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忘れてはならない「李承晩ライン」の悲劇

    .サンフランシスコ講和条約発効3か月前、そして日韓会談開始の1か月前である1952年1月18日、韓国の李承晩大統領は突如、「海洋権」を宣言し、公海上にいわゆる「李承晩ライン」(以下、李ライン)を引いて漁業資源独占を画策したのです。
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   この李承晩大統領の「海洋宣言」は、アメリカ大統領の「トルーマン宣言」をもとにしたものでしたが、この「トルーマン宣言」はあくまでも関係国間の協定によって保護区域を設けようというものでした。1948年12月にチャップマン国務相漁業補佐官は「トルーマン宣言」は領域外に主権を行使しようとするものではなく、また漁業者がどの国籍に属し、どの漁業を為すものであっても、これを排除しようとするものではない」と説明しています。
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   ですが李ラインは、当時のどのような国際法をもってしても正当化できるものではなく、当然、日本政府はこれを拒否しました。朝鮮海峡は西日本の漁民が長年かけて開拓した漁場であったので、ここを奪われては死活問題だったのです。しかし韓国側は一方的な李ライン設定を強行し、その後、14年にわたり日本の漁民は塗炭の苦しみを味わうことになりました。
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  この間の韓国の日本漁民虐待については、日韓漁業協議会発行の『日韓漁業対策運動史』に詳細が記載されているので、同書に基づいて当時の実態を明らかにしていきます。
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「マッカーサーライン」に代わる「李ライン」設定
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  日本漁船が韓国艦船に拿捕(だほ)される事件は、実は李ライン設定以前から頻繁に起きていました。それも日本漁船の操業区域を限定する「マッカーサーライン」を侵犯したという理由で、非武装の日本人漁船員を無慈悲に銃撃し、乗組員を殺害したことが何度もあったのです。当時の韓国に日本漁船の取り締まりを行なう権利などあるはずもなく、当然銃撃は不法であり、射殺は完全な殺人であったにもかかわらず、アメリカの占領下にあって外交権のなかった日本は抗議すらできず、泣き寝入りを強いられていたのです。
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  このマッカーサーラインは前章でも触れたように、他の制限とともに1952年4月にサンフランシスコ講和条約発効の直前に廃止されており、晴れて独立国となった日本は国際法に則って公海で漁業ができることになりました。しかし韓国は日本独立の直前にマッカーサーラインに代わるものとして、勝手に李ラインを設定しており、公海上で正当に漁業している日本漁船を韓国の警備艇は「李ライン侵犯」を理由に拿捕し、漁船員を釜山に連行しては一方的な裁判により刑を科すようになったのです。(裁判に日本人弁護士を派遣することも韓国は正式に拒否している)
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韓国は「李ライン侵犯船は発砲・撃沈する」と宣言
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  1952年9月27日、当時、朝鮮戦争を戦っていた国連軍(ほとんどが米軍)は来た朝鮮スパイの浸透を防ぐなどの軍事上の理由から、朝鮮半島の周りに「防衛水域」を設け、このなかでの日本漁船の操業を事実上禁止にしました。この水域の警備を任せられた韓国海軍は、ここぞとばかりに国連軍(米軍)の威を借りて、防衛水域内だけでなく水域外でも、やりたい放題で勝手に日本漁船を拿捕し、朝鮮戦争をともに戦った韓国軍に甘かった米軍を当惑させました。(注1)
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  この「防衛水域」は11か月後の1953年8月27日、休戦協定調印に伴って廃止されましたが、これにより日本漁船拿捕の名分を失った韓国側は「李ライン」を再び表に出し、その同日に即座に「李ラインを実力で警備する」と宣言し、9月3日には韓国海軍が「李ライン侵犯船を発砲・撃沈する」と警告しました。その後、1965年の日韓基本条約締結に至るまで、日本漁船は常に韓国海軍の銃砲撃の脅威に曝されながら、命がけの操業を強いられることとなりました。(1955年11月には韓国参謀本部も侵犯船に砲撃するとの声明を出し、同月、韓国軍参謀長が空軍の出動も言明)
(注1)『From the Danube to the Yalu』by Mark W.Clark GENERAL,US ARMY
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丸腰の日本巡視船
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  日本政府も漁民保護のために巡視船を増派しましたが、韓国との間に武力紛争を起こすことを極度に警戒し、朝鮮海峡水域を巡視する時は搭載してある砲を取り外して出動させられました。しかしこの処置はむしろ、かえって韓国側に「日本艦艇は何をされてもどうにもできない」と思わせることになり、結果的に彼らはより自由気ままに暴行を行なうようになったのです。
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  武器のない日本巡視船は韓国警備艇と漁船との間に割って入り、身を挺して漁船乗組員を守る以外にできることはなく、1954年には巡視船「さど」が韓国艇に銃撃されて済州島に連行され、釈放を求めた巡視船「くさなぎ」も銃撃されました。その後も巡視船への発砲は続き、1959年には第27松島丸を救うために接近した巡視船「こうず」が銃撃を受け、松島丸の漁労長は大腿部に貫通銃創を受けました。
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  1961年9月には、巡視船「ひらど」が猛烈な銃撃を受けて、瀕死の状態で帰って来ました。「ひらど」の無残な姿をテレビニュースで見て、「なぜやられっぱなしなのだ!」、と子ども心に強い怒りを感じたことを、私は今でもよく覚えています。
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日本の漁船が拿捕された時の状況
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  拿捕されて韓国で抑留生活を送った経験のある乗組員によって、昭和33年に組織された韓国抑留船員協議会がまとめた『韓国抑留生活実態報告』では、各漁船が拿捕された時の状況には、次のような共通点があることを明らかにしています。
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1、日本漁船が公海において航海・操業中であろうと、李ラインの内外を問わず拿捕された。
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2、拿捕の際、韓国警備艇の銃撃を受けて、人命や船体に危機が生じ、逃げることが不可能となって停止し、拿捕された。
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3、韓国警備艇は日本漁船を拿捕すると、一方的に位置確認書を作成し、捺印を強制した。
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4、韓国の警備艇は夜間無灯火で、日本漁船に接近していた。
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5、巡視船の積極的救助を受けていない。
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6、船備品(海図、航海器具、ロープ等)および漁獲物を強奪、横領。
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7、韓国警備艇員の極端な反日、侮辱的言動があった。
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8、取り調べは一方的に行なわれた。
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  このような状況下で、日本の業界の一部では日本の巡視船の武装による日本漁船保護の要望が出され、それが叶わないなら自ら猟銃を持って、相手の暴挙に備えるしかないという悲壮な議論も出たのです。昼夜を問わず、韓国の銃撃と拿捕の危険に曝されていれば当然のことです。
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【コラム】拷問による自白を強制
  『日韓漁業対策運動史』には、韓国海洋警察隊で行なわれた調書作成の様子の事実が明らかにされています(以下、本文引用)
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 「出港祝いの酒盛りの中でと、出港直前にデッキに皆が集まって、平和ライン(李ライン)を侵犯して操業する共同謀議を行なったろう?」
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 「地下牢にぶち込んで真っ裸にし、氷水を腹の中に押し込んでやろうか?」
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 「あくまでデタラメを言って、あのようにされたいか?」
などと言い、無理矢理に嘘の調書を作成しようとするのである。
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  「あのようにされたいか」と指しているのは、調書作成に当たり、韓国警備艇員が他に拿捕した日新丸と大邦丸の船員を、その時こん棒で殴りつけているところを見ながらそう言ったのだ。
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悲惨な抑留生活
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  さらに『韓国抑留生活実態報告』は抑留生活の実態を暴露しています。
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 「部屋は雑居房と独房があり、雑居房は約2間四方より少し小さく、雑居房には20人前後が、独房には6人収容で、手足だけでなく体も重ね合って寝なければならず、窮屈をきわめた」
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 「洗濯は当初全くできず、看守の目を盗み房内で、食器を洗った後の汚水で下着類を洗った。
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 「外部との接触は厳重に禁止され、彼ら公務員を通して物一つ購入するにも手数料が取られ、家族から送られてきた差し入れや慰問品も安く買い取られた。警備隊長から単なる警備員に至るまで、抑留者の膏血(こうけつ)を絞る人間たちだった。
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 「食事の不潔さは言語に絶し、カビの生えた麦、腐敗した魚などはしょっちゅうで人間の食事ではなかった。自炊ができたので、私物を売って中の売店から材料を購入することができた。だがその自炊もやがて禁止され、ほとんどの者が栄養失調に陥った。
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  そしてついに昭和31年12月には、品川国松氏が栄養失調で死亡した。その後、外から視察団が来たが、その時は麦飯の上に白米をかぶせてごまかしていた。視察団も事前に脅迫されていて、収容者の声を伝えることはできなかった」
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【コラム】大邦丸事件
  昭和28年(1953年)2月4日、済州島西方20浬(カイリ)で操業していた第一大邦丸に韓国漁船が接近し、「魚は取れますか」と日本語で話しかけ安心させておいて、突如発砲し、第一大邦丸は操舵室に42発、機関室に32発、その他合計78発を撃ち込まれた。銃撃で瀬戸漁労長が頭部を負傷したが、船はそのまま拿捕されて済州島へ曳航(えいこう)された。到着後、浜船長や同僚が瀬戸漁労長を助けるべく、韓国側に必死に治療を求めたが韓国側は対応せず、その日の夜遅く、瀬戸漁労長は死亡した。
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  日本政府は抗議したが、韓国側は「国籍および目的不明の船の乗組員の1人に、警告発砲による誰何(すいか)を強行する合法的目的のために行なった銃弾で負傷した」と正当化し、さらに「国際平和を不謹慎に無視し、韓日両国政府の威信を尊重しなかった貴国一部漁夫の軽率な態度だ」と言い放った。日本側の第一大邦丸はブリッジの横に「日の丸」と漁船登録番号を表示しており、操業中であることは遠くからでも確認可能だった。攻撃は「日本漁船の弾圧」そのものが目的であったことは明白である(『日韓漁業対策運動史』)より。
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  (拿捕された日本漁船328隻の漁船名の一覧がp.201~209に掲載)
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韓国の裁判所が下した「刑期」満了後も「人質」として抑留
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  韓国による日本漁船の拿捕は昭和26年から始まっており、それまでは韓国の裁判所が下した「刑期」は半年から1年でしたが、昭和29年後半からは「刑期」を満了した抑留者や裁判に附せられなかった年少者すら釈放しなくなりました。日本が抗議すると、韓国側はその代わりに、日本の大村収容所に収容されている韓国人全員を釈放せよと要求してきたのです。
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  当時、大村収容所には朝鮮半島からの密航者1千人と、犯罪の刑期は終えているものの、母国である韓国が彼らの受け入れを拒否しているために、韓国へ強制送還ができず、身元引受人がいないために日本国内で釈放もできない朝鮮人凶悪犯が、約400人収容されていたのです。韓国側は「大村収容所では朝鮮人8人が劣悪な環境のなかで死亡したため、韓国の世論は激高しており、ただちに全員釈放せよ。さもなくば釜山の刑務所にいる日本漁船員はたとえ刑期を満了しても返さない」と言ってきたのでした。
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  実際には大村収容所での死亡者は4人であり、原因は肺結核2人、脳溢血1人、仲間内の喧嘩による死者が1人でした。病気死亡者は完備した医療施設における治療のうえでの死亡であり、金銭問題が原因による仲間同士の喧嘩の死亡は日本の責任ではありません。
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「朝鮮人凶悪犯を日本国内で釈放せよ」
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  日本の出入国管理令では、日本国内で犯罪を犯して1年以上の刑に処せられた者は刑期満了後、国外退去させることができます。そして大村収容所には前科11犯、12犯の凶悪な犯罪者もおり、当然、国外退去させるべきです。それに国際慣例から言っても密入国だけでなく、受刑者・生活無能力者はその出身国で引き取る義務があります。
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   しかしもともと何の罪もない拿捕された抑留者と、悪質な犯罪者である凶悪犯や密航者を引き合いに出して、相互取引すること自体、まったく筋が通りません。さらに韓国は密航者は韓国に引き取るが、凶悪犯は引き取りたくないので日本国内で釈放せよ、と要求してきたのです。現在、日本国内にいる在日韓国・朝鮮人も凶悪犯と一緒にされては大迷惑でしょう。こうして交渉はしばらく膠着状態となりました。
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「身代金」を1億ドル出せ
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  すでに述べましたが、李ラインは日韓交渉直前に一方的に設定されたものであり、竹島を韓国側に取り込むことで漁業資源独占を図り、当初から日韓交渉を有利に進めるために利用しようとする狙いがありました。そして1957年、韓国の曹外務部長官が「日韓問題解決の”合理的”方法」として、次の3条件を日本側に提示しました。つまりあからさまに、李ライン侵犯として拿捕された日本人抑留者の釈放問題を日韓会談と絡(から)めてきたのです。
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(1)大村収容所の韓国人と釜山収容所の日本人漁夫を相互釈放する。
(2)日本は財産請求権を放棄し、久保田発言(日本は併合時良いこともしたという主旨)の撤回を正式に表明する。
(3)第四次会談準備に関する話し合いをする。
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  ”人質”を取られている日本側は妥協する以外ありません。
  (併合時に)朝鮮半島に残した日本人の資産返還を請求する正当な権利がありながら、4千人からなる抑留者釈放のために涙を呑んでこの権利を放棄し、韓国側の3条件を実質的に受け入れたのです。これで誰もが、今度こそ日本人が釈放されるはずと思いました。しかし韓国側は日本が条件をすんなりと受け入れたことから、「さらに取れる」と思ったようです。
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  結局、韓国は釈放には応じず、日本側が提示した「財産権は相互放棄とするが、韓国側が請求する場合は検討する」という最大限の譲歩案を蹴って、日本の財産請求権の一方的放棄を求め、さらに3条件に加え、何と1億ドルを要求してきたのです。これで日本政府は万策尽きてしまいました。
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抑留船員3929人、死者29人
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  日本の国際赤十字への訴えは効果があり、米国からの圧力もあって、1957年末、ようやく相互釈放の合意に至りました。日本側は本来なら韓国へ強制送還すべき凶悪犯400人を、韓国の要求どおり、身元引受人がないままに日本国内で釈放しました。しかし韓国側は、抑留者約500人を3年半ぶりに返したものの、日本が朝鮮人の一部を北朝鮮へ送還したことに反発して、残り約400人の送還をわざと遅らせ、どこまでも日本側をいたぶりました。
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  しかしこの後も日本漁船の韓国による拿捕は続き、韓国は漁民を抑留しては日韓交渉の取引の道具として利用したのです。その結果、1956年に「日韓請求権並びに経済協力協定」が締結され、韓国は莫大な援助を日本から手に入れることになりました。(この援助金が韓国の漢江の奇跡と言われる元となる)
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  戦後20年にわたり、韓国による不法行為によって、実に日本漁船328隻が捕らえられ、抑留された漁民は3929人に上りました。銃撃などによる犠牲者は29人、障害者となった者84人に達しています。この間、漁民が受けた物的損害の総額は当時の金額で90億円という膨大なものでした。
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  これほどの長期間(1947年~1965年)、罪もない多くの日本人を殺害し、虐待し、莫大な精神的・物質的被害を日本に与えておきながら、韓国は今日に至るまで一言の謝罪も補償もしていないのです。日本に文句を言う前に、自分たちが日本漁民に行なった残虐行為を思い出し、猛省すべきではないでしょうか。
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日本の海を守った英霊たち
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  読者の皆さんは、なぜそこまでして漁民が危険な漁場に出て行ったのか疑問に思うかもしれません。当然、生活のためという理由もあったでしょう。しかしそれだけなら、まだ命のほうが大事なはずです。仕事を替えようと考えるのも当然です。実は彼らは自分たちが出漁しなければ、「李ライン」を世界が認めてしまうことを恐れたのです。日本政府が憲法(9条)に縛られてまったく身動きがとれない中、日本漁民は銃撃を覚悟のうえで海に乗り出し、命がけで操業を続けることで李ラインの定着を防いだのです。
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  韓国の警備艇が近づいて来ると、丸腰の日本の巡視船は自ら銃弾を浴びることで日本の漁船を逃がしたのです。彼らは文字通り、身命を賭けて日本の国益を守り通してくれたのです。亡くなった方々は護国の英霊として遇するべきと私は思います。本当にご苦労様でした。
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【コラム】あまりに理不尽な出来事だった
 日韓漁業協議会事務局長の田中道知氏は 、『日韓漁業対策運動史』の「あとがき」で次のように述べています。非武装中立論者にぜひ聞かせるべきでしょう。
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  「日韓漁業紛争は世界に類例のない激しく、そして理不尽な出来事でした。銃撃、拿捕、抑留と、あたかも戦争の如きものでした。それは戦争中といえども、一般産業である漁船へは無差別攻撃はしなかったはずです。まさにこれは自衛力すら持たない、みじめな戦後日本の姿そのものと考えられます。相手から銃撃される、連れ去られる、財産生命を奪われる。これを見殺しにする哀れな姿、それが当時の日本の現実であったのです。
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  同胞の生命財産を保護する目的で派遣される巡視船は、この海域へ行く時はわざわざ砲を外していく無抵抗主義の保護でしかなく、負け犬が尾を股に巻き込む哀れな恰好でしかない。それも相手が、話せばわかる君子ならいざ知らず、理由が何であるかを問わず、銃口を向ける暴力団とあっては論外のはずなのに、わかっていてもそうするしかなかった当時の日本の力について、実に考えさせられるものがあります」
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   『こうして捏造された韓国『千年の恨み」』 松木國俊著 WAC
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                      抜粋   
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     多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。
 

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コメント

「日本国政府公務員内乱罪現行犯」コメント豊岳正彦sptnkne.ws/ezv9

総務省憲法15条下僕公務員による日本国憲法主君勤労納税子育て主権者国民家庭内テレビ洗脳行為は以下の如く現行犯傷害罪即憲法99条違反内乱罪である。

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「携帯電話使用で脳腫瘍リスク増大、研究結果が公開…子供の脳、深部に電磁波が影響」
kankyo117.blog.shinobi.jp/CommentForm/483/

長年隠蔽されてきた携帯電話と脳腫瘍の関連性について詳述した秘密文書が公開された。

以下「携帯電話使用で脳腫瘍リスク増大、研究結果が公開…子供の脳、深部に電磁波が影響」リンクから転載。
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■隠蔽されてきた携帯電話と脳腫瘍の関連性
 3月2日、米サンフランシスコのCBSニュースは、携帯電話と脳腫瘍の関連性について詳述した秘密文書が、カリフォルニア裁判所の命によって公開された事実を報じた。2016年、カリフォルニア大学バークレー校公衆衛生大学院の家庭・地域保健センター長ジョエル・モスコウィッツ博士が、カリフォルニア公記録法を盾にして、カリフォルニア州政府に対して訴訟を起こし、「携帯電話と健康」と題された文書が公開されたのである。

 その文書の作成時期は2014年4月とされ、「草稿・非公開」と印が押されていた。だが、モスコウィッツ博士によると、元原稿は7年前に書かれ、その後、数度アップデートされながらも、決して公開されることのなかったものだという。

 番組内で訴訟に踏み切った理由を問われたモスコウィッツ博士は、次のように答えている。

「私はこの文書が日の目を見ることを望みました。なぜなら、携帯電話からの電磁波にはリスクがあるという懸念がカリフォルニア州公衆衛生省内部にはあり、そのリスクを軽減させる方法について、それはいくらかの情報をもたらしうるからです」

 その文書は、携帯電話の長期使用は脳腫瘍や他の健康問題のリスクを高める可能性があると指摘し、携帯電話の電磁波は近くの細胞と組織に影響を与えると認めていた。子供に対する警告部分では、電磁波は子供の脳に対しては大人の脳よりも深部に到達すると説明していた。さらに、携帯電話に対する電磁波ブロック商品が実際に機能する証拠はないとしていた。

 このニュースを取材したNatural Newsのマイク・アダムス氏によると、カリフォルニア州政府が少なくとも7年間、この文書を市民の目から隠してきた背景には、携帯電話からの電磁波によって損害が引き起こされる証拠を長期に及んで隠そうとしてきた、産業界のロビイストたちによる圧力があったと思われると指摘している。

■受信状況が悪いと、電磁波の影響強まる
 その文書に記されていた情報をもう少し紹介すれば、「いくらかの研究調査が見いだしたこととして、ある種の脳腫瘍は、携帯電話を10年以上使用し続けた場合に生じやすく、その部位は携帯電話を普段使用する側の側頭部とほぼ一致する」という記載もあった。

 また、携帯電話から受ける電磁波の影響度は、主に電磁波の強さ、使用頻度、使用時間、耳までの距離に依存するが、受信状況が悪い時、例えば、電車、自動車、バスの中での使用中や、基地局がスイッチする際などにも強まるということを警告していた。

 そして、リスクを軽減する最善策として、携帯電話を体からできるだけ離し、使用時間を減らすことが促されていた。具体的には、ヘッドセットを利用したり、スピーカーフォン・モードを使用して、本体を体から離すことが有効だとしていた。

 また、通話していなくとも携帯電話から電磁波が発せられているため、使用しない時は体から離しておくことや、受信状況の悪い時は、できるだけ使用しないようにすることなども記されていた。

■何十年も前から電磁波と磁気の作用は懸念されていた
 ところで、戦後、植物の成長過程をフィルムに収めていた写真家・撮影監督のジョン・ナッシュ・オット氏(1909-2000)は、光や色温度が植物に与える影響に関心を持った。そして、テレビの普及が進んだ1960年代、テレビから漏れ出る電磁波が植物の生長に甚大な影響を与えることを発見した。

 また、対象を植物からネズミに変えて行った実験では、テレビから漏れ出る電磁波を浴びたネズミは次第に攻撃的となり、その後無気力と化し、ついには動けなくなってしまうことを確認した。これは、パソコンや携帯電話を多用するようになった現代人が、切れやすく攻撃的となることや、無気力、鬱、引きこもりの傾向を示しつつある現状を予言するような結果であった。

 また、オット氏は、がん患者15人に、テレビなどの電子機器をまったく利用せず、室内照明も避けて毎日外に出て日光を浴びるように生活してもらったところ、14人の患者のがん進行が止まったという結果を得た。

 その結果と自身が過去に行ってきたさまざまな研究成果を合わせ、オット氏は、動植物や人間は、フルスペクトルの自然光を浴びることで健康を維持できると確信するに至った。オット氏の結論を評価するには今後の検証が求められるものの、当時、彼の研究は一般には注目されるに至った。だが、学者や産業界にはあまり真剣に受け止められることはなかった。

 1936年、アルバート・ロイ・デイヴィス氏(1915-84)は、永久磁石のN極とS極とでは性質が異なることを発見した。簡単にいえば、N極に曝された生物は野性的になり、S極に曝された生物は繊細で知性的になる。そして、S極に影響を受けた動物は、小さく、弱く、繊細になるものの、成長・加齢の速度を落とすため、結果的に寿命を最大50%延ばせることを発見した。

 このような研究成果は、一部の研究者らの間では有名ではあるが、現在でも一般には知られていない。共同研究者であったウォルター・C・ロールズ・Jr.氏も2009年に他界したが、生前、あることに対して精力的に警告を発していた。

 それは、N極から発生するのと同様の磁気エネルギーが、交流電源を使用したラジオ局やレーダー・アンテナばかりか、携帯電話からも発せられているという事実である。特に固定電話や携帯電話の受話器内の多くの磁石は脳のほうに向けられており、逆向きにするようにメーカーに改善を求めていたのである。

 現在、携帯電話各社がロールズ氏の警告を受け入れ、改善を行ってきているのかどうかは不明であるが、今一度、電磁波と、性質の異なる磁気の作用について、見直してみる必要があるのではなかろうか。

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斎藤幸雄

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