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神は自分の1人子を地球に遣わしたりはしない

   あなた方が「現時点」で慣れ親しんでいる自分だと思っているものは、実は総体的な自己自身のうちのほんの一部分に過ぎないのです。そうした一部に過ぎないあなた方が、「至高の存在」について自問し思い描くものが、そのゆえにあなた方と同じような能力を持った、しかもその能力が著しく強調された「男性的神」というものになるのです。

   よってこのようにして生まれた想像の結果である神は、「自分とは一体何なのか」という人類の移ろう思い込みをそのたびに反映しながら、何世紀ものあいだ変化し続けてきました。特に人類が、生き残る存続を賭けた闘いに明け暮れていた時代には、自分たちにとって必要で欠かせない資質である残虐さや剛健さなどの性質は、そのまま当時の自分たちの神に投影されることになりました。その理由は、人間たちがそうした性質に憧れ、畏(おそ)れていたからに他なりません。つまりあなた方は、自らの神の概念を、自らの肉体の鋳型に入れて神を創造し続けてきたのです。

   しかし、あなた方には未だ想像できないかもしれない多次元的現実においては、あなた方の持つ神の概念は相対的に無意味でしかありません。「至高の存在」という呼び方でさえが、あなた方の人間的な資質が自然に投影されてしまうために歪みを含んでいます。すべての思考や概念が実在性を持つ次元があり、それらが生み出すエネルギー存在がすべてを推し進めていることを理解する必要があります。しかしあなた方は、物質を信頼しているようには、未だ思考や概念というエネルギーを信頼することができないのです。

   さて、あなた自身のまとう肉体像は、あなたが自らをどのように考えているかが、物質という性質において現われたものです。そうした考えが自らに向けられなければ、その肉体像は存在することができなかったのです。そしてほとんどの場合、そこまでがあなた方が自分というものを認識しているすべてです。

   そうした自分自身に関する考えの原初的な力とエネルギーが、あなたの肉体を活かしています。ですから思考は、あなた方が気づいているよりも遙かに重要なものなのです。もし自分が実は多次元的存在であり、無限の可能性の中に生きていることを受け入れられるとき、あなた方は「神」という言葉を超えたところにある現実を、一瞬、垣間見るかもしれません。そして言葉による神の概念の持つ真実を把握することが、なぜ不可能に近いかが理解できるかもしれません。

   神はまず、すべてを創造したものであり、一つの物理的宇宙だけにとどまらず、多様性において無限の可能性を備えた存在を創造しました。それはあなた方の科学者たちがこれまでに知り得た物理的宇宙という世界を超えた、遙かに膨大な広がりを持つものです。そのことからもわかるように、神は、ただそこに生まれて死ぬようにと、「ある一つの惑星に自分の息子を送ってよこす」
(キリスト教の教義)ようなことはしないのです。

   膨大なこうした寓話が、この世の始まりだとする物語とともに語り継がれて来ました。たとえば創世と終末についてのそうした寓話が存在するのは、単にあなた方の世界の時間の概念が歪められているために、始まりと終わりが一つになって存在根拠の確かな出来事に思えるからです。しかし実際には、そこには始まりもなければ終わりもないのです。

   しかしあなた方の意識の範囲が広がり、物質的現実以外の世界を学ぶようになり、そうした現実を少しでも体験し始めると、意識というものはそれまでの古い概念にしがみつこうとし、あなた方を真実の理解から遠ざけようとします。物質をも含む多次元的要素は、実はすべての現実である現象の中に浸透しており、その一部だけを取り出して否定することはできません。ですから同様に、神はすべての存在体系に一部として存在するのであり、よって物質的現実からも離れて存在しているわけではなく、その一部として存在しているのです。


   あなた方の思い描くキリストの姿は、あなた方が持っている神の概念と、神の関わり方を象徴的に表しています。キリストに関しては、3人の別個の人間の歴史が混ざり合い、それが集合的にキリストと呼ばれるに至ったものです。そのために、その人物とされる人間のさまざまな記録に多くの食い違いがあるのです。

   当時のあなた方は、女性のキリストを受け入れられる意識の進化の段階にまで達していなかったために、その3人はいずれも男性として転生しました。3人はみな同じ一つの存在の一部であり、分身でした。そしてあなた方は神を、「父」としてしか想像することができませんでした。なぜなら自らの価値感に基づかない神を想像することは、当時の人類には考えられなかったからです。ましてや、地上にないものをイメージすることはなおさら不可能でした。

   3人は力を集結させてエネルギーを生み出し、極めて象徴的なドラマの創造を行いました。しかしそのドラマにおける出来事は、あなた方の知る記録どおりに起きたわけではありません。そして、キリストの磔(はりつけ)による死は物理的な出来事ではなかったのです。そこでは膨大な規模の思考が渦巻き、しかもそれが一貫して実演されたのです。

   たとえばユダにしても、あなた方の記録が述べているような人ではなかったのです。
   ユダは他のすべての弟子たちと同様に、人間キリストによって育てられた神聖な「断片であり分身」であったのです。ユダという存在は、自分自身を裏切る行為を現しています。ユダが演じたのは、ある物質的現実の一部に焦点を合わせた役回りであり、それは誰もが持つ人格の一部なのです。

   キリストの12人の弟子が表しているものは、1人の人間に属する異なった人格の資質であり、あなた方が言うところのキリストは「内なる自己」を表しています。ですから3人からなるキリストと12使徒とは、この地上における個人の人格を象徴的に表しているのです。キリストが12人の弟子に囲まれていたように、人間の内なる自己も物質的に適応している12の資質に囲まれています。このようにあなた方の内にある12の資質はそれぞれが、日常的現実に向けて外へと引っ張られながらも、内なる自己の周囲を周っているのです。

   これはあなた方のあいだで「肉付けが行なわれた」寓話であり、あなた方に理解できる言葉で演じられた、あなた方のための宇宙ドラマだったのです。明瞭でわかりやすい形をとるようにと、教えの背景にあるすべての概念に擬人化が行なわれました。それはいわば、宇宙の片隅で上演された、地方色豊かな道徳劇ともいうべきものでした。

   3人のキリストの人格的存在は、いずれもあなた方の惑星に転生して誕生しており、あなた方と同じように肉体を持った存在でしたが、磔(はりつけ)にされて死んだものは1人もおりません。このドラマは存在し続けるでしょう。しかも、こうしたドラマは他にもさまざまに存在しています。

   そのドラマに関連した出来事は、物理的ではないものも多くありました。
   そしてキリストという人間の磔(はりつけ)というドラマも、あたかも物理的出来事であるかのように、あなた方の世界に大きな波紋を起こしました。そしてこのドラマ全体は、人類からの要請があって起きたものでした。しかし人類からの要請に応じて創造され、展開されたものではあっても、あなた方の現実体系の範疇から生じたものではなかったのです。

   キリスト教以外の宗教においても、異なるドラマではありながら、それもまた多種多様な概念を持つ文化において、理解されやすい方法で上演されています。そうしたドラマの違いが誤解や争いの口実になっているのは残念なことです。

   さて、神は自らが創造した被造物のすべてを合わせた以上の存在でありながら、しかしその一つ一つに例外なく存在しています。神は性別にかかわらず、一人一人の人間の中に存在しているのです。それだけでなく1匹の蜘蛛の中にも、蛙の中にも、石ころの中にも神は存在しています。しかし人間たちはなかなかこのことを認めることができないようです。

   神とはただ体験されるものであり、その自覚があるかないかにかかわりなく、あなた方は自分自身の存在を通して神を体験しているのです。そして、キリスト教信者であるあなた方にとって避けて通ることのできない真実は、神はあなた方の言う「神人」、つまり「人として生まれた神であるキリスト」
(キリスト教の教義)とはかけ離れた存在であり、神はあなた方の言う「人格的存在」ではないということです。あなた方の人格的存在に対する概念は極めて限定されており、多次元的存在である神の膨大な局面を、その中に押し込めることなど到底不可能なのです。

   しかしその一方で、神は人間1人1人の中に存在するという意味では非常に人間的でさえあります。そこにおいてあなた方は神と関わることができるのです。神はあなた方の存在そのものであるエネルギーに対して責任があり、そのエネルギーを通して互いに支えられ助けられ、かつ維持されているのです。

   そのゆえにあなた方の内なる自己は、破壊されたり縮小されたりすることはあり得ないのです。あなた方の出自は神であり、そのゆえに「すべてなるもの」の
あらゆる能力が本来的に付与されています。ですから内なる自己は、神の創造に参加するものなのです。なぜならこれこそが、すべての存在の背景にある大いなる豊かさの贈り物であり、「すべてなるもの」の源泉から今も湧き出ているエネルギーなのです。


          book 『セスは語る』 ジェーン・ロバーツ著 ナチュラルスピリット

                            抜粋


   


   

   

自分の思考が自分の出会う現実を創り出している

      あなたの住んでいるところが非常に電荷の高い電磁波領域であると、自分の波動を維持するのにかなりの努力が必要になります。そういう場合は「波動がよい」と感じられる場所に移り住む必要があります。「波動がよい」そうした場所というのはほとんど例外なく、自然が大事にされているところです。あなたは何でも選択できますが、しかし移動するのが本当に自分のためになるのかどうか、よく考える必要があります。時には、考え方を変えたり自分の習慣を変えることのほうが、簡単で賢明な解決策だという場合が多いからです。

   実際に多くの人たちが、他人の否定的感情の波動が巻き起こす混乱した想念の嵐に巻き込まれ、それに抵抗したり無理やりそこを通り抜けようとして、かえって自分自身をエネルギー的に痛めつけています。波動の世界では、「すべての思考」はエネルギー形態を持ち、その思考が「感情」を生み出し、エーテル領域、つまり物事を生み出す領域へと駆り立てる燃料になるのです。

   「思考」は類似性によって集まり、「塊」(かたまり)になります。
   つまり、類は友を呼ぶのです。「すべての思考」は、「自分の望むことを実行せよ」と自らの肉体の細胞たちに下したあなたの指令なので、ときにあなたの無意識下にある思考は、往々にして身体を痛めつける有害なものとして現われることになります。

   車に乗っていて渋滞に入り込んだ時などに、他のドライバーが発している強烈で不愉快な波動を感じたことがあるでしょうか。たいていの人は車を運転しながら、車の中で自分は1人でいる思っていますが実はそうではないのです。運転という行為は、テレビを見ている時と同じく、非常にトランス(変性無意識)状態にかかりやすい状態にあるので、容易に意識が変性するきっかけになります。

   そうした疑似催眠状態にある意識が生み出した思考や感情は、無意識のうちに車外の公道に撒き散らされてしまうだけでなく、あなたも他人の撒いたもの拾ってしまうことになります。ですからあなたは無意識状態にならないように注意を集中し、自分が何を考えているのか、しっかり自覚している必要があります。

   ところであなたは、「喜びに満ちた集合意識」に寄与しているでしょうか?
   それとも「絶望ばかりの暗い集合意識」に寄与しているのでしょうか? 自分の望みが明確で、自分の望む人生を創り出せるとわかっているときには、あなたは進歩を促す愛情深い思いを発信し、自分の意思によって周囲のエネルギーを調整することができます。これは公道であれ脇道であれ、あなたのいるところでいつでも実行が可能です。思考する能力に限界はありません。自分が出会う環境との調和をいつも心がけていれば、それだけ大きな効果を得ることができ、自分が暮らす世界を変えていくことができます。

 

   考えること、感じること、行動すること、願うこと、そして存在することを通して、あなたは「絶えず」波動を創り出し、発信しています。あなたの波動は人類の活動領域にどのような貢献をしているでしょうか。あなたよりパワフルに見える人というのは、ただ単に人より強烈な意図を持って自分の波動を集中させているだけかもしれません。エネルギー場というのは、エネルギーの濃淡があるわけではなく、すべてのエネルギー場はムラがなく、浸透性を備えています。

   宇宙は「宇宙知性」で満ちています。
   「宇宙知性」は私利私欲がないという意味では中立であり、宇宙のもっとも大きな全体を「単独で」監督するものは存在しません。宇宙意識とは集合的体験のことであって、宇宙に存在するあらゆる「意識形態」が伝えてよこす体験の微妙なニュアンスを絶えず取り込みながら、絶えず変化と成長を続けています。あなたもまた思考することでエネルギーの波動を生み出し、新たな世界を創造するために意志力を駆使しています。それは自由という名のゲームでもあります。

   
   あなたの「意図」があなたの「体験」を創りだし、「体験」に対するあなたの「反応」が「結果」を決定します。もしあなたが嘘やごまかしの人生を選び、自分の道を広げるのに闇のエネルギーを使うのであれば、あなたはそうした行為の結果を体験することになります。あなたが何をしようとも、また自分が創り出したものの責任を取らなかったとしても、あなたが出会うことは一つ残らず、あなたが自分で創り上げたものなのです。

   「波動」は油断のならないもので、ごまかすことができません。
   そのことを肝に銘じておく必要があります。すべてのものに、まず「波動ありき」なのです。嘘偽りのない真のエネルギー波動を帯びるためには、あなたと感情との間に連動があるはずです。善人を装った裏表のある人間に対して波長を合わせてみることで、その人の真意や本心を読み取ることができます。

   感覚で波動が読み取れるようになると、嘘や捏造などのエネルギーへの対処も、もはや何の問題でもなくなります。優秀な波動の読み手というのは、自分に対しても他人に対しても非常に誠実です。なぜなら、それに習熟するには、正直で誠実であることが不可欠なことだからです。

   あなたが高潔であればあるほど、たくさんの智慧への扉が開かれ、宇宙万物の真実が余すところなく明らかにされます。そのために養成コースなど受講する必要はありません。これはすべて、あなた自身の自覚と分別の問題なのです。そのために確実な道をとるか、低俗な道を行くか、中道かというような選択の機会は、あなたの人生のいかなる瞬間にも与えられています。

   あなたが誠実であれば、あなたの生み出す波動は「私には誠意があります。私は確実に信頼に値する人間です」と語っています。すべてはあなた次第なのです。あなたが自分の人生の創造者として積極的に主導権を握り、責任を認めていくのであれば、あなたが受け入れることのできる真実の規模もそれだけ拡大します。主導権をとり責任を引き受けることによって、本来備わっている内なる力を自分のものにする扉が開かれるのです。

   あなたが生きている時代は、邪悪で脅迫的な数知れない陰謀を暴こうとする「多くの勇者たち」の、気高く果敢な努力によって特徴づけられています。この挑戦は、「権限や影響力を持った一握りの人間たちによる、世界支配を目的とした統制の存在」を明らかにしようとするものです。

   より広い視点から見ると、地球上に暮らすすべての人々がこの大いなる意識のゲームに参加しています。あなたも、変化を生み出す原動力を創り出すために、今ここに存在しています。それは新しい真実に目覚め、明らかになりつつある宇宙意識の啓示を確信するためです。

   自分が無力であると信じ込まされ、個人的な恐れを刷り込まれた集合意識を生きるのをやめ、自分が自分の波動の創造者であることを受け入れたとき、エネルギーの持つ無限の潜在力を、あなたは自分の好きなやり方で利用できるようになります。今あなたが、ここにこうしていることには目的があります。あなたが探求することにしたあらゆることが、あなたの今回の転生における自己達成の目的や願望を実現するために、きわめて重要なことばかりなのです。

   あなたには、人生を愛し大切にするという究極の責任があります。
   しかしより好ましい現実を実際に構想できるようになるためには、まず自分がどういう存在であるのかについてもう少し学ぶ必要があります。自分自身を知ることは必ずしも簡単なことではありません。それは清廉潔白でいることを決心するのと同じで、自発的に決めなければならない選択なのです。

   今一度繰り返しますが、あなたは自分の人生に対する責任を受け入れ、「被害者的な態度を放棄して、習慣的な思考をやめ」、「無力であることに甘んじる決まりきった思考のもつれ」をほぐしていかねばなりません。あなたは自分がどういう存在であるかをより深く理解し、自分の人生が意義ある目的を持った、重要な意識の表れであることを進んで認めなければなりません。そうすれば、それだけ多くのことが明らかになってきます。

 
   一日の気分や調子を決めるときには、自分の創造エネルギーを使ってください。
   あなたが心に描いたイメージで満たされたエネルギーの振動波が、あなたの心から広く伝播されているのを想像してください。あなたはみずから進んで真実を探求し、追究し、自問し、論じ、討議し、傾聴し、注目し、学んでいかなければなりません。そして自分自身はもとより、あなたの周りに展開されるあらゆるものを、新しい光のもとで見ていく必要があります。

        book  「アセンションの時代」バーバラ・マーシニアック著 風雲舎

                       抜粋したもの

 

「中国の若者よ、目を覚ませ!」

  •     『中国の若者よ、目を覚ませ!
       日本の援助なしに中国の繁栄はあり得なかった』     ――中国メディア
  •                      配信日時:2014年1月27日 13時40分
    • 画像ID 408650
    • CFP401073752.jpg
    そのほかの写真
     
     
       1月22日、中国のネット掲示板に、「中国人よ、『抗日』は一体何のためだ?」、と題した記事が掲載され、話題となっている。資料写真。
       2014年1月22日、中国のネット掲示板・天涯社区に、「中国人よ、『抗日』は一体何のためだ?」、と題した記事が掲載され、話題となっている。以下はその内容である。


       『今の中国は日本を敵視していて、「抗日」を叫ぶ声で満ちあふれている。
       日本といえばすぐに「恨み骨髄!」の若者たちよ、日本と中国の関係が本当はどうだったのか、君たちは知っているのか? 中国の改革開放から30数年、日本が中国に何をしてきたか教えてあげよう。

       日中の貿易関係は、1950年代に半官半民の形で始まった。
       1960年代になって中ソ関係が悪化すると、中国はソ連や東欧諸国から技術設備などの導入の道を絶たれ、日本に活路を見出すことになった。1972年の日中国交正常化後、両国は貿易協定を締結。

       1966年から1980年代中期までの20年間、日本は中国にとって最大の貿易相手国であり、80年代後期から90年代初期の香港に代わり、1993年から2002年まで日本は再び最大の貿易相手国に返り咲いた。

       日本企業は、1979年から中国への直接投資をスタートさせた。
       90年代前半には対中直接投資は急上昇。たとえば日本の製造業の対中直接投資額は、1990年は1億6400万ドルだったが、1995年には35億8000万ドルと爆発的に増加している。

       90年代後半には、日中両国の政治的影響やアジア金融危機などで、日本の対中直接投資は4年連続で大幅減少したが、2000年から再び増加に転じた。日本は対中直接投資累計額で1位であり、日中貿易の発展に直接的な作用を及ぼしてきた。

       そして日本はどの国よりも早く、改革開放後の中国に援助を差し伸べた国だ。
       日本の政府開発援助(ODA)は、1982年から1984年まで、中国を最も多く受け入れた国だった。1979年から1984年まで、経済協力開発機構(OECD)下部組織・開発援助委員会(DAC)の加盟国、及び国際機関の対中経済援助総額の45%を、日本のODAが占め、それは世界1位だった。

       1989年、中国が受けた外国からの援助のうち、日本の援助がその70%近くを占めた。2000年には、日本の対中ODAは各国政府からの対中ODA総額の61.2%を占め、日本のODAだけで他のODA総額を上回った。

       ODAには円借款と無償援助、技術協力の3種類がある。
       1979年から2006年までに日本政府が提供を約束した対中円借款の総額は3兆2000億円に上った。2007年度の460億円を最後に、日本の対中円借款の歴史は終わりを告げた。だが、無償援助と技術協力は継続中だ。

       今日に至るまで、中国の現代工業は基本的に、日本の技術によって発展してきた。
       われわれがよく知っている家電メーカーも、日本の技術なくして発展はありえなかった。われわれが使っている日用品もほとんどが日本製品のコピーだ。中国の重工業、製鉄、自動車、エネルギーなどの産業も日本の技術を導入し、もしくは日中合弁という形式を採用している。客観的事実からいって、われわれのすべての工業に日本の影が映っている。では、なにをボイコットするというのか。

       消費とは自分の生活を豊かにするためのもので、何かの党のためでもなく、何かの政治のためでもない。自分を大切にし、家族を愛し、法律を守り仕事に励むことが愛国だ。「愛国」という衣装をまとい、同胞を傷つけるような行為を行うのは愛国ではない。家族と人々の幸せこそが最大の幸せなのだから。       
                                        (翻訳・編集/本郷)

        http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=82403

    目覚め始めた米軍兵士たち

       以下の動画と文章は「生きる力”ゲンマイ”」さんのブログからの転載です。


    覚醒しはじめた米軍兵士たち


       皆さんおはようございます。
       チームロケット隊員のひなさくらさんが、会議室内でみんなに知らせてくれた感動的な映像がありますので、皆さんと共有したいと思います。

       これは今からちょうど1年前のニュース映像ですが、kakusan009さんという方が、日本語字幕をつけてくださっています。イラク戦争やアフガン戦争に従軍した兵士たちが、「もう自分たちはこんなちっぽけなメダルには騙されない! イラクの国民を苦しめて本当に悪かった、ここに謝罪します」と言って、米軍から貰った従軍メダルを投げ捨てるものです。その数は延々とつづき、メダルが投げ捨てられるたびに大歓声が沸き起こります。


    最悪な間違いだった...(目覚めはじめたアメリカ兵)
    http://www.youtube.com/watch?v=R4Z1avRGWiU&feature=youtube_gdata_player


       私はこの動画を見て涙してしまいました。
       人間が自分の良心に従い、愛の道に立ち還る姿は、こんなにも胸を打つのです。

       「敵は7千マイル先ではなく、役員室にいる。企業重役達、銀行やヘッジファンド経営者だ。戦地ではなくこの米国で毎日顔を見る連中だ。そこにいる警官達ではなく、世界を支配する億万長者達だ。もううんざりだ。こんなメダルはいらない」 

       またアメブロの、フィレンツェの天翔船さんが、動画の翻訳部分を文字起こしされていますので、映像と共に是非ごらんください。

    http://ameblo.jp/firenzenoamakakerufune/entry-11529309202.html


    最悪な間違いだった...(目覚めはじめたアメリカ兵)

    公開日: 2013/02/10
    『 NATO(実質アメリカ軍)こそがテロリスト 』
    2012/5/21のDemocracy Now!の動画に字幕を焼付けました。(スマホでも見られるように)
    http://democracynow.jp/video/20120521-1
    知らなかったというだけで、大勢の人たちが殺されてゆく・・・
    http://www.youtube.com/watch?v=IQNBGrF24LQ
    「イラクに大量破壊兵器はなかった」
    http://richardkoshimizu.at.webry.info/201303/article_174.html
    ソーシャルニュース
    http://ceron.jp/url/www.youtube.com/watch?v=R4Z1avRGWiU
    おかしな業者のようなコメントがあったので承認制にしています。なかなかチェックでき­ない時があることをご了承願います。







    ▲TOP ct

    人間の意識は地球の気象や環境に影響を与えている

       ダーウインは晩年を費やして自分の進化論を証明しようとしましたが、彼の論理に真実の正当性はありません。正当性が認められるとすれば、それは非常に限定された見地からのみ可能であるということです。なぜならば、「意識」こそが形態を進化させるのであって、形態が意識を進化させるわけではないからです。

       すべての意識というものが一度に同時に存在することから、その意味では形態は進化してきたわけではなく、意識存在であるあなた方がいつその状況に参入したのか、そこで何を知覚することを選択し、舞台上演のどの場面を見ると決めてきたのかによって変わるのです。進化した意識が自らをいかにして多くの異なるパターンに形づくり、それを現実においていかにふんだんに提供しているかを見るならば、進化論の言っていることとはまったく逆のことなので、もはや埋め合わせできるものでもありません。

       意識とは、ある宇宙やその他数多くの宇宙に散らばっていた原子や分子が寄り集まって偶発的に発生したものでもなければ、不活性の物質が突如として、活動の営みに上昇したことで生まれたわけでもありません。まず、すべての最初に意識が存在したのです。そして意識が形態を導き出して後、そこへ意識自らが顕在化を行なったのです。

       これまでの話に引き続き、時間や存在というものが、直線的ではなく同時に存在するという本質にあなた方が注意を向けているのであれば、この進化論というものが、聖書にある天地創造の物語のように、美しい架空の話であることが理解できるでしょう。それらはいずれもものを語るうえでの手段を用いた、極めて巧妙につくられたものであり、それに合わせてつくられた体系の範疇ではうまく折り合っているように見えます。

       しかしより壮大で広範な見地から見た場合には、それらは現実ではあり得ないものなのです。なぜなら物質による形態には、たとえどんなに強い影響力を与え、他の物質のいかなる欠片(かけら)が加えられたとしても、自ら意識へと進化できるものは本来断じて存在しないからです。仮にある物質が宇宙に存在し、別の要素が加わることで実体化し、その結果、意識化して存在や詩歌を与えられることを期待しつつ宇宙を漂うということがあるならば、それはまず最初に意識的存在なくしては不可能なことなのです。


       すでに述べた繰り返しになりますが、基本的にあなた方が知っているところの「時間」というものは存在しません。そして、実はすべての被造物は同時に存在しています。つまり、あなた方の言う「過去」も現在」も未来」も、そして地上におけるあらゆる時代のすべてが今同時に存在しているのです。

       たとえば、あなた方が知っている恐竜もそうであり、それらは今でも確実に存在しています。あなた方は極めて限定された「時空間座標の場」に意識を絞り込んでおり、そうした物質的次元の現実を受け入れ、そのゆえに他のすべての体系を自らに閉ざすことを選択しているだけなのです。つまり、複雑な物質の形態は、それ以前に存在した単純な形態が変化して生まれた結果ではないのです。より広大な見地から言うと、「すべては同時に存在している」のです。

       あなた方が未来を知覚せず、生というものが「すべて」の方向に伸びていることを理解していないので、今存在している「形態」が過去のものを基盤として創られていると考えることが論理的であるように見えるのです。しかしあなた方が考える唯一の、時間的直線上に展開する進化などは存在しないのです。

       自らが取り込んだ概念を頑なに限定することは、自らが持つ権利を大きく侵害することなのだと私は繰り返し述べてきました。もしも、自分自身であると思っているものが皮膚で覆われた境界だけで終わっているわけではなく、実は物質的環境を通して外とつながっていることを理解できれば、あなた方の力や自由、そして愛に対する感覚は、測り知れないほどの価値を自らのうちに見出すことになるでしょう。

       あなた方が物質的には、地球とそこに存在するすべての一部であることは理解できるでしょう。なぜなら同じ構成要素によって創られており、同じ大気を呼吸しているからです。それを、吸った息を止めて、「この空気で満たされたものが私自身なのだから、この空気は返せない」、などと言うのは不可能なことであり、それがわかると、あなた方は外部に依存しなければ存在することができないことを真に悟るでしょう。

       あなた方は、自ら知っている地球と、生物学的かつ化学的につながっています。
       しかも同時に、地球はあなた方人間の精神的エネルギーの投影によって、自然発生的に形づくられているものでもあり、人間と、地球の季節の変化や天候は精神的に相互に影響を与え合う関係でさえあるのです。よって自己というものは、はるかに壮大な枠組みの中で理解されなければなりません。そうした理解により、あなた方は地球に生きる他の生命存在へも思いを馳せることができ、世界意識というものを感じることができるようになるのです。


             book 『セスは語る』 ジェーン・ロバーツ著 ナチュラルスピリット

    「ワクチン予防接種信仰」を打ち捨てよう!

    中丸   西洋医学も闇の権力に支配されています。
          それを知っていれば、ワクチンが病人を増やし、世界人口を抑制する一つの手段であることはすぐにわかるはずです。しかももしワクチン接種を国民に強制接種させることにすれば一石二鳥なわけです。抗がん剤と同様に予防接種が効かない理由はここにあります。

       さらに毎年のように新種のインフルエンザが発明されており、「今年は○○インフルエンザが流行するから、早めに予防接種ワクチンが必要」とメディアを通しての予告があり、そのワクチンが準備されるわけですから、実に不自然だとは思わないでしょうか。
    (現在はノロウイルス)

       
    言うまでもなく、インフルエンザそのものよりも、「ワクチン」や「予防接種」の方が危険なわけで、なぜなら予防接種を受けた人は逆に病気に感染しやすくなるのです。予防接種の根底にある考え方は、人がワクチン接種を受けると、特定の病原菌に対して抗体ができるとされ、病原菌に対してこの抗体が対抗してくれるとするものです。(略)

       人体が病原菌に感染すると、本来的に備わっている免疫は多面的な反撃を開始します。ワクチン接種を受けている人の免疫は、この予行演習ができているから、問題になっている病原菌の抗体の作り方を記憶しているとされています。ところが人体に本来備わる免疫は予行演習など必要とはしません。それどころかワクチン接種によって免疫の負担となるだけでなく、本来の免疫が弱体化するのです。

       特にHIVやインフルエンザの場合、病原菌は突然変異するので、ワクチン接種が無駄になるだけでなく、大きな負担になるのです。しかもすでに知られているように、ワクチンには驚くような数々の異物が投入されており、水銀などの有害成分も含んでいます。そして今後ワクチンには遺伝子組み換えの成分も含有するようになるので、命取りになるケースが増えることが予想されます。

       ましてや、生まれて間もない新生児や幼児に、各種病原菌を混合した三種混合とか、四種混合のワクチンを接種するとあれば、与えられるダメージは計り知れないものがあります。

    予防接種ワクチンの方が、予防するとされる病気よりも危険!

       
    子宮頸がんの原因とされるヒトパピロマウイルスを20年にもわたって研究してきた専門家は、「予防接種ワクチンの方が、予防されるといわれているガンそのものよりも危険である」と主張しています。

       それだけではありません。
       子宮頸がんの予防接種ワクチンで、ALS(筋萎縮性側索硬化症/ルー・ゲーリック病)という非常に重い神経障害をも誘発する可能性があるとされています。11歳や12歳の子どもたち数百万人にそれを接種すれば、予防どころか、逆に将来的に子宮頸がんを爆発的に増加させる可能性さえあるのです。

       そしてワクチン販売元であるM社
    (メルク社やグラクソ・スミスクライン社がある)は業績を伸ばし、ガン産業が繁栄しているのです。女性を将来不妊にする一方で、医療業界が大儲けをする仕組みがすでにできあがっているのは怖ろしいことです。少女を対象にしたこうしたワクチンにより、すでに死者も出ています。しかし日本ではいまだに、このワクチン接種が平然と続けられているのです。そして必ず、ワクチン接種の危険性を発言する研究者に対しては、製薬業界やその筋のお抱え学者によって圧力がかけられ、脅迫行為を行なうのです。

       ワクチンが安全であるというのはすでに迷信に過ぎず、これを国が大規模な接種義務化へ持っていこうとするのは、大きな犯罪であることはもはや疑う余地のない事実です。1918年にヨーロッパで多くの犠牲者を出したスペイン風邪も、予防接種を受けていない市民よりも接種を受けた兵士のほうが7倍も多く病気に感染したという記録が残されています。しかも予防接種を止めるとスペイン風邪は消滅したとも言われています。

       M社
    (メルク社)のワクチンには、SV40と呼ばれる発がん性物質が入れられており、これが過去100年にわたるガンの増大と関係していると言われています。2008年には鳥インフルエンザのウイルスによって汚染されたワクチンが各国に輸出されましたが、実はその前に、チェコでこのワクチンを使って動物実験が行なわれた際、実験動物が全部死ぬという結果が出ていたのです。それを知りつつ各国にばらまいたのは、意図的に鳥インフルエンザの大流行を引き起こすのが目的であったと思われます。

       カナダの文芸批評家マーシャル・マクルハーンは『メディア論』で有名ですが、彼は「メディアとはメッセージである」と主張しました。その意味は、一般人はメディアとは情報を伝達する単なる「媒体」だと考えているようですが、実はそうではなく、メディアとは一種の命令系統だというのです。つまりメディアが中立だということは最初からあり得ないことであり、テレビや新聞は政権や闇の権力が人々を操作するための、プロパガンダの道具に過ぎないというのです。

       マクルハーンの言う通りだと思います。
       それは現行の日本のマスメディアを見ればわかることで、基本的にみな横並びでしかありません。そうしたマスコミの報道ですが、たとえば今年の夏(2013年7月)、スペインの鉄道事故で多くの犠牲者が出ました。その事故が発生した当地はスペイン北西部のサンチャゴ・デ・コンポステラで、キリスト教の聖地であり、犠牲になった乗客の多くはカトリック教会の重要人物たちでした。

       この事故についてもメディアが報道しないことがいくつかあります。
       原因は運転手の不注意と、制限速度の2倍のスピードで急カーブを通過したこととされましたが、この列車には自動制御装置がついており、しかも第一、ベテランの運転手がそんな無謀な運転をするはずがありません。そして実際には、運転手はブレーキが利かなくなったために、司令室の職員に電話で指示を仰いでいたのです。

       コンピューター化された自動列車制御装置は、コンピューター・ウイルスに感染すればそれが作動しなくなるだけでなく、外部からも操作することができます。今回のこの事故は、福島第一原発の原子炉がイスラエルのコンピューター・ウイルスに感染していたことを思い出させるものでした。

       国とか企業、あるいは一定の信仰や主義に自分の一生を捧げる人がいるように、人間には一度信じたものは頑(がん)として変えず、信じ続けようとする習性があります。そのために、たとえば「ワクチンは良いもの」と信じてきたワクチン絶対信者に、先ほど述べてきたような情報を与えることはできても、その人がその情報に基づいてどう行動するかは強制することはできません。皆がしていることを同じようにするのが安心であると判断するかもしれず、それは最終的に自分で決めることです。

       メディアの情報に踊らされないためには、直観力を養うしかありません。
       理屈ではなく、「何かおかしい」と感じることができる能力、つまり直観力が本当に必要な時代に私たちは生きているのです。

    アーミッシュに自閉症の子どもがほとんどいないのはなぜか

       
    米国のペンシルベニア州やオハイオ州、インディアナ州などの中西部の田舎には、アーミッシュと呼ばれるキリスト教原理主義者のコミュニティが散在しています。彼らはオランダ系であると誤解されやすいのですが、実際はドイツ系で、ドイツ語の方言を話します。現在米国やカナダでの総人口は約20万人となっています。人口は少ないのですが、彼らの生活は自給自足と助け合いという素朴な生活スタイルは、現代人の学ぶべきものが多いのです。

       たとえば彼らは家庭内では電化製品を使わず、移動するときもバギーといわれる馬車に乗り、当然テレビも見ず、料理をするにも薪で火を起こします。冬に貯蔵しておいた雪を冷蔵庫の代わりにし、冬は家畜の発散する体温で家屋を暖房することもあります。

       彼らは自らが生産した無農薬の自然食を食べ、添加物入りの市販の食品は摂りません。また病院や医薬品に依存することもなく、薬草や自然療法の豊富な知識を用いて、病気や怪我の治療をするので、彼らは健康そのものです。

       そして興味深いことは、アーミッシュには自閉症の子どもたちがほとんどいないことです。その理由は決して彼らの遺伝子にあるのではなく、実はワクチン接種を受けてこなかったからだと言われているのです。彼らは当初、北米に移住した200人ほどの子孫ですから、遺伝的にはむしろ逆に不利な状況にあるはずなのです。

       アーミッシュの人たちは一般のアメリカ人と違って、B型肝炎やその他の多くのワクチン接種も受けてはおらず、病院で出産をしないので、親の目を盗んで子どもが予防接種を受けさせられる恐れもありません。それでもペンシルバニア州のアーミッシュ地域の調査では、自閉症が3件確認されています。アメリカの平均数を約20万人のアーミッシュ人口に当てはめると、大体200件の自閉症が発生するはずです。

       ですからそれに対しての3件なわけで、そのうちの1人は養子にされた中国人の赤ん坊で、すでに養子として連れて来られる前に何回かのワクチン接種を受けています。もう1人はアーミッシュの子どもでしたが、これは親がワクチン接種を受けさせていたケースでした。もう1人については背景は不明です。

       仮にこれらの3件を含めて比較しても、200対3です。
       これを見ても予防接種と自閉症の因果関係は明らかなわけです。また自閉症だけではなく、乳幼児突然死症候群(SIDS)や揺さぶられっ子症候群(身体を大きく揺することで、網膜出血などを起こす症状)との因果関係も指摘されています。

       しかし、こうした明らかな因果関係があるにもかかわらず、医学界は頑なにそれを認めようとはせず、メディアもこうした情報は伝えないのです。特に、社会問題化しつつある自閉症は現代医学の生み出した副産物であり、しかも予防接種が行なわれている先進国において顕著に見られることから、予防接種が自閉症の原因になっていることは疑いの余地がないのです。

       日本でも政府や学校が、子どもたちに根拠のない精神疾患だとして病名をつけ、それによって一生を薬漬けにさせるような政策を採っています。言うまでもなく、それを背後で操作しているのは闇の権力者たちなのです。

       ですから親たちは、子どもに意味のない危険な予防接種を受けさせないようにし、「自分の子どもは自分で守る。政府や学校任せにはしない」という強い意志が必要になります。この「自分たちの国や自分たちの家族は自分たちで守る」という意識が人々の一般的な認識になることが、日本にとっての将来の大切な礎(いしずえ)となるはずです。

       なお予防接種の怖さについては、船瀬俊介さんとの共著で詳しく述べているので、そちらもご覧ください。


             book 『闇の権力とUFOと日本救済』 中丸薫・矢追純一著 文芸社

                               抜粋

    すでに作られているアメリカ製「日中戦争計画書」

    中丸   日中間の緊張が急に高まってきた中で、アメリカ政府は日本を中国との戦争に巻き込むシナリオをすでに作っているのです。ジョゼフ・ナイ(1937~)という国際政治学者がいますが、クリントン政権で国家情報会議(NIC)の議長を務め、後に安全保障担当の国防次官を務めた人が、アメリカ議会上院・下院の議員200名以上を集めて、次のような「対日戦略会議の報告書」というのをまとめています。

    ◎ 対日戦略会議の報告書

      ① 東シナ海、日本海近辺には、未開発の石油・天然ガスが埋蔵されており、その総量は世界最大の産油国サウジアラビアの埋蔵量をしのぐ分量である。米国は何としてもその東シナ海のエネルギー資源を入手しなければならない。

      ② そのチャンスは、台湾と中国が軍事衝突を起こした時である。
         初めに米軍は台湾側に立ち、中国と戦闘を開始する。そして日米安保条約に基づいて日本の自衛隊もその戦闘に参加させる。

         中国軍は、米軍と日本の自衛隊の補給基地であるところの日本の米軍基地、自衛隊基地を「本土攻撃」するだろう。本土を攻撃された日本人は逆上し、本格的な日中戦争が開始される。

      ③ 米軍は戦争が進行するのに従い、徐々に戦争から手を引き、日本の自衛隊と中国軍との戦争が中心になるように誘導する。

      ④ 日中戦争が激化したところで、米国が和平交渉に介入し、東シナ海、日本海でのPKO(平和維持活動)を米軍が中心となって行なう。

      ⑤ 東シナ海、日本海での軍事的・政治的主導権を米国が手に入れることで、この地域での資源開発について、米国のエネルギー産業が圧倒的な開発の優位権を入手することができる。

      ⑥ この戦略の前提として、日本の自衛隊が自由に海外で「軍事活動」ができるようにしておく。

    中丸   
    このエネルギー産業というのは、もちろん闇の権力のことなんですが、彼らのために日中戦争の画策が国会で平然と議論されているのです。ですから、なぜ自衛隊がペルシャ湾やホルムズ海峡に派遣されることになったかが、わかろうというものです。

    矢追   まったくひどい話だ。
          まさに「悪のシナリオ」ですね。いつものマッチポンプってやつだね。

    中丸   それと、歴代の日本の外務大臣は「日米安保第5条」を強調してきたけれど、そこには「主権に対する紛争に、アメリカは介入する義務はない」という旨がはっきり記されているのです。

       それに、2005年10月に日米で交わされた「日米同盟―未来のための変革と再編」という外交文書にも、「日本は弾道ミサイル攻撃やゲリラ・特殊部隊による攻撃、島への侵略といった事態には自らを防衛し、周辺の事態に対応する」と書かれているんです。しかし政府は肝心のこの部分を伏せたまま、あたかもアメリカ軍が助けてくれるかのような報道を繰り返しているのです。

    矢追   だからなんですね。
          だから、何かあったらアメリカが助けてくれると思い込んでいる人が多いわけだ。

    中丸   これまでは日本は、憲法9条に違反するとして、「集団的自衛権の行使」を禁じてきたわけですが、安倍政権は容認する方向で準備を始めていますよね。

    矢追   ええ、「国家安全保障基本法」を提出しようとしていますね。

    中丸   とんでもないですよ。あんなものをやったら武力行使の歯止めを外すことになって、それこそアメリカが計画している戦争に駆り出されて、全部アメリカの尻拭いをさせられることになります。戦争を起こしたいのはアメリカなわけですから、そうならないようにとにかく平和憲法を死守しないといけないのです。

       中国の軍事費もすごい勢いで伸びていますが、あれは半分以上は国内で使っているそうですね。つまり国内の暴動を抑えるためだけではなくて、チベットとか辺境地域を抑えなければならないからです。

    矢追   とにかく我々は、仕組まれた戦争に参加してはならないということですね。


            book 『闇の権力とUFOと日本救済』 中丸薫・矢追純一著 文芸社

                              抜粋















    「モンサント社」を撥ね返したクロアチアとヨーロッパ

       韓国は、李明博(イ・ミョンバク)前大統領がアメリカとの間で交わしたTPPのモデルといわれる、米韓FTA(米韓自由貿易協定)が2012年3月に発効し、それがその後の韓国社会に大きな変化をもたらしました。李前大統領は、まさに国を売り飛ばしてしまったということです。

       そもそも1997年の通貨危機のとき、韓国に介入したIMFが、金融機関の自己資本比率を強引に引き上げたため、銀行は貸し剥(は)がしを余儀なくされ、記録的な倒産と不良債権の増加となりました。そのため銀行はさらなる資本増加を必要とし、外資を受け入れた結果、韓国の金融資本は外資に乗っ取られてしまったわけです。そして米韓FTA発効から3ヵ月後、さっそくアメリカは韓国に対してISD条項による訴訟を起こしました。

       ISD条項とは、「国家・投資家間における訴訟制度」のことですが、それは外国企業が不利益をこうむった場合、「国家投資紛争解決センター」に訴えることができる制度のことです。この機関は一見公平な国際司法裁判所のように見えますが、実は世界銀行の傘下にあり、世界銀行の総裁は代々米国企業の社長が就任していることからもわかる通り、米国の意向に沿った機関です。それにFTAは国内の法律よりも優先されるために、訴えられた側の韓国の法律はいっさい適用されません。

       この訴訟は、アメリカのローンスターという外資ファンド会社によって起こされたもので、彼らは破綻寸前のKEB(韓国外換銀行)を安値で買い取りました。その後は、大量のリストラでいったんは帳簿上黒字化をしたうえで、約3000億円で売却しようとした直前、韓国の検察によって止められたのです。

       結局売却されましたが、しかしそれまでの間、株価が下落したことで、そのときの損害を韓国政府に賠償して欲しいということでISD訴訟が起こされたわけです。現在、韓国政府はISD条項についてアメリカに再協議を求めていますが、一度結んでしまった条約及び条項が覆(くつがえ)ることはまずないでしょう。

       韓国でこのような事態が起きているというのに、同様の条約であるTPPを推進しようとしている日本政府は、そうした内容もよくわからないままにTPPを結ぼうとしているのです。またTPPは秘密条約のために、協議内容は米国議会にさえも報告されずに進められているのです。

       TPPが結ばれれば、欧米の医療ビジネスがどんどん日本に進出するのは必至で、その結果医療費の高騰が進むでしょう。なぜなら「日本の医療費は不当に安く、自分たちは不利益をこうむっている」として、ISD条項で訴えられたら負ける可能性が高いからです。その結果、国民は安価な医療サービスを受けられなくなり、国民皆保険制度も破壊されるでしょう。

       知っていると思いますが、アメリカでは皆保険制度が整っていないので、医療費は日本とは比較にならないほど高額なのです。たとえば盲腸手術は日本では12万円くらいで、保険診療以外でもせいぜい40万円程度ですが、アメリカでは250~300万円もかかります。

       先日、私の会の研修会で、アメリカで入院を体験された方から次のような話を聞いて驚いてしまいました。その人の娘さんが40度の熱を出したので病院へ連れていきましたが、処方されたのはアスピリンだけでした。しかし帰宅後も熱が下がらず、娘さんの心臓が止まってしまったために救急車で運ばれる事態になりました。その後1日に1度の触診のみで10日間入院しました。

       最終的に医者が下した結論は、心臓にペースメーカーを入れたほうがよいというものでした。驚いて娘さんをすぐ退院させたのですが、届いた請求書を見て愕然としました。なんとそれには救急車にかかった費用が1000ドル(約10万円)、入院と診断の合計が日本円で2000万円という途方もない金額だったからです。日本では考えられない値段です。

       TPPの影響は医療業界だけにとどまるわけではなく、この営利至上主義はすべての業界に広がっていくはずです。たとえば外国企業による広大な土地売買もそうで、水源の摂取量を制限することもできなくなり、鉱業採掘権も自由化されてしまうでしょう。また遺伝子組み換え食品の表示が廃止されるので、不妊の原因になるものや発がん性のものかどうか、もう見分けがつかなくなります。

       現在、米国自動車業界は、アメリカ車の日本国内のシェアが低いとして軽自動車の規格そのものを廃止するように求めています。アメリカはBSE(牛海綿状脳症)対策の規制緩和も求めています。これらの要求は、TPPを結べば簡単に通ってしまうでしょう。確かに国としてのアメリカは、日本への輸出拡大を目的としてTPPを推進していますが、闇の権力の目的は別のところにあります。

       彼らの出先機関である金融やメディア、保険、農業、食品業界は、訴訟を通じて日本の業界を掌握する機会を待ち望んでいるのでしょう。テレビや新聞などマスメディアの報道を見ると、取り上げるのは農業だけでそればかり問題にしていますが、本当に怖ろしいのは伝統や文化など国内法のすべてが、他の国によるISD条項による訴訟の繰り返しで書き換えられてしまうことです。

       TPPを締結するということは、日本の文化と国民のさまざまな権利を、進んでアメリカに譲渡する以外の何ものでもないのです。こうしたアメリカの主張に対し、小沢一郎氏は「日本の社会構造をアメリカナイゼーションすることが彼らの意図だ」と指摘しています。

       ISD条項とは、米国の意向に沿った世界銀行傘下にある第三者機関で、「国際投資紛争解決センター」に訴えることができる項目のことです。数名の仲裁人がこれを審査するのですが、他国からの企業や投資家が当地の政府を訴えると、問題として取り上げられるのは外国資本の投資家や企業がどのくらい損害を受けたかということだけなのです。つまり、当地の国の政府が国民の必要のために施行したものであろうと、そういったことは「いっさい」考慮されることはないのです。

       しかもこの審査は「非公開」で行なわれるため、公平性も何もあったものではありません。それどころか結果に不服であってもこちらは上訴もできず、たとえ審査結果に解釈の誤りがあってもなくても、国の司法機関はいっさいこれを是正することできないのです。つまり、なされるがままなわけです。TPPに参加するとこうしたISD条項が発動され、さまざまな分野で貿易障壁になるとされて、訴訟を起こされることは覚悟しなければなりません。

       韓国では、自動車の二酸化炭素排出規制の導入を、米韓FTAの禁止する「貿易技術障壁」に該当するということで、先送りにされました。またアメリカの企業は、カナダに対しても訴訟を起こしたことがあります。それはカナダ政府が米国からのガソリン添加物MMTの輸入について、そのガソリンが神経系統に影響を与えるとして販売禁止規制を行なったところ、アメリカ企業が3億5000万ドルの賠償を求めてきたのです。そして調停の結果は、カナダ政府が巨額の賠償金を支払うことになり、しかも規制そのものが撤廃されてしまいました。

       メキシコでも、砂糖以外の甘味料に対する扱いが、砂糖事業者への優遇措置であるとしてアメリカ企業が提訴し、メキシコ政府が違反したと認定されています。これらはいずれもNAFTA(北米自由貿易協定)に基ずくものですが、TPPも、FTAも結局は米国に都合よく審査されているに過ぎません。

       そしてすでにアメリカ側が日本に対して規制緩和を要求しているのが、「食品添加物」です。現在日本では約650種類しか認可されてはいませんが、アメリカは3000種類の食品添加物を認可しています。米国産の子ども向けお菓子にはTBHQ(プチルヒドロキノン)という防腐剤が使用されていることが多く、日本では禁止されているために輸入できないのです。これについて元農務長官ダン・グリックマンは「これを禁止するのは、日本の科学が間違っているからだ」と言って、すでに圧力をかけ始めています。

       食品の輸入についての審査は、厚労省から独立している「食品安全委員会」が行なっていますが、しかし米国側はこの委員会が「不当な障壁」であるとして問題視しています。甘利TPP担当相は「日本の食品の安全は守る」と強調していますが、他国の例を見ても、守られない可能性が極めて高いことがわかります。医療の分野では、高額な自由診療が併用される「混合診療」が広がれば、国民皆保険制度も崩壊させられるでしょう。

       日本はTPP参加で、対中国包囲網が構築できると考えていましたが、日本のほうが隅に追いやられかねない状況になっています。そんな折、中国政府がモンサント社の遺伝子組み換え(GM)ダイズの輸入を承認するというニュースが入ってきました。そうなると中国から大量の食品を輸入している日本に、アルゼンチンとブラジルで栽培されているGM大豆で作られた食品が流入してくることになります。

       モンサントの遺伝子組み換え作物輸入の話が出た時、ヨーロッパの人々は立ち上がって反対しました。そのためにヨーロッパには輸出できないことになったのです。東欧諸国ではクロアチアのような小さな国でも、市民が反対して、遺伝子組み換えトウモロコシの畑を全部焼き払ったという事件がありました。そこまで激しく抵抗したために、モンサント社も仕方なくやっとあきらめたのです。私たちは籾(モミ)はもちろんのこと、いろんな野菜の種にしても、遺伝子組み換えのものを買わされないように、自分たちで安全な種をきちんと保存しておく必要があります。

       また飲料水などの最重要ライフラインも、TPPによって外国資本に略奪される可能性が高いのです。その兆しはすでに始まっており、愛媛県松山市では、上水道事業をフランスのヴェオリア社に委託してしまったので、水道料金が倍以上に値上がりしつつあるといいます。ヴェオリア社にとっては、今後100兆円市場といわれる水道事業を手に入れたわけで、同時にその地域を支配するきっかけを得たわけです。このように外国資本にとってTPPは、投機的側面もある事を理解しなければなりません。


             book 『闇の権力とUFOと日本救済』 矢追純一・中丸薫著 文芸社

                               抜粋


       

    人と同じであるとする安心感から抜け出そう

       ある時、クラスの受講生から、「駅や人混みで見える”黒い点々”は何ですか?」と聞かれました。それはちょうど、空間にちらちらと見えるエネルギーについて説明している時でした。私がよく利用するJR渋谷駅のホームでは、その黒い点々をよく見かけます。それは渋谷に限らず人混みではよく目にするもので、人々の回りや、大勢の人々が行き交う周辺に、その黒い点々はもわもわと動きながらたくさん存在しています。

       人によっては自分自身のオーラの中にたくさん蓄えていることもあります。
       その黒い点々には臭いもあって、電車などに乗り込むといつも”むわーっ”といろいろな臭いを感じます。そうしたものには使い終わった古い感情も関係しています。たとえばしっかり感じられなかった気持ちや表現しないでおいた気持ち、悶々(もんもん)とした気持ち、それに心に影響をもたらす食べ物の残留エネルギーなどがあり、そうした黒い点々の正体は、不要になった古いエネルギーなのです。

       私たちは知らない間に、いろいろなエネルギーを身にまとっているものです。
       それが自分のものならまだしも、体力や心が弱ったり衰えたりする時しばしば、他人や食べ物から、また土地などの持つ自分にとっては不要なエネルギーが、容易に自らのオーラに入り込んで来ることがあります。問題なのは、それをみんな知らずにいることで、歩き回ったり呼吸しながら、そうした自分には不要なエネルギーを吸収してしまい、その結果、原因不明の苛立ちや不安に襲われてしまうことです。

       エネルギーの存在を知ることは非常に大切です。
       私たちの生活はさまざまな家電機器に囲まれており、しかも充分な栄養を受け取れない食生活を送っていることから、人間の身体はもちろんですが、エネルギー体までもが病んできていることに私は非常に危機感を覚えています。

       すでに述べましたが、ヒーリングは誰にもできるとても簡単な行為です。
       ヒーリングとは、人が本来持っている能力であり、エネルギーを滞(とどこお)りなく全身に流すための方法です。エネルギーの循環がうまく行なわれないと、身体のあちこちに問題が起きてきます。エネルギーが循環しなくなると、まずエネルギー自体が古くなり、結果として身体も古くなります。それは老化を意味しています。つまり体の部分的な病気が起こり、不健康で弱くなり、生活に喜びがなく無感動に繋がります。

       お金も食べ物も、すべてのことが喜びへとつながっています。
       しかし何も感動しない、喜びのない人生ほど空しいものはありません。そうした心の動きである感動の基本こそが、エネルギーの流れにあるのです。ヒーリングは、心とつながっているエネルギーの流れを整える行為です。

       
    多くの地面がアスファルトで覆われるようになってから、どのくらいの年月が経ったでしょうか。今や都会ではどこもかしこもアスファルトで覆われているので、大地からは季節感を受け取ることができません。都心の家では庭があっても、その下に前にあった家を建て崩したコンクリートの残骸が埋められている場合があるので、地球のエネルギーが地表まで届きにくい状態になっています。

       しかも地表が覆われて隠されてしまったことによって、地球のエネルギーを受け取りにくくなった結果、都会に住む人々は元気を失っています。そして渋谷などの界隈で見る黒い点々は、その循環システムを外れてしまった浄化され損ねたエネルギーであり、私たち人間が出している古いエネルギーなのです。本来なら古いエネルギーは、自然に地球へ還っていくのです。

       お天気がどうであろうと、地球環境がどのように破壊されようと、自分の命がたちまち危険にさらされるわけではありません。駅へ行けば安全な乗り物が到着し、会社に行けばすることがあり、とりあえずそれを続けていればお金が与えられます。お金があれば食べ物はすぐ手に入ります。そして身体に安全かどうかすら確かめる必要もないほどに、世の中の流通は管理され、命の生存に対して自己管理しなくなった結果、私たちはその感覚を鈍化させてきたのです。

       自分に本来備わるヒーリングの力を回復させるためには、まず自分を注意深く観察する「心の目」が必要です。「目」と言えば、私たちは無意識のうちによく人の目を気にしています。特に世間体を気にする日本では、人の目や社会の目を基準にして生きている人が多いのです。それは実際には不自由な生き方のはずですが、人と同じようにしていれば自分の考えや価値感を育てなくてもよいわけで、何かに立ち向かっていったり、疑問を解決する必要もないので慣れると楽なものです。

       誰もしたことのないようなチャレンジをする怖さは、強い興味を打ち消すだけの力を持っており、他人と同じ生き方の不自由さよりも真の安全を選んでいくでしょう。世間の価値感に従って行動していれば、うまくいかなければどこかへ文句を言うこともできるので、責任は取らずに済みます。そしてその習慣が、生命エネルギーを弱くしていくのです。

       誰かがすでに成し遂げた範囲の中で行動する。
       誰かが守りを固めている安全な中で、周囲に気を配る必要もなく過ごす。このようにして身の危険どころか、普段から何もチャレンジすることもなく、身の回りで起こる出来事に無頓着でいられる場所で生きるうちに、自分の命を守ろうとする生命エネルギーを使うチャンスを失い、本来の能力が退化していきます。

       まず知ってほしいことは、「エネルギーは心とともに動く」ということです。
       そしてエネルギーは身体に現われるのです。心で感じている限りエネルギーは表に出てくるので、隠すことはできません。ただし実際に現われていても、本人は気づかないことが多く、人から言われて初めてわかることもあります。しかし人を判断の基準にするのはもう止めましょう。言われるよりも前に、自分で気づくように心がけることです。

    人と同じであることに安心する習慣を変えよう

       
    私はファッションデザイナーをしていた時に、日本人の流行の取り入れ方にはある一定の法則があることに気がつきました。それは一つの色なり形なりが流行すると、みんな一斉に同じスタイルをし始めることです。色であれば、みんなが同じようなアイテムでその色を着ます。形の場合だと、色やデザインが少し違うだけでほとんど同じスタイルです。着丈からボタンの大きさや配置、衿や袖の大きさ長さまでそのままで、それはまるで制服のようなのです。

       日本の学校は制服を採用しているところがとても多いのです。
       実は人間の感性は生まれたときから活動しているので、身体が出来上がる思春期にはより活発になり、チャクラが大人の状態に安定していく頃にはそれが「個性」となって確立されます。しかし感性が培(つちか)われる大切な時期である思春期に、制服を着せられてファッションセンスを磨かないでいると、感性も磨かれることはありません。

       その結果が、まるで人と同じ制服のような流行のあり方となって現われているのです。自分独自の清潔感のある装いや個性的な着こなし、場の雰囲気に馴染む服選びなどの、装いの大切な基本を学び損ねているのです。

       自己表現の方法がまだわからない時に毎日制服を着ていると、心の深いところで”人と同じでなければならない”と記憶されます。それが無意識のうちに、いつも人と同じものを選ぶようになっている理由なのです。それだけでなく、どんな些細なことであっても、誰かの指示を得なければ行動できなくなっているのです。

       これはソーラーチャクラ(第3チャクラ・自己実現)の元気力を失った状態です。
       その結果、人生の重大な決断をする力を使いこなせなくなります。どんな仕事を成し遂げても、誰かに認められ評価されなければ自信を持てないというのもこのチャクラの問題です。常に他人からの指示と評価を求める習慣で生きていると、自己評価能力が失われていきます。自分で自己評価できないと何をやっても虚しく、誰も褒めてくれないのなら自ら吹聴して回ろうとさえします。自慢せずにいられない人というのも、自己評価できない元気力の乏しい人に見られる特徴です。

       実は、人は他人を評価する力など本来持ち合わせてはいないのです。
       人間にできるのは、ただその感情を味わっている相手と一緒にいることだけなのです。なぜなら私たちは、人が今何を感じていて、その人に何が起きているのか、そのすべてを知ることはできないからです。

       もしあなたが、人生が楽しくないとか、自分は自由じゃないと感じるとしたら、それは自らの意志の力を使っていない可能性があります。この第3チャクラであるソーラーチャクラには、生きる上で”何をどうしたらいいのか”とか、”どんなことをいつしたらいいのか”といった、よりよい行動を起こす時の方向指示器のような役割があります。

       「楽しそうな仕事に出会い、何となく嬉しい感じがする」「面接に行った会社の玄関で、何だか心が広がる感じがする」「誰かの仕事ぶりを見て、自分もそんな仕事がしたいと感じる」 
    まずは、その”何となくいい感じ”に気づくことから始めましょう。はじめのうちはその感覚がはっきりせずわからないかもしれませんが、注意深く、根気よく「心の目」を使って自分に問いかけるうちに、段々と強く感じて捉えられるようになるので、焦らないことです。

       多くの人々は、こうした大切な感覚が培われるはずの成長期に、何もかも決められていて、その形にはまらないものは撥(は)ねられて、大雑把に処理される環境で育っています。しかしそうやって形づくられた習慣が”あなた”なのではありません。それは単なる習慣ですから変えればいいのです。つまり、生まれながらに本来持っている感性は違うものなのです。このことをよく覚えておいてください。あなたが自分自身だと思っている”あなた”は、本来の無限の可能性を持った”本当のあなた”の外側の姿でしかないのです。

       ソーラーチャクラの活性化のためには、まず自分の人生において主導権を取れるようにならなくてはなりません。毎日の生活の中で、”誰かのせいでこんなことになった”、”あの状況のせいで自分はうまくできなかった”、というような生き方を止めることです。そうでないといつも誰かがあなたの人生をコントロールすることになります。

       自分の人生の主導権を取る、責任を取るというのは、どんなことも”自分の意志でその現実を選択した”と認めて受け入れることです。「自分が望まない現実は実現化しない」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。つまり魂のレベルでは、すべてのことを了解しています。ですからたとえ”誰かのせいでこうなった”、とどれほど相手を恨んだとしても、あなたの魂のレベルでは”あなたのお蔭でその体験ができて、そこから学びを得ることができました。ありがとう”、という解釈になるのです。


              book 『ヒーリングレッスン』 寺尾夫美子著  河出書房新社

                              抜粋

    いい人であろうとするのはなぜか

       正常な攻撃性は、強いエネルギー・パターンの流れを持ち、あなたの思考のすべてに原動力を与えます。それはたとえあなたが意識的に、自分のそうした思考を否定したり肯定したり、良い悪いと見なすかに関わりなく、その創造のうねりの力は思考のすべてを表へと押し出します。

       もしある思考を悪いとか低劣だと見なし、それを恥じたりすると、あなたはその思考を否定して流れを阻止して押し戻そうとします。しかしエネルギーを押し留めることはできません。あなたはそれができると思っているかもしれませんが、そうすることでいっそうエネルギーをそこへ集めてしまうだけであり、隠れてその思考は育ち、実現を求めるのです。

       すると、あなたはこう言うでしょう。
       「では上司を殺したいと思ったら? 夫のお茶に一服盛りたいと思ったら? 5人の子どもたちをタオルの代わりに物干しに吊るしたいなどと考えてしまったら? それでも自分の思いに従えとでも?」

       あなたの気持ちはよくわかります。
       実は知ってほしいことは、そこまで怖ろしい不自然な考えに「襲われる」以前に、すでにあなたはもっとずっと些細な、際限のないたくさんの思いに「フタ」をして来たということです。それらの思いはこれまでの日々の生活の中でまったく安全に、そして自然に表現して解消できたはずだったのです。

       つまりあなたの問題は、正常な攻撃性をどう扱うかではなく、そうした思考が長期にわたって表現されず、無視され否定されてきた結果、それにどう対処するかということなのです。その具体的な方法は後に説明しましょう。あなた方は1人1人が、自分で思いを強く抑圧している領域を発見しなければなりません。そこにエネルギーが詰まり、たくさんのブロックができているのです。今は、このエネルギーの詰まりについてよく考えてください。

       そして大抵の人は、そのことに気づいていながら実は怖れています。
       誰もがそうしようと思って抑圧したわけではないのです。しかしそうしたものは覆い隠されていて自分にはわからないつもりでいても、あなたの意識的な気づきの中にちゃんと存在しています。まずは率直にそれを探し出し、新たに体系づけるとよいでしょう。

       そうした情報は「見る」ことができたようで、見えていないことがよくあります。
       それを見るためには、あなた自身が勇気と冒険心を持つ必要があります。しかし結局のところ、すべての思いというものは「自分のもの」ではあっても、自分自身ではないのですからそれに脅かされる必要などないのです。

       さて、人は神を信じたために悪魔を信じるようになったとよく言われます。
       しかし実際には、人間が罪の意識を持ったときに悪魔を信じるようになったのです。罪の意識そのものは、「思いやり」が発生したときに同時にその意識が起きました。動物たちには、人間にはわからない公正さの感覚と、生物的な思いやりが備わった純粋で誠実な感覚が組み込まれており、それをもっとも深い細胞レベルにおいて理解しています。

       ネズミをいたぶって後食べてしまう猫とネズミの関係は、互いに共有し合う生命エネルギーの本質であり、あるレベルでは彼らはそれを理解しています。彼らは個としての自分を失うまいと躍起になったりしませんが、それは生きるための懸命な努力をしないという意味ではありません。彼らには生まれつきの自然との一体感が無意識のうちに備わっており、自分が失われることも埋もれてしまうこともないことを知っています。

       人類は独自の進化を追及し、意識的にその枠組みの外側へと踏み出すことを選びました。そして動物的な天性の知識に代わって「思いやり」が発生したのです。つまり生物的な思いやりであったものが、感情的なものに変わったのです。

       動物たちを狩るハンターたちは、そうした生物的な思いやりから多少自由になった人たちですが、そのゆえに自らが仕留めた餌食に対する感情的同一視は避けられないものとなりました。つまり殺すことは殺されることであり、生命のバランスが万物を支えています。ゆえにハンターたちは、実は自らの内でずっと知っていたことを、新たに意識レベルで学ばなければならなくなったのです。これが罪悪感とその自然な枠組みの、本源的かつ唯一の真の意味なのです。

       罪悪感とは思いやりの別の側面です。
       本来はそれによって、自分や他の生き物たちと意識レベルで共感できるようになるためだったのです。そうすればそれまでは単なる生物的レベルでのみ動かされてきたことを、意識的に統御できるようになるからです。ですから罪悪感には強い自然的な素地があります。もしそれが悪用や誤用されたり、あるいは間違って理解されたりすると、自然現象の暴走と同じように強力で怖ろしいエネルギーを帯びることになります。

       もしあなたが何らかの教えや思想に触れたことで罪悪感を抱くようになったなら、そのことによって危険な目に出くわす怖れがあります。なぜなら自分のどこかが悪いと信じるならば、実際にその通りのことを経験し、あなたはその経験を否定的なものと見なすからです。そのようにして「不自然な」罪悪感が生まれるのです。つまり受け入れるに値しないものを受け入れてしまったと考えるために、それがつくり出されるのです。

       満足しているものから罪悪感をつくりだすことは、普通はしないものです。
       もし身体が弱いと固く信じていたならば、その抑圧された罪悪感のエネルギーは身体組織を攻撃し、たとえば胆のうが悪くなるかもしれません。しかし自分の観念が、身体の統合性を信頼している場合には、その抑圧されたエネルギーは身体の代わりに他の人々へそれを向かわせているかもしれません。それがつまり、個人的な敵対する誰かであったり、特定の人種や宗教や、皮膚の色の違う人々などの差別や暴力に向けて、自分の抑圧されたエネルギーを投影していたりするのです。

       あるいは原理主義的な信仰を強く持っていれば、自分の望まない今の状況にしたのは悪魔だとして責めるかもしれません。それは身体が抗体を作り出して防衛するのと同じであり、「悪い」と見なす幻想や思考から自分を守るために「良い」考えや思いを打ち立て、知的で感情的な「抗体」を作り出すのと同じです。身体は本来の生まれつきの本能があれば、基本的に自動制御が働きます。ある時点で赤血球が増えすぎたからといって、赤血球細胞を全滅させたりはしません。身体にはもっと分別があります。

       しかしあなた方はしばしば否定的な思考を怖れるあまり、正常な攻撃性までもすべてを否定しようとし、その影をちょっと見ただけで知的抗体を作り出して闘いに備えます。そのようにして自分が経験していることの正当性を認めないようにするのです。もし自分がその現実をありのままに感じるのでなければ、自分がその現実を作っていることに決して気づくことはできないし、ましてや変えることはできません。

       自分の今ある状況という経験を否定していると、抑圧されたエネルギーが詰まってしまい、必要のない「不自然な」罪悪感を溜め込むことになります。そのエネルギーは身体に溜め込まれ、あなたの身体はその物理的データを伝えるために悲鳴を上げます。しかしそんな状況であっても、あなたは自分が感じていることを、頭の中で「感じていない」と叫ぶのです。そしてせき止められて蓄積したエネルギーは、必ずはけ口を求めます。その結果、あなたの抑圧されたエネルギーは、些細なきっかけであるにもかかわらず、その刺激とはまったく釣り合わないほどの激しい反応をあなたにさせるのです。

       たとえば、もっともな理由から、「干渉しないでほしい」と思っていながら、それを相手に言うのを我慢していたことが何回もあったとします。それをはっきり言ってしまうと相手が傷つくかもしれず、たとえ相手に冷静に受け止められたとしても、わだかまりができてギクシャクすることを怖れていつも言うのを抑えていたとします。あなたは自分のそういう気持ちを受け入れず、しかも表現しなかった結果、ある時ついに同じ状況になったとき、その状況とは不釣り合いなほどの激しさで感情を爆発させてしまい、まったく筋の通らない壮絶な議論をふっかけることになるのです。

       しかも相手は、なぜあなたがそれほど激しく反応するのかさっぱりわからず、深く傷ついてしまいます。そして、あなたはますます罪悪感を募らせるのです。しかも難しいことに、正しいか間違っているかという概念は体内化学と密接に関係しており、自分の持っている道徳的な価値感を身体から引き離すことはできないのです。

       自分で良いと感じているとき、身体はうまく機能します。
       するとあなた方の多くの人はこう言うに違いありません。「私はいつも善良であろうとし、努力しているのに、身体の具合が悪い。なぜなんだろう?」と。その答えは、あなたが持っている観念や信念を調べてみることでわかります。つまり、あなたは自分のことを「悪い人間だ。価値のない人間だ」と信じているからこそ、そうも念入りに善良であろうと努力するのです。

       あなた方が不自然な罪悪感という概念をかなぐり捨て、代わりに自然な罪悪感についての古来からある叡智を受け入れるならば、戦争などなくなり、愚かな殺し合いもなくなるでしょう。それに加えて体の器官のそれぞれの生きた統合性を理解することでどこも痛める必要はなくなります。もちろん肉体に死が訪れないという意味ではありません。しかし一般的に、そして理想的言うと、身体は徐々に磨り減っていくようでいて、実は耐久力はさらに増していくようになっているのです。

       他にも多くの状況がありますが、すべてはあなたの持つ意識的な観念に関係しています。たとえば最期は心臓発作であっさりと逝きたいと思う人もいるでしょうし、個人の目的はみな異なるので、どのような身体的経験をするかは人によってさまざまです。

       つまり、あなた方がここにいるのは、自分の意識を広げ、意識的な考えを通して創造性の使い方を学ぶためなのです。意識は自らの観念を変えることができるので、身体経験も大いに変えることができるのはもちろんです。


           book 『個人的現実の本質』 ジェーン・ロバーツ著 ナチュラルスピリット

                                抜粋

    ”私の人生は私のものであり、私がそれを創造している”

       あなたが自分には誰か他の人の助けが必要だと考えるとき、その援助を人々に求めることは確かに何も間違ってはいないし、時には多くを得ることもあるでしょう。しかし常に誰かに助けを求めることが習慣的になっている人は、自分自身で取り組むことをせず、その習慣を責任逃れの手段として用いているのです。

       具体的な物理的問題で、ほとんど知識のない分野であれば助力を求めるのは当然のことです。しかし多くの人々が、人生全般における答えを、霊能者や医者、心理カウンセラー、精神科医、聖職者、友人など、自分の外側に求めており、それによって自己認識をするので成長するべき自らの能力を否定しているのです。

       あなた方の世界にある教育に関する「枠組み」のために、人は「内なる自己」を探求するのではなく警戒するように教えられます。そのために一般的に多くの人々は、自分の問題を解決するためにその手段を外に求めるのですが、そこで見つかるはずもありません。

       グルや聖職者、科学者、心理学者、友人の言葉を、あるいは私の言葉を、あなた自身の存在が感じていることよりも高いところに置かないでください。他の人々からも多くのことが学べますが、もっとも深遠な知識はあなたの内側から生じなければなりません。あなたの意識は基本的に、他の人々の経験し得ない一つの現実に関わっているのです。その現実はそれ自体が意味を持って、「成就の道」に従っているのです。

       今いるところから始めてください。
       今あなたが持っている属性を、未だ充分に発達したもののようには見えなくても、期待せずに楽しく伸ばし始めることです。あなたは自分自身を愛し、容易に隣人を愛することができるでしょう。今の自分自身と、自分についての理想化された概念を比較したとたん、あなたは自然に心に咎めを感じるでしょう。そうしたやましい気持ちは、あなたが自分のうちに抱えている観念や信念を処理するまで、さまざまな出来事によって引き出され、引き起こされるでしょう。

       あなたをやましい気持ちでいっぱいにする、具体的な行為や出来事をリストにするのはいい考えです。それらを追跡することで、子ども時代に持つようになった観念にまで容易にたどり着くこともできます。そうした中には、親が善意から、あるいは大人の無知から、徐々に教え込んだ観念もあるでしょう。けれどもそうしたものも明るみに出されると、それらの多くはあなたの理解力を前に消滅してしまいます。

       この宇宙における自分の存在の正当性を肯定できると、あなたは自分自身の本質のある側面を通して、他の人々と容易に自然に協力するようになります。あなたがあなた自身であることが、他の人々が彼ら自身であることを助けるのです。あなたは自分にはない才能を妬んだりしないので、他の人々の持つ才能を気前よく助長することができます。なぜなら自らの独自性を認めているので、ほかの人々を支配する必要もなく、しかも彼らを羨んだり、へつらう必要もないからです。

       あなた方はいつかは自分自身を信頼し始めなければなりません。
       私は、今そうすることを勧めます。他の人々があなたを認め、あなたの価値を証明してくれるのを期待して待っている限り、あなたが彼らから満足を与えられることはありません。どうするべきかをいつも他人に尋ね、そうしているにも関わらず自分が満足することはなく、むしろ助力を求めている相手を恨んだりすることになります。つまりあなたは自分の経験は偽物であり、他人の経験こそが正当なもののように思っているのです。

       自分自身を肯定するという、簡単な手段を用いる必要があります。
       その肯定こそが、あなたが持つ本来の属性を解き放ち、新たな経験を自分のものとするのです。たとえば、自分が見た夢を解釈して欲しいと誰かに頼む時、あなたは自分が本来持っている潜在能力を、切り開く手立てを1つ放棄するのです。

       自分の人生の行くべき方向を教えてほしいと誰かに頼む時、実はあなた自身がすでにそれを知っているということを、自分自身に認識させないようにしているのです。このような「気づき」がないならば、根本のところであなたが救われることはありません。

       すでに述べましたが、肉体を否定することでより霊的になるということはありません。
       肉体とともに生きる人生が、ここでのあなたの人生なのです。あなたの本質的なことや身体的な存在を理由に、あるいは何らかの宗教的な教義を理由にして、人間は生まれながらに悪であるとか、罪を犯しているなどというような人を信頼してはいけません。またあなた自身の現実から逃げるように教える人や、罪の償いをする必要があると説く人にも注意しなければなりません。

       そうしたものの代わりに、自分自身の存在の自発性と、あなた自身のものである人生を信頼しましょう。今いる状況が気に入らないのであれば、それをつくり上げた自分の観念がどういうものであるかを調べてみることです。それらをすべて明るみに出す時、あなたの内には怖れるべきものは何もないことがわかります。

       ”私の人生は私のものであり、私がそれを創造している”

       
    この言葉を繰り返し、常に自分に言い聞かせてください。
       自分の人生を創造しましょう。あなたがこの世に誕生するときに選択した身体的なものを除いて、あなたが変えることのできない状態など1つもないのです。今あなたが病気であったり、ある困難な状況のために自己憐憫でいっぱいであるのなら、自ら主導権を握るようにしてください。そしてその原因となった自分の観念や信念を正直に直視し、その苦しみの原因を見つけ出してください。

       私はこれを読む人々の1人1人に内在する「内なる生命力」と、彼らの「内なる知識」と話しています。繰り返しますが、あなたは自分の観念に従って自分の現実を創造しています。あなたの思いである観念や信念は、あなたの世界をつくる創造のエネルギーです。あなたが信じているものを除いて、自己というものに限界はありません。あなたの存在の根源はあなたの内にあり、それはあなたが知る自己をはるかに超えたものです。自分自身を敬い、自分の存在の内なる神性とともに進んでください。


           book 『個人的現実の本質』 ジェーン・ロバーツ著 ナチュラルスピリット

                                抜粋

    宗教が肉体を否定するように教えてきた

       おそらくあなたが考えているのは、自分という「自己」は皮膚で覆われた肉体であり、それが空間に触れるところで終わるのだと、つまり自分は肉体の中にいるのだと思っているでしょう。しかし実は、あなたの周りの環境はあなたの自己の延長部分なのです。それはあなたのすべての経験が結実したものとして物理的な形態をとっています。

       内なる自己があなたの指や目などをつくっているように、あなたは確実にそして自動的に、あなたが思い描くイメージを形作っていくのです。あなたの環境は、あなたの考えや感情や観念が目に見えるかたちとして顕在化したものです。

       考えや感情や観念は、時空間を通り抜けることができるので、あなたは自分以外の物理的状況にも影響を与えます。あなたは自分の身体だけでなく、そのほかのすべてのものを単なる物質と同様に固体と見なしているでしょう。しかしあらゆる物体を調べれば調べるほど明らかになってくることは、すべてのものは細胞や分子、原子、電子、素粒子などの特定の形状を持つエネルギーに他ならないということです。それらは単なる物質そのものではなく、それぞれが物体を形成する神秘的な総体であることがわかってきます。

       あなたの体内では、絶えず原子は回転し、絶えず活発に活動しています。
       一つの緊密で堅固に見える身体も、実は光速で動き回るそうした粒子から構成されていることがわかります。それらはほとんどが相互に回転し、頻繁にエネルギーを交換しています。そして身体の外側の空間も構成比率は異なるとしても、実は同じ要素で構成されているのです。あなたが身体と呼ぶ構造とその外側の空間との間には、絶え間ない物質的な交換が行なわれています。それは化学的な相互作用であり、あなたが知るどんな生命にも欠くことのできない基本的な交換なのです。

       息を止めていたら身体は死にます。
       呼吸とはまさに交換であり、呼吸はあなたの身体感覚のうちでも、もっとも個人的で不可欠なものを表しています。それは「あなた」であるものから流れて出て、「あなた」でないように見える世界へと手渡される交換なのです。物理的に言うと、あなたの一部である息が絶えずあなたの身体から出ていき、外部の世界と混ざり合っているのです。

       アドレナリンが血中に放出されると、あなたの中に何が起きるかを知っているでしょう。本来アドレナリンはあなたを駆り立てて、活動に備えさせる分泌物です。しかしアドレナリンは、あなたの身体の内部にだけ留まっているわけではありません。その結果、あなたから放出されたアドレナリンは変容し、空気中に投じられて大気に影響を与えるのです。あなたが生み出すどのような感情もホルモンを発し、それらもまた呼吸と同じようにあなたから大気の中へ出ていきます。

       そしてこの時点で、あなたが生み出した化学物質は空中に放たれ、それが大気に影響を与えていることは否めません。嵐や暴風雨などもまた、そうした相互作用によって引き起こされています。繰り返しますが、つまりあなたが自分自身の現実をつくっているのです。天候とはそのわかりやすい一つの例であり、それはあなた方1人1人の反応が集合的にまとまった結果なのです。

       あなた方が肉体を持ってこの世界に存在しているのは、自分というエネルギー体が感情や想念に変換されて、それがすべての経験を引き起こしているのだということを悟り、理解するためなのです。あなた方がそこにいる理由はそれ以外にはありません。あなたがいったんこのことを理解したならば、自分の体験を形づくる自らの観念の性質を調べる必要があります。あなたの観念や信念が、あなたにある方向付けを与え、それが自動的にあなたに感情や感じ方、考え方をさせているのであって、決して逆ではありません。

       自分自身の持つ観念や考え方に気づいてください。
       あなたが「事実だ」として受け入れているどのような考え
    も、他から受け入れた考えも、自分が内に持ち込んだ観念だということを知る必要があります。そして次に、「たとえ私がそれを信じていたとしても、必ずしもそれが事実だとは限らない」、と自分に言ってください。

       私はあなた方が、あらゆる観念や信念は「人間を本質的に制限する」ものであることに気づき、それらの観念や信念のすべてを無視するようになってほしいのです。

       観念や信念の生まれる原因については後に論じますが、まず自分の観念や信念がどういったものであるかを知るように努めてください。経験に制限の覆いをかける「間違った観念」の例をいくつか挙げましょう。それらのどれかに自分が「共感」していることに気づいたら、それがあなたが取り組むべき領域であると認識してください。

    1)  人生は悲哀に満ちている。
    2)  肉体とは低俗なものである。それは魂の乗り物として本来格が劣り、汚れている。

       多くの人々は、肉体は本来邪悪なものであり、肉体が持つ欲望も間違ったものだと考えているかもしれません。キリスト教徒たちは魂が肉体に降下したと考え、体を嘆かわしい惨めなものだと考えています。「降下」とは必然的に、より高いより良い状態から、より低い状態への変化を意味しています。

       東洋の宗教の信者たちもまた肉体を否定しており、そのために肉体を超越した「無」の状態になることが必要と考えています。表現は異なれど、地上の経験はそれだけで好ましくないものと信じているのです。

    3)  状況は自分ではコントロールできないものであり、それに対して私は無力だ。
    4)  自分の性格や個性は幼年期に形成されたものであり、私は自分の過去に左右されている。

    5)  私は今も、過去世の影響下の出来事の成すがままにあって無力だ。
        私は過去世で他の人々に与えた仕打ちのために罰せられるべきだ。あるいは罰しているところだ。自分のカルマのせいで、私は自分の人生の否定的な面を受け入れなければならない。

    6)  人間の本性は基本的に悪いものであり、彼らは私を傷つけるかもしれない。
    7)  私は真理を知っているが、それを知っているものはほかにはいない。あるいは、私の属する宗教団体や組織には真理があるが、他のものにはない。

    8)  年をとるに従い身体は虚弱になり、病気がちになるもので、力を失うものだ。
    9)  私の今ある状態は私の肉体次第だ。肉体が滅びれば、それとともにいる私も死に、意識も消え去る。

       こうした以上のものは、かなり一般的になっている「誤った観念・信念」のリストです。
       では次に、もっと個人的な観念信念の具体例を挙げましょう。あなたもその中のどれか一つを、自分自身に対して抱いているかもしれません。

    one  私は病弱だが、いつもずっとそうでこれからもそうだ。
    two  お金にはどこか間違ったところがある。だから裕福な人は欲が深く、貧しい人よりも霊性が低い。金持ちの方が実際には不幸だし、俗っぽい生き方をしている。

    three  私は創造性に欠けており、想像力がない。
        私は自分の望むことを決してすることができない。
        私はみんなに嫌われている。
        私は太っている。
        私はいつも運が悪く、損をしている。

       こうしたことはすべての人々が抱いている観念です。
       そしてそうした観念を抱いている人は、それなりの経験をすることになります。そのために、相互的にそうした物理的な事実がより一層あなたの観念を裏付けることになります。しかし元はと言えば、あなたの観念がその現実というリアリティを作り出したのです。

       そこで私たちは、あなた方のそのような制限のある観念を打ち砕こうとしているところです。最初にはっきり理解しなければならないことは、誰もあなたに代わってあなたの観念を変えることはできないということ、そしてその観念は外から押し付けられたものではないということです。ですから知識と応用力を使うことで、あなたは自分のためにすべての観念や信念を変えることができるのです。

       あなたの周りを見てください。
       あなたの物理的環境のすべてはあなたの観念が物質化したものなのです。喜びや悲しみの感覚や、健康や病気について、そうしたもののすべてがあなたの観念という意識によって引き起こされるのです。ある状況は避けられず、それがきっと自分を苦しめて不幸にするだろうと思っていればそうなっていくでしょう。そしてその不幸がさらにその状況を強化することになります。

       あなたの内側には、現実や自分自身について持っている考えを変える力があり、自分や他の人々に対して果たす、個人的な経験を創造する能力が本来的に備わっています。自分についての観念に気づくたびに、それを書き留めるようにしてください。そのリストは、後に非常に役に立つものになるでしょう。


          セス・ブック
           book 『個人的現実の本質』 
              ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ記録  ナチュラルスピリット

                                抜粋

       

    私たちは否応なく、この世界へ引き戻されている

     あなた方人間にとっては、自分たちの種が生き延びることがもっとも重大な関心事であったのです。そして自分たちの種、つまり人間の種以外に対しては、それらが自分たちにとって何の役に立つか、あるいは立たないかという観点からしか見ることができなかったのです。

       ゆえに、すべての存在する意識が極めて神聖で尊厳を備えたものであるという真実についても、必要な概念を持ち合わせることができませんでした。あなた方はまさに、その大いなる真実についての理解を失いつつあったのです。

       そして現在の状況においてあなた方は、その結果がどうなろうと構わず、とにかく自分たちの種の存続を最優先するという考え方を推し進めてきた結果、自分たちに都合よく周囲の環境を変えてきたのです。そうした考え方は、本来の存在の核ともいうべき霊的真実を見失う方向へとあなた方を仕向けることになりました。

       現在のあなた方は、物質的現実においてその結果を目(ま)の当たりにしています。今地上に転生して戻って来ている魂たちは、さまざまな理由からそうしたことに直面させられています。そしてかつての時代において、先に述べたような姿勢を取り続けてきたことが原因で、否応なくこの物質的次元を生きることに再び引き寄せられた人もいます。

       そうした人々は過去世において、地球に存在する他の種への何の配慮もすることなく、あなた方の言葉で言うところの「物質的なあり方」を追求した人たちなのです。そして多くの人々が、自らの欲望のゆえに、再びこの世界へ戻ることを余儀なくされたのです。

       種としての人類は、1人1人が人間というものの価値を学ばねばなりません。
       人間は今ようやく、自分たちがどれだけ他の種たちに依存して生きているかを学び始めたところであり、物質的現実と言う全体の枠組みの中で、自分たちが担っている役割にやっと気がつき、理解し始めたところなのです。

       あなた方の抱える戦争の問題は、遅かれ早かれ否応なく、「他人を殺せば、最終的に自分で自分の首を絞めることになる」ということを教えてくれるでしょう。また世界的な人口過剰の問題は、「自分たちの住む環境に愛と思いやりを持たないならば、環境は人類のために協力する価値なしと見なして、人類の存続を支えることを断念する」、ということを教えてくれるでしょう。

       あなた方はこの惑星を破壊したり、動物や鳥、草花や穀物を絶滅させる意図を持っているわけではないでしょう。しかし人類が彼らにとって相応しくない存在であると見なされるならば、彼らのほうが人類を見限ることになるのです。

    輪廻転生

       
    輪廻のサイクルの一つの人生を終えた時点で、すべての人が同じ進化レベルを達成するわけではありません。なかには人間としての体験では、本来得られないような資質を持つに至る人もいます。それは物質的存在としての経験自体が、あらゆる個人に対して独自の影響を及ぼすからです。

       それに物質的存在としての在り方を、自らの進化と表現の媒体として最高に利用できる人もいるのです。そうした人は適応力に長け、物理的な方法や、内なる感覚を忠実に物質化する術(すべ)を心得ています。しかし一方で物理的表現が上手くない人もいますが、しかしその同じ人が、別の現実のリアリティにおいては頭角を現すという場合もあります。

       過去世で極めて密接な関係にあった人と、あなた方は夢見の状態にある時にしばしば意思疎通を取っています。多くの場合、あなた方はそのことを顕在意識においては気づいてはいません。過去世で知っていた人がこの物質的世界へ転生して来るとき、あなた方は無意識においてはそのことに気づいています。あなたが夢見の状態で出会う見知らぬ人は、多くの場合、現在転生している人であることはもちろん、過去性でも同世代として知り合っていた場合があります。

       なかにはただ通り過ぎてゆくだけの関係、つまり接触は起きてもその関係が続かず、すぐに繋がりが切れてしまうような関係もあります。それはたとえ過去世における友人であっても、永続的な絆を持つようになる人もいれば、そうならない場合もあるからです。また過去世において相手に対して、自分の気持ちに曖昧な感情を持ち越してきているために、今回の人生でその相手と結婚には踏み切るのですが、愛情を基とした婚姻関係を選択しない場合もあります。しかしそうした関係にも、愛が芽生えることもあるのです。

       双子というのは、ほとんど例外なく非常に強い永続的な霊的関係を伴って生まれてきます。しかも時にはそうした関係は強力であるだけではなく、強迫観念にも似た性格を持っていることがあります。これは一卵性で瓜二つの双子について言えることです。

       転生する目的も、それぞれの存在によってさまざまです。
       女性として存在することを好む場合や、男性として生きることに強い愛着を持つ場合もあります。魂にとっては女性の体験も男性の体験も、一度は通らなければならない要素であり、進化の過程においては、その他の要素や活動において壮大な選択肢の枠があるのです。

       運命がもともと定まっているなどということはありません。
       目標や状況というものは、すべてが選択によって決まるものだからです。ある一つの問題の解決が、いくつかの転生を経験している間は延期されることもあり、一方で解決することを急ぐあまり、かなり極端で困難な環境を選ぶ場合もあります。

       より穏やかな在り方を好む人は、自分の問題を1回の転生につき1つずつ解決していきます。また休息のための転生を選択することも可能で、そうした転生には極めて高い治療効果が得られます。たとえば今回の転生が、素晴らしく充実して問題の少ない人生であった場合、次の転生は挑戦すべき山のような困難がある人生への準備である場合があります。また困難と悲哀を極めた人生を終了した自己への褒美として、次の転生が休息の人生として選択される場合があります。

       しかし物質的肉体を媒体として人生を徹底して楽しみ、しかもそれに執着しない人格的存在である魂は、物質的次元を見事にやり繰りして乗り切っている人であると言えるでしょう。このように輪廻転生の法則は、それぞれの存在によって自分に合わせて調節ができるのです。


           Seth Speaks
                 『セスは語る』魂が永遠であるということ 
              ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ記録 ナチュラルスピリット

                               抜粋

    魂が肉体に宿る「誕生のとき」

       胎児の肉体を構成する原子には固有の意識があります。
       それはうつろいやすく、気づきを伴った意識であり、原子は物質に依存することなく存在し、自己の能力とその程度に応じて物質という肉体を形作ります。したがって胎児の肉体は独自の意識を有していることになります。それは全体を形成する一部分としての単純な意識であり、それを構成する原子によって成り立っています。

       つまり、こうした胎児の肉体意識は、そこへ輪廻転生して来る人格的存在(魂)が、胎児の中に宿る前から存在しているのです。物質を形作る意識は、胎児だけでなく、岩石や植物、水や空気、そびえ立つ木々のこずえの葉っぱ一枚にさえ、すべてのものに存在しているのです。

       輪廻転生する人格的存在は、自らの好みや願望やその性質に従って、それに伴ういくばくかの保護を携えて新しい胎児の肉体に入ります。そのプロセスには個人差があり、他の転生での体験にも左右されますが、その影響は本人の感情的性質によるものが大きいようです。そうした性質は必ずしも直前の転生のものとは限らず、過去世における経験から来る感情的緊張のようです。

       胎児の体内に入る際に用いられる方法はさまざまです。
       子どもとして誕生する人格的存在と、親になる人格的存在が強い絆で結ばれている場合には、子どものほうが受胎の時点ですぐに胎児の肉体に入る場合もあります。しかしこうした場合でさえも、その意識のほとんどの部分は、未だ「中間生」(霊界)の次元に留まっています。しかしやがて、中間生に合わせた意識を保つことが難しくなってきます。

       中間生(霊界)からの人格的存在が、受胎と同時に胎児に宿る場合というのは、まず例外なく、その親と子どものあいだに過去世からの繋がりがあるか、あるいは胎児の人格的存在に非常に強い執念にも似た地上の生活への願望がある場合のいずれかです。つまり後者の場合には、その人格的存在に特定の目的がある場合と、未だに地上での生に対する執着が強い場合があるのです。

       これは必ずしも有害というわけではありません。
       その願望の強さのゆえに、その人格的存在の意識は地球世界を志向しているということと、そのゆえに物質的体験に十分専念できるはずであり、また地球における環境が自分の能力を発達させるために、充分豊かな次元であるということを実感できるからです。

       受胎の時点で胎児の肉体の中に入る人格的存在のなかには、動機にかなりその価値を認めにくい場合があります。たとえばその動機が欲望であったり、生前に解決できなかった問題に関する執着からくる願望などが挙げられます。またかつて地上世界に存在しながら、集中して一意専心して生きなかった人の場合、胎児の体内に完全に入りきる時期を遅らせたり、胎児の肉体から常に距離を置いて存在していることもあります。

       それはあなた方の、人生のもう一つの先端である「死」を迎える時においても同じことが言えます。つまり物質的な生命に向けられていた意識の焦点を外してしまった結果、肉体の意識だけを置き去りにして逝(ゆ)く人もいれば、最後の瞬間まで肉体に留まる人もいます。誕生後の幼児期の初期においては、人格存在の意識の焦点は常に肉体に固定されているわけではありません。

       いずれの場合においても、決定は前もって下されています。
       つまり転生する人格的存在には、自分が「待っている受胎」がいつ起きるかがわかっています。瞬時にその胎児の肉体に入るかどうかは別にしても、人格的存在(魂)には受胎の瞬間や受胎が起きるある場所の肉体に、否応なく引き寄せられていきます。そして人格的存在である魂は、受胎するよりもかなり前から、将来自分の親になる人々の環境に、引き寄せられるように時おり訪れる場合があります。

       こうした見地から見た場合、未来からの幽霊のようであっても、あなた方の家に彼らが出現する時には、過去からの幽霊と同じくそれはリアルな存在なのです。

       胎児の肉体は、何かによって満たされるのを待っている空虚な抜け殻などではありません。特に受胎して後は、新たにやって来た人格の魂がそこを出たり入ったりしながら、辺りを浮遊し、出入りはますます頻繁になります。誕生の衝撃は本人にいくつかの影響をもたらし、物質界へと一気に押し出すことになります。誕生以前の状況はかなり一定していますが、誕生に際し、そのすべてが突然終わりを告げ、胎児の肉体意識が新たな刺激的状況を迎えます。

       誕生以前の胎児の肉体意識と母体との間には、生物的テレパシーによる深遠な一体性があり、胎児はそれによって豊かに育まれ支えられています。生きた細胞の間の意思伝達は、あなた方が想像する以上にはるかに奥深いものです。胎児の肉体意識「だけ」を考慮に入れた場合、誕生前の母体との一体性はほぼ完璧と言えます。

       新しい意識として胎児の肉体に入った人格存在は、安定性を得るまでしばらくの時間を要します。たとえば幼い子どもが眠っている時、魂はいとも簡単に、しかも頻繁に肉体から出ていきます。なかには肉体との一体化が、他者と比べて完璧に行なえる人がいます。それが物質的現実に対する集中度のことで、そうした期間が1週間という場合もあれば30年という場合もあります。意識の集中度は、最高の時期を過ぎると次第に弱まっていき、自覚がないまま意識の別のレベルへの移行が始まります。

       人格存在と肉体との結びつきは、少しずつ強靭さを増していきます。
       なかにはある独自の理由から、あまり見た目が好くないと言えるような肉体を選ぶ場合もあります。その魂はそうしたことから、自分の肉体によく馴染むことはないかもしれませんが、それもまた自分が選択した目的を肉体はきちんと果たしているのです。しかし肉体とそれをまとう魂との間には、常に距離感がつきまとうことでしょう。

       すでに述べましたが、受胎の時点で肉体に入る人というのは、ほとんどの場合、物質的存在になることを強く望んでいます。ですからそうした人は他の人よりも発育がよく、個性も極めて早いうちからはっきりと現われます。そして新しい肉体をよく把握し、早期にその性質を形作ってしまうのです。彼らは物の掌握にも積極的で、肉体内にしっかり留まり、最期においても瞬時に逝ける事故死や、眠ったままの逝去、あるいは病死にしても、一瞬のうちに去る形を選ぶようです。一般的に彼らは物質(もの)の扱いに長(た)けているのです。

       そうした人々は感情的でもあります。
       彼らが自らの問題に取り組むやり方は直接的であり、時に性急であり、理解しやすいものです。彼らは地上でもたらされる素材を利用して、自らの考えを上手く物質的な事柄へと変換させていきます。彼らは考案者であり、ものを創りだす人であり、それを望む形に変えていくことに従事しています。

       そして一方で、「原則として」、誕生の瞬間まで胎児の肉体に入らない人の場合は、前者の特殊なケースから見た場合、物質という物の扱いにそれほど長(た)けているわけではありません。もしも次のような表現を用いることが許されるならば、そうした人は平凡、あるいは標準的であると言えるでしょう。

       さて、自ら選択した新しい肉体との在り方であるにもかかわらず、その在り方を出来る限り長く拒否し続ける人もいます。そうであっても誕生の瞬間にはある程度その場に居なければならないわけですが、誕生の瞬間であっても新生児との完全な一体化を免れることも可能なのです。そうした人は、なかばしぶしぶ新しい形態に入ったわけなので、またそこから出て周囲に浮かんでいたりします。

       そういう態度には多くの理由が考えられます。
       人格存在たちの中には、肉体に閉じ込められるよりは中間生にあるあり方の方を特に好んでいたり、物質的肉体を通して理論的問題を解決する必要を感じていなかったりします。また物質的肉体というものが、思っていたよりも必要に応えてくれないことや、別の他の現実的存在の在り方の方が、効率的に進化できるということに気づいてしまう場合もあります。

       自分の性質が原因でありながら、自分と物質的肉体存在との間に一定の距離を起きたがる人もいます。そうした人は、やたらに象徴的なことに関心があったり、地上の生活を極めて経験主義的なものだけと見なし、その結果、地上での生活をいわば偏見に近い考え方とともに取り組むことになります。彼らは物を扱うことにはそれほど興味がなく、むしろ観念や思想が物質を通してどのように現われるかに関心があるのです。一般的にそうした人は、常に哲学や思想という、実体のないものにより精通していきます。

       いく分同じような資質を持っている詩人や芸術家の人々は、この物質的地上に生きる存在として、その物質的価値を彼らよりはより深く理解しています。

       このように自らの肉体に対する態度や感じ方は、それぞれであることがわかります。ゆえに転生における身体的特徴もさまざまな選択肢があり、全体的自己における総合的な好みの特性があります。たくさんの輪廻転生を通して生きてきたさまざまな人生にも、それぞれの特色があるのです。

       人格的存在である魂が、どのように物質的肉体を去るかを論じることなく、誕生に際し、いつそこに入るかを論じることはできません。なぜならこうしたすべてのことは、その人格の持つ特質や物質的現実に対する態度と大きく関わっているからです。

       未来の転生についての決断は、中間生(霊界)においてだけでなく、すでにいずれかの転生における夢見の状況においても行なわれている可能性があります。ですからたとえばあなたにしても、次回の転生における自分の状況をすでに決定している可能性があるのです。そして次回のあなたの両親になるはずの人は、今のあなたから見ればまだほんの子どもであるかもしれず、あるいは今の時間的概念からすれば、まだ生まれてきていないかもしれません。しかしそれでも、そうした取り決めをすることはできるのです。


            Seth Speaks 
    魂が永遠であるということ
          book 
    『セスは語る』 
                ジェーン・ロバーツ著ロバート・F・バッツ記録  ナチュラルスピリット

                               抜粋
       

    「マスターになる」とは、自分自身のマスターになること

       人が苦悩のさ中にある時しばしば、「天からの助けや慰め」というようなものが訪れることがあります。しかしそれが与えられるのを待ち望むようになると、それが与えられず何も起こらないと、人はそこから先へ進めなくなってしまいます。

       自分自身に助けや慰めをもたらすのは、自分自身でなければなりません。
       マスターとは、「自分にできるだけのことをして、この怖れと不安に対処しよう」と言う人のことです。そこから逃げ出さずに怖れとともに留まり、それを感じ取ろうとすると、怖れが兄弟姉妹のようになります。自分の怖れていた感覚のあらゆる側面が姿を現し、その正体を教えてくれます。

       他人や何かに助けや慰めを求めて逃げ出してしまうと、自分が怖れていたものについて学ぶことはできず、怖れや不安の感情に翻弄されるだけです。しかし勇気を持ってしっかりとそこに留まることを選ぶと、ワクワクした気分になってきます。自分が自分自身のマスターになるのだと決心すると、ワクワクした気分が訪れるのです。このワクワクした気分は、自分の存在の奥深くにある「無限の広がり」の部分から生まれて、力を与えてくれます。

       マスターになるとは、自分自身のマスターになることなのです。
       人は人生の悩みや苦境を乗り越えるために、自分が本来持っている内なるすべての力を呼び起こす権利を持っています。しかしながら、この「内なる力」は、自分自身が呼び出さない限り発動することはありません。エゴは意思を持っており、このエゴの意思の力を使ってあなたが呼び出すとその「力」が出て来ます。

       たとえ今の人生がどのような状況にあろうとも、どんな苦しみの中にあろうとも、誰でも心の安らぎを得る権利があります。その権利を主張してください。あなたの存在の主人になるのは、あなたなのか、それとも怖れなのか、どちらが自分という存在のマスターになるのか、それを決めるのは自分なのです。

       あなたの人生に起きるすべての出来事は、明確な深い意味と目的を持っています。
       自分の怖れと不安を「身体の指」の部分と見なして自分から離して考え、その意味を知るために「身体全体」の力を呼び起こしてください。自分の怖れと不安の意味を、「他人に聞く」といういつもの習慣に陥らないようにしてください。なぜなら他人はあなたではなく、あなたの代わりにその真の意味を知ることはできないからです。

       あなた自身が自分のマスターでなければなりません。
       自分自身のマスターになるのだという決心をしたとたんに、人生が全く違った意味を持つようになります。そうするとどんな困難も受け入れられるようになり、どんな逆境もそれを和らげる天の恵みとともに現われてきます。自分がすること、経験することのすべてが、自分自身に対する理解を深めるプロセスの一つなのです。あなた方の人生の課題とは、自分自身を理解するということなのです。

       「内なる自己」は、自分が必要としていることを明確に知っています。
       ただしそれは、常に人を幸せにすることではなく、その人の内なる自己の進化を推し進めることだということです。貧困と困窮の中においてこそ、魂の成長を成し遂げやすい人もいるのです。そういう人は、苦境においてこそ自分を変革することができますが、快適な生活のなかでは何もしないでしょう。

       自分が抱えている問題を理解して、それを自分の魂の成長のために使ってください。富を手に入れたいのなら、掴む努力をしてください。しかしあなたの「内なる自己」が、あなたは貧困の中にあるほうがよく学ぶと思うなら、再び貧しくなるでしょう。このようにあなたの成長に必要なものが、常にあなたの目の前に現れます。

       あなた方の誰もが、過去世において何度も豊かな繁栄の人生を経験したことがあります。この二極性の世界では、その両方を経験する必要があるからです。それが貧困と富、病気と健康、そして殺すことと殺されることの両方なのです。私たちはあらゆる可能性を経験することで偏りをなくし、全体となるのです。

       貧しさそのものには何も問題はありません。
       ただ、貧しさを怖れと感じることが問題なのです。あなたがこの世界に来ているのは、自分の怖れが何であるかを知るためなので、もし貧困があなたに怖れをもたらすならば、それは気づきを得るために素晴らしいチャンスです。そして自分のその怖れを見る必要がなくなったとき、何も努力しなくても、富や豊かさを経験するでしょう。

       しかしほとんどの人にとって、富はいいものでありません。
       なぜなら地球世界の生活において、お金や物質主義は克服するのが非常に難しい障壁であるからです。お金をたくさん持っていると、いろいろなことをしたり、欲しいものをたくさん手に入れたりすることができ、人生がうまくいっているような錯覚に陥るために、実際には自分が惨めであることに直面することから逃げることができるからです。貧困に対する怖れを、深い魂の部分において学び、そのことについての学びの修行を終了するならば、何もしなくても繁栄がもたらされます。

    Q、 健康に意識を集中することで、病気に対する怖れを克服できないでしょうか?

       
    「私は健康を信じる」と言って、健康に意識を集中するふりをすることはできますが、自分がなぜ病気を怖れるのかという、根本原因を見つけない限り病気しか目に入りません。病気であることは、貧しいことと同様にそれほど悪いことではありません。それはどちらも「自己の内面が現実化して現われる状態」なので、それ自体がそれほど悪いことではないのです。

       人は、病気であることも健康であることも、富むことも貧しいことも、殺すことも殺されることも、すべての状態を順番に経験しなければならないのです。富や健康を創りだすために努力したいならそれもいいでしょう。一生懸命やれば、それも可能でしょう。しかし自分の「内なる自己」が、なぜ病気を創りだしたのかということも理解しなければなりません。それはその人の中に深く根ざした怖れがあるからであり、それを見ることで手放す必要があるからなのです。

       その怖れを手放すと、もうそれについての学びは完全に完了したことになります。
       そこで次の人生では、健康になる努力をする必要もなく健康になります。怖れを手放すと、人生の一瞬一瞬に現われてくることが何であれ、対処することができるようになります。あなたの人生で起きていることは、今あなたが学ぶ必要があることなのです。すべての人が同時に病気になる必要はなく、同時に同じことを学ぶ必要はありません。ですから人と比較することにまったく意味はありません。

       あなた方はすでに多くの訓練の学びを終わっていますが、残りのレッスンは、その根本原因が取り除かれるまでは完了しません。病気そのものにではなく、病気に対する自分の「怖れ」に焦点を合わせることが健康への鍵なのです。


         book 『バーソロミュー』 メアリーマーガレット・ムーア著  ナチュラルスピリット

                                抜粋

       

    隠されたすべてのものは、白日の下にさらされる

       1つの嘘を100万回繰り返し続ければ、いつかは真実という事実になるかといえばそんなことはない。捏造に捏造を重ねて塗り固めていけば、やがてそれが真実の姿を持つようになるかといえば、残念ながらそんなことはあり得ない。嘘は何処まで行っても嘘であり、捏造は捏造であり続ける。水と油は決して同化しないのだ。

       それは闇を繰り返し深めていけば光に変わるかというのと同じであり、闇はさらに深まるばかりである。銅像や石碑をいかにたくさん世界中に造ったところで、嘘や捏造が銅像や石碑の硬さに比例して、確固とした事実に変容するかといえば、残念ながらそうはならない。

       嘘や捏造だけでなく、すべてのことはそれが作り出した結果を伴って戻ってくる。
       原因は結果を伴って、必ず生まれたところに戻る。自らが発した言葉の一つさえもが、それが生み出した結果を伴って出て来たところへ戻る。これが宇宙の法則である。人を侮ってはならない。愚かであった人もやがては進化の道を上り詰めるだろう。人がいつまでも愚かなままで留まると思うのは何も知らない者である。

       人間が本来の神の賢さと智慧を取り戻し始めたとき、地球上にその姿をさらす銅像や石碑が語り始めるものは何だろう。そうしたモニュメントに意味があるとすれば、従軍慰安婦像や南京大虐殺とされる石碑こそが、捏造と嘘の確たる証拠としていつまでも残るのだ。それが嘘や捏造から作り出されたものであることを、そうしたモニュメントが明らかにし、すべての人に語って聞かせるのだ。なぜなら嘘と捏造は独自の振動を持つがゆえに、誰も見間違えることはないからだ。

       いつまでも人を欺き続けることができると思わないほうがよい。
       
       
       人が本来の持てるサイキックに目覚め始めたとき、嘘や捏造は存在することができない。嘘や捏造とは、未だ物事を見抜く「目」を持たない人にだけ、ひと時の力を振るうことができるに過ぎない。そしてやがて、すべての人間は本来の神の眼差し(まなざし)を取り戻し、すべての人が真実の真相を知るのだ。

       隠されたものはすべてが白日の下にさらされ、あらゆる偽造と捏造が明らかになる。今や人はありのままを見通す「千里眼」を備え、もはや誰も隠す手立てを持たない。そうした時代がすぐそこまで来ている。

                                                 zeranium



       
       

       

    「南京大虐殺」捏造の真相  ②

       現在の中国の、いわゆる支那の歴史において、王朝が変わるたびに、何度も繰り返し大虐殺が行なわれていたという歴史があるが、それは南京市も例外ではなかった。ここで取りあげるのは昭和12年(1937年)に日本軍が起こしたというデマについてである。一言で言うと、これは日本が侵略戦争をしたという当時の中国の、国民党と共産党のプロパガンダ(宣伝・煽動)である。

       これが問題となったのは、戦後25年以上も経過した1970年以降であり、特に1980年に入ってからであった。当時は国際社会においても、「大虐殺」があったという認識はまったくなかったのである。しかしその頃から、「大虐殺があった」と言い始めた外国人記者や大学教授たちはすべて、国民党政府やその宣伝部の顧問や協力者であったことが今では判明している。また「大虐殺」の証拠写真とされるものは出所不明のものがほとんどであり、合成写真あるいは修正されたもので証拠写真とは言い難いものばかりである。

       この「南京大虐殺」が初めて取り上げられたのは、1946年から2年6ヶ月間にかけて行なわれた「東京裁判」においてであった。それはアメリカが日本における空襲において、また原爆投下という大殺戮によって、一般市民の大虐殺を行なった自らの残虐さを、相殺するために必要とした捏造が最初である。

       東京大空襲―1944年3月
       広島、長崎原爆投下―1944年8月

       そのために東京裁判とニュルンベルグ裁判は並行して行なわれ、一方がナチスのホロコーストを裁くのに合わせて、連合国側はティンバリーやフィッチが蒋介石から買収されて捏造した「南京大虐殺」というデマゴグに飛びついた。

       その後、中国共産党はこれを自らのプロパガンダとして、日本の中国侵略のシンボルとして用いてきた。それは一般市民の中国共産党に対する不満を外へ向ける手段として、また日本からODA援助などを引き出すための外交カードとして、この捏造「南京大虐殺」を利用してきた。

       東京裁判における「南京大虐殺」は、原文では「Nanking rape」、あるいは「Nanking atrocities」となっている。そうであれば本来、「南京暴行事件」などと訳されるべきものであり、「大虐殺」という訳は誤訳と言わねばならない。この「虐殺」という言葉が使われるきっかけを作ったのは、東京裁判から23年も後になってからで、本多勝一という男が広めたものである。

       東京裁判で取り上げられた後は、「南京大虐殺」はデマと言うことで、以来23年に渡り問題にされることはなかったが、その後、朝日新聞が連載した本多勝一の「中国の旅」で取り上げられて登場することになった。昭和57年に教科書誤報事件があったが、その頃から歴史問題が外交問題化した。

       また、カンボジアでポル・ポト派によるキリングフィールド事件があったが、この大虐殺を北京政府が背後で指導していたことが明らかになり世界中に知れ渡ると、中国共産党は突如として日本軍の南京大虐殺説を持ち出してきて、南京に「南京大虐殺記念館」を開設したのである。

       この虚構の南京大虐殺に関して外国の新聞記事や書物などがあるが、それらのすべては中国国民党のプロパガンダであることが最近わかっている。当時、南京にあった国際委員会から日本大使館へ向けた抗議文書をまとめたものがあったが、そのほとんどが目撃者不明の伝聞であった。便衣兵の処刑については合法的なものであると書かれている。

       当時、反日運動を煽動していたアメリカの新聞は「大虐殺」と書いているが、そのアメリカ人記者は南京におらず、南京に残った外国人から聞いた話を載せたものであった。しかし日本の従軍記者やカメラマンの誰1人、そうした状況を目撃したものはいなかった。

       アメリカ人記者に情報を与えていた外国人というのは、南京大学教授で宣教師のマイナー・ベイツであり、彼は中華民国政府の顧問を勤めていた。ベイツは「WHAT WAR MEANS (戦争とは何か)」という本を匿名で書いており、その中で日本軍が4万人を虐殺したと書いたことで中華民国政府から2回勲章をもらっている。

       南京陥落から半年後に出版された彼の本は、日本軍の暴行を最初に告発したものである。この本の編集者であるティンバーリというオーストラリア人は、当時マンチェスター・ガーディアンの特派員として、蒋介石率いる政府の情報活動に協力し報償金を受け取っている。またティンバーリに資料を提供したと思われる南京の金陵大学教授であったスマイスも、政府から金銭を受け取る関係であったことが明らかになっている。

       この書の執筆者は実はベイツだけではなく、フィッチの妻も執筆に関わっており彼女は蒋介石の妻とも親友であった。つまり要するに「戦争とは何か」という本は、中国国民党のプロパガンダ本であったのだ。

       中国共産党は現在も、この「南京大虐殺」なるもので30万人が殺されたとしているが、日本軍が南京を攻略した当時、南京市の人口は20万人であった。そして残されている記録によれば、攻略直前から直後にかけても人口は変わってはいない。この一件を見るだけでも「大虐殺」などはなかったことは明らかであるが、にもかかわらず中国共産党は頑なに30万人が殺されたと言い続けているのだ。

       そして、あの悪名高い「東京裁判」においてすら、マイナー・ベイツの書いた「戦争とは何か」という本には信憑(しんびょう)性がないとして、証拠としては提出されなかったのである。東京裁判において、目撃証言の裏づけがあるかどうかを問われたのはマギー牧師(聖公会)だけであった。彼は目撃したと言っていたが、彼の当時の日記では目撃していなかったことが明らかになった。

       マギー牧師は南京における赤十字の総責任者であり、南京市街を誰よりも自由に動くことのできたアメリカ人だった。彼はエール大学出身者である。東京裁判においてマギー牧師は、大虐殺のうわさを延々と口述したが、それに対しアメリカ人の弁護人が、「ところであなた自身の目で見た虐殺は何人ですか?」と聞くと、彼は「1人です」と答えた。どういう状況かと問われ、「歩哨が止まれと言ったのに止まらなかった青年が、追いかけられて撃たれた」と答えた。これは戦場では当然のことであり、ニューヨークでは現在でもそうである。

    デマであるその他の証拠

       ・ 中国大陸で残虐行為が行なわれたのであれば、当地には赤十字があったことから日本政府に抗議が殺到したはずであるが、そうした事実はまったく存在しない。

       ・ 当時、日本に対して「大虐殺」なるものに関する批判はどこの国からもない。

       ・ 南京攻略後、蒋介石は漢口(ハンカオ)に移動しているが、その間に約200回の会談を外国人記者たちと行なっているが、1度も「虐殺」に言及したことはない。

       ・ 何十万人も殺すのは無差別に行なえることではなく、それを実行するためには統制の取れた状態であることが必要である。当時の司令官であった松井石根陸軍大将は、敵味方なく将兵の慰霊に熱心であった人で、虐殺行為を命じるような人ではない。

       ・ 当時の中華民国の公式文書には、南京で大虐殺があったことなど書かれてはいない。また国際連盟理事会の決議文書にも、「大虐殺」はまったく出て来ない。

       ・ 証拠写真とされているものが数多くあるが、ほとんどが匿名で提出されたものであり、信憑性のあるものは1つもない。

       ・ 中国共産党の教科書にも何十年にわたり、「南京大虐殺」なるものは載せられてはいなかった。しかし鄧小平が中国共産党の最高実力者になって以後、「南京大虐殺」が突然出てくるようになった。

       
    南京占領時の最高司令官であった松井石根陸軍大将は、日本軍が南京に入城するに際して次のように言っている。

       「これからは敵の首都に入るのである。
       世界中が注目しているのだから、後ろ指を差されるようなことはしてはならない」

       また国民党軍に向かっては、「南京防衛の見込みはないのだから、降参してオープン・シティにせよ」と勧告している。

       しかし国民党軍はそれを拒否し、蒋介石も司令官の唐生智(とうせいち)も軍を置き去りにして逃亡してしまったので、南京の防衛軍は大混乱に陥った。南京城の東側には中山陵という高台があったが、松井大将は中山陵へ大砲を上げることを禁止した。そこから砲撃すれば有利であったが、中山陵には孫文の記念碑があったために松井大将はそれをしなかった。松井大将は東京裁判の法廷で、「”南京大虐殺”なるもののことは戦後のアメリカ軍の放送で初めて知った」、と述べている。

       現在では、東中野教授や北村稔教授らの綿密な研究により、虐殺などなかったことが証明されており、それまでの「大虐殺」の唯一の証拠写真とされていたものも、すべてが出所不明の捏造であることが判明している。

       教科書誤報事件では、鈴木善行内閣時に官房長官をしていた宮沢喜一氏は、中国と韓国からの教科書に対する内政干渉に対し、「政府の責任において教科書の記述を是正する」と延べ、歴史教科書の最終決定権を中国と韓国に預けてしまった。その結果、「近隣諸国条項」が制定されると、ほとんどの教科書に「南京大虐殺」が載せられるようになり、なかには中国共産党の主張する「30万人の大虐殺」を載せる教科書会社も現われた。

       「大虐殺」と言われたにもかかわらず、これがもとで戦後に戦犯として処刑された人はわずか5人だった。うち3名はマスコミの、戦意を高揚させるために書かれた記事による不運な犠牲者だった。また「南京大虐殺」のシンボルとされてしまった向井・野田の両少尉は、「東京日日新聞」(現・毎日新聞)の「百人斬り」の記事を根拠として処刑された。

       なぜ中国共産党は、事実ではない「南京大虐殺」を捏造したのだろうか?
       それは愛国運動へのテコとして民力を結集させるのが目的であった。本来、中国における「大虐殺」は有史以来からある年中行事のようなものであり、戦争が起こるたびに西安大虐殺、洛陽大虐殺、開封、揚州・・・と虐殺が繰り返されてきたという歴史がある。「大虐殺」は中国伝統文化として常識になっていたので、日本軍の非道ぶりを宣伝するためにはそれ以上の説得力のあるものがなかったのである。

       日本軍による「南京大虐殺」などなかったのであるが、日本政府や官僚、政治家たちがなぜか明確な態度を取ることができず、反論もしなかったために、それが既成事実であるかのようにこの噂は世界に広まり、事実の検証を避けてきた日本人は未だに信じている者が少なくない。そうした無知な教師が、それを子どもたちに教え続けていることも大きな原因になっている。

       東京裁判で、突然「南京大虐殺」が飛び出したとき、一時かなりの日本人がそれを信じてしまったことがあったが、その大きな原因は「大本営発表」であった。ミッドウェー海戦までの「大本営発表」はかなり正確であったが、しかし日本軍はそれ以降、自らの不利な状況や痛手を隠して国民には知らせず、敵の損害ばかりを誇大に伝えるばかりで、日本国民は騙され続けた結果、戦後はその反動で、「南京大虐殺」も政府が隠していたもので、事実だったのではないかと国民は思うようになったのだ。

       また戦後の米国占領軍による「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」などの、旧日本軍の行動を貶めるために洗脳操作が行なわれたことも大きな原因であった。それに「公職追放令」でGHQが、それまでの公職にいた右派の人間を全て追放した結果、そのポストには左派などの共産主義者などで占められるようになり、アカデミズムやマスコミなどを牛耳る彼らによってデマは一層広められていった。

       日本に対する批判は、必ず反日のマスコミが取り上げるために、嘘を話し始める人間が現われ始めた。曽根一夫という男は、「自分は南京で市民を虐殺した」という内容の「私記南京虐殺」(彩流社)という本を書いたが、彼は南京戦に参加したことすらなかったことがわかっている。また毎日放送(TBS系)は三谷翔という男を登場させ、「昭和12年当時、海軍志願兵として揚子江に待機する駆逐艦の上で任務についている時、双眼鏡で虐殺を目撃した」と証言させたが、彼も日本軍の南京入城の頃は、まだ軍人になっていなかった事実も明らかになっている。

       昭和19年の南京陥落から70年が経っているにもかかわらず、アメリカやカナダでは10本もの「南京大虐殺」の映画が製作され始めた。そのために中国共産党から推定300億円もの資金が制作費としてアメリカ、カナダのプロダクションに流れたと言われている。金さえもらえればどんな映画でも作るというのが実情のようである。また南京では、「虐殺記念館」というプロパガンダの施設が数十億円を費やして大拡張されている。中国の反日宣伝のシンボルとして、「南京大虐殺」以外に「三光作戦」、「万人抗」がある。

                                sun

          
    以上の文章は、いわゆる「南京大虐殺」の詳細』より引用・抜粋させていただいたものです。http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/yougo/nankin_daigyakusatsu_shosai.htm 
                                                                                                           zeranium
                                                                          

         
       その後、アクセス不能になっています。
       

       

       

       

       
       

    「南京大虐殺」捏造の真相  ①

       1937年12月、日本軍は支那事変を終結させるために、南京へ侵攻した。
       そして12月13日にそこを占領した。いわゆる「南京大虐殺」とは、その占領から約6週間の間に、数十万人単位の人間、つまり捕虜や市民が日本軍によって南京で虐殺されたとする説である。それについて中国共産党が公式に述べてきたものでは、その数は30万人とされている。中国にある南京大虐殺記念館の外壁には、大きな文字で「3000,000」の数字が犠牲者数として掲げられており、中国の子どもたちは毎年、反日感情を植え付けるためにそこへ行かされている。

       この「南京大虐殺」は日本でも戦後、共産党員や共産主義シンパなどを中心に広められ、多くの人々を巻き込み、そうした人々によって教科書にまで載せられ、我々日本人の「自虐史観」の元となり、その根底に置かれてきた。しかし今日では、このような
    30万人もの大虐殺や日本軍による大規模な虐殺など、たとえ小規模の虐殺さえも実際にはなかったことが、多くの証拠によって明らかになっている。

       日本兵たちによるある程度の犯罪はあったとしても、それはどこの国の軍隊にもあるレベルのものであり、むしろ南京での日本軍の活動は非常に人道的なものであった。南京戦の最中、南京市内にいた民間人は全て市内に設けられた「安全区」に逃れており、日本軍はそこを攻撃することはなかった。日本軍による南京占領が間近に迫ると、中国兵の多くは軍服を脱ぎ捨て、中国人市民を殺して服を奪い、民間人に成りすまして南京の安全区に逃げ込んだ。

       
    安全区に逃げ込んだ中国兵の中には、武器を隠し持ちながら市街戦のために準備する者や、また安全区内で強姦や略奪、殺人などを行ない、それを日本兵の仕業に見せかけたり、被害者を脅迫して「日本兵のしわざ」と言わせる反日工作をする者たちもいた。

       日本軍は彼らを見つけ出すと、彼らのうちの特に反抗的な不法戦闘員を処刑した。国際法では、こうした不法戦闘員は「捕虜」としての扱いを受けることができず、処刑されても致し方ないと考えられていた。こうした不法戦闘員の処刑が、誤って「捕虜の虐殺」と伝えられた面もある。しかし一方で日本軍は、市民や捕虜に対し、多くの人道的活動を行なっている。その結果日本軍占領下では、飢えのために死ぬ南京市民は1人もいなかった。そうした日本軍の活動に感謝して、後の汪兆銘の親日政府軍に入った中国人捕虜たちも多くいた。

       南京において非道行為を行なってきたのは、むしろ中国兵たちであった。
       軍服を脱ぎ捨てて民間人の中に紛れ込んだ中国兵たちが、多くの民間人を殺した。そうした状況を、当時のアメリカ副領事であったエスビー氏や多くの人たちが目撃している。虐殺を行なったのは日本軍ではなく、中国兵だったのである。

    南京に戻ってきた住民たち

       
    南京市の人口は、日本軍による南京への攻撃開始前では約20万人であった。
       そもそも20万人しかいないところで、どうして30万人を殺せるのだろうか? しかも日本軍の南京占領後、南京市民の多くは平和が回復した南京に戻って来て、1ヵ月後には人口が25万人に増えたのである。もし「虐殺」があったのなら人々が戻って来たりするのだろうか。

       日本軍の南京への攻撃開始の1週間前の、1937年11月18日に、警察庁長官の王固磐は「ここ南京には今なお20万人が住んでいる」と発表している。その後、日本軍は12月13日に南京を占領した。その5日後の12月18日には、南京国際委員会(南京住民が安全区を管轄する委員会)が、南京市民の人口を「20万人」と発表している。また12月21日には、南京外国人会が「南京の市民が20万人」と言及し、さらに南京陥落から1ヶ月後の1月14日には、国際委員会が「南京の人口が25万人に増えた」と公表している。

       住民が戻って来た。
       渡部昇一氏によると、南京陥落から1ヶ月後に、日本軍が「約25万人」の住民に食糧を配ったとの記録も残っている。また占領後、日本軍は、民間人に紛れ込んだ中国兵と本当の民間人を区別するために1人1人と面接を行ない、民間人と認められた人々には「良民証」を発行している。それは1937年12月から1938年1月にかけて行なわれた。60歳以上の高齢者と10歳以下の子どもを除いて「良民証」が発行され、その発行数は16万人に達した。

       南京国際委員会のメンバーとして南京にいたルイス・スマイス教授は、南京の日本大使館の外交官補・福田篤泰氏に宛てた手紙の中で、「この数から推測できることは南京の人口は25万~27万人だろう」と書いている。このように南京占領後、南京の人口は増えていたのだ。

    南京入城の際、新聞記者たちも同行した

       
    南京が日本軍によって陥落した時、日本軍兵士たちとともに多くの新聞記者やカメラマンが南京市内へ入った。その総勢は100人以上であり、それは日本人記者たちだけではなく、ロイターやAPなどの欧米の記者たちもいた。しかしその中の誰1人として「30万人の大虐殺」を報じてはいない。米国のパラマウントニュースも、南京占領の記録映画を作っているが、その中には「30万人の大虐殺」などのニュースはない。

       また当時、中国で「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」というイギリス系の英字新聞が発行されていたが、たとえば1937年12月24日(南京陥落の11日後)の紙面を見ると、日本軍が南京市民に食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、写真入りで報道されている。これはどう見ても、大虐殺があったという都市の光景ではない。

       それは実際に南京でどのようなことがあったか、日本の新聞を閲覧してみてもよくわかる。そこには日本兵が武器も携帯せずに南京市民から買い物をする姿や、南京市民と歓談する光景、また日の丸の腕章をつけて微笑む南京市民たちの姿などが、写真入りで解説されている。平和回復を知って南京に戻って来る住民、中国の負傷兵の手当てをする日本の衛生兵たち、そのほか多くの写真が記事とともに掲載されている。

       それは平和が戻り、再び以前の生活を取り戻し始めた南京市民と日本兵たちの心の交流の姿である。当時、報道は「検閲」の下に置かれていたとはいえ、これらの様子は到底「大虐殺」があったという都市の光景ではない。

    蒋介石は一度も「南京大虐殺」について言及してはいない

       
    中国国民党の総統・蒋介石は、もともと南京にいた人であったが、彼は日本軍が攻めて来たことを知ると、南京の防衛は部下に任せてさっさと南京を出て行ってしまった。そしてその後の終戦に至るまで、蒋介石は中国人向けに何百回ものラジオ演説を行なっている。しかし彼はその中でただの1度も、「南京で大虐殺があった」等について言及してはいない。もし仮に大虐殺があったのならこれは非常に不自然なことであり、蒋介石の認識の中にも、「南京大虐殺」はなかったのである。

    日本人によって殺された民間人はわずかだった

       
    日本軍の司令官・松井石根(まついいわね)大将は、南京攻略を前に、「決して民間人を殺してはならない」と全軍に厳しく命じていた。そして南京攻略戦の最中に、南京にとどまった市民たちは皆、南京城壁内に特別に設けられた「安全区」の中に避難していた。それは南京にいた外国人たちもみなそうであった。日本軍はその「安全区」の中に中国兵が入り込んでいることを知っていたが、安全区を攻撃することはなかった。

       たまに流れ弾に当って数人が死傷することはあったが、そうした事故を除けば、安全区にいる限り住民はみな無事であった。そして実際に南京占領後に、安全区のリーダーを務めていたドイツ人・ジョン・ラーベ氏は、「日本軍が安全区を攻撃しなかったことに深く感謝する」との感謝状を松井大将に手渡している。

       また攻略戦終了後、日本軍の監督と指揮の下で、「紅卍会」という南京の中国人団体が、死んだ中国兵の埋葬作業を行なった。その際、彼らは埋葬した人々のリストを残しているが、その中に女性や子どもの遺体はほとんど含まれていなかった。これは民間人の犠牲者がほとんどいなかったことを示している。

       また南京攻略前から、南京に住む欧米人らは安全区の秩序と安全のために、「南京国際委員会」というものをつくっていた。彼らは日本軍による南京占領後に南京で起きた犯罪事件をまとめ、被害届として日本軍に提出した。それは強姦、略奪、殺人等を記録したもので、日本軍による取締りを求めるものだった。それらの425件のすべてが日本兵によるものだとされていたが、そのほとんどは伝聞に過ぎず、仮にそれらが全て事実であったとしても、そのうち殺人事件は49件に過ぎなかった。しかしこれは大虐殺ではない。

       そしてその49件のうち、国際委員会の委員が直接目撃したものはわずか2件であり、それ以外のものはすべて伝聞であった。その2件のうちの1件が、ジュン・マギー牧師(聖公会)が目撃したものであり、日本兵が、軍服を脱いで民間人に扮している中国兵を探しているなか、不審者を見つけて身元を尋ねたとき、急に逃走したので撃ったというものだった。しかしこれは国際法上では合法的なものである。そしてもう1件のほうも、合法的なものだった。つまり国際委員会の委員の誰も、南京において違法な殺人を目撃してはいないのだ。 つづく

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         以上の検証は、”『南京大虐殺』は捏造だった” というタイトルで    
       http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/nankingmj.htm より引用・抜粋させていただいたものです。
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    「捏造の真相」は全宇宙へ知れわたっている

       私たち日本人は教育によって疑うことを教えられてはこず、素直に言われるがままに受け取って信じるのが、素直で清い生き方だとどこかで信じて来ているのではないでしょか?   教科書が捏造されたものを載せるわけがない、新聞ともあろうものが嘘を書くはずがないと、どこかで信じてきたのではないでしょうか?  そして今現在も、そう信じてテレビのニュースを見ている人々は少なくないでしょう。

       一つはっきりと認識しておくべきことは、私たちはユートピアに生まれて来たわけではないということです。ですから当然、私たちの生きるこの地球世界は理想郷ではありません。この世界は、人類を支配・コントロールする者たちによってつくり上げられた地獄の世界です。私たちはこの煉獄の世界でしか学べないことを学び、地獄でしか体験出来ないことを経験して成長するために、この世界で生きることを選択したのです。その学びが、自分に必要だと判断したからです。

       私たちは地獄から学ぶのです。
       つまり捏造から、偽証から、詐欺から、欺瞞から、買収から、嘘、乗っ取り、翻弄、憎しみ、悲哀から学ぶのです。もしこの地獄から学ぶことが何もないならば、あなたも私も、今のこの世界にいる必要はありません。私たちは他人によって作られた「捏造の歴史」の被害者なのではありません。それを検証することなく盲目的に受け入れるとき、自ら進んで被害者になるのです。真相を正しく理解するのは自らのためであり、他人によって植えつけられた「自虐史観」を取り除くためです。

       そのためには怖れずに踏み込んで、真相を知る勇気を持つ必要があります。
       多くの人はその作業を厭(いと)うので、学者や専門家に丸投げするだけで考えることを避けてしまいます。しかしそうあり続ける限り、自虐史観が生み出す劣等感や否定感から抜け出すことはできません。私たちは専門家と同じく真相を知る必要があります。なぜなら、他人の悟りに乗っかることで、自分が悟ることはできないからです。

       何も怖れることはありません。
       真相は、真実は、すでに全宇宙へ知れ渡っています。それなのに当事者である私たち日本人だけが、真相を正しく理解することを避けているのです。私たちが真実の真相を知るのは、捏造する人々を攻撃したり、戦うためではありません。それは自分のためなのです。日本人という集合意識に組する1人として、「自分たちは他人から不幸にさせられている」、とする被害者であることをやめるためなのです。

       この地獄の世界にも、これまでに多くの有名無名の、命を賭けた勇気ある「真実の擁護者」が存在してきました。それは何も特別なことではなく当然のことです。捏造を捏造と、嘘を嘘と認識できるかどうかということだけなのです。そしてここには私たち1人1人が、この地獄の世界から卒業していくために、避けて通ることのできない学びがあります。

       この世界は地獄の世界なので、自分たちの利益のために、そうした捏造や嘘を作り出す人々が絶えるということはあり得ません。そのゆえに彼らを変えることはできません。目的は彼らを変えることではなく、自らが真実の真相を知って変わることなのです。自分が、日本人という集合意識に組する1人の人間であることを意識するとき、1人の意識の変化は全体の集合意識に変化を与えずにはいません。

       日本の歴史には闇に埋もれた部分が多く、そして実際には、教科書に載せられているものとはまったく異なった歴史が存在しています。そうした偽りの歴史の延長上に、従軍慰安婦問題や南京大虐殺の捏造があるのです。私たちは他人が主張することを信じる前に、それが本当に真実であるかどうかを疑ってみる姿勢が必要です。真実の真相を知ることだけが、自らを解放するのです。
                                                 zeranium

    「従軍慰安婦キャンペーン」を始めたのは朝日新聞だった③

       「慰安婦」は日本軍によって「強制的」に連行された、との主張を全面に掲げ、1997年3月31日の紙面で大キャンペーンを打ったのは朝日新聞であった。果たしてこの主張は客観的な歴史の事実に基づくものなのか、それとも日本を貶めるためのデマなのだろうか。

       朝日新聞を中心とした「従軍慰安婦は存在した」派は、簡単にいえば戦前の日本が、「韓国人一般女性を強制的に『性奴隷』にするという罪を犯した」と告発しているわけである。そこで、私が被告「日本国」の弁護人になろう。そして弁護側の主張は「被告は無罪」、すなわち「強制連行による従軍慰安婦は存在しなかった」である。

       私が「日本はこの件に関しては無罪」と主張する最大の根拠は、藤岡信勝氏らがすでに指摘しているように、韓国が戦後久しく、この「慰安婦の強制連行」について少しも問題にしてこなかった点にある。韓国が問題にし始めたのは、1990年代に日本のマスコミ、つまり朝日新聞が取り上げて以降のことなのである。

       韓国には今も強い反日感情がある。
       その国民が、もし自分の国の女性が強制連行されて慰安婦にされたという事実があったなら、戦後50年近くも黙っているわけがないではないか。本人が恥ずかしくて名乗り出られなくても、公然と行なったことであれば、その家族や同胞が黙っているはずがないだろう。必ず抗議し、問題にするはずである。これだけでも被告「日本」は十分無罪だ。

       念のために付け加えておくが、今に至るまで「強制連行」の物的証拠は一つも発見されてはいないし、文書の1枚も出てこない。もし軍が公然と強制連行をやっていたのなら、命令書や伝票(輸送、食糧、衣料支給、報酬)に関わるものが相当数用いられたと考えられる。

       この問題の発端は、吉田清治なる人物が、「韓国の済州島で朝鮮人女性を強制連行した」、という記述を著書に載せたことからであった。そしてこの著書と「証言」は、朝日新聞によって「従軍慰安婦キャンペーン」なるものが行なわれるたびに、何度も何度も繰り返し登場した。しかしこの吉田「証言」なるものは、全くのデタラメであることが現在は確認されている。

       そうしたことが明らかになった時点で、公的な報道機関であれば、都合の悪い事実であっても誤報を出した責任を認めて、正式に謝罪するのが本来のあり方だろう。それが社会におけるジャーナリストとしての報道機関の潔い態度である。しかし朝日新聞はこの問題について、ずっと無視し続け頬かむりをしてきた。そして今年の3月31日になり、ついにごまかしきれなくなって、次のように書いた。

       「間もなく、この(吉田清治)証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも、(吉田)氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」
                                    (朝日新聞97年3月31日付け朝刊)

       「証言が出ない」のなら、それは「偽り」であることが「確認できた」のである。
       しかもこの3月31日の朝日の紙面は、「従軍慰安婦は存在した」という大特集である。あまりに量が膨大なので詳しくは図書館で読んでもらうのが一番よいが、まず指摘したいのは「強制連行」がなくても「強制性」があれば同じこととする、問題のすり替えが行なわれている点である。しかしそうではない。最初にこれが大問題になったのは、公的な「強制連行」による「性奴隷」という点であったからだ。

       そういう罪状で「日本」を告発しておきながら、「強制連行の立証」が不可能だとわかるやいなや、「強制性」があれば同じことだというのも卑怯な態度である。まさにムチャクチャな「暗黒裁判」である。 この日の記事で朝日新聞はこの「経緯」について、「マスメディアで繰り返し取り上げられるようになったのは、韓国の元慰安婦らが1991年末に、日本政府に補償を求める訴えを東京地裁に起こした前後からだ」として、いかにも吉田(清治)証言のインパクトが低いように紹介しているが、吉田の著作は89年の段階ですでに韓国版が出ている。

       では「名乗り出た従軍慰安婦」たちの証言はどうなるか?
       これが裁判であれば、単に「私は被害者だ」と言う証言をそのまま鵜呑みにはしないはずで、事実であるかどうかを検証するだろう。それについては秦郁彦氏が、「慰安婦『身の上話』を徹底検証する」(『諸君!』1996年12月号)で述べているので読んでいただきたい。結論だけ言えば、「総合してみると、朝鮮半島においては日本の官憲による慰安婦の強制連行はなかったと断定してよい」である。

       ではどうして、そうした「証言者」が現われるのだろうか?
       実はその仕掛け人がいるのである。「中立」の資料を一つあげておくが、これは毎日新聞のソウル特派員の記事である。

       「実は私自身も、慰安婦問題で糾弾活動を続けた運動団体に当初から違和感があり、この問題に積極的にコミットする気持ちになれなかった。1989年末に、日本人女性と在日韓国人男性がソウル支局を訪ねて来た。彼らによると、『韓国人の戦争犠牲者を探している。目的は韓国側から日本政府に謝罪と賠償を行なう裁判を起こすためだ。それで韓国人犠牲者を原告にしたい』という主旨であった。歴史の発掘という努力はともかく、『原告を探す』という発想には正直驚いた。(中略)

       そして翌年、韓国の『太平洋戦争犠牲者遺族会』は、このグループなどの支援で東京地裁に裁判を起こした。その後、『韓国人女性を従軍慰安婦として強制連行した』と述べた男性が、昨年謝罪のために訪韓した。私は彼と1時間ほど話したが、『今回の旅行経費の一部は、同行取材した東京のテレビ局に出させた』と話すのを聞きながら、思わずまじまじと顔を見てしまった」 (下川正春記者・ソウル支局 毎日新聞社93年9月9日付け朝刊)

       毎日新聞の記者には「見える」ことが、なぜ朝日新聞の記者には「見えない」のか。

                      
                            作家 井沢元彦 (SAPIO 1997年5月14日号)

                 日本人が知っておくべき
                book 『慰安婦』の真実  SAPIO編集部・編   小学館

                                抜粋

       
       
     

    事実に基づかない捏造はいつまでも人を煽動することはできない②

    日韓マスコミが混同する「挺身隊」と「従軍慰安婦」

       
    まず韓国マスコミの誤報について指摘する。
       1992年1月14日、宮沢首相の訪韓直前に韓国マスコミは一斉に、「小学生までが女子挺身隊にされた」と報じた。「挺身隊」については、当時の日本人なら誰でも知っていたことであったが、韓国では一般に「挺身隊」イコール「慰安婦」と理解されているために、小学生までが性的犠牲にされたということで、日本に対する非難はさらに高まった。

       挺身隊と慰安婦は制度上もまったく別のものであり、挺身隊とは、国家総動員法により工場などで労働をさせられたものであり、日本人女性の多くが勤労奉仕の目的で、軍需工場などの労働に参加したものであった。

       制度的にいえば、女子の勤労動員は41年の国民勤労報国協力令により、「国民勤労報国団体」として編成された。それに続き43年からは、既婚女性も「女子挺身隊」として動員されたが、法的強制ではなかった。そして44年には、女子挺身勤労令により、12歳以上40歳未満の未婚女子の動員が制度化して本格化した。(百瀬孝著 『辞典昭和戦前期の日本』 吉川弘文館など) そしてこれが歴史的事実なのである。

       ところが韓国ではマスコミや政府の一部までがそれを混同し、国家総動員法に基づく女子挺身勤労令によって「慰安婦が徴用された」と主張しているのだ。後日、12歳慰安婦の記事を書いた韓国人記者に対し、私が「事実無根ではないかと追求したところ、「この問題には闇がある。彼女たち慰安婦は朝鮮人女衒(ぜげん・人身売買の仲介業)によって慰安所に連れて行かれたことが取材を重ねて分かってきた。だから自分はもうこの問題について書くことは止めた」、と語ったのである。

       そして実は、この「挺身隊」と「従軍慰安婦」の混同は、日本のマスコミも同様なのである。1991年8月、前に記した「元慰安婦」だという金学順氏の存在を、日韓マスコミの中でもっとも早く伝えたのは朝日新聞であった。その記事は、ソウル留学の経験を持つ植村隆記者が書いたもので、『慰安婦の痛み、切々と』という見出しで始まり、「戦場に連行され、日本軍相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存している」というものであった。

       ところが一方で、金学順氏は、自分が40円でキーセンになるために売られた身であったと明確に語っており、これは韓国紙もそう報じている。それは高木健一弁護士らの作った訴状の中でもはっきりと記されている。しかし朝日新聞の植村記者は、当然そのことを知っていたはずなのに、それを隠して報じたのである。実は植村記者は、元慰安婦だとする被害者団体の専務理事の義理の息子にあたる。(専務理事の娘と結婚している) つまり彼の行為は、自分の義理の親の裁判に有利になるような「スクープ報道」をしたわけである。

       さらに翌年の1992年1月、朝日新聞は『慰安所軍関与を示す資料』という「スクープ記事」を掲載し、従軍慰安婦を解説して、「主に朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」と記述している。朝日新聞と植村記者、そして高木弁護士らは、金学順氏がキーセン出身であることを知っていたのである。そうでありながら、金学順氏を原告に据えて裁判を起こした高木弁護士らの行為は、日韓を事実誤認によって意図的に敵対させようとする、実に許し難い行為であると私は考える。

    反日報道を外交カードに利用する韓国政府

       
    先の宮沢首相訪韓を前にして、韓国政府は慰安婦問題と対日貿易赤字問題の対応に集中して議論したが、大統領府と経済部処などは、従軍慰安婦問題を持ち出すことで、対日貿易赤字に対する日本の譲歩を引き出すべきだという主張に意見を集中させたという。つまり、日本から経済的な支援を引き出すために、過去の問題を道具として使おうというわけである。

       韓国のこうした手法は、1982年の教科書問題の時以来のやり方である。
       当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)政権は、日本に対して60億ドルという巨額の援助を要求していたが、その交渉は思うように進まなかった。ところがその最中に、日本の新聞が歴史教科書の検定について有名な大誤報をし、それを韓国のマスコミが東京発で、日本国内の反日報道を次々に外部へ転電したのである。

       しかも全斗煥政権はそれを抑止する側には回らず、むしろ公式外交ルートを通じて日本の教科書の記述に関する抗議を行なうという、前代未聞の行動をとったのである。その結果、60億ドルから40億ドルになりはしたが、韓国政府は大きな経済協力のとりつけに成功したのだ。

       その後、天皇のお言葉、在日韓国人の処遇、サハリン残留韓国人問題、「強制連行」者への個人補償などが次々と「問題だ」とされ、それらが全て従軍慰安婦問題へと繋げられていった。そしてこれらのすべては常に同じパターンをとっており、まず日本国内で問題化し、それを韓国マスコミが確認取材をせずに大きく報じることで、韓国政府が対日交渉カードとして利用するというものである。

       1993年2月にスタートした金泳三(キム・ヨンサム)政権は、慰安婦問題も含めて日韓の戦後補償は1965年に行なわれた条約協定で解決済みという、外交上の常識に戻りはしたが、カネを求めない代わりにある要求をしたのである。それは日本政府に対して、「公権力による強制連行」があったことを認めるように、水面下で要求したのである。そして日本政府はそれに対し、その年の8月、河野洋平官房長官の声明でそれを認めてしまったのである。

       事実に基づかない捏造された告発は、いつまでも人を煽動し動かすことはできない。
       この問題の日韓両国の関係者、特にマスコミ関係者は事実の解明を重視し、両国の「反日・厭韓(えんかん)」意識を煽ることを止めるように行動してほしいと強く思うものである。

                   「現代コリア」編集長 西岡 力  SAPIO 1997年1月15日号

             日本人が知っておくべき                
                 book 『慰安婦』の真実  SAPIO編集部・編  小学館

                               抜粋

       
       

       danger 多くの方々の著書から引用させていただいて、ブログを作成しています。
         私は基本的に誰もが知る必要のある真実は、未だ知らない人々に出来るだけ知らせなければならないと考えています。本来マスメディアといわれるものこそが真相を知らせるべきであるのに、残念ながらそうはなっていません。それに、真実を知っている人々はマスコミを利用することができないので、それを伝えるためには文章にして本を書くという方法が唯一のものです。しかもどれだけの人がそれを読むでしょうか? 

       社会を変えるために必要なことは、まず真実の情報を知ることであり、それを多くの人々と共有することだと考えています。私には著者や出版社
    の権利を侵害しようという考えはまったくありません。でも著作権の侵害だとお考えであれば、いつでも削除する用意がありますのでお知らせください。ありがとうございます。
                                                  zeranium

     

    「従軍慰安婦問題」は捏造であることを知らねばならない①

       慰安婦問題が広く知られるようになって20年以上が過ぎた。
       しかし残念なことに、多くの人が慰安婦問題については真相を知ろうとしないために、韓国側の主張が「正しい」と信じている日本人も少なくないことである。「慰安婦問題」とは何なのか。その捏造(ねつぞう)の歴史を詳しく説明する。

       2011年頃から慰安婦問題がまた騒がしくなった。
       これで4度目だ。最初に問題が浮上したのは1991年であったが、①慰安婦の公権力による連行という事実は確認されてはおらず、彼女たちは貧困を原因とするいわゆる人身売買の被害者であったことから、②日本と韓国の戦後補償問題は昭和40年の日韓協定で「完全かつ最終的に解決」している。

       しかし今回の4度目の慰安婦騒ぎは、一部の職業的反日日本人と日韓関係悪化を狙う、韓国の反日運動家らの執拗な活動の結果引き起こされたものであり、その捏造の虚構が国際的に広められていることが問題なのである。


    捏造① 吉田清治の体験本

       
    まず、「慰安婦性奴隷説」を最初に言い出したのは誰か、という点から見ていこう。
       それは「吉田清治」という職業的「反日日本人」であった。つまり韓国から出た話ではないのである。1948年当時、韓国の初代大統領は独立運動家出身の李承晩(イ・スンマン)博士だった。李政権は国交正常化交渉において、できるだけ多額の戦後補償金を日本から取ろうとさまざまな名目で請求した。そのリストが、1951年に出された8項目の「対日請求要綱」であった。

       しかしそこには「戦争による被徴用者への補償金」は挙げられていたが、慰安婦に対する補償は入っていなかった。大多数の韓国人が植民地時代の実態を知っているその時期に、反日政策を掲げる李承晩政権さえ慰安婦問題はなかったのだ。そして1965年の日韓国交正常化の際にもなかった。そして1983年に吉田清治が、『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房刊)という本を出したことから、始めて「性奴隷説」なるものが誕生したのである。

       吉田によると、1943年に軍から朝鮮人女子挺身隊動員を命令され、済州島で日本軍人らを引率して、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を駆り立ててトラックで連行し、レイプしたという「体験」を書いたのである。吉田の著書は89年に韓国語でも翻訳出版された。

       そしてその後、現地の『済州新聞』の女性記者が現場地域を取材したところ、住民たちは口をそろえて誰もがそのようなことはなかった、吉田は嘘をついていると語った。これは1989年8月14日に同新聞が報じている。しかし日韓の歴史学者や反日運動家らの中では性奴隷説は静かに拡散していった。これが前史である。


    捏造② 朝日新聞の大誤報記事

       
    吉田の著述による証言から8年後、1991年8月11日、朝日新聞が大誤報記事を掲載したことから1回目の慰安婦騒ぎが始まったのである。「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口を開く」という一面大見出しをつけた記事は、「日中戦争や第二次大戦の際、”女子挺身隊”の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた”朝鮮人従軍慰安婦”のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、”韓国挺身隊問題対策協議会”が聞き取り作業を始めた」というリードがつけられていた。

      しかも「”女子挺身隊”の名で戦場に連行され」と書いている点が、吉田証言を取り上げてそれに乗っかる悪意を持つ誤報であった。なぜなら「名乗りを上げた」とされる元慰安婦・金学順(キム・ハクスン)さんは、「”女子挺身隊”の名で戦場に連行」されてはいないからだ。彼女は貧しさのために母親から40キーセン(妓生・芸妓、娼婦)で売られたと、訴状などで明言しているからである。しかし、今現在まで朝日新聞はこの誤報を訂正してはいない。

       1992年になって、現代史学者の秦郁彦氏が吉田証言について現地調査を行ない、先に引用した済州新聞の記事などを発見し、吉田証言が嘘であることを暴いた。また金学順さんの後に名乗り出た元慰安婦の証言についても、ソウル大学名誉教授の安秉直(アン・ビョンジク)氏が学術的な調査を行ない、「権力による連行は証明できない」という結論を出している。

       日本政府は92年1月以降、過去の公文書を徹底的に調査したが、慰安婦を権力によって連行したことを示す文書は1つも出てはこなかった。以上のように1回目の論争で、実は事実関係については決着がついていたのだ。また日本人女学生らが勤労奉仕のために集められた女子挺身隊制度は、慰安婦とはまったく別のものであるが、それを意図的に混同する悪意も見られた。


    捏造③ 外務省の詭弁と河野(洋平)談話

       
    しかしその後日本政府は、なぜか事実に基づいて反論する姿勢を取らず、謝罪しつつ問題を先送りするという、既成事実があるかのような卑怯な外交を展開したために、問題にならないはずのものが日韓外交の重要問題として再び浮上したのである。

       その真相とは、韓国政府が「とにかく強制連行を認めてくれ。そうすればこれ以上、外交問題にしない」と水面下で求めてきたことに迎合して、外務官僚と河野洋平官房長官(当時)がそれを飲んで国を売り渡したという事実がある。外務官僚らは、「本人たちは慰安婦になりたくなかったのだから強制連行はあった」と発言し、93年8月に、政府としての謝罪を表明した河野談話を出した。

       2回目の論争は、「河野談話」に勢いを得た国内の左派学者たちが、中学校歴史教科書に慰安婦の強制連行を書いたことから始まった。そしてそれに反対する学者や知識人、国民の多くが、「新しい教科書をつくる会」に結集して立ち上がり、大きな論争となった。


    捏造④ 日本人弁護士のロビー活動

       
    2006年に安倍晋三内閣が発足すると、アメリカ議会が「慰安婦は性奴隷であり日本政府は公式謝罪と補償をせよ」、という決議を通そうとした。それで安倍首相が国会で、国内での論争の成果を取り上げて、「権力による慰安婦連行は証明されていない」と答弁したが、米国メディアが激しく非難して、日米関係がおかしくなりかけた。その背景の真相は、反日日本人らが「慰安婦性奴隷説」を国連に持ち込み、そうした嘘を国際的に拡散させる活動をしていたという事実があった。

       そして、日本人の戸塚悦郎弁護士こそが、「慰安婦=性奴隷」という国際的な謀略の発案者であった。彼は次のように自慢げに書いている。『戦争と性』(第25号2006年5月)で、「筆者は1992年2月、国連人権委員会で、朝鮮・韓国人の戦時強制連行問題と”従軍慰安婦問題”をNGO(IED)の代表として初めて提起し、日本政府に責任を取るように求め、国連の対応をも要請した」「それまで”従軍慰安婦”問題に関する国際法上の検討がなされていなかったために、結局、筆者はそれを日本帝国軍の”性奴隷”(sex slave)と規定した」

       そして戸塚のこの規定が、国際社会での反日謀略のスタートになったのである。
       日本人が自ら国連まで出向き、事実に反する自国の捏造・誹謗中傷を続けるのであるから、多くの国の外交官が謀略に巻き込まれるのは容易なことであった。彼の国連ロビー活動は、92年から95年の4年間の間に、訪欧14回、訪米2回、訪朝1回、訪中1回と、繰り返し行なわれた。そしてその結果、96年には彼の発案の「性奴隷説」(sex slave)が国連公式文書に採用された。


    捏造⑤ 国連人権委員会特別報告書

       
    国連人権委員会の特別報告官くマラスワミ女史が、人権委員会に提出した報告書があった。その『戦時における軍事的性奴隷問題に関する、朝鮮民主主義共和国・大韓民国及び日本への訪問調査に基づく報告書16』には、「戦時下の軍隊の使用のために性的奉仕を行なうことを強制された女性の事例を、”軍隊性奴隷制”(military sexual slavery )の慣行であることを明確にする」と書かれていた。

       つまりこの報告書は、吉田清治証言による女史挺身隊制度を”慰安婦連行説”とした誤りを根拠としているのであり、事実認識が根本から間違っているのである。なお吉田清治は、1996年に週刊誌のインタビューで、自らが書いた著書に関して「創作を交えた記述」であったことを認めている。

       実は外務省は、上記の報告書が採択される直前に、40ページにわたる反論文書を国連人権委員会に提出したのである。ところがその後突然に、なぜか日本政府側から反論文書は撤回されただけでなく、事実関係には言及せず、すでに日本は謝罪しているとした文書に差し替えられたのである。当時の国内は社会党が与党であったが、これ以降、外務省は事実関係に踏み込んだ反論を一切しなくなったのである。

       そして2011年8月、韓国憲法裁判所が、「韓国政府が日本に対し、慰安婦への補償を求めないのは憲法違反」だとする驚くような判決を下したのだ。これが4回目の騒ぎの始まりである。その判決では、国連人権委員会報告書や米議会議決などが引用され、慰安婦性奴隷説を事実だとして取り上げ、その立場から日本に外交交渉をするように韓国政府に求めている。そして同年12月の日韓首脳会談では、李明博(イ・ミョンバク)大統領が慰安婦問題を強力に取り上げた。

                東京基督教大学教授 西岡 力 (SAPIO 2012年8月22日・29日号)


    book 日本人が知っておくべき『「慰安婦」の真実』 
                           SAPIO編集部・編  小学館


                              抜粋





       

       




     

    自分で自分を愛していたら、他人の拒否など気づきもしない

       私は人がマスターへの道を歩むのは、いわゆる人生の悩みを通してであることを知っているので、あなた方に悩みがあっても何も心配しません。人には隠された怖れの部分があるので、それを見つける必要があります。それが可能なのはその怖れから逃げ出すことによってではなく、正面きって立ち向かうことによってです。

       自分の怖れがどこから生まれたのかを理解することで、それをマスターすることができます。なぜ自分が怖れているのかを理解したとたんに、自分を縛り付けていた怖れや不安の縄を振りほどくことができます。そして自分を縛ってきた縄は、実は過去世にまで遡ることもあるのです。

       たとえば、「貧しくなるのではないか」という不安をいつも感じていて、現在のあなたの人生にはそうした怖れを裏付けるような理由が何もなく、飢える可能性などないのに、とにかく貧乏になることを怖れているとします。その怖れが非常に強く、現時点では理由のないものである場合、その原因は現世で生じたものではない可能性があります。そしてあなた自身の源もまた現世ではありません。

       息を深く吸って心を鎮め、自分を見つめてください。
       自分というものを、これまでの枠を超えた広大な存在として見ることができるなら、そして、今ある自分が、数限りない多くの転生を通して得たさまざまな経験の産物であり、今もなおそのプロセスが続いていることがわかったなら、自分に対する理解の幅がずっと広がることでしょう。

       そして自分の怖れや不安がどこから来たのか、その本質は何なのかについて自分に問いかけてください。そしてここで過去世からのイメージや感覚を、自らの意識に湧き上がるにまかせてください。それは現在どんなに合理的な考え方をする人であっても、自分の不安を理解する助けとして、たとえば過去にインドの道端で飢え死にしかけている少年だった自分と、現在の自分の生活との違いを知る必要があるのです。

       自分の不安や怖れがどこから来るのかを理解できるようになると、自分の中で起きていることがわかるようになります。そして怖れの正体をはっきりと知るまでは、怖れから逃れることはできません。つまり、お金の心配をなくするために、2つも3つも仕事を掛け持ちすることでその不安を解消するのではなく、まずその原因を探り、自分の過去の不安と今の人生との関係を理解することです。

       病気やそれが生み出す結果としての不安も、その本当の原因が現世にあることはめったにありません。なぜなら過去世において、自分の中にある病気に対する不安を見つめたことがある人は、現在の自分の病気に対してはっきりとした理解を持っているはずだからです。しかし、しっかり見つめたことがない場合の問題は、過去世で経験した多くの病気の記憶や漠然とした感覚が、洪水のように現在の自分に襲いかかってくることです。つまり、現在病気の人は、「それでも大丈夫なのだ」、ということを忘れてしまっているからです。

       すべての病気は、その人にとって適切な時と状況において起こり、その人の人生全体のジグソーパズルの一つのピースのようにピッタリとはまっています。しかし自分の人生は、「今あるがままでこれでいいのだ」ということを、人はなかなか理解することができません。それはどんな苦境、逆境であっても、そこには計り知れない素晴らしい意味と理由があるのです。

       そして人が囚われている怖れは、実は現在の状況の結果ではありません。
       多くの場合、過去世から引き継いでいる記憶がはっきりと意識されないために、それをきちんと区別できません。つまり、あなたは現在の状況を怖れているのではなく、過去世の昔の怖れの記憶に取り込まれているのです。

       同じことが、愛情関係においても言えます。
       2人が別れてそれぞれの道を歩もうとしている時、1人が過去世の体験に根ざす隠れた怖れを持っている場合、しばしば相手にしがみつこうとするのです。その人は過去性で恋人を失って強い悲しみを経験したことがあるので、別れることが2人にとっていい場合があるということを理解することができません。ですからこのような記憶を意識にのぼらせることが、自分を救う唯一の道なのです。

       不安や怖れを感じるたびに、それが現世の状況から、あるいは過去世からのものか、それとも両方からなのかについて注意して見てください。問題にぶつかったとき、どうすればいいのかわからないとき、自分の回りを取り囲んでいる「大いなるパワー」に意識を集中して呼び寄せてください。そうすればその「力」が進むべき道を示してくれます。

       この地球世界に一度でも転生して生きたことのある魂のオーラ(霊域)には、無限の叡智が存在しており、今この瞬間において、その人の人生のあるがままでよいという「大いなる理解」が存在しています。この、「それはそれでよい」という感覚が、怖れという重荷から人を解放し、それは「今ある自分のあるがままで完璧である」ということを知っている内なる自分の感覚です。怖れから逃げようとせず、怖れとともにとどまり、今の自分の完璧さを理解しようとするとき、今までにはなかった広大なヴィジョンが力強くはっきりと、その目的をもって現われてくるでしょう。

       自分の怖れだけに囚われていると、自分というより広大な存在の他の部分を見ることができません。悩みにぶつかったときには、道を示してくれるように、悩みから解放されるように、その意味が理解できるように、そして心の安らぎが得られるようにと祈ってください。しかし、誰か天にいる強力な存在に、そうした悩みを全部取り除いて解決して欲しいと願うのではなく、そこにある悩みとともにいようと考えるのです。

       そうすると、自分の今の悩みは、自分の中のほんの小さなわずかな部分にしか過ぎず、そのほかの部分はおかげ様でちゃんとやっている、ということに気づきます。悩み以外の自分の部分である叡智による深い理解により、自分の痛みが怖れが何であれ、自分の状況が何であれ、それらを意識的に受け入れられるようになります。そのような見方をするようになると、悩みを喜んで受容することができるようになり、それを楽しむということさえできるようになるのです。

       あなた方の多くは、勇気を持ってライフスタイルを変えたり、新しい生活を始めたりしましたが、いつも目覚めた意識でいると、なぜ自分がそうしたのかを理解できるようになります。普通は、自分が今していることを、なぜしているのかわからないままに人生を過ごしていくものです。しかし来る日も来る日も、その瞬間の自分を隅々まで意識していると、何が起きているのかがわかるようになります。

       新しい状況に直面して怖れを感じるときは、ちょっと立ち止まって、自分は何を怖れているのか自分に聞いてみてください。その状況の何が自分に怖れを引き起こしたのか、その怖れはその状況以外のところに原因があったのか、自分が必要としているのに得ていないものは何なのか、と自問してみてください。人が怖れを抱くのは、何か欲しいのにそれが手に入らないからなのです。

       人は自分が必要とするものを、たとえばもっと多くのお金や、家族や恋人など、何か物質的なものとして考えますが、しかし人が求めている根本的なものとは、「自分を不安や怖れがない状態」にしてくれるものです。そこでこのような場合、何が自分の不安を消してくれるかについて考えてみてください。

       たとえば就職の面接に行って、あなたは不安を感じ始めます。
       あなたが怖れているのは何でしょうか。自分が拒否されたり、価値がないと思われたり、劣っていると思われることを怖れているのでしょうか。自分の怖れのある部分は、過去に拒否された経験から来ているということを理解できると、現在の不安が少なくなります。その仕事を得ることはそんなに大事なことでしょうか。その面接でよく思われることがそんなに重要でしょうか。自分が雇われなかったとしても、そんなにみじめに感じる必要があるでしょうか。

       自分が求めて得られなかったものが何かがわかると、そのことをあれこれ思い煩うことがなくなってすっきりします。つまり自分に能力や経験があるかないかにかかわらず、採用されなかったら、やはり同じく拒否されたと感じるのです。人間の心理構造には、自分の世界のすべての人から認められたいという欲求があります。しかしこうしたプレッシャーを少なくするために、他人から認められたいという欲求を半分ずつに分けることを提案します。

       つまり何ごとも50%は他人から認められ、残りの50%は他人から認められないというようにです。そうするとずっと気が楽になります。そしてわかっておくべきことは、自分自身であろうとする人が、常に他人から認められるということはあり得ないということです。あなたの人生が美しくあるためには、すべての人から認められる必要はありません。自分の人生を素晴らしいものにするために必要な承認とは、一つしかありません。それは「今あるがままの自分を受け入れる」ということなのです。勇気をもって自分を見つめていくことによって、それができるようになります。

       それは、自分のまわりの他人に、自分が好かれようとすることからは生まれてきません。自分について知るべきすべてのことを知り、理解し、それを自ら受け入れることによって、「自分は今のままでまったく問題はないのだ」ということを学びます。それはたとえすべての人から愛されていたとしても、自分で自分を愛さない限り、他人からの愛にも気づくことはできないように、すべての人から拒否されていても、自分で自分を愛していたら、他人からの拒否など気づきもしないのです。

       自分を心の中で受け入れてください。
       そうすれば世界のすべてを受け入れることができるようになります。


          book 『バーソロミュー』 メアリーマーガレット・ムーア著 ナチュラルスピリット

                                抜粋   

    感情や感情反応は選ぶことができる

    Q、 なぜバランスを保つことが大切なのですか?

       
    エネルギーのアンバランスは人を苦しめつづけるので、ほとんどの人がエネルギーのバランスを取り戻すために転生を繰り返すことになります。つまり感情的、精神的にだけでなく、肉体的なアンバランスが病をもたらすことで人生を混乱に陥れる結果、その原因である単純な問題ですらその本質がわからなくなってしまうのです。

       愛の心を持つ人であっても、ちょっとしたことにすぐ落ち込んだり、同じく非常に短気で怒りっぽかったりします。こういった人々はそういうエネルギー状態を「鎮める」ために、知性という倫理的機能や、エネルギーというものに関する知識を用いることが役に立つでしょう。

       また一方で多くのインテリと言われる人々は、知的活動に偏りすぎているために、直感的活動を働かせることができず、そうした感性が萎えているものです。そのような人々は自分の内なる感情的側面に接して意識することで、本来のバランスを取り戻す必要があります。そうした大きな偏りというアンバランスの問題がないほうが、「大いなる自由」へ向けて確実な歩みを進めやすいのです。

       ほとんどいつも、知的機能あるいは感情的機能のどちらかだけを使っている場合、その人にはバランスが欠けていると言えます。そして現代ではこのようなアンバランスがむしろ助長されています。つまり男性は知的性格を、女性は感情的性格を持っていると信じられているからです。このような考え方は、人間がバランスよく他の面へと移行することを妨げています。

       よくバランスのとれた人とは、こうした両方の側面を自由に用いることができ、人の心や気持ちがよくわかり、そのゆえに深い愛情を持って人と接することができ、しかも感情や知性に溺れることのない、囚われない心の持ち主です。


    Q、 どうすれば、ものごとに囚われないようになれるでしょうか?

       
    今日の地球上の生活において、よく見られる状況を例にとって見ましょう。
       あなた方は1日中働いた後、車を運転しながら交通ラッシュを通過して家に帰ります。回りは同じような車で溢れています。とても疲れていますが、道路はひどい大渋滞で、家に着くまでに大分かかるだろうということが予想されます。すると突然、あなたの前にいた車が思いがけないひどい動きをし始めたのです。「ひどい動き」とはつまり、あなたが「こうあるべきだ」と考えるやり方以外のすべてのことです。

       しかし、まさにこのときこそ、ものごとに囚われないことを学ぶチャンスなのです!
       あなたはその状況に出くわして、まず怒りの感情が湧き起こってくるのを感じます。あなたの肉体の中に、はっきりとした怒りのうごめきがあります。こうした状況の最初に怒りが起きるのを防ぐことはできないでしょう。それはかまいません。しかしその次にあなたがすることが非常に大切なことになります。

       まず、怒りを感じた瞬間に、「これは怒りだ」と言うのです。
       つまり心の中でその感情に「名前をつける」のです、「これは怒りだ」というように。なぜなら自分の中ではっきり認識しなくてはならないことは、怒りというエネルギーが存在し、そのエネルギー状態にいる誰かが別に存在しているということです。

       しかし、「私は怒っている」と言ってはいけません。
       それでは、自分と怒りが一つになってしまうからです。「これは怒りだ」と言えば、「怒り」と「あなた」という存在が二つあることになります。

       次にするべきステップは、「自分が取りたい反応を選択する」ことです。
       このような場合であっても、自分には選択することができるということが、やがてわかってきます。そしてまさにこのことが、ものごとに囚われない境地へと導いてくれるのです。

       もしあなたが、自分ではコントロールすることができない感情的エネルギーがあると思っているならば、あなたはそのゆえに、自分の反応をまったくコントロールすることはできないでしょう。あなたはこれまでのようにいつも自分の感情にコントロールされて、どんな感情でも自分の中を吹き荒れるがままに無意識的に翻弄され、流されるままになってしまうでしょう。

       しかし「本来の自分は感情とは一つものではない」、ということがすぐにわかるようになります。そしてここで、あなたは選択するのです。「これまでと同じように、自分はまた怒りの罵詈雑言の劇を繰り返したいのだろうか?」、と自問してください。こうしたシナリオがどのような筋書きであるかはもうよくわかっています。相手の車をやり込めようとしてクラクションを鳴らし、げんこつを振り回し、怒鳴るのです。これらはすべて筋書きの中にあり、仕返ししようとします。時には復讐するために、自分自身や自分の車を痛めることもかまわずにぶつけたりさえします。

       でもやがて、「相手に怒るかどうかは関係ない、問題の本質はそこにはないのだ」、ということがわかるようになります。あなたがそうした反応から解放されて、「大いなる自由」を求めるのであれば、自分の真の力とは「選択することにある」、ということを理解しなければなりません。それを理解した瞬間から、あなたは他の反応を選択する自由を手にするのです。

       さまざまな状況に出くわして、自分の中に感情的エネルギーが湧き上がってくるのに気づいてください。そのエネルギーの存在を認め、その感情に名前をつけてください。名前をつけることによって、自分とそのエネルギーを区別することができ、1歩離れたところに自分を置くことができます。そして今までのような反応の仕方を変えたいと思わなければなりません。そうすればできます。まず、「たった今、私はこれまでとは違うものを選ぶのだ」と言うことから始めてください。そして選ぶのです。

       こだわらないことを実行するのは、難しいことではありません。
       それよりもむしろ難しいのは、まず「こだわらないようになりたい」という決心をすることにあります。自分に正直であれば、自分が攻撃されたならば仕返しをしたいと思うことを認めるでしょう。恨みを抱き、自分が受けた仕打ちをいかに相手に返すかについて、あれこれ考えます。誰もあなたを止める者はいないでしょうから、思いのままに満足するまで攻撃してみるといいでしょう。

       そしてその結果、傷つくのは自分自身であることがわかるでしょう。
       そうした生き方は自分を惨めに感じさせ、自己嫌悪に陥らせるものです。そうした怒りや復讐などよりも、自分で選択する生き方のほうがずっと生き生きした生き方だということがわかります。あなたは「一なる根源の創造主」から生まれた神の共同創造者なのですから、どうせ生きるなら、生き生きとした喜びにあふれ、創造する生き方を始めたほうがよくありませんか? 否定的で、他人への敵対心に満ちたやり方はやめたほうがいいのです。

       そのためには、外部に気を取られずに、完全に自分のうちに留まることです。
       そうであるとき、瞬間に起きていることを明確に意識することができるのです。車を運転しているときには、ハンドルを握る自分の手や、アクセルを踏む自分の足、自分の顔に当る風の感覚、空気の匂いなどを意識し、こうしたすべてのことに敏感であってください。

       そして怒りや恨みが湧き起こってきたときには、「あなたがそこにちゃんといることができるよう」でなければなりません。そうすれば、「上司にああ言えばよかった」、などという後悔をする必要もなくなります。なぜならそうした状況において、瞬間的に自分の感情を感じて認め、変えることができるからです。つまり、これまでしてきた昔ながらの反応から自由になることができるのです。

       しかしあなたの意識がどこかへさまよい出ていてそこになかったら、それは非常に難しいことです。なにしろ、これまでにできあがってしまったあなたの感情的反応というものは、意識していないならば、あなたのいつものやり方で反応するからです。ですからこれまで無意識的であったものを意識して捉え、あなたの意識がどの瞬間であっても、自分とともにあるようにしなければなりません。


          『バーソロミュー』 メアリーマーガレット・ムーア著  ナチュラルスピリット

                               抜粋


           
       

    金星と地球は古くからの姉妹星

    Q、 男性性、女性性のバランスということですが、そうした動きは太陽系全体にあてはまるのでしょうか? それとも地球だけに該当することなのでしょうか?

       
    太陽系全体に該当しますが、時期はまちまちです。
       今この瞬間にも、地球に起こりつつあることは非常に重大なのです。そして現在、2つの事柄が並行して進行していることを知っているでしょうか。それは意識体としての地球が、彼女自身の意識の高まりと変容を迎えているのです。ですから人間だけでなく、動植物やありとあらゆる生物がその影響を受けています。地球がより高い波動エネルギー場へとシフトするに伴い、みなそれぞれが足並みを合わせるように、各自のプロセスを進めているのです。

       それは地球だけでなく太陽系そのものもそうで、波動の変容プロセスを体験しようとしているのですが、それはあなた方の太陽がシフトしつつあるためなのです。しかし中でもとりわけ、地球が体験しつつあるプロセスは独特であり、この時期に地球と同じプロセスを体験している惑星はほかにはありません。そのためにさまざまな次元にわたる別の領域からの存在たちが、地球の付近や小惑星や、次元のはざまに待機しながら地球の変化を見守っているのです。つまり地球が今体験しつつある変化は、それほどに特異なものであるのです。


    Q、 この太陽系において、地球と金星がどういった関係にあるのか教えてください。
       過去において何らかの関係があったのでしょうか?

       
    金星は地球の姉であると考えてください。
       それぞれの惑星が実際に創造されるよりも前、まだ形ちがなかった時代であっても、それらの惑星の種子ともいえるわずかなエネルギー振動はすでに存在しており、そうした空間をぬうように移動していた意識体の存在たちがいました。その当時の地球と金星は、無限大の記号の「∞」の形によく似た、脈動するエネルギーの動きを形作っていました。つまり地球と金星は、地球と金星という概念が誕生したときから繋がっていたわけで、姉妹星のようなものなのです。

       また自らの務めを果たしながら、より大いなる叡智を目指して独自の進化の道を歩み続ける私たちの仲間が、金星の近くに存在していて地球と深く関わっています。このように私たちは、あなた方を支援することに深く心を傾けているのです。この地球という美しい惑星への転生を決意したすべての魂の存在たちと、次元上昇という、独自の進化のプロセスを歩み始めた地球自身に手を差し伸べることは、私たちの歓びなのです。

    Q、 あなた方はシリウスB星や、この太陽系を遙かに超えた銀河領域と何らかの関係があるのですか? またオシリスやイシスなどの古代エジプトとも関係があったのでしょうか?

       
    金星とシリウスには直接的なつながりがあります。
       それは私たちが他の宇宙からこの宇宙へ入って来たとき、最初にシリウスから金星へと訪れたからです。オシリスやイシスと呼ばれた古代エジプトの神々は、あなた方の言葉で説明するならば、それはエネルギー場のことで、つまり広大な広がりを持つ意識と気づきのエネルギーのパターン(原型)というのがもっとも真意に近いでしょう。そうしたエネルギーは古代エジプト人によって擬人化あるいは人格視された結果、オシリス神やイシス神と呼ばれるようになったのです。

       古代エジプトの神々とは、実はいうなれば、宇宙の流動的エネルギー場を描き出したものなのです。ですから現代に生きるあなた方が古代エジプトの神々について考える際には、どうかそうした字面に捉われないようにしてください。なぜならそうした文献に残された知識というのは、当時の人々の限定的な解釈に過ぎないものだからです。そして実際の教えとはそうした性格のものではなく、すべてが複数の意識レベルに通じていました。早期のまだ余り進化していない意識によって解釈されていた文字による教えを、進化した聖職者たちは象徴化されたエネルギー場と理解していました。

       当時の聖職者たちのエネルギーの認識は、当然、現在のあなた方のものとは異なります。しかしエネルギーという本質的意味においては、イシスとオシリスのエネルギーは今日でも影響力を保持していて、誰の手にも届くところにあります。それは他のいわゆるすべての神々についても同じです。

       実は「神々」というのは、私たちやあなた方がそうであるように、みな「一なる根源」のさまざまな側面を現したものなのです。すべては「一なる根源」から流出した意識であるに過ぎません。あなた方の呼ぶそうした神々は善意のエネルギーで、同調したり連動することもできますが、しかし彼らは「一なる根源」、つまり「至高の一なる創造主」ではないことを理解してください。彼らは、あらゆる二元性や二極性とは関わりなく存在する「究極の根源」ではないのです。


    Q、 集合意識ハトホルは、古代エジプトの大ピラミッドの建造にも関与していたのですか?

       
    いいえ、それには私たちの関与はありません。
       ピラミッドについて言えば、それは地球の歴史学者や考古学者が考えるような、単なる埋葬目的の建造物ではありません。たしかにピラミッドには埋葬室を備えたものも少なくありませんが、ピラミッド建立の第一目的は、エネルギー発振装置としての機能にありました。当初のピラミッドはすべての側面がよく磨かれた、光沢のある大理石のような花崗岩(みかげ石)に覆われていたので、エネルギーの発振や感受が可能でした。

       当時のイニシエート(秘儀参入者)たちは、ピラミッド内部にある、特定の数学的比率で形作られた指定の場所に入りました。そうした場所では独自のエネルギーが生成され、そこに入ることでしかとうてい不可能な、「大いなる宇宙」や「大いなる神秘」の知識を受け取ることができました。ピラミッドは外面的にもある数学的比率によって建造されており、エネルギー網つまりグリッドの創造を促進させることができました。それは地球上の、新たなエネルギーグリッド構造を支える目的で据えられたのです。

    Q、 中央アメリカやメキシコ全域、中国などには、まだ知られていない何百基ものピラミッドが散在していると言われています。そうするとピラミッドは地球全域にわたり、あらゆる場所に建てられていたのでしょうか?

      
     ジャングルにすっかり覆われているので、もっともな話です。
       それは一つの文明によってではなく、多くのさまざまな文明によって造られました。しかしそうであってもそれに携わった文明や存在たちは、直感と「大いなる神秘」に関する知識において皆深い意識レベルでつながっていたのです。それは自分たちのしていることを、エネルギーという見地からキチンと理解できていたからです。ピラミッドはすべて、それぞれの場所ごとに建造されましたが、明らかに同じ源を共有しており、いずれの場合も外部からの支援を受けていました。

       それらはプレアデスやシリウスなどから支援を受けていました。
       彼らは異なる時期に地球に来ていましたが、なかには重なっていた時期もあります。あなた方の歴史には、シリウス人に関する興味深い出来事が残されています。

       現在のアフリカには「ドゴン族」という人々が住んでいます。
       この部族はシリウスと、シリウスの小さな「妹星」(シリウスB星)についての知識があります。このシリウスB星は、地球の天文学者が1960年代に発見するまで、その存在さえも知られていなかったものです。ところがドゴン族は何千年も前から、この白色矮星(わいせい)のことを知っていたのです。そしてこうした知識は、数千年前に地球を調査する一環としてアフリカを訪れていたシリウス人からもたらされたもので、彼らと接触したドゴン族の人々にもたらされたのです。シリウス人はすでにその時点において、高度に進化を遂げた銀河文明でした。


    Q、  あなた方が約1万2000年前に地球を訪れたとき、アトランティスはすでに崩壊した後だったのでしょうか?

       
    アトランティスは紀元前1万年にはすでに崩壊していました。
       その当時私たちは、「ハトホル女神という原型的イメージ像」を通して積極的に活動しました。アトランティスやレムリアにおいても、高度に進化した存在たちとともに活動していたこともあります。アトランティスとレムリアの崩壊が決定的になったとき、私たちはその中の幾人かをエジプトへと導きました。そうすることで、築かれた錬金術の偉業が守られ、秘儀参入者(イニシエート)の系統や知識が蹂躙(じゅうりん)されることを免れることができました。

       古代エジプトに播種(はしゅ)した銀河文明は私たちだけではありません。
       当時は、アルクトゥールス人やプレアデス人も、彼らが関係していた人類のイニシエートたちを北アフリカへと導いたのです。


    Q、 あなた方は人類系の入植地といわれる、星々の存在たちと関わったことがあるのでしょうか?

       
    あります。
       私たちが知っているのはプレアデス人、シリウス人、オリオン人、アルクトゥールス人ですが、そのほかにも、まだあなた方のあいだでは名前のない存在たちもいます。「まだ」というのは、これから地球人類が銀河人類となり、その銀河すら超える存在になっていくことでいずれ変わる可能性があるからです。そうした集団はプレアデス人やシリウス人にしても、それぞれがはっきり識別できる異なった特色、つまり性格を備えています。

       どの集団も「大いなる神秘」を通して見たり行動したりする際には、それぞれが独特な性格や雰囲気という特徴を持っています。そうした違いのなかに、私たちは純粋な喜びを見出します。私たちは「大いなる宇宙」のあらゆる意識レベルが持つさまざまな違いというものに興味があり、そうした理由からも人類に惹かれ、慈しみを感じているのです。


    Q、 あなた方が人類と関わりあったのは、どんな意味合いからだったのでしょうか?

       
    私たちは、音やエネルギー、そして愛に関するマスターです。
       私たちは主に、人類の感情という性質に取り組んでいました。あなた方はそれを感情体とも呼びます。次元空間を超越したマスターである私たちにとって、あなた方と交信するのは難しいことではありません。人類との交信はふつうは、あなた方の遠隔透聴能力や遠隔透視能力(千里眼)、直観力を介して、また夢に現われるといった形で行なわれます。

       文明の初期にあった古代エジプト人との交信は、ハトホル女神の神秘的視覚化を通して行なわれました。私たちは人々のハトホル女神信仰を通じて、古代エジプト人が霊的な「黄金時代」を築くことを援助できました。それはまさに黄金時代ともいうべき全盛をきわめ、そうした意識の進化の見地からも、好ましい影響を地球上に広めることができたのです。そのときに樹立された「神秘学派」の影響は、今日でも世界中で活発に生きつづけています。その中には未だに隠されたままのものもありますが、私たちが、やり方や考え方を押し付けることは決してありません。


    Q、 太陽系にある火星や他の惑星について教えてください。

       
    火星については、かつて火星の地表にあった建造物の残骸を今日でも見ることができます。あなた方が「火星の顔」と呼んでいるものは実在していた建造物です。金星にも建造物はありましたが、金星の入植は火星よりもずっと古い時代であったこともあり、そうしたものはもうその姿をとどめてはいません。また三次元レベルで金星を訪れるならば、そこにはガスや砂のほかには何も見つけることができず、住むには適さない星に見えるでしょう。火星にはいくつもの異なる文明が入植していたのです。

    Q、 大きな入植地や居留地が、近年にも存在していたのでしょうか?

       
    最初にお話しておきたいことがありますが、人類の研究によって明らかにされている歴史というのは、非常に限定されたすこぶる偏った見方によるもので、そのために全体像のパズルのピースは大きく欠けています。たとえば地球には、人類の初期の発達段階の頃に、すでにそれに先立って進んだ文明が存在していたのです。そして事実、人類がまだ非常に原始的な状態であった頃に、すでに宇宙空間を行き来できる高度な超銀河文明が地球に来ており、地球の生命発祥のプロセスを観察する目的でこの太陽系を定期的に訪れていたのです。

       そうした存在たちは、あらゆる場所に自分たちの居留地を設けており、その主要なものとして火星や金星などがあったのです。なかにはエネルギー体だけの存在たちが設けた居留地もありました。これについては別の見方が必要になりますが、つまり純粋に物質的肉体を持たずに本来のエネルギー体として存在するものもおり、彼らはきわめて洗練された存在です。彼らは木星のような大きな惑星のそばでは、比較的重力場の影響を受けずにすむので、木星や土星に居留地を設けるものもいました。

       新たな星の誕生が宇宙に聞こえると、彼らはどこへでも引き寄せられます。
       月にも三次元的建造物の残骸がいくらかは残っていますが、遠い昔、月は地球の一部であったのです。


      book 『ハトホルの書』 トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著  ナチュラルスピリット

                               抜粋





     


       

    恐るべし! 「念」による集合意識の同意の力!

       「火星と金星は戦争体制になって戦っていた時期があったの。
       それでその続きがあって、火星からはアラブ人として地球に生まれ変わったらしい。それで金星の方は、プレアデスから金星に来て、金星から地球に生まれ変わったの。プレアデスの方から来たグループというのは、金星のトップの方の9人の賢者のうち上の方の3人の長老と、もう1人プレアデスからかなって思える人がいる。

       生まれ変わりのグループは大体星ごとになっていて、集団で生まれ変わっている。
       火星からの転生がアラブ人に多いんだけど、金星にもやっぱり貧富の差というものがあるし、レベルの差というものはある。そして当然だけどさまざまな国にも、たとえば日本や中国、アメリカなんかにも他の星から集団で生まれ変わって来ている。つまりシリウスもプレアデスもどこかを通さないと、太陽系には生まれ変われないようになってるの。

       たとえば火星からいきなり地球に来て、人間に生まれ変わることはできない。
       なぜならやはり、魂のエネルギーがまったく違うからであって、遺伝子がちゃんとはまらないから。それが原因で流産や死産を繰り返すことになる。地球に合ったエネルギーになるためにはそれなりの時間の経過が必要で、ほとんどは他の星へ転生する時は太陽を通って移動するから、太陽から近い金星を先に通って太陽系に生まれ変わってくる。

       地球と違って、火星や他の星々には単なる肉体だけでもさまざまな形があって、全く異なる種族の生命形体がある。本当にいろいろな種類の種族がいるの」

       「もう、いっぱいいるよねぇ。
       鳥類型や昆虫型、両生類型、爬虫類型、犬型、猫型、土偶型なんかも」、と私が言った。

       「地球だけなんだよね、こんな同じような手足があって、全員がこういう形だけの星は。だから『すごく珍しい。こんなに1種類だけというのは』って言われている。それはたとえばアメリカから見ると、日本人が単一民族だということに凄く違和感を感じるのと同じだよ」

       「普通だったら、もっと違う種族がいてもおかしくないからなんだね」

       「そう。私たちの身体の皮膚の色だって本来なら、赤や青、黄色などいろいろあってもいいはずなのに、地球は人間型の1種類で、いうなれば単一民族の日本みたいなものなの。で、あらゆる種族が混在する金星は、地球でいうとアメリカみたいなもの。それで宇宙の科学者たちは、「何で地球では単一の形になってしまうのか?」ということを研究している。それで本来なら他の形でもいいわけで、そういうことを理解している漫画家がそういう世界を描いている。あれが本来の星の世界の姿なの。『ワンピース』っていう漫画もまさにそうで、いろんな形の人の姿があるよね」

       『ワンピース』は、日本でよく売れている海賊を描いた少年漫画で、登場人物には特殊な動物や巨人、魚人など何でも出て来る。

       「本来ああいったバラエティある形のはずなのに、この地球だけがなぜか少なくとも、目と鼻と口の位置が全く変わらない。それで脳から来る細胞ゲノムじゃないかって言われてる」

       宇宙には美しく威厳を讃えた多くの種族が存在するが、地球にもいつの日にか、さまざまな種族が一緒に生活をする日が来るのだろうか?

    アンドロメダ銀河

       
    「アンドロメダ銀河は遙か何億光年も向こうだけど、それも5次元の世界から見るともっと側(そば)にある。たとえば1本のヒモの左端が地球で、右端がアンドロメダ銀河だとすると、ヒモは真横に真っ直ぐに伸ばしてあれば、確かにアンドロメダ銀河と地球はとても遠い。ところが時空間は歪んだり、広がったら縮むという性質があるために、ヒモがグニャーとU字の形に曲がると、端と端にあったアンドロメダ銀河と地球はすぐ隣に来る。(ヒモ宇宙理論)

       でも今いるここ4次元しか意識できない私たちは、真っ直ぐに伸びた紐(ヒモ)の端と端にあるアンドロメダ銀河しか考えることができない。そしてアンドロメダ銀河は正確には、端が3次元で、中央が6次元だ。

       そして私たちは全員が、アンドロメダ銀河と天の川銀河の衝突を回避させて、その両方を守りたいと思っている。アンドロメダ銀河は地球から見たらいわば台風のようなもので、台風が来る前の状況が今、天の川銀河の一番突端にある地球で起きている。アンドロメダ銀河の波動は非常に強く、そのために太陽の波動が上がって来ており、太陽内部は今もの凄く活発に活動して黒点も出ている。

       太陽が活発に動くと、太陽系にある金星や火星、地球などもみな波動が上がる。
       それは電気でいえば発電力が上がっている状態だ。それによってそれぞれの惑星のマグマの動きが激しくなってきている。

       その結果、地球のマグマの活性化に伴い大量のエネルギーが発生し、そのエネルギーに伴って、高くなった地球の波動に合った人間が次々に悟っていく。一方で逆に、その波動の上昇について行けない人間は、鬱になって自殺したりすることになる。だから地球の波動上昇に連動できるように、人々が一緒に波動を上げられるようにサポートする必要がある。

       4次元的には銀河同士の衝突はまだだけど、その前段階で5次元的に衝突が起きて太陽系が大きく動くと、金星や火星にとってはそれがいかにとんでもなく大変なことであるかを彼らはよくわかっている。そのために太陽系の波動を上げたいと考えていたけれど、地球が余りにも波動が低すぎたために、まず地球の波動を上げることが最優先された。つまり、全体の波動が上がらなければ、太陽系という家族全体の波動は上がらないわけで、1つでも落ちこぼれがいてはそれはできないからだ。

       そのために、この地球という星の人々の意識を上げることが最優先される。
       地球の地面の周波数を上げるために、音階でいうところのラ音、つまり420ヘルツに調節して周波数が落ちないようにしようとしている。モーツァルトの時代に使われた420ヘルツは、1秒間に空気が420回振動する音の高さだ。地球の周波数について行くためには、人々の潜在意識を変えていく必要がある。そのためには結局、教育によってしか上がらない。

       でも一番の解決方法は、地球上に生きる人間全員が、自分に素直に自らがワクワクすることをして、自分に正直に心のままに生きるようになりさえすればよい。そうすれば自然にそれぞれが適材適所にいることになり、惑星全体が調和の取れた状態になり、宇宙との調和度が上がることになる」

    自分の出した念は必ず戻って来る

       「波動が上がりきらなかった人たちは、次元の悪いほうの流れにはまっていってしまう。たとえば3・11の直後に、富士宮で地震があった。しかし被害は大したことなくて、死者とかは出なかった。これは次元が良い方へ流れた瞬間だった。この時の裏話だけど、老人たちの、『こんな日本壊れてしまえばいいんだ!』っていう、もの凄く強い思いの波動が、3・11の直前に溜まってしまっていたという。それが悪い方へ流れて行った原因の一つだと言われている。

       それで老人たちがあの3・11の震災を見た瞬間に、『本当に壊れてしまう!』と思った。それでみんなが『思う』のをやめた。だからその後、2回の大きな地震が来ても被害がそんなになかったと言われている」

       「老人たちは皆、何を思っていたんだろう?」

       「『自分たちは戦争でみな苦しんだのに、今の若い者たちは自分勝手なことばかりやって、何か困ったことがあればすぐ誰かに甘えればいいって思ってる』、彼らはこれが許せなかった。だから『こんな国、崩れてしまえばいいんだ!』、と年寄り同士で思っていた」

       集合意識の同意だ!

       「そしてあの震災が起きた瞬間に、彼らの願いが叶ってしまったわけで、それでみな願うのをやめてしまった。しかしそうは言っても、それは自分が送り出した念だから当然また自分に戻って来る。だからおそらく半年か1年後くらいには、自分たちが出した念が戻って来て、一気に病気になったり何かわからないけれど、そういうものが広がるんだろうね」

       「念は出したら返って来るからね」、と私がうなずいた。
       私たちはあまり意識してはいないけれど、自分が思った瞬間に、その想念は相手の所に届いているのだ。それはどのような思いであるかに関係なくそうなのだ。さらにそれだけでは終わらず、自分が出した念というものはすべてが自分のところに返って来る。つまり、私たちはまさに「心の鏡」の世界に住んでいるのだ。

       私たちが幸せを感じているならば、それは投影されて世界はばら色になる。
       だから世界を、環境を良くしたいと思うならば、一番大切なことは、自分の意識を健やかで幸せに保つことなのだ。だから世界中の戦争や経済恐慌も、すべては私たちのこの社会への怒りから端を発している。それらの念がこの世界の状況を造っており、それらの念というエネルギーがなければ、今日の現実は作り出される原動力であるエネルギーを失うことになる。すべてを許し、癒す心のあり方が、この社会だけでなく自分を幸せにする方法なのだ。

       「とにかくぶつかる前に、地球の波動を上げるしかないよね」

       「そう、それしかない。
       それに私はこの惑星で、どうしても守りたい人物がいる。その人物を無事に、地球以外の所に転生するまで誘導しなければならないんだ。その意味は、『実はこれから先ずっと、その魂が我々を救う1つの鍵になる』からなんだ」


             book 『シャンバラからの超レッスン』  by  ペガサス  ヒカルランド

                              抜粋

    自分の反応を変えることで「運命を変えよう」

       運命について大きな誤解が存在しているようなので、それについてお話ししましょう。人の運命は決まっているわけではありません。運命とは、決して前もって全面的に決定されるようなものではないのです。とは言っても中には天職などのように、その人に割り当てられた原型的な要素もありますが、そうであってもそれも恒久的に固定されているわけではありません。宿命や運命といったものの側面は単なる見込みや推定に過ぎず、変わり得るものなのです。

       あなたの生命を次元上昇、あるいは次元低下(つまり退化)の螺旋に置き換えてみると、生命はあなたのエネルギーの振動を増幅して加速させるか、あるいは低減して減速させるかのどちらかであることがわかります。そして意識も上下して、すでにお話したように揺れるものです。また人としての体験においても、それを通して高次の気づきのレベルへと上昇することもできるし、気づきの少ないレベルへと螺旋を落ちていくこともできます。

       運命やそうしたものを変えるためには、「気づき」と「選択」の持つ「波動」次第なのです。ですから自分には選択の自由があることを、自覚できるだけの気づきに達していなければなりません。本書で紹介しているエクササイズの練習によって、気づきを高めることができ、すべてはあなたに選択権があることを強烈に悟るようになるでしょう。人生において自分は単なる駒でもなければ、被害者でもなく、すべては自分にその選択の自由があることを実感できるところまで気づきが深まると、未来は自由に開かれたものとなり、柔軟に変化し得るものになります。こうした認識の変化こそが、いわゆる運命を変える「鍵」となるものです。

       人生の見えるところで展開している状況パターンが、自らの意識内にある過去の信念と感情パターンの表出であることを受け入れられるようになると、自由はもはやあなたの手の届くところにあります。自らの持つこれまでのパターンとは、実はあなた自身だけでなく両親や家族、先生や仲間、そして自分の住む地域や共同体に生きている多くの人々によって影響され、植え込まれ、それを受け入れたものが信念として結実したものです。なかには堅く信じていてこびりついてしまったかに見えるものもありますが、それも変えることができます。

       あなたの意識にあるそうした信念を、変化させることができるのはあなたしかいません。人には、状況が困難であるとわかると、思い通りにいかないことで自分を惨めに思ってしまう傾向があります。しかしそれは私たちの見地からすると、その機会を無駄に逃しているように見えます。なぜなら、もし何かが思い通りにならなくて、強い感情的反応でもってそれを体験するならば、その満足のいかない強い気持ちを建設的に利用することができるからです。

       まずそこでできるのは、実際に起きている事件や出来事に十分な意識を持って気づくことであり、それに対して感じている自分の感情的反応に気づくこと、そしてその出来事に関する選択の自由は自分にあることを思い出すことです。たとえ外的状況を変えることができなくても、あなたには必ずそれに対する自らの「内的反応」を変える力があるのです。その出来事に対する自分の反応を変えることで、軸足を乗せるポイントができます。すると運命は、そこを基点に変化しつつ展開して行くようになります。

        それについて日常生活で起こりうる膨大な例の中から、具体例を一つ取り上げてみましょう。たとえばあなたが惹かれていたある人と付き合い始めたのですが、相手はあなたの思いに反応してくれないとします。あなたはいつも一緒にいたいと思っているのに相手はそうではなく、むしろ拒否するような態度をするとき、それはあなたにとって苦しみになります。その原因はあなたの考え方にあり、相手に対する執着心と相手が自分にとって重要だと思うからで、相手との間に親しさが生まれなければそれを痛みと感じます。そして拒絶された感覚が生まれ、さらに自分に対する劣等感や自己否定感、欲求不満などの感情に共鳴を起こすようになります。

       しかしそうであっても、相手があなたを避けていることがわかった瞬間にも、自分を責めたり、相手を責めたりするのではなく、ただその体験が完全であることに気づき、くつろいだ心でいるならば心の痛みは緩和されるでしょう。自分が愛着を感じている人が自分から遠のいて行くことがわかったとき、それに対する自分の感情的反応に気づき、自分はその感情的反応だけでなく他の反応を選択することができるという事実に気づくことによって、その状況を別の感じ方で体験することが可能になります。そしてそこにはたくさんの選択肢があるのです。

       つまり、ある一つの出来事をあなたがどのように体験するかという選択が、その出来事から先の運命がどう展開するかを決定づけるのです。あなたの内面に湧いてくる反応はあなたの持つ内なるパターンというメカニズムの表れであり、それが外の世界において物質化するのです。あなたは実は意識しているいないにかかわらず、毎瞬毎瞬、あなたがする反応によって、あなたの未来を形作る種子はあなた自身の手で蒔かれているのです。ですからそれをこれからは「意識的に」種を蒔くことによって、その実りに好ましい影響を与え、あなたの運命を建設的なものに変えていくことを可能にするのです。

       したがって先の例で言うと、あなたを拒絶した人と、その拒絶に対してしたと思っているあなたの反応は、実は別々の事柄であり、あなたにはその状況をどのように体験するかについての幅広い選択の余地があるのです。ところが多くの場合人というものは、いかに新しい出来事であっても、過去の体験という古いパターンに基づいて反応し、体験してしまうようです。それが、「おそらく拒否されるだろう」と予測したり、そのために挫折感を感じ、何かを責めてしまうような今までの自分の反応パターンであり、その結果、いつもの自分の否定的思考や感情反応を、嫌になるほど再現する破目になるかもしれないということです。

       でもありがたいことに、それ以外にも方法はあるのです。
       すでにお話したように、一つの出来事や状況をどのように体験し反応するかという方法はたくさんあります。どのように反応するかについて真剣に検討してほしいものが、私たちが「高次のレベルでの表現の選択」と呼んでいるものです。その意味は、自分の運命への展開に向けた高次の気づきと選択であり、高次元レベルとの共鳴振動が可能になるような心の姿勢を選択することです。

       「高次の選択」とは、あなた方の言葉でいえば「思いやり」を持つことと関係しています。それはたとえ自分自身にどのようなことが起きたとしても、「自分に対する思いやりという内的な姿勢を保つことができる」ということを理解することです。同時にこれは、他人や人々の反応を受け入れ、自分の反応も受け入れるという受容性の共鳴を伴います。そうした思いやりの「視点」は、どのような場合であれすべての人が、潜在能力の許す限り進化への道を歩んでいるという理解をもたらすでしょう。

       他人のする選択が本人にとって最善であるように見えるときもあれば、理解できないくらいの最悪の選択であるように見えるときもあるでしょう。しかしどのような選択であれ、あなたがそうであるのと同じように、誰もがみな自らの自由意志によって行なっているのです。ですからそうした視点を持つことができるならば、挫折感や悲しみ、怒り、相手を責めたい感情などが湧いてきたとき、あなた自身のそうした感情反応を、思いやりによって「受けいれる」という内的な姿勢に変えることができるのです。

       するとそこに、大いに注目すべきことが起こります。
       状況に対する自分の否定的な感情反応を、「受容するという思いやりある」健全なかたちで受け入れるやいなや、あなたの反応が変わり始め、その否定的なエネルギーが消えてしまいます。どういう反応をするかの選択権が自分にあることを思い出した瞬間に、澄んだ意識が戻ってきます。そして自分に他人に思いやりを持つことで、あなたの振動エネルギー場の周波数が上がり、それがあなたの運命を変えるための「新たな鍵」となるのです。

       「思いやり」はそうした高次の共鳴振動に達し、参入するための入り口であり、きわめて奥深く美しいやり方で運命を変える手段なのです。そして繰り返しますが、すべてのことに通ずるこの「鍵」は、あなたの人生におけるあらゆる場面で、人との関わりが生じるあらゆる瞬間ごとにその姿を現しているのです。つまり一瞬一瞬が、自分の内と外で起きてくる物事にどのように反応するかの選択の機会なのです。

       いつものように、これまでの古い感情反応のパターンにただ「乗っかる」だけであれば、それが作り出してきた運命、つまり自分の目的に適わない運命のパターンに永続的に引き続き、ただ乗っかるだけなのです。人生で体験するすべての出来事に対し、「気づき」と「受容」と「思いやり」を選択するならば、その選択は「叡智と平和」という素晴らしいプレゼントをあなたにもたらしてくれるのです。

       1人1人のすべての存在は独自の進化の途上にあり、常にその時点で、あなたからはそうは見えないとしても、自分にとってのできる限りの最善の選択をしていることを知ってください。そしてあなた自身の選択が他の誰かに苦痛をもたらすことがあり得るように、他人の選択があなたや別の人に苦痛を及ぼすこともあり得るでしょう。しかしそうであっても、一見理に適わない理不尽に思える「思いやりと受容」という姿勢を生きることで、激しく強い対立的な感情反応を鎮めてそうしたエネルギーを霧消させ、すぐに穏やかで静かな状態へ戻って澄んだ意識を回復することができます。

       固定的で不変のものは存在せず、変化こそがこの世界の常態であり、それはすべてがエネルギーだからです。そしてこうした新しい認識を持つことで、あなたは自らの波動を高次の振動エネルギー場へと変化させ、自分の運命を自らが求めるものへと発展させ、変えていくことができるのです。そのための鍵は次の3つです。
       「気づき」 「選択」 「波動」


       book 『ハトホルの書』 トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著 ナチュラルスピリット

                               抜粋

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