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・世界で活躍する日本人――その① 近藤 享さん

「海外が感動する日本の力」さんからの転載です。

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   世界で活躍する日本人。
   ですがその多くはすぐに世に知られることはなく、海外で奮闘しながら、後に伝説として語り継がれています。
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   日本から海を越え、ネパール現地の人たちのために生きた1人の日本人がいます。その人の名前は「近藤享(まこと)」。近藤は1921年に新潟で生まれました。某大学教授を経て、1976年には国際協力事業団(JICA)からネパールへ、果樹栽培専門家として派遣されました。
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   1991年、定年を迎えた近藤のために、日本では帰国祝賀会が開かれました。ですがその時、答辞に立った近藤は、JICA時代の思い出を語った後、突然、ある宣言をしたのです。それは家族にもまだ知らされてはいないことだったのです。
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   「皆さま、私はこれから再び、今度は一個人の奉仕活動として、ネパール中でも秘境中の秘境、ムスタンへ間もなく旅立ちます。今度はJICAを離れて、まったく個人の支援活動ですから、なにとぞ一層の熱い支援を賜りたく切に切にお願い申し上げます。秘境ムスタンではこの一瞬でも、飢えと寒さに泣いている大勢の子どもたちが、私どもの温かい援助の手を必死で待ち望んでいるのです。どうぞよろしくお願い申し上げます。」
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   思いがけない決意表明に、場内は静まり返りましたが、やがて満場の拍手が会場いっぱいに沸き起こりました。
近藤は家に帰り、家族にも堅い決意を伝えました。家族にも言わなかったのは、家族から反対されると考えていたからです。
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   「このたびの父親のわがままを、どうか黙って許してくれ。
   秘境の貧しい村の人を救うため、私は必ず立派な仕事をして見せるから。」
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   そして1991年6月、近藤はムスタンに向け日本を後にしました。
   その日18日は彼の70歳の誕生日でした。近藤はムスタンでの活動費を作るため、家や山林を売却するほどの強い意志持っていました。
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   ムスタンはヒマラヤ山脈の北側にある標高3000~4500mの高冷地です。
   そこは1年中絶えず強風が吹き荒れ、年間降雨量が150ミリ以下という超乾燥地帯でもあり、世界でも稀に見る農業に不向きな土地でした。
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   住民の主食は裸麦やライ麦、ソバ。野菜はソバの葉だけで、それがなくなると川辺の雑草を食べます。栄養のある米や肉などは冠婚葬祭などの、特別な時しか食べません。そのため日本の平均寿命と比べると、およそ半分の45歳前後でした。
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   人々は仕事を求めて、カトマンズだけでなく国境を越えてインド、タイ、シンガポールまで出稼ぎに出ます。しかし字が全く書けないために、最低賃金労働にしか就くことができません。世界からも、この厳しいムスタン地方の状況を救うべく、アメリカの自然保護団体やネパール政府が農業振興に力を入れてきましたが、いずれも失敗しています。
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   日本で生まれ育った近藤は、この地での「稲作」を決心しました。
   しかし稲は本来、熱帯性植物であり、品種改良してきたとはいえ、高地栽培は日本でも標高1000mが限界でした。しかもここムスタンは標高2750mの河川敷大地です。もし成功すれば、世界最高記録となります。
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   近藤は北海道や青森などの試験場を訪ね、冷間用品種の種子を分けてもらい、何年もかけて試行錯誤しました。ビニールシートの張り方について専門家からアドバイスを受けた近藤は、毎日、祈る思いで水田を見て回りました。そして苦節4年後の1996年9月、見事な黄金の稲穂が立ち並んだのです。ネパール人の青年スタッフらとともに喜び、初めて稲刈りした夜、近藤は感激に胸がふるえていつまでも寝付けませんでした。
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   次にこの技術を発展させて、富士山頂に近い高さである3600mの高冷地ガミ農場で、稲作を試してみることにしました。すると近藤の郷里の米作りのアドバイザーから、再び貴重な助言が届きました。それはポリエステル波板パネルを使えば、ビニールシートよりは高価ではあるが、耐用年数は15年から20年に延びるというのです。
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   近藤はすぐに透明パネル200枚を発注します。
   それを車で運べる所まで運んでもらうと、そこからは 1人が10枚ずつを背負い、人力でガミ農場まで運びました。パネルは高価なので少しでも安価に仕上げるために、側面を石垣で囲い、屋根だけポリエステルパネルで張ることにしました。この石垣作りは人々の家造りに使われている技術でもあることから、地元の人たちにとってはお手の物でした。
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   大小の岩を鉄のハンマーで打ち砕き、小さい金槌で手ごろの大きさに形作る。それを直線に張った縄に沿って垂直に積み上げるのです。その石垣とポリエステルパネルの組み合わせは威力を発揮します。
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   こうして、今までの対寒冷用水稲品種だけでなく、人気のコシヒカリも豊かな実をつけるようになりました。そして正式に収穫量測定のために訪れた国立作物試験場のシレスター博士は、石垣ポリハウスを目にして感嘆の声をあげました。
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   「ミスター近藤、素晴らしい! こんな高地でこんな素晴らしい稲をよくも実らせたものだ。これはネパール平野部の水田地帯と比べて、50パーセント近くも多い収穫量ですよ。」
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   この石垣ポリハウスは稲だけでなく、野菜栽培にも威力を発揮し、その結果、真冬の季節でも新鮮野菜が食べられるようになったのです。また稲作と並行して進めたのが魚の養殖です。チベット高原を源流として雪解け水を集めながら、ムスタンを流れるカリ・ガンダキ川上流は、あまりに激流のために魚が住める環境になかったのです。そのためにムスタンではこれまで、魚を見たことのない人がほとんどでした。
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   近藤は水稲栽培のために溜め池を作り、そこへ冷たい雪解け水をパイプで引き、そこを太陽光で水を温める方法を考案しました。その溜め池で魚を養殖すれば一石二鳥です。田植えを終えた水田に鯉の稚魚を放流してみましたが、ハウス内の温暖な中では良く育ち、9月上旬までの3か月あまりの間に、2~3センチだった鯉の稚魚が10センチにまで成長しました。魚を見たことのなかった近所の子どもたちが珍しそうに見に来ました。
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   4年目に、試しに食べごろのニジマスや鯉を100キロほど市場に出してみると、あっと言う間にすべて売り切れてしまいました。牛や豚、鶏などの肉を食べないヒンズー教徒の多いネパールでは、魚は貴重な動物性たんぱく質源として歓迎されたのです。ムスタンの鯉はヒマラヤ山麓の水で養殖しているので美味しく、ニジマスも刺身で食べられるほどでした。
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   近藤は本来、果樹の専門家です。
   JICAの時代にムスタンの状況を調べ、耐寒性の強いりんご等の果樹栽培を提案していたのです。その提言に従い、過去にもネパール政府がりんご栽培に乗り出したことがあったのですが、失敗していました。それも指導すべき技師たちが、ムスタンのあまりにも苛酷な気候に耐えきれず、定住を拒否したからなのです。
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   近藤は自分の提言は決して間違ってはおらず、失敗の原因は「何が何でもやり通す」という意欲の欠如と、ムスタンの厳しい気象条件にあると考えました。そんな中、リンゴ栽培に失敗したドンバ村の人々が訪れ、「助けてほしい」と依頼してきたのです。そのりんご園を見た近藤は驚きました。そこは8ヘクタールの農園地を立派な高い石垣で囲み、一番高い所に大きな貯水地が設けられており、用水路も立派に備わっていたのです。
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   しかしりんごの木の葉は小さく、ところどころに実がついてはいましたが、どの木にもただ鈴なりの小さいりんごが成り放題という状況でした。近藤は早速、村の優秀な若者を数人集めてもらい、手取り足取りで指導を始めました。若者たちは理解も早く、近藤の手足となって良く働きました。それから数年後には立派なりんごが実をつけるようになり、「ムスタンのりんご」はブランド化され、高級スーパーで取り扱われるほどの立派なりんごになったのです。
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   近藤の功績はそれだけではありません。
   小学校や中学校など、合わせて17の学校を作りました。現地では考えられることもなかった学校給食をスタートさせ、さらに病院まで作ったのです。こうした功績が高く評価され、2013年にネパール政府から、最高栄誉となる「スプラバル・ジャナセワスリー1等勲章」を、外国人としては初めて受賞しました。
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   ムスタンでは近藤を知らない人はいません。
   彼がどこへ行っても子どもからお年寄りまで、「近藤バジェ(おじいさん)、ナマステ(こんにちわ)!」と挨拶していました。
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   そして2016年6月9日、現地の人に愛された近藤は肺炎のために亡くなりました。94歳でした。最後までネパールのために尽力した近藤は、こんな言葉を残しています。
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   「真の国際協力は深い人間愛であり、決して物資や金品の一方的供給ではない。それは支援を受ける人々が心から感謝し、自らが立ち上がる努力を払う時、はじめてその真価が現われる」「ボランティアやNPOもこういう日本人の根性を勉強しなければいけない」
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   世界にはたくさんの活躍する日本人がいます。
   ですがその多くは知られることなく海外で奮闘しており、後に伝説として語り継がれるのです。近藤享(とおる)もそのうちの1人でしょう。日本人としてぜひ知っておきたい英雄です。
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コメント

はじめまして、この掲示板を知ることでまだまだ自分ができることはあるぞとおもいました。
諦めるのはやめです。ありがとうございました。

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