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・日本は韓国を植民地にしたことはなく、独立国となるよう最大限の援助を行なった  ③

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実は私も、警察に在職中はそれほど気にかけたことはなかったのですが、退職後、外国人犯罪対策講師として、この「在日問題」は何としても避けては通れない問題であることがわかってきたのです。
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   警察庁の定義では、永住者・特別永住者・永住者の配偶者・米軍軍人軍属が「在日」外国人に該当し、これ以外の滞在資格を持つ外国人は「来日」外国人とされています。中でも「特別永住者」は「特別」な「永住者」であり、一般永住者と区別されているのは、「国籍離脱者とその子孫」という「特」別な立場と「権」利を認められているからです。
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   「特」別な永住者であり続ける「権」利、まさにこれぞ「特権」なのですが、具体的なその「特権」については後ほどお話しします。まずはこの特別永住者という、世界にも他に類例のない資格制度が生まれた歴史的背景から、簡単に説明してまいりましょう。
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日本は韓国を植民地にしたことはなく、独立国となるよう最大限の援助を行なった 
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   武士の世から大政奉還(たいせいほうかん)という政権交代と文化的革命を経た日本国は急速に国力をつけ、明治27年(1894年)から翌年にかけて、まだ国の体を成していなかった朝鮮半島で清国と衝突し、勝利を収めました。そして明治28年(1895年)の下関条約により、日本は中国の属国扱いだった朝鮮を清国から独立させ、おまけに経済援助もしています。これにより「大日本帝国」に並ぶ「大韓帝国」が成立し、高宗光武帝(こうそうこうぶてい)が大韓帝国の初代皇帝として即位しました。
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   ここからすでに、植民地支配からの搾取で世界を拡大していた列強の西洋社会とは全く違う、和の世界が始まった、はずでした。つまり本来ならば朝鮮半島は世界で初めての、日本の兄弟国となるはずの国だったのです。しかし明治37年(1904年)、凍らない港を極東に望むロシアは、なかなか国家としての体をなさない朝鮮半島への南下を狙い、日本との間に日露戦争が勃発します。それに関しては、日本帝国海軍・東郷平八郎元帥がバルチック艦隊を破った「日本海海戦」は、教科書でもさらっと習っているでしょう。本当にさらっとね。
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   一方、陸上では乃木希典(のぎまれすけ)大将の指揮で旅順(りょじゅん)攻略戦を展開し、特に「203高地」は有名ですが、日本はこの時、場所の使用料を当時の清国に支払って戦うほど律儀(りちぎ)に戦(いくさ)に臨んだのです。日露戦争は日本が勝利を収め、この戦争を講和したポーツマス条約で、朝鮮半島における優越権などを獲得。

   この有色人種の小国が白人の大国に勝利したことは世界に衝撃を与え、大韓帝国内の親ロシア派も発言力を失って弱体化します。そして大韓帝国内親日派は、また来るかもしれないロシアに怯えながら、どうにもならない国政や親日化する世論の高まりを受けて、大韓帝国の日本への併合を申し出たのです。
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   守りを固めて国力をつけねばならない日本の都合もあり、明治43年(1910年)に大日本帝国が大韓帝国を合併します。そして日本は最後まで、この「大日本帝国朝鮮地方」のインフラを整備して発展を目指し、同じく併合していた「大日本帝国台湾地方」を合わせて多額の国家予算をつぎ込みました。つまり、ふつうは(西洋諸国のように)植民地から搾取するのが当たり前の時代に、日本は国家予算の半分以上をこれらの国に割り当てて生活インフラ(設備)を整備し、学校を作り、子どもに学ばせて、防衛のために軍人を現地から募集し、彼らを幹部にまでしているのです。
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   つまり、当時の朝鮮も台湾も、教科書が教えるような「植民地」ではなく、日本国土としての扱いであり、西欧列強がアシア各地に作った植民地とは違う統治を行なっていたのです。ですからそもそも「植民地」という呼び方自体が間違っています。日本はまた、東南アジアでは現地人を支配する西洋列強を追い出し、文明を与えつつ現地の文化伝承を促進し、武器を持たせて独立を促したりしたのですから、とんでもない「侵略国家」であったものです(笑)。
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   その後の大東亜戦争はご存知のとおりですが、莫大な予算を投じて発展させた台湾地方はその後黒字に転じたのですが、朝鮮地方だけは最後の最後まで赤字のままだったのです。驚くべきことに、高校生ですらこの歴史的あらすじをまったく知らず、たとえば日本とアメリカが5年近く戦っていたことを知らず、それが脳内でつながっていないのです。(それは世界史の授業で戦後の正しい近代・現代史を教えないことに原因がある)
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   私が警察官時代、補導した高校生との雑談で、話題は学校の授業から歴史の話に移った時、「うそっしょ!? 日本がアメリカと戦争? 5年もできるわけないじゃん! イラクだってすぐ負けたのに!」、と信じてくれないのです。「お前、原爆を日本に落としたのはどこか知ってる?」と聞くと、「アメリカでしょ」と答える。「じゃあ、なんでアメリカが日本に原爆落としたんだよ?」、「・・・・あ、そっか! やっぱ戦争してたんだ! お巡りさんスゲエ!」 やっと頭の中で日本の歴史に関するシナプス回線が1本つながったようでした(笑)。
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   さて、こうした時代の中で同じ日本人となった大日本帝国朝鮮地方の人たちは、日本が巨額の予算を割いて援助してもなかなか立ち行くことができない朝鮮よりも、(日本の)本州に移って職を見つけることに憧れていました。ですが日本側は急激な変化は本土に混乱をもたらすことから、その行き来を制限していました。そして当然ながら多数の密航者が来日して定着し、一方で企業は労働力を必要としていたので、その募集には定員をはるかに超える人員が応募していたそうです。
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強制連行はなく、「創氏」改名が強制されたこともなかった
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   さらに姓を持たない朝鮮地方の人々が自分の姓を持つように、政府が法により「創氏」を推進しました。一方で日本人と同じ姓を持つことで、仕事に就きやすくなるよう日本風の「改名」も進みました。ですからこれは強制ではなかったのです。その時の歴史において人によってはそれを望み、あるいは必要からそうせざるを得ない状況があったと考えられます。

   実際に「創氏」は戸籍管理上、必要な措置として義務化されましたが、もともと姓の概念がなかったことから、日本の内地風の姓を届け出る人がいました。そのことから姓は朝鮮風にするよう、政府が総督府令第124号『朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件』として定めたほどで、日本風の「改名」は任意だったのです。
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   そもそも今でもプライド高い朝鮮民族にこのようなことを強制していたならば、民衆の大反発から名誉をかけた引き下がることのない暴動が起き、日朝双方に暴動鎮圧のための大虐殺の歴史があってしかるべきところです。ところが、それが「従軍慰安婦問題」などの「歴史作り」を得意とする半島側の資料にさえないのですから、推して知るべしです。
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   さて、戦争が終わって全く時代が切り替わった私たち日本人には、かつて国土であった台湾や朝鮮の歴史的知識が(教えられていないことから)途切れているのですが、戦争は終わっても人類の歴史は戦いで続きます。半島は敗戦直後に大日本帝国が撤退したのですが、当然、「大日本帝国」から切り離された「朝鮮」という地方のままというわけにはいきません。

   そして北緯38度以北をソ連軍に、それより南をアメリカに占領されたまま大韓民国臨時政府が樹立します。1948年、アメリカが占領する南側には、ソ連が北側を占領したままで大韓民国が誕生し、さらに北側抜きの単独選挙により、李承晩(イ・スンマン)を初代大統領に選出して国家元首が誕生しました。
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   一方、米ソによる分断のため、この大韓民国の実質的統治が及ばなかった北側に、リーダーシップを発揮して地位を確立した金日成(キム・イルソン)が首相となり、朝鮮民主主義人民共和国が誕生します。ですが日本が終戦した5年後には朝鮮動乱が発生し、南北は今に至るまで戦争状態が続き、現在も仲直りせずに「停戦」状態にあります。
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戦後、在日朝鮮人は日本において殺人、強盗、暴虐の限りを尽くした
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   さて、戦後の日本は、日本国籍を離脱した朝鮮半島出身者の帰国事業が展開され、希望者を募集して帰国を進めました。しかしその背景には、実は帰って欲しい裏事情があったのです。それは終戦直後から在日朝鮮民族の一部が「戦勝国民」を名乗り、駅前の土地を占領するなどの暴力的組織活動を展開したからです。この時に中心的役割を果たした組織が、「在日朝鮮人連盟」でした。
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   次のページ(P.40)に載せている写真は、その朝鮮人ではありません。
   彼らがあまりにむちゃくちゃなことをやっていたので、当時ガサ入れした警察官が建物の周りを固め、これに反対する朝鮮人勢力がなだれ込まないよう、警戒している様子を撮影したものです。

   この戦後のドサクサにまぎれ、在日朝鮮人の一部は「朝鮮進駐軍」などと名乗って暴力活動を展開し、彼らが奪った土地は今に至るまで在日朝鮮民族の子孫に引き継がれ、パチンコ屋になったりしています。しかもこれらの土地の強奪や、殺人を始めとする暴力行為があまりにひどく、敗戦で心が折れて、男も少なくなっている日本の、ろくな装備も許されなかった警察だけでは、抑え込むことができないほどだったのです。


「三国人」とは
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   そこで米国GHQがこれを鎮圧し、「彼らは戦勝国民ではない。敗戦国民でもない第三国民である」としたことから、当時の日本人はこれらの横暴を極めた彼らを「三国人」と呼んだのです。たまにこの「三国人」を当時日本にいた中国人、台湾人、朝鮮人の「3つの国の人」を差別する言葉と勘違いして、「差別用語だ」と言う人がいますが、そういう無知は指を指して笑ってやってください。

   なぜならば、この戦後のドサクサにまぎれ、組織化した在日朝鮮人たちが殺害した日本人は2000人を超えると言われており、当然のことながらこの「三国人」という言葉は憎悪と警戒心を持って使われることになったという、日本史に残すべき史実があるからです。
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   現在はこの「三国人」という言葉は「差別用語」とされていますが、当然、こうした戦後の歴史やその言葉が生まれた意味さえ学校では教えません。こうした情況はこの史実を誰もが知っていたころに、故・高倉健さん主演の「三代目襲名」という映画に描写されています。ですがこの暗黒史を消したい特定の方々の圧力により、しばらくの間ビデオ化されなかったのですが、つい最近になってやっとDVD化されたという経緯があります。では、差別とは何でしょうか?
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「差別」があるのは当然で仕方がないこと
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   「差別」。  
   この言葉だけで目を吊り上げる人がいます。保守派の中にも「差別」ではなく「区別だ」と言う方もいますが、差別とはそんなに悪い話なのでしょうか? では、すべての差別に反対する先生や大人にお尋ねします。あなたは今日、何かを差別してはいませんか?

   実は、差別の多くは、私たちの生活に欠かせない判断基準なのです。(略)そして裏を返せば、それは他者への隠れた差別、つまり他者と自分を区別した上で、自らが優位であるという差を示すことであり、それを明確にした「区別」なのです。簡単に言うと、実社会においては差別なしに自己アピールなんてできないのですよ。
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   どんなに「差別はいけない」とキレイごとを言っても、人は自分と他人を差別化しないと、就職採用面接だって受けられないし、好きな異性に自分を売り込むこともできません。飛び込みの営業マンだって、自社製品を持ち上げ他社製品を差別しないと売上が確保できない。それが現実社会です。生きていく上で、会社に対し、異性に対し、自分の長所をアピールする場合、選ばれるためにはその他大勢の競争者を差別してもらう必要が生まれるのです。これはそんなにいけないことなのでしょうか?
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   特に「男性優位社会」「男女不平等」などは、差別でしょう。
   そもそも男女の出会いからして、「差別」は厳然とついて回ります。見た目はどうか、金を持っているか、将来出世しそうかなどと、ある意味胸があるかないかで女性を見る男性よりも、女性は現実的で厳しい審査基準で見ているのです。まさにこれは、「低身長差別」「貧乏人差別」「不潔差別なんですよ。多少汚くても、ワイルドなのがいい、なんて言う人もいますが、これは清潔な草食男子への差別ですよ。
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   でも、それでもいいのです。
   それぞれが「差別」的視点から相手を選別・評価していることは間違いないし、それに文句はないでしょう。特に女性は愛する男性には、他の女性とは違う特別の地位と評価を期待するものなのです。でもそれでいいのです。ただ憎むべきは、虚偽を隠した不当な差別であり、出自や人種など、同じ人間として生きていることの是非を決めつける不遜な社会的公的差別です。重要なことは差別しないことではなく、
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   1、正しく差別し評価分析する 2、その違いを明確にし、いい選択をする、3、そこから得た結果を次の問題解決の参考に生かすことであると考えています。こんなことすらできないようでは、いい食材を選んでおいしい味噌汁一つ作れないでしょう。
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   え? 人間と野菜を一緒にするなって?
   わかってますよそんなこと。野菜には「菜権」を叫ぶじゃがいもも、暴力的に平和を訴えるネギもいないし、「特定の食材になることを選ぶ権利」「家族のメニュー決定に参与する権利」を訴える茄子とか聞いたこともないですから。
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日本共産党とはかつての朝鮮共産党が母体
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   さて、話を戦後の日本に戻しましょう。
   朝鮮進駐軍やその関係者による、組織的暴力活動の中心となった在日本朝鮮人連盟も、半島の南北分裂により、在日本朝鮮人総聯(れん)合会(略称・朝鮮総聯)と、在日本大韓民国民団(韓国民団)に分裂しました。ここには日本共産党が深くかかわっているのです。

   日本共産党内には「民族対策部」という部署がありましたが、その構成員は戦後の日本共産党再建資金を調達した在日本朝鮮人連盟(朝連)のメンバーから成っていました。つまり日本共産党とは、日本の統治下で現ソウルで結成された朝鮮共産党日本総局からつながっている組織だったのです。
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   朝鮮動乱発生の昭和26年(1951年)に、平和革命を全面否定して暴力革命を決定した日本共産党は51年「綱領」を発表します。民族対策部の指揮下にあった在日朝鮮人統一民主戦線(民戦)が武装闘争の一翼を担って暴れまくり、大量の検挙者を出すなど大きな犠牲を払うことになりました。

   昭和27年(1952年)5月に発生した「血のメーデー」事件では、当局が事態を警戒して使用禁止としていた皇居前広場に2万人が突入し、うち5000人ほどが在日朝鮮民族だったと言われており、実際に逮捕された1232人のうち130人が在日朝鮮民族だったのです。
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新潟日赤センター爆破未遂事件
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   朝鮮動乱においては、国内共産主義者十万人を裁判なしに殺していた韓国政府側は、日本のこうした情況を踏まえて、この年から在日自国民の帰国を拒否するようになります。さらに韓国は(日本の)帰国事業を阻止するために工作員まで使い、帰国事業を担っていた新潟日赤センターの爆破を計画し、新潟警察が工作員を発見しダイナマイトなどを差し押さえました。その複数の工作員の供述からそれが国家テロであることが判明し、幸いにそれは未遂に終わりました。これが新潟日赤センター爆破未遂事件です。
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   こんなことをしていれば、在日韓国人に対して日本人が怒り、警戒心を持つのは当然ではないでしょうか?
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   日本共産党は昭和30年(1955年)になってようやく、暴力革命路線を見直しましたが、暴力革命に積極的に加わり朝鮮労働党を支持した在日勢力を持て余し、結局、対立するようになります。民戦(在日朝鮮人統一民主戦線)はこの年に解散し、その翌日に朝鮮共産党の流れで結成されていた朝鮮労働党による朝鮮民主主義人民共和国を支持します。さらに日本の内政不干渉を掲げて、「在日本朝鮮人総連合」(朝鮮総連)が結成されたのです。
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   こうした流れを知って、なぜ、警察庁が日本共産党や朝鮮総連を公安監視対象に指定し、今もその監視を継続しているかが理解していただけたでしょうか。警察はこうした歴史の経緯から、暴力によって目的を達成しようとする勢力を警戒しています。平成28年(2016年)版の警察白書では、中国に1・5ページを、北朝鮮と朝鮮総連、オウム真理教、日本共産党、中核・革マル・革労協の極左、行動右翼、保守系市民団体と、これに対抗するカウンターの動きにそれぞれ1ページを割いて、その動向を分析しています。
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   日本共産党はその後、革命方針の善悪ではなく、手段としての失敗を認めて、「微笑(ほほえ)み戦術」に路線転換することを明確にし、半島勢力と袂(たもと)を分かつことになったのですが、最近ではこれまた半島勢力も混在する「市民団体」を仕立て上げ、個人のツイッターから、日当まで出していることがネットで暴かれています。
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   私がここまで書いても、何の訴訟も起こされることなく過ごしているならば、これが真実であることが読者の皆さんにも確認していただけるでしょう。暴力革命政党である共産党も、かつては日本人を殺して駅前の土地を奪った在日朝鮮民族団体も、この暗黒史には迂闊(うかつ)に触れることができません。なぜなら、もし迂闊に触れたならば、さらなる暗黒史が別のネットユーザーなどに発掘されかねないので、どうしようもなくなり、仕方なく「ヘイトだ!」という呪文(じゅもん)でケムにまくしかないからです。
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       未公開警察統計データからその実態を読み解く
      『在日特権と犯罪』  元刑事・外国人犯罪対策講師 坂東忠信著                                                      青林堂
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                           抜粋
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   多くの方々の著書から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。著作権利侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。
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 連絡方法; トップページのバックナンバーから、2014年7月26日「”zeraniumの掲示板”について」へ行ってください。コメント欄から連絡できます。
 
 
 
 
 

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