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・在日の「戦勝国民」「強制連行の被害者」の次なる看板は「ヘイトスピーチ被害者」

   「余命プロジェクトチーム」とは、初代余命が遺した「日本再生計画」を引き継ぎ、それを広報するために生まれた集団である。その最終目標である「日本再生」に至るために欠かせない重要事項のひとつ、それが「在日問題」の解決である。
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   在日問題とは何か?
   日本再生になぜ在日問題の解決が必要なのか? そもそも在日とは何なのか? 余名ブログの読者であれば自明のことなので、今さら何の説明も必要とはしないだろう。だが本書はネット民以外への拡散を目的としているので、初めて在日問題に触れる読者に向けて、基本的なことから説明していきたいと思う。
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   法務省「在留外国人統計」2015年6月末の統計によると、日本に滞在している韓国・朝鮮人、いわゆる「在日」の人口は49万7707人となっている。韓国、北朝鮮という反日国家の国民が、この日本に何と約50万人も存在しているのだ。
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   この約50万人の在日のうち特別永住資格を持つ者が約35万人で、それ以外の約15万人が一般永住資格、あるいはビジネス、留学、日本人永住者の配偶者などの、さまざまな在留資格で日本に滞在している。つまり一口に在日といっても様々で、併合時代から日本に住み続けている人もいれば、仕事や留学などで来日して数年で帰国する人なども大.勢いるわけである。
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   読者の多くがイメージしていると思われる「在日」とは――日本人と変わりなく流暢な日本語を話し、日本人と変わらぬ通称名で日本人のフリをし、数世代に渡って(すでに在日6世まで誕生している!)帰国も帰化もせずに韓国籍・朝鮮籍のまま滞在し続けている異常な外国人集団――であるが、この約35万人の特別永住資格で日本に滞在しているのが在日たちである。
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   そして彼らこそが、いわゆる「強制連行」で日本にムリヤリ連れて来られたと主張していた在日とその子孫である。そして自らを「強制連行の被害者(の子孫)」「差別されている弱者」であると主張して日本人を責め立てて、または暴力的手段を用いて、いわゆる「在日特権」と呼ばれる数々の優遇措置をもぎとり獲得してきたのだ。
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「強制連行被害者」は嘘
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   結論から言ってしまうと「在日は強制連行被害者とその子孫」というのは真っ赤な嘘、である。彼らの言う「強制連行」とは、第二次世界大戦中の日本政府によって、朝鮮人が朝鮮半島から日本本土に強制的に労務動員されること」である。この労務動員というのは具体的には「徴用(ちょうよう)」のことである。
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   1939年に日本本土では、国家総動員法(1938年制定)に基づき国民徴用令が発布された。これは日中戦争の激化・長期化に伴い、深刻な労働者不足が起こったために採られた措置であり、これにより多くの日本人が動員されて、建設現場や軍需工場などでの労働に従事することになった。
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   だが一方で朝鮮半島では、戦争末期の1944年9月になるまで国民徴用令が適用されることはなく、1945年3月までの実質7か月間しか実施されなかった。1944年9月から1945年3月までの7か月間に徴用で日本に来た朝鮮人の総数には諸説あるが、20万~30万人程度といわれている。彼らについてはたしかに国家の強制力の基に集められ、労働を求められたことは間違いない。しかし徴用は国民徴用令に基づく当時の国民の義務であり、これを強制連行と呼ぶのであれば、現在の韓国で行われている徴兵も強制連行と呼ばねばならなくなる。徴税も強制徴収と呼ぶのだろうか。まったく馬鹿げた話である。
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   日本帝国において朝鮮人の徴兵が始まったのは、戦争末期の1944年になってからであり、そのほとんどが戦地へ出征する前に訓練の途中で終戦を迎えている。だから徴兵された朝鮮人で戦死した人はほとんどいない。当時の朝鮮人は日本国民であったが、本土の日本人と比べて不当に差別されるどころか、逆に徴用でも徴兵でも格段に優遇されていた。たとえばイギリス軍などでは、植民地のインド人などを徴兵して最前線で戦わせており、多くの戦死者が出ているが、朝鮮人の恵まれた待遇とは好対照だといえるだろう。
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   (志願兵制度については1938年から始まっている。多くの朝鮮人が日本軍への入隊を志願して殺到し、1942年には60倍を超える倍率になった。200人以上の志願者が血書を提出しており、中には入隊が認められなかったために自殺した朝鮮人青年までいたという。)

在日の正体は自分の意思で日本にやって来た「出稼ぎ者(の子孫)」
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   先に述べたように、徴用を強制連行と言い換えるのが本来おかしいことであり、仮に徴用=強制連行だと認めたとしても、それでも在日が強制連行の被害者(の子孫)であるとは認めることができない。1959年7月13日付【朝日新聞】には、「現在、登録されている在日朝鮮人は総計61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者として来た者は245人に過ぎず、現在、日本に居住している者は、犯罪者を除き自由意志によって在留したものである」という外務省発表を伝える記事が掲載されている。
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   つまり、徴用によって日本に来た朝鮮人のほとんどは当時すでに朝鮮半島に帰っており、在日の99.9%が徴用(強制連行)とは無関係であることが、外務省の調査によって明らかとなっているのだ。在日の正体は、より良い生活を求めて故郷を捨てて、自分の意思で日本にやって来た出稼ぎ者(の子孫)に過ぎない。
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   在日は近年まで「自分たち在日は強制連行の被害者とその子孫である」という悪質なプロパガンダを行なってきた。「日本人は強制連行被害者である在日に謝罪しろ!」「強制連行被害者なのだから税金など払う必要はない!」「強制連行被害者なのだから多少の優遇措置(=在日特権)は当たり前だ!」などと、自分たちを「被害者」と規定して道義性を振りかざし、日本人を「加害者」として断罪し、「在日特権」を要求してきた。
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モンスター化したセウォル号事件遺族と在日
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   2014年の韓国フェリー転覆事故、いわゆる「セウォル号事件」で亡くなった高校生たちの遺族がモンスター化しており、「遺族に捜査権と起訴件を与えろ」「政府が遺族の生活を生涯保障しろ」さらには「生き残った生徒だけでなく、系列の中学も含めた全生徒を受験で優遇しろ」などと、要求が再現なくエスカレートしているそうだ。韓国社会では「被害者が絶対善であり、絶対悪である加害者に対してどのような要求を突きつけても構わない」という考え方があるという。つまり在日はセウォル号事件の遺族がやっているようなことを、つい最近まで数十年にわたりこの日本で日本人に対して繰り返してきたのである。
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   もっともフェリーの転覆事故は実際の事故なので被害者が実在するが、「在日は強制連行の被害者」というのはまったくの嘘であるから、在日の悪質さは際立っていると言うしかない。繰り返すが、在日の正体とは、自分の意思で日本にやって来た出稼ぎ者(の子孫)に過ぎない。在日が日本に居座り続けるための口実、さらには日本人から譲歩を引き出すための武器とするために、「強制連行の被害者」という嘘の話を作り上げたのである。
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   インターネットが広く行き渡り、ネットの時代になって真実が広く知られるようになるまでは、そうしたことの真相を知らない多くの日本人が彼らの強制連行の嘘に騙され続けてきた。強制連行されたという在日朝鮮人に同情したり、負い目を感じていた日本人もかつては少なくなかったのだ。お人好しの日本人は、まさか在日が嘘の罪状で日本を非難しているとは、まったく夢にも思わなかったに違いない。
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   だが在日自身も強制連行の嘘がばれて、明らかになりつつあることを自覚しているようで、最近は強制連行の被害者を自称することは少なくなってきている。だが数十年の長期間にわたり日本人を騙し、嘘の罪状で土下座させてきた横暴に対し、彼らは謝罪も総括もせずに逃げ切ろうとしている。彼らのそうした行動はこれだけではなく、過去にも同じようなことをしてきている。在日が自分たちを「強制連行の被害者」として本格的に自称し始めたのは1960年代からであり、それ以前の在日朝鮮人は「戦勝国民」として自称していたのだ。
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戦後の在日朝鮮人による強奪・暴行・虐殺などのあらゆる残虐非道
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   1945年8月、日本政府はポツダム宣言を受諾し、アメリカをはじめとする連合国に対して降伏することになった。だが朝鮮人は敗戦国民となることを嫌い、日本が戦争に敗北したその瞬間から、朝鮮人は日本人に対して牙をむいて襲い掛かったのである。朝鮮人は自らを「戦勝国民」であると称し、敗戦国の日本の法律に従う必要はないとして、略奪、暴行、殺人、放火、強姦などの横暴を日本各地で繰り返した。昨日まで同じ日本国民であった日本人を、「敗戦国民」「三等国民」であるとして徹底的に貶め、暴行、虐殺などあらゆる非道を行なった。
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   敗戦によって日本軍は解体させられ、警察力も弱体化して治安維持が困難となっており、日本人の男たちも少なくなっている中、朝鮮人は旧陸軍の小銃や拳銃などで武装して彼らのやりたい放題であった。以下に挙げるのは、当時朝鮮人が各地で起こした凶悪事件の内でも特に有名なものであり、その一部である。
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 ●生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
  兵庫県の生田警察署に拳銃で武装した約50人の朝鮮人が乱入して立てこもる。生田警察署は進駐軍の協力を得て鎮圧した。
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 ●直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)
  朝鮮人3人組が満員列車の窓を割って強引に乗車しようとした。それを拒んだ日本人乗客を引きずり降ろし、鉄パイプなどで撲殺した。
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 ●富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)
  東京都小石川区の富阪警察署に、逮捕された朝鮮人強盗犯の釈放を求めて、約80人の朝鮮人が所内に乱入。警察官に暴行を加え、警察署を占拠した。
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 ●長崎警察署襲撃事件(1946年5月31日)
  闇市の取締り、検挙を行なった長崎警察署」に対し、約200人の朝鮮人などが襲撃をかけた。警察官が1人殺され、10人が重軽傷を負った。
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 ●富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)
  約30人の朝鮮人が、仲間が拘留されている富山駅前派出所を襲撃。警察官1人が負傷した。
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 ●坂町事件(1946年9月22日)
  闇米の取締りをしていた警察官8人に、約50人の朝鮮人が襲い掛かり暴行を加えた。
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 ●尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日)
  朝鮮人集団が尾花沢派出所に乱入。派出所内を破壊し、警察官3人に重軽傷を負わせた。
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 ●阪神教育事件(1948年4月14日~26日)
  朝鮮学校の存続を要求して大阪城前に集結した約7000人の朝鮮人などが暴徒化し、大阪府庁を占拠、破壊する。警察官31人に重軽傷を負わせた。
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 ●益田事件(1949年1月25日)
  島根県美濃郡益田町の朝鮮人集落で、密輸物資を押収しようとした警察官らに約100人の朝鮮人が襲い掛かり、捜査を妨害した。
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 ●枝川事件(1949年4月6日~13日)
  朝鮮人窃盗犯を逮捕しようとした刑事2人を、約50人の朝鮮人が取り囲んで集団リンチを加え、瀕死の重傷を負わせた。
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 ●本郷事件(1949年6月2日~11日)
  福井県本郷派出所を約70人の朝鮮人が襲撃。救援に駆けつけた警官隊に約200人の朝鮮人が襲い掛かり、多数の警察官が負傷した。
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 ●長田区役所襲撃事件(1950年11月20日~27日)
  生活保護などを要求する約200人の朝鮮人が区役所に乱入し警官隊と乱闘。約900人の朝鮮人が朝鮮学校に武装して集結して警察官と衝突。
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 ●王子朝鮮人学校事件(1951年3月7日)
  犯罪捜査のため東京朝鮮中高学校を訪れていた警察官を、約1700人の朝鮮人が襲撃。警察官28人が重軽傷を負った。
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 ●下里村役場事件(1951年10月22日)
  兵庫県加西郡の下里村役場に押しかけた約200人の在日が生活保護などを要求し、職員を取り囲んで集団暴行を加えた。
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 ●半田・一宮事件(1951年12月3日~11日)
  愛知県の半田税務署に朝鮮人集団が乱入し税務署長らを監禁。半田市役所、名古屋市港市役所、一宮税務署、名古屋市役所なども襲撃を受けた。
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 ●日野事件(1951年10月18日)
  滋賀県蒲生郡日野町に朝鮮人集団が集結し、違法デモを強行しようとして警官隊と激突。多数の警察官が重軽傷を負った。
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 ●木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日)
  傷害容疑などで逮捕された朝鮮人に釈放を求め、約70人の朝鮮人が青森県木造畜警察署を襲撃。多数の警察官が負傷。
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 ●血のメーデー事件(1952年5月1日)
  北朝鮮旗をひるがえした数千人の朝鮮人らを先頭とする数万のデモ隊が皇居広場に突入。警備の警官隊と乱闘となり、多くの死傷者を出した。
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 ●広島地裁事件(1952年5月13日)
  広島地裁で放火の容疑で逮捕された朝鮮人4人の裁判中、傍聴していた約200人の朝鮮人が法廷を占拠。朝鮮人被告4人は逃走した。
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 ●新宿駅事件(1952年6月25日)
  新宿駅東口に集結した朝鮮人デモ隊が暴徒化し、駅や派出所を火炎瓶で放火するなどし、警備の警官隊と衝突した。
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 ●大須事件(1952年7月7日)
  名古屋市の大須球場周辺で約1000人の朝鮮人が暴徒化。警官隊を火炎瓶や硫酸などで攻撃し、さらに警察車両などに放火した。
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日本人が在日朝鮮人を憎み、忌み嫌うようになったのは当然の成り行き
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   これはほんの一部であるが、このように終戦から数年に渡り、朝鮮人は日本各地でやりたい放題暴れ回った。朝鮮人による略奪や暴行、殺人、強姦、強盗は日常茶飯事であった。金品だけでなく土地を収奪された日本人は非常に多かった。国内では若い男性の多くが徴兵されて外地に出征しており、終戦直後の日本は女性や子供しかいない家も多かった。朝鮮人はそんな夫や父親がいない家を狙って襲撃し、妻や娘を強姦したうえで叩き出し、あるいは殺して金や家、土地を奪ったのである。多くの駅前の一等地などは朝鮮人によって不法占拠された。ゆえに駅前にパチンコ屋が多いのは偶然ではないのだ。
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   当然、日本本土だけではなく、朝鮮半島でも朝鮮人は日本人に牙をむいて襲いかかった。土地や財産を奪われるのは当たり前で、多くの日本人が虐殺され、強姦の被害に遭った。朝鮮半島から逃げてきた女性の多くが強姦されており、妊娠している女性も少なくなかった。当時、堕胎は違法行為であったが、あまりにも多くの女性が強姦されて妊娠していたため、超法規的に二日市保養所が設置され、堕胎手術が行われた。この二日市保養所だけでも数百人の日本人女性が堕胎手術を受けていたことから、強姦被害者の総数はおそらく数千人規模であったのではないだろうか。
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   当然ながら日本人は朝鮮人を強く憎むようになった。
   多くの日本人にとって在日は恐怖と憎悪でしかなく、同時に侮蔑の対象となっていった。終戦直後の混乱が収まって治安が安定してくると、朝鮮人は武装して「戦勝国民」を名乗り、略奪や強姦などやりたい放題に暴れることが難しくなってきた。そのため多くの在日は、日本名(通称名)を名乗るようになった。だが朝鮮人の「ならず者」のイメージは定着してしまっており、自業自得ではあるが、もはや朝鮮名のままで日本で生活するのはさすがに気まずかったのだろう。
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   当時の在日は人口60万人で、それに対して日本人の人口は1億人である。まともに正面から戦えばそもそも勝負にはならない。戦後の混乱期に「戦勝国民」を名乗って暴れまわったことを、在日は反省して謝罪するべきだった。しかし在日が選んだ道は「戦勝国民」を自称する代わりに今度は新たに「強制連行の被害者」を自称することだった。以前は「我々在日は戦勝国民だから日本人は言うことを聞け!」と叫んでいたのが、今度は被害者を装い「我々在日は強制連行の被害者だから日本人は言うことを聞け!」と叫ぶようになったのだ。つまり時代に合わせて看板を替えただけで、彼ら朝鮮人の体質、精神性は以前から何も変わってはいないのである。
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「戦勝国民」「強制連行の被害者」の次なる看板は「ヘイトスピーチの被害者」
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   在日はマスコミなどを使って、「強制連行されて日本に来た被害者」「不当な差別を受けている弱者」などと宣伝し始めた。当初は相手にされなかったが、やがて戦後が遠くなり、戦中や終戦当時を知らない世代が増えてくると、多くの日本人は当時の真相を知らないので、「強制連行の被害者」で「差別されている弱者」である在日に対して罪悪感を持つようになっていった。そして現在、「強制連行被害者」の嘘が明らかになり嘘がバレてくると、今度も以前と同じように在日は反省も謝罪もすることなく、「強制連行の被害者」という看板をこっそり降ろして逃げ切ろうとしている。
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   「戦勝国民」の看板を降ろして逃げ切った実績があるので、今度も問題ないと考えているらしい。そして次の看板はどうやら「ヘイトスピーチの被害者」のようだ。そして今度も時代に合わせて「我々はヘイトスピーチの被害者だから日本人はいうことを聞け!」とアップデートするのだ。在日はどこまで日本人を舐めているのかと、怒りを感じる読者もいるだろう。だがこれまでの経緯を見れば舐められても仕方がないとも言える。
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   「戦勝国民」として武装蜂起して金品や物資略奪、土地収奪、そして違法な闇市などで莫大な利益を得た在日は、次に「強制連行の被害者」として、いわゆる「在日特権」の獲得に乗り出すのである。
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           『余命三年時事日記 ハンドブック』 
                                         余命プロジェクトチーム著 青林堂
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                         抜粋
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      多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。著作権利侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。
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 連絡方法; トップページのバックナンバーから、2014年7月26日「”zeraniumの掲示板”について」へ行ってください。コメント欄から連絡できます。
 
 

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