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「Grass Roots Patriots」草の根の愛国者たち  ③

  GHQが日本統治を始めた時、日本語の「漢字」と「かな」による表記法を廃止して、すべてローマ字にしてしまおうという動きがありました。そして昭和23年(1948年)にGHQは、日本語の破壊を本格化するための作業に着手します。そのために最初に行なったのが、日本人はどのくらい漢字が読めるのかという調査でした。
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  文化庁が出した『国語施策百年史』によると、この調査は全国270ヶ所で15歳から64歳までの1万人以上を対象に行われたといいます。その結果ですが、テスト平均は78点以上で、当時の日本国民の97・9パーセントが高い識字率を有していることが判明しました。GHQはこの結果に驚愕したといいます。
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  この結果を受けてホール少佐は左遷され、日本語ローマ字計画は潰れました。しかしアメリカ教育使節団は、当時の日本の教育を歪めている施策である教育勅語の廃止、6・3制義務教育、そして後の日教組である教員組合を組織する自由は勧告していました。日本人はこの時の文明的な危機を、圧倒的な識字率の高さでもってはね返し、何とか母国語の存続を守ることができたのです。
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  私が、こんなに美しく、かつ効率的な日本語で本書を出すことができるのも、GHQの日本語破壊プログラムが失敗したおかげです。無知な連中の愚かな破壊工作をはね返してくれた、日本の知的伝統の素晴らしさに、改めて感謝したいと思います。
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草の根の愛国者精神
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  「Grass Roots Patriots」(「草莽・そうもう」草の根の愛国者たち)とは、「普段は在野にあって市民生活を営(いとな)んでいる」が、「いったん国家危急の場合には、国家への忠誠心に基づいて国を守るために行動に出る人」のことを指します。アメリカでは建国にあたり、「Grass Roots Patriots」たる開拓民たちの活躍が必要不可欠でした。自由を求めて新天地に移り住んだにもかかわらず、それに対してさらに重税を課そうとしたイギリスの圧政に抗し、自らの理想と信念にかけて独立戦争を戦った、多くのアメリカ開拓者たちが激しい戦闘で斃(たお)れました。
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  開拓民たちはイギリス軍に対し、徹底的なゲリラ戦で対抗しました。
  当時の戦闘は、統一された制服を着た両軍が互いに一列に並んで向かい合い、大砲や銃を撃ち合い、最後には銃剣で突撃して殺しあうというものでした。ですがアメリカ開拓民たちは森林の茂みに潜み、一気に一斉に攻撃してはまた森の中に消え去るような戦術を用いました。
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  実は、こうした独立戦争の終結から4年後に、アメリカ合衆国憲法が作られましたが、その要因となったのが、それぞれのステイツである州が協力し合わないことが最大の理由でした。つまりまとまりのなかった社会を一つにするという目的ために、アメリカでは合衆国憲法を制定する必要があったのです。それによって「Grass Roots Patriots」の草の根的な力を一つにまとめることができました。
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  一方、日本の明治維新の時にも、「Grass Roots Patriots」の草の根的な力が数多く活躍しました。日本ではそれを「草莽」(そうもう)という言葉を用いています。幕末の日本人は、西欧列強が世界中を植民地にしていることをよく知っていました。もちろんイギリスが、理不尽な阿片(あへん)戦争を当時の中国の清王朝に仕掛けて勝利し、香港などを手に入れたことも熟知していました。こうした着実に日本にも迫りくる西欧の脅威に対し、どうすればいいかを多くの「草莽」の日本人たちは考えていたのです。
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  しかし当時の徳川幕府は、完全な官僚体質で組織が硬直化しており、素早い意思決定ができず、無責任で内輪の権力争いばかりに明け暮れ、危機感が欠如していました。そんな腐りきった状態の中、何とかしなければという「草莽」の人々が立ち上がり、外国勢力を打ち払わねばという意識を持ち始めたのです。対抗策を必死で考え、それを学問的に研究し、実際に行動に移した当時の日本人は凄かったのです。このようにアメリカであれ日本であれ、「草莽」の人々は自分たちの住む国や故郷が弾圧や侵略の危機にあると、自分たちの理想を貫くために立ち上がり、その生命を賭けて勇敢に戦ったのです。
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  アメリカでは今日でも「Grass Roots Patriots」(草の根の愛国者たち)の精神が根強く生きています。つまり、いざという時には国家を守るために、アメリカ国民全員が立ち上がらなければなりません。それは国民総動員法ではありませんが、要するに国家とその理想を守ることは全国民の義務であり、常識なのです。「戦争になったら外国に移住する」などと考える人間は、アメリカ人の常識からいえば典型的な「非国民」です。
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銃の所持は他人に頼らない精神の現れ
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  合衆国憲法の修正2条には、銃を所持する権利の保障がありますが、これはまさに「草莽」(そうもう)の精神そのものです。私自身はアメリカでは銃を持っていませんが、銃を持つ権利を認めることはアメリカ人にとってとても大切なことだと考えています。オバマ大統領時代には民主党は銃規制に非常に熱心であり、西海岸や東海岸の都会を中心に、その考えを支持する一定数の人々がいます。しかしほとんどのアメリカ人はそうは思っていません。
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  「国内にあんなに銃が出回っているから、銃犯罪が減らない」と言う人がいますが、多くのアメリカ人にしてみれば、「いや、我々の祖先が銃を持っていなかったならば、イギリスから独立できなかったでしょ」というだけです。それで議論は終わりです。
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  つまり「アメリカの草莽」は「自国を守り、地域の安全を守り、家族を守るのは、最後には自分自身」なのだという意識を強く持っています。悪い奴が来た時、場合によっては警察だって間に合わないかもしれない。そんな時に自分や家族を守るのは当然の権利であり、義務でもあるということです。つまり私たちアメリカ人は、他人に頼ることを前提に生きていないのです。
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  テキサス親父(おやじ)ことトニー・マラーノ氏との共著『素晴らしい国・日本に告ぐ』(青林堂)にも書きましたが、私の弟のエピソードを紹介します。私の弟はライセンスを取って銃を携帯していますが、ある時スピード違反で警察に車を止められました。通常車を止められた場合、警察官が後ろからやって来るまで運転手は免許証を出し、銃を持っていないことを証明するために、両手はハンドルの上に置いておかねばなりません。それで彼も免許証と、銃を見えないように常に携帯できる許可証の2枚を取り出し、ハンドルに手を乗せました。
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  警察官は弟を見て、「今、何キロ出していたかわかる?」 弟「少し速度オーバーでしたかね」 警官「相当オーバーだったよ」とやりとりしながら、警官は弟の免許証と銃のライセンスを見ています。そして後ろのパトカーに戻り、しばらくして再びやって来ると、「相当スピードオーバーだったが、あなたは銃の携帯免許を持っており、普段から我々の治安活動に貢献しているようだ」と言いました。
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  再びパトカーに戻ってやって来た警官は弟にこう言いました。
  「隣にいるのは奥さんですね。ではこうしよう。本来なら数百ドルの罰金だが、今回は許す。その代わりにその数百ドルを、あなたの奥さんのために使いなさい」 そして弟の妻に向かい、「いいですか奥さん、もしあなたの主人がそうしなかったら連絡してください。その場合はちゃんと違反の切符を切りますよ。じゃあね」、と言って去って行ったのです。
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  つまり、多くのアメリカ人が持つ銃への意識は、日本で報道されているような一方的な「危険なイメージ」ではまったくないのです。むしろ社会の安全をみんなで守るための、大切な道具だと認識されているのです。この感覚はかつて、日本のサムライが刀を常に持ち歩いていたのと同じ感覚かもしれません。彼らは頼もしい味方なのです。これも「草莽の精神」の一つの発露ではないでしょうか。
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自虐教育を受けてきた日本人の消極性
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  2014年末、スイス・チューリヒにある「WIN―ギャラップ・インターナショナル」という機関が、世界64ヵ国で「自国のために戦う意思」について世論調査を実施しました。それによると、日本人はわずか11パーセントというスコアで世界最低でした。これは何年かごとに実施されているアンケート調査ですが、日本はこれまでもずっと世界最低を維持し続けています。
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  世界で一番高いのはモロッコやフィジーで94パーセント、パキスタンやベトナムが89パーセントとなっています。ちなみに中国は71パーセント、アメリカは44パーセントです。過酷な受験戦争や就職難に嫌気がさし、若者たちが自国を「ヘル(地獄)朝鮮」と揶揄する韓国でさえ、42パーセントが自国のために戦うと言っています。
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  では日本人は国のために戦いたくないのか? それは一概には言えません。なぜならこのアンケートの答えは「はい」「いいえ」「わからない」の三択になっており、日本人は「わからない」と答えた数が世界で一番多く、42パーセントにも上るのです。
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  これは大東亜戦争の敗戦後、GHQが日本を永久に武装解除するため、日本人の精神を骨抜きにすることを目指した影響が、未だに色濃く残っている証拠でもあります。(左翼の)日本のメディアと教育界はこれに乗じて「平和主義教」に衣替えし、その結果、戦争は怖い、戦争は悪だと日本人に繰り返し洗脳してきました。そのために国家や社会のために自分を犠牲にすることの尊さは一切教えられず、自国の危機に対してどうすればよいかといった事態を、一切想定することなく日本人はこれまで生きてきました。
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  テレビでたまに真面目な番組があるかと思えば、準備された半日的なコメンテーターや識者といわれる人たちが、日本の戦争犯罪や過去の侵略とされるものを利用して、日本の昔の姿を意図的に暗く描き出すのです。これではテレビやラジオ、新聞からだけ情報を得る多くの人々が、そんな自国のために戦うかどうかと聞かれても、半数近い日本人が「わからない」と答えるのも当然でしょう。しかもそんな事態など考えたこともないのですから。
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  ですが私は今の若者も、いざとなれば毅然と戦うに違いないと思っています。東日本大震災の折に見せた日本人の団結力、忍耐力、不屈の精神、そして自己犠牲の精神は感動的ともいえるものでした。
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信じられない日本兵の強靭さと気高さ
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  日本人は本来、強靭で気高い精神を持った民族です。
  それは先の大戦で日本と戦った私たちアメリカ人が一番よくわかっています。日本人のそのような戦いぶりを象徴するのが「ペリュリュー島の戦い」でしょう。当時、島を守っていたのは中川州男(くにお)大佐率いるペリュリュー守備隊でしたが、わずか1万1000人たらずの日本軍は、ここで屈強なアメリカ海兵隊と戦いました。
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  小さいペリュリュー島などほんの4日で奪取できると考えていたアメリカ軍は、この小島に対して凄まじい量の艦砲射撃と航空爆撃を加え、さらに日本軍の4倍もの兵力を投入しました。しかし最初に上陸した第一海兵師団は猛反撃を受け、大勢の死傷者を出して壊滅します。そしてなんと米陸軍の第81歩兵師団との交代を余儀なくされます。しかしこの米軍の陸軍部隊も日本軍から凄まじい攻撃を受け、2500人もの兵士が精神疾患にかかったそうです。
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  「日本兵1名の戦死ごとに、アメリカ兵1名の死傷と1589発の重火器および小火器の弾薬を要した」と記されています。この戦いにおいて日本の兵士たちは、夜襲を繰り返すことでアメリカ兵を眠らせない作戦に出ました。その結果、多くのアメリカ兵が恐怖のあまり不眠に苦しみ、士気を下げていきました。たまりかねたアメリカ軍は日系2世の兵士を使い、「勇敢な日本兵の皆さん、夜間の斬り込みはやめてください。あなた方が夜間の斬り込みを中止するなら、我々も艦砲射撃と爆撃を中止します」と放送したそうですが、これにより日本軍はかえって士気を高めたのです。
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  結局、米軍が4日間で奪取するつもりだったこの島は、73日後にようやく陥落し、このような日本の兵士たちも最後はほとんどが玉砕してしまいます。ですが、それでも死ななかった34人の日本人兵士たちは、なんとその後もあの狭い島で遊撃戦を展開し、アメリカ軍の食糧庫などを襲撃しては武器弾薬や食料を大量に奪い、その後の終戦2年後の昭和22年まで、洞窟にこもって戦い続けたのです。その敢闘精神には愕然とするしかありません。
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  こんな敢闘精神は、アメリカ軍や他の欧米の軍隊にはとても考えられないことです。戦争中、米軍は日本軍との戦い方のマニュアルを作成していましたが、その中に「日本兵も人間だ。恐れることはない」と書かれています。つまり米軍の兵士にとって日本軍の兵士は、まるで人間を超越した存在であるかのように見えたのです。
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  大東亜戦争当時、日本軍の兵器はアメリカ軍のそれと比べて相当に貧弱でした。アメリカ軍が保有していた武器弾薬などの鉄量は日本軍より相当に多く、ジープやトラックなど、それを運ぶための機械化も進んでいました。一方、日本兵が持っていたのは、多くて12発くらいの小銃弾でした。砲兵の場合、戦場によっては何百キロもある大砲を分解し、日本人兵士は険しい山岳地帯をそれを担いで移動することもあったのです。もしアメリカ兵に同じことをやらせようとしたら、冗談じゃないと不満が爆発したはずです。
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  しかし日本兵はもう、これが信じられないくらいに強い。
  特に夜襲や接近戦ではアメリカ兵は非常に恐れていました。夜陰に乗じて静かに肉薄する日本兵の銃剣突撃を食らい、戦線が次々に破られるという事態が各所で多発しました。それでアメリカ軍はできるだけ塹壕(ざんごう)や鉄条網を周囲に張り巡らせ、機関銃と豊富な弾薬を準備し、突撃してくる日本兵を片っ端からなぎ倒しました。しかしそれでも、日本兵は仲間たちの死体を飛び越えて、次から次へと向かってきたのです。アメリカ人からしたら信じられないことばかりだったのです。
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  GHQが日本人にWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)を強制したのは、自分たちアメリカ人がかつて苦労して作り上げた国民的一体感を、日本人ははるかに上回るレベルで共有していることがわかったからでしょう。これはつまり、個人の自由を尊重する国よりも、集団性や一体感のある組織や国のほうが戦争においては強いということを、アメリカ自身が認めた証拠でもあります。
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日系アメリカ人部隊の第442連隊戦闘団
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  実際にそれは、日系アメリカ人だけで編成した第442連隊戦闘団の、ヨーロッパ戦線における戦いぶりを見ても明らかです。この日系人部隊はアメリカ合衆国の歴史において、最も多くの勲章を受けた部隊であり、その合言葉は「Go for Broke」(当たって砕けろ)という、いかにも日本人的なものでした。彼らはドイツ軍の堅牢(けんろう)な陣地に突撃を繰り返した結果、その死傷率はなんと314パーセントに上りました。つまり1人の日系人兵士が何度も負傷しながら、何度も戦線を離脱しながら、再投入されたということです。
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  1944年10月、ヨーロッパ戦線においてテキサス大隊という米陸軍部隊の211名が、強力なドイツ軍に包囲されてしまいました。当時のこの状況で、テキサス部隊を救出するのはほぼ不可能と考えられていました。そこでルーズベルト大統領は、日系人で組織された第442連隊戦闘団に救出命令を下しました。そして救出を命じられた第442連隊戦闘団は、ドイツ軍に対し凄まじい猛攻を行ない、なんと絶対に不可能と考えられていたテキサス大隊の救出に成功したのです。
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  もっとも、彼ら自身の被害は、救出しようとした211名のテキサス大隊よりも多く、216名の戦死者を出し、600人以上が重傷を負うという凄まじい被害を出しました。この戦いはアメリカ陸軍史上、十指に数えられるほどの激戦でした。この事例を見てもわかるように、もし当時の日本軍がアメリカ軍と同じ装備と鉄量を持っていたならば、アメリカ軍の死者は倍増してなお足りなかったでしょう。それに加え、局地的な戦術だけでなく、俯瞰的な戦略と情報収集能力があれば、日本は決して敗北しなかったはずです。というより、ルーズベルトが日本を挑発することはなく、日米戦自体が起きなかった可能性が高いです。
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  日露戦争の時も、数百人規模の日露軍が戦闘を行ないましたが、ロシア軍は指揮官や将校がやられてしまうと、下士官や兵はもう何をすればいいのかわからず、右往左往したのです。ですが日本軍の場合は、将校や下士官がすべて戦死しても、上等兵などが残りの数百人を指揮して最後まで戦ったといいます。
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  しかも日本人が強かったのは戦争だけではありませんでした。
  大東亜戦争の後には、日本は非常に大きな経済成長を成し遂げました。日本人は一丸となり、恐るべき勇敢さとタフさで世界中の市場を切り拓き、優秀な製品を次々と作り出し、あらゆるマーケットを席捲(せっけん)していきました。その日本の強さは、たまりかねたアメリカが貿易摩擦と称して強権発動せざるを得ないほどでした。
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  そのような勇敢で強靭な、気高い日本人の精神が、わずか70年続いたWGIPという愚民化政策だけで、簡単に滅びるとはとても思えないのです。
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      『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』
         ケント・ギルバート著 PHP新書 1107(840)
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                       抜粋
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  ――多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。

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