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・まず自分自身を愛しなさい

   数千年もの間、人は監禁された状態で生きてきた。
   これらの牢獄にはさまざまな素晴らしい名前がつけられていた。あなた方はそれを宗教、思想、教会と呼ぶ。ある人はカトリックという牢獄で生き、ある人は共産主義者の牢獄で生きる。そして両者は彼らの牢獄について、自分たちの牢獄の方がはるかに良いと自慢し続けている。
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   しかしある思想を通して生きる人は、誰であれ囚人だ。
   なぜならいずれ、あらゆる思想はあなたの意識を狭め、あなたの存在を束縛するようになるからだ。恐れから、条件付けから、一種の催眠状態から、何かの群集に属している人は、誰であれ真の人間ではない。その人はまだ生まれてもいない。人になる機会は与えられているが、それを浪費している。
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   たとえば、私はあなた方にこのように言った。
   自分自身を愛しなさい。自分自身を愛せない人は、他のどんな人をも愛することができないと。ゆえに私はあなた方に言う、利己的でありなさいと。なぜなら唯一利己的な状態からだけ、利他主義が生まれるからだ。
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   だがあなた方は、本当に価値のない価値観を教えられてきた。
   あなたには価値がないと、そのままのあなたには何の価値もないと聞かされてきた。つまり、あるがままのあなたは地獄であると。あなたは立派でなければならず、あなたは変わらなければならない。あなたは聖人に近くなり、あれやこれや優れた者にならねばならない。
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   そこでは一つのことが確実だ。
   それは、あるがままのあなたでは、そこにはどんな価値もないということだ。そうであれば、あなたはどうやって自分自身を愛せるのだろうか? 自分自身を愛せず自分を憎み、嫌う時、あなたは他のすべての人々を嫌い、憎んでいる。彼は全世界を憎み、自分自身を憎むことで生に対して否定的になる。
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   そして生に否定的な人は、生に対して破壊的だ。
   いわゆる僧や尼僧たちは、誰もが生に対して否定的だ。彼らは生を肯定しない。生を育まず、生を美しくしない。彼らは世界を祝福して来なかった。彼らは呪って来た! 
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      いわゆる修道院は消え去るべきだ。
      私たちには修道院は必要ない。確かに私たちにはサニヤシン(修行者)が必要だが、彼らは世界の一部となり、世界を変えることで生きるべきだ。そして、そこで起こるべき基本的な変容は、自分自身を愛する者であるべき、ということだ。
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   自分自身を愛さない人はマゾヒストになる。
   つまり、自分自身を苦しめるようになる。そして、こうしたマゾヒストたちは、古来より聖者として崇拝されて来た。マゾヒストである人は、一方でサディストである。なぜなら自分を傷めつける人は、あらゆる他人を痛めつけたがるからだ。しかも痛めつけることは、彼の神への捧げ物になる。
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   この両者がしばしば、同一人物であるのはいつものことである。
   あなたは自分自身に対立して反対し、他人に反対するというようなやり方で、あなたの宗教によって条件付けられてきた。つまり一方で、あなたは素晴らしい合理的思考で自分自身を苦しめ、また他方で、その考え方で他人を苦しめる。
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   彼らにとって、今や生というものは拷問部屋に、強制収容所になってしまった。もはやそれは生きるという祝祭ではない。だがしかし、生というものは本来、祝うべきことなのだ。もし自然に自分自身の進路を取ることが許されるならば、それは祝祭であるに違いない。だから覚えておくべき最後のことは、 ”物事を後ろ向きにしてはいけない”ということだ。
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   自然とともに行きなさい。
   上流へ行こうとしてはいけない。生の流れとともに行き、川とともに行きなさい。川を押し進めたり、自然を征服しようとしてはいけない。どちらにしろあなたにはできないし、あなたにできるのはそれを破壊することだけだ。しかも頑張ってできるのは、自分自身の破壊だけだ。
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   まさに、自然を征服するという考えそのものが暴力的であり、醜いものだ。勝利とは自然に反することではない。勝利はただ、自然とともに可能なものなのだ。
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   あなたは、自分自身を愛してはいけないと教えられてきた。
   それが純然たる事実のように、真実のように見えるほどに、繰り返し教えられてきた。しかし自分自身を愛せない人は、他のどんな人をも愛することはできない。自分を愛せない人は、まったく愛することができない。
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   あなたは利他的であるべきで、決して利己的であってはいけないと教えられてきた。それは一見、とても美しく見える。だがそれがまさに、あなたの根源を破壊している。唯一、本当に利己的な人だけが、真に利他的であることができる。
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   なぜなら本来の自己の本性に根づいていない人、つまり利己的でない人は、他の誰かについて真に心配したりなどしないからだ。もし自分自身の世話ができないならば、どうやって他人の世話ができるというのだろうか? 彼は自滅的で、当然、残酷になる。
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      The Book of Wisdom
       book『アティーシャの知恵の書 下』 OSHO著  市民出版社
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                        抜粋
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――多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。

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コメント

OSHOの本に出会ったのは、25年以上前だと思います。
その言葉は、分かる感じがするものの、理解できないものでした。
10年前くらいから、マインドコントロールについて知り、
自分の中の思い込みを見つめていって、どんどんクリアになってきました。
久しぶりにその言葉に出会い、
自分の理解が深まっているのを感じました。
ありがとうございます。

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