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「あなたは自由ですか?」

   自由とは内なる感覚です。
   それはあなたが望むことを選ぶ能力です。あなたが自分という船の船長であるという認識でもあります。自由とは、自分が自分の人生を所有しており、自分が責任者であると知っていることです。自由は、喜びにとって欠かせない本質です。なぜなら、閉じ込められていると感じたり、誰かに自分の権利を奪われていると感じたりしているときには、喜びを感じることができないからです。
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   自由は、あなたの意識に魂の光を引き入れようとするとき、非常に大切なものです。あなたは自由意志を行使できる星に住んでおり、そこで行動と反応、原因と結果というものについて学んでいます。そして地球における現実は、あなたの選択に基づいています。人生で今、あなたが経験している状況がどのようなものであれ、あなたは自分の選択によってその状況に身を置いています。それはたとえ、あなたが自ら選択したと気づいているいないにかかわらず、そうなのです。
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   あなたは試行錯誤を繰り返しながら学んでいます。
   それは誰もがそうであり、自分のとる行動の結果や成果を通じて学び、成長進歩しようとしているのです。ですからその選択がどうであったかということで、自分や他人を間違っていると決めつけないことです。ゆえにこの自由意志を用いるこの地上の学校では、あなたが人生と呼ぶものの中に、自由に関する多くの学びとチャレンジが存在しています。
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自由を制限する唯一のものは、自分が自分に決めるもの
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   では、どのようにして人は、喜びにあふれた自由の感覚や、この選択という、生まれながらの権利を失っていくのでしょうか? 小さな子どもとしてのあなた方には、数多くの要求や期待が課せられますが、本来的に子どもには外から見える以上に自由が存在しています。子どもは先入観なく学び、成長できるように、新しい方法に呼応する自由を持っています。
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   また子どもであるあなた方は物事を新鮮に吟味し、一つ一つの体験をそのまま受け入れ、過去の体験に基づきながらそれを分類したり分析したりすることが「ない」という自由を持っています。なぜなら子どもは特にその幼少期においては、過去のアイディアにではなくごく自然な反応に基づいて、意見を形成する自由も持っているからです。
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  しかし子どもは成長するに従って、思考の発達とともに自由の感覚を失っていきます。思考がさまざまなパターンを探し始めるからです。つまり、一つ一つの出来事を連動し合う物事として、うまく理解できるようそこに関連性を見始めるのです。そして何か起きると、思考は少しでも性質が似ていそうな他の物事を探し出し、繰り返し頻繁に今の状況を過去の記憶と結びつけながら、「否定的な面」ばかりを過大視します。
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   子どもとしてのあなたは、力強い決断を下します。
   自分の創造した作品に自信が持てず、それを見られることに怖れを抱く人は、子どもの頃、他人と比較され、あるいは誰かに馬鹿にされた体験があるのかもしれません。そして、やがて自分の作品を隠すようになり、自分の創造性に確信を持つことを怖れるようになります。つまり、過去の体験と今現在の新しい体験を同じものと見なすことにより、ただ似たような状況であるというだけで、新しい状況における選択の自由を失ってしまいます。
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   子どもたちは現実のもつ本質について、常に進行形で決断し続けていきます。ある女性は、自分が本当に信じていることを人に話すのが困難であることに気づきました。子どもの頃、ケーキを作っていた時に口にした一言を、母親にひどく叱られたことから、彼女はその瞬間に深く決心したのです。
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   それは、愛され、受け入れられるためには、自分の意見は人に言ってはならない、というものでした。そして未来の状況についても、この前提を元に対処するようになりました。それは彼女から、自発的に答えたり、一つ一つの状況を新たな体験として見るという自由を奪っていきました。彼女はやがて、発言することを怖れるようになり、誰かが挑発的な意見を述べたりすると、それに脅かされているように感じる自分に気づくようになりました。

人があなたに要求するものは、あなたが自分に与えていないもの
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   自由とは、あなたの生まれながらの権利です。
   そしてそれは、誰もが持っているものです。あなた方の中には、自分はこの領域やあの分野については自由ではない、と言うかもしれません。たとえば、自由に今の仕事をやめることができない、世界を旅行する自由がない、自分のしたいことをする自由がない、と言うかもしれません。しかしあなた方は自由です。つまり、自分が自由だと感じる範囲においてのみ、自由なのです。
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   あなた方はおそらく、自分がそうしたければ遅い時間まで外出している自由があったり、自分の好物を買ったりする自由を持っているでしょう。自由を広げるには、「自分の権利だとすでに主張している自由とは何か」を見ることが必要です。自分に自由がないことを可哀想だと感じると、あなたは自分に犠牲者の役割を与えることになります。そういう役回りを演じている時のあなたは当然、強くありません。そうではなく自分は、他人や状況の犠牲者にならないと決心し、選択した領域をよく見ることです。
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   あなた方のほとんどが、人生の多くの分野において、すでに自由を確立しています。あなたは自分に数多くの自由を与え、その価値を大いに認め、誰からもそれを奪われないようにしてきたことを知っています。ではあなたが与えたいと思う以上に、他の人がそれ以上のものをあなたに要求している領域があるでしょうか。その人たちはあなたに、より多くのあなたの時間や愛、気配りを求めているかもしれません。それはあなたが、自由を失うと感じるほどのものを要求しているのかもしれない。
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   もしあなたにそのようなことが起きているならば、あなたはある部分の自分自身に、自分が与えたいと思う以上の時間や気配りを要求していないかどうかを、自分に尋ねることです。なぜなら誰か他の人が、あなたから何かを取り上げようとしていると感じる時というのは、それはまさにあなた自身が、自分から何かを取り上げようとしていることの象徴だからです。
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   あなたが与えられる以上の関心を払うことを、相手が要求していると感じる時、あるいはあなたにはそんなことは出来ない、またそうしたくはないと思うようなことを人が要求して来る時は、「私は、別の部分の自分にできないようなことを、自分自身に課しているのだろうか?」と尋ねてみることです。
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   他者とは、まさにあなたが自分に対してしていることを映し出して見せてくれる「鏡」です。ですからこの場合は、「私は何らかの形で自分から何かを取り上げたり、自分の欲求に十分な注意を払ったりしていないのだろうか?」と自分に尋ねてください。そうしてその欲求とは何かを理解し、それにもっと注意を払うと決心するところから始めてください。
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   ある男性は、彼女があまりにも自分の時間と空間を要求してくるように感じていました。ですが彼は1人で長い時間を仕事をして楽しむタイプなので、彼女の一緒にいたいという欲求は、彼が彼女に与えるよりもはるかに大きいものでした。そこで彼は、彼女が自分にもっと関心を払ってほしいと要求しているものをよく見ることにしました。
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   その結果わかったことは、彼が長時間、仕事をすることで、実は自分が思うよりも大きな自分の欲求に、自分自身が気がついておらず注意を払っていなかったことに気づいたのです。彼は自分の内なる深い自己に注意を払っていなかったことを発見しました。その内なる自己は、睡眠時間や休息にもっと気を配ることを求めていたのです。彼は長時間の労働だけで、身体が必要としている、自分の他の部分がもつ欲求を無視していたのです。
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   一方、彼が自分に十分な関心と時間を与えてくれないと感じていた彼女も、それを自分の内なるメッセージとして見直すことにしました。彼女は自分たち2人が、一緒に遊んだり、質の高い時間を一緒に過ごしていないと感じていました。しかし自分の内面を深く振り返った時、彼女は自分が自分自身に質の高い時間を与えてはおらず、いつも忙しくしているだけで、人の要求に応えてはいても、自分自身には遊びや楽しみを与えていなかったことに気がつきました。つまり、彼女が彼に要求していたことは、すべて彼女自身が自分に与えていなかった事柄であることを認識することができたのです。
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   自由とは、自分がつくり出すものです。
   自由とはあなたに与えられるものではなく、取り上げられるものでもありません。ですが当然、あなたは自分の自由を与える選択ができるし、それを自分のものだと主張しないという選択もできます。ですが本質的に他人が人の自由を奪うことはできないわけで、それを与えるのはあなたにしかできないのです。
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   誰もあなたから取り上げることなんかできない、と知っている領域はたくさんあるでしょう。たとえば気に入っているレストランへ行くことや、あるいは好きなテレビ番組を見たり、好きな音楽を聞いたりする自由かもしれません。そして誰もその分野で、あなたを止めることはできないとあなたは知っています。そしてあなたはこうした状態にある時には、誰もあなたを止めようとはしないことに気づいているかもしれません。
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   あなたには次のような経験はありませんか。
   それは前もってリハーサルすることで、自分が何を求めているかについて非常にクリアになった結果、それをお願いする必要がなくなったと気づく経験です。あなたがクリアになったために、相手はあなたに挑戦することすらなくなった場合もあるでしょう。つまり、最も欲しているものを手に入れるのに、苦労しなければならない場合というのは、自分がそれを手に入れるに値するかどうかが確かではないと感じる時に起きて来ます。
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   仕事をしている多くの人々は、たとえば9時から5時まで自由を放棄し、自分は自由ではないと感じています。しかし、自由とは一つの姿勢です。この状況下で自由を体験するには、より大きな全体像を見る必要があるかもしれません。あなたはなぜこの仕事をしているのでしょうか。それがもしお金のためであれば、お金を得るために自由にこの仕事を選んだわけですが、いつでも別の方法で自由に仕事を見つけることができることを覚えておいてください。
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   あなたはいつでも自由に答え、行動し、自分の好きなように感じることができるのだという自由の感覚を、瞬間ごとに体験することができます。仕事の枠内においてもそうで、自由に発言し、行動することができます。あなたが行なうすべてにおいて、ある程度の自由は常に見出すことができるのです。自分が自由であるところを見、そこに焦点をあてることにより、人生における自由は増していきます。
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   自由を妨げる最大の障害とは、あなたが世の中をどのように見ているかというところにあります。あなたに自由がないのは、他の人が原因なのではなく、あなた自身の考える過程から生じてくるものです。多くの人々は、自分に与えられた状況に対して、どのように反応するかという選択肢を自分に与えていません。そして与えないことで、自分の自由を奪い去っているのです。
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   たとえば友人たちがあなたを批判した時に、あなたはそれについていつも傷ついたり、怒ったり、という形で反応するのが常です。ですがそういう時も、新しい反応を見出すことで、あなたは自由を得ることができます。たとえば、「この友人は別の行動の仕方を知らないんだ。」「この人は自分自身に対してとても批判的だから、同じように私を批判するわけで、おそらくこれが自問自答する時に話す方法なのだろう」と考えることができます。
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   あなたは自分に対する愛から、そのように取る選択をすることもできるし、友人の批判を個人的に受け取らないと選択することもできます。それは、たとえあなたの周りの人たちのようではなくても、あなたは自分の中心を保ち、バランスを保つ選択をすることができるという意味です。それこそが、究極的な自由なのです。それは、あなたがどのような感情と考え方を選択する自由を持っているのか、どのような自分でありたいかという選択であり、自分のエネルギーを高める在り方で行動するという自由です。
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   ですがほとんどの場合、多くの人々は自分の反応がどのようなものであるかに気づくことなく、その瞬間に反応し、それはあたかも自動的であるかのようです。生きているこの宇宙で起きるすべてのことに対して、実はあなたはどう反応し、どのように呼応するかを選択ができる自由があるのですから、そのことに気づいてください。たとえば締め切りに追われる仕事をしている人であっても、しなければならないことを見渡し、その計画の完了に必要なステップを安らかな心で進めていくならば、思っていたよりも余分な時間さえ捻出できるかもしれないのです。
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   それとは逆に、締め切りに追われてパニックに陥り、その計画をやり遂げるためにイライラと急(せ)き立てるようにして進める人もいるでしょう。また別の人は、グズグズといつまでも動かず、締め切り直前になって追い込んで仕上げる人もいるでしょう。またある人は、落ち込むことでそれに対応するかもしれません。その仕事に抑圧されるように感じ、内なる声が自分には絶対にできないと告げてくることから、中途半端な仕事しかしないでしょう。
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 このようにすべては自由に選ぶことができます。
   あなたはそれに対し、どのような行き方で反応しますか? 重荷と感じ、幸せと感じられないような形や、あるいは自分を責め、悪く思うような形で反応するのでしょうか? それとも自己価値や自尊心をさらに高めるような方法でそれに対処し、反応しますか?
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   人は誰でも、自分自身の中にあるプログラムと、自らの価値観が指示するところに沿って反応します。そして真の力とは、自分には常に選択することができると知っているところからやって来ます。相手を変える必要はありません。そうではなく、相手に対するあなたの反応を変えることです。
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   明るく爽快に感じることを選択するとき、自分が爽快であるために、他人にそのような特定な行動を期待せずに済みます。あなたのすることは自分自身をサポートし、自分の価値を認め、あなたを受け入れてくれる人を引き付ける前に、まずあなたが自分自身を愛して認める選択をすることです。つまり、自分自身をどれだけサポートして認められるかという度合が、あなたが他から受けるサポートの度合なのです。
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   たとえ他人があなたを批判したり、見下したり、傷つくようなやり方で昔ながらの行動をしてきても、あなたは自分のことをよいと感じる選択をすれば、喜びを選ぶことができます。そのようにするたびに、あなたは自分の人生に自由を生み出すのです。なぜなら自分が幸せになるためには、他人があなたに対して特定の行動をしてくれる必要がある、という欲求から解放されるからです。そして自分自身への期待からも、自分を自由にすることができるのです。
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   多くの場合、痛みは大きな全体像を見ることよりも、むしろ些細な小さいことに囚われることから生じてきます。たとえばある女性は、彼が花を贈ってくれなかったことでがっかりしました。なぜなら彼女は男性から花束を受け取ることが、自分が愛されている印だというイメージを持っていたからです。そのために、彼がそうしないことに痛みを感じていました。彼女は自分の内にあるそうしたプログラムのイメージのために、自由に喜びを選択できなくなっていたのです。
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   しかし彼女は真実とは何かを見て、より大きな全体像が見えるようになったとき、彼は自分のことを深く愛しており、自分と付き合うことを強く決心してくれていることを知り、花束が彼にとっては愛の表明ではないことに気づきました。二人の間に存在する愛の形に目を向けたとき、彼女は自分の期待に囚われていたことや、これまでの自分の考え方の習慣から、痛みをあえて選んでいたことに気づいたのです。
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自分が自由でないので、人を束縛して自由を与えない
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   あなたは誰かを所有することはできないし、誰かの自由を奪ったりするならば、当然、平等な人間関係を得ることはできません。すべての人は、それぞれが自分の在り方を選択し、成長したりする権利を持っています。
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   あなた方の多くの人の中には、内的な成長に不可欠な自由が与えられていない関係性から離れる必要のある人がいます。それはパートナーや仲間、その他の人間関係性において、自由を求めることに怖れを感じている人もいるでしょう。そのような人は自由を要求することを、自分自身の高次の内的自己を求めるというよりも、外的な人との関係性の拒絶という意味に解釈しているかもしれません。それは相手が自分から離れようとしていると考えているからです。
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   皮肉なことに、人に自由を与えれば与えるほど、人はあなたと一緒にいたがるようになります。あなたは自分が自分に対して要求しないようなことを、人に要求してはいませんか? たとえば人があなたに逐一報告することを期待したり、人があなたの望み通りに行動することや、あなたが人に居てほしいときにはいつでも居てくれることなどを期待してはいないでしょうか? あなたが人から奪う自由の度合は、あなたが自分自身から奪う自由の度合に比例しています。
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   今、1人の囚人が独房の中に座っており、それを刑務所の看守が24時間体制でガードしているとします。ここで提起するのは本当の囚人は誰なのかという質問です。たとえば誰かを始終見守り、見張っていなければならないと感じるとき、あるいは相手を信頼することができず、自由を与えられないと感じたとき、実はあなたも相手と同じく囚われた状態にあります。
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   そしてあなた方の多くの人は、奪われたくないものを余りにも近くで見張っているために、自分自身が自由を失っている状態にあります。それはあなたのパートナーや所有物、子どもや家族かもしれませんが、自分の成長を追求するのではなく、そうしたものを守るためにより多くの時間を割いています。
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   もしあなたが嫉妬心を感じているならば、それは相手があなたにではなく、誰か別の人に何かを与えているという怖れに基盤を置いていると思われます。ですがその問題をよく吟味してみるならば、それはほとんどの場合、その「何か」をあなたが自分自身に与えていないからなのです。
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   もしあなたのパートナーが他の人に惹かれており、そのためにパートナーの自由を奪い監視することによって、自分から気を逸らさせないようにしたいと思うことがあれば、まず一度立ち止まり、考え直してみましょう。なぜならそれは多くの場合、あなた自身が自分や自分の人生、高次の自己に対して、健全で霊的な成長のために、必要な注意を向けていないことが原因だからです。
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   嫉妬心は、嫉妬する者と、嫉妬する者に取り憑かれた人の両方の自由を奪ってしまいます。その場合、あなたは自分が必要としているものを自分自身に与えることができれば、あなたは嫉妬しなくなります。それはたとえば自分に注意を向けたり、愛や何かを与えることかもしれません。それと同時に、愛する人からだけ受け取ろうとしていた満足感を、さまざまなところから受け取っていることに気づくでしょう。嫉妬とは、「十分にない」という欠乏を暗示しており、自由は、「十分にある」という豊かさを意味しています。
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   たとえ他の人たちが間違いを犯しても、それぞれがその経験を通して喜びを発見するがままにさせてみましょう。他者に自由を与えるときは、必ずと言ってよいほど、その相手はあなたに大いなる愛と敬意を返してくれるでしょう。相手に自由を与えるには、自分自身の軸に中心を置き、バランスのとれた自信を持っていなければできません。それは相手とあなた自身への素晴らしい贈り物です。なぜならそうするとき、もはや囚人を監視する必要はなく、刑務所の看守もまた自由になるからです。
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   どのように反応するかを吟味するとき、あなたは自由になります。
   もしあなたが喜びと楽しみとともに反応することを選ぶなら、またポジティブに考え、自分を間違っているとするのではなく、正しいとする反応を選択するなら、あなたは究極的な自由を得たことになります。それはあなた自身のより深い内なる真理を反映して行動したり、存在する自由だからです。
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           『リヴィング・ウィズ・ジョイ』 サネヤ・ロウマン著
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                       抜粋
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   多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。
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 連絡方法; トップページのバックナンバーから、2014年7月26日「”zeraniumの掲示板”について」へ行ってください。コメント欄から連絡できます。
 

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コメント

こんにちわ。
以前にも何度か閲覧していましたが、
今回大摩邇(おおまに).さんのブログでアナスタシアさんの
記事が紹介されていたので直接伺いました。
私もブログ開設しているので、リンクさせえ頂きました。

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