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・世界に構わないでいなさい。その代りに自分自身を変容させなさい。

  私は他人を信じることをあなたに求めてはいない。それはただ、あなたが自分自身を信じることが不足している結果に過ぎない。
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  罪とは何だろう? 罪とはあなた自身の神性を否定することだ。あなた自身の神性に常に気づいていることよりも、大きな美徳はない。
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  では今あなたは、悪を捨てたのだろうか? それで結構だ。今、同じく善も放棄しなさい。あなたがどちらかを捕まえている限り、あなたの虚栄心はあなたに留まるだろう。
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  恐れてはいけない。あなたは自分が恐れる人(や出来事)からは、決して自由ではいられないだろう。彼は常にあなたにつきまとう。あなたの敗北は、常にあなたの恐怖と比例しているからだ。
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  世間(人)から逃げてはいけない。 ただ自分自身に気づいていなさい。あなたが逃げようとするなら、さらに大きな恐怖があなたをつかむだろう。だがあなたが気づきに留まるなら、安全を見出す。あなたに自由を与えるのは、知識を通して得られた怖れのなさだけだ。
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  あなたの神が外側にいる限り、彼はあなたの幻覚であり、あなたの妄想だ。人間は自己から逃れるために外側にこの神を発明した。
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  私はあなたのために、真理の道を歩くことはできない。他の誰もそうすることはできない。あなたは自分自身で、いつかその旅にとりかからなければならない。このことをよく知りなさい。そうでなければ、あなたは貴重な生を無駄に過ごすことになる。
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  生の道は闇で覆われている。だが他人の光ではなく、あなたの自己理解の光があなたの道を照らすことができる。あなたは自分自身の闇であり、また自分自身の光でもあり得る。あなた以外の誰も、あなたを闇に包むことはできない。それなのになぜ、他の誰かがあなたのための光になると期待できるのか?
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  肉体は神聖な寺院だ。それと戦う代わりに、内側へ入りなさい。身体は聖なる巡礼の場所だ。神は自らの住処(すみか)としてそれを選んだ。霊的な極地を追い求める真の探究者は、自らの肉体を認め、感謝しながらそれと協力し、全エネルギーを普遍的な魂との究極の合一に向ける。
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  過去、宗教の本質は信仰だった。そして信仰は、まったくどんな種類の確証すらないにも関わらず、戒律や教義を受け入れることを強要する。これまで、もし人が信仰を持たないなら、彼は無宗教だと見なされた。なぜなら信仰と宗教は一つものであり、その裏と表として見られていたからだ。つまり信仰というものがなければ、無神論も有神論も存在しなかったのだ。
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  人類はこれまで常に、これらの二つの極端の間で、これら二つの極性の間で揺れてきた。だが現在、科学が私たちに三番目の選択肢を与えている。今や、無神論でも有神論でもないことが可能になっている。 

     つまり、今や信仰から絶対的に自由でいることが可能になっているのだ。現在、人類は自分自身をそうした信念原則から解放することができる。それは何世代もの伝統を通して、何世紀にも渡る教えを通して、人々の無意識の中に叩き込まれてきたものだ。
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  私が話している宗教は全く組織ではない。それは瞑想であり、修行だ。自己実現そのものへの旅だ。それは体験、個人の体験だ。信者を多く集めて大規模なグループを作ることとは、全く何の関係もない。宗教の体験は完全に個人のものだ。
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  だが私たちが一般的に宗教と呼ぶこれらの組織は、全て憎しみに基づいている。しかし憎しみと宗教の間にどんな関係があるというのだろう? 何にせよ、憎しみをもたらすものは宗教と呼ぶことはできない。宗教と呼べるのは、愛があなたと私の間を流れるようにさせるものだけだ。いったいどうしたら、人と人を分けるものが、神と人間を結び付けられるというのか? 
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  子どもたちは信じ方ではなく、考え方を教えられるべきだ。他の誰かの考えを盲目的に信頼するのではなく、自分自身で理解するよう助けられる必要がある。あなたは知っていただろうか? 自分に言われることをただ信じている人は、どんな類(たぐい)の創造力も生み出せないということを。
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  型にはまった概念は、これまで見解という名の下に多くの人の展望を破壊してきた。どんな類(たぐい)の信念も無知だ。どんな類の信念も闇だ。考えることは道だ。だが信じることがもたらすものは失望以外にない。だから私は信念に条件付けられている人は、自由に考えられないと言うのだ。
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  ヒンズー教の人は真に創造的ではあり得ない。ジャイナ教の人は創造的ではあり得ない。共産主義者の人は創造的ではあり得ない。彼の信念そのものがすでに条件付けられているからだ。
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  なぜ全ての宗教は、創造性をとても恐れているのだろう? 確かにそれは根拠のないことではない。そこには多くの根本的理由があるが、最も重要な理由は、多くの創造的な思考や発想があると、多くの宗教団体はいずれ特定の危険な状態に陥り、長くは生き残れないということだ。
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  信じることは、彼ら自身の狭い制限内に閉じ込められることであり、彼らは開かれた活気がないので全体の方へと進むことはなく、ゆえに決して一つである状態に達することはない。世界にとても多くの異なる信仰があるのは、彼らがそうした厳格で個人的な組織に閉じ込められているからだ。
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  考えることは創造的だ。だが信じることは条件付けだ。考えることは自己革命だ。信じることは自己プログラミングだ。思考はどんな点からでも始められるが、それは最終的により深い領域、中心へ、真理へと導く。だが信仰はただ、神への道を塞(ふさ)ぐだけだ。宗教団体は、疑うことではなく信じることを教える。彼らは探究する方法ではなく、従う方法を教える。
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  ある友人が私に言った。「もし私たちが世界を変えられるなら、それは素晴らしいことですね」と。私は答えた。
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  「それはとても結構なことだが、どこにその世界とやらがあるのか? 探しても私は見つけることができない。世界中捜しても、私はただ自分自身の反映しか見ない。世界(人)に構わないでいなさい。その代りに自分自身を変容させなさい。そうすれば、世界は変容されるだろう。私たちはみなそれ、つまり世界の一部であり、私たちすべてが共有している内側の深い結びつき以外に、どんな世界があるというのか?」
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                             抜粋
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――多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
   私は基本的に「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考えるものを掲載させて頂いています。削除をお望みの際は、コメント欄にてお知らせください。いつでも削除致します。掲載させて頂き、ありがとうございます。

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                                    zeranium

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