« 人類を霊的停滞へ留めておくために「恐怖心」が吹き込まれる | トップページ | 創価学会のカネに牛耳られる人たち »

なぜ長州が政治を牛耳ってきたのか

   

   「日本武尊の東征」は成功を収め、最終的に大和朝廷は(北海道を除いて)「日本征服を成し遂げたのですが、その統治していく過程において、それから先1000年にも続く因縁を生み出すこととなり、大和朝廷最大の敵を生み出す結果となりました。それが大和朝廷による統治を受け入れず、その支配を逃れて山野や山河に隠れた人々のうち、本来は海人国(あまのくに・出雲族)の人々を中心とした「サンガ」(山窩・サンカ?)です。サンガは大和朝廷に敵対し、隙あれば常に大和朝廷を滅ぼそうと画策していました。

   一方それとは別に、大和朝廷による征服劇において敢えて逆らわず、秘かに大和朝廷に溶け込むことで姿を隠していたのが「倭国」(やまとのくに)の「秦氏」(ユダヤの外来系 フリーメーソンと言われた人々も含まれる)であったと言われています。こうした中で、大和朝廷に敵対する者たちから天皇家を守る裏の存在として「闇の八咫烏」(やたがらす)が組織されました。こうして闇の八咫烏と大和朝廷を滅ぼそうと画策するサンガとの間で、1000年を超える争いが始ったのです。

法隆寺は聖徳太子の祟(たた)りのエネルギーを封じ込めている

 
  こうした「三つ巴(みつどもえ)の争い」の中で、それが最初に表面化して歴史に残っているのが、「聖徳太子」を巡る争いだったと言われています。一般にはほとんど知られてはいないことですが、元来、聖徳太子が信仰していたのはユダヤ教であり、そのために今でも「聖徳太子=フリーメーソン説」が囁かれ続けています。しかし実はフリーメーソンと関係があったは聖徳太子というよりも、その補佐をしていたとされる広隆寺を創建した秦河勝(はたのかわかつ)であり、秦河勝が権力の中枢に食い込むために、積極的に聖徳太子に取り入ったと言われています。

   時代は飛鳥時代で、頭角を現した聖徳太子は最終的に皇太子の位を得て摂政となりましたが、自分の信じるユダヤ教では民衆の心を掌握できないと判断したゆえに、聖徳太子が積極的に推し進めたのが仏教の布教拡大でした。また同時に貴族たちの姿勢を正す必要から、反発を受けながらも行なったのが、「行政改革」や「律礼」(憲法)の制定でした。そして結果的に、これが聖徳太子一族の滅亡へと繋がることになったのです。こうした政策活動に積極的に関わり、聖徳太子を補佐したとされる秦河勝は、あくまでも姿を隠した”陰の存在”であり、歴史の表舞台で活躍したのは蘇我馬子でした。

   秦河勝は、聖徳太子が行なった「冠位12階」や、「17条憲法」などの策定にも積極的に関わりました。また「中央集権国家の樹立」を模索した背景には、聖徳太子自身が秦氏一族であったことと、フリーメーソンに属していたということがあったようです。しかしその後、大和朝廷により、聖徳太子一族を含め、それに関わったすべての者たちが次々と罪を着せられて葬り去られることになりました。当然、秦河勝も流罪となってその生涯を閉じており、それに関わる詳しい内容は歴史の中に埋もれる形で抹殺されています。

   また「日本書記」や「古事記」に先駆けて、蘇我馬子によって「天皇記」と「国記」が編纂されており、それとは別に聖徳太子と秦河勝が協働で「先代旧事本紀大成経」(せんだいくじほんきたいせいきょう)を編纂しています。しかしそれが世に出て一般に知られると天皇家の”神聖さ”が汚されることに繋がると判断したのか、それを嫌ったとされる”闇の八咫烏”によって聖徳太子をはじめ暗殺が行なわれました。まず毒によって倒れた聖徳太子を看病していた后が毒殺され、その後聖徳太子が没しています。

   この争いは、大和朝廷の闇の八咫烏と、蘇我馬子を陰で支えたサンガ、聖徳太子を盛りたてた秦一族との「三つ巴の争い」です。最終的に大和朝廷の闇の八咫烏が勝利しましたが、聖徳太子一族を滅ぼした大和朝廷が、聖徳太子の祟りを恐れ、出雲大社にならって建てたとされるものが「斑鳩(いかるが)の郷」、つまり聖徳太子の住居跡にある法隆寺だとされています。出雲大社は鳥居の正面に本殿を建てず、正面から見えない位置で鳥居と直角に本殿を位置することで、祟りのエネルギーを神社の外に出さずに封じ込める方式をとっていたと言われています。また大和朝廷は主に、皇室外の祟(たた)りについては神社で対応し、皇室内の祟りに対しては仏教寺院で対応したようです。

明治維新はサンガによるクーデターだった

 
  サンガと大和朝廷の闇の八咫烏、そして秦氏の「三つ巴の争い」に決着がついたとされているのが、明治時代の始まりのころです。約260年続いた徳川幕府が倒され、明治政府による近代の幕開けとなった「明治維新」ですが、これは実際には、「クーデターによる政権の樹立」と呼ぶほうが正しいと思われます。

   まずその時行なわれた有名なものが「大政奉還」で、これにより”政治の主導権”が天皇陛下に返されることになりましたが、それを受けた明治天皇は「政治には精通していない」ことを理由に、元将軍である一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)の補佐を要請したと言います。それで一橋慶喜は、現在の内閣総理大臣に就任することになりました。しかしそれをよしとしなかった「薩摩・長州連合」は明治天皇に対して幕府への武力討伐を主張し、そのことを強く迫った岩倉具視は宮廷を追放されました。

   しかしそれでも「勝てば官軍」の言葉通りに、明治天皇を蔑(ないがし)ろにしたまま進んだ「薩長連合」の武力討伐は成功し、徳川幕府を倒した薩長連合の特に長州が、武力を背景に政府と軍隊を掌握しました。これが「明治維新」にまつわる”表の歴史”に当たります。しかしこの日本史上最大の転換期においても、やはりその裏では、サンガと闇の八咫烏と秦氏との間で「三つ巴の争い」が繰り広げられており、今回の争点の中心は明治天皇を巡る激しい戦いであったのです。それが、「明治天皇は2人いた」とする説の元になっています。

   すでに述べましたが、大政奉還を受けた明治天皇は、一橋慶喜に内閣総理大臣に就任するように依頼し、それに反対する岩倉具視や薩長連合でしたが、なぜか最初”賊軍”として扱われていた薩長連合は、追放されていた岩倉具視が途中から復権したのと同時に”官軍”へと変わっています。なぜ明治天皇から排除されたはずの岩倉具視が復権することができ、しかも薩長連合が”賊軍”から”官軍”になれたのでしょうか?

   その背景には闇の八咫烏、サンガ、秦氏が関わっています。
   こうして明治天皇を亡き者にしようと画策したサンガと、何としても明治天皇を守ろうとする闇の八咫烏との間で激しい闘いがありました。その結果、本来の天皇つまり1人目の明治天皇は亡きものとされ、そして闇の八咫烏や岩倉具視らによって計画的に仕立て上げられた天皇、つまり2人目の明治天皇に引き継がれたといわれています。

   結局、明治維新とは、大和朝廷の転覆を長年にわたり画策していたサンガによるクーデターであり、それが初めて実現した歴史的な出来事であったのです。これにより、正当な天皇家の血筋は断たれたとして、一定の目的を果たしたサンガが”表の世界”へ出て来るようになりました。特に、明治維新によって”政治体制”が大きく変わり、中でも「邪魔者は消す」といった過激な思想を持つ長州中心の政治が始ったことで、それが第二次世界大戦前までにおける”陸軍の暴走”を生み出し、最終的にはそれが第二次世界大戦に至ったのです。

サンガを解体するために仕組まれた第二次世界大戦

   
しかしサンガが政権を握った時代は、明治時代から大正時代の中期までであり、そこから昭和に至る間に少しずつサンガの表舞台での衰退が始り、昭和天皇の時代には再び、主導権は闇の八咫烏へと移っていきました。そしてサンガを完全に解体するために仕組まれたのが第二次世界大戦でした。その裏ではアジア圏を掌握したいフリーメーソンの暗躍があり、フリーメーソンに繋がる秦氏が、日米双方の国内において第二次世界大戦に参戦するように働きかけていたのです。ここでも再び「皇室の存続」や利権を巡って、サンガと闇の八咫烏、そして秦氏つまりフリーメーソンの「三つ巴の争い」があったと言われています。

   第二次世界大戦の敗戦により、明治維新後から続いてきた長州政治も完全に終止符が打たれたように見えたのですが、実際にはそう簡単に済んだわけではなかったのです。確かに、長州中心の陸軍と薩摩中心の海軍は、占領軍であるGHQによって解体されはしましたが、行政の中枢である「官僚機構」は残されたのです。それは当然、GHQも占領政策を行なう上で必要なものであったことから、秦氏と関わるフリーメーソンの利害があったのです。そして明治維新以降の日本の政治は、官僚政治つまり長州政治と呼ばれる体制のまま延々と続けられ、それがすでに100年を超えています。

   明治天皇の死をもって事実上の「三つ巴の争い」は、ある一定の決着がついたことになってはいます。しかし現代において一見表立った争いは少なくなったものの、それでもサンガと闇の八咫烏、秦氏の争いは終わってはおらず、近代においてはその争いの舞台は政界から経済界へと姿を変えて、今でも継続されていると言われています。しかし地球規模で統合の時代に入った今、この三者の関係も大きく変化し始めているようです。大和朝廷設立時にはできなかった三者の同盟が、1000年以上の時を越えて、現代で再び統合へと向かっています。日本の歴史を作ってきた「三つ巴の争い」が終わり、彼らが手を結んだ時に本当の日本の時代が始るのかもしれません。


       book 『これから10年「世界を変える」過ごし方』 滝沢泰平著 ヒカルランド

                           抜粋
  

« 人類を霊的停滞へ留めておくために「恐怖心」が吹き込まれる | トップページ | 創価学会のカネに牛耳られる人たち »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1293328/71364744

この記事へのトラックバック一覧です: なぜ長州が政治を牛耳ってきたのか:

« 人類を霊的停滞へ留めておくために「恐怖心」が吹き込まれる | トップページ | 創価学会のカネに牛耳られる人たち »