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日本の山林や水源を買い占める中国資本

   これから起きる可能性のある「食糧危機」の際には、国や自治体はあてにはできません。これからは市民1人1人が、何とかして自給自足できる態勢を作る必要があります。世界同時の食糧危機が起これば、その時に日本がいくらお金を持っていても、食糧を買うことはできなくなるからです。今からでも遅くはないので、自給自足のネットワークを作ることを考える必要があります。身近に休耕している田畑があれば、同じ危機感を共有する人々同士で声を掛け合い、その農地を有効利用するネットワークを作り、食糧を生産するために活用することを考えるのです。

   ただしそのネットワーク=共同体は、意識改革を志す心を持っている人たちだけで行なう必要があります。その理由は、その仲間うちに強欲な心を持つ人や、「物に囚われている人」を入れてしまうと、せっかくのネットワークが結局バラバラに分裂してしまうことがあるからです。それぞれがお互いに、「心と体の浄化」と「心の変革」を意識し、心の改革を進めるという共通の目的を持ったネットワーク、共同体にならなければうまくいかないでしょう。

   今、中国は米などの食糧を大量に輸入し、備蓄を始めています。
   中国が狙っているのは、尖閣諸島だけではないのです。今、日本各地の水源や森林が狙われているのです。地球は「水の惑星」で、表面の3分の2が水で覆われていますが、その97%は海水であり、実際に「飲める水」は3%に過ぎません。その限られた水を、今や爆発的に増加している人類が奪い合う状態に突入しようとしています。そして地球環境の変化もそれを加速させています。

   中国北部では、毎年1700平方キロメートルが砂漠化しつつあります。
   そこで南の長江の水を運河で運ぶために「南水北調」という大工事が行なわれていますが、そもそも水源に雨が降らなければいずれ淡水は枯渇し、水質も悪化します。一方、中国・長江中流に建設された巨大な三峡ダムは、発電、洪水調節などが目的で作られましたが、堤防の長さが2300メートルという超巨大な本体に、手抜き工事が原因で亀裂が入っていると伝えられています。また、ダムそのものの過重が原因で大地震が起きたのではないかとも言われており、2008年5月の四川省大地震の原因の1つが、建設中であった三峡ダムではないかとも言われています。

日本の水源を「買い占め」する中国資本

   中国では飲み水が枯渇する危機感が高まっており、日本の豊かな水を狙って、全国各地の森林が中国資本にどんどん買収されるという事態が起きています。


北海道   北海道では、砂川市の森林292ヘクタールが、2009年11月に香港系企業に買収されました。それは東京ドーム62個分という広大な土地です。ここにはもともとリゾート計画があったのですが、バブル崩壊で計画中止となった土地でした。亡くなった中川昭一元財務相は、北海道が選挙区でもあったことから、「日本の森林が外国資本に買収されている」と、強い危機感を示していたそうです。

三重県   三重県大台町では、2008年に中国企業が水源地・宮川ダム湖を視察し、1000ヘクタールの買収を町に持ちかけました。しかし町が開発を断りました。

長野県   長野県天竜村では、東京から来たという日本人男性が「中国人が山を市場価格の10倍で買うと言っている」という話を、森林組合に持ちかけたそうです。

愛媛県   愛媛県松山市では、上水道事業をフランスのヴェオリア社にすでに委託しています。その結果、上水道料金が倍以上に値上がりしつつあるという状態です。

林野庁による事実の隠蔽工作が行なわれている

   中国資本のやり方は、日本の不動産会社をダミーとして使い、その実態がわからないようにして山林を買収しているのです。ある北海道の議会議員が調べたところ、林野庁が「海外資本の買収はなかった」(平成20年度)と結論していたにもかかわらず、北海道庁ではその同じ年に、「中国資本が58ヘクタールの森林を買っている」と報告していたことがわかり、議会で問題が指摘されました。つまり中国などの外資による買収の実態は、実は林野庁によって隠蔽されているのです。

   中国はロシアのバイカル湖からも水を買い入れるなど、周辺諸国の水資源を片っ端から買収する勢いです。日本の法律では、山林など都市計画区域外の1ヘクタール以上の土地売買については、国土計画利用法によって契約締結後2週間以内に、市町村を経由して都道府県知事に届け出ることが義務づけられているそうです。

   しかしそうであっても、誰が手に入れたかという個別の個人情報は公開されず、たとえ情報公開請求をしても、ほぼすべてが黒塗りの状態で提示されるだけなのです。つまり、誰が山林を売買しているのかがわからない仕組みになっているのです。農地だけは権利の移転が厳しくチェックされるのですが、山林の売買は、知事への届出だけでほとんどチェックが入ることはありません。

   これを問題だと考える民間団体などの声を受けて、やっと都道府県が水資源保護目的の条例を制定することに着手し始めました。北海道庁は、国内資本を含めて土地取引の監視を強める条例を成立させました。(2012年3月)そして埼玉県、茨城県などがそれに続いています。本来、そうしたことは国がきちんと法律を制定するべきことであるのに、なぜか、国際条約では外資の参入に絞って規制するのは難しいというのです。しかしこれは非常におかしな話で、そもそも日本政府が国土を外国資本に買収されることを防ぐことができなくて、どこが国家と言えるのかというとんでもない話なのです。

   この問題はTPPとも深く関わっています。
   TPPの条項の中には、土地の売買権や水源の権利、鉱業採掘権なども、外国企業に対して自由化されるという項目が隠されています。ですから中国がTPPに参加しなくても、第3国をダミーとして使うことによって、日本の水源や森林を買収しようとするのは間違いありません。現に中国は新潟市で、総領事館用地として市から5000坪もの土地を買収しました。

   この土地売買には実は伏線があり、2011年7月に、日本は手続きを経て北京に大使館をつくりましたが、中国が「違法建築だから使用を認めない」という揺さぶりをかけてきていたのです。そして外務省は中国の脅しに屈服し、北京大使館の使用を認めてもらう代わりとして、新潟の中国領事館の土地買収をバーター(交換条件)として認めてしまったのです。5000坪の土地といえば、小さな街ができるくらいの広さであり、領事館を建てるには広すぎる土地です。そのような広大な土地を中国は、日本各地で取得しようとしているのです。


    book 『闇の世界権力が”完全隷属国家日本”を強く望む理由』
                                 中丸 薫著   ヒカルランド

                          抜粋


   

「感覚の逆襲」によって本来の世界へ引き戻される

秋山   日本はある時期、仏教に非常にお世話になった時代があります。
      そのためにもう1度、仏教の因縁が戻って来ます。ですからそのために、恩返しに行かなければならないカルマが日本にはあるわけです。

布施   仏教への恩返し? 仏教はそんなに日本のことを助けましたか?

秋山   助けたと思います。仏教は6世紀くらいに伝来して、短期間のうちに日本を戦争がやりにくい国家にしたのですが、それは仏教のお蔭なのです。それ以前に伝来したと見られる儒教的な世界というのは、家を大切にしなさい。先祖を大切にしなさいと教えます。そして家が屈辱をうけたら相手を滅ぼしなさいというものです。

   では神道はどうかというと、神道は自然神を祭るのが主ですが、かなり初期の段階でできた多くの派閥のために、ほとんど勢力争いになっていました。しかも神道は6世紀ころから、絢爛豪華なものを造るほうに流れ始めていたんです。そこへ仏教が第3の勢力として入って来たのですが、特にインドからの北伝仏教、利他中心の大乗仏教が入ってきたのです。もし仏教の流入がなければ、戦争はもっと起きていたと思います。

   考えてもみてください。
   フランシスコ・ザビエルが鉄砲を持って来ただけであんなことになってしまうのです。あの短い間に戦国時代になってしまうわけですから、6世紀に来たのがキリスト教だったらと思うと恐ろしいことです。もちろんすでにユダヤ教は入っていましたが、武力と合体したローマ・カトリックに入って来られていたら、もう大変なことになっていたはずです。

布施   確かにキリスト教は、その土地の信仰や文化を野蛮だとして破壊してきた歴史を持っていますからね。もしそうなっていれば、今頃は我々も日本語を話していなかったかもしれない。

秋山   言霊(ことだま)なんかなくなっていたかもしれません。

布施   その仏教に恩返しするために、日本人技術者がインドに流出するというのは面白いですね。

秋山   やはり恩返しのカルマというのは結構強く作用するんです。
      良くも悪くも波のように、してもらったからやってあげるというのは自然に起きる因果の動きです。もっと前にさかのぼると、我々の先祖はペルシャから来ています。今のイラク、イランですよ。

布施   シュメールの話ですね。

秋山   ですからあそこを今の日本以上にするというのが、もう我々の持っている因縁なのです。それは親孝行するみたいなものなので、行かないわけにはいきません。ただ、今のところはそんな状況ではないので、日本人が本格的な恩返しに行くのは、今のカルマが終わってからだと思います。

ITに対する、「感覚の世界」からの逆襲が始まる

秋山   実は2030年あたりの大きな問題は、世界的なサイバーテロを含めて、コンピューターの大規模な誤作動が起きることです。それはコンピューター・システムが全部止まってしまうような大災害で、それが2030年から2040年までの間に来ます。それはアトランティス崩壊のプロセスによって生じたカルマなので、それが絶対に来ます。それはつまり、全データのメルトダウンです。

   つまり人間が生(なま)のつながりに戻るということで、その揺り戻しが必ず来ます。
   すでに子供や若者たちは、人に会うことの意味や、言葉を超えた大きな心への尊厳も持てなくなっており、それをないがしろにしています。本来、思考の世界から生まれたのがコンピューターですが、その対極にあるのがユングの言う感覚の世界です。そのバランスが崩れる時、逆襲が発生します。

   まずある時、「ピッ」とコンピューターのシステムが止まります。
   銀行から何からドンドンドンドンすべてが止まっていきます。そして世界中でパニックが発生します。それはアトランティスの時と同じです。

布施   お金は自宅のタンスの中に入れておいたほうがよさそうですね。

秋山   いや、もうそうなったら、大事になるのは畑なんです。
      つまりもう、自給自足を考えるしか方法はないのです。ですからこれからの日本では農、食、観光といった自然そのものが売り物になります。日本では農業と自然と天然エネルギーを共存させることこそが、日本の本当の売りになります。

   本来、日本はいくらでも自給自足ができるのです。
   国土の7割は山ですが、そこに生えている植物のほとんどは食えます。国土を焼け野原にされない限り、まだまだ日本は自給自足できます。

意外と長引く朝鮮半島情勢

秋山   
朝鮮半島の調整は、意外と長引く感じがします。
      なぜならあそこに決着をつけてしまうと、ロシアと中国と日本の軍事力バランスを、直接6ヶ国協議でやらねばならなくなるからです。だからまだじゃれ合っていないと、ガチンコ勝負になってしまうので、その意味では今の状態はうまくできていると思います。

   逆から言うならば、北朝鮮のおかげで、他の5ヶ国が仲よくできているという構図があるのです。現に北朝鮮が何かして暴れるほど、そうなっていっているわけで、誰かを悪者にしておいてうまくまとまるということです。

宗教の未来

秋山   
宗教の違いから、文明の衝突が起こるとは思いません。
      日本の現状を見てもそうですが、すでに大手の宗教組織では信者が激減していっています。すでに既成宗教は信者の獲得が極めて難しくなってきており、この現象は一層加速すると思われます。そしてそれに代わる、コミューン(自治的な共同社会)のようなものが非常に増えてきており、それはネットワークビジネスをも含んでいて、精神的な基軸を持っています。

   そういう精神的コミューンが増えて広がっていくと、新しい合議体制ができてくるでしょう。これまでのような傲慢なやり方でやってきた、キリスト教やイスラム教離れが起きてきます。仏教も同じですが、日本では特に仏教離れがすごいですね。

   精神的コミューンというのは、もっともっと緩やかな宗教的サークルや哲学的サークルのようなものですが、そういうものがこれから増えると思います。その動きは世界的にもそうなっていきますが、ただ日本で起こることは世界で起こるよりも50年くらい早いとされているので、これから50年後くらいには、世界でもそういう動きが起きてくるでしょう。


       book 『楽しめば楽しむほどお金は引き寄せられる』
                          秋山眞人+布施泰和   コスモ21

                           抜粋


      

  

日本から大量の人材流出が加速する

   どんな複雑そうに見える経済であってもその基本は単に人と人との関係から生まれています。どうすれば人が喜ぶだろうか、ということです。快、不快であれば、やはりみんな「快」のほうにお金を使うわけです。ですから本当の意味で儲けた人というのは、効率よく多くの人を喜ばせた人で、そういう人が利益を上げるわけでそれが当たり前なわけです。

   たとえば日本は戦後、世界のために非常に貢献しました。
   世界中にものすごく多くの仕事を提供したし、経済の流れも作り、よい製品を世界に送り続けました。ですから本来なら、世界で一番裕福な国になっているはずなのです。それなのにこんなに疲弊しているのは、そこに陰謀があるからで、日本は国際経済という陰謀に巻き込まれているからです。つまり本来なら日本人に入るべきお金を、持ち去っている国家があるということなんです。

   アメリカは戦後、あらゆる手を講じて日本人に気づかれないように、日本のお金を持ち出す構造を作り上げました。つまり日本は、アメリカのキャッシュディスペンサー(現金自動支払い機)の役割を担わされてきました。国内がどんなに困っていても、アフリカやアジアに投融資する。ところが日本人はそれを誰も不思議に思わないし、疑問に思わない。

   政府開発援助(ODA)を含む初期の海外投融資では、砂漠にダムを作っておいてその後誰も使わないで放置されている。そういうことがたくさんあったのです。あれは何だったのかと考えると、やはり誰かが日本から金を吸い上げるためのダミーだったわけです。しかし誰もそのことを追及しない。

   そういったシステムの1つが原発です。
   原子力については、アメリカがほぼ特許を独占しています。ですから原発を作れば作るほどアメリカが儲かるようになっているわけです。つまり簡単に言えば、古くなって型落ちしたようなシステムを日本は買わされながら、エネルギーを原発に依存するように仕向けられてきたんです。そうすれば日本の首根っこを掴んだも同然ですから。

電子マネー、ITの持つ暗黒面が世界を破壊する

   
日本では30年以上続く会社は老舗でも少なくて、せいぜい2%程度です。
   これはとてもいいことで、ほとんどの会社は乱れるのが普通で混乱します。そして単なる利権構造になって、変な権謀術数がはびこる集団になり、そういう会社は滅びていくことになります。ただ最近はそういう悪い会社が滅びにくくなっていますね。しかも証券経済では、そうした滅びるべき会社に投資がしやすいのです。

   たとえば入り口はタダというソーシャルゲームの会社が、どこで利益を上げるのかといえば、それはタダということで釣られてきた客がたまたま買ってしまうグッズや情報で、莫大な利益を上げているんです。そこには実業、虚業という問題がありますが、そういう商売は長くもつわけがないんです。そもそもITが提供してきたさまざまなサービスは、今後50年、100年続くのかどうか考える必要があります。インターネットなどのITが提供したものは、霊的な側面から見ると未だに、何かまったく虚無の白い砂漠のようにしか見えません。おそらく今後50年、100年以降には何も残ってはいないと思います。なぜなら本来の、もっと単純なところに戻ると思われるからです。

   今の世の中の危険は、闇の権力者といわれる人々が肥え太り過ぎてしまったというところにあります。それというのも、彼らにとって何よりも都合がいいことは、一般庶民がいつまでも無知で、彼らに使われる表の権力者までもが、単なる彼らの手先でしかないことです。ですから私たちは陰謀論がどうのこうの言うよりは、自分たちに身近に関わる政治や、実際に何が行なわれているかを見極めるべきなのです。直観力も磨かなければならないし、もっと人と人が交わらないといけない。私はその意味で、インターネットは最終的に経済を破壊するだろうと警告しています。

   アトランティスが滅んだのは、実は電子マネーが原因だったと言う人々がいます。
   アトランティスではテレパシーも使われていたので、テレパシーがそういうシステムに加担していた可能性があります。というのも、電子マネーのような装置そのものがテレパシーに似ているからです。しかし人間は次第に、テレパシーよりも物質的な機械に流れていった結果、それで滅んだとも言われています。当らずとも遠からず、歴史は繰り返すで、私もこのままいくと人間は電子マネーとインターネットで確実に滅ぶと思います。

   そこにあるのは、人と接すると言う基本を忘れてしまうことです。
   自分を名前を持つ1人の人間として存在するようになって始めて、インターネットは社会的に生きるものになると思われます。SNSやフェイスブックの中で出会った人たちが繋がっていると思ったら大間違いです。それは単なる箱の中の出来事ですから、実際に出会っているわけでも何でもない。それがビッグビジネスにつながらないのは、やはりそこには精神的なつながりが希薄で、信用の入り込む余地などないからです。

   このことを肝に銘じておかねば、人類は今後必ず、インターネットや電子マネーによって壊滅的なダメージを受けることになるでしょう。ただ、インターネットを全面的に否定しているわけではないのですが、本名を名乗れということです。それだけでいいし、隠れて一方的に批判したり攻撃するのは卑怯者のすることです。そうである限り、便所の落書きでしかなく、戦うつもりなら出てきなさいということです。

   今、自分にお金がなく、自立して仕事を始めようとするのなら、周りの人やさらには不特定多数の人々を、喜ばせられる何が自分にあるのかを必死で考えて、そこに食らいついていくことです。最近、「何やっていいかわからない」という「豊かな」若者が多いですね。親がベタベタお金使って守って、大人たちも社会もまるで腫れ物に触るようにマニュアルを与える。で、とりあえずアルバイトかなんかすればそこそこ稼げる。だから独立の気概を忘れるのは当然ですね。

   たとえば高級店でモノを買う。デパートでモノを買う。
   これはすごい経済貢献なんです。それをやらないで100円ショップでモノを買い、飲み屋にも行かないで家で友達飲みをする。これでは経済貢献がほとんど起きていないわけです。私はそんなことをするのは子供だと思います。社会貢献するには、やはりお金を使う責任もあるわけです。お金を稼いだら、使うことで社会貢献する。そういう循環ができないと経済はまわらず、あらゆる産業が疲弊するし、就職難になるのは当然です。つまり自分たちで就職難をつくっているわけです。

日本で始まる人材の大量流出     

  
 日本は、2030年ぐらいまでにアジアの盟主になります。
   経済の牽引力になるし、ユダヤ人もアメリカ人も中国も、やはり日本を伸ばさざるを得なくなります。日本はやはり不思議な霊的性質を持った国なんです。ですからある意味、みんなから支えられてしまう国なんです。

   2030年から2040年を基軸にして、日本の技術者たちが「もうバカバカしい」と言って海外へ流出していくことになります。すでに起きていますが、もっと加速するでしょう。日本にいても自分の技術に正当なお金が支払われないので、技術者たちは海外へ出ていきます。それでスカウト合戦が激化することになります。

   日本の企業が正当な対価を技術者たちに払っていないわけですが、しかし企業は払えないのです。なぜならあるシステムがあり、それによってアメリカがすべてを吸い上げているわけで、そのシステムは非常にはっきりとわかっています。それにはいろんな方法がありますが、たとえば湾岸戦争の前、各地にダイオキシン対策専用の溶鉱炉を造れ、特殊な窯を造れと言うことで、各都道府県から250億円の予算を出させたことがありました。しかしその特許料の半分はアメリカが持って行きました。それが湾岸戦争の爆弾のカネになったのです。

   それは最近、日本人科学者がノーベル賞をもらうこととも関連があり、日本の科学者たちにもう日本でなんか働かないで、こっちに来ればもらいやすいと言っているんです。東大や京大、あと名古屋大などでもそうで、若手の優秀な人たちには誘惑が多いんです。そして向こうへ行ったほうが楽なわけで、なぜなら向こうでは研究室にお金が下りるのではなく個人にお金がいくのです。ですから本当の天才は、バカな教授を相手にしなくてもいいんです。しかし昔天才だった人も、年を取るごとに飼い慣らされて、やはりバカ学者になってしまう。そして極めつけは後輩いじめをやる。自分と同じくらいの天才的力を持っている後輩を、徹底的に潰すのです。

   とにかく2030年から2040年にかけて、日本の技術者が大量流出します。
   でも今度はアメリカにではなく、アジアにです。中国は日本の技術者を大切にしないので、中東からインドに日本の技術者がたくさん行くようになります。
                                            秋山眞人


     book 『楽しめば楽しむほどお金は引き寄せられる』 
                           秋山眞人+布施泰和  コスモ21


                           抜粋

 




































   


 

国連で決議済みの「敵国条項」削除を実現化させよう

   1945年の敗戦から6年後の1951年9月8日、日本が世界48ヶ国と結んだ条約が「サンフランシスコ講和条約である。しかしこれまでも私は著書で幾度も指摘してきたが、この条約の正文は英語版とフランス語版、スペイン語版しかない。この条約の当事国は日本であるのに、日本語版が準正文扱いになっているのはどういうことなのだろうか? 日本国内ではこの条約によって「主権国家」として独立したことになっているが、条約の正文英語版にはindependent (独立)の文字がどこにもないのはなぜなのだろうか?

   この調印式の前には3日間にわたり会議が行なわれ、そこに集まった戦勝国側の各代表はそれぞれが自国の有利になるように総力を上げ、しのぎを削った。つまり敗戦国日本が放棄した海外資産などのほとんどは、イギリスやアメリカなどの大国に独占されていたので、フィリピンやオーストラリアの代表団はそれは不平等だといって抗議していたのである。

   会議の終わりに吉田茂は、日本から持参した英文のスピーチ原稿を読む予定であった。ところがアメリカ代表団のウィリアム・J・シーボルトによってその原稿はチェックされ、結局、シーボルトらが書き直したものを吉田は読まされたのである。

   終戦直後であれば日本からの全権団もこれほど弛緩することなく、国益を守ろうと必死になったはずで、戦争の原因に関しても日本側からの激しい弁明もあったはずだと思われる。しかし終戦後の6年間にわたるGHQ の占領期間を通じて、日本の政官財界の中枢は完全に牙を抜かれていた。ゆえに本来重要であるはずの講和会議もまったくアメリカ任せにしてしまったのであった。

   その結果、アメリカ側の一外交官が、現役の一国家の代表であり首相が行なおうとしていた演説を手直しさせて読ませるという、あり得ないことが行なわれるのを許したのである。すでに当時の日本人の中には、「何をするにもまずアメリカのチェックが入ってから」、「とりあえずアメリカの言うことに従っておけばいい」といった意識が浸み込んでいた。それが日本の全権団の会議中の居眠りであり、首相の原稿のチェックに意義を申し立てることすらしないという理由だった。そしてこういう記事を読んでも、何の違和感も感じることのなかった当時の日本国民に一番問題があったのだ。

   日本は上から下まで、このようにすべからく”弛緩”していたのである。
   「アメリカが何とかしてくれるはず・・・。」 終戦後の6年間のアメリカの占領は、日本国民をすでに徹底的にアメリカ依存体質に貶めていたのである。これが日本とアメリカの関係の始まりである。

   連合諸国は、サンフランシスコ講和条約の会議中、日本議員団の会議中の居眠りと、また首相の原稿の差し替えにも抗議しないその姿を見て、当時の日本がどんな国であり、どのように接すれば自分たちの国益を満たせるかを学んだのである。以上がサンフランシスコ講和会議の実情であるが、この条約に果たして日本語の正文が必要だと彼らは考えただろうか? 「首相の原稿まで差し替えられて黙っている国に、正文など必要ないだろう。手ぶらでは帰れないだろうから、日本語訳のものをあげよう。それを国内で発表しなさい」ということだ。この日に日本が独立した? 「バカも休み休みに言え」と言うべきだろう。

   サンフランシスコ講和条約によって日本が得たものは、名ばかりの主権であった。
   いやむしろ、条約そのものが名ばかりだったと言うべきだろう。たとえば第5条で、日本は「武力による威嚇または武力の行使は(中略)いかなる方法によるものも慎むこと」とされたが、「個別または集団的自衛の固有の権利を有すること、および日本国が集団的安全保障取極めを自発的に締結することができる」とも承認されている。つまり、武力行為は慎め、しかし自衛権はあるという矛盾した内容なのである。

   それも仕方のないことで、連合国48ヶ国との条約であるから、各国同士の思惑が絡み合ってどうしてもそうした玉虫色の表現になってしまうのである。この矛盾を解消するために用意されたのが、同日に締結した「日米安全保障条約」ということで、日本の自衛あるいは侵略行為は米軍が責任を持つという関係である。ただし講和条約はその前文で、国連憲章を遵守すべきとなっているので、その大前提に国連憲章ありきの構造なのである。つまり、国連憲章には有名な「敵国条項」があり、日本の自衛権はここで大きく制限をかけられている。

   つまりサンフランシスコ講和条約は、これだけではなんの意味もない条約であり、日本の独立について何1つ具体的に書かれたものはなかったのである。私がこの条約には中身がないというのはこういう理由からである。

NHK と命名したのはGHQ   

   
日本放送協会が特殊法人として設立されたのは1950年である。
   現在の「国営」放送NHK の誕生である。もっとも日本放送協会自体は戦前からあったが、その社団法人を継承したものが現在のNHKである。それはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムのプロデュースを行なっていた、日系アメリカ人・フランク・馬場がNHKの名称にゴーサインを出した。(石井清司著 『日本の放送をつくった男―フランク馬場物語』 毎日新聞社刊) NHKの本放送が開始されたのはサンフランシスコ講和条約後、GHQが解体された9ヶ月後のことであった。

   その当日の放送は、米国で10日前に行なわれたアイゼンハワー新大統領の就任式の実況映像であった。開局式典とは単なるセレモニーであるが、その日本で始めて放送されたテレビのプログラムは、アメリカ大統領を主役としたものだったのだ。また同年の8月28日には、正力松太郎による日本テレビ放送網が開局している。正力はCIAのスパイであったことはすでによく知られているが、彼がCIAから渡された資金によって所有した讀賣新聞や日本テレビを通じてCIAが情報操作していたことは、彼のポダムという暗号名などで記録されたアメリカ公文書図書館の文書に明らかにされている。

   それまでのアメリカによる情報操作は主にラジオを使ったものであったが、講和条約後の情報操作はそれ以来テレビに切り替えられた。テレビは本来、アメリカ文化を日本国民に刷り込むものとして使われたが、反共思想を強固なものとする思想教育を行なうための目的も隠されていた。そしてこの反共思想プログラムは、現在でも日本のメディアに意図的に深く突き刺されたままになっている。

   それが日本人の多くが未だにロシアを必要以上に怖れたり嫌ったりすることであり、その原因はこうしたプログラムが未だに効果を上げている証拠といえる。このようにして煽動されていたことに気がつくならば、日本の真の国益を考えるとき、ロシアに対する思い込みというイメージについて、今一度考え直す必要があることも見えてくるだろう。

国連憲章の敵国条項   

   
敗戦から70年が経ったが、講和条約後の日本では引き続き、メディアによる情報操作
の動きは延々と現在まで続いている。しかしこうした事実が人々に露わにされ始めるにつれて、日本人の意識は変わって来ている。やっと真実に気づき始めたと言っていいだろう。ただし、ある問題だけは未だに変わってはおらず、それが日本人にとって根源的な問題としてある。それが国連憲章の敵国条項である。これは国連憲章の第53条、第77条、第107条の規定であり、特に重要な部分は第53条だろう。

   「いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取り決めに基づいて、又は地域的機関によってもとられてはならない。もっとも、・・・この敵国における侵略政策の再現に備える、地域的取極めにおいて規定されるものは、関係政府の要請に基づいて、この機構がこの敵国による新たな侵略を、防止する責任を負う時まで例外とする」

   ここで言う”敵国”とは、第二次世界大戦中の敵国を指しており、解釈によってはさまざまな国が敵国とされるのだが、日本とドイツだけは常に敵国認定がされている。これを踏まえて第53条を分かりやすく言うと、国連加盟国はいかなる戦闘行為も安全保障理事会の許可が必要であるが、例外的に、”日本およびドイツなる敵国”が侵略政策の再現をもくろんだと想定された場合、これを事前に防止するという意味で、敵国に対しての戦闘行為は例外的に許可される”ということである。

   つまり、「戦争の準備を始めている」と近隣の諸国が「判断した」だけで、「日本とドイツには攻撃してもいい」と、国連は認めているということなのである。これはたとえば、日米安保条約を破棄し、独自の軍隊を作るための憲法を制定した途端、侵略戦争の準備を始めたと言われて、先制攻撃を受ける可能性を否定できないということなのだ。

   これが、今の日本の現状なのである。
   保守政党が言っているように、独立国としての日本を真剣に希求するのであれば、9条の改正などなんの意味もないのである。変えるべきは国連憲章なのである。ここを多くの日本人が勘違いしているのだ。国内法にしか過ぎない憲法に固執したところで日本の立場は何も変わらないのであり、国際法である国連憲章の存在を忘れてはいけないのだ。

   もちろん、日本だってこれまで手をこまぬいていたわけではない。
   1995年には、国連憲章の敵国条項は国連決議によって削除することが決まったのである。これは日本とドイツのロビー活動が功を奏した結果であるが、しかし現在に至るまでなおそれは履行(りこう)されてはいない。なぜなら国連憲章の改定には、すべての常任理事国および国連加盟国の3分の2以上の批准が必要だからだ。敵国条項削除のためには国連決議に加えて、アメリカ、中国、ロシアなどでの国会での承認が必要となる。しかしそんな承認は、どこの国もしないのが現状である。

   ということは現実問題として、”敵国条項”を外すのはほぼ不可能ということである。
   しかももっともやっかいなのは、敵国条項が現在でも生きている、ということである。現に旧ソ連との北方領土問題では、ソ連は敵国条項を持ち出し、自国の主張を通そうとした。ただしロシアは1991年の日ソ共同宣言で、敵国条項は持ち出さないという取り決めができている。

   問題なのは中国である。
   尖閣諸島領有問題で日本と争っている中国は、現在アメリカにおいて「敵国条項によって国連決議なしで日本を攻撃できる」というロビー活動を行なっている。このように国際問題が起きるたびに、日本は敵国条項を持ち出されて譲歩を迫られているのであり、これが日本の戦後の歴史なのである。ゆえに日本は、絶対に敵国条項を外さなければいけないのである。そうしなければ日本の戦後は終わらず、日本の独立も始まらない。

   しかし政府による、敵国条項を外す方策は尽きている。
   少なくとも日本の官僚たちはそう感じているから、現在、ロシアと中国が敵国条項を持ち出しているという事実を大きく報道させないのだろう。では日本は永遠に、敵国条項に縛られたままでいなければならないのか? 問題は、官僚たちがやってきた正攻法だけの戦い方にある。削除の決議までされていながらそこから先に進まないということは、そのやり方ではもう解決できないのである。

   もっと根本的な考え方をすることで、初めてこの問題の解決法が見えてくる。
   その糸口が、国際連合、国連とは何かということで、国連とは戦勝国クラブのことであり、それは決して紳士的な集まりではない。そのことは国連の通常予算分担比率を見れば一目瞭然である。アメリカも中国もロシアも分担金はほとんど払っていない。払っているのは日本であり、しかも常任理事国ではない日本が、100%の分担金を支払う拠出額最高国なのである。

   そうでありながら常任理事国になることを許さず、敵国条項も外されないのは、国際連合というのは名ばかりで、国連というのが単なる戦勝国クラブであるからだ。私たちはそろそろ、この事実を直視しなければならない。そして直視することによって初めて見えてくることがあるのだ。

さらば、
敗戦国大日本帝国JAPAN   

   
日本は敗戦国である。
   だから本来、国際連合とは戦勝国クラブであるゆえに、敗戦国が加わる組織ではない。つまり、日本は国連を一度脱退して、戦後をご破算にすることが必要なのである。正攻法ではすでに「万策尽きて方策はない」、ということを頭に入れて読み進めていただきたいのだ。

   そもそも日本人は日本のことを”日本”と思っているが、海外の人々は何かことが起きれば「日本帝国の復活だ」として日本から金と譲歩を引き出そうとする。また日本の英語表記はJAPAN であり、国連憲章もサンフランスシコ講和条約もJ
APAN として調印している。日本人は”日本”のつもりでサインしているが、海外では”大日本帝国”としてサインしたと思っているようである。だからこそ国連憲章もサンフランシスコ条約もいまだに有効なのである。つまり、JAPAN は連合国にとってもいまだに紛れもなく敵国・大日本帝国なのである。

   ではどうすればいいのかと言うと、大日本帝国であることをやめて名実ともに”日本”になればいいのであり、それが国連からの脱退である。大日本帝国”JAPAN ”は国連から抜けてすべてをご破算にして、改めて国連に再加入すればいいのである。その時、国名は日本人にとってごく自然に感じられるNIHON、あるいはNIPPONに変えて加入するのがポイントである。NIHONはまったく新しい国であるから、敵国条項から自動的に外れることは言うまでもない。

   すでに正攻法はやり尽くして方策はないのである。
   そうであればこの方法は検討に値すると私は思う。実際にインドネシアは一度国連を脱退し、再加盟している。もちろん、ことは国名変更であるから大事なことであるが、しかし国民のコンセンサスはそれほど難しくないと思う。なぜなら古来より日本人は、日本のことを日本と呼んできており、自らの国をJAPANと呼んだことなど1度もない。この呼び名は本来、外国が「黄金の国ジパング」と勝手に命名したものが由来であり、日本人の感覚としてはこのほうが不自然なのだ。

   日本は日本人が呼ぶようにNIHONでいいだろう。
   そして再加入する際にも、常任理事国入りを求めたりせず、分担金も他国が払わなくてもこれまで通りに払う。NIHONが望むのはただ一つ、敵国条項の削除だけなのである。それでも文句を言ってくる国はあるだろうし、おそらく中国は、敵国条項を外して侵略の準備を始めると文句を言うだろう。しかし我々は、”すでに国連で決議された敵国条項の削除”を実際に現実化させる道を実行したいだけなのである。しかも本当に侵略戦争を始める気であるならば、国連に再加入する必要などない。

   そうではなく、この再加入は「NIHONが恒久的な平和への誓いを内外に宣言する」ためのものなのである。連合国によってでもなく、アメリカによってでもなく、日本が自らの手で過去の戦争の幕引きをするのである。これが真の終戦であり、日本の独立なのである。真の独立を果たせば、アメリカの属国といった瑣末(さまつ)なことからも解放される。なぜ瑣末な話かといえば、対米従属とは実はアメリカが日本に押し付けたものではないからである。つまり日本が積極的にアメリカに媚びていった部分が大きかったことは否定できない。対米従属を利用してきたのは、アメリカだけではなく日本でもあったということだ。

   日本の権力者たちが、時にGHQに、時にウォール街に、またアメリカ政府にと、自分たちの都合に合わせて擦り寄っていった結果が対米従属なのである。それに対してアメリカは国益や自らの利益のために、近付いてくる日本人を利用していたに過ぎないのだ。つまり日本国民の真の敵は、自分たちの利益と富のために日本を売り渡し、アメリカを利用する、日本の権力者たちなのである。私たちが戦うべき相手は彼らなのである。

『あとがき』
   日本は敗戦国であり、敗戦国は戦勝国によって蹂躙(じゅうりん)される。
   我々はこの事実から眼を逸らしてはならないのであり、もし逸らしてしまうならば永遠に蹂躙されたままである。しかしそれを正面から捉え、知恵を振り絞って対処すれば覆すことは可能なのだ。敗戦直後の日本は、それから眼を逸らし、経済にのみ力を注いで邁進してきた。それはほとんど成功したかに見えたが、結果、経済にばかり傾注するあまり、多くの重大な問題を置き去りにしたままにしてきてしまった。

   そのツケが今噴出しているのである。
   中国との問題などはそのいい例である。領土防衛の問題、再軍備の問題、そして敵国条項の問題である。日本という国が自分たちの問題として解決しなければならない問題であるのに、私たち日本人は心のどこかでアメリカに頼っている。日米安保条約をよく読めばわかるが、基本的にはこの条約は抑止力にしかならない。

   たとえば中国は、経済混乱から近い将来内戦が起きるリスクが高まっているが、その場合は日本も巻き込まれる可能性がある。そうなれば中近東で戦争が起きる可能性もある。アメリカは自国の国益から動くので、日本の防衛よりは中近東での戦争に力を割くだろう。私たちはそれを知っているはずなのだ。以前はそのような議論を多くのメディアが行なっていた。

   しかし人は、自分の見たい情報しか見ることができない。
   私は常々、無知は最大の罪だと言ってきた。無知とは何かと言えば、情報にアクセスしないことではなく、眼の前にある情報を見ないことを言うのである。見たくないものから目を逸らし、触りたくないものを放置してきた私たち日本人は、戦後の70年間をそうやって生きて来たのだ。しかしいまや、もうそれは通用しなくなっている。これまでの日本は、面倒なことはすべてアメリカに押し付け、その代わりに従順を誓うことで両国の関係はうまく回ってきた。

   ところがそのアメリカが衰退して来た現在、日本は新たな道筋を選択しなければならない。新たな宗教の神を探すように、新たな従順を誓うどこかの国を探すのか、それとも真の独立を果たすかなのだ。私はもうそろそろ、戦後は終わらせるべきだろうと思っている。日本は今、自分の足で立ち上がるべき時であり、問題はどう立ち上がるか、なのだ。

   私たちは世界最大の経済大国に見合った責任を持つ国になるべきだと思っている。
   他国の庇護を当てにしたり、かつての大国を足蹴(あしげ)にすることなく、正々堂々とやることである。それこそが問題を解決する一番の近道なのだ。





      book 『日本人の99%が知らない戦後洗脳史』 苫米地英人著 ヒカルランド

                           抜粋

    

   
   
   

私たちは日常的に「電磁波暗示攻撃」を受けている

飛鳥   アメリカは今、日本でどういう奇形児が生まれているかを全部サーチしていて、そのデータは日本の一般市民には流されることなく、日本政府とアメリカにだけ流されるようになっている。アメリカはそういう貴重なデータを欲しがっているんです。彼らにすれば近代の大都市が被爆するのはめったにないチャンスであり、貴重なサンプルだからね。それが欲しいから東京オリンピックも全面的に支援するし、(放射能は)何も問題ないよとお墨付きを与えているわけ。本当のことを言うと都民が逃げ出しちゃうからね。

山口   黄色人種は放射能の害を受けにくいという話がありますね。
      白人だともっと致命的な影響を受けるとか、福島規模の事故だと白人ならもっと死んでいるはずで、それなのに日本人が死なないのはおかしいと言われているとか。

飛鳥   ただ日本は隠蔽体質があるから、本当の数字が出て来ないということもあるね。

山口   そうですね、特定秘密保護法案によってさらに分からなくなる。

飛鳥   特定秘密保護法はアメリカのために作ったんですよ。
      以前、自民党は防衛庁を防衛省に格上げして予算の枠を増やしましたね。その次に検察庁を検察省に格上げする予定だったんだけど、その前に衆議院選挙で霞ヶ関改革を掲げた民主党に負けた。ところが今回、アメリカの入れ知恵で選挙操作をやったおかげで自民党政権が復活して、これから自民党は100パーセント勝ち続ける。つまり何から何まで選挙から何から全部操作できるから、何をやっても勝つ。

   だから石破幹事長が、国会前の反原発デモをテロとみなす的な発言をしても解任されないし、麻生副総理がナチスに学ぼうと発言しても大丈夫なわけ。衆参両院で多数を占めたからね。これは戦前・戦中よりもひどくて最悪の状況。

   これから検察庁が検察省になるとどうなるか?
   これまでは予算が足りなくて企業のみを精査していたのが、これからは国民1人ひとりをチェックするようになる。そのための住基ネットワークなんです。私はこれを作った人間を知っていて、彼から直接聞きました。つまり住基ネットワークというのは、単に住民票をやり取りするだけのキャパじゃないという。個人がどこへ行ったか、何を買ったかというデータなんかを放り込んでもなお余りがある。

   つまりこれによって最終的に、国民総背番号制と連動させて国民を容易に管理できるようになるわけです。要は「特高警察」の復活なんです。戦前に戻したいんです、自民党のジジイたちは。特にN(元首相)がそれを求めているという。「昔はよかった。右向け右、と言えばみんな右を向いた」と。だからヤツは昔へ戻せと言っているそうで、自民党は絶対これをやりますよ。そしてアメリカが全面的にこれを利用する。

山口   そうなると自民党も世界統一支配に組み込まれていくしかない。

飛鳥   でも昔はアメリカに対して抵抗する人がたくさんいたんだ。
      田中角栄もそうだったけどやられたし、中川昭一もそうだった。アメリカに楯突く人間は潰される。

山口   ホテルで首吊りというのも本当に多いですよね。

飛鳥   そうそう、ホテルに泊まっている時点で自殺する可能性はないからね。

山口   わざわざ自殺するためにホテルに泊まるかという話ですよ。
      そういうこともあって最近は有名人は、「私は自殺しません宣言」をしている人が多いですね。

飛鳥   しないと危ない。
      それでそのやり方も必ず、ドアの取っ手に何かを引っ掛けての首吊りですよ。

山口   そんな死に方があるかという話ですよ。
      刺されても痛くない針をCIAが開発したというのは、ニュースにもなっていましたからね。そういうのを使って殺した後、タオルかひもを使った首吊りに偽装する。

飛鳥   アメリカはそういう技術には非常に長(た)けていますよ。
      たとえば、手の平に収まるくらいの小さい装置があって、これを敏太郎さんの後ろに回って作動させると、それだけで人格を変えることができる。つまり電磁波が脳に働きかけて一時的に人格を変えるわけだ。アメリカの実験映像では、大学のキャンパス内を歩いている現役の教授に、NSAの人間が近付いて装置を作動させ、耳元で「おまえはホームレスだ」とささやくと、とたんに人格が変わって物乞いをし始めるんです。わずか1秒でこんなに変わる。

山口   実験映像があるんですね。

飛鳥   私が持っています。
      この装置を使えば、アメリカに対して都合の悪いことを言うNHKのアナウンサーがいれば、近付いてその人物を操作して痴漢をさせることもできる。「お前は痴漢だ」とささやけばいいわけで、ありえない人がその小さな装置だけで人格が一時的に変わってそれをやっちゃう。そうやって痴漢をやらせて、一気に潰して追い出してしまう。

山口   ジョン・レノンが殺されたときも、犯人のマーク・チャップマンには、「『ライ麦畑でつかまえて』を読むとジョン・レノンを殺す」という暗示がかけられていたんでしたね。

飛鳥   よく催眠術で殺人を犯させることはできないと言ってるけど、実際にはあり得るんです。それについては弾の入っていない拳銃を使った実験をやっていて、殺人暗示をかけられた被験者が実際に発砲することがわかっています。そして又元へ戻す。そのままなら単におかしくなった人ということだけど、元へ戻すと本人も「魔がさして痴漢してしまいました」となって、それでアウトなんです。そういうことだからスノーデンのような曝露する人間はなかなか出て来ない。

山口   そういえば通信傍受施設のエシュロンについて、石原慎太郎さんが国会で質問してましたね。「三沢基地にエシュロンというものがあるが、これは我が国として放っておいていいのか?」と。小野寺防衛大臣の答えは、「それがエシュロンだとは確認していない」と。

飛鳥   それで官房長官が、「私ども日本は同盟国なので盗聴されるわけがない」とも言ってたけど、バカだね~。後になってアメリカが日本で情報収集していることが、スノーデンの曝露でバレたよね。バカなのか確信犯的な国賊なのか、どちらにしても話にならないよ。こういう人間が日本を治めているのかと思うとゾッとするね。


        book 『激ヤバ情報 曝露します』 飛鳥昭雄・山口敏太郎著 文芸社

                            抜粋

      

アメリカにいじられ続ける日本と韓国

山口敏太郎   韓国に渡った内閣府職員の男性が、北九州市の響灘(ひびきなだ)の沖でゴムボートに死体で発見されたという事件がありましたね。現役警察官で上九一色村の捜査にも参加した友人の某君に聞いた話では、やはり殺されたのは韓国内だろうということなんです。殺されて、死体はフェリーの荷物に紛れ込ませて日本に持ち込み、犯人グループが彼のカードで買った韓国製のボートに載せて浮かべておいた。

   500メートル沖合いに浮かんでいたというのですが、あの辺りは夜には人気(ひとけ)がないんです。それで発見時にはボートに人がいたけど、巡視艇が近付いたらその荒波で沈んだそうです。ということは韓国から日本に渡って来られるわけがない。その程度の荒波で沈むくらいですから。ただ、韓国の犯行ではないような気もします。

飛鳥昭雄   まずIMF
(国際通貨基金)のアジア太平洋局のトップがこの2014年2月から韓国人の李昌鏞(イ チャンヨン)になったということが重要なんです。それで自民党は大慌てで消費税を一気に8パーセントにした。どういうことかというと、韓国はサムスンの損失が深刻で資本の海外流出が止まらない。おまけにアベノミクスでウォン高になって輸出に大きなダメージが出ている。だけどこれは韓国だけの問題じゃない。つまり韓国の銀行や企業のバックにはシティバンクがいるから、韓国経済が崩壊するとアメリカが困るわけ。

   そこでアメリカが画策しているのが、日本の消費税のアップ分をそのまま韓国への経済支援に使うということなんだ。韓国をまた助けるわけで、日本はこれまでも同じことを何度もやってきているんです。だから今の朴槿惠(パククネ)大統領が「第二の漢江(ハンガン)の奇跡を起こそう」と言っているのは、「もう一度日本から莫大な援助金をふんだくろう」ということなんです。韓国もずるくて狡猾だけど、ふんだくられる日本も相当のバカですね。

   それで2013年12月の末に安倍首相が靖国参拝したのは、それに対する抵抗なんだよ。あの参拝で韓国がまたワーッとなって「ふざけるな日本」と言い出したわけ。それは安倍首相のもくろみ通りなわけで、わざと韓国人の神経を逆なでしたんだ。韓国にしてみれば、「誰が日本なんかの援助を受けるか」というのと同じだからね。

   だからアメリカが安倍首相の靖国参拝に対して「失望した」とコメントしたけど、それは「(韓国にある)アメリカの銀行を助けようとしないことに失望した」という意味なんです。おそらく内閣府職員をやったのはKCIA (韓国版CIA )か、そのバックにいるアメリカだ。そしてこれは安倍首相に対するアメリカの脅しでもあるね。お前もこうなるよ、と。

山口   だって普通は死体はわからないように処理すればいいわけですから、それをあえて「さらす」というのは意図があってのメッセージだということですね。

飛鳥   IMF は、韓国経済はもう終わったということをストレステストで証明しようとしていたんだけど、突然、急にその局長がクビになってそのポストに韓国人が入った。当然その後、韓国経済の検査をするストレステストの実施が延期された。つまり、安倍内閣が「もう韓国を助けないよ」とやったから、それに対して「死体をさらして」見せ付けたわけ。これは、「韓国を助けなかったら日本はどうなっても知らないよ」という、アメリカ側からのメッセージなんです。

   これで自民党は「わかりました」となって、また韓国に5兆円を支援することになる。
   最低でも5兆円で、そのための揺さぶりなんだ。これで安倍首相がクビを縦に振らなかったらもっと揺さぶってくる。で、仕方がないから、「あの内閣府職員の男性は国の重要な仕事を放り出して、国に残した女に会いにいくために途中から漁船、そこから先はゴムボートで戻って来る途中溺死した」という話を捏造したわけだ。

山口   殺したのは韓国じゃなくて、日本と韓国がドタバタ揉めた方が都合がいい連中だ。

飛鳥   もっと言うと、ここにTPP (環太平洋戦略的経済連携協定)が関係している。
      本来、経済と軍事は一つものだから、TPP というのは実質的に環太平洋の軍事同盟ということ。尖閣問題も実はアメリカが仕掛けているわけで、アメリカは中国に対し、「日本には施政権はあるけど領有権はない」と言っているんだよ。それで国連には「敵国条項」というのがあって、それに沿うならば、いまだに日本は第二次世界大戦の敗戦国であり、中国は戦勝国だ。そしてその「敵国条項」には、「敗戦国が戦勝国に対し1度でも敵対行為を行なったら、国連安保理の審議を経ることなくその国を攻撃してもよい」と書いてある。

   だから中国は、ああやって何度も何度も尖閣諸島に接近して来るわけだ。
   これでまかり間違って海上保安庁が1発でも撃ったら、中国は報復できるわけでそれが認められているんだ。その時アメリカが助けてくれると思ったら大間違いで、日米安保条約なんて何の保障もない。しかも米国議会が承認しなければ、アメリカは中国とは戦争できないわけで、承認が下りるころには戦争は終わってるよ。

   つまり、中国とのそうした危うい状況を意図的に作り出すことで、「軍事同盟でもあるTPP に入らないとエライことになるぞ」、とアメリカは日本に圧力をかけてきているわけです。自民党は仕方ないからTPP に入るしかない。TPP は環太平洋の軍事同盟だから、尖閣諸島もこの範囲に入る。そうすれば米軍は動くよというわけだけど、実は同じことを韓国にもやっている。

   2015年12月で在韓米軍は全面撤退するんです。
   そのためにすでに38度線を離れて部隊を南下させています。そして韓国にも「TPP に入らないとエライことになるぞ」と迫っているわけで、すでに韓国はアメリカとのFTA (自由貿易協定)に入ってとっくにボロボロなんだけど、これがTPP に入ったらもっとボロボロになるだけです。だけどもう入らざるを得ない状況が作られている。

山口   まさに属国ですね。

飛鳥   そう、属国。これでアメリカには属国が2つできる。

      そのうちにアメリカは韓国という属国を日本に与えると言い出す。つまり、韓国というお荷物を背負わせるんだよ。で、アメリカは1銭も払わない。日本が韓国をこれからもずっと担ぎ続けろというわけ。だからこれからもずっと、日本は韓国が創作する捏造日本史を受け入れて認め続け、謝り続けて、金も支払い続けることになる。

   アメリカのいくつかの州に、従軍慰安婦像の設置許可が下りたのも、当然アメリカが知っていてやっている。今でも「剣道は韓国人が作った」とか、浮世絵も、日本刀も、空手も全部韓国人が作ったとか言っている。太平洋戦争のとき、韓国は連合国側にいたから戦勝国側だと。実は彼らによると、イエス・キリストは韓国人なんだそうだ。(笑)

山口   最近では三国志の曹操(そうそう)は韓国人だと言っている。
      あと「中国の東北三省は韓国の領土だから返せ」、「漢字を発明したのは韓国人だ」と主張して中国まで敵に回していますね。

飛鳥   信じられないことに、そういうでたらめな韓国起源説を、彼らは大使館を通じて正式コメントとして世界中に発信する。アメリカにもバカがたくさんいて、バカな国のやつらはそれを信じちゃう。極東の国の従軍慰安婦問題が何なのかまったく知らない。大統領なりたてのクリントンなんか、日本のある場所すら知らなかったそんなレベルなんだよ。だからアメリカ各地の州議会の連中が何も知らずに、「慰安婦問題は日本が悪い」と非難決議を出したりする。

   ともかく、もし韓国に対して援助を行なったら安倍自民党は終わりだ。
   それはアメリカにとっては拍手なわけで、アメリカは安倍が嫌いだからね。しかし反中国を標榜するアジア諸国では安倍人気は高くて、それがアメリカは面白くない。アメリカはTPP で支配したら、日本を通してAPEC (アジア太平洋経済協力)も全部手に入れるつもりなんだよ。日本はバカだからそれは簡単にできる。

   TPP に関しては実は、世界の嫌われ者である韓国を日本が引きとれということも条件に入っている。むしろ農作物とか車の関税などの話はカムフラージュなんだよ。韓国は実質的にすでにデフォルトしているが、なかなか認めない。それを認めさせるためのIMF
のストレステストなんだが、それをますます延期させているわけだ。


       book 『激ヤバ情報 曝露します』 飛鳥昭雄・山口敏太郎著 文芸社
           
                            抜粋   

宗教的、心理的依存は「自己破壊行為」の最大のもの

   悪魔は単なる悪意の投影物ではない。
   それは差し迫った脅威である。悪魔は夜の中から、街から現れた。彼は夜の森からではなく、吹き渡る潮風と共にやってきた。私は6歳だった。稲妻がやんだとき、私は自分の部屋の奥にいた。最初、彼はそこにいたが私は彼を見なかった。入ってこなかったからである。私はベッドに横になっており、彼がそこにいるのを感じた。空気は電気を帯び、パチパチと音をたてていた。寝室の扉を通り抜けて、バイブレーションの波が私にやってきた。

   その波動が素早く引いた時、私はドアの方に引っ張られた。
   我々は常に無力だが、子供時代の心細さはとりわけ苦痛に満ちている。私は彼が呼んでいることを、そして私にやってくる振動が私に対する呼びかけであることを知っていた。私はベッドを出て、奇妙な冷たさを帯びた空気の中を通り、ドアを開けた。そこには、私を待っている彼の姿があった。

   私は、自らの悪に誇る非常に幸せそうな、彼の小さな姿を見た。
   彼はニヤニヤしながら、私を手招きした。彼はたいそう親しげで、私を悪の仲間に数え入れた。彼の顔は毛むくじゃらだった。それはからだと同じく、青灰色のフェルト状の毛に覆われていた。彼は人間の姿をして、ほとんど真っ直ぐに立ち、わずかに身を傾けていた。しかし脚は違っていた。私にはそれが人間のものだとは思われなかった。その足先は切り株のように尖り、ひづめのようだった。しかし私は何よりも彼のその顔の微笑みと、両眼に浮かぶ謎めいた悪意に惹きつけられた。

   階段の踊り場には戸棚があったが、その戸棚が彼が出現したほら穴だった。
   彼が発する霊気は銀色で青みを帯びており、その光が踊り場全体を照らし出し、そのときまわりのすべては、手すりも戸棚も階段の傾斜も、彼が運んできた悪の脅威によって歪められ、暗黒に変じた世界の丘であり谷と化していた。

   私は自分がどうやって自分のベッドまで戻ったのかを知らない。
   私は初めて、自分の心臓の鼓動に気づいた。私は胸のあたりにミニチュアの馬が早足で駆けているのを感じた。私は悪魔が去った後に残された、空っぽで動かない闇に感謝した。私は精神の深みにいかなる画像も認められないからといって、彼がもう二度と戻ってこないだろうとは思わなかった。

   次の夜、闇は人間的で、窓の外の家々の上には星がきらめいていた。
   しかし私の恐怖は、星が輝き、部屋の空気が息づいているがゆえに再び蘇えった。私はベッドから下りてひざまづき、正体のわからないその脅威からの助けを求めて神に祈った。私にわかっているのは、その恐怖が悪の現存から来ているということだけだった。私は彼の背後に何がいるのか知らなかった。部屋の空気は冷え込み、氷のように鉄で胸を締め付けられているように感じた。空気は、夕べのあの訪問の記憶とともに震えていた。私はその霊気が自分の中で小さく凝結してしまうまで祈った。

   それから私はベッドに這うように戻ったが、私はこの寂しさと無から立ち現れたくすんだ光の、手招きするような微笑によって、自分が星々から追放され排除されているという思いに耐えることができなかった。私は再びベッドを出て神に祈った、神に、あるいは遠くに離れた何者かに、今私を取り巻いているものからの救いを求めて。私は何度も何度も、ベッドから下りて祈った。やがて足は硬直し、私はベッドに戻ることができなくなってしまった。

   それが、私の最初の脅迫的な行為だった。
   それが強迫観念の始まりを意味していた。私はここでそれについて詳述はしないが、もしも精神科医たちが、もっと注意深く、自分たちの考えに毒されることなく観察するならば、ほとんどすべての子供たちが強迫状態を経験するということを知るはずである。そのとき私が学んだのは、そうした強迫観念に支配された状態は、個人の内部における善と悪の力の間に繰り広げられる闘いと、直接に関わっているということである。

   現代的な説明の多くが、支配的な両親と性的なトラウマからくる罪の意識というのが、症状の形成のあり方を説明するとされているが、しかし実際にはそれを生み出す根本の衝動を説明するものではない。私は自分自身の経験から、また多くの患者たちから直接聞いた経験から、強迫観念に支配された状態というのは、悪の力に対する防衛衝動として生み出されるものだということを知っている。

   後に私は、これといった理由もなしに何度も手を繰り返し洗うようになった。
   また敷石の隙間を踏まないように用心したものだった。私は安全を求めてベッドから下りて祈ったとき、自分が恐怖にのみ怯えており、自分を脅威にさらしているものにのみ気づいていた。私はどうやって自分を守ればいいのかわからなかったのだ。私が神に祈ったのは、神が私を愛し、常に守ってくれるのだと聞かされていたからである。神はまた善だとも言われていた。

   しかし私の祈りは空しかった。
   なぜなら、保護を求めることは自己破壊的な行為の1つだからである。私が真に求めていたものは、襲ってくる悪の力と対抗しうるだけの強さを持つことで善の力をまとうことだったのだ。そして善なるものの力は、神々の背後にそれを超えて存在する名前を持たないエネルギーである。しかし私はその存在に到達することができなかった。なぜなら、当時の私が自らに思い描いていた一なる神は、人間の姿をした可視的な存在であったからである。

   今や私は、自分がカタリ派であることを充分に受け入れている。
   私が悪魔と見たものは、ギリシャ神話にいう牧神パンであったのかもしれない。すべての二元論は宇宙的な起源を持っている。それは自然の中から生み出されたものであり、二元論の教えは夜明けや日没、あるいは夜空に昇る月を説明する反駁し難い真実であって、寒々とした抽象神学によって萎えさせられる以前の、あらゆる宗教の原資である。

   私は今、かつて自分の見た怖ろしいものの姿は、幼い私がその含む意味を充分に汲み取れなかったからに過ぎないことを理解する。牧神パンは人々をからかう神であった。彼は実際にそうであるよりも悪そうな振りをした。彼はまた治療とも関わっており、彼の性質の中の悪は、一時性のものであり、究極的には実在しないものである。これはあらゆる悪に関して言えることであり、それは空虚さであり、善の不在であり、魂を欠いた物質の惰性である。悪はエネルギーであるが、それは本来のエネルギーの変容でしかない。


      book 『二つの世界を生きて 一精神科医の心霊的自叙伝』
                     アーサー・ガーダム著 コスモス・ライブラリー

                           抜粋


















自称「正統」ローマ・カトリック教会の血塗られた足跡

   現在はフランス領として統合されているが、かつて12、3世紀に現在のフランス南部のラングドックと呼ばれた地中海沿岸地域に、カタリ派あるいはアルビ派と呼ばれた、ある原始キリスト教を生きる人々の国があった。

   その思想には大きく分けて善悪二元論と言われるものや、旧約聖書の否定、輪廻転生の思想などの要素を持っていた。その中でも旧約聖書の否定であるが、新約と旧約を読み比べてみれば誰にでも実感されるように、旧約の復讐と懲罰の神と、新約の愛の神は大きく異なって感じられるはずである。それを同一視するほうにむしろ無理がある。輪廻転生に関しては、本来キリスト教にはその教えが存在していたと言われている。

   何かと問題視される善悪二元論であるが、それほど不可解なものでないのは本書のアーサー・ガーダムの説明からもわかるだろう。その他、カタリ派で行なわれていた病気を癒す行為については、新約聖書に出て来るイエスの癒しの話などからして、その伝統を単に受け継いだものとも言えるだろう。しかし正統を自負するカトリック教会の側からすれば、それらはすべて「異端」であるとされたのであるが、そうした見方がどの程度まで根拠があったのかは大きな疑問なのである。

   ラングドックは、当時1つの独立した文明国であった。
   広さは約4万6000平方キロで、九州と沖縄を足したよりもやや広い。その中心地トゥールーズは、パリやロンドン、イタリアの各都市などと比べても富裕であり、文化的にもずっと進んでいた。本書でもしばしば言及されている、トゥバドールと呼ばれた吟遊詩人たちの活動は、その後の西洋文化に甚大な影響を及ぼした。彼らの活動範囲は北イタリアからこの地域周辺にまで広がるもので、カタリ派が強い影響力を示した地域とほぼ一致する。当時のラングドックには、貴族から一般市民にまでわたる幅広い階層出身の500人のトゥバドールを数えたという。
(トゥバドールはいわゆるジプシーのように、街から街へと移動した人々)

   
彼らの詩作は、「栄誉や廉直さ、対等、強者の権力の拒否、自他を含めた人格の尊重」などを含んでおり、単なる恋の歌に限定されるものではなかった。それはのちのルネッサンスの精神と直接つながったのであり、たとえばイタリア的な情熱と個の矜持(きょうじ)、女性の美しさをこよなく愛したスタンダールの文学にまで結びついていた。カタリ派という宗教の面白さは、こうした自由や独立、友愛の精神と著しく親和性を示した点にもある。彫刻や美術、建築などの面においても、当時のラングドックは他の地域に先んじていたのだ。

   医学の面でも進み、アラビア医学が11世紀にすでに盛んに学ばれていたと言われるが、カタリ派はそうした医学知識も取り入れて人々を助けることに役立てた。自由と寛容を気風とするこの地においてカタリ派は、商業的・文化的発展と手を携えながら急速に普及し、ローマ・カトリック教会を差し置いて圧倒的な支持を集めていたのである。

   その大きな要因の1つに、カタリ派聖職者たちの人柄と行ないにあったとされる。
   彼らは民衆から敬愛をこめて「ボン・ゾム」(良い人々)と呼ばれ、その無欲と明るさ、分け隔てのない人助けの行ないによって職業や階層を問わず、人々の間に浸透していった。彼らは「地獄に落ちる」という脅しをしなかったようである。カタリ派は聖職者の多くを、人生経験豊かな一般信徒の中から選んでおり、選出においては階級ではなく人柄や志、識見などを条件にしていたが、一方、聖職者と一般信徒の間には明確な区別が置かれ、厳格な禁欲や規律は一般信徒に対しては強要されなかった。

   カトリック教会の行なった異端審問では、一般信徒に規律が強要されなかったことを指して信徒の堕落を助長するものとして非難されたが、彼らは規律や教義の強制によってではなく、自らの自主的行ないによる道を選んだのであった。従って、より高度に複雑な神学教義や特殊な癒しの技術などは、一部の人間が知るだけであったと見られる。彼らがどれほど人々から信頼されていたかは、次のような挿話からも察することができる。「1234年のことだが、モンセギュールの聖職者たちにはもう食糧がないという噂が流れた。しかしその年は最大の凶作であったにもかかわらず、彼らのために120樽を越す麦がローラゲ地方で集められた。」(フェルナン・ニール著 『異端カタリ派』)

   支配と権力欲にとりつかれている巨大な世俗政治組織と化したカトリック教会にとって、人々のカタリ派の支持が面白かろうはずがない。しかもカトリック教会は嫌われており、無気力をかこってもいた。カタリ派は、カトリック教会組織をキリストへの裏切りとし、悪魔の産物とみなし、聖職者立会いによる「結婚の秘蹟」なども無用のものとして否定していたのでなおさらであった。カトリック教会は12世紀初頭から、ラングドックの住民を「異端の汚染から救い出す」と称して、しばしば使節を送ったが、民衆から罵倒されて追い返されるのが毎度のことであった。カタリ派聖職者に神学論争を挑んでもかみ合うことはなかった。

   そのうちに1208年、法王使節が政治がらみで殺害されるという事件が起こった。
   しかし実際には、このようにして秘かに「征伐」のための準備の根回しが行なわれていたのである。インノケンティウス3世はバチカンの法王になると、大軍をラングドックへ派遣した。これがいわゆる「アルビジョワ十字軍」である。そして大虐殺が繰り広げられ、その数は実数で30万人(『異端カタリ派』)、ベジェでは全住民の3万人が皆殺しにされたという。これがカタリ派とラングドック住民の悪夢の始まりであり、「異端宗教」とされた輝かしい1つの個性ある文明絶滅の予兆であった。
(魔女狩りが行なわれたのもこの時代である)

      http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-cb53.html


   これが本書の著者アーサー・ガーダムの前世の人格、ロジェール・ド・グリソルズが経験した受難の時代であった。住民たちと十字軍の戦闘は各所で断続的に繰り返され、カタリ派聖職者たちは捕縛から逃れるために、しばしば森に身を避けねばならなかった。聖職者たちの規律の中には「非暴力」が含まれていたので、彼ら自身による暴力や武力による対抗は決してなかった。追い詰められたカタリ派の人々は1243年、カルカソンヌの
城に立てこもった。連日連夜、巨大な投石の雨が浴びせられ、10ヶ月の籠城の後、ついに彼らは力尽きたのだった。これがローマ・カトリック教会による「異端弾圧史」上名高い「モンセギュール城陥落」(1244年3月)である。

   ここに一大勢力としてのカタリ派は終わりを告げたとされるが、圧倒的な兵力の差にもかかわらず、これほどの長きにわたって持ちこたえたということ自体、いかにカタリ派が当地に根を張り堅固であったかを物語るものでもある。

   本書の登場人物について少し解説すると、ロジェールの出身は名門貴族に属しカタリ派聖職者であったが、異端審問にかけられる以前に拷問で獄死させられたので、異端審問調書に直接その名が出てくることはない。またスミス夫人の前世の人格である、庶民の出でありロジェールを慕っていたピューリリアはなおさらであり、生きたまま焼き殺されるという悲惨な最期を遂げているが、その名前が記録にとどめられることはなかった。

   しかしモンセギュール領主の娘であったエスクラルモンドの名は記録されており、モンセギュール城明け渡しの翌日、祖母マルケシア、母コルバとともに巨大な火刑場の露と消えた。ロジェールの師であったギラベール・ド・カストルは、カトリック教会から血眼で追われていたにもかかわらず、その後30年にもわたり神出鬼没に活躍し続け、ラングドックのカタリ派の指導者であり続けた。

   ラングドックのカタリ派はこれで死に絶えたわけではなかったが、その後もカトリック教会による残党狩りの異端審問は長く続けられた。その余りの暴虐さにはカトリック側からも批判が出たほどであり、やがてフランシスコ会神学教授ベルナール・デリシウを中心とした強力な反対運動が起きたが、バチカンはそうした心ある身内の聖職者までも獄舎に投じて殺したのであった。こうしてカタリ派は絶滅へと追いやられ、ラングドックの土地もこれをきっかけにフランスに併合され、独立を失ったのである。トゥバドールの詩も衰退していった。こうして1つの個性あふれる文化と文明が、ローマ・カトリック教会という支配と権力の力によって力づくで滅ぼされたのであった。

   大きな痛手を負ったラングドックは、政治的独立と多数の住民を失いながらも、新たな人口の流入もあって活気を取り戻していくかに見えたが、世紀が変わるや相次ぐ飢饉に見舞われ、それに追い討ちをかけるように、1348年にはペストの大流行が襲った。地獄のような状況の中、人口は半減したと言われている。そして時代は混乱の中、仏英戦争へとなだれこんでいった。その後16世紀になってカトリック教会権力は、またもや大々的な異端迫害に乗り出していったが、その新たな標的の最たるものはプロテスタント派であった。
                 
            翻訳者 大野龍一氏の巻末の別註「異端カタリ派とラングドック」より


        book 『二つの世界を生きて 一精神科医の心霊的自叙伝』 
                     アーサー・ガーダム著  コスモス・ライブラリー

                          抜粋


















































ある過去世につながる回想

   私はこの世界が本質的には地獄であるのを見る。
   私は人が、「汝の意志、地に行なわるべし」を、我々の世界が天国に変容することを意味すると考えるほどナイーブであり得るということに驚嘆する。私にとって世界が地獄であり得るという理解は、私が経験した他の何にもまして安らぎとなるものである。なぜならもしここが地獄なら、我々はそれを何とかやり過ごすことができるだろうから。そこにはいつも償い、慰めとなるものがある。晴れた日に、まさにその時病棟で死につつある若者への眼差しから、心をいつでも緑の庭に咲き乱れるライラックやキングサリに移し代えることができる。

   我々の現在の苦境を理解することも、また慰めとなるものである。
   我々はヨーロッパ文明の衰退の最低辺を生きている。世界のほとんどの国を悩ませている暴力と衰退は、現代の精神医学では説明できない。第二次世界大戦中とその前に、私は人々が、ナチズムが悪の宗教であると見ることかできないということに驚かされた。今日でさえ、人々はヒトラーがまるで何か陰鬱な理解し難い性癖を持った、天賦の才を持つ人物であるかのように描かれている。

   疑いもなく彼は、意識的にか無意識的にかはともかく、巨大な悪に驚くべき感応力を示す器(うつわ)であった。彼は恐らく、霊媒であったのだろう。彼は自国民だけでなく、彼を打ち負かした側をも結果的に腐敗させたのであった。人生の悲劇の1つは、人は自ら敵対していたはずのものになってしまうということである。

   二元論は精神医学よりも、ナチズムや共産主義、暴力カルトの現象をよく説明するものである。全体として精神科医(心理療法家)は、我々の文明を危険にさらしている。なぜなら彼らはその存在を否定することによって、悪の力を見くびっているからである。だとしても我々は決して、悪の暗い毒素に全身を冒されることはない。今の時代の宗教的、心理学的な条件付けを拒絶する勇気のある人であれば誰でも、この世界では善と悪の力が拮抗(きっこう)しており、しかも我々の時代においては、その天秤が悪の側に傾いているということを明白に見て取るはずだからである。

   二元論は人に、苦悩に対する推理能力と慰めを持つことを可能にする。
   神は権力ではない。神は消えることのない愛の精髄であり、悪と憎悪、エゴイズムに対する究極の解決策である。神は権力ではないゆえに、我々に対する支配力を持たない。そして私はまた、サタンあるいはルシファーが完全な悪ではないのも理解する。初めに魂が物質に浸潤された時、彼自身が、失われたものと成ったものとの間に宙吊りにされたのだ。それは我々のすべてと同様に、彼は魂の中に、自分がそこからやって来たところの光と影とを携えた。

   私は自分自身が善と悪の闘いを反映する1個の鏡であることを認める。
   しかし私はもはや自分の魂の中にある悪に抵抗することはない。それを除きたいとは思うが、もはやそれに苦悩させられることはない。それは私の魂が物質の中に入り込んだとき生じたのである。そのゆえに私が考えていたよりも私個人の責任は少ない。私はこの善と悪の潜在能力を、人間だけでなく堕天使と、また他の動植物とも共有しているのだ。

   二元論者の自然と宇宙に対する態度は明らかにポジティブなものであり、それは医師としての私には大きな助けとなった。善と悪、霊と肉(精神と肉体)、天体と季節の影響、植物と鉱物が発する作用、これらのすべては神秘的であると同時に、科学的なアプローチの一部をなすものである。二元論者にとって、神秘と科学は互いに敵対するものではない。現代ヨーロッパにおける科学と宗教の分離は、我々の霊的、科学的貧困の徴(しるし)である。

   我々は神学を宗教と、テクノロジーを科学と取り違えているのだ。
   私は二元論者であるゆえに、星や月が患者の精神状態に影響を及ぼすということをたやすく受け入れることができた。そうした地球の発するバイブレーションに影響を受けやすい患者たちにおいて、(精神の)病のパターンがいかにして季節に関係づけられているかを理解した。これは精神科医の私にはとりわけ重要なことであった。どれほど多くの抑圧が春先に発生するか。私はまた多くの人々が、自分の誕生日に先立つ月に病気になることにも気づいた。私は限りない多くの例とともに、心を病む患者に及ぼす「月」の影響を明らかにすることができた。

   私を医学へと向かわせたのは、私の中にいる自然愛好者と修道士であった。
   私は科学的な学科が不得意であった。私の医者になろうという突然の驚くべき決断は、意識を突き破って吹き出た抗(あらが)い難い、説明不能の何らかの切迫によるものだった。それは私に関心を示し、私の将来を文学の研究者か歴史家になるだろうと考えていた人々にショックを与えた。

   私はほとんどを1人で過ごし、孤独の中に幸福を感じた。
   しばしば私は日に30マイル(約48キロ)も歩いた。私は花や植物に関するおびただしい知識を持っていた。来る日も来る日も何時間と、私は丘や澄みわたった湖水の静けさから来る沈黙の流れにむけて、自分の魂を開け放った。それらは私の内部に、澄んだ静かな貯水庫をかたちづくった。

   私が成長するにつれて、他の人々はそこに反射する自らの姿を見るようになった。
   私は自分がどのようにして形成されたのかを知らない。後に他の人々が、私自身は気づかないでいる私の内なる静けさを、どのようにして利用したのかを理解することができないのと同じように、苦悩に満ちた自我に寄りそう魂が、それ自身は混乱動揺から免れていられるということを発見するのに、私は全生涯を要したのであった。

   少年の頃、私は沈黙をたたえた湖と、その上を細く横切る松の木の、引き伸ばされた影に自分を完全に一体化させていた。私は遠くに見える海岸の丘の上の、その背後の暗い山の一部であり、さらにその向こうを流れる谷間でもあった。その川の流れは沈黙のうちに、海へと流れ込んでいた。そのときそこには主客の別はなく、私も山もなかった。

       私の心臓には、風にそよぐ松の音と、海へなだれ落ちる丘陵の上の、かつて踏み固められ、今では通る者とてない遠くのかすんだ道には、何か静かに息づくものがあった。私はその土地の静けさをあますところなく心に取り込んだ。なぜなら我々は、沈黙―その中で霊が動き、我々をすべての生きるものに結び合わせるもの―を通じてのみ、癒すことができるからである。

   これが、カタリ派の完徳者がなぜしばしば医師でもあったのかというその理由である。
   ピューリリアは、ラングドックでロジェールが問題の解決を迫られた時、熟考するために長い時間を森で過ごし、どれほど完全に彼が引きこもることができたかを語っていた。彼はまた、薬として使えるハーブを求めて熱心によく森を探し回ってもいた。

   私は2つの躊躇した瞬間を思い出す。
   私は中等教育終了試験を終えて、高等学校の医学進学課程に進むことを選んだ後のことである。これは私にとってまったく適性を欠くものであったのだ。私は大人が経験する取り返しのつかない不安の、初めての心を刺すような痛みを覚えながら、家並みが途絶え、海が前方に見える小道を歩いていた。日没の光がソルウェー湾を横切って落ちていた。それは湾を横切ってピラミッド状に銀の帯を作り、その先はスコットランドの丘を指していた。私は自分の夢が日没とともに色褪せてゆくのを感じた。私は自由になり、詩人になりたいと思った。医者になることは隷属の1つだった。私は初めて太陽神経叢に打ちのめされるような病的な感覚を覚えた。けれども私は自分の空しい前途から逃れるためのことは何もしなかった。

   もう1つは、私が医師資格を得た夜のことである。
   結果を聞いた後、私はチャリングクロスからリッチモンドまで歩いた。私は深夜に戻り、ストランド・コーナーハウスで遅い夕食をとった。それは結果がもたらした安堵からではなかった。私は試験についてはほとんど心配してはいなかった。私は歩きに歩き、黙ってロンドンの中心部を通り、高い壁や混雑した通りを抜け、人影の少ない郊外へと歩きながら、酔ったような匿名性の持つ自由感を覚えたことを思い出す。私はその時、自分が生まれつき持っていた何かに別れを告げようとしているのを知っていた。私はこれが最後で、私はもはや私ではなく、他者への奉仕者になるのだということを知っていた。

   私はこれを自分の人生の劇的な裂け目、断崖からの予見不能の海への飛び込みとみなした。私は心が浮き立つと同時に恐れも感じた。私はそれが転生の鎖が示す十字路の1つであり、無数の運命の風に舞うほこりの中に浮かび出た、最も鮮明な岐路なのだということは知らなかった。私は故郷の詩的な背景を去り、それを都会での医師生活の労役に代えるのだと考えた。そう考えて道を踏み出したのであったが、しかし私は知らなかったのだ。夜の中を歩いていたとき、私はラングドックの森を後にし、ロジェールが決心したことを行なおうとしていたのだということを・・・。


      book 『二つの世界を生きて 一精神科医の心霊的自叙伝』 
                     アーサー・ガーダム著  コスモス・ライブラリー

                           抜粋
             

   

自分の「意図する力」を取り戻そう

   「ここメキシコでは、ヨーロッパからやって来たスペイン人とインディアンという、真っ向(まっこう)からぶつかり合った2つの文明があったの。人々には古代スペインについてならよく知られているけど、インディアンについては余り知られてはいない。その理由は単に、スペイン人がインディアンの持つ伝統や歴史を抹殺したからなの。しかしその情け容赦ない計画的で冷酷な努力にもかかわらず、彼らは完璧には消し去ることはできなかった。」とクララが言った。

   「かつて霊(呪)術という武器は非常に重要なもので、クリスタルのような武器は霊術師自身の体の延長となり、それは時空を超えて外部に向けて放つことのできるエネルギーで満たされていたの。しかし究極の武器はクリスタルでも剣でも、銃ですらなく、それは人間の肉体なのよ。人間の肉体は、エネルギーを集めて蓄え、方向づけを可能な道具へと変換させることができる。つまり私たちは肉体を、生物有機体あるいはエネルギー源とすることができるの。しかし条件はすべて、自分の内部の倉庫に何があるかという在庫品の状況次第なの。

   つまり肉体は堅くて硬直したものであることもできれば、柔らかくてしなやかなものでもある。同じく内部の倉庫が片付いて空っぽであれば、体自身も空っぽになれる。そうすると無限からのエネルギーがその中を流れるようになる。自分自身を空っぽにするためには、深い「反復」の状態に入ることと、エネルギーが自分をスムーズに流れていくようにすることが必要なの。私たちが内なる存在に全き権限を与えることができるのも、宇宙の非個人的なエネルギーが、極めて個人的な意図を持つ人間の力に変容できるのも、そうした静止状態においてだけなの。

   古くて時代遅れになった邪魔な倉庫の在庫品を充分取り除くと、エネルギーがやってきて新たにつくられたその場所に自然に集まる。そして益々増加したエネルギーが1つになるとそれは力となる。そうしたエネルギーが大きな物音ややさしい声、自分のものではない考えや、突然こみ上げてくる活力や幸福感など、さまざまなものを通してその存在を知らせている可能性があるのよ。

   本当に重要なことは、起きていようが眠っていようが「意識している」ということ。
   たとえば時間を意識すると、人間は寿命を数百歳にまで延ばすことも可能なのよ。時間を意識するというのは、意識の特別な状態のことで、そうすれば私たちは何十年かだけで寿命を終わらさずに済む。私たちは古代の霊術師たちから受け継いでいる信条が1つあるんだけどね。それは自分の体を武器として使うことができれば、つまり倉庫を片付けて空っぽにすることができれば、この世界を抜け出して別の世界に行けるのよ。そこは当然、非存在の領域で影の世界ではない。いったん倉庫が空っぽになると、私たちはとても軽くなるから、何ものにも妨げられることなく虚空を高く舞い上がることができる。そしてその後、若々しく刷新されてこの世に戻って来ることができるのよ。」

誓い、誓約、約束の持つエネルギー

   私はどうやら「反復」の作業に行き詰ってしまったらしく、そのことをクララに打ち明けた。
   それは自分の家族に関することで、自分が家族に嫌われているということが、今疑いもなく分かってしまったことにあった。そのことに気づいていなかったわけではなく、実際に分かっていたから腹を立てていたのだが、でも今、過去を振り返ると腹を立てることができなかった。私は家族を大好きだったのに、家族は私を嫌っていた、そうとしか考えられなかったのだ。

   クララが言った、「ちょっと待ってよ。家族のことイヤだって言ってなかった? 確かそう記憶しているけど。」

   私はそうは言ったが、本当は家族のことは大好きだったのだ。
   2人の兄のことも。でもその後から兄たちのことは嫌うようになった。するとクララは、私の問題は子供の頃、自分に約束したことに端を発しているのではないかと言った。私たちは子供の頃、何らかの状況に出くわして感情的に自分に誓いや決心をするのだが、その後、そうした決心や誓いをしたことを忘れてしまう。しかし実はそうした決心は、意識の奥に潜在意識のようになって残るものであり、たとえ忘れていようとも今の意識はそれに縛られてしまうのだ、とクララは説明した。

   それは子供心にほんの直情的な決心や誓いであったとしても、その影響で知らずにその後の自分の自由が代償になっていたり、時には不自然な子供じみた献身の影響であったり、永遠不滅の愛の誓いなどというものに縛られてしまうこともあるという。それは誰の人生にも特に幼年期において、何かをひどく欲しくて、直情的に自分の望みをそのまま何かにくくりつけてしまうことがあるのだ。そして意図というものは、いったん結び付けられてしまうと、その欲望が成就するまで同じところに留まり続ける。

   意識において行なった誓いや誓約、約束といったものは、潜在意識に刻印されて私たちの意図を拘束してしまい、その結果、それを覚えているいない、あるいは気が変わったにもかかわらず、それ以降の自分の行動や感情、そして思考は首尾一貫してその約束の成就あるいは維持へ向けられてしまうのである。そのために「反復」をしながら、今までの人生でしてきた約束や、特にあわててした約束、何も知らずに、よく考えずにした約束、あるいは誤った判断のもとに約束したことについて全てを再検討するようにとクララが助言した。なぜならそういう約束事から、意識的に自分の意図を取り戻さない限り、自分の本心である意図が自由に湧き出て来て、今現在に表現されることは決してないからである。

   私はクララの助言について考え始めたが、心の中は大混乱を極めた。
   突然、私の中に6歳の頃の幼かった記憶が蘇えった。私は母に抱っこしてもらいたかったのだが、母は「もう大きいんだから」と言って私を押しやると、「自分の部屋を掃除しに行きなさい」と言った。ところが、すぐ上の4つ違いで10歳の兄は母のお気に入りで、いつも抱っこされていたのだ。その時、私は自分に誓ったのだ。「今後、絶対に家族を愛するものか。家族と仲よくするものか。」と。そしてそれ以来、どうやら私は家族と常に距離を置き続けることで、その誓いを守ってきたようだった。

   「家族に愛してもらえなかった、ということが事実なら、それはそれで運命だったのよ。だからそれを受け入れなさい! それに家族に愛されていた、いなかったからといって、今さらどんな違いが出てくるの? 」 クララはそう言ったが、しかしそれは私にとっては未だに違いのあることであったが、それはクララには言わなかった。

   「私自身も、タイシャとよく似た問題を抱えていたのよ。」とクララが言った。
   「私は友達もいない、太ったみじめな子供だっていつも自分を感じていたの。でも私は「反復」を通して、母が意図的に私を太らせていたという事実を発見したの。それは私が生れ落ちたその日から母の中にあった。母は、太って器量のよくない女の子は家を出て行かないと考えていたの。つまり母は、死ぬまで私を家に置いて、自分の身の回りの世話をさせたいと考えていたのよ。」

   私はそれを聞いてゾッとした。
   クララが自分の過去を明かしたのはこれが初めてだった。

   「私はこの問題についての助言を求めに師のところに行ったの」とクララが言った。
   「先生は私にこう言った。『お前の気持ちはよくわかる。だがな、お前は時間を無駄にしているんだよ。過去は過去、今は今だからだ。そして今には、自由のための時間しか存在しないんだ』と。タイシャにもわかると思うけど、かつて私は母が自分の人生を台無しにしたと、心の底から思っていた。それに私は太ってて、食べることがやめられなかったのよ。『過去は過去、今は今。そして今には、自由のための時間しか存在しない』 その言葉の意味を理解するために、ずい分時間がかかった。」

   「自由のために戦う時間しかないのよ、タイシャ。今は今よ。」 とクララがひじで私を突いて言った。


 book 『呪術師の飛翔 未知への旅立ち』 タイシャ・エイブラー著 コスモス・ライブラリー

                           抜粋






目覚めるためには、悪循環を断ち切らなければならない ③

   「私たちはみな、ちょっとしたすぐに喜びを与えてくれるもの以外には価値がない、地獄の辺土のようなところで育てられたのよ。しかも女性は、そういう境遇には怖ろしいほど慣れている。”反復”をして始めて、自分のそうした生い立ち、境遇を乗り越えることができるのよ。」とクララが言った。食事が済むと、クララは鉛筆とノートをよこし、今まで出会った人々のリストを、現在から過去のもっとも古い記憶に至るまで遡って作成するようにと言った。私はそんな膨大なことをどうやって思い出せというのかと、クララに文句を言ったが、クララは、「大変なのは確かだけど、できないことではない。この作業は反復にとっては欠かせない要素で、作成したリストは自分の心が取り付く基盤になるものだ」と言った。

   「反復の第1段階は2つのことからなる」とクララが言った。
   「まずはリストを作ることで、その次が状況設定だ。状況設定とは思い起こそうとしている出来事のことで、その細部に至るまでを視覚化してイメージすることである。すべての要素がきちんとそろったら、そこで”首振り呼吸”
(本書P.69~72)をする。その状況にある全てのものを揺り動かす扇風機のように、頭を動かす。たとえば1つの部屋を思い起こしているならば、そこで目に映っている壁や天井、家具や人、そういったものを呼吸で吸い込むのだ。つまり、そこに置き去りにされてきた自分のエネルギーを吸い込むわけで、1つ残らず吸い込むまでやめてはいけない。」

   「でも自分がそれを吸いきったと、どうすればわかるんですか?」

   「充分やったら、自分の体が教えてくれる。」とクララが請合った。
   「でも忘れてはいけないことは、自分がそこへ置いて来たエネルギーを吸い込むと同時に、”他人から押し付けられた外から来たエネルギーは吐き出す”と意図することよ。」 私はこの課題を前にして、何も考えることができなくなってしまった。思わず頭が真っ白になり、次に思考がどっと押し寄せて来て、どこから手をつければいいのかわからなくなった。

   「まずは、過去の性行為に的を絞ることから反復を始めなければいけない。」、とクララが言った。「なぜそこから始める必要があるんですか?」、と私は疑い深く尋ねると、「そこには大量のエネルギーが捕らわれているからよ。だからこそ何よりも一番最初に、その記憶を解放しなければいけないの!」 「自分の性体験なんて、それほど重要なことではないと思いますけど。」 「自分の思いなどどうでもいいの。その最中、死ぬほど退屈して天井を見つめていたかもしれないし、流れ星や夜空の花火を見ていたかもしれない。しかし相手はタイシャの中に自分のエネルギーを残して、タイシャのエネルギーを大量に奪っていってるのよ。」

   クララの言葉に私はすっかり不愉快になった。
   今さら自分の性体験に戻るなど、ヘドが出そうだった。子供時代の記憶を追体験することもそうだが、ましてや異性とのことを思い起こすだなんて、そんなこと毛頭する気はないと私は言い切った。しかしクララは断固として首を振った。「あなたは自分が関係を持った男たちが、自分のエネルギーを食い物にし続けているのを望んでいるの? タイシャが強くなっていくにつれて、実は彼らも強くなっていくことを願っているの? あなたは生涯、彼らのエネルギー供給源でありたいの? そうじゃないでしょう? あなたは性行為の持っている意味も、反復の焦点も分かっていない。」

   「おっしゃる通りですよ、クララ。
   私にはあなたの言っているおかしなことが理解できません。それに私が男たちの供給源になって、男どもが強くなっていくだなんて、どういうことですか? 私は誰の供給源でもなければ提供者でもありません。絶対に!」 クララは微笑むと、ここで対立を無理に引き起こしてしまったのは自分の落ち度だったと言った。「少し我慢してね。これが私の持論なんだけど、あなたの反復の作業が進めばなぜこのようなことを言うかを説明するわ。今のところは、これが極めて重要な技法の部分だということを理解して。」

   「クララが主張するほど、そんなにそれが重要なものであれば、今教えてくれたほうがいいんじゃないですか? 反復を始めるにしても、自分が今から分け入っていくものがどんなものか知りたいですし。」 「そこまで言うのなら分かったわ」とクララはうなずいた。

   「女性は社会秩序の真の立役者であり、実はそれは男性以上である。
   この役割を果たすために、女性は今の世界ではどこでも一様に、男性の自由になるように育てられている。それは奴隷売買で競り落とされようが、一方で、愛されて大切に育てられていようが、基本的にそんなことは関係ない。女性たちの基本的目的と運命は依然として変わってはおらず、女性は男をエネルギー的に養い、保護し、そして仕える。」 しかし私は直感的に、クララの仮定はすべて間違っていると思った。「ある場合には正しいかもしれないけれど、すべての女性をそうだというのは不可能だと思います」と私は言った。

   クララが答えて言った。
   「女性の隷属的立場の残忍非道であるところは、それが今の社会の社会規定であるだけでなく、生物学上根本的に必要不可欠なことでもあるということなの。」 確かに、すべての種には種の存続という生物的本能が備わっており、自然は最も効率のいい方法で、雌雄のエネルギー合一が確実に起きるように手段を提供している。クララの説明によると、「性交の最も重要な役割は生殖である。しかし人間界においては隠れた副次的役割もあり、それは女性から男性への絶え間ないエネルギーの流れを確保する」ということなのだ。

   「なぜクララは、セックスをあたかも一方通行のように話すんですか? セックスは男女間の平等なエネルギー交換じゃないのですか?」 私はそう聞かずにはいられなかった。

   クララは語気を強めて言った。
   「とんでもない! 男は女の体内に特殊なエネルギーラインを残していくのよ。それはさながら光るサナダムシとも言えるもので、エネルギーを吸い取りながら女性の胎内を動くのよ。しかもさらにおぞましい理由のために、エネルギーラインはそこに据え付けられる。つまり自分の中にエネルギーラインを置いていった男の元へ、安定したエネルギーを確実に供給するという理由のためにね。性交を通して植えつけられたそういうエネルギーラインは、女性の体からエネルギーを集めて吸い取っては、そのラインを置いていった当の男性を潤しているのよ。」

   私は話しを聞いているうちに、自分の引きつった笑顔が牙をむいてきたように感じられた。「私はクララの話を全部受け入れたわけではないけれど、だけど一体、どうやってそんな馬鹿な考えにたどりついたんですか? 誰かから教わったのですか?」 「そう、先生から教わったの。最初は私も先生を信じなかった。でも先生は私に解放をもたらす”自由の技法”も教えてくれて、つまり私はそのエネルギーの流れを”見る”ことができるようになったの。だから今では、先生の視点と言っていることは狂っていなかったとわかったの。私も、他の女性の体内にイモムシのような繊維が見えるのよ。たとえばタイシャ、あなたにもいっぱいいて、みな相変わらず元気にやってるわよ。」

   「たとえばそれが正しいとしてですよ、では一体なぜそんなことが起こるのですか? それでは女性に不利なエネルギーの一方通行じゃないですか?」 「世の中はすべて、女性にとって不利なのよ! それはここでの話の核心ではないけれど。種の保存は自然の摂理よ。種が確実に存続するためには、女性はエネルギーの基本的レベルにおいて、余計な負担を担わなければならない。そしてそれは女性に重い負担となるエネルギーの流れを意味するの。女性は人類という種の存続のための基盤なのよ。女性からは膨大なエネルギーがやってくるけど、それは単に、子を身ごもって産み育てるためだけではない。その全工程において、男性が自分の役割を確実に果たせるようにするためでもあるの。」

   理論的に言うと、この工程で女性は、相手の男性が自分の中に残した”繊維”を通してエネルギー面でその男性を養うようになる。その結果、不思議と霊的レベルにおいては、相手の男性が女性に依存するようになるのだ。このことは、1人の男性が滋養供給源を維持するために、何度も何度も同じ女性に戻って行くという明白な行為に表されている。このようにして自然は、性的快楽に駆り立てる即時的な衝動に加えて、男性が女性との関わりにおいて、より永続的な絆(きずな)を築くようにしているからなのだ。

   「こういうことは母親も知らないから、その結果、娘にも決して教えられない人生の真実なの。つまり、セックスによって、女性は自分の内部でエネルギーの流出を引き起こされる。それを知っていれば、次々と男性とのセックスなどできないはずで、そういう観点からセックスの持つ重大性を考えなければいけないのよ。それなのに、いともやすやすやすと男に引っかかるように、世の女性は育てられているということ。これが私の話の核心であり、不公平であるところなの。」

   クララの話を聞いていると、肉体的な深いレベルでは、いくらかは道理にかなっていると同意せざるを得なかった。クララは、単に同意するしないではなく、よく考え、知的で偏見のない勇気ある態度で、自分の言ったことを評価してほしいと言った。クララは続けた。「子孫を残して確実に生き残っていくためとは言え、男性が女性の体内にエネルギーラインを残していくわけだけど、女性にとって自分の発光体を食い物にしている男のエネルギーラインを10人も20人も抱え込んでいるとしたら、たまったもんじゃないわけよ。女性の頭が決して上がらないのももっともなのよ。」

   「女性の方は、そのエネルギーラインから逃れることができるんですか?」 私の中ではクララの言い分にも一理あるという確信が募ってきた。「女性はこの光るサナダムシを7年間抱え続けるの。7年経てばサナダムシは姿を消すか自然消滅する。でも悲惨なことに7年の時効が迫ってくると、最初に関係を持った男のサナダムシから最後に関係したサナダムシに至るまで、サナダムシの全大群が一斉に動揺を来たして、その結果、女性は再び性交に走ってしまうの。するとすべてのサナダムシどもは、以前にも増す勢いで一気に息を吹き返し、また次の7年間を女性の光るエネルギーを食い物にして生きるのよ。まったく終わりのないサイクルよね。」

   「もし女性がセックスをせず、禁欲したら? サナダムシは単に絶滅するだけなの?」

   「そうよ。もし7年間セックスを我慢できたらね。
   でも今の社会の状態やそうした年齢では、そんな風に7年も禁欲するなんて不可能でしょう。それにたとえそうなるとしても、それを支える異なった概念が必要になる。なぜなら女性がセックスをするということは、単なる生物的衝動があるないにかかわらず、社会的義務のようなものでもあるからよ。」

   そしてクララは、怖ろしく複雑で痛ましい例を上げた。
   通常、私たちはエネルギーの流れを見ることができないので、目に見えないエネルギーの流れに関わる行動パターンや、感情についてよく分からずに解釈している。クララによると、たとえば男性の精液が体内にないと、女性は不満を感じるというような話が間違っているように、社会が当然のように女性に結婚することを勧めたり、あるいは少なくとも自らを男性に奉仕するように要求するのは間違いである。

   男性のエネルギーラインによって女性が生物的な宿命、つまり男性と子供を養うという目的を与えられているのは本当だ。しかし人類というものは、単に生殖本能を実現する以上のことを、自らに要求できるだけの知性というものを備えている。つまり進化とは、生殖と同等の価値がある。そしてこの場合の進化とは、生殖繁殖の構想におけるエネルギー面で、女性たちが自分たちの真の役割に目覚めることなのだ。

   次にクララは、話を個人的なレベルに移し、自分のことを話し始めた。
   彼女も他のすべての女性と同様に、「子育てにおける母親の役目は、娘がふさわしい夫を見つけて、オールドミスの汚名を着せられることのないように育てることだ」と考えている母親に育てられたと言った。そして私は、まったく動物と同じく、セックスするために育てられたのだ、それを母親が何と呼ぼうとも。

   クララは言った。「タイシャは他の女性と同様に、騙されて、服従を強いられてきたのよ。しかも悲しいことに、タイシャは多くの女性と同じく、たとえ子どもを産むつもりがなくても、このパターンにはまり込んでいる。」 このクララの言葉が、私の胸にグサリと突き刺さった。私は感情が高ぶり、声を上げて笑った。しかしクララはまったく動じなかった。私は自分を抑えて言った。「でも私の場合、過去を思い出すことで何が変わるっていうんですか? 過去なんてすべて橋の下を流れる水じゃないですか?」

   「目覚めるためには、悪循環を断ち切らなければならないのよ。
   私に言えるのはそれだけよ」と、緑色の瞳で私を見据えるとクララが言った。

   クララの言う悪魔のような生物本能説や、吸血鬼のように女性のエネルギーを吸い取る男の話など信じるものか。私は幾度もそう繰り返し、洞窟に座ったところで何が変わるというのか、何も変わりはしないとクララに言い張った。「2度と考えたくないことだってあるんですよ!」 私はそう言い放つと、拳(こぶし)でテーブルをドンと叩いて立ち上がった。


  book 『呪術師の飛翔 未知への旅立ち』 タイシャ・エイブラー著 コスモス・ライブラリー

                           抜粋


















































   

過去に置き去りにしてきたエネルギーを回収する  ②

   そこでいかなる状況においても、聡明な対応をとるためには、油断を怠らない心と、1つところに腰を下ろさない感情の2つが結びつくことが必要だと私は合点した。そうでなければ私はいつまでたっても消極的で、外部から来る次なる刺激やはずみに動かされるのを待っているばかりなのだ。私は自分が明確に思考したり、自分の意思で決断することが出来ると主張してきたし、変わるため自立するために悪戦苦闘してきた。しかしそれにもかかわらず、自分はそうではなかったということを、私はクララに気づかされたのだ。

   クララは断固決断たる足取りで歩いていた。
   しかし私は何の目的もなくクララの後ろを、つまずいたり遅れたりしながら、2人は黙って歩いた。その山裾の小高い丘からの眺めは、他の人には息を呑むような景観であったとしても私には何の関心もなかった。クララに言われてはいてきたブーツは、まるで脚につけた鉛の重りのようだった。足を1歩前に出すために腿(もも)を上げるのが辛かった。「こんな自然散策が、どうして必要なんですか?」 私は我慢できなくなってついに尋ねた。

   クララが突然足を止めると、私に向き直った。
   「少なくとも、自分を取り巻いているガラクタにタイシャが気がつかない限り、何も話ができないの。あなたの習慣になっている感情や思考、過去の記憶などのことを言ってるわけで、これが自分と思っている、特別で独特な存在にあなたをつくり上げている、全てのもののことよ。」 「私の習慣的感情や思考のどこが悪いんですか?」私は尋ねた。クララのわけのわからない主張に、私はまったくイライラさせられた。

   「そういう習慣的感情や思考が、私たちのトラブルやゴタゴタすべての根源なのよ。」
   クララが断言した。私はこの女性の招待にのってしまった自分を、蹴飛ばしたいくらい後悔していた。もしかしたらクララは精神病変質者かもしれず、自分よりは年上だが腕力と武術に長けたあの筋肉にはかなわないだろう。一瞬、行方不明で消息を絶った、犠牲者である自分の姿が脳裏に浮かんだ。私はわざと歩くペースを落として、クララとの距離を広げた。
 「そういう病的な考えにはまるんじゃない。」クララが言った。明らかに私の考えを読んでいる。しかしクララのそのたった1言で、自分の内なる動揺が治まり、自分がそんな不健全な考えを持ったことを心の底から恥ずかしく思った。

   クララはすでに斜面を半分登っていたが、私は足を引きずるようにしてやっとの思いでそれに続き、木々の葉がうっそうと生い茂った小川のほとりに腰を下ろした。ブーツを脱ぐと、かかとに水ぶくれができていた。クララは先が尖った小枝を拾うと、それで私の両足の親指と人差し指の間を突ついた。穏やかな電流のようなものがふくらはぎを駆け上がり、腿(もも)の内側を伝って走った。それから私を四つん這いにさせると、足首をつかんで足の裏を上に向け、親指のふくらみの真下にあるツボをつついた。私は痛みに悲鳴を上げた。「大したことはないようね」とクララが言った。

   「こうしたテクニックは、弱った人にショックを与えて蘇えらせたり、注意深い状態を生み出したりするのに用いられていたのよ。でも今ではこういう伝統的知識は途絶えてしまった。それは物質主義がはびこって、深遠な探求から人々を遠ざけてしまったからよ。過去のラインが途絶えてしまったの。大きな変動は常に、物事のエネルギー構成に深い変化をもたらす。でも変化はいつもよい方向への変化とは限らない。」

   足を小川へ浸けて、川底にある滑らかな石を感じるようにとクララが命じた。
   水は氷のように冷たかった。足首から両足を時計回りに動かし、流れる水に疲れをとってもらえという。私は数分、両足首を時計回りに動かしていると爽快な気分になった。次に、体の緊張がすべて足に向かって流れ落ちるように感じてみて、足首を横にパシャッと打って緊張を外に放り出すといいという。そうすると寒さからも解放されるのだという。私は足の感覚がなくなるほど氷水のように冷たい水を打ち続けたが、効き目がなかった。

   「それは当然、緊張が自分から出ていくように仕向けていないからよ。
   流れる水はね、疲れや寒さ、それに病気やその他好ましくないものを何でも取り去ってくれるのよ。でもそのためには、それを”意図する”ことが肝心で、そうでない限り水が干からびるまでやったところで何の変化もないの。」そしてクララは、このエクササイズをベッドの上でやる場合には、想像力を使って小川を視覚化する必要があるとも言った。

   「”意図する”って、どういうことですか?」と私が尋ねると、「”意図する”というのは、この宇宙を支えている力。すべてに中心を与える力。意図によって世界は生じるのよ。」 そう言うとクララは、靴の底で地面の枯葉をさっと払い、枯葉を脇に寄せた。「枯葉の下には地面がある。つまり巨大な地球がある。同じように、”意図”というのは森羅万象すべての根底にある原理なの。」

   そう言うとクララは、両手で水をすくってパシャパシャと自分の顔に浴びせかけた。
   改めてクララの顔を見ると、その肌にシワがまったくないのに、私はまたしても驚いてしまった。私よりもクララの方が若々しい外見に見えた。「私の見てくれは、内なる存在が周囲とのバランスを保っているかどうかにかかっているの。私たちのすることは何事もバランス次第よ。この小川のように若く活気に溢れていることもできれば、あのアリゾナの老いて忌まわしい溶岩の山々のようであることもできる。それもすべて自分次第なのよ。」

   「そのようなバランスを獲得できる方法を自分も得ることができるのだろうか?」 まるでクララの話を信じているかのように、そう尋ねた時には我ながら驚いてしまった。「もちろんよ。それをこれから教えてあげようと思っているの。それが”反復”という素晴らしいエクササイズのことなのよ。」 私はウキウキしてブーツをはき、「そろそろ行きましょう」と言うと、クララは「もう着いてるのよ」と、丘の斜面にある小さな洞窟を指差した。私はそのぽっかり開いた入り口には何か不吉で不気味なものを感じ、すぐに興奮は冷めてしまった。クララによるとその場所は、古代の東洋の風水師であれば、間違いなく寺院の建立地に選んだはずのパワーのある場所だと言った。

   「ここでは水・木・空の要素が完璧に調和しており、エネルギーがふんだんに巡っているの。中に入れば私の言っていることがわかるでしょう。この素晴らしい場所のエネルギーを自己浄化のために使わない手はない。古代から浄化を求める人々が、よくこのような洞窟にこもって瞑想をしたのはそのためよ。」 私はクララにせかされながら、勇気を振りしぼって中に入って行った。中はひんやりとして暗く、1人分の場所しかなかった。しかし狭くて息が詰まりそうな感じはなく、穏やかな空気の流れが中を巡っており、クララの言ったように元気が付いてきた気がした。洞窟の入り口にしゃがみこんでいたクララが話し始めた。

エネルギーを取り戻す

   「タイシャに教えてあげたいと思っている特別な技法は、”抽象飛翔”と言われているものよ。そして、そこに至るまでの手段を、私たちは”反復”と呼んでいるの。」 クララは中まで入って来ると、私の額の左側と右側に手を当てた。「意識はこっちからこちに移動しなくちゃいけないの。本来、子供のころは誰にも簡単にできたことが、さまざまな不節制の結果、いったん体のそういう封印が壊されてしまったが最後、そうした移動を行なうのに必要なエネルギーを取り戻すためには、特別な意識操作や正しい生活、禁欲生活によるしかないの。」

   私はクララの言っていることが、一言一句はっきりと分かった。
   意識とは、額の片側からもう片側へ移動できる、エネルギーの流れのようなものだという感触すらあったのだ。そしてこの隔たりを、広大な空間と、渡ることを妨げている虚空のように思い描いた。「肉体はすこぶる丈夫でないといけないの。そうするとこっちからあっちの深淵へ飛ぶために、意識が鋭敏かつ流動的になるのよ。」とクララは言った。

   クララがそう言った途端、私の中でとんでもないことが起きた。
   自分はこのままクララと一緒にメキシコにとどまることになる、そうはっきりと確信したのだ。実際には私は2、3日でアリゾナに戻ろうと思っていたが、内に感じた確信は”戻らない”ということだった。しかも私は、自分を導いている力がクララだけの力ではないことがわかっていたので、自分の力だけではクララの意図に抗(あらが)えなかったのだ。

   「今後は意識を最優先した生活を送ること。」
   クララと一緒にとどまるという、私の暗黙の思いを読んでいるかのように、クララが言った。「体や心を弱めたり損(そこ)ねたりするものは、どんなことであれ避けること。当分の間は、世間との肉体的、感情的関わりをすべて断つことも非常に重要なことよ。なぜなら、何よりもまず統一性を手に入れることが先決だから。」

   クララの説明によると、私たちは精神と肉体とに分裂しており、この分裂によって私たちの全体的エネルギーは分離状態に置かれ、エネルギーの統合が阻まれているという。しかし実際には肉体と精神との分裂ではなく、精神もしくは自我を宿す肉体と、私たちの基本的エネルギーの器であるダブル(魂)との分裂なのだ。人類に負わされたこの二重性は、生まれる前には存在しない。しかし生まれ落ちて後、この2つの部分は人類の意図の引力によって引き裂かれ、一方は外に向かって肉体となり、もう一方は内に向かって分身ともいうべきダブルになるのだ。

   そして死に際し、重い部分の肉体は土に還り、軽い部分のダブルは解放される。
   しかし不幸なことに、ダブルは未だかって統合され完成されたためしがないので、宇宙へ向かう前のほんの一瞬しか、自由を味わうことができない。「この肉体と精神という、誤った二重性をきれいに拭い去ってから死なないと、普通に死んでしまうことになるの」とクララが言った。私は「それ以外に、どういう死に方があるというのですか?」と言った。

   クララは片方の眉を吊り上げて、私をじっと見つめて言った。
   「私たちが死ぬのは、私たちの概念の中に、人間は変容できるという可能性が未だ入り込んでいないからだ」、と言った。そして「この変容は、生きているうちに成し遂げられなくてはならず、この任務を達成することこそが、人間が持ち得る唯一の真なる目的」なのだ、と力説した。他にいかなることを達成したところで、それらはすべて死によって無に帰するものであり、ほんの束の間のものに過ぎないのだ。

   「その変容によって何が引き起こされるのですか?」と私は尋ねた。
   クララは言った、「まったくの変化が引き起こされるのよ。そしてそれは自由への技法である”反復”によって成し遂げられる。これからタイシャに教えてあげる技術は、自由への技法と呼ばれているものよ。実践するのは難しい。でも説明するのはそれ以上に難しいの。」

   反復とは、自分がこれまで生きて来た過去において、すでに費やしてしまったエネルギーを取り戻す行為のことである。反復するためには、自分がこれまでの過去に出会って来たすべての人々、目にしてきたすべての場所、そして人生において感じてきたすべての感情を、現在から始めて最も古い記憶に至るまでさかのぼって思い起こし、首振り呼吸で1つずつ掃き清めていく作業である。

   自分が置いてきてしまったエネルギーを取り戻し、取り込んだ他人のエネルギーを解放し、さまざまな場面に閉じ込められたままになっている自分のエネルギーを解放して引き戻すのだ。生きるために費やされたエネルギーは通常、永遠に戻ってはこない。反復がなかったならば、自己刷新のチャンスはあり得ない。私たちはこれまでの人生の一瞬一瞬に戻り、実際にその場にいるかのごとくそれを追体験し、残してきたエネルギーを回収するのだ。

   
私は、自分の忌まわしい過去に戻ることを考えただけで、身震いが走った。
   私はやっと我慢ならない状況から脱け出してきて、それをとにかく忘れ去ろうと懸命に努力してきたのに、それを再び再現するなどとんでもないことだったのだ。


  book 『呪術師の飛翔 未知への旅立ち』 タイシャ・エイブラー著 コスモス・ライブラリー

                            抜粋





















































日々、鍛錬する人々  ①

序文  カルロス・カスタネダ

   
タイシャ・エイブラーはドン・ファン・マトゥスの指導の下、メキシコ出身の呪(霊)術師たちから入念なる訓練を施された、3人の女性からなるグループの1員である。私は彼の指導による自分自身の訓練については詳細に記してきたが、タイシャ・エイブラーが属するこの特定のグループに関しては1度も記したことがないばかりか、ドン・ファン指導の下にある他の仲間の間においても、この3人については一切口にしないというのが暗黙の了解となっていた。我々の時と場にふさわしい状況が訪れた今、タイシャ・エイブラーが自ら受けた訓練について記述することが可能になった。それは私が受けた訓練と同じではあるが、まったく異なってもいる。

   ドン・ファンの世界では、指導を受ける者たちが有する基本的資質に応じて、”夢見の人”と”忍び寄りの人”というグループに分けられていた。夢見の人とは、夢をコントロールすることによって、高められた意識状態に入り込む才能を生来的に持っている霊術師を指す。一方忍び寄りの人とは、生まれつき現実対処能力に恵まれており、自らの行為を操作・コントロールすることによって、高められた意識状態に入り込める霊術師を指している。そしてタイシャ・エイブラーは、忍び寄りの人たちのグループに属し、その人々から訓練を受けた。この本はタイシャ・エイブラーが忍び寄りの人として受けた、驚くべき訓練の記録を伝えるものである。

はじめに

  
私タイシャ・エイブラーは、人生を厳格な鍛錬の実践に捧げてきた。
  他にふさわしい呼び名がないために、私たちはそれを呪術(霊術)と呼んでいる。私はまた人類学者でもあり、その分野においては博士号を取得している。しかし私の場合、呪(霊)術を学ぶ者として後に人類学を学んだのである。60年代後半、21歳だった私はアリゾナのグラン砂漠で1人のメキシコ人の女性と出会った。彼女の名前はクララと言った。その後彼女は、多大な努力を払って私を彼女が属する世界へと招き入れたのであった。クララは女呪(霊)術師であり、16人のメンバーから成る一致団結したグループの一員であった。そのうち何人かはヤキ・インディアンであり、年齢もさまざまな男女であったが、しかしほとんどは女性であった。

   それらの人々全員が、真摯に同じゴールを目指していた。
   それは私たち人間を日常世界の限界の内に閉じ込め、他の知覚可能な世界へ入り込むことを妨げている、自らの知覚の性質と偏りを破るという目標を目指していたのである。そのような偏った知覚の性質を突破するということは、想像を絶する彼方へと飛び込むことを可能にしてくれるものである。”ナワール”と呼ばれる私のグループのリーダーは、私に明晰な思考能力を伸ばすことを要求した。私は1女性として更に大きな責任を負わされた。その理由は、一般的に女性というものは幼少時から他人に従うことを要求されるため、自らすすんで概念的思考を発展させたり変化を引き起こしたりすることを、社会の男性にまかせるように条件づけられていることにある。

   私を教育した呪(霊)術師たちは、この点に関して非常に確固とした見解を持っていた。
   女性が自分を取り巻く世界をよりよく理解するためには、知性を伸ばし、分析能力と中抽象能力を高めることが不可欠であると彼らは考えていたのだ。私の学びは進み、やがて自分が生れ落ちて以来、女性として社会生活に適合させられてきた日常生活から引き離されることになった。そして、そうでなければ通常の世界が私のために用意してくれていたものよりも、より壮大な知覚の可能性を持つ新しい天地へと運ばれていったのだ。

   しかし呪(霊)術の世界へ参入したからといって、それだけで成功が約束されているわけではなかった。この日常世界の引力は非常にしつこくて強力であり、実践者であればわかるが、いかに倦(う)まずたゆまず訓練を重ねていたとしても、いとも簡単に実は何も学んではこなかったかのように、救い難い愚かさや耽溺(たんでき)、恐怖心に何度も繰り返しはまり込んでしまうのだ。一瞬一瞬を、たゆまぬ努力を重ねることによってのみ、「変わりたくない」「このままでいたい」という、もっともで人を無感覚にさせる固執を清算することができる。

   この本の中で語られている数々の出来事は、”忍び寄りの人”が受ける訓練の初期段階が描かれている。この段階では、習慣的になった思考様式や行動パターン、そして感じ方を、「反復」と呼ばれる伝統的訓練によって浄化しなければならない。教わったことすべてが目指すゴールは、自らの持てる通常のエネルギーの扱い方とその拡張である。「反復」によって、自らのうちに蓄積されている古い習慣や思考、記憶、感情といった強制的なパターンの枠組みが破られるや否や、人は教えが提供する新しい原理に従って生きるようになり、異なった現実を直接認識するようになり、必要なエネルギーを確実に蓄積できるようになるのだ。


 book 『呪術師の飛翔 未知への旅立ち』 タイシャ・エイブラー著 コスモス・ライブラリー

                          抜粋

私の畑から採れたものには放射能が検出されない

   昨年、私の半生が『奇跡のリンゴ』という映画になり、全国で放映されたことから、道で出会う人から「あっ、木村秋則だ!!」と呼び捨てにされるようになりました。まるでメジャーリーグで活躍するイチロー選手みたいだな、と友人から冷やかされています。私の自然と向き合った生き方が、あまりにも今の世の中の流れとかけ離れていて、逆に珍しがられたのかもしれません。

   今、私は行き過ぎた「不自然」を「自然」に戻すことをしなくてはいけないのではないかと思っています。ずい分と破壊してしまった土や自然を、元に戻す努力をしなくてはなりません。人の手で壊すことができたのですから、人の手で戻すことができるはずです。1人ではできないことでも、1人1人の力が結集すればきっとできると思います。今の「農業」も「医療」も、そして私たちの生活も、サイクルを継続することに忙しくて「モノ」の本質を見失っています。つまり、モノを見る力が退化してしまっているのです。

本来、農薬や肥料、除草剤はいらなかった


   私が提唱する農業は、農薬や肥料、除草剤をまったく使わない栽培法です。
   つまり、自然の生態をそのまま活かし、また利用する栽培で、農薬や肥料、除草剤を使わずに土の力を引き出す農法です。私が目指しているのは、よく渇いた土で、ぽろぽろと手からこぼれ落ちるような自然そのものの土です。栄養豊かで、微生物がたくさん住む自然の土を作ることであり、それが自然栽培の原点です。

   簡単に言うと、私の栽培する自然栽培農法の根幹は次のようなものです。
① まず大豆を植えなさい。
② 次に、野菜などの作物を育てなさい。
③ そして、雑草を育てなさい。
④ その結果、雑草は邪魔者ではなく、土を造る基礎になるのです。

   現代農業は、「土を作る」という基本的な大きな作業をして来なかったのです。
   だから「山の土を再現する」、「土を作る」ということが、自然栽培の基本になります。かつて昭和天皇は土と雑草の働きを熱心に研究されており、「雑草という草はない」という有名な言葉を残されました。これは推測ですが、自然の土壌生態を考えておられたのではないでしょうか。つまり、雑草があるからよい土が醸成されて、草木が育つのだということです。雑草という脇役がいるから、野菜などの主役が目立つわけです。

   2013年10月に、ドイツのケルン市に行って来ました。
   そこでは3年に1度、世界最大の「農業ショー」が開かれており、それは農業のオリンピックとも言われているものです。私はフランクフルト市内にある「ゲーテ記念館」へ案内された時、ゲーテの本に書かれていたものを読んで驚きました。それは同時に、私がやっている「自然栽培」の方向性は正しいと、改めて確信することができました。

   書かれていた言葉はもちろんドイツ語ですが、通訳の方によると、「大豆を植え、雑草を育てなさい。そうすれば、農業は永遠に可能である」と書かれてあったのです。18世紀の終わりにすでにゲーテによって、土壌改良には大豆を植える、麦を植える、野菜を植えるという方法が採用されていたのです。


農薬を使うのが当たり前、常識だと思っていた
   
   
リンゴは農薬で作ると言われるほど、リンゴ栽培には農薬散布は絶対に欠かすことができませんでした。リンゴの害虫は30種を下らないと言われています。ですから虫食いのない甘くて大きなリンゴを作るには、青森県で発行されているリンゴ用の防除暦を使い、それに従って時期ごとの散布すべき濃度の農薬が設定されていましたが、その使用すべき農薬の量といったら大変なものだったのです。

   日本では残留農薬の基準は厳しくて、できるだけ農薬の使用量を減らす方向に来てはいますが、しかしリンゴ農家の人々は、まだまだ直接農薬に関わっています。たまたま私の妻が農薬に過敏な体質で、農薬を散布するたびに1週間も床に就いてしまうほどで、農薬の臭いだけで吐き気をもよおすほどであり、散布中に畑で倒れてしまい、それが次第にひどくなっていったのです。妻の健康を考えると、県の防除暦どおりには農薬を使うことができなかったのです。しかし私の親たちはその農薬を使ってリンゴを作っていたので、だから私もそれが当たり前でそれしかないと思っていました。でも、妻の健康を考えると、何とかしなければならなかったのです。

日本の農薬使用量は世界一!  

   
生産者と消費者との距離が遠ければ遠いほど、農家がどのような栽培方法でやっているのかといった実態はなかなか把握できません。見た目がよいものが安心かというと、そうではないのです。ちょっと虫食いの跡があったほうが安心かもしれません。なぜなら濃い緑色に輝いて、目にも美しく映える野菜たちは、実はたっぷりと肥料や農薬を与えて作られた野菜たちであることを、消費者たちも、もう理解したほうがいいでしょう。普通の雑草はあまりぱっとしないくすんだ緑色をしていますが、店頭に並ぶ野菜だけは元気いっぱいでピカピカ光っています。人間がつくる作物だけが、濃い緑色で光っているのはおかしいと思いませんか? それはどうしてなのか、その辺から考え方を変えていかなければと思います。

   リンゴ栽培は、昆虫やカビ、ウイルスなどとの戦いであり、農薬を使えばそうした悩みから解放されることは誰もがわかっています。リンゴ栽培の歴史は、ムシと病気との絶望的な闘いだったのです。「本当に現代の農業は、農薬のリスクを背負わなければやっていけないのか」、私の自然栽培は、そんな疑問からのスタートだったのです。

   実は、日本での農薬使用量は世界で一番多いのです。
   農薬だけでなく、除草剤の使用量もまた世界一です。中国の野菜が危ないから買わないという消費者が多いようですが、実際には中国の農薬の単位面積当たりの使用量は、日本よりも少ないのです。韓国は日本に次いで多いのですが、肥料と農薬を減少させるために取り組んでいます。農薬で成り立っているような日本の農業は、なんとかしてこの汚名を取り除き、なくするように意識を変えていかなければならないと私は思っています。

   私の畑には、農家の人々がたくさんやって来ます。
   そして私の畑に入るなり、彼らは「お宅では農薬を使っていないから、ムシがいっぱいいるでしょう?」と異口同音に尋ねます。ところがどうしたことか、実は7、8年前からムシたちがまったく姿を消してしまったのです。私なりにたどりついた結論は、「ムシ同士の争いがあって、ムシがムシを食べているのではないか」と。これまでの体験では、一番手こずったのがハマキムシです。リンゴの葉が芽生えてくるとすぐに、彼らがそれを食べてしまうのです。しかしハマムシの駆除の労苦も、ここ7、8年前から解放されています。あと、日本ミツバチは絶滅寸前まで激減してしまいました。それも浸透性の農薬が原因で。

土を自然のものに戻そう

   
土壌には「単粒構造」の土と、「団粒構造」の土があります。
   農薬と肥料をたっぷりと与えられた土壌は単粒構造になり、粒子が少なくて土が固くなり、水はけも悪く、目詰まりを起こしやすいので、植物の根が張りにくくなります。しかも肥料を入れると、土が固くなって冷たくなります。一方、団粒構造の土は、粘土や砂の粒子、植物由来の腐植土などが混じり合って構成されているので、植物が根を伸ばすのにはちょうどいい隙間ができ、保水や排水にも優れています。植物にとっては、団粒構造の土が理想的なのです。

   私の畑の土の粒子は、農薬や肥料を使っていないので、団粒構造になっています。
   握ってもすぐにほぐれてしまうほど柔らかく、その結果、植物が自由に根っこを伸ばせる環境があるのです。また団粒構造の土壌には、微生物の種類が抜群に多いのです。たとえばミミズなどが排泄する物質は、団粒構造に大いに役立ちます。一握りの土の中には、何十億という数のバクテリアが生息しているそうです。一握りのよく肥えた土の千億単位の微生物は、夜空を見上げた時、無限に見える星々のようであるかもしれません。

   しかしこの土の団粒構造は、農薬や肥料や除草剤などによって崩れてしまうのです。
   農耕機械などの使用によっても破壊されてしまいます。気候の温暖化や水害などが繰り返されることでも、ダメになってしまいます。だからこそ私は、農業だけでなく、自然の生態系をもう1度見直そうと提案しているわけです。

私の畑から採れたものには放射能が検出されない

   
団粒構造の土は、実は作物に放射能が付着するのを防いでくれるのです。
   しかも団粒構造が全体に進めば進むほど、放射能は土の表面にだけ付着して内部にまでは浸透していきません。放射能はそのような働きをし、その最たるものがセシウムです。私の畑の収穫物からは、放射能が検出されません。土があまりにも細かすぎて、なおかつさらさらしていて固まりにくいために、放射能がたっぷり土の表面に降り注いでも、深く根を張っている作物は、表面に堆積した放射能になかなか触れにくいわけです。ですから私の畑から採れたものに放射能が検出されないのは、この団粒構造の土のお蔭なのです。

   この放射能については、2012年に、私に賛同してくれた福島県の農家によって実証されています。その方の農家と一般の方の農家とは、ほんの畦(あぜ)1つの境があるだけで隣り合わせにあります。そうであるのに、そこの田んぼの米からは放射性物質はほとんど検出されなかったのに対し、肥料や農薬を使った隣の農家の田んぼからはセシウムが大量に検出されたのです。私に賛同してくれた農家ではすでに8年来、肥料や農薬をやめて自然栽培をしています。これについては、専門家によってきちんと分析され、実証されています。

   放射能検出の表を見ると、5μ(ミクロン)dB以下は検出不能なので、もちろん放射能はゼロではないとは思います。しかしこれは常識的にはほとんど出ていないと考えてもよいでしょう。これもまた推測ですが、土のバクテリアの中に、セシウムを食べるバクテリアがいるのかもしれません。まだそこまでは研究、調査されてはいないのではっきりとはわかりません。

   11月の中頃には、私のところのリンゴの木々はすでに葉っぱをすべて落としています。山を見ると、厳しい冬を乗り越えるために木々は紅葉し、葉っぱを落として冬への準備をします。つまり葉っぱがないのが自然なのです。ところが私のリンゴ園以外の周辺のリンゴの木々には、まだ青々と葉っぱがついています。リンゴはバラ科の落葉果樹なので、雪が降りそうな寒い時期になっても葉っぱがついているほうが不思議なのです。肥料や農薬を与えられているリンゴ園の葉っぱは、雪がふっても青々としています。

   つまり、肥料や農薬をたっぷりと与えられたリンゴの木々は、自然のサイクルが狂ってしまい、季節を忘れさせられているのです。リンゴ本来の本性を生きることができず、人間が葉っぱをつけさせているのです。また私のリンゴ園では、肥料や農薬を使っていないのに、30年間も実るということが不思議です。普通に考えれば肥料や農薬をやらないと、実がならないのが当たり前なのです。雪の重みには耐え難いものがあり、リンゴはものすごく苦労しています。秋になって葉を落とし、雪に備えて枯れたリンゴの木々を見ると、感慨深いものがあります。私は人間として、リンゴという生き物に長年向き合ってきたなと。苦労の年月は、リンゴの木と向き合うための時間であったなと。菩提樹(ぼだいじゅ)の代わりに、リンゴの木々の下で座禅を組んできたみたいだった。

   隣のリンゴ園でも、来年から肥料をやらないことにしたそうです。
   私の提唱する栽培法に理解を示し、実行する農家が少しづつ増えているのは嬉しい限りです。実はリンゴの木は、自分の葉っぱの病気を自分で治療します。ですから病気や災難を最小限に食い止めるために、葉っぱを落としてしまうことがあります。また葉っぱに自分で穴を開けて、患部だけ枯らして葉を落とすことがあります。これはリンゴの木が自ら、自然治癒力を実践しているためです。この実験は、弘前大学農学部が行いました。そのため私の畑のリンゴの木の葉っぱを300箇所と、他の一般栽培されているリンゴにも同数の葉っぱに病原菌を塗って確認したのです。

   その結果、私の畑のリンゴの葉っぱでは、病気の患部をレースのように自分で穴を開けて枯らし、自分の葉っぱの一部を治療したのです。一方、他の一般栽培のリンゴの葉っぱは、1枚ごと全部枯れて落ちてしまったのです。この思いがけない現象をに出会い、私は自然に備わっているものすごい力に圧倒されました。木々たちは自然治癒力をそれぞれ蓄えているのです。この力があるからこそ、私の畑では肥料や農薬を使わなくても、リンゴが実をつけているのではないかと思います。私は農薬、肥料を与えない自然栽培から思うことは、農薬や肥料を与えることと、投薬や栄養過多の人間の病気との共通点を感じます。

自然との共生

   
がんセンターに入院している友人を見舞ったことがあります。
   「手術もできないし、ただもう死ぬのを待つばかりだ」と諦めている友人に言いました。「あと1年も生きられないのなら、どうせなら思い切って、ガンと仲よくしてみたらどうだろう? だってよ、あんたが死んでしまったら、ガンだって生きられないでしょ? だったらよ、ガンにさ、共に仲よく生きようぞ、と話しかけてみたら?」 

   友人は、「それもそうだな」と毎日、自分のガンに話しかけたそうです。
   「おはようございます。今日も一緒に生きていきましょう!」「お元気ですか? 私を生かしてくれてありがとね!」と。彼の余命の1年はとうに過ぎてしまい、3年目の今現在も、ガンと仲よく生きています。病気は自然の1部、ガンと仲よく、ガンとともに生きる。こういう考え方があってもいいのではないかと思います。



 book 地球に生まれたあなたが
        『今すぐ しなくてはならないこと』 
                    木村秋則著 KKロングセラーズ


                          抜粋

これから始まる地球の激動期をうまく乗り切ろう ④

Q、 地震が起きる時「サイキック・エネルギー」が起きるので、それも悪くないことの1つだと以前あなたから聞きましたが、それはどいういうものなのですか?

   
地殻が動くとき、そこからエネルギーが解放されます。
   その動きそのものは物理的なものですが、当然、解放されたエネルギーはすでに物理的なものではありません。それは形而上(けいじじょう)学的なものという言い方もしますが、「サイキック・エネルギー」と呼ぶこともできます。なぜならそのエネルギーが人類の集合意識に影響を与えるからです。

   問題なのは内陸ではなくて、南の方の海岸線です。
   日本の地震で一番大きな問題は津波です。地震そのものもグラグラ揺れたり、横にずれたりしますが、津波は一番困難な災害です。ですから海岸線は特に気をつけてください。ハワイに行きたかったら、ぜひ早いうちに行ってください。太平洋にある島の海岸線は大変なのです。インドネシアやマレーシア、ミクロネシアのことは話しませんでしたが、結構悲惨なことになります。フィリピンではたくさんの群発地震が起きるでしょう。日本は非常にはっきりした断層があるので、地震に関しては予知しやすいのです。

   よく人々から聞かれることに、「葛藤を手放すためにはどうすればいいのですか?」というのがあります。そのための方法というのはないのです。なぜそれが難しいと思うかといえば、ほとんどの人々が自分の葛藤がどこにあるのかを知らない、気づかない人が多いからです。「いったい葛藤って何?」と思っている多くのたちがいます。葛藤というのは2つのまったく異なった考えがあなたの意識の中に同時に存在することで、感情が対立している状態です。たとえば自分は働くことは好きだし、もっと働きたい。でも、今自分がしている仕事は嫌いだ、やりたくない」、それが葛藤です。

   とにかくジャッジメント(批判、裁き、断罪)を手放してください。
   私の友人には、「自分は2年間分の食料を蓄えている。だけど災害が起きた時、人々がパニックになって自分の食料を奪いに来るかもしれないので、そのために銃と弾薬を持っている必要がある」と言う人がいます。だから私は彼に聞きました。「あなたよりももっと強力な銃を持っている人がいたらどうするの?」と。

   これから困難な時代が来る可能性があるので、ともかくそれに対しては準備をしておいてください。そうすることで、少なくとも地震直後の大変な部分だけはうまく通り抜けるようにしてください。これは私が気づいたことですが、大きな自然災害に対して準備をしている人は、そんなに動揺することがないので、問題を抱えることがなくあまり大変なことになりません。

Q、 これから地震が起きると、経済状態はどうなっていきますか?  

   地震によって別に会社がなくなるわけではありません。
   ここは皆が心配し過ぎる部分なのですが、日本のリアルな経済はちゃんと続いていきます。それはむしろ改善されていくでしょう。なぜなら大地震という大きな出来事が起きた結果、さまざまなニーズが発生して、働いていない人が日本からいなくなるぐらい多くの仕事が
必要になってくるからです。その結果、日本の経済はよくなります。

   世界が終わると思わないでください。
   最も大きな火山爆発が北アメリカで起こり、それはアメリカ全土の半分に影響を与えるでしょう。もし私たちがそうした出来事によってパニックを起こすとしたら、それは自分の問題なのです。あなたが自分自身の内なる声に耳を傾けることができれば、あなたはふさわしい時に自分がいるべき場所にいることができます。科学者たちはこれまでずっと、大きな地震が来ると言い続けてきました。それは福島のことではなく、東海大地震のことです。東海大地震は来ます。明晰にあなた自身の直感に従ってください。

   私は人をおどかしたいわけではありません。
   日本で地震が起きるという予知は、サイキックでなくても誰にでもできます。しかも地震は軽くなっていくわけではなく、次第にひどくなっていきます。これからの4年間は地球の活動が非常に活発な時期になります。ここが済んだら別の部分というように、エリアが移動していきます。興味深いことは、人々のさまざまな活動の結果、人類がより1つになっていくことです。こうした大災害によって、本当に1つにならなくてはいけないと人類が気付くのです。このように我々は災害から、否応なくインスピレーションを受けて学ぶのです。

   近い将来には、地球の地軸が揺れて、赤道辺りの膨(ふく)らみ具合が変わってくると、地球は地軸をもう1回見つけ出さねばなりません。それは短い期間でしょうが、太陽が空で少し動く現象が見られます。地軸の揺れは、宗教を信じている人たち、特に地球を終わらせたいと思っているキリスト教信者たちを、本当に怖がらせることになるでしょう(笑)。彼らがなぜそんなことを言うのかわかりませんが、興味深いことです。

私たちがこれまで地球から受け取ってきた恩恵に感謝し、やさしく祈ってください

   
私たち人類が、地球からこれまでどれだけの恩恵を受けてきたかを思い出し、それを理解して心から地球に感謝し、地球が優しく穏やかになるように祈ってください。地球に感謝し、私たち人類を理解してもらえるように、今、人類に何が必要か地球に理解してもらえるように祈ってください。私は次のように祈っています。「私たちは実に愚かなことに、断層の上にさまざまな建物を建ててしまいました。そこのところをやさしく理解していただいて、穏やかに断層のエネルギーを解放してください」

   あなたのそうした祈りは集まって集合意識となり、それが地球のダイナミックな動きに変化を与えることができます。そのやり方に決まったものはないので、自分なりのやり方で、地球領域を司っている高次元存在に謙虚に祈ってください。

   日本国内のあるグループは、独自のやり方で、地球のエネルギーに対して指令を下すワークをしています。それは影響があると私は思いますが指令ですから、犬に「動け」と命令しているような感覚が少しあります。変なたとえで申し訳ありませんが、地球上にいる我々人間は、サイズ的にはまるで犬の上にいる蚤のようなもので、地球という惑星上に住んでいる私たちの意識は、「母なる地球」と一緒に生きているものです。もし地球が自分にとって「母なる大地」とするならば、自分の母親に対して「ああしろ、こうしろ」とは言いません。

   我々人類の集合意識が、母なる地球の活動の活発な時期を、穏やかに通り抜けることができるように祈りましょう。私たちの本質は魂であることを忘れないでください。そして魂である存在は、地球に影響を与えることができます。「明晰に、怖れなしに意図する」、それがとても大事なことなのです。    


  book 『日本人が知って変えていくべき重大な未来』 ゲリー・ボーネル著 ヒカルランド

                          抜粋 


   

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