« ・憲法9条のために竹島を守ることも取り返すこともできない | トップページ | 忘れてはならない「李承晩ライン」の悲劇 »

・日本こそ「千年の恨み」がある

  韓国・朝鮮人が日本に対して抱いている「千年の恨み」は、反日教育で植えつけられた”逆恨み”に過ぎません。実際には日本のほうこそが、韓国に対して正真正銘の「千年の恨み」があります。ですが「和」を重んじる日本人は、その恨みをあえてこれまで水に流してきたのです。しかし世界中で日本人を鬼畜のように喧伝(けんでん)されたのでは、もはや黙ってはいられません。彼らの反日妄想からの覚醒と自省を促すために、韓国・朝鮮人が日本に対して過去に、どのようなことを行なったのか、その残虐行為の数々を彼らに突き付けましょう。
.
(1)元寇は”高麗寇”だった
.
  1274年の文永の役と、1281年の弘安の役の2回にわたり、元軍は日本に大挙して侵攻して来ました。ですが実はその時、多くの日本人を惨(むご)い方法で虐殺したのはそのほんどが高麗兵だったのです。記録に基づいてその実態を確認してみましょう。
.
高麗兵による「文永の役」の虐殺
.
  文永11年10月5日、蒙古人と漢人からなる混合軍2万人に加え、金方慶(キムパンギョン)が率いる8千人の高麗軍を乗せた900隻の元軍船団が、最初に対馬(つしま)を襲いました。それに対し、手勢80騎で立ち向かった宗助国(そうすけくに)は奮戦むなしく、多勢に無勢で討ち死にし、日本軍を打ち負かした元軍は対馬島内に侵攻し、老人や子供までことごとく斬り殺し、地獄のような有り様となりました。女性は生け捕りにされたうえ、手の平に穴を開けられ、そこに綱を通して船ベリに結び付けられたといいます。この時の様子が、蒙古来襲関連資料『伏敵編』(山田安栄編)の中の『高祖遺文録』(日蓮の遺文を集めたもの)に次のように記録されています。
.
  去(さる)文永十一年太蔵甲戌(こうじゅつ)十月ニ蒙古国ヨリ筑紫(ちくし)ニ寄セテ有りシニ、対馬ノ者カタメテ有シ、総馬尉(そうまじょう)等逃ケレバ、百姓等ハ男ヲ或(あるい)ハ殺シ、或ハ生捕リニシ、女ヲハ或ハ取集テ、手ヲトヲシテ船ニ結付、或ハ生捕リニス、一人モ助カル者ナシ。壱岐(いき)ニヨセテモ又如是(かくのごとし)」
.
  百姓とは一般人のことであり、この記録にははっきりと一般人の男は殺されたり生け捕られ、女性は手に紐(ひも)を通されて船に結わえ付けられたり、生け捕りにされて一人も助かるものはなく、壱岐でも同じだったと書かれています。さらに編者の山田安栄氏はこの部分に、次のような解説を加えています。
.  
  「索ヲ以テ手頭ト手頭トヲ連結シタルニ非ズシテ、女虜ノ手掌ヲ穿傷シ索ヲ貫キ舷端ニ結付シタルヲ謂フナリ。日本書記天智帝二年紀ニ、(百済王豊璋嫌福信有謀叛心以革穿掌面縛)トアリ以テ證スベシ」
.
  つまり編者は、「百済(くだら)王豊證(ほうしょう)が、福信に謀叛(むほん)の心があるのを嫌って、革をもって掌(たなごころ・手の平)を穿(うが)ち縛る」という記述が日本書記にあることから、古来より朝鮮半島には手に穴を開けて革や縄を通すやり方があり、捕らえられた女性たちは縄で手を縛られたのではなく、手に穴を開けてそこに縄を通されたと断じています。それが朝鮮半島の伝統的行為である以上、壱岐・対馬での残虐行為は当然、高麗兵の仕業(しわざ)だったのです。
.
  その後、博多湾に上陸した元軍は、日本軍の激しい抵抗に遭って、わずか1日で退却し、博多湾を出たとたんに暴風雨にあって大半の船が沈没しました。それでも逃げ延びた元軍は帰途、再び壱岐・対馬に上陸して童男、童女二百人あまりを捕らえてフビライ王に差し出しました。せめてもの戦功としたかったのでしょう(注1)。(注1)『元寇』(監修白石一郎、元寇七百二十年記念事業実行委員会発行)
.
高麗王がフビライをけしかけた「弘安の役」
.
  弘安4年5月、元軍は再び日本を襲いました。今回は東路軍4万人、軍船900隻、江南軍10万人、軍船3500隻で前回よりはるかに大軍でした。実はこの第2回目の日本侵攻をフビライに勧めたのが、高麗の忠烈王だったのです。彼は1278年にフビライに対して、次のように訴えています。
.
  「日本はただの野蛮な国でありながら、交通の難しいのをいいことに元朝に来貢せず、あえて皇帝の軍隊に抵抗しています。わたしが思いまするに、(あの国は)元朝の徳に報いることはありません。この際、船を造り食料をためて、罪を強調して討伐しようと思います」(『高麗史日本伝』家089、注1)
.
  そして忠烈王は自ら第二の長官として東路軍の統轄者となり、出発地の合浦(ごうほ)で軍馬を閲兵して東路軍を送り出したのです。(注2)”元寇”はまさに”高麗寇”ともいえるものでした。
   (注1)吉川広文館『蒙古襲来』新井孝重より
   (注2)光風社出版『蒙古襲来』山口修より
.
「千年の恨み」の高麗兵の残虐行為
.
  「弘安の役」では、合浦を出た東路軍はまず独自で壱岐・対馬を攻めました。対馬へは高麗軍のみが上陸し、文永の役を上回る残虐な殺戮を行ない、対馬は再び阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵の世界となりました。その時の高麗兵の残虐行為について、『日本思想体系20』所収の『八幡愚童記下』は次のように記述しています。
.
  「ソノ中ニ高麗ノ兵船五百艘ハ壱岐・対馬ヨリ上リ、見ル者ヲバ打殺ス。人民堪兼難(たえかね)テ、妻子ヲ引具シ深山へ逃入処(のがれいるところ)ニ、赤子の泣声ヲ聞付テモ押寄ケレバ、片時ノ命モ惜ケレバニヤ、サシモ愛スル緑子ヲ我ト泣々害シツツ、世ノ中ニ最惜キ(もっともおしき)物は子也ケリ 其ニ増(まさ)ルハ我身也ケリ」
.
  高麗の兵は山奥まで掃討しており、赤子が泣けばこれを聞きつけて高麗の兵がやってくるので、泣く泣く我が子を殺すという凄惨な状況が繰り広げられていたのです。この折、壱岐に攻め入った元軍は島民を捕らえ、妊婦の腹を裂いては胎児を掴みだし、乳呑み児は股を引き裂き、捕らえた男女は耳や鼻を削(そ)ぎ、その苦しむさまを見て楽しんだと言われています。また、ここでも女は犯されて手に穴を開けられて船べりに吊るされたそうです。(注1)
.
  高麗の兵船が特に”残虐的”だったという分析もあり(注2)、実際に700年後の高麗兵の子孫である韓国軍が、同じような残虐行為をベトナムでやっています。当時の島民が、高麗兵の手にかかるのを恐れ、自分の愛する赤子を殺してしまうという、切羽詰まった気持ちも当然かもしれません。元軍は再び、暴風雨(神風)によって壊滅しましたが、高麗兵が犯した残虐行為は日本人に大きな傷跡を残しました。
.
  これを読む読者の皆さんは、「むくりこくりの鬼が来る」という言葉をご存知でしょうか? ”むくり”は”蒙古”で、”こくり”とは”高麗”の意味であり、子どもを脅して言うことを聞かせるための言葉です。「むごい」という言葉の語源とも言われています。蒙古人と高麗人の恐ろしさが日本人の心にしっかり刻まれ、それがこのような言葉として現在でも残っているのです。
.
  文永の役からまだ7百数十年しか経ていません。朴槿恵前大統領が「千年の恨み」と言うのなら、まず壱岐・対馬に「高麗軍蛮行の碑」を立て、教科書にもしっかりと高麗兵の残虐行為を書き、”高麗寇”被害者遺族に心からの謝罪と補償をするのが先決ではないでしょうか?

 (注1)『元寇』(監修白石一郎。元寇720年記念事業実行委員会発行より
 (注2)『SAPIO』2001年9月26日号「『蒙古襲来』で壱岐・対馬を蹂躙した高麗軍の蛮行は忘れられたか――東北女子大教授太田弘樹」より
.
(2)終戦時に日本婦女子に行なわれた暴虐・非道
.
  終戦後、博多湾に入港した引揚船から降りて来る女性たちの多くは、一様に目を背けるほどの悲惨な姿をしていました。当時、在外同胞援護会の医師をしており、引揚者の診療を行なっていた西岡利之氏は『ある戦後史の序章――MRU引揚医療の記録』(西日本図書館コンサルタント協会編)のなかで、次のように述べています。
.
  「程度の差こそあれ、引揚者は一般に粗悪なみすぼらしい服装で、一見して敗戦国民の印象が強かった。極端な例は、引揚婦人の中には文字通り一糸も纏わぬ全裸か、あるいはそれに近い状態で、ただ局部に布切れや一塊の古綿を当てがっただけの姿で、担送下船して来たのを見たときは、一見屍体(したい)かと見間違うような哀れさであり、敗戦国の悲惨さ、口惜しさに暗澹たる気持ちになったことが、今更のように思い出される。また北鮮・満州・北支(那)等から引き揚げてきた若い婦人たちの多くは断髪し、女性の命ともいうべき顔面などを煤(すす)などで故意に汚し、胸部は厚く布を巻いて乳房を圧し、ズボン姿の男装が多く、その脱出の苦労が察せられた」
.
極悪非道の朝鮮保安隊
.
  終戦後、2週間も経たないうちに、朝鮮半島の38度線以北はソ連軍が全面的に制圧し、治安維持の名目で朝鮮人による保安隊が組織されました。そして彼らによる日本人圧迫と虐殺が始まったのです。当時を体験した人たちの証言を挙げます。北朝鮮の興南(フンナム)市に居住していた鎌田正二氏は月刊誌『潮』昭和46年8月号「引揚者100人の告白」の中で次のように書いています。
.
  「ここでは特に、咸鏡北道(ハムギョンプクト)からとるものも取りあえず難を避けて南下、厳寒に越冬した人たちの実情を拾ってみる。吉州(キルジェ)や端州(タンシュウ)の海岸線に出た人たちに対する、ソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と横暴は残酷を極めた。夜中に雨戸を蹴破って侵入して来たソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。娘は明け方になり無残な姿で、涙も枯れ果てて幽鬼のごとく帰って来たという。それらはみな朝鮮人がソ連兵を手引きしたのだった。
.
  部落ごとの保安隊の関所では厳重な身体検査が行なわれ、金や着物や米などが取り上げられた。靴の底や女の髪の中から金を探し出すのはふつう。一糸まとわぬ裸にされ、取り調べられた若い女性もあった」
.
  さらに前出の「ある戦後史の序章」には、避難民救済活動を行なっていた石田一郎氏の手記が掲載されています。
.
  「すでにジャーナリズムや文学などによって紹介され尽した観はあるが、満州からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦がおり、彼らは年頃の娘2人を連れ、辛苦の末にやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。だがそこで見たものは、日本人の娘たちが次々にまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されて、さらにさんざん辱められたうえ、虐殺されている光景であった。せっかくここまで連れては来たが、最愛の娘たちもまもなく同じ運命をたどるであろうと不憫に思い、近くの林の中の松の木に縊(くび)って自決させたという。これは娘たちの遺髪ですと言って、私に見せてくれたが、もう涙も涸れたのか、淡々と他人(ひと)事のように語る表情の中に、私は深い悲しみを見た」
.
  当時の状況を知るには、この2つの証言だけでもう十分でしょう。他に悲惨な話はいくらでもありますが、これ以上載せる気がしません。
.
超法規堕胎病院「二日市保養所」
.
  厳寒が終わり昭和21年(1946年)の春になると、38度線を脱出しようとする女性たちが、ソ連兵や朝鮮人に暴行されて妊娠させられたり、性病に冒されて帰国する女性たちが激増しました。昭和21年3月に、釜山日本人世話人会により婦人に対する調査が行われましたが、検診者885人のうち暴行被害者が70名、性病罹患者が19名もいました。実に約1割が被害者だったのです。引き上げ船が博多湾に入る時、海に身を投げる女性もいました。それも当時は堕胎が法律で禁止されていたために、犯されて身ごもってしまった子どもを、どうすればいいかと思い悩んだ末のことだったのです。
.
  そのような暴虐の犠牲となった女性たちを何とかして救おうと、民間組織である在外同胞援護会救療部が立ち上がり、厚生省引揚援護局の協力を得て「二日市保養所」という施設を福岡県二日市町につくりました。厚生省はこの施設に限り、超法規的処置として「強姦によって妊娠した女性たち」の堕胎手術を黙認し、その運営資金を提供しました。実際の医療活動はすべて援護会救療部が行ない、性病に罹った女性たちについても病気が回復するまでこの施設に匿(かくま)い、治療を続けることができました。(注1)
.
  当初は「恥を晒(さら)したくない」と考えて、被害を隠したまま船を降りると港を去る女性も多かったようですが、当人のプライバシー厳守を徹底し、やがて救護活動は順調に進むようになりました。
   (注1)『水子の譜』(上坪隆 社会思想社)より
.
ソ連兵より朝鮮人から受けた被害が圧倒的に多かった
.
  二日市保養所の医務主任を務めた橋爪将氏により提出された、昭和21年(1946年)6月10日付現状報告書(注1)には、次のような事実が報告されています。
.
  「不法妊娠ヲ地区別ニ分類スルニ北鮮24にして最多、南鮮14、満州4、北支3ノ順ニシテ鮮人に因(ヨ)ルモノ28、ソ連人に因るモノ8、志那人ニ因ルモノ6、米人ニ因ルモノ3、台湾人、比島人ニ因ルモノ各1ナリ」
.
  この時期は、北朝鮮経由の帰還者の比率が多いために、北朝鮮で暴行されたケースが多くなるのは当然としても、朝鮮人による暴行はソ連人によるそれの3倍に達しています。日本人女性に暴行を加えた者の圧倒的多数は朝鮮人だったのです。
.
  韓国が慰安婦問題で日本を貶めようとするいまこそ、終戦時に多くの日本女性が朝鮮人に凌辱され、虐殺された真実の歴史を突き付けて糾弾すべきでしょう。「それは北朝鮮がやったこと」などという言い逃れは許しません。「大韓民国憲法第三条(領土)」には、韓国の領土は「韓半島(注2)および付属の島嶼(とうしょ)」ときっちり書いてあります。韓国の憲法上、北朝鮮も韓国であり、北朝鮮は同胞のはずです。(注2)「韓半島」は韓国における「朝鮮半島」の呼称。
.   
.
        『こうして捏造された韓国「千年の恨み」』松木國俊著 WAC
.
                       抜粋
.
.
.
  多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。

« ・憲法9条のために竹島を守ることも取り返すこともできない | トップページ | 忘れてはならない「李承晩ライン」の悲劇 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« ・憲法9条のために竹島を守ることも取り返すこともできない | トップページ | 忘れてはならない「李承晩ライン」の悲劇 »