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・歴史的真実を隠蔽しようとする人々とは誰なのか?

日本の視点から考える
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  ルーズベルトの謀略をまったく知らなかった日本政府は、昭和16年(1941年)1月から対米和平交渉を始めています。その4年前の昭和12年(1937年)から始まった中国戦線で泥沼にはまった日本は、蒋介石の率いる中国(中華民国)の正規軍である国民党軍の背後に、アメリカやイギリスがいることを知っていました。これらの欧米諸国は中国での利権の確保と、その拡大を狙っており、中国(国民党軍)に対して大量の武器弾薬と財政支援を行なっていました。
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  実際にアメリカ陸軍航空隊からは昭和15年(1940年)の段階で、密かにアメリカ人戦闘機パイロットを送り込み、中国空軍を後方で支援していたのです。意外だったのは、あのドイツも1930年代までは、日本軍と戦う国民党軍に対し、武器や戦術指導の提供を行なっていたことです。当時の中国国民党軍の写真を見ると彼らの多くが、あのナチスがかぶっていた独特の形のヘルメットを装備していることがわかります。それも当然で、ナチスからそのまま供給されたものだったのです。
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  国民党軍がドイツから得ていたのは、物資や技術支援だけではありません。1932年の第一次上海事変では、ドイツ軍の軍事顧問に指導された国民党軍が日本軍と交戦しており、満州に近い万里の長城付近の戦いでは、なんとドイツ陸軍の中将が、直接日本軍との戦闘を指揮しています。そして1933年以降は、ドイツ軍の元参謀総長が蒋介石の軍事顧問に就任しています。ドイツもまた、中国における地下資源や市場を狙っていたわけです。
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  上海における要塞や掩蔽壕(えんぺいごう)などはすべて、ドイツ軍が設計したので非常に強固かつ巧妙に作られており、ドイツ製の高性能機関銃などを装備していた国民党軍の火力は相当に強力で、兵士がバタバタやられていったそうです。それに対し日本軍は一発必中の単発式小銃を使い、最後には日本刀と銃剣による斬り込みで対応し、国民党軍を蹴散らしたそうです。ある日本人兵士は「上海で初めて近代戦の凄まじさを経験した」と語ったそうです。
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  その後、日本とドイツが「日独防共協定」を結んだことで、ドイツによる中国支援は一気に先細りとなりました。つまり国際政治における国家というのは、国益のためなら何でもするということが良くわかるいい例です。またモノつくりが得意で細部にまでこだわるという共通点を持つドイツ人と日本人は、戦争をさせるといずれも強すぎる軍隊になってしまうという事実がよくわかります。
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  さて話をアメリカに戻しましょう。
  日本は中国大陸で上記のような泥沼の戦いを続けていましたが、国民党軍の背後にはドイツだけでなく、アメリカやイギリスそしてソ連がいました。つまり日本は否応なく、大東亜戦争のはるか以前から、米英に加えてソ連までもが黒幕に控えた、代理戦争を戦わされていたのです。
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  この米英ソの物資輸送ルートは有名な「援蒋ルート」と呼ばれており、中国国民党を支援する国によっていくつかルートがありました。中でも特に日本が苦しんだのが、現在のベトナムに陸揚げされた物資を今の中越国境から運び入れる「仏印ルート」と、先に少し述べたイギリスの植民地であったビルマ(ミャンマー)から、山岳地帯を通じて中国南部に入る「ビルマ・ルート」でした。
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  日本にしてみれば、これらの第三国からの物資輸送を止めてしまえば、蒋介石軍との戦争は終結できるとわかっていたので、日本は昭和15年(1940年)に(フランスの植民地であった)ベトナムに軍を進駐させ、そのルートを制圧しました。(仏印進駐) ちなみにこの仏印進駐について、日本政府はドイツに敗れたフランスで新たにできたヴィシー政権の公的な了解を得ています。つまり日本軍の仏印進駐は国際法を順守したうえでの、合法的な作戦行動なのです。ですがこれも、ほとんどのアメリカ人は知らないことで、おそらく日本人も知らないでしょう。
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  ですが日本軍の合法的なこの行動に対し、アメリカは文句をつけました。ちなみにアメリカはこの時点ですでに「ビルマ・ルート」の上空支援任務のため、中国空軍に多くのアメリカ人パイロットと整備士と、そして100機もの戦闘機を密かに送っていたのです。次に日本が潰しに来るのは、自分たちが蒋介石支援のために使っていた「ビルマ・ルート」だとわかっていたからです。
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  ですがこのアメリカの「フライング・タイガース」の行動は、戦時国際法上では完全に第三国の中立義務に違反しています。つまり武器などの物資の支援は許されても、紛争当事国ではないアメリカなど第三国が援軍を送り込んではいけないことなのです。そのためアメリカは軍に所属するパイロットと整備士を、記録上では一度退役させたことにし、ボランティアの義勇兵(傭兵)として、中国軍に協力したことにする偽装工作を行なっています。
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  ついでに細かい話をすると、この段階では「日華事変」もしくは「支那事変であり、「日中戦争」と呼ぶのは間違いです。国同志が宣戦布告を行ない、国際法で認められた「戦争」を始めた場合、第三国からの物資提供も国際法違反となります。つまり、日本はアメリカから石油や屑鉄などを輸入していたし、中国は「援蒋ルート」をフル活用していたわけで、日中双方がお互いに戦線布告を行なわず、あえて「事変」にとどめていたのです。
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  歴史用語の安易な置き換えは歴史的な事実を歪めてしまい、バックグラウンドや真実が判らなくなる原因となるので、十分注意すべきです。逆に、歴史用語が置き換えられていた場合、その理由を探ってみると、意図的に置き換えた人たちの真意が読み取れるかもしれない。
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  話を元に戻しますが、ルーズベルトにしてみれば、日本が徐々に自分が仕掛けた罠にハマっていく様子を見て、ほくそ笑んでいたことでしょう。そしてアメリカは日本軍の仏印進駐を機に、日本に対する屑鉄の輸出を禁止するなど、次々に対日制裁を強めていきます。
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  ここで日本は、あわてて対米和平交渉を開始します。
  それは国際法上合法的に行なった仏印進駐でしたが、それをアメリカに責められるとは想定していなかったからです。時の総理大臣であった近衛文麿(このえふみまろ)は、野村吉三郎や来栖三郎大使を送り、真剣に和平交渉を行ないます。つまり日本は普通ならあり得ない「大使二人制」という体制で、対米和平交渉に挑んだのでした。
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  近衛首相は1943年にアメリカを訪問した際、大統領一期目にあったルーズベルトと(コーデル・)ハル国務長官に面会した経験がありましたが、その際にこの2人が極東アジア問題に関して、ほとんど何の知識も持っていないことをよく知っていました。そのために、ルーズベルトと旧知の仲であった野村大使や、アメリカ人の妻を持つ来栖大使を送るなどして、日本はアメリカの無理解に気を遣ったのでした、
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  しかしアメリカはなかなか良い返事をしません。
  それどころか、日本の努力にもかかわらず、徹底して対日経済封鎖をどんどん強化していきます。その詰まるところが対日石油禁輸措置です。日本はエネルギー資源がないので、それをやられてしまえば、もう「死ね」と言われているのと同じだったわけです。
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  そしてここからは、もう開戦までの一直線です。
  昭和天皇は何とか戦争を避けようとし、日本政府も同じように努力していましたが、ルーズベルトからすれば計画通りの展開なので、日本がどのような案を出して来ようとも受け入れる気などさらさらなく、ひたすら日本を挑発して戦争を起こさせようとしていたのです。
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  ルーズベルトには、スターリンと一緒に世界を二分割して統治するという約束があり、また大恐慌以来の停滞したアメリカ経済を立て直して世界的な覇権を握るためにも、何とかしてアメリカを第二次世界大戦に参戦させなければならなかったのです。つまり、どんなに日本が譲歩を見せたところで完璧「ムダ」だったというわけです。
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  私はこれまで、この日本和平交渉の詳細をほとんど知らなかったのですが、ルーズベルトという人間について勉強し、日本が戦争に向かう過程を学んでからというもの、やはり日本はルーズベルトによって戦争に追い込まれたのだ、ということを確信するようになりました。それは日本だけではなく、同時にアメリカ国民もまた、彼によって戦争に引きずり込まれたわけです。
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真珠湾が攻撃目標であることはわかりきっていた
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  真珠湾攻撃を、アメリカがまったく予期していなかったというのが、今でも日米における基本的「定説」となっていますが、これをそのまま受け取る人は勉強不足、知識不足です。なぜなら、幾つもの事実がこの「定説」を疑わせるに十分な証拠を提示しているからです。
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  たとえば日本が(コーデル・)ハル・ノートを受け取った翌日の昭和16年(1941年)11月27日には、ハワイの海軍基地司令官キンメルが、ワシントンから「戦争の脅威が逼迫(ひっぱく)している」という至急電を受け取っています。そこでキンメルは早速、ハルゼー提督に対し、空母「エンタープライズ」などからなる艦隊を出港させ、アメリカ海兵隊VMF-211飛行隊の、ポール・パトナム少佐指揮下にある戦闘機をウェーキ島に派遣し、防衛を固めるように命じました。
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  この時ハルゼーは、「これらの海兵隊機はまさにライオンの口の中に飛び込むようなものだ」と感じており、「ウェーキ島へ行く途中に日本軍と遭遇したらどうすべきか」と問うたところ、キンメルは「常識でわかるだろう」と返したといいます。つまり、敵をみたらやっつけろということです。(http://www.commandposts.com/2011/11/novenber-28-1941-enterprise-leaves-pearl-harver/)
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  またこの時に輸送される戦闘機隊を率いたパトナム少佐が、太平洋上の空母艦内で書いた12月3日付の手紙には、同艦隊の行動が最高レベルの機密扱いにあり、また連日、かなりの遠距離まで同戦闘機隊が偵察哨戒飛行を行なっていることを記しており、「それら(自分が指揮する戦闘機部隊)は完全武装しており、日本軍の艦船や航空機を発見したら、わが部隊の発見を知らせられないために、それらを攻撃せよという命令となっている」と書いています。(アメリカ海兵隊司令部広報部歴史課R・D・ヘインル・ジュニア准将著”Defense of Wake”P9)
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  つまり、アメリカは前線部隊の将校に至るまで、ハワイ近くのこの領域に日本海軍が出現して、交戦状態になる可能性が高いことを十分に知っていたということです。それどころか当時の駐日アメリカ大使グルーは、開戦の1年前の昭和16年(1941年)1月27日の段階でアメリカ国務省に向けて、駐日ペルー大使や日本人情報部からの情報として、”もし日米関係が「トラブル」に陥った際には、日本軍が真珠湾に向けて大規模な奇襲を仕掛けるという計画がある”、ということを公電で報告すらしているのです。(J.Robert Moskin,"American Statecraft:The Story  of the U.S.Foreign Service" P403)
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  これは山本五十六が真珠湾攻撃を決断した直後の話であり、いかに日本海軍の情報が暗号以外でも漏れていたかがわかる、かなり情けない逸話です。このグルー大使は開戦直前の11月の段階でも、日本が真珠湾に対して軍事攻撃を行なうであろうことをワシントンに報告しています。
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  日本の情報がダダ漏れ状態であった一つの理由は、日本の暗号の多くがすでに解読されていたからです。たとえば日本の外務省の暗号は、真珠湾攻撃の以前に完全に解読されていたという事実は、もう今では周知のことです。
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  しかし日本側はそのことにほとんど気づいてはいなかった。その証拠に、ハワイの日本領事館にいた喜多長雄総領事は、真珠湾内のアメリカ艦船の動向を、開戦直前の段階でも日本に向けて発信し続けていましたが、それらのほとんどはワシントンの暗号解析チームによって解読されていたこともわかっています。(John Hohenberg,"Foreign Correspondence:The Great Reporters and Their Times" P211)
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  一方、定説では日本軍の暗号は、昭和17年(1942年)のミッドウエー開戦の頃まで破られなかったということになっていますが、実際には日本海軍の暗号は戦前にすでにアメリカの手中に落ち、破られていたと考えるべきでしょう。この「定説」に異を唱えると、なぜか変な圧力がかかるのですが、私は別に「全部の海軍暗号」が破られたと言っているわけではありません。しかし少なくとも、すでに戦前に「複数の海軍暗号」が、アメリカとイギリスによって解読されていたことは明らかになっています。
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  1923年の段階で、日本の海軍武官の持っていた暗号書をアメリカ海軍が密かに入手しています。それをアメリカ海軍情報部の暗号分析官として有名なアグネス・マイヤー・ドリスコール夫人により、一部が解読されています。この海軍暗号は「レッド」と呼ばれていますが、後に解読された日本外務省の暗号も同じく「レッド」と呼ばれているので、間違えやすいので注意が必要です。
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  またJN-39という日本の商船専用の暗号は、昭和15年(1940年)5月の段階で解読されているし、その他の一部の海軍暗号も戦前からシンガポールにあったイギリス軍によっても解読されています。そして特にイギリスの解読した暗号が、日本海軍の開戦準備行動の兆候を捉えたとも言われています。(Michael Smith,"Emperor's Codes:Bletchley Park and the breaking of Japan's secret ciphers" P93)
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  日本海軍の暗号の中でも最も難しかった一つは、JN-25というものであり、これはミッドウェー海戦の頃までまったく解読できなかったと言われています。確かにこれは真珠湾の前の段階では10パーセントほどしか解読されていなかったようです。ですが一方でJN-25は真珠湾前にはほとんど使われてはおらず、日米開戦後になってようやく大量に使われるようになったものだという話もあります。
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  これらの事実から見てみても、「日本海軍の暗号がまったく解読されていなかった」という考えは間違いであるとわかります。アメリカやイギリスは必死になって日本海軍の暗号の解読を試みており、一部ではかなりの成果を挙げていたわけです。また日本の機動部隊が成功裏に行なったという「完全無線封鎖」の話ですが、実際に真珠湾攻撃に参加した空母「赤城」の長谷川喜一艦長の日誌(12月6日付)には、
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  「1700作戦緊急信にて通信部隊発信 ハワイの北方800浬(かいり)に敵潜1隻、他の1隻と通信しつつあり、わが連合方位測定中との情報あり。われらの航行付近なれば一寸(ちょっと)緊張させられる」とあります。これは間違いなく、ハワイの北方800カイリに敵潜水艦(アメリカ)がいたことを把握した機動部隊の前哨部隊が、「無線」を発した話をしているわけです。しかもアメリカの潜水艦もまた、日本の機動部隊の位置を把握しようとしていることがうかがえます。
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  真珠湾への攻撃を予期し、あるいは感づいていたのは、何もワシントンやアメリカ軍だけではありません。実は開戦の1週間以上前の11月30日に地元ハワイの複数の新聞は、「来栖(大使)が憮然として警告――我が国は戦争の準備ができている」「今週末、日本がハワイ(の真珠湾)を攻撃する可能性」などと報じており、かなりの情報がワシントン以外にも漏れ始めていたことがわかっています。
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  私が指摘したいのは、アメリカによる日本海軍の暗号解読状況や、日本機動部隊の完全無線封鎖の詳細ではなく、日本をこれまでさんざん挑発し、またこれだけ多くの事前の兆候があったにもかかわらず、「アメリカが本当に日本の攻撃を何も予測しておらず、知らなかったわけがない」、ということです。もし本当に何も知らなかったとすれば、我が祖国アメリカは相当に無能な国家ということになりますが、もちろん、そんなことはありません。
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  すべてを仕掛けたのはルーズベルト本人だったからです。
  前述のとおり、ルーズベルト大統領はアメリカ国民に「攻撃を加えられた場合を除いて」、外地での戦争に国民の息子たちを送りはしないと、アメリカ国民に対し繰り返し訴えていました。しかしその一方で彼は、イギリスのチャーチル首相に対し、アメリカを戦争に参戦させる約束を交わしています。
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  それどころかルーズベルトは、「私は決して宣戦しない。私は戦争をつくるのだ」とさえ語っており、真珠湾(開戦)の前日に行なった家族との食事の席上では、「明日、戦争が起こる」とまで述べています。
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歴史的真実を隠蔽しようとする人々とは誰なのか?
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  これだけの証拠や証言がありながら、しかも情報公開によってこれらの証拠は今後も次々と拡散され強化されるのは確実なのに、従来の「定説」を必死で擁護し、(日本を悪者にしておきたいために)、「陰謀論者」や「歴史修正主義者(リビジョニスト)」などのレッテルを貼るワンパターンな方法で、真実の隠ぺいに必死な人たちがいます。ですが、「天動説」を支持した中世のキリスト教徒を見ているようで、もはや憐れみすら覚えます。
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      『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』 ケント・ギルバート著 PHP
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                           抜粋
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――多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。
 
 

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