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・マイナンバー制度は平成の「大化の改新」

   (略)明けて大化二年(646年)の元旦に、孝徳となった軽王(かるのみこ)が発布したのが、いわゆる「大化の改新」です。内容は中学校の歴史教科書にあるので、ここでは内容は省略して項目だけを揚げます。
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  ① 公地公民
  ② 国郡制度
  ③ 班田収受
  ④ 租庸調
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   これらの定めが改新の詔(みことのり)にあり、このほかに薄葬礼、伴造、品部の廃止と八省百官の制定、大臣・大連の廃止と、冠位制度の改定などの改革が打ち出され、数年かかって施行されました。ここでただ一つ、本稿が強調しておきたいのは、「大化の改新」の(先に揚げた改革よりも)最重要な内容は、豪族社会のなかでカバネに入れられなかった「渡来人などの無籍民に戸籍を与えること」であったという点です。
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マイナンバー制度は平成の「大化の改新」
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   古来、稗史(はいし・歴史読み物)が何を栄枯盛衰の動因とするかといえば、それは常に傭兵将軍と美姫(美女)です。たとえは悪いかもしれないが、庶民男性の生活史も、職場と家庭だけを見ただけでは実態はまずわかりません。つまり職場や家庭を離れた空間で行われる行動、それがたとえばギャンブルなどの遊興であったり、不倫や浮気などであり、そうしたものが1人1人の庶民男性の生活史を決めているのです。
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   その目で世界史を見てみると、洋の東西を問わず、治乱興亡を決するのはたいてい傭兵(雇われ兵士)であり、王侯に非情の決断を強いたのは常に美姫の情炎です。ですが史家の説く歴史はとかく政体の分析にのみ偏り、ついでに社会と文化に及ぶことはあっても、傭兵と美姫を中心に論じた者(史家)はほとんど見ません。(略)
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   さて、(日本においても)古代から中世に移る歴史を主導したのは傭兵です。
   その背景は、人類社会の普遍的な歴史法則から必然的に生まれた古代帝国が、広大な版図(はんと)を統治する方式として「強権政治」を用いたからです。「強権政治」は、政治思想や主義・体制が何であるかを問わず、誰が行なっても「暴力装置」を必要とします。そして暴力装置の構成要素は、ごく少数の近代国家を除いて、今も昔も「傭兵」なのです。
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   日本でも、応神王朝以来の強権政治に必要な傭兵を半島・大陸から招きましたが、その結果として、深刻な社会問題が生じていました。太古の時代に、半島から渡来した古渡り傭兵の子孫は琵琶湖の周りに住んでいましたが、彼らの子孫の新米の傭兵たちは、大阪湾を囲むようにして分布していました。
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   ですが、ある日、外国勢力が日本に押し寄せた場合、古渡り傭兵とその子孫の新米傭兵たちが、いかなる態度に出るかは予断を許しません。というより、そもそもそのような場合には、(形勢をみて有利な方につく)機会主義を採るのが傭兵なのです。
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   欽明(きんめい)王朝がワンワールドから与えられた課題である本格的国際化が成就して、外国貿易と文物流入が極めて盛んになった当時、難波津の賑わいはまさに壮観でした。(海外から入り込む)外患は僻地から来るとは限らず、商船を装って表から侵入する場合もあります。国家緊急の事態に備えるには難波津の動向から目を離してはならぬゆえに、孝徳は皇后をヤマトから難波京に還(かえ)したのです。
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   現代に目を転ずれば、西欧は目下、ドイツ政府の人道政策が呼び込んだ中東難民によって社会の安全を脅かされています。一方で日本は、占領米軍が日本弱体化を図るために指示した「半島渡来民優遇策」を受け入れた文民保守政府が、これを是正しないまま70年を経過したことにより、甚大な国家的損害を生じました。そしてこの事実にようやく気が付いた国民の間に、これを国辱・国害とする認識が芽生え、急速に国民の間に広まりつつあります。
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   そこへ、南北に分断された朝鮮半島における軍事情勢が緊迫の度を加えてきて、安全保障・難民問題はもとより、半島国家との外交関係の在り方そのものが国論の中心になっています。折しも、戦後史学に半島文化優越論を構築してきた京大名誉教授上田正昭が、去る3月13日に死去したのは象徴的です。
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   今日と同じような問題を抱えていた孝徳朝は、抜本的政策として、半島渡来人に国籍を与える目的で公地公民制を中心とする「大化の改新」を発布したのです。そしてまさにその相似の現象が、平成27年(2015年)暮れに日本政府が実行した「マイナンバー制」なのです。この制度はかなり前から欧米で発生していた難民問題をにらんだもので、戸籍の確定こそ社会治安の基本という考え方に立つものです。
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.真実を改竄し、隠蔽してきた歴史学者たち
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   孝徳が難波津に面した難波京に皇居を置いたのは、まさしく「大化の改新」に対応したものであるのに、そのことを指摘した史家がいないのは、どう考えても奇妙な現象であると言わざるを得ません。誰かもし昭和の研究をするならば、まず何よりも真っ先に、この「日本史学界にはびこる謎」をこそテーマにして解明しなければなりません。
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   前著『天皇とワンワールド』が天智(第38代天皇)と天武(第40代天皇)兄弟の素性問題に深入りしなかったのは、ひとえに天智すなわち「中大兄皇子」の素性に得心がいかなかったからです。中大兄の事蹟で国民の胸に残るのは、何と言っても「白村江(はくすきのえ)の戦い」における敗戦です。ですが戦(いくさ)の勝敗は時の運も左右するので大した問題ではありませんが、(ですがここでの問題は)そもそもなぜ、半島派兵をしなければならなかったかということが、一般国民には理解できないのです。

「蘇我氏」は半島渡来人ではない.
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   そこで戦後の歴史小説家の多くは、「中大兄が百済王に所縁があったから」と解釈し、これを基盤に飛鳥時代の日本を”創作”しました。しかしながら、場所はこの日本です。学校教育や新聞・テレビで一応歴史を習っている国民に、いきなり「天智天皇百済人」説をもってきても、とうてい受け入れられないところから、迂回工作したのが「蘇我氏渡来人」説などです。

   こうして蘇我臣が八代孝元天皇から発したことは『記紀』(古事記・日本書紀)からもハッキリしているのにもかかわらず、学者が「欠史八代」という(八代に渡る天皇の)不在説を唱えることで、『記紀』そのものを否認してしまったのです。
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   そこで「神武天皇渡来人」説なるものが出てきたのです。
   こんなバカなことになった責任は、むろん稗史小説家・テレビ作家にありますが、根本は上田正昭を代表とする歴史学者であり、その基は、占領米軍の隠れ軍政機関、すなわち中央官庁とその下請け機関である各都道府県の教育委員会です。
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           古代から現代に続く日本國體の根本
               『天皇と黄金ファンド』 落合莞爾著  成甲書房
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                                   抜粋
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   多くの方々の著書から掲載させて頂いています。
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