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・「変わる気がないのなら、今のまま治らぬほうがよい」

   他人に対して嘲笑(ちょうしょう)や嘲弄(ちょうろう)などのあざけりの行為が表現されるとき、それは特にカルマを生じるものである。なぜなら残酷な笑いや蔑(さげすみ)みの言葉は、肉体的な攻撃と等しいものであるからだ。ゆえに、ここに「投げ矢のカルマ」が生じることとなり、嘲笑された人が悩んでいる苦悩と同じものを結果的に受け取ることとなる。
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   エドガー・ケイシーのファイルには、この種のカルマを原因とする深刻な実例が7つ挙げられている。そして奇妙なことにそのうちの6つは、ローマのキリスト教徒迫害時代にその起源を持っている。ここにも我々は、歴史のある時代に一群の霊魂たちが、他の時代に同時に再び地上に戻って来る様子を見ることができる。
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悲惨な状況にある人を嘲笑したカルマ
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   実例の1つ目は、脳性麻痺のケースである。
   ある45歳になる女性は、法律家の妻で3人の子どもの母親であるが、36歳の時に脳性麻痺になり、それ以来歩行不能となってしまった。彼女の生活はすべて、車椅子の中で営まれている。家の内部でも他の場所へ行くためには、すべて誰かに頼らなければならない。ケイシーのリーディングによると、このカルマの原因は、古代ローマにおけるこの人の行ないにあるとのことだった。
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       彼女はその当時、王族の一員で、ネロと緊密に提携してキリスト教徒を迫害したのである。「この人は闘技場で戦いを強いられて足が破壊された者に嘲笑を浴びせかけた。だから見よ、それと同じことが、今度は自分の身に起こっているのだ」、とリーディングは言うのだった。
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   第二の例は、おそらくケイシーファイルの中で、これ以上悲惨な例はないと思われるものだが、34歳の女性のケースである。生後6か月で脳性麻痺になり、そのために背骨が曲がり足が悪くなった。父親は農業をしていたが、こうした娘のありさまにまったく無関心で、不自由な体で娘が養鶏で稼いだお金を自分のために勝手に使った。
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       運命はこの女性に2度も不幸な恋愛をもたらした。だが最初の恋人は第一次世界大戦で戦死した。その後別の男と婚約したが、男は大病に罹り、病気が治ると、入院中に世話してくれた看護婦と結婚してしまった。こうした肉体的精神的痛手に加え、両親は絶えず夫婦喧嘩をし、農場の生活は淋しかった。その後、石段から転げ落ちてしまい、ただでさえ曲がっている背中に大けがをし、病床に臥してしまった。
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   リーディングは、少なくとも肉体的な状態だけでなく、前々世にさかのぼるローマ時代にカルマがつくられたという。「この人はその当時、宮廷内の家族の一員で、しばしば人間と人間との闘いや、人間と猛獣との闘いを特等席に座って眺めた。現在彼女が受けている肉体的苦悩の大部分は、その当時、命がけで闘う人々の悲惨な状態を見て笑った、その嘲笑に原因がある」と。
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他人の弱さを嘲ったカルマ
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   第三の例は、ある映画のプロデューサーで、この人は17歳の時に脳性麻痺にかかり、ある程度スポーツや乗馬ができるようになったが、いまだに足が不自由だった。この人の場合も、初期キリスト教徒が迫害されたローマがその罪の場所だった。「この人は軍人の仲間であり、闘技場に連れ出されて恐怖におののく人々や、抵抗することなく屈してしまう人々を見て嘲笑を浴びせかけたのである。彼のこの行為のために、この人は今世で敗北者となった。今世で肉体の障害を持ったことは、内的自己の目覚めのためと霊的力を発達させるために必要な経験なのである」。
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   脳性麻痺以外の病気で、嘲笑の行為に原因を持つケースが他にいくつかある。
   腰椎カリエスで足を悪くした女の子がおり、彼女の前世はアメリカの初期の開拓者だった。彼女の病気のカルマ的原因がつくられたのは、その一つ前の前世であるローマだった。当時この人はネロの宮廷の貴族の一員で、闘技場でキリスト教徒の迫害を見物するのを楽しんだのである。彼女は特に、ライオンの爪にかかって横腹を引き裂かれた少女をあざ笑ったのだ」。
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.自分よりも劣っている人や醜い人を嘲ったカルマ
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   次は18歳の少女だが、彼女の肥満の原因を医者は脳下垂体の過度の活動だとした。ケイシーのフィジカルリーディングも、これを「腺の異常」と呼んでいる点で一致していた。しかしリーディングは他の場所で、腺そのものが霊魂あるいはカルマの遺伝を現す焦点だと言っている。ゆえにこの少女の腺の状態とそれから生じる肥満症とは、カルマに原因を持つものと考えていいだろう。彼女は2つ前の前世においてローマの運動選手だった。彼女は美しさもスポーツ選手としての技能もすぐれていたが、彼女ほど敏捷でなく、肥っている人をあざ笑うことがしばしばあったのである。
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   次のケースはカトリック信者の21歳になる青年だが、両親は彼を司祭にしたがっていた。だが彼はその使命を感じなかったので、両親のすすめに応じなかった。彼の人生におけるもっとも大きな中心的な問題は、非常に強い同性愛の衝動だった。彼の依頼でライフリーディングがとられた。
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他人をさばくさばきで自分もさばかれる
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      それによると、彼の前世はフランス宮廷の諷刺家であり、宮廷内の同性愛のスキャンダルを、持ち前の漫画的才能を持ってすっぱ抜くことに特別な興味を感じていた。「あなたは他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている」。リーディングは終わりに言った、「あなたがさばくそのさばきで自分もさばかれ、あなたがはかるその秤で、自分もはかり与えられる。さばくあなたも同じことを行なっているからである」と。
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   今見て来たさまざまな肉体的苦悩のケースであるが、生まれながらにそれらの病気にかかった者が1人もいないのは興味深い。どの場合でも、苦悩は生後6か月から36歳にわたる期間に後天的に現れている。だが表面上の原因の陰に、別のもっと深い原因があるように思われる。不慮の災難に遭っても、ある人は死に、ある人は死なない。あるいはある人はかすり傷一つ負わないのに、ある人は醜い障害を負うという場合、これらは一見、偶然のことのように思える。
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        しかし前述の数々の実例は、不慮の災難の混乱の中においても、何らかの内的な見えない力が働いて、カルマの上から言うと、当然払うべきものが正確にそこに割り当てられているように思われる。それがたとえば脳性麻痺の菌に感染しやすいということさえも、そうした誘因があるように思われる。
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   嘲笑という、ほんの些細なことに対して、こうした大きな懲らしめが与えられることは一見、不釣り合いのように思えるかもしれない。しかしよく考えてみるならば、それが当然の報いであることは歴然としている。「他人の苦しみをあざ笑う者は、自分には知らないある必要性が他人の事情の中にあることを見抜けないからである」。つまり嘲笑とは、いかに下劣で愚行に見えようとも、その経験をもって自らを進化させようとする、すべての人がもつ権利を軽蔑していることなのだ。嘲笑、あざけりという行為は、もっとも下等な意味における自己主張なのである。
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   リーディング資料に見られるもっとも明らかな要素は、病気の悩みがカルマからきたものであることが述べられると、必ずそれに引き続いてその治療法が示されていることである。肉体的カルマの場合には、たいてい治る見込みのあることがはっきり示される。
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   ここに注目すべき例がある。
   ある原因不明の病気にかかっていた34歳になる電気技師は、最近、医者から治る見込みのない多発性強皮症と診断された。彼は歩くことができず、目がかすみ読んだり書いたりもできなくなっていた。次々とあちこちの慈善病院へ回され、その間、妻がデパートの店員をして家族の生計を立てていた。彼のリーディングは3ページにもわたるものであり、医学的な説明の後に、その病気はカルマからのものなので、心の持ち方を変えて、憎しみや敵意を意識から完全に取り除くようにとの勧めがなされた。
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   それから約1年後、この男性はもう1度リーディングを受けたいと手紙で言ってきた。
   それには、言われた通りの治療を行なった結果、すぐに回復の兆しがあったとの報告だった。それによると4ヵ月間は順調に行ったが、また逆戻りしたという。おそらく、あまり精神的な面への注意を払わず、肉体的な指示だけを守った様子だった。というのはリーディングが、次のようなあからさまな言葉で、彼をとがめたからである。
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   「そう、この体は前にも見たことがある。なるほど、肉体的な面は次第に回復してきている。だが、まだまだしなければならないことがある。前にも言ったように、これはカルマから来たものである。だから隣人や物事に対する本人の心の態度を変えなければならない。機械的な矯正による治療で肉体への回復は現れている。しかし本人の自己満足や、あまりに自己中心的なところ、憎しみや敵意、不正や嫉妬がある限り、つまり忍耐や辛抱、隣人愛や親切さ、やさしさと矛盾する何かが心の中にあるかぎり、肉体の完全な治癒は望めない」。
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「自分を.変える意志がないのであれば、今のまま治らぬほうがよい」
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   「この人は何のために病気を治したいのか? 自分の肉欲を満足させるためか? ますます利己的になるためか? もしそうなら、今のまま治らぬほうがよい。もし心の持ち方や目的が変わり、言葉にも行ないにも変化を現すならば、そしてそのうえで指示した物理療法を行なうならば本当によくなるだろう。だがそのためには、まず心と精神と目的と意図を変えなくてはならない。
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       あなたの目的が内なる魂の進歩、向上を目指さないのであれば、どのような機械的療法を用いようとも、完全な回復は望めないだろう。この勧告を受け入れるのも拒否するのも、それはあなたの心次第だ。あなたが「償い」をしないのであれば、これ以上リーディングをしても無意味である。これで終わる」。
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     MANY MANSIONS by Gina Cerminara
    改訂新訳 『転生の秘密』 ジナ・サーミナラ著  たま出版
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                              抜粋
 

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