« 創価学会第2代会長「戸田城聖」は池田太作氏を選ばなかった | トップページ | 求め続けることをやめられないのは「神が外にいるから」 »

池田大作氏が真に目指したものは何だったのか?

   昭和33年当時、戸田城聖氏の死後、学会上層部にいたわけでもない池田大作の突然の会長継承は、実に不自然極まりないことであった。戸田城聖氏から池田大作について、「あの徘徊者は私心ばかりが鼻につく」と、何度か講演の中で池田大作の卑劣さについて話したことがあった。「あの池田大作のようになってはいけない」と、創価学会員に向けて講義したことなどが、you tubeにおいて戸田城聖氏の肉声が公開されている。それだけ、すでに戸田城聖氏の現役時代から、池田大作という人物は宗教以前の鼻つまみものというか、金融屋さながらの粗暴な振る舞いの絶えない問題児であった様子がうかがえる。

   戸田城聖の突然の死と、そして池田大作が一方的に強行突破して、三代目会長に就任したいきさつがあります。それは戸田会長が池田大作に遺言を残したと、池田大作が一方的に言い張り、言い分を強行して強引に(本業の金融屋取立てのやり方で)就任した顛末は、まさに無残で悲劇としか言いようがない有様だった。これをもって本来の創価学会は終焉し、学会は乗っ取られたのである。

   このようにして創価学会はその使命を遂げることなく、その時に終焉してしまった。
   (これは私の祖父母が戸田城聖の教えを純粋に学び、啓蒙した流れを順守した場合、もはや目的を見失った創価学会はこの時に、久遠(くおん)の一念三千様との糸が切れてしまったので終焉したと解釈いたします)

   そして昭和33年、戸田城聖が亡くなり、戸田城聖の後をなぜ大幹部でもない池田大作が継承するに至ったのか、という疑問を誰もが抱いていた。「殺されたのでは?」、という疑惑を持つ会員はすべて創価学会から去ってしまった。

   そんな空気も完全に消えかかった頃の昭和48年、五井野青年が創価学会会長になった池田大作に「一念三千論」を提出したのである。その1年くらい前から、五井野青年のことは幹部の間では話題になっており、「ついに現れた!ついに!、間違いない!」と騒がれ始めていたのだ。池田大作が予想した以上に、幹部会員たちが結束し団結する様子を見た池田大作は、この事態にどのように動いたかは被害ファイルの「一念三千論盗作事件」の記事を参照ください。

   二代目会長の戸田城聖氏は、久遠元初の仏のことを「一念三千様」とも言っていた。
   しかし戸田城聖氏が育て、育(はぐ)くみ続けた組織の存在意義は池田大作の乗っ取りと舵取りによって失われてしまった。池田大作はそれ以後、まさに政治家が官僚の作成した答弁書を読むかの如く、うまく綱渡りしてこれた彼の醜態はネットの随所でも見ることができる。

   池田大作著「人間革命」は、創価学会関連企業の東西書院社長・篠原善太郎氏の代筆によるという事実は有名である。平成3年11月に創価学会が伝統宗門から破門となった後は、その「人間革命」の内容の書き換えが忙しく行なわれ、池田大作の神格化がますます進み、よりカルト性の高いものになっている。

恨みで日本人にならなかった在日の池田大作

   池田大作が「師」と利用し、会長就任前から次第に神格化していった戸田城聖氏は、池田大作が金融会社(大蔵商事)時代以来、彼の暴力性と破壊力と腕力を買って取り立て部長にしていたが、「創価学会会長」の後継者には指名していなかった。なぜなら戸田氏は、池田が日本人ではないことを知っていたからである。

   戸田城聖氏がむしろ嘱望していた本命は、石田次男氏という人であったと言われている。戸田氏の死後、池田が会長に就任するまでの間、「会長職」に約2年間の空白があったのは、その石田氏を「会長候補」から追い落とすために要した2年だった。追い落とされた石田氏は、その後長年アルコール中毒に浸る生活に陥ったが、晩年に創価学会を脱会し、日蓮正宗(正継寺)の信徒となった。

   五井野博士を取り込み、池田教を拡大させようと池田大作が持ちかけたもう一つの計画は、(SGIのような)創価学会の別部門を作る池田提案であった。その代表を五井野青年にやってくれと、そして大きな会館とその組織全部をすべて五井野青年にあげるから池田大作のナンバー2として、すべての権限と金と地位をあげるから来てくれという条件であったが、五井野青年はそれをすべて断った。

五井野博士に対する凄まじい妨害が始まった

   その結果、それ以後、五井野博士は池田大作と創価学会員たちによって、ありとあらゆる妨害を受けることになった。彼の活動を阻止させるべく、妨害の標的にされて非常な苦しみと損失と被害を受け続けることになった。その被害の中でも特に執拗な付け回しが行なわれたようである。

   トップイメージの画像にもありますように、リサイクルという言葉は青年時代の五井野博士がつくったものであり、リターン・サイクルによってゴミを再び資源に変え、それを循環させることで世界を良くしようという考えであり、それを彼は40年前に始めていたのである。それを五井野博士がリサイクルと名付けた。日本を良くするためにはまず、ゴミと環境汚染の取り組みが重要と考えた五井野青年は、回収されずに捨てられていた空き缶を集めながら、京都から東京まで徒歩でリヤカーを引きながら回収し、それを回収業者や廃棄処分へと回し、それを繰り返したのであった。

   そういった活動が変わり者のする変なことから、当たり前のこととして人々の意識に根付くまで、数十年を彼は頑張り続けた。しかし新聞やテレビなどマスコミは、すでに金力を蓄えていた創価学会の言いなりに協力し続けたので、五井野青年のことがマスコミで取り上げられることはなかった。

   その後、35年以上にわたり、池田大作の指示を受けた創価学会員による妨害が続くことになる。たとえば五井野博士の講演会や慈善活動は、一般人を装った会員や暴力団員を潜入させ、解散へと追い込むための暴動を内部で引き起こしたりした。また内部の人間を買収して組織を分裂させたりもした。そうした数々の事件は際限なくあり、それらの事件は各項目にてご紹介させていただきます。

   そのやり方は、ここぞとばかりにスキを見つけては組織解体や組織内反乱を引き起こし、出版社の乗っ取り、展覧会の妨害、毒殺未遂、講演会の盗聴と、ありとあらゆる妨害を行なった。創価学会は組織をあげて分業作業し、巧妙な隠された組織形態で全員には知られない形で、700万人の組織全員が一致団結して、知らずに組織的な巧妙な手口でこれらの暴挙をしてきたのである。

   この700万人の組織がなぜ危険であるかというと、その組織の中にはほとんどの信者が知らない闇組織があるからである。それが資金担当、麻薬担当、保険金殺人担当、潜入担当、暗殺担当、暴力団窓口担当である。そして表舞台ではスポーツ担当、芸能部担当、政治担当(公明党)であるが、会員すべてがこうした闇の組織をすべて知っているわけではない。そのゆえに、自分が属する学会のために選挙や資金援助や布教活動を続ける結果、結局は池田大作の巧妙な犯罪にすべての会員がともに罪を背負うことになるという実相が現れている。

   池田大作は35年以上にわたり、創価学会会員を使って五井野博士の周囲に潜入させ、妨害行為を行なってきたが、その妨害は五井野博士の海外での活動にまで及んだ。こうした行為は歴然とした犯罪であるので、裁かれるべきことである。

   池田大作だけが知る、第2代会長戸田城聖氏の突然の死因は何だったのか?

   1990年代の終わり頃、あるリストが永田町に出回り大騒ぎになったことがあった。
   それはある暴力団が創価学会から依頼されたという暗殺者のリストだった。それは政界だけでなく、右翼に関わる人物など5人の暗殺者名簿であり、暴力団が創価学会から数十億円で暗殺を依頼されたというものであった。

   池田大作は、五井野博士の一念三千論の盗作により勢力を拡大させ、その威力によって、彼を信じる従順で熱狂的な兵隊である会員数を拡大させることに成功した。彼は「本物」になりきろうとした。それが五井野博士の発言やアイディアや指針、目線にある何かをマネすることに現れていた。それを自分のものとして創価学会の信者の前でしゃべれば、信者が爆発的に信用することにも味をしめた。その座にいるべきでない人間が、「本物」になりきろうとする姿が池田大作であり、彼にとって五井野博士の存在は、払っても払っても目の前に現れてまとわり続ける自らの罪業そのものであった。

   池田大作は海外では金にものを言わせて勲章を買い漁り、またあまり趣味のよくない絵画収集をして美術館を運営した。会員を騙すために必要な箔をつけるために、いかなる手を使ってでも有名な人物たちと並んで写真を撮ることにこだわった。聖教新聞にそれを掲載するだけで、あとはライターが勝手にそれを美化して歪曲した記事を書いた。池田大作がこう話したという記事については、ほとんどが五井野博士の盗聴テープからの引用で、環境や宇宙や自然などのキーワードの引用は、学会員に目新しい新鮮さと視点論点を与え、池田大作という「素晴らしい群像」を学会員に与えることに成功してきた。

   視点を変えると、五井野博士がその活動によって海外で有名になればなるほど、池田大作は「本物」を装うべく、何としても五井野博士に追いつかねばならないジレンマを抱えていたと言える。つまりあまりにも差があってはまずいわけで、それが五井野博士をマネすることであり、そうして創価学会員に自分が本物であるという錯覚を与え続ける必要があった。五井野博士の言葉を引用し、本物のように装い続ける、これが池田大作が必死でやってきたことであった。本来の自分でないものになろうとして頑張り続けた努力ほど、不毛で惨めなものはないだろう。

   創価学会による圧力はどのくらい徹底しているのか?
   あらゆる日本のマスコミ、放送業界では、五井野博士についてはいかなるニュースも記事も書いてはならず、決して触れてはいけないというタブーが敷かれている。これは創価学会による圧力によって敷かれたものであり、それゆえに海外でのどんなに素晴らしい五井野博士の活躍であっても、日本のマスコミは扱うことができないので、それが日本人が五井野博士を知らないことの理由である。

   また現在のマスコミは金と権力に弱く、それを使えばマスコミはどのようにでも操作できるという体質であり、そのゆえに創価学会の言いなりになることも厭(いと)わない。それが、たとえば北野誠を一瞬にして葬り去った、池田大作の創価学会の闇の力であろう。それが五井野博士が35年もの間受けてきた、池田大作にコントロールされた日本のマスコミが行なってきた「締め出す」という圧力である。

   政教一致という、選挙違反の宗教団体が堂々と居座る日本の政府の実情。
   そのカルト宗教団体の票がなければ政権を取れないような自民党。だからこそ政治家やマスコミは創価学会の脅しに屈しているのだ。ほとんどの創価学会員は、自分の属する宗教団体が実際には何をしているかを把握できないようになっていることを知らない。しかし知らなくても、そこでの自分の活動はそうした学会を支えているがゆえに、その罪業もともに担うことからは逃れられないことを肝に銘じるべきである。

ヨーロッパでは「カルト宗教」と断定された創価学会   

   五井野博士が創設した米国公益法人、「歌川派門人会」がある。
   ここでも創価学会は内部に学会員を送り込み、内部崩壊を狙った行動として、創価学会が送り込んだただの老人を、六代目歌川豊国だとして裁判を起こしたことがあった。(これについてのWIKIPEDIAの記事は正確ではないばかりか、WIKIPEDIAは単なる任意の個人による書き込みなので正当性はない) 実際には創価学会がこの老人を担いで裁判を仕掛けてきただけであったが、この老人は歌川派とは関係がなく、「六代目豊国ではない」とすでに判決が確定している。

   にも関わらず、例によって創価学会がテレビや新聞、マスコミ各社を動かし、判定が下った後も報道をし続け、「徹子の部屋」などにも偽豊国の老人を黒柳徹子氏は紹介した。そうしたことも五井野博士の作った組織を妨害するために仕組んだものだった。この五井野博士の歌川派門人会は、日本文化や江戸文化の素晴らしさを海外の人々に知らせるための浮世絵展だった。池田大作の指示を受けた創価学会員は、このように海外まで五井野博士を追いかけて来て、活動の妨害をしている。

   この日はデンマーク王室からVIPも招かれており、デンマーク政府関係者や多くの閣僚や有名人、芸術家などが招かれていた。学会員はこういう場所にも潜入し、破壊活動の機会をうかがっていた。学会員であるニセモノの「偽豊国」はロシア大使館へ行き、自分が五井野博士の歌川派門人会の会員であると言って上層部と面談し、五井野博士の誹謗中傷を行ない、浮世絵を詐欺まがいの金額で買わせようとした。こうして五井野博士とロシア関係者との間を引き裂こうとした。

   この事件は、長年、歌川派門人会員であった太田一斉という男が、創価学会から買収されて共謀して起こしたものである。つまりこの太田という男と「偽豊国」の老人がエルミタージュ美術館において、浮世絵展や歌川派門人会と親しく交流している間柄の相手先へ出向き、自分が歌川派の代表として来たと嘘を言い、誹謗中傷や法外の値段で売りつけるなどして、それまでの関係を潰すために国内だけでなく海外にまで回ったのであった。

   その後こうした関係各所へは、創価学会が送り出した要注意人物として、2人の情報が共有された。それからは彼らは現地へ出向いて騒ぎ立てる方法はとらず、今度は裁判で歌川派門人会を攻撃するようになった。それは、「歌川派門人会という名称の使用を禁止せよ」という訴えであった。

   結局、最終的には創価学会側が完全敗訴した。
   なぜなら太田と「偽豊国」の陰謀には何の根拠もなかったからであった。しかしその後のマスコミの態度はどこまでも創価学会側に加担しているようで、偽豊国の老人は「徹子の部屋」だけでなくさまざまなテレビ番組に出続けた。

                          sun

   以上の記述は、Yahoo知恵袋に投稿されたmidune 0092さんの書かれたもので、タイトルは「五井野青年の”一念三千論”(2)」を推敲(すいこう)・抜粋したものです。

   北野誠氏のことにしろこのような事件にしても、これらは表に現れたほんの一部に過ぎないだろう。私たちの知らないところでは、もっと多くのことが闇に隠れて行なわれているはずだ。闇はどこまで行っても闇でしかなく、そこから光が生まれることはない。その出発が闇であったのだから、仕方のないことだ。しかし事実を事実として認識する正直さがあるならば、必ず生き方が変わってくるはずだ。白を白と言い、黒を黒と言うその単純さを生きるだけで、人の生き方は正道に戻る。


   

« 創価学会第2代会長「戸田城聖」は池田太作氏を選ばなかった | トップページ | 求め続けることをやめられないのは「神が外にいるから」 »