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・日本は仕方なく「併合」しなければならなかった

「反共の防波堤」としての韓国
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   昭和61年(1986年)、中曽根康弘内閣の文部大臣であった藤尾正行が、『文藝春秋』(<昭和61年10月号>)の対談での失言によって、中曽根総理から罷免(ひめん)されるという事件があった。その失言とは「韓国併合は合意の上に形成されたもので、日本だけでなく韓国側にも責任がある」というもので、現在であれば何の問題にもならない発言であった。当時はインターネットが一般利用される前の時代であり、左翼メディアの絶頂期であったから、藤尾大臣は「侵略戦争を肯定した極右」として袋叩きに遭った。
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【中曽根康弘】
  1986年の自民党全国研修会での講演において、中曽根総理は人種差別発言を行なっている。「アメリカには黒人とかプエルトルコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって、平均的に見たら(知的水準が)非常にまだ低い」「アメリカでは今でも黒人で字を知らないのがずい分いる」
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  アメリカから抗議を受けて、中曽根総理は謝罪したが辞任はしていない。だが藤尾正行文相が「韓国併合は合意の上に形成されたもので、日本だけでなく韓国にも責任がある」と発言した際には、韓国から抗議を受けると直ちに罷免したのだ。
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   やがて韓国政府が「極右妄言政治家」と非難を始めるに及んで、中曽根総理は「日韓関係を損なわないようにするため」藤尾大臣を罷免することを決議したのだった。当時はまだソ連が崩壊する前の時代の東西冷戦の時代であり、日本では韓国について「共産主義に対する防波堤であり緩衝地帯」という認識だったのである。日本にとっては西側の一員である韓国が朝鮮半島に存在することは国防上必要なことであるので、韓国を支援しなければならないと考えられていたのだ。
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【東西冷戦】
  第二次世界大戦後、世界各国がアメリカを中心とする資本主義陣営とソ連を中心とする社会主義陣営に大きく二分されて生じた対立構造のこと。1989年、マルタ会談において米国ブッシュ大統領、ソ連ゴルバチョフ書記長による冷戦終結宣言が行なわれ、1991年にソ連が崩壊して冷戦は終了した。
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   だから日本(とアメリカ)は天文学的な額の援助を韓国に与え、さらに技術も与えて、韓国の発展に協力してきたのだ。韓国は日本の領土である竹島を軍事占領したり、歴史問題で日本に無理難題を吹っかけてくるなど、いろいろと目に余ることもあったが、反共の防波堤という地政学的な価値から、日本は韓国のやりたい放題を黙認してきたのである。
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   だが、この冷戦時代の日本による甘やかしによって、韓国は極限まで増長していった。反日をどれだけやっても日本は怒るどころか逆に謝ってくるので、韓国人は「日本には何をしても許される」などと思い込むようになったのだ。日本を敵視して攻撃を加えながらも、困った時は真っ先に日本に助けを求めるという韓国人の理解しがたい性質は、このような原体験によって育まれたのかもしれない。
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日本にとって韓国に地政学的価値はない
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   そもそも朝鮮半島を大陸からの防波堤とする考え方は、ロシアの南下に危機感を覚えていた明治政府の時代から始まったものであった。当時のロシアは不凍港を求めて南下政策を推し進めていた。そのためすでに清から満州の沿岸地方を割譲させており、さらに朝鮮半島をその手に収めようとしていたのだった。それに対する日本の国家戦略は「朝鮮を清(中国)の属国から独立させ、近代国家に生まれ変わらせて、ロシアへの防波堤とする」というものであったのだ。
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【満州の沿岸地方】
  1860年の北京条約によって清から割譲され、この辺りはロシア帝国の領土となった。ロシアは沿岸地方南部のウラジオストクに軍港を建設し、シベリア鉄道の延長工事を開始した。ロシアはさらに満州全域、朝鮮半島へと勢力を伸ばしていったことで日本と衝突し、これが日露戦争になったのである。
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   明治27年(1894年)からの日清戦争に勝利した日本は、清に朝鮮の独立を認めさせた。その後、朝鮮を近代化させようとさまざまな援助を行なったが、朝鮮人は独立心に目覚めることなく、これまで事大(弱者が強者の言いなりに従う)とする清に代わり、今度はロシアに事大するようになったのだ。
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【ロシアに事大】
  1896年2月、李氏朝鮮第26代王高宗は、ロシアに事大してロシア大使館内に住居を移している。翌年の2月までの1年間、彼はロシア大使館内で朝鮮王朝の政務を執り行った。その間に鉱山や土地などの利権が、ロシアに譲り渡されてしまったのだ。
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   このように朝鮮人というのは有史以来の筋金入りの属国民であり、常に大国に事大していないと落ち着かないのである。当時の朝鮮人は落ちぶれた清の代わりの事大先として三国干渉に屈した新興の日本ではなく、古い大国であるロシアを選んだのである。
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   こうして朝鮮半島をロシアの防波堤とする国家戦略は、朝鮮人の筋金入りの事大精神によって頓挫したのだ。両班(貴族)階級を中心とする支配層は、自分たちの特権が失われるのを嫌って近代化を妨げたばかりか、進んでロシアの属国となることで、自分たちの身分と特権を維持しようと考えたのだった。朝鮮半島がロシアの領土になるのは時間の問題となり、日本としては安全保障上の観点から看過(かんか)することはできず、無謀とも思える対ロシア戦争を決意せざるを得なくなったのだ。
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   日露戦争に日本が勝利すると、朝鮮人は今度は日本に事大する(弱者が強者の言いなりに従う)ようになり、一進会などの朝鮮の民間団体は日本に対して、日韓合併(併合)を求めて署名運動まで行なったのである。そして併合反対派の代表格であった伊藤博文元総理は、満州で安重根というテロリストに殺害されてしまった。結局、日本は朝鮮半島を併合し、膨大な予算を投入して朝鮮半島の近代化と朝鮮人の教育を行なったのである。
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【一進会】
  公称では80万人の会員を擁していた朝鮮最大の政治結社のこと。一進会は1909年12月に「韓日合邦建議書(韓日合邦を要求する声明書)」を純宗、李完用首相、曾禰荒助韓国統監に送り、韓日合邦(日韓併合)を要請した。
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.【安重根】
  1909年10月、満州のハルビン駅構内で前韓国統監の伊藤博文を殺害した朝鮮人テロリストのこと。彼はロシア官憲に逮捕された後、日本の関東都督府に引き渡された。翌年2月に死刑判決を受け、3月に死刑執行された。安重根の死刑から5ヵ月後の8月、日韓併合により大韓帝国は消滅した。併合反対派だった伊藤の死によって、日韓併合が不可避(避けられなくなった)ともいわれている。
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   要するに明治期の日本が清やロシアという大国と戦争する羽目になったのは、朝鮮人のためだったのではないか。朝鮮人が独立心も気概もなく、近代国家を運営する能力に欠けていたから、日本は朝鮮の代わりに戦争をしたのであり、結局、大陸からの防波堤として朝鮮が機能したことはただの1度もなかったのである。
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朝鮮半島は害しか生み出さない場所
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   そして第二次世界大戦後、朝鮮半島の北側が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、南側が大韓民国(韓国)として独立した。ここでまた朝鮮半島(韓国)の防波堤としての役割が期待されるようになった。アメリカからも韓国は、ソ連・中国・北朝鮮から日本を守るための緩衝地帯として位置付けられたのだ。
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【朝鮮民主主義人民共和国】
  日本政府は1965年に締結された日韓基本条約において、韓国政府を朝鮮にある唯一の合法的な政府とすることで合意している。日本政府は北朝戦を公式に国家として承認していないので、日朝間には正式な国交はない。
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   だがちょっと思い出してほしい。
   第二次世界大戦後、東側陣営のソ連・中国・北朝鮮と日本は戦争をしてはいないことである。そして第二次世界大戦後に日本に戦争を仕掛けてきた唯一の国が、同じ西側陣営の韓国なのである。昭和27年(1952年)、韓国は日本領土である島根県の竹島に軍隊を上陸させて占領し、そして多くの日本人を虐殺しているのである。
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   さらに過去の歴史をたどっていくと、元寇(げんこう)は朝鮮人によって引き起こされたという見方もあるのだ。中原を制覇したモンゴル(元)が朝鮮半島に迫って来ると、高麗はあっさりと降伏して元の属国となった。高麗王が元の皇帝に対して執拗に日本侵略を勧めていたことが、中国の史書からも明らかになっている。
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【忠烈王】
  第25代高麗王(在位1274年~1308年)。『高麗史』によると、忠烈王は元の皇帝に日本討伐の必要性を説き、兵力と経費の提供まで申し出て、執拗に日本侵略を勧めていたのだ。つまり元寇は、高麗が積極的に進言したことで引き起こされたとも言えるのではないか。
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   1274年の文永の役では、約4万人のモンゴル軍のうち、実はその半数が朝鮮人(高麗人)だったともいわれている。対馬に上陸して非戦闘員の住民を大虐殺し、さらに狩り集めた女性の手に穴を開けて、縄を通して数珠つなぎにして、「強制連行」したのが朝鮮人だったのだ。
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   過去の歴史を振り返ると、朝鮮半島が防波堤や緩衝地帯として役に立ったことは一度もなく、それどころか日本は韓国から竹島奪還という領土侵略を受けているのである。朝鮮半島とは昔からそして現在も、常に日本侵略の震源地であり、日本に対してほとんど害しか生み出さない場所ではないだろうか。
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【有史以来の属国民】
  高麗時代の朝鮮人は、中国に事大して中国人風の名前に「創氏改名」していたが、元の属国になると先を争うようにモンゴル人風の名前に「創氏改名」し、漢民族王朝の明が成立すると、再び中国人風に「創氏改名」したのだ。朝鮮人というのは、ご主人様が変わるたびに名前もコロコロ変えていた。見事なまでの属国根性ではないだろうか。
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       余命三年時事日記
           『共謀罪と日韓断交』 余名プロジェクトチーム編 青林堂
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                                            抜粋
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   多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。
 

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