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・人生の目的は、生きる体験を通して神を探求すること

   あなた方が「天使」と呼ぶ存在たちがいる。
   このような聖なる存在になりたいと願う者たちが、あなた方の中にもたくさんいる。だが天使であることには大きな短所があることを知っているだろうか? それは彼らはまだ人間として生きたことがないために、理性のバランスというものを持っていない。彼らはこれから最終的には、神の現れとして人間になる存在ではあるが、未だ単なるエネルギーの存在であるに過ぎない。

   そのゆえに彼らには、人類に対する憐れみや慈しみ、情という念がない。
   実際にあなたになってみるまでは、ただ目に見えない世界を生きている存在に、どのようにしてあなたのことが完全にわかるのだろうか。

   人類は、天使よりもずっと進化した存在である。
   天使たちには、人間という限界において生きる「神」についての理解がない。このために、人間の喜びや哀しみなど人類についての理解に限りがある。人類の一員となることは、それだけで聖なる体験である。なぜなら人間になるとき、あなたは神のすべてを体験するからだ。つまり人間になってはじめて、宇宙の王国という天界全体を網羅する領域へと、旅をすることになるからだ。

   人間になることで、あなたは自分を貶(おとし)めたわけではない。
   このことは絶対に理解しておく必要がある。なぜならこれまで一度も人間としての経験を持ったことがないならば、完璧な形で宇宙の天界に入ることは決してできないからだ。生命のレベルに降りたことがないのに、いったいどのようにして天界に昇華するというのか?

この次元にいる目的は、肉体を通して神を探求すること

   あなたの内に燃える創造主である神の炎、それを理解するために人間になるという選択は賢い選択であり、その価値は十分にある。人間を含めたすべての生命は、この炎でできている。そしてあなたは、人類と呼ばれるこの物質世界における知性を通してそれを体験し、神とは何なのかについての完全な視点を得る。

   あなたが神が何であるかをすべて完全に理解できたとき、また内側や外側の宇宙、物質や肉体、愛や喜びや哀しみなどそれらをすべて理解できたとき、あなたは自らが生まれた創造主そのものになるのだ。


   さて、あなた方がいまこの次元にいるのは、いま宿っている肉体を通して神を探求するためである。あなたのこの創造的進化を支えているのが生命というものであり、それは原子をそのあるべき領域に保ち、地球を宇宙の中に浮かべさせているのと同じ「生命の力」である。

   だがその生命の力には、一つだけ法則がある。
   それは常に進化と拡張、そして成長を続けるということだ。いつのときもあなたの人生の目的とは、生きることの体験を通してそこから学ぶことであり、学んだものにさらに磨きをかけて、それを生命という法則の中に取り込んでいくことなのだ。

   あなたがいま生きているこの過程こそが、「創造」である。
   つまりあなたは自らの創造的な思考と戯れているのであり、智慧と叡智を通して自分という大いなる神秘を解明するために、この物質次元を通してそれを表現しているのだ。しかしまた同時に、この次元は幻でしかない。あなた方は三次元的世界が現実そのものだと考えているだろうが、そうではない。人間がしているあらゆるゲームは、すべてが幻影であり、夢である。なぜなら目の前の現実は、夢とともにいずれ消えてしまうものだからだ。

真の理解とは”感情”による理解である

   真の世界はあなたの内側にある。
   それは、何かを感じるたびに出会う「感情」がそれである。真の世界とは、「感情」という観点から見るときにのみ存在し、理屈や論理によってではなく、「愛」とともに動いているのだ。

   この世界はもしあなたが、自分の魂の内なる感情を通して知覚する眼差しを持っていないならば、存在し得なかったものなのだ。この物質的世界の天国が創造された目的は、すべてこの創造性の不思議な旅に参加する者たちの魂の内に、「感情」というものを生み出させることが目的だったのだ。

   いったいなぜなのか?
   それが智慧という、生命の中でも最も崇高なもののためだ。智慧とは知的な理解なのではない。つまり、それこそまさしく、体験から得られる”感情レベル”での理解なのである。

   人生という偉大なる舞台があなたの世界だ。
   このすばらしい舞台は、自分が望むどのような現実であれ、夢を実現する機会を与えてくれる。なぜならあなたという神には限りない自由があり、どんな想念を抱くことも、どのような感情を感じることもでき、夢を現実化することができるからだ。しかもその過程において、どんなに自分の気持ちや考えを変えるのも自由である。

   この物質的密度の高い次元に生きる理由は、その世界に足を踏み入れる者に対し、感情的想念が変化すれば、すぐにそれが生み出す現実が後をついて来る事実を「証明」することにある。(感情的想念が現実を生み出す) このことを把握し、この怖るべき自らの創造力に気づいたとき、内なる自らの本質が神であることを知っている部分と、同調するプロセスが加速される。だが、人間としての体験がないならば、これを知ることは不可能だ。

   この人生は、(外にではなく)あなた自身の内面にしっかりと意識し自覚すべきものだ。これは熱き冒険とチャレンジにあふれる豊かな人生なのだ。自分を成長させるために、なるべき者になるために自ら関わっていくべきことや、進歩するチャンスを提供するために開かれている扉を、あふれんばかりにあなたの周りに与えているのだ。

   あらゆるものに存在価値を与えるのはあなたである。
   人生という土台に、さまざまなものを加えていくのはあなたであり、神の王国をさらに高め、栄光を与えるのはあなたなのだ。あなたはこのことを知らないが、それは自分が天使たちよりも低い存在だと考えてきたからだ。だがいずれわかるだろう。それはさまざまな生命と虹の色が、もうすぐあなたに、真の自分とは誰なのかを思い出させてくれるからだ。

   これが「覚醒の時代」というものだ。
   そうなったとき、いまのあなたの生活はどのようなものになるだろうか。自分がまさに神から生まれた神の一部だという気づきを開花させ、それは誰もが必要とする体験であることが当然のこととなるだろう。あなたはいまや永遠を手にし、思考の無限性を手に入れ、物質や時間、空間、などのすべての要素を再評価し直し、つくり直すことができるようになる。

   あなた方がみな立派な存在であるのは、本来の姿から長い旅を経ていまの自分になっていることだ。あなた方は想念から光へ、電磁場から分裂へ、そして固体物質へ、地上世界へと旅をしてきて、常にその目的はすべてのものに存在する神を知ることだった。

   あなた方は全員がこの旅を成し遂げた。
   これは勇気のいることであり、そこには多少の危険もあった。それは偉大なる不滅の本来の自己から、物質界への変容の過程で、自分の独自性を見失い、生存することだけがすべてになってしまう危険である。そしてああ残念なことに、いまやほとんどの人間がそうなってしまった。

   だがいま、あなたはなぜ私のこの謎めいた話に、わざわざ耳を傾けようとするのか知っているだろうか? それは、いま私が話したことが真実であるのをあなたの内なる自分は知っているからだ。そしてすべてを最初に動かし始めた神性である「知っている自分」に回帰できる道を、あなたは探し求めているからだ。

   あなたの奥深くの内なる自分は、自らが単なる物質の集まり以上のものであり、ただの肉体以上のものであること、そして自らの本質が神なる存在であることを知っている。そして、まさにあなたはその通りの存在である。

   あなたがいまここにいるのは、このことに気づくためであり、自分の真の姿である本来の神の本質を自覚し、”原初の光”や、あなたの存在の始まりに生命を与えた”思考”が確かに存在することを、自分の内側で悟ることなのだ。

   あなた方はかつて美しき神々であった。
   あなたは風に生命を与え、太陽に今いる場所にいるべき理由を与えた。あなたがそのことを知らないのは、創造主である神の生命よりも、自分は低い存在だといつも考えてきたからだ。

   私はあなた方が心から好きだ。
   なぜならかつて、私もあなたと同じ存在であったからだ。そして私の行ったところに、あなたも行くだろう。だがまず、この人生をしっかりと受け入れ、受け取り、自分自身を受け入れることで神を受け入れるまでは、そこへ行くことはできない。

   我が存在の深淵より、私はあなたに敬意を表する。
   あなたは真に偉大なる存在だ。真に愛され、必要とされており、大切な存在である。ゆえにそのことが、あなたという生命が存在する理由なのだ。



     book『ラムサ―真・聖なる預言』 ラムサ著 角川春樹事務所

                           抜粋



 

・人間の肉体は本来、何十万年も生きられるようプログラムされている

Q、 今度、子どもが生まれます。
  
 それについてですが、まず、なぜこの子が私のところに来ることを選んだのか、それと、私たちはどうやって自分の親を選ぶのか知りたいのですが。

ラムサ   地上に転生して自己表現の媒体(肉体)を持つために、人間はいったいどうやって自分の親を選ぶのでしょうか? それには多くの理由と答えがあります。肉体の死によってこの次元を離れ、再びこのレベルに戻りたいと望む者たちは誰でも、子どもをつくろうとしている人々を待っています。前世で子ども、つまり子孫をつくった者は、その子孫にあなたが「親」と呼ぶところの生命の遺伝的パターンがあるので、それを通じて戻って来ることもできます。

   このようにほとんどの場合、人は自分の知っている者たちを親として選びます。
   つまり前世で、子どもであったり親であった存在たちです。ですがそれとは別に、この地上世界に転生するための媒体を提供してくれるという理由だけで、自分の知らない人を親に選ぶ人もいます。ですが自分が地上に戻りたいのに、そのための媒体がないこともよくあり、場合によっては自分にふさわしい肉体を見つけるために、何百年と待たなければならないこともあるのです。

   真の意味で、人の母親であったり父親である者は誰もいません。
   なぜならすべての人間は、創造主という神の生命の父母原理から生まれた息子であり、娘であるからです。ですからここにいる者はすべて兄弟姉妹であり、互いに同じ親から生まれた子どもなのです。現時点でのあなたの子どもであれ親であれ、すべてが兄弟姉妹であり、皆が等しく神の精神の一部なのです。

   地上に戻ることを願う1人1人の存在は、ただ理由なくこの場所に戻って来るわけではないことは、前から自分にわかっています。ここに戻るのはこの場所で生きたいからであり、このレベルにおける体験を通して、感情を学ぶという課題と積極的に取り組みたいからなのです。それが、自分の存在の内なる心を満たすべき感情面での理解であり、それを得たいためなのです。

   そしてこの理解こそが、他のいかなる次元や世界であれ、感情を通して得る叡智こそが、人生という体験がもたらす真の宝物なのです。なぜならそれこそが、時を越えて永遠にあなたとともにあり続けるものだからです。

   今度あなたのところに生まれることを選んだ存在は、あなたの父の父の父に当たる人です。彼は1世紀前に始めた血統を通して、ここに戻って来ようとしています。子どもが欲しいというあなたの望みが、この存在に戻って来るチャンスを与えたのです。その人は言うならば、多くの者たちと同じように「列に並んで」、あなたがもたらす果実を待っているのです。ここにいる人々の中にも、受胎が起きるのを「列に並んで待っている」者たちが、光の場から周りを取り囲んでいるという人がたくさんいます。


Q、 もう一つの質問ですが、ここに戻って来るには、私たちは必ず産道を通って生まれてこなければならないのですか?

ラムサ   その質問に答える前に、まずこの地上世界が三次元の知覚の次元であることをわかる必要があります。ここは物質的三次元世界であり、物質を通して思考を見る次元です。この次元が物質の密度を持つのは、思考がある特定の周波数の波動まで拡張され、それが減速されて電磁場となり、さらにそれが物質の全体となり、この次元の固体となるに至ったのです。つまり、この次元の物質というのは、光の周波数が減速し、それを最大物質的密度の形態まで落としたものだということです。

   ここにあるものが同じ密度を持つためには、すべてのものが同じ周波数で振動しなくてはなりません。ですからあなたの身体は、あなたが今座っている椅子と同じ周波数で振動しているということです。つまり、あなたがこのレベルに存在しているというのは、あなたの肉体の感覚器官が、光の周波数の中でももっとも低い物質レベルを、感知するようにつくられているからなのです。

   あなたの本質の部分は、物質の密度よりも高い周波数を持つ光であるエネルギーなので、もし物質的肉体を持っていないならば、あなたの本質はこの次元の物質の中をすり抜けてしまうでしょう。つまり物質の肉体があるのでその密度と感覚器官を通して、この次元の物質を知覚したり、体験することができ、それと関わっていくことを可能にしているのです。ゆえにこの次元の波動の一部でいるためには、物質的肉体に宿ることで、その一部となる必要があります。そのための肉体を持つ一つの方法が、産道を通って生まれて来ることなのです。

   もう一つのの方法は、「昇華」と呼ばれている方法です。(略)
   昇華を体得してしまうと、あなたは自分の肉体を永遠に保つことができ、自分自身の肉体のままで自由に行き来ができます。つまり、またこの次元に来たいときは、ただ自分の波動をこの次元の周波数で振動するところまで下げるならば、もうその瞬間、あなたはここにいるのです。

   ここにいる人達だけでなく誰もがみな、昇華できる力を備えています。
   なぜならあなた方がまとっている肉体という幻影の陰には、すべてである創造主が隠れているからです。あなたは自分の意志で、限界のない想念を通してこの現象を起こすことができます。自分自身の思考を批判したり審いたりせず、すべての想念を受け入れることを許すならば、自分の夢見る理想の姿になる力と能力を持つことができます。


Q すると、もう死を体験することはないのですか?

ラムサ   そうです。すでに超越したものを体験することはありません。
       死というのは大いなる幻想なのです。この次元では死は、当然のこととして受け入れられた現実であり、誰もがそれを絶対と考えています。だから現実となったのです。

   お聞きなさい。
   ただ一つの現実とは、”生命”です。それ以外はすべてが幻想です。幻想とは、本来単なるゲームであった想念が現実のもとなったものなのです。死はこの世界の絶対的な法則ではありません。それに自分の体を持っていく(昇華)のほうが、はるかにやさしいことです。そうすれば再び産道を通って生まれる必要はなく、残念なことにあなたの本来の記憶を受け入れてくれない肉体的意識の中へ、再び生まれて来ることもありません。


Q、 すると、私たちは死ぬ必要もないのですか?

ラムサ   誰も”死ななければいけない”、ということはないのです。
       あなたが死ぬ理由はただ一つ、それは自分は死ぬと信じているからです。肉体をつくった神々は、ほんの限られた時間の一瞬だけを生きるようにそれをつくったわけではありません。

   肉体は内臓によってではなく、分泌腺からの滋養で生きるようにつくられています。
   つまり分泌腺からのホルモンで、肉体は何十万年と生きることができ、本来決して老いることのないようにつくられているのです。肉体の細胞組織にはそういうプログラムが施されています。そしてあなた方の歴史の中にも、それほど遠くない昔に、何千年と生きた存在たちが確かにいたのです。

   あなた方の言う死というのは、肉体の終わりに過ぎず、それは人格=自己の終わりではありません。ですが肉体の生命力が衰退し、死と呼ばれるものへと肉体をあわせていくのもまた、自分自身が持つ価値観のあらわれなのです。

   あなたの肉体は、指示されたとおりにしか反応しません。
   心臓のそばに宿っている魂が、感情というシステムを通して肉体をすべて管理しています。この魂が、肉体の生命を維持するために全身にホルモンを分泌させています。しかも魂はこのことを独自にではなく、あなたの価値観や思考過程の指示のもとに行なっています。

   今この次元で生きている、誰もがみな持っているそれぞれの価値観のために、思春期を過ぎると体内での各種のホルモンの生成は止まってしまいます。これらのホルモンの生成が止まると、ある種の死のホルモンが体内で起動し始め、肉体が衰退する方向へ向かい、老いて死んでいく過程が始まります。そして体内で死のホルモンがつくられるのは、あなたの持つ罪悪感と自分に対する審きと批判、そして死の恐怖の中に生きているからに他なりません。

   あなた方にとっての美、美しさとは、人の内面的なものではなく、すべてが外面的な若さだけにもとづいたものです。あなた方は自分が死ぬときのことを考えて保険をかけ、死を予期します。自分が病気になったりした時のために、財産を守るために保険をかけます。そのようにしてあなたは、自分の肉体の老化と死を確実なものにするために、あらゆる努力をしているようなものです。なぜならあなたはそれを、まったく当然のこととして予測しているからです。(略)

   あなたはたったいま、この瞬間にも、もし自分がそうするなら、時間を完全に止め、今というこの瞬間の永遠の中を生きることができます。なぜなら時間は幻なのではありませんか? いったい誰が時間を見たことがあるというのでしょうか? ここには大いなる欺瞞があります。あなた方は目に見えないものは拒否するというのに、時間だけは完全に崇拝しており、その奴隷にまでなっています。

   あなたは今のそのままの状態で、自分の肉体の老化のプロセスを逆転させて、若いときへ戻し、本来いつまでも生きられる力を自分の内側に備えています。どのようにしてでしょうか? それはただ、自分の考え方を通してです。自分の肉体が老いて死ぬことを望まないのであれば、あなたの考え方を変えることです。肉体は永遠に生きるのだと態度で示すのです。そうすればそのとおりになります。(略)

   常に今を生きることです。
   自分を愛しなさい。不死は、死ぬという考えをなくしたときにはじめて、達成可能になります。あなた方人類が死という共通の常識を生きるのをやめ、今現在という、この瞬間の繰り返しの中に生きるようになり、生きるという考えが死よりも強いものになるならば、死という茶番は消滅させられるでしょう。将来、それは必ず消滅します。なぜなら時間はもはや存在しなくなり、ここで話した叡智は、この地上に生きるすべての人々にとっての生きた現実となるからです。そうなれば、死はまったく意味のないものになります。


Q、 昇華についてですが、イエスも昇華したのですか?

ラムサ   そうです。イエシュア・ベン・ヨゼフがしたのもそれであり、私もそうです。
       
釈迦もそうです。そしてあなたの知らない何千、何万という人々がそうしました。ですが現在の地上では、昇華する人はほとんどいないでしょう。それはいまここで私が話したことの意味を悟り、それを理解する人があまりいないからです。

   ほとんどの人の肉体は死ぬことでしょう。
   それは老いること、衰えていくことを真実として認めているからであり、自分を運んでくれているこの乗り物という機械も、きちんと世話をしないからなのです。そして肉体は衰弱し、死を迎え、魂は肉体との繋がりから解放されます。ですがまた戻って来ようとすれば、再びそのための肉体が必要となり、このようにして再びたくさんの人間が生まれてくるというわけです。


Q、 子どものために何かできることがありますか?

ラムサ   肉体についてあなたがするべきことはただ一つです。
       それは外見について気にしないということです! いつの時も、それは美しいということを知りなさい。そうすれば生まれてきた子どもも、同じように思うことでしょう。それにより、子どもは幸せな魂を持つことでしょう。それにもう一つ言っておきたいことは、子どもを育てる時、大人になれば人生はもっと楽しくなるなどと決して言わないことです。

   それは一人の生きる存在に対し、大きな限界を課すことになるからです。
   人生というのは、一瞬一瞬のあらゆる瞬間が大切なのだという考え方をつくり出すことです。子どもがゆっくり成長できるようにしてあげることです。そして、好きなだけ子どもでいさせてあげることです。そうすれば、あなたはこの一人の愛しい兄弟に対し、計り知れない祝福となり、この地上世界で生きる喜びを共に分かち合うことができるでしょう。


    book『ラムサ―真・聖なる予言』 ラムサ著 角川春樹事務所

                         抜粋

 

・遠い昔に地球世界を生きたある人物の話

Q、 人はなぜ、この地上世界へ何度も戻ってくるのでしょうか?

ラムサ  その理由なら、この次元に生きる存在の数だけあることでしょう。
      ですがほとんどの場合、何度もこの次元に戻って来るのは、ここで多くの生涯を過ごしたこの場所が、自分のよく知っている場所であるからです。つまり、ここが故郷になっており、いわば「ルーツ」になっているのです。

   そうした人々は、愛情だけでなく、罪悪感や憎しみからくる強い感情的な執着を後に残していきます。その結果、ここを去った後も、この場所や他の人間たちへの執着が感情的な絆を作り出し、繰り返す転生を通じて、それらが再び彼らをここへ引き戻すのです。

   ですがそれとは違い、冒険者たちもいます。
   つまり地球の地上世界だけでなく、他の(惑星など)多くの場所に転生することでいろいろな体験をし、そこで得た叡智と体験をこの次元に持ち帰る人々もいます。さらに地球世界での体験はすべて完了し、ここには二度と戻らず、他の場所へ進んで行く人々もいます。

Q、  
人が死んで肉体を離れると、自分の生きていたときのレベルにふさわしい場所に行くそうですが、その後、再びここに戻るかどうかは、どのようにして決められるのですか? 個人が決めるのか、誰かが決定を下すのですか?

ラムサ  空に浮かんで座りながら、そうしたことを指示している人物などは存在しません。
      それはたとえ前世で、あなたがいかなる自己表現をしていようともそうなのです。

遠い昔に地球の次元を生きたある人物の話

   質問への答えとして、遠い昔にこの地球の次元を生きたある存在のことをお話しましょう。

   『彼が肉体を去り、この次元を離れた時、その人生の体験は力と苦痛、愛の甘さと優しさを表現していました。これは彼が、叡智の第 5 の次元と同調していたことを意味しています。つまりここを離れた時、彼はそこへ「望むだけの長さの休日」というものを過ごしに行ったわけです。

   さて第 5の次元とは、思考を通して何でも出現させることのできる次元です。
   想像するもの、自分が望むものは何でも、わずか一瞬のうちに現れるのです。そこでは自分が望むだけの期間、自分の夢を体験することができます。つまり、それ以上の何かがまだあるのではないかと考えるときが来るまで、これが続くのです。

   そして実際にそれはあります。
   ですがそこでそれが見えないのは、それまで自分の思考過程の中にそのような考えが浮かんだこともなく、自分の人生の中に体現したこともないからです。そうしたレベルを体験するためには、すべてのものに神を見、神が在るように自分もなる必要があります。第 5の次元にいる存在たちは、謙虚に愛を表現することはしてきましたが、神と、そしてすべての生命との一体性を、まだこれから理解していかねばならないのです。

   さて、その男は5次元という楽園をしばらく過ごした後、まだこれ以上の何かがあるのではないかと考え始め、助けを求めました。助けはいつもあります。すると彼の前にすばらしく神秘的な存在が現れたのです。彼はこの存在に言いました。

   「私にはよくわかりません。ここには何でもあります。今までずっと夢見ていたのに手に入らなかったものが、ここでは何でも手に入ります。ですが私は悩んでいます。友人はたくさんいますが、私の愛する女性がいないのです。それに神はどこにいるのですか? 私は今はすばらしいものをたくさん持っており、周りに素晴らしいものがたくさん見えます。ですが神はいったい、どこにいるのでしょうか?」

   するとこの賢者は彼にこういいます。
   「望むものをすべて手に入れて堪能し、まだそれ以上の何かがあるのではと問いかける者よ、自分をそれほどのすばらしい物で包んでくれた「ただ在るもの」がどこにいるのかを問いかける者よ、あなたに祝福あれ。」

   賢者は彼に、自分と一緒に来るように言い、瞬く間に2人はある池の前にやって来ました。そして彼に、自分の隣に座って池の水の中を見るように言いました。そこに展開されていたのは、彼が地球の地上世界で最後に表現していた自分の姿だったのです。それは母親の胸に抱かれる赤子のときの姿から、転んで膝を擦りむき、ビー玉をなくした子どもの時代、そして青年となり、あまりその気のない女性を誘惑している姿、立派な男となって結婚し、愛を交わし、子どものことや仕事のチャンス、労働、友人、そしてお金のこと――。

   それを見た彼は仰天しました。
   これまで見たことのない形で、自分自身の姿を見たからです。この人生で彼は、神の存在を信じる善良な人間でした。そして力があったにもかかわらず、その力を使って人を隷属させるようなことはしませんでした。妻と子どもたちを心から愛し、それを人にも堂々と話しました。その人生では、人に教えたり、自分でも学び、体得することや愛すること、そして精神的な面でも謙虚で純粋になることを通して、自分という存在を周りに伝えたのでした。

   賢者は彼に言いました。
   「あなたの人生はとてもいい人生でした・・・ただ一点をのぞいて。それは、あなたが神なる存在とは何であるかを探し求めなかったことであり、自分を神とは別のものと考えていたことです。また、あなたの妻に対する愛情表現の最良の形は、彼女が欲しがっているものを贈ることでした。それもあなたはうまくやりました・・・一点をのぞいて。

   ですがあなたが自分を本当に愛しているならば、何をあげたかということとは関係なく、彼女に愛してもらってもいいはずです。でもあなたは、愛されることを自分に許そうとはしなかった。自分はそういう物をすべて与えた者として、自分がいかに大きな存在であったかをよく理解できなかったのです。

   そして今、あなたの悩みを何とかするために提案があります。
   戻りなさい。あなたが自分を表現していたのはこの次元であり、多くを得たのもこの次元でした。そして今回あなたが自分に与えることができるのは、自分を愛するという課題であり、自分という存在の内面に愛を表現し、あらゆる生命と存在の美に神を見出すということです。

   もしあなたが戻ると決めたなら、次の転生でのあなたの役割が真の自分になり得るように、理解すべきことを理解できるチャンスとなるように、誰になるかを慎重に選ぶ必要があります。あなたはただ、どの時代に存在したいかを決めるだけでいいのです。実際はどの時代、どの場所であれ、自分の望みによって動き始める人生が、あなたが必要としている体験を与えてくれます。

   もしあなたが自分の家族の一員になりたいと特に望むのであれば、一つの案として、私はそれを勧めます。なぜならあなたは、家族とともに過ごすことにより、最も多くのことを学んできているからです。』

   彼はそこに座り込み、少しイヤになりながら思いをめぐらします。
   いまの自分には、これまでなかったようなすべてのものがあります。もし戻るならば、これらを全部失ってしまうのです。彼は悩みます。ですがこの楽園を与えてくれた神を見つけたいのです。

   そこで賢者に尋ねて言いました。
   「私が神という存在に出会ったとしても、私にそれがどうしてわかるのでしょうか?」 

   賢者は答えます。「自分を知ったとき、神のことも知るでしょう」

   これを聞いて、彼の気持ちはだいぶ楽になりました。ひょっとすると自分と同じであるという神は、はじめて自分にもわかるような気がした神だったからです。そして彼はこう言います。「戻ることを望みます。そこで神を見たいと思います。ですからまた家族の一員となりたいと思います」

   賢者は再び、彼に池の中を見るように言います。
   見るとそこには何と、彼の残してきた2人の息子が青年に成長し、美しい女性に求愛している様子が見えました。2人は互いに惹かれあい、すでに性交のプロセスが始まっていたのです。

   賢者は彼に、自分の息子の子どもとして転生することで地上に戻れると言いましたが、自分の息子の子どもになるという話に驚く彼に、賢者は重ねて言いました。

   『あなたは以前この地上世界に生きていたとき、彼はあなたの父親で、あなたは彼の息子でした。つまりそれを、もう一度繰り返すだけなのです。

   あなたは幼い頃から、祖母(自分の妻)が大好きな男の子になります。
   あなたが青年になるまでに彼女は地上世界を去ります。つまり、あなたが自分の心の愛を語るのを助けてくれた(妻との生活という)状況は、すでにその役割を終えているのです。そして今度は、神の美しい姿を見るという次なる課題に取り組むときが来るのです。』

   男がどうすればいいのか訊ねようと周りを見回すと、もう賢者の存在はありません。
   彼はその代わりに、水の中に見える自分の息子を見ています。すでに息子の光の一部となったからです。息子は彼がそこにいることは知りませんが、最近亡くなった父のことがよく心に浮かぶのでした。

   そして子どもが子宮の中に誕生する時が来ます。
   男は自分の思考を通じ、どのような人生を望むかにより、この子どもがどのようになっていくかを決めるのです。受胎の瞬間にその肉体にすぐ宿る場合もあれば、あるいはその子どもになるために、生まれてから1年くらい待つ場合もあります。

   彼は自分の周りに、自分がよく知っているものばかりあるのでとても不安になっています。そして自分を前に進めると、一瞬の内に自分が誰であったかを忘れ去っていたのです。そして最初に意識したのは、咳をしている自分、誰かが自分の眼をぬぐってくれて、小さな布で自分を包んでくれる誰かのこと・・・。

   この話は本当にあったことです。
   彼の助けを求める呼びかけに応えてやって来た高次の存在は、彼のために自己表現の場を選んであげたりはしませんでした。光の賢者はただ、神秘の池まで彼を伴い、それが自分で見えるように助けただけなのです。そこは自分のあるがままを振り返ることのできる場所であり、自分の人生を振り返ることで、自分がどんな体験を必要としているかを見ることのできる場所だったのです。

   その小さな赤子は、そのときからすでに愛することを知っていました。
   自分自身の中に神を見出し、その神そのものになることが、その人生で彼が体得しなければならないことだったのです。そしてこの存在はそれを体得しました。

   彼の名は、「釈迦」と言います。

   どんな時も、あなたは選んできたのです。
   あなたには必ず選ぶ意志があります。誰もあなたのために選ぶことはありません。5 次元の楽園に生きていた男がより高いものになろうとし、再びこの地上世界に生きることを通して、その美の中に神を見出すことがなければ、彼は今でもそのまま第5の次元にいたことでしょう。そしてあなた方の地上世界は、彼の偉大なる智慧と祝福を得られぬままでいたことでしょう。


    book『ラムサ―真・聖なる予言』 ラムサ著 角川春樹事務所

                          抜粋

   
   

・何でも”ただ知る”ことであり、「信じ込んではいけない」

   知っておくとよいことがあります。
   それは、決して何も信じてはいけないということです。絶対に。知りたいと望むことは何でも、ただ知るだけでよいのです。

   ですが「信じる」というのは、体験を通してこれから理解していくべきはずのことを、(それをすることなく、ただ差し出されたものを受け入れ、真実に違いないと)、確信を持ってしまうことです。そうした信念は、非常に危険なものです。

   なぜならそのようにして信念を持つようになった状態というのは、まだ自分の内で真理として確立していないものに、自分の信頼と価値観、それに自分の生命までもゆだねてしまうからです。

   それにより(あなたが信じてしまったことを通して支配されるようになり)、あなたはとても弱い立場に置かれることになります。そうした弱くもろい状態において、コントロールされ、(あてがわれた信念をよく信じない場合)罵られたり、呪われたりし、(それが理由で)遂には生命を失うこともあり得ます。しかもそれらのほとんどが、ただ(盲目的に受け入れた)信念のためなのです。

   知りたいと望むことは、何でも”ただ知る”だけでいいのです。
   そのためには、”ただ理解しよう”と求め、自分のうちなる内面の感じ方に耳を傾けるだけでよいのです。自分のフィーリングが持つ智慧に信頼することです。それを無視して、自分にとっていい感じをもたらさない信念は、(たとえ公認されていようと、誰かが勧めたとしても)、自分に押し付けるようなことは決してしてはいけません。

   もう一つあります。
   殺人者や、人を拷問したりする者に対して慈悲の情を持つことを学びなさい。それは殺傷という一つの征服を終えると、彼らに待っていることは感情面で自分のしたことに向き合い、それを消化していくという大変な作業が控えているからです。

   その作業を終えるために何千年もかかることがよくあります。
   殺された者は、次の瞬間には新しい身体を得て転生することができますが、殺した側は、自分のした行為を決して忘れることはできないのです。

Q、 (肉体の死で)この地上世界を離れ、自分のこれまでの人生をかえりみて、次の人生で何をすべきか決める時、魂はどこへ行くのでしょうか?

ラムサ  まず、その人が今理解する過程にある価値観と同じ波動の次元に行きます。
      たとえばあなたは、この地球の地上世界を表わしている「限界の中で生きる」と呼ばれる過程におり、ここでは苦痛と力、そしてまだあなたの口からは語られることのない愛のレベルまでの理解を得ており、今は意識の第 5 の次元である、実現する愛、言葉にして語られる愛、表現する愛というレベルで自己を表現しているところです。

   もし今の時点でこの地上を離れるとしたら、あなたは宇宙の天界の第 5 の次元に行きます。なぜなら今のところ、それがあなたが意識できる中では最高の叡智だからです。

   あなたは今、自分自身の価値や崇高さ、そして自分の思考の持つ力に気づき始めています。そして他人に対する慈しみの心や、すべての生命に対する尊敬を育みながら、あなたは成長しています。それはあなたが自分の体験を掘り下げるという、内面的な思考過程を通して、内面に実現すべき真理を心に抱くようになったからです。

   ですがこれから先にもさらに、見るべきもの、体験して理解すべき偉大な叡智が控えています。しかしこれを思索したり、理想として心に抱くためには、まず現在の自分が表現しているものが何であるかを知り、理解しなければなりません。なぜなら智慧は蓄積されて、さらに偉大なる叡智を知ることにつながっていくからです。

   たとえばあなたはまず、自分自身の崇高な美を目(ま)の当たりにすることで、自分への愛情と慈しみの心を表わすことができるようになるまでは、他のすべての生命の美しさを見て、それに気づくことや、あるいは他者に対する深い愛情と慈しみの心を表わすことはできないのです。

   つまり、自分の心の中で自分に対する愛情を実感してはじめて、自分の外へ意識を広げることができ、自分以外のあらゆる生命を受け入れ、心に抱くための基盤が出来上がるのです。そしてこのことを理解し、知るようになると、それまで自分の外側にあると知覚していた他の生命が、実は自分そのものであることに気づきはじめるのです。わかりますか?

   質問に戻りますが、ですからあなたが今この次元を離れるとすれば、自分の思考プロセスと自分が体現し、表現してきた感情面での態度と同じ波長の合う意識的次元へ行くわけです。それよりもさらに広い次元に行くことはありません。なぜならそれはまだ自己の現実とはなっていないので、そのような叡智が存在すること自体をまだ知らないわけで、それをこれから先に知覚していかなくてはならないからです。

Q、 
すると私たちの人生は、この地球の地上世界であれ、ここを離れてから次に行くいかなる場所であれ、(実質は)私たちの思考そのものだということですね。

ラムサ  そのとおりです。
     だからこそ私は、思考というプロセスを限りなく広げることをあなた方に教えているのです。つまりはどのレベルであれ、思考が無限に広がれば広がるほど、あなたの人生も無限に広がっていくはずだからです。

   思考と感情を通して、この世界であなたが創造する世界が壮大なものであればあるほど、地上を去った時、あるいはここに戻ることを選ぶのであっても、そこで体験する世界は壮大なものになるのです。

   ですが罪悪感や、自分や他人に対する批判と審きの念、あるいは同胞たちに対する怒りや憎しみの中に自分の思考が浸りきっている人々は、この地上の次元を離れた後もその態度には変化はなく、そうした自分のあり方以上にもっと偉大なものがあり、経験すべきさらに偉大な次元という世界があることに気づくことができません。


    book『ラムサ―真・聖なる予言』 ラムサ著 角川春樹事務所

                          抜粋
   

 

・生前教えられて信じたままに、死後も留まり続ける魂たち

   あなたは花よりも劣る存在なのだろうか?
   花の命とは何だろうか? 生命をはらんだ蕾が暖かな日の光によって満開へと咲き誇る。そのすばらしい花の精は大気に芳(かぐわ)しい芳香を放ち、すべてのものに喜びと愛を与え、人間だけでなく、鳥たちやミツバチたちに豊かさを惜しみなく与えてくれる。

   このすばらしい花は、またここに戻れるように種をまいていく。
   花が落ち、果実がなるとき、それは「智慧」の実と呼ばれる。その果実が食べられ、秋の香りと収穫が大地を訪れる時、木々は北風に震え、その葉を落とし、最後はそこに裸になって立ち尽くす。

   冬の白い静寂が、輝く雪化粧で木々の枝を覆い、すべてが冷たく殺伐としている時、花はいったいどこに行ったのだろうか? それは記憶の中にあり、智慧の中にあり、前の年の成長の中にあって、それはまたやって来る。冬が終わり、蕾の季節がやってきて、再び花が咲き誇る。


   一輪の花に生命の途切れない営みを見ることができるならば、なぜあなたが、その生命よりも劣っているなどと考えるのだろうか? 春には花を咲かせ、夏には実をつけ、秋になって葉を落とし、そして冬になるとただ死ぬだけだと思うだろうか。あなたはもっとも偉大な花よりも、さらに偉大な存在ではないのか? そうだ、まさにその通りであり、春が来るたびに咲き誇る花のように、あなたもまた生き続けるのだ。この生涯を終えた後も、その後に来る人生も、またその後もだ。

Q、
 私の母が去年亡くなったのですが、母が今どの次元で生きているのか知りたいのです。もし生きているなら、母はいま幸せでしょうか?

ラムサ  あなたは死があると信じていますか?

Q、
 信じるときもあります。
   ですが、もしかすると私たちは生き続けるのかもしれないと思っています。私には子どもが3人いますが、それぞれが生まれた時から、すでにはっきりとわかる性格の違いがあり、しかもその性格は大きくなってからもそれほど変わらないことに気がついたのです。また家にいた猫や犬たちでさえが、ほんの小さい時から非常にはっきりした性格を持っていました。ですから私たちはすでに生きた経験があって、これからも生き続けるのではないかと思うのです。

ラムサ  賢い洞察です。

あらゆるすべての生命が本質的自己を持っている

   ひとつ偉大な真実を話しますから、これだけは絶対に忘れないようにしてください。
   生命は決して終わることがありません。ですが確かに身体に危害を加えることはできます。たとえば肉体的には首を斬ったり、内臓をえぐり出したり、どんなひどいことでも可能です。ですがその肉体のうちに生きている人格=自己は、絶対に滅ぼすことができません。たとえば思考や感情をどうすれば破壊できるか、ちょっとだけ考えてみてください。思考は爆破できるのか、刃物で刺せるのか? それは不可能です。

   それは人間だけでなく、動物たちもそうなのです。
   この地上に生息するすべての生き物の生命力は、肉体という容れものの後ろにあってコントロールする人格=自己、つまり、見えないけれども確実に存在する思考と感情の集合体なのです。

   死は大いなる幻影です。
   なぜなら、いちど創造されたものは決して消滅させられないからです。つまり死とは、肉体だけの死なのです。肉体に宿り、それを操る本質の部分は、(もし望むなら肉体を離れた後)ただちにもう一つの別の肉体に入ることができます。このように肉体に宿って生きる生命力は、生き続けていきます。このことを覚えておきなさい。(略)

   肉体の死は、眠りに入るのに似ています。
   魂とはひとことで言えば記憶ですが、頭の中心に位置する最後の7番目(頭頂)のチャクラ、つまり脳下垂体を通って肉体の神経組織を離れます。ここを通過する時に、よく風の音を聞きながらトンネルを通って行くような感じとして体験されるのです。トンネルの向こうに見える光が、あなたという存在の本質的光、あなたという存在の核である精霊です。

   この地上世界を去る瞬間に、あなたは肉体という物質の固体性から脱け出し、本来の光の存在に戻ります。あなたは今や、強力な心と感情だけの存在であり、肉体とともにあった時にあなたが受け入れた思考により、その電気的な形態が変化する状態にあります。そしてここから7 つある宇宙世界の内の一つに行くことになります。どこへ行くかは、この地球の地上世界にいたときに感情面において表現されていた態度、つまり意識のレベルによって決まります。それはすべて、あなたの今の意識と感情のレベルで決まるものなのです。(略)

   知っておいてほしいことの一つは、頭で思い巡らし、心に抱く思考にはすべて、その思考の持つ振動という波動があり、それが特定の感情を引き起こし体験されます。ですから苦痛に対する理解を得ようとするならば、その人は苦痛に関する限られた思考を巡らすことから、その思考が低いレベルの振動の波動を生み出し、感情面ではその波動が痛みとして体験されるというわけです。同じく愛について学ぼうとしている人は、愛に関する思考の高い波動がもたらす高揚感を味わいます。それが何であれ、自分の意識の多くが向いている方向が、あなたの行く宇宙世界という天界です。(略)

   地球のこの次元は第一次元、それは「見る次元」と呼ばれています。
   なぜならここは物質世界であり、ここで自分の創造力と、感情という形で表現する自分の価値観がもたらすものを目(ま)の当たりにできるからです。このレベルは、7 つある中でただ一つ、闇の要素が存在する場所であり、「光の音楽」を耳にできない一つの場所でもあります。

   ここに転生してくる存在は、本来知っている叡智を「知っている状態」で生まれながら、「何も知らない状態」へと追いやられる社会的なプログラミングを通過していかねばなりません。それがこの地上で起きることであり、そのためにこの地上世界で先へ進むのに苦労が多いのも、それが理由なのです。(略)

   さてあなたのお母さんは、この地上を離れ、彼女が強く望み、また必要としていた偉大なる平和と休息の場へ行きました。あなたのお母さんはとても情の深い人でしたが、自分の感情をあまり表現できませんでした。彼女は自分が望むだけそこへとどまります。あるいはこの第一次元に戻って来ることもできます。そのために、必要なものを表現するのに最適と彼女が感じる、遺伝子パターンの中に入り込むことで地上に転生し、第7 レベルの理解に達するまで、この物質的密度の次元で進化を続けることも可能です。

   お母さんは幸せでしょうか。
   もし今生きているこの地上世界で幸せでないならば、この場を去る時、その不幸感は増幅されることになります。なぜなら肉体がなくなると、気持ちや感情という純粋な状態になるからです。

生前教えられて信じたとおりに、今もその状態に留まる多くの魂たち

   もしその場所を見るならば、大きな哀しみをもたらすはずのある次元について、一つだけお話しましょう。そこは意識の第一、第二のレベルを表現している魂の存在たちがいる次元です。そこは平野のように平らな場所ですが、そこには何があるのでしょうか? 

   そこは山々や川や草花が咲き誇り、空が光で輝いているような場所ではありません。
   そこには何十億という魂の存在たちが、本来の光の姿のままで、限りなく続く行列をなしている状態が見えます。彼らは半ば眠った状態でそこに横たわり、自分たちは「死んでいる」という幻影の中に生きています。なぜならこの人々は、墓場の先に生命はあり得ないと固く信じているからです。

   そのように思考はいまも生きて働き、磁気を発し、衝動もあって活発なのに、エネルギーのレベルでは自分は死んでいると思い込んでいるのです。実際はまだ生きているのに、です。

   よく聞いてください。
   どのようなことであろうと、自分が固く信じることは、それが実際には真理であるないにかかわらず、それが真実であると自分自身を必ず納得させてしまうものなのです。そしてそのようにして知っていることは、いつか必ず現実の姿を現します。私たちの創造性、そして意志というものは、それほどまでに強い力を持つものなのです。

   この次元にいる魂たちの多くは地上に生きている時に、自分が死ぬと、メシア(救世主)が戻って来るまでは死んだ状態のままでいる、と教えられました。彼らは神の愛から切り離されるという恐れの気持ちから、この教えを真理として受け入れたのです。こうして人生の最後を迎え、死を目前にした時、彼らは復活を待つ場所へ行くのだと信じました。

   ですからこのレベルでは、自分よりも偉大だと信じている誰かによって復活させてもらうのを待つ存在が、延々と行列を為して並んでいるのです。私たちは彼らを目覚めさせようとし、実際に一握りの魂たちが目覚めて起き上がりました。しかし彼らのほとんどは、何か悪魔のようなものが自分たちを誘惑し、起こそうとするとも教えられてきています。これは彼らが真実として固く信じて知ったことです。そのために、誰が起こしに来ても、彼らは目覚めるのを拒否するのです!

   おそらく自分が生きていることに気づき、眠りから覚めるために、まだ何千年とかかるのかもしれません。こうした教えは本当に忌むべき教えであったと言えます。苦痛のある場所はここだけです。ここは、地上にいるときにある教えを信じきって、絶対的な「知っている状態」にしてしまった次元です。そこでは見渡す限り、眠りの状態にある私たちの同胞の姿があります。しかし他の次元では、生きることはすばらしく荘厳なものです。



    book『ラムサ―真・聖なる予言』 ラムサ著  角川春樹事務所

                          抜粋
   
   

・私たちは”永遠に生きる”存在である

   かつてあなたは自由の風を生きる創造の神々だった。
   だが今、あなたは何を創造しているというのだろうか? 最高の創造物といえば、不幸であり、心配であり、自分を哀れみ、惨めさと憎しみ、対立、自己否定、それに老化と病気、死ではないか。

   自分に限界を設けてしまう信念を受け入れることで、あなたは限界だらけの人生を作り上げる。そしてその信念が、今度は自分の内で不動の信念と化すことで、あなたの人生での現実となっていくのだ。

   あなた方は都会に隔離され、鍵のかかった扉の中に閉じこもり、怯えながら生きる動物のごとき群れの存在となってしまった。あなた方にあるのはさわやかな風とそびえ立つ素晴らしい山々ではなく、壮大な建物と恐怖に駆られた意識だ。そして、どのように考え、何を信じ、どのように行動するべきで、どんな格好をするべきかまで規制する社会を、あなた方はつくり出してしまった。

   人々は戦争とその噂を怖れる。
   病気を恐れ、人に認められず、嫌われることを恐れる。あなた方は他人の目をみつめるのを震えるほど怖がっていながら、それなのに、愛と呼ばれる親しみの情を他人に渇望する。自分に良いことが起きればそれを疑い、もうこんなことは二度とないだろうと思う。そして他人よりも成功と名声を得ようとし、社会に出てさまざまな争いをする。ああそれも、得られるのはほんのわずかな喜びでしかないというのに。

   あなた方は自分自身の思考によって、自分を絶望へと追い込んでしまった。
   つまり自分の思考によって、自分を価値のない存在だと信じるようになり、自分を人間失格だと思うようになったのだ。あなたは”病い”に罹ってしまった。それは”死に至る病い”である。しかもこれらのすべては、あなたが自分でつくり出したものだ。

   あなたの内には、あなたの親である”炎のような創造主”がいる。
   それはひとつの想念からいくらでも宇宙を創造でき、その天空の星に永遠の輝きをもたらす力を持っている。だがあなたという創造主は、特定の信念と教義や流行、伝統などの枠の中に自分を押し込めることを選んだ。それが限定された思考による限定される思考であり、それによってさらに限定されてしまう思考だ。あなたが真の意味で「生きる」ことを自分に許さなかったのは、自分を信じようとしないあなた自身の疑いなのだ。

   あなた方は、自分の人生における最高の贈り物を信じようとはしなかった。
   そのために遥かに大きな広がりを持つ、限りなき思考が浮かんでくるのを不可能にしてしまった。幾度となく地上への転生を繰り返す中で、あなたはこの地上世界での幻にあまりにも深く浸りすぎてしまったために、自分の内を流れるすばらしい”炎”を忘れ去ってしまった。1050万年の間に、あなたは全能で至高の存在から、この物質世界で自分を完全に見失うところまで来てしまっている。

   あなた方は自分でつくり出したさまざまな教義や法律、規則や伝統の言いなりとなり、国家や信念、性別、人種の違いで分断されて、嫉妬や苦々しさ、そして罪悪感と恐れのなかに浸っている。それは自分の体が自分自身であると同一視してしまったことから、生存ということにすっかり囚われてしまい、内なる神というあなたの真の姿と、見えない本質を忘れ去ってしまった。あなた方にとって”不死”などあり得ないことになってしまった。だからあなた方は、そのために死ぬ。

   そして再び、また戻って来る。
   このようにして何度も何度も繰り返し、そしてあなたは今、またここにいる。すでに1050万年もここに生きてきたにもかかわらずだ。そしてあなたはまだ、自分の不信と疑いにしがみついている。この人生はすべてがゲームなのだ。それは幻であり、すべてがそうなのである。だがあなた方は、それがたった一つの世界であり、現実であると信じ込むようになった。

   あなたは自分の思考が、自分を無知や病気や死へと追いやってしまう力があると気づくとき、そうした自分をさらに大きく広がる、限りない思考の流れへと開いてやるだけで、自分にはもっと偉大なものになる力があることにあなたは気づくだろう。

   本来、身体を創造したのは神であり、それが実はあなたの内に宿っている力であることに気づくとき、あなたの身体はもはや老いることも、病気になることも、消滅することも決してない。しかし自分の信念に固執し、思考に限界を課している限り、朝の太陽に輝きを与え、黄昏(たそがれ)の空に神秘を与えた永遠を、体験することは決してないだろう。

   あなたがこの地上世界から消滅すると決めた時、何が起きるだろうか?
   当然、肉体は死ぬが、その中にあって目の奥の静寂で思考していたあなたという存在は生き続ける。この地上を去る時、あなたが自分は死ぬと決めたからといって、真のあなたという本質が、焼かれて朽ち果てて灰と化すわけではない。あなたは風とともに存在し続ける。そのあなたの次に行くところは、今生きているこの地上世界で(あなたの意識が属して)いた(レベルの)ところだ。

   あなたはそこで、次にどのような冒険をし、そこから何を学ぶかを自分で決めるのである。そうだ、すべては冒険(という体験による学び)でしかない。そしてあなたは神を親とする、1人の神である本来の自分の神性に気づき、それを手にするまで、何度でも否応なくこの地上世界へ戻って来ることになる。今のあなたにとってはこの地上世界が唯一であるとしても、そこで目的を遂げたなら、その後は別の世界、別の宇宙でさらに壮大な冒険という学びの旅に向かって行く。

   あなた方1人1人は、実はあなたが考え想像するのを遥かに超えて愛されている存在だ。あなたは生き続けていく。それなのにあなたはなぜこれまで、いつも心配し、争い、競ってきたのか? なぜ自分を病気にしたり、哀しみに打ちひしがれてきたのか? なぜ新しい朝日の荘厳さを楽しみ、吹く風の自由さを、そして子供たちの笑い声を楽しまなかったのか? なにゆえに苦労ばかりせずに、真に生きることをしてこなかったのか?

   あなたは本来、永遠不滅の存在だ。
   それはあなたがいかにそれに疑いを持ち、自分の世界を限定し、心配し、絶望しようとも、あなたが決して消せないもの、それが生命である。それが”ただ在るもの”神と呼ばれるものが表す価値観だ。そしてそれは、あなたのことなのだ。

   あなたが生きているこの人生は、夢、大いなる夢、それもいわば見かけだけである。
   それは思考が物質と戯れている姿であり、夢の中にいるあなた自身が自分に目覚めるまで、あなたの感情を拘束しておくためにつくり出される、深遠な現実の世界なのだ。


     book『ラムサ―真・聖なる予言』 ラムサ著 角川春樹事務所

                          抜粋

 

・この世界には偶然はなく、不運な事故や犠牲者など1人もいない

   私の同胞たちよ、自分が実は何者なのかについてのあなた方1人1人の理解は、まさにこれまでの数千年にわたる転生において、あなたが生きてきた”幻の堆積物”だ。あなたは単なる人間以上の存在であり、限られた存在でしかない人間という生き物よりも、はかり知れなく偉大だ。あなたはこの地球において限りなく転生を繰り返しながら生き、自分から奪われるのを許してしまった”ある壮大な真理”を、今再び学ぼうとしている偉大な存在なのだ。

   あなたはこの地上に、何千回となく生きるためにやって来た。
   それはまるで気まぐれな風のように、戻って来てはまた去って行った。あなたはこれまであらゆる顔や肌の色を生き、主義主張やあらゆる宗教を体験してきた。戦いを挑まれ、また挑み、ある時は王で、またある時は召使だった。水兵になり、船長にもなった。征服者にも、征服されるものにもなった。あなたは自分の歴史の理解の中にあるすべてのものに、生まれ変わって生きた経験がある。

   それはなぜか?
   それは感じるためであり、知恵を得るため、そしてあなた自身という最も偉大なる神秘を解き明かすためだ。あなたは自分がどこからやって来たと思うだろうか? 単に一つの細胞から進化した細胞の集合体なのか? だがあなたの目の奥からじっと見つめているのは誰なのか? あなたは膨大な時間の中で、繰り返し繰り返し戻って来て生きることを通じて、今の自分であるすべてになった。

   自分を創造したのは両親だと考えるだろうか?
   遺伝という意味ではそうだが、さらに大きな意味での真理では、彼らもまたあなたの同胞なのだ。そしてあなたの本質において、あなたは彼らと変わらないほど年と経験を重ねた存在なのだ。なぜならすべての存在は、同じ瞬間に創造されたからだ。だからあなたの本質にとって真の親とは神のことであり、これがすべての生命の父母の原理である神なのだ。

   あなたは、自分とは自分の身体のことだと考えているだろうか?
   それは違う。あなたの身体とは、あなたの真の姿である眼には見えない本質を、表に見せるために覆ったマントに過ぎない。その真の姿とは、あなたという本質の内にある人格=自己という、感情や価値観、思考の集合体のことだ。

   たとえばあなたは、誰かを愛する時、その人間の何を愛するのだろうか? 
   その人の身体か? 違う。あなたが愛するのは、その人の本質的部分であって眼の奥にある見えない人格=自己なのだ。あなたが愛するのは、身体を機能させている見えない本質であり、眼を輝かせ、声の調べ、手に温かい感触を持たせている本質の部分なのだ。

   あなたとは、思考や感情、価値観の集まりであり、それが一つの独立した人格=自己として表現されているものだ。虚飾なしの自分がどういうものか、あなたは知っているだろうか? 仮面のない自分は? 強がりという鎧(よろい)のなくなった自分は? つまり、存在の奥深くにある核の部分では、あなたはまさに神そのものなのだ。人類最大の神秘である神は、今もそしてこれまでも、あなたの内面以外のところに在ったことはない。

   あなたの本当の姿は、身体の大きさではない。
   それは実は、ほんの小さな光の点なのだ! その小さな光の中にあなたが愛する親である神から生まれて以来、あなたが経験して学び身に付けたすべてが収められている。つまり、神という本質であるあなたは、肉体の存在ではないのだ。それは光の本質ともいうべき、丸い形の燃え上がるような純粋なエネルギーであって、創造的な人生の宝ともいうべき「感情」を体験するために、今あなたは身体の中に生きている。それが真のあなたの姿だ。

   あなたの本質とは、あなたが”感じる”ことなのである。
   あなたが知ることができるのはひとえに”感情を通して”であり、身体を通じてではない。あなたの魂は、これまであなたが内に抱いた思考をすべて”感情という形”で記録し、蓄積している。この魂の内部に蓄積されたこの独自の感情の集合体があるゆえに、あなたは固有の自我やアイデンティティ、つまり人格=自己を持っている。

   あなたが今宿っている身体は、その魂を運ぶ単なる乗り物であり、この物質的次元に生きて遊ぶことを可能にするために選択された、一つの洗練された手段に過ぎない。だが、そうした単なる手段でしかないという事実にもかかわらず、あなたは自分の本質は自分の身体だという幻影にどっぷりと浸りながら、限りなく転生を繰り返してきた。

私たちは自分の思考と感情を通して自分の人生をつくっている

   あなたは自分の人生をつくって来たのは誰だと思うだろうか?
   自分以外の何らかの崇高な知性? あるいは何らかの逃れようのない力があなたの人生を支配して来たのだろうか? それは真実ではない。あなたがこれまでしてきたこと、今のあなたの人格、そしてあなたが体験してきたことのすべては、あなた自身に原因があり責任がある。

   神から生まれたあなたには無数の雄大な星を創造する力があり、そのあなたが、自分の人生のあらゆる瞬間とあらゆる状況を創造してきたのだ。ゆえにどのような人間であるかは、自分で選択してきている。自分がどのような容姿で生きるかも決めてきた。今回の人生で、あなたはどのような生活をするかも自分で設計し、すべてを自分で決めた。これこそが神から生まれた人に与えられた課題であり、特権でもある。

   あなたは自分の思考を通して、自分の人生をつくっている。
   つまり、どのように考えるかによって、何かを感じ、感情を生み出す。そして自分が感じるすべてのことは外界へ投影されて表出し、それが自分の人生の状況を作り出していくのである。ちょっと考えてみてほしいのだが、幸せを想像するのにほんの一瞬しかかからないが、あなたの身体は全体で喜びを感じる。また誰からも見捨てられたようなみじめな人間を心の中で演じるのも、ほんの一瞬でできて、すぐに悲しみと自分への憐れみの感情を感じるだろう。

   それらのすべては心のスクリーンで、ほんの一瞬のうちに行なわれる。
   そうした感情を自分の内面で作り出して空想している時、あなたの周りではそれにより、何か変わったことがあるだろうか? おそらく何も変わってはいないだろう。だがそうではないのだ! その感情を生み出したあなた自身のほうは、実はすべてが変わってしまっているのだ!

   あなたはあなたが考えるとおりに、まったくそのままの存在である。
   つまり、あなたが考えることはすべて、あなたの人生ではそのままそうなる。セックスを空想すればあなたは誘惑を体験するだろうし、みじめな状態を思いめぐらせば、そうなる。不幸を想定すれば、いずれそれがあなたのところにやって来る。喜びを想定すればそれがやって来るし、ある才能を思えば、それはすでにそこにあるのだ。

   では未来はどのように創造されるのだろうか?
   それも思考を通してである。あなたの明日は、今日あなたがどのような思考を抱くかによって設計されている。それは感情面においてどのような目的であろうと、あなたが抱く思考や想像、空想のすべては、あなたの身体の内部に”ある気持ち”を生じさせ、それが魂の内部にすべて記録される。その気持ちが、今という瞬間から始まるさまざまな状況の方向付けを決める。

   その気持ちが、つまり魂に記録されたのと同じ感情を生み出す状況、それがよくマッチする状況へとあなたを引き付けていくのだ。それだけではなく、あなたが口にするすべての言葉もそうであり、それらはすべてあなたの将来を創造するのである。なぜなら言葉とは音であり、それは思考によって生命を与えられた、魂の内にある感情を表現した音であるからだ。

   あなたは、自分の身に起きることのすべては、単なる偶然と考えているだろうか? 
   それは真実ではなく、この世界には不運な事故や偶然というものはない。また他の人間の意志や策謀によって、犠牲になったというような人間も1人もいない。なぜならあなたに起きることのすべては、あなたが考え、感じることによって、あなたの人生にもたらされているからだ。

   ところであなたは、なぜ自分が”ある仮定やある空想”をするのか知っているだろうか? それは「もしこうなれば」という仮定、あるいは恐れという意識からの空想、そして何らかの事態はこうなるなど、誰か、あるいはテレビで他の人間が言うのを、あなたが真実として受け入れてしまったものなのだ。

   あらゆるものは、思考と感情が生み出す決められた意図的な現象として実現するのである。そしてすべてのものがそうなのだ! ゆえにあなたがこれまで考えたこと、空想し、想像したこと、あるいは話したことのすべては、すでに起きてしまったか、あるいはこれから起きるべく待機しているのだ。

   いったい、どのようにしてすべてが創造されると思うだろうか。
   それは思考を通してつくり出されるのだ。思考こそが真に生命を与える者であり、決して死ぬこともなく、破壊できないものである。あなた方の世界のさまざまな時代を通して、多くの存在がこの真実を人々に伝えようとしてきた。謎かけを通して、ある時は歌、そして書物を通して。だがほとんどの人間は、このことに気づくことを拒んできた。それは自分の人生に対する責任という重荷が(誰か他人の責任にできず)、自分の肩にかかることを望むものなど誰もいなかったからだ。

   今のこの瞬間、今のあなたは自分が選んだそのままの姿であり、それを阻むものなど何もない。あなたは自分においてすべてに法則を与える者であり、自分の人生とそこにあるすべての状況を創造する者である。あなたはまさに、すべてを超える知恵を持った知性でありながら、このことに気づくことなく、これまでの多くの転生における生涯を生きてきたのである。


    book『ラムサ―真・聖なる予言』 ラムサ著 角川春樹事務所

                         抜粋
   

 

・イエスがもたらした教えも、1人1人の「内なる神」の存在だった

   神を語るのに、「ただ在るもの」ということを理解するためには、これまで長い間人類において使われてきたさまざまな言葉や表現を用いなければなりません。つまり誰もが自分のこととして理解できるような形で、「ただ在るもの」に触れなければならないのです。神には当然、性別はなく、「ただ在るもの」の言葉の意味が理解できない人たちは、「父なるもの」という表現かもしれず、「崇高なる知性」が理解できない人たちは、「神」という表現に一番慣れ親しんでいるでしょう。

   「神は父だ」と言い張る人にとっては、それがその人の真実です。
   また神を男性だとする主張に憤慨する女性がいるとすれば、それも彼女たちの真実です。それは常に、1人1人の人間にとって独自のものなのです。それはただの言葉ではありません。それは私たち1人1人の内面に宿る想いなのです。あなたの「ただ在るもの」についてのイメージが、限りなく大きければ大きいほど、その感情の表れや気持ちは壮大になり、喜びに溢れるものになるでしょう。

Q、  私(車椅子の高齢の女性)は神様を愛しています。でも、死ぬのが怖いのです。その理由を考え抜きましたが、わかりません。私は地獄の存在を信じていますが、まあ、地獄に落ちることはないとは思っています。ただ、神が私を愛していないと思う時がたまにあります。自分はもしかしたら許されていないのでは、と思うこともありますが、でも、自分は許されていることを知っています。ですが地獄は確かにあると教わってきたのですが・・・。

ラムサ   あなたが地獄はあると信じてきたのと同じくらい強く、私の言うことを信じることができますか? 地獄などありません。地獄(hell)の発祥はどのようなことか知っているでしょうか? それは本来、ユダヤ人の国において、お金がないためにちゃんとした墓に埋葬されず、彼らのための地面を浅く掘っただけの墓のことを指して使われた言葉です。

   浅い墓は忌むべきものと考えられていて、夜にはハイエナや野犬がやって来て遺体を掘り起こしてむさぼったのです。そのように喰われた遺体の者たちは、決して天国には行けないと考えられていました。その言葉の意味はたったそれだけのことだったのです。それがその後、そうした意味に翻訳され、司祭や僧侶たちがその言葉を用い、宗教がそこを苦難の場所と決めたまでのことです。

Q  ですが私は聖書をいつも読んでいますが、その中では地獄のことがことさら強調されています。

ラムサ   聖書を書いたのは誰でしょうか? 人間です。
     私はあなた方の世界の深層の奥深くまで、この地獄の燃えさかる火の海なるものを探しに行ってみましたが、それを見つけることはできませんでした。そんなものはなかったのです。この苦難を受ける場所を見つけようと、あなた方の宇宙の最果てまで行きましたが、そこにもありませんでした。そして戻って来てみると、私は悪魔や地獄を信じている人間たちの心の中にそれを発見したのです。創造主である「ただ在るもの」は、そんな場所は作らなかったのです。

Q、  そうですよね。神がそれほど私たちを愛してくださるのに、ほんの些細なことで私たちを地獄に送り、燃えさかる火の中に入れるわけがありませんね。それは神らしくありませんね。

ラムサ   まったくその通りです。
       しかもあなたは神によって創造されたのですから、あなたの内に神を持っているのですよ。ですからあなたは神の一部なのです。

Q、  そうなのですか? もしそうなら、それは私にとって大変深い意味のあることです。

ラムサ  お聞きなさい。
      神がすべてであり、すべての創造が神からであれば、あなたは一体どこから創造されたというのでしょうか? あなたは神から生まれ、ゆえにあなたは神そのものなのです。生きることが神そのものであるだけでなく、「過ち」もその一部なのです。そうであるならば、神が自分自身の一部(であるあなた)を業火の穴に投げ込んで、自分を愛さないというようなことをするでしょうか?

キリスト教がつくられた目的

   あなたに偉大なる真実を教えましょう。
   ある時、人間は自分の同胞を支配するための手段として、(彼らの考える)神のイメージを作り上げたのです。つまり宗教というものは、軍隊が、民族や国家を支配することに失敗した時のために作られたものであり、それを使って人々を恐怖に陥れて抑圧するための手段としたのです。なぜならどのような人間であろうと、その人から「真の神」を奪ってしまえば、その人間を支配し、コントロールすることは簡単なことだからです。

   地獄や悪魔とは、ある人間たちが他の人々を苦しめるために考え出した怖ろしい創造なのです。大衆を怖れさせて容易に支配できる集団とする目的で、宗教がその教義を通してつくり出したものなのです。それが一つの偉大な真理です。

   私たちは神から生まれ、私たちは神そのものです。
   そしてあなたは何も過ちなど犯してはいません。なぜなら人生は、あなたが行なったことによって変化し、いかに愚かで惨めな行為であったとしても、それを通して得られた気づきと知恵により、あなたの人生は前よりさらに豊かになったからです。

   一つわかって欲しいことがあります。
   あなたの信念、そしてあなたの宗教(キリスト教)は、すでに何百年にもわたり、他の文明を抹殺してきたということです。当時のマヤ人やアステカ人は、カトリック教会と同じことを信じていないというだけで、教会による支配を通じて殺戮され抹殺されていきました。人間の歴史の中でも暗黒時代と呼ばれるものが、ヨーロッパの中世の時代の聖戦ですが、これを通してカトリック教会の信念を広めることが目的で戦われました。

   フランスと呼ばれる国では、教会の言うとおりに信仰しないという理由だけで、母親の手から赤ん坊が連れ去られ、多くの女性たちが赤く熱した鉄の棒で眼を焼かれ、胸に烙印を押され、辺りは血の海になりました。それもすべて、たかが宗教上の信念のためだけにです!

   次に今度は新教徒(プロテスタント)が現れ、そこから地獄に燃えさかる炎や悪魔といった概念が生み出され、それが子供たちの心に恐怖を生み出し、教会の言うことに従いその規則や戒律を守らないと、地獄で永遠に焼き尽くされると言って、教会組織を強固にさせようとしました。


Q、  私もそんな感じで育てられましたよ。

ラムサ   お聞きなさい。
       あなたは残虐行為をされて育ったと言っても過言ではないのです。聖書が存在し始めて悪魔や地獄が生まれたのですが、では聖書が存在する前の時代にいた人たちはみなどうなったのか、不思議に思ったことはありませんか?


Q、  ああ、もしかしたら皆、地獄で燃え尽きてしまったのでしょうか・・・ああ、失礼。ごめんなさい。

ラムサ   いえ、何も謝ることはありません。
       つまりそれが、あなたの信念の為せるわざなのです。さて、今のあなたはもはや若くはなく、自分がいつかは死ぬことを心配しています。そしてこれまで何世紀にもわたって続けられてきた、あなたにもプログラムされてきた教えが今、肩に重くのしかかっています。「地獄はあるのだろうか?」「自分もそこへ行くのだろうか?」「そこまでの過ちを自分は犯しているのだろうか?」などです。

   よく聞いてください。
   あなたは地獄へなど行きません。そんな場所など存在しないのですから。あなたは体から去ると、瞬(またた)く間に生き返ります。そして再び、本来の純粋な光の存在に戻ります。すると偉大なる導きの師たちがやって来て、さらなる学習の場にあなたを伴い、あなたはそこで、今、私が話していることが大いなる真実であることを、自分自身で確認するのです。

イエスのもたらした教えも実は、外ではなく1人1人の「内なる神の存在」だった

   さてイエシュア・ベン・ヨゼフ、つまりあなたがナザレのイエスと呼ぶその人は、あなたが偉大なる神であるのと同じように、彼も偉大なる神です。ですから彼は神のただ一人の息子ではありません。彼もまた、私たち多くの者の中の一人の息子なのです。彼は人間であり、神々になったのです。それはちょうどあなたがそうなるようにです。


Q でも、そのようなことは教わってはいません。

ラムサ   お聞きなさい。
       イエシュアは何を教えたのでしょうか? それは自分が神の子であることですが、それはその通りです。しかし彼はまた、誰もが神の子であるとはっきり公言しました。彼が教えたのは、まさにこのことだけだったのです。誰もが神から生まれた神であり、その完璧さを人間の形を通して表現しています。

   イエシュアはあなたの兄弟です。
   つまり、救世主ではありません。彼もまた私たちと同じく、自分の内に神を持っていた人間です。彼は人間同士の中に愛のなかった時代に、地上へ転生しました。彼は、神なる存在は裁きを下したり罰を与える神ではなく、あわれみと恩寵、そして慈愛の心にあふれた、すべてを愛する神なのだという教えをもたらしたのです。

   しかし残念なことに、イエシュアのもたらした考え方は、この汚れなき魂を持った人間による実に簡単な教えであったにもかかわらず、これを理解できなかった者たちによって大きく歪曲されてしまい、それが新約聖書という書き残された書物なのです。

   イエシュアは、愛の源は自分の内面深くに住む神の存在であり、それがすべての人々の内にあるのと同じ存在だと公言しました。イエシュアの大きな包容力と自由の源は、自分と内なる神が一つであり、そこにあることを知っていたのです。それが自分の虚構をすべて剥ぎ取ることで、自分の内なる神を完全に表現できたのです。

   (車椅子の)わが愛しき女性よ、あなたとイエシュアとのたった一つの違いとは、彼がすべての人間に存在する内なる神を理解し、それを完璧に体現して生きたということだけなのです。そしてあなたもまた、それを体現して生きる愛と高貴さを備えている偉大な存在なのです。

神なる存在は、外ではなく「あなたの内に在る」

   イエシュアは、他人を救うために来たのではありません。
   彼は、内なる神とともにこの地上に生きる神であることを悟ることにより、自分を救うことができたのであって、他の人間たちにもそれぞれの内なる神を通して、自分自身を救う道を教えたのです。そして、「私がしたことは誰にもできる。父なる神とあなたは一つだからだ。天の王国とは、すなわちあなたの内にあるのだ」と教えたのです。

   ですからあなたという美しい存在である、あなたという神を愛しなさい。
   そしてあの「本」(聖書)など読むのはやめなさい。神なる存在は外にではなくあなたの内にあること、そしてあなたは永遠に生きる者であることを知るのです。

   あなたはこれまで、自分で自分を罰してきました。
   そして自分が過ちを犯したのでそのために罰せられると信じることが、自分自身の地獄に生きる原因となってきたのです。それは自分自身でつくったものです。私はあなたを深く愛しています。今、私が伝えたことに想いをめぐらして、自分を愛し、自分の内にある神と出会いなさい。そして内なる平和を見出して生きなさい。この地上を去ったとき、あなたは再び輝いて生き始めるのです。



    book「ラムサ―真・聖なる予言」 ラムサ著 角川春樹事務所

                          抜粋

 

 

 

 

 

 

 

・地球人は正しい判断ができなくなってしまった ⑦

   確かに地球人の多くは管理社会というものに対して非常に悪いイメージを持っていますね。その原因は、第二次世界大戦で敗北した帝国主義や、戦後に一時期隆盛を誇っていた社会主義があっという間に崩壊したことなどから、『管理社会は悪いもの』と思い込んでいるからだと思います。しかしそれなら、管理されない社会というものは本当に住み良い社会なのでしょうか?

   地球は自由だといいますが、では地球では誰もが言いたいことを言い、やりたいことをやり、自由に伸び伸びと行動しているのでしょうか? 私が見る限りでは、地球で言いたいことが言えて、やりたいことができるのは、大富豪と頭のおかしな人間と、専制国家の為政者と自由主義国のマスコミ関係のボスと、芸能界の売れっ子くらいなものです。それ以外の人は、余り言いたいことも言えず、やりたいこともやっていません。

   なぜなら多様な価値観を放任している社会は、それぞれが目盛りの違うモノサシで測るようなものであり、意見が一致せずに争いが生じやすく、どれが正しいとも決められないからです。それで結局、お金を持っている者や権力のある者、あるいはマスコミの言うことが正しいということになり、他の口は封じられてしまうのです。

   つまり、共通のモノサシを与えず、やりたい放題をやらせている社会というのは、本当は自由な社会ではなく危なっかしい放漫社会なのです。真に自由な社会でありたければ、せめて同じモノサシを持たせて尺度を同じにし、個人の行動にもいくつかの制限を設けなければなりません。それはスポーツの試合と同じことで、共通のルールがあるからこそ試合がスムーズに進行するのであり、共通のルールがなければ喧嘩になってしまいます。

   また、私たちの星が管理社会で、地球の社会は自由社会だという事には異論があります。なぜなら『あれはいけない』『これはいけない』というような自由を制限する規則の多さを比較すれば、地球のほうが遥かに桁違いに多く、それは約2万倍くらい違います。私たちの星には『騙してはいけない』『他人に迷惑をかけてはいけない』『責任は自分で取りなさい』という、たった3つの規則があるだけで、他に規制というものはありません。

   ですから憲法、民法、商法、刑法、刑事訴訟法、民事訴訟法のいわゆる六法から始まり、政令、訓令、通達、それに委任立法も加わり、それこそ数え切れないほどの規制のある地球社会のほうがよほど管理された社会だと思います。しかも地球社会には職場というものがあり、そこで更に細かい社則が作られて社員の行動を規制しています。その中でもノルマは、社員を地獄に追い込む規則です。会社によってはノルマが達成できなかった社員を吊るし上げたり、夜中まで部屋に閉じ込めて脅したりしています。

地球人は正しい判断ができなくなってしまった

   こんな社会が本当に自由な社会と言えるのでしょうか?
   私たちから見れば、地球人社会は決して自由な社会ではありません。むしろ極めて不自由な怖ろしい拘束社会です。こんな社会に不安も嫌悪も感じないで、これが自由社会だと言っている地球の人々は、物事を正しく判断する能力を失っているのです。

   このように、地球人が物事を論理的に正しく判断できなくなった最大の原因は、漫画雑誌の大半を占める劇画の氾濫にあります。どぎつい絵に『キャー』とか『ドカーン』など聴覚音を殴り書きした劇画では、人間の思考力や洞察力は育たないのです。しかもその内容たるやセックスシーンが大部分で、『ヤメテー』『タスケテー』とか、酷いのになると『ズボッ』とか『シコシコ』など、卑猥としか言いようのない場面と音の描写の氾濫です。

   こんな劇画ばかり見て、まとまった本を読まないでいると、発育盛りの子どもの頭が性に対する異常な興味で一杯になり、妄想に囚われて物事を正常に考えることができなくなってしまうのです。それなのに地球の大人たちはこのような状態を、いつものように『まあ、いいか』『何とかなるだろう』ということで野放しにしています。

   今の地球の人々は一体、次世代を担う青少年の育成を何と心得ているのでしょうか? まだ善悪の判断の付かない子供たちに過激な裸やセックスシーンを見せて、その子どもたちが将来どんな人間になり、世の中がどうなってしまうか一度でも考えたことがあるのでしょうか? このままでは地球社会は『まあいいか』といった状態には絶対にならないし、『どうにかなる』なんて事にも絶対になりません。地球人はなぜ、金儲けのためだけに、こんな劇画を書いたり売ったりする漫画家や業者を、徹底的に排除しようとしないのでしょうか?

   話は逸れますが、昔は地球人も次世代を担う子どもたちを、立派な大人に育てようと努力していました。それも自分の子どもだけでなく近所の子ども、隣町の子どもであっても、大人の目はすべての子どもに向けられていたのです。ですから悪さをしている子どもを見つけると、それがどこの子であっても厳しく注意しました。それは子どもたちが良い大人になって、世の中をより良くしてほしいと思っていたからです。

   しかし今では、他人の子どもに注意でもしようものなら、その子の親は激怒し、文句を言いに来るでしょう。そうであれば子どもは、自分の悪いことは棚に上げて、親に告げ口をして陰で舌を出すような子どもになります。昔は絵本や童話だけでなく、子ども向けの立志伝とか講談本、漫画でさえも、良い社会人になる為の心構えや教訓を沢山盛り込んだものでした。

世の為、人の為ではなく、今は自分のために子どもを育てている

   それが今では、世の為、人の為になるような子どもに育てるのではなく、親の子どもを育てる目的は、子どもが人より出世してお金を稼ぎ、老後に楽をさせてもらおうということになっています。昔の親のように、出世しなくていいから、人の道を外さず、真っ当な生き方をして、世の為人の為に尽くせる人間になって欲しいと願っているならば、立派な大人になるものを、今のような育て方をしていたのでは、子どもは大きくなっても友人もできず、1人で生きる動物のように孤独で陰険で、自分のことしか考えない人間になります。

   そして子どもに出世してもらって楽をしようと考えていたのに、放り出されて別居したり、同居していても下僕のようにこき使われる羽目になります。今の地球人は、なぜこんな当たり前のことが判らないのでしょうか?

   最近の地球人の多くは、まとまった本を読まなくなったために、物事を深く考えたり、自分なりの結論を出すことができなくなりました。そうして他人からの受け売りや、周囲の意見をこっそり取り込んで、いかにも自分の意見のように見せかける事がうまくなりました。つまり端的に言えば『付和雷同型』で、他人の『尻馬に乗り』易い人間になったということです。

   付和雷同: 自分の考えもなく、判断ができないため、他人の意見も良いか悪いか考えずに、すぐにその意見に賛成してしまう。”雷同”は、雷の音が響き渡るように同調してしまう。

   尻馬に乗る: 判断もせず他人の言動に同調して軽はずみなことをする。人のあとについて調子に乗ってその真似をする。


           book『小さな宇宙人』 原田正彦著 Gakken

                           抜粋
   

・自分の子どもは自分で育てる ⑥

   ご存知だと思いますが、教育の原点は、神が哺乳類や鳥類に与えた『子育て』の本能です。子育ての目的は、子どもに自分の餌を確保し、敵から自分の身を守り、独りで生きて行ける体力と知識を与える事です。ですが野生の時は子育てをする動物たちも、動物園などで飼育され、敵に襲われる心配がなく、餌も与えられるようになると、子育てをしなくなります。

   こうして子どもの時に子育てをしてもらえなかった動物の子どもは、自分で餌を取ったり、敵から身を守る方法を知らないので、野生に戻すとすぐに他の動物の餌食(えじき)になってしまいます。ですから子育ての本能というのは、動物が生きて行く上で極めて大切な、かつ尊い本能なのです。

   ですが金儲けに忙しく、かつ老人を蔑(ないがし)ろにして、子育ての経験や昔からの仕来たりや教えを、次の世代へ伝えなくなった日本の国では、正しい子育ての方法を完全に失ってしまいました。そして変わった教育論など、いい加減な教育者が思いついた軽い持論に振り回され、人間本来が持つ子育ての方法から離れてしまいました。

   その結果、最近では社会に受け入れられず、しかも社会の中で生きていけない青少年が増加し続けています。こうした教育論と教育法を正しいものに戻すためには、原点に立ち返り、野生の動物たちの子育ての方法を真摯(しんし)に見習う必要があります。

   野生の動物たちの子育てから言えることは、人間の義務教育では『生きて行ける体力』と『生きて行くための知恵』、そして『社会に適合する能力』を身につけさせる事が必要であり、それ以上の難しいことを教える必要はないということです。ですから義務教育で、白を黒と言いくるめる屁理屈の方法を教えたり、∑(シグマ)とか∫(インテグラル)とか、およそ一般社会では役に立たないことを教えるのは、教育の原点から外れているのです。

『すべてが金』と思うのなら、それに見合った教育をする

   あえて言わせてもらいますが、地球のようにお金がなければ生きていけない社会を作ってしまったのなら、むしろ義務教育で『どうやったらお金が儲けられるか』ということを、徹底して教えるべきです。それを『お金、お金と金のことばかり言ってはいけない。世の中にはもっと大切なものが沢山ある』というような教育をしておいて、一歩社会へ出れば、地球社会はすべてが金、金、金の世界ですから、金儲けの下手な人間が『能無し』扱いされるのでは、結局、嘘を教えたことになり、役に立たない教育をしている事になるのです。

   義務教育で、『お金が世の中のすべてではない』と教えたのなら、お金がなくても生きて行ける世の中を作るか、あるいは金儲けしか頭にないような人間が、誰からも蔑(さげす)まれる世の中にしなければ筋が通らないというものです。

   それはさて置き、今のように科学技術が発達してきた地球社会ですから、義務教育のほかに高度な知識や技術を教えることも必要になります。ですがそれは、将来そうした知識や技術が必要な分野に進む人たちが学べばよいことであり、一般の人がそんな高度な知識や技術を学ぶ必要はありません。

   ですが日本の国では、学ぶ意志も能力もないのに、ただ皆が行くからとか、学歴という箔をつけるためにほとんどの人が大学に行きます。そしてそのほとんどの学生がろくに勉強もせず、遊び呆けており、あるいはバイトに明け暮れていることから、専門知識や技能など身につくはずもなく、自分の専門分野に就職しても、そうした専門的知識や技術は前から職場にいる専門学校出や高校出身の人のほうがずっと上なので、その人たちに教わらなければならないという不様(ぶざま)です。

   日本の大学の教育が如何に役に立たないかという良い例が、経済学部という『お金に対する学問』を専攻した人が、大して金持ちになってはいないことと、大学で経済学を教えていた教授や経済学者と言われる人が知事や市長になると、ほとんどの場合、そこの財政が破綻してしまうことです。これはおかしな話ですね。

自分の子どもは自分で育てる

   ですがそんなことよりも、ずっとずっと大きな問題は、教育は誰がやるかという問題です。原点に返って動物たちの子育てを見てください。子どもを育てているのは子どもの親です。ほととぎすやカッコーの託卵のような特殊な場合を除いて、他人に子どもを育ててもらう動物など他にはいません。ですが日本では保育士さんとか先生という他人に子どもの教育を任せて、何かあれば『うちの子の行儀の悪いのは学校のせいだ』とか、『成績が悪いのは教え方が悪いから』などという親が大勢います。

   本当に冗談ではなく、家の中は散らかしっ放しで、四六時中テレビの前にいてお菓子を食べながら、寝転んで『アハハハ』と大声で笑っているような親を見て、行儀の良い子が育つわけがないでしょう。子は親の背中を見ながら育つと言いますが、すべての動物は親を見ながらそれを真似ながら大きくなるのです。

   それに私が一番憤慨するのは、日本では幼い子どもを保育所に預けて働きに出る母親がたくさんいることです。『働かなければ人並みの生活ができないから仕方がない』ということでしょうが、親と離れ、他人に預けっぱなしにされた幼児の不安や寂しさが地球の親には判らないのでしょうか? 幼いときにそのような仕打ちをするから親子の情は育たず、子どもが情緒不安定になり、他の子をいじめたり、非行に走ったり、大きくなって犯罪を犯したりするのです。

   今は着たい服も、食べたい物も食べられなくても、子どもくらい自分の手で育てたらどうなのですか? お金を求めて働きに出るよりも、幼い子供と一緒にいて、抱き締めて頭を撫で、頬ずりし、話しかけ、本を読んでやって、子どもを笑わせてやってください。子どもは、家がちょっとくらい金持ちになるよりも、その方がずっとずっと幸せなのです。そしてそのようにしていれば、あなた方の老後も楽しいものになるはずです。貧しい生活は、親がそれを愚痴らなければ、子どもは決してそれを不幸だとは思いません。

性格は1歳までに、脳の発育の根は5歳までで決まる

   話は変わりますが、最近地球でも幼児教育の大切さを説く学者が増えていて、とても良いことだと思います。私たちの星の研究では、すべての動物は幼児の時に一生の基礎が固まってしまうことがわかっています。恐ろしいことに、特に人間は、その性格は1歳くらいまでの体験でほとんど決まってしまうのです。怠け者の家族と一緒に育った子どもは無精(ぶしょう)になり、塵一つない環境に置かれた子供は潔癖症になり、賑やかな家庭で育った子どもは陽気になり、夫婦仲の悪い家庭の子どもは粗暴になります。

   このように、子どもの性格は、まだものも言えない1歳までの環境でほとんど決まってしまうのです。そして子どもの脳も、5歳までの間に、将来の可能性がほとんど決まってしまいます。つまり、5歳までの間にどれだけ脳を刺激したかによって、将来の脳の発育の仕方が全く違ってくるのです。特に物を覚える力は、一生を通じてこの時期が一番旺盛です。どんな親から生まれた子どもでも、優しく教えれば綿のように知識を吸い込みます。

   それはちょうど植物が根を張るようなもので、この時期に根を張っておけば、あとは勉強という肥料によってぐんぐん枝葉を伸ばしていけます。『伸びられる時に伸びられる方向に、伸びられるだけ伸びて行く根は賢い』という諺(ことわざがありますが、根が伸びられる時期というのが5歳までです。ですから小学校に上がってから、『勉強しろ、勉強しろ』と煽り立ててももう遅いのです。それは根のないところに肥料をやっているようなものなので、育つはずがありません。

   また身体の発育は10歳から18歳くらいまでが伸び盛りですから、幼児期に脆弱だった子どもでも、この時期に鍛えれば見違えるほど逞しくなります。敏捷性や平衡感覚、リズム感という基礎的運動神経の発達はやはり5歳までに出来上がってしまいます。

   動物の子育てと同じく人間も、まだ這い這いの時期から、柔らかいボールなどを転がして取りに行く遊びをしたり、立てるようになったら走ったり、跳んだり、登ったり、投げる、蹴るなどの基礎的な動きを教えておくと、将来運動能力の優れた活発な子どもができます。一つのボールを皆で取り合う競技は、動物たちが獲物を捕る時の動作に似ており、集中力を養い、バランスのとれた運動神経の発達に大きな効果があります。

   そして、このように幼児教育の大切さを言うと、地球人はすぐ『それでは幼稚園教育を充実しよう』とか、『幼稚園の入園を1年早めよう』などと言いだすかもしれませんが、先に言いましたが、幼児教育は親がやらなければ効果は薄いのです。保育士や先生、あるいは幼児教育専門家と称する者がどんなに一生懸命教えても、親がやる半分も効果はありません。

   ですが確かに、子どもの親であっても幼児教育のできない人がたくさんいます。そしてそこが問題なのです。つまり、幼稚園の先生や保育士がいくら良いしつけ教育をしても、子どもが家に帰って来ると、両親がそれとはまったく違った生活をしている。それを見た子どもはなんと思うでしょうか? 親を尊敬しなくなるか、先生や保育士の言う事を信用しなくなるかのどちらかでしょう。ですから親が『自分の子どもは自分で育てる』という気概を持って自らが襟を正し、子どもに模範を示すことなのです。そうしなければ、専門家に依存するだけで教育効果は上がらないのです。

言っても判らない時は、痛い目に遭わせるのが「子ども」の真の教育

   ここで、もう一つ、どうしても言っておきたいことがあります。
   それは、最近の日本の教育は甘いということです。言う事を聞かない生徒を小突いた先生が暴力教師と言われ、校則を破った突っ張った生徒の頭をコツンとやった先生が、『体罰を振るった』と罰せられるようでは良い教育はできません。

   動物たちの子育てを見てください。千尋の谷に落とす獅子ほどではなくても、子どもを育てる動物の親は、子どもがやってはいけないことをした時は、前足で殴りつけたり、噛み付いたり、時には体当たりして跳ね飛ばしたりします。こうしたお仕置きにあって初めて子どもは、『こういうことをすると痛い目に遭うんだな』ということが判り、間違ったことをしなくなるのです。

   日本社会の環境はある程度安全なので、失敗しても命を落とすことはなく、しつけもつい甘くなるのですが、それでも日本人特有の『マアマア的』なことなかれ主義で、鞭(むち)を使わず飴だけで教育していると、わがままな人間しか育ちません。人間を含むすべての動物は、怖い物が存在しないと進歩しないのです。昔は教育者になる事を、『教鞭を執る』と言ったのです。他の国々では今でも実際に鞭を持って教育に当たる先生が沢山います。なぜなら、口で言っても判らない時は、痛い目に遭わせるのが真の子ども教育だからです。

   余談ですが、最近、日本では、子どもを叱ることのできない情けない教育者がやたらと増えましたね。そのために学級崩壊が起きているのに、子どもを統制できない言い訳として、『やりたいことをさせないと個性が伸びない』と子どものわがままを助長するようなことを言ったり、左翼系教育者の論理を借りて『校則は生徒の自由を束縛するものだから廃止すべきだ』などと言っています。

   生徒たちに、校則に従わなくてもよい、校則で自由を束縛すると個性が伸びないなどの思想を吹き込んでいると、子どもが社会に出てから『すべての決まりは個人の自由を束縛する』などと平気で言う人間になります。群れをつくる動物では、群れの掟に従わず、自由だと跳びまわっているような奴は、真っ先に食肉動物の餌になってしまいます。

   人間も、そうした人間社会の秩序を破ってばかりいると、いつか皆から疎外され袋叩きに遭います。ですから義務教育ではまず、秩序を守る人間を育てることに重点を置くべきで、それは校則を守らせることから始まります。子どもを叱るのが怖いばかりに、『自分のしたいことをするのが個性だ』などと、成長過程の子どもに屁理屈を吹き込む馬鹿な人間を教育者にしておくと、子どもも世の中もとんでもないものになるのです。


          book『小さな宇宙人』 原田正彦著 Gakken

                                                     抜粋
   
   

・地球人の理想像 ⑤

   私たちが普段、地球の人々について抱いている疑問についてお聞きします。
   その疑問とは、『地球人は一般に認められている理想像というものを持っているのかどうか』についてです。『もし持っているとすればそれはどんな理想像で、それに近づく為にどのように努力し、どう子どもたちに教えているのか』ということです。

   なぜこのような質問をするのかというと、最近の地球人を見ていると、金儲け以外に目的はなく、目先の金儲けに追われて汲々としているように見え、『人間は如何に生きるべきか』という、人生にとって最も重要なテーマをなおざりにし、子どもたちにも教えていないのではないかと思えるからです。

   子どもたちが理想像を持っていないと思われる一つの例が、小・中学校で行なう『理想とする人物は?』 あるいは『尊敬する人は?』 という質問に対する答えです。その答えの大半が『お父さん』『お母さん』あるいは『先生』というものですが、失礼を顧みず言わせてもらえば、私たちの見るところでは、今の地球には理想像に値するようなお父さんやお母さん、先生は余りいません。それなのに生徒たちが父母や先生を理想像とするのは、『理想像に値するのはどんな人なのか』という判断基準を子どもたちが持っていないことから、仕方なしに身近な人々を上げるのだと思われます。

   言わば次元が低いのです。
   そして尊敬すると言われた父母や先生は『こんなことしか言えないようでは、将来的に問題がある』と心配するどころか喜んでおり、先生に至っては、その子の内申書を良くしたりするのですから、呆れてしまいます。

   そして『尊敬する』理由にまた驚いてしまいます。
   ほとんどの生徒が『優しいから』とか『一緒に遊んでくれるから』、などと答えています。優しいというのは確かに人間の美点ではありますが、理想像の条件を代表するほど重要なものではありません。ましてや『一緒に遊んでくれるから』に到っては、開いた口が塞がりません。

   子どもたちは、子ども同士で遊ぶのが大切であってそれが一番楽しいはずであり、喧嘩をしたり、いじめられたり、いじめたり、助けられたり、助けたりしながら、他人との付き合いを覚え、情緒や社会性が養われていくのです。それを子どもが先生や親と遊ぶのが楽しいというのは、親や先生のレベルが低いからか、子どもに情緒的欠陥があるのです。

   もっと驚くことは、地球では小・中学生ばかりか、成人した女性の6割近くが、『理想の男性は?』と聞かれて、『優しい人』と答えることです。しかしこの答えはまだ良いほうで、『かっこいい人』とか『背の高い人』とか『面白い人』、そして『お金持ちの人』と答える女性が沢山います。こうしたことから判断すると、地球には人々が認める『人間の価値』の判断基準がなく、『人間はこうあらねばならない』という理想像が存在しないのではないかと思うのです。

生きる目的、理想を持っていない今の地球人類

   地球の人々が理想像を持っていないということは、驚くというよりも実は怖ろしいことです。理想像を持たないということは、目標とする人物像がないということなので、どんな人になりたいかという目標がないことです。

   そうすると、ただ金を儲けるなどといったことが実利的な目標となり、自分の本来の人間性を高めようとする人間は、当然、いなくなります。本来の人間性を高めるための努力を何もしないならば、その人の人間性は生まれた時のままで進歩せず、その子その孫と代を経るに従って人間性は低くなります。

   『理想とする男性はお金持ち』と答えるような馬鹿な女性たちがこの先、妻となり母となっていくのですが、これでは本来の人間らしい子どもが育つはずはありません。しかもこうした傾向を放っておくならば、ちゃんとした理想像を持たないならば、他人を見る目は狂ってきます。

   つまり、お金があって、何でもやりたいことをやれる人間が一番価値のある人間に見えたり、意志が弱く、思っていることをちゃんと言えないような優柔不断な人間を優しい人と勘違いしたり、自我が強く、我がままで傍若無人の人を個性的と評価したり、奇をてらって奇妙な行動をする人を天才・鬼才ともてはやしたりしてしまうのです。

   多様化というのは、各個人が好き勝手に自分の好みを選択して良いということではありません。私が言っている理想像とは、たとえばあらゆる自動車に備わっている基本的性能と特性の事なのです。それがアクセルやブレーキなどの基本的性能です。

   同じく人間が人間であるためには、どんな資質を備えていなければならないかという基本的要件を定めることです。そうしたものが何もないと、地球人の社会はまるで基準を満たしていない欠陥車が走り回る道路のようなもので、危険で収拾のつかない状態になるでしょう。

   昔の時代、地球人が今のように金儲けに狂奔していなかった頃は、『人間は何のために生きるか』ということが人類最大の研究テーマでした。「デカンショ節(ぶし)」で有名なカルト、カント、ショーペンハウエル等の哲学者の研究テーマは、この『如何に生きるか』であり、東洋の哲学者の多くや仏教徒のテーマもそうでした。

   明治以降の日本人には『教育勅語』があり、それはイギリスやフランス、ドイツ、中国語に翻訳され、世界各国からも大きな評価を受けて影響を与えました。ですが第二次世界大戦後、それが敗戦国の人間像であるという理由だけで、あっさり捨て去ってしまいました。それは前にも言いましたが、大戦で優秀な人材がいなくなり、生き残った各国の無能な人間が、『如何に生きるか』よりも、『如何に金を儲けるか』 を人生最大のテーマに置き換えてしまったからです。

   このために戦後の子どもたちは、何を目標に生きていけばいいのかわからなくなってしまいました。そして親の背中を見て育つ子どもたちは、大人たちと同じように、金儲けが人生最大の目的だと思うようになりました。その上、戦前のように厳しいしつけを受けていない子どもたちの中には、金を得るためならば、盗んでも、騙しても、脅しても、ひったくっても構わないんだと思う者たちが多くなりました。

   戦後30年以上経つ頃には、こうした子どもたちが大人になり、地球の各地には、ゆすりや恐喝、誘拐、暴行、強盗、殺人が横行し、人間が安心して住めない暗黒の街が沢山出現しました。あの、世界の警察国家を自認していたアメリカでさえが、個人が銃を持っていなければ安全が保てないような国になったのです。

   地球人は、あなた方の子孫のため、人類のため、地球の将来のために、子どもたちを「金儲けの妄想」から解放してあげるべきです。誰もが皆、金儲けの事だけ考えているとどんな世の中になってしまうのかを、しっかりと教えなければなりません。

   『人間には金儲けよりもずっとずっと大切なものがある。お金をいくら持っても幸せにはなれない。幸せになるためには、皆がどのような人間にならねばならないかを真剣に考えなさい。そして、その理想像に向かって自分自身を磨いて行かなければ、そのうち皆が安心して暮らせる場所はなくなってしまうんだよ。』 ということを、口先ではなく、大人が実践をもって教えなければ、本当に取り返しのつかない時代が来るのです。

   目的を持たない人間の集まりを『烏合(うごう)の衆』と言います。
   自由主義国家の社会は、今や『烏合の衆』と化しています。自由も多様化も結局は、『他人に迷惑をかけない』 といったような共通の基本理念がなくてはなりません。皆が安心して楽しく暮らせる社会をつくるために、『どんな人間にならなければならないか』 という基本的な共通理念を今、キチンと決める必要のある時に来ているのではないでしょうか。



          book 『小さな宇宙人』 原田正彦著 Gakken

                                                      抜粋
   
   

 

・地球崩壊の日 ④

   人類の滅亡についてお話ししたついでに、地球のメカニズムの崩壊についても触れておきます。あなた方は、地球や地球上の動物や植物たちが、どのようにして誕生したと思いますか? 地球は、あなた方がそこで生まれ、そこで育って生きて来た、あなたの住処(すみか)なのです。それなのになぜあなた方は、もっと自分たちの地球のことを知ろうとしないのでしょうか。

   地球はあなた方が教わってきたような、宇宙に浮遊する粉塵がただ漠然と寄り集まってできたようなものではありません。それはある一つの意図の下に、綿密に計画され緻密に作り上げられたものです。あなた方が学校で習う「進化論」も、極めておかしな理論です。

   単細胞のアメーバが、どうして鳥や獣あるいは人間に進化できるのですか?
   それはたとえば、「いつも硬い木の実を食べている鳥は、くちばしが大きく丈夫になり、そこから生まれた子どももくちばしが大きくて丈夫だった。それが代々続いているうちに、他とは違う、くちばしが大きな種類の鳥になった」、というのは進化論としてあり得ることです。私たちの星でも、『発達の遺伝』といって、訓練などにより動物のある部分が発達すると、その発達した部分が子孫に遺伝することが判っているからです。

   そしてそれが動物たちをより強く、より敏捷にし、より賢くする為に仕組まれた遺伝の原理なのです。しかしこれは、あくまでも同じ種の中における進化であって、ある特定部分の発達によって『異なった種』が誕生することはありません。

   もし、高いところの木の身を食べようと努力していた「馬」がおり、その首が段々伸びて「キリン」という動物になったというのであれば、何千年も前から空を飛びたい飛びたいと思っていた人類は、キューピットのように羽根が生えていてもよさそうなもので、腕が羽根のように扁平になって20~30メートルくらいは跳べるようになっていてもいいはずです。

   では地球上の動物や植物は、どのようにして生まれたと思うでしょうか?
   地球という惑星も、地球上の動物や植物も、すべて宇宙創造の神々が研究に研究を重ね、精魂込めて作り上げたものなのです。これは冗談ではなく、これが事実なのです。地球人の中でも特に、文明社会と称するところに住んでいる地球人は、何かといえば『科学的に、科学的に』と言い、科学で証明できない事はすべて嘘であると決め付けてしまいます。しかしこの科学的というものの定義は、突き詰めると極めて曖昧で一方的な身勝手なものです。

   地球人の科学的というのは、自分たちが今持っている科学力で証明できるものだけが科学的なものであって、現在の科学力で証明できないものはすべて、『非科学的なもの』になってしまうのです。超能力のところでもお伝えしましたが、宇宙には地球人の知らないことがまだまだ沢山あります。それを全て非科学的といって片付けてしまうなら、地球の科学はこれ以上発達しなくなってしまいます。

宇宙を創造した神ならぬ『大頭脳』が存在する

   神の存在がそうです。
   地球人の中でも、南方の島々や大陸の奥地に住み、文明の毒に侵されていない純真な原住民の人々は別ですが、文明社会に住む依怙地(いこじ)な人々は、天地創造の神の存在を認めようとしません。

   何故かと言いますと、この人たちは心のどこかに、『人類は万物の霊長であり、人類よりも優秀な頭脳を持った者がこの世に存在するはずがない』という過信と驕(おご)りがあるからです。そしてその驕りが、人類よりずっとずっと優れた知能と能力を持った神の存在を『非科学的』とすることでレッテルを貼って否定し、受け入れようとしないのです。

   しかし現実に神は存在します。
   もし神という言葉が、他の宗教的な神と混同されて受け入れ難いというならば、神とは言わずに『大頭脳』と呼んでも構いません。この大頭脳が宇宙を創ったのです。『大頭脳』は、おそらく私たちの星の人間や地球人とはまったく異なった様相をしていると思います。あるいは姿というものがないかも知れません。しかし、『大頭脳』は確実に存在するのです。

   そのことは、地球の壮大にして緻密なメカニズムを真剣に観察すればすぐに判ることです。流れる雲やうねる波、吹く風のどの一つを取っても、それらはただ漫然と流れ、うねり、吹いているのではありません。みんなみんな地球のメカニズムを維持する大切な役割を持って流れたり、うねり、吹いているのです。

   地球上のあらゆる森羅万象も、天然の地形も、地球にいるすべての動物や植物、昆虫、魚たちも、ただ意味もなく存在しているわけではなく、相互に関連し、補い合い、地球がいつまでも清潔で美しく、正常な機能を保つように緻密に計算され尽くして創られているのです。つまり、地球上に存在するすべての物は何一つとして無駄なものはないのです。

緻密に計算され尽くした『地球のメカニズム』

   地球人は、自分たちの住む地球のメカニズムを、もっと真剣に研究する必要があります。なぜ、雨が降るのか、なぜ、風が吹くのか。なぜ大地に起伏があり、なぜ川は曲がりくねって流れるのか。植物は何をしているのか。それぞれの動物はどんな役割を持っているのか。そういった事を突き詰めていくならば、地球を正常に美しく保つために、何一つ無駄なく、かつ二重三重の安全策を講じて、わずかな狂いも生じさせないように創られている、地球のメカニズムの緻密さに驚嘆することでしょう。

   そしてあなた方が、教えられて信じているような宇宙の粉塵説ではなく、『大頭脳』により創造されたとする方が遥かに科学的だと思うようになるはずです。つまり、この地球のメカニズムを完全に理解し、自分たちのものにしようと心がけるならば、物の見方や考え方が飛躍的に向上し、正しい世界が見えてくるはずなのです。

   それなににあなた方地球人は、地球のメカニズムを究明するどころか、愚かにもこのメカニズムをズタズタに引き裂いています。樹木を乱伐し、多くの動物たちを絶滅させ、大気を汚染し、山を削り、海を埋め立て、川を堤防の中に閉じ込め、汚水を海に流し込んでいます。しかも、地球破壊の元凶であるコンクリートによる建物を際限なく造って拡大し、地球の破壊に拍車をかけています。

   知っていると思いますが、地球のメカニズムを維持する根幹を成すものは、水の循環システムです。そしてその最も重要な役割を担うのが土です。土は、大気の汚れを抱き込みながら降って来る雨と、地表のゴミや汚物が溶け込んだ雨水をろ過してきれいな地下水にし、濾(こ)した滓(かす)をミミズやバクテリアの力を借りて肥料に変え、植物を繁茂させる役割を持っています。

アスファルト、コンクリート建築のもたらす大きな弊害

   ですがあなた方の近代都市は、この大切な土にコンクリートやアスファルトで蓋をして塞いでしまいます。このために、降り注いだ雨は地中に浸透することができず、汚れたまま川に流れ込み、海に入ります。ですから当然、海は汚れ、海の生物たちに重大な影響を与えています。

   一方、雨水が浸みこまなくなった都市部の地下水はどんどん減ってしまいます。
   その結果、地下に空洞ができて地盤沈下が始まります。更に地下水が減って行くと、ただでさえ建物の重さに喘いでいた地下の岩盤が崩れてしまい、都市は、あの大昔に海中に没してしまったアトランティスと同じように海中に崩れ落ちてしまうのです。

   ですが、それよりも怖ろしいのは、雨水だけでなく空気や日光との接触を絶たれたコンクリートの下の土は、コンクリートから出るアクにも侵されて、土本来の役割をまったく失ってしまう事です。こうした土にはもう、土壌を豊かにする虫やバクテリアが住むことができません。草も生えなくなってしまうのです。

   生物も住めず、植物も育たないこの土は、砂漠の砂よりもはるかに質の悪い死んだ土です。しかもあなた方は、砂漠の拡大は心配しますが、こうした死んだ土地の拡大についてはまったくの無関心です。地球のメカニズムの維持からすれば、砂漠の拡大よりも、こうした土地の拡大のほうがずっとずっと危険なのです。

酸素を燃やす動力に代わる、『新しい動力』を開発しなければならない

   私たちが心配しているもう一つのことは、地球における酸素の乱費です。
   ご存知のように、地球上の酸素の90%は植物によって作られています。それなのにあなた方地球人は、その大切な植物を後先(あとさき)の考えもなくどんどん伐採しています。

   『大頭脳』の計算した適切な数の人間が、それを燃料にしたり、家を作ったり、柵を作るくらいなら、繁茂し過ぎた木を間引くとか、間伐する程度の量で済むので、地球の営みに重大な影響を与えることはありません。ですが娯楽のためのゴルフ場やスキー場の開発など、宅地増設のために山を切り開いて樹木を減らしてしまうと、当然、地球の酸素製増量は急激に減少してしまいます。

   しかも地球人は、樹木の伐採によって酸素の供給量を減らすだけでなく、大量の酸素を乱費しています。70億人近くに膨れ上がった人間たちの煮炊きの火や風呂を沸かす火などに消費する酸素の量は、『大頭脳』の計算量を遥かに超えています。それだけでなく火力発電や溶鉱炉の火が消費する酸素の量も膨大です。さらにこれに輪をかけて酸素を消費するのが、地球人が作り出した内燃機関(タービン・ジェット・ロケットエンジンを含む)動力機械です。

   排気量2000ccの乗用車1台が、時速60キロで走っているときに消費する酸素の量は、地球の人間300人が正常な呼吸によって消費する量に匹敵します。これがバスやトラック、戦車、ジェット機と排気量が多くなるにつれて酸素の量は増大し、大型ジェット機1機で、5万人が呼吸できる量の酸素を消費しています。酸素を消費すれば当然、その量と同じだけの二酸化炭素も排出されます。

   私たちは、地球人がなぜいつまでも、大切な酸素をこれほど消費し、二酸化炭素を大量に排出する内燃機関を、相変わらず作り続けているのか不思議でなりません。こうした酸素を燃やしながら稼動する内燃機関を多く作ることは、結局、あなた方地球人だけでなく多くの動物たちの墓穴を掘っている事なのです。

   おそらくあなた方は、私のこうした話に反論するでしょう。
   つまり内燃機関がなくなって、自動車や船、飛行機が動かなくなったら、地球の社会の機能はすべてストップしてしまうではないかと。

   「いいえ。そうではありません。」
   では百歩譲って、現代では車や飛行機のような交通・流通手段が必要だとしても、なぜそれに、酸素を大量に消費し二酸化炭素を吐き出す動力を付けなければならないのですか? 宇宙にはいくらでも、酸素を消費しない良い動力があるのです。それを開発できないのは、地球人が内燃機関だけを唯一無二の動力機関と思い込み、他の動力の開発を怠っているからです。私たちの星では、内燃機関のような動力は絶対に作りません。

   植物が減少し、内燃機関がどんどん増えて行く今の地球の現状から分析すると、私たちの計算では100年後には、地球の酸素量は太古の時代の60%以下になります。つまり、200年後、300年後には、地球人は酸素のなくなった金魚鉢の金魚のように、パクパクと口で息をしながら生きなくてはならなくなるのです。

   最も基本の水の循環機能を阻害され、酸素も少なくなり、人類以外のすべての動植物が減少してしまい、自浄力と再生のメカニズムを破壊された地球は、今や息も絶え絶えの状態にあります。あなた方地球人が一日も早くこの現状に気づき、今すぐ改善に取り組まなければ、まもなく地球は瓦礫と化してしまうでしょう。


         book 『小さな宇宙人』 原田正彦著 Gakken

                          抜粋
   
   

 

・民主主義国家が滅びる日 ③

   そこで私たちの祖先は、地球上に理想とする国家を造りたいと考えて日本にやってきました。純朴で、他人を思いやり、和を重んじる民族の住む日本に、モデルとして理想の国家をつくろうとしたのです。ですがこの事は、何大抵の苦労ではなかったようです。純朴ではあってもよそ者に対する警戒心の強い日本民族は、私たちの祖先をなかなか受け入れてはくれなかったのです。この為に、行く先々で祖先は大きな抵抗に遭いました。すでに話しましたが、私たちの星では、有史以来一度も戦争というものがなかったので、戦うということが本来得意ではありません。

   当初持って行った護身用のレーザー光線も、エネルギーの補充ができずに役に立たなくなりました。後で詳しく説明しますが、レーザー光線は猛獣などに襲われたときに強烈な光線を発射して猛獣の目を眩ませ(殺すのではなく)、その間に難を逃れるためのものです。日本の神話では天照大神(アマテラスオオミカミ)の弓の上に止まり、金色の光を放った”鳶”(とび)として有名です
。(それはレーザー光線の光だった!)

   そのために私たちの祖先は、戦いに敗れて逃げ回らねばならず、立場を危うくすることも何度かあったと聞いています。でも祖先は地球人よりも数段進んでいる天文学や地勢学を駆使し、台風や干ばつの到来を予告したり、治水により米の増産を図るなどの貢献をした結果、除々に原住民たちの信頼と尊敬を得るようになり、終には神(天照大神)と崇められるまでになりました。

   しかしこれも、それほど長い間は続きませんでした。
   当時の地球ではどこの国であっても、力を持った者が現れるとすぐに蝿(ハエ)のようにたかる取り巻きができ、この取り巻きが主(あるじ)そっちのけで権力闘争を始めるのです。その為にご先祖はあっちに移されたり、こっちに異動させられたりと大きな苦労をしたそうです。純朴で秩序正しい民族だからと、白羽の矢を立てたはずの日本民族でさえが、地球人はみな醜くて好戦的だったのです。

   そんな訳で、紀元650年頃から祖先は完全に政治の実権を失いましたが、武力で国内を平定した原住民が、入れ替わり立ち代わり日本国を統治していました。それが徳川幕府の大政奉還により、理想に近い型の立憲君主制が確立する機運が到来するかと思われたのですが、日本は第二次世界大戦に巻き込まれて負けてしまいました。そうして立憲君主制は廃止され、戦勝国の一方的な押し付けで民主主義国家になりました。

社会主義・共産主義・民主主義の間違い

   それは社会主義国家になるよりは、遥かに幸福なことでした。
   しかし民主主義の何たるかを日本人は理解することなく、日本古来の伝統や文化と外から入って来るものを、どのように調和させれば良いかも考えることなく、ただ盲目的に目新しいものを受け入れ、過去はすべて誤りと断定したのです。このようにして自分たちの昔のものを投げ捨てて、形だけ民主主義を追いかけたために、日本の社会は今やプラトンが指摘した通りの”衆愚社会”になりました。このままいけば、やがてもっと致命的な欠陥が噴き出すことになります。

   今の民主主義国家の政治制度は、プラトンが言ったように人類を滅亡させる制度だと思います。だからと言って、社会主義や共産主義が良いというのではありません。ゲーテは『格言と反省』という本の中で、『立法家であれ、革命家であれ、自由と平等を同時に口にする者は、空想家か詐欺師だ』と皮肉っています。

   自由主義と社会主義・共産主義は、どちらも自由と平等を標榜していますが、自由主義は自由を重視し、社会主義・共産主義は平等を重視しています。社会主義・共産主義の誤りは、本来能力に違いのある人間を平等に扱おうとするところにあります。自由であれば地位や財産に格差ができても「能力が違うのだから仕方がない」と諦めもつきますが、能力のある者ない者も、働く者も働かない者も一律平等に扱うと、力や能力のある者が力を出し惜しみし、本来の働き者が働かなくなってしまいます。それを働かせ、力の出し惜しみを防ぐためには、これを監督し、仕事を強要する強力な組織が必要になります。

   その結果、本来平等であるはずの社会主義・共産主義国に矛盾が生まれ、支配階級と被支配階級という、極めて不平等な2つの階層が生まれるのです。実際、現実の社会主義・共産主国家を見ると、一握りの支配者階級の栄華の陰で、何億という国民が塗炭(とたん)の苦しみの中に置かれています。ですから社会主義・共産主義国家は崩れ始めると余りにももろく、あっという間に崩壊してしまうのです。

   ですが私たちがプラトンを通じて指摘したように、自由主義・民主主義も決して人類を幸福にするものではありません。自由主義・民主主義の誤りは、国民が何でも自分の思い通りにやれるのが真の自由だと思い込み、自分勝手をやるようになるところにあります。

   今の民主主義政治は、プラトンの言う「衆愚政治」に成り下がっています。
   そして民主主義の基本である多数決に大きな問題があります。多数決は票を投じる大衆に十分な知識と教養があってこそで、よほどしっかりしていない場合に大きな弊害を生むことになります。

間違いであっても正しいとされてしまう「多数決」の弊害

   あなた方の昔の川柳に『山桜、あれは雲だと多数決』というのがありますが、山の上に山桜が咲き誇っているのを山の下から見上げている人たちが、「あれは雲だ」「いや山桜だ」と言いあった末に、多数決で決めたら「山桜」が「雲」にされてしまったという皮肉です。このように知識のない者が寄り合って多数決で決めると、事実とは違った結論を出すことがよくあるのです。

   選挙と多数決の関係について、もっと言っておきたいことがあるので続けます。
   多数決によって政治家を選ぶようになり、誰も彼もが選挙権を持つようになると、『誰が政治家にふさわしいか』と考えて投票する者はほとんどいなくなります。なぜならほとんどの者にとって、政治家にふさわしい人とはどんな人なのか判らず、研究もしていないので適任者を選べるはずがないのです。結局、当面良い事を言って機嫌を取る候補者や、土下座して憐れみを乞うような候補者、あるいは手っ取り早く現金をばら撒く候補者に票を投ずることになるのです。

   このようにして選ばれた政治家は、国民のためというよりは権力を得ることが唯一の目的なので、良い政治をしようなどということは二の次三の次なので、国民の反対を押し切ってまで正しい政治をするつもりはありません。よって国民の顔色を伺い、民意に逆らわず、民意、民意と言いながら、間違っているとわかっていても国民に受ける政治をすることに専念します。

   そして、政治家を自分の利益のためにのみ利用しようとする人々が行政に楯突くようになり、温厚で控えめな常識人が片隅に追いやられ、自分の利益だけを考える自己主張の強い亡者(もうじゃ)が蔓延する『ごね得社会』が訪れるのです。そうなると更に怖ろしい事は、人々の間に、自分さえ良ければ他人はどうなろうと構わないという風潮ができることです。この現象は今や日本において特に顕著です。その原因は、日本の高校や大学の受験制度にも大きな原因があります。

子どもの潜在意識を形づくる「競争」と「受験制度」

   入学試験に受かるためには他人に勝たなくてはなりませんが、そうした中では協調や協力なんてとんでもない話です。他人が失敗すれば自分が優位に立ち合格できるのです。そういう環境に子どもの頃からずっと浸っていると、知らない間に心の奥底に、他人の能力を嫉妬し、他人の不幸を喜び、自分さえよければ他人はどうでもいいという潜在意識が形作られていきます。

   だから自分に被害が及びそうになると半狂乱になるのに、自分に被害がなければ、隣の人が殺されそうになっていても寝たフリをしていられる人間ができるのです。電車内殺人とか、雑踏内強奪事件を傍観していたという事例はいくらでもあります。これはもう、人間社会とは言えないものです。

   しかも日本では最近、こうした風潮が一般社会に蔓延し、政治にまで及んでいます。国際紛争においても、自国に被害が及ばなければ日本は知らん顔をしています。第二次世界大戦後、朝鮮戦争をはじめベトナム戦争、湾岸戦争と何回かの戦争が各地で起きました。そして世界の国々が平和の回復と治安の維持のために多くの血を流してきましたが、日本は平和憲法を盾に、それらの戦争に直接関係することを避けてきました。

   大戦直後は日本にもあまり国力がなかったので世界の国々は黙っていましたが、日本がアメリカの軍事力を盾にオンブとダッコで国防費を最小限に抑え、今のような経済力を持つようになると、もう他の国々は黙ってはいません。しかし日本の政治家やマスコミの一部はまだ、「憲法で禁じられているから」と言い訳して何もしないで済まそうとしています。しかし一般社会だけでなく国際社会でも同じですが、自分や自国のことしか考えない者は、必ずいつか手痛いしっぺ返しを受けることになります。

   私たちが驚いているのは、戦前の日本人は正義感が強く、『義を見てせざるは勇なきなり』と言い、弱い者いじめを見たり、正しい者が危険に曝されているのを見ると、飛び出して行って被害者を助ける国民だったのに、戦後5、60年で、ほとんどの国民がどのような理不尽を見ても、見て見ぬ振りをする卑劣な国民に成り下がってしまった事です。


民主主義国家が滅びる日

   自分の事しか考えない人間たちが作る社会は危険で住み辛い社会です。
   互いに思い遣ることも、協力することもなく、他人の繁栄や幸福を妬んで足を引っ張り、自分たちの利益のためなら法を犯してでも思いを遂げ、騙し合い、競争しながら生きて行くのです。こんな社会では誰も信じることはできず、常に怯えながら自分の生活だけを守るために汲々として暮らすことになります。あなた方は本当に、こんな社会で生きたいと思っているのですか? このような社会がいつまでも長続きすると思いますか? 

   そうです。
   今の民主主義体制をこのまま続けていけば、社会主義国家が支配階級の腐敗によって滅びたように、民主主義国家は民衆の堕落によって滅びるのです。



         book『小さな宇宙人』 原田正彦著 Gakken

                          抜粋

・古事記と日本書紀に出て来る「天孫降臨」 ②

   あなた方は、西洋の昔話に出て来る”魔法使い”は実際にいたと思いますか?
   もしそれを架空の作り話だとすると、魔法使いが空を飛ぶのに箒(ほうき)や絨毯(ジュータン)に乗るというのはおかしいとは思わないでしょうか。仮にも何か乗り物をと考えるなら、孫悟空のように雲に乗るとか、ニルスのように白鳥に乗るとか考えると思いますよね。それが、およそ空を飛べそうもない箒(ほうき)や絨毯(じゅうたん)を乗り物にしたというところに、何かありそうだとは思わないでしょうか?

   実はそれが、実際にあった話だからです。
   とはいっても、もちろんその乗り物は箒や絨毯(じゅうたん)ではありません。箒はおそらくロケットで、絨毯は円盤だったと思われます。ロケットは細長くて、後ろから炎を吹き出しますね。それがロケットを知らない昔の人の目には”竹箒”(竹ぼううき)に見えたのです。

   円盤は平べったくてふわふわ飛ぶので、丸い絨毯のように見えたのだと思います。そしてそれを見た人が他人に話す際に、『竹箒みたいな物、あるいは絨毯みたいなものに乗っていた』といった話が、長く語り継がれていくうちに『みたいな物』が取れて、箒や絨毯に乗っていたという事になったのです。

   だとすれば、昔の時代に、ロケットや円盤に乗って移動する者を見た地球人がいたことになります。そしてそれが宇宙人であったとすれば、すべて辻褄(つじつま)が合ってくるはずです。地球人よりも科学の発達していた宇宙人は、当時の地球人にはできないことがやれたはずです。

   例えばアラジンの魔法使いに出て来る”魔法のランプ”が、宇宙人の使っていたトランシーバーであったとすれば、どこから呼んでも大男が『ハイ、ご主人様』と飛んで来るのも、ちっとも不思議ではなくなりますね。それにある惑星の人々は、200~300キロ移動するのに、個人がまたがって乗れる小型ロケットを持っていたという記録もあります。


浦島太郎の話は宇宙人との遭遇の話だった!

   また日本のお伽噺(おとぎばなし)の中にも、宇宙人が関係していると思われる物が沢山あります。例えば『かぐや姫』だとか、『鶴の恩返し』などいろいろあります。その中でも最もはっきりしているのが『浦島太郎」の話です。浦島太郎はおそらく、子どもに捕まった宇宙人を助けたのです。その後、亀に乗って竜宮城へ行きますが、きっとお礼に彼らの星に招かれたと思われます。亀の形は絨毯よりもよほど円盤に似ているし、竜宮城に行くには空気のない所、つまりお伽噺の中では海の中ですが、実際には空気のない宇宙を通らなければならなかったはずです。

   そうして帰ってみると、元いた家や村はすでになく、道を行き交う人々も知らない人ばかりです。故郷はすっかり変わっていました。つまり宇宙を旅している間に何十年かが経ってしまったわけで、実にリアルです。地球からその星までの距離はわかりませんが、生物の住む惑星と惑星の間ですから、往復するのに昔はおそらく50年はかかったでしょう。そして玉手箱を開けたら中に鏡があり、(これは当時の日本にはまだなかったものだと思われますが)、それに映る自分の顔が皺だらけでお爺さんになっていることが判った、という話ですね。

   これは絶対に、実際にあった話で、昔の人の創作力だけで作れる話ではありません。ですから宇宙人は、ずい分前から地球に来ていた事になります。そして私たちが知っている範囲だけですが、当時地球にやって来るだけの能力を持った『生命のいる星』が宇宙には3つありました。ありましたと言ったのは、その内の1つの星は、1200年ほど前に生物の住めない星になってしまったからです。その理由については後で詳しく説明しますが、とにかく当時3つの星の宇宙人がこの地球に来ていました。

   1つはロケットでやって来た宇宙人で、『魔法使いのお婆さん』として語り継がれてきた人々です。この星は科学的に、他の2つの星より劣っており、地球に到達するのに40年以上かかっていたようです。ですから地球に着いた時には皆お婆さんと見間違えるほど皺だらけで、しかも性格的に自己中心的で意地悪だったので、物語に出て来る魔法使いのお婆さんは大抵悪者になっていますね。

   もう1つは、円盤に乗ってやって来た宇宙人で、地球に到達するのに30年足らずで来ています。この宇宙人は、体は大きいのですがとてもお人好しの愛すべき人々です。ですがこの星は今、地球人が抱えているのと同じ食料問題や環境悪化の問題の解決の為に、宇宙探検どころではなくなり、2000年ほど前から私たちの星を見習って体質の改善に取り組んでいます。

   そして、3つ目の最後が私たちの星です。
   実は私たちは早くからこの星に来ていましたが、なるべく姿を見せないようにしていたことから、西洋の昔話や日本のお伽噺には残っていません。私たちの星の祖先はこっそりと地球に降り立ち、これはと思う地球人の陰に隠れてその脳波に信号を送り、私たちの主張を先導してもらっていました。


記紀の「天孫降臨」

   ただ、この日本にだけは、ある程度の人数が集団で降り立ちました。
   それが記紀(古事記と日本書紀)に出てくる天孫降臨の話で、これは私たちの先祖が日本に来た時の話なのです。私たちの祖先はここで、日本に住んでいた原住民と交合して日本人の一部になりました。ですから、私たちの祖先が日本に降り立ってからもう2600年が経っているので、血は薄くなってはいますが、多くの日本人に私たちの血が混ざっています。

   私たちは地球人とまったく同じ生物とは言えませんが、地球人と交合できる程度には似ています。特に東洋人によく似ています。私たちの祖先が降り立つ場所として日本を選んだのも、日本が島国で他民族から侵略される危険性が少なく、純粋さが保ち易いという事のほかに、当時の日本の原住民が私たちの体型に一番似ていたからだと聞いています。昔の私たちの体型は、頭が大きくて背丈が低く、ちょと猫背気味で、肌が黄色っぽく、今の地球人の美意識からすると、それほど格好良くなかったのです。

   地球人がどんどん間違った方向に向かっているので、それを警告するために何人かの私たちの祖先が、地球のあちこちに来ています。ただある程度まとまった人数で来たのは日本だけで、他のところには1人ずつ4~5人くらいが来ています。ですが私たちの星の人の物の考え方は、当時の地球人の物の考え方と根本的に違っていたので、私たちの主張を代弁してくれた地球人たちは、変わった奴、おかしな奴と思われてずい分と迫害を受けたようです。



          book『小さな宇宙人』 原田正彦著 Gakken

                           抜粋

   

地球上のあらゆる生命と人間は同等の権利を有している①

   地球は、宇宙の中で私たちの星のすぐ後にできた、生物の住める惑星であり、言わば私たちの弟の星に当たります。ですがあなた方地球人が間違った道を辿っていることから、自らを含め、地球と地球上の動物や植物を大変不幸な境遇に追いやっています。私たちは、私たちの弟である星が、あなた方地球人の手によってどんどん破壊されていくのを黙って見ていることができません。

   私たちはこれまでの長い間、ずっと地球を観察してきており、地球人の思考力や洞察力の乏しさと現状認識の甘さ、それに横暴ともいえる自己中心的な行為にほとほと呆れ果てています。特に、地球人が「地球は俺のものだ」と言わんばかりに、地球や地球上の動物や植物に対してやりたい放題の悪事を繰り返しているのを見ると、憤りさえ感じるのです。

   言うまでもなく、地球はあなた方人間だけのものではありません。
   地球上に生を受けた動物植物のすべては、犬でも猫でもねずみでも、ハエでも蚊、ゴキブリでも、松や竹、ススキなど、どんな草花であっても、あなた方地球人とまったく同等に地球上に生きる権利を有しているのです。

   ですがあなた方地球人は、そんな単純な道理すら理解することができず、自分たちの害になるものは容赦なく抹殺し、欲しいものだけ掻き集めて、何でもかんでも自分たちの思い通りにしようとしています。その結果、地球上の多くの動物や植物が絶滅しており、数のバランスを崩したりしていることから、地球上の大自然のメカニズムは今やすっかり狂ってしまいました。

   地球は今、まさに瀕死の状態に追い込まれているのです。
   しかしあなた方地球人はこの事態を、ほとんど真剣に受け止めてはいません。ということは、あなた方地球人が地球の将来について、明確なビジョンを持っていないという事です。こんなことを続けていたら、地球や地球上の動物植物は一体どうなってしまうかという、100年先、1000年先を見通して、今何を為さねばならないのかという判断・洞察が、あなた方には全くできていないのです。そうして、ただ目先の利益だけを求めて右往左往しています。もしこのままいくならば、私たちの弟の星は自然環境が完全に破壊されて、いずれ生物の住めない星になるでしょう。

   ちょっと立ち止まり、あなた方人類が歩んできた道を振り返るならば、間違った道を突き進んで走れば走るほど、実際に不幸が増してきていることがわかるはずですが、あなた方は誰も振り返ろうとしません。いいえ、実際には振り返ってみても、すでに物事の本質を見抜く力を失っているあなた方地球人には、どこが誤っているのか判らないと思います。ですから小手先の小さな改善はできても、根本的な改革はできないでしょう。

ソクラテス、プラトンは地球に遣わされたメッセンジャーだった

   それで私たちは、地球の人々が自分たちの力で正しい生き方、進み方を創造することができないのであれば、あなた方地球人にモデルを見せる必要があると思いました。つまり、あなた方とは全く違った星に住む、私たちの物の考え方や生活の仕方をモデルとして提示し、『本当の生き方とはどういう生き方のことなのか』、『生きる幸せとは何なのか』、あるいは『地球とは何なのか』、『人類は今、地球のために何をしなければならないのか』ということに立ち戻り、考え直してもらいたいと思いました。

   もちろん私たちは今までも、ただ腕をこまぬいて地球を眺めていたわけではありません。実際に私たちの星の何人かが、地球に降り立って警鐘を鳴らしたこともありました。でもその時は、理論的に説得しようとしたために、ほんの一部の知識人の共感は得ることができましたが、私たちのメッセンジャーは変人扱いされるだけで、地球を改革することができませんでした。

   私たちの主張をあなた方地球人に伝えてくれた著名な人は、”ソクラテス”と”プラトン”です。しかしソクラテスが死刑になったので、その弟子プラトンにソクラテスの果たせなかった代弁者になってもらいました。プラトンは『ポリティア(国家)』という本を書き、その中で民主主義の政治について次のように語っています。

   『政治家が一般大衆の選挙によって選ばれるようになると、真に国のためを思う政治家よりも、大衆の機嫌を取り、人々にへつらい、国民の味方だと告白するような政治家が多く選ばれるようになる。そうした政治家は大衆の怒りを買うのを恐れ、大衆に逆らわないように振る舞う。それがわかると大衆はそうした政治家をバカにし、政治に期待しなくなる。

   (略)・・・先生は生徒を怖れて機嫌を取るようになり、その結果、生徒は先生を軽蔑するようになる。若者と年配者の関係もこれと同じであり、若者は年配者と肩を並べてとにかく衝突するようになると、年配者は若者に追従(ついしょう)して物分りの良い大人を装うようになる。彼らは意地が悪いとか、威張っていると思われるのがいやなので青年の風を真似るのだ。そうした風潮は、自分たちを拘束するすべてのものを排除する方向へと流れ、法律さえも無視するようになる。』

   これは、今から2400年前も前に行なわれた、私たちの星からの警告だったのです。
   そして地球はまさに、この通りの状態になっています。プラトンはこうした政治を『衆愚(しゅうぐ)政治』と呼びましたが、それは民主政治というものは一つ間違えばこうした衆愚政治になるということを言ったのです。

   そうならないためにプラトンは、これを救う道は『立憲君主制』だと説きました。すなわち、真に真実を愛し、売名を蔑視して、我欲がなく、正義をもっとも大切なものと考える人物が国を治めることで、人類が救われると書いたのです。

   しかしこの考えは、地球人には受け入れられませんでした。
   いくつかの国では王制ができましたが、王となった人が必ずしもそうした素質を満たしていなかったことと、立憲君主制を取らなかったために、こうした王制が封建的・専制的との批判を国民から受けることになり、民衆の支持を得るには至らなかったのです。

      今の民主主義国家の政治制度は、プラトンが述べたように人類を滅亡させる制度です。
   そして民主主義の基本とされている多数決にも問題があります。


             book『小さな宇宙人』 原田正彦著 Gakken

                                               抜粋

 

・苦悩がよろこびに変わるとき

   まず自分自身のことから始めなさい。
   これは、内なる成長のための基本的な秘密の一つである。まず第一に、あなたが自分自身にしないことを他人にできるわけがないからだ。もし自分自身を傷つけているなら、あなたは他人も傷つけてしまう。もし自分自身を嫌っているのなら、あなたは他人からも嫌われるだろう。自分自身を祝福している時にだけ、あなたは他の人を祝福できる。

   何であれ、あなたが他人にできることは、まずその前にあなたが自分自身にしていることに違いない。それこそ、あなたが分かち合える唯一のものだ。あなたは、自分が持っているものだけを分かち合うことができる。自分が持たないものなど、分かち合うことはできない。

   私たちは常に、自分自身の惨めさを避ける。
   もし惨めさを感じたら、あなたはテレビをつけ、ケータイをいじり、ラジオをつけて暇をつぶす。ほんの束の間でも惨めさを忘れられるように。新聞を読み始め、あるいはゲームをしたり、ビデオを見たり、何かを食べる。彼氏や彼女のところへ行ったり、飲みに行ったりする。市場へ買い物に行くかもしれない。それもただ、あなた自身を自分から遠ざけ、その惨めさと傷を見ないですむようにするためだ。自分の内側がいかに虚しく傷ついているかを見ないですむためだ。

   人々はこうして自分自身を避け続けていく。
   彼らが不幸の何を知っているというのだろう。(自分の惨めさから逃げる彼らに)、どうして彼らが人間の不幸について考えることなどできるだろうか。まず、自分自身から始めることだ。もし精神的苦痛を感じているのなら、それを一つの瞑想にしてごらん。扉を閉じて静かに座り、まずできるだけ強烈に、その精神的苦痛を感じなさい。その傷を感じなさい。

   誰かがあなたを侮辱した。
   その傷をなだめる最上の方法は、行って彼を侮辱することだ。だがそうすると、あなたは彼に囚われることになり、それは解決ではない。もし誰かがあなたのことを侮辱したら、あなたの中の深い傷を感じ取る一つの機会を与えてくれた、その人に感謝するがいい。彼はあなたの中にあった傷をむき出しにしたのだ。その傷はすでにあなたの中にあったものであり、彼がその傷をあらわにする引き金を引いたのだ。

   ちょっと部屋の戸を閉めて、静かに座りなさい。
   引き金を引いたその人への怒りは持たず、ただあなたの内側に起きた感情、それも傷ついた感情に醒めていなさい。あなたはこれまでどのくらい拒否され続けてきて、侮辱されてきただろうか。するとその時、あなたは驚くことになる。この男だけでなく、今まであなたを侮辱しバカにしたあらゆる男や女が、あなたの記憶の中を動き始める。あなたは彼らを思い出すだけではない。あなたはそれをもう一度生き始め、一種の原初の中へ入っていくだろう。

   傷を感じなさい。
   痛みを感じなさい。それを避けたりしないことだ。だから多くのセラピーでは、患者はまず、薬物(向精神薬の類)を一切禁止される。その単純な理由は、あなたの内なる惨めさを避けるための、それが一つの方法だからだ。それはあなたに自分の傷を見ることを許さず、抑圧してしまう。それはあなたに自分の苦悩に入って行くことを許さない。結局のところ、自分の苦悩の中に入っていかない限り、その牢獄から解放されることはない。

   そうしたセラピーに参加する前に、あらゆる薬物を落とすのは完璧に科学的なことだ。もし可能なら、コーヒーやお茶、タバコといった薬物でさえそうなのだ。なぜならこれらはみなすべて回避する道だからだ。

   あなたは自分に気づいたことがあるだろうか。
   いつでもイライラし、落ち着かないと、あなたはすぐさまタバコを吸い始める。それはイライラを回避する一つの方法であり、実際それは一つの退行だ。タバコはあなたを再び、心配も責任もない子どものように感じさせる。というのもタバコは、象徴的な乳房であり、入っていく暖かい煙は、ただあなたを自分が母親の胸で温かい乳を吸っていた当時へと連れ戻す。乳首は今やタバコとなっており、それは象徴的な乳首なのだ。

   こうした退行によって、あなたは成人であることの痛みを回避する。
   それは一方で、多くの薬物という向精神薬を通して続けられている。現代の人間は、かつてないほどの薬物を利用している。それは現代の人間が、大いなる苦悩の中に生きており、薬物なしには生きられないほどの苦悩なのだ。こういった薬物はあなたの中に障壁を作り上げてしまい、それはあなたを薬漬けにする。そしてそれは、あなたが自分の痛みを知るに十分なほどの感受性をあなたに許さないのだ。

   まず最初にすべきことは、戸を閉めてすべての作業を中止することだ。
   テレビを見たり、携帯をいじったり、何かを聴いたり、本を読むなどのあらゆる作業をやめることだ。なぜならそれらのこともまた薬物だからだ。ただ静かにしていなさい。完全に独りでいて、祈ることすらしないこと。それもまた一つの薬物だ。あなたはこのようにして占有されている。あなたは神と話し始め、祈り始め、こうして自分自身から逃避する。

   ただあなた自身でありなさい。
   その苦痛が何であれ、苦悩が何であれ、そのままでありなさい。それを全面的な強烈さの中で経験してごらん。それは困難に違いない。心を引き裂き、あなたは子どものように泣き叫ぶかもしれない。深い苦痛の中に、床を転がるかもしれない。あなたの身体は引き裂かれるかもしれない。あなたは突然、痛みは心だけではなく、身体全体なのだと気づくかもしれない。身体全体が痛みに満ちており、あなたの身体全体が痛みなのだ。

   それが経験できると、それは途方もない重要性を持つ。
   その時、それを吸収し始めなさい。投げ捨ててはいけない。それほどに価値あるエネルギーなのだ。それを吸収し、飲み込んでごらん。受け入れて、招いて、それに感謝してごらん。

   そして、自分自身にこう言いなさい。
   「こんどは避けない。逃げない。こんどは拒絶しない。投げ捨てない。こんどは飲み込んでしまおう。お客のように受け入れよう。こんどは消化しよう」と。それを消化するには、あなたは数日が必要かもしれない。

   しかしそれが起きる日には、自分を遥か彼方へ連れ去るかもしれない扉にあなたは出会う。そしてあなたの人生に新しい旅が始まる。あなたはこれまでになかった新しい存在の道へと移動する。なぜならあなたが何も拒絶せずそれを受容したからで、その苦痛を受け入れたとたん、そのエネルギーの質は変化してしまい、もはやそれは苦痛ではない。

   実際、人はただただ驚くことだろう。
   それはどこまでも信じがたいことだ。苦痛がエクスタシーへと変容され、痛みが喜びになることが、人には信じられないのだ。

   だが日常の生活の中で、対極にあるものは常に互いに結び合っており、それらは対極でさえなく、互いに補足し合うものだということにあなたは気づいている。それも完璧に知っている。つまり、あなたの愛のエネルギーは、いついかなる時にでも憎しみのエネルギーに変わるし、憎しみはいつ何時にも、愛に変わり得ることを。それは同じエネルギーなのだ。苦痛となり、快楽となり、苦悩となり、祝福となる同じエネルギーだ。

   まず自分自身から始めなさい。
   あなた自身の痛み、苦悩、惨めさで小さな実験をやってごらん。そして一度その鍵を見つけたなら、それがどんな奇跡を起こすかがわかっているなら、あなたの小さな心は全宇宙よりも大きい。

   これが慈悲だ。
   慈しみとは、存在の内部で変容力となるもののことだ。醜いものを美しいものに変容させ、闇を光に変えるものだ。これが仏教徒の錬金術だ。あらゆる悪は目覚めへの道へ、覚者への道に変容できる。悪はあなたの敵ではなく、あなたに対立してはいない。あなたはただその使い方を知らないだけであり、毒から薬を作る方法を知らないだけなのだ。


       The Book of Wisdom
     book 『アティーシャの知恵の書 上』 OSHO  市民出版社


                          抜粋


   
   

・すべての生命は互いに与え合いながら成長、進歩している

   それから2 週間が経ったある日、私はサン・ジェルマンとのいつもの待ち合わせ場所に行きたいという強い衝動に駆られた。それで翌日、早朝4時にロッジを出て歩き始め、鬱蒼とした森の入り口には午前9時に着いた。

   森に足を踏み入れて20 歩も行かないうちに、我が相棒のジャガーの哀愁に満ちた鳴き声が聞こえてきた。すぐに返事をすると、旧友との再会を喜ぶように飛び跳ねながら現れ、いつものように並んで歩き出した。

   だがジャガーが珍しく、何だか落ち着かない。たいてい一緒にいる時は冷静なだけに、妙な感じがした。美しい頭を撫でても不安げな様子は変わらない。それで一旦腰を下ろして昼食をとることにした。

   「さあ、行くとしようか」 昼食を済ませた私が呼びかけても、いつになく心配そうな表情でこちらを見つめている。こんなことは初めてのことなので私も困惑してしまった。

   再び一緒に歩き初めてしばらくすると、上部に岩が突き出た高さ4メートル半ほどの崖に行き着いた。ジャガーの異様な気配に、見ると獰猛な目になっている。一帯に緊迫した空気が流れており、それが何なのか私にはわからない。さらに何歩か進んだところで戦慄を覚えた。

   ふと見上げると、そこに身をかがめて跳躍寸前のピューマが目に入った。
   次の瞬間、私に飛びかかってきた! あわてて崖の方に逃げると、たった今私が立っていた場所にピューマは着地した。そこへ稲妻のごとくジャガーが襲いかかり、もつれ合いながらの死闘が始まった。

   その戦いの様子は言語に絶する壮絶なものだった。
   吠え声、うなり声が響き渡り、皮を引きちぎり合いながら互いに転げまわる。ひと回り大きいピューマの方が優勢に見えたが、敏捷な身のこなしではジャガーのほうが勝っている。一瞬、相手が動きを止めた隙に、ジャガーがピューマの背に飛びかかり、耳の後ろに牙(きば)を埋め込んだ。

   鋼鉄で貫かれたような強烈な一撃に、ピューマは2、3 秒のた打ち回ったあげく、ついに力尽きて動かなくなった。ジャガーは、無残にも引きちぎられた脇腹をあらわに、よろめきながら寄ってくる。ジャガーの私を見上げたその目からは獰猛な色は消え失せていたが、生命の灯も消え入りそうだった。安堵にも似た表情を見せると、ジャガーは悲しげにうめき、私の足元で死んだ。

   私はその場にしばらくじっとしていたが、言葉もなく相棒の死に涙を流した。
   人間の友情と同じ思いを、私は彼に対して抱くようになっていたからだ。はっと気づいて顔を上げると、サンジェルマンがかたわらに立っていた。

与えることなく受け取ることはなく、受け取ることなく与えられることもない

   「親愛なる兄弟、落胆することはない。あなたとの接触で意識が急速に高まったジャガーは、すでにこの肉体に留まりきれないところまで来ていた。それで宇宙の法則が、その体での最期としてあなたへの奉仕を求め、彼はあなたを救うことで愛情を示したのだ。つまり、万事うまくいったんだよ」

   彼は親指を私の額に当てながら言葉を続けた。
   「さあ、心を落ち着けて」 すると先ほどまでの悲しみが取り除かれてしまった。  「大いなる宇宙の法則に間違いはない。与えることなく受け取ることはできず、受け取ることなく与えることはできない。生命のバランスはそのようにして保たれている。」

   「まもなくあなたは、これまで尽くしてきた以上の役目を負うことになる。
   行動しているのは神の力と知性で、あなたの心と体はその媒介に過ぎないことを常に忘れず、来たるべき体験に備えて、あなたを介して表現する神の無限の力を絶えず瞑想するがよい。」

   「たくさんの誠実な真理の媒介者がいる。
   中には他の者よりも深く理解している者もいるが、人間は誰もが神の子であるので、その者のその時点における到達度に応じて、全力を尽くして仕えていることに変わりはない。よって誰のことをも裁くべきではなく、すべての者を介して神の表現がなされていることを知り、理解すべきなのだ。」

   「我々の役目は、そうした媒介者がどこにいようと、そのすべての活動を祝福することだ。それらの活動を通じて、内なる光が輝く様子がわかる。これによってその者が、神の真理を与えているかどうかが見極められ、それに関して我々が見誤ることはあり得ない。」

   しばらく一緒に山を歩くと、マスターが言った。
   「ロッジまで送ろう。腕を私の肩に回しなさい」

   私は言われるようにすると、体が地面から浮き上がるのを感じ、一瞬にしてロッジの自室に戻っていた。仰天する私の横に、サン・ジェルマンが微笑みながら立っている。

   「1週間後にまたいつもの場所で会おう。我々は国内のこの地域での我々の仕事を締めくくるつもりでいる。」

   彼は笑顔で一礼し、静かに視界から消えていった。
   最後まで私の目に映っていたのは、微笑みかける穏やかで美しい彼の瞳だった。

   「外側の生活、人生において、内なる力と完全性を十分表現しようと思うなら、まず自己の調和を保つことが肝心だ。平和と愛、落ち着きの感情を保ち続けることの重要性は、どんなに強調してもし過ぎることはない。これらが実現していれば、”内なる神”は瞬時にして際限なく行動することができる。」

   「すべての人々と、あらゆる物事に、無条件に愛と平和の感情を注ぎ続けること。
   その対象がそれにふさわしいか否かにかかわらず、そうすること。それが、”内なる神の力”を開く魔法の鍵だ。この法則を学んだ者は幸いだ。それがなければ人類には何もよいものはなく、それがあるからすべては完全になることができる。そうでなければすべて形あるものは分散し、宇宙の光の大海原に戻っていく。」


            (サン・ジェルマンによる)

        book『明かされた秘密』 ゴッドフリー・レイ・キング著
                    ナチュラルスピリット


                            抜粋

 

・アマゾン川に沈む文明

   今回の私たちの旅が始まった。
   私たちはソルトレイクシティ上空を通過し、ニューオーリンズ、メキシコ湾、バハマ諸島を超えると、やがて銀色の帯が見えてきた。それは川の流れのようであり、河口を確認し進んでいると、「アマゾン川」だという内なる声がした。

   やがてその川に下降し始め、川面に触れたが、その感触に私は驚いた。
   マスターによると、この特殊な服を身につけていれば地上にいるのと同じ感覚で水中でも行動できるのだという。衣服から発せられるオーラが、体の周囲を保護してくれるので、地球の地中層であれ、深海であれ、支障なく探索できる状況を作り出してくれるという。

   「これは科学の分野では、生体磁場と呼ばれるようになるものに相当するが、この服に蓄えられた電子エネルギーは、物質界で知られているものよりも磁場が高くて繊細だ。将来、この仕組みを発見する科学者たちは、実はこれが大気中に常に存在していたという事実と、これまでそれを人類のために生かすことなく、有効活用してこなかったことに気づかされるだろう。

   機械で操作もできるが、実際にはどのような装置よりも精神(意識)で操作するほうが簡単だ。人間が外の世界の電気と呼ぶものであっても、それらは生命の霊的エネルギーの原始的な型であり、自然界のあらゆるところに存在するものだ。人間が自分の意識を高め、”内なる神”とのつながりを保っていくならば、人間が本来持つ高い能力を使用できる可能性に気づくことができる。こうしたものの利用価値は無限大であり、あらゆる活動において使用することができる。」

   そして水中に潜ったのであるが、何の抵抗もなく動くことができた。
   「マスターたる者は、いかなる状況においても”内なる神”だけを意識せよ」という助言を思い出す。ほどなく水中から川岸に近づき、ワニの群れの上を移動したが、私たちを見ても彼らが動揺する気配はなかった。陸に上がり奥地へ入って行くと、何かのモニュメント(銅像)の先端らしきものが大地から飛び出ているのが見えた。

   「これは本来、高さが18メートルあるオベリスク(記念碑)だが、先端の30センチだけを残して全体は埋もれている。アトランティス大陸が水没した最後の大変動でこれも沈んでしまった。この記念碑は朽ちない金属で造られており、当時の象形文字がびっしり記されているので、今でも十分判読できる状態だ。決して腐食することはないので、今後もこのまま保たれるだろう。」

   「この地にあった文明は、1万4000年から1万2000年前にかけて存在していたものだ。現在のマディラ川とアマゾン川の合流地点から、西はペルーとコロンビアとの国境付近までが帝国の領土だった。1万3000年前のアマゾン川は巨大な石造りの堤防で囲まれており、周辺の土地は、少なくとも標高1500メートルはあったことから、今のような熱帯気候ではなく、1年を通じて亜熱帯気候だった。」

   「その一帯は台地あるいは高原であり、アマゾン川の河口付近には美しい大滝がいくつもあった。先ほど見たオベリスク(記念碑)が立っていた都市は、滝と海岸の間の、川から16キロ南にある。そして北にあるオリノコ川には、巨大な爬虫類や猛獣が生息していた。」

   そのうちに私たちはマディラ川近くに到着した。
   「ここが帝都の首都、古代の帝都があった場所だ。この時代の文明の中でももっとも重要な都市だ。」そう言いながら彼が片手を上げると、当時の町並みが映像として現れてきた。それはまさに、私たちが現在目にしている都市の様子とまったく変わらない臨場感だ。

   「見てのとおりで、帝都は同心円状に造られており、中心の円から商店街が放射状に延びている。外周には遊歩道が4・8キロごとに設置されている。円は全部で7つあり、町の直径は74キロにも及ぶ。この時代の建築の特徴は、ほとんどの建物、特に住居の最上階に可動式のドームが設けられていたことだ。開閉できるドームは4つに仕切られ、寝室や応接間として使用できる。日中の気温も適度の暖かさで、朝夕決まって涼しい山風が吹くために快適に過ごすことができた。」

   ここでまたサン・ジェルマンが片手を上げると、庭園を歩く人々や、建物に出入りする人々が現れ、私たち2人もその風景の中に入り込んだ。そこは皇帝の玉座の間だった。その日は謁見の日だったと見えて、国内だけでなく外国からも客人を迎えていた。

   「彼が皇帝のカシミール・ポセイドンだ。
   彼は神が具現した存在だった。そして昔も今も、多大な信頼を得て愛されるアセンディッド・マスターだ。彼の思い出は何世紀にもわたり、神話や伝説で語り継がれ、帝国の完璧さは叙事詩でもうたわれてきたが、時代とともにその記憶も薄れ、後世にはほとんど忘れ去られてしまった。」

   「この帝国の人々は、自分たちで発明した高度な航空術を駆使して、世界中の国々と直接交流していた。光や熱などのエネルギーも、大気中から直接取り出すことができた。この時期のアトランティス文明は非常に高い発展を遂げていた。それはアセンディッド・マスターたちが指導のためにしばしばやって来ては、人々の霊的上昇のために国を統治し、完全性へ向けて導いていたからだ。」

   「だが、偉大な文明はいつの時代にも同じ道をたどっている。
   高い霊的原理に基づいて築かれ、生命の法則にしたがって発展を遂げるのであるが、あるとき政府や国民が本来の原則をおろそかにすることから不正や不備の芽がいつの間にか入り込み、分裂の兆しとなって現れ始める。その不和は、彼らが純粋さとバランスを保つために法則に立ち返るか、あるいは生まれた不和によって全滅させられるまで続くことになる。結局そうすることで、世界はバランスを構築し直して、また再出発するのだろう。」

   少し歩くと、平らな巨岩が横倒しになっているところで立ち止まり、サン・ジェルマンがその巨岩に集中すると、岩は地面から浮き上がり、脇にずれると、地下へ続く階段が現れた。そこを12メートル下ると、密閉された扉があり、彼はすかさず手を当てて封印を解いた。

   4つ目の部屋には、それぞれ別の力が収められた7つの「パワーボックス」(と私が呼ぶもの)があった。それは光や熱、推進力を得るためのもので、宇宙から引き出した力を送受信するのだ。記録文書によると、この文明の人々は高度な飛行船で世界各地を行き来していたという。この文明のあと、何千年にもわたり「ピルア文明」と呼ばれる文明が栄え、その後に「インカ文明」が栄えたことになる。

   この帝都が転変地異で埋もれてしまう直前、偉大なる宇宙マスターが最後にこの帝国に現れた。もし人々が彼に耳を貸しさえすれば、救われていたかもしれないのだ。宇宙マスターは、帝国を滅ぼす転変地異をその5年前に予言していた。しかも、自分が人類の前に姿を現すのはこれが最後であると告げたうえでだった。何とか助かりたいと思う者は、避難すべき場所に向かうよう指示を受けた。しかし大異変は突然に、しかもすべてを一掃するとの警告をなされていた。

   帝国崩壊の警告を受けた人々は、しばらくは動揺していたが、1年が経過しても何も起こらなかったので予言を疑うようになり、そうしたことを次第に忘れていった。一方で、皇帝と高い精神性を持っていた人々はアメリカ西部のある場所へと移動していた。警告から2年が過ぎた頃、残留者の人々の心には猜疑心とともに暴力と抑圧が広がり、皇帝になろうとする者まで現れた。彼は真の皇帝が封印した光の神殿に無理やり入ろうとしたが、その扉の前で絶命した。

   5年目の終わりが近づいたある日の正午、突然太陽が陰り、人々を恐怖に陥れた。
   そして、日没ごろに起きた大地震は大地を揺るがし、目に見えるあらゆる建物は崩壊し、信じがたいほどのカオスとなった。

   それが現在の南米大陸である。
   大地がバランスを失い、東に引っ張られたために、西海岸全域が48メートル沈下したのだ。その状態が長らく続いた後、少しずつ隆起し、最終的には当初よりも18メートルほど低い位置にまで上昇し、それが今日に至っている。

   この地殻変動はアマゾン川にも影響した。
   古代にはアマゾン川は幅2万8000メートルで、現在よりもはるかに深く、端から端まで船舶が航行でき、ティティカカ湖から大西洋までを流れる川だった。つまり昔は太平洋やティティカカ湖、そして大西洋はアマゾン川で繋がっており、運河のようになっていたのだ。

   当時、その大陸は”メル”と呼ばれていた。
   それは偉大なる宇宙マスターにちなんで命名されたものだ。彼の活動の拠点がティティカカ湖だったからであり、それは今も変わらない。アマゾンという言葉は、「船を破壊する者」という意味だが、その名前が実は、はるか古代に起こった天変地異の時代からきているものだということは、あまり知られていない。

   南米大陸全体が、横方法に引き延ばされて沈下したことは、海岸線の状態が物語っているが、地質学者や科学者たちは未だに解明できていない。なぜなら現時点で自分たちが見つけた科学的データだけを元にしているからだ。

   自然の大変動が、かつて栄えた文明を宇宙のベールで覆ってしまい、今はただ永遠の中に埋もれた断片だけが残っているかのようだ。現時点で、私の見てきたこの事実はおそらく社会では信じてはもらえないだろう。しかしいつの日か、現在のロイヤル・ティトンに保管されているこうした文明の記録が確たる証拠となり、その存在と過去の時代の歴史が日の目を見る時が来るのは間違いない。


           (サン・ジェルマンによる)
       book『明かされた秘密』 ゴッドフリー・レイ・キング著
                   ナチュラルスピリット


                           抜粋
   
   

・人間のネガティブな思考と感情が浄化という災害・苦難を引き寄せる

   ある日の夕方、自室で仕事に集中していると、サン・ジェルマンの声がはっきり聞こえた。   「今晩9時に迎えにいくので準備しておくように」 
    私は万全の態勢を整えようと、即座に仕事を切り上げてシャワーを浴びた。

   午後9時きっかりに彼は部屋に現れた。
   金属のような素材でできた服を着ている。それは一見磨き上げた鋼鉄のようにも見えるが、非常に柔らかな絹と超軽量ゴムが合わさったような風合いだ。繊維の美しさと素晴らしさに気をとられ、よく見ようと彼のそばに寄った時、私は肉体を脱け出したようで、何だか奇妙に感じて後ろを振り向いて、ベッドに横たわる自分を見るまで、そのことに気づかなかった。しかもドアに備え付けの姿見(鏡)に映った私も、サン・ジェルマンと同じ格好をしているではないか!

   私の心に浮かんだ疑問を読み取った彼が答える。
   「まず改めて理解してほしいことは、我々マスターとして生きる者は、目的に応じて宇宙の純粋な物質を取り出すことができ、最も使用に適した性質を与えて使うことができる。朽ちない素材を使おうと思えば、宇宙の物質にそのように命じて、物質の方はそれに応じる。その特殊な性質や形状が、一定期間保つようにと望めばその通りになる。これから水中に潜る予定だが、この服から放射される物質があなたの繊細な体を包み込み、水の性質や動きを遮断する働きをする。

   あなたの中にも、我々と同じこうした力があるのだ。
   宇宙の広大な物質の海を呼び起こすなら、あなたはそれを際限なく利用できる。つまり物質は例外なくあなたの思考に従い、活動に必要な性質を現すだろう。それはいついかなる時も、宇宙の物質はあなたの意識と意志に従うということだ。当人がそのことを認識しているかどうかは別にしても、宇宙の物質は人間の思考と感情に常に応えているのだ。

人間のネガティブな思考や感情は自然界に刻印されて浄化を引き寄せる

   人間がさまざまな物質に何らかの特徴を与えたり、植え付けていない時はない。
   そして際限なき宇宙の物質の海を意識で制御し、コントロールできるようになったとき初めて、その者は自分の創造者としての能力と可能性を認識し始め、自らの思考と感情を用いるうえで自分の負うべき責任を自覚するようになる。だが人類は長い世紀を経るにつれて、宇宙の物質は滅びやすいもので、限界のあるものだと見なすようになった。その最たる例が、現在の人間の肉体だ。

   人類全体にはびこる憎しみや怒り、復讐の念といった感情は爆発を引き起こしては、それが自然界の物質に刻み込まれる。そうした人間が発するネガティブな感情が限界を超した時、自然界の四大元素は嵐のような自然災害を引き起こして人間にお返しすることになる。

   つまり、地球に生きる人々のほとんどは、他者への恨みや憎しみ、不正義への憤りなど、人や物や場所に対する不満からネガティブな思考と感情の大異変を生み出し、それを意識するしないに関わらず復讐の念を外に噴出させている。結局そうしたネガティブな感情は宇宙の物質の大海原にも蓄積されることになり、その四大元素は天変地異という形をとって悪意の源に報いてきたのだ。それらの行為は自然界が自らを浄化し、汚れを振り払うものだ。そのようにして神の純粋さを取り戻すために、調和を乱した人間の溜め込んだ思考と感情の汚れを洗い流している。

   人は絶えず純粋かつ完全な生命を、心と体に取り込んでいるが、一方で常に絶え間なく、宇宙の物質に何らかの性質を刻印している。それが思考や感情であるが、自分で生み出し創り出した性質は、最終的に自分の心と体で引き受けることになる。なぜなら宇宙のあらゆる物事は円環運動をしていることから、必ず元の地点に戻るからだ。

   アセンディッド・マスターたちは円環の法則、一なる法則を体得しているので、物質にその性質を命じると、物質は命令どおり再現する。自然というものは決して偽らない。むしろ我々の命令を忠実にコピーする存在だ。自然はアセンディッド・マスターに従うが、一般の人間にも従う。だがそうしたことを無知と頑固さゆえに認めない人間が多く、その代償は意外と高くつく。それが一なる法則、愛の法則、調和の法則、円環の法則、完全性の法則であり、根本的な真理を学ぶまで無知の代償を支払わねばならない。

   (つまり、自分の望まないものを受け取らねばならない時、それが実は自らが生み出し送り出したものであることに気づき、それを認めて受け入れるまで苦悩と悲哀は終わることがない。) 人類がその真理を学び、神の永遠の命令に従うことを受け入れるようになった時初めて、地上に見られる不和や四大元素の破壊的な活動が止むだろう。

   自然界には自然発生と自浄する力があり、”一なる法則”に反するすべてのものを拒絶する。この力であるエネルギーは、内部から突き動かす活動であり、一なる力の拡大だ。純粋な宇宙の物質に不和を強いると、電子エネルギーの流れが一時的に滞(とどこお)る。そしてせき止められたエネルギーは一定量に達すると、内圧が高まり不和や限界を粉砕して弾け飛ぶ。(天変地異などの自然災害はこのようにして起きており、自浄作用を果たしている) こうして”一なる創造のエネルギー”は、宇宙の最高統治者に抗い続ける者たちを抑え込む。アセンディッド・マスターとはそのことを熟知し、知恵と一つになった者だ。

   人間1人1人の生命にも同じく、マスターたちが常時駆使している力の芽が宿っており、本人がそうすることを選ぶなら表現することができる。また望むならいつでも、自分が決心したことにエネルギーを注ぎ、人間特有の性質や限界から解放されることができる。我々アセンディッド・マスターもまた、”内なる神”にすべてを委ねることで次元上昇を果たした者である。ゆえに”内なる神”は、我々を通して完全なる特質と、神の生命の計画を表現するのだ。ではそろそろ行くとしよう。」


            (サン・ジェルマンによる)
        book『明かされた秘密』 ゴッドフリー・レイ・キング著
                    ナチュラルスピリット


                            抜粋
   

 

・アセンディッド・マスターとともに働く者になる

   「地上に生きている間に自分の意識を支配し、熟練の域に達することは誰にもできる。たとえばアセンディッド・マスターの1人であったイエスの到来は、そのことを知らせるためだった。愛と光、完全性を備えた偉大なるアセンディッド・マスターたちであるが、この惑星に人類が出現して以来、絶えず光を注いで導いてきたマスターたちの存在は、誰かの想像上の造り話では決してない。それは実在し、目に見えて触れることができ、呼吸し、生きている聖なる存在たちなのだ。

   マスターたちは人類の守護者であり、幼児期から1人1人の成長と発展を導く、それぞれの段階のトレーナーのようなものだ。1人1人がより自らのレベルを超えるように教え、意識を拡大させるように手助けすること、それがアセンディッド・マスターたちの存在理由である。マスターの元で指導を受けてきた者は、人間的なものから卒業し、自分の神性を十分に表現する方向を目指す。

   アセンディッド・マスターたちもまた、人間的なあらゆる限界を断ち切るべく、自分の内にある愛と力を生み出すべく、意識的な努力をしてきた存在たちなのだ。マスターたちは自身が、遍在する生命の神と一つであると感じている。そのゆえにどのような力も事柄も彼の命令に従う。なぜなら彼は自らの内に宿る、”光”である意識的存在そのものだからだ。

   マスターたちが地球人類に注ぐ光は、彼らが意識的に取り出すエネルギーであり、特定の性質を持っている。この方法で彼らはこれまでにも限りなく、地上の不和を溶かし、人や場所や環境、出来事を庇護してきたが、そのことに人類はまったく気づくことなく、自分たちの定められた道を歩み続けている。自分たちが守られており、もたらされている恩恵のことなど知るよしもない。

   アセンディッド・マスターたちは、場合に応じて自由自在に体を変えることができる。
   それは服を着替える感覚であり、細胞組織や一つ一つの原子に至るまで指示に従って変化する。任務に必要であれば、複数の肉体を使うことも許される。つまり、人体の原子を組み合わせるのも消滅させるのも思いのままであり、彼らはあらゆる物質とエネルギーの全能の具現者なのだ。なぜなら自然の力である四大元素、つまり土・水・風・火が自ら望んで彼らに奉仕するのだ。

アセンディッド・マスターたちも人間を経験してきた

   これが、人類の進歩を見守り、支え続ける栄光の存在たちであり、愛と光、完全性のアセンディッド・マスターと呼ばれている存在たちだ。何よりも彼ら自身が、人間を超越する段階へと次元上昇した経験を持つために、人間というものを熟知していることだ。

   地球上の人間たちはしばしば無知や自らの限界から、マスターたちを批判するが、この種の行為はすでに常態化している。しかし批判や裁きによって放たれたエネルギーはただ送り出した本人に戻るだけであり、自分が作り出した限界や苦悩に強く縛られることになる。なぜなら自身の努力によって、人間的な限界から解放されたアセンディッド・マスターたちなので、不和をもたらす人間たちの思考が彼らに及ぶことはないからだ。自分が生み出した破壊的な思考や感情は、それを創造したものに返り、自分を縛ることになる。

   もしも人間が、大気中に放たれた自分の思考や感情、言葉を見ることができて、それが同じ質のものを引き寄せながら増幅し、自分の元に返ってくるさまを目(ま)の当たりにしたならどうだろう。そうした思考や感情に生命を与えた自分の行為に驚愕するだけでなく、あまりの恐怖に助けを求めて叫び出すに違いない。

   思考や感情の表現とはエネルギーそのものであり、精神が生み出すそうしたネガティブな思いを消し去るだけで、自身の中の神性と向き合ってそこに浸ることができる。思考や感情はエネルギーであり、生きていて脈打つものなのだ。この事実を知るならば、自らの知性を適切に用い、自分自身をコントロールする必要に気づくようになるだろう。

   地上に生きる神の子である人間の中には、わずかではあるが”宇宙の法則”や”生命の法則”を探求する者たちがいる。彼らはアセンディッド・マスターの実在を確信し、しばしば偉大なるマスターたちに近づき、教えを請いたいという思いに駆られる。多くの場合それは、大いなる光に達したいという魂の無意識の願いであり、そうした偉大な存在たちと自分が、どのような位置関係にあるかを理解しているわけではない。

   非常に熱心な探求者が、断固たる決意のもとに、マスターの1人と接触できる可能性はある。だがそれは、十分な愛を内に育み、自分をよく律することのできる者だけに限られる。マスターに接触したい動機が、興味本位や好奇心を満たすためであったり、誰かを説得し、あるいは自分の個人的な問題の解決のためであるならば、マスターの側から接触してくることはまずあり得ない。

   マスターたちは、探求者の人間的な望みを満足させることにはまったく関心がない。
   彼らの努力は徹底的に、人が内なる限界を打ち破るだけの力を備えるよう、手助けすることに向けられている。なぜなら今の人間は、自らが創った限界によってメンタル体、アストラル体、肉体(思考、感情、行動)が、完璧な状態の乗り物として使用できなくなっているからだ。

   人間の体は表面的自己を介して、神の完全なデザインと計画が表現されるために用意された”神のエネルギーの神殿”だ。欲や快楽を抑制できずエネルギーを浪費すれば、”内なる存在”は引き下がる。このようにして自身は心と体の制御を失い、本来神殿であるはずの肉体は老化し、退廃へと向かい、最終的には人々が”死”と呼ぶ状態に陥ることになる。

   宇宙の法則は、マスターたちが個人の自由意志に干渉するのを許さない。
   ただし宇宙の周期がその法則を無効にする”宇宙の活動期”というものがある。その時期には、アセンディッド・マスターたちは通常とは異なり多大な貢献をすることができる。そして今、地球はちょうどその時期に入っているために、地球という惑星史上、類を見ない膨大な量の光エネルギーが人類に降り注がれている。それは地球全体を浄化し、秩序と愛を再構築するためである。

   このことは、我々が属する宇宙のシステムや地球の未来を維持するうえでも、急を要する課題となっている。今の時期、この期(ご)に及んでも未だ、秩序とバランス、平和を受け入れる気のない人間たちは、地球上で生命の表現をするのではなく、宇宙に準備されている別の学びの場所へ移り、他の方法による苦難によってこの法則を理解することになる。

マスターとともに働く者になる

   偉大なるマスターたちとの会見に導く、パスポートはただ一つである。
   それは彼らと自らの”内なる神”に十分な愛を注ぐことである。それと同時に人間的な不和やエゴとはすべて縁を切る。あらゆる生命への建設的な計画にだけ奉仕するという自らの決意が十分に固まったとき、いかなる不快があろうとも自分の人間的性質を完全に律するようになる。

   そうなると、マスターたちに注目されるようになる。
   その人の勇気と愛、努力、奮闘ぶりがマスターたちの目にとまり、”内なる神”との一体化に向けて支えてくれるだろう。実在のアセンディッド・マスターに会いたいと願う者は、マスターの手足となって働けるようにならなければならない。彼らに協力したいと願う者の姿勢は、”いろいろ教えてもらいたいから、彼らの元へ行きたい” であってはならない。

   むしろ ”自分を浄化し、鍛えて完璧になり、神の愛と叡智、そして神の力の表現となりたい。マスターたちに協力できる状態になれば、自動的に自分は彼らの元に引き寄せられるはずだ。私はいつでも、すべての生命を神のように愛するようにしよう。そうすれば私の持つ光の強さが、自然とマスターたちに受け入れられる道を開いてくれるだろう” というものでなければならない。」


                    (サン・ジェルマンによる)

               book 『明かされた秘密』 ゴッドフリー・レイ・キング著
                      ナチュラルスピリット


                                  抜粋
   
   

・古代文明「インカ帝国」

   これまでの訓練の成果で、私は眠る前に必ず、自分の”内なる神”に意識を集中するのがすっかり日課となっていた。もちろん敬愛すべきサン・ジェルマンに感謝の念を送ることも忘れなかった。ロッジ(山小屋)での11日目の晩、そろそろ寝ようという頃にはっきりと彼の声を聞いた。

   「いますぐ来なさい!」

   私は彼の声に従うことを学んでいたので、即座に肉体を脱け出し、宙を駆け抜け、あっというまにロイヤル・ティトンに着いていた。彼は”白色同胞団の静修地”入り口の横で、私の到着を待っていた。そばに寄って挨拶すると、彼は微笑んで言った。「今日もすべきことが山ほどある。さあ、行こう!」

   私たちはロイヤル・ティトンを飛び立ち、やや南西方向に向かうと、まもなく眼下に大都会の街の灯りが見えてきた。「ロサンゼルス」だよ、とサンジェルマンが言い、私の注意を促した。そこからさらに遠くまで移動し、再び密集した街の灯りの上を通過した。どこなのか尋ねると、「メキシコシティ」とのことだった。熱帯雨林が見え始めたところで、私たちは降下し始め、古代神殿と思(おぼ)しき遺跡に降り立った。

   「ここはメキシコ・オアハカ州のミトラ遺跡だ。
   あなた方3人(妻のロータス、息子ドナルド)は、最盛期のインカ帝国をサポートすべくここに転生して来ている。あなた方はインカ皇帝の子どもとしてペルーで生まれた。皇帝は高潔で強固な魂を持つ賢者であり、臣民に対しても大きな愛情を抱いていた。

   彼は常日頃から一なる至高の神に呼びかけ、光と繁栄と、完全性を帝国と臣民の上にもたらして欲しいと祈っていた。”グレート・セントラル・サン”(銀河系の中心に存在する、高次のエネルギーである生命の根源)のことを知っていたインカ皇帝の献身ぶりは著しかった。」

   「そして、当時サハラ砂漠にあった、黄金の都に転生していた14名が派遣されることになり、その中にあなた方3人がいたのだ。ペルーでの十年間、特別訓練を受けたあと、あなた方3人はインカ帝国北部に派遣され、皇帝である父にならって愛と敬意をもって精進し、やがて植民地に都を築いた。それが現在の”オアハカ州ミトラ”だ。しかしミトラの栄光はその後何世紀もかけて崩壊することになる。」

   「この地であなたは、マスターたちの指導のもとに大神殿を建設した。
   ロータスは当時ミトラと呼ばれており、40年以上をこの神殿で女祭司として奉仕した。つまり都の名前は彼女への敬意からつけられたものだ。この大神殿は同時代に建てられたものの中でも最も華麗な神殿の一つであり、地下にある秘密神殿も含め、最終的な命令を下していたのはあなたである。」

   「そして全行程はアセンディッド・マスターの1人によって指示されており、秘密神殿は、太古に進んだ文明が存在したことを後の世に証(あか)しするために残された。では実際に秘密神殿に入り、かつて栄華を誇ったこの遺跡の中に保存されてきた部屋の一つを見よう。」

   ある程度の距離まで近づくと、サン・ジェルマンが「下がる」ように命じた。
   彼は前に立ちはだかる巨岩の塊めがけて、強力な光線を放った。瞬時に岩は砕けて四散し、立方体のピンク御影石が現れた。彼が寄ってそこに手を触れると、回転軸のようにひっくり返ったかと思うと、幅1メートルほどの開口部が現れた。下へ続く階段を21段下ったところで銅と思われる扉に出くわした。彼が言うには、朽ちないものにするためにこの扉には他の金属が混ぜて造られているという。

   入り口右側の岩でできた立方体を手で押すと、扉が静かに揺れて開き、小さな部屋に出た。突き当たりは大きなアーチのある通路に続いており、また別の大扉が閉まっている。サンジェルマンは床にある独特の形をした石を、今度は足で踏みつけると、扉は奥に下がり、大きな部屋が現れた。

   そこは長い間密閉されていた様子で、掃除と換気が必要だとの思いが私の頭をよぎったとたん、室内は紫色の強力な光で満たされた。次いで、白い薄霧が漂ってきて真昼の太陽のように輝き始めると、瞬時に何もかもが新鮮で清潔になり、部屋中にバラの香りが広がった。(略)

   サン・ジェルマンは言った。
   「私は人々が、自分の心を縛り、目を曇らせる信仰や主義主張、そして思い込みから解放されて、”内なる神”に意識を向けるようになればどんなにいいかとつくづく思う。彼らのために練りに練って準備されてきた未来には、限りない可能性が秘められているのだ。」

   「そこでは自由と力、光が奉仕する時を待っている。
   だがその実現のためには、”内なる愛の存在”を認識し、それを生きられるかどうかにかかっている。”内なる神”は彼らの存在を通して絶えず呼吸しており、人々があらゆる目に映る事象の背後に、すべてを司っている力を感じ、認識するならどんなにいいだろうか! 自分の体が、全宇宙を統(す)べる至高の存在の住まう神殿であると理解するなら、どんなに素晴らしいだろうか!」 

   「人や物に対するように”内なる神”を心から愛し、語りかけ、その存在があらゆる万物に宿っていることを認め、実感できるなら、一瞬でもその”存在”を身近に感じ、現実を受け入れることができるならば、アセンディッド・マスターたちが達成してきたように、数々の偉業を行なう妨げは何もなくなるだろうに!」

   右手にある扉をくぐると、この時代のインカ文明と、それが人類周期のために果たした重要な役割に関する記録の収められた文書に出くわした。それらのどれもが、不朽の朽ちない材質でできていた。

   「あなたはかつての1万4000年前の転生の時の記憶を呼び覚まし、古文書作成に関わった工程を思い出した。これらの文書は肖像画と一緒にロイヤル・ティトンに運び出す。この秘密神殿の役目は終わった。あとは消滅するだけだ。」

   サン・ジェルマンがそう言ったとたん、美しく光輝く存在が現れ、手際よく記録文書と肖像画を運び去っていった。作業を見届けると、私たちは入り口に戻って外に出て、神殿からある程度離れたところまで遠ざかった。

   振り向いたサン・ジェルマンが、秘密神殿にじっと意識を集中させている。
   周囲が異様な静けさに包まれるのを感じ、私は身を固くした。そして一瞬にしてすべてが完了した。地震のような大揺れが起こり、かつての栄華の時代を生きた最高峰の建造物は、みるみるうちに廃墟と化してしまった。

   サン・ジェルマンの持つ驚くべき力に、息を呑んだ。
   本当にアセンディッド・マスターは神々なのだ。そして古代神話で語られる数々の逸話が、単なる作り話ではなかったとわかり、あらためて驚く。マスターたちは、いかなる時も揺るがぬ決意とともに大いなる”内なる神”の存在とつながっており、驚異的な神の力を操れるのだ。つまり、彼らが完全な存在であるゆえに、あらゆる力が与えられているのだろう。


            (サン・ジェルマンによる)
        book 『明かされた秘密』 ゴッドフリー・レイ・キング著
                    ナチュラルスピリット

                           抜粋
   

・古代文明「ポセイドニス文明」

   「どんな状況でも決して驚いたり、失望したり、気分を損なうことがないように鍛錬しなければならない。自分自身の内にあるすべての力を絶えずコントロールできてこそ、統治権は与えられる。それは”光の道”を歩む者への報酬である。マスターの域には、こうした自己を修正することにによってのみ達することができる。

   支配の権限、統治権は、”一なる者の法則”に従うことを学んだ者だけに与えられることを忘れないように。それを学んだ人間は、唯一の宇宙の愛の原因となる。つまり愛に類似した性質であることから、宇宙の法則そのものと化すのだ。よって調和のとれたもの以外、自ら発しないように努めてほしい。

   破壊的な言葉が口から出ぬよう、あらゆる行動、態度にも現れぬように気をつけることだ。あらゆる瞬間ごとに、自分は何らかの力(エネルギー)を示しているという事実をよく自覚し、いついかなる時も自分を律するよう肝に銘じてほしい。」

   「ところで今日私がここへ来たのは、あなたを重要な旅に連れていくためだが、そのために36時間は費やすことになる。だから部屋のカーテンを閉めて、ドアにも全部鍵をかけ、ベッドに横たわり、あなたは体を置いていく。そうすれば帰って来るまで安全だ。あなたはこれまでの過程で内面的にかなり進歩した。今回の旅も非常に興味深く楽しい体験が待っていると予告しておこう。」

   サン・ジェルマンの説明を聞き終えると、私はベッドに横たわり、リラックスして気分を静めた。するといつのまにか体を脱け出して、体の傍らに立っている自分に気づく。しかも先日、ロイヤル・ティトンに行った際に使用したのと同じ、金色の服をまとっていた。物質的密度の感覚が消え、濃い霧を貫くように壁をすり抜けることができたが、壁自体が密度を失った状態のようだった。

   マスターとともにほどなくロイヤル・ティトンに到着した。
   東側には雄大なロッキー山脈がそびえ、西側にはシエラネバダ山脈とカスケード山脈が見え、さらにその先にはコースト山脈が連なっている。海岸線はまったく変わっており、北方向を見下ろすと、イエローストーン地区が見えた。見事な美しさを誇るイエローストーンだが、そこには現代のアメリカ文明に繋がる古代の驚異と謎が隠されていた。

   サン・ジェルマンが説明した。
   「あそこは1万4000年以上前からずっと”イエローストーン”と呼ばれている。当時そこにあった”ポセイドニス文明”は、王国の政治を担っていた偉大なる光のマスターのおかげで、非常に高いレベルに達していた。だが大いなる叡智が悪用され、衰退し始めたのは最後の500年のことだった。

   当時そこには、世界のどの地域とも比較にならないほどの豊かな金鉱山が存在した。そして、ここから60キロほど離れた場所にダイヤモンド鉱山があった。そこで採掘される石は最高に美しいイエローダイヤモンドで、後にも先にもそれ以上見事なものは地球上では見つかっていない。これらの素晴らしいダイヤモンドが理由で、この山が”イエローストーン”と呼ばれるようになり、現在に至っている。

   この金鉱山とイエローダイヤモンドの、双方の鉱山を発見したのはあなただ。
   その物的証拠となる記録を今から見せよう。あなたはポセイドニスの時代に転生しており、美しい家で姉妹と2人で暮らしていた。彼女は現在のあなたの妻ロータスだ。あなた方は高い精神性を持ち、”内なる神”と深いつながりを持って暮らしていたので、いかなる時も神が支えてくれた。

   あなたは鉱山局の役人として活躍し、後に見事な飛行船を発明し、製造した。そして自らもそれに乗って各地の山々を視察した。ある日、あなたは深い瞑想状態の中で、2つの鉱山の場所の啓示を受けた。後にあなたが発見して採掘が開始され、管理は政府に委ねられた。これから、未だ知られていないそれらの鉱山に入ってみよう。」

   ロイヤルティトンを後にし、私は再び、空中を天翔(あまか)ける自分を感じながら、イエローストーン国立公園のある地点まで素早く移動し、地上に降りた。そこには頑丈そうな岩壁が立ちはだかっていた。振り向いたサン・ジェルマンが、「どこから入ればいいかわかるか?」と尋ね、私は、「いいえ。ですがここに入り口がある気がします」と、巨大な花崗岩の一点を指して答えた。

   微笑んだサン・ジェルマンが、私の示した位置に手をかざすと、瞬間に私たちの目の前に鉄扉が出現した。

   「見たかね? 我々は秘密の場所を決めると、そこの入り口を独自の方法で封印する。そうすれば我々が望まない限りは誰も見つけることはできず、入ることはできない。そうした場所や物の封印に使う物質は、すべて宇宙から取り出した物だ。それは見た目は岩とまったく同じだが、それよりもはるかに硬い物質だ。」

   「この方法で、我々大いなる白色同胞団の静修地や建築物、地下都市、鉱山、秘密の部屋などのすべての入り口を守ることができる。それらの場所は7 万年以上前から完全な状態で保たれ、我々がもう使用しないと判断したとき、宇宙へ戻す。」

   「わかっただろうか? すべての力を従わせることができるのは、自分自身を律することができる者だ。宇宙に遍在するあらゆる力(エネルギー)が、我々が命じるのを待っている。それができるためには、力を行使する我々が、常に神の叡智と愛の一部にならねばならない。」

      (略)

   「すべてをコントロールする”内なる神”に全神経を集中させ、あなたの中に神が常にあることを決して忘れてはいけない。」


          (サン・ジェルマンによる)
        book『明かされた秘密』 ゴッドフリー・レイ・キング著
                    ナチュラルスピリット

                            抜粋

   
   

・地球には私たちの知らない隠された「人類史」がある

   ロッジでのある夕暮れ、すでに外も暗くなりかけた時、部屋の窓に何かがぶつかる音がした。窓辺に歩み寄ると、白い鳩がくちばしに小さいカ-ドをくえわえて立っている。窓を開けてやると鳩は歩いて中に入って来た。そして立ち止まり、平然と私の反応を待っている。私は小さなカードを取り、メッセージを読んだ。

   << 午前7 時、いつもの場所で会いたし。サン・ジェルマン >>

   前回と同じくそれは手書きだったが、今回のは金文字で記されていた。
   役目を終えた鳩は私の肩に飛び乗り、何度か頭を私の頬にすり寄せて愛情表現をすると、窓の外に出て矢のごとく飛び去っていった。

   私は受け取ったカードを丁寧にしまった。
   それを大切にとっておきたかったからだが、翌朝、出掛けに探した時には、もうどこかに消えていた。だが前回もらったカードは、3 日間は手元にあった。それを永久に手元に残るように期待して何度も眺めていただけに、宇宙へ戻ってしまったと知ったときの失望は大きかった。

   朝7 時に到着するためには、16キロほどの山道を歩き、そのためには夜半過ぎに出発しなければならない。私は一眠りして起きると、午前3 時にロッジ(山小屋)を後にした。暗い中を早足で歩いたので、夜明けには待ち合わせの場所近くまで来ていた。聞こえてくる哀しげな鳥たちの声に、同じ調子の声で応じる。そのとき、鬱蒼とした森を駆け抜けて何かが迫ってくる気配を感じたが、茂みから私の相棒のジャガーが飛び出して来た。喜び勇んで抱きついてくる彼の頭を撫でると、そのまま一緒に山道を登り始めた。

   7 時ちょうど、サン・ジェルマンは大気中から姿を現すと、私を抱擁した。
   いつものように液体の入ったグラスが手渡され、盛んに泡だっていたが、それはこれまで飲んだことのない形容しがたい味だった。それは、電気を帯びた液体が体中の血管を駆け巡るような感覚を引き起こした。マスターはジャガーにも、小さな茶色のケーキを与え、あっという間に平らげる動物を見ながら、「これで君の相棒が今後鹿を襲うことはないだろう」と言った。

   「さて、今日の体験では、君の体はここに置いていくことになる。今日連れて行く場所へ移動するためには内なる力を呼び起こす必要があるが、あなたはまだその術(すべ)を心得ていない。その間ジャガーがあなたの肉体を見守っていてくれるだろうが、念のため見えないマントで体を覆い隠しておく。行き先はロイヤル・ティトンだ。さあ、行こう」 
      (米国ティトン山脈・一部がティトン国立公園)

   瞬時に私は肉体を脱け出し、いつの間にか光輝く金色の繊維でできた衣服を身に付けていた。彼は服地をよく見るようにと言った。

   「この服は特殊な力をいくつも備えた素材で作られている。たとえばこれを着ると物体を自由に持ち上げることができ、運ぶことができる。それは服地の持つ純粋なエネルギーと、重い物を動かす力が等価になるからだ。それは途方もない作用をもたらすだけに、この服の地球上での使用を大いなる光のマスターたちに認めてもらったのは、今回が初めてのことだ」

   読者のためにはっきりさせておきたいが、この体験の間、私は4次元で機能する服を着ていたのだ。だから物質界で誰もが固い物を掴んだり、触ったりするのと同じ能力が与えられていた。しかし私が今回使った体は、一般的に言われている「アストラル体」ではなかった。

   まもなく、アメリカ有数の美しい景観を見下ろすようにそびえる、荘厳な山の頂(いただき)に到着した。眼下には巨大な連峰と広大な密林が広がっている。戦場の瓦礫(がれき)のごとく無造作に積み重なる巨大な岩々を進み、ある地点まで来ると、サン・ジェルマンは目印の玉石に触れた。するとすぐ岩が傾き、人が通れるほどのすき間が開いた。後について来るように言われ、彼に続いて中に入った私は驚愕した。それは目の前にブロンズの大扉が立ちはだかっていたからだ。

   「ここはアトランティス大陸が沈むより前、つまり1万2000年以上前から保たれてきた場所だ」

   扉のいくつかの箇所を彼が押すと、ブロンスの巨塊がゆっくりと開き、その向こうの空間には岩盤を削って造られた階段が下へ続いている。60メートルほど降りた場所で、サン・ジェルマンは別の扉に手を触れてそれを開くと、筒状のエレベーター・シャフトが現れた。それを見て私は「艶消し銀」かと思ったが、私の思考を読んだマスターが答えて言った。「確かにそう見えるが、これは鋼鉄よりも強度があり、破壊できない性質のものだ」

   私たちは相当の距離を下り、先ほどとは違う形をしたブロンズ扉の前でエレベーターは止まった。「山の内部を、地下600メートルまで来ている」、とサン・ジェルマンは教えてくれた。(略)

   大広間の東側の壁の手前に、たて約9メートル、よこ約21メートルの巨大なパネルが掛かっており、パネルの表面は緩やかな凹状を描いていた。材質は美しく、深みのあるインディゴ・ブルーのビロードのように見えたが、織物ではなさそうだった。そうした鉱物があるのかもしれないが、おそらく地球上には存在しない物質に思えた。サン・ジェルマンによると、やはりそれは光の降雨で宇宙から取り寄せたものであり、イニシエート(秘儀参入者)や高い精神性を備えた集団内のメンバーたちを指導するために、宇宙の鏡として機能するとのことだった。

   「このパネルには、地球上の出来事やエーテル界の記録、アカシック・レコード、それに金星をはじめ他の惑星の様子が、学習者の目に見える形で映し出される。それも過去や現在だけでなく、遠い未来のこともね。後ほどあなたにも見てもらおう」

   正面奥と右側の壁に、床から天井までびっしりと、艶消し銀のような白い金属性の棚が並んでいる。それぞれの棚には夥(おびただ)しい数の、同じ金属でできた筒状の容器が置かれており、各筒には4つの巻物が入っており、蓋には象形文字で一つ一つ中身が記されていた。

   「先日、あなたにした約束を果たすとしよう」と言いながら、サン・ジェルマンは棚の一角を指し示した。

   「あそこにある巻物には、現在のサハラ砂漠にかつて存在していた国の文明の記録がある。私が古代王国の統治をしており、あなたが私の息子として生きていた時代だ。それだけでなくこの部屋には、現れては滅んでいった多くの国々と数々の文明の記録が保管されている。」

   彼は説明しながら私に筒の一つを渡し、中身を広げて見せたが、私はそこに記された内容のすべてが理解できたことに自分自身が驚いてしまった。

   「一時的にあなたの意識を高め、秘められた記憶を呼び起こすことであなたが読めるようにしている。しかもそれらの過去の記録は、かつてあなたが生きた全人生の経験でもある。日々の生活からもたらされる苦労を静め、必要な自己訓練に時間と注意力を費やすならば、誰でも過去の記憶に接し、理解できるようになる。」

   「過ぎ去りし時代には、人類はあらゆる方法で完全性を現すことができていた。だが時代が過ぎ、人間の意識は肉体的感覚の世界である外的世界に向かうにつれて、神の叡智や全能の神の意識は曇り、それぞれの人生に与えられた神の計画から外れて沈んでしまった。形あるものすべてに優っていたはずの、人間の意識のコントロールも完全性も、いつしか影をひそめ、忘れ去られてしまった。」

   「人間は神の意識ではなく、自分たちの五感そのものを意識にしたのだ。
   そして自分の関心を引くものにだけ反応するようになり、故意に、そして意識的に、当初から与えられていた自然を支配する力と完全性に背を向けた。それがあらゆる欠乏と限界、不和の体験を作り出すこととなり、全体との一体感を失い、自分たちはその一部分だと見なすことで、不完全な存在という認識が意識に固定化してしまった。」

   「人間の限界はいずれも、神の特質である自由意志を1人1人が悪用した結果にすぎない。その結果、自ら創造したものが、今度はその枠の中で生きることを強いるようになる。その苦悩は本人の心に、すべての源である大いなる存在の、自身の原点に再び意識を向けるようになるまで終わることはない。だが一度その殻を破ることができれば、自分は何者であったかを思い出し、宇宙の大いなる計画の一部である自分を知るようになる。」

   マスターは別の棚を指差して言った。
   「あの筒の中には、消滅したムー大陸やアトランティス大陸、現在のゴビ砂漠、サハラ砂漠、エジプト、カルデア、バビロニア、ギリシャ、ローマその他のものがある。」


          (サン・ジェルマンによる)
       book『明かされた秘密』 ゴッドフリー・レイ・キング著
                   ナチュラルスピリット


                          抜粋
   
   
   

・「創造主」である神は「外」ではなく私の「内」におられた!

   7万年前の超古代文明の観察は終わった。
   だが味わったばかりの三次元に投影された過去の再現場面と、太古の人々の様子があまりにも生々しかったので、その感覚が未だに信じられない。サン・ジェルマンは驚愕している私に、いま見聞きした映像は彼が創り出して見せたものではなく、それは実在の人々と時代のものであると念を押し、そのことを証明するためにも、今後、それらの年代記が保管されている場所へ私を連れていくと約束した。

   私はようやく心の平静を取り戻し、2人が座っている切り株の周囲を見回すと、ジャガーがそばで眠っているのを目にした。サン・ジェルマンは地上の物質をコントロールする高次の法則の応用など、その他の貴重な情報を幾つか与えてくれた。その中で、一般的に考えれば高齢であるはずのサン・ジェルマンが、なぜ完璧な若さを保っていられるのかということにまで話が及んだ。


   「永遠の若さは人間の肉体に宿る神の炎であり、創造主である神の資質だ。
   自分に不調をもたらすあらゆるものを遮(さえぎ)り、それに対して扉を閉ざすことのできる十分な力が備わっている者や、その力を保ち、完全性を表現することが可能になった者だけが、精神的にも肉体的にも、永久に若く美しいままでいることができる。

   内なる安らぎや愛、光が、感情や思考の内にないならば、たとえどれほど体を鍛えても若さや美しさを保つことはできない。なぜなら物質界に生きる人間が、思考や感情を介して受け入れてしまうネガティブな”不和の種”はどれも、入り込むと同時にその者の肉体に刻み込まれてしまうからだ。

   心の安らぎや愛、光は、1人1人の内なる神の炎そのものであり、永遠に存在するものだ。永遠の若さと美しさ、完璧さはどれも、神が自らの創造物に反映し続ける愛に属するものであるが、それらを保ち、強める力や手段は各自の内にあって常に増加しているものだ。それを成し遂げるのが、この世に生まれて来た人間に例外なく備わる神のエネルギーである。

   思考は、宇宙において唯一”振動”を生み出すことができるものだ。
   思考を通じて、自らの人生や世の中に顕在化させたいものに、エネルギーを流し込むことができる。この神経系統を伝って流れる、知的で無限に輝けるエネルギーは、肉体を巡る血流に存在する生命力であり、永遠の命だ。創造主はこの遍在する全能の活力を、自由意志に従って意識的に統率するようにと人間に与えた。

   真の知性とは建設的な目的のために使われるものであり、それは生命の源や生命の炎から湧き出るものであって、多くの人間たちが考えるような知的活動のことではない。真の知性は、神の叡智、神の知識であることから、誤った思考を生み出すことがない。一方、人間が生み出す誤った思考は、人間が外界から受けた印象を知性に刻んだものだ。神の炎から湧き出た思考と、表面的な感覚を頼りに人間の知性が示す考えを区別できるようになれば、地上の物質界にはびこる、不和をもたらすどのような動きも回避できるようになるだろう。

   内なる神の炎から発する光は、あらゆる思考と感情を計る基準と完全性の尺度であり、それは五感を通じて把握される。また完全性という性質と作用は、神の炎にしか宿っていない。そのことを踏まえるならば、そこまで達していない思考や感情を完全なものと見なすことはできない。

   ”内なる神の光”を絶えず保つこと、これが真の瞑想であり、”内なる神”との対話と呼ばれるものである。生命の純粋な精髄である神の光は、永遠の若さや美しさだけでなく、”内なる神”と表面的自己との完全な調和をもたらす。つまりこの純粋な生命エネルギーは、”内なる神”と表面的自己のつながりを保つが、実際には、両者は一つなのだ。

   だが人間の知的認識あるいは精神的意識が、自らを一なる創造主から切り離された存在だと思い、あるいは自らがいかに神の完全性から離れているかを思い込むと、その状況が創り出されてしまう。なぜなら外の世界に投影される感覚と意識の望みは、その認識が現実化という形を取ることで戻って来るからだ。

   不完全で否定的な、あるいは神から離れた考えを自分の関心の的とすることを許してしまうと、それに見合った状態が自分の体や環境に現れ始める。それが、生命の源とはかけ離れた行為に及ぶ人間に共通する点である。(これまで教えられてきたそのままに)、自分は神と離れていると思い込む者は、神の生命や知性、能力に始まりと終わりがあると見なすようだ。だが、(創造したもの以外)誰にも生命を破壊することはできない。

   私があなたに語っていることは、紛れもない真実だ。
   すべての善の源はただ一つ、それが神であり、一なる創造主である。この事実を認識して受け入れ、日常の生活においても片時も目を離さず、自覚して意識を保つようにする。その状態を維持し続けるならば、あなた方は完全に自己が解放されるのを経験し、人間社会のあらゆる物事がコントロール可能になるだろう。

   だがほとんどの人間たちにとって、これは困難なことに思えるに違いない。
   なぜなら何百年もの間、(宗教を通して教え込まれてきたことは)、人間と神は隔たっているといわれて、それを信じて生きて来ているからだ。しかし実際には、その自覚があるとないとにかかわらず、あなた方は四六時中、神の生命である永遠のエネルギーと、あらゆる神の物質を用いながら知らずに生活しているのだ。

   今、そのことに気づいたならば、自分がどのような心持でいかに活動しているかを認識し、自己を介して神の力であるエネルギーを建設的な方向に発揮するようにしなければならない。神のエネルギーを理解して自覚し、正しい方向に建設的な目的で使用するように常に心がける。これこそが、地上におけるあらゆる事象の支配や熟練、完全性への道のりだ。

   この域に達すると、さまざまな自然の力も意識するだけで操作できる。
   すべては本人がどれだけ辛抱強く、継続することができるかであり、どれだけ”内なる神”との親しいつながりを深めることができるか、なのだ。」


            (サン・ジェルマンによる)
        book『明かされた秘密』 ゴッドフリー・レイ・キング著
                   ナチュラルスピリット


                          抜粋
                        

 

・繰り返し転生する理由は不和を通して「愛の法則」を学ぶため

    空気までもが止まったような沈黙が支配した。
   すると、王の面前に驚異的な存在が、少しずつ輪郭をとって浮かび上がってきた。出現したのは「大いなる沈黙」からやってきた「宇宙マスター」と呼ばれる存在だった。居合わせた者たちは一様に驚きの声を上げた。宇宙を支配する存在たちのことは、何百年にわたって噂されていたが、これまで誰も目にしたことはなかった。その偉大すぎる存在がいま現れて、右手を挙げ、ここにいる人々と王国全土の人々に向かって話しかけているのだ。


   『地球の子どもたちよ。
   私は危機的状況にあるあなた方に警告するために、重大な情報を携えてやって来た。知覚の幻惑から目覚めよ! 手遅れになる前に惰眠から目覚めよ! 我が光の兄弟はすでにこの王国から身を引き、あなた方が自ら選んだ体験すべき激しい退廃は、すでに一部にもたらされている。それもこれも、抑制できない無知と感情に流されてしまったからである。

   あなた方は、この世界を創造し、それを支えている存在を敬うこともなく、すべての源である至高の存在、偉大なる無限の創造主に耳を傾けようともしない。そればかりか自身がこの世に生かされていることを感謝することもない。あなた方は、次々と浮かんでは消える一時的な快楽や満足だけを追い求めている。なぜなのか? なぜあなた方はここまで落ちてしまったのか? あらゆるものの命であり、愛と知性であるすべての力の源を、なぜ忘れてしまったのか?

   一なる偉大な存在が、絶えずあなた方に注いできた、純粋無垢で完璧な生命のエネルギーを、あなた方は悪用してしまったために、このような破壊的で痛ましい状況を創り出してしまった。ゆえに、あなた方は絶望と苦悩と痛みの氾濫する世界に生き、この状況を少しでも和らげたまえと神に哀れみを請うて生きるがよい。それが今後、至高の存在に向かい、あなた方が捧げていくものだ。

   創造主が求める唯一の条件は、自分以外のすべての被造物を、無限の喜びと調和の行為とともに祝福するために、内なる神の力を正しく用いることである。

   人間は最も悲惨な状況に追いやられた時に初めて、自らの源に気づいて振り返り、苦悩の渦中で、あるいは絶望の淵から禍(わざわい)を軽減してくれるように求める。あるいは生命とすべての善の源に対し、自分のやってきた過ちを棚に上げ、それは不正義だ、不当だと責め立てる。

   生命に対して不当を働く小さき者よ、不正義を行なうのはあなた方人間だ。
   地球に不幸を創造したのはあなた方だ。あなた方さえ自由意志に基づいて、思考と感情を使って好き勝手に創造しなかったならば、不和や貧困、そして逸脱はこの地上に存在しえなかったはずだ。それらは、永遠なる偉大な歌のメロディとリズムにのっとり、完璧に創造されたものに「ついて」しまった汚点である。

   天上の音楽に不協和音を持ち込んだ唯一の罪びとは人類だけである。
   地上に暮らす人類以外の生きているすべての存在たちはみな、愛の法則や生命の法則、調和の法則、光の法則に沿って、日々を精一杯に生き抜いている。人類以外の生命たちは調和を保ち、全体に調和しながらその一部としての役割を果たしている。生命と光の領域で生きる、人間以外の動植物たちは、根本原理に従って生きており、そこにあるのはまったくの完全性だ。その根本原理とは”愛”である。

   愛と光の作用とは自然な状態であり、この広大な宇宙に超自然的な状態は存在しない。一見、超越的に映り、美しさと完璧さを誇るものであっても、それは自然な愛の法則に従っている。ゆえにそれ以外は不自然なものだ。アセンディッド・マスターたちは日々、神の子である人間たちの究極の目標である完全性を生きている。しかし実は、神の子である人間たちがそれと同等の完全性を生き、誇っていた時代あり、それが今より1つ前の人類周期のある黄金時代に存在した。

   それはあなた方人間が想像する以上に古い時代の文明である。
   当時の人類は、まさにアセンディッド・マスターと同じ状態にあった。だが退廃は、その頃から緩やかに進んでいた。それは人類が、自分たちの源である愛と、人生を支配すべきはずの計画から離れていったからだ。神の子である人間が愛に背くのは、自ら望んで意識的に混沌の人生を選択する時に起きる。しかし愛を否定して生き続けようとする者に、生き延びていける場所などどこにもない。しかも努力が実を結ぶことはないばかりか、失敗と失望、悲惨な結果が待ち受けるだけである。

   どのような物事であっても、愛が欠けているならば、それが行き着く先は混沌と無秩序状態だ。そうした中で用いられていた物質がそこから脱け出し、再び適切な形で用いられるためには、何としても愛が必要だ。そして愛と結合するならば、完全なものを生み出すようになる。

   これは1人1人の人間だけでなく、宇宙全体にあてはまる”生命の法則”だ。
   しかも覆(くつがえ)せない永遠不変の法則でありながら、慈悲深い法則でもある。この法則のゆえに神によって人間に注がれた愛は、何らかのかたちで神の意志を表現することができるからだ。すべてはそこから派生し、その完全なる輝きと広大さは筆舌に尽くしがたい。

   調和に満ちた崇高な黄金時代には、あらゆる行動と意識の面でも超越的な王国が存在した。それは愛に満たされた物質から成り立つ王国であり、愛に基づいているために不和や不完全、分離といったような性質も動きもあり得ない。そこでは完全なる顕在化が維持されて永遠に保たれており、常に働きながら広がり、喜びとともに祝福されている。そしてそのような場所が現実に存在するのだ。

   習慣とは、ある目的に一定の期間焦点を合わせ、そこに注ぎ続けるエネルギーである。感情というものに無知なあなた方は、人間的欲求と外面的自己の欲望にのめり込み、その結果、繰り返し何度も転生せざるを得ない状況を自らに創り出してしまった。人間が持つ固有の感覚に根づく欲求は、思考と感情を介してエネルギーを溜め込む。

   エネルギーは正と負に分類されるが、負のエネルギーは反復されることで激しさを増し、習慣化する。前世で生きた感覚的な癖は、次の転生後にも持ち越されて習慣として残り、その結果、当人は不和と欠乏、苦難の輪廻に又もや囚われる。そのようにして自らが生み出した不安と不満の迷宮に再び投げ入れられ、一なる法則である”愛”を学び、否応なくそれに従うことを余儀なくされるのだ。

   あなた方が創り出した負の遺産は、生命を理解し、愛の法則に従うまであなたにつきまとう。つまり、”愛の法則”とともに生きることを学ぶまで、何度でも生まれ変わって不和を経験することでそれを学ぶのだ。この仕組みから免れる者はおらず、自らの不運の原因を正面から見据え、愛の法則にしたがって生きることでしか、苦悩の体験は緩和されないと悟る日まで続くことになる。そのような理解の姿勢が、心の中に落ち着きや平和、慈しみなどの感情を芽生えさせる。外の世界との接触は、そういった内的な感情によって行なわれるべきである。』


   2000年後、この王国は滅亡し、荒れた土地だけが残された。
   水は涸れてしまい、荒廃は全土に及んだ。それもすべては人間のエゴイズムと不和がもたらした結果であり、あらゆる植物の生命にも影響を及ぼした。これがかつて、アフリカ東部からヒマラヤ山脈までの、広範囲にわたり支配していた王国の終焉だった。

   その後だいぶ経ってから、この地で大規模な洪水が起こり、現在のサハラ砂漠のある場所に内海ができた。だがそれも、今から1万2000年前に起きた天変地異により、内海の水はすべて干上がり、現在の砂漠の姿をとどめる。7万年前、この地に存在した忘れ去られた時代の栄華は、ナイル川の美しい流れにわずかにその名残(なごり)をとどめるのみである。



            (サン・ジェルマンによる)
       book 『明かされた秘密』 ゴッドフリー・レイ・キング著
                   ナチュラルスピリット


                           抜粋

   
   

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