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・「真の世界史」が日本から世界へ発信されることを怖れた「闇の勢力」

   わが国が戦後70年経っても、国是(国の基本的な方針・方向)を見失ったまま漂流している根本的理由は、国民が「満鮮経路」を意識から追い出してしまったからです。国是の根本である「満鮮経路」をもう一度思い起こさなければ、日本の将来は見えてはきません。そして、その「満鮮経路」の根本である淵源は「欠史八代」であり、ここに遡ることなくして何一つ見えません。つまり、諸悪の根源は、戦後の史学界が「欠史八代」を「存在しなかった」としたことにあるのです。
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   私が前著『天皇とワンワールド』で主張した第一点は、早稲田大学教授・津田左右吉が戦前に言い出した「欠史八代天皇架空説」が誤謬であり、実際にはその2代・綏靖(すいぜい)(天皇)から9代・開化(天皇)までの天皇が、日本史上に確かに実在したことです。『記紀』(古事記・日本書紀)などの古文献を金科玉条とする戦前の「皇国史観」を、実証史学の立場で否定した津田左右吉の本質は、歴史家というよりは思想史家というべきものだったようです。
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   満鉄調査部の出身で早大教授となった津田は、2代綏靖(すいぜい天皇)から9代開化(天皇)までの八代の天皇を「欠史八代」としただけでなく、これに続く10代崇神(天皇)、11代垂仁(天皇)、12代景行(天皇)、13代成務(天皇)、14代仲哀(天皇)および神功皇后までの実在を否定する「欠史13代不在説」を主張しました。

「真の世界史」が日本から世界へ発信されることを怖れた「闇の勢力」
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   これに対し、皇国史観を代表する慶応大学予科教授・蓑田(みのだ)胸喜などから、「悪魔的虚無主義の無比凶悪思想」との攻撃が為されました。検察からも不敬罪に問われた津田は、出版法に定める「皇室尊厳冒涜罪」で有罪判決を受けましたが、控訴中に敗戦となり、容疑じたいが取り消されました。その後、大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)の敗戦後に、米国連合国軍司令部(GHQ)の監督下に置かれた日本国文部省(もんぶしょう)は、戦前とは一転してなぜか津田説を採用し、15代応神天皇以前の天皇をすべて日本の歴史教科書から削除しました。
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   その一方で占領米軍は、刀剣など隠匿された武器を摘発するとの名目で、全国の神社に立ち入り、膨大な古文書などを押収して米国に持ち帰ったわけですが、米国はそれだけ日本古来の神道を畏れていたわけです。それはやがて、日本人が敗戦のショックから目覚めた時に始まる、日本人の歴史研究を妨害する目的の下に、計画的に行なわれたと見るしかありません。
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   これは、連合国指導層に潜む「真の世界史」を知る者が、「真の世界史」が日本から世界に発信される事態を畏れたためと聞いています。「真の世界史」とは当然、「旧約聖書の真否」です。つまり、ワンワールド内の一部勢力が、世界史の秘密にかかわる重要な情報が、日本各地の神社に古文書として残されていることを知っており、世界史の秘密を独占するために行なったのが、神社古文書の強奪であったのです。

   現在も米国ネバダ州の地下倉庫に保管されている強奪文書を、米軍はもとより米国の学者の誰も解読し得ていないと聞きますが、現在の日本にもこれを解読できる学者がいるとは思えません。

家永三郎や朝日新聞が(偽証・従軍慰安婦の)吉田清治証言に加担した
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   敗戦日本にマルクス史観がどんどん流入したのは、日本占領に関する米ソ間の秘密協定によるものです。アメリカとの談合により、日本の精神界を指導する役割を担った国際共産主義勢力(コミンテルン)が日本の教育・言論界を支配するための構造をつくりましたが、その典型の一つが「日本史学界」なのです。戦後の史学者が、皇国史観からマルクス史観に転向した例は数えきれないほどあり、その代表が東京教育大学教授で教科書編纂に携わった家永三郎です。
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   家永は、日本共産党の末端分子・吉田清治が、日本官憲による営内接客婦(いわゆる従軍慰安婦)の済州島での強制連行を虚証(偽った)著書『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房)の記事を、家永自身の著書『戦争責任』(岩波書店)に転載し、『太平洋戦争 2版』(岩波書店)においても同著書を引用しています。
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   嘘の証言が明らかになったあと、いくつかのメディアによる熱心な調査でも、結局、正体が不明のまま終わったとされる吉田清治ですが、実は彼は日本共産党に関係していたことが判明しています。一般人であっても荒唐無稽と感じる吉田の著書の内容を、無批判に受け入れて自分の著書にまで転載した家永は、とうてい「歴史家」とは言える立場ではなく、単なるマルクス史観を喧伝するだけのアジテイター(扇動する人)でしかなかったのです。
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   今日、吉田清治の証言と、悪意に基づいてこれを世界に発信した、朝日新聞の卑劣な行動が矢面(やおもて)に立たされていますが、家永の場合は公金を食らいながら売国活動を行なってきただけに、朝日新聞と同罪どころか、もっと始末が悪いのに、家永を批判していたのが秦(はた)郁彦だけであるとは、まことに情けない体(てい)たらくの日本史学界です。
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   マルクス史観の立場から反皇国主義の本家とされた「津田(左右吉)史観」が、やがてその矛盾を次々に指摘されたのは当然です。ですが、10代崇神(すじん)天皇から14代仲哀(ちゅうあい)天皇・神功皇后(じんぐうこうごう)にかけては実在説が有力とはなったものの、現在では2代綏靖(すいぜい)天皇から9代開化天皇までの8代に限り、実在を否定する「八代不在説」が日本史学会の主流となっています。
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   そのような風潮の中で、「欠史八代」を「葛城(かつらぎ)王朝」と呼び、その実在を唱えたのが大阪教育大学教授・鳥越憲三郎です。ですが彼の業績は2、3の著書を除いて史学界からは無視されており、ウィキペディアにも歴史家としてその名前が出てきません。鳥越の学問的業績とその勇気に感じ入った私が、同じく賛辞を贈りたいのが、元昭和薬科大学教授・古田武彦です。
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       私の前著『天皇とワンワールド』の刊行の3日ほど前の、平成27年10月14日に古田武彦の死亡記事に接し、私はウィキペディアを検索して初めて古田説の存在を知りました。(略)またウィキペディアによると、古田の最大の論敵であった産能大学教授・安本美典も「欠史八代」の実在を主張しているそうです。
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  ① 日本神話は、史実が伝承として伝わったもの。
  ② 『記紀』が「高天原は九州」とするから邪馬台国は九州にあった。
  ③ 邪馬台国はいくつかの国の総合名称で、吉野ケ里(よしのがり)は女王支配国の一つ。
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  ④ 筑後川流域全部が邪馬台国で、卑弥呼の宮殿は筑後川上流に在った。
  ⑤ 『記紀』の神武東征は史実に基づく。
  ⑥ 「欠史八代」は実在した。
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日本史学会はなぜ「欠史八代不在」という捏造を今も固辞し続けるのか
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   鳥越・古田・安本の説は、戦後の日本史学界では異端とされており、この3人は「まともな歴史学者」として扱われないまま今日に至っています。こうなった理由は下記の4点です。
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  ①占領米軍が原爆の投下や東京裁判の開廷など、自らの戦争犯罪を正当化するため「日本性悪史観」を日本政府に認めさせたこと。
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  ②敗戦日本の保守政体が、占領米軍に迎合するために、「戦前否定史観」による歴史教育を推進したこと。
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  ③国際共産主義の指導と、政治的支援を受けた革新派学者が「マルクス史観」の浸透を図り、それが「戦前否定史観」と合流したこと。
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  ④学校教育の現場を支配下に置いた日教組(にっきょうそ)が、間接的に占領米軍の指示を受け、過去の日本を先験的に悪とする「自虐史観」を学童・生徒に刷り込んだこと。
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   ④は、世間にはあまり知られてはいませんが、第二次大戦の終盤で、日本軍と連合軍を天秤にかけたソ連の外交術策にまんまと嵌(はま)ったアメリカが、ソ連との秘密協定により、北海道と東北地方の占領を望むソ連を諦めさせる代わりに、思想・報道・教育などの文化面において、日本社会を(ソ連のように)共産主義化することを承諾したことから発したものです。
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   アメリカ軍の占領とそれに続く保守政体の下で、日本社会党と支持母体の日教組・官公労などの労働者団体、および朝日新聞・NHK・岩波書店など言論機関は、世界的基準に照らせば、それ自体立派な共産主義勢力なのに、なぜか漠然と革新勢力と見なされて公然と活動が許されたばかりか、間接的な公費支援さえ受けてきたことは、今思うとまことに不可解な現象ですが、その原因は実はここにあるのです。
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   だからこそ、「政治・経済は親米保守」なのに、「文化・教育は隠れ共産主義」という奇怪な2本立て構造、すなわち「日本の戦後体制」がわが国にできあがったのです。さらに言えば、この体制が日本国民によって是正されないままに平成時代にまで至った原因は、次の3点です。
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  ①米国が日本を思想的に弱体化させるために、日本社会に敗戦思想を強要したこと。
   具体的には「政治経済は親米保守で、文化・教育は親共産主義」とする二本立て構造を押し付けたこと。
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  ②米国が日本を収奪する貿易利権構造を作り、永久化したこと。
   具体的には輸出代金の一部を米国債で強制的に受け取らされ、自由に処分できないこと。
  ③米ソ二極構造を前提に、占領憲法で日本を非武装化したこと。具体的には、日本を軍事的対米従属に追い込んだこと。
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「天皇半島渡来説史観」は反日勢力によって”創作”された

   津田左右吉自身は反共主義者とされており、天皇についても機関説(天皇を機関車・機関銃にたとえ、それとともに突き進むとする)思想の持主だったようです。ですが彼が唱えた「欠史八代不在説」は、皇国史観排撃の功績だけが評価されて一人歩きし、結果的に日本的伝統の全面否定を目的とするGHQの御用史学とされたのでした。しかも天皇の絶対性を否定したことを理由に、マルクス史観とみなされた津田史学は、天皇制の廃止を究極目標とする共産主義の推奨を受け、戦後の日本史学界の主流となったのです。
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   要するに、戦後の日本史学界を独占支配してきた「天皇半島渡来説史観」は、米ソ両極が合い携えて日本に強制した古代史捏造の基盤とするために、反日外国勢力によって創作されたものなのです。だからこそ、これらにもろ手を挙げて協力した転向史家あるいは戦後史家が、文教予算と著作活動の機会を独占したのです。こうした状況に逆らう史家は、日本列島のどこにも身の置きどころがなかったと思われ、それを思えば、鳥越憲三郎・古田武彦・安本美典は称賛に値する三君子です。
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   その反対に、歴史家・マスコミ・日教組は言うに及ばず、いわゆる戦後文化人がこぞって「天皇半島渡来人史観」を流布し、その報酬として栄誉と権勢を得てきたありさまは、まことに見苦しく情けないことです。それよりもさらに遺憾なのは、反国家思想の左翼作家はもとより、中道派の歴史作家さえ、学会の権威にへつらい、こぞって「欠史八代不在説」を信奉したことです。
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   結局、戦後の日本史学界は「欠史八代不在説」から完全に狂ってしまったのですが、この70年間、その惨状をあえて指摘する人士はついに出現せず、近刊の私の著書がわずかにこれを口走ったに過ぎません。
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    古代から現代に続く日本國體の根本
                『天皇と黄金ファンド』 落合莞爾著 成甲書房
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                                    抜粋
 
 
   多くの方々の著書から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。著作権利侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。
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連絡方法; トップページのバックナンバーから、2014年7月26日「”zeraniumの掲示板”について」へ行ってください。コメント欄から連絡できます。
 
 

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