、ましてや他人とは関わりたくはないものです。自分自身の敏感さに対処できなければ、他人のそうしたことにも対処できず、自分を閉じて逃げ、そうした関わりに一線を引きます。内気さとは、そうしたことと向き合わずに済むようにする方法なのです。

   つまり、「そうした自分の感情と向き合いたくないから、自分の焦点を変える」と言っているわけです。そしてフォーカスを変え始めると、内気さはそうした現実や感情に集中しないで済むように一つの変性意識の状態をもたらします。そして肉体、意識、感情体の仕組みがこの物質界におけるやりとりに反応しないで済むようにするのです。それが内気さの主な状態であり、誰でもが時々そうしています。

   その他の状態としては、自分自身も含めて人の自我(エゴ)から逃げることです。
   たとえば誰かとともにいて、彼らのエゴがあなたに何かを強要しているとします。あなたはそれに関わるとあまりにも自分が感じやすくなるので、自分を閉じて逃げようとし、あまり近寄らないようにします。すると人はあまり要求しなくなるのですが、その結果、とっつきにくい、よそよそしい、無関心だ、無礼な人だと思われたりします。このよそよそしいとか近寄り難く見せているのは、この内気さなのです。そうすれば強要されずに済むので、多くの人がこの状態の内気さを使っています。つまり、一線を引くわけです。

   そうした感じやすさをシャットアウトするために、アルコールや精神薬で対処しようとすることもあります。あるところまで感じやすさがオープンになると、霊的な遺伝子構造のゆえに、感じやすさにフタができない人もいます。後戻りもできず、閉じることもできず、常に敏感な感じやすい状態にいるわけです。それでどう対処していいかわからずに、何とかしなくてはということで向精神薬を乱用したりするのです。

   自分が感じやすく、また周囲の感じやすさもわかり、しかもそうしたことと関わりたくない時、自己に対する否定感が起きてきます。自分がオープンになって気づくようになると、人の痛みや辛さなどの感情を拾ってしまうようになります。しかしなぜ拾ってしまうかといえば、それは自分の問題でもあるからです。つまり他人とは自分を映し出す鏡なので、他人の中に自分の課題を見つけてしまうのです。それを自分のクリアするべき課題だと認識できないうちは、それを映し出してくれる他人から、そして自分から逃げ続けることになります。

   そこで自己否定感が出てきます。
   自己に対する否定感は、自分のハートや感情に反して何かをするときに必ず出てくるものです。「自分はそう感じてはいない。それは本当は自分じゃないんだ」、と自分の感情や気づきを否認し始めると、自分の中に二極性が生まれます。つまり、本当の自分であるものを否定するのです。自分のハートはしっかり感じて気づいているのに、一方で「いや違う。こんなふうに感じてはいけない。感じないぞ」と言うのです。そして自分の肉体という存在の中に二極性つまり分裂が起こり、罪悪感が生まれます。この罪悪感が自己否定の感情なのです。自分の心が感じて気づいているのに、それに反して何か否認するようなことをするときに必ず自己否定感になります。

   あなたは仕事もでき、人間関係もしっかり持てるのに、対外的には「いいえ、できません」と言います。多くの人がそれを謙遜の態度と思うようですが、実はそれは否認の一つの形であり、自己否定感なのです。それが怒りになることもあります。自己否定と怒りが一つになることがあります。そうした否認が存在の内側で、自分に対する自己否定、無価値感を生むようになります。

Q、 内気さ、自己否定感、無価値感といったものは、感じやすい人が比較や競争や決めつけなどにさらされるために起きるのでしょうか?

   
自分を防御する姿勢は、すべて敏感さ、感じやすさからきています。
   つまりすべての人が感じやすいと言うことができますが、他の人々は自分の敏感さを別の方法で対処しています。ある人は怒りの感情を用いますが、それを用いない人に対して怒りの人は、自分の感じやすさを護るために強気の姿勢で臨むので、そうでない人は内気に見えることになります。

   皮肉を言ったり、議論するようなこと、防御的否認も含めて、そうしたすべての態度は自らの感じやすさを隠すためのものです。それによって、自分が実際に感じているものを意識せず感じないようにするのです。自分のハートが感じているものを感じたくないから、また心を開いて自分に向き合いたくないために、あらゆる表現、手段を用いてそうしないようにするのです。多くの人々は怒りを用います。もしあなたが自分の感じやすさを、内側にではなく外側に怒りとして現すとします。しかし相手の人々は怒りを用いたくない場合、あなたの怒りは感じやすい人々を怒りの世界にさらすことになります。

   多くの人々はそうした感じやすさという感情をもてあまし、対処することに困難を感じるあまり、アルコールや向精神薬などを使って逃避するのです。


Q、 私たちの多くが心の底で感じている、「自分には価値がない」という感じは、どこから来るのですか?

   
自分には価値がないという深い感情はみな、原初の分離、つまり太源から分離したことで生まれたものです。それが同時に、あなた方がとても敏感で感じやすいという理由なのです。あなた方は本来が一つの存在であり、一つの全体であったものから分離して、自己というそれぞれの別個の存在となり、異なる体験ができるようになったのです。あなた方は一つの全体であり、それはみなが派生したところの太源である核のようなものです。つまり、太源が感じることは何であれ、その全体が同じように感じるのです。

   全体の全体は、常にあらゆる感情を感じているわけです。
   ですからみんなが感じないのに、あなただけが何かを感じるというような分子は本来あなたの中には存在しません。あなたが何かを感じると、それは必ず外に出ていきます。つまりそれはいわば大衆の感情バンクのようなものであり、すべての人がそこにつながっています。そのようにして意識のゲシュタルト、つまり一つのつくり上げられた意識の総体の多くは機能しています。

   あなた方はみな、一つの感情体であり、あなたはそれが個別化した分子なのです。
   全体でもあるあなたは常に、こうした小さな分子たちを感じています。あなた方は自分の存在と向き合うために、それに対処できるようにするために感情を締め出します。それで多くの人々はいつも、自分はどこかで何か別のことを感じている、と思うのです。

   メカニズムとしては、実はあなた方はいつも同じことを感じているのです。
   なぜなら、あなた方はみな一つの太源から出ているからであり、その太源が全体として感じることを、あなた方も常に一貫して個々に感じているのです。そこにはまったく区別はありません。たとえば一人が喜びの中にあり、別の人が落ち込んだ気分の中にあるとしても、もしあなたがそうしたものの根底にある根っこの感情を探るならば、両者ともに同じ太源の一部分なので、実は同じものの異なる表現を感じていることがわかります。

   もしみんなが同じように心を開いた状態なら、みんながいつも同じように感じるでしょう。それは互いのクローン状態にもなります。しかしそうである必要はなく、自分が一つの全体的な感情体とならないようにするために、自分の中に自らの「捻り・(ひねり)」を設けることができます。さまざまな否認の形を作ってシフトし、視点を変え、あるいは別の角度からそこにフォーカスするのです。感情体全体がエネルギーの一つの連続体という光であり、それぞれの分子が常に、その感情をどれくらい選ぶかを決めるのです。

Q、 ある人が感じている喜びと、別の人が感じている鬱(うつ)が、なぜ一つの太源からの同じ感情だと言えるのですか?

   
それは同じ感情なのですが、つまりはそれをどの方向に、どこにフォーカス(焦点)を合わせるかということなのです。鬱(Depression)と喜びは大して違わないのです。一般的に非常に大きな喜びを経験すると、逆に正反対の落ち込みも体験することに気づいているでしょうか。あなた方のすべてがその一部であるところの太源の感情体は連続体(スペクトル)を持ち、常に何かを感じています。それは喜びであれ怒りであれ、またその他のどんな感情であれ、それらが太源の周期で回っています。そのためにあなたもまた、周期的にそこからあらゆる感情を拾って知覚しているのです。

   あなたが感じるすべての感情的情緒には、それぞれいくつかの程度があります。
   それはただ単に鬱を感じるというのではなく、その中には他のいくつかの要素もあってそれを感じています。楽しいという時もただ楽しいわけではなく、そこにはあなたが喜びと呼ぶものの構成要素を感じています。ですからそこにあるのは単なる一つの情緒だけではないのです。

   あなたの感情体は、この感情の連続体からそうした構成要素を選んでいます。
   それが、いわゆる気分というものです。肉体を創るとき、自分のDNA構造に入れるものを選ぶように、感情においてもあなたは自分の感じたい感情の要素を選んでいるのです。

   あなたを抱える太源の感情の連続体は、ありとあらゆるものを創造するすべての構成要素を含み持っています。あなたはそこから、いくつかの感情の構成要素を選択します。たとえば15とか20の要素を選び、それらを自分なりに同化させ、たとえばそれに鬱という名前をつけます。また別に15から20の部分を選び、それに喜びというラベルを貼るわけです。ですからその都度、喜びを感じるとき、それが決して同じ喜びでないのはそのためなのです。

   落ち込みを感じる時も、いつも少しずつ違った成分が入っているように感じられるし、怒りを感じる時も毎回、別の怒りの要素が入っています。このように誰でもが、そうした違いを感じています。そうしたものを一般名称で喜びであるとか幸福感、愛などと呼びいろいろありますが、しかし実際にはその中にはさらに細かい要素があります。そしてあなた方は常に一つの感情体に属しているのです。

   自分の感情の要素を理解して、自分自身をそのまま感じることです。
   一番簡単な方法は、自分の感情を決め付けずに感じることから始まります。そこに怒りが湧き上がってきたらそれをしっかり感じることです。そして手放します。もし喜びが湧き上がってきたらそれを感じ、手放します。それは感じる必要があってあなたの中に起きてくるものです。自分のどのような感情であれそれを無視したり逃げたりせず、それを感じることで精神はそれをどうすればいいかを知っています。そうやって感じてみる感情の数が増えるほど、それをどこにしまったらいいのか、どうしたらいいのかがわかるようになり、 自分も他人もグンと楽になっていくでしょう。


      book 『宇宙を乗りこなす喜び』 シェラドン・ブライス著 ナチュラルスピリット

                         抜粋したもの



チョコレートの色は合成着色料で作られている

――船瀬さんの肩書きは環境問題評論家ですが、そもそもどういうきっかけがあったのでしょうか?

船瀬   私は環境問題の前には、消費者問題をやっていました。
      私は福岡県田川郡添田町の生まれで、小学校の教師だった母親が『暮らしの手帳』を購読していました。僕はませたガキで、小学校2年くらいの時から『レ・ミゼラブル』や新聞の石坂洋二郎とかを読んだりしていた。読むものがないから、家にあった『暮らしの手帳』を寝転んでしょっちゅう読んでいた。そのうちに『暮らしの手帳』の名編集長、花森安治(はなもりやすじ)さんの花森イズムにはまってしまった。

   チョコレートに合成着色料が付けられていることを知ったのは、まだ小学校3年ぐらいの時でした。「なぜチョコレートにまで色を」という『暮らしの手帳』でのタイトルまで覚えています。でそのとき、母親が買ってきた茶色の色をしたビスケットがありました。茶色だからチョコビスケットだと思っていたら、タール系色素だった。それもタール系色素、青色1号、緑2号、赤色4号・・・、とそんなのが入っているのを見て本当にびっくりした。

   何でビスケットにまで色をつけるのか。
   あれがチョコレートの色だと思っていたら違った。つまり青とか緑、赤を混ぜれば茶色になるでしょう。だから合成着色していた。その時、子ども心に、企業というのは油断がならないと目覚めたのです。それが私のスタートになりました。その後、20歳の時に、三一書房の『危険な食品』とか、郡司篤孝さんの本などをむさぼるように読んだことから、食べ物はこのままでは危険だ、食品添加物などとんでもないものが入っている、と改めて知ることになりました。

   ある広告代理店の社長が次のように言っていました。
   「世の中、目あき1000人、めくら1000人、残りの8000人はバカである。そして市場とは、このバカによって構成されている」。私は20歳と若かったから「コノヤロー!」と血が逆流した。電通の戦略十訓というのがあります。それは「もっと捨てさせろ」「もっと買わせろ」「季節を忘れさせろ」「贈り物をさせろ」「混乱を作り出せ」・・・。それを読んで、「こいつら本当にバカにしているな」と思った。それで俺の心に火がついて、消費者運動しかないと思ったのです。

   学生時代は全共闘紛争真っ盛りで、左翼はダメ。では保守のほうはというと、これは企業に牛耳られていてこっちもダメ。それなら第3の道しかないと考え、それで私は市民運動に身を投じたわけです。その頃アメリカではラルフ・ネーダーが登場し、消費者運動宣言、市民運動宣言を始めた。「市民が参加して世の中を変えていく」、それしか道はないのではないかと思い、日本消費者連盟に参加したわけです。それが25歳の時です。

   そこへボランティアで手伝いに行きました。
   すでにアメリカ発のラルフ・ネーダーイズムが実現していた。そこで、野村かつ子さんという日本の市民運動、消費者運動のゴッドマザーに会った。「とにかくアメリカでは市民運動がすごいから見てきなさい」と言われた。それで日米学生会議というのがあって、応募したら受かった。で、渡米してアメリカの市民団体や、ラルフ・ネーダーのグループなど全部回りました。(略) 

   気がついてみたら、それももう40年前の話です。
   その時からの親友ロバート・レフラーはラルフ・ネーダーの片腕として活動していた。40年来、いまだに付き合いがあって、この前我が家に泊まっていきました。しかし残念ながらネーダーイズムは、ある意味次第に潰されていきました。私は消費者連盟の活動をやって、自分ではやり切ったという思いがあります。それで当時、「編集担当で来てくれ」と言われて、私は10年間は思いきりやってみようと思った。

   その時にやったのは化粧品です。
   当時、シミなどができて顔が黒くなったという黒皮症のおばさんが沢山いたのです。それで調べてみたら、化粧品で黒くなったという。当時の化粧品のCMはひどかった。「シミ、色黒、サメ肌、たるみ、小じわ、肌の老化を防ぎます」と堂々と「効能」「効果」を謳っていた。それで阪大医学部、皮膚科部長T博士に「本当に効果があるのか?」と尋ねたら、「まったく逆ですよ」と笑った。つまり化粧は、これらを「防ぐ」どころか「原因になる」という。

   つまりクリーム、乳液、化粧水などの中味は、防腐剤、酸化防止剤、合成界面活性剤、タール系色素などの皮膚毒物の混合物だったわけです。だからシミ、色黒、黒皮症になるのは当然。しかも日本中の女性が巧みなコマーシャル詐欺に騙されて、それを顔中に塗るものだからシミだらけになっている。もう悲劇というより喜劇です。私は「巨大企業による”洗脳”は底なしだ」と思いました。それで、資生堂をはじめ、大手化粧品メーカー7社を詐欺罪で刑事告発したのです。

   その後日談ですが、この告発は共同通信社と毎日新聞の勇気ある先輩記者が記事にしました。共同の記者から聞いた話では、化粧工業会に取材に行ったら広報委員長が一言、「詐欺と言われればまったくその通りでございます」と言ったと。つまり、詐欺犯罪を自覚して消費者を騙してきたわけです。

   その構造は今も変わりません。
   カネボウ化粧品の被害が社会問題になっていますが、そもそも「美白」という言葉自体が不当表示です。「色黒を防ぐ」「白くする」と言っているわけですから。これらの化粧品市場は、約2兆円市場と言われています。つまりは2兆円の詐欺マーケットなわけで、知らぬは”洗脳”された女性たちなのです。

   さらに後日談ですが、東京地検の直告検事から電話がかかってきた。
   私が出ると、「あなたの告発は、理由は言えませんが受理できません」と言う。私は若かったので烈火のごとく怒って怒鳴りつけた。すると電話の向こうで彼は泣き声になって、「私にも妻子がいるんです・・・」。この国は司法も腐っていると確信しました。消費者運動の現場では、大学とは比較にならないほどの、社会のことを多く学びました。

   お酒のことでは、『ほんものの酒を!』(三一新書)という本を30歳の時に書いた。
   つまり日本の酒は完全ににせものだというキャンペーンをやったのです。エビスビールが今生き残っているのは、自分で言うのもなんですが私のおかげなのです。消費者運動は悪いものは悪いと批判しますが、一方でいいものはいいと育てます。日本のサントリー「純生」とか「オールド」などは、すべてイミテーション・ビール、ウイスキーでした。日本酒もみなニセモノばかりで、添加物だらけだった。ところが一つだけ本物があった。それがエビスビールです。

   当時はまだ東西ドイツが分かれていましたが、西ドイツには「ビール純正法」という世界でもっとも厳しい法律がありました。それは「水と麦芽とホップの3つ以外を加えたらビールと名乗ってはいけない」というもので、実に厳しい法律です。一切の添加物を認めないわけです。ところが日本にも、ドイツのビール純正法をクリアしたビールがただ一つあったのです。それがエビスビール! 飲んだら本当にうまい。

   それで私は著書『ほんものの酒を!』の1項目に、「エビスのすすめ」を書いた。
   もう絶賛です。「これぞ世界に誇る本物のビール。この琥珀の色合い、泡立ち、のどごし、この香り」。もう広告コピーみたいなもんです。「君よエビスを飲もうではないか!」と書いた。この本は20万部くらい売れた。そのときエビスは総売り上げの1%を切っていたので、実はサッポロで製造中止が決まっていました。エビスはサッポロが買収したローカルブランドだったのですが、売り上げが悪いので製造中止を決めたのです。ところが私の本が出て、1%、2%、3%、4%と、売り上げがぐんぐん伸びてきた。そこでサッポロは、エビスの中止を”中止”したのです。

   私はいつも消費者連盟の事務所で、夜10時ごろまで働いていました。
   それで11時ころ、田園調布に借りていたアパートに帰ったら、アパートのおばちゃんが「今お帰りですか。実はさっきまで黒塗りの車で4人くらいの方が、お帰りになるのをずっとお待ちになっていました」と。「えっ、何ですか?」「もう今日は遅いようなので、直接渡したかったけれども、是非この手紙を船瀬さんにお願いします、ということでした」。見るとそれにはサッポロビール広報部長、某(なにがし)と書いてある。

   読んでみると、「船瀬俊介様、このたびは船瀬様のおかげでエビスビールが命脈を保ちました。エビスビールは製造中止を撤回致しました。これほどまでに絶賛いただき、ご推奨いただき、ご援護いただいて、感謝にたえません。エビスが生き残ったのはひとえに船瀬様のおかげです」と書いてあった。「今後とも良いものは良い、悪いものは悪いとご指導、ご鞭撻のほどお願いします。我々はこれを契機に本物つくりにまい進いたします」と。そして下宿の入り口にエビスビール半ダースが置いてあった。

   しかし半ダースのエビスビールは、手紙を添えて送り返しました。
   あの手紙を持っていればよかったね。エビスはそれからぐんぐん伸びました。そのとき、ビール各社がエビスの後に続いて、本物の麦芽100%ビールを作り始めた。コマーシャルではなく、品質で競う動きで、ビール業界に本物志向の大きなうねりが生まれました。ビール市場全体も大きく拡大していき、本物のビールが消費者に広く支持されるようになったのです。

   花森安治さんは、「商品テストは消費者のためにあるのではない。企業のためにあるのだ」と言っています。私も消費者運動というのは、究極は日本経済のためにあるのだと思います。ですからその日本経済を支える柱はいつもチェックしないといけない。消費者運動もその一端で、企業をチェックしているだけなのです。ビール業界ではその後だと思いますが、サントリーが始めた容器戦争というのがありました。

   ペンギンのデザインして「ペンギン缶」とか、そうするとアサヒが女の子に狸の格好をさせて「ビアとっくり」などとCMする。次にサントリーが音の出る容器を出した。あれは佐治敬三が小便をしながら思いついたという、とんでもないビール注(つ)ぎです。そんなのがあふれて、ビール業界は容器戦争に突入してしまった。それで消費者連盟はすぐに公開質問状を出しました。それは私が担当で、「我々は容器にお金を払っているわけではない。(略) そうした容器戦争は中止していただきたい」と、和文タイプライターを打って、4社に対して切手を貼って投函しました。

   そうしたら2週間以内にバチッと返事が来た。
   業界で裏で話し合ったようです。「貴連盟のご指摘はまさに正論と存じます。今日を持って容器戦争を一切中止します」と、サントリー、キリン、サッポロ、アサヒから返事が来た。それでテレビのコマーシャルがパタッと止まった。それ以来サイズも、ロングとショート缶と瓶の3つになった。それから突然、アサヒの「スーパードライ」がスーパーヒットをかました。これをきっかけに今度は品質競争が起こりました。それでビールがグワーッとうまくなった。驚くなかれ、それからビール市場が約2倍に膨れ上がった。ですから実は消費者運動でも、業界を育てることが可能なのだということを知ってもらいたいのです。


        book 『ワンワールド支配者の仕掛けはこう覆せ!』 
                   ジェイ・エピセンター×船瀬俊介著  ヒカルランド

                           抜粋


   

   

   

   

アヌンナキが教会を通して中世ルネッサンスを中止させた

   私はニビル星の王アヌである。     
   かつてない規模の人口爆発と地球の苦しみを目のあたりにしている今、私はこう尋ねたい。きみたちが肉体を山積みしているのは、私が何をしたせいだろうか。ブルドーザーやパワーショベルの技術を発達させたのは、大量の墓を掘るためだったのか? 自分の生命力や免疫系まで破壊させるようなどんな想念を私は人間のマインドに埋め込んでしまったのか? 一歩引いて、恋人を眺めてみたら、付き合い始めたころの彼女は毛ほども残っていないことに気づいた男のように、私がきみたちに及ぼした自分の影響を知りたい。

   まず、地球の基本的な法則から始めなければならない。
   それは人間1人ひとりに魂レベルで自由意志があり、生きている間はその力を使ってどんな現実も変えられるということだ。その視点で言えば、自分で選んだこと以外は起きないわけで、きみ達人間が現在のような状況を望んでいなければ、こうなっているはずがない。ここまでは共通の土台である。あとは、こちら側の話を分かち合うしかない。

   我々は人間をできるだけコントロールして、利用できる状態に置くことを好んでいる。
   それは従業員にできるだけ安い賃金を払って、そこから最大限の収益をあげようとする雇い主のようなものだ。地球にいる間に発見したことは、人間は死を怖れていたほうが、我々の思うままに動かしやすいということだった。しかし、私は銀河連盟の評議会にどう説明すればいいのだろうか。人間に怖れを吹き込み過ぎたので、互いに殺しあったあげくに絶滅しそうだとでも言えばいいのか? 素晴らしい報告だ!

   とにかく人間に怖れを抱かせれば、我々の好きな方向に動かせると知ったのは、ずいぶん昔のことだ。それは唖然とするほど簡単だった。40年前我々は、「バターの代わりにマーガリンを食べて心臓病を予防しなさい]と教えた。きみたちはマーガリンを食べ、心臓病は急速に増加した。我々は最近になって、やはり「マーガリンよりバターのほうがいい」と訂正した。また20年前には太る原因は脂肪の取りすぎだと教え、あらゆる食品のラベルに脂肪量を表示させた。誰もがラベルを詳しく読んで脂肪の摂取量を減らしたが、その後の10年間にアメリカ人の平均体重は10ポンドも増えてしまった。

   その結果、太った者もいれば、極端に痩せた者もいた。
   太った者は何を食べても罪悪感をおぼえるので食べる量が増えたうえに、頭の中は脂肪量のことでいっぱいだった。痩せた者は神経質になり、それがエンジンを消耗させた。実際には、思考が体重を左右すること、そして人体に摂取された脂肪は燃えやすい燃料であることに、薄々でも気づいていた人間は1000人に1人ほどしかいない。その一方で、一番やせた者のあいだで癌の罹患率が急上昇した。癌細胞は脂肪細胞内で変換されるのに、元素の働きによる自然な燃焼メカニズムが妨げられたためだ。きみたちは死をあまりにも怖れるゆえに、寿命を1ヶ月でも延ばしたくて、簡単にどのような説にでも乗せられてしまうのだ。

   死を怖れるのをやめないかぎり、破滅は避けられない。
   人間が死を怖れるように仕向けたのは我々である。地球に滞在するあいだは非常に老化が早いために、我々はきみたちの1年あたり3600歳も年をとる。私は過去45万年にわたる数多くの訪問で年老いて、疲れてしまった。我々は恐怖に駆られた存在であり、この怖れを理解したければ、地球にひたひたと満ちてくる恐怖を見るがいい。「網」がうまくかかって、どんな悪事も好き放題できてしまうので、我々は自分の感情を人間に投影し過ぎてしまった。

   悪意を帯びた冗談と同じで、最初は面白いが、やりすぎると面白いどころではなくなる。きみたち人間もそろそろ目を覚まし、我々アヌンナキが地球を訪れるときだけでなく、軌道のどこにいてもきみたちに影響を与えていることに気づくべきだ。我々は人間のマインドに埋め込まれた思考形態を通じて影響力を及ぼしている。我々はきみたちを刺激して、太陽がもう二度と昇らないかのように、買いだめと備蓄に走らせてきた。しかしもともと人間は、持ち物が少ないほうが活動しやすく、ものを分かち合う共同体で暮らしたほうが幸せなのだ。

   自分の知った秘密を胸に収めて、自分の利益のためだけにその力を利用することを、きみたちの多くは知っている。したがって、我々がシリウスの教師たちから委託された情報をきみたちに渡さずに、完全にコントロールしてきた理由は同じようなことだ。だが、いま突然、私はこの委託された知恵こそ人間を救う知恵だと悟ってしまった。長年にわたる恋愛をへて、相手の利益しか考えない境地に達したのだ。

   それはたとえ、自分を救ってくれると思ってしがみついてきた者を手放す結果になろうともだ。だからその知恵を、きみたちと分かち合うつもりだ。知恵の共有こそがシリウス―プレアデス同盟の主眼である。プレアデスの女神とシリウスの錬金術師の中でハートとマインドが結合したことにより、いま宇宙にどれほど畏怖(いふ)すべきシフトが起きているか、きみたちにはとても想像できまい。

   すでに白状したとおり、いざ、地球のきみたちのシステムに到着してしまうと、必ずしも贈り物を最初に渡されたままの状態で届けようとするとは限らない。太陽系に近づくと、私はいつもそういう事態になる。宝物を運んで長旅をするうちに、目的地で手放すのがいやになる気持ちはわかるだろう。錬金術には、自からの霊魂を変容させることへの全面的な決意と取り組みが必要である。それによって、9次元にわたる宇宙の知恵を受け取るだけの炎が肉体に備わる。

ニビルのアヌンナキが教会を通して中世ルネッサンスを中止させた。

   西暦1000年から、地球でシリウスの錬金術的波動が強まったことは、見ればすぐわかる。その波動はヒルデガルト・フォン・ビンゲン、アルベルトゥス・マグヌス、マイスター・エックハルトなど、中世の芸術家や神秘家の多くの作品に浸透している。新しい年代でニビルがシリウスにもっとも接近した西暦1600年ごろは、メディチ家、ケプラー、パラケルスス、ボッティチェリ、フラ・アンジェリコ、ミケランジェロなど大勢が活躍したルネッサンス全盛期にあたる。

   そこで告白したいことがある。
   わたしアヌは、地球に偉大な目覚めが展開する様子を見て、人間が自らを解放してしまうかもしれない、という可能性にうろたえた。そしてルネッサンスを中断させた。秘密の教えをすべて手元に置いておきたかったのだ。わが子に自分の権力を譲るつもりだといつも語っていながら、いざ年老いるとなかなか譲ろうとしない父親のように、わたしも何一つ手放せなかった。

       
   中世におけるルネッサンスを中止させたのは私アヌだが、すでにバチカンの教皇制、封建制度、神聖王権、秘密結社などを確立していたので、私が社会全体に恐怖を一つまみ放り込むだけで、きみたち人間の自由観を始末するに十分だった。ジョルダーノ・ブルーノは多次元と地球外文明について本を書いていたため、教皇は西暦1600年に彼を火刑に処した。これが科学と神学を分裂させ、もはや霊魂の存在は証明できなくなり、いわゆる霊性などというものが低能のしるしとみなされるようになったのだ。

   中世ヨーロッパのルネッサンス期には多くの偉大な音楽家や画家が、きみたち人間を多次元性に向けて開こうとしていた。しかし、私が人間の耳の一つも切り取り、舌を一本か二本引き抜くだけで、きみたちは「芸術は人生を破滅させる」という結論を吐き出した。錬金術を発見したヒーラーや天才は悪魔のレッテルを貼られ、その多くは公衆の面前で火あぶりになった。

   しかし当時の偉大な芸術家の多くが、錬金術のコードを掴んでいたことに気づくべきである。その波動は物質界にもたらされた。彼らの作品には、1987年から2012年までに地球全体の場を再構築するためのコードが含まれている。いま、どうするかが決定的に重要なことなのだ。当時のルネッサンスの偉大な芸術家たちは、現在の地球に再び肉体を持って転生しており、世界を美とエクスタシーで満たす態勢を整えているのだ。きみたちはこの時を待っていた。

   目を覚ませ、目を覚ませ ! 
   そうでないと、ニビルが錬金術の宝物を抱えて地球にどんどん近づいてくると、人間は覚醒するかわりに、再び崇拝する神を待ち受けかねない。きみたちは再び、盲目の羊の群れのように集められて黙示録的世界の到来を待ち望み、卑屈に身を縮めて宗教の神々を迎えようとする可能性がある。

    私は会社を潰してしまったことを悟り、株主にどう言い訳しようかと悩む社長にすぎない。あるいはドル通貨が暴落して紙切れ同然になっていくのを見ながら、NAFTA(北大西洋貿易地域)を台なしにしてしまったと悟るアメリカ大統領だ。事態は、1人の人間では処理できない規模になりつつある。するとどうなるか。各個人が目覚めるのだ。

   私アヌは銀河連盟に報告せざるをえなくなる前に、きみたちに真実を分かち合うためにやってきた。昔なら、社長は会社から金目のものを持ち出して南の島へ高飛びするところだが、もう逃げるべき南の島は存在しない。惑星ニビルがきみたちの太陽系に近づくにつれ、私の欲望は活性化されてくる。宝物のありかにいよいよ近づくときのように、とにかく全部ひっ掴んでしまいたい気分になる。

   私は豚のような貪欲さで知られているが、きみたちも同じだ。
   近づくほど、私は太陽の光に目がくらむ。過去の経験からわかるが、そちらの領域に入ると思考があまり明晰でなくなってしまう。美しい裸の女を見ると男は目がくらんでしまうように。だから人間が今すぐ、シリウスから託された純粋な贈り物の錬金術をまるごとつかみ取り、「アヌなんか、くそくらえ !」 と叫んでくれることを願っている。

   もし錬金術師になることを目指すなら、まず力強くなることから始めなければならない。何びとも本来の自分に備わる力を他人に提供すべきではない。そのパワーこそ自らの霊魂にアクセスする唯一の手段なのだ。私アヌは告白する。何十万年ものあいだ、自らのパワーを見出した人間を見つけると、私はその人間を道具として使った。しかし、今や我々はお互いを絶滅させかねない。

   私が人間たちをコントロールする手段は、きみたちの「死に対する恐怖」である。
   私は留守中も地球を管理するために、秘密結社や秘密教団を作ったが、今ではその組織自体が生命をもつに至った。彼らの本質を知れば、ごく簡単に見破ることができる。ひとたびそうした閉鎖的な集団に入ったら、きみはもうニビルの構成員である。こうした集団はすべて上下の序列を基本としており、排他的で、恐怖という毒に侵されている。

  
   もし何らかの集団に属する形で何かに取り組みたいと思うなら、その集団が外に向かって開かれた共同体であるかどうかを確認することだ。そうした集団の内部では、経済的、人格的な面だけでなくあらゆることにおいて競争することがなく、他人のエネルギーや創造性を所有することもなく、メンバー全員が対等であり、同じ資源を一時的に管理するという状態でなければならない。そのうえであらゆる執着を手放し、自分を地球の守り手と呼び、ただ為すべきことを為し、秘密を持たないことだ。一番力の弱い者が寡黙(かもく)になったり、心を閉ざしたりしたときは、次にどうしたらよいかその当人に聞くとよい。

   そうした集団においては教えが一般に公開されていること、そして「儀式が存在しないこと」が、常に真の地球の守り手を示す "しるし" である。


      book 
『プレアデス―銀河の夜明け』 バーバラ・ハンド・クロウ著 太陽出版

                            抜粋

 

         

      

「処女懐胎」の教義が目的としたもの

   ニビルのアヌンナキはゼロ時点、つまり西暦0年から西暦325年に至る大計画を考案し、「キリスト教会を設立してローマ、ギリシャ、東方、エジプトで多様な宗教運動を支配する」という方針のもとに世界へ繰り出し、こうした方法で徐々に人類を操作することに決めました。西暦325年には、彼らはローマカトリック教会が「聖体の秘跡」の正式な施行者であるとして定めました。アヌンナキの皇帝たちは、キリストがぶどう酒を血に変換させながら本当は何をしているのかに気づき、即座に秘跡を完全に支配して、その力を封じ込めることにしたからです。

   あなた方の多くは未だ、宗教的信念体系に感情体を支配されています。
   また自分の肉体に関する判断を他人に委ねてしまった結果、病院の医者など人の判断に依存して自分の肉体を支配させるに任せています。しかし、地球のフォトン・ベルトへの進入とともに、あなた方個人の中において、大きな内的戦いが始まるでしょう。この戦闘は、あなた方一人一人が統一性を取り戻していく過程で、内面的に起きて来ます。 このような概念について考えるのは簡単なことではないかもしれませんが、現在の精神的、肉体的な面における暴力のレベルが、さらに深く考え、探求することをあなた方に強いるのです。

   何もかもが、何かひどく間違っていると、誰もが感じています。
   あなた方が抱える偏見や信念体系は、本質的に非常に不合理で矛盾していることに気づき初めており、最近では多くの宗教システムが自滅して、人々に衝撃を与えています。ミサの侍者をつとめる少年の多くが司祭による性的虐待を怖れなければならない、などという事態を、1950年代に誰が想像できたでしょう。私はあなた方に目覚めてほしいので、突ついたり、刺激したりしています。あなた方がこれまでの長い間、依存してきた信念体系を喪失する苦しさはよくわかります。   

   その中でも特に世界に広く行き渡った宗教の、深く覆い隠されてきた観念を選んで、集団的に追ってみましょう。我々プレアデス人が知りたいのは、たとえば「無原罪懐胎」、つまり「処女懐胎」という説をあなた方はどうして信じられるのかということです。そうでなくとも、純潔の女性の体内で妊娠が起きるとすれば、男児ができるはずがないでしょう。あなた方はせっかく遺伝学を研究しているのに、なぜそこから結論が引き出せないのですか? 少し考えてみるだけでもわかりますが、その女性は一体どこから染色体を得るというのでしょうか? 星の存在から? 神? それとも天使? あなた方人間のみなさん、よく聞いてください。キリストの誕生はまさに、物質的3次元の出来事なのです。

   この創造にセックスが介在しないというのは、いったい誰の思いつきなのでしょうか?
   そうです、アヌンナキです。この馬鹿げた陽動作戦の目的は、マグダラのマリアとイエスが子供をつくったという事実から人々の目を逸らせるためであり、アヌンナキのバチカンが捏造(ねつぞう)した話なのです。そして事実は、その出産によって、キリストのコードが地球の血に埋め込まれたのです。このコードが、独身禁欲の男性によって3次元に埋め込まれることはあり得ないことなのです。

   宇宙の法則にしたがって、アヌンナキもやはり進化しなければなりません。
   太陽がフォトン・ベルトに呼応しているので、彼らも活性化しています。フォトン・ベルトによってあなた方は滅亡はしません。すでに何回も入ったことがありますし、それでもまだ生きています。ニビルの軌道は西暦3600年ごろ太陽系に入るでしょう。そのときあなた方の太陽系は水瓶座の後半で、未だフォトン・ベルト内を運行しています。現在、彼らの支配力と操作能力はすでに弱ってきていますが、あなた方の多くはそれを知りません。

   水瓶座の時代のあいだに、彼らの支配は消滅してしまいます。
   彼らがこの惑星にかけた「網」の力も1989年にピークに達しており、この次にアヌンナキによる乗っ取りの試みは、アメリカの首都ワシントンから指揮されるでしょう。さて、あなた方にとってベルリンの壁やソヴィエト連邦の崩壊が大事件だったと思うなら、あなた方の米国政府を守る壁の崩壊を楽しみに待っていてください。フォトン・ベルトに深く入って行くにつれて、シリウスの影響力も減少します。シリウスは太陽の双子にあたり、「銀河の夜」に存在する星なのです。今のうちに、シリウスとニビルの教えをできるだけ学んでおくことです。  

   太陽系がフォトン・ベルトに進入するさい、シリウス人は銀河連盟のエネルギーを変換する役割を果たします。この過程についてあなた方が持っている唯一の記録は、エジプトのイクナートンの時世のものです。イクナートン王によるアトンの教えは、太陽の性質に関わる秘密の知恵でした。それは人間がアトン、つまりフォトン・ベルトによって強められ、血液は透き通った青に変わるという教えです。

   フォトン・ベルトに入って行く過程で、太陽を怖れる必要はまったくありません。
   想像してみてください、人間の血は青くなり、植物はまた元気になります。あなた方は肉眼で大いなる太陽の光を受け止められるようになり、昔のように優しく、愛情深くなります。かつての「青ナイル」が地球のすべての場となり、偉大な森林が再生します。2000年のあいだ地球は完全に何の支配も受けず、さまざまなエネルギーや形態が再構成されていくでしょう。

   いま多くの支配勢力側にいる者たちや彼らの教師たちが、将来を怖れるべきだとあなた方に確信させようとしていますが、実際には彼らの支配力が弱まり、除かれていくだけであり、すべての生命体が本来もっている統一された波動に戻れるようになります。もちろん、あなたが殺人者ならあなたも殺されることになるでしょう。自分の肉体を愛していなければ肉体を離れるでしょうし、森を怖れるなら森では歓迎されません。子供を愛していなければ親にはならず、動物は抱いて可愛がらなければ去っていきます。

   そして太陽と宇宙的コミュニケーションに興味がなければ、あなたは闇に入っていくでしょう。でもいずれ、みんな戻ってきて、木になったり動物になったり、子供、あるいは太陽の存在として肉体を生きるようになります。肉体に留まらねばならない、とあなた方をを納得させるために作られた、支配勢力によるそうした信条はすべてなくなります。つまり、あくまでも、あなた方は自分の意志で何になるかを決めるのです。

   なぜ自分はここに存在することを選んだのか、と自問してみてください。
   あなたは何をするためにここにいるのでしょうか? 
   まさか、偶然生まれて、たまたまここにいるだけとは思っていないでしょう?

      book 『プレアデス-銀河の夜明け』 バーバラ・ハンド・クロウ著  太陽出版
                

 

偉大なるニビルの神アヌが人間について語る 

   私は偉大なるニビルの神アヌ、アヌンナキである。
   エジプトでは「オン」と呼ばれ、私の名はシュメールとエジプトにおいて古代地球の歴史に君臨している。シュメールとアッカドは私自身で創造し、そのあとシリウスが創造したエジプト文明が邪魔になったので、これを支配することにした。

   45万年前に始めて地球にやってきた時は、痩せこけた野蛮人の群れが走り回っていたものだ。人間はほとんど動物と変わらず、ただ神経系には潜在的能力があった。きみたち人間は私が生命を吹き込んだ唯一の種、女神に出会った唯一の種である。やって来た当初は地球の緑と肥沃さにとても魅かれたが、その気に入っていた部分をあやうく破壊しかけたことは否定できない。だが、私をあまり厳しく批判しないでほしい。なぜならきみたち地球人も自から同じことをしているからだ。

   ときには、ただ退屈しのぎに自分の活力を破壊したりする。
   だから今わたしは、人間たちの退屈から生じる破壊傾向を心配している。私は再び戻って来るが、帰ってきたら地球がなくなっているかもしれない。それでルシファーに呼びつけられたとき応じる気になったわけだ。彼はきみたちの破壊傾向を熟知している。ただし、その源はこのアヌだ。

   もし地球が死ねば、我々アヌンナキも死ぬ。
   銀河連盟のルシファーに強く言われたから真実を語るが、その前に一つ理解してほしい。私はきみたち人間の神であり、人間をこうなりうると考えたような姿にさせるために刺激を加えてきた。その結果、巧妙な働きかけに人間は本当によく呼応し、私が望んだとおりの存在になり過ぎてしまった。今では、まるできみたちは結婚生活において自分の意志を見失った者のように、自分への無知から現実を破壊するぎりぎりのところにいる。この私も今、やっとわかったのだ。きみたち人間が、「世界を自分の手で本当に破壊してしまうかもしれない」と悟ったのだ。

   我々の惑星ニビルが軌道を巡って太陽系に戻り、地球と関わりあうとき、地球は3次元の燃料補給ステーションになる。「アヌ・ガソリン」というわけだ。我々は存在を維持するために、きみたちの圏内から必要なものをもらっている。地球が存在しなくなれば、ステーションが閉鎖されてしまう。我々は宇宙空間に出ている間、勇敢に星の意識を探検している。ただ衛星と同じで探査能力に限界がある。しかも地球のような場所はほかでは遭遇することはない。

   きみたちの惑星がいかに実り豊かな場所かというと、地球で集めた資源によって深淵宇宙を3000年も旅できるほどだ。流刑の体験を持つものだけが、この旅の孤独を想像できるだろう。クルド人は我々の同類だから、この気持ちを知っている。我々は寂しくなると絶望し、野蛮になる。ずっと昔きみたちの聖典(聖書)に出エジプトの物語を深く埋め込んだのも、我々が宇宙空間に出ている間の気持ちを知ってもらうためだった。しかしきみたちは、この物語を道具に使って敵を非難している。

   我々は地球の金を採掘し、太陽系に入るとき惑星ニビルのオーラを守るために利用する。太陽から一番遠ざかるとシリウスに近ずく。シリウスには惑星が存在しない。我々とシリウスとの関係は、惑星による意識ではなく恒星の意識に関わるものなのだ。プレアデス人が人間にとって星の進化の源であるように、シリウス人は我々にとって星の進化の元型である。シリウス人の高次の意識が何らかのレベルで影響を及ぼしていなければ、我々アヌンナキは進化しないだろう。それはプレアデス人がいなければ、人間は霊的に進化しないのと同じである。

   きみたちは、我々が地球に建てた数々の立派な神殿を見たことがあるだろうか。
   宇宙に出ている間も種を保存させるには、人間の遺伝素材を確保しなければならないので、時々立ち寄るためのファーストクラスのホテルを建てたわけだ。私の究極の目的は、人類が自分たちだけの純粋な遺伝系統を持つことである。そうすれば、我々の来るたびに影響力を及ぼしたり、きみたちを変えたりしなくてすむ。気楽に短期間逗留し、人間のあいだに混ざって過ごすことができる。もう成熟を必要としない大人同士がこれから親密な関係に入るときのように、対等な立場で出会えるだろう。

   我々は地球に降りて来た神々、ヘブライ聖書で「ネフィリム」と呼ばれた存在である。
   地球の生物種に、我々の種を受胎させる場所として神殿を建てた。太陽の王女や巫女が、未来の王や女王を生むために我々と交わるという昔話は実話である。これを話せば長くなる。とても長期的な関係だから、時間をかけて探求するしかない。

   我々は実際に地球を訪れると、200年以上も神殿で暮らす。
   太陽を巡るニビルの運行周期は3600年、かたや地球は1年だから、200年の滞在はきみたちが豪華ホテルで20日間の休暇を過ごすようなものだ。7世代にわたるその期間に人間の女神を遺伝系列によって選び、子供を生んでもらう。地球を離れて我々と旅することを選ぶ子供もいれば、留まって新しい高貴な遺伝系統の種子を蒔く子供もいる。これは公平な遺伝子交換である。しかし、この体験がきみたち人間の非常に深い傷の源にもなっている。

   きみ達人間が、生き延びるために重要なことを教えよう。
   我々との体験が人間たちに出産を促す刺激を生み出しており、それがきみたちの深層心理に設定されているので、それが人間たちの無秩序な繁殖・セックスを招いている。「ゼロ時点」(西暦ゼロ年)から始まった今回のサイクルでは、旧約聖書の族長制をもとに伝統を築いたすべての神殿が、特にバチカンがこの無秩序に侵されている。なぜ教会は、女性の肉体における主権を否定するのかと不思議に思っていたであろう。なぜ女神たちは、子を産む器としてのみ有用なのか私が答えよう。

   惑星ニビルでは何千年も昔から、地球の神殿で行なわれる神聖な儀式で集めた受精卵を聖杯に置いて、妊娠期間を過ごさせていた。我々にとっては女神1人ひとりが出産のための「聖杯」である。人間の女性は豊かな受胎能力を持ち、彼女たちとのセックスはすばらしい。しかし、我々がきみたち女性の全面的な合意を得ないなかで、あまりにもパワフルな形できみたちを利用したために、人間は心の奥底で、もっとも基本的な権利である受胎能力を自分ではコントロールできないと思っているのだ。つまり、子供をつくるという行為に責任が持てなくなっているのだ。

   過去において、3次元世界は火災と洪水と地震で終末を迎えたが、今回きみたちは人間の増えすぎで窒息しかけている。しかしまだ、人口の均衡を取り戻す時間は残っているので、第一歩は我々が手伝おう。このアヌがローマ教皇に介入をおこなう。われわれニビルによって承認された「教皇の不謬性」(ふびゅうせい)はここに終わりを告げる。我々が地球を離れるときに一緒に連れて行くとしよう。女性を器として利用するのは本当にやめるときである。

 

      book 『プレアデス-銀河の夜明け』 バーバラ・ハンド・クロウ著   太陽出版

                            抜粋




      
 

 

「退屈」の先にあるもの

Q、 私は行き詰っています。自分がすることはすべて意味がなく、馬鹿げたことだと思うと、退屈してイライラしてしまいます。退屈とはいったい何なのでしょうか?

   
退屈は、人間の生活の中でもっとも重要なことだ。
   退屈とは、マインドが覚醒にどんどん近くなり始めたときにだけ起こるもので、退屈は覚醒の対極に位置している。しかし、退屈はあなたが人生のむなしさに気づいたことを示しているだけでもある。人生は常に繰り返しであるからだ。退屈するということは、人生の無意味さや空しさについて、大いなる理解があなたの中に生じつつある最初の兆しでもある。

   さて、あなたは退屈に対して2つのやり方で対応することができる。
   1つの方法は、ほとんどの人々に共通することで、そこから逃げること、避けることだ。真正面から見ず、それと向き合わない。それに背を向け続け、逃げる。あなたの興味を引き、心を占め、脅迫的に夢中になれるものに何とかして逃げ込む。そのようにしてそれはあなたを生の現実から遠くに引き離し、2度と退屈が湧き上がるのを許さない。

   それこそが、人々がアルコールや薬物を発明した理由だ。
   それも退屈から逃れる1つの方法だ。しかしあなたは本当には逃れられず、ほんのしばらくの間それを避けることができるだけだ。あなたはセックスにも逃げ込むことができるし、大食いしたり、音楽に逃げたりすることもできる。つまりあなたが逃げ込めるものは無数にある。しかしそれでも、退屈は何度も何度も襲って来る。それは避けることができず、それは人間の成長の一部なので、それに直面しなければならない。

   もう1つの反応は、正面から取り組み、そのことについて瞑想し、それと一緒にいてそれになりきることだ。瞑想とは正確には何だろうか? 瞑想とは、退屈に正面から向かうことなのだ。瞑想者は何をしているのだろうか? 黙って座り、自分のヘソを見つめ、あるいは呼吸を観察する。彼はこういうことを楽しんでいると思うかね? 彼はまったく退屈しているのだ! 禅のマスターが手に棒を持って歩き回っているのは何のためかと言えば、こうした退屈した人々は居眠りしてしまうからだ。他の逃げ道は何もない。たった1つの逃げ道が残されているのみで、それで彼らは居眠りする。

   彼らは自分の意志で、禅の訓練と修業の一部になったゆえに彼らは逃げられない。
   しかしいつも1つの逃げ道がある。それが眠ることで、それによってあなたはすべてを忘れる。だから瞑想中には人は眠くなるのだ。瞑想の努力はこれですべてである。退屈しなさい、でもそこから逃げるな、ということだ。注意を怠るな、なぜなら眠ってしまえば逃げたことになるからだ。注意し続けよ! それを観察せよ、それを目撃せよ。もしそれがそこにあれば、それはそこにある。それをよく見なければいけない、その中心まで見るのだ。

   もし、あなたが逃げずに退屈を見つめ続ければ、爆発が起こる。
   ある日、退屈の中を深く見ていると、突然にあなたは自分自身の無の中を刺し貫く。退屈はただの覆いに過ぎず、入れ物の中にはあなたの大いなる無が詰まっている。もしあなたが退屈から逃げるならば、あなたは自分自身の無から逃げているのだ。もしあなたが退屈から逃げないならば、もしあなたが退屈とともに生き始めるならば・・・それこそが瞑想である。退屈を歓迎し、、自分から進んで退屈の中に入り、退屈がやってくるのを待つのではなく、退屈を探求するのだ。

   ヨガのポーズで何時間も座り、自分の呼吸だけを見つめていると、人はとても退屈する。そして瞑想の全体が退屈を助長するように作られている。禅寺では、あなたは毎日毎朝、同じ時間に起きなければならない。夏も冬も関係ない。あなたは朝早く、午前3時に起きる。あなたは風呂に入らなければならず、同じお茶を飲み、そしてあなたは座らなければならない。毎日決まりきった日程で、同じ動作が繰り返される。決まった時間に同じものを食べ、そしてまた瞑想をする。

   同じ服装、同じ寺の同じ場所、そして同じマスターが毎日棒を持って歩き回る。
   毎晩、あなたはマスターとのセッションに行かなければならない。与えられる課題はとても退屈な問題で、それについて瞑想しなければならない。「片手でかしわ手を打つと、どんな音がする?」 それを考えるだけで、あなたは頭にくる! 片方の手でかしわ手を打つと、どんな音がする? それには答えなどないのだ。あなたはそれを知っているし、誰もがそれに答えはないと知っているのだ。それでもマスターは言い張る。「繰り返し続けなさい。それを考えながら瞑想しなさい」

   退屈は作り出されなければいけないのだ。
   毎日、毎朝、毎晩同じことが繰り返される。2、3日するとあなたは完全に退屈している。しかし逃げようにも逃げる方法がない。あなたはテレビも映画も見られない。退屈をしのぐのを助けるものは何もない。あなたは退屈の中に何度も何度も投げ込まれる。

   退屈に直面するには大きな勇気がいる。
   それはほとんど死ぬほどのものだ。実際のところ、それは死ぬよりもむつかしい。なぜならば死はあなたが無意識になるときにやってくるからだ。そしてあなたはあらゆる種類の退屈を引き起こす。何が起きるのか? これがあらゆる瞑想の秘密だ。もしあなたが観察し、観察し、観察し続けると、退屈はどんどん大きくなり、どんどん強烈になり、そしてピークに達する。何でも永久に続くものはない。そして車輪が向きを変えるときがやってくる。

   もしあなたが極限まで行くと、最高地点まで行くと、そのとき変化、変容、覚醒、悟り、それを何と呼んでも構わないが、それが起こる。ある日突然、退屈が余りにも大きくなる。あなたは息が詰まりそうになる。それによってあなたはほとんど死にそうになる。あなたの退屈は海に囲まれ、あなたはそれに圧倒される。そしてもう逃れるすべがないように思える。退屈の強烈さと大きさが頂点に達したとき、車輪が反転する。

   突然、退屈が消える。
   そしてそこには悟りと三昧(さんまい)が現れる。あなたは無の状態に入る。そのとき、もう退屈はどこにもない。あなたは生の究極の無を見たのだ。つまりあなたが消えたのだ。すると誰が退屈するのだろうか? 何に退屈するのだろうか? あなたはもう存在しない。あなたは消滅したのだ。

   あなたは尋ねる、「退屈とは一体何なのでしょうか?」
   これは偉大な霊的な現象だ。だから野生の牛は退屈しない。彼らは完全に幸せで楽しんでいる。人間だけが退屈する。それもとても才能があり、知的な人間だけが退屈する。愚かな人々は退屈しない。彼らは完全に幸せで、仕事をしたり、お金を稼いだり、貯金をすることに喜びを感じ、子どもを育てたり、再生産したり、食べたり、映画に行ったり、旅行に行ったり、レストランに行ったり、あれやこれやに参加して楽しんでいる。彼らは退屈なんかしていないし、楽しんでいるのだ! しかし彼らは最低のタイプだ。彼らは野生の牛の世界に属している。彼らはまだ人間ではないのだ。

   人は退屈を感じ始めた時、初めて人間になる。
   あなたにはわかるだろう。最高に頭の良い子どもがもっとも退屈した子どもになる。なぜならどんなものも彼の興味をそれほどながく引き付けることができないからだ。遅かれ早かれ、彼は現実に躓(つまず)き、「今度は何? 次は何? これはもう終わった。このおもちゃにはもう飽きた。それはもう見た。それはもう開けた。それはもう分析した。もう終わった、次は何?」と。彼が若者になる頃には、彼はすでに退屈している。

   この社会は良くもなければ、悪くもない。
   あなたがインテリならば、世間は退屈だ。もしあなたが馬鹿であれば、あなたはそのまま続けられる。そうであれば、この社会はまさに遊園地だ。あなたは1つの興奮から次の興奮へと動き回るだろう。あなたはくだらないことに興味を持ち、それを繰り返し続け、しかもあなたはその繰り返しが自覚できるほど意識的でもない。自分が昨日もそれをし、今日もそれをやり、明日もまた同じことをすると思っていることが何であるかがわからないのだ。だからあなたは本当に頭が悪いに違いない。知性はどうやっても退屈を退けることができないのだ。それは不可能だ。そして知性とは、まさに物事をありのままに見ることを意味する。

   もしあなたがピークに達すると、・・・折り返しがやって来る。必ずやってくる! 
   そして光とともに、歓喜がやってくる。あなたは喜びで一杯になる――あなたはいない、しかしまったく理由などないのに歓びでいっぱいだ。あなたの存在から、ただ喜びが湧き上がる。

   普通の人は、何らかの理由と目的のためにさまざまなことを楽しむ。
   新たな女性と恋に落ちて、彼は有頂天に楽しい。しかし彼の喜びは瞬間的なものだ。また明日になれば、彼はもうこの女性には飽きてしまい、他の女性を探し始めるだろう。また彼は新しい車を買ったといって喜ぶ。しかし明日になれば彼は他の車に目移りし始めるだろう。そうしたことは次から次へと限りなく続く。そして、彼は物事の本質を決して見ないので、何度繰り返しても退屈に行き着くことに気がつかない。

   あとに残るものは、いつでも退屈である。
   だから人は退屈について瞑想しなければならない。あなたには退屈から逃れる道はない。それならば退屈の中に入っていきなさい。それがあなたをどこへ導いていくのかを見なさい。そして、あなたが退屈の中へ入り込み続けると、それがあなたを覚醒へと導いてゆく。


               book 『Joy  (喜び)』  OSHO著   Kadokawa Shoten 

                           抜粋

   
   

人間は「未知のもの」を恐れるように刷り込まれてきた

Q、 あなたの惑星には宗教はありますか?  

   いいえ、ありません。
   あなた方にとって宗教というのは、自分がそれを生きる存在自体になるのではなくて、大体において誰かについていくようになっていますね。宇宙においてこれほど、自分たちの姿勢が儀式的になっているのは、私たちの知っている他の宇宙文明の中でも地球だけなのです。ほかの惑星の中で、私たちが行ったところの星のなかでも儀式的にするところはありますが、それでも宇宙と自分というものを切り離して感じているところはありません。みな自分と宇宙は一つだと思っています。私たちに宗教があるとしたら、人生そのものが宗教です。人生を生きるということが、私たちにとって一番の儀式だと言えます。

Q、 そうすると人間にとっても宗教はだんだんなくなっていくものですか? 

   もうすでにそれが始まっています。
   地球でも一人ひとりが自分自身とのつながりについて、自分が創造主の一部であるということを理解し、受け入れ始めています。そして、他の人について行く必要がないということに気がつき始めています。今、パワーは特殊なリーダーへと行かないで、個人個人へと戻って行っています。このようにしてすべての人が、自分は生徒であり、同時に先生であるということを学んでいきます。そして、自分は他の人をただ反映しているだけに過ぎないということに気がつきます。これから20年、30年すると今の宗教というのは完全に消えてしまいます。

Q、 なぜ未知のものを自動的に恐れてしまうのでしょうか? 

   それはあなた方が長い間、未知のものは怖いもの、否定的なものと教えられてきたからです。でもあなた方のすべては、実は創造者なのです。自分の考えていることを自分の外に創り上げていく人々なのです。つまり未知のものを肯定的なものだと考えることができれば、肯定的なものしかやってこないわけで、たとえどんなことが起きても、それを肯定的に使うことができます。「何を怖れるか」が問題なのではなくて、「怖れること自体」が問題なのです。どんな状況でも怖れを伴う必要があると決められているわけではありません。ですからそれを見る「あなたの見方」こそが、抵抗や怖れを生み出していることがわかります。

       自分の中に[恐怖」の痛みが走ったら、考えてみてください。
   「こんな痛みを体験するためには、自分はどんな観念を持つ必要があったのだろう」と。その観念はどんなものか、正直に自分の中を探ってください。自分に今まで教え込まれ、自分が信じていた観念を探してみてください。それが見つけられれば、「本当は自分はどんな新しい観念を持ちたいのか」も見えてきます。

   新しく持ちたい観念を見つけたら、それを認識するだけで、古いものと新しいものが入れ替わります。それを望むだけで充分なのです。古いものが自分に教えてくれることの一つは、古いものはもう自分には必要ないということです。「自分が何でないか」を教えてくれる古いものに感謝してください。それによって「自分が何であるか」に近づきます。

   「痛み」があったらそれを自分のものにしてください。
   否定しないことです。自分のものにすると、それを変化させ、コントロールすることができます。それはエネルギーなので、否定したくても否定することができません。あなたはただそのエネルギーの形だけを変えることができます。地球の科学でも、エネルギーを消すことはできないということを知っています。それは変えることしかできないものなのです。人生の中で嫌なことが起きたとき、辛くて自分をそれから切り離そうとします。でもそれはできないことなのです。ですからそれを否定しようとしないで、そのエネルギーが変わることを許してください。つまり自分の望むほうに、自分の考え方を変えるのです。

Q、 人間というのはそれぞれの魂を成長させるために、環境や体を選んで生まれてくるといいますが、そうであれば死産とか、生まれてすぐ死んでしまう子供たちはどういうことなのでしょうか?

 
      
   それぞれ個人の魂によって、その目的が違います。
   ある魂にとっては、ほんの短い間だけ人間の肉体に宿ることで、目的としていたことが学べてしまうことがあります。そういう魂は長い間生きない子供の肉体を選びます。また時によってはそういう魂が、肉体に入るとはどんな感じかというのを実験的にやることもあります。つまり魂によっては、もう何回も生まれ変わっていろんなことを学んだので、今回はちょっとの短い間だけ肉体に留まるだけで、自分の目的の学びが達成できるということです。

   そして当然、母体である母親と魂との間には同意が行なわれています。
   つまり母親と、入ってくる子供の間には、それぞれ両方がその状況を通して学ぶものがあるということなのです。すべての魂やすべての人生というものは永遠です。生まれて死ぬ人生というものも、ただ移行のプロセスであるにすぎません。


Q、人間が天国とか極楽とか呼んでいるものが存在するのでしょうか?
  もし存在するなら、仏教で言う極楽とキリスト教で言う天国は同じところなのですか?
 

   あなたが想像できるものはすべて現実で、あなたが想像してしまうものもすべて現実です。地上の極楽や地獄というものも、あなたが考えることができ、想像できるならすべては現実です。つまりそれはただの意識の状態であるということで、自分の意識の一部分です。すべての存在のバイブレーション(波動・振動)は天国であれ地獄であれ、そういう周波数を持つことが出来るので、自分のなかに天国を持つこともできるし、地獄をもつこともできます。あなたが本来の魂としてあるときには、自分で考えたものが瞬時に現実になります。つまりあなたが死ぬとすぐに、自分が死ぬときに持っていた考えや観念がそのまま現実になって現われる次元です。

   キリスト教信者で死んだ場合、自分は本当に天国に行くと信じていたのなら、彼らの考える天国がすぐ実現します。同じく仏教徒なら、その人の信じている極楽がやってきます。そしてそれを体験している間に自分の考えがちょっとでも変わると、すぐに舞台は、台本は変わってしまいます。それを経験することによって、天国や地獄などというものがどこか外にあるものではなくて、実は自分の中にある考え、つまりイマジネーションであることに気づくのです。

   面白いのは、自分は地獄に行くと思っている人は、同じように自分の想像力を使って自分がそこにいると感じることができるということです。しかし、地獄に余り長くいたいと思う人はいないので、そのとき自分の考えが変わったとき、地獄は消えます。ずっと地獄にいたいと思っているマゾの人以外は、そんなに長く地獄にいることはありません。一般的に死んだあと、それほど長い間、本当の意味の痛みを感じ続けることはありません。また同時に、あなた方を助け、サポートしてくれる魂たちがいます。彼らはあなた方が期待するような姿で現われます。

   キリストが見たいと思っている人はあなたの想像するキリストがやってきますし、同じようにお釈迦様を望む人にはお釈迦様がやってきます。もしくはそれ以外の、あなたが望む形でやってきます。もちろん彼らは本物ではありません。つまりすべてのイマジネーション、想像は現実であるということです。そしてあなたが変わったとき、そうしたものも変わります。宇宙というのは非常に柔軟性を持っています。あなたが受け入れれば受け入れるほど、そういう状態があなたにやってくるのです。


Q 人間の体で生命が終わった魂に、宗教的な儀式が影響を与えることはありますか? 

   無条件の愛を送ることは役に立つことがあります。
   それによってその魂が学ぶことができるからです。すぐにそのエネルギーを受け取るとは限りません。ですが自分が一番必要なとき、ベストなとき、それを受け取ります。ですから当然、あなたが絶望と苦悩からお祈りしているときは、そのエネルギーを受け取ります。ですから姿勢としては、無条件にその人たちに愛と祝福を送ることです。そして彼らは死んではおらず、今までにも死んでいなくなった人は誰もおらず、彼らは何も心配する状態にはなく平気なんだということ、そして彼らの新たな旅立ちを祝福してあげてください。肉体がなくなって本来の魂の状態に戻っても、私たちは学ぶことや成長することには限りがなく、終わりはありません。

Q、 セックスというのは必要なものでしょうか? 

   それは個人によります。
   必要というより、欲しい人が使う道具ということができます。本当に必要でないとき自然になくなります。男性原理と女性原理が一つになるとき、別にセックスを行なうことは不思議ではありません。自分のライフスタイルに合わせてすればいいことです。しなければいけないとか、しないのはおかしいとか、してはいけないとか、いいとか、悪いとかいうことはまったくありません。この宇宙には、この一つの生き方だけといったものはありません。ひとつのやり方で成長しなければいけないのなら、人間は一人いれば十分なのです。



          book  『BASHAR』 チャネル ダリル・アンカ  VOICE新書刊

                           抜粋

どうすれば、私は私自身でいられるのですか?

Q、 なぜみんな、自分でないもののふりをするのですか?

   それは誰もが子どものときから批判され、非難され続けてきたからだ。
   彼が自分で考え、行なうことのすべてが容認されない。子どもがその中で成長しなければならない人々の集団は、彼ら自体の考えと理想を持っている。だから子どもはその人々の考えと理想に合わせなければならない。そのゆえに人間の子どもは無力だ。あなたはそのことについて一度でも考えたことがあるだろうか? 人間の子どもは、すべての動物王国の中でももっとも無力だ。そして当然、権力者たちは、自分たちの望むように子どもを形づくることができる。これが、誰もが自分ではないものの振りをしたがるという、現実の背後にある心理なのだ。

   誰もが分裂状態にある。
   彼らはこれまで自分自身であることを決して許されたことがない。我々の生きるこの世界にはあらゆる種類の強制がある。この狂気の世界では、誰もが分裂している。本当は自分は「それ」ではないことを誰もが知っている。医者になる。エンジニアになる。政治家になる。犯罪者になる。あなたがなりたくないものになり、一緒にいたくない人と一緒にいることや、したくないことをすること、こうしたことがあなたのあらゆる惨めさの源になっている。

   それは本当は個人の問題ではないのだが、そうした惨めさのすべての原因を作り出した同じ人々が、最後にあなたに言う。「あなたの惨めさはあなたの問題だ。でも外に出るときは微笑んでいなさい。あなたの惨めな顔を人に見せてはいけない」と。彼らはこれをエチケット、マナー、文化と呼ぶ。しかし基本的に、これは偽善なのだ。

   しかし遅かれ早かれ、あなたは決心する。
   あなたは自分に言うだろう。「私は自分自身でいたい。自分のありのままをさらけ出すことで非難され、受け入れられず、尊敬を失うことになっても。私はもう誰か他人のようなふりをすることはできない」と。その時、あなたはいかなる仮面も必要とはしない。その時、あなたはありのままのあなたでいることができる。

Q、 どうすれば私は私自身でいることができるのですか?

   それは世界でもっとも簡単なことであるが、実際にはそうではない。
   自分自身でいるために、人は何もする必要はない。なぜならすでに人はそうであるので、むしろどうすればそれ以外でいることができるのだろうか? どうすればあなたは、それ以外でいることができるのだろうか? しかし私はその問題を理解できる。問題は、社会がすべての人を改造しようとしていることから生じている。社会は人々のマインドを変え、存在のあり方を変えてしまう。社会はあなたに強要し、その結果、あなたは自分自身との接触を失うのだ。それはあなたが本来あるべき姿とは異なるものにあなたを押しやってしまう。

   それはあなたを、あなたの中心から外れさせ、あなた自身から引き離す。
   キリストのようになれとか仏陀のようになれ、あるいはあの人のようにこんな感じにとあれこれ教える。しかしそれは決して、あなたに自分自身であれとは言わない。そうした自由を決して許さず、あなたのマインドに自分とは違うイメージをそれは押し付ける。そして、あなたはそのふりをすることができる。

   しかし本来の自分自身とともにいる「本物の」人々は、常に自分自身の幸せを大切にする。彼らにとっては幸せが究極のものなのだ。彼らは他のいかなるものに対しても、それを犠牲にするつもりはない。あなたは尋ねる。「どうすれば私自身でいられますか?」 ただ、見せかけを落としなさい。誰か他の人のようでありたいと思うその衝動を落としなさい。そうした望みを落とし、競争する気持ちを落とし、比較することをやめなさい。そうするとあなたはあなた自身になるだろう。

   比較は毒だ。
   あなたは常に他の人はどうしているのかというところで考える。彼は大きな家と立派な車を持っている。だからあなたは惨めだ。彼は美しい女性を恋人に持っている。それであなたは惨めになる。彼は権力を手にし、政治家として偉くなりつつある。だからあなたは自分を惨めに感じる。あなたは比較の中にとどまり、自分にないものを手に入れようとして真似をし、同じ方向へと走り始めるかもしれない。もしあなたが自分を学のある人々と比べると、あなたは知識を得ようとする。もしあなたが自分を聖人と比較すると、あなたは徳を積もうとし始めるだろう。つまり、模倣するようになり、常に自分を何らかの比較の中に置くことが、あなたが自分自身でいることを失うということなのだ。

   比較することを落としなさい。
   あなたは唯一無二の存在であり、他の誰もあなたのようではなく、他の誰もあなたのようにはなれなかった。そして他の誰もあなたのようにはなれないのだ。私が、あなたを唯一無二の存在だという時、私はあなたが他の誰よりも良いとは言っていない。それを覚えておきなさい。私はただ彼らもまた唯一無二の存在だと言っているのだ。

   つまり、唯一無二とは、すべての物が持つ本来の性質だ。
   それは比較ではなく、唯一無二であるとは呼吸と同じように自然なことなのだ。すべての人は呼吸している。そしてすべての人は唯一無二なのだ。あなたが生きている間はあなたは唯一無二だ。しかし人は決して同じではあり得ない。生はいかなる繰り返しの道にも従うことはない。存在は決して繰り返しではない。それは毎日、毎朝、新しい歌を歌い、新しい絵を描くのだ。

   あなたの唯一無二の個性を尊重しなさい。
   そして比較を落としなさい。比較は犯罪者である。一度比較するとあなたはそこにはまってしまう。誰とも比較してはならない。他の人は他の人のままで居させなさい。そしてあなたは自分の存在に安心してゆだねなさい。あなたが何者であれ、それを楽しむことを始めなさい。あなたに与えられた瞬間を喜んで味わいなさい。

   あなたには競うべき相手はどこにもいない。
   しかしそれを登場させるのも、またあなたに他ならないのだ。生きるとは幸せとは、何らかの物とは違い、もし他の人がそれを手に入れれば、あなたには回ってこないようなものではない。

   超越的な物事はすべて、競争的ではない。
   そして、あなたの存在は超越的だ。だからただそれを見つけ出しなさい。この社会はあなたの頭を混乱させてしまった。そしてあなたに競争的な生き方を教えた。この社会は野心に満ちている。しかし瞑想的な生きかたと気づきには野心はない。そしてあなたが野心的でない時、その時はじめて、あなたはありのままの自分自身でいることができる。これは簡単なことだ。


           book 『Joy   (喜び)』  OSHO著    Kadokawa  Shoten

                           抜粋

   

真の教育であれば、競争することを教えない

   私たちは何も持たずにやって来て、また何も持たずに去ってゆく。
   それまでの間にそんなにも多くのものを欲しがることに、何の意味があるのだろうか。しかし私たちが知っていて、世間が教えていることはこういうことだ。つまり、より多くを自分のものにしなさい。他人よりたくさん手に入れなさい。支配しなさい。それはお金かもしれないし、徳と言われるものかもしれない。それがこの世的、あの世的なものであるかは問題ではない。とにかく人よりもうまくやりなさい。そうしないと食い物にされる。搾取しなさい、しかし搾取されないように。

   これが、母親の乳を飲んでいるときから、あなたに暗示として与えられていたメッセージだ。そしてどのような学校、大学においてもそこに根を張っているのは競争という考え方だ。もしそれが真の教育であるのなら、あなたに競争することなど教えないはずだ。むしろ協力することを教えるはずで、人と闘って一番になることを教えはしない。あなたが他人と自分を比較したりせず、創造的になり、愛情深くなり、至福で満たされることを教えるだろう。一番になってこそ幸せになれるとは教えないはずだ。なぜならそんなことはまったく愚かなことだからだ。

   人を蹴落として一番になろうとすることによって、むしろあなたは多くの苦痛を味わうだろう。そしてそうやって生きることが普通になった頃には、その惨めさに慣れきっているだろう。あなたはもはや、それ以外のあり方というものを知らないので惨めなままだ。常に緊張感の中にあり、心配と不安が人生そのものになる。他の方法を知らないあなたにとって、これがあなたの生活スタイルそのものだ。だから勝ち抜いたとしても、あなたはいつも警戒し、心配し、不安になり、怖れている。なぜならそうしたことはあなたの内面的な質を少しも変えてはくれないからだ。

   本当の教育であるのなら、一番になることを教えない。
   何であっても、自分がしていることを楽しむようにと教えるだろう。それは結果ではなく、していること自体を楽しむのだ。画家や踊り手、音楽家がしているように。あなたが絵を描くとき、2通りある。つまり他の画家と競うために描くこともできる。もしあなたが世界で一番有名な画家になりたいと思い、ピカソやゴッホのようになりたいと思ったとする。そうすると、あなたの絵は二流になるだろう。なぜならあなたのマインドは絵を描くその行為自体には興味を感じてはいないからだ。

   あなたの興味は有名になることにある。
   だからあなたは絵を描くという芸術の中には深く入っていかない。あなたは楽しんではいない。それをあなたは踏み台として使っているだけで、あなたは自分のエゴを押し通している。問題は、もし画家になるのなら、あなたはエゴを完全にそぎ落とさなければならないということだ。本当の画家になるためには、エゴは横に置いておかねばならない。そのとき初めて、実在があなたを通して流れ出す。そうなって初めて、あなたの手や指、筆が乗り物として使われる。そのとき初めて、とても素晴らしい「美」が生まれるのだ。

   あなたが結果的に、賞賛されたいとか、世界で有名な画家になりたい、これまでの画家たちより優れたものになりたいなどと考えると、あなたの興味は絵を描くことからは外れてしまう。画を描くことは二次的なものになる。そして当然のことだが、描くことが二次的な興味であればオリジナルなものは描けないし、平凡なものにしかならないだろう。エゴは驚くほど素晴らしいものを世に作り出すことはできない。驚くほど素晴らしいものは、エゴのないところからだけ生まれるからだ。音楽家や詩人、ダンサーの場合もそうだ。それは誰にとっても同じなのだ。

   「結果については何も考えるな」
   これこそが最高の美と意味と真実のメッセージである。結果については何も考えないこと。全力を尽くして自分が今していることをしなさい。それに没頭しなさい。自分を忘れて打ち込みなさい。そこに自分がいてはいけない。そうしてあなたの創造のエネルギーを、妨げずに流れさせなさい。

                           sun

   「集団mass」という言葉は、ラテン語の「マッサ massa」から来ている。
   ”マッサ”とは何かというと、「鋳型にはめられるもの、こねられるもの」という意味だ。そして私があなたに、”集団・mass”になると言うのは、あなたが絶えず他人によって型にはめられ、他人によってこねられているからだ。そしてあなたはそれを許し、それに協力さえする。あなたはあらゆる手立てを尽くして、集団の一部、何かの群集の一部になろうとする。なぜなら独りぼっちでは、自分のアイデンティティーをなくしてしまうからだ。つまり、あなたのアイデンティティーはそっくりそのまま、群集を通したものでしかない。

   人々が退職するとかえって早く死ぬのはそのためだ。
   
精神分析医たちによれば、少なくとも十年はそれで寿命が縮まるという。政治家たちは、彼らが権力の座についているときはとても健康だ。それなのにいったん権力を離れると、その健康も消えうせてしまい、やがて死ぬ。なぜなら彼らのアイデンティティーのすべてが夢のように消えてしまうからだ。役所や会社の外では、あなたは突然誰でもなくなる。実は、あなたは生涯ずっと誰でもなかったのだ。ただあなたは、自分がつくり上げたフィクションを信じていただけなのだ。

   偉大な役人は、自分を偉大だと思い込む。
   いったんそのポストを失うと、すべての偉大さも消えうせてしまう。金持ちは、その富のゆえに自分を裕福だと思いこむ。彼は自分を「何者かだ」と感じる。しかしそれが倒産や何かのせいでその財産が突然失われる破目になると、富が消え失せるだけでなく、彼の魂までも消えてしまう。彼のアイデンティティー全体もなくなってしまう。それは紙の船に過ぎず、トランプの家に過ぎなかった。

   「自分を知る」とは、あなたが一つのことを理解するに至ったことを意味する。
   あなたは自分自身を知るために、他人や物を通してではなく、他人経由ではなく直接じかに自分を知らなければならないということ。それを誰かに聞く必要もない。ひとたびあなたが自分自身のうちにアイデンティティーを探さなければならないということを理解したら、あなたは集団から、群集から自由になり始める。個性が生まれる。そのときあなたはユニークな個人になっている。

   ふだん、あなたは群集に従う。
   それは便利だし、居心地がいい。それは鎮静剤みたいなもので、群集と一緒にいれば、あなたは考えなくていいし、心配しなくてもいい。なぜなら責任は群集にあるから、疑問は全て専門家にまかせておけばいい。そしてながい伝統と時代を経た知恵が出来上がって、それは頼れるものだ。それだけ大勢の人たちがひとつのことをやっているときには、自分だけのオリジナルをやるよりも、彼らの真似をしたほうが簡単で易しい。

   なぜなら、いったん自分自身について考え始めたら疑問が湧いてくるからだ。
   自分は正しいかもしれない、あるいは間違っているかもしれない。しかし大群衆の一部であるあなたには、自分が正しいか間違っているかなどという疑問は決して湧いてこない。これだけ多くの人々が間違えるはずがない。彼らは正しいに決まっている。なぜなら何世紀も何世紀も彼らは同じことをやってきているんだから、そこには何か真理があるはずだ。ひとつの群集がやり続けてきたことは信用できる、だからそれに従って、真似ようと考える。このようにして、あなたは自分が誰であるのかを知るチャンスを失っていく。

   マレー語に、「ラター(lattah)」という言葉がある。
   その言葉は、人々は恐ろしいがために他人を真似る、つまり恐怖から人々は他人を真似る、という意味だ。あなたは観察したことはないだろうか? もし劇場に座っていて、突然その劇場が火事だということになって、みんなが逃げようとして動き始めたとき、あなたは群集の動きに従うだろう。たとえその群集がどこへ行こうと構わずに、あなたは大勢の人に従うだろう。それは船が沈没するときにも起こる。そのときの最大の問題は、群集がひとつの方向に1ヶ所に集まってしまうので、それが船の沈むのを早めてしまうことだという。

   どんなときであれ、あなたが恐慌をきたしているときには必ず、あなたは個性を失う。
   恐れとパニックの中で人々は他人を真似る。しかし、あなたは普段からでも”ラター”の中で生きている。つまり絶え間ない恐れの状態にあるので、群集の一人であり続ける。そして群集は、あなたが群れを離れて異質な存在になることを好まない。なぜならそうした存在が、他の人々の心にも疑念を生み出すからだ。こうして恐怖から、あなたは他人と同じであるようにと務め、他人に従い続ける。そしてその恐怖のゆえに、あなたは決して「個人」にはなれないのだ。


          book 『Joy (喜び)』 OSHO著   Kadokawa Shoten

          book 『究極の旅』   OSHO著      河出書房新社

                           抜粋

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